ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第三幕

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/05(土) 01:06:11.40 ID:quSGUd+No
ホッシュ
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/12(土) 23:47:17.45 ID:O2+wsln70
保守ぅ

ポケモンが人語喋りだしたらバトルに出しにくいよね...
234 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/08/15(火) 22:24:16.23 ID:zywb0QOgO
保守。
なかなか時間が作れない…

>>233
メガテンの仲魔もみんなめっちゃ喋るけどめっちゃ戦わせてるからへーきへーき
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/11(月) 00:56:10.93 ID:PoMvoD/Eo
236 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:42:31.64 ID:rkTzmv0FO

書斎に戻ったヨノワールは、血相を変えてミュウツーとジュプトルに経緯を説明した。

とはいえ、伝えることができるのは自分の目で見た部分だけだ。


途中までは問題なく『見回り』ができていたこと。

自分がポールに掛けられていた鎖を床に落としたこと。

それを機に、彼がおかしくなったこと。


いつも以上に口は回らず、言葉も浮かばず、うまく話せない。

要領を得ない話しぶりにもかかわらず、友人たちは茶々も入れずじっと聞いていた。

やっとのことで説明を終える。

ふたりが顔を見合わせた。


ヨノワールは不安にかられ、おろおろしてふたりの反応を待った。

言いたいことは言えたのだろうか。

伝わってほしいことは、ちゃんと伝わったのだろうか。


するとミュウツーは深い溜め息をつき、首を横に振った。

ジュプトルは溜め息こそつかないものの、鼻筋を掻いて困った顔をした。


意外なことに、ふたりともあまり深く追及してこない。


そこでふと、ヨノワールは思い至った。

ふたりは彼の異変について、わけを察しているのかもしれない。

こんな事態になることも、ある程度は予想できていたのかもしれない。

普段からの付き合いは彼らの方がずっとある。

心当たりがあってもおかしくなかった。

では、自分はどうだ。


ヨノワール(わたしは なにも しらない)

ヨノワール(……)

ヨノワール(じぶんの ことだけ、かんがえてた からだ)
237 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:48:31.20 ID:rkTzmv0FO

何かに急き立てられ、焦る気持ちばかりが膨らんでいく。

なぜ、自分はこれまで知ろうとしなかったのだろう。


今となっては修正しようのない過去だ。

なぜと嘆いても意味はない。

それでも後悔せずにはいられなかった。


ミュウツーはじっと考え込んでいる。

結論を待つヨノワールは、まるで判決を待つ罪人の気分だった。


長考ののち、ミュウツーはふたりに視線を送る。

『早めに切り上げよう』とだけ、テレパシーで伝えてきた。

ジュプトルは「うん」と唸り小さく頷く。

むろん帰ることについて、ヨノワールも異論はない。

ないが、ヨノワールにとってはただ死刑の宣告が遠のいただけだ。


ヨノワール「ダ……ダゲキさんは」

ヨノワール「なにが あったんですか」

ジュプトル「わかんない」

ジュプトル「けど、いろいろ だと、おもうよ」

ジュプトル「みんな、そうだもん」

ミュウツー『……それは、そうだな』

ジュプトル「おれは よく しらない」

ジュプトル「あいつ、あんまり そういうの、いわないし」

ヨノワール「き きいたら」

ヨノワール「おしえて もらえる でしょうか」

ジュプトル「ううーん……」


ジュプトルは意見を仰ぐようにミュウツーを見上げる。

ミュウツーは何も言わず、肩を竦めるだけだった。
238 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:51:53.62 ID:rkTzmv0FO




硬い床の上に立っているのに、足元は妙にふわふわしている。

身体の表面が痺れて、頭の芯までぼんやりしていた。

全身の血の巡りが急に悪くなったような感触だ。


自分とそれ以外の境目が妙に不明瞭に思えた。

今の自身の状態について、ダゲキはそんなふうに認識していた。

いつもは当然のように区別できているのだが。

というよりも、その点で疑問を抱いたことすらなかった。


ぐったりするほど眠いようでいて、目の裏はぎらぎらしている。

動けないほど身体は重いのに、宙に浮いている感じがする。

周囲は目に映っているのに、よく見えない。

音は耳に届いているのに、よく聞こえない。


今度は首筋がひやりとする。

暑さと寒さが交互にやってくる。

びりびりした鋭い痛みと、痺れたような鈍い痛みを同時に感じた。


――……くりでいいから、息を深く吸……


不明瞭な雑音としか感じられなかった音が、徐々に言葉として意味を持ち始めた。

かけられた言葉の内容が、だんだん理解できるようになっている。


息を吸え?

言われたとおりに、ダゲキはゆっくりと息を吸った。

機械油を溢したようにぎらぎらしていた視界が、少しずつ元に戻っていく。

自分が今、ひんやりした硬い地面に足をつけていることが認識された。

重心が爪先の方にかかっていることも。


――ここには、あたししかいないから

――だから大丈夫だよ
239 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:57:26.27 ID:rkTzmv0FO

まだ少しぼやけた誰かの声を聞きながら、ダゲキはまだ立ち竦んでいる。

五感が戻ってもなお身体はうまく動かない。

動かそうという気持ちすら起こらない。

意識はふわふわと漂い、半分眠っているような感覚だった。


そのうち、不思議な感触に気づいた。

自分の背中に誰かの手が当たっている。

敵意も悪意も感じられない、柔らかくて温かい手だ。

その手は、考えてみればずっと背中をさすっていた気がする。


ダゲキ(……こんな かんじ)

ダゲキ(まえにも……あった)


ダゲキ自身の記憶は、そこからまたあやふやだ。


いつの間にかアロエに手を引かれ、薄暗い書架の間を歩いている。

彼女はあれきり黙ったままだ。

いま聞こえるのは、アロエの硬そうな靴音とその反響だけだった。


彼女が立ち止まる。

反射的にダゲキも足を止めて視線を上げた。

億劫だったが、かろうじて周囲を見る。

風景に見覚えがある。

ここはどうやら、自分たちがいた部屋の近くだ。


アロエは近くの書架に手をかけ、何かの様子を窺っている。

そして折り曲げた指で硬い本棚をノックした。


書斎の奥から、ばたばたと慌ただしく動き回る音が聞こえ始めた。

アロエがダゲキを振り向く。
240 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:01:17.85 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……今頃、大慌てであの布っきれを被ってるところなんじゃない?」

アロエ「あれ、前にいたところから持ってきたのかな」

アロエ「キングサイズ?」

アロエ「あんな大きなシーツ、見たことないよ」

アロエ「……」

アロエ「大変だよね、あの子も」


少しだけ笑った顔を作り、アロエは優しい声で言う。


アロエ「うちにいらない生地とか、あったかな……」


ダゲキはなにも反応できないまま、二三度まばたきした。

人間が何を考えているのか、よくわからない。


音がやんだ。

彼女に続いて、ダゲキも書斎に踏み入る。

今度はガタガタとスツールをずらす音が聞こえ始めた。

同時に、書斎の奥で誰かがすっと伸び上がる。

音と動きにつられて、ダゲキはその方向に目を向けた。


呻いて息を呑む。


やわらかな蝋燭の光に照らされる、背の高いミュウツーの姿が見えた。

すぐそばでヨノワールが心配そうに佇んでいる。


ミュウツーの頭部から長く垂れたシーツが、足首のあたりでかすかに揺れた。

そのために、隠したいはずの白い手足がわずかに見え隠れしている。

人間から外見を隠すために全身を覆っているのに、不思議と堂々としている。

まるで、ミュウツー自身がおぼろげに光を放っているかのようだ。

見慣れた姿だ。


その姿に、ダゲキは息をするのも忘れて見とれていた。
241 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:06:52.19 ID:LI7cZ/eGO




ヨノワールは、遅れて戻ったダゲキを静かに観察していた。

様子のおかしい彼のことが、どうにも気がかりだったからだ。

当のダゲキは、戸惑った表情でおとなしく引き摺られている。

一方、彼の手を引いて帰ってきたアロエは少し困ったような笑顔だ。

ダゲキはヨノワールたちに気づくと、緊張した面持ちで何かに釘付けになった。


ミュウツー『大丈夫か』


声が目の後ろあたりを突き抜けていく。

聞き慣れたミュウツーの、テレパシーによる声だ。


その声で我に返ったのか、ダゲキはやけに驚いた表情を見せた。

何か言いかけ、そして空いている方の手で口を塞ぐ。

うっかり“いつもと同じく”喋ってしまいかけたということらしい。

息を飲み込んで口を引き結び、黙って首を縦に振った。


ヨノワールもミュウツーを仰ぐ。

ちょうど大きく息を吐き、腰を下ろすところだった。


ミュウツー『……そうか』


ヨノワールはふたたび、いま戻ったばかりのダゲキに目を向ける。

見たところ、おかしな様子は影を潜めているようだ。

まだ寝起きのようなおぼつかなさはあるが、目つきも足取りもしっかりしている。

いつもの彼に戻りつつある。

少なくとも、ヨノワールにはそう見えた。


自分でも気づかないうちに、ヨノワールは胸を撫で下ろしていた。
242 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:09:46.26 ID:LI7cZ/eGO

ヨノワール(……わたしは……)

ヨノワール(わたしは……“よかった” と、おもった?)


友人が無事に戻ったことが無性に喜ばしい。

そう感じる自分を、ヨノワール自身も意外に思った。


ヨノワール(ダゲキさんが、もどって うれしい?)

ヨノワール(みんなが、ぶじで うれしい?)


身体の真ん中あたりがきりきりと痛む。

意味もなく自分の手を見る。

自分が何に怯えているのか自分でもわからない。


ヨノワール(『うれしい』? ……うれしい……うれしい……)


この精神状態は、誰よりもヨノワール自身が願っていたはずだ。

ならば、なぜ戸惑わなければならないのだろう。


ジュプトルがぺたぺたと彼に歩み寄っていく。

しゅるしゅると喉を鳴らしてダゲキを見上げている。

ダゲキは口元を控えめに歪め、ジュプトルの頭を撫でた。


ヨノワールもふたりに近づく。

じっとしていることに耐えられなくなっていた。

自分だけが色合いの違う場所に取り残されている。


少し驚いたようにダゲキがヨノワールを見上げた。

だが、相対しても何をどう伝えたらいいのかわからない。


“もう大丈夫なのか”。

“自分が何か悪いことをしてしまったのか”。

“だとしたら申し訳なかった”。


きっと自分はそう言いたいはずだ。

だが意に反して、ヨノワールは無為に手を泳がせることしかできない。

そんな自分を見て、ダゲキは困ったように短い首を更に縮めた。
243 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:16:02.56 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「遅くなっちゃってごめんねー」

アロエ「心配させちゃったかな」


アロエの朗らかに話す声が響き渡る。

ダゲキがそろそろとあたりを見回した。

遠慮がちにアロエを振り返り、居心地悪そうにしている。


アロエ「話はヨノワールくんから聞いてるね」

ミュウツー『ある程度は』


ミュウツーがそう答えると同時に、ヨノワールも慌てて頷く。

『自分はちゃんと伝えた』と人間に知ってほしかった。

彼女はヨノワールを見上げて笑顔を見せる。


アロエ「ちゃんと伝えてくれたんだね、ありがとう」

アロエ「ま、じゃあそういうことで」


彼女の声は、響きこそ穏やかだがよく通る。

言外に追及を拒み、有無を言わせない力があった。


アロエ「一応、もう大丈夫みたいだから」

アロエ「『みたい』っていうか、自分ではどうなんだい?」


アロエがダゲキの顔を強引に覗き込む。

気圧されたダゲキは黙って何度も頷いた。

彼は落ち着いている。

アロエは安堵したように肩で息をした。


アロエ「それならいいんだけど」

ミュウツー『呑気なものだ』

アロエ「許してやんな」

ミュウツー『怒っているわけではない』

アロエ「心配してたんだもんね」

ミュウツー『……』

アロエ「慣れないことするって、大変だからさ」

アロエ「それはキミも知ってるでしょ」

ミュウツー『……そうだな』

アロエ「でも、辛くなったらちゃんと言うんだよ」


もう一度ダゲキの顔を覗き込んで、アロエは笑った。

ダゲキは困ったような顔で小さくまた頷く。
244 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:18:28.54 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……ああ、ええと、あの子から伝えてもらうんでもいいから」


そう言いながら、アロエはミュウツーを指し示した。

駄目押しと言わんばかりにダゲキの頭を撫でる。

そして彼女は、悠々と自身の机に戻っていった。


ミュウツー『……少しだけ話は聞いているが、本当にもう大丈夫なのか』


ダゲキは元々いた場所に腰を下ろした。

撫でられた頭をさすり、アロエの方をおっかなびっくり見上げている。


ダゲキ(……うん)


ダゲキは眩しそうにミュウツーを振り向く。

決まり悪そうに肩を竦めた。


ダゲキ(もう だいじょうぶ)

ミュウツー『……そうか』

ヨノワール(む、むり しないで ください)


ヨノワールが頭の中で声を発すると、ダゲキは少し驚いてこちらを見た。

そして何かに気づいたらしく、ミュウツーに視線を送る。

ミュウツーは本のページを捲るふりをしながら頷いた。


ミュウツー『疲れるから、中継は今しかやらないぞ』

ダゲキ(……うん、わかった)

ダゲキ(むり、してないよ)

ジュプトル(だいじょうぶ?)

ダゲキ(だいじょうぶ だってば)

ジュプトル(うへ、しゃべらないの らくちん)

ミュウツー『怠けさせるためにやってるわけじゃない』

ジュプトル(へへへ……)


大きなあくびをしながら、ジュプトルは言う。

きのみに手を伸ばそうとしているが、手元がおぼつかない。

床をごろごろ転がって眠そうにしている。
245 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:20:25.40 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが改めてヨノワールを見た。


ダゲキ(ごめんね)

ダゲキ(しんぱい させた)

ヨノワール(あやまらない で、ください)

ヨノワール(ダゲキさんは、わるく ない です)

ダゲキ(ヨノワールも、わるく ないよ)

ヨノワール(わるくない……じゃないです)

ダゲキ(なんで?)

ヨノワール(だ だって、わ、わたしが、あの ぼう……)


言葉が途切れる。

言いたいことを、どう伝えればいいかわからない。

道具は手元にあるのに、使い方がわからない。

材料は十分にあるのに、並べ方が思いつかない。

どうにも申し訳ない気持ちになって、ヨノワールは両手で顔を覆った。


ダゲキは首をかしげ、ミュウツーに話しかけた。


ダゲキ(……なんて いえば、いいの?)

ミュウツー『……“わざとじゃない”?』

ダゲキ(うん)

ダゲキ(ヨノワールは、“わざとじゃない” でしょ)

ヨノワール(え、それは はい、もちろん)

ダゲキ(じゃあ、いいよ)

ヨノワール(……ありがとう ございます)

ダゲキ(へへへ)


照れ臭そうに頭を掻き、ダゲキは身を縮める。

ジュプトルが不満そうに彼の膝を引っ掻き唸った。
246 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:22:13.84 ID:LI7cZ/eGO

ジュプトル(おーいー、まね すんなよ)

ダゲキ(まね かな)

ダゲキ(……あ、あのね)

ダゲキ(しんぱい して、くれて ありがとう)

ヨノワール(そんな……)

ミュウツー『雑談はそのくらいにしてくれ』

ミュウツー『中継があのニンゲンにばれたらどうする』

ミュウツー『いくら聞こえないといっても、怪しまれるかもしれないんだ』

ヨノワール(は、はい)

ダゲキ(……わかった)

ダゲキ(ぼく ちょっとつかれた)

ミュウツー『だろうな』

ジュプトル(ねむい)


ジュプトルがまた大口を開けてあくびをした。

それを横目に、ダゲキは赤くて丸いきのみをひとつ口に入れている。


ヨノワールは、ひとりで勝手にすっきりした気分になっていた。

自分勝手だ、と自分でも少しだけ思う。


ミュウツーが少し疲れた様子で溜め息をついた。


ミュウツー『中継は終わりだ』


それきり、互いの声は聞こえなくなった。

元々はそれが当然だったはずなのに、急に物寂しい。

どうにも落ち着かず、ヨノワールはそわそわしていた。

ミュウツーも手元の本に目を落としている。

ダゲキもジュプトルも、何食わぬ顔で座っている。

特に不安を覚えているようなそぶりはない。

ヨノワールには、それがどうにも不思議だった。


今まで聞こえていたものが聞こえなくなったら、不安にならないのだろうか。

自分を取り巻く世界が突如として変質してしまった焦りは感じないのだろうか。

自分だけが異質な存在になったような、取り残される苦しさはないのだろうか。
247 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:24:11.04 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが近くにあった本を手に取り、開いた。

眠そうなジュプトルが横からやる気なく覗き込む。

どんな本なのか、ここからでは見えない。

ダゲキは本を開いたまま右手を握ったり、指を伸ばしたりしている。

中身を真似ているのか、本と首っぴきで手を動かし始めた。

ジュプトルが何度目かの大きなあくびをする。


しかたなく、ヨノワールは手近な書架に近づいて背表紙を眺めた。

見知った文字はあるが、どれも見覚えのある図形でしかない。

意味はちっともわからない。

もっとあの人の仕事に興味を持っておけばよかった、とヨノワールは後悔した。

そうすれば、今頃はこの背表紙くらい理解できたに違いない。

あの人が残したものも、独力で読み解けたに違いないのだ。


ぐるりと書架に背を向け、そっと腰を下ろした。

この位置ならば室内の全員が見渡せた。


ミュウツーがアロエに顔を向けた。

つられてヨノワールもアロエを見る。

自分に注目が集まっていることに気づいたか、アロエが顔を上げた。


アロエ「?」

ミュウツー『そろそろ帰ろうと思う』

アロエ「そう? もっとゆっくりしてってもいいのに」


そう言いながら、壁の大きな時計を見る。

かすかに眉間に皺を寄せ、彼女は残念そうに笑った。


アロエ「……ああ、もうこんな時間か、そうだね」

アロエ「キミたちもいいかげん疲れただろうし」

ミュウツー『特にこいつらはな』
248 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:29:25.95 ID:LI7cZ/eGO

アロエは小さな声で笑った。


アロエ「キミだって」

ミュウツー『私は、別に』

アロエ「ま、無理はしない方がいいからね」

アロエ「じゃあ今日のところは、これでお開きにするか」

アロエ「またこうやって来てくれるんだろ?」


ミュウツーは視線を下げ、返答に詰まった。

アロエは不思議そうに小首を傾げる。

嫌な空白の時間があって、ミュウツーはゆっくり首をもたげた。


ミュウツー『……そうだな』


ヨノワールはミュウツーをじっと見つめる。

今の動作に、言い表しにくい違和感があった。

悪い予感が這い上がり、背中をざわざわと逆撫でする。

友人たちはその視線に気づいてもいない。

あの人間の女もきっと同じだろう。


ミュウツー『なんだ』


視線に気づいたミュウツーがヨノワールを睨みつけた。

ヨノワールは慌てて首を横に振る。

恐る恐る顔を戻すと、ミュウツーの視線はもう膝の上の本に向いていた。


ほっと息をつくが、予感は背中にべったりと張りついて拭えない。

アロエはどこか腑に落ちない顔で肩を竦めた。

いつの間にか、ダゲキとジュプトルがこちらを見ている。


ぬるい霧雨の如き悪寒に怯えているのは、自分だけなのか。

高揚感と不安が拮抗している。

ヨノワールは、どうにも胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
249 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/09/12(火) 00:32:27.42 ID:LI7cZ/eGO
今日はここまで

事情があってサブノートからブラウザで投稿し始めたんだけど
レス1つ投稿するごとに物凄く時間かかって驚いた
慌ててJane入れたっす

まあいっか

次回はまた未定です
いつもレスと保守本当にありがとうございます
おやすみなさい
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 01:17:55.60 ID:PGxoMaJg0
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/12(火) 01:51:21.21 ID:55RmWqRC0
おつおつ
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 04:30:36.90 ID:Bav4t3Xko
この微笑ましいのとドキドキするのが波状でくる感じが相変わらず
乙ー
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 05:56:32.69 ID:Pitan6rmo
乙です
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/10/07(土) 02:44:56.73 ID:GVnD7boDO
保守
255 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/10/12(木) 23:06:40.73 ID:xWzerkTuO
保守
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/10/13(金) 21:10:14.85 ID:z3n+B54j0
保守乙
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 00:52:51.34 ID:CXFxsGcNo
258 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/11/14(火) 21:35:38.89 ID:Nfi1COgMO
(保守…やばいな…)
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/15(水) 07:55:09.63 ID:0+XFa7tR0
制限あるんだっけか…
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/10(日) 02:05:08.34 ID:dgz57lpmo
261 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/12/15(金) 00:18:03.90 ID:cuM9FlSYO

ゲーチスは、不意に思い立ってモニタから目を離し、自分の右手を見た。

見慣れたはずの自分の手だ。

その点において間違いはないのに、強烈な違和感がある。


ゲーチス(これは……いったい誰の手だ)


心の中で、ゲーチスは無意識に自問していた。

答えはわかりきっている。

荒唐無稽な妄想が浮かぶ。


いつの間にか、自分の腕は切り落とされていたとしよう。

そしてかわりに別の誰かの腕が継ぎはぎされたのだ。

腕は独自に自我を持ち、宿主であるゲーチスをじっと見ている。

入れ替わる隙を静かに窺っている。


ゲーチス(……子供騙しの空想だ)


自分でそう断じるわりに、根拠薄弱な“子供騙しの空想”は頭を離れない。

あり得ないことだとわかっているのに。

誰かが自分の内側から見ているイメージを、どうしても払拭できない。


ゲーチスは座り心地のいい椅子を軋ませた。

肘掛けから右手を持ち上げてモニタに翳し、しげしげと眺める。

手の甲、掌、と不審そうに手首を捻る。

見た限り、おかしなところはない。

次にその右手で、握っては開くを繰り返す。

いつも通り、思ったように動く。


痛みも、それ以外の自覚症状もない。

少しだけ腕を持ち上げると、外套が滑り落ちた。

ずれた外套を肘までたくし上げ、前腕を露出させてみる。

薄暗い部屋の中でモニタが冷たく光っていた。

その青白い光のせいで、右腕はまるで死人のようだ。
262 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/12/15(金) 00:20:47.26 ID:cuM9FlSYO

ふと気づく。


なぜ私の右腕は、今この瞬間、なんの問題もなく動いているのだろう。

いや、それはそもそも疑問に思うべき部分だったろうか。


ゲーチスは視線を上げる。

そこには、オフィスチェアに浅く座り、訝しげにこちらを見るアクロマがいた。

心配や気遣いではなく、戸惑いや不安が強い表情だ。


アクロマの座る椅子が耳障りな音をたてる。

彼の顔もまたモニタのせいか亡霊か幽鬼のようだ。

いや、もともとあまり血色のいい『たち』ではなかったかもしれない。


ゲーチス「なんでしょう」

アクロマ「聞いていましたか」

ゲーチス「失礼、考えごとをしていました」

アクロマ「……そうですか」

アクロマ「『彼女』はどうしていますか、とお訊ねしたのです」


アクロマは溜め息をつきながら答えた。

ああ、と息を吐いてゲーチスは目を閉じる。


ゲーチス「彼女は……今、休んでいるはずです」

ゲーチス「とても協力的で助かっていますよ」

アクロマ「私も何度か話をしました」

ゲーチス「老いぼれより、よほど目的と手段というものをよく理解している」

アクロマ「……しかし、なにが彼女をそこまで駆り立てるのでしょう」

ゲーチス「好奇心……憧憬……それから、反発心と独占欲といったところでしょうか」

ゲーチス「げに恐しきは、いつの世も女の執念です」

ゲーチス「……愚かなことだ、あそこで掴まなければ……」

アクロマ「? なんの話ですか」

ゲーチス「……」

アクロマ「どうかしましたか」

ゲーチス「いえ……」
263 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:24:29.13 ID:cuM9FlSYO

怪訝な表情でアクロマがこちらを見た。


ゲーチス「ご心配には及びませんよ」


最大限に慇懃無礼な答えを投げ、ゲーチスは口を歪める。

アクロマはその返答に少し気分を害したようだ。


アクロマ「……先日から、少し様子がおかしいですよ」

ゲーチス「なんの様子ですか」

アクロマ「あなたのです」


椅子をゲーチスの方へくるりと回転させて、膝に手を置く。

さっさと続きを言えばいいのに、彼はなかなか口と開こうとしなかった。


すっかり飽きたゲーチスはアクロマから目を背け、再び自分の腕を眺めた。


ゲーチス(……?)


自身の腕に、不穏な痣を見たように思った。

まるで、赤く脚のない縄状の生き物が絡みついた跡だ。

こんなに目立つ痣が、今まで腕にあっただろうか。

そう思ってまばたきすると、痣はすっかりなくなっていた。

いや、そんな痣など、はじめからなかったのだ。


ゲーチス「そうですか」

アクロマ「……」

アクロマ「ええ、間違いなくおかしい」


彼にしては珍しく言葉の端々に嫌味が込められている。

それも当然だろう、とゲーチスは内心、笑っていた。


アクロマ「わたくしはこれでも、あなたを以前から知っています」

アクロマ「知っていた……つもりです」

アクロマ「ですが」

アクロマ「最近のあなたは……どうにも普通ではない」

ゲーチス「どこが普通ではないのでしょう」

アクロマ「うまく説明はできませんが……」
264 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:27:45.97 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「あなたの計画の趣旨に、微妙な変化が見られるように思います」

アクロマ「以前のあなたが説明してくれたものと、もちろん骨子は同じです」

アクロマ「ですが、違う」

ゲーチス「どんなふうに?」

アクロマ「そうですね……たとえるなら」

アクロマ「別の人間が、別の真意をもって、一見同じ計画を作ったとでもいうような」

ゲーチス「なるほど」

ゲーチス「たしかに、そうかもしれません」

ゲーチス「あなたの指摘は、ある面で本質を突いている」


そう言いながらゲーチスは、わざとらしいしぐさで肩を竦めた。


ゲーチス「もはや、違う人間が作った同一の計画なのですよ」


アクロマが理解できないという顔で眉を顰めた。

それも当然だ、とゲーチスはひとりで笑う。


ゲーチス「ですがあなたにとって、それがどうしたというのです」

ゲーチス「あなたの進める研究に、どんな支障が出ますか」

アクロマ「それは……」

ゲーチス「私は、あなたに興味深い研究の場を、今も変わらず提供しています」

ゲーチス「そしてあなたは、念願の研究に精を出すことができる」

ゲーチス「わたくしは、そのおかげで、わたくしの計画をより強固に達成することができる」

ゲーチス「なんら問題ないではありませんか」


彼がわかりやすく言葉に詰まっていた。

表情を見ずとも、アクロマが戸惑っているのは手に取るようにわかる。

両手を擦り合わせる音が聞こえている。

彼もまた、何かに苛立っているのだ。
265 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:31:08.59 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「たしかに……支障は、なにもないです」

アクロマ「計画の趣旨に変化があっても、計画の中身に変更はないわけですから」

アクロマ「悪意ある言い方をすれば……」

アクロマ「『“彼”に知られなければ、何をしてもいい』わけで」

アクロマ「むしろ、これまでより制限は少なくなっています」

アクロマ「『より強力な手札』が目的に加わることで……」

アクロマ「いや『手札』どころの話ではありません」

アクロマ「手に入れれば、あるいはあれだけであなたの本当の目的は達成できるかもしれない」

アクロマ「世界征服など赤子の手を捻るようなものだ」


独り言のように呟き続けている。

さきほどまでと打って変わって、アクロマは力なく俯いていた。

その姿は、罪を告白し懺悔する罪人にも見える。


ゲーチス「だが、赤子の手を捻るには……」

ゲーチス「小煩い母親を退けなければならない」

アクロマ「……そうですね」

ゲーチス「どの程度の成果がありましたか」


アクロマは、はっとして顔を上げた。

そわそわしながら眼鏡に触れ、怯えのような視線をゲーチスに向ける。

落ち着きに欠けた彼の姿は、ゲーチスにとって実に滑稽だった。

アクロマは素早くモニタに向き直った。


無駄のない動きで何かを操作し、ゲーチスに目で合図を送る。

その動きを認めると、ゲーチスも視線を大きなモニタへと向けた。


アクロマ「成果……そうですね、目覚ましい成果が上がっています」

アクロマ「あなたの部下が手に入れてきてくれたもののおかげです」


画面には、すでにどこかの暗い部屋が映っている。

見知った研究室だった。

白衣を着込んだ研究員たちが、 せわしなくうろうろしている。
266 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:35:05.32 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「強化案の方は、今の時点でお見せするものはありません」

アクロマ「こちらで進めていたもののひとつとアプローチは同じですし」

アクロマ「遠からず解析が終了します」

アクロマ「そののち、試験を経て装甲に組込む手筈になっています」

ゲーチス「それは結構です」


彼らは手元と円筒形の水槽を交互に見ては、紙になにか書きつけていた。

水槽は彼ら自身よりずっと大きい。

通信のためのものではないため、音声は遠い幻聴のようにしか聞こえない。


画質もあまりよくない。

水槽の中に何が、あるいは誰がいるのかよく見えない。

かろうじて、大きな何者かが入っているとわかる程度だ。

青白い光に照らされ、まるで悪趣味なインテリアだった。


アクロマ「見えますね?」

ゲーチス「ええ、なかなかの眺めです」

アクロマ「順調ですよ、『いっそ腹立たしいほど』」

ゲーチス「あなたにしては感情的ですね」

アクロマ「……私が言ったことではありませんから」


そうだろうとゲーチスも思っている。

アクロマはゲーチスを見て、ぎょっとしたように目を見開いていた。


アクロマ「……」

アクロマ「もっとも、心情的には十分に理解できますが」

アクロマ「実際、わたくしが『彼』の立場だったら、同じように感じない保証はありません」

アクロマ「いい意味で想定を遥かに上回っていましたから」

ゲーチス「よいことです」


そう話を切り上げると、ゲーチスは再びモニタを見上げる。

アクロマもまた意識を本題へと振り戻したいらしく、手元の資料に目を落とした。
267 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:38:23.61 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「本実験開始から、途中での脱落個体はいません」

ゲーチス「ええ」

アクロマ「今回、あなたの提案で選ばれた実験体が採用されました」

アクロマ「残念ながら現在、あちらのプロジェクトは新規個体を発生させる予定でないらしく」

アクロマ「これら三体の実験体のみで新規に実験を開始しています」

ゲーチス「彼らは、あくまでオリジナルの復元を目的としています」

ゲーチス「それが安定すれば、大砲のひとつも背負わせたりするのでしょうが」

ゲーチス「現状、彼らのプロジェクトは彼らに任せておきましょう」


話しながら操作を続けているらしく、アクロマの言葉に連動してモニタの表示が変わった。

三本のシリンダーに、それぞれ小さな肉塊が浮いている。


アクロマ「発生当初の映像です」

アクロマ「ここから、資料と大きな違いなく発生、細胞分裂を繰り返し成長しました」

アクロマ「対照実験も同時並行しましたが、そちらはどれも発生せずじまいです」

アクロマ「条件の違いは例のDNA一点のみです」

ゲーチス「やはりそうですか」

アクロマ「現在では第一、第二、第三いずれの実験体も非常に安定しています」

アクロマ「物理的にも、情緒的にもです」

アクロマ「外見に奇異な共通点がありますが、解剖学上の問題はないとの報告を受けています」

アクロマ「成長もやや速い程度で想定の範囲内、問題ありません」

アクロマ「我々が与えたあらゆる外部刺激に対し、正常な反応を示しました」

アクロマ「予想より早い段階で、トレーナーと共にある程度の育成を経た個体と同等の理解を見せました」

アクロマ「通常の個体と同様、我々の指示を理解しています」


小さな操作音とともに、映像は数日前の実験風景に切り換わった。

水槽の中で巨躯を揺らす姿が浮かび上がる。

手前に立つ白衣の人間が何かを言う。

水槽に浮かぶ巨大な影は、白衣の人間が出す命令に従って身体の向きを変えている。
268 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:43:00.31 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「外へ出した場合、どのくらい動けますか」

アクロマ「まだ水槽から出したことすらありません」


肩を竦めるアクロマは、少し忌々しげにすら見えた。


アクロマ「本格的な稼動試験は調整しているところです」

アクロマ「不安材料もないわけではありませんが、深刻ではありません」

アクロマ「これまで、前身プロジェクトが苦労してきた部分をほぼ、難なくクリアしています」

ゲーチス「では現状で一番、懸念されることはなんでしょう」

アクロマ「稼動試験の結果、そして『出所のはっきりしない要素』の副作用、でしょうか」

ゲーチス「おや、この上なく情報源ははっきりしているように思いますが」

ゲーチス「少なくとも、私とあなたにとっては」

アクロマ「……まるで神秘の霊薬だ」


ゲーチスは馬鹿にしたように首を振る。

『出所』を知ってなお不安を拭えない彼を、心から憐れんでいだ。


『霊薬』の正体を知っているのは、ゲーチスとアクロマを除けば、いないも同然だった。

以前も口を出してきた『横槍』が、また計画を妨害してきては困る。

『誰が知っているのか』というアクロマの問いに、ゲーチスはそう言って笑った。


ゲーチス「……まあ、あなた以外のプロジェクト参加者は、知りませんからね」

アクロマ「あちらのプロジェクトリーダーにもアドバイザーとして参加してもらっているのですが」

アクロマ「薄々ですが、彼は察しているようです」

ゲーチス「彼もまた、あなたほどではないにせよ、十分に優秀な研究者だということです」

ゲーチス「科学者の勘とやらが働くのかもしれませんね」

アクロマ「……そういうものでしょうか」


ゲーチスとしては褒めているつもりだった。

もっとも、アクロマから喜んでいる気配は微塵も感じられない。
269 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:44:28.93 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「いずれにせよ、みごとな成果です」

ゲーチス「私は十分に満足していますよ」

アクロマ「ごく少量の遺伝情報の有無でここまで違いが出るとは」

ゲーチス「あなたがたプロジェクト参加者の手腕も、むろん評価されて然るべきです」

アクロマ「……ありがとうございます」

ゲーチス「とはいえここまで計画した通りになるとは、少々驚きなのですよ」

ゲーチス「そう簡単に逸脱させてはもらえないということなのでしょうね」

アクロマ「逸脱? あなたはなんの……」


ガタンと立ち上がり、アクロマはゲーチスを見つめた。


アクロマ「まさか、こうなることがわかっていたのですか?」


両手が所在なく空を掴み、椅子が惰性で静かに回っている。

アクロマは、苦しげに口を開いた。


アクロマ「これほどうまくいくことが、はじめからわかっていたと?」


こちらを見るアクロマの目は、不審と驚きで満ちている。

ゲーチスは彼から視線を逸らし、自分の右手を眺めた。


ゲーチス「それは買い被りすぎかもしれませんよ」

ゲーチス「わかっていた……というより、そういうものなのです」

ゲーチス「いずれ、あなたにお話しできる日も来るでしょう」

ゲーチス「その日もそう遠くないと『予想』しますよ」

アクロマ「……ますます、あなたの考えていることがわかりません」

ゲーチス「それでも問題はないのでしょう?」

アクロマ「ええ」
270 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:47:44.65 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「ですが」

アクロマ「……ですが思い返してみれば、あなたの言動はそうと言わんばかりだ」

ゲーチス「……」

アクロマ「実験で採用する種類の選定も、あなたの希望……いや、あれは命令も同然だった」

アクロマ「それがそのまま採用された」

アクロマ「当然です」

アクロマ「あなたが言えば、誰も反対はしないでしょう」

ゲーチス「そうかもしれません」

アクロマ「……なぜ、彼らを候補に挙げたのですか」


アクロマがわずかに声を荒らげた。


アクロマ「なぜ、あの三匹なのですか」


きっと彼は恐れているのだ。

自分のあずかり知らぬところで、自分に計り知れない理屈が動いている。

科学者としては好奇心が勝つか、恐怖が勝つかの瀬戸際なのだろうか。


アクロマ「なぜ……」

ゲーチス「簡単な話です」

ゲーチス「もっとも効果的な顔ぶれなのですよ」

ゲーチス「奴の心をへし折るのにね」
271 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:53:25.13 ID:cuM9FlSYO
今回は以上だす

DSJが思いの外進まなくてまだUSUM開けてないんですよね
ジードももうすぐ最終回だし…あっという間に年末になっちゃうし

ではまたらいげ…らいね…来年っすかね…
おやすみなさい
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 01:04:48.25 ID:tZD3uVcD0
乙!! 生きてて良かった、良いお年を
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 18:26:28.66 ID:WSerl3NU0
乙です
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 06:04:57.59 ID:mURvZeCJ0
おつ
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 13:15:10.67 ID:i3MTF00l0
おお、不穏不穏

そろそろ鬼も笑わない時期ですなー
乙です
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/12(金) 00:02:37.21 ID:e8DkKaFdo
277 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/01/28(日) 17:20:36.35 ID:MxCc5nTxO
(明けましておめでとうございました)
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/29(月) 11:59:52.09 ID:jE9JrBat0
(ことよろ)
279 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/06(火) 23:58:22.16 ID:lFQ6Uf7qO

ふわっ、と周囲の風が渦巻いて、頭から生えた葉がばたばたと揺れた。

ジュプトルはそっと目を開ける。

博物館を発ってずっと目を閉じていたからか、視界は黒くゆるんでいる。

すぐにじわっと焦点が合っていく。

それでも世界はまだ薄暗い。


いつのまにか、ずいぶん低いところまで降りてきたようだ。

真っ黒に茂る葉は頭上にあり、その隙間から星と月が見えている。

白っぽく沈む木々の幹が目と同じ高さにあった。

いくらか見慣れた景色に、ジュプトルは胸を撫で下ろした。


ジュプトル(やっと かえって きたんだ)

ジュプトル(……やっぱり、たかいとこ こわいなあ)

ジュプトル(みんな なんで、へいき なんだろう)


あの高度からの景色は、思い出すだけでも少し足が竦む。

なぜか往路よりかなり高いところを飛んできたのだ。

いつも跳び回っているはずの木々が、一枚の黒い絨毯のように見えた。

飛び移る枝も岩場もない。

空を飛べる友人の背中にしがみつかなければ、来ることもできなかった。


そこからの光景を自分の目で見ていたことが今も不思議でならない。

たちの悪い夢から覚めた時の、あのなんともいえない気分に似ている。

肌触りは妙にいいのに、不愉快で恐ろしくて、嫌な汗をかく夢。


間もなく、ミュウツーが無言でゆっくり着地した。

渦巻いた風が空気の球になり、それに包まれて地面に降り立ったような感じだ。


目を細めて下を向くと、地面に触れた友人の足先が見えた。

その足を中心に、丸く草が押しのけられて激しく揺れている。

目に見えない球が草を押し退けているのだ、とジュプトルは理解した。
280 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:00:40.66 ID:Esng2uEHO

ふっ、と空気の壁が消えた『感じ』がした。

同時に風が止み、頭の葉も無抵抗に垂れ下がる。

こんな妙な感触を、友人は飛ぶたびに味わっているのかと思うと、心臓が縮む。


見上げると、刺さりそうなほど細い月が黒い空に浮いている。

まだ夜は明けないらしい。


少し遅れて、ヨノワールが近くに降り立った。

といっても足はないので、少し浮いたところで止まっているのだが。

その背中には、岩に生えた苔のようにダゲキがしがみついている。

丸い後頭部がきょろきょろと不安そうに動いているのが見えた。

そして足元を見回し、転げるようにして背中から降りる。

なんとか着地はうまくいったようだが、傍目には落っこちたようにしか見えない。

地面に降りてからも、まだ少しよろよろしている。

彼も自分と同じで高所は不得手ということなのだろう。


そう思うと不思議と安心感が芽生えたので、自分も飛び降りることにした。

少なくとも自分なら、あんな風に無様なことにはならないはずだ。

そう思って、ミュウツーのマントから慣れた動きで跳躍してみせる。


ジュプトル「あっ」


ところがどういうわけか、ジュプトルは顔から着地していた。

思いきり擦った顎が痛い。

あっという間に、みんなの視線が自分に集まった。


ジュプトル「……」

ダゲキ「だいじょうぶ?」


自分でもよくわからない。

ジャンプするときに足がもつれたような気がする。

いつもなら、軽々と降りられるはずの高さなのに。
281 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:02:41.64 ID:Esng2uEHO

ヨノワール「だ、だいじょうぶ ですか?」

ジュプトル「うん……、だいじょうぶ だけど」


顎をさすりながら、ジュプトルはふらふらと立ち上がった。

足元がやたらと不安定に思えてならない。


ジュプトル「し、しっぱい しちゃった」

ジュプトル「あし ぶるぶるする」

ダゲキ「ぼくも あるくの たいへん」

ダゲキ「ふらふら するね」

ジュプトル「うん」

ミュウツー『慣れないことをしたから疲れたんだ』


つまらなさそうに言いながら、ミュウツーは友人たちをゆっくり振り返った。

頭に突き刺さるその声は、なんだかそっけない。

ジュプトルはぐいと背筋を伸ばして声の主を見上げた。


ジュプトル「みゅ、ミュウツーは だいじょうぶ なの?」


口にしたあとで、思いがけず恥ずかしいことを言ってしまったような気になる。

背中がちょっとだけ熱い。


ミュウツー『……私も疲れた』

ジュプトル「そ、そう……ごめん」

ミュウツー『いや、いい』

ダゲキ「きょうは ありがとう」

ヨノワール「た、たのしかったです」

ミュウツー『それならいいんだ』


ふたりも少し首をかしげながら応じた。


何も問題は起こっていないのに、なにか張り詰めている。

背筋をそっと引っ掻かれたような、はっきりしない緊張感。

様子を窺うときの卑屈な気持ち。

どれも、ほんの少しだけ居心地を悪くする。
282 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:05:43.58 ID:Esng2uEHO

ミュウツーがほっとしたように肩の力を抜いた。


ダゲキ「どうかしたの?」

ミュウツー『いいや、なんでもない』


ミュウツーは首を振って空を仰いだ。


ミュウツー『私は寝る』


つむじかぜが起こり、その身体は真っ直ぐに浮き上がっていく。

誰も口を開かないまま、小さくなっていく黒い影を見送るしかなかった。


少しして、ダゲキが小さく溜め息をつく音がやけに大きく聞こえた。

あたりは静まり返り、急に肩身が狭くなったように感じる。


思わずダゲキやヨノワールと顔を見合わせた。

せっかくの夜は、最後の最後で妙に萎縮して終わってしまった。


ジュプトル「あいつ どうしたのかな」

ダゲキ「……へん だよ」


怒ったような口ぶりでダゲキが零した。

目が慣れてきたらしく、険しい表情を浮かべているのがなんとなく見える。


ジュプトル「もしかして、すごく つかれたのかな」

ジュプトル「おれたちが ついていったから」

ジュプトル「……あと、なにか、いけないこと したかな」

ヨノワール「ちがうと おもいます」

ヨノワール「でも、わからないです」

ヨノワール「わたしたちと、ちがうこと かんがえてると おもいます」

ジュプトル「ちがうこと?」

ジュプトル「なんのこと かんがえてるの?」

ヨノワール「わ、わからないです」

ダゲキ「……なんでだろう」
283 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:08:00.96 ID:Esng2uEHO

珍しくダゲキが苛立ちの滲む声を上げた。

彼が会話を遮るような物言いをすることは珍しい。


ダゲキ「……どうして、なにも いってくれないんだろう」

ダゲキ「ミュウツーは なにも いわなかったよ」


彼と目が合った。

暗くてわかりづらいが、眉間に皺を寄せている。

ダゲキが下を向く。


ジュプトル「おれは、おこってるんだと おもってた」

ダゲキ「……おこってない……と おもう」

ダゲキ「ぼくたちより、ずっと たくさん しってるから」

ダゲキ「ぼくの しらないことも、たくさん しってるから」

ダゲキ「だ、だから、たくさん たくさん、かんがえてる」


困惑しているのか、ヨノワールが低く唸った。

赤い目はうっすらと光を放ちながら、うっすらと翳っている。

彼が口にしたことを吟味しているようだ。


そのうち、ヨノワールは目を少し見開いて、ぶうんと呻いた。


ヨノワール「おもいだした」

ヨノワール「わたしたちには わからない はなし、してました」

ヨノワール「たぶん、あのニンゲンのひとと」


ダゲキは、はっとしてヨノワールを見た。


ダゲキ「……『これは、わたしの イシだ』」

ダゲキ「『いまなら まだ まにあうかもしれない からだ』」


なかば譫言のようにダゲキが呟いた。

ジュプトルは鼻を鳴らして首を振る。
284 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:16:09.35 ID:Esng2uEHO

ジュプトル「よく わからない」

ジュプトル「なにを きめたんだろ」

ヨノワール「きめた?」

ジュプトル「『きめたことは ソンチョウ してあげろ』」

ジュプトル「……って、ニンゲンが いった」

ダゲキ「ソンチョウ……」

ジュプトル「たぶん、いま ダゲキが いったこと」

ジュプトル「わかんないけど」

ダゲキ「しらない ことば、だけど、ちょっと……わかる」

ヨノワール「……まさか」


ざざっ、と、何者かが枝から枝へ飛び移る音がした。

ジュプトルたちは一斉に空を見上げる。

そういえば、だいぶ明るい。

どうりで眠いはずだ。

互いの顔も表情まで読み取れるようになっていた。

太陽がいつも昇る方角が黄色っぽく光を放っている。


ヨノワール「もう、あさに なっちゃいますね」

ダゲキ「……うん」

ジュプトル「……ねむいけど、いまから ねむれるかなあ」

ダゲキ「ねないと、ぐあい わるくなるよ」

ジュプトル「そうだなあ」

ジュプトル「でも、まだ へいきだよ」

ヨノワール「……」

ダゲキ「……あのさ」


助けを求めるような目でダゲキがジュプトルを見、ヨノワールを見る。


ダゲキ「もし、ミュウツーが もりを でるって、いったら」

ダゲキ「ぼくたちは どうすればいい?」
285 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:20:38.55 ID:Esng2uEHO
ギリギリで2月6日を過ぎちった…まあ投稿開始は間に合ったから許して…
今回はここまで

今年も宜しくお願いいたします

ちょっと忙しくて身動きが取れなかったけど、先週やっとウルトラサンを始めたよ
序盤からけっこう変更入ってて新鮮な気持ちでやってるっす

では、おやすみなさい
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/07(水) 00:30:49.16 ID:ab6rvwgco
おつおつ
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/08(木) 07:42:16.99 ID:7q9HSUR+0
また緊張感があるなあ…

乙おやすー
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/02/10(土) 18:41:03.21 ID:RlD/R1yQ0
おつ
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/12(月) 01:14:22.97 ID:+S8gatdJo
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/03(火) 00:41:21.90 ID:kI9w4PSJo
291 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:29:22.15 ID:pdxvH6grO


重い羽毛布団のような暖気に、意識も飛びかける昼下がりのことだった。

昼食はすませたがまだ休憩は残っている、という中途半端な時間帯。

レンジャーの若者は、今にも眠気に負けそうになっていた。

どちらかというと気絶に近いかもしれない。

やや軋む椅子の背もたれに身体を預け、ぼうっとしていた。


すると、こつんこつん、と硬そうな音が聞こえた。

あともう少し意識が遠のいていたら聞き逃してしまいそうな、かすかな音だ。

レンジャーはぎくりと顔を上げ、息を潜めた。

誰かが扉か壁をノックしたことを理解したからだ。


息を呑み、次の音を待つ。

そうしている間にも、頭だけはどんどん覚醒していった。

いったい、こんな時分に誰がヤグルマの森のレンジャー詰所を訪れるというのだ。


こつん、と今度は少し弱々しい音がする。

反応がないから不安になっている、ということなのだろうか。


レンジャー「は、はーい……?」


音がやむ。

まだ動かずに様子を窺う。

緊張のせいか首の皮が痛い。


きゃきゃきゃ、と硬い床板を蹴る音が足元を通じて伝わってきた。

体重の軽い何者かが、忍び足で遠ざかっていく振動に聞こえる。

少し離れたところでごしょごしょと誰かが囁き合う声。


レンジャー(……??)


このまま出てこないと思われてしまうのも不本意だ。

爪先立ちでドアに近寄り、音をさせないようにノブを捻った。

だが努力も虚しく、年季の入った木製のドアはけたたましい鳴き声を発して開いた。
292 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:32:38.48 ID:pdxvH6grO

日光が視界を灼く。

風景が少し揺らめいている気すらした。

目が慣れるに従って、足元に小さな影が佇んでいることが認識できた。


レンジャー「わ、お前かぁ……びっくりさせるなよー」


安堵の溜息をつきながらレンジャーはドアの外へと這い出した。

見覚えのあるコマタナが大きな目を見開いて、自分を見上げている。


コマタナ「ゔ!」


小さなコマタナは、両手を振り上げて自身をアピールした。


レンジャー「うんわかったわかった」


手で自分の顔を拭い、深呼吸する。

レンジャーは屈み、コマタナの目の高さに視線を合わせた。

コマタナの顔を両手で包み込んで感触を確かめる。

保育士かなにかにでもなった気分だ。

コマタナはびっくりしたのか目を見開いたが、されるがままで立っている。


レンジャー「元気なのかあ?」

コマタナ「ゔ?」


警戒されていないことに安堵しながら、素早くコマタナを調べる。

相変わらず、後頭部の硬い部分には痛々しい凸凹がある。

これは、時間が経ってもきっとこのままなのだろう。

あわれな濁声に、紙切れ一枚も切れないなまくらの両手。


レンジャー「……栄養のあるもん、ちゃんと食べてるみたいだな、偉いぞ」

コマタナ「お゙、お゙……?」


見るも憐れな箇所はあるものの、ざっと調べた限りでは元気そうだ。

こうして顔を見せる気力があることにもほっとする。
293 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:35:38.27 ID:pdxvH6grO

ああ、うう、と少し耳障りな鳴き声を上げ、懸命に話しかけてきている。

当然、何を言っているのかさっぱりわからない。

今日までの『積もる話』を、懸命に教えてくれている気がした。


レンジャー「とりあえず元気みたいだなー、安心したよ」

レンジャー「……あれ、お前だけ?」


するとコマタナは喚きながら両手を振り払い、自分の後方を示した。

なまくらの指先を向け、『あっちを見ろ』と促している。


レンジャー「だよなあ、保護者同伴ってやつか」


立ち上がり、レンジャーは大きく手を振った。

数メートル離れた場所に見慣れたシルエットの持ち主がいる。

コマタナがその影に駆け寄り、彼の腰にしがみついた。


レンジャー「おーい、ダゲ……」


彼は強い日差しに目を細めることもせず、立っている。

いつものように、やはりコマタナはダゲキが連れて来たのだ。

どこか卑屈そうで表情の薄い、いつもの彼が――


レンジャー「おいなんだよ、その顔」


レンジャーはぎょっとして息を呑んだ。

ダゲキが少しだけにやにやしている。

まさかと思って瞬きしても、やはり不思議な表情を浮かべている。

笑いを噛み殺しているとか、いたずらでも目論んでいる顔だ。

もしくは、誕生日のサプライズを隠しきれない子供のような顔。


よく見ると、ダゲキのうしろにもうひとつ小振りな影がある。

もうひとり誰かがいるのだ。


ダゲキの脛のあたりから、緑色の揺れる何か――誰かがちらっと見えた。

それが何を意味するのかを理解して、レンジャーは急に浮き足立った。
294 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:37:44.07 ID:pdxvH6grO

ダゲキが身体を少し捻って、うしろの誰かを促している。

『ほら早く出てこい』と言わんばかりの動きだ。

その動作も、どことなく砕けた親しさを感じさせた。

彼がそんなふうに、表情豊かな所作を見せたことに驚く暇もない。


『誰か』が、ダゲキの背後からおそるおそる姿を見せた。

いつかのコマタナの姿が脳裏をかすめる。


レンジャー「うわあっ」


思いがけない客に、レンジャーは思わず声を上げていた。

その声に、コマタナと緑色の影がびくりと痙攣する。


自分の心臓が爆音で波打つのを感じる。

嬉しいと思うよりも前に、レンジャーの足は勝手に動き出した。


駆け寄ってしゃがむ。

背丈はダゲキの半分ほどしかない。

もっと身体は大きくてもいいはずだ、と頭の片隅で『知識』が言う。

最後に見かけたときよりだいぶ改善されているが、いまだにちびで痩せぎすだ。

いまさら食べても、遅れを取り戻すのは大変なのだろうな、と納得する。


観念したのか、ダゲキのうしろから小さな影がそろそろと進み出た。

現れたのは小さな小さなジュプトルだった。
295 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:39:12.08 ID:pdxvH6grO





やり方は知っている。

私になら、それがいとも簡単にできることも知っている。

いずれ、やらねばならないことだと理解もしている。

もっと早く、やっておかなくてはならなかったことだとわかっている。

だが、やらなかった。

チャンスはいくらでもあったのに。

だが、できなかった。


どうして、やらなければならないのだろうか。

それが必要なことだからだ。

それがとても大事なことだからだ。

彼らを守るために。

彼らの居場所を奪わないために。

せめて彼らのささやかな幸せを駄目にしないために。
296 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:42:12.22 ID:pdxvH6grO







大声を出したせいか、ジュプトルは緊張ぎみにこちらを見上げている。

このジュプトルと初めて顔を合わせたときのことは今も忘れていない。



たしか、今日のようにダゲキに引き摺られてやってきたのだ。

当時のジュプトルは今より更に痩せこけていた。

進化して間もないようだったが、それにしては状態が悪かった。


彼らは栄養状態の善し悪しが皮膚より葉に出るから、そこを診る。

頭や尾の葉は色褪せて艶がなく、絵に描いたような栄養失調だった。


体力はすっかり落ちているはずなのに、声を嗄らして威嚇する姿も印象的だった。

目は敵意にぎらぎら光り、人間への不信感や憎悪を隠そうともしない。

連れてきたダゲキに対しても態度はあまり変わらない。

擦れた声で喚き散らし、爪を振り回していたものだ。



ダゲキが顔に引っ掻き傷を作って姿を見せたこともある。

それもこのジュプトルにつけられた傷だったはずだ。


そのジュプトルが、今日は不思議なくらい穏やかにしている。

コマタナにしたようにそっと顔を掴んでも、今日は引っ掻いてこない。

本当は跳んで逃げ出したいのを我慢しているのかもしれないが。

ダゲキの足に爪を引っ掛け、かろうじて踏み止まっている。


相も変わらぬ貧相な姿は、何度見ても心が痛む。

それでも以前と比べればよほど肉付きもよく、色艶もいい。


レンジャー「……元気にしてたんだなあ」


そう声をかけると、返答に困ったのかダゲキを振り返った。

だがダゲキは何も言わず、黒く淡々とした目で見つめ返すだけだ。
297 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:44:10.29 ID:pdxvH6grO

助け船を得られないことがわかると、ジュプトルは諦めてこちらを見上げる。

肩を竦めるしぐさで肯定の意思を示した。

目には不安の色がまだ濃い。


レンジャー「ならいいんだけどさ」

レンジャー「それにしても、いったいどういう風の吹き回しだよ」

レンジャー「今まで、ぜんぜん来てくれなかったのに」

レンジャー「なあダゲキ」


ジュプトルの身体をあちこち調べながらダゲキに問いかける。

ダゲキは短く鳴いただけで、それ以上は何も言わなかった。

今日は黙って見守る兄貴分に徹する、といったところだろうか。


同種の個体を見たことはあるが、まるで遠近感を誤ったように小さく感じる。

この森で初めて姿を見た頃からずっとその印象のままだ。

根本的な体格の貧しさは、人間でいう欠食児童を連想させた。

一応、現時点で病気や怪我があるようには見えない。


レンジャー「何か困ってたりしないか」


改めてジュプトルの顔を見る。

ジュプトルは首を傾げ、慌てたように首を横に振った。


レンジャー「うん? そう、大丈夫なのか」

レンジャー「じゃあ……わざわざ顔を見せに来てくれたってこと?」


ジュプトルが頷く。

ダゲキを盗み見ても、特に否定する気配はなかった。


レンジャー「なんだよ、ほんとにどういう心境の変化だよ、おい」

レンジャー「ほんとにさ、びっくりしたんだから」


笑みを噛み殺しながら、レンジャーは手を掲げようとした。

ジュプトルが反射的に首を竦めて目を閉じる。
298 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:46:29.66 ID:pdxvH6grO

レンジャー「あっ、ごめん」

レンジャー「あっそうか、たしか、えっと頭、触られるのイヤだったよな」


おそるおそる首を伸ばし、ジュプトルはレンジャーを見た。

鼻柱を爪で引っ掻きながらかすかに唸っている。

ダゲキは動かない。

彼の横に立つコマタナが心配そうに鳴いた。


ジュプトルがレンジャーに視線を据えたまま俯いた。

これではまるで首を差し出しているようだ。


レンジャー「……それは」

レンジャー「え、本当にいいの?」


今度はレンジャーが困って、後方の保護者を見る。

ダゲキはやはり表情を変えない。

意を決して、レンジャーはジュプトルの頭にそっと手を乗せた。



 
299 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:49:03.20 ID:pdxvH6grO





『今日は、とても嬉しい日だった』。


ベッドに潜り込んでいたレンジャーは、この一日をそう思い返した。

神経が昂って、とても眠れそうにない。

えも言われぬ高揚感、浮ついた感じがいつまでも残っている。

気をつけないと、勝手に顔が笑い出してしまいそうだった。


ずっと音沙汰のなかったジュプトルが顔を見せてくれたのだ。

それが一向に眠れない主な理由だった。


あれからほどなくして、彼らは去っていった。

結果からいうと、ジュプトルの頭を撫でることは、ほとんどできなかった。

手が触れた瞬間、やはり跳んで擦り抜けてしまったのだ。

引っ掻かれなかっただけ御の字だとは思う。


跳躍したジュプトルは、そのままダゲキとコマタナの背後に舞い戻った。

ダゲキはそれを見て、かすかに残念そうな顔をしていた。

顔を見せに来たというよりは、それが目的だったのかもしれない。


レンジャー(どういう心境の変化なのかな)


天井を眺めて考える。

少なくとも、こちらが大きく変化したとは思えない。

彼らの方に何かしらの変化が起きた、ということなのだ。


レンジャー(……変化、ねえ……)


少しずつ記憶を辿り、遡る。

なにか、小さいかもしれないが決定的な変化があったはずなのだ。


レンジャー(最近、ダゲキが来ること自体、妙に増えてたけど)

レンジャー(関係あるのかな)
300 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:50:43.72 ID:pdxvH6grO

前回までの来訪を思い出す。

日誌にはもちろん書かないし書けないが、特筆すべき変化はあった。


レンジャー(今日はあいつがいなかったな)

レンジャー(……ああ、そうか、あいつか)


木の間からほんの少しだけ見えていた、あの姿を思い浮かべる。

鋭い木洩れ陽を受けて、白っぽい身体のごく一部がキラキラと光っていた。

全体像がしっかり見えたことはないし、無理に見てやろうという気もない。

『あいつ』自身が、あれでも身を隠そうとしていたからだ。

何かを羽織っていたような気がした。

コートや上着にしては生地の薄そうな、薄汚れた布地だったか。


レンジャー(ということは、やっぱり人間に捨てられたりしたんだろうな)

レンジャー(ああやって『上手くやれてる』ってことは)

レンジャー(気性が荒いとか、乱暴ってわけでもないんだろうけど)

レンジャー(ダゲキもあの白い奴のことは気に入ってるみたいだし)


脳裏に浮かぶ見知らぬポケモンは、頭からすっぽりローブを被っている。

その隙間から、こちらをじっと値踏みしている。


“この人間はどうだ”?

“信用するに足る人間なのか”?

“今度は”?


そんな想像をする。

期待には応えることができているのだろうか。


レンジャー(……)

レンジャー(でも、やっぱり見たことないポケモンだった)


自分とて全てのポケモンを知っているわけではない。

机に齧りついていたのも、かなり昔のことだ。

記憶も今は遠い。

とはいえ、一通りの種類は座学や研修で見てきたはずだ。

他の地方のものも、そう一般的でないものも含めて。

それでも、似通った特徴を持つ種類すら思い浮かばなかった、と思う。
301 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:53:49.76 ID:pdxvH6grO

不思議なほど馴染みのない姿だ。


レンジャー(ううーん……)


何か、妙に引っかかる。

“あいつ” のことは、なにも知らないはずだ。

けれど、どこかで見たような気もする。

まったくそのものを、ではない。

見たか、聞いたか、思い描いたか。

図鑑の中ではないし、座学の教科書の中でもない。

映像記録のたぐいでもない。

その記憶に、学術的な匂いは付随しない。

勉強で触れたわけではない、ということか。


勉強でないとすれば、もっと荒唐無稽な子供向けの本だったかもしれない。

都市伝説や、伝承や、古い昔話を読んだ時のような。


子供の頃は、そういう本を積極的に読み漁ったものだ。

世界の誕生やそれに関わった存在だとか。

それぞれの地方の伝わる伝承だとか。

どこかにいるかもしれない、謎に包まれた存在について。


もっとも、ああやって対峙した以上、伝説ではなく実在しているはずだが。

もし図鑑に載っていなかったら、そんな記憶でも手掛かりにせざるを得ないだろう。

伝説の元ネタになった種くらいは存在しているかもしれない。
302 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:54:50.50 ID:pdxvH6grO

レンジャー(あそこの図書館なら、何かしらあるかなー)


少なくとも、近縁種を絞り込んでおくことは無意味ではないはずだ。

もちろんこちらから過度に干渉する気はない。

……ないのだが。

援助を求められたとき、適切に対処するために必要になる気がした。

いつか、もしも、万が一にも求められたら、の話だ。

怪我や病気ひとつとっても、特性がおおいに関係するかもしれない。

そのときになってから調べたのでは遅い場合もある。

どこに報告するわけでもないし、むしろ報告はしない方がいいはずだ。

これまで通り、日誌には彼の存在すら触れず適当に書けばいい。


レンジャー(よし、今度の休みに調べよう)


ベッドの中で身体を伸ばす。

次になにをすればいいかはっきりすると、気分がいい。

展望が開けたような気になれる。


打算的だが、彼らが信頼してくれれば幸いだ。

あの大きなポケモンもいつかは心を開いてくれるかもしれない。

いつの日か、人間のことを許してくれるかもしれない。


こちらが誠実に接していれば。

彼らのことを第一に考えて行動すれば。

彼らの役に立てば。





 
303 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:57:04.78 ID:pdxvH6grO
今日はここまで。

保守ありがとうございます
さっきちょっとSS速報VIPが不安定になってたのでビクビクしました

USはやっと4つ目の島に到着したところです
304 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 01:15:25.04 ID:pdxvH6grO
あっ忘れてた

それではまた
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/09(月) 01:17:35.13 ID:JiKjS/h70
乙乙
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/04/09(月) 18:17:24.69 ID:+dUNnKnK0
おつ
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/09(月) 21:47:16.12 ID:gpS6ql6To
待ってた
おつおつ
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/10(火) 13:31:13.77 ID:X0mY1yuv0
いい雰囲気なのに毎度ドキドキするぜ
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/08(火) 01:09:00.37 ID:763E0+6uo
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/03(日) 04:23:52.97 ID:cmSrtH9co
311 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/03(日) 21:13:04.30 ID:H8QMEiW7O
312 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:27:42.80 ID:lH8SKUuEO

強い日差しが容赦なく注ぐ。

刺すような暑さは相変わらずで、風が吹いたくらいでは涼しくならなかった。

そんな街角をゴロゴロと重い音が進む。

シッポウシティの片隅に、痩身の男が旅行用キャリーを引く姿があった。


鼻歌を歌える程度には機嫌もいい。

だが汗は、まるで人体が発する警報のように流れつづける。

暑さには強いと自負する男だが、さすがに目は日陰を探していた。


男は被っていた白い帽子を脱ぎ、顔を扇ぐ。

その眩しさに通行人が目を細め、足早に過ぎていった。

当の本人は、周囲のそんな反応を気に留めてすらいない。

ただ景色を眺めては特徴的な街並みに感心しているだけだった。


禿頭の男(気温だけ見ればそう変わらん気もするが、カントーほど辛くないな)


ちらっ、と何かが視界の隅を駆け抜けた。

今のは何だっただろう、と男は何気なく思い返す。

何度目だろうか、どこか時代錯誤な衣装の人影だったように思う。

なにかイベントでもやっているのだろうか、とさほど気に留めなかった。


男は再び帽子を被り、ふう、と深く溜め息をつく。


禿頭の男(やはり、奴が来なかったのは少々残念だなあ)

禿頭の男(いい気分転換になると思ったんだが)


今度は丸いサングラスをずらして目を細める。

木々の遥か向こうに、今しがた渡ってきたばかりの長い長い橋があるはずだ。

それがこの地方に足を踏み入れて二つ目の橋だった。

一つ目は、下船した街にかかる赤く長い跳ね橋だった。

その跳ね橋を見るのも、この旅における目的のひとつだったのだ。


禿頭の男(あの橋、言うほどリザードンには似ていなかったな)

禿頭の男(赤いという意味では十分に赤かったが)

禿頭の男(……さて)
313 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:31:07.63 ID:lH8SKUuEO

男は立ち止まり、あたりを見回す。

美しい煉瓦造りで統一された古めかしい建造物が並んでいる。


一見したところでは、年季が入っただけの倉庫街にしか見えない。

もっとも、古さのわりにどれも整備は行き届いている。


その中のひとつに目を向ける。

出入口横には、木枠をつけた黒板が立てかけられている。

その黒板に、店名らしき文字が洒落た書体で書かれていた。

しばらく眺める。

若い女性ばかりが頻繁に出入りしている。

とても倉庫として機能しているようには見えない。

意を決して覗き込むとなんのことはない、外側は倉庫のままだが中は古着屋なのだった。


また別の『倉庫』に目を向ける。

そちらはすぐ横に広々としたウッドデッキが設置されている。

店員の格好から、どうやら喫茶店のたぐいらしい、と男は唸った。


同じように、倉庫を画廊や住宅として使っているものもあるようだ。

無骨だが洒落っ気が漂っている。

それがこの街独自の様式と化して、不思議と均衡を保っていた。


男は荷物を引きずりながら、悠々と観光を楽しんでいる。

そのうち、男は気づいた。


禿頭の男(ここからも森が見えるな)


よく考えてみれば街のほとんどの場所から鬱蒼とした木々が見えている。

広い街を、より広い森が大きく囲んでいるのだから当然かもしれない。

それを差し引いても、妙に森の存在が気にかかるのだった。


禿頭の男(かすめる程度にしか見ていないが、やはりずいぶん広いようだ)

禿頭の男(あれほど規模の大きな森なら……まあ、人間に見つからんよう棲むことも難しくはないかもしれん)

禿頭の男(本当にあの森に……なんて、まさかな)
314 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:43:50.33 ID:lH8SKUuEO

男は想像する。

森の奥深く、人間の目の届かない場所がきっとあるはずだ。

友人が『我が子』と呼んだ存在が、そこで静かに潜み暮らしているのだろうか。

自分が知っているのは、巨大なシリンダー状の装置越しに見た姿だけだ。

身体を丸め、目を閉じ、たくさんのケーブルを繋がれている。

今ではどんなふうに成長しているだろうか。


日々の食糧を手に入れることはできているだろうか。

『父親』に言わせると、そういう知恵はなにも持たなかったはずだ。

だが不思議と、飢え苦しんでいる気はしない。


寂しい思いをしてはいないだろうか。

賢い子だから、誤解さえ受けなければきっと大丈夫だ。

広い世界のどこかに、あの子を受け止めてくれる場所がきっとある。


所詮は希望的観測だ、と男はかぶりを振って足元を見た。

地面には使われなくなって久しい線路が埋もれている。

かつての活躍は想像に難くないが、すっかり街を彩る装飾の一部と化していた。

線路の末端も雑草に覆われてよく見えない。


禿頭の男(奴にはああ言ったが、別に確証があったわけではないからな)

禿頭の男(観光がてら、それらしい話が拾えれば奇跡だ、が、まずは……)


男は立ち止まり、がちゃんと音をさせてカートを止めた。

腰に手を当て、目の前に聳える大きな建物を見上げる。


禿頭の男(……さて、ジムある街に来たならば)

禿頭の男(ここはやはり、ジムリーダーらしいやりかたで挨拶をしておかねばな)

禿頭の男(改めて考えれば、まったく難儀なものだなあ、トレーナーという人種は)


男はサングラスの奥で目を細めた。

白く輝く博物館は、沈んだ色合いの街にひときわ目立つ。

そのさらに目立つ正面に、ジムであることを示すエンブレムが堂々と佇んでいるのだった。
315 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:48:16.82 ID:lH8SKUuEO






手元のノートにペンを走らせる。

ぼんやりと苛立ちながら線を引く。

何度も線を重ね、色を濃くしていく。


静かな室内ではその音も少し耳障りだ。

他の利用者は、もっと意味のある音をさせている。

たとえば文字を書くとか、ページを捲るとか。


レンジャーは不意に顔を上げた。

誰かの視線を感じたように思ったのだ。

周囲を見回しても、それらしい顔見知りもいないようだ。


レンジャーの肩書きこそあるものの、たかが下っ端に大した力はない。

一般人も同然だ。

今はユニフォームですらなく、地味な私服に身を包んでいる。

誰かにことさら視線を向けられる理由は思い浮かばなかった。

気にしすぎだろう、と自分を納得させる他ない。


そうするうち、白いノートには、特徴的なシルエットが描き出された。


レンジャー(こんな感じだったかなあ)

レンジャー(いや、もうちょっと、こう……ローブみたいに被ってたかな)

レンジャー(木の間からはよく見えなかったけど)

レンジャー(屋根の上にいたときは、少しだけ見えたよね)


ペンを投げ出し、改めて自分の描いた絵を見る。
316 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:53:11.97 ID:lH8SKUuEO

身長からの割合でいえば小さめの頭部。

その下に直立した胴体が恐らく続いている。

足がどのあたりから生えているかわからないが、二足歩行に違いない。

あんなふうに背筋を伸ばして歩行する種類はあまり多くない。

ちらっと見えただけだが、体長と同じくらいの長い尾があったように思う。

外套のように大きな布を身につけているようだ。

頭からすっぽりと被り、顔つきはわからない。

姿を人間に見られたくないのだろう。

角か耳か、頭部の左右にかすかな盛り上がりがあったような気がする。


レンジャー(よし、あんまり似てないけどそれっぽく描けたかな)

レンジャー(……はあ)


溜め息とともにノートを押し退ける。

『恐らく』、『違いない』、『思う』、『だろう』、『気がする』。

要は“なにもわからない”。

迂遠さを垣間見て、うんざりしたのだ。

何も知らないことを改めて突きつけられるのは面白くない。

もとより、手元に大した情報はないのだが。


本を抱えた誰かが、机の横を通り過ぎていった。

自分の落書きを無意識に手で隠す。

見られて困る理由は特になかったが、なんとなく憚られた。


レンジャー(ここまでわからないとは思わなかった)

レンジャー(困ったな)


彼らが助けを欲したとき、自分は何かしてやれると思っていた。

少しは何かしてやれていると思っていた。

実際にはこのざまだ。

何かしてやるための手掛かりさえ掴めない。
317 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:54:53.68 ID:lH8SKUuEO

机の上には、既に目を通し終えた図鑑が山と積まれている。

イッシュ地方は“いの一番”に調べたが、当然のように空振りだ。

有り体に言えば、ここに積まれた本のどれもが外れだった。

どの地方の図鑑にも載っていない。

似通った部分のある種類さえいない。


そうして考えていくほどに、また別の疑問が明確になっていく。

あのポケモンは、つまるところいったい何者なのだろう。

まず、もちろん人間ではない。

ではどこから来た、どういう素性のポケモンなのだろうか。

これまで深く考えることは敢えて避けてきた疑問だった。

自分と彼らの関係において、そこに踏み込むのは無用な詮索でしかないからだ。

だが今は、それこそが鍵になるような気がしていた。


少なくとも人間には未知のポケモン、ということにはなる。

ならば、なぜ人間の物を持っている。

なぜ汚れた布を頭から被り、姿を包み隠そうとする。

人間を嫌い、憎み、遠巻きに友人たちを見守るのか。

その姿勢こそ、過去に人間の介在があったことを意味するのではないのか。


……ならばなぜ?


読み終えた本の、その隣の山に目を移す。

まだほとんど手をつけていない、毛色の違う本ばかりが残されていた。

信憑性の極めて低い都市伝説や伝承、噂ばかりが載った本だ。

図鑑といえば間違いではないが、情報としての意味はあまりない。

子供向けの本もある。
318 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:56:38.34 ID:lH8SKUuEO

正直なところ、息抜きとしては優秀だった。

たとえば、さきほど目を通した本には、遺伝子改造の末、生み出されたポケモンの与太話が載っていた。


そのポケモンは極めて強いかわり、とてつもなく凶暴だとか。

ゆえに自身を生み出した研究者たちを皆殺しにして逃げたとか、なんとか。

まるで醜悪な化け物かのように挿絵が描かれている。

不気味でおどろおどろしい挿絵。

オカルト雑誌のような外連味に溢れた文章。

これでは都市伝説どころか安物のホラー映画だ。

子供を対象にした本とはいえ、いくらなんでも荒唐無稽にすぎる。


レンジャー(って言っても、もうこんなのしかないんだよな)

レンジャー(こんなのに載ってたら、それこそ幻のポケモンだし)

レンジャー(さっきのホラーっぽいのも、ちょっとあり得ないからなあ)


しかし、もう他に調べるものもない。

いい加減、頭も焦げついてきたところだ。

休憩のつもりで、山の一番上にある本へと手を伸ばす。


その瞬間。


すっかり脱力していたレンジャーの肩を、誰かが力いっぱい掴んだ。
319 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/06/10(日) 00:06:48.38 ID:Gswb9wreO
今日はここまで

感想・保守ありがとうございます
USはやっとネクロズマと1回戦闘して帰還したところで、
ゲーチスが出てくるらしいんだけどまだリーグすら辿り着けてないのである

ではおやすみなさい
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 00:44:27.23 ID:epfoB6RR0

だんだんと各陣営の動きが見え始めたのか?
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 01:45:34.68 ID:X5D9Hslwo
乙乙
わくわくしてきた
USゲーチス出るんか、リーグでやめてた
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 12:24:53.34 ID:vsY5uC43O
更新乙です
役者が揃ってきたな
323 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/07/12(木) 21:36:28.50 ID:7E2zPDnRO
保守
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/01(水) 00:33:16.82 ID:sljz0+Kro
来年の映画はミュウツーだな
保守
325 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/08/01(水) 22:19:38.20 ID:iteeJLV7O
保守ありがとございます
またミュウツーで映画やるのか…
326 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/08/22(水) 00:49:40.37 ID:1i+T9FplO
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2018/08/24(金) 18:23:57.48 ID:Uz+I2XWm0
保守
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2018/09/02(日) 05:11:26.30 ID:WYuJ8SBD0
あれ?書き込みは出来るけど専ブラからこのスレ消えてるお?
ちなスマホのBB2C
どこかに移転したのか?
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 09:48:03.47 ID:2Nsz2ui1o
復活したか
330 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/10/15(月) 21:19:39.73 ID:YHvciYdxO
>>329
復活だやったー!
ゴブスレ見ながら書いてるぜヒャッハー!!
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/17(水) 22:53:06.11 ID:BfDJqL3do
復活して良かった……
395.47 KB Speed:0.1   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)