908:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2013/12/07(土) 23:37:29.92 ID:aAj+iwHSo
<熱帯植物園>
どうやって着替えたのか記憶がない。ふらふらと温水プールの出口に辿り着いたあたし
をお兄ちゃんが迎えてくれた。もうお兄ちゃんは何も聞かなかった。あたしも何も言わず、
歩いていくお兄ちゃんの後を黙って着いて行った。
バス乗り場に止っていいたバスの中に無言のままお兄ちゃんがあたしを導いた。あたし
は何も考えられずにバスに乗って座席に座った。隣にもう何も聞こうとしないお兄ちゃん
が座って、しばらくするとバスが動き始めた。昼時の時間のバスは結構混みあっていて発
車する頃になると席に座れなかった人で車内は一杯になっていた。
海辺の半島の景色はこんな心境でなければすごく綺麗で目を楽しませてくれたのだろう
けど、今のあたしには何も見えない。
「どうぞ」
お兄ちゃんの声が聞こえる。
「すみません。いいんですか」
「はい。よかったら」
「ありがとうございます」
お兄ちゃんが誰かに席を譲ったようだ。
「ありがとうね」
あたしの隣に座った老婦人らしい女の人の声が聞こえた。
「いえ」
「どこに行きなさるの」
「はい。妹と一緒に熱帯植物園に」
「ああ。あそこはいいところですよ。次の次の停留所でだからすぐに着くわね」
「そうですか」
ではお兄ちゃんは熱帯植物園に向っているのだ。車窓に海辺の景色が崩れて後方に流れ
て攪拌されていく。最初からわかっていたのかもしれない。この小旅行には主人公と脇役
が出演している。お兄さんとあたしはその主役になれそうな気がしてそのことに酔ってい
た。偉そうにお兄ちゃんの行動を非難して切捨ててでも、ヒロインの座を手に入れるつも
りだった。
でもそうじゃなかった。そこには主人公と脇役すらいない。王子様とお姫様は存在して
いる。プールの医務室で抱き合い求め合っていた二人が。そのほかにその場にいたのは脇
役ですらない。引き立て役のピエロが二人。お兄さんと妹ちゃんに振り回されて喜劇を演
じたあたしとお兄ちゃんがいただけ。
あたしはようやくそのことをさとったのだ。妹ちゃんにとって、あたしとお兄ちゃんが
この場に必要だったことは確かだろう。別に自分の恋愛の成就に邪魔なあたしたちをあえ
てこの旅行に呼んだわけではない。あたしにはもうわかっていた。
妹ちゃんが考えたのはきっと、もっとひどいことだったのだ。
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