ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第三幕

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132 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/09/16(金) 22:18:10.53 ID:Vg+JdW69o
しょうがないですよ
人間の言葉を喋るポケモンなんて気持ちわr(ここから先は血糊で汚れて読めない

保守ありがとう
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/09/17(土) 19:45:24.37 ID:CpGGjnqvO
>>132
ニャースが喋るのは流血沙汰だったのか...ww
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/02(日) 15:25:50.88 ID:XF8joe4io
保守
135 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/10/16(日) 21:35:37.49 ID:39lwH7doO
保守
136 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:23:09.23 ID:GKUQ56mXo


????「……あ、あのね!」


背後から、自分たちを控えめに呼び止める声が飛ぶ。

ミュウツーは努めて、のんびりした動作で振り返った。


引き止めたのがイーブイだということは、振り向くまでもなくわかっている。

目を向けたところで、その姿が肉眼ではよく見えないこともわかっていた。


森には、かすかに夕焼けの赤さが残るだけだ。

自分も含めた森の全てに、紺色の幕がうっすらと被さろうとしている。

すぐ近くにある友人たちの顔すらも、はっきりとは見えない。

そんな黄昏時の空間に、地味な色のポケモンはすっかり紛れていた。


こちらを見上げていることも、イーブイの眼球によぎる反射で、かろうじてわかるだけだ。


ミュウツー『なんだ?』


顔に当たった風は生温く、撫でられているようで不快だった。


イーブイ「……えっと……」


聞き返されてイーブイは言葉に詰まった。

自分から話しかけてきたにもかかわらず困っている。

イーブイの場合、表情よりも耳の動きが一番よく感情を表している。


ミュウツーはその姿に、ジュプトルの騒々しい嘆きを思い出していた。

近頃は寒く、夜も早く暗くなってしまうから『眠くなる』と、しきりに憤慨するのだ。

要は周囲の気温が身体的活発さに反映される“たち”であるらしい。

そんなふうに機嫌が悪いとき、ジュプトルの頭部の葉はきりきりと揺れるのだ。


もっとも、気温と体調の関係については、あまりよくわからない。

ダゲキやヨノワールも、その話には首を傾げていたと記憶している。

ミュウツーも、言うほど気になった覚えはない。

137 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:25:45.76 ID:GKUQ56mXo

ぞろぞろと連れ立って移動することを考えれば、暗さはむしろ歓迎だ。

寒さも含めて、ああまで嫌がる理由は得心がゆかぬままだった。

活動に支障が出るほどの寒さを、ミュウツーは経験したこともなければ、想像もできなかった。


ミュウツー(この私が人間のところに、何度も行くことになるとは……)

ミュウツー(妙な話もあったものだ)

ミュウツー(しかも、こいつらを連れて行くとはな)


友人たちをなんとか説得し博物館に連れて行く、という約束だったはずだ。

あの夜、あの人間の女との約束。

その約束を果たすため、ミュウツーは友人たちを伴い、博物館に向けて出発しようとしていた。


ミュウツー(いや、『宿題』……だったか?)


――じゃあ……お友達の説得が、キミの宿題ね


ミュウツー(どんな言葉で言い表そうと、実態は変わらないか)

ミュウツー(やれと言われたことをやり終えて、それを示すだけだ)


だが彼女が意味深に強調した言葉を思い出すと、ミュウツーは妙に浮き足立つのだった。

なにかを、誰かに『任された』からだろうか。

本当のところは、自分でもわからない。


ミュウツー(『宿題』を終えた私に、あの女はなんと声をかけるのだろう)


今の行動は、自分や自分の周囲にどういう結果を齎すのだろうか。

ミュウツーの頭の中で、思考がぐるぐると拡散しては収束するばかりだ。


ミュウツー(いやそれよりも、あの女は『彼ら』を見て、なんと言うだろうか)

ミュウツー(それに、あの女と対面することで、『彼ら』はどう変わるだろう)

ミュウツー(いちど人間に背を向けた者が、再びまみえたとして……)


何かほんの少しでも踏み間違えれば、とんでもない結果を生むに違いない。

多少なりとも居心地のいいこの森や友人たちに、なんらかの累が及ぶかもしれない。

それは、まったくもって望むところではない。

にもかかわらず、頭の中は不思議と楽観的に鈍るばかりだった。

138 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:27:17.92 ID:GKUQ56mXo

辛抱強く待つミュウツーの目の前で、イーブイはまだ首をひねり唸っていた。


ミュウツー『……これでも一応、相手のある約束なんだが』

イーブイ「う、うん」


イーブイなりに、続きを口にするべく努力しているのはわかっている。

その上、彼は先を促され焦っていた。


なかなか話が終わらないせいで、友人たちが振り返り始めたようだ。

視界と意識の隅に、ごそごそ動く気配があった。

視線が集まったためか、イーブイは余計に慌てる。


イーブイ「えっと ね、あのね」

イーブイ「……い、いわないの、いいの?」

ミュウツー『言う? 誰に? ……なにを?』


イーブイは不愉快そうに耳を伏せた。

彼も彼なりに苛立っているらしい。

聞き返されたことにではなく、うまく言えないことに、だとミュウツーは解釈した。


ミュウツーは、我慢強く『続き』を待つ。

自分にしては驚くべき忍耐力だ、と自分でも思う。

不思議と腹も立たない。


イーブイ「うん、と、……えっと、ないしょ なの?」

イーブイ「チュリネちゃん、に」

ミュウツー『……ああ』


ようやく聞こえた『続き』に息をつく。

ずいぶんと懐かしい名前を聞いたような気がした。

自分の溜め息に紛れて、誰かの呻き声も耳をかすめた。

ミュウツーは思わず苦笑した。

139 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:29:44.08 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『それは、こいつに尋いた方がいい』


ミュウツーはそう言いながら、ダゲキを顎でしゃくって示した。

チュリネについては、やはり呻き声の主に決定権があるように思う。


ダゲキはミュウツーを見上げ、恨めしそうな表情を浮かべた。

目が合うと眉間の皺をいっそう深くし、何か言いたそうな顔を作ってみせる。

まずいきのみでも食べさせられたあとのようだ。


ミュウツー(そんな顔になる気持ちも、まあわからないではない)

ミュウツー(チュリネがこれを知ったら、さぞ面倒だろうからな)

ミュウツー(今回は運よく、奴に気付かれずにすんだが)

ミュウツー(……毎回こんなふうに上手くいくとは限るまい)


はたしてどんな賑やかな声で不義理をなじり、何を言い出すだろうか。

彼でなくとも、それは容易に想像がついた。

だからこそ、この小旅行は一貫して彼女に伏せられていたのだ。


もっとも、気付かれてしまった場合には自分で説得する、と豪語したのも彼自身だったが。


ダゲキ「ううん……えっと」


案の定、普段よりずっと沈んだ声でダゲキが応じた。

もう少しで、彼女の名が出ないまま出発できそうだったのに。

そんなふうに言いたげな声だった。


イーブイ「チュリネちゃん、いきたい いうよ」

ダゲキ「わ、わかってる」

イーブイ「でも、ないしょ?」


ダゲキが黙って頷く。

イーブイは腑に落ちない顔を見せ、唸りながら前脚で鼻先を擦った。


背後から、しゃりしゃりと草を踏む音が聞こえる。

ジュプトルが地面に飛び降りたに違いない。

140 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:31:44.55 ID:GKUQ56mXo

イーブイ「どおして?」

ダゲキ「チュリネが いくのは、……よくない と、おもう」

イーブイ「……どお して?」


『自分で説得する』と宣言したわりに、彼の返事は歯切れが悪い。


ミュウツー(助けてやっても構わないんだが)

ミュウツー(もう少しくらい、自力で頑張ってもらおう)


ダゲキ「チュリネは……」

ダゲキ「ニンゲンの こと、ぜんぜん しらない」

イーブイ「うん」

ダゲキ「よくない ニンゲンが、たくさん いるのも わからない」

ダゲキ「なんかい いっても、わからない」

イーブイ「だって、チュリネちゃん、しらないもん」

ダゲキ「うん」

イーブイ「いつも、もり から、みるだけ だよ」

イーブイ「いつも、すごく がまん してるよ」

ダゲキ「だから こわいことも、わからない」


ミュウツーは、ふたりのたどたどしい会話に耳を傾けながら、空を見上げた。

空の赤みはほとんど消え、まばらに星が輝き始めている。

冬になれば、もっと寒くなれば、あの星はもっと数が増えるそうだ。

それは、さぞ壮観だろうと思う。

『もっと寒い』とは、どんな“感じ”なのだろうか。


ミュウツー(『約束の時間』というものがあるわけではないが)

ミュウツー(いつもの時間より遅い理由を、あの人間に釈明しなければならないな)


空の片隅で、乳白色の月がささやかに光っている。

ただの弱い反射光なのに、毛ほどの細い針で目を刺されているような気分になった。

ミュウツーは痩せた月から顔をそむけ、残像に顔を顰めて目を閉じる。

141 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:33:21.88 ID:GKUQ56mXo

イーブイ「うんー……」

イーブイ「でも、チュリネちゃん きもち、わかる」

イーブイ「ぼく……も、しらないから、しりたい だったもん」

ダゲキ「……」

イーブイ「チュリネちゃんも、おなじだよ」

イーブイ「しらないから、もっと もっと、しりたいよ」

イーブイ「……だって、にーちゃんと おなじ、なりたいんだよ」

ダゲキ「……『おなじ』……」


背後から、ジュプトルとヨノワールがひそひそと話す声が聞こえた。

ついに待ちくたびれたのだろうか。

これ以上この会話が長引くようなら、ミュウツーは口を挟む気でいた。


ダゲキ「じゃあ、イーブイは わかるよ」

イーブイ「?」

ダゲキ「ぼくたち は、もう しってる」

ダゲキ「おなじ」

イーブイ「あ、うん」

ダゲキ「イーブイも、ぼく も、ニンゲンのこと しってる」


甲高く沈んだ声で、ダゲキが言った。

悔しさを噛み締めているような声音だ。


ダゲキ「また、『しらない』 には、もどらない」

ダゲキ「ぼくは、もどれない……と、おもう」

ダゲキ「イーブイは、もどる できる?」

イーブイ「……で できないよ」

イーブイ「だって、しってる のこと は、しってる だもん」

ダゲキ「だから、こわいんだよ」

ダゲキ「チュリネが、ぼくたちと おなじ なるのは……」

142 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:35:39.20 ID:GKUQ56mXo

イーブイはダゲキの返事に、少しずつ目を見開いた。

呻くような声を喉から出して、イーブイは耳をひくひく痙攣させる。

言われた意味を徐々に理解していく過程が目に見えるようだ。


イーブイ「あ……わ、わかった」

イーブイ「にーちゃん いうこと、ぼく わかった」

イーブイ「チュリネちゃんの、もう いわない」


ダゲキが、少し安堵した顔でゆっくり頷いた。

こっそり盗み見ると、ジュプトルも訳知り顔で首を掻き、地べたでくつろいでいる。

ふたりの結論に特に異議はない、という態度らしい。


少し視線をずらすと、今度はヨノワールと目が合った。

無言で『お前はどう思う』と問いかけてみる。

ヨノワールは何も言わずに肩を竦め、目を伏せた。


イーブイ「ぼく、ちゃんと ルスバンの、する」

ダゲキ「うん」


ダゲキは重々しく向きを変え、ゆっくり歩き始めた。

振り向きざま、こちらを一瞥していく。

早く出発しよう、と言いたいに違いない。

他に含むところもありそうな目ではある。

ミュウツーはその視線に、失笑しそうなほどの必死さを感じ取り、頷いた。


イーブイ「……にーちゃん」


ダゲキは歩みを止めたが、今度は振り向かなかった。


イーブイ「『もどれない』は、だめ? わるい?」

ダゲキ「……わからない」

ダゲキ「でも、もどれない は、こわいよ」

イーブイ「……そだね」

143 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:37:42.68 ID:GKUQ56mXo

噛み締めた歯の間から絞り出したような声だった。

本当は答えたくなかったのか、ダゲキは俯いたままだ。


ダゲキ「……ねえ」

ミュウツー『うん?』

ダゲキ「はやく いこう」

ミュウツー『あ……ああ、そうだな』


今度は明確に促され、ミュウツーもついに足を動かした。

隠れて溜め息をつきながら、少し意外なくらいの心持ちでダゲキの背中を眺める。


彼の不自然な呼吸が耳障りでしかたない。

ひょっとして、彼も今のやりとりで苛立っているのだろうか。


後方では、イーブイがまだこちらを見ている。

だが間もなく、残念そうに耳を垂らして踵を返した。

賢明な判断だとミュウツーは思う。

おそらくあのまま待っても、もう誰かが口を開くことはないだろう。


去ってくイーブイの後ろ姿に、よく似た別の足音が追従していった。

背後にいた誰かも一緒に歩いていった、ということのようだ。

暗くてほとんど姿は見えないが、ぼんやりした黒い影は見えた。


ミュウツー(……あれが新しく『拾われた』奴か)

ミュウツー(少し前だったと思うが、まだあまり顔を見たことはないな)


前を向く。

ジュプトルが『しゅっ』と細く唸り、ダゲキを見下ろしていた。

いつの間にか、ヨノワールの不安定な肩に再びよじ登っている。

ちゃっかりしたものだ、とミュウツーは内心で舌を巻いた。


ジュプトル「だいじょぶ?」


労るような、ジュプトルにしては優しい口調だ。

眉間に皺を寄せているが、気遣うように彼に視線を送っている。

144 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:39:32.50 ID:GKUQ56mXo

ジュプトル「おれ、どっちも わかるし」

ダゲキ「ぼくも、わかる」

ヨノワール「わ わたしも、わかります!」


どうも彼らの中では、共通の認識が持てているようだ。

ミュウツーは友人たちの横をすり抜け、先頭を歩き始めた。

背中では、彼らのおぼつかない会話が続いている。


ダゲキ「『もどらない』は、わるいこと かな」

ダゲキ「ぼくは、もどりたい の、とき も ある……けど」

ジュプトル「……わかんない」

ダゲキ「ジュプトルは、もどれたら、もどりたい って、おもう?」

ジュプトル「……うーん」

ダゲキ「ヨノワールは?」

ヨノワール「え、ええと、わたしは……」


ミュウツーは深呼吸をひとつして、ゆっくりと自分の身体を浮き上がらせた。

自分の皮膚や周囲の空気がぴりぴりと引き攣っているのがわかる。


ミュウツー『行くぞ』

ヨノワール「あ、はい」

ダゲキ「わっ」

ジュプトル「わあ! もー!」


背後からばらばらと声があがった。

友人たちの抗議には耳を貸さず、ぐんぐん高度を上げる。

その間も、小柄なふたりが驚く声や怖がる声は聞こえていた。


森の木々を見下ろせる高さに至って、ミュウツーはようやく動きを止めた。

ぐるりと身体を回転させると、何もない空間に、もがく友人たちが浮いている。

見えない力で身体の中心だけを空中に縫いつけられ、手足を揺らしている。

目をこらさなければわからない程度だが、彼らの周囲はうっすら青く光っていた。

145 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:40:51.32 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『夜が明けるぞ』

ジュプトル「だ、だ、だって……」


ジュプトルが動きを止めた。

きょろきょろと辺りを見回して身を縮める。


ジュプトル「ひゃー、たかい」

ヨノワール「……まだ、よる に、なった ばかりです」


ヨノワールは慌てることもなくミュウツーに問いかけている。

自力で浮遊できるからには、空はなんでもないのだろう。


ダゲキ「うん」


ダゲキがジュプトルの首筋をひょいと摘んだ。

自分にしがみつかせ、バランスを取りながら、ダゲキはヨノワールに同調する。


ダゲキ「いまは、すぐ あさには、ならないよ」

ミュウツー『それはわかっている』

ミュウツー『だがな、私たちには時間がないんだ』


少し強い調子で言うと、ジュプトルとダゲキは決まり悪そうに顔を見合わせた。

ヨノワールも一緒になって萎縮している。

光る目は落ち着きなく、叱られた子供のように大きな身体を丸めている。


ヨノワール「は、はい……」

ジュプトル「うーん、わかった」


ミュウツーは、後頭部のあたりにうすい痺れを感じた。

罪悪感か、あるいは後ろめたさによるものかもしれない。

自分ではそう思うのだが、不快感の正体ははっきりしない。


自分の言動が明らかに八つ当たりじみている。

146 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:43:15.31 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー(私たち……いや違う)

ミュウツー(“私”には、あまり時間がない)

ミュウツー(だが、だからといって……これはいくらなんでも自分勝手だ)


痛くなるほど顔をしかめ、ミュウツーは空を睨みつける。

油断すれば呻いてしまいそうな、妙な焦りが渦を巻き始めていた。


陽はすっかり落ちている。

もはや見下ろしても、さきほどまでいた場所すらよく見えないだろう。


ミュウツー(……なんだか、懐かしい感覚だな)


感傷に浸っている暇はない、と頭の隅に押しやり、ミュウツーは気を引き締める。


ミュウツー(それにあの時と今とでは、状況がまるで違う)

ミュウツー(あの時のように、何かを振り切って逃げようとしているわけではない)

ミュウツー(あの時のように、何かに嫌気がさして、目を背けようとしているわけでもない)

ミュウツー(なにより、今は……)


友人たちを一瞥する。

空に縁のないだろうふたりは下の景色に目を奪われ、ワアワアと言葉を交わしている。

そこに、丸く大きな影が寄り添って話に加わっている姿が見えた。


早く行かなければならない。

賑やかな友人たちを連れ、少しでも早く行動しようと気を取り直した。

これ以上、少しの時間も無駄にしたくなかった。


しばらく空を飛ぶと、いつものように街の灯りが近づいてきた。

初めて来たときより少し時間は早いが、明るさはそう違わないように思う。

奥の方に、ぼんやりと白く目立つ『博物館』が聳え立っていた。

大半の家屋には光がなく、窓も真っ暗だ。

いくつかの店らしい建物と街灯だけが細々と光を放っている。

それでも、夜の森に比べればずっと見通しがきく。

147 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:45:57.74 ID:GKUQ56mXo

軽く振り返り、天を指してヨノワールに上昇の指示を出す。

ヨノワールは静かに頷くと、素早く高度を上げた。

それを確認し、空を飛ぶ能力のないふたりを伴ってミュウツーも上昇する。


ダゲキ「うわあ」

ダゲキ「こんなふうに みえるんだ」

ジュプトル「うん」

ジュプトル「きの うえから、かわ みたとき みたい」

ダゲキ「うん」


例えの意味はよくわからなかったが、彼らなりに夜景を楽しんでいるようだ。

上空からの景色を見慣れていないふたりだから、新鮮に違いない。


ジュプトル「あの しろい おおきい いえ」

ジュプトル「きれいで、おおきいな」

ダゲキ「あそこも、ニンゲンの いえ?」

ヨノワール「え、でも、あそこは……」


建物の真上まで移動し、空中で立ち止まる。

壁は白く、屋根は、昼ならば渋い緑なのだろうが、今は黒にしか見えない。

屋根にはやや傾斜があるものの、降り立っても問題はなさそうだ。


ミュウツー『ここだ』

ダゲキ「うおお……」

ジュプトル「いちばん でかい いえ!」

ジュプトル「ここも、ニンゲン すんでる?」

ヨノワール「……この たてもの……」

ミュウツー『おそらく、お前の予想は当たっているぞ』

ヨノワール「いえじゃ ない……みたい です」


そう答えながら、ミュウツーは音もなく着地した。

ふたりを屋根の上に落とすと、小さな呻き声が聞こえた。

少しして、ヨノワールが降り立った気配も感じる。

148 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:50:54.15 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『たしかにここは、いわゆる住居ではない』


ミュウツーは意を決して振り返った。

建造物の屋根の部分、濃い色の足場に、友人たちが腰を下ろしている。

ミュウツーが振り返ったことに気づくと、彼らは不安そうにこちらを見上げた。


ミュウツー(この頭数だったが、誰にも見られず辿り着けたな)

ミュウツー(このまま大きな問題もなく終わればいいが……)


深く息を吐きながら、ミュウツーは黒い空を見上げた。

いつになく緊張しているようだ。


博物館の屋上は静まり返っていて、当然ながら人間の気配はなかった。

見えるのは黒っぽい屋根、白い建造物の壁、民家の微かな灯りとその奥に佇む真っ黒な森だけだ。

改めてぐるりと見渡しても、監視の目となるものはなさそうだ。


ミュウツー(ここまではあの女の言った通りか)

ミュウツー(空から侵入者が来ることは、やはり想定していないということだな)


『展示物や貴重な資料がある部屋はさておき、全体ではそこまで警備も厳しくはない』。

『特にキミみたいに、空から来る泥棒を見越した警備はしてないしね』。

ホントは部外者に教えちゃマズいんだけど、と前置きをしながら彼女はそう言った。


自分のような物好きと夜間警備を除けば、夜は無人も同然だ、と彼女は笑いながら付け足していた。

今のところ、彼女が寄越した情報に嘘はないようだ。


ミュウツー『いいか、いつものように喋っていいのは、ここまでだ』


『声』の届く範囲を絞り、ミュウツーは友人たちの反応を待った。

ミュウツーの警告に、ヨノワールが真っ先に身を縮める。

黄色く裂けた巨大な口にも、ただの模様にも見える腹部を両手で抑え込む。

あれは本当に発声器官なのだろうか。

ヨノワールなりの冗談なのかもしれないが、いまいちミュウツーにも判じかねた。


その姿を見て、ダゲキも慌てて口を両手で覆う。

149 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:52:57.40 ID:GKUQ56mXo

ヨノワール「みつかったら、たいへん です」

ダゲキ「たいへん なんだ」

ジュプトル「ふうん」


いつもより少し聞き取りにくい声でふたりが話し始めた。

ジュプトルにも異議はないようだが、どこか納得しきれない顔だ。


ミュウツー『……別に、喋りたければ喋ってもいいぞ』

ミュウツー『そのまま捕まって、実験材料にされてもいいならな』

ミュウツー『私はごめんこうむるが』

ミュウツー『“物を言う珍しいポケモンだ、生きたまま頭を切り開いて調べてみよう”』

ジュプトル「……」

ミュウツー『“腕や脚を切り落としたら、どちらで鳴くか試そう”』

ダゲキ「……」

ミュウツー『“ニンゲンのように叫ぶのか、本来の鳴き声に戻るのか、どちらだろう”』

ジュプトル「わ、わ、わかったよ!」

ジュプトル「いたいの、おれ いやだもん」


怯えた声で呟き、ジュプトルはふたりの間に潜り込んだ。

ヨノワールが巨大な手で背中を支え、ダゲキはミュウツーとジュプトルを交互に見ている。

予想より少し幼稚な反応に違和感を覚えたが、それは置いておくことにした。


ジュプトル「ほんとに そんなこと、する?」

ヨノワール「そんなこと する、ニンゲンばかりじゃ ないです」

ダゲキ「う、うん」

ダゲキ「い、いいニンゲンも いるよ」

ミュウツー『まあ、それは冗談だ』

ミュウツー『全てのニンゲンが善良なわけではないことは、わかってるとは思うが』

ミュウツー『おそらく、これから会うニンゲンは、そんなことをしない』

ミュウツー『今のところは私を捕えてどうこうするそぶりもないしな』

ミュウツー『確認はしていないが、私のことを別のニンゲンに話したりもしていないだろう』

ヨノワール「そんなに いいひとなのに、だめ なんですね」

150 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:54:59.68 ID:GKUQ56mXo

ミュウツーは小さく唸った。

アロエと名乗る人間の女は、ヨノワールが言うように『いいひと』ではあるだろう。

何度か顔を合わせているミュウツーは、その点では実感を持っていた。

姿形か、物腰か、あるいは話しぶりやその中身か。

自分がなに見てそう判断したのか、自分でも説明はできないが。


ミュウツー『“きっと”、悪いニンゲンではない』

ミュウツー『一定の信頼は置いていい“はずだ”』

ミュウツー『うまく言えないが、私はそう“思う”』

ヨノワール「……それは、なんとなく わかります」

ミュウツー『だが、だからといって手の内を全て明かせばいいというものではない』

ミュウツー『他にも理由はあるが……』

ミュウツー『信頼を置くというのは、そういう部分で示すことではないと思うし』

ミュウツー『全てを詳らかにしないからといって、信頼していないことにはならない……と思う』

ミュウツー『わ……わかるか?』


いつの間にか、彼らの顔がよく見える。

目が慣れてきたからだろうか、かろうじて表情がわかるまでになっていた。


ダゲキ「……わかった」


独り言を呟くように、ダゲキが口を開いた。

ヨノワールほどではないが大きな目で、こちらをまっすぐ見ている。


ダゲキ「きみが いうこと、ぼくは わかった」

ダゲキ「ぼくも、あのひとに、な……なにも いわない から」

ミュウツー『あのレンジャーか』

ダゲキ「チュリネにも、いわない こと、たくさん ある」

ミュウツー『そうだったな』

ミュウツー『……』


全員の顔に一通り目を向ける。

それ以上、誰かが文句や抗議を示してくることはなかった。


ミュウツーは再び空中に浮かび、全員を連れて静かに移動し始めた。

小柄な方のふたりが身体を強張らせた気配はあったが、それだけだ。

自分が動きを関知していないヨノワールに、行く先を示す。

151 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:58:02.99 ID:GKUQ56mXo

いつも通る窓を、いつものように開錠して中に入る。

自分より身体の小さいふたりは、問題なく通り抜けることができた。


書架の上にふたりを降ろして後方を見ると、ヨノワールの姿がない。

ジュプトルに目で尋ねても首を横に振るだけだ。

自分より少し図体が大きいくらいだったはずだが、とミュウツーは周囲を見回す。


すると、ダゲキが足元の書架の更に下の方を指差した。

指された方に目を向けると、書架の間にヨノワールの影が漂っているのが見える。

こちらに気付くとヨノワールは目を細め、呑気に巨大な手を振った。


ミュウツー(い、いつのまに……)

ミュウツー(……ううむ……先が思い遣られるな)


???「おッ!」


突然、よく通る声があたりに響いた。

全員が反射的に息を潜める。

同時に、眩しい懐中電灯の光が目に突き刺さった。


???「本当に来てくれたんだねえ!」


さきほどより少し潜めた声が、光の向こうから聞こえる。

よく考えれば聞き覚えのある声に、ミュウツーはようやく少し緊張を解いた。

なんだか、この状況には覚えがある。

懐中電灯の灯りは自分から逸れ、ゆっくりと周囲の友人たちに移動していく。


???「なんだかバタバタ聞こえたから上がってきたけど」

???「これだけいれば、そりゃあ音もするわよねえ」


声の主は小声で笑いながら、懐中電灯を床に向けた。

光は床を照らし、反射して周辺の空間をぼんやりと照らす。

おかげで互いの姿がよく見えるようになった。


目の前には、人間の女が懐中電灯を持って立っている。

笑顔を浮かべ、嬉しそうに手を広げて、彼女は囁いた。


アロエ「いらっしゃい、待ってたよ!」

152 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/25(火) 00:03:05.10 ID:uD0cK60Po
よく考えてみたらヨノワールはゴーストタイプなんだから
幽霊っぽい瞬間移動とかできそうだよね、っていう

SMは事前情報集めすぎないように気をつけてるけど
あのジャラジャラした名前の新ポケが
見た目エスニックな雰囲気あって楽しみ

ではおやすみなさい
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/25(火) 00:39:48.08 ID:o+qQnSOQo
乙です
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/25(火) 07:32:21.89 ID:f2zbQyUS0
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/26(水) 10:27:18.95 ID:QccysD5do
ドキドキするなあ
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/11/13(日) 10:23:47.14 ID:kDY5u134O
乙!待ってました
157 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2016/11/26(土) 22:38:28.88 ID:PZmDcJyzO
保守
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/12/06(火) 10:58:52.00 ID:jt0LXBS8o
おつー
待ってるー
159 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2016/12/26(月) 00:39:26.64 ID:71MKG3A4O
(保守)
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/20(金) 00:50:08.75 ID:C4ppJlzUo
ホシュ
161 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:37:51.52 ID:UMm5BcIdO

夢を見た。

かつて見聞きしたことをきわめて曖昧に再生する夢。

馴染み深い内容の夢。

まるで古い映画か、劣化した記録映像だ。

『彼女』との生活で、一度だけ見たことのある映像と似ていた。


その夢の中で、自分は目を薄く閉じている。

膝を抱え、ひんやりした硬い床に腰を下ろしている。


目を開けて確認するまでもない。

自分はこの場所を知っている、とわかっていた。

よく知っている場所だ。

よく知っていた場所だ。

きっと、今ではもう存在すらしていない。


――いま……は、さすが……おまえも つかれただろう


少し離れたところから、誰かの声が聞こえてきた。

くぐもって聞き取りにくい。

だが聞き覚えがある。

声は、こちらの反応を気にもせず語りかけている。


――それにして……よくやったな

――イダテン


声の主が名前で呼びかける。

名前の部分だけがはっきり耳に飛び込んできた。

まるで、そこだけ耳元で囁かれたかのようだ。


にわかに、苦い痛みが胸を掻き乱した。

そんな風に特別な思いを持つのは、きっと自分だけだろう。


ここの人間たちにとって、名前はただの記号だからだ。

対戦するどちらに金を賭けるのか、人間たちが間違えないための識別記号だ。

あるいはその、血腥い娯楽に少しでも興奮するための要素だったかもしれない。

162 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:40:09.97 ID:UMm5BcIdO

ゆっくりと目を開ける。

目の前は薄暗くがらんとしていて、柵の向こうには弱々しい灯りがある。

声の主は、そこにゆらゆら動く影を落としている。

声のする方に、緩慢に顔を向けた。


――きょうの 戦いぶりには、胴もとも まん足している

――たん当してるぼくも、鼻が高い

――お前も嬉しいだろう、派手に殺せて


そうだ。

決まっているじゃないか。


――急所に当てるのは得意だもんな


思わず小さく頷く。

いかに無駄なく、圧倒的に斃せるかが肝心だ。

さもなくば、いかに痛々しく、見栄えのするように傷めつけるか。


それ以外、この生まれながらの破壊力になんの意味がある。

暴力的なだけのこの能力に、いったいどんな使い道があるというのだろう。


――そうだ、そのいき……


突然、自分の身体が後方に引っ張られ始めた。

風景は動かない。

なのに、意識だけが目の前の記録映像から引き剥がされていく。


この感覚は知っている。

夢の泥沼から、じりじりした現世へと浮かび上がっていく瞬間だ。


――つぎも よろしく……たの……よ……


声が遠のく。

風景も遠のいていく。

全てが凄まじい速度で曖昧になっていく。

一瞬、手を伸ばし掴もうと意識してみるが、まったく間に合わない。

163 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:43:37.44 ID:UMm5BcIdO

焦りと同時に、じっとりした諦めが染み出した。

これは夢だから仕方ない、とわかっているからだ。

とうの昔に終わってしまった過去の記録だから、留めおくことはできない。


あっという間に、夢はずるずると崩れ、溶けてしまった。

手で掬った水が指の間を擦り抜けるよりも手応えなく。



がしゃん、という音が響いた――ような気がした。

同時に、バシャーモは自分が急激に覚醒したことを理解した。

良質な熟睡から目覚めたかのように、頭の中は妙にすっきりしている。


習慣として周囲の気配をそれとなく探る。

だが、たしかに耳にしたはずの音は、それらしい発生源さえ見当たらなかった。

誰かがこちらに意識を向けている気配もない。

身体に触れているのも、身体を預けている岩と湿った地面だけだ。

ひやりとしたコンクリートの床ではない。


どうやら、かなり昔の夢を見ていたようだ。

夢に聞こえた懐かしい呼び名に、バシャーモは強い郷愁を覚える。

明るさのない空を見上げて、思わず細長い溜息をついた。

楽しい時間が終わってしまうときの、あの寂しさだけが残る。


バシャーモ(……みんな、今はどこにおるんやろ)


あの場所にいた連中は、ばらばらに引き取られていったと聞いている。

今もどこかで、地下仕込みの腕を活かしているのだろうか。

だとしたら、実に羨ましいことだ。

それとも自分のように、戦いの場を奪われてしまっただろうか。


くるくると記憶が甦る。

164 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:44:54.35 ID:UMm5BcIdO

――助けに来たぞ

――もうこんなことはしなくていい


自分をあそこから引きずり出した人間たちは、口々にそう言っていた。

心からの同情を滲ませた声で。

たしかに言った。

『助ける』と。


だが、助けるとはなんだ。

生きがいを奪うことか。

充実していたのに。

必要とされていたのに。

狭く暗い世界には、いつか闘いたいと願う相手もいたのに。

あの場所が消えてしまった今、その機会も永遠に失われてしまった。

残念なことだ。


もっとも、その相手のことをはっきり憶えているわけではない。

たった一度、檻の前を通ったことがあるだけだった。

檻の隅で通路をじっと睨む、冷ややかな眼差しだけが記憶に残っている。

『視線の主』と拳を交える瞬間を想像すると、今でも背筋がぞくぞくする。

あの頃のような充実感は、二度と味わえないに違いない。


妙に涼しい風が背中を撫でた。


バシャーモ(……!?)


つん、と血と泥に似た、不穏な匂いが鼻をかすめる。

この森では縁がないはずの、埃っぽく不衛生で、ぞくぞくする匂いだ。


バシャーモは反射的に立ち上がる。

背もたれにしていた岩の、さらに向こうに意識を向けた。

夜中の森は、わずかな夜行性のポケモンが蠢くだけだ。

こんな厳しく呑気な場所で、あんな匂いがするはずがなかった。

165 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:47:18.91 ID:UMm5BcIdO

にもかかわらず、殺伐とした気配が、たしかに鼻先を吹き抜けた。

口角が勝手にきりきりと吊り上がる。


しばらくすると、不穏で甘美な匂いはすっかり消えてしまった。

残り香を惜しむように深く息を吸い、バシャーモは喉の奥で小さく笑う。


これは、きっともうすぐ、“楽しいこと”が訪れるという予感だったに違いない。

目前の生死だけに集中せざるを得ない、ぎらぎらした素晴らしい瞬間がやってくる。

これはその前触れなのだ、と奥底で錆びついていた本能が歓喜している。

そのときは、そう遠くない。

バシャーモは根拠もなく、そう確信した。


眠るのをやめ、ふらふらと立ち上がる。

何を求めて歩き始めたのか、自分でもよくわからない。

バシャーモは、暗い森の道を目的地もなく進んだ。

ときおり、草むらでがさがさと音がする。

呑気な夜行性のポケモンに違いない。

そちらに首を向ける。

だが彼らは、ぎょっとして逃げていく。


戦いたいのに。

つまらない。

お前らだって戦いたいんじゃないのか。

残念だ。

臆病者め。


喉の奥でくくくと笑う。

うふふ、と音が漏れる。

これではまるで人間だ。

人間が笑っているのと変わらない。

そう自嘲し、バシャーモはもう一度、けたけた笑った。

166 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:50:03.12 ID:UMm5BcIdO
今日はここまでです
もう忘れられちゃったかな、と思ってたので
>>160 ありがたいっす

ではおやすみなさい
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/25(水) 09:36:53.92 ID:nUD7nsh5o
期間開いてても待ってるよ
おやすー

戦闘狂ポケモン! そういうのもあるのか…
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/01/25(水) 22:23:53.20 ID:cP7w2JsW0
待ってました
待ってます
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/26(木) 23:49:14.75 ID:7UwoYPtxo
乙乙
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/02/21(火) 10:56:45.27 ID:WiGPps4DO
保守
171 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/02/27(月) 22:26:30.03 ID:R1ySXj31O
保守

>>167
ポケモンもいろいろなんやで(すっとぼけ

>>168-170
ありがとう!
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/17(金) 04:50:00.64 ID:01goXdYYO
来てたのかびっくり…
そして保守
173 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:26:34.32 ID:n9gHiMCwO


少し離れたところで、ちりっ、と蝋燭が唸った。

一瞬、アロエはその方向に目を向ける。

手元の照明と照らされる本が明るいせいか、あまりよく見えない。

じっくり待てば目が慣れて、書斎の壁一面に並ぶ書架も判別できたかもしれない。


だがアロエはすぐに視線を手元に戻し、再び字を追った。

問題がないのなら、眺めている時間は不毛なだけだ。


アロエ「――そして、二人は末永く、幸せに暮らしましたとさ」

アロエ「おッしまい」


最後の部分に勢いをつけて言うと、アロエは自分の膝を見下ろした。

ちょこんと座って本に目を向ける、やけに小柄なジュプトルを見る。

ジュプトルは陽気な響きで『しゅっ』と小さく唸った。


アロエ「……楽しかった?」


ジュプトルは器用に上半身を捻り、アロエを見上げた。

ひときわ甲高く鳴く。

なにかを伝達しようとしているようだ。


細く小さな頭をかたかたと振り、痩せぎすのジュプトルは頷いてみせた。

どうやら、『今回も』喜んでくれているようだ。


アロエは思わずほっとした。

というのも、膝に座らせるだけで一時間以上かかっていたからだ。


アロエ「そーお、よかったわねえ!」


そう応じるアロエも、自然と笑顔を浮かべていた。

彼らがここへやって来たときの、このジュプトルの目つきが脳裏をよぎる。

複雑な経緯を辿った野良が人間に強い警戒心を持つことは、残念ながら珍しくなかった。

さまざまな感情が入り交じったその視線は、容易に忘れられるものではない。

ただその目に浮かぶ、憎悪を押し退けほどの『好奇心』だけが救いだった。

174 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:29:12.31 ID:n9gHiMCwO

アロエは、ちらりと部屋の隅に視線を送る。


ミュウツー『……』


黙々と知識を貪っているはずの『ひとりめの生徒』が、こちらを静かに窺っていた。

妙に年季の入ったシーツの切れ目が、アロエの方に暗く開いている。

洗っていないのだろうなあ、などと呑気にアロエは思う。


ページをめくる手を止め、顔もこちらに向けて、じっと見守っている。

自分の連れてきた連中が粗相をしないか、心配なのだろう。


視線に気づき、シーツが落ち着きなく揺れた。

本人は大真面目なのだろうが、その慌てた動きは少し笑いを誘う。


アロエを見上げていたジュプトルが、遠慮がちに身をよじった。


アロエ「なあに?」


絵本の頭の方を自分の爪で指差しながら、枝の軋むような鳴き声を出した。

どうやらこれは、もう一度読め、という催促らしい。


アロエ「えー、もう一回? また同じやつでいいの?」


笑いながらアロエが尋ねると、ジュプトルは満足そうに頷いてみせた。

予想以上にコミュニケーションが取れることに、アロエはすっかり麻痺していた。

今にも、アロエにもわかる言葉で返事をしてきそうだ。

知能の面では、不可能でないような気がする。

もっとも、本当に人間の言葉を操るとは思えないが。


アロエ「もう三回は読んでる気がするんだけどねー」

アロエ「まあ、いいか」


ジュプトルはアロエの色よい返事に喜んだ。

脚をばたばた揺らし、嬉しそうに何か言っている。

残念ながら、アロエには何を言っているのかわからない。

明確に内容を伴ったものであることは、さすがにわかるのだが。

紙を破く音に似ている、と頭の片隅で思う。

175 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:32:04.70 ID:n9gHiMCwO

離れたところにいる『ひとりめの生徒』が、ぷいと顔を横に向けた。


ミュウツー『……悪かったな』


頭の中に、不満そうな声が響く。

どうやら今の声は、さきほどのジュプトルへの返事らしい。

この子は何を言ったのだろう。

自分の膝を見ると、小柄なジュプトルはまた笑っている。

アロエは仕方なく、拗ねた方に問いかけることにした。


アロエ「なんて言ったの?」

ミュウツー『お前の方が読むのが上手いと言っている』


ジュプトルがまた笑う。

内容の他愛なさに少し安堵して、アロエは吹き出した。


アロエ「あはは、そりゃあ年季が違うよ」

アロエ「それにキミと違って、あたしはテレパシーじゃあないからね」

アロエ「鼓膜を通すかどうか、ってのも、違うのかもしれない」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『やはり違うのか』


どうして上手くいかないのか、と言わんばかりに首を傾げる。

珍しく、年相応の――といっても年齢は知らないが――反応を見たように思った。

やけに少ない言葉に、隠しきれない悔しさや無力感が滲んでいる。

アロエは憐れに思う反面、微笑ましく思う。

その心境になれないのなら、成長は難しいからだ。

その点において、人間もポケモンも違いはあるまい。


そう思いながらアロエは、書斎の別の片隅に視線を移した。

絨毯にピクニックシートとタオルを敷いただけの床。

手元が暗くならないよう照らされた一角に、人間によく似た小柄な誰かが座り込んでいる。

176 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:33:44.88 ID:n9gHiMCwO

無論よく見れば人間ではなく、薄汚れたダゲキが腰を下ろしているのだった。

小児向けの文字の本と首っ引きで、一心に画用紙に向かっている。

その斜め前には、巨体を必死に縮めクレヨンを握るヨノワールが蹲っている。

自身も画用紙と戦いながら、ときおりダゲキの手元を覗き込んでいた。

ふたりがなにを描いているのか、ここからでは見えない。

ヨノワールが自分の巨体を捌きかねている姿が、妙に面白い。


アロエ「ま、じゃあ、もう一回だけ読もっか」

アロエ「そしたらアタシは休憩で、キミたちはおやつ」

アロエ「それでいい?」


ジュプトルが大きく、どちらかといえばおおげさに頷いた。


そして動作を終えたあとの一瞬、こっそりと肩を落とす。

アロエはそのわずかな動きを目敏く見つけた。


やはり、無理に明るく振る舞っているのだろうか。

ひょっとすると、と思う。

ここまでの大げさな挙動も、こちらに対する気遣いの一種だったのかもしれない。

そう考えると、この細い背中が痛々しいものに思えてならなかった。


アロエ(たしかに、ちょっと『浮き沈みは激しい』かな)

アロエ(今のところは、ただそれだけに見えるけど)


アロエは、ジュプトルの頭に何気なく手を載せる。


手が触れた瞬間、ジュプトルはびくっと全身を強張らせた。

撫でようとしただけで、アロエに他意はない。

「ギッ」と小さく、だが鋭い声で呻いた。


アロエ「あっ……、ごめん」


慌てて手をどける。

ジュプトルはぎょっとするほど身体を硬く縮めている。

まるで親に叩かれる直前の子供だ。

アロエは思わず息を呑み、その貧弱な背中を眺めた。

177 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:36:46.95 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『どうした』

アロエ「……あ、いや、うん」


視線が集まってきているのがわかる。


そのうち、ジュプトルはゆっくりと身体の緊張を解いた。

止めていたらしい息を吐き出して、ゆるゆるとかぶりを振る。

そして自分の頭に触れながら、申し訳なさそうな顔でアロエを見上げた。


アロエ「その……えっと、悪いことしちゃったね」

アロエ「『そういうの』、イヤだったんだね、ごめん」


ジュプトルは下を向き、今度は首を横に振った。

少し疲れた目つきで小さく鳴く。


ミュウツー『少し驚いただけだから気にするな』

ミュウツー『だそうだ』


気難しい通訳が無感動な声で言った。

他のふたりにも、慌てた気配は特にない。

普段の姿を知る者が言うのなら、深刻さはないのかもしれない。


アロエ「……そう」

アロエ「でも、あたしが気をつけてればよかっただけなんだから」

アロエ「ごめんね」


ジュプトルはまた首を振る。

いかにも『気にするな』と言わんばかりのしぐさが、ぞっとするほど人間じみていた。

そのしぐさが終わりきらないうちに、ジュプトルは大きくあくびをした。


アロエ「眠くなっちゃった?」


ジュプトルはさらに首を横に振りながら、またひとつあくびをした。


アロエ「まったく、夜更かしさんだね」


言われたジュプトルは、目をうっすらと閉じ、ゆるく彼女を見上げている。

178 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:38:26.73 ID:n9gHiMCwO

アロエ「眠くないのはいいけどさ、無理するのは駄目だからね」

アロエ「……キミたちは眠くないの?」


シーツのお化けが小さく肩を揺らし、控えめに否定を示した。

その動きもまた、あまりに人間じみている。


ミュウツー『私はまだ、そこまで眠くない』

アロエ「他の子たちは、なんて言ってる?」


アロエの言葉を受け、お化けは友人たちの方へ首を回した。

床に座っていたふたりが、何も言われていないのに、ゆっくりと幽霊を振り向く。

少しの間があって、再びシーツの裂け目がアロエに向いた。


ミュウツー『眠くはないそうだ』

アロエ「そう……なら、いいんだけど」


こちらには聞き取れない、彼らだけのやりとりがあったようだ。

おそらくそれも、テレパシーで行なったに違いない。

特別な能力など持ち合わせないアロエには、想像することしかできない。


ミュウツー『我々が、この時間まで起きていることも、なくはない』

ミュウツー『いつも……ではないが』

アロエ「夜更かしなんかして、具合悪くならないの?」

アロエ「たしか、この子は少なくとも昼行性だったはずだけど」


膝を占拠するジュプトルを、アロエはそっと指差した。

すると、スツールを陣取るシーツの塊が頷いた。


ミュウツー『基本的にはそうだ、と私も思う』

ミュウツー『だが、あまり……責めないでやってくれ』


少し居心地悪そうにシーツが揺れる。

アロエはその姿を注意深く見守った。

そんな風に友人たちを庇うことは、きっと照れくさいに違いない。

179 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:40:00.97 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『お前の膝で眠そうにしているそいつは、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『普段のそいつからは想像しにくいのが、正直なところだが』

アロエ「そうなんだ」

ミュウツー『……私にとっても、少し予想外だった』

ミュウツー『そいつは、いやそいつ“も”、乗り気にはならないと思っていたからな』

ミュウツー『まあ、あそこで何か書いているあのふたりも、それは同じだ』

ミュウツー『いつもの奴ららしくないとさえ言える』

ミュウツー『ただ、彼らはみな、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『それだけは本当だと思う』

ミュウツー『……いいことか悪いことかは、わからないが』

アロエ(なにもそんな言い方)


そう言いかけて、アロエは引っかかった。

相手の口振りに、ほんのわずかだが変化が感じられる。

境界線を少しだけずらすような、微妙な立ち位置の変化だ。


ひょっとすると最後のくだりは、自分にしか聞こえていないのではないだろうか。

特に根拠はなかった。

だが予想を裏付けるように、新しい生徒たちは、この会話に何の反応を示さない。

これほど自分たちが話題にされているというのに。


アロエ(楽しみしててくれたのは嬉しいけど、そんな言い方はないんじゃない?)


アロエはそう思い至り、心の中だけで返答した。

幽霊をまっすぐ見つめる。

シーツの端が鋭く揺れた。


ミュウツー『……どうして気づいた』


頭に響く声に、驚きが滲んでいる。

アロエの予想は当たっていたらしい。

シーツの陰で、開かれていた本のページがぱらぱらと動く。

180 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:42:54.82 ID:n9gHiMCwO

アロエ(年の功ってやつかな)

アロエ(経験の多寡は、物事に対する予測の精度に直結するわけだからね)

ミュウツー『そういうものか』

アロエ(まあね)

アロエ(……内緒話がしたい?)


暗い裂け目が考え込むように下を向き、またアロエの方を向く。

妙に毅然とした動作だった。

腹を括ったような、あるいはなにかを決意するような。


アロエ(わかった、ちょっと待ってな)

ミュウツー『?』


すると、アロエは本をパタンと閉め、ジュプトルを見下ろした。

少し驚いた様子を見せるジュプトルに、アロエは微笑みかける。


アロエ「よしジュプトルちゃん、やっぱり休憩しよ」


ジュプトルは不思議そうに首をかしげた。

もっとも、特に不満があるということではないようだ。

さきほどの警戒も、さすがに影を潜めていた。


アロエ「喋りすぎて、喉からからになっちゃった」

アロエ「きのみとか飲み物とか、持ってくるから」

アロエ「読んでた本、机の上に置いててくれるかな」


不承不承という顔で、ジュプトルはもたもたと腰を上げた。

自分が読んでもらっていた本を抱え、あちこち着地点を探している。

そのままアロエの膝から飛び降り、音もさせずに着地した。

何歩か進み、机の横に立つ。

ふたたびアロエを見上げ、何か言いたそうにしている。


アロエ「そう、その上に置ける?」


ジュプトルは頷いて机を見上げ、躊躇なく跳ねた。

片方の前脚で本を掴み、残る前脚と二本の後ろ脚だけで、器用に机の壁面をよじのぼってみせる。

まるで軽業師か、あるいは物語に出てくる怪盗のようだ、とアロエは思う。

181 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:44:57.77 ID:n9gHiMCwO

アロエ「凄いなあ」

アロエ「キミは、そういうところを登るのがずいぶん上手なんだね」


ジュプトルは気恥ずかしそうに首を縮め、鼻柱を掻いた。

照れ隠しなのか、意味もなくきょろきょろしている。


よっこいしょ、と呟きながらアロエも立ち上がる。

エプロンをはたき、室内をぐるりと見回した。

ぼんやりこちらを見上げていたダゲキやヨノワールと目が合う。


アロエ「ほら、キミたちもちょっと手を止めて、ひとやすみするよ」

アロエ「勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと脳に栄養もあげなきゃね」


ふたりが顔を見合わせた。

しばし視線を交わし、ふたりは筆記用具を置いた。

手の空いたジュプトルも、ちょうど彼らの傍らに辿り着いたところだ。

ヨノワールの表情はよく読み取れないが、ダゲキは目に見えて名残惜しそうだった。


アロエ「ダゲキくんは、まだ続けたかった?」


ダゲキは黙って頷く。

使いかけのままの画用紙とクレヨンを振り返っている。


アロエ「根を詰めると、それはそれでよくないよ」

アロエ「休憩したら、また続きをやればいいじゃない」

アロエ「いろいろ、キミたちにもお手伝いしてほしいしね」


足元のジュプトルが小さな声で唸ると、ダゲキもようやく納得してこちらを向いた。

アロエは安心して、ヨノワールに目を向ける。

なにか、期待を込めた目でこちらを見ている気がした。

『手伝い』という言葉に反応したのかもしれない。


アロエ「そうだねえ、力のありそうなキミには、その青いシート運んでもらおうかな」

182 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:46:57.20 ID:n9gHiMCwO

仕事を任されたヨノワールは、傍目にもわかるほど喜んでいる。

慌てふためいて周囲を見回し、背後の畳まれたシートを見つけた。

ヨノワールはいそいそとシートに手を伸ばす。

こちらを向き、抱えたシートを示して、何か言いたそうだ。

アロエは笑って頷く。

ヨノワールは更に目を輝かせた。


アロエ「キミもこっちに来るかい?」

ミュウツー『いや、私はここでいい』

アロエ「しょうがないねえ」

アロエ「じゃあ、誰かに運んでもらうしかないね」


そう言うと、アロエは慣れた手つきで『会食』の支度を始めた。

シートを運ばせたヨノワールにも、次々と指示を出す。

自身もてきぱきと紙皿を並べ、ふたたびスツールの方に視線を投げかけた。


アロエ(内緒話はあんまり得意じゃないんだけど)

アロエ(それで、キミはなんの話をしたいのかな)

ミュウツー『……自分でも、よくわからない』


そうこぼしながら、シーツの陰に隠れた首が下を向く。

視線が向いただろうその先には、それまで読んでいた本がある。

変わらず一定のペースで、本のページは淡々と捲られていく。

もっとも、字面すら追えていないのは傍目にも明らかだった。


アロエ(そういうことは、人間でもよくあるよ)

ミュウツー『そういうものか』


それきり言葉が途切れる。

アロエの周囲には、咀嚼するかすかな音と、誰かの身体がシートに擦れる音だけが響く。

なかなか次の言葉が続かない。

短い逡巡ののち、頭に響く声の主は、ふたたび『ロ』を開いた。

183 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:49:43.16 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『私には今、どうするか決めかねていることがある』

アロエ(うん)

ミュウツ―『その選択肢はひとつ……いや違う、ふたつだ』

アロエ(それを選ぶか、選ばないか、ってこと?)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『私は、「そうしたい」とは思わないが、「そうすべき」だと思う』

アロエ(「そうしない」理由は、自分でわかってるの?)

ミュウツー『……どうにも気が進まないのだ』

アロエ(そう、それは困ったねえ)


アロエはシートの片隅に座り、新しい友人たちにも、席につくよう示した。

顔を見合わせ、三匹のポケモンたちがおそるおそるシートに腰を下ろす。

座ってからも背後をちらちらと見ている。

ただひとり輪に加わらない友人を、彼らは気にかけているのだった。


アロエ「大丈夫、あの子は、あとで食べるって」

アロエ「みんなの前で食べたら、あたしにまで顔が見えちゃうからね」


そう言い訳すると、彼らはなるほどと納得した表情を見せた。

互いに目配せし、また手元のきのみに視線を戻している。

それがおかしく思えて、アロエは小さく笑った。


アロエ(どうして、その選ぶべき道を、キミは選べないんだろうね)

アロエ(気が進まないのは、どうしてだと思う?)

ミュウツー『……なぜだろう』

ミュウツー『私は……私がそう選択することで、事態は変わるはずなのだ』

ミュウツー『今よりは、少なくともいい方向に』

ミュウツー『少しでも早い方がいいのはわかっている』

アロエ(キミにとっては、とても大事なことなんだね)

ミュウツー『私にとっては、な』

アロエ(でも、みんなには相談したくない話なんだ)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『これは、私ひとりで考え、結論を出さなければならないことだからだ』

184 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:52:16.09 ID:n9gHiMCwO

響いてくる頭の中の声は、あくまで真剣だ。

ふざけて、わざと大袈裟に言っている気配はまるでない。


アロエ(そんなに、早く結論を出したい?)

ミュウツー『もちろんだ』


『声』に焦れた印象が混じり始めた。

内容は本人が語らない以上わからないが、とても結論を急いでいるようだ。


アロエ(時間をかけて、好きなだけ悩むのは……)

ミュウツー『そういうわけにはいかない』

アロエ(みたいだね)

アロエ(たしかに、あたしもキミに『よく考えろ』とは言ったからね)

アロエ(でもね、考えたところで、必ず結論が出る保証があるわけでもない)

アロエ(考えるのは、本当に、とても大切なことだけど)

アロエ(考えればいい、ってものでもないわけ)

ミュウツー『どこかで聞いたような話だ』

アロエ(へえ、そうなの)

ミュウツー『似たようなことを、以前にも言われたことがある』


この子は苦笑いしている、とアロエは直感した。

それも、少し無理をして笑っている。


アロエ(キミがどんな価値判断でその選択肢を考えたのか、あたしにはわからないけど)

アロエ(いくら考えても答えが出てこない、っていうなら)

アロエ(一旦、考えるのをやめてみる、ってのも手かもしれないね)

ミュウツー『……考えるのをやめる?』

ミュウツー『それで、結論は出せると思うか』


アロエは小さく肩を竦めてみせた。

きのみを齧る小柄なジュプトルの頭を慎重に撫でる。

ちらりとこちらを見上げたが、今度は怯えることもなく、おとなしくされるがままだった。

葉はゆらゆらと、風もないのに揺れているのが不思議だ。

185 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:53:57.77 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『考えるのをやめる……か』

ミュウツー『それもいいかもしれないな』

ミュウツー『考えても、今日この瞬間まで結論を出せなかったのだ』

ミュウツー『むしろ、考えれば考えるほど、自分がどうしたいのか、わからなくなった』

アロエ(それは、やっぱり考えすぎてるのかもしれないね)


見ると、シーツの切れ目がゆっくりと向きを変えていた。

視線はアロエから逸れ、休憩を楽しむ友人たちに向けられているように見える。


彼らに秘密にしておきたいのは、つまりそういうことなのだろう。


ミュウツー『……いつか』


急に声が聞こえた。

アロエは反射的に、声の主を見る。


ミュウツー『いつか、そうしなければならないことは、最初からわかっている』

ミュウツー『いつまでも、このままでは駄目なんだ』

ミュウツー『そうしなければ、このままでは』

アロエ(それは、誰のため?)


痙攣するように、シーツが翻った。

中こそ見えないが、昏い切れ目の奥に、鋭い視線を感じる。

アロエは確信していた。

今、自分はシーツの中の視線と、正面から向き合っている。


ミュウツー『……誰……の?』


別の視線を感じて、アロエは自分のすぐ近くに目を向けた。

いつの間にか、ダゲキが食べる手を止め、こちらを見上げている。

大きな目で、まっすぐこちらを見ている。

感情の薄い冷やかな目に、アロエは少し不気味さを覚えた。

内緒話のことが気付かれているような気がしたのだ。


ミュウツー『誰の……』


アロエが口を開こうとした瞬間、がたん、と大きな音がした。

ヨノワールもまた、音の聞こえた方向を見ている。

186 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:57:19.37 ID:n9gHiMCwO

幽霊が椅子から立ち上がっていた。

汚れたシーツに覆われた誰かが、見上げるほどに伸び上がっている。

アロエは、不意に背筋が凍る思いに駆られた。

危険な存在ではない――少なくとも今のところ、この場所では――にも関わらず。


アロエ(この子は……本当は何者なんだ)


久しぶりに、しげしげとその全身を眺める。

汚いシーツに覆われ、少なくとも上半身はほとんど見えない。

そのかわり下部から、筋肉質で生っ白い脚が二本。

そして少し深い色の、がっちりした尾が見えている。

まるで保管庫で眠ったままだった彫像が、勝手に起き上がり動き出してきたかのようだ。


不思議な感覚が湧く。

ぞっとするような、足元から這い寄る禍々しさ。

ある種の罪から生まれながらにして解き放たれているような、かすかな神々しさ。

得体が知れない、とアロエはこのとき初めて感じた。


人間ではない。

では、ポケモンなのだろうか。

だが見たことも、聞いたこともない。

にもかかわらず、言動が人間とある程度の接触があったことを示している。

それはいったい、何を意味するのだろう。


ミュウツー『……わかった』

ミュウツー『そうだ、わかった』


粛々とした声が聞こえている。

自分にだけ聞こえるのか、足元の彼らにも聞こえているのか、アロエにもわからなかった。

独り言のように声は続いた。

風もないのに、縁のほつれたシーツが妙にゆっくりそよぐ。

187 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:59:15.46 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『最初にそうしようと思い口にしたときは、大した理由はなかった』

ミュウツー『だが今は違う』

ミュウツー『たとえ私がそうしたくなくても、しなければならないのだ』

ミュウツー『私の……』

ミュウツー『私のわがままなどよりも、優先するべきこと、優先しなければならないことがある』

ミュウツー『……いや違う、“優先したい”ことだ』

ミュウツー『思うに、その違いは小さいようで大きい』

ミュウツー『これは私の意志だ』

ミュウツー『今ならまだ間に合うかもしれないからだ』

ミュウツー『私は……』


はっと我に返ったように、シーツが大きく揺れた。

光源の具合で、やはりアロエの位置から中身は見えない。

周囲を見回し、身の丈二メートルの幽霊が急に慌てふためいた。

見れば、きのみを食べていたはずのポケモンたちも、呆気に取られている。

今の話は、そんな彼らにも聞こえていたのだろうか。

いずれにしても、驚いただろうことは想像に難くない。


アロエ「大丈夫?」

ミュウツー『……え、あ、ああ……だ、大丈夫だ』

アロエ「そうは見えないけど」

ミュウツー『そんなことは……おい何を見てる』


ヨノワールが慌てて首を横に振った。

同時に、ぶうん、と弦を弾いたような、低く空気の震える音が聞こえる。

どうやらその唸りが、ヨノワールの鳴き声であるようだ。


アロエ(あんな声なんだ)

アロエ(ヨノワールの声って、そういえば初めて聞たかも)


アロエ「キミが急に立ち上がるから、みんなびっくりしたんだってば」

ミュウツー『……そ、そうか、すまない』

188 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:00:20.24 ID:n9gHiMCwO

シーツを靡かせ、保管庫の彫像は宥められた子供のように再び席についた。

友人たちは、どこか不安そうに顔を見合わせている。

ジュプトルがアロエを見上げた。

アロエはジュプトルに笑いかける。


アロエ「キミの友達も、いろいろ大変なんだね」

ジュプトル「?」

アロエ「まあでも、きっと一生懸命考えてるんだよ、あの子なりに」

アロエ「だから、そうやって決めたことは、きちんと尊重してあげないとね」


よくわからない、という顔をして、ジュプトルは首をかしげた。

すぐ横で、ダゲキが物憂げに食べかけのきのみを眺めている。

今の話を聞いていたのか、彼は緩慢にアロエを見上げた。


アロエ「ね」


彼は、戸惑いがちに頷く。

なぜ自分に同意を求めるのだろう、という顔に見えた。

『彫像』はふたたびスツールに腰を下ろし、少し俯いている。

アロエは肩を竦め、ゆっくりと深い溜め息をついた。

189 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:04:38.30 ID:n9gHiMCwO
今日はここまでです


すごーい! 君は机の壁を攀じ上るのが得意なフレンズなんだね!


>>172
エタったと思っただろう?
忙しいのと、うっかり投稿する予定より先の部分を書き上げてしまって
今しがた投稿した分も仕上げないと投稿したくても出来なくなっただけなのさ
190 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:05:10.25 ID:n9gHiMCwO
あっ、ではまた次回
おやすみなさい
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 08:36:05.21 ID:Y9Xam1/co
乙です
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 09:47:35.06 ID:pc+jRjJGO
乙!
正直エタるとは思ってない。思いたくないのが本音。
落ちないように保守はしとくので気長に願います。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 14:09:58.98 ID:n/k71z4f0
乙乙
なんかよくわからんが本来なら言葉の通じない相手とのコミュニケーションってなんかいいな...
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/29(水) 09:40:14.90 ID:HeOhw2voo
時間あいてても内容濃いからいいのだ
しかし相変わらず緊張感のある微笑ましさよ
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/03(月) 13:26:56.99 ID:WWuI6sbQ0
うおおお来てた乙でした
本編に流れる穏やかさと同じように更新もゆっくりでいいのでいくらだって待ちます、細やかながら応援してます
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/04(火) 19:25:55.73 ID:OBjUrSxjo
最初からずっと張り付いてるぜ!
気長に完結まで待ってるぜ!
197 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/04/28(金) 21:53:00.58 ID:T1q8vX8gO
保守
198 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:39:25.96 ID:kt/KZChQO

とても不思議な光景だった。

自分と、自分の友人が全部で四匹。

そして人間の女がひとり。

天井も四隅も薄暗い、本だらけの部屋にいる。

彼らは壁の蝋燭に照らされ、影だけが別の生き物のように揺れている。

いつもと同じように光はほんのり温かい。


友人たちは薄いシートに腰を下ろして休憩を楽しんでいる。

本を見るのも白い紙に絵や字を書くのも、ひとやすみということらしい。

ミュウツーは一歩も二歩も離れたところから、そんな彼らを見ている。


どうしてこんなことに、とミュウツーはふたたび虚空に問いかけた。

誰からも、またどこからも返答はない。

幾度となく自問しているのに、答えは一度も得られていなかった。


アロエ「あっ、そうだ」


小さな声でそう呟くと、アロエは小振りなバスケットを手に取った。

彼女自身が持ち込んだ籠から、さまざまな色のきのみを適当に放り込む。

少なくともミュウツーには適当に選んでいるようにしか映らなかった。

ジュプトルがやる気のない目つきでその動きを追っている。

放っておけば遠からず眠ってしまいそうだ。

199 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:05.35 ID:kt/KZChQO

アロエ「よし、こんなところかな」


すると人間の女は座ったまま上半身を捻り、ダゲキにぐいと顔を近づけた。


アロエ「ねえダゲキくん」


不意を突かれたか、ダゲキは露骨にのけぞり目を丸くしている。


アロエ「あのね、キミの大事な友達に、これ届けてあげてくれるかな」


なんとか踏みとどまり、首を縦に振るダゲキの姿が見えた。

あっ、と不安そうな表情でミュウツーに視線を送る。

『頷いてしまったが、よかったのか』と慌てている顔だ。


アロエが、少しわざとらしいしぐさでこちらを向いた。

含むところのある笑みをミュウツーに見せ、またすぐに彼に語りかける。


アロエ「そう言ってくれて助かるよ」


彼女は口の横に手を添えて首を縮め、こそこそ話している。

いかにも彼にだけ伝えようとしている身振りだ。

もっとも、実際には耳を澄ますまでもなく、ミュウツーにも十分に聞こえている。


ミュウツー(やっていることのわりに、“内緒話”にするつもりはないということか)

ミュウツー(ニンゲンは、本当に不思議なことをする)

200 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:56.88 ID:kt/KZChQO

アロエ「あの子は、どうもあたしたち人間には、姿を見られたくないって話だから」

アロエ「キミたちはみんな、それぞれに事情があるんだろうし、ね」


話しかけながら、人間の女はバスケットを彼に差し出した。

そしてダゲキに手の平を示し、頭を撫でるしぐさをしてみせる。


アロエ「キミは……“いいこいいこ”しても平気かな?」


二、三度まばたきしてから、ダゲキは小さく頷いた。

目の前に置かれたバスケットを両手で抱え、立ち上がる。

アロエはすかさず、中を覗き込む彼の頭を撫でる。


アロエ「じゃあ、お願いね」

アロエ「キミの好きそうな味のきのみも入ってるから」

アロエ「なんなら、あっちで一緒に食べてきてもいいよ」


ダゲキが重々しい動作で向きを変えた。

その背中をトン、とアロエが軽く押す。

なぜか少し申し訳なさそうな目でミュウツーを見上げ、ダゲキはのんびりと歩き始めた。

ミュウツーは意味もなく緊張を覚える。

本を持つ手に力が入るのが自分でもわかった。

アロエは背後からそれを見守り、満足そうに笑う。


はらはらする、という気持ちを初めて感じた瞬間だった。
201 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/05/13(土) 23:51:29.80 ID:kt/KZChQO
見返すと信じられないくらい短いけど、今日は以上です

>>191-196
ありがとうございます!
自分でも忘れない限り保守します
まずなによりも頑張ります!

予告↓
                 ┌────────┐
                  |> アロエのむね.   │
                 │  アロエのひざ  .│
                 └────────┘
┌────────────────────┐
│きみは どっちが いいんだい?▼        │
└────────────────────┘

202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/13(土) 23:55:54.80 ID:nvcshHp9o
乙です
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 00:03:26.45 ID:5zp+p3StO
来てた!乙です!
アロエさんならひざかな…
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 01:40:57.69 ID:SXtpCaKco

……尻、かな
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 06:38:11.99 ID:57LlTBwf0

アンケートに反してもふもふの髪の毛かの
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 10:55:07.01 ID:WMqf79/0o

いいこいいこ一択
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 16:27:27.72 ID:+NVacnT70
追いついたぁっ!!!!
ミュウツー好きなBBAには幸せなSSだ!
最近のポケモンは知らないからググりながら読んで楽しんでます!
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/03(土) 01:15:45.31 ID:OwqlZj5/o
ホッシュ
209 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/06/13(火) 23:14:25.13 ID:pytwHZDzO
保守
210 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:03:05.31 ID:xCyGumQ8O

ダゲキが両手でバスケットを抱え歩く姿が見える。

しきりに足元を気にしている。

そこまで重い荷物とも思えないが、妙に進みづらそうだ。

彼の向こうには心配そうなヨノワールの、あるい眠そうなジュプトルの目が並んでいる。

アロエは笑顔でこちらを見守っている。

彼女が、声には出さず口だけを動かすところが見えた。


アロエ(が、ん、ば、れ)


口の動きは、そう言っている気がする。


肝心の激励が誰に向けられたものなのか、よくわからなかったが。

自分は何も頑張りようがないはずだ。

ダゲキにいたってはアロエに背を向けている。

彼女の口元さえ見えまい。


追求しようと思えば、いくらでもできるかもしれない。

だがミュウツーは、『人間は不思議なことをする』と思うに留めることにした。

ダゲキがミュウツーの足元に到着し、立ち止まったからだ。


眼前までやって来たダゲキを、ミュウツーはじっと見下ろした。

バスケットをわずかに差し出す姿勢で待っている。

表情はどこか不満そうだ。

ミュウツーは今まで読んでいた本を勢いよく閉じ、脇に置く。

それからバスケットの中身に手を伸ばした。

なるべく身体が露出しないよう、いつもと同じように注意する。


だがその“いつもと同じように”気をつけることが、今はこの上なく滑稽なことに思えた。

自分の身を守るために、必要なことだと考えてやっているのに。

“自分の身を守るために”。

なんと自分本位なのだ。

きっとそれこそが、すべての間違いの元だったのだろう、と思う。


ミュウツー『悪いな、ひとつもらおう』

211 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:04:54.12 ID:xCyGumQ8O

するとダゲキはわずかに表情をこわばらせた。

口を開こうとしたが寸前で今の状況を思い出したらしく、慌てて閉じる。

ミュウツーは仕方なく、伸ばしかけていた手で自身の頭を指した。

すると、彼は合点のいった顔で頷いた。


ミュウツーは、こっそりと人間の女の様子を盗み見る。


ミュウツー(……今のは、少し危険だったか)

ミュウツー(もし、今のやりとりの意味を正確に理解されたらまずいな)

ミュウツー(それはそのまま、こいつらの特異性をニンゲンに知られることにもなるか)

ミュウツー(これからは、もっとずっと慎重でなければいけない)


後悔にも似た、居心地の悪い思いが腹の中で膨らんでいく。

最近、そんな感情に囚われてばかりだ。


“ああすればよかった、こうすればよかった”。

“あんなこと、しなければよかった”。

“本当にそうすべきだったのだろうか”。


ダゲキ(ぼくが、わるい?)


自分が何か咎められていると思ったのか、彼の表情は硬い。


ミュウツー『いや……そういうことではなくてな』


罪悪感の口をむりやり塞ぐ。

ミュウツーはダゲキの持つバスケットから、改めてきのみをひとつ拾い上げた。


ミュウツー『お前に運ばせて申し訳ない、手間をかけさせてすまない、と』

ミュウツー『そういうことを言いたいだけだ』

ダゲキ(……そうなんだ)


ほっとした顔で、ダゲキが緊張を緩めた。


ミュウツー『感謝はしているぞ』

ダゲキ(うん、ありがとう)

212 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:06:22.72 ID:xCyGumQ8O

ダゲキはミュウツーと自分の間に、バスケットをそっと置いた。

自分も床に座ると、ちらっとミュウツーを見上げる。


ダゲキ(あのニンゲンと、どんな はなし、した?)

ミュウツー『どうしてそう思った』

ダゲキ(すごく かんがえてる かお、してた)


ミュウツーから視線を外し、ダゲキはバスケットを眺める。

傍目には、ただきのみを物色しているようにしか見えない。


ダゲキ(だから、あのニンゲンと、はなし してるのかな、って)


視線を自分の手に落とす。

ミュウツーの手の中には、さきほどから紫色のきのみが握られている。

全体が三日月のようにきつく曲がり、尖った端だけが黄色っぽい。

ほのかに甘ったるい香りが漂っている。


ミュウツー『よくわかったな』

ダゲキ(ぼくとか みんな……と、はなしてる ときと、おなじ)

ダゲキ(だから、ヨノワールも、ジュプトルも、ぼくも わかった)


淡々と述べるようでいて、上目遣いがどこか誇らしげだ。

その理由は、さすがのミュウツーにもなんとなく察しがつく。


ミュウツー『なるほど、やるじゃないか』


ダゲキがわずかに口角を上げ、視線を下げた。


ミュウツー(褒められて照れるなら、最初から自慢などしなければいいだろうが)

ミュウツー(……相変わらずだな)

ミュウツー(私に何を期待しているんだ、こいつは)


ミュウツー『だが、それならもう少し上手く隠せるようにならないとな』

ミュウツー『お前たちにすら、こうも簡単にばれてしまうようでは、私が面白くない』

213 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:08:41.18 ID:xCyGumQ8O

手に持っていたきのみを、言葉の勢いに任せて半分ほど齧る。

より強くなった甘い香りと、それに相応しい強い甘味が口の中に広がった。

思ったより歯応えがある。

ただひたすら、粘り気があるような気さえしてしまうほど甘い。

一方で、他の風味はまったく感じられない。

酸味が少しあればなおよかったが、これはこれで嫌いではない。


ミュウツー『……なかなか悪くないな』

ミュウツー『ああ、今のは、本当に“まずくない”という意味だ』

ダゲキ(……ニンゲンのことば、むずかしいね)

ダゲキ(『わるくない』は、『いい』んだ……うん、わかった)


眉間に皺を寄せ、ダゲキはそう頭の中で呟く。

ミュウツーと同じように、抱えてきたバスケットからきのみを取り出した。

赤く、短い棒にでこぼこがついたような形をしている。

ミュウツーも見たことのないきのみだった。


ダゲキは片方の端をおそるおそる持ち、くるくる回す。

彼なりに、未知のきのみを観察しているように見えた。


ミュウツー『それで、そっちはどうなんだ』

ダゲキ(まだ たべてない)

ミュウツー『そうじゃない』

ダゲキ(うん)


そう言いながら、ダゲキは顔をきのみに向けたまま、目だけでミュウツーを見た。

わかっていて、わざとああ言ったということらしい。

そこまで思い至って納得したものの、ミュウツーは驚いていた。

はたして彼は、そんな冗談を言う奴だっただろうか。


ミュウツー『お前、少し変わったな』

ダゲキ(そうかな)

ダゲキ(どんなふうに?)

ミュウツー『……なんというか』

ミュウツー『今のは……あまりお前らしくない、ような気がする』

214 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:11:07.36 ID:xCyGumQ8O

ぼきっ、と湿った音がした。

見ると、ダゲキが赤いきのみを半分に折り、断面から匂いを嗅いでいる。

だが手でもてあそぶばかりで、なかなか口に入れようとしない。


ダゲキ(じゃあ、もう いわない)


彼は顎を突き出して、残念そうに目を伏せた。

そういう反応も、そのしぐさも、彼らしくないといえば彼らしくない。


ダゲキ(ぼくは あのひと、……いい ニンゲンだ、って おもった)

ミュウツー『そうか』

ダゲキ(とじこめないし、どならないし、ぶたない)

ミュウツー『それは、そうだな』

ミュウツー『お前に対して、お前が受けてきたような仕打ちをしたニンゲンは、たしかに“わるいニンゲン”だ』

ミュウツー『もちろん、そこにいるニンゲンの女も、当然だが同じニンゲンだ』

ダゲキ(でも、それは べつのニンゲンだよ)

ミュウツー『……そうだ』

ミュウツー『言われてみれば、その通りだ』

ミュウツー『だが、あのレンジャーも“べつのニンゲン”だ』

ダゲキ(……そうだけど)


なんだか腑に落ちないというか、不本意そうな顔だ。

あのレンジャーについては、あまり触れてほしくなかったのかもしれない。

彼らの関係が単純明快なものではないことくらい、ミュウツーにもわかっている。


ダゲキ(……ヨノワールは、きょう とても、うれしそう)

ダゲキ(ぼくも たのしい)

ダゲキ(ジュプトルも、きにいった、みたい)

ミュウツー『それなら……』


彼はあからさまに話を逸らし、ふたたびミュウツーを見上げた。

黒く大きな目が、蝋燭の暖色をちらつかせている。


ダゲキ(ぼくたちは、きみに か、カンシャ、してるよ)

215 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:12:37.95 ID:xCyGumQ8O

なぜだか、身体の中で鼓動を出す場所が、ずきずきと鈍く疼いた。

痛みといえるほどの痛みではないが、妙に息苦しい。

怪我でも病気でもないのに。


ミュウツー『それなら、よかった』

ダゲキ(つかいかた は、あってる?)

ミュウツー『ちゃんと合っている』

ダゲキ(よかった)


胸に響く甘い不快さは、薄膜のような自己嫌悪を伴なっていた。

友人たちはこうして喜んでくれているというのに。

悪いことをしているわけでもないのに。

よかれと思って、しているつもりのことなのに。


ダゲキ(……これ、やっぱり みたことないなぁ)

ミュウツー『だったら、さっさと食べてみればいいだろうが』

ダゲキ(そうだね)


赤く瑞々しい断面のきのみを、ダゲキはようやく口に放り込んだ。

一、二度、彼はゆっくり噛み締める。

わずかに目の下を痙攣させたあと、満足げに口許だけで笑った。


ダゲキ(……おいしいよ)

ミュウツー『ほう』

ダゲキ(ちょっとからいけど、たべる?)


そう言いながら、彼は半分に折った残りをミュウツーに差し出した。

受け取って匂いを嗅ぐが、わかりやすい匂いはない。

ならば、と赤いきのみを口に押し込み、噛み砕く。

すると、思いがけない――ある意味で予想通りの――刺激が口の中に溢れた。


ミュウツー『……辛っ!!』


216 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:14:58.29 ID:xCyGumQ8O




アロエ「キミは、本当に辛い味が好きなんだねえ」


呑気な問いかけに、ダゲキはアロエを見遣り、黙って頷いた。

だが彼の視線は、すぐ煌々と光る懐中電灯の照らす先に向けられる。

懐中電灯そのものが物珍しいのだろうか。

やや身を乗り出しているところが、子供のようだ。

それでも、彼の手はアロエの左手をしっかり握っている。

手を繋いでいるためにバランスが取りにくいのか、いくらか歩き方が心許ない。

もっとも、じっと握っていられるだけ立派なものだ、とアロエは自分の子供を思い出した。


アロエ「あのきのみ、たぶんあの中で一番、辛いんじゃないかな」

アロエ「でも、キミは涼しい顔してたもんねえ」


返事はなかった。

ダゲキは少し照れくさそうに、左手で自分の顔に触れている。


夜の博物館は書斎より遥かに暗く、空気ごと寝静まっていた。

光源は、行く先々に点在する誘導灯とこの懐中電灯だけだ。

そんな展示室の中で、無数の展示物たちがじっと息を潜めている。


いくつにも分かれた展示室を一通り巡回し、不審者を含め異常がないか確認していく。

いつもなら警備員がする仕事だ。

こうして遅くまで残った日には、アロエ自身が巡回することもある。

見慣れた部屋、やり慣れた仕事とはいえ、こんなふうに複数人で回るのは初めてだった。


聞こえてくるのは、アロエの硬い靴が鳴らす勇ましい足音だけだ。

あとのふたりは靴を履いていないか、そもそも脚がなかった。


アロエ「ヨノワールくんも、辛いのは好きなんだよね」

217 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:16:36.99 ID:xCyGumQ8O

声をかけ、懐中電灯をヨノワールの手に向ける。

ヨノワールは立ち止まり、振り返って“にっこり”頷いた。

通路の左右に並ぶ展示物に触れないよう、懸命に巨体を縮めている。

いつ見ても目玉はひとつしかないし、身振りもおどおどしている。

だがその目玉だけで、ヨノワールは思いのほか表情豊かなのだった。

「それはよかったねえ」と呟き、アロエは再び懐中電灯を前方に向けた。


アロエ「でも、あのシーツを被った子は、辛いのがちょっと苦手みたいだね」

アロエ「……あの子は酸っぱいのが好きなんだっけ?」

アロエ「辛いきのみが好きな子もいる、ってあの子から聞いてたから」

アロエ「もらいものの辛いヤツをとっておいたんだけど」

アロエ「さすがに、苦手な子にはキツかったか」


丸い光がケース内の展示物を次々に照らしていく。

指差された先を見るように、照らす先をダゲキが目で追っていた。

人間の大人ほどの背丈はないが、子供というには身長もありがっしりしている。

手を引いて歩くという意味では、あまり馴染みのないサイズの相手だ。


アロエ「ゴミとか変なものとか、落ちてたら教えるんだよ」

アロエ「それに泥棒とかがいたら、捕まえなくちゃいけないからね」


ぶうん、とヨノワールの声がした。

重大な任務を引き受けたと言わんばかりに、急に胸を張ってあたりを見回し始めた。

巨体を器用に滑らせ、一足先に――脚はないが――順路を進み、少し広い場所へ出る。


アロエ「あとは……そうだねえ、展示品で気になるものはあるかな」

アロエ「ちょっとくらいなら見てても、時間的には大丈夫だと思うから」


横目で見ると、ダゲキも物陰を気にしてきょろきょろし始めていた。

自分が言った通りに、落ちているものを探しているようだ。


アロエ(随分、素直というか、なんというか……)

アロエ(こんな子たちが、どうして森に逃げ込むことになったんだろう)

218 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:18:37.21 ID:xCyGumQ8O

暗がりの中で、ふたたびヨノワールの低い声が響く。

何か見つけたのだろうか。

正面の解説パネルと巨大な石の壁に音もなく近づいていく。

アロエは慌てて、ヨノワールの行き先に懐中電灯を向けた。


壁には、正方形に近い石の壁画が二枚、中央に解説パネルを挟んで展示されている。

見上げるほどの石壁は、懐中電灯の遠い光に幽霊じみた曖昧さで浮かび上がっていた。

壁画は人間の背丈より遥かに大きく、ヨノワールと比べてまだお大きい。

それぞれ中央に巨大な何者かが描かれ、よく見ると向かい合う構図になっていた。


アロエ「大きいでしょ」

アロエ「カンナギっていう町にある、大昔の壁画だよ」

アロエ「歴史ある古い町でね、町の中心に遺跡があるんだ」

アロエ「その遺跡を護ってる壁画、ってところかな」

アロエ「といっても、本物はこんな遠くまで持ってこれないから」

アロエ「ここで展示してるのはレプ……そっくりの作り物なんだけどね」


ヨノワールは背を丸め、パネルの解説文を睨んだ。

読めているかどうかはさておき、きちんと文字の流れる方向に視線を動かしているようだ。

このヨノワールは、これまでどんな人間と過ごしてきたのだろうか。


アロエ「ふふふ、大人向けの説明だから、ちょっと難しいかもねえ」

アロエ「そこに書いてあるのはね、シンオウの……」


舐めるようにパネルを見ていたヨノワールが、不意にある部分を指差した。

低く響く鐘のような声を出して、アロエを振り向く。


アロエ「なあに?」


ヨノワールが指す場所を見るため、アロエがパネルに近づいた。

引き摺られるようにしてダゲキも追随する。

自分の子供が小さかった頃を思い出して、アロエは不思議な気持ちになった。

あの頃も、こうして子供に展示物を見せたものだ。


アロエは指差された箇所を声に出して読み上げた。

219 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:20:17.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「……シンオウの伝承には、他の地方と毛色の異なる死生観が根付いている」

アロエ「ある特定の場に死後の世界との接点を見出し、」

アロエ「生と死の変化に可逆性を暗示する記述が多い」

アロエ「人間とポケモンの境界を曖昧に捉える点でも興味深く……」

アロエ「……読むのは、ここでいいの?」

アロエ「……また様々な理由から調査が遅々として進まないが」

アロエ「この伝承で頻出するのは、『おくりのいずみ』、『もどりのどうくつ』、」

アロエ「そして、ごく僅かな記述のみが確認される……」


ある部分に差し掛かったところで、ヨノワールの声が空気を震わせた。


アロエ「もどりのどうくつ?」


ヨノワールが大きく頷く。

その言葉に聞き覚えがあるということなのだろうか。

アロエの脇では、背筋を伸ばしてダゲキがパネルを見ている。


アロエ「もどりのどうくつっていったら、シンオウでもかなり奥深いというか」

アロエ「あんまり人が出入りするような場所じゃなかったと思うけど……」

アロエ「じゃあキミは、そこから来たの?」


もう一度、目を細めて頷く。

ダゲキが不思議そうな顔で、ヨノワールを見上げている。

彼にとっても、今の話は初耳なのだろうか。


アロエ「シンオウから、このイッシュに、ひとりで?」


今度は首を横に振る。


アロエ「じゃあ、トレーナーと一緒にかい?」

アロエ「……あれ、でもキミ、その……トレーナーに捨てられた……んだっけ?」


ヨノワールは慌てて両手を振り、否定するしぐさを見せた。

ぶうん、ぶうんと低い振動が地面を這っている。

『捨てられたわけではなく、』と懸命に説明してくれているのは、かろうじてわかった。

残念なことに、何を言わんとしているのか、正確なところはよくわからない。

220 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:23:10.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「わかったわかった」

アロエ「……そっか、みんな同じようにヤグルマの森にいても、事情はホントにいろいろなんだね」

アロエ「あの子もちょっとだけ話してくれたけど……」

アロエ「辛い思いは、それぞれにしてるってことか」

アロエ「あんまり詮索するのもどうかと思うし、必要がなければ根掘り葉掘り聞かないから」


そして、アロエは横で背伸びしているダゲキを見下ろした。


アロエ「もちろん、キミのこともだよ」


ダゲキはきょとんとしている。

まだパネルを読もうと苦戦していたようだ。


アロエ「……まあいいや。そろそろ戻ろうか」

アロエ「見回りはだいたい終わったし、あまり時間をかけると心配させちゃうからね」


巨大な両手を擦り合わせ、ヨノワールは頷いた。

ふわふわと漂い、先導するように意気揚々と先へ進む。


そのうち、展示室同士をつなぐ何もない通路にさしかかった。


アロエ「あれが入ってきた非常口だよ」


小声でそう言いながら、アロエは懐中電灯で通路の奥に見える非常口を示した。

光につられてダゲキも非常口を仰ぐ。

扉の上には、緑色の光を放つ小さな誘導灯がある。

この暗闇の中では目に刺さるほどの明るさだ。


扉の脇に、金属製の鎖を渡したパーテーションが寄せられていた。

巡回を始める時にアロエ自身が脇に避けたものだ。


アロエ「ヨノワールくん、そこの非常口から書斎に戻ろっか」


張り切ったヨノワールがパーテーションを持ち上げ、もう少し隅に寄せようとした。

221 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:24:35.39 ID:xCyGumQ8O

だが、次に聞こえたのはけたたましい金属音だった。

ガシャン、じゃらじゃらと遠慮のない騒音が響く。

どうやら、ヨノワールがうっかりチェーンを取り落としたようだ。

重い鎖が支柱から外れ、床に転がっているのが見えた。

雑踏ならいざ知らず、しんとした室内では余計に耳障りだ。


アロエは無意識に息を止めていた。

しばらくして、そっと息を吐く。


アロエ「……うーん、凄い音だったねえ」


音に驚いたのは、十秒にも満たない短い時間だったはずだ。

アロエの耳にはまだ、聞こえが悪くなるほどの残響が残っている。

もっともそれはアロエに限った話ではなかったらしい。

ヨノワール自身も、耳障りな音に目を歪めていた。


アロエは努めて平静を装う。


アロエ「怪我とかしてない?」

アロエ「たまにあることだから、気にしなくていいよ」


いかにも大したことではない、という笑顔を浮かべてみせる。

彼らには何の責任もないからだ。

自分は、あとから警備の人間に釈明しなければならないかもしれないが。


ヨノワールは申し訳なさそうに肩を縮め、自分が落としたチェーンをそっと摘み上げている。

気の毒なほど慎重な動作で支柱に戻し、パーテーションを扉の脇に動かした。

今度こそ上手くできたからか、ヨノワールは傍目にも安堵した様子だ。


アロエ「さてと、それじゃ」


ふたたび歩き始めたアロエの左手に妙な抵抗があった。

手を繋いでいるダゲキが立ち止まって動こうとしない。


アロエ「どうした?」

222 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:26:38.21 ID:xCyGumQ8O

そう言いながらアロエは振り返った。

ダゲキが少し俯いている。

何気なく覗き込むと、アロエの顔に緊張が走った。


アロエ「……ダゲキくん?」


ダゲキは目を大きく開き、地面を固く見つめている。

呼吸は浅く、かけた声にも反応しない。

握った手には、少し力が入りすぎている。


アロエ「ヨノワールくん」

アロエ「悪いんだけど、先に戻っててちょうだい」


ヨノワールは一瞬、不思議そうな目をした。

だが、すぐに事態を察したのか、アロエの言葉に素直に従った。

懸命にドアを開けようとしているが、なかなか上手くいかない。

人間用のドアノブには手が大きすぎて開けにくいようだ。


ようやく扉を開けると、ヨノワールはアロエを振り返った。

アロエは無言で頷き、目で促す。

無理やり身体を押し込むようにして、ヨノワールは扉の向こうに消えた。

書斎に残してきた連中にも、これで状況は伝わるはずだ。


扉が閉じる音を確認してから、アロエは深呼吸する。

余韻は間もなく消え、あたりは静かになった。


アロエ「……さてと」

アロエ「びっくりしちゃったねえ」


驚かせないように、ゆっくり静かに話しかける。

まるで大きすぎる子供をあやしている気分だ。

この感覚は少し懐かしい。

握られたままの手は少し痛いが。

アロエはなるべくゆったりした動作で頭に触れた。

223 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:30:24.03 ID:xCyGumQ8O

触れたことに対してか、かすかに彼の肩がひきつる。

身体の緊張が解ける気配はない。

立ったまま抱き抱えるように、がっしりした背中をゆっくりさする。

努めて穏やかな声でダゲキに話しかけた。


アロエ「すごく大きな音だったもんね」

アロエ「あたしもびっくりしたよ」


少しの間があって、彼は一度だけ、時間をかけてまばたきした。

それを認め、アロエはまた言葉を続ける。


アロエ「ゆっくりでいいから、息を深く吸ってごらん」

アロエ「そうそう、上手にできたね」

アロエ「そしたら、次はゆっくり吐く」

アロエ「……ちゃんと聞こえてるね? あたしの言ってること」

アロエ「今あたしたち、手を繋いでるのがわかる?」

アロエ「ここには、あたししかいないから」

アロエ「……だから大丈夫だよ」


アロエは言葉を切ってしばらく様子を見る。

少しずつだが、呼吸が落ち着いてきたのがわかった。

目はかすかに揺れ動き、まばたきの回数も増えている。


アロエ「……ごめんね」

アロエ「キミたちは今日、ものすごく頑張って、ここに来てくれたのにね」


反応はない。

様子から見て、聞こえていることは確かだが。


アロエはふと新聞記事を思い出した。

それから、シーツで頑なに正体を隠すあのポケモンが脳裏をよぎった。

次に、いま書斎で待っているだろうジュプトルやヨノワールのことも。

このダゲキもまた、心に傷を受けてあの森に至ったに違いない。

どういう経緯で受けたどんな傷か知らない。

だが、人間に原因があることは間違いない。

それを捕まえて、こんなふうになだめる権利が、自分にあるのだろうか。

224 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:31:20.62 ID:xCyGumQ8O

黙って背中を撫でていると、ダゲキがのろのろと顔を上げた。

こちらを見上げる目には、驚きと困惑の色が濃い。

どうやら、徐々にだが元の状態に戻ってきているようだ。

手を握る力がわずかに弱まった。


アロエ「やあ」

アロエ「調子はどう?」


ダゲキはまばたきする。


アロエ「ちょっと寄り道しちゃったね」

アロエ「そろそろ、キミのお友達が心配しちゃうかもしれないね」

アロエ「みんなのところに戻ろうか」


事態を飲み込めていない顔でダゲキが頷いた。

どこか不安そうにあたりを見回している。


アロエ「大丈夫、大丈夫」

アロエ「さっきの部屋に戻れば、みんな待ってるよ」


彼の大きな目がアロエを見上げた。

『みんな待ってる』という部分に反応したように思う。


アロエ「きのみもまだたくさんあるから」

アロエ「戻って、お友達と一緒に食べよう」

アロエ「歩ける?」


今度は少しはっきりと頷いた。

ほっと息をつき、アロエは懐中電灯を進行方向に向ける。

移動する光を、またしてもダゲキは目で追っている。

ひとまず大丈夫そうだ。


アロエはそんな彼の手を引いて、ふたたび歩き始めた。





225 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:35:00.65 ID:xCyGumQ8O
今回はここまでです

>>203-206
正解は『アロエの胸に顔を埋めてよしよし』でした!
私は膝枕がいい

>>207
こんなに長いのにありがとう!
他のポケモンも好きになってください!!
SSに出してるポケモンはみんな好きなんです!

ではまた!
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 23:35:48.10 ID:rR4eRERfo
乙です
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 00:25:40.33 ID:QgHEHyzyo
おつおつ
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:14:37.24 ID:x5k/5y/So
毎度どきどきするなあ
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:24:24.00 ID:8NYFg3+f0

更新長めなのに1分以内に乙が来とるなwwww

誰かうっかり人語を喋らないか不安だな
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/18(日) 11:44:35.95 ID:8aEEgk4x0
来てた乙!
楽しみすぎる…
231 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/07/14(金) 22:07:59.25 ID:BIcAU8B9O
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