過去ログ - 一ノ瀬志希「フレちゃんは10着しか服を持たない」
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10: ◆Freege5emM[saga]
2017/02/13(月) 02:32:26.62 ID:bfxHdujzo

◇◇◇◇◇

その年の春頃から、あたしは急激に忙しくなった。
プロデューサーいわく『最近の志希はいつも楽しそうに仕事するから』とアイドルの仕事をバンバン入れてきて、
あたしの毎日は夜更かしする余裕もないくらい刺激的になっていた。

ただあたしの意識としては、やはり自分はフレちゃんの模倣だった。
フレちゃんのつもりならいつだって自分はヒロイン気分だから。アイドルにも身が入るというものだ。

ただあちこち飛び回っていたせいで、あたしはしばらくフレちゃんと顔を合わせられなかった。
フレちゃん家は恵比寿で近いから、ちょっとぐらいは時間を作れたけど、
そういうときに限ってフレちゃんの都合が悪く、やり取りは携帯でメッセージを送る程度になっていた。

そうして夏の仕事があらかた終わった頃、
あたしたちの事務所の今年を締めくくるクリスマスのイベントで、あたしがセンターを張ることになった。
あらら、ヒロイン気分が本当のヒロインになっちゃったよ。

あたしの躍進を聞いたはぁとさんがお祝いにサマープリンセス――長野の夏イチゴをくれた。
はぁとさんが『本来は業務用、洋菓子店向けなんだけどね……』なんて言ってたので、
イチゴタルトを作ってフレちゃん家に持っていくことにした。
ちょうどメッセージが滞りがちになって寂しかったから、久しぶりに顔を見たくなった。
居なかったとしても置いてけば食べてくれるよね。

そうと心に決めればあたしはもうパティシエール気分。
押しかける予定日の一晩前にパート・シュクレを仕込んでるときからあたしのテンションは上がりっぱなし。
決行日は浮つくあまりイチゴのカットで自分の指を切りそうになってしまった。

あたしは靴音も軽くアン・ドゥ・トロワ――ワルツのリズムで、
昼過ぎの町中を闊歩してフレちゃん家へ向かう。変装はフレちゃんと一緒に買った赤縁のメガネ。
まぁあの時のあたしはトリップしすぎて明らかに町中で浮いてて変装の意味なかっただろうけど。



そうしてあたしはフレちゃん家の呼び鈴を二度鳴らす。
ピンポンピンポーン――あれ、お留守かな? 念のため――また押す。
もしかしたら夏のパリジェンヌらしくヴィラで過ごしているのかな。一応行くとメッセージは送っておいたんだけど……。

そんなことを考えながらあたしが粘ってると、おもむろに扉がガチャリと押し開けられた。

「やっほーフレちゃん、お久しぶりっ」
「シキちゃん……少し、焼けたね」

あたしはその時、フレちゃんの立ち居振る舞いにかすかな違和感を覚えた。
まるで初めてセーヴル先生を前にして気圧された時のあたしみたいだ。
けれどフレちゃんはあたしを家の中に招き入れてくれた。

あたしは、キッチンペーパーとビニールと飾り付きリボンの包みを開けて、イチゴタルトをテーブルに載せた。
あたしがフレちゃん家までスキップしすぎたせいか、イチゴのアレンジメントが少し乱れていて内心しまった、
と思ったけど、フレちゃんは特に何も言わなかった。

そのあたりになって、あたしは明らかにフレちゃんの様子がおかしいということに気づいた。

いつも濃すぎず薄すぎずぴったりなコーヒーの抽出が少し早かった。
フレちゃんは夏なのに肌が春より真っ白だ――フレちゃんみたいにコーカソイドっぽい肌は、
夏の日光の下でちょっと街を歩くだけで色が変わっちゃうぐらいデリケートなのに。
あたしが作ったイチゴタルトにナイフを入れる所作も上の空だ。



「フレちゃん……もしかして具合悪い?」

そういう意識で見直してみると、フレちゃんの雰囲気も数ヶ月前と変わっているところがポロポロ見つかる。
夏――体臭がわかりやすくなる季節なのに、フレちゃんのニオイは春よりか細い。
大きくて丸い瞳と目は、前は万華鏡のように賑やかにくるくるしてたのに、今はけだるげな瞬きする程度。
もともとほっそりしていたデコルテ周りは、鎖骨や喉がさらに目立つようになっていた。

「風邪なら、イチゴタルトなんて重いかな……フレちゃんを見習って作ってみたんだけど」

あたしはフレちゃんが体調を崩したところなんて見たことなかった。
だからタチの悪い夏風邪でももらっちゃって療養中なのかな、と勝手に思い込んだ。

そうしたあたしの勘違いは、フレちゃんの唐突な一言で引っ剥がされる。

「アタシは……シキちゃんに見習ってもらえるような人間じゃないよ」


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