310:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2013/07/16(火) 23:00:20.95 ID:AhPKC+s4o
「何でもないです。ごめんなさい」
あたしは気を取り直した。そしてもう係長に事情を全て話してしまおうかという気にな
っていた。係長があたしのことを気にしてくれているのは確かだろうし、理由をうやむや
にしてこの場を切り抜けることは難しそうだ。
「辞めたい理由なんですけど」
「うん」
「実は、本当に家庭の事情なんですね。一身上の理由ってよくいうけどまさにそれなんで
す」
「そうなのか? 本当に仕事がつまらなくて司法試験に挑戦したいとかじゃないんだ」
「はい。まあ家庭の事情ってのはもう終ったんですけど、それ以来妙な喪失感を感じちゃ
って。今でも仕事に夢中になれないんです。それで・・・・・・。こんな中途半端なことをして
いても自分にも社にとってもいいことじゃないって思って」
「家庭の事情って何だ」
やはりこれだけでは係長を納得させられなかった。あたしは最初から去年の出来事と自
分の気持を話すことにした。あたしはかなり長い時間をかけて自分に起きたできごとを語
った。ひょっとしたら係長はお子さんのことを想って早く帰りたかったのかもしれないけ
ど、それでもあたしの話をせかすことなくじっくりと耳を傾けてくれた。
あたしは全てを話した。ただ一つのことを除いて。自分の兄貴への恋愛感情めいた想い
やこのまま兄貴とあたし、奈緒人と奈緒の四人でずっと暮らせたらいいと考えた願望だけ
は他人に話せるようなことではなかった。それでも浮気性の麻紀さんに変わって奈緒人と
奈緒を母親として育てようと一度は決心していたことは正直に話した。そして麻紀さん側
の弁護士が太田先生だったということも。
太田先生のことを聞いたとき係長はビールを盛大に噴き出した。
「おいおい。マジかよ。何で黙ってた」
「個人的なことですからね。仕事には影響させる気はなかったし、大田先生も気にしてな
いようでしたよ」
「わかんねえなあ。法律屋さんってそういうの簡単に割り切れるのかなあ」
「別にあたしは法律屋とかじゃないですけど」
「俺の本当の専門だった演奏で言えばさ。絶対にそういうの影響するよ。良くも悪しく
も。割り切って気持ちを切り替えて一緒に仲良く演奏しましょうなんてありえないけどな
あ」
「そうなんですか」
「そうだよ。でもまあ、いろいろよくわかったよ。太田先生のことはともかく、結城はお
兄さんの二人の子どもとずっと一緒にいたいっていう希望が打ち砕かれたことに対する喪
失感みたいな感情をずっと引きずっているってことなんだな」
「まあ、そうですね」
ほぼ全てを語ったあたしは思ったより落ち着いた気持ちでいられた。こんなことを兄貴
以外の人に正直に話したのは初めてだったのだ。
「大嫌いな元兄嫁さんに女の子の方を引き取られたことも気に入らないと」
これには答える必要がないとあたしは思った。
「じゃあ、俺も言っちゃうか。引き抜きみたいな話なんで俺限りで押さえてたんだけど
さ」
「はあ」
「今日は本当に結城を引き止めるつもりだったんだけどさ。まあ、決心が固いようならこ
の話もしてみようかとは考えてはいたんだよな」
「いったい何ですか」
「太田先生から言われたんだよな。もし結城にその気があるなら、太田先生の事務所に来
てくれないかなあって。冗談めかして言ってたけどあれ多分本気だぞ」
「イソ弁ってことですか」
「いや。司法試験はどうでもいいらしいよ。それは弁護士資格があった方がいいことはい
いんだろうけどさ。でも、そんなことより即戦力を求めているみたいだったな」
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