過去ログ - 橘ありす「その扉の向こう側へと」
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7: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2017/04/09(日) 15:38:52.69 ID:L8J356lk0
「ちょっとだけ待ってて。すぐ取ってくるから」
「……?はい、わかりました」
割かし簡単に用意できる類のものだったのか、プロデューサーはそのままどこかへ。
手持ち無沙汰になった私は改めて如月千早というアイドルについて調べてみることにした。
765プロに所属する、稀代の歌姫。その経歴は輝かしいという一言に尽きた。
活躍が大きくなり始めた時期は、私の記憶とほとんど一致する。
つまり、勢いづくほんの直前の彼女を、私は偶然目にしていたらしいのだ。
興味の赴くままにタブレットを操作していく、その指を。
あるサイトの記事を目にしたとき、動かすことができなくなった。
『如月千早の隠された真実――家族に一体何が』
12歳の子供の目から見ても、下世話で、悪質で、ひどくデリカシーのないゴシップ記事があったという話。
幼いころの如月千早という少女を襲った悲劇と、それによってひび割れた家族の関係を、好き放題に晒していたそれは、私を揺さぶるかのようで。
今ではその過去を乗り越えたことも含めて美談になっているみたいだけど、私の胸の中にはもやもやとしたぶつけようのない怒りが渦巻いていた。
……悪意に満ちた記者の行いにも、あろうことか自分を重ねそうになった私にも。
「お待たせ、持ってきたよ……って、その記事」
「っ!」
飛び跳ねるみたいにタブレットを抱えて画面を隠す。
やましいことがあると言わんばかりの私の行為に対して、プロデューサーはただ寂しげに目を伏せた。
「あの、プロデューサー……その、見せたいものというのは?」
「実は私も千早ちゃんのファンだったりして、それで……うん、あの頃と全く関係のない話でもないんだ」
プロデューサーは当時の話を、あのゴシップ記事はもちろん、インターネットに纏められたどの記事より優しい言葉で伝えてくれた。
もちろん当時の765プロでどんな会話があったのか、なんてことはプロデューサーだって知る由もなかったのだけど。
それでも、如月千早というアイドルを応援して、魅了され続けてきた故のエピソードは私の胸にしっかりと届いて、その痛快なまでの復活は私の心を躍らせた。
「これが如月千早の完全復活、なんていって話題をさらったLIVE映像。勉強に、とかは気にしないで楽しんでくれると、ひとりのファンとしては嬉しいな」
プロデューサーが見せてくれたもの、見せたかったというもの。
その映像は、映像でありながらその場に引き込まれるかのよう。
広い広いステージに見合わぬ無音を一瞬で引き裂いて、その歌声だけで……ううん、歌声とその姿でその場を支配していた。
食い入るように画面を見つめて、一音たりとも逃したくない。
曲がサビに入る瞬間、何もかもあつらえたようなタイミングで重なる伴奏に飾られた旋律……全身がぞく、と粟立つのを感じた。
納得した。プロデューサーが見てほしいと言うわけだと、疑いようなく感じる。
それと一緒に私の心は子供らしくちくりと傷つくのだけど、そんな顔を表に出したくなんてなかった。
だって、私の知る素敵な人たちは、どんなに暗く苦しい過去を抱えていても、重く大事な責任を抱えていても、そんなのおくびにも出さず笑っていると気づいたから。
こんな幼い嫉妬ひとつで表情を変えてしまう私は、いやだった。
「……どうだった?」
「…………すごい、です。圧倒されました」
「そっか。よかった」
心からの、拙い感想。
返答も小さく些細なものだったけど、余計な言葉なんて必要ないと思った。
私を埋める感動は言葉に尽くすのが難しくて、無理に一つの形にしてしまいたくなくて。
それはもしかしたら、気付いてはいけないことから無意識に目を逸らすための行為だったのかもしれない。
でも、結局逃れようもなかったのだ。
だって私がしようとしているのは、私自身を言葉にして、詩にする行為。
そう、だから私は。
それから少しずつ。
夢を、見失っていく。
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