過去ログ - 日本戦記2
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12:総統閣下 ◆JkKZp2OUVk[saga]
2016/01/24(日) 23:36:07.03 ID:+PNnKM4T0
皇国は満州国に2個機甲師団と3個対戦車師団・そして複数の歩兵師団を駐屯させていた。

それらを西部と頭部に分け、西部を第一方面軍・東部を第二方面軍にした。第一方面軍司令官は牟多口廉也中将で、第二方面軍司令官は磐田源太郎大将である。

第一方面軍は戦線をソ連赤軍に突破され首都新京に大規模な防衛線を築いている。

その一方で第二方面軍は赤軍を追い返したどころか、ウラジオストクまで占領し勝利を収めていた。

第二方面軍の勝利に牟多口中将は嫉妬しソ連赤軍侵攻阻止より磐田大将を陥れる為に時間を費やすことになる。

フィリピンではルソン島に上陸した大東亜連邦圏側の軍が合流し首都マニラに攻撃を開始した。

皇国海軍航空隊がマニラに大規模な空爆を敢行した。いくら兵の数が多くても制空権がない状態では意味がない。

数度の空爆で米合衆国陸軍は4000名以上の死傷者を出した。同時にフィリピン解放軍が破壊工作などを行い、合衆国各部隊で連絡が一時的に取れなくなった。

この好機を見逃す大東亜連邦圏ではない。三方向からマニラに対して攻撃を始めた。

部隊の連絡が出来ない合衆国陸軍であったがもう後がなく本国への撤退命令もない為、死ぬまで戦うしかなかった。

9月、フィリピンでの戦闘は今だ続いていた。20日に皇国陸軍がサマール島では最大都市ダバオを占領した。

米連合国陸軍は合衆国陸軍ほど好戦的ではなかった。その為一部を除きサマール島の米連合国軍は降伏した。マニラでも激しい市街戦が続く。

満州方面でも転機が訪れた。牟多口中将の謀略で磐田大将が更迭されたのだ。理由としては、磐田大将は捕虜を虐殺するように命令したというものだ。

無論これは間違っている。牟多口の部下が勝手に捕虜を殺害し、磐田のせいにしたのだ。

皇国では捕虜に対する虐待は重罪となっており、その為磐田大将は更迭され戦地とは程遠いい台湾駐屯司令官となった。

第二方面軍は磐田大将の代わりに高保優雅大将が任命された。彼は勉学こそできたが、戦地経験はなくインテリ系であった。

第二方面軍は司令官が代わったことで混乱がおき、ウラジオストクから北東に50km進軍していたがウラジオストクまで撤退する羽目になる。

第一方面軍でも新京付近で大規模な戦車戦が勃発した。そこでなんと戦況不利の感じた牟多口中将は司令部の新京を放棄、奉天に司令部要員と共に撤退した。

新京には満州国皇帝溥儀も残されており、溥儀と満州国政府そして残された皇国陸軍将校は怒りを覚えた。

残された皇国陸軍将校で最も階級が高いのは、第2機甲師団の師団長の西竹一中将である。彼は最善策として皇帝溥儀とその一族満州国政府の安全を第一とし満州国臨時首都の通化へと護送した。

新京には西中将を含む第一方面軍の残存部隊を残し新京が首都だと思わせることにし、ソ連赤軍を引きつけようとした。

策は成功しソ連赤軍50万が新京に侵攻した。ソ連赤軍戦車180輌に対し、皇帝陸軍及び満州国陸軍戦車は50輌程度であった。

戦闘は二週間続き、ソ連赤軍は1万名以上の死傷者をだす損害をだした。しかし最後は人海戦術で皇国側の司令部である満州国国会議事堂が陥落した。



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