過去ログ - あなたの物語を。トエル 『氷菓』
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17: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 18:47:41.67 ID:fiJYedV+0
残り時間はどのくらいなのだろうか? 向き合うたび、焦燥感だけが募っていく。
雲間から現れた三日月、夏の虫の音、緩く吹く風。時間は、私から技術だけを奪い去っているわけではなかった。
あらゆる事物のささめきがいまやじっと耳を澄ましていなければ、容易には聞き取れない。
18: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 18:48:58.40 ID:fiJYedV+0
現実的に見れば、私の最たる望みが叶うことは非常に難しい。
そう理解しているつもりでも、心がその考えを跳ね除ける。
ありえるわけもない、希望の一握りをこの手にすることができるならば……けれど、そのためには
19: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 18:49:53.10 ID:fiJYedV+0
叫び出したい気分になる。何の恥じらいもなく、思う存分夜闇に向けて声が枯れてしまうまで叫びたかった。
責任やしがらみを投げ捨て、全力で走りだしたかった。その間だけでも、きっと色々なことを忘れることができるだろうから。
20: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:23:29.48 ID:fiJYedV+0
あの子の泣き声……私を呼んでいる。なるべく物音を立てないように、あの子の傍に歩み寄り、
その小さな身体をそっと抱きしめた。子どもらしい、あの柔らかな匂いが私の鼻先をくすぐる。
お気に入りのうさぎのぬいぐるみが所在なげに仰臥し、
21: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:24:08.72 ID:fiJYedV+0
暫く彼女をあやし、その暖かな頬に軽く口づけし、もう一度、時間をかけて布団へ寝かしつけた
あとにそれらを拾い上げた。失くしてしまったら大変だ。
彼女の宝物入れである網代編みの籐の箱を開け、その二つをしまい込む。
22: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:24:54.87 ID:fiJYedV+0
この道を、選んだのは私だった。
この子が笑い、泣き、走り回り、飛び跳ねる姿、絵本を読んでもらっているときのあの瞳の輝きや安堵の寝顔、
その全てが愛おしくてたまらない。
23: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:27:14.19 ID:fiJYedV+0
彼女の唇に触れ、考える。この子にも、私と同じことで臍を噛むような気持ちになることがあるのだろうか?
ひょっとすれば、その瞬間が訪れることはないのかもしれない。
どちらがいいだろう? 他人に知られれば、指弾されるかもしれないが、私は私と同じように、この子も悩んでくれる
24: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:28:15.83 ID:fiJYedV+0
軒下の犬走りを打つ雨垂れの音だけが、この深閑とした空間で
耳に届く唯一の音らしい音だった。
やがては、この雨滴の音もさわさわと降り続く雨の音同様に、間もなく
25: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:29:42.92 ID:fiJYedV+0
隣の横手邸に何の気なしに目を遣る。瓦葺き屋根の平屋建て、やって来た時には気づかなかったが、
屋敷の縁側正面には小さな池があり、白色と薄い桃色の蓮の花がまるで装飾品のように
この敷地に彩りを添えていた。姿を消していたかたつむりが何処を目指してか、また板塀を
26: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:30:27.94 ID:fiJYedV+0
お世辞ではなく陣出の景観に、この屋敷は見事なほどに馴染んでいる。
まるで誰かがキャンバスに描いた絵画のようだ、とふと俺には思えた。
まず陣出の山里風景を描く。峻険な山々の姿、木々や草花、まばらに建つ人家。
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