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【Another】恒一「……中村青司?」
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124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:43:22.54 ID:qJudscWY0
それに、地下のどこかに隠していたのだとしても。
昨日、ぼくが鳴の家に行ったのは完全なる思いつき。鳴にとっては偶然だったのだ。
いつか来る機会に備えて、前もって仕込んでおいた……。
全くないとは言わないけれど、それはあまりにも大袈裟すぎやしないか、なんて気もしてしまう。
とはいえ、現に人形は壊れているのだ。
可能性がある以上、いやおうなしにそう認めざるを得ないのでは、とぼくは思うのだけど……島田さんは釈然としない顔で、まだこめかみをつついていた。
もうそろそろ、それは「つんつん」ではなく「こんこん」と形容しなきゃいけないくらいの強さになりつつある。
「榊原君の言う通り、彼女が現場に凶器を持ち込めたかどうかについては」不意に、彼の手がぴたりと静止する。「抜け道はいくらでもありそうだ。しかし……」
「しかし?」
「それから、凶器はどこへ行ったんだろうねえ。彼女が三階へ戻ってきた時は、当然なにも持ってはいなかったんだろう?」
「確かに、見崎は手ぶらでしたけど……地下展示室のどこかに隠していたんじゃないですか?」
「だが、地下は君が隅々まで調べているじゃないか。そしてそんなものは目にしてないときた」
「ぼくが探していたのは、たったの三分間だけでした。そりゃあ、あらかたのところは探しましたけど……ぼくが見落としただけかもしれないですよ?」
「見落としがあった可能性は否定しないさ。……が、そもそもね、これから徹底的に捜索されると分かっている場所に、敢えて凶器を隠したりするものかい? 君がもっと長い制限時間を要求することだってあり得たんだ」
「あ……」
そうだ。三分という時間を決めたのは他ならぬぼくだった。
ならば、隠し場所に地下展示室を選ぶのはまるで「見つけてください」と言っているに等しい。
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:44:02.29 ID:qJudscWY0
それに、実際に探した身としては、やっぱりあそこに凶器が隠してあったとは思えないのも事実なのだ。
……ギリギリまで衝立の存在に気づけなかった手前、それを堂々と口にするのは、ちょっとはばかられるものがあるけれど。
どうせ隠すなら、最初からぼくが絶対に探さないような場所を選ぶだろう。
それこそ、ぼくが真っ先に除外してしまうような――
――人形があるのは間違いなく、こ・の・ち・か。
不意に、鳴の言葉が頭をよぎる。
今思えば、鳴にしては珍しく挑戦的というか、何か裏がありそうなもの言いだったけれど……。
あれはもしかして、誘導だったのだろうか?
ぼくの意識を地下に向け、他から遠ざけるための。
だとすれば、凶器の隠し場所は。
「一階のギャラリーはどうですか。隠してあったのなら、島田さんも気づかなかったでしょうし」
それは半ば確信を持っての問いかけだった……のだが。
「それなんだがねえ。実は昨日、僕はあそこを調べているんだ。凶器になりそうなものは無かったよ。断言してもいい」
「えっ?」
この上なく明確に、そしてあっさりと否定されてしまった。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:44:54.59 ID:qJudscWY0
「カウンターの内側とかも、ちゃんと見たんですか?」
「ああ。手抜かりなくしっかりとね」
「じゃあ、陳列棚の上は?」
「見たよ。もちろん、棚の下も」
他にありそうなところは……と更に考えたが、諦めた。
こうして考えると、あのギャラリーに物を隠せそうな場所はあまり多くない。
「というか……そもそも島田さん、どうしてそんなとこまで見てるんですか? 確認したいことがあった、って話でしたけど」
呆れの色も隠さないぼくの質問に、彼は笑いながら頭を掻いている。
「いやあ、いろいろと理由があってね。これも後で説明するが……今はまあ、中村青司のせい、とだけ言っておこうかな」
あの家を建てた中村青司に原因が? ともかく、ギャラリーに凶器がなかったのは確からしい。
「だったら、二階の工房ですよ。道具もやっぱり、そこから持ってきたんです」
「わざわざエレベーターは使わずに、かい? そこまで忌避する理由はあったんだろうか」
「それは……」
「とはいえ君の言う通り、彼女が工房へ行かなかったという保証もない。僕が『しっくりこない』と言った意味が、段々と分かってきたろう? ……ところで榊原君」
「なんですか?」
「ようやくと言うべきか、思い出したことがあるんだ。ギャラリーの入口には、ドアベルが付いていたね。それも結構大きな音の鳴る」
「そうですけど……それが?」
そう答えた直後、違和感を覚えた。
正体までは分からない。けれど、確かに感じる。
そんな微かな違和感を。
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:45:48.02 ID:qJudscWY0
「僕があそこに入った時も、もちろんそれは鳴った訳だが……あの音、地下展示室には聞こえないのかい?」
「!」
曖昧だった違和感の輪郭が、その言葉でくっきりと浮かび上がる。
……そして、それが何を意味するのかも。
「昨日、君もあのドアから入ったんだろう。そして地下で鳴さんと会った。――その時はどうだった? 彼女に音は聞こえたんだろうか」
昨日のことだ。思い出すまでもない。
扉を開け、ぼくが館に足を踏み入れた時。
あの時、鳴は。
――誰か、そこにいるの?
「……地下にいた見崎の方から、声をかけてきました」
「成程。それはつまり――」
「島田さんがギャラリーに入って来た時も、見崎にはそれが分かったはずです」
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:46:43.30 ID:qJudscWY0
「しかし、なぜか僕の場合は声をかけて貰えなかった。どうしてだろうね。一応『すみません』と挨拶もしたんだが……逆に怪しまれてしまったかなあ」
そう問いかける口調こそ穏やかなものだったけれど、こちらを見つめる彼の視線はいつの間にか鋭さを帯びている。
そんな話ではない、君だって分かっているだろう――。
暗にそう追及されているような気がした。
「……ぼくは見崎から『誰かが入ってきた』なんて一言も聞いてません。それどころか――」
「僕のことを『いない』と断言した。そうだったね?」
そうなのだ。確かに鳴はそう言った。「そんな人はいない」と。
もちろん、昨日あそこに島田さんがいたのは確かなこと。
鳴が彼の姿を見ていない以上、そう考えても仕方がないか……と思ったりもしたのだが、実際は真逆だったのだ。
「いない」だなんて、言えるはずがない。
「……もし見崎が地下にいなかったとすれば、気がつかなくても不思議じゃないとは思います」
「だがこの時間、彼女が地下展示室にいたのは間違いない、と」
「ええ。エレベーターが使われたのは見崎が戻ってきた時だけですし、仮に階段を使って他の階に移動していたとすれば――」
「再び地下へ戻る時、僕と鉢合わせになる、か。彼女が三階へ戻ってきたのは、僕が立ち去る前の話だったね」
「はい。しかも地下から、エレベーターを使って、です。地下以外の場所にいたのなら、島田さんがいる間に必ず一階を通ることになります」
129 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:47:21.64 ID:qJudscWY0
つまり鳴にも、島田さんが「いた」ことは分かっていたはずなのだ。
それなのに彼女は「いない」と言う。矛盾は明らかだ。
――もう、答えは出たも同然だった。
それを口にしようがしまいが、もはや大した差なんてない。
「結論は、一つだと思います」
だから、それは自分で言おうと決めた。
「見崎は確かに地下展示室にいた。そして地下にいた以上、島田さんのことも分かっていた。――けれど、見崎は気づかないふりをした」
島田さんが、同意を示すように小さく頷く。
彼に存在を悟られないように息を潜め、一方でぼくや霧果さんには平静を装い、闖入者などなかったかのように振る舞う。
ここまで来たら、もう疑う余地はない。
――鳴は、嘘をついている。
130 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:48:06.42 ID:qJudscWY0
24
議論がひとまずの結論に達して、ぼくらの間には沈黙が訪れた。
「失礼します」と知香さんがテーブルに歩み寄り、空いたカップと皿を片付けてまた戻っていく。
邪魔にならないタイミングを見計らっていたのだろう。思えば、ずっと話を続けていたのだ。
島田さんは目を閉じ、何事かを思案している様子だった。
次に何を言うべきか、適当な言葉が見つからないでいるぼくも、自然と無言になってしまう。
かといって、このままじっと彼を見つめているのも落ち着かない。
頭上で回るシーリングファンや、カウンターでコーヒーを淹れている知香さんといった店内のあちこちを見ていると、
まるで、ぼくらのいるテーブルだけが違う時間の流れに取り残されてしまったような気分になってくる。
そんな奇妙な感覚から逃げ出したくて、ぼくも目を瞑った。
131 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:48:46.39 ID:qJudscWY0
◇
――背丈も髪型も服装も、全く同じ少女が二人、向かい合わせに立っている。
艶のある黒髪に隠れて、彼女らの顔は見えない。けれど、そのシャギーショートボブの髪型には見覚えがあった。
蒼白いドレスに身を包み、二人して身じろぎひとつせず立ち尽くしている。
不意に、向かって左手に立つ少女の右手がゆっくりと上がる。
そしてその手にはいつの間にか、ハンマーが。
あっと思った次の瞬間、それは勢いよく反対側の少女へ振り下ろされる。
声を発する間もなかった。
ばきっ、という乾いた音が響き、彼女はその場にくずおれる。
脚や腕、首までもが不自然に曲がり、それはまるで操り糸の切れた人形のよう。
……人形?
よくよく見れば、彼女は殴られたというのに血を流すこともない。
代わりに周囲にはその肌と同じ色をした、白い欠片が散らばっている。
なるほどそれは、確かに人形だった。
じゃあ、こっちは?
やっぱりこっちも人形なのか?
未だハンマーを持ったまま立ちつくしているもう一方の彼女が、ゆっくりとぼくの方を向く。
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:49:26.19 ID:qJudscWY0
その右目にあるのは、蒼ではなく漆黒の瞳。
そして左目には、真っ白な眼帯。
……鳴だった。
その唇が微かに動く。しかし声は聞こえない。
人形を砕いた音はあれだけはっきりと聞こえたのに、今はもうなにも聞こえない。
それでも唇の動きから、鳴の言葉は理解できた。
――どうして。
どうして、だって?
それはぼくが言いたいよ、見崎。どうしてそんなことをする必要があるんだ?
叫ぼうとしても声は出なかった。
鳴は口を閉ざしたまま微動だにしない。ただ、ぼくの方を見ている。
なぜだかとても、淋しそうな顔をしていた。
133 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:50:16.73 ID:qJudscWY0
◇
「――君。おおい、榊原君」
島田さんにそう呼びかけられて、目を開ける。
「あ……すいません。何ですか?」
「煙草。吸わせて貰ってもいいかな」
見れば、いつの間にか彼の手元には灰皿が引き寄せられていた。
「……ああ、どうぞお構いなく」
肺のことを思えば、好ましくないのは間違いないんだろうけど、そこまで神経質になるようなことでもない。
話すべき話題も尽きかけてきていたのだし、なんならぼくが席を外せばいいだけの話だ。
「喋り通しで疲れたんじゃないかい。この辺でお開きにしておこうか?」
「大丈夫です。……ちょっとぼーっとしてましたけど、疲れたとかではないので」
目を閉じてはいたけど、もちろん眠ってはいない。
ただ、さっきまでの……白昼夢とでも言うのだろうか、自分の妄想じみたイメージに没入してしまって、
まるで寝ぼけたような反応をしてしまった。
「そうかい。じゃあ失礼して」と言って上着のポケットから島田さんが取り出したのは、手のひらにすっぽりと収まってしまいそうな、小さな黒い物体。
てっきり煙草の箱とライターが出てくるものだとばかり思っていたから、それが一瞬、ひどく異様なものに映る。
形だけを見れば、それは印鑑を入れるケースによく似ていた。
しかし中を開けば、入っていたのは印鑑ではなく煙草が一本だけ。
134 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:50:53.93 ID:qJudscWY0
「今日の一本」
彼はそう口にして煙草をくわえ、ケースを近づけて火を点けた。ライターまで内蔵されているらしい。
そのまま目を細めて一度大きく煙を吸い込み、そして天井に向けて吐き出す。
しみじみと煙草を味わう島田さんを眺めながら、思考はどうしても先ほどの光景に傾いていく。
……いや、あれは正確にはぼくの想像でしかない。
ただ、昨日のことが鳴の仕業だとすれば、あれと同じことが起きたはずなのだ。
最後に見た鳴の淋しげな表情が、頭から離れない。
「見崎はどうして、人形を壊したんでしょうか」
夢の中ではできなかった問いかけが、言葉となってようやく出てきた。
「うん?」
こんこんと灰皿の縁を叩き、煙草の灰を落としていた島田さんだったが、すぐには答えず、
代わりにじっとぼくの方を見た……かと思いきや、
「なんだい、随分と怖い顔をしているねえ。ガールフレンドに嘘をつかれたのが、そんなにショックだったかい?」
なんて言って、愉快そうに笑う。
135 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:51:39.55 ID:qJudscWY0
「なっ……いやいや! ぼくと見崎は別に、そんなんじゃ」
「おやおや。しかし、彼女の家にはよく行くんだろう?」
「そんな頻繁に行くわけでもないです! 昨日だって久しぶりで……」
必死に言葉を並べながら、全身がじんわりと熱を帯びていくのを感じる。
鏡を見るまでもない。間違いなく、ぼくの顔は真っ赤だ。
「まあ、意地悪はこれくらいにしておくとしよう。それよりも、だ。……実際、榊原君はどう思うんだい。犯人は彼女で決まりかい?」
「……少なくとも、見崎は何かを隠しています」
「僕が来た時、気づかないふりをした、か。確かに、そういう結論になるだろうが……じゃあどうして、彼女はそんなことを?」
「ぼくが思いつく可能性は、ひとつだけです」
「それは?」
「島田さんに、地下展示室を見られたくなかったんでしょう。――もう既に、人形を壊してしまっていたから」
「……ふん、成程ねえ。僕が入って行きにくいように、敢えて無人を装ったってことか」
「さっき言ってましたよね。『誰にも会わない内に、勝手にそこまで入るのもどうかと思った』って。そう思わせたかったんだと思います」
もちろん、例え嘘をついていたからといって、それだけで鳴が犯人だと決まるわけではない。
その理由が分からないのならば、なおさら。
しかしそれでも、隠し事をする理由なんてそのくらいしか考えつかないのも事実だった。
「だがねえ、君も疑問に思っているようだけど、彼女に動機はあるんだろうか」
136 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:52:22.05 ID:qJudscWY0
「ぼくが知らないだけで、そうせざるを得ない事情があったのかもしれません」
「人形を壊したこと自体は、そうかもしれないさ。でも、その後のことは? 壊した人形をどうしてわざわざ君に見せつける必要がある?」
あの時ぼくは、何をするのか直前まで知らされてはいなかった。
仮に鳴がぼくに対して壊れた人形の存在を隠し通したかったのだとすれば、適当にはぐらかしてしまえばよかったのだ。
わざわざ人形探しを提案して、それを見つけさせる必要なんてどこにもない。
「……例えば、そうやってぼくと一緒に人形を見つけることで、犯人が外からやって来たと印象づけようとしたとか」
実際、それでぼくも島田さんを一度は犯人と疑ったのだ。
それこそが、鳴の狙いだったのでは?
「要するに、外部犯の仕業にしたかった、と」
「島田さんがあの日ギャラリーに入れたのも、そういうことだったんじゃないかって気がします」
「それはつまり、ギャラリーの入口が開いていたのは、彼女が鍵を掛け忘れたのではなく、意図的にそうしていたから……ということかい?」
「そうです」ぼくは頷いて言う。
「もしギャラリーの入口まで施錠してしまえば、外からの侵入は不可能になります。そうなれば、犯人は家の中にいた人だってすぐに分かってしまいますから」
だからこそ、鳴はぼくに入口が開いていたと言われた後も、鍵を掛けに行かず、そのまま話を続けたのだ。
島田さんは「ふうん」と唸って、煙草の赤い火と、そこからまっすぐ昇っていく煙を見つめている。
「外部犯の可能性を残すために、涙ぐましい努力をしていたって訳だ」
「ええ」
「じゃあ、そうやってせっかく現れた、僕という犯人候補。――それを自分から潰してまで、なぜ彼女は嘘をつく?」
「……それは……」
この上なく真っ当な理屈だった。
137 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:53:34.77 ID:qJudscWY0
電話で鳴と話した時、ぼくは島田さんを疑っていたのだ。
外部に疑いを持たせたいのならば、目論見通りのぼくの話は肯定するのが自然だ。それこそ、嘘をついてでも。
だが実際は真逆で、鳴は嘘をついてまでぼくの話を否定し、島田さんの存在を"いないもの"にした。
……そう、まるで"いないもの"なのだ、この状況は。
そんなことをする必要は、どこにもないというのに。
「それに外部犯に見せかけたいなら、人形を隠した後にもっと間を取りたがると思うけどねえ。誰もいない時間が長ければ長いほど、その可能性も高まるってもんだろう」
「そう……ですね」
三階へ戻ってきてから、適当な理由をつけて時間稼ぎをすることも出来たはずなのに、鳴はそれすらしていない。
更に言えば、あの時の鳴はすぐ地下へ戻ろうとしていた。
もしぼくがそれに従っていれば、外部犯の可能性はゼロに等しくなっていただろう。
自分が犯人であることを隠したいのなら、それとは正反対の行為を鳴はしている。
……どうしてだ?
「僕がしっくりきていないのは、むしろこの辺の事情についてなんだよ。彼女が犯人だという結論に事実を当てはめることはできても、内面はそうはいかない。どう考えても、"形"が歪になってしまうような気がするんだ」
組んだ両手の上にあごを載せ、彼は小さくため息をついた。
その指に挟んだままの煙草は、もうだいぶ短くなっている。
「だからね、こう考えるべきなんじゃないかな。――この事件の本当の"形"は、もっと違うものなんだと」
138 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:54:28.70 ID:qJudscWY0
「"形"、ですか」
「ああ。この事件にはまだ、隠された何かがあるんじゃないか、そんな気がしてね。もっともこれは、僕の願望も入り混じっているのは否定しないが」
「……その、願望というのは?」
「まあ、つまりは……これが"青司の館"で起こった事件である以上、そう単純なものであるはずがない。そういう自分勝手な願望、だねえ」
そう言って煙草を灰皿に押し付け、火を消した。
「ええと……それって、何かしらの意味が欲しいってことですか?」
「そんな感じさ。何にせよ今の段階じゃあ、事件についての議論はここらで打ち止めだろうね。……榊原君、まだ時間に余裕はあるのかい?」
そう言われて時計を見れば、いつの間にか時刻は十二時を回っている。空腹はまるで感じていなかった。
「平気です。全然」
「ふん。だったら、今度は別の話を聞いてもらえるかな。僕が昨日、あの家にいた理由――中村青司と、彼の"館"についてね」
139 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:55:10.72 ID:qJudscWY0
25
「そういえば島田さん、『あの家そのものに興味がある』って言ってましたよね」
「ああ。ちょっと前に、青司の"館"がここ夜見山にあるという噂を耳にしてね。それで東京からやって来たんだ」
そう言いながら、備え付けの紙ナプキンを一枚抜き取る。
口でも拭くのかと思ったけど、彼はテーブルの上で折りたたまれたそれを広げ、かと思えばまた折り、そしてまた広げ、そんな動作を角度を変えながら何度も繰り返す。
そうして折り目だらけになった紙ナプキンを、今度はしっかりと折り込み、何かを形作っていく。
彼は折り紙をしているのだと、そこでようやく気がついた。
完成形が何なのかは想像もつかないけれど、鶴を折っているわけじゃないのは確かだった。
「君も知っての通り、中村青司は建築家として異彩を放つ存在だった。それから、極めて早熟の人間でもあってね」
そう言葉を紡ぐ一方で、彼の視線は手元に注がれたまま、指先は淀みなく紙ナプキンを折り続けている。
彼にとって、中村青司にまつわる話はそのくらい引き出すことのたやすい記憶なのだろう。
「特に亡くなるまでの十年間は隠居状態で、殆ど建築家としての活動はしていなかったという話だが……『殆ど』という言葉は、なかなか厄介なもんだねえ。当然、皆無ではない。そしてその実例の一つが、ここ夜見山にあったという訳さ」
「見崎の家のことですか?」
「この辺の人たちは"夜見山の人形館"と呼んでいるんだろう? もっとも、あそこにはちゃんとした名前があるようだけど」
「分かりやすいと言えば、そうですけどね。<夜見のたそがれの……。>って、最初は建物の名前とは思いませんでしたし」
140 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:56:12.45 ID:qJudscWY0
「名は体を表す、というやつだねえ。他の青司の館も、大体はそんな感じだよ」
「そうなんですか?」
「例えば、時計が沢山あるから『時計館』、仮面のコレクションがあるから『奇面館』……なんて具合でね。そしてここ夜見山にあるのが――『人形館』、か。……うん、成程ねえ。そうかそうか」
この人はたまにこうして一人で納得する部分があるな、というのがぼくにもうっすらと分かってきた。
……それにしても、なんだか妙に感慨深げな口調なのが引っかかる。
中村青司の館をようやく見つけた達成感、なのだろうか。
「ああ。一つ誤解の無いように言っておくが、あの館は青司の本来の作風からは大きく外れているよ。彼の館は大半が西洋建築の流れを汲んでいる。ああいうモダニズム的なものはまず無いと言っていい」
そう言われても、ぼくが知っている彼の建築物は鳴の家だけだから、あまりぴんとは来ないのが正直なところだった。
西洋建築と聞いてイメージできるのは、今はもうないあの<咲谷記念館>ぐらいだけど、ああいうものともまた趣が違っているのかもしれない。
「だからね、さっきも言ったが僕は半信半疑だった。人づてにあの館が青司の手によるものだと耳にはしたが、とてもそうは見えなくてね。――しかし、君が鳴さんから聞いた話でようやく納得できたよ。つまりあれは、霧果氏の意向だったんだな」
「霧果さんがああいう家をオーダーしたから、その通りに建てたと?」
「ああ。依頼主の要望を聞きつつも、自分好みの趣向はこれでもかと凝らすのが青司の常なんだが、彼女に人形を創ってもらうという交換条件があった手前、そこは自重したのか、言いなりになるほど彼女の人形に心惹かれていたのか……」
まったく、と言う彼の口からため息が漏れる。
「あの青司を虜にしてしまうとはねえ。つくづく恐れ入るよ。……まあ、実物を見た身としては納得だがね」
「その時霧果さんが創った人形って、今はどこにあるんですか? 中村青司はもうずいぶん前に亡くなったそうですけど」
「そうだねえ。彼の最期については、もう聞いているかい?」
「あまり詳しくは……えっと、殺人事件だった、とだけ」
「その認識で合っているよ。そしてその時、彼が住んでいた屋敷は燃えてしまっているんだ。だからおそらく……人形も火事で一緒に焼けてしまったんじゃないかな」
141 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:57:29.67 ID:qJudscWY0
「……そうなんですか」
「ああ」そう答えた直後、島田さんの指の動きが初めて止まる。「榊原君、青司について君が知っていることは、鳴さんから聞いた話だけかい?」
ぼくが頷くと、彼は再び指を動かし始めた。
手の中の折り紙は、複雑な構造をした紙飛行機のようにも、はたまた鳥のようにも見えたが、何を作っているのかは窺い知れない。
ただ、それが未だ工程の途中だということだけは確かだった。
「そうかい。だとすれば、ここから先は君の知らない話になるな」
「まだ、続きがあるんですよね」
そう言えば、鳴もそんなことを言っていたっけ。
昨日はあんなことがあったから結局聞けずじまいだったし、率直に言えば忘れてしまっていた部分もある。
「ああ。僕や君にとっては、青司自身のことより、彼が命を落とした後の方が重要かもしれない。……彼の死後、全国各地に点在する彼の館では、不可思議な事件が起こるようになった」
「それってまさか……中村青司の幽霊が出るようになったとか、ですか?」
ぼくの言葉に、島田さんが大きくかぶりを振る。
「その程度だったら、まだましだったのかもしれないね。――起きるのは、決まって殺人事件だよ。それも凄惨な」
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:58:26.80 ID:qJudscWY0
26
再び"殺人事件"なんて言葉が出てきたことに、動揺がなかったわけじゃない。
だけどそれ以上に、ぼくの中で強く湧き上がる得体の知れない感覚があった。
……何だ、これは?
「青司が死んだ角島に建つ"十角館"、岡山の"水車館"、京都・丹後半島の"迷路館"……。全てを挙げればきりがないからこの辺にしておくが、ほぼ全てにおいてそんな事件が起きている。多くは君がまだ小さい頃の話だから、あまり記憶には残っていないかな」
「……島田さんは、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「まあ、僕自身興味を持っていろいろ調べているせいでもあるが……いくつかの事件については、実際に僕も関わっていてね。当事者って訳さ。こういう言い方もあれだけど、縁があるんだろうねえ」
実際に、事件を経験した当事者。
それはつまり、この話も無責任な噂なんかじゃなく、本当に起きたということだ。
――だとしたら。
「ちょっと待って下さい。じゃあ島田さんは、見崎の家でも、いずれそういう事件が起こるって言うんですか。あそこが本当に、中村青司の館なら」
彼の表情が、眉間に皺の寄った厳しいものになる。
ほんの少しの間があった。
「可能性は低くはない、と思うね」
「……!」
「僕も、面白半分でこんな話はしないよ。ただね、他の"館"でそういう事件が立て続けに起こっているのは事実なんだ。見て見ぬふりをする方が、かえって危険かもしれない。そう思える程にね」
「でも、殺人事件なら当然、犯人がいたわけですよね? だったら原因は館じゃなくて、あくまで別にあるんじゃ」
「もちろん、事件を起こすのは人さ。動機だって館とは無関係に蓄積された因縁だったり、不幸な偶然の連鎖だったり様々だった。……だが、それが起こるのは決まって"館"で、なんだ。まるで事件の方が呼び寄せられているかのようにね」
「だったら昨日、人形が壊されたのは? あれは予兆だったんですか、将来起こる事件の」
「……さてねえ。館によっては、そういう予言じみたこともあったと記憶しているが……まだ何とも、ってところかな」
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:59:09.83 ID:qJudscWY0
ぼくに「話の続き」をするはずだった鳴。
続きとは、中村青司の館で起こる事件についてのことだったのだろうか?
もしも、そうだとしたら。
自分の家でもそういう事件が起こりうると、鳴が知っていたのだとしたら。
未来の自分となるかもしれない無残な姿の人形を見て、彼女は何を思ったのだろう。
……いや、それは鳴が自分でやったことかもしれないじゃないか、と思い直す。
さっきまで犯人なのではとあれほど疑っていたのに、今ではもうこんなことを考えている。
ぼくは鳴を疑いきれていないのか、それとも信じていたいだけなのか。
自分でも分からなかった。
そして本来なら、常識で考えるなら、ぼくはいい加減に声を荒げるべきだったのかもしれない。
そんな非科学的な話を持ち出すなんて、その家に住んでる人に失礼じゃないですか……と。
なのにぼくは、島田さんの話に言いようのない説得力を感じてしまっている。
それに気圧されて、口から言葉が何一つ出てこない。
理由は明白だった。
他ならぬぼく自身が、同じように理屈では説明できない<現象>を、ついこの間まで体験してきたのだから。
144 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 21:59:58.08 ID:qJudscWY0
そして、先ほどからぼくの中で渦巻いている、このひどく奇妙な感じ。
その正体も徐々に分かり始めていた。
つまるところ、これは「既視感」なのだ。
過去に経験した事物に対する、拭いがたい既知の感覚。
……ぼくはそれを、島田さんの話に、中村青司の館に対して感じている。
そんなぼくのただならぬ様子を見てとってか、彼は更にこう続けた。
「とはいえ、それがいつ起こるのかについては分からないよ。あの家……"夜見山の人形館"が他人の手に渡ってからかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「ですけど、結局は起こる?」
「……ああ」未だ完成途中であろう折り紙を放り出して、彼は悩ましげに額に手を当てる。
「ここで『大丈夫だ』と言って君を安心させるのはたやすい。が、実際に経験してきた身として、そんな気休めを言うのは不誠実だと僕は思うんだ。だからね、やはりこう言うしかない」
細く息を吸う音が聞こえた。
「――人が死ぬのさ、青司の館では」
そう言い終えて、島田さんはゆるゆると頭を振る。
早々に消えていた千曳さんのイメージが、再び彼へと重なりはじめていた。
……似ている。どうしようもなく。
そう感じながら、ぼくは言った。
「つまり中村青司の館では、とにかくそれが起きる、と? 彼の呪いとか、悪意とかじゃなくて」
145 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:00:46.41 ID:qJudscWY0
それはかつて、千曳さんが<災厄>をぼくに説明した時の言葉。
だけどもそれは、中村青司の館に対しても違和感なく当てはまってしまうようだった。
「少なくとも、青司の幽霊の仕業ってことはないだろうねえ。いやもちろん、もし青司が化けて出てきてくれるのなら、僕は是非ともお目にかかりたいところなんだが……長年彼の館を追いかけてるのに、一向にその気配はないね。残念なことに」
心の底からそう思っているというような調子で、島田さんは続ける。
折り紙はいつの間にか、その手の中へと戻っていた。
「しかし、一連の事件が青司の死を皮切りにしているのも事実だ。要は彼が死んだことを契機に、その館までもがこう……なんだろうねえ。死神に魅入られてしまったと言うべきか……」
より良い表現を探しているのか、彼はそう言って「ううん」と唸った。
今や魚のような鰭――それともあれは、腕だろうか?――を生やした折り紙を持つ手は静止している。
それだけ考え込んでいるということなんだろう。
けれど、ぼくにはもう分かっていた。
呪いでも悪意でもなく、ただ単にそれは起こる。
そんなものを言い表すのに相応しい言葉なんて、ひとつしかない。
「……そういう<現象>なんでしょうね」
「うん?」
「中村青司が亡くなって、彼の建てた"館"までもその"死"に引きずられて、"死に近い場所"になってしまった。それで事件が起きる。……そういうことじゃないですか?」
146 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:01:30.63 ID:qJudscWY0
ぼくがある種の諦観をもって、淡々と言葉を並べ終えてからも、島田さんはぽかんとした様子で固まっていた……が、ややあって、
「……そうか……」
という呟きが、彼の口から漏れた。
「成程ねえ。なかなか面白い考えだと思うよ。青司の館は"死に近い場所"だから、そういうことが起こる。これはそんな<現象>なんだと。うん、確かにそうかもしれないな」
そう言ってひとしきりうんうんと頷いた後、「しかし、あれだねえ」と思い出したように言う。
「なんというか、ちょっと意外だなあ」
「何がですか?」
「いやね、榊原君みたいな若い子にこんな話をしても、話半分にしか聞いてもらえないと思ってたからさ」
「だって事件が実際に起きてるんだったら、信じるしかないですよ」
「まあそうなんだが、どちらかと言えばオカルトめいた話だろう? 現実にそういうことがあっても、館と関連づけて考えるのはあり得ない、って否定される覚悟はしていたからね。そこが予想外だったという話だよ」
「……」
確かに、以前のぼくならそうだったかもしれない。
だけど今はもう、島田さんの話を「あり得ない」と一笑に付すことはできなかった。
だってぼくは、知ってしまったのだから。
147 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:02:03.81 ID:qJudscWY0
確かに「ある」のだ。
この世界には。
そういうことが。
148 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:02:58.47 ID:qJudscWY0
甦る<死者>。
不可解な死の連鎖。
クラスの一人を"いないもの"にする「おまじない」。
そんな不条理が、ついこの間までぼくの、三年三組の現実だった。
だから……中村青司の館では必ず殺人事件が起きるのだ、なんて言われて、否定することなどできるはずもない。
――仕方ないよな。だって、そういうものなんだから。
そんな諦めにも似た感情が、ぼくの中にあった。
むろん、こんな赤裸々な心情を島田さんに語るつもりなんて、初めからぼくにはなくて。
「実はぼく、ホラー小説とか結構読むんです。それで、こういう話に抵抗がないのかもしれません」
だからこう言って、適当に誤魔化したつもりだったのだけど……これは思いのほか、彼を喜ばせる話題だったらしい。
「へえ。なかなかいい趣味じゃないか。それじゃあ、ミステリなんかも読むのかな」
「……その、ミステリは」
「あんまり好きじゃない?」
「……はい」
「ふうん。僕はホラーとミステリは相性が良いと思っているから、もしやと思ったんだが」
149 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:03:45.83 ID:qJudscWY0
「別に、嫌いってほどでもないんです。ただ……」
「ただ?」
「……実際は、あんな風にならないじゃないですか」
「トリックのことを言っているのかい? まあ、ものによってはそういうのもあるからねえ。割りきって楽しまなきゃいけないというのは、その通りかもしれないなあ」
「……」
「おっと、もちろん僕の好みを押し付けるつもりはないよ。変な話をして悪かったね」
「いえ。――こちらこそ、すみません」
「いやいや、何も榊原君が謝る話じゃないさ」
そう言った後、島田さんはトイレに行くと告げて席を立ち、ぼくは一人取り残される形になった。
なんとも気まずい感じで、会話は終わってしまった。
……実のところぼくは、いわゆるミステリに分類される小説もそれなりに読んではいたのだ。
怪異や超常現象に人間が翻弄されるホラー小説とは違い、
ミステリの世界では、名探偵たちが刃のように切れ味鋭い推理でもって、謎に満ちた世界を律する。
ホラーを読んだ後にミステリを手に取ると、そんな彼らの姿を実に頼もしく感じたものだった。
だからこそ、ぼくはホラーを「物語」として純粋に楽しむことができていたのかもしれない。
大丈夫。実際にはこんな恐ろしいことはあり得ないんだから。
だって現実の世界に不思議なことは何もなくて、こんな風に全てが秩序だっているじゃないか……と。
少なくとも、それがぼくのリアルだったし、そう信じていられた。
――だけどもそれは、しょせん幻想でしかなかったのだ。
150 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:04:39.69 ID:qJudscWY0
常識で考えれば信じがたい<災厄>で人が理不尽に死んでいくのを、ぼくは何度も目の当たりにした。
現実の世界が秩序あるものだというのはただの思いこみで、本当は不条理に溢れていた。
そして結局、不条理そのものと言うべき<災厄>からぼくらを救ってくれたのは、
<死の色>が見えるという、鳴の異能じみた<人形の目>――。
つまりは、また別の不条理だったというわけだ。
もしもミステリの名探偵が今年の三年三組にいたところで、<災厄>にはきっとなすすべがなかったことだろう。
そもそも、彼らがよりどころとするべき「事実」ですら、改竄であやふやなものとなってしまうのだから。
そんなわけでぼくは、なんとなくミステリに対して疎遠になってしまっている。
ホラー小説に対しても似たような抵抗は少なからずあったのだけど、元々「物語」だと思っていたか、そうでなかったかの違いは意外にも大きくて……。
この世界の現実以上に突拍子もない展開が起きたりすると、かえって安心してしまうこともあるのだ。
だから、なんだかんだでホラーは今も読み続けていた。
――それにしても、とぼくは思う。
この世界は、全てがミステリのように合理的・論理的に進むとは限らない。
そんなことはもう、痛いほど思い知らされている。
その前提を踏まえた上で……昨日の事件は、果たして一体どうなのだろう。
ただ単にぼくの知らない事実があって、真相をつかみそこねているだけなのか。
……それとも結局は<災厄>のように、ぼくらにはどうしようもない出来事だったのか。
結論にたどり着く見込みもない思考が、頭の中で渦を巻いている。
島田さんが席に戻ってくるまで、とりとめのないそれは続いた。
151 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:05:29.56 ID:qJudscWY0
27
「この店、やっぱりいい豆を使っているようだねえ。支払いの時に少し買っていくとしようかな」
トイレからの帰り道、カウンターの知香さんとコーヒーについて言葉を交わしていたらしい彼は、そう言って再び席についた。
「何か頼んだらどうだい、榊原君。こんな時間だ。お腹が空いてるんじゃないか」
「いや、そうでもないんです。起きたのが遅かったので」
「じゃあ、コーヒーのお代わりでも頼もうか? それとも紅茶にするかい」
「気にしないで下さい。……あの、さっきから思ってたんですけど」
「うん?」
「それって、何なんですか?」
席につくなり、島田さんが再び興じていた紙ナプキンの折り紙を指差す。
先ほどまで魚のように見えていたそれは、また得体の知れない形状に姿を変えていた。
「ああ、これかい」
まるで悪戯を企む子供のような笑みを浮かべて彼は言う。
「出来上がってのお楽しみってところだねえ。まあ、もう少しで完成するよ」
「もうすぐ完成なんですか?」
それにしては、彼が一体何を作っているのか、ぼくは未だにさっぱりなのだけど。
152 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:06:49.19 ID:qJudscWY0
「うん。だからそれまで、あとちょっとだけ僕の話を聞いてもらうとしようかな」
「えっと……今度は、何の話を?」
「もちろん、中村青司の"館"についてさ」
「……まさか殺人事件が起こるほかに、まだ何か?」
さっきまでの話の流れからすると、どうしても不吉なものを感じてしまう。
「いやいや、そんなに身構えるような話ではなくてね」
彼は愉快そうに白い歯をのぞかせる。
「第一、青司の館がそういう"場"になってしまったのは、あくまで彼が死んだ後、だろう? それと館自体が持つ『特徴』は、別のところにあるのさ」
「特徴って、さっき言ってた西洋建築だとか、そういう話ですか?」
「そうそう。榊原君も青司が奇妙な館ばかり建てていたことは、もう聞いているね? とはいえ、あの"夜見山の人形館"しか目にしたことの無い君には、ぴんとこないかもしれないが」
「まあ……そうですね」
「他のところはもっと強烈だよ。例えば……さっき僕が言った"十角館"。あれはその名の通り、上から見ると正十角形の形をしている」
「正十角形?」
数学の問題で目にしたことは何度かあるが、すぐにはイメージが浮かばない。
少なくとも、日常生活ではなかなかお目にかからない図形だろう。
「後は……"迷路館"もそう。名前でなんとなく察しはついていると思うが、廊下が迷路になっているんだ。各部屋を行き来するのには、毎回その迷路を通る必要があるんだよ」
……面白そうではあるけれど、実際に住むとなるとものすごく不便なんじゃないだろうか。
もしも火事が起きたりしたら、住み慣れていても焦りで迷ってしまいそうな気がする。
153 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:07:31.88 ID:qJudscWY0
「他にも、まあ色々だね。是非とも一度足を運んでみて欲しい……と言いたいところなんだが、事件が起きた後で空き家になってしまったり、中には取り壊されてしまったものもあるらしいから、難しいだろうねえ」
「……こういう言い方も変ですけど、見崎の家みたいに奇抜なところがないのは、むしろ異色なんですね」
「そうかもしれない。……だが、もしあそこが紛れもない青司の"館"だとすれば、一つだけ共通しているはずのものがある」
「それは?」
「それこそが彼の館のもう一つの『特徴』でね。言うなれば――そう、からくり趣味だ」
「からくり趣味?」
「ありていに言えば、隠し部屋とか秘密の通路とか、そういう類のものだねえ。青司は館を設計する際、必ずと言っていいほどそういった仕掛けを仕込んでいたのさ」
「あの"夜見山の人形館"にも、それがあると?」
「おそらくそうなんじゃないかと、僕は踏んでいるけどね。時には依頼主にも内緒で仕掛けを施すこともあったというから、住む人間がその存在を知らないことも珍しくない」
「それって、普通に暮らしていても気づかないものなんでしょうか?」
「偶然見つけることもあるだろうが、まず気づかれないだろうねえ。大抵の場合、仕掛けを作動させるレバーなりスイッチなりがあるんだが、それにしたって壁の中や床下やらに隠されている。そういうものの存在を知った上で、意図的に探してみない限りは難しいと思うよ」
「――あ。そう言えば島田さん、昨日ギャラリーの中を徹底的に調べたって言ってましたよね。それって、もしかして」
「ああ、君の想像通りだよ。あの館の仕掛けを探していたんだ」
彼がそれを「青司のせい」と表現したのは、つまりはそういうことだったのだ。
154 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:08:28.86 ID:qJudscWY0
「とはいえ結論としては、あそこにそれらしきものはなかったがね」
「その仕掛けを見つけたら、島田さんはどうするんですか?」
「別にどうもしないさ。こうやって探しているのだって、特に深い目的があってのことじゃないしね。ただ……」
「?」
「そこに隠し部屋や秘密の通路があるって言われたら――気になっちゃうじゃないか、どうしてもさ。ねえ?」
同意を求めるようにぼくに向けられた彼の表情は、この日一番の笑顔だった。
いやいや、あまりに身も蓋もない……と呆れる気持ちがなかったと言えば嘘になってしまうけど、
その分、この純粋で無邪気な答えこそが紛れもない彼の本心なのだろう、とも感じた。
「ギャラリーが違うのなら、可能性は他の場所、ですよね」
「ああ。地下か、それとも上階か……もし上階にあるなら、住人の許可無しには探せないなあ」
島田さんがそう言い終えた、その時。
それまでずっと動き続けていた彼の指が、まるで最後の一画を入れ終えたような、ある種の余韻を持ってその動きを止めた。
「――さて、完成だよ」
155 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:09:14.28 ID:qJudscWY0
28
唐突に彼はそう言って、手の中の物体をぼくに向かって放り投げる。
それまでの繊細な手つきとは裏腹に、無造作な動きで投げ出されたそれは、テーブルの上を一度跳ね、ぼくの目の前に「着地」した。
「"七本指の悪魔"。自慢じゃないけど、これを折れる人はそうそういない」
彼の言葉通り、こちらを向いて直立しているそれの手には、鋭い爪を備えた指が七本。
山羊を思わせるたわんだ角に、背中には羽。矢じりのように先の尖った尻尾。
紙ナプキンの白の中にあっても禍々しさを隠しきれていないそれは、紛れもなく悪魔だった。
――しかし。
「……あの、島田さん。これって、元から"こう"なんですか?」
彼は確かに「完成」と言った。だとしたら、あるべきものがここにはない。
ぼくの問いに、彼はにやりと笑う。
それはもちろん、肯定の笑み。
「お察しの通り、今回はいくつかの手順を省略させてもらったよ。……榊原君が遭遇した事件のことを思うと、こうするべきなんじゃないかと思ってね」
折り紙の「悪魔」は本来、裂けたように大きな口を開け、一目でそれと分かる邪悪な表情を浮かべているという。
だが、これは後から調べて分かったことで、この時のぼくにそれを知るすべはなかった。
なぜなら――やはり、なかったのだ。
昨日ぼくが見つけたあの人形と同じく、この折り紙の悪魔にも、顔が。
顔の部分には、まるで削り取られたような平面があるだけ。
顔のない、純白の悪魔――。
言葉もなく、ぼくはただそれをまじまじと見つめることしかできない。
「僕らにとって昨日のことは、この悪魔のようなものなのかもしれないなあ」
156 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:09:54.41 ID:qJudscWY0
ぐるぐると肩を回して、島田さんがぽつりと言う。
ひと仕事を終えてほっと一息、といった風情だ。
「ある程度の輪郭は掴めていても、肝心な部分はぼやけたまま、どんな表情をしてるかすら分かっちゃいない。……さてと」
そう言い終えると、彼はやおら立ち上がった。
「それじゃあ、僕は行くとしようかな」
「行くって、どこにですか」
「もちろん東京だよ。そろそろ戻らないとね」
思わず「ええっ」という声が出てしまった。
「もう帰っちゃうんですか? 今日も見崎の家に行く予定だったんじゃ」
「本当はそうしたかったけど、留守ならどうしようもないさ。一度は中に入ったんだから、それで良しとしておくよ」
「……なんだか、残念ですね。島田さん、せっかく遠くから来たのに」
「いやいや、門前払いを食らってそれっきりのところもあるからねえ。そうじゃないだけでもありがたい話さ。また来ればいいんだから」
「じゃあ、またいつか夜見山に?」
「スケジュールと相談になるだろうが、いずれ、ね。――だから事件についてはもう、どうするかは君次第だ、榊原君」
「……」
157 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:10:37.95 ID:qJudscWY0
「昨日の事件、あれは言ってしまえば器物損壊だ。警察に届け出るのも一つの選択ではあるが……まあ、それは実質的な被害者である霧果氏の意向を尊重すべきだろうね」
事件のことを、霧果さんはどう考えているのか。思えば、ぼくはそれすらも分かっていない。
「……ぼくは、どうするべきなんでしょうか」
リュックを背負う島田さんに問いかける。
このまま別れてしまえば、どうすれば良いのか分からず、後はもう途方に暮れるしかなくなってしまいそうだった。
そんなぼくの心中を知ってか知らずか、彼はやはり軽い調子でこう言う。
「そんなに難しく考える必要はないさ。君がしたいと思ったことをすればいい」
「ぼくの、ですか」
「ああ。そもそも君は、これからどうしたい? 犯人を懲らしめたいのか、真実を知りたいのか……あるいは、もう考えたくないのか」
島田さんが与えてくれた選択肢を、一つ一つ考えてみる。
まず――犯人を懲らしめたい、なんて感情はぼくにはなかった。
というより、これはまだ上手く説明する言葉を得られていないのだけれど……この事件は「そういうもの」ではないんじゃないか。
そんなぼんやりとした感覚が、この時のぼくには既にあったのだ。
そして……考えることを放棄して、事件から目を背ける選択。
それも嫌だった。
例えとして適切かは分からないけど……それはまるで、他の人たちと一緒にクラスで鳴を"いないもの"として無視するような。
そんな選択のように、ぼくには思えたのだ。
158 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:11:32.73 ID:qJudscWY0
だとすれば結局、ぼくがするべきことは――。
「――やっぱり、気になります。昨日、あの家で何が起きたのか」
ぼくの返事に、島田さんは満足げに頷いた。
「うん。だとすれば、その気持ちに従うべきだよ。君だって、この事件については当事者と言っていい。そうする権利はある……と、僕は思うね」
そう言って、今度はどこか寂しそうに笑う。
「逆に、そういう意味では僕は部外者だからねえ。首を突っ込むのはここまでにしておこう」
「でも、また来るんですよね?」
「もちろんさ。……そうだねえ、今度はあそこの主がちゃんといる時に訪ねるとするよ」
あそこの本来の所有者である、鳴の父親――紅太郎さんがいる時、ということだろうか。
彼が次に夜見山に帰ってくるのは、果たしていつになるだろう?
……というか、帰ってくるんだろうか?
「もっとも、しばらくは事件の影響で先方もゴタゴタしているだろうから、少し時間を置いた方がいいかなあ。……榊原君とも、また会えるといいんだが」
「……そう、ですね」
彼の言う「また」がどのくらい先のことを指しているかは分からなかったけど、それが来年度以降の話であるなら、
まず間違いなく、ぼくはもうここにはいない。
159 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:12:38.39 ID:qJudscWY0
けれども、それはわざわざ口にする必要もないことだったし、
そもそも彼の場合、お目当ては鳴の家なのであって、ぼくがいようがいまいがきっと関係のないことだろう。
「ありがとうございました。その、色々とお話を聞かせてもらって」
「それはこっちの台詞だよ。長々と付き合わせて悪かったね。コーヒー一杯じゃ釣り合わないなあ。……君、別にもう絶対コーヒーは飲みたくないって訳じゃないだろう?」
「え。……まあ、そうですけど」
「よし。それじゃもう一杯ご馳走するから、ゆっくりしていくといい」
そう言って伝票をひょいと取り上げ、彼はすたすたとレジの方へ歩いて行く。
知香さん相手に会計を済ませ、ついでに購入したらしいコーヒー豆が入った紙袋を持ち、出入口の扉を開けて店の外へ……。
と思いきや、最後にもう一度ぼくの方を向いて軽く手を挙げ、今度こそ島田さんは出て行った。
そうして、テーブルにはぼくひとりが残された。
知香さんはカウンターに戻り、コーヒーサイフォンのフラスコにお湯を注いでいる。
島田さんが帰り際、ぼくのために注文していったものだろう。
少なくともそれを飲み干すまで、いましばらくの間はここへ釘付けにされてしまった格好だ。
まあ、今すぐここを離れなきゃならない事情もないから、ぼくにとってはありがたいばかりなのだけど。
160 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/21(木) 22:13:30.83 ID:qJudscWY0
緊張が途切れたせいか、急に全身が疲労感に包まれる。
テーブルに顔を伏せ、そのままだらしなく伸びをすると、頭のてっぺんに何かがかさりと触れた。
顔を上げると、文字通り目と鼻の先に紙ナプキンの悪魔が立っている。
ああ、そういえばこいつもいたんだっけ。
指の先で軽くつついてやると、それは何の抵抗もなくこてんと倒れた。
仰々しい見た目のわりに、ずいぶんとあっけないことだ。
――僕らにとって昨日のことは、この悪魔のようなものなのかもしれないなあ。
島田さんの言葉が甦る。
……こののっぺらぼうの悪魔が、事件の現状なのだとして。
ぼくが暴くべき「顔」とは、一体何なのだろう。
未だはっきりしない、鳴の真意?
館のどこかに隠されているという、中村青司のからくり趣味?
それとも……。
底なし沼のような思考にずぶずぶと沈んでいくぼくを、仰向けになった悪魔が見上げている。
顔のない悪魔が、ぼくを嗤っているような気がした。
161 :
◆8D5B/TmzBcJD
[sage]:2019/02/21(木) 22:14:48.26 ID:qJudscWY0
今日はここまでです。
続きはまた明日にでも。
162 :
sage
:2019/02/22(金) 21:33:08.53 ID:Z5IfMOqx0
乙です
こういうのを読みたかった
163 :
◆8D5B/TmzBcJD
[saga]:2019/02/22(金) 21:33:19.03 ID:FyaWLz+D0
再開します。
164 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:34:22.28 ID:FyaWLz+D0
29
「ほら、ここ」
回答用紙にびっしりと書かれた計算式の一つを、ぼくがとんとんと赤ペンで叩くと、
勅使河原直哉は眉間に皺を寄せ、その部分を覗き込んだ。
「問1の計算を間違えてるだろ? この大問は問1の答えを使って問2と問3を解いていくから、ここにミスがあると全部間違いになっちゃうんだよ」
「うわー……何だよ、そんなことだったのかよ」
「勅使河原の言う通り、考え方も使う公式も間違ってないよ。うっかりミスに気をつけましょう、って話だね」
「ったくもう、散々考えて損した気分だぜ。……悪りいな、サカキ。手間取らせちまった」
「別にこのくらいなら、手間にもなってないよ。分からなかったら訊くしかないんだし、いつでもどうぞ」
「おお、やっぱり出来る人間は言うことが違うねえ。んじゃ、またすぐに甘えさせてもらうことになると思うから、よろしくな」
休日が終わり、月曜日。
昨日はあれからもう一度鳴の家に行ってみたのだけれどやはり留守で、後はそのまま家に帰って一日が終わった。
なんとも居心地の悪い気分のまま登校し、午前中の授業を終え、ようやく昼食を済ませて一息ついたところ……というのが現在の状況だ。
165 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:35:35.93 ID:FyaWLz+D0
教室を見渡せば、クラスのみんなは思い思いに昼休みを過ごしている。
友人と談笑する者、何をするでもなく微睡んでいる者……。
とはいえ、受験が徐々に迫ってきていることもあってか、昼休みでも変わらず勉強をしている生徒が大半を占めていた。
今しがたぼくにアドバイスを求めてきた勅使河原も、その一人である。
ちなみに、彼はもうとっくに自分の席に戻って次の問題と格闘しているようで、
ぼくの机の真後ろに位置する彼の席からは、鉛筆を走らせる音が忙しなく聞こえてきていた。
勅使河原がこれほどまで真剣に勉強に打ち込むようになったのは、合宿が明けてからのことだ。
それまでの彼は、良く言えばクラスのムードメーカー、悪く言えばお調子者の遊び人といった感じで、少なくとも勉強とは無縁だったと言っていいだろう。
成績も、下から数えた方が早いどころか、それを通り越して「逆トップ争い」の常連だったと、彼が自分で言っていたことがある。
そんな彼の現状は、今ではこの通り。
いつも楽しそうに騒いでいた勅使河原がこんな調子だから、
新学期を迎えてからというもの、休み時間になってもクラスはやけにひっそりとしてしまっている。
……もちろん、理由はそれだけじゃない。そんなことよりも明白で、重大な要因があった。
単純に、人数が少ないのだ。
166 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:37:20.97 ID:FyaWLz+D0
あの合宿で<災厄>が終わったとはいえ、それまで犠牲となったのは、三年三組の生徒だけでも十二人。
あまりにも多く、人が死に過ぎた。
現在の三組の生徒は、たったの十八人。それで全員だ。
そして当然、残された者たちにしてみても、<災厄>が終わったから全てが元通り……なんて訳にはいかない。
全員がクラスメイトを、あるいはそれ以上に親しい友人を、それぞれ喪っているのだ。
その事実が今もなお、クラス全体に暗い影を落としている。
勅使河原の変化だって、つまりはそういうことなのだ。
彼は新学期になってから、志望校を県内でも有数の進学校である西高へ変えている。
彼の成績を考えれば、無謀でしかない決断。
だがクラス全員、彼がなぜそうしたのか、理由はすぐに分かった。
西高は彼の幼馴染であり、合宿で犠牲になったクラスメイトの一人でもある風見智彦の志望先だったからだ。
勅使河原と風見は、小学三年生の頃からずっと同じクラスで、家も近所同士だったという。
気のいい奴だけど、着崩した服装に茶髪という、見る人によっては不良少年と誤解されかねない風貌の勅使河原とは対照的に、
風見はいかにも優等生然とした、メガネがよく似合う落ち着いた物腰の生徒だった。
けれど二人はよく一緒に行動していたし、話をする時もお互い、いい意味で遠慮なくものを言っていた。
それは彼らの長いつきあいが成せるわざ、といったところだったのだろう。
いろいろあって人間関係がぎくしゃくした挙句、そのリセットも兼ねてここ夜見山へ来たぼくにとっては、そんな二人がほほえましくもあり、羨ましく思ったことだってあった。
まあ、当の彼らは互いの関係を「腐れ縁」なんて言ってはばからなかったのだけど。
167 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:38:48.62 ID:FyaWLz+D0
その風見が命を落とした経緯について、ぼくはここで多くを語るつもりはない。
ただひとつ言えるのは、勅使河原がその死について責任を感じ、深く悔やんでいるということ。
それから彼が何を思い、西高を志望するに至ったのか。
ぼくはそれを知らないし、本人が語ったこともない。それならそれでいい、とも思う。
ただ友人として、できる限りの手助けはしてやりたいと思うだけだ。
夏休みが明けてもうすぐ二ヶ月が過ぎようとしているが、勅使河原の決意は揺らいでいなかった。
むろん、気合だけでどうにかなるほど現実は甘くない。
クラスのトップクラスではなくとも、勉強ができない部類では決してなかった風見ですら、西高に合格できるかどうかはこれからの努力次第、という状況だったのだ。
勅使河原の場合は、そもそものスタートから大きく出遅れていることもある。
彼の努力は近くで見てきたぼくも痛いほど分かっているが、現時点での学力は合格ラインに遠く及ばなかった。
担任代行の千曳さんが、受験すること自体を許さない可能性だってあり得るだろう。
けれど、それはあくまで現時点での話だ。
この二ヶ月間だけに目を向けると、勅使河原の伸びはクラスでも抜きん出ていた。
仮に彼がこのまま、それこそ年が明けてもずっとこのペースを維持できれば、
確実に合格とはいかないまでも、戦いの舞台に立ち、勝つか負けるかの勝負――それも多少は分の良い――をすることはできる。
そうぼくは確信していた。そして今の勅使河原ならば、きっとそれをやり遂げるということも。
168 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:40:27.14 ID:FyaWLz+D0
親友の死に対する、彼なりのけじめ。
それが彼を突き動かす原動力なのだろう。
もしかしたら、そこにあるのは前向きな感情だけではないかもしれない。
向き合いたくないことから逃避するための手段として、勉強に没頭しているのではないか……。
そんな疑問が、脳裡をかすめたことも何度かあった。
休日もほとんどの時間を勉強に費やすようになり、めっきり付き合いが悪くなった勅使河原を思うと、その可能性の方が高いのかもしれない、とも。
が、ぼくはそれでもやはり、それならそれでいい、と思うのだ。少なくとも、今は。
賑やかだった勅使河原を知っている身としては、今の彼をほんの少し寂しく思う気持ちもあるけれど、
息があるのなら、足が動くのなら、走れるだけ走ればいい。
そうして辿り着いた結果がどんなものだったとしても、きっと彼の中で何か答えが出るはずだ。
勅使河原の鉛筆の音は、ぼくがこうしてぼんやりしている間も絶え間なく聞こえてくる。
難問に直面しているのか、時折「うーん」という悩ましげな唸り声も。
彼がぼくの後ろの席で良かった、と思った。
――未だ立ち止まったままのぼくにはきっと、彼の姿は眩しすぎる。
169 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:42:32.30 ID:FyaWLz+D0
30
――おはよう、見崎。
――おはよ。
今日の朝、昇降口で挨拶を交わした鳴の様子はいつも通りに思えた。
それこそ、土曜日のことなどまるでなかったかのように。
だが一方で、あのことについて彼女がぼくに何かを語ることもなく、それきり会話もないままだ。
鳴にどう話を切り出したものか、ぼくが迷って声をかけられないでいる、というのはある。
だがそれ以上に、鳴の方もどことなく、ぼくを避けているというか……話しかけられるのを拒絶する雰囲気があるのは、ぼくの思い過ごしではないはずだ。
まるで――そう、ぼくがクラスで"いないもの"にされていた時の、クラスメイトたちのどこかよそよそしいあの感じ。
そんな印象を鳴から受けるのだ。
……皮肉なものだな、と思う。
ぼくが"いないもの"だった時でも唯一、同じく"いないもの"だった鳴だけは、普通にぼくと接していたというのに。
<災厄>が終わった今になって、よりにもよって鳴とこうなるなんて。
やっぱり何か、ぼくに言えない、言いたくないことがあるということなんだろうか。
振り返り、ぼくの席から見て左後方の窓際、最後列に位置する鳴の席を見やる。
彼女は机にノートを広げ、午前中にあった授業の内容をまとめているらしかった。
俯いたその横顔を髪が隠しているから、鳴の表情は分からない。
多分、ぼくのことも見えてはいないだろう。
こうしてずっと鳴を見つめていれば、いずれぼくに気がつくだろうか?
あるいは……例えぼくを視界の端に捉えたとして、そのまま"いないもの"にしてしまうのかもしれない。
そんなことを考えながら、それでも鳴の方を見ていると、不意に背中をつつかれた。
170 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:44:15.90 ID:FyaWLz+D0
「早いね。次はどの問題?」
二つ後ろの席の勅使河原は、思い切り身を乗り出し、定規を持った右手をぼくに突き出している。
彼が体を預けている、ぼくのひとつ後ろの席。
そこに座っていた王子誠は、今はもういない。
だから、振り向く前から勅使河原の仕業とすぐに分かった。
「いや、勉強のことじゃなくてよ。……なあ、サカキ」
彼らしくもない、まるでぼくの機嫌をうかがうような声。
ただならぬものを感じて、ぼくの声も自然とこわばった。
「どうしたの?」
「その、なんだ。おれが言えたことじゃないんだろうけどさ」
「?」
「……辻井のこと、許してやってくれよな」
「……うん?」
唐突に出てきた名前に、頭の中が「?」で埋め尽くされる。
当の勅使河原はといえば、さっきまでぼくが見ていた方向――窓側の、鳴の席あたりに顔を向けていた。
ぼくもつられてそちらを向き……ただし目の焦点は、鳴のやや手前で像を結ぶ。
171 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:45:18.33 ID:FyaWLz+D0
ちょうどぼくと鳴をつなぐ直線上に、眼鏡をかけた一人の男子生徒が座っていた。
彼は立てた教科書でぼくから顔を隠しつつも、時折おそるおそるといった感じでこちらに視線を送り、
そしてぼくと目が合うと、また顔を引っ込める。その繰り返しだった。
彼の名前は、辻井雪人。
彼こそが勅使河原の言う「辻井」なのだった。
つまり、ぼくが鳴の方をじっと見つめていたものだから、勅使河原はぼくが辻井を睨みつけているのだと誤解したらしい。
なんでまたそんな勘違いを……と呆れてしまいそうになるが、勅使河原の表情は真剣そのものだ。
そしてその目には、ほんの少しの怯えの色。
あの合宿が終わってからというもの、彼は時折、こんな顔をするようになった。
……きっと、不安なのだろう。
取り返しのつかない「何か」が起こりそうな、そんな予兆を見過ごすことが。
自分自身がそうだった分、余計に。
「――ああ、違う違う。ぼくが見てたのはさ、ほら」
だからぼくは心持ち大げさに笑顔を作って、改めて鳴の方をあごでしゃくってみせた。
172 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:46:12.95 ID:FyaWLz+D0
「んん……? ……あ、そういうことか。なんだよサカキ、見崎とケンカでもしたのか?」
それですぐに、彼の表情はぱっと明るくなった。
――やっぱり勅使河原には、いつもこういう顔をしていてほしい。
元気を取り戻した彼の茶々を軽くあしらいながら、そんなことを思う。
これで一件落着……なのだが、問題がひとつ。
それは当のぼく自身に、辻井を恨む心当たりが全くない、ということだ。
だから「許してやってくれ」と言われても、そもそも何を許せば良いのかさっぱり分からない。
173 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:47:24.55 ID:FyaWLz+D0
いくら勅使河原が多少なりともそういうことに対して敏感になっているとはいえ、流石にただ誰かを見ているだけで「睨んでいる」と思ったりはしないだろう。
それは辻井も同じことで、彼がああいう反応をしていたということは、
彼自身もまた、ぼくの視線を「睨まれている」と思っていたということ。
つまり、二人の間で「ぼくが辻井を恨んでいる」、あるいは「そう思っていてもおかしくはない」というのは、どうやら共通認識となっているらしい。
だが、もちろんぼくはそんなことを思ってはいないし、そもそも辻井に悪感情を持ってもいない。
確かにクラスメイトの中でもあまり会話が多いほうではなかったけれど、お互い読書が好きということもあって、
時々そういった話をすることさえあったのに。
しかし考えてみれば、最近は彼と言葉を交わすことがほとんど無くなっているのも事実だった。
そうなったのは……やはりと言うべきか、合宿が終わった後からで。
あの時、ぼくと辻井の間で何かがあっただろうか?
そう考えてみると、答えは自ずと見えてきた。
174 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:48:34.07 ID:FyaWLz+D0
31
<咲谷記念館>で行われた合宿。
結果としてそのおかげで<災厄>は終結したのだけど……代償は、あまりにも大きかった。
合宿での出来事をひとことで言い表すなら、"惨劇"という二文字がふさわしい。
<災厄>によってもたらされる無慈悲な死と、その狂気の渦に呑み込まれた人間の狂騒との狭間で、
<災厄>を止める唯一の方法――つまり、<死者>を"死"に還すこと――が、ある生徒の手によってクラス全員の知るところとなった。
だけど、そもそも<死者>が誰かなど、<災厄>の改竄による影響で分からなくなってしまっているのだ。
鳴の<人形の目>のことだって、この時点ではぼくと鳴の他に知る者などいなかった。
そんな状況で「<死者>を殺せば<災厄>は止まる」なんて情報は、はっきり言って毒にしかならない。
それも致死の猛毒だ。
結果として多くの人間が疑心暗鬼に陥り……やがてそれは、ある結論に達した。
"見崎鳴こそが今年の<死者>である"、という誤った結論に。
そうして、何人ものクラスメイトが明確な敵意を、あるいは殺意を持ってぼくと鳴の前に現れた。
その中には、辻井の姿も。
175 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:49:41.79 ID:FyaWLz+D0
――僕は死にたくないんだぁっ!
そう言ってモップを振り上げた彼の表情には、死への恐怖がありありと浮かぶ。
咄嗟のことで体が動かず、ぼくはモップが鳴に振り下ろされるのを眺めていることしかできなかった。
しかし、直撃すれば充分に命を奪いえたであろうその一撃が、鳴に達することはなかった。
三神先生――怜子さんが、身を挺して彼女を守ったからだ。
倒れ伏した怜子さんの頭のあたりから流れ出した真っ赤な血が、ゆっくりと床に広がっていった。
死んでしまった、と思った。
殺された、とも思った。
頭が真っ白になり、体は瞬時に熱を帯びた。
考えるより先に手が動いて、ぼくは辻井を殴っていた。
彼は大きくよろめいて、尻餅をついた。
なおも向かっていこうとしたぼくを、鳴が止めた。
鳴は何も言わず、ただ小さく首を振った。
ぼくも、無言で頷いた。
……後は二人で手を繋ぎ、どこまでも逃げていった。
176 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:50:17.40 ID:FyaWLz+D0
◇
合宿でぼくと辻井との間に起こったいざこざと言えば、これだけだ。
いや、「これだけ」という言葉で片付けるのが適当かどうかは分からないけれど……とにかく。
辻井が負い目を感じているのは、間違いなくこのことについてだろう。
……こんな大事なことを、ぼくは今まで忘れていたのかって?
まさか。忘れるはずないに決まってる。
ただ、これを「ぼくが辻井を恨む心当たり」として、思い浮かばなかっただけのこと。
今この瞬間だって、それは変わっていない。
ぼくはあのことで辻井を恨むつもりはない……というよりも、ぼくにそんな資格はないのだ。
なぜならぼくがしたことだって、彼と大して違いはないのだから。
177 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:51:54.16 ID:FyaWLz+D0
◇
<災厄>に終止符を打つべく、鳴が<人形の目>で見抜いた<死者>の正体は、怜子さんだった。
鳴を庇った彼女が実は生きていたことに安堵する間もなく、鳴はそう告げた。
そうして怜子さんを"死"に還そうとする鳴を制し、最後はぼくが。
彼女の家族としてこのぼくが、すべてを終わらせた。
そう、それで今年の<災厄>は終わった。怜子さんは間違いなく<死者>だったのだ。
だから、あの時ぼくが下した決断は正しかった。そういうことになるのだろう。
けれどもそれは、「結果的に」正しかっただけ、なのだ。
あの時鳴が怜子さんに見た<死の色>を、当然ぼくは見たわけじゃない。
鳴はその結論を足がかりにして、<災厄>が巧妙に隠蔽していた違和感、
つまり三組にしか副担任がいないことや、始業式に教室で机の不足が起きなかった理由――足りなくなっていたのは職員室の机だったこと――をも暴いてみせたけれど、
それにしたって、確たる証拠とは言いがたい。
事実、ぼくは鳴の説明を聞いてなお、怜子さんが<死者>だと確信することはできなかった。
というより、半信半疑だったと言っていい。
178 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:54:48.89 ID:FyaWLz+D0
じゃあ、どうしてぼくが彼女を"死"に還す決心をしたのかと言えば……。
結局のところ、鳴が言ったからだ。
――信じて、と。
だからぼくは鳴を信じた。信じようと思った。
ただ、それだけ。
論理的でもなんでもない。
きっと、今際の際の怜子さんには、辻井たちが鳴を殺そうとした時のものと同種の狂気に、今度はぼくがとらわれたようにしか見えなかったことだろう。
少なくとも彼女の目には、ぼくはそう映ったはずだ。
そして……彼女はそのまま、去ってしまった。
だとすれば、ぼくと辻井がやったことに、一体どれほどの違いがある?
ただ信じたものと、その結果が違っただけだ。
……そしてそれはきっと、勅使河原にしたって同じだったはずなのだ。
だから、ぼくは彼を憎む気にはなれない。
第一、もう怜子さんはいないのだし……とまで考えたところで。
延々と紡がれていた思考の糸がぶつん、と切れる。
見えない壁へいきなり激突したかのように、身体までびくりと震えた。
気づいてしまった。
ぼくが今まであれこれ考えていたことが、全くの見当はずれだったことに。
179 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:56:17.82 ID:FyaWLz+D0
辻井がぼくに負い目を感じているのは、あの合宿で怜子さんを傷つけてしまったから。
そんなことはあり得ないのだ。
なぜならもう、<災厄>の改竄によって、彼の中で怜子さんは存在していなかったことになっているのだから。
勅使河原だって例外ではない。
今年度の、副担任としての彼女を未だに憶えているのは、今はもうぼくと鳴だけ。
……だとすれば。
もう一度辻井を見た。
ちょうど彼もぼくの方を見ていたようで、視線がまともにぶつかる。
彼は哀れに思えるくらい動揺して、またしても顔を伏せてしまった。
――改竄された"今"の事実で彼は一体、何をしたことになっているんだ?
そんな疑問はしかし、不意にスピーカーから流れ出した、
「えー、三年生の各クラス男子委員長、至急職員室まで集まるように。以上」
という校内放送に追いやられてしまう。
180 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:57:37.79 ID:FyaWLz+D0
今のぶっきらぼうな声は、体育の宮本先生だ。
昼休みに呼び出し、しかも男子だけとは、一体何事だろう?
あの放送だけでは、肝心の用件がまるで分からない。
そんなことを考えながら、そのまま何となくスピーカーの方を見つめていると、肩にぽんと手が置かれた。
「お勤めみたいだな。よろしく頼むぜ、委員長」
いつの間にやら隣に立っていた勅使河原が、快活に笑う。
「はいはい。分かってるよ」と返事をして、ぼくは椅子から立ち上がった。
現在、三組の男子クラス委員長を務めているのは、ぼくだ。
合宿で当時の委員長だった風見と赤沢さんが命を落とした結果、新学期を迎えたクラスで「暫定的に」という名目で決められた役目ではあったけど、
たぶん、卒業するまでこのまま続けることになるのだろう。
181 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:58:18.86 ID:FyaWLz+D0
「まったく……いいご身分だよね、勅使河原は。ぼくのことを勝手に推薦しておいて、自分はこうして悠々自適なんだから」
「おいおい、おれのせいみたいに言うなよ。大体、満場一致で賛成だったんだぜ? おれが言い出さなかったとしても、他の誰かが推薦してたってオチだろ、多分」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
「観念するこったな。合宿であんだけリーダーシップ発揮してたら、そりゃ誰も放っとかないっての」
「……リーダーシップ、ね」
「おう。おれはちゃんと覚えてるぜ? 夕飯が終わってからも自由時間返上で指示やら連絡やら――」
「……」
「……サカキ?」
「ごめん、なんでもないよ。……じゃあ、そろそろ行ってくるから」
怪訝そうな表情の勅使河原に軽く手を挙げ、教室をあとにした。
182 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 21:59:22.60 ID:FyaWLz+D0
◇
職員室への道すがら、ぼくは<災厄>が残した影響というものの大きさをひしひしと感じていた。
何を隠そう、ぼくが今こうしてクラス委員長をしているのだって、もとを正せば<災厄>のせいなのだ。
勅使河原はぼくが「合宿でリーダーシップを発揮していた」と言う。
だが実を言えば、そんなことをした記憶はぼくにはない。
あの合宿でぼくがしたことと言えば、<死者>を"死"に還したことだけ。
そしてそれを知るのは限られた人間だけで、当然ながら勅使河原は知らない。
けれど、彼が勘違いをしているわけでもないのだ。
事実、合宿に参加したクラスメイトに「ぼくは合宿でリーダーシップを発揮していたか?」と訊けば――そんな質問、ぼくは間違ってもしないだろうけど――みんなが「はい」と答えるだろう。
ただ一人、鳴を除いては。
要するに、これもまた<災厄>の改竄による影響、なのだった。
<災厄>が終わり、三神怜子という教師の存在は消えても、彼女はそれまで確かに存在し、生きていたのだ。
怜子さんの行動。それにより生じた、様々な結果。
それすらも無かったことにしてしまうのは、さすがの<災厄>であっても、どうやら手に余るらしい。
<災厄>が終わった後、怜子さんの行動は、他の人がしたこととして置き換えられていた。
彼女が顧問をしていた美術部は、違う美術教師が顧問をしていたことになり、
久保寺先生の死後に彼女が務めていた担任代行は、千曳さんのしたことになっていた。
183 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:00:53.20 ID:FyaWLz+D0
――そして、夏休みの合宿。
和久井が発作を起こし、千曳さんと共に山を降りた後、残ったみんなに指示していたのはぼくではない。怜子さんだ。
その時ぼくはただ、鳴の部屋で彼女の話を聞いていただけ。
彼女の出自、霧果さんとの関係――それから、<人形の目>と<死の色>。
本当に色々なことを聞いた。
逆に言えば、クラスメイトたちのために駆け回るなんて殊勝なことは……正直に言おう、していない。
ぼくは怜子さんがしたことを、後になって<災厄>から引き継がされたにすぎない。
そしてクラスメイトたちは、その改竄された事実に従って、ぼくをクラス委員長へと担ぎ上げた。
ただ、それだけのことなのだ。
千曳さんがいない間の出来事だから、怜子さんの担任代行としての他の行動のように、千曳さんがしたことには出来なかったのだろう。
それは分かる。けれど……なぜ、ぼくなのか。
その時クラス委員長だった風見や、それこそ勅使河原とか、適任者は他にもいるはずなのに。
184 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:02:27.08 ID:FyaWLz+D0
<災厄>はただの<現象>で、何者かの意思なんてものは存在しない。
だからぼくが選ばれた理由にしても、そんなものはそもそもなくて、単なる偶然にすぎない。
あったとしてもせいぜい、「ぼくが怜子さんの家族だから、改竄が簡単」程度のものだろう。
でも……例え、それだけの話でしかないのだとしても。
考えようによっては、これは事実が改竄されてなお、怜子さんがぼくに遺してくれたものだとも言えるのではないか。
彼女の行動。それが巡り巡ってぼくにもたらした、クラス委員長という立場。
……はっきり言って、今みたいに余計な仕事が増えるばかりで、良いことはほとんどないのだけど。
それでも卒業するまでの間、これ以上ないくらい完璧に務め上げてやろうじゃないか。
今のところぼくは、そう考えるようにしている。
職員室に集まったぼくたち男子に宮本先生が指示したのは、不要になった資料の運搬だった。
なるほど、力仕事になるから女子は呼ばなかったのか。
そんな風に納得しつつ汗をかきながら資料を運び、教室に戻ることも出来ないまま昼休みは過ぎていった。
185 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:03:29.36 ID:FyaWLz+D0
32
結局、朝の挨拶からぼくと鳴の間に会話らしい会話が生まれることもなく、月曜日の授業は終わった。
鳴はホームルームが終わるなり鞄を持って席を立ち、すぐに教室を出ていった。
六限目の授業で分からなかったことを矢継ぎ早にぼくへ尋ねてくる勅使河原や、
その質問攻めを必死で捌くぼくを気にする様子もなく、である。
……まあ、それはそれで良かったのかもしれないな。
のけ反るようにして、<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>を見上げながら、そんなことを思う。
ここへ来ようと思うなら、それを悟られないよう、いずれにしても鳴と学校を出るタイミングはずらす必要があっただろう。
いや、例え鳴にぼくのやろうとしていることがばれたとしても特に問題はないのだけど、
こういうことはこっそりとやる方が気兼ねなくできる。
問題はギャラリーが営業しているかどうかであり、そこは完全に運任せだった……が。
幸いなことに、入口の前には看板が出されていた。
どうやら天根さんはもう復帰しているらしい。
店名が記された黒い額縁を思わせる看板の下には、いつもなら「どうぞお立ち寄りください 工房m」という表札めいた板も立てかけてあるのだが、今日はそれがなかった。
代わりに看板の下には、一枚の張り紙。
そこには黒いマジックで、こう記されている。
――しばらくお休みします 工房m
186 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:05:10.66 ID:FyaWLz+D0
無理もないな、と思う。
霧果さんにとって棺の人形は、ただの作品以上の意味があったはずだ。
それに事件が起きてから、まだたったの二日。
鳴は「気にしないで」なんて言っていたけど、自分の人形を壊されて、堪えていないはずはない。
しかしギャラリーが開いているのなら、いずれにしてもぼくの目的は果たせることだろう。
今は自分のやるべきことをやらないと。
入口の前で立ち止まり、一度大きく深呼吸をしてから、意を決して扉を開ける。
ドアベルがからん、と鳴った。
187 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:06:27.28 ID:FyaWLz+D0
◇
「いらっしゃい」
くぐもった声が、ぼくを出迎える。
一昨日は誰もいなかったカウンターテーブルに、今日は一人の老女が座っていた。
彼女は暗い緑色のレンズが入った眼鏡に手をやり、ほんの少し身を乗り出してぼくを見ている。
薄闇に満たされた館内、その調和を乱すまいとするかのようにくすんだ鉛色の服を着ていて、
ともすれば見落としてしまいそうになるこの人こそが、件の天根さんだ。
「おや、しばらくぶりだねえ」
入ってきたのがぼくと分かると、天根さんは眼鏡の奥で目を細める。
何かとこの家には来ていても、こうして彼女と対面するのは、もう数ヶ月ぶりのことだった。
初めてここに来た時の第一印象こそ不気味ではあったけど、それに慣れた今となっては、会話に気後れすることもない。
「お久しぶりです。……もう、お体の方は大丈夫なんですか?」
「あら、鳴から聞いたのかい? こんなおばあちゃんのことを気遣ってくれるなんて、優しい子だねえ。おかげさまで、この通り元気にしているよ」
「それなら良かったです。でも、無理はしないで下さいね」
「なんだか、みんなに心配かけてばかりで申し訳なくなってくるよ。坊やや鳴からもだし、美津代にも由紀代にもねえ」
……うう。十五歳にもなって「坊や」と呼ばれるのは、なんともこそばゆい。
しかしまあ、天根さんから見ればぼくなんて、やっぱり「坊や」でしかないんだろうし、
だからといってここで「『坊や』って呼ばれるのは恥ずかしいのでやめてください」なんてお願いするのは、もっと恥ずかしい。
188 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:08:20.32 ID:FyaWLz+D0
「鳴なら、さっき帰ってきたところだよ。部屋にいるはずだから、呼んであげようか」
そう言って傍らの内線電話に手を伸ばしかけた天根さんを、ぼくは慌てて制する。
「あ、今日は違うんです。その……人形を見たくなって」
「そうなのかい?」
「はい。なので、見崎にはぼくが来たこと、内緒にしてて下さい。時間をかけて、じっくり見ていこうと思うので」
「そうかい。なら、お代はいらないからゆっくりしてお行き。他にお客さんもいないしねえ」
それで「ありがとうございます」と軽く頭を下げ、まっすぐ地下へ向かおうとしたぼくだったが、
「ああ、そうそう」
という天根さんの声に呼び止められた。
「すっかり忘れるところだったよ。はい」
そう言って、彼女は軽く握った右手をぼくの方へと差し出す。
反射的に両手をお椀にして受けると、ちゃりんちゃりんと音を鳴らしながら、百円玉が五枚、手の中に落とされた。
「えっと、これは……?」
「鳴から聞いたよ。土曜日に来た時、私がいないからお金を置いていったんだってねえ」
「はい?」
「別に、気を遣わなくたっていいんだよ。鳴のお友達なんだから、お代なんて取らないよ」
いやいや、気を遣う以前に、そもそもこのお金は……。
189 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:09:40.07 ID:FyaWLz+D0
「あの……これ、ぼくじゃないです。払っていったのは、違う人ですよ」
今度は天根さんが目を丸くする番だった。
「違う人? 他にお客さんがいたのかい?」
「……見崎からは、何か聞いてませんか?」
「何も言ってなかったねえ。これを坊やが来た時に置いていった、ってだけで」
どことなく、噛みあわなさを感じた。
ぼくはこのところずっと、天根さんから入館料をおまけしてもらっていたし、
払うにしても中学生のぼくは半額の二百五十円だった。
五百円なんて、置いていくはずがないのに。
言うまでもなく、あの時島田さんがギャラリーを訪れていたことは、鳴にも分かっていたはずだ。
彼がぼくのようにドアベルを鳴らしギャラリーに入った時、鳴は間違いなく地下展示室にいたのだから。
なのに天根さんの様子を見るに、鳴は島田さんのこと、ひいては一昨日の事件そのものを彼女に伝えていないらしい。
――あのことは、そうまでしても秘密にしたいことなのか?
その後、このお金を受け取る受け取らないで押し問答をしばらくの間繰り広げたものの、
「じゃあ、これはおばあちゃんからのお小遣いってことでどうだい。帰りに何か好きなものでも買いなさいな」
と結局はぼくが押し切られ、五百円はぼくのポケットに収まることになった。
持ち主に返せる見込みはなく、かといって勝手に使うわけにもいかない。
ポケットの中で鳴るだけの、宙ぶらりんなお金になりそうだった。
190 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:10:48.79 ID:FyaWLz+D0
33
二日ぶりの地下展示室は、全てが元通りになっていた。
階段下に立つ首なし人形は一体だけになり、その片割れは衝立の裏に戻されていたし、
こことエレベーターホールを区切るカーテンの手前には、蓋の閉ざされた棺がひとつ。
……流石に、それを開けてみる勇気はない。
それに中の人形がどうなっているかくらい、わざわざ見るまでもなくはっきりと思い出せる。
室内の様子をあらかた確認し終えたぼくは、目を閉じて深く息を吸った。
きょう、ここでの目的はひとつだけ。
中村青司が自らの作品には必ず施したという"からくり"を、見つけ出すこと。
ぼくがこの目で見ておきながら、いまだ"形"のはっきりしない、この事件。
もし、ぼくの知らない「何か」がまだ隠されているのだとすれば、
それはこの館に文字通り隠されているという"からくり"に他ならないのでは、と思うのだ。
そう考える根拠もある。鳴の「話の続き」だ。
あの日、勝負の後で鳴が明かすはずだった、中村青司の話の続き。
結局、ぼくはそれが何だったのか知らずにいるけれど、島田さんの話を聞いた今となっては、
その正体に、彼の"からくり趣味"は相応しいものであるように思えた。
191 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:11:49.12 ID:FyaWLz+D0
となれば当然、鳴はこの館の"からくり"のありかを、知っていたことになる。
その鳴が、続きを語る場所としてこの地下展示室を選んだのだとすれば。
"からくり"はきっと、ここにある。そしてそれはきっと、事件にも深く関わっている。
そう思えてならなかった。
だとすれば、後はもう探すしかない。見つけ出す以外に、はっきりさせる方法はない。
「よし」と声に出して、足を踏み出す。
探すと言っても、あの時のように何の勝算もなく、ただ無為に探し回るつもりは初めからなかった。
ある種の確信を持って、ぼくはその場所――永遠に火が灯ることのない、イミテーションの暖炉――へと近づく。
――そこに棺は入らないと思うけど?
勝負の最中、あちこちを探し回るぼくに動じることなく悠然と構えていた鳴が、
暖炉を覗き込もうとしたあの瞬間だけ、そう言ってぼくを制した。
確かにもっともな指摘だろう。あのサイズの棺が、ここに入るはずはない。
ならばなぜ、鳴はぼくを止めた?
192 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:12:43.89 ID:FyaWLz+D0
事実として、棺はここに無かったのだ。
あの場面、放っておいてもぼくが制限時間を浪費するだけで、鳴にとっては有利でしかなかったのに。
この上なくシンプルにその理由を考えるなら、答えは一つ。
……鳴は、それでもやはりぼくに暖炉の中を見てほしくなかったのだ。
つまり、ここには「何か」があるということ。
棺ではない、しかし彼女にとって重要な「何か」が。
193 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:13:53.63 ID:FyaWLz+D0
◇
暖炉の奥行きは、せいぜい1メートルといったところだった。
地下展示室の決して明るくはない照明の下でも、内部の様子は簡単に見てとれる。
赤茶色のレンガが敷き詰められた暖炉の壁や床面は、当然ながら灰やすすで汚れることもなく綺麗なままで、
本来なら事故防止のために設置される鉄製の柵もついていない。
約60センチ四方の開口部からこうやって中を眺めている分には、何もおかしなところはなかった。
今度は身を屈め、暖炉の中へと入っていく。
レンガのひとつひとつを観察し、時にはそれを押してみたりもしたが、残念ながらびくともしない。
仕掛けがありそうな雰囲気など、まるでなかった。
……まさか、ここじゃない?
ぼくの予想は、間違っていたのか。
暑くもないのに、体中から嫌な汗がじんわりと滲み出てくるのを感じる。
反射的に立ち上がりかけ、
「いてっ!」
思い切り天井に頭をぶつけてしまった。
中腰のまま両手で頭を押さえ、今度はゆっくりと、おそるおそる頭上を――
「……あれ?」
194 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:15:06.39 ID:FyaWLz+D0
暖炉の内部は、レンガで出来た立方体のような空間になっているけれど、そこにはふたつ、穴が開いていた。
ひとつは、ぼくが入ってきた入口がそう。そしてもうひとつは、天井に開いていた。
同じく直径60センチくらいの丸穴が、ぽっかりと。
――煙突。
通常、暖炉であれば決まって必要となるこの設備を、この模造品も律儀に備えていたのだ。
とはいえ、さすがに外までは通じていないようで、
穴の続く先に光は見えず、代わりに漆黒の闇だけがそこに満ちている。
ぼくは立ち上がり、ためらいなくその中へ体を潜らせた。
内部はいよいよ暗く、何があるのか様子は全く分からない。
加えてそこに滞留する空気はかなり埃っぽくて、入り込んだ途端、何度も咳き込むはめになった。
それでも必死に壁面へ両手を這わせ、手探りを続けていく――――すると。
ひんやりとした感触が、両手に伝わる。
金属製の何か――機械のようなもの――が、そこにはあった。
ぼくはとっさにポケットから携帯電話を取り出し、ディスプレイの明かりを目の前に差し向ける。
195 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:16:55.34 ID:FyaWLz+D0
"それ"は、三つのパーツから構成されていた。
金属製の箱のようなもの。そこから伸びるケーブル。
そして……箱に取り付けられた、持ち手のあるスイッチ。
――ついに見つけた。
スイッチは上方に跳ね上げられている。
ぼくはその持ち手を掴み……全身の力を込めて、それを引き下げた。
ぎ、ぎぎぎ……
ほどなくして、金属のきしむような音が微かに聞こえてきた。
それに少しだけ遅れて、ごごご……という、重量のある何かが徐々に動いていく音も重なる。
空気が震えていた。
いや、空気だけじゃない。
ぼくが立っている暖炉の床面や、ぼくをぐるりと取り囲んでいる煙突の内壁から、微弱な振動が伝わってぼくの体全体をびりびりと揺らしている。
……いま声を出したら、きっと扇風機の前で喋った時みたいになるんだろうな。
揺すられながらそんな下らないことを考えて、せっかくだから試そうかと口を開けた時。
ぴたりと、それは止んだ。
もぞもぞと暖炉の中から這い出すと、明かりがとても眩しかった。
今まで一度も、ここでそんな風に思ったことはなかったのに。
196 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:18:14.52 ID:FyaWLz+D0
まだ埃が残っているのか、鼻がむずむずする。服もだいぶ汚れてしまっていた。
まあ、普段からあんなところを掃除したりはしないだろうし、仕方がないのだけど。
手で服の埃をぱんぱんと払いながら、ぼくは一昨日の鳴を――今のぼくのように埃まみれで三階に現れた、鳴の姿を思い出していた。
あの日、鳴もきっとここに入ったのだ。そしてあのスイッチを作動させた。
……"からくり"は、確かに存在した。
"夜見山の人形館"は正真正銘、中村青司の作品だったということだ。
慎重に周囲を見渡す。一体どこで、何が動いたんだ。
見える範囲での変化はない。だが、何も起こらなかったはずはない。
だとすれば、ぼくの目の届かない場所――そう考えたところで。
部屋の奥、ある一点で視線が止まる。
カーテンの向こう側。エレベーターホール。
何かを思うより先に、体は動いた。
197 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:18:54.41 ID:FyaWLz+D0
――今思えばこの時、ぼくはどうしようもなく気持ちが逸っていた。
中村青司が遺した"からくり趣味"。
それをいよいよ目前にして、頭の中がいっぱいになっていた。
大した距離でもないのにダッシュしたのがいい証拠だ。
そんな調子だったから――すっかり忘れていたのだ。
カーテンの手前に置いてある、一際大きな陳列棚。
その裏に、何が置かれているのかを。
198 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:19:36.53 ID:FyaWLz+D0
「わっ!」
陳列棚を回り込んだぼくの目の前に、突如として黒塗りの棺が現れた。
かわすこともできず、そのまま思い切りぶつかってしまう。
棺が、ぐらりと傾いだ。
慌てて棺に抱きつき、その動きを止める。
ほっとしたのも束の間、依然として傾いたままの棺から、がたんという音と共に蓋が外れた。
ぼくの目と鼻の先で、それはひどくゆっくりと倒れていく。
――間に合え。
そう思って突き出したぼくの手も、スローモーションにしか動かない。
蓋はそのまま、あえなく倒れてしまった。
199 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:20:20.33 ID:FyaWLz+D0
カーペットが敷き詰められている床だからか、思いのほか音は小さく済んだ。
これなら天根さんが異変に気づくこともないだろう。
何にしても、人形に被害が及ばなくて良かった。
さすがにこれ以上傷つけられてしまっては、あまりにも"彼女"が可哀想だ。
安堵のため息をついて落ちた蓋を持ち上げ、その時ふと、ぼくは蓋の裏側、端っこの目立たない位置に「1997」という数字が刻まれていることに気がついた。
人形の制作年だろうか。
さして気に留めることもなく、そのまま棺の中へと目を移す。
――せっかく拾い上げた蓋を、ぼくはもう一度落としてしまった。
200 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:21:16.52 ID:FyaWLz+D0
蒼白いドレスを身に纏った、鳴の人形がそこにはいた。
そう、「鳴の人形」だ。
だって、こんなにそっくりな顔をしているのだから。
蒼く煌めく瞳が、まっすぐにぼくを射抜く。
言うまでもなくその顔には、傷ひとつついてはいない。
201 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:22:05.84 ID:FyaWLz+D0
……どうして?
一昨日、壊されてしまったこの人形を、ぼくは確かに見たのだ。
手を伸ばして、その顔に触れる。綺麗だ、と思った。
もし仮にあの状態から修理したとして、こうまで完璧に直すことは不可能だ。
次に考えたのは、霧果さんが顔の部分だけを一から創り直したのではないか、という可能性。
けれど、あれからまだたったの二日しか経っていないのだ。
そんな短期間で創り直せるはずがない。
そして何より、そんな可能性はぼく自身の直感が強く否定していた。――それだけは絶対にない、と。
なぜなら……この顔は、全く同じだから。
鳴ではなく、五月にここで出会い、それから地下を訪れるたび目にしてきた"彼女"自身の顔と、である。
でも。
だとしたら。
これは一体、どういうことなんだ?
顔に触れたままのぼくの手が、徐々に震え出す。
202 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:23:14.75 ID:FyaWLz+D0
「どうして、こんな……」
一昨日の鳴をなぞるように、同じ台詞が口をついて出た。
あの時起きたことは、紛れもなく現実だ。現実だったはずだ。
だけど、今ぼくの目の前にあるこの光景もまた現実だ。
あり得ることのない二つが、同時に成立する矛盾。
手から伝播した震えは、とうとうぼくの足にまで及んでいた。
もう限界だった。
これ以上「うつろなる蒼き瞳」に見つめられていたら、ぼくはきっとおかしくなってしまう。
ぼくは反射的にカーテンへと突っ込んでいた。
今すぐにでも、この視線から逃れたい。
ただそれだけを思った。
カーテンをめくるのももどかしく、全身を絡めとられながらも闇雲に突き進む。
そして不意に視界が開け――勢いあまったぼくは、もんどりうって床に倒れ込んだ。
203 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:24:32.74 ID:FyaWLz+D0
仰向けになったまま腕で目を覆い、荒い呼吸を繰り返す。
起き上がる気力は、すぐには湧いてこなかった。
目を閉じた真っ暗闇の中でふと、ここはどこだっけ、という疑問が浮かぶ。
カーテンの向こう側だから……そうそう、エレベーターホールだ。
あれ? そもそもぼくはここに来るはずで――
「……!」
一瞬で身を起こす。
そうだ。ぼくの目的は、目的は……!
204 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/02/22(金) 22:25:19.89 ID:FyaWLz+D0
それは、気づいてしまえばあからさまなくらいだった。
エレベーターが設置されている側から、向かって反対側の壁。
その壁が数メートルほど、奥へと後退している。
そして、それによりあらわになった部分――つまり今まで壁が塞いでいた部分に、階段が出現していた。
地下へと降りる階段が。
これがこの館の"からくり"。
取り憑かれたようにぼくは階段に足をかける。
混乱だけが深まっていくこの状況で、ぼくが縋れるものはもう、これしかない。
答えはきっとこの先にある。そう信じて進むしかなかった。
205 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:26:47.85 ID:FyaWLz+D0
一段、また一段と下っていくごとに、低く響く駆動音がどんどんと大きくなっていく。
空調設備がごく近いところにあるのかもしれない。
ついには自分の足音すらも聞こえなくなった。
ふと、この前読んだ小説に、似たようなシチュエーションの話があったことを思い出す。
それは『ラヴクラフト全集』に載っていた、『ランドルフ・カーターの陳述』という短編。
題名にもその名前が出ているカーターと彼の仲間であるウォーランが、とある研究のため、深夜の墓地に忍び込む。
やがて一つの墓石の下に地下へと続く階段を見つけ、ウォーランは勇敢にもそれを降りて行くのだ。
……だがラヴクラフトの作品において、「勇敢」であるということは、たやすく「蛮勇」へと変わる。
カーターはウォーランの体に結びつけたワイヤーを持ち、地下を探索する彼と地上で交信を続けるのだが、
彼は地下にいる「何か」に怯え、地上のカーターに逃げるよう促すものの、ついには絶叫を残して連絡が途絶えてしまう。
そして――。
あの結末を思い出すだけで、思わず背筋が寒くなる。
……今のぼくの状態は、まさしくそのウォーランにそっくりだ。
しかも彼とは違い、体にワイヤーも結んでいなければ、上でカーターが待っているわけでもない。
206 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:28:04.63 ID:FyaWLz+D0
不意に、後ろを振り向きたい衝動に駆られた。
空調の音はかなり大きい。
誰かが背後から忍び寄ってきていたとしても、ぼくは間違いなく気づけないことだろう。
……ああ、いけない。余計なことを考えるな。
歯を食いしばり、足を止めずに進む。
前だけを向いたまま、階段を一段ずつ降りていった。
207 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/22(金) 22:28:41.99 ID:FyaWLz+D0
――そうして辿り着いた先には、部屋がひとつ。
そしてそこに、真実はあった。
208 :
◆8D5B/TmzBcJD
[sage]:2019/02/22(金) 22:29:33.18 ID:FyaWLz+D0
短いですが今日はここまで。
明日で完結です。
209 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/02/22(金) 22:30:44.49 ID:Z5IfMOqx0
乙
原作の雰囲気が出てる
210 :
◆8D5B/TmzBcJD
[saga]:2019/02/23(土) 20:54:22.98 ID:mQm9OJvR0
再開します。
211 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:55:02.12 ID:mQm9OJvR0
34
――はい。
――もしもし、見崎?
――……榊原くん。
――実はさ、ぼく、今きみの家にいるんだけど。
――えっ?
――それでね、分かったんだ、この前のこと。どうしてあんなことになったのか、その理由が。
――……。
――だから、見崎と答えあわせがしたいんだ。……今から、地下に来てくれないかな? できればきみのお母さんも一緒に。
――……。
――見崎?
――わかった。今から行く。……待ってて。
212 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:55:46.78 ID:mQm9OJvR0
35
エレベーターの扉が開く。
その中から現れた鳴は、まだ着替えていなかったのだろう、夜見北の制服姿のまま。
肩ごしに中を覗き込むまでもなく、彼女がひとりで来たことは一目瞭然だった。
「声をかけたけど、『今は夕食の準備で忙しいから、それが終わったら行く』だって」
まるで牽制するかのように、ぼくが何も言わないうちから、そう説明する鳴。
いつもとなに一つとして変わらない、静かな響きを持った声だった。
だがエレベーターを降りるなり、その目がほんの少しだけ、すっと細くなったのをぼくは見逃さなかった。
それはそうだろう。これを目にしたのなら、ちょっとは驚いてもらわないと張り合いがない。
それはつまり、ぼくの背後で後退したままの壁と、地下へと続く階段。
そして――ぼくの傍らに並んでいる、二つの黒い棺を見たら、ということである。
一方の棺には、鳴と瓜二つの人形が。そしてもう一方には……顔のない、壊れた人形が収まっている。
全く同じドレスを着て、全く同じ棺に入った二体の人形は、その顔だけが決定的に違っていた。
213 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:56:36.49 ID:mQm9OJvR0
「来てくれてありがとう。……じゃあまず最初に、ひとつだけ言わせてもらおうかな。一応、区切りはつけないとね」
ぼくはそう言って、無傷の人形が入った棺に、とん、と手を置く。
「ようやく、きみが隠した人形を見つけたよ。なんとか五十時間は超えずに済んだのかな。勝負はぼくの負け、だね」
実際には、うっかり棺にぶつかったあの時が発見時間なのだから、本当のタイムはもう少し早くなるはずだけど……。
まあ、誤差の範囲でしかない。
「一昨日……きみが隠した人形をぼくが探して、見つけた時に人形は壊されていた。だから最初はこう思ったんだ。きみが隠した人形を、誰かが先に見つけて壊したんだ、って」
先を促すように、鳴はただまっすぐにぼくを見据えている。
「それから、こんなことも考えたよ。きみが自分で人形を壊して、それを隠したんじゃないかって」
「……べつに、そう思ってくれてもいいけど?」
口元に微かな笑みを湛えながら、そこでようやく鳴が口を開いた。
「いや、それはどっちも間違いだったんだ。きみが隠した人形は、この通り無事なわけだし」
「……」
「ぼくの言ってること、見崎なら分かるよね。あの時ぼくが見つけた、この人形」壊れた人形を指差す。「これは、きみが隠したものじゃなかった。見ての通り、別の人形だったんだ」
214 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:57:26.46 ID:mQm9OJvR0
つまり、人形は二体あった。
そしてあの日、この家で起きていた出来事も、二つ。
一つは、鳴がぼくとの勝負のため、人形を隠したこと。
そしてもう一つは、誰かがまた別の人形を壊し、それを地下展示室へ隠していたこと。
この二つが一昨日、ちょうど同じタイミングで起きていたのだ。
つまりぼくは今の今まで、鳴が隠した人形を見つけられてはいなかったのだ。
その前にここで壊れた人形を見つけ、それは鳴が隠したものとは違うと気づかないまま、飛び出して行ってしまったから。
隠された二体の人形のうち、見つけるべきではない方を見つけてしまった……。
ある意味でぼくは、"ハズレ"を引いたのだと言えるかもしれない。
215 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:57:56.57 ID:mQm9OJvR0
鳴は二つの人形を交互に見比べて、それからゆっくりとぼくに視線を移す。
「榊原くん、『分かった』って言ったよね。これからわたしに、その話をしてくれるんだ?」
ぼくが頷くと、鳴も応じるようにこくりと頷いて、地下展示室に通じるカーテンをめくった。
「それなら、あっちで座って話をしましょ。……たぶん、長くなると思うから」
「……そうだね」
二つの棺をその場に残し、ぼくも鳴の後を追う。
壊れた人形は、"からくり"により出現した階段、その先にある部屋から運び出してきたものだ。
鳴の後ろについて歩きながら、ぼくは先ほどまで滞在していた、そこでの出来事を思い出していた。
216 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:58:54.20 ID:mQm9OJvR0
◇
――地下墓地。
この館の地下、その更に奥深くに位置する"隠し部屋"。
手探りで明かりのスイッチを見つけ、裸電球が照らすその部屋の全容を目にした時……ぼくはそう思った。
そこにあったのは、ずらりと並ぶ黒い棺の群れ。
間違いなく十基以上はあるだろう。
部屋の広さは地下展示室の半分ほどだが、棺以外のモノが存在しない分、かえって広く感じる。
にもかかわらず息苦しさを覚えるのは、間違いなくこの異様な雰囲気のせいだった。
展示の順路に含まれていないこの部屋には、当然ながら音楽を流すスピーカーなんてものは存在せず、
ごうんごうんという空調の音だけがうるさいくらいに響く。
置かれた棺は、色こそ黒で統一されているがみな一様に同じというわけではなく、まちまちの大きさをしている。
……ぼくにはなんとなく、その理由が想像できていた。
棺の中に、何が入っているのかも。
217 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 20:59:46.49 ID:mQm9OJvR0
部屋の奥にある、一番小さな棺に近寄る。積もった埃の様子からして、これが最も古いものに思えた。
そしてたぶん、ここに安置されてから、この棺には誰ひとり触れていない。
当然だ。この棺が全てここに「埋葬」されているのだとしたら、たやすく墓を暴いたりはしないだろう。
蓋の縁に手をかける。
禁忌を犯そうとしている自覚はあった。だけど、今は……。
逡巡に抗い、蓋を開けた。
218 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:00:35.25 ID:mQm9OJvR0
……まだあどけない子供時代の鳴が、そこにはいた。
もちろん、ぼくは鳴が子供だった頃を知らない。
知っているのは、今の、十五歳の鳴だけだ。
それでも、きっとこの通りだった、そうに違いない。
そう思わせるだけの説得力が、棺の中身――その穢れの無さが表出したかのように真っ白なドレスを着た、小さな人形――にはあった。
蓋の裏側を見れば、そこに刻まれている数字は「1985」。
今から十三年前だ。
鳴が見崎家に引き取られた時期と、ちょうど一致する。
もう迷いはなかった。列をなした棺を、ぼくはひとつ残らず開けていく。
1986、1987、1988……。
新たな棺を開けるごとに、中の人形はどんどん成長していった。
その身に纏う衣裳も、赤、黄色、緑と、まるで季節が移ろうように様々な色へと変わっていく。
この家で鳴が過ごしてきた今までの日々を、ぼくが垣間見ているような気分だった。
219 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:01:18.93 ID:mQm9OJvR0
――鳴をモデルとして、霧果さんが生まれてこられなかった我が子を想い、創った人形。
すなわち棺の人形とは、その嘆きの発露に他ならない。
だとすれば、それが現在の鳴とそっくりな、あの一体だけであるはずがなかったのだ。
なぜなら彼女の悲しみは、子供を喪った日から今まで、ずっと癒えることなく続いてきているのだから。
年に一度のペースで、霧果さんはそれを創り続けてきたのだろう。
隠し部屋には、全部で十三基の棺があった。
そのうち「1985」から「1996」までは、既に開かれている。
そして残った、最後のひとつ。全く埃の積もっていないその蓋を、ぼくは持ち上げた。
「1997」の人形は、いまだ上に、地下展示室に置かれたままだ。
つまり、この棺の中に入っているのは……。
蓋を脇へと寄せた。そこに刻まれた数字は、「1998」。
220 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:01:47.49 ID:mQm9OJvR0
……見慣れた「1997」と同じ意匠のドレスに身を包んだ人形が、横たわっている。
その体躯は、ぼくのよく知る鳴と遜色ないほどに成長していて……。
――そして少女は、顔を失くしていた。
221 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:02:31.29 ID:mQm9OJvR0
◇
「――だからさ、ごめん。あそこの棺、一度全部開けちゃったんだ。もちろん、元通りにはしたんだけど……後で霧果さんに謝らないとね」
二日前のように円卓を挟み二人で座った後、ぼくはおそるおそる、自分がしたことを鳴に打ち明けた。
ところが、鳴は意に介した様子もなく、
「別に、気にしなくていいと思うよ。壊したわけでもないんだし」
と、実にあっけらかんとした様子で言う。
「え。……でもさ、霧果さんにとっては、あの人形ってものすごく特別なものなんじゃ」
「他の人形に比べたら、確かにそう。……でも、本物じゃないから」
「本物じゃない?」
おうむ返しになったぼくの質問に鳴は答えず、代わりに、
「それで? あの部屋を見て、榊原くんはどういう結論を出したの?」
と問いを返してきた。
いつの間にか脱線しかけていたことに気づき、頷いて本題に戻る。
「うん。あの日、ぼくはきみが隠した人形を見つけたつもりだったけど、そうじゃなかった。だってそもそも、きみが人形を隠した場所は地下展示室じゃなかったんだから」
「……それなら、榊原くんはわたしがルール違反をしたって言いたいの? 人形は地下じゃなく、上にあったって」
222 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:03:16.01 ID:mQm9OJvR0
試すような口調で問いかける鳴に、ぼくは首を振る。
そうじゃない。あの時、鳴は地下より上には行けなかったのだ。
……そう、上には。
「違うよ。きみが隠したのは、上じゃなくて、下。この地下にある隠し部屋の方だった。――まさしくきみの言った通り、だったんだね」
――人形があるのは間違いなく、こ・の・ち・か。
「この地下」とは、地下展示室のことではなく、その更に地下。隠し部屋のことを指していたのだ。
もしぼくが、あらかじめこの建物に地下二階が存在することを知っていたならば、
鳴の言う「地下」は一体どちらを意味しているのか、迷うことができたのかもしれない。
むろん、鳴はぼくがそれを知らないことを見越してああいう言い方をして、ぼくにトリックを仕掛けたのだ。
そうしてぼくがまんまと地下展示室だけを探し時間切れとなった後、暖炉のスイッチを作動させ、正解を発表する。
同時に、中村青司にまつわる話の続き――彼の"からくり趣味"も披露する。実物を見せながら。
223 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2019/02/23(土) 21:03:50.74 ID:mQm9OJvR0
鳴が一昨日思い描いていたシナリオは、おそらくこんな感じだったんじゃないだろうか。
ルール違反だとは思わない。彼女の狙いが分かった時、むしろぼくは感心していた。
もし当初の予定通り話が進んでいたのなら、全てが明らかになった時、ぼくは素直に負けを認めていたことだろう。
そして喜んで、罰ゲームという名のデート(鳴にその気は全く無いのかもしれないけれど)の算段をしていたはずだ。
きっと、そうなっていたに違いない。
ぼくが地下展示室で、あの人形――壊れた「1998」の人形――を見つけさえしなければ。
そう、あの人形の出現こそが誤算だったのだ。
ぼくにとっても……それからもちろん、鳴にとっても。
鳴の手が、すっと部屋の奥を指す。
「ねえ。……あの階段って、榊原くんはいつ見つけたの?」
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