過去ログ - あなたの物語を。トエル 『氷菓』
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101: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:39:27.42 ID:fiJYedV+0
もし現在も千反田の母親が絵を描き続けていたとすれば、
来訪客をまず出迎えるこの場所には、物置の中で見つけ出した絵からではなく、
この二点より後に描いた絵を、以前より飾っていた方が自然だと思われる。
102: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:41:01.67 ID:fiJYedV+0
「いいえ、残念ながら」千反田の母親が、娘の肩に手を載せ。
「この子がまだ小さかった頃ね、思うところがあって筆を折ることに決めたのよ。
実はこの右の絵、私という絵描きの最後の作品になるの。技術的には峠を超えてしまっていたけど、
103: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:41:42.28 ID:fiJYedV+0
滔々と語るその口調は、未練も後悔も感じさせなかった。
「折木くん、える……あなたたちに、
この作品は何かを伝えることができたのかしら?」
104: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:42:11.10 ID:fiJYedV+0
「俺には、正直この絵が訴えかけてくることを、
上手く言葉にすることができません。ただ……」
ただ? と千反田の母親が繰り返す。
105: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:42:55.11 ID:fiJYedV+0
「ただ、えるには俺が伝えます」
106: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:43:24.63 ID:fiJYedV+0
「えっ」
千反田が戸惑い気味に声をあげ、こちらを見つめている。
母親の方も初めは驚き、瞳を大きく見開いていたが、
107: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:43:56.75 ID:fiJYedV+0
「える」
千反田の母親が娘に声を掛ける。三文芝居だと自覚はあるが、
俺は足元に目を落とし、靴紐を丁寧に結ぶフリをした。
108: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:44:32.44 ID:fiJYedV+0
「はい……分かりました」
千反田は俯き気味で、そのか細い肩を落としていることだろう。
そちらに目を向けずとも、瞼の裏に浮かんでくるかのように想像ができた。
109: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:45:09.74 ID:fiJYedV+0
「長い時間お邪魔しました」
如才ないタイミングだとは言い難かったかもしれないが、
上がり框から腰を上げて、僅かながらに声を張ってみた。
110: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:45:45.76 ID:fiJYedV+0
「える。私は昔も今も変わらずに幸せです。あなたにお父さんやお母さんのようになれとは言いません。
ただ、あなたも幸せでありなさい……
ほら、える。折木くんを送ってあげなさい。じゃあ、おやすみなさい折木くん。またいらっしゃい」
111: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 20:46:13.48 ID:fiJYedV+0
空一面を薄く覆っていた雨雲は、どこかに流されてしまっていた。
足元にできた水たまりの水面を、アメンボが心地よさそうに滑っている。
夕日に照らされる陣出を舞台に、ひぐらしが大音声をあげていて、その鳴き声に、溺れてしまいそうだった。
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