【Another】恒一「……中村青司?」

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274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:38:55.61 ID:mQm9OJvR0
「そして工房で見た人形も、『1997』と顔が大きく違うとか、そういうことはなかったと思う。ドレスだって同じものを着ていたし。……それなのに、その時は思ったの。『ああ、これは未咲だ』って。それが分かった途端、頭が真っ白になって……気づいた時にはもう、壊してしまってた」

「……」

「未咲だったから。それが、私が人形を壊した理由なの。……でも私は、あるはずのないものを見て、ひとりよがりな勘違いで取り返しのつかないことをしてしまったのね。そもそも、工房に入ったのだって勝手にしたことなのに」

自分自身への失望を示すように、ゆるゆると首を振る。

「由紀代が戻ってくれば、隠し通せないのは分かってた。だからせめて、それまでの間――ここで鳴といられる間は秘密にできたら、そう思って隠したのだけど……結局、すぐに見つかっちゃって」

そうしてゆっくりと、彼女は頭を下げた。

「あなた――榊原くんにも、鳴にも、それから由紀代にも……私のせいで、とんでもない迷惑をかけてしまったわ。……ごめんなさい」

そこから美津代さんが顔を上げるまでの、沈黙の時間。
実際にはほんの数秒でしかなかったのだろうけど、頭の中では多くの思考が巡った。
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:39:28.44 ID:mQm9OJvR0


人形を壊した理由は「未咲だったから」と、美津代さんはそう言った。
彼女からそれ以上の説明はなかったのだから、この言葉はそのまま受け止めるべきであって、
部外者であるぼくがあれこれ解釈を試みるのは、それこそ野暮というものなんだろうけど……。
それでもぼくが、理屈をつけるとするならば。

たぶん――美津代さんには耐えられなかったのだ。
「1998」の人形……彼女にとっての「藤岡未咲」が、この家に存在していることが。

自分の娘が――それも二人とも――霧果さんの側にいる。
我が子を喪った彼女の悲しみを埋め合わせるために。
それなのに、同じように娘を喪った自分の元には誰もいない。
なにもない、空っぽ――"虚ろ"。
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:39:57.19 ID:mQm9OJvR0
美津代さんはあの日、ほんの一瞬だけ、工房でそんな"虚ろ"に取り込まれてしまったのだろう。
そして今、そのことを深く悔いている。

だからこそ、彼女は多くを語ろうとしないのだ。
ぼくが考えていることが正鵠を射ているとして、もしそれを詳らかにしてしまえば、
その言葉はきっと、鳴を傷つける刃にもなってしまう。
本意では決してなかったにしても、かつて鳴を手放す決断をしたのは、美津代さん自身でもあるのだから。

……そして、今。
美津代さんの中では、もう既に結論が出ている。
霧果さんが人形を通して見ているのは、鳴でも未咲でもなく、全く別のもの。
だから自分が人形を「未咲だ」と感じたのは、単なる気の迷いであったのだ……と。

それならそれでいい。
けれども一方で、ぼくの中にある考えが浮かびつつあるのも事実だった。
今回の真相が分かってからというもの、ぼくがひそかにずっと抱き続けてきた疑問。
その疑問への答えとなりうる、一つの考えが。
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:40:27.05 ID:mQm9OJvR0
「1997」と「1998」、二つの人形。
ぼくが一番初め、鳴と人形探しをした時にこの二体を取り違えてしまったのは、
彼女たちが同じ色、同じデザインのドレスを着ていたからだ。

――だがそもそも、どうして二体とも同じドレスを着ていたのだろう?

隠し部屋で目にした他の人形たちはみな、色とりどりのドレスに身を包んでいた。
もちろん、あれだけの数があればどうしても色の系統が似通ってくるものこそあったけれど、
少なくとも二年続けて全く同じドレス、ということは決してなかった。
……それなのに。

この二体だけが、全く同じドレスを着ている。
むろん、そこには創り手である霧果さんの意図があると、そうは思っていたけれど……。
それが一体何なのか、具体的なところはまるで見当もつかなかった。
しかし美津代さんの話を聞いて、思い当たる可能性が一つ。
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:40:54.05 ID:mQm9OJvR0
今までぼくは、霧果さんが「1998」を完成させたのなら、それを地下展示室に飾り、
「1997」は隠し部屋の方へ運ぶのだろうと、そう考えていた。
「お別れ」を感じていた鳴も、たぶん同じように思っていたのだろう。


――もし、そうではなかったとしたら?
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:41:25.85 ID:mQm9OJvR0
ぼくが考えている可能性。
それは、霧果さんが「1997」と「1998」を並べて展示するつもりだったのではないか、ということだ。

同じ棺に入った、同じドレスの人形が二つ並ぶ。
それを目にした人は、果たしてどう感じるだろう?
ただ単に、「同じ商品が二つ並んでいる」としか思わないだろうか?

ぼくはそうは思わない。
霧果さんの人形を見てそんな風に感じることは、きっとできない。
油断しているとふと、"彼女たち"と呼んでしまいそうなくらいに"個"を持った人形なのだ。
きっと、こう感じることだろう。――ああ、この人形たちは「双子」なのだな、と。
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:42:21.94 ID:mQm9OJvR0
だからこそ、霧果さんは二体に同じドレスを着せたのではないか。
双子の姉妹。姉と妹。
区別する方法は言うまでもない。
先に創られた「1997」が「姉」で、「1998」が「妹」だ。
そして、同じく双子である見崎鳴と藤岡未咲の姉妹のうち、「妹」、つまり「1998」であるのは……藤岡未咲の方。

霧果さんが何を思い、「1998」を創ったのか。
それは本人にしか分からない。
だが藤岡未咲の訃報は、霧果さんの耳にもきっと届いていたはずで。

そしてもし、霧果さんに彼女の死を悼む気持ちがあったとしたら。
霧果さんは、それをどうやって表現するだろう?
……やっぱり彼女は、人形を創るんじゃないだろうか。
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:42:53.45 ID:mQm9OJvR0
ぼくにはもう、壊されてしまった「1998」の顔を見ることはかなわない。
けれどそう、"彼女"だけは本当に。
鳴でも、ましてや霧果さんの子供でもなく本当に、藤岡未咲だったのではないか。
そして美津代さんは不幸にも、それを無意識に感じとってしまったのではないか。


……そんな考えが、どうしても消えてくれないのだった。
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:44:20.22 ID:mQm9OJvR0
41

これまで流れていた静かなチェロの旋律がちょうどその時終わり、次に流れ出したのはピアノのメロディ。
ああ、これはぼくも前にどこかで聴いたことがある。
確か曲名は――ドビュッシーの「夢」。

それがきっかけになったのか、美津代さんが天井を振り仰ぐ。

「だいぶ長居してたみたいね。ご飯が遅くなっちゃうから、私はそろそろ上に戻るわ」

ことさらに明るい声を作るようにして、彼女はそう言った。
何の集まりと形容していいか分からないこの場も、そろそろお開きの頃合い、といったところだろう。

ぼくも、遅くならないうちに家に帰らないと。
土曜日のことがあったのに、また祖母に心配をかけてしまうのは避けたかった。

「……すいませんでした。長々と時間を取らせてしまったみたいで」

「いいえ。私がしたことだもの。むしろ私が、あなたに手間を取らせてしまったの。ごめんなさいね。――それにしても」

「?」

「榊原くん、あなた何でも知ってるのね。私と由紀代のことも、鳴や未咲のことも。……まさかそこまで知ってるなんて、思ってもみなかった」
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:44:58.13 ID:mQm9OJvR0
「ああ、それは……前に教えてもらってたんです、見崎に」

「やっぱり、そういうことよね。鳴、あなたにそこまで言ってたんだ」

ぼくはそこで「ね?」と同意を求めて鳴を見たのだが……。
鳴はまた、呆然とした表情でぼくを見るばかり、なのだった。

今まで鳴が殆ど見せたことのないそんな表情を、ぼくは今日だけで何度目にしたことだろう。
ぼくの言っていることが自分の理解を超えているとでも言いたげな、鳴の顔を。
鳴がなぜそんな顔をしているのか、ぼくには分からない。

そんな鳴に「ねえ」と呼びかけたのは、美津代さんだった。

「鳴、私が言えたことじゃないけど……榊原くんには、最初から全部話しても良かったんじゃないかしら」

「どういうことですか?」

「土曜日に初めてあなたに会った時はね、たぶん私を由紀代だって勘違いしてるんだろうなってことは分かったけど、そのままにしてしまったの。私たちのこと、どのくらい知ってるのかも分からなかったから」

「でも」という言葉に続けて、驚くべき事実を彼女は口にする。

「それから私が壊した人形が見つかって、あなたが帰った後……鳴に言われたわ。――あなたには何も言わないでって。私が由紀代じゃないことも含めて、全部」
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:45:45.40 ID:mQm9OJvR0
「えっ?」

「だから私は、『ああ、榊原くんは何も知らないんだ』って思ったの。でも……そうではなかったんでしょう?」

もちろん、そんなはずはない。ぼくは全部知っていた。
霧果さんのことも、美津代さんのことも、藤岡未咲のことも。
そうでなければ、ぼくが真実に辿りつけるはずがないではないか。

鳴がひた隠しにしておきたかったこと。
それは言うまでもなく、今この家にいるのが霧果さんではなく、美津代さんだったということだろう。
だから今日だって鳴は一度、霧果さんが犯人ということにして話を終わらせようとしたのだ。
今の美津代さんの言葉で、それは一層はっきりした。

……だけど、なぜそうまでしてぼくに隠そうとしたのだろう?
もしぼくが何の事情も知らない、完全な部外者だったらそれも当然のことではあるけど……。
しかし霧果さんが鳴の本当の母親ではないこと、そして美津代さんの存在は、ぼくにとってはもう既知の事実だったのだ。
他ならぬ鳴本人が、合宿でそのことをぼくに教えてくれていたのだから。
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:46:19.86 ID:mQm9OJvR0
言葉を変えれば、全てを知っているぼくが真相に気づくのは時間の問題だった、とも言える。
少なくとも、いつまでも隠し通せるものではなかったことは間違いない。

なのに、なぜ?

……やっぱり、分からない。
考えれば考えるほど、苛立ちにも似た感情がぼくの中で、ただただ積み重なっていく。

美津代さんは「何でも知ってる」なんてぼくに言ったけど、買いかぶりもいいところだ。
ぼくにだって、分からないことくらいある。そう、こうしている今だって。
事件が終わった今だってまだ、分からないことだらけではないか。
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:46:46.18 ID:mQm9OJvR0
これ以上考える気力は、ぼくの中でとうに失せていた。
降参だ。
これはきっと、ぼくには解けない問題なのだ。
そして分からないのなら、後はもう訊くしかない。

「……見崎」

曲が山場を迎え、叩きつけるようなピアノの音が響く中、ぼくは鳴に問う。

「どうして教えてくれなかったの? ぼくに、初めから全部を」

強く訴えかけるような口調になってしまわないよう、必死に自分を抑えた。
これがただのわがままであることくらい、ぼくにも良く分かっていたから。

いくらぼくが多少なりとも事情を知っているとはいえ、それで鳴がぼくに全てを話す義理があるわけでもないし、
今回のことにしたって、美津代さんのことを明かすかどうかは当然、鳴の自由。
いまぼくが口にしていることは、八つ当たりもいいとこだろう。
……でも一方で、そうは割り切れないぼくがいるのも、また事実なのだった。
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:47:13.54 ID:mQm9OJvR0
――信じて。

あの合宿の夜、ぼくは鳴の言葉を信じたのだ。
だから今度は……そう。
ぼくは鳴に、ぼくのことを信じてもらいたかったのだろう。最初から、全てを説明してもらいたかった。
まるで見返りを求めているみたいだったし、あまりにも身勝手な感情で、自分で自分に嫌気が差しそうになる。

なるけれど……どうしても、そんな風に考えてしまうのはやめられそうにない。

俯いた鳴の唇から、「榊原くん」と呟きが漏れた。

「わたしが何を秘密にしておきたかったのか、分かってるの?」

「なんとなくはね。でも、理由についてはまったく」

「……そう」

それからもう一度、「榊原くん」とぼくの名を呼ぶ。
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:47:43.54 ID:mQm9OJvR0
「わたしがあなたに隠そうとしてたのはね……今ここにいるのが、霧果じゃなくて美津代だってこと」

「……うん」

だから、どうしてそれを――とぼくが口にするより早く、「それから」と鳴が言う。

「美津代がわたしの本当のお母さんで、霧果は本当の母親じゃないこと」



…………え?
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:48:14.33 ID:mQm9OJvR0
「わたしと未咲が本当は双子だってこと。……そして<災厄>が、本当は四月から始まっていたこと」

耳を疑う間にも、鳴はつらつらと言葉を並べていく。
待て。待て待て。待ってくれ。

「わたしが隠していたことはもうとっくに、全部あなたに知られてた。――どうして? なぜあなたが知っているの?」



――鳴は一体、何を言っているんだ!?
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:48:43.03 ID:mQm9OJvR0


「どうして、って……それはきみが合宿で、ぼくに教えてくれてたからじゃないか。そうだよね?」

鳴は強くかぶりを振る。
その仕草には、揺るぎようのない確信が伴っていた。

「そんなこと、してない。だってあの時、榊原くんは――」

そこから先の鳴の言葉は、もうぼくの頭には入ってこなかった。
話を聞いていた美津代さんが何かを確認するように鳴に語りかけ、それに鳴が答える。
そんなやり取りも、異国の会話のようにしか聞こえない。

――ぼくがとっくに知ってる鳴の事情を、彼女は秘密にしようとしていた?
意味が分からない。そもそもぼくがそれを知ったのは、他ならぬ鳴からなのに。
しかもそれを、鳴は覚えてもいないだって?
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:49:10.62 ID:mQm9OJvR0
何かがおかしい。それも、致命的に。
ぼくと鳴の認識が、まるで噛み合っていない。

何だ、これは。これではまるで……。



まるでどちらかの記憶が書き換えられてシマッタヨウナ――?
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:49:39.76 ID:mQm9OJvR0
「……あ……」

その瞬間。
今度こそ、ぼくにはすべてが分かった。
まるで霧が晴れたように、疑問はもう、どこにもない。

……だからこそ、よく見える。
自分の置かれた状況が。
そこにある、絶望が。

もはやぼくには、戸惑うことすら許されていない。
答えは既に明らかだった。
そして、それを確かめる方法も。

簡単なことだ。
たった一つ、鳴に訊けばいい。
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:50:06.91 ID:mQm9OJvR0
「……見崎……」

口の中がからからに乾いていて、自分でも驚くほどしわがれた声が出た。

「……どうしたの?」

言うべきことは分かっているのに、言葉が出ない。
まるで、見えない何かがぼくの口を塞いでいるかのよう。

どうした、恒一。
何を迷ってる。
お前が黙っていたところで、何が変わるというんだ?

言え。
言ってしまえ。

「――今年の<死者>……三年三組にいた<もう一人>が誰だったか、憶えてる?」
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:50:36.02 ID:mQm9OJvR0
「<死者>?」

質問の意味をはかりかねたのだろう、美津代さんが眉を顰めた。
別にいい。彼女に聞かれても構いはしない。

これは、ぼくと鳴の間にだけ伝わる問い。
そのはずだった。

鳴はぼくから視線を逸らすこともなく、いつもと変わらぬ無表情でこちらを見つめていた。
その唇が声には出さないまま動き(……し、しゃ。)、そして――。

鳴の顔に、衝撃が広がる。


……少しの間があって、彼女は首を横に振った。
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:51:05.89 ID:mQm9OJvR0
<災厄>による、記憶の改竄。
<もう一人>の正体の隠蔽。

<死者>である怜子さんの死に深く関わったぼくと鳴だけは、その波に呑み込まれることなく今まで過ごしてきていた。
だが、<災厄>がいつまでもそれを見逃してくれるはずはない。

ぼくらにもいずれ、逃れられぬ運命に追いつかれる時が来る。
……そんなことは、十分理解していたはずなのに。

いつの間にか、「その時」はやってきていたのだ。
一足早く、鳴にだけ。

<災厄>は、鳴の記憶を塗り替えてしまった。
怜子さんのいない1998年へと。
そしてそれだけでは飽き足らず、様々な事実を捻じ曲げていった。
彼女が存在しないことへの、辻褄合わせのために。
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:51:36.61 ID:mQm9OJvR0
何がどう変化したのか、未だ"こちら側"にとどまるぼくにははっきりしない部分もある。
しかし確実なのは――合宿での出来事。

鳴のぼくに対する秘密の告白は、なかったことにされたのだ。
そうでなければ、このずれ――ぼくがちゃんと覚えていることを、彼女が忘れている説明がつかない。

……なぜ、そんなことが起きたのかって?
理由なんて分かるはずがない。
それにどのみち、<災厄>のすることなんて考えても無駄だ。
だから……ぼくにできるのは、ただ受け入れることだけ。

鳴はもう、あっちへ行ってしまった。

今年の<死者>としての「三神怜子」はもう、ぼくの中にしか存在しない。
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:52:04.62 ID:mQm9OJvR0
「……ああ……」

分かっていたことだ。
いつか……そう遠くない未来に、ぼくらがそうなってしまうことは。

鳴だけじゃない。
ぼくにだって、「その時」はくる。
だから抗うでもなく、投げ出すでもなく、ただそれを待っていようと――そう決めたじゃないか。

それなのに。

「……いやだ……」

そんな言葉が、口をついて出た。
自分でも、わけが分からないまま。

ふっと膝の力が抜け、ぼくは崩れるように椅子に座り込む。
もしも椅子がなかったら、そのままひっくり返ってしまっていたことだろう。
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:52:34.80 ID:mQm9OJvR0
「榊原くん?」

ぼくの異変に気づいた鳴が駆け寄ってくる。
鳴の声が、遠い。

さっきまで流れていたはずのピアノの演奏も、もう聴こえなくなっていた。

代わりに聴こえてきたのは――ああ、またか。

ずうぅぅぅーん……。

可聴域の辺縁をたゆたうようなあの重低音が、また。
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:53:06.37 ID:mQm9OJvR0
ずうぅぅぅーん……。

鳴がぼくに、何かを必死に呼びかけている。
重低音が五感すべてを塗りつぶそうとしているのか、視界までが暗い。

ずうぅぅぅーん……。
ずうぅぅぅーん……。




――憶えているのは、そこまでだった。
300 : ◆8D5B/TmzBcJD [sage]:2019/02/23(土) 21:53:52.95 ID:mQm9OJvR0
一旦中断します。
すぐ戻ってきます。
301 : ◆8D5B/TmzBcJD [sage]:2019/02/23(土) 22:23:23.31 ID:mQm9OJvR0
再開します。
302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:24:06.78 ID:mQm9OJvR0
42

新しい土曜日がやってきた。
ぼくと鳴は、ちょうど一週間前と同じように、またしてもテーブルを挟み、向かい合って座っている。

しかし、今回はテーブルの上にカップが二つ。
片方は、ぼくが頼んだコーヒー。そしてもう片方は鳴のレモンティー。

そう。
ぼくらは今、<イノヤ>にいた。

「――ごめんね、急に誘っちゃって」

カップに浮かぶレモンの輪切りをスプーンでつつきながら、鳴が言う。
先週ほどには着込んでおらず、ゆったりとした白いブラウスに黒のミディスカートという服装。
それもそのはずで、予報によれば今日は九月上旬並みまで気温が上がるのだとか。
ぼくらの座るテーブルが面した窓も今日は開け放たれ、白いレースのカーテンを心地いい風が揺らしていた。

「全然。見崎の方から言ってくれて、逆に良かったかも」
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:24:39.67 ID:mQm9OJvR0
――これからどう? 約束の罰ゲーム。

ぼくがそんな電話を受け取ったのは、ちょうど家でお昼ご飯を食べ終えた時のこと。

人形探し――ぼくと鳴の勝負に先立ち、交わしていた約束。
忘れていたわけではなかったけれど、それから色々なことがあり過ぎて、どうにもうやむやになってしまったような感じもしていた。
さてどうしたものかと思案していた矢先、意外にも鳴の方から連絡してきたのだ。

敗者の義務を果たさねばならないのはぼくの方だし、そもそも鳴の誘いを断る理由などない。
返答に時間はかからず、こうして二人だけのお茶会――会費は当然、ぼく持ちの――は開催の運びとなった。

……もしかしたら、この前のことについてぼくと話す機会を、彼女の方でも求めていたのかもしれない。
少なくとも、学校の休み時間に気軽にできるような話ではなかったから。
304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:25:07.97 ID:mQm9OJvR0
「榊原くんは体調、もう大丈夫なの?」

「すっかり元気だよ。というか、別に授業を休んだわけでもないしね。めまいがしたのはあの時だけで」

「なら、いいけど。帰る時もふらふらだったから、美津代叔母さんが心配してたよ」

月曜日はあれからどうやって家まで帰ったのか、未だに断片的な記憶しかない。
ただ、翌日以降に引きずるようなことが無かったことだけは幸いだろう。
……祖母には結局、またしても余計な心配をかけてしまったけれど。

「それより、見崎の方こそ大丈夫だった?」

「何が?」

「その……霧果さんと美津代さんがさ。もう霧果さんは帰ってきてるんだよね? あれからどうなったの?」

「どうも何も……霧果が帰ってきて、美津代叔母さんが謝って、霧果が『分かった』って言って……それでおしまい」

起きたことをそのまま羅列しました、という感じだ。
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:25:35.43 ID:mQm9OJvR0
「……それだけ?」

「それだけ」

「いや、ぼくが言うのも変な話だけどさ……霧果さんも、怒ったりとかそういうの、ないの? 自分の人形を壊されちゃったわけだし」

「別に。帰ってきていきなりだったら少しは驚いたのかもしれないけど、美津代叔母さんのこととか人形のこと、霧果には前もって伝えてたし」

事件が起きた直後の電話で、確かにそんなことを言っていたような気もする。
霧果には伝えておくから、と。

「そうじゃなくても、人形を壊されて霧果が怒るなんてあるわけないよ。――本物じゃないんだから」

まただ。

「それ、前にも言ってたよね。本物じゃないって。……どういう意味か、訊いてもいい?」

この前と同じように受け流されてしまうかと思ったが、鳴は頷いてくれた。
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:26:09.06 ID:mQm9OJvR0
「霧果が自分の創る人形に何を求めているか……榊原くんは、もう知ってるよね?」

「ええと、生まれてこられなかった自分の子供……だよね」

「うん。だから、霧果にとってはそれが本物。それを求めて、あの人は人形を創り続けてる。わたしをモデルにした棺の人形たちなんか、特にそう」

でもね、と鳴は続ける。

「霧果の子供じゃないわたしをモデルにしている時点で、あの子たちが霧果の子供になれるわけがない。――そうは思わない?」

「……」

「だから霧果にとって出来上がった人形は、ある意味じゃ失敗作みたいなものなの。ギャラリーも、地下展示室も、隠し部屋の人形も、全部。――榊原くん、あの隠し部屋のこと、お墓みたいって言ってたよね」

「うん。……言った」

「だとしたら霧果は、お墓参りなんて一度もしたことないよ。運んでいって、それで終わり」

それもこれも全部、あの人形たちが本物じゃないから……か。
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:26:46.58 ID:mQm9OJvR0
「あの人にとって大事なのは、今まさに自分が創っている人形だけ。まだ決まっていないから、揺らいでいるから、今度こそは本物になってくれるかもしれない。――人形を創っている間は、そうやって夢を見ていられる」

鳴の目に、ふと哀しみとも憐れみともつかない色が浮かんだ。

「でも完成してから、ふと気づくの。――ああ、これも偽物だった、って。あの人はいつだってそう。わたしがあの家に来てから……ううん、子供を喪った時からずっと、同じことを繰り返してる」

眼帯に指を添え、そこで鳴はひとつ、ため息をついた。

「……それならわたしのことも、最初から偽物だって気づいていればよかったのにね」

そのままカップを口へと運ぶ。
一方のぼくは、椅子にちょこんと座ったまま何もできずにいた。
鳴の心中を思うと、なんだかコーヒーに手を伸ばすことさえ、はばかられるような気がして。
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:27:30.09 ID:mQm9OJvR0
「どうしたの、そんな顔して黙っちゃって」

当の鳴はといえば、まるで何事もなかったかのような口調でぼくに言う。

「もともとはわたし、榊原くんにもこういう話、してたんでしょ? ――わたしはあんまり思い出せないんだけど」

「……そうだね。大体のところは、合宿の時に」

「ふうん」という呟きを漏らしながら、頬を撫でる鳴。

「本当に、忘れてしまうものね。分かってたことだけど、いざ自分がなってみるとやっぱり……」

「悲しい?」

「――とは、ちょっと違うかな。不思議というか、変な感じ。……合宿でその話をしたのって、いつごろ?」

「え。……夕食の後、自由時間があったよね。その時に、きみの部屋で」

「うーん」鳴は訝るように眉を顰める。「その辺からもう、違ってきちゃってるのね。わたしの記憶だと、夕食の後に榊原くんと話す余裕なんてなかったし」
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:28:08.20 ID:mQm9OJvR0
「それは、どうして?」

「和久井くんが発作を起こして、千曳さんが付き添いで山を降りてしまったから。引率する人がいなくなって、みんな身動きがとれなくなって。――榊原くん、対策係の人たちと一緒に指示とか連絡とか、忙しそうにしてたよ。覚えてない?」

覚えていないというより、身に覚えがない。が、そうだったという話は聞いている。
勅使河原もそんなことを言っていたし、ぼくが今クラス委員長をしているのもそのためだ。
怜子さんの行動をぼくが肩代わりした形だが、それが改竄後の事実ということなのだろう。

「でもさ、いくら忙しくったって、話をする時間くらいは確保できなかったのかな」

「……それだけだったら、確かにね」

「えっ?」

まだ何かあるのか。

「わたしも榊原くんにはちゃんと話をしておくべきだと思ったから、手が空くのを待ってたの。……でも、そうしているうちにあの放送があって」

――今年の<死者>は見崎鳴です。
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:28:52.03 ID:mQm9OJvR0
「それでクラスの人が何人か――放送を聞いた榊原くんも――わたしのところに来て。榊原くんはわたしを<死者>じゃないって言ってくれたけど、とうとう辻井くんがわたしに殴りかかってきて。……でもね」

鳴の視線が、ふっとテーブルに落ちた。

「榊原くんがわたしを庇ってくれたの。だから、わたしは何ともなかった。……榊原くんは、覚えてないんだよね」

「……うん」

覚えているはずなどない。そもそも、そんなことは無かったのだ。
けれど、奇妙な納得がそこにはあった。
なぜなら――あの時実際に鳴を庇ったのは、<死者>である怜子さんだったから。
つまり、ぼくはここでも辻褄合わせで怜子さんの代役を務めたというわけだ。

「それで、その後は? ……えっと、ぼくはどうなったの?」

自分で自分の安否を確認するなんてどうにも変な話だが、鳴の記憶にある「榊原恒一」は、ぼくであってぼくじゃない。

「気を失ったみたいだった。出血もしてて、それで周りの人は我に返った部分もあったみたい。その時にはもう火事も起きてたから、とにかく安全な場所に運ぼうって話になって、みんなで建物の外に」

あの時は色々と状況が錯綜していたが、そこからは上手く逃れた形になったらしい。
311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:29:29.85 ID:mQm9OJvR0
「わたしは<災厄>を止めなきゃって思って、<死者>を探し回って――見つけたの。瓦礫の下敷きになって動けなくなっている、<もう一人>を」

「……きみは、そのまま<死者>を"死"に?」

そうは言いつつも、ぼくの中ではこの時既に違う予測が固まっていた。

「そのつもりだった。でも……目を覚ました榊原くんが、ちょうどその時わたしのところに来て」

「……」

「わたしの<目>のことを話したら、それで榊原くんは納得してくれた。そして……『ぼくがやるよ』って。――それで今年の<災厄>は終わったの」

「……そっか」

「榊原くんが見聞きしたことと、食い違ってる部分はあるんだよね。それでも、まだ合宿の出来事についてはわたし、こうして一連の流れはちゃんと覚えてるの。……なのに」

きつく目を瞑って、鳴は言う。

「<死者>が誰だったのかだけは、どうしても思い出せなくて。顔も名前も、男子だったのか、女子だったのかすら……」

実際は男子でも女子でもなく、教師だった。
改竄に呑み込まれてしまった彼女には、やはりその選択肢が出てこないのだ。
312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:30:17.14 ID:mQm9OJvR0
「気になるのなら、千曳さんに名簿を見せてもらえば分かると思うけどね」

今年の<死者>が怜子さんだったことは、合宿が終わってからほどなくして、ぼくの口から千曳さんに伝えてあった。
教師も間違いなく、<もう一人>になり得るということ。
そしてその時、一体何が起こるのか。

……頭では分かっていても、今まで実例が無かったことだ。
それを記録としてちゃんと残しておくことは、きっと後輩たちへの助けになる。……そう思ったから。

「うん。でも……わたしがそれを見たところで、何の実感も湧かないんだろうって思うと……」

そう言って鳴はカップの中身を飲み干した。
ぼくがポットから新たに紅茶を注いであげると、「ありがと」とだけ言って、ちびりと口をつける。

「何の話をしてたんだっけ……そうそう、だからわたし、合宿では榊原くんにわたし自身のことなんて、話すタイミングが無くて。それに学校が始まってからは、今さら改まって言うことかな、なんて気にもなったし。――ああでも、それは今だからそう思うのかな」
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:30:52.48 ID:mQm9OJvR0
「と、言うと?」

「わたし、本当は合宿で榊原くんにちゃんと話をしてたんでしょ? それを忘れてしまったから、今まで説明してなかった理由として、そうやって理屈をつけてるだけなのかも」

「それじゃ先週、ぼくがきみの家に行った時は……」

「たぶんもう、分からなくなってたんだと思う。<死者>のことや、合宿で本当に起きたこと。榊原くんが来てすぐに言おうとして、結局言えなかった記憶があるから」

そんな場面が、確かにあった。あの時、鳴はもう<災厄>に記憶を――。

「……あのさ、見崎。答えたくなかったら、いやだって言ってもいいし、無視してくれてもいいんだけど」

そう前置きして、ぼくは鳴に言う。

「きみが<死者>のことを忘れて、事件が起きた後。きみはどうして、ぼくに美津代さんのことを話してくれなかったの? あの家にいたのは、実は彼女の方だったって」

「……」

「事件が起きる前は、きみも霧果さんや美津代さんのことをぼくに話す気があったんだよね? だったら事件が起きた後は、どうして急に隠そうと……?」
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:31:26.61 ID:mQm9OJvR0
この前は、とうとう答えを得ることなく終わってしまった、この問い。
ぼくはそれを、もう一度鳴にぶつけた。

「……」

鳴は小さく吐息し、ややあって口を開いた。

「正直に言うね。――事件が起きてしまったから、言えなくなった……言いたくなくなったの」

紅茶に映る自分自身を見ているかのように、視線は手元のカップに落ちている。

「あんな事件があった後じゃ、自分の家はこれだけぎくしゃくしてます、って榊原くんに言うようなものだと思ったし、知られたくもなかったから。……タイミングとしては最悪、でしょ?」

「それは……うん」

「だからね、わたしが喋ってないのに榊原くんが何もかも知ってるって分かった時は、本当にびっくりしたよ」

そこまで言ってまた、小さな吐息が。

「……ごめん」

「別に、榊原くんが謝るような話じゃないと思うけど? あったはずのことを忘れてしまってるのは、わたしの方なんだし」

と、ここで鳴は微笑む。
……気を遣わせてしまっているな、と感じた。
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:32:17.40 ID:mQm9OJvR0
「悪者がいるとすれば、それは<災厄>ね。――ひょっとしたら、事件が起きたのもそのせいなんじゃないかって思ったり」

「え。それって……今回のことも、<現象>の一部だってこと?」

「正確に言えば、後始末なのかな。事実として、わたしは合宿で榊原くんに話をしていた。でもわたしはそれを覚えていない」

「つまり記憶の改竄によって、忘れてしまったと」

「そう。だからもし、榊原くんまで記憶を改竄されるようなことがあれば――」

「ぼくも忘れてしまうんだろうね。きみから事情を聞いてないことにされてしまうんだし」

「でも<災厄>の影響を受けるのは、<死者>に関することだけのはずでしょ? それとは全く関係のないわたしの身の上話があなたの記憶から消されてしまうのは、道理に合わないと思わない?」

「いや、確かにそうかもしれないけどさ……。現実に見崎は、話をしてないことにされてしまったんだし」

「今まではね。だけど事件が起きた結果……わたしと榊原くんはこうしてもう一度、秘密を共有する機会を得たの」

「……!」

言葉を失った。

「たぶんこれから先、榊原くんが<もう一人>のことを思い出せなくなっても、わたしと美津代叔母さん、それから未咲との関係とかは、ちゃんと覚えてると思うよ。今回の事件をきっかけとしてわたしから聞いた、みたいな感じで。――そうすれば<災厄>は、あなたの記憶をそのままにしておける」
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:33:02.65 ID:mQm9OJvR0
「……じゃあ<災厄>は、ぼくが見崎から聞いたことを忘れさせないようにするためだけに、今回の事件を起こした……いや、起こさせたんだ、って?」

「まあ、あくまで一つの考えだけどね。でも考えてみて。美津代叔母さんがわたしの家にいたのは、"たまたま"天根のおばあちゃんが腰を痛めたせいだし、わたしたちは、"たまたま"中村青司の話になって"たまたま"人形探しを始めた結果、"たまたま"叔母さんが壊した人形を見つけてしまった」

「……」

もっと言えば、そもそもぼくが鳴の家に行ったのも"たまたま"だ。
……いや、あれは本当に"たまたま"だったのか?

<災厄>がそうするように仕向けていなかったと、どうして言える?
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:33:32.77 ID:mQm9OJvR0
「普通じゃ考えられないような偶然が、あまりにも重なりすぎてると思うの。……まるで、<災厄>で人が死ぬ時みたい」

「でも、どうしてそこまで……」

「さあ。<現象>にそれを尋ねても無駄じゃない?」

「……う」

「それでも理屈をつけるとすれば……やっぱり<死者>に関する記憶以外は極力消さないようにしてるんじゃないか、とか……後はそう」

すっと、鳴の人差し指がぼくに向けられた。

「<死者>を"死"に還したのは榊原くんだから、そうじゃない人より特別扱いされてるのかも、とかね」

「……それはそれは」

ずいぶんとご丁寧なことだ、と皮肉めいた笑いが出てしまいそうだった。
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:34:06.95 ID:mQm9OJvR0
今回の事件の要因にぼくという人間の「特殊性」があるというのは、確かにそうかもしれない。
だがそれを言うなら、「特殊性」は事件の舞台――"夜見山の人形館"にもあったはずだ。

なぜならあそこは……中村青司が建てた「館」、すなわち「死に近い場所」だったのだから。
三年三組という「死に近い場所」に巣食う<災厄>が伝播する先としては、これほどおあつらえ向きの場所もないだろう。
それを思えば、事件が起きるのはもはや必然だったのでは――。

ぼんやりと紡いでいた思考がにわかに現実味を帯び始めてしまい、ぼくはぶんぶんと首を振る。
やめておこう。これ以上は本当にきりがなくなってしまいそうだ。

「なんだか結局は、そういう<現象>だから仕方がないって思うしかないのかな」

とりとめのない連想に区切りをつけるべくこう口に出すと、鳴も同意するように頷いた。

「そう思う。それで済ませてしまえるなら、そうした方がいいよ」

そう言って、物憂げな目でカップを傾ける。

「仕方がないで済ませてしまいたいのに、そうは出来ないことなんて、他にもいっぱいあるんだし」
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:34:50.42 ID:mQm9OJvR0
「それって……霧果さんと美津代さんのこと?」

「……そうね」

眼帯を覆い隠すようにして、鳴は顔に手を当てる。

「霧果はやっぱり、妹から子供を奪ってしまったって思ってる。未咲が死んでしまってからは、特にそう。美津代がわたしを取り戻しに来ても仕方がないと思う一方で、それをとても怖がってた。叔母さんからしてみれば、何を今さら……って感じなのにね」

まるで他人事のように肩をすくめて言う。

「負い目を感じているのは、美津代叔母さんだって同じなのに」

「美津代さんも?」

「うん。霧果のためとは言いつつ、結局は自分の判断でわたしを手放して、それで現実に助かってしまっている部分もあるから、わたしや霧果に合わせる顔がないって感じ。……それでいて、やっぱり気にはなるのね。電話でわたしが『来てほしい』って言った時の、あの人の嬉しそうな声ったらなかった」

当時のことを思い出したのか、鳴の口元がわずかにほころんだ。
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:35:49.81 ID:mQm9OJvR0
「わたしもあの人とあんな風に過ごすのは初めてだったし、一回だけのつもりで試しに『お母さん』って呼んでみたら、嬉しいを通り越して泣きそうな顔するし……だから結局、それで通さざるを得なくなったりして」

「……」

そう話す鳴は今、霧果さんも美津代さんも「お母さん」とは呼んでいない。
……彼女はもう、誰のこともそうは呼ばないのかもしれない。

「二人ともわたしに対してはそうでもないのに、顔を合わせるとぎこちなくなって……と言うより、わたしのせいでそうなってるの」

「そんな……」と言いかけたが、否定の言葉は継げなかった。
事情が事情だけに、二人の中で鳴の存在は避けられぬ前提となってしまっている。

「双子なんだし、昔はもっと仲が良くて、もっとつながってたのかもしれないけど……わたしがいる限りはもう、無理ね」
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:36:25.82 ID:mQm9OJvR0
そこまで言ったところで、鳴は天井を見上げるようにして「あーあ」と声を上げる。
鳴にしては珍しい、どこか投げやりな響きがそこにはあった。

「いっそのこと、わたしも東京の高校にでも行っちゃおうかなぁ」

「えっ」

「そうすれば、あの二人も少しはましになるかもしれないでしょ」

彼女がそんなことを口にするのは、初めてのことだった。
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:36:58.95 ID:mQm9OJvR0
――鳴が東京? 本当に?
だがぼくが何かを言うよりも早く、鳴はくすりと笑う。

「……なんてね、冗談」

一気に肩の力が抜けた。

「あ、ああ……そう、だよね。うん」

「それにあの二人、これから先は会うこともほとんど無くなりそうだから。……美津代叔母さん、来月に引っ越すんだって」

「引っ越す? どこに?」

「県外。旦那さん――藤岡のお父さんが前から転勤の希望を出してて、それがようやく通ったみたい」

「夜見山にはもう、帰ってこないってこと?」

「ひょっとしたら、未咲の命日くらいは戻ってくるつもりかもね。でも、無理にそうしなくてもいいんじゃないかって、わたしは思うけど。……きっと、ここは辛い思い出ばかりになってしまっているだろうし」

「……」
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:37:28.40 ID:mQm9OJvR0
「だから、当分の間はお別れになるのかな。わたしはたぶん、夜見山を離れることはないと思うから」

「……霧果さんのことがあるから?」

「それもあるけど……他にもちょっと、考えてることがあって」

「それって?」

とぼくは尋ねてみたのだが、鳴は「んー……」とだけ声を発して、もの言いたげな半眼でぼくを見る。

「なんだかさっきから、わたしばっかり質問に答えてる気がするんだけど」
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:37:57.31 ID:mQm9OJvR0
「……ごめんごめん、つい。――質問攻めは嫌い、だったよね」

「これ以上は拒否します、ってわけじゃないけど……わたしだって榊原くんに訊きたいこと、あるのに」

「そうだよね。じゃ、交代しよっか? ……見崎、質問をどうぞ」

ぼくがそう言うと、鳴はぼくの目をじっと見つめ、唐突にこう言った。

「いやだ」

「えっ」

鳴の方から言い出したことなのに? と思ったが、これにはまだ続きがあった。
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:38:36.39 ID:mQm9OJvR0
「『いやだ』……って、あの時言ったよね、榊原くん。わたしが<死者>のこと、覚えてないって言った後に」

「……ああ。えっと……」

「それとももう、忘れちゃった?」

「……どうだったかな」

言い淀むぼくに、鳴は更に質問を重ねる。

「そんなに嫌だった? 今年の<死者>……<もう一人>のことを、忘れてしまうのが」

「……」

「榊原くんは、その人と仲が良かったとか? ――それとも、その人のことが好きだった?」

鳴が口にした"好き"という言葉に、ぼくの胸がちくりと痛んだのは事実だ。
けれども、ぼくがあんな風に言った理由はもっと別のところにあった。
あの時は自分でもどうしてそんなことを言ったのか分かっていなかったけれど、今なら分かる。
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:39:14.47 ID:mQm9OJvR0
もし怜子さんのこと、今年の<死者>にまつわる全てを忘れてしまうのなら、その時はきっと。
きっと、鳴と一緒にそうなるのだと、ぼくはそう思い込んでいたのだ。

だけど現実はそうじゃなく、ぼくは置いていかれた。
だからそれが嫌だった。
ただそれだけの……まるで子供が駄々をこねるような、そんなくだらない感情。

今思えば大した思い上がりだ。
大体、ぼくと鳴が怜子さんの死に深く関わったといっても、
その本当に最期、その締めくくりは、鳴ではなくぼくがやったこと。
そういう意味では、ぼくと鳴にしてもその関わり方は違う。
ならば、そこに差が生まれるのも当然というものだろう。

実際にそうなってしまうまで、ぼくはそんなことにも気づいていなかったのだ。
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:39:57.93 ID:mQm9OJvR0
……こんなこと、正直に言えるわけがないし、何よりぼくが恥ずかしい。
だからぼくは、

「うん、そうだね。……そうだったのかもしれない」

と、はぐらかすことしかできなかった。

「……ふうん」

そうは言いつつ、どこかすっきりしないといった様子の鳴。
その左手がすっと上がったかと思うと、眼帯に触れるかどうかといったところでまた下りた。

眼帯を外そうとしたのだろうか?
<死の色>が見えるという、鳴の<人形の目>。
その目には人がついた嘘も見える、なんて話は聞いたことがないけれど……。
今もし鳴が眼帯を外して、<人形の目>でぼくを見つめていたら。

ぼくの下手な嘘なんてきっと、いとも簡単に見抜かれていたことだろう。
そんな気がした。

「ま、別にいいけどね。わたしだって、なんとしてでも知りたい、なんて思わないし。……あなたと同じで」

――あるいはもう、彼女はとっくにお見通しなのかもしれない。
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:40:37.51 ID:mQm9OJvR0
言いたくない、知られたくないことは、ぼくにだってある。
それに触れてしまわぬように、鳴はそっと手を引いてくれた。

「……ありがとう、見崎」

と呟いたぼくに、

「でも……そうね」

と微笑みながら、鳴はいつの間にか空になっていたティーカップを持ち上げる。

「せっかくだしもう一杯、ごちそうになっちゃおうかな。――今度は、ミルクティーで」

ああ、喜んで手を打つとしよう。
それに今日に限れば、最初からぼくの返事は決まっている。

「――かしこまりました」

ぼくは右手を挙げ、知香さんを呼んだ。
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:41:11.91 ID:mQm9OJvR0


「考えてたことっていうのはね」

白い湯気が立ちのぼるカップを口元に近づけたまま、鳴が言う。

「わたしは確かに、<死者>についてのことは忘れてしまった。でも、それ以外のことはちゃんと覚えてるの」

「うん」

「例えば、どうすれば<災厄>が止まるのか、とか」

「……うん」

――<死者>を、"死"に。

「今も覚えているってことは、年が明けても……ううん、わたしたちが卒業して、新しい年度が始まってからもまだ、覚えていられるかもしれない」

「……」

鳴の読みは、おそらく当たっている。
<災厄>を止める方法は、<死者>の正体に直接関わっているわけではない。
だとすればこれもきっと、<災厄>による記憶の改変・調整の範囲外となっているはず……。
330 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:42:12.02 ID:mQm9OJvR0
だからこそ、かつて<災厄>を止めた松永さんの残したテープが、十五年もの時を経てぼくらの元へと流れ着いたのだ。
確かにぼくらが松永さんと会った時、彼自身は合宿で起きた一切を忘れてしまっていた。
けれどもし<災厄>が、それを止める方法まで隠蔽してしまうのだとすれば、
それほどまでの間、テープが無事だったはずがない。

ならばそこには、大なり小なり、見逃されうる余地があるのではないか。
そう考えるのは自然な流れだろう。

「だからね、来年……もしもわたしがまだ、止める方法を覚えていて……そして次の三年三組が、<ある年>だったら」

「<ある年>だったら……どうするの?」

答えなんて訊くまでもない。けれど、訊かずにはいられなかった。

鳴が静かに頷き、カップを置く。
その白い指が、眼帯の縁をそっと撫でる。


「――止める、と思う。<災厄>を。この<人形の目>で、<死者>を見抜いて」

「……」

……それが鳴の「答え」だった。
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:43:00.51 ID:mQm9OJvR0
予想していなかったと言えば、もちろん嘘になる。
むしろ……とうとうこの日が来たか、という感覚が――ややもすれば鳴が<死者>の記憶を失ったと知った時以上に――強くあった。

「わたしの記憶だと、<人形の目>のことはまだ、榊原くんにしか話していないはずだけど……。これって、榊原くんの記憶でもそう?」

「うん。千曳さんには、そのことはまだ。……未咲さんのことも、学校で知ってるのはぼくだけだよ」

――言うべきかどうか、もう少し考えさせてほしいの。

かつてぼくが、千曳さんに今年の<死者>について話しに行くと、鳴に告げた時。
彼女は自分の<目>や藤岡未咲のことについて、そう言って保留したのだ。
だから今も記録上、今年の<災厄>は「何らかのイレギュラー」によって、五月から始まったことになっている。
そうしなければ、何の<対策>も講じていない四月に犠牲者が出ていないのはなぜなのか……と、疑いを持たれてしまうおそれがあったから。

当然、ぼくは鳴に何も言わなかった。
未咲が<災厄>なんてわけの分からないもののせいで死んでしまったなんて、信じたくない――。
そう吐露した鳴の心情や、妹を喪った彼女の悲しみは、ぼくにも痛いほど分かっていた。

<人形の目>にしてもそう。
例え千曳さんに伝えたところで、彼はそれで鳴に何かを強いるような人ではない。
だが<災厄>に対抗する手段として、<人形の目>の存在は、従来の<対策>とは比べものにならないくらい強力なのだ。
だからこそ、その存在を知らせることには慎重になる必要があった。
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:43:47.46 ID:mQm9OJvR0
正直なところぼくは、もし鳴が沈黙を望むならば、誰も何も知らないまま終わってしまってもいいと、そんな風に考えていた。
あるいは鳴のことを思えば、その方が好ましいのではないか、とも。

しかしそう思う一方でやはり……いつかこうなる予感はしていたのだ。
それも、想いを馳せる必要もないくらい身近な未来で。

「来週、学校が始まったら……わたし、千曳さんに言うつもり」

「何を?」

「全部。卒業しちゃったら、学校に入るのも簡単じゃなくなるもの。千曳さんの助けが必要になると思うし、その前に説明しておかなきゃ」

「……本気、なんだね」

「うん。……だって、こうするしかないでしょ?」

確かにそうだろう。
<災厄>を止めるには、鳴の力が、彼女の<目>が、絶対に必要だ。
それは鳴にしかできないこと。
だから、彼女がやるしかない。
そうしなければ……不確かな<対策>に縋るしかない三年三組ではまた、人が死ぬ。
これからもずっと。

ぼくですら分かることだ。
だから、鳴の選択はどこまでも正しい。

――正しいからこそ、納得できるはずがなかった。
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:44:15.99 ID:mQm9OJvR0
「……どうしてなのかな」

知らず知らずの内に、ぼくはそう声に出していた。
表情が翳るのも、止められそうにない。

「どうしてきみだけが、こんな……」

独り言のように呟くぼくに、鳴はほんの少しだけ右目を細める。

「……優しいのね、榊原くんは」

……ああもう。何をやっているんだ、ぼくは。
鳴にこんなことまで言わせて。

何も言えないでいるぼくに、鳴は続けて言う。

「でも……あなただったら、どうしてた?」

「えっ?」
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:44:56.64 ID:mQm9OJvR0
「もしも三組に増えた<もう一人>が、あなたにだけ分かるとして……榊原くんなら、どうしてたと思う? ――たぶん、わたしと同じようにしてたんじゃない?」

「……それは……」

あまりにもずるい質問だ。こんなの、答えられるわけがない。

唇を噛んで、ただ俯く。
そうやって沈黙で回答することが、精一杯の抵抗だった。

「それでね、わたしはもし榊原くんがそんな風になってたら、きっとこう思ってた。――どうして榊原くんだけがこんなことをしなくちゃいけないんだろう……って」

そう言って、鳴は微笑む。まるでぼくを安心させるように。

「<死の色>が見えるなんて、べつに望んだわけじゃない。でもね、わたしはこれで良かったと思ってるよ。<災厄>で死んでしまう人や、それで悲しむ人――わたしや榊原くんみたいな人がいなくなるのなら、それで」

「……」
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:45:33.24 ID:mQm9OJvR0
<災厄>で犠牲になる人を無くす。
<人形の目>をもってすれば、それもあながち夢物語ではない。
少なくともこの先、鳴は多くの人を救うことになるだろう。それだけは確実だ。

……だがそれでも、彼女が本当に守りたかったはずの人はもう、守れないのだ。

それすらも分かっていて、鳴は――。

もどかしさが募る。
何かをしなければ。
何かを言わなければ。

この時ぼくが抱いていた感情は説明が難しい。
ただ、何かに追い立てられるような焦燥感だけははっきりと感じていた。
336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:46:00.08 ID:mQm9OJvR0
「……さっき、千曳さんに全部話すって言ったよね」

「うん。……そうだけど?」

「それって、未咲さんのことも?」

一瞬、鳴の動きが止まる。
けれどそれは本当に一瞬のことで、彼女はすぐに頷いた。

「……ええ。本当のことを言うべきだって、そう思うから」

「ぼくはさ、無理に言うことはないと思うんだ。別に今のまま、五月から始まっていたことにしても影響は――」

「だめ。……今年の<災厄>はもう、四月に始まっていたの。誤魔化したって何にもならないよ」
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:46:31.59 ID:mQm9OJvR0
「それに」と鳴は続ける。

「このまま五月から<災厄>が始まったことにしていたら、五月に<対策>が失敗して、それで始まったことにされちゃうよ。……転校してきた榊原くんが、わたしに話しかけたせいで<災厄>が始まったんだ、って。そんなの――」

ぷいと窓の方に視線を向け、しかしはっきりと鳴は言った。

「――そんなの、わたしは嫌」

「見崎……」

ぼくはそんなこと、まるで気にしてなんかいないというのに。
だがそれを口にしたところで、鳴が心変わりするはずもないと分かっていた。

鳴はもう、答えを出しているのだ。
動けないままのぼくとは違う。
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:47:03.24 ID:mQm9OJvR0
「本当はね、やっぱり信じたくない。でも、見ないふりしてやり過ごせるものでもないもの。例えわたしが未咲のことを誰にも言わないでおいたって、<災厄>が見逃してくれるとも思えないし」

「それって……?」

<災厄>が見逃す?
いったい何から――という反射的に浮かんだ疑問に、答えはすぐ与えられた。

「未咲だって<死者>になるかもしれない、ってこと」

「!」

<死者>となりうるのは、これまでの<災厄>で犠牲になった人間。
ならば三年三組の生徒ではなくとも、藤岡未咲がそうなってしまう可能性だって、もちろんある。

「考えたくはないけど……覚悟はしておかなきゃって思うの」

「でも、<災厄>で亡くなった人はこれまでたくさんいるんだし……」

「だから大丈夫って、本当にそう思う? 単純に、何十分の一の確率でしかない……って」

「それは……」
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:47:35.46 ID:mQm9OJvR0
「じゃあ、逆に訊くね。榊原くん――あなたのお母さんが<もう一人>として三組に紛れ込む可能性、あると思う?」

「……ぼくの?」

ぼくの目を見つめたまま、無言で鳴は頷いた。

ぼくを産んですぐに帰らぬ人となってしまった母親――榊原理津子。
その死もまた、<災厄>によるものだった。怜子さんが三組の生徒だった<ある年>の。

素直に考えれば当然、母も<死者>の候補ということになる。
しかし――。

「……いや。それはない……気がする」

「どうして?」

「どうして、って……」

「べつにわたし、否定してるわけじゃないよ。というか、わたしもそう思う。――でも、それはどうして?」
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:48:08.65 ID:mQm9OJvR0
「だってそれは、なんていうか……」感覚的にしか考えていなかったから、表現するのが難しい。「大変じゃない? その、<災厄>がさ」

亡くなった時、母は二十六歳だった。もし生きていれば、現在は四十一歳だったことになる。
仮に<死者>として三組の構成員になるとすれば、教師としてだろう。怜子さんのように。

だが、母はまだ学生のうちに父と出会い、そして結婚した。
教師として働いていた経験などあるはずもない。

もし<災厄>が母を教師の<死者>として復活させようというのなら、<災厄>は存在するはずのない「教師としての榊原理津子」の記憶を、丸々でっちあげる必要に迫られる。
それも数十年分を、である。
そのために必要な改竄は、もともと美術教師だった怜子さんの比ではない。

そして、母を三組の「教師」ではなく「生徒」として復活させる――なんて考えはそもそも論外だ。
そんなことをすれば、息子であるぼくよりも年下になってしまう。

だからやはり――ぼくの母が<死者>となる可能性はゼロに等しい。
そういうことになるのだろう。

ぼくが結論に達したタイミングを見計らったように、ここで鳴が大きく頷いた。
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:48:45.59 ID:mQm9OJvR0
「そう、障害が多いの。大人の人だけじゃない。生徒として亡くなった人だって、何年も前の人なら環境が変わってしまっていることだってあるでしょ? 家の場所が変わったり、他のきょうだいに年齢を追い越されたり……」

「じゃあ、<死者>になる可能性が高いのは……」

「一番は、直近の<災厄>で犠牲になった人、ってことになると思う。だから次の<ある年>で<死者>になるのはきっと……今回の<災厄>で死んでしまった人」

つまりは、ぼくらのクラスメイト……か。
いったい誰が……なんて考えても意味はないと分かっているけれど、どうにもやるせない気持ちになってしまう。

「だからそうやって考えていくと、未咲が<死者>になる可能性は決して低くないって、そう思う」

「……」

「あ、でもね」と、ここで鳴はわざとらしく明るい声を作るようにして。「じゃあ可能性が高いのかって言われると……そうでもないのかな、って感じもするの」

「それは、今年の<災厄>で亡くなった他の人と比べると、ってこと?」

「うん。未咲はそもそも夜見北の生徒ではなかったし、後はやっぱり……美津代叔母さんたちも、ここからいなくなるわけだから」
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:49:31.32 ID:mQm9OJvR0
「ああ、さっき言ってたよね。美津代さんが来月に引っ越すって」

「そう。未咲を<死者>にするとしても、来年以降は帰る家が無くなってしまうことになるでしょ? 引っ越した先から通ってる、なんて改竄をするのもやっぱり大げさになるし」

「そっか……確かに」

「だから叔母さんたちが引っ越してくれて、かえって都合が良かったのかもね」

言い切るような口調。
隣で聞いている身としては、なんだか心配になってしまう。

「……見崎は、寂しくないの?」

「どうだろ。別にこれまでだってほとんど会ってなかったんだし、それでどうこうってのはないと思うけど。二度と会えなくなるわけでもないし」

窓の外、景色の更に向こう側を見通すような目つきで、鳴は言う。
まるでその視線の先に、美津代さんの向かう先があるかのように。

「それに……もし本当に『つながってる』のだとしたら、そのくらいでどうにかなるものじゃない、でしょ? ……困ったことにね」
343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:50:08.72 ID:mQm9OJvR0
口では困ったと言いながら、どこかそれを愛おしく思うような響きが伴っている気がしたのは、ぼくの勘違いではないだろう。
こちらに向き直った鳴の顔は、微かな笑みをたたえているようだった。

「じゃあ結局、どうなるか分からないってのが結論になるのかな」

とはいえ鳴の話を聞く限り、決して高い確率ではないのでは……。
そんな風に考えつつ、ぼくはこうまとめた――のだが。

「……」

鳴は何かを考えこむようにして、テーブルの一点を見つめたまま微動だにしない。
その直前まで浮かべていたはずの微笑みも、とうに消え失せていた。

「見崎?」

ぼくが呼びかけると、彼女はすぐに顔を上げる。

「……ごめんなさい、ちょっとぼんやりしちゃった。でも、話はちゃんと聞いてたよ。――そうね。わたしの杞憂でしかないのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

弁解のようにそう言い、カップを口に運びかけ――途中で中身が空だと気づいて、また戻す。
344 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:50:44.63 ID:mQm9OJvR0
いったい、どうしたんだ?
鳴の様子が明らかにおかしい。
重大なことに思い当たり、愕然としているという感じだ。
まるで……そう。
<死者>についての記憶を失ったと気づいた、あの時のよう。

何か、大変なことに気がついたのだろうか? だとしても、何に?
今までぼくらが話していたことと言えば――藤岡未咲が<死者>となってしまうかもしれない、ということだけど……。

だとしても、それはやはり鳴の言う通りでしかないだろう。
そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれない。
ぼくから見ればむしろ、例え来年が<ある年>だったとしても、よほどのことがない限り彼女が<死者>となることはないのではないか、と感じるのも事実だ。
そしてそれさえ乗り切れば、その次の<ある年>にはもう別の<死者>が――。

待てよ。
来年が<ある年>だとして、鳴はそれを止めるつもりなのだ。
おそらくは始業式の段階で、一人の犠牲者も出すことなく。
そしてそれを、彼女はずっと続けていこうとしている。
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:51:25.93 ID:mQm9OJvR0
ならば当然、<災厄>による犠牲者がこれから増えることはない。
裏を返せばつまり……<死者>の候補となる人間も増えない、そういうことになる。
加えてぼくらはついさっき、こんな仮説を立てたはずだ。
<死者>になる可能性が一番高いのは、直近の<災厄>で犠牲になった人ではないか……と。

だとすれば。
<災厄>で人が死ぬのを、1998年で最後にしてしまうのならば。
これからの<ある年>に<死者>として復活するのはずっと、1998年の<災厄>で亡くなった人間となる可能性が極めて高い。
そういうことになりはしないか。

――鳴も、同じ考えに行き着いてしまったんだろうか?
これから先の<災厄>を防ぐということはすなわち、死んでしまったぼくらのクラスメイトを縛り付けてしまうことになるかもしれないと。
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:52:45.61 ID:mQm9OJvR0
それだけじゃない。
1998年の犠牲者が<死者>になり続けるとするなら、「あのこと」がいよいよ現実味を帯びることになる。
鳴が恐れる事態――藤岡未咲に<死者>の順番が巡ってくることが。

夜見北の生徒ではないから。夜見山に家がなくなってしまうから。
だから大丈夫だろう。
そんな考えは、きっと気休めのお守りにもならない。
ぼくらは初めからこう考えるべきだったのだ。
その上で藤岡未咲を<死者>とするなら、<災厄>は一体どうするだろう――と。
347 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:53:23.71 ID:mQm9OJvR0
意気込んで考えたい内容では、決してない。
それなのに、思考はぼくの意思とは無関係に突き進んでいく。

もともと夜見北の生徒ではなかったとしても、三年三組に加わることは簡単だ。
三年生になって「転校」してきたことにすればいい。
他ならぬぼく自身がそうだったではないか。

そして、家の問題。
美津代さんたちは夜見山を去り、藤岡未咲が<死者>となるころには、彼女が過ごした場所はもうない。
それこそが彼女の復活を妨げる防壁になるのだと、鳴は言う。
……それも砂上の楼閣でしかないのだと、ぼくは思う。

引っ越した先から通うなんて、そんなまどろっこしいことをする必要なんてない。
なぜなら……あるのだから。
<死者>という「死」そのものが宿るにふさわしい場所が、ここ夜見山には。
348 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:54:01.87 ID:mQm9OJvR0
もちろん、三年三組のことではない。
ぼくが想像している場所、それは――<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>。
またの名を"夜見山の人形館"。
異形の建築家が生み出した、「死に近い場所」。
藤岡未咲が<死者>として甦るのなら……彼女の"家"はきっと、そこになるのだ。

東京での手術を終えて退院した後、生まれ育った夜見山での生活を望んだ彼女は、
"姉"である鳴が暮らすこの家に身を寄せ、転校生として三年三組の一員となる――。
そんなかりそめのストーリーが容易に浮かぶ。
いつか必ずそれが起こるという、圧倒的なリアリティを伴って。

――いつの日か鳴は、その<人形の目>で<死者>の"妹"に<死の色>を見るのだろう。
そして悟るのだ。
救われたはずの彼女の命が、既に奪われているということを。

……その時、鳴は一体どうするのだろう?
349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:54:43.85 ID:mQm9OJvR0
――覚悟はしておかなきゃって思うの。

彼女は確かにそう言った。
それは藤岡未咲が<死者>となることへの「覚悟」なのだろうか?
それとも、それから先のことも含めての?

だとしても……鳴にできるのだろうか。
<災厄>を止めるため、<死者>とはいえ妹を"死"に還すことが、本当に。

ぼくがそれを考えても仕方がない。
そんなことは分かっていた。
けれどやっぱり、ぼくの頭は考えることをやめようとはしてくれなくて。


そして……ああ、どうしてだろう。

――人が死ぬのさ。青司の館では。

どうしてぼくは、こんな時に島田さんの言葉を思い出してしまうんだ?
350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:55:26.85 ID:mQm9OJvR0
……これも同じだ。そういうものだと受け入れるしかない。
中村青司の館では人が死ぬ。"夜見山の人形館"でも、きっと。
その予言の成就が、避けられないものだとすれば。

――あの"館"では一体、誰が死ぬ?

<死者>として甦った藤岡未咲が、再びあそこで"死"へと還るということなのか。
あまりにも酷な運命だが、それでもまだ「良い方」ということになってしまうのだろう。

むしろ――と、ぼくは思う。
ぼくらは、"そういうこと"にしなければならないのだ。何としてでも。
さもなければ、あの館で命を落とすことになるのは――。
351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:56:04.23 ID:mQm9OJvR0
「…………」

頭の中から無理矢理引きはがすようにして、ぼくはようやくそれ以上の想像をやめた。
しかしそれでも、そんな未来が存在する事実は変わらない。

ぼくは、どうするべきなんだろう?
いや、そもそも……ぼくに何ができるのだろう?
彼女――鳴のために。

分からない。
そもそも考えたところで分かるようなものでもない。
これもきっと、ぼくには解けない問題なのだ。
だけど……。

「……見崎」

ぼくの声に、鳴が顔を上げる。
不安げな……なんて言い切るのはためらわれるけど、しかしやはり憂いを帯びた表情。

「……どうしたの?」

――あれこれ考えるのはもう、やめだ。

「ぼくも手伝うよ。きみがやろうとしていること」
352 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:57:10.33 ID:mQm9OJvR0
「手伝う?」

何ができるかは分からない。
それでも……彼女のそばにいよう。

「<人形の目>で<死者>が分かったって、"死"に還さなきゃ<災厄>は終わらないんだよ? ……きみ一人じゃ、不安だ」

「……わたし、その時は千曳さんに助けてもらうつもりだったけど」

「千曳さんだって、万一のことがあるかもしれないじゃないか。手は多いほうがいい」

実際にはたぶん、ぼくなんかより千曳さんの方が数倍頼りになるだろう。
だが、これはそういう問題ではない。

「でも……榊原くん、来年から東京に行くんでしょう?」

「うん。だから夜見山には、始業式の日にまた帰ってくるよ。来年も再来年も、ずっと……。きみと一緒に<災厄>を止めて、それからまた東京に戻ればいい」

「……そんなこと、できるの?」

「できるさ。というより、やる。授業があっても休めばいいし、家族――父さんだって説得するよ」

結局は、ぼくがそうしたいからやるのだ。
鳴の言葉を信じようと思ったあの時と、何も変わりはしない。
そして、その時が――"彼女"の番が回ってきた時に、少しでも力になることができたら。
353 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:57:49.19 ID:mQm9OJvR0
「ずいぶんと自信満々なんだ。……わたしだったら、東京にいる時点で諦めちゃうけど」

いまだ話半分、といったところなのだろう。
テーブルに組んだ腕を置き、下から覗き込むようにして鳴はぼくを見る。

「そりゃあ、実際にその時になってみなきゃ分からないことだってあるけど……でも」

「?」

「やってみる前に諦めちゃうのは、かっこ悪いと思うんだ」

――大事なことよ、かっこいいか、かっこ悪いかって。

そんな優しい声が、ぼくの脳裏に甦る。
354 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:58:26.44 ID:mQm9OJvR0
……ああ。
ぼくはまだ、憶えている。
彼女の言葉を。
彼女との生活を。

「だから……ね? ――ぼくのこと、信じてほしい」

それを忘れてしまうまでは、と思っていたけれど。
ちょっとだけ早く、歩き出してみよう。


――それでもいいですよね? 怜子さん。
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:59:03.94 ID:mQm9OJvR0
「……」

テーブルから身を起こし、鳴は前髪を軽く払う。
無言のまま、返答はない。

「だ、だめ……かな?」

たまらずそう声に出すと、不意に彼女はこう言った。

「帰ってくるのは、始業式の時だけ?」

「えっ?」

「だから、始業式の時にしか帰ってこないつもりなの? 榊原くんは。<災厄>を止めたら、それで終わり?」

「えっと……いや、お盆の時とか冬休みとか、他にも帰ってくる機会はあると思うけど。おばあちゃんたちも寂しがるだろうし」

「……ふうん」

「あ、もちろん帰る時は見崎にも連絡するよ」

――って、ぼくはどさくさに紛れて何を言ってるんだか。

取り繕う言葉を並べようとした矢先……鳴が頷いた。

「うん。……そうして」

「えっ?」

今、何て?
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 22:59:43.29 ID:mQm9OJvR0
「わたしも東京に行くことがあったら、前もって連絡するね。――入れ違いになったら困るし」

「……東京?」

「約束でしょ? 美術館巡りするって。そう遠くない内にはしたいと思ってるけど」

確かに以前、そんなことを言ったけれど。

「あのさ、見崎。その……さっきぼくが言ったことは……?」

「ああ」と言って、こともなげに鳴は頷く。

「まだ言ってなかったっけ。……うん、分かった。榊原くんのこと、頼りにする」

そしていつものように、彼女は淡く笑むのだった。


「だから――これからもよろしくね、榊原くん」
357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:00:27.07 ID:mQm9OJvR0
……願ってもない言葉だ。
当然、ぼくの返事は決まっている。

「……ああ、もちろんだよ。任せて」

何度も縦に首を振るぼくを見つつ、鳴は「それにしても……」と呟いた。

「さっきの言葉は、誰の受け売り?」

「え。……さっきの言葉、って」

「『やってみる前に諦めるのはかっこ悪い』、ってやつ」

「ああ。……どうして分かったの? 受け売りだって」

「だって、榊原くんらしからぬ台詞だもん。すぐに分かったよ」

そう言って鳴はくすくすと笑う。
じゃあ「ぼくらしい台詞」とはいったい何なんだ、と思ったけれど、ぼくの身の丈に合っていない言葉なのは否定しようがない。
358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:01:05.48 ID:mQm9OJvR0
「……でも、いい言葉ね。教科書にでも載ってた?」

興味ありげな様子で、鳴は質問を重ねる。

「いや……。これは、違うんだ」

「そうなの?」と、首を傾げる鳴。


――ここで"彼女"の名前を出しても、鳴はきっと、不思議そうな顔をするだけなのだろう。

それでもいい。
どうか憶えておいてくれ。
359 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:01:45.08 ID:mQm9OJvR0
「この言葉は――」

……ぼくがそう口にした、その瞬間。
それまで穏やかにカーテンを揺らしているだけだった窓に、一際大きな風が吹き込んだ。
風はカーテンを大きくはためかせ、ぼくの視界を覆う。
一面が白く染まり、何も見えなくなる。

これはカーテンの……いや、違う。
それとは明らかに異質の、塗りつぶすような白。

――闇だ。
真っ白な闇が、すべてを――。




                                  ――どくん。
360 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:02:33.36 ID:mQm9OJvR0


「――ああ、ごめんなさい。急に吹いてきちゃったみたいね」

知香さんがぼくらのテーブルに駆け寄り、窓を閉めていった。
なんだか寒気がする。たぶん、さっきの風に体温を奪われてしまったのだろう。
予報にはまるでそぐわない、ひどく冷たい風だったから。

身ぶるいをひとつしたぼくに、鳴が言う。

「それで?」

「……うん?」

不意の問いかけに、ぼくは首を傾げる。

「だから、誰の言葉なの?」

「ああ」そういえばさっきまで、そんな話をしていたんだっけ。「えっと――」

言いかけた言葉は、そこで途切れてしまう。

「…………」

――あれ?
361 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:03:07.77 ID:mQm9OJvR0
「どうかした?」

「いや……」

――あれは、誰が言ったことだったろう?
いつかどこかで、誰かに、確かに言われたことがあるのだけど。
そしてついさっきまで、ぼくはその"誰か"を具体的にイメージできていた……気がするのだが。

しかし今となってはもう、それを思い出せそうな気はまるでしなくて。
362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:03:35.93 ID:mQm9OJvR0
「……ごめん、なんかど忘れしちゃったみたい」

ぼくがそう言うと鳴は、

「そう。じゃあ仕方ないか」

とだけ言い、それで興味を失ったようだった。
もともと会話の流れで訊いてみただけの、言ってしまえば些細な質問だったのだろう。

でもまあ……仮に鳴が食い下がってきたとしても、どっちみちぼくは思い出せないと思うけれど。
それほど見事に忘れてしまっていた。

そしてぼくの経験上、こういう時はさっさと諦めてしまうに限る。
あまり気にしすぎない方が案外、後々になって思い出せるかもしれないというものだ。
363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:04:05.72 ID:mQm9OJvR0
そう考えてぼくはひとつため息をつき、それを頭から追い出そうとしたのだが……。
ぼくの思いとは裏腹に、こめかみの辺りが徐々に、鈍く痛み出すのだった。
まるで頭の中では未練を断ち切っていても、それを諦めきれない無意識の部分が必死に記憶を探っているかのように。

「大丈夫?」

鳴の言葉で我に返った。
じわじわと増していく痛みに、いつの間にか手で頭を押さえていたらしい。

「……うん、大丈夫。ちょっと頭痛がね」

気を遣わせまいとぼくは鳴に微笑んでみせたのだが、彼女はそれでも心配げな眼差しでこちらを見ている。
――そしてなぜか、申し訳なさそうにこう言う。

「……ひょっとしてまだ、傷が痛むの?」

「えっ?」

傷?
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:04:38.50 ID:mQm9OJvR0
それでようやくぼくは気がついた。
ぼくがいま額に当てている右手、そのちょうど指先のあたりに残る――ひとつの傷痕。
これは――。

「それ、わたしのせいで榊原くんが怪我した時にできた傷……だよね。やっぱり、まだ痛い?」

――ああ、そうだった。

これは<死者>の疑いをかけられた鳴が辻井に襲われ、それをぼくが庇った時にできた傷痕。
そしてある意味ではぼくにとって、誇らしくもある傷痕。

だが、その時の傷はとうに癒えているのだ。
こんなものが今さら痛むはずもない。

……いい加減にしよう、これ以上は鳴を心配させるだけだ。
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 23:05:16.77 ID:mQm9OJvR0
「違う違う。本当にもう大丈夫だから、気にしないで」

ぼくはそう言って大げさに両腕を広げ、オーバーなくらいにおどけてみせる。
それでようやく、鳴が笑った。彼女が笑ったから、ぼくも笑う。



鈍い痛みはもう、とっくに消えていた。




――了
366 : ◆8D5B/TmzBcJD [sage]:2019/02/23(土) 23:06:43.33 ID:mQm9OJvR0
以上で終了です。
読んでくださった方、ありがとうございました。
今年こそは、「Another2001」が出るといいですね。
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/23(土) 23:21:44.13 ID:rvVbyp7U0
乙です
両作品のファンとして楽しく読ませていただきました。
368 : ◆8D5B/TmzBcJD [sage]:2019/02/24(日) 21:43:40.02 ID:sqRycsxRO
>>367
ありがとうございます。
長さ的に誰からも読まれない覚悟はしていたので、
そう言って頂けるのは本当に嬉しいです。
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/24(日) 23:36:50.83 ID:a1JViRsP0
ありそうでなかったクロスで、個人的に読みたかったし待ってた。
館もアナザーも好きってのが伝わってきたし、島田潔の立ち位置とか、鳴と恒一の距離感とか、個人的に大満足です。
370 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/25(月) 06:15:22.01 ID:EnG9Jy5H0
凄く良かった
乙でした
371 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/25(月) 22:13:40.53 ID:NbYXg5NgO
凄い面白かった!
書いてくれてありがとう!
372 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/28(木) 15:58:10.78 ID:umZ0bpym0
久々に面白いSSだった
懐かしい気持ちになれた
ありがとう
373 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/03/08(金) 12:10:06.10 ID:5TDA34Y20
おつおつ
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