【Another】恒一「……中村青司?」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:31:26.94 ID:qJudscWY0
「そう、中村青司。――榊原くん、聞いたことある?」

「いや……初めて聞く名前だけど。その人が、どうかしたの?」

「この家を建てた、建築家の名前なんだって」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1550680286
2 : ◆8D5B/TmzBcJD [saga]:2019/02/21(木) 01:32:48.50 ID:qJudscWY0
※「Another」本編の重大なネタバレ、及び同作者「館シリーズ」の内容に触れている箇所があります。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:33:34.65 ID:qJudscWY0


御先町に位置する人形ギャラリー兼、ぼくのクラスメイト・見崎鳴の自宅でもある<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>。
その地下室の一角に置かれた黒い円卓、その前にあるニ脚の赤い肘掛け椅子の一つに、ぼく――榊原恒一は腰掛けていた。
円卓を挟んだ向かい側の椅子には、鳴が座っている。

ここは約二週間ぶり、ということになるだろうか。
前に訪れたのは、九月も終わりに近づいたある日。
病院で検査を済ませた帰りに、ふと思い立ってここを尋ねたのだ。
その時家には鳴が一人きりで、そのまま地下に案内されて……。

――そして鳴の口から、彼女がこの夏体験したもう一人の「サカキ」にまつわる話を聞いたのだった。


それなら今回ぼくが来た理由も、その話が絡んでいるのかといえば、そうじゃない。
鳴の体験とその顛末、その事件が遺した不穏な「予兆」について、思うところが無いわけではないけれど、
事件についてぼくは完全なる部外者であるし、問題の「予兆」にしても、今は単なる「予兆」でしかない。
結局、それが現実となった時に立ち向かうしかないのだろう。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:34:21.75 ID:qJudscWY0
じゃあどうしてぼくはここにいるのか、という話になるけど……。
今は十月も中旬に入りかけた土曜日の午後、である。
ぼくや鳴が在籍する夜見山北中学校も高校受験に向けての体制を整えはじめ、多くの生徒が受験勉強に励んでいる状況だ。

もちろん、ぼくが在籍する三年三組も例外ではない。
担任代行の千曳さんの下、それぞれが目標に向かって歩き始めている。

そんな中でぼくは、どこか取り残されているような気がしていた。

来年ぼくが受験するのは、東京にある私立高校で、ぼくが去年までいた中学校とは一貫校の関係にあたる。
県外の高校を志望しているのは、ぼくだけ。
そしてぼくは、大学教授である父の影響(あけっぴろげに言ってしまえば、つまりはコネだ)で、内部進学枠扱いで受験できることになっているのだ。
かといって勉強をしなくていい理由にはならないし、今サボれば高校に入学してから苦労することは分かりきっていたから日々の勉強を怠ってはいなかったけれど、どうしても他のクラスメイトとは取り組みの姿勢に差がついてしまう。
他のみんなが、同じ志望校どうしでそれぞれ切磋琢磨している状況を考えれば、尚更だ。

それから、理由がもう一つ。
現在の三年三組は、今までぼくが過ごしてきた「三年三組」とは違ってしまっている。
その事実こそが、ぼくの足を止めていた。

これは比喩などではなく、本当にそうなのだ。
なぜならクラス全員――ぼくと鳴を除いた誰もが、"彼女"のことを憶えていないのだから。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:34:50.66 ID:qJudscWY0


今年三年三組を襲った<災厄>は、八月に行われた合宿において数多くの犠牲者を出し、ようやく終結した。
正確には、クラスに紛れ混んだ「もう一人」=<死者>の死をもって、である。
その<死者>の名は、三神怜子。
ぼくの叔母で、三組の副担任だった。
……八月までは。

<災厄>の終結と共に、その年の<死者>である彼女に関して改竄されていたあらゆる事実は修正され……。
彼女がいたことを今でも覚えているのは、その死に深く関わったぼくと鳴の二人だけだ。

他の人にしてみれば、「三神怜子」という名前は「二年前に亡くなった教師の名前」でしかない。
名前はともかく、顔まで覚えている人間は、今の三組では美術部の望月優矢と千曳さんくらいのものだろう。

そして……ぼくや鳴も、いずれは1998年における三神怜子の一切を忘れてしまうことになる。
そうなってしまえば、ぼくにとっても怜子さんは「二年前に亡くなった叔母さん」――それも小学校以来顔を合わせていない――ということに……。

もっとも本来は、それがあるべき事実だったのだ。
死んだ人間がクラスに紛れ込むなどという、この異常な<現象>が起きてさえいなければ。
だが現実として今年は<ある年>で、ぼくは生身の<死者>である怜子さんと、過ごすはずのない日々を過ごして……。

――そして今更になって、全てが元に戻ろうとしている。
怜子さんのいない、今となってはもはや偽りの1998年へと。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:35:32.91 ID:qJudscWY0
要するに、今ぼくが抱いている疎外感の原因は、このずれにあるのだろう。
そうした現状への反発で、自分が動けなくなってしまっていることは少なからず自覚している。
馬鹿げた話だけど、クラス全体で怜子さんのことを意識的に忘れようと――それこそ、いないものに――しているように思えて、理不尽な苛立ちを覚えてしまうこともあるのだ。

そうなるくらいなら、いっそぼくも怜子さんのことを忘れてしまった方がいいのかもしれない、とも思う。
それはつまり、そのうち<現象>によって遅かれ早かれそういうことになってしまうのだけど、
今のうちから現実を受け入れて、これからのこと(例えば勉強)に専念するべきではないか、ということだ。

少なくとも鳴はそうしている……ように、ぼくには見える。
もともと勉強が好きだったということもないはずだけど、最近は傍目にもよく勉強している。

鳴が受験するのは、市内のとある公立高校らしい。
決してレベルの低い高校ではないけれど、現時点での鳴の学力を考えれば、
県内だけで考えても、他のもっと偏差値が高い、いわゆる進学校だろうと十分に合格できるはずだ。
それでも市内の高校にこだわっているのは、霧果さんのことがあるからなのか、他の理由があるのか……。
いずれにせよ、机に向かっていてもどこか上の空なぼくとはえらい違いだ。

もっとも、鳴の場合は四月に亡くなった双子の妹・藤岡未咲のこともあるのだろう。
しかもそれは、有無を言わさず修正される<死者>の記憶とは違い、自分自身で折り合いをつけるしかない。
忘れてしまいたい、だけど忘れられない、そして忘れてもいけない記憶。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:36:20.89 ID:qJudscWY0
――そんなに忘れたくない? ずっと憶えていたい?

<災厄>が終わって間もない頃。
見舞いに来た鳴にそう訊かれ、ぼくははっきりと答えることができなかった。
ぼくへ向けられたその問いはもちろん、怜子さんのことを尋ねていたのだろうけど……。
もしかしたらそれは、自分への問いかけでもあった?

鳴は、答えを出したのだろうか。
ぼくは……まだ、結論を出せていない。

ただこれは、「その時」が来てしまえばどのみち消えてなくなる悩み。
だからこそぼくは、こうして立ち止まっている部分もあるのだろう。
どう頑張っても忘れてしまうのなら、逆に無理して忘れようとする必要もない――と。

それはつまり、怜子さんのことを忘れたくない、そういうことのようにも思えるけど、
彼女を忘れてしまった自分を想像しても、不思議と寂しい気持ちにはならないのだった。

たとえ、そうなってしまったとしても。
それからのことは、そうなってからのぼくがきっとなんとかするだろう。
立ち止まっていたことを「先生やクラスメイトが亡くなって落ち込んでいた」とでも結論づけて、遅れを取り戻すべく頑張ってくれるに違いない。

だからぼくは、今も<災厄>が終わった時のまま、ただ佇んでいる。
答えを出さなくても、いずれ時が経てば考える必要もなくなるぼくは、幸せなのかもしれない。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:36:54.14 ID:qJudscWY0
――話はようやく、元に戻る。

そんな調子だったから、ぼくはわざわざ休日まで勉強する気にはなれず、午前中はずっと家で小説を読んでいた。
午後にはそれも飽きてしまい、どうしたものか悩んだ結果、鳴の家を尋ねることにした……
というより、霧果さんの創った人形を見に行こうと思ったのが、今ここにいる理由。

なんてことはない、早い話がぼくは暇だったということだ。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:37:42.00 ID:qJudscWY0


おや、と思ったのは、入り口近くまで来た時だった。ギャラリーの中が、薄暗い。
普段からそれほど明るいという印象があった訳でもないが、それにしても暗い。
ショーウィンドウから館内を覗きこんでみるが、やはり照明は点いていないようで、中の様子もよく分からなかった。
いつも天根さんが座っているカウンターはここから見えないけれど、この様子では、きっといないのだろう。

顔を上げると、ちょうどぼくの目の前に位置した顔と、ガラス越しに目が合った。
ショーウィンドウ近くに展示されている、上半身だけの少女人形の顔だ。
中を覗き見たことを咎められているような気がして、思わず身を引く。

そういえば、今日は表に看板も出ていない。
……まさか、また閉館?

ニ、三歩下がり、コンクリート造りの建物を見上げる。
上階の窓からは、薄いカーテン越しに、蛍光灯の光が白く浮かび上がっていた。
どうやら、留守ということではないらしい。少なくとも、鳴か霧果さんはいるみたいだけど……。
わざわざ外階段を登ってインターフォンを押すというのも、気が引ける。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:38:10.66 ID:qJudscWY0
そもそも今日はギャラリーの人形を見るだけのつもりで、鳴に連絡もしていない。
ここに来た結果として、たとえば天根さん辺りから、上階に上がっていくよう誘われたとしても断るつもりだった。
そのくらい気軽に来た、と言えば聞こえはいいが、要するに無計画でしかない。

だからこの現状を受けて、今日のところは大人しく帰るという決断をすることにも、大した時間はかからなかった。
霧果さんの人形を見るという目的は一応果たされたことだし……ショーウィンドウ越しだけど……と、一人で納得する。

ただ最後に、本当に閉館なのか確かめるくらいのことはしてもいいだろう。
ひょっとしたら、明かりが消えているのは外がまだ明るいからなのかもしれないし。

ドアの前に立ち、レバーハンドルを握って押し下げる。
どうせこのドアを押したところで、返ってくるのは施錠されたドアの硬い感触だけ。
そう思って、少し強く腕に力を込めた。


――からん、というドアベルの透き通った音が響く。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:38:42.72 ID:qJudscWY0
……開いてる?
予想していなかった展開に、右腕を突き出したままの姿勢で固まってしまう。
ひょっとして、閉館ではなかったのだろうか。いや、だとしてもこのまま入ってしまうのは……。
ああでも、ここでこうしていたって、それはそれで不審だ。

少しの逡巡のあと、ぼくはドアの隙間に体を滑り込ませた。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:39:09.21 ID:qJudscWY0


背後でドアが閉まり、ドアベルがもう一度音を立てる。
もともと館内を満たしていたであろう静寂の中に、その残響が消えていく。

やはりと言うべきか、入って左手に設置されたカウンターの中に天根さんの姿はなく、明かりもショーウィンドウを通して入ってくる光だけ。
いつもなら名前も知らない弦楽の調べが流れているはずだけど、今日はそれもなかった。

分かっていたことだけど、これはどう見ても営業中じゃない。
やっぱり今日は閉館で、ドアの鍵は単に締め忘れただけなのだろう。

そんな普段とは違う館内であっても、人形たちはいつも通り、思い思いの場所にいる。
当然ながら、そこに人形を置いたのは創った本人である霧果さんなのだろうが、ただ並べられているだけじゃなく、
中には陳列棚に腰掛けたり、ショーケースの中に横たわっているものもあったりと、
まるで人形が自分でお気に入りの場所を見つけ、他の人形に奪われないよう、そこを守っているような。
そんな錯覚に陥ってしまう。

ちなみに、霧果さんというのは鳴の母親(正確には義理の母親で、血縁上は伯母にあたる)なのだが、
霧果というのは人形師としての雅号のようなもので、本名は由紀代というらしい。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:39:34.43 ID:qJudscWY0
霧果さんの人形は、ただ美しいというよりは、どこか妖しく……いっそのこと、不気味と言い切ってしまってもいいのかもしれない。
人に限りなく近いようでいて、どこかで決定的に異質でいる。
かといって、それを上手く説明することもできなくて……。
それでも、単純に「美しい」の一言で終わらせてしまうことが憚られるのは、ぼくがその差異を無意識に感じ取っているからなのか。

とにかく、そういう負の魅力も内包した一筋縄ではいかない美しさに、ぼくは惹きつけられているのだろう。
こうしてじっと見ていると、どんどんと魅入られて……ある一線を越えた瞬間、ずるりと何かに取り込まれてしまいそうな――。
これが鳴の言う、人形の「虚ろ」に自分を吸い取られていく、ということなのかもしれない。

鳴の家だということも知らないままここを訪れ、初めて人形たちを目にした時よりは、
そういう感覚にも慣れたのか、気分が悪くなることも無くなっていたけれど……。
今日は、雰囲気が違っていた。

人形だけで占められていた空間に、ぼくという異物が混ざり込んでしまったせいか、
至るところから視線を注がれているように感じてしまう。

仄暗い無音の中で、人形たちが息を潜めてぼくの様子を窺っている。
そして今にも、その押し殺した息遣いが聞こえてきそうな――。

……やっぱり、今日はもう帰ろう。
そう思った時だった。


「誰か、そこにいるの?」
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:40:03.67 ID:qJudscWY0
聞き覚えのある声がした。
もちろん、ぼくの見える範囲には誰の姿もないし、ましてや人形が喋ったわけでもない。
声が聞こえたのは、一階の奥にある階段、その更に奥からだった。

一階のこちら側には、上階へ向かう階段はない。
裏口から入る天根さんの居住スペース側には上りの階段があるそうだけど、ぼくはそっちに行ったことはない。
この建物にはエレベーターもあるのだが、その入口もやはりここにはない。
つまり、裏口側から壁を隔てたこのギャラリーにあるのは、地下へと降りる階段だけなのだ。

近寄って手すりから身を乗り出し、下を覗きこむ。

「榊原くん?」

鳴が、階段の踊り場からこちらを見上げていた。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:40:33.85 ID:qJudscWY0
「……こんにちは、見崎」

答えながら、階段を降りる。
鳴はいつだったかの黒いロングワンピースを着て、それだけでは肌寒いのだろう、これまた黒いカーディガンを上から羽織っていた。
それから……左目にはいつも通り、眼帯を。

「どうして、ここに?」

驚いているというより、単純にぼくがここにいることを不思議がっているような口調だった。

「気分転換に、霧果さんの人形を見ようと思って。ドアが開いてたから入っちゃたんだけど……」

それを聞いて、鳴は首を傾げる。

「開いてた?」

「うん」

「ふうん。……じゃあきっと、天根のおばあちゃんが鍵をかけ忘れてたのね」

「え。……ちょっと不用心じゃないかな、それって。他の階はどうなの?」

「二階も三階も、わたしがちゃんと鍵を掛けたから大丈夫。ここの裏口もね。どうせここを見に来る人なんて、めったにいないし。たぶん、入ってきたのは榊原くんが最初だと思う」

「ひょっとして、入っちゃまずかった?」

「別にいいよ。でも今日はギャラリー、お休みだから、見てもあまり面白くないかもね。……上、電気点ける?」

「あ……いや、大丈夫。そこまでしなくても」

「そう? じゃあ、どうぞ」

そう言って、階段の側にある円卓の椅子の一つを勧める鳴。
言われるままぼくが座ると、鳴も向かいの椅子に腰掛けた。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:41:02.40 ID:qJudscWY0
<夜見のたそがれの……。>は地下一階も同様に展示スペースとなっているが、上階とはだいぶ趣が異なる。
区別するために、一階部分を「ギャラリー」、地下一階を「地下展示室」と呼ぶことにしよう。

地下展示室にもギャラリー同様陳列棚が置かれ、様々な人形があちこちに並んではいるが、
色とりどりの衣装に身を包んだ一階のものとは違い、ほとんどが裸のままで置かれている。
そのうえ、人形たちには首や腕が無かったり、かと思えば部屋の一角には腕だけがまとめて置かれていたりもする。

要するに、つくりかけの人形がそのままここに置かれているといった風情だ。
いや、霧果さんにしてみれば、これでもう完成しているということなのかもしれないけれど……。
白磁のような肌を赤や緑のライトで様々に染め上げている人形たちは、たまたま人の形をしているだけのオブジェ、という風にも見える。

「榊原くん、本当にこういうの、好きなのね」

そう言われて、自分がずっと人形たちを眺めていたことに気付き、慌てて鳴に向き直る。
鳴はどうやら、淡い笑みを浮かべているらしかった。
……ぼくの様子がそんなに面白かったのだろうか。
その背後、折り返す階段の下に空いたスペースには、首だけが無い人形が立っている。

「まあね。……天根さん、ひょっとしてまだ体調が悪いの?」

この前来た時に、鳴がそう言っていたはずだ。
鳴は「ううん」と首を振る。

「あれからすぐ良くなって、普通に受付をしてたんだけど……数日前にね、今度は腰を痛めちゃって。今は霧果の実家で療養中」
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:41:29.78 ID:qJudscWY0
「ああ……それはまた、大変だね」

「本人は大した事ないって言ってるみたい。でも、無理をさせても仕方ないから」

天根さんは霧果さんの伯母、つまり鳴にとっての大伯母さんにあたる。
祖母を早くに亡くしている鳴にとっては、本当の祖母のような人だという。

「それに、お休みなのは霧果の工房だって一緒だし」

「そうなの? じゃあ見崎、もしかして今日も一人――」

「お母さんなら、上にいるよ」

「……あ、そうなんだ」

って、ぼくは何を勢い込んで聞いてるんだ。
気恥ずかしさを取り繕いたくて、慌てて質問を重ねる。

「見崎は、ここで何を?」

「特に何か、ってわけでもないんだけどね」

少し考え込むような仕草を見せたあと、

「榊原くんと同じ……かな。気分転換」と答える鳴。

「さっきまでは、自分の部屋で勉強してたの。ちょっと休憩のつもりでここに来て、誰かが入ってきたから声をかけてみたら――というわけ」

示すように手の甲を下にして、揃えた指先をぼくに向ける。

「そっか。じゃあ、お互い暇なんだね」

軽い沈黙が流れた。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:42:00.14 ID:qJudscWY0
この前は、この地下展示室でこうやって向かい合って座りながら、鳴の話を聞いたぼくである。
きょうもこうして座ったということは、もしかしてまた、ああいった話をしてくれるということなのだろうか。
もしそうなら、いい退屈しのぎになるんだけど。

鳴に座るよう誘われた時から、いや、実はそもそもここを訪れた時点で既に、ぼくは内心そんな期待をしていたのかもしれない。
果たしてそんなぼくの心を読み取ったのか、鳴は両肘をついてテーブルに体を預けると、ぼくを見上げるようにしてこう言った。


「ねえ、榊原くん。――中村青司って人、知ってる?」
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:42:59.43 ID:qJudscWY0


「この家はね、私のお父さん、見崎コウタロウ――漢字で書くと紅太郎って字を書くんだけど――が、霧果のために建てたものなの」

「見崎のお父さんって、いつもは海外にいるんだっけ」

「うん、後の半分は東京で仕事。だからあっちに拠点代わりの家はあるみたい。この家にもお父さんの部屋はあるんだけどね」

鳴の父親については、やり手の実業家だという話は聞くし、もしかして家の一軒や二軒、彼にとっては大したものではないのかもしれないけれど……。
この家にしても、家というよりは殆どビルといった佇まいだし、相当な費用がかかったことだろう。

「霧果にしても、それまでは実家で人形制作をしていたところに自宅と仕事場を貰ったわけだから……とても喜んでたって、お父さんが言ってた」

「つまり、きみのお父さんがその中村って建築家に頼んで、この家を建ててもらったんだ?」

肘が痛くなってきたのか、鳴は体を起こして座り直し、こくり、と頷く。

「ということは……結構有名な人なのかな。ぼくはそういうの、あまり詳しくないからよく分からないけど……」

「それほど有名って訳でもないみたい。お父さんの言い方も『知る人ぞ知る』みたいな感じで……名前を知ったのも、仕事の関係で、たまたまだって」

「……そうなんだ」

「自分の趣味を優先した、へんてこな家ばかり建ててた人で……お父さんはそれを見て、虜になっちゃったのね。絶対自分も家を建ててもらうんだ、って」

鳴の口調が、感心しているような、呆れているような、そういった感情が混じったものになる。

「当時、中村青司はもう建築家を引退してて、孤島で家族と暮らしてたらしいんだけど……お父さん、直接そこに乗り込んでお願いしたらしいの」
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/21(木) 01:43:40.70 ID:qJudscWY0
「へえぇ……でも、こうして家が建ってるってことは、それで上手くいったんだ?」

「ううん、最初は取り付く島もなかったって。自己紹介して名刺を渡したら『名前が弟と似ているのが気に食わん』って言われて門前払い」

それはなんとも理不尽な理由だ。
ぼく自身が名前で嫌な思いをしたことがあるせいか、自分のことでもないのに少しむっとしてしまう。
でもまあ、その中村青司が建築家――すなわち芸術家であるということを考えれば、
その気難しさにしても、さもありなんといったところなのかもしれない。

「それから何度お願いに行ってみても、同じことの繰り返しで」

「……なんか、到底オーケーを貰えるようには思えない流れだね。何かしら、向こうに心境の変化があったとか?」

「うーん、心境の変化というよりは……霧果のおかげ、なのかな」

「ここで霧果さん?」

「その時はまだ結婚してなくて、お父さんの婚約者だったらしいんだけど」

そっと眼帯の縁に指を添え、鳴は続ける。

「ある時、お父さんが霧果の人形を手土産に持って行って……中村青司は、それをいたく気に入った、というわけ」

「……ははあ」

それが突破口になった、ということらしい。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:44:18.52 ID:qJudscWY0
しかし、人形を手土産にするというのも……苦肉の策というか、思い切ったというか。
もちろん、霧果さんの人形には、ただ美しい以上の、それこそ言葉では言い表せないような魅力があるのはぼくでもわかるけれど……。

もしかしたら、中村青司もぼくと同じように――いや、芸術家としてぼく以上に、感銘を受けるところがあったのかもしれない。
鳴の父親は、その可能性に賭け、そして勝利したということか。

「それで『創った人に会ってみたい』という話になって、霧果と二人で、ようやく家に上がらせてもらったのね。最終的には『ある条件』の下、建築の依頼を請け負った」

「その条件って?」

今までの流れを考えれば、それがどういうものであるかは薄々分かったけれど、あえて訊くことにする。
鳴は小さく頷き、こう言った。

「霧果に、人形を創ってもらうこと。――それも、自分の妻をモデルにして、ね」
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:44:56.50 ID:qJudscWY0


「……よっぽど気に入ったんだね、霧果さんの人形」

「霧果にしても、仕事の依頼があれば引き受けない理由はないし、そこからはとんとん拍子に話が進んで、この家が建ったんだって。家が完成するより、霧果の人形が出来上がるほうが先だったみたいだけど」

自分の妻をモデルにした人形。
ぼくは思わず、ここにある鳴そっくりの人形を思い出す。黒い棺に入った例の人形だ。
中村青司の妻をモデルにしたというその人形もきっと、本人によく似ていたことだろう。

ちなみに、当の人形は地下展示室の奥に置かれているが、ぼくの座っている位置からは見ることが出来ない。
その前に置かれている陳列棚が、ちょうど衝立のように棺を覆い隠してしまっているのだ。
何を隠そう、ぼくがここに来た当初の目的には、その鳴の人形を見ることも含まれていたんだけど……。
しかしまさか、モデルである鳴の前でそれをじろじろと見るわけにもいかない。

棺の人形は、鳴に言わせれば確かに鳴をモデルにしてはいるものの、
これは霧果さんが、生まれてくることができなかった自分の子供を想って創ったものであり、鳴はその半分以下でしかない……らしい。
そうは言ってもぼくにしてみれば、やっぱり鳴にしか見えないわけで。
それでも鳴や霧果さんには、あの人形が全く違って見えるということなのだろうか。

そんな風にぼくが考えこんで沈黙してしまったのを、鳴は別の意味で捉えたのか、

「普通だな、って思った?」

「えっ?」

突然こんな事を言い出すのだった。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:45:32.84 ID:qJudscWY0
「建築家から、そこまでして家を建ててもらったのに、案外普通の家なんだな……って」

「ああいや、別にそういうことを考えてたんじゃなくて――」

慌てて答えながらも、鳴にそう言われてみると、どこか同調してしまう自分に気付く。
住宅街の中にあって、コンクリートが打ちっぱなしになっているこの建物は一際目を引くけれど、この建物自体がそれほど特殊な構造をしているわけではない……ように思う。
少なくとも、鳴の言葉の中にあった「へんてこな家」という部分に引っかかりを覚えたのは事実だ。

とはいえ、ギャラリーと工房、それから自宅を兼ねているという点を考えれば、それこそ奇抜なデザインにするわけにもいかないだろう。
それにこの家を除けば、ぼくは中村青司の建てた家を目にしたことは一度もないし、名前だって今日初めて聞いたばかり。
建築家=奇抜なデザインをするもの、という偏見がぼくの中にあるだけで、もともとこういう作風の人なのかも……。

しかし、鳴は更に言葉を続けた。

「いいの。わたしもそう思ったから」

「えっ?」

ぼくはもう一度間抜けな返事をしてしまう。

「お父さんからこの話を聞いた時にね、わたしもそう思って訊いたの。……お父さん、この家についてはお金だけ出して、あとは全部霧果に任せたみたい」

全部を、霧果さんに?
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