過去ログ - 橘ありす「その扉の向こう側へと」
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5: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2017/04/09(日) 15:35:41.27 ID:L8J356lk0



ある休日、私はリビングのテーブルの上にノートを広げながら、うんうんと唸っていた。
本当に唸るのはみっともないからしていないけれど、それくらいの心もちでノートをじっと見つめていたのは紛れもない事実。
視線の先には整った字でずらりと詩が綴られている。
きれいに、見やすく。それを心がけて書いた文字とは裏腹に、その内容は改めて見返すと難解極まりないものだった。

「うーん……なんだろう、小論文?」

と、プロデューサーにも苦笑されてしまったし、やはり歌詞としては成立していないのだろう。
ありすちゃんの伝えたいことを伝えたいままに、なんてプロデューサーは言うけれど、私なりに私の思いのたけを綴っていたはずだったのだ。
やっぱり向いてないのかな、アイドル。
かぶりを振って弱音を放り出す。
だって夢への一歩目だ。簡単に諦めるわけにもいかない。
かといって、いわゆる明るくはつらつとしたアイドルソングに私の目指す先を見いだせないでいるのも事実だった。

「あ、テレビ……」

テーブルの端に置かれたテレビのリモコンを手繰り寄せて、電源を入れる。
時計を見れば、プロデューサーに勧められた番組はもう始まっている時間だった。
有名な、とても有名な事務所のアイドルの冠番組。何かの参考になればいいと、そう勧められたのだ。

「あみまみちゃーん」

とてもよく似た双子のアイドルが、不思議な衣装を身に纏って、不思議な漫才のようなことをしている。
バラドル、と呼ばれる人たちの仕事に近しいものを感じたけど、漫才をしている二人は色々な場所の広告で見たことのあるようなれっきとしたアイドルだった。

呆気にとられたままCMに入ってしまい、私の頭を疑問符が埋める。
今のはいったいなんだったのだろう。きっとそこにあったはずの笑いどころも見逃してしまったのは、私に笑いのセンスが無いからなのかな。
とりとめのない思考からどうにか気を取り直したCM明け、MCらしき3人のアイドルの人たちが和気あいあいとトークをしていた。
この人たちもまた、街を歩けば必ず目にする人たちだ。
とてもとても華があって、明るく楽しげな雰囲気が私の目に映る。
トークを挟みながら様々なコーナーと共に進行する番組は、その全部を通してとてもあたたかく、きらきらしていて、笑顔にあふれていた。
憧れてしまう。あんな場所に居られたら、それはすごく幸せなんだろうと、夢見ずにいられない。

……だけど、きっと違うのだ。
私が目指したい場所は、それじゃいけない。
幸せは、素敵だ。だけど、もっともっと深く、強くて切実で泣きたくなるくらいの、あの情動は……もっと別のところからきていると、そう思わずにいられなかった。

「番組の最後に宣伝があるんだよね、千早ちゃんっ!」

「ええ。……火曜夜九時より、私が出演するドラマの主題歌を歌わせてもらっています。ドラマ、そして私の曲、どちらもぜひ楽しんでいただけると幸いです」

「その曲、この後歌ってくれるらしいの。ミキ、すっごく楽しみなのっ」

歌……そうだ、一世を風靡しているアイドルの、その歌を私はまだ聴いていない。
アイドルは、こうやってテレビやラジオに出たり、雑誌の取材を受けたりという仕事ももちろん大事だけど、何よりも歌って踊る存在だ。
だからその一番大事なものを見ずに判断するなんてこと、できるわけがなかった。
アイドルの歌を知らないでアイドルの歌の歌詞を書こうとしていたのだから、うまくいかないはずだろう。

テレビの音量を上げて、画面を食い入るように見つめる。
模範的な視聴態度じゃないのは分かっているけど、周りにそれを叱る人はいなかった。

「それではお聞きください。如月千早で、”Just be myself!!”」

衝撃を受けた。
曲が流れる。歌が始まる。
――私は、この歌を、知っている。

「え……?」

だってそれは、私の胸を一直線に貫いたその歌声は。
あの時の、私の夢を形作ったそれと同じだったのだから。
ううん、正確には全然違って聴こえている。
そこにあるのは胸を締め付けるような強い力じゃなくて、ただ胸をときめかす圧倒的で素敵な感情。
希望とか、夢とか、未来に向けた真っ直ぐな声が、私の中に響き渡る。
歌に秘められたメッセージは全然違って、でも、私が受けたこの衝撃だけで、その歌の主があの時のお姉さんであることが確信できた。

ああ、どうして。
今まで気づくに至る事すらできなかったのだろう。
こんなにも多くの人の心を揺さぶる歌なら、私ひとりの心を動かすことくらい、何の不思議もない話だったのだ。
今をときめくアイドル、如月千早。
それこそが私の憧れ、その対象の名前だった。
一つ知ってしまえば、もう知らないままではいられない。
アイドルは一歩目でも通過点でもなくて、その場所こそがゴールなのかもしれないと。
そう気付いてしまえば、アイドルに対して真剣になり切れていなかった自分がひどく恥ずかしく思えて。
だから私はその憧れをもっと知らなきゃいけないと、そう思った。



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