【Another】恒一「……中村青司?」

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174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:48:34.07 ID:FyaWLz+D0
31

<咲谷記念館>で行われた合宿。
結果としてそのおかげで<災厄>は終結したのだけど……代償は、あまりにも大きかった。

合宿での出来事をひとことで言い表すなら、"惨劇"という二文字がふさわしい。
<災厄>によってもたらされる無慈悲な死と、その狂気の渦に呑み込まれた人間の狂騒との狭間で、
<災厄>を止める唯一の方法――つまり、<死者>を"死"に還すこと――が、ある生徒の手によってクラス全員の知るところとなった。

だけど、そもそも<死者>が誰かなど、<災厄>の改竄による影響で分からなくなってしまっているのだ。
鳴の<人形の目>のことだって、この時点ではぼくと鳴の他に知る者などいなかった。
そんな状況で「<死者>を殺せば<災厄>は止まる」なんて情報は、はっきり言って毒にしかならない。
それも致死の猛毒だ。

結果として多くの人間が疑心暗鬼に陥り……やがてそれは、ある結論に達した。
"見崎鳴こそが今年の<死者>である"、という誤った結論に。

そうして、何人ものクラスメイトが明確な敵意を、あるいは殺意を持ってぼくと鳴の前に現れた。
その中には、辻井の姿も。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:49:41.79 ID:FyaWLz+D0
――僕は死にたくないんだぁっ!

そう言ってモップを振り上げた彼の表情には、死への恐怖がありありと浮かぶ。
咄嗟のことで体が動かず、ぼくはモップが鳴に振り下ろされるのを眺めていることしかできなかった。

しかし、直撃すれば充分に命を奪いえたであろうその一撃が、鳴に達することはなかった。
三神先生――怜子さんが、身を挺して彼女を守ったからだ。
倒れ伏した怜子さんの頭のあたりから流れ出した真っ赤な血が、ゆっくりと床に広がっていった。

死んでしまった、と思った。
殺された、とも思った。
頭が真っ白になり、体は瞬時に熱を帯びた。
考えるより先に手が動いて、ぼくは辻井を殴っていた。
彼は大きくよろめいて、尻餅をついた。
なおも向かっていこうとしたぼくを、鳴が止めた。
鳴は何も言わず、ただ小さく首を振った。
ぼくも、無言で頷いた。

……後は二人で手を繋ぎ、どこまでも逃げていった。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:50:17.40 ID:FyaWLz+D0


合宿でぼくと辻井との間に起こったいざこざと言えば、これだけだ。
いや、「これだけ」という言葉で片付けるのが適当かどうかは分からないけれど……とにかく。
辻井が負い目を感じているのは、間違いなくこのことについてだろう。

……こんな大事なことを、ぼくは今まで忘れていたのかって?
まさか。忘れるはずないに決まってる。

ただ、これを「ぼくが辻井を恨む心当たり」として、思い浮かばなかっただけのこと。
今この瞬間だって、それは変わっていない。
ぼくはあのことで辻井を恨むつもりはない……というよりも、ぼくにそんな資格はないのだ。
なぜならぼくがしたことだって、彼と大して違いはないのだから。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:51:54.16 ID:FyaWLz+D0


<災厄>に終止符を打つべく、鳴が<人形の目>で見抜いた<死者>の正体は、怜子さんだった。
鳴を庇った彼女が実は生きていたことに安堵する間もなく、鳴はそう告げた。
そうして怜子さんを"死"に還そうとする鳴を制し、最後はぼくが。
彼女の家族としてこのぼくが、すべてを終わらせた。

そう、それで今年の<災厄>は終わった。怜子さんは間違いなく<死者>だったのだ。
だから、あの時ぼくが下した決断は正しかった。そういうことになるのだろう。
けれどもそれは、「結果的に」正しかっただけ、なのだ。

あの時鳴が怜子さんに見た<死の色>を、当然ぼくは見たわけじゃない。
鳴はその結論を足がかりにして、<災厄>が巧妙に隠蔽していた違和感、
つまり三組にしか副担任がいないことや、始業式に教室で机の不足が起きなかった理由――足りなくなっていたのは職員室の机だったこと――をも暴いてみせたけれど、
それにしたって、確たる証拠とは言いがたい。

事実、ぼくは鳴の説明を聞いてなお、怜子さんが<死者>だと確信することはできなかった。
というより、半信半疑だったと言っていい。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:54:48.89 ID:FyaWLz+D0
じゃあ、どうしてぼくが彼女を"死"に還す決心をしたのかと言えば……。
結局のところ、鳴が言ったからだ。
――信じて、と。
だからぼくは鳴を信じた。信じようと思った。
ただ、それだけ。
論理的でもなんでもない。

きっと、今際の際の怜子さんには、辻井たちが鳴を殺そうとした時のものと同種の狂気に、今度はぼくがとらわれたようにしか見えなかったことだろう。
少なくとも彼女の目には、ぼくはそう映ったはずだ。
そして……彼女はそのまま、去ってしまった。

だとすれば、ぼくと辻井がやったことに、一体どれほどの違いがある?
ただ信じたものと、その結果が違っただけだ。
……そしてそれはきっと、勅使河原にしたって同じだったはずなのだ。
だから、ぼくは彼を憎む気にはなれない。

第一、もう怜子さんはいないのだし……とまで考えたところで。
延々と紡がれていた思考の糸がぶつん、と切れる。
見えない壁へいきなり激突したかのように、身体までびくりと震えた。
気づいてしまった。


ぼくが今まであれこれ考えていたことが、全くの見当はずれだったことに。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:56:17.82 ID:FyaWLz+D0
辻井がぼくに負い目を感じているのは、あの合宿で怜子さんを傷つけてしまったから。
そんなことはあり得ないのだ。
なぜならもう、<災厄>の改竄によって、彼の中で怜子さんは存在していなかったことになっているのだから。
勅使河原だって例外ではない。
今年度の、副担任としての彼女を未だに憶えているのは、今はもうぼくと鳴だけ。

……だとすれば。
もう一度辻井を見た。
ちょうど彼もぼくの方を見ていたようで、視線がまともにぶつかる。
彼は哀れに思えるくらい動揺して、またしても顔を伏せてしまった。

――改竄された"今"の事実で彼は一体、何をしたことになっているんだ?

そんな疑問はしかし、不意にスピーカーから流れ出した、

「えー、三年生の各クラス男子委員長、至急職員室まで集まるように。以上」

という校内放送に追いやられてしまう。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:57:37.79 ID:FyaWLz+D0
今のぶっきらぼうな声は、体育の宮本先生だ。
昼休みに呼び出し、しかも男子だけとは、一体何事だろう?
あの放送だけでは、肝心の用件がまるで分からない。

そんなことを考えながら、そのまま何となくスピーカーの方を見つめていると、肩にぽんと手が置かれた。

「お勤めみたいだな。よろしく頼むぜ、委員長」

いつの間にやら隣に立っていた勅使河原が、快活に笑う。

「はいはい。分かってるよ」と返事をして、ぼくは椅子から立ち上がった。

現在、三組の男子クラス委員長を務めているのは、ぼくだ。
合宿で当時の委員長だった風見と赤沢さんが命を落とした結果、新学期を迎えたクラスで「暫定的に」という名目で決められた役目ではあったけど、
たぶん、卒業するまでこのまま続けることになるのだろう。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:58:18.86 ID:FyaWLz+D0
「まったく……いいご身分だよね、勅使河原は。ぼくのことを勝手に推薦しておいて、自分はこうして悠々自適なんだから」

「おいおい、おれのせいみたいに言うなよ。大体、満場一致で賛成だったんだぜ? おれが言い出さなかったとしても、他の誰かが推薦してたってオチだろ、多分」

「まあ、そうかもしれないけどさ」

「観念するこったな。合宿であんだけリーダーシップ発揮してたら、そりゃ誰も放っとかないっての」

「……リーダーシップ、ね」

「おう。おれはちゃんと覚えてるぜ? 夕飯が終わってからも自由時間返上で指示やら連絡やら――」

「……」

「……サカキ?」

「ごめん、なんでもないよ。……じゃあ、そろそろ行ってくるから」

怪訝そうな表情の勅使河原に軽く手を挙げ、教室をあとにした。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 21:59:22.60 ID:FyaWLz+D0


職員室への道すがら、ぼくは<災厄>が残した影響というものの大きさをひしひしと感じていた。
何を隠そう、ぼくが今こうしてクラス委員長をしているのだって、もとを正せば<災厄>のせいなのだ。

勅使河原はぼくが「合宿でリーダーシップを発揮していた」と言う。
だが実を言えば、そんなことをした記憶はぼくにはない。
あの合宿でぼくがしたことと言えば、<死者>を"死"に還したことだけ。
そしてそれを知るのは限られた人間だけで、当然ながら勅使河原は知らない。

けれど、彼が勘違いをしているわけでもないのだ。
事実、合宿に参加したクラスメイトに「ぼくは合宿でリーダーシップを発揮していたか?」と訊けば――そんな質問、ぼくは間違ってもしないだろうけど――みんなが「はい」と答えるだろう。
ただ一人、鳴を除いては。

要するに、これもまた<災厄>の改竄による影響、なのだった。
<災厄>が終わり、三神怜子という教師の存在は消えても、彼女はそれまで確かに存在し、生きていたのだ。
怜子さんの行動。それにより生じた、様々な結果。
それすらも無かったことにしてしまうのは、さすがの<災厄>であっても、どうやら手に余るらしい。

<災厄>が終わった後、怜子さんの行動は、他の人がしたこととして置き換えられていた。
彼女が顧問をしていた美術部は、違う美術教師が顧問をしていたことになり、
久保寺先生の死後に彼女が務めていた担任代行は、千曳さんのしたことになっていた。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:00:53.20 ID:FyaWLz+D0
――そして、夏休みの合宿。
和久井が発作を起こし、千曳さんと共に山を降りた後、残ったみんなに指示していたのはぼくではない。怜子さんだ。

その時ぼくはただ、鳴の部屋で彼女の話を聞いていただけ。
彼女の出自、霧果さんとの関係――それから、<人形の目>と<死の色>。
本当に色々なことを聞いた。
逆に言えば、クラスメイトたちのために駆け回るなんて殊勝なことは……正直に言おう、していない。

ぼくは怜子さんがしたことを、後になって<災厄>から引き継がされたにすぎない。
そしてクラスメイトたちは、その改竄された事実に従って、ぼくをクラス委員長へと担ぎ上げた。
ただ、それだけのことなのだ。

千曳さんがいない間の出来事だから、怜子さんの担任代行としての他の行動のように、千曳さんがしたことには出来なかったのだろう。
それは分かる。けれど……なぜ、ぼくなのか。
その時クラス委員長だった風見や、それこそ勅使河原とか、適任者は他にもいるはずなのに。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:02:27.08 ID:FyaWLz+D0
<災厄>はただの<現象>で、何者かの意思なんてものは存在しない。
だからぼくが選ばれた理由にしても、そんなものはそもそもなくて、単なる偶然にすぎない。
あったとしてもせいぜい、「ぼくが怜子さんの家族だから、改竄が簡単」程度のものだろう。

でも……例え、それだけの話でしかないのだとしても。
考えようによっては、これは事実が改竄されてなお、怜子さんがぼくに遺してくれたものだとも言えるのではないか。
彼女の行動。それが巡り巡ってぼくにもたらした、クラス委員長という立場。

……はっきり言って、今みたいに余計な仕事が増えるばかりで、良いことはほとんどないのだけど。
それでも卒業するまでの間、これ以上ないくらい完璧に務め上げてやろうじゃないか。
今のところぼくは、そう考えるようにしている。


職員室に集まったぼくたち男子に宮本先生が指示したのは、不要になった資料の運搬だった。
なるほど、力仕事になるから女子は呼ばなかったのか。
そんな風に納得しつつ汗をかきながら資料を運び、教室に戻ることも出来ないまま昼休みは過ぎていった。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:03:29.36 ID:FyaWLz+D0
32

結局、朝の挨拶からぼくと鳴の間に会話らしい会話が生まれることもなく、月曜日の授業は終わった。
鳴はホームルームが終わるなり鞄を持って席を立ち、すぐに教室を出ていった。
六限目の授業で分からなかったことを矢継ぎ早にぼくへ尋ねてくる勅使河原や、
その質問攻めを必死で捌くぼくを気にする様子もなく、である。

……まあ、それはそれで良かったのかもしれないな。
のけ反るようにして、<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>を見上げながら、そんなことを思う。
ここへ来ようと思うなら、それを悟られないよう、いずれにしても鳴と学校を出るタイミングはずらす必要があっただろう。

いや、例え鳴にぼくのやろうとしていることがばれたとしても特に問題はないのだけど、
こういうことはこっそりとやる方が気兼ねなくできる。

問題はギャラリーが営業しているかどうかであり、そこは完全に運任せだった……が。
幸いなことに、入口の前には看板が出されていた。
どうやら天根さんはもう復帰しているらしい。

店名が記された黒い額縁を思わせる看板の下には、いつもなら「どうぞお立ち寄りください 工房m」という表札めいた板も立てかけてあるのだが、今日はそれがなかった。
代わりに看板の下には、一枚の張り紙。
そこには黒いマジックで、こう記されている。

――しばらくお休みします 工房m
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:05:10.66 ID:FyaWLz+D0
無理もないな、と思う。
霧果さんにとって棺の人形は、ただの作品以上の意味があったはずだ。
それに事件が起きてから、まだたったの二日。
鳴は「気にしないで」なんて言っていたけど、自分の人形を壊されて、堪えていないはずはない。

しかしギャラリーが開いているのなら、いずれにしてもぼくの目的は果たせることだろう。
今は自分のやるべきことをやらないと。

入口の前で立ち止まり、一度大きく深呼吸をしてから、意を決して扉を開ける。

ドアベルがからん、と鳴った。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:06:27.28 ID:FyaWLz+D0


「いらっしゃい」

くぐもった声が、ぼくを出迎える。
一昨日は誰もいなかったカウンターテーブルに、今日は一人の老女が座っていた。

彼女は暗い緑色のレンズが入った眼鏡に手をやり、ほんの少し身を乗り出してぼくを見ている。
薄闇に満たされた館内、その調和を乱すまいとするかのようにくすんだ鉛色の服を着ていて、
ともすれば見落としてしまいそうになるこの人こそが、件の天根さんだ。

「おや、しばらくぶりだねえ」

入ってきたのがぼくと分かると、天根さんは眼鏡の奥で目を細める。
何かとこの家には来ていても、こうして彼女と対面するのは、もう数ヶ月ぶりのことだった。
初めてここに来た時の第一印象こそ不気味ではあったけど、それに慣れた今となっては、会話に気後れすることもない。

「お久しぶりです。……もう、お体の方は大丈夫なんですか?」

「あら、鳴から聞いたのかい? こんなおばあちゃんのことを気遣ってくれるなんて、優しい子だねえ。おかげさまで、この通り元気にしているよ」

「それなら良かったです。でも、無理はしないで下さいね」

「なんだか、みんなに心配かけてばかりで申し訳なくなってくるよ。坊やや鳴からもだし、美津代にも由紀代にもねえ」

……うう。十五歳にもなって「坊や」と呼ばれるのは、なんともこそばゆい。
しかしまあ、天根さんから見ればぼくなんて、やっぱり「坊や」でしかないんだろうし、
だからといってここで「『坊や』って呼ばれるのは恥ずかしいのでやめてください」なんてお願いするのは、もっと恥ずかしい。
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:08:20.32 ID:FyaWLz+D0
「鳴なら、さっき帰ってきたところだよ。部屋にいるはずだから、呼んであげようか」

そう言って傍らの内線電話に手を伸ばしかけた天根さんを、ぼくは慌てて制する。

「あ、今日は違うんです。その……人形を見たくなって」

「そうなのかい?」

「はい。なので、見崎にはぼくが来たこと、内緒にしてて下さい。時間をかけて、じっくり見ていこうと思うので」

「そうかい。なら、お代はいらないからゆっくりしてお行き。他にお客さんもいないしねえ」

それで「ありがとうございます」と軽く頭を下げ、まっすぐ地下へ向かおうとしたぼくだったが、

「ああ、そうそう」

という天根さんの声に呼び止められた。

「すっかり忘れるところだったよ。はい」

そう言って、彼女は軽く握った右手をぼくの方へと差し出す。
反射的に両手をお椀にして受けると、ちゃりんちゃりんと音を鳴らしながら、百円玉が五枚、手の中に落とされた。

「えっと、これは……?」

「鳴から聞いたよ。土曜日に来た時、私がいないからお金を置いていったんだってねえ」

「はい?」

「別に、気を遣わなくたっていいんだよ。鳴のお友達なんだから、お代なんて取らないよ」

いやいや、気を遣う以前に、そもそもこのお金は……。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:09:40.07 ID:FyaWLz+D0
「あの……これ、ぼくじゃないです。払っていったのは、違う人ですよ」

今度は天根さんが目を丸くする番だった。

「違う人? 他にお客さんがいたのかい?」

「……見崎からは、何か聞いてませんか?」

「何も言ってなかったねえ。これを坊やが来た時に置いていった、ってだけで」

どことなく、噛みあわなさを感じた。
ぼくはこのところずっと、天根さんから入館料をおまけしてもらっていたし、
払うにしても中学生のぼくは半額の二百五十円だった。
五百円なんて、置いていくはずがないのに。

言うまでもなく、あの時島田さんがギャラリーを訪れていたことは、鳴にも分かっていたはずだ。
彼がぼくのようにドアベルを鳴らしギャラリーに入った時、鳴は間違いなく地下展示室にいたのだから。

なのに天根さんの様子を見るに、鳴は島田さんのこと、ひいては一昨日の事件そのものを彼女に伝えていないらしい。
――あのことは、そうまでしても秘密にしたいことなのか?

その後、このお金を受け取る受け取らないで押し問答をしばらくの間繰り広げたものの、

「じゃあ、これはおばあちゃんからのお小遣いってことでどうだい。帰りに何か好きなものでも買いなさいな」

と結局はぼくが押し切られ、五百円はぼくのポケットに収まることになった。
持ち主に返せる見込みはなく、かといって勝手に使うわけにもいかない。
ポケットの中で鳴るだけの、宙ぶらりんなお金になりそうだった。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:10:48.79 ID:FyaWLz+D0
33

二日ぶりの地下展示室は、全てが元通りになっていた。
階段下に立つ首なし人形は一体だけになり、その片割れは衝立の裏に戻されていたし、
こことエレベーターホールを区切るカーテンの手前には、蓋の閉ざされた棺がひとつ。

……流石に、それを開けてみる勇気はない。
それに中の人形がどうなっているかくらい、わざわざ見るまでもなくはっきりと思い出せる。
室内の様子をあらかた確認し終えたぼくは、目を閉じて深く息を吸った。

きょう、ここでの目的はひとつだけ。
中村青司が自らの作品には必ず施したという"からくり"を、見つけ出すこと。

ぼくがこの目で見ておきながら、いまだ"形"のはっきりしない、この事件。
もし、ぼくの知らない「何か」がまだ隠されているのだとすれば、
それはこの館に文字通り隠されているという"からくり"に他ならないのでは、と思うのだ。

そう考える根拠もある。鳴の「話の続き」だ。
あの日、勝負の後で鳴が明かすはずだった、中村青司の話の続き。
結局、ぼくはそれが何だったのか知らずにいるけれど、島田さんの話を聞いた今となっては、
その正体に、彼の"からくり趣味"は相応しいものであるように思えた。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:11:49.12 ID:FyaWLz+D0
となれば当然、鳴はこの館の"からくり"のありかを、知っていたことになる。
その鳴が、続きを語る場所としてこの地下展示室を選んだのだとすれば。

"からくり"はきっと、ここにある。そしてそれはきっと、事件にも深く関わっている。
そう思えてならなかった。

だとすれば、後はもう探すしかない。見つけ出す以外に、はっきりさせる方法はない。
「よし」と声に出して、足を踏み出す。

探すと言っても、あの時のように何の勝算もなく、ただ無為に探し回るつもりは初めからなかった。
ある種の確信を持って、ぼくはその場所――永遠に火が灯ることのない、イミテーションの暖炉――へと近づく。

――そこに棺は入らないと思うけど?

勝負の最中、あちこちを探し回るぼくに動じることなく悠然と構えていた鳴が、
暖炉を覗き込もうとしたあの瞬間だけ、そう言ってぼくを制した。

確かにもっともな指摘だろう。あのサイズの棺が、ここに入るはずはない。

ならばなぜ、鳴はぼくを止めた?
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:12:43.89 ID:FyaWLz+D0
事実として、棺はここに無かったのだ。
あの場面、放っておいてもぼくが制限時間を浪費するだけで、鳴にとっては有利でしかなかったのに。

この上なくシンプルにその理由を考えるなら、答えは一つ。
……鳴は、それでもやはりぼくに暖炉の中を見てほしくなかったのだ。
つまり、ここには「何か」があるということ。
棺ではない、しかし彼女にとって重要な「何か」が。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:13:53.63 ID:FyaWLz+D0


暖炉の奥行きは、せいぜい1メートルといったところだった。
地下展示室の決して明るくはない照明の下でも、内部の様子は簡単に見てとれる。
赤茶色のレンガが敷き詰められた暖炉の壁や床面は、当然ながら灰やすすで汚れることもなく綺麗なままで、
本来なら事故防止のために設置される鉄製の柵もついていない。

約60センチ四方の開口部からこうやって中を眺めている分には、何もおかしなところはなかった。
今度は身を屈め、暖炉の中へと入っていく。
レンガのひとつひとつを観察し、時にはそれを押してみたりもしたが、残念ながらびくともしない。

仕掛けがありそうな雰囲気など、まるでなかった。
……まさか、ここじゃない?
ぼくの予想は、間違っていたのか。
暑くもないのに、体中から嫌な汗がじんわりと滲み出てくるのを感じる。

反射的に立ち上がりかけ、

「いてっ!」

思い切り天井に頭をぶつけてしまった。
中腰のまま両手で頭を押さえ、今度はゆっくりと、おそるおそる頭上を――

「……あれ?」
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:15:06.39 ID:FyaWLz+D0
暖炉の内部は、レンガで出来た立方体のような空間になっているけれど、そこにはふたつ、穴が開いていた。
ひとつは、ぼくが入ってきた入口がそう。そしてもうひとつは、天井に開いていた。
同じく直径60センチくらいの丸穴が、ぽっかりと。

――煙突。
通常、暖炉であれば決まって必要となるこの設備を、この模造品も律儀に備えていたのだ。
とはいえ、さすがに外までは通じていないようで、
穴の続く先に光は見えず、代わりに漆黒の闇だけがそこに満ちている。

ぼくは立ち上がり、ためらいなくその中へ体を潜らせた。
内部はいよいよ暗く、何があるのか様子は全く分からない。
加えてそこに滞留する空気はかなり埃っぽくて、入り込んだ途端、何度も咳き込むはめになった。
それでも必死に壁面へ両手を這わせ、手探りを続けていく――――すると。

ひんやりとした感触が、両手に伝わる。
金属製の何か――機械のようなもの――が、そこにはあった。
ぼくはとっさにポケットから携帯電話を取り出し、ディスプレイの明かりを目の前に差し向ける。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:16:55.34 ID:FyaWLz+D0
"それ"は、三つのパーツから構成されていた。
金属製の箱のようなもの。そこから伸びるケーブル。
そして……箱に取り付けられた、持ち手のあるスイッチ。

――ついに見つけた。

スイッチは上方に跳ね上げられている。
ぼくはその持ち手を掴み……全身の力を込めて、それを引き下げた。

ぎ、ぎぎぎ……

ほどなくして、金属のきしむような音が微かに聞こえてきた。
それに少しだけ遅れて、ごごご……という、重量のある何かが徐々に動いていく音も重なる。

空気が震えていた。
いや、空気だけじゃない。
ぼくが立っている暖炉の床面や、ぼくをぐるりと取り囲んでいる煙突の内壁から、微弱な振動が伝わってぼくの体全体をびりびりと揺らしている。

……いま声を出したら、きっと扇風機の前で喋った時みたいになるんだろうな。
揺すられながらそんな下らないことを考えて、せっかくだから試そうかと口を開けた時。
ぴたりと、それは止んだ。

もぞもぞと暖炉の中から這い出すと、明かりがとても眩しかった。
今まで一度も、ここでそんな風に思ったことはなかったのに。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:18:14.52 ID:FyaWLz+D0
まだ埃が残っているのか、鼻がむずむずする。服もだいぶ汚れてしまっていた。
まあ、普段からあんなところを掃除したりはしないだろうし、仕方がないのだけど。
手で服の埃をぱんぱんと払いながら、ぼくは一昨日の鳴を――今のぼくのように埃まみれで三階に現れた、鳴の姿を思い出していた。
あの日、鳴もきっとここに入ったのだ。そしてあのスイッチを作動させた。

……"からくり"は、確かに存在した。
"夜見山の人形館"は正真正銘、中村青司の作品だったということだ。

慎重に周囲を見渡す。一体どこで、何が動いたんだ。
見える範囲での変化はない。だが、何も起こらなかったはずはない。

だとすれば、ぼくの目の届かない場所――そう考えたところで。
部屋の奥、ある一点で視線が止まる。

カーテンの向こう側。エレベーターホール。
何かを思うより先に、体は動いた。
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:18:54.41 ID:FyaWLz+D0
――今思えばこの時、ぼくはどうしようもなく気持ちが逸っていた。
中村青司が遺した"からくり趣味"。
それをいよいよ目前にして、頭の中がいっぱいになっていた。
大した距離でもないのにダッシュしたのがいい証拠だ。

そんな調子だったから――すっかり忘れていたのだ。
カーテンの手前に置いてある、一際大きな陳列棚。
その裏に、何が置かれているのかを。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:19:36.53 ID:FyaWLz+D0
「わっ!」

陳列棚を回り込んだぼくの目の前に、突如として黒塗りの棺が現れた。
かわすこともできず、そのまま思い切りぶつかってしまう。
棺が、ぐらりと傾いだ。

慌てて棺に抱きつき、その動きを止める。
ほっとしたのも束の間、依然として傾いたままの棺から、がたんという音と共に蓋が外れた。
ぼくの目と鼻の先で、それはひどくゆっくりと倒れていく。

――間に合え。
そう思って突き出したぼくの手も、スローモーションにしか動かない。
蓋はそのまま、あえなく倒れてしまった。
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:20:20.33 ID:FyaWLz+D0
カーペットが敷き詰められている床だからか、思いのほか音は小さく済んだ。
これなら天根さんが異変に気づくこともないだろう。
何にしても、人形に被害が及ばなくて良かった。
さすがにこれ以上傷つけられてしまっては、あまりにも"彼女"が可哀想だ。

安堵のため息をついて落ちた蓋を持ち上げ、その時ふと、ぼくは蓋の裏側、端っこの目立たない位置に「1997」という数字が刻まれていることに気がついた。
人形の制作年だろうか。
さして気に留めることもなく、そのまま棺の中へと目を移す。


――せっかく拾い上げた蓋を、ぼくはもう一度落としてしまった。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:21:16.52 ID:FyaWLz+D0

蒼白いドレスを身に纏った、鳴の人形がそこにはいた。

そう、「鳴の人形」だ。
だって、こんなにそっくりな顔をしているのだから。


蒼く煌めく瞳が、まっすぐにぼくを射抜く。


言うまでもなくその顔には、傷ひとつついてはいない。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:22:05.84 ID:FyaWLz+D0
……どうして?
一昨日、壊されてしまったこの人形を、ぼくは確かに見たのだ。
手を伸ばして、その顔に触れる。綺麗だ、と思った。
もし仮にあの状態から修理したとして、こうまで完璧に直すことは不可能だ。

次に考えたのは、霧果さんが顔の部分だけを一から創り直したのではないか、という可能性。
けれど、あれからまだたったの二日しか経っていないのだ。
そんな短期間で創り直せるはずがない。

そして何より、そんな可能性はぼく自身の直感が強く否定していた。――それだけは絶対にない、と。
なぜなら……この顔は、全く同じだから。
鳴ではなく、五月にここで出会い、それから地下を訪れるたび目にしてきた"彼女"自身の顔と、である。


でも。
だとしたら。
これは一体、どういうことなんだ?
顔に触れたままのぼくの手が、徐々に震え出す。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:23:14.75 ID:FyaWLz+D0
「どうして、こんな……」

一昨日の鳴をなぞるように、同じ台詞が口をついて出た。
あの時起きたことは、紛れもなく現実だ。現実だったはずだ。
だけど、今ぼくの目の前にあるこの光景もまた現実だ。
あり得ることのない二つが、同時に成立する矛盾。

手から伝播した震えは、とうとうぼくの足にまで及んでいた。
もう限界だった。
これ以上「うつろなる蒼き瞳」に見つめられていたら、ぼくはきっとおかしくなってしまう。

ぼくは反射的にカーテンへと突っ込んでいた。
今すぐにでも、この視線から逃れたい。
ただそれだけを思った。
カーテンをめくるのももどかしく、全身を絡めとられながらも闇雲に突き進む。
そして不意に視界が開け――勢いあまったぼくは、もんどりうって床に倒れ込んだ。
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:24:32.74 ID:FyaWLz+D0
仰向けになったまま腕で目を覆い、荒い呼吸を繰り返す。
起き上がる気力は、すぐには湧いてこなかった。
目を閉じた真っ暗闇の中でふと、ここはどこだっけ、という疑問が浮かぶ。
カーテンの向こう側だから……そうそう、エレベーターホールだ。
あれ? そもそもぼくはここに来るはずで――

「……!」

一瞬で身を起こす。
そうだ。ぼくの目的は、目的は……!
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 22:25:19.89 ID:FyaWLz+D0
それは、気づいてしまえばあからさまなくらいだった。
エレベーターが設置されている側から、向かって反対側の壁。
その壁が数メートルほど、奥へと後退している。
そして、それによりあらわになった部分――つまり今まで壁が塞いでいた部分に、階段が出現していた。
地下へと降りる階段が。

これがこの館の"からくり"。
取り憑かれたようにぼくは階段に足をかける。
混乱だけが深まっていくこの状況で、ぼくが縋れるものはもう、これしかない。
答えはきっとこの先にある。そう信じて進むしかなかった。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:26:47.85 ID:FyaWLz+D0
一段、また一段と下っていくごとに、低く響く駆動音がどんどんと大きくなっていく。
空調設備がごく近いところにあるのかもしれない。
ついには自分の足音すらも聞こえなくなった。

ふと、この前読んだ小説に、似たようなシチュエーションの話があったことを思い出す。
それは『ラヴクラフト全集』に載っていた、『ランドルフ・カーターの陳述』という短編。

題名にもその名前が出ているカーターと彼の仲間であるウォーランが、とある研究のため、深夜の墓地に忍び込む。
やがて一つの墓石の下に地下へと続く階段を見つけ、ウォーランは勇敢にもそれを降りて行くのだ。

……だがラヴクラフトの作品において、「勇敢」であるということは、たやすく「蛮勇」へと変わる。
カーターはウォーランの体に結びつけたワイヤーを持ち、地下を探索する彼と地上で交信を続けるのだが、
彼は地下にいる「何か」に怯え、地上のカーターに逃げるよう促すものの、ついには絶叫を残して連絡が途絶えてしまう。
そして――。

あの結末を思い出すだけで、思わず背筋が寒くなる。

……今のぼくの状態は、まさしくそのウォーランにそっくりだ。
しかも彼とは違い、体にワイヤーも結んでいなければ、上でカーターが待っているわけでもない。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:28:04.63 ID:FyaWLz+D0
不意に、後ろを振り向きたい衝動に駆られた。
空調の音はかなり大きい。
誰かが背後から忍び寄ってきていたとしても、ぼくは間違いなく気づけないことだろう。

……ああ、いけない。余計なことを考えるな。
歯を食いしばり、足を止めずに進む。
前だけを向いたまま、階段を一段ずつ降りていった。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/22(金) 22:28:41.99 ID:FyaWLz+D0
――そうして辿り着いた先には、部屋がひとつ。




そしてそこに、真実はあった。
208 : ◆8D5B/TmzBcJD [sage]:2019/02/22(金) 22:29:33.18 ID:FyaWLz+D0
短いですが今日はここまで。
明日で完結です。
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/22(金) 22:30:44.49 ID:Z5IfMOqx0

原作の雰囲気が出てる
210 : ◆8D5B/TmzBcJD [saga]:2019/02/23(土) 20:54:22.98 ID:mQm9OJvR0
再開します。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:55:02.12 ID:mQm9OJvR0
34

――はい。

――もしもし、見崎?

――……榊原くん。

――実はさ、ぼく、今きみの家にいるんだけど。

――えっ?

――それでね、分かったんだ、この前のこと。どうしてあんなことになったのか、その理由が。

――……。

――だから、見崎と答えあわせがしたいんだ。……今から、地下に来てくれないかな? できればきみのお母さんも一緒に。

――……。

――見崎?

――わかった。今から行く。……待ってて。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:55:46.78 ID:mQm9OJvR0
35

エレベーターの扉が開く。
その中から現れた鳴は、まだ着替えていなかったのだろう、夜見北の制服姿のまま。
肩ごしに中を覗き込むまでもなく、彼女がひとりで来たことは一目瞭然だった。

「声をかけたけど、『今は夕食の準備で忙しいから、それが終わったら行く』だって」

まるで牽制するかのように、ぼくが何も言わないうちから、そう説明する鳴。
いつもとなに一つとして変わらない、静かな響きを持った声だった。

だがエレベーターを降りるなり、その目がほんの少しだけ、すっと細くなったのをぼくは見逃さなかった。
それはそうだろう。これを目にしたのなら、ちょっとは驚いてもらわないと張り合いがない。


それはつまり、ぼくの背後で後退したままの壁と、地下へと続く階段。
そして――ぼくの傍らに並んでいる、二つの黒い棺を見たら、ということである。

一方の棺には、鳴と瓜二つの人形が。そしてもう一方には……顔のない、壊れた人形が収まっている。
全く同じドレスを着て、全く同じ棺に入った二体の人形は、その顔だけが決定的に違っていた。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:56:36.49 ID:mQm9OJvR0
「来てくれてありがとう。……じゃあまず最初に、ひとつだけ言わせてもらおうかな。一応、区切りはつけないとね」

ぼくはそう言って、無傷の人形が入った棺に、とん、と手を置く。

「ようやく、きみが隠した人形を見つけたよ。なんとか五十時間は超えずに済んだのかな。勝負はぼくの負け、だね」

実際には、うっかり棺にぶつかったあの時が発見時間なのだから、本当のタイムはもう少し早くなるはずだけど……。
まあ、誤差の範囲でしかない。

「一昨日……きみが隠した人形をぼくが探して、見つけた時に人形は壊されていた。だから最初はこう思ったんだ。きみが隠した人形を、誰かが先に見つけて壊したんだ、って」

先を促すように、鳴はただまっすぐにぼくを見据えている。

「それから、こんなことも考えたよ。きみが自分で人形を壊して、それを隠したんじゃないかって」

「……べつに、そう思ってくれてもいいけど?」

口元に微かな笑みを湛えながら、そこでようやく鳴が口を開いた。

「いや、それはどっちも間違いだったんだ。きみが隠した人形は、この通り無事なわけだし」

「……」

「ぼくの言ってること、見崎なら分かるよね。あの時ぼくが見つけた、この人形」壊れた人形を指差す。「これは、きみが隠したものじゃなかった。見ての通り、別の人形だったんだ」
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:57:26.46 ID:mQm9OJvR0
つまり、人形は二体あった。
そしてあの日、この家で起きていた出来事も、二つ。

一つは、鳴がぼくとの勝負のため、人形を隠したこと。
そしてもう一つは、誰かがまた別の人形を壊し、それを地下展示室へ隠していたこと。
この二つが一昨日、ちょうど同じタイミングで起きていたのだ。

つまりぼくは今の今まで、鳴が隠した人形を見つけられてはいなかったのだ。
その前にここで壊れた人形を見つけ、それは鳴が隠したものとは違うと気づかないまま、飛び出して行ってしまったから。

隠された二体の人形のうち、見つけるべきではない方を見つけてしまった……。
ある意味でぼくは、"ハズレ"を引いたのだと言えるかもしれない。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:57:56.57 ID:mQm9OJvR0
鳴は二つの人形を交互に見比べて、それからゆっくりとぼくに視線を移す。

「榊原くん、『分かった』って言ったよね。これからわたしに、その話をしてくれるんだ?」

ぼくが頷くと、鳴も応じるようにこくりと頷いて、地下展示室に通じるカーテンをめくった。

「それなら、あっちで座って話をしましょ。……たぶん、長くなると思うから」

「……そうだね」

二つの棺をその場に残し、ぼくも鳴の後を追う。

壊れた人形は、"からくり"により出現した階段、その先にある部屋から運び出してきたものだ。
鳴の後ろについて歩きながら、ぼくは先ほどまで滞在していた、そこでの出来事を思い出していた。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:58:54.20 ID:mQm9OJvR0


――地下墓地。

この館の地下、その更に奥深くに位置する"隠し部屋"。
手探りで明かりのスイッチを見つけ、裸電球が照らすその部屋の全容を目にした時……ぼくはそう思った。

そこにあったのは、ずらりと並ぶ黒い棺の群れ。
間違いなく十基以上はあるだろう。
部屋の広さは地下展示室の半分ほどだが、棺以外のモノが存在しない分、かえって広く感じる。
にもかかわらず息苦しさを覚えるのは、間違いなくこの異様な雰囲気のせいだった。

展示の順路に含まれていないこの部屋には、当然ながら音楽を流すスピーカーなんてものは存在せず、
ごうんごうんという空調の音だけがうるさいくらいに響く。

置かれた棺は、色こそ黒で統一されているがみな一様に同じというわけではなく、まちまちの大きさをしている。
……ぼくにはなんとなく、その理由が想像できていた。
棺の中に、何が入っているのかも。
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 20:59:46.49 ID:mQm9OJvR0
部屋の奥にある、一番小さな棺に近寄る。積もった埃の様子からして、これが最も古いものに思えた。
そしてたぶん、ここに安置されてから、この棺には誰ひとり触れていない。
当然だ。この棺が全てここに「埋葬」されているのだとしたら、たやすく墓を暴いたりはしないだろう。

蓋の縁に手をかける。
禁忌を犯そうとしている自覚はあった。だけど、今は……。
逡巡に抗い、蓋を開けた。
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:00:35.25 ID:mQm9OJvR0
……まだあどけない子供時代の鳴が、そこにはいた。

もちろん、ぼくは鳴が子供だった頃を知らない。
知っているのは、今の、十五歳の鳴だけだ。

それでも、きっとこの通りだった、そうに違いない。
そう思わせるだけの説得力が、棺の中身――その穢れの無さが表出したかのように真っ白なドレスを着た、小さな人形――にはあった。
蓋の裏側を見れば、そこに刻まれている数字は「1985」。
今から十三年前だ。
鳴が見崎家に引き取られた時期と、ちょうど一致する。

もう迷いはなかった。列をなした棺を、ぼくはひとつ残らず開けていく。
1986、1987、1988……。
新たな棺を開けるごとに、中の人形はどんどん成長していった。
その身に纏う衣裳も、赤、黄色、緑と、まるで季節が移ろうように様々な色へと変わっていく。
この家で鳴が過ごしてきた今までの日々を、ぼくが垣間見ているような気分だった。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:01:18.93 ID:mQm9OJvR0
――鳴をモデルとして、霧果さんが生まれてこられなかった我が子を想い、創った人形。
すなわち棺の人形とは、その嘆きの発露に他ならない。

だとすれば、それが現在の鳴とそっくりな、あの一体だけであるはずがなかったのだ。
なぜなら彼女の悲しみは、子供を喪った日から今まで、ずっと癒えることなく続いてきているのだから。
年に一度のペースで、霧果さんはそれを創り続けてきたのだろう。

隠し部屋には、全部で十三基の棺があった。
そのうち「1985」から「1996」までは、既に開かれている。
そして残った、最後のひとつ。全く埃の積もっていないその蓋を、ぼくは持ち上げた。
「1997」の人形は、いまだ上に、地下展示室に置かれたままだ。
つまり、この棺の中に入っているのは……。

蓋を脇へと寄せた。そこに刻まれた数字は、「1998」。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:01:47.49 ID:mQm9OJvR0
……見慣れた「1997」と同じ意匠のドレスに身を包んだ人形が、横たわっている。
その体躯は、ぼくのよく知る鳴と遜色ないほどに成長していて……。



――そして少女は、顔を失くしていた。
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:02:31.29 ID:mQm9OJvR0


「――だからさ、ごめん。あそこの棺、一度全部開けちゃったんだ。もちろん、元通りにはしたんだけど……後で霧果さんに謝らないとね」

二日前のように円卓を挟み二人で座った後、ぼくはおそるおそる、自分がしたことを鳴に打ち明けた。
ところが、鳴は意に介した様子もなく、

「別に、気にしなくていいと思うよ。壊したわけでもないんだし」

と、実にあっけらかんとした様子で言う。

「え。……でもさ、霧果さんにとっては、あの人形ってものすごく特別なものなんじゃ」

「他の人形に比べたら、確かにそう。……でも、本物じゃないから」

「本物じゃない?」

おうむ返しになったぼくの質問に鳴は答えず、代わりに、

「それで? あの部屋を見て、榊原くんはどういう結論を出したの?」

と問いを返してきた。

いつの間にか脱線しかけていたことに気づき、頷いて本題に戻る。

「うん。あの日、ぼくはきみが隠した人形を見つけたつもりだったけど、そうじゃなかった。だってそもそも、きみが人形を隠した場所は地下展示室じゃなかったんだから」

「……それなら、榊原くんはわたしがルール違反をしたって言いたいの? 人形は地下じゃなく、上にあったって」
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:03:16.01 ID:mQm9OJvR0
試すような口調で問いかける鳴に、ぼくは首を振る。
そうじゃない。あの時、鳴は地下より上には行けなかったのだ。
……そう、上には。

「違うよ。きみが隠したのは、上じゃなくて、下。この地下にある隠し部屋の方だった。――まさしくきみの言った通り、だったんだね」

――人形があるのは間違いなく、こ・の・ち・か。

「この地下」とは、地下展示室のことではなく、その更に地下。隠し部屋のことを指していたのだ。

もしぼくが、あらかじめこの建物に地下二階が存在することを知っていたならば、
鳴の言う「地下」は一体どちらを意味しているのか、迷うことができたのかもしれない。
むろん、鳴はぼくがそれを知らないことを見越してああいう言い方をして、ぼくにトリックを仕掛けたのだ。

そうしてぼくがまんまと地下展示室だけを探し時間切れとなった後、暖炉のスイッチを作動させ、正解を発表する。
同時に、中村青司にまつわる話の続き――彼の"からくり趣味"も披露する。実物を見せながら。
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:03:50.74 ID:mQm9OJvR0
鳴が一昨日思い描いていたシナリオは、おそらくこんな感じだったんじゃないだろうか。
ルール違反だとは思わない。彼女の狙いが分かった時、むしろぼくは感心していた。

もし当初の予定通り話が進んでいたのなら、全てが明らかになった時、ぼくは素直に負けを認めていたことだろう。
そして喜んで、罰ゲームという名のデート(鳴にその気は全く無いのかもしれないけれど)の算段をしていたはずだ。
きっと、そうなっていたに違いない。
ぼくが地下展示室で、あの人形――壊れた「1998」の人形――を見つけさえしなければ。

そう、あの人形の出現こそが誤算だったのだ。
ぼくにとっても……それからもちろん、鳴にとっても。

鳴の手が、すっと部屋の奥を指す。

「ねえ。……あの階段って、榊原くんはいつ見つけたの?」
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:04:21.15 ID:mQm9OJvR0
「ついさっき。中村青司が建てた家にはこういう仕掛けがあるって、ある人に教えてもらってね。探してみたら……見つけちゃった」

「……ふうん、そうなんだ」

「見崎は、いつからこのことを?」

階段の先がああなっているのだから、少なくとも霧果さんは、かなり前からこの隠し部屋のことは知っていたはずだ。

「小学校に入ったあたりだったかな。霧果に教えてもらったの。霧果は、お父さんから聞いたんだって」

おそらく隠し部屋を最初に見つけたのは、鳴の父親だったのだろう。
自分で中村青司に依頼するほど入れ込んでいたのだから、彼の"からくり趣味"についても熟知していたに違いない。

「じゃあ、あの部屋にはよく行ったり?」

「ううん」即座に否定の言葉が飛ぶ。「榊原くんも、もう見たんでしょ? あの部屋に、何があるか」

「え。……それは、そうだけど」

「だったら、分かるかなって思うんだけど。――あそこにいる人形は全部、わたしそっくり。でも全部、わたしじゃないの。いくら似ていても」

「……」
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:04:55.99 ID:mQm9OJvR0
ぼくが言葉を失い、沈黙してしまうような話題なのに、それを口にする鳴の表情は妙に晴れやかだ。
まるで、全てを受け入れているかのように。

「だから……ね。わたしはあそこに行くこと、ほとんどないかな。でも、全くってわけじゃないよ。――分かってても、どうしようもなく確かめたくなる時って、たまにあるから」

「……じゃあ、その『たまに』が、一昨日だったんだ? きみが人形を隠した、あの時が」

「……」

ほんの少しぼくから視線を外して、眼帯をそっと撫でる鳴。
肯定の返事が来るものだと、信じて疑わなかった。

「――違う、って言ったら?」

「えっ?」

あまりにもさらりとした口調で、彼女はそう言った。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:05:31.46 ID:mQm9OJvR0
36

「わたしはあの日、隠し部屋には行ってない。人形を隠したのは、あくまでここ、地下展示室でした。……もしもわたしがそう言ったら、榊原くんはどうするの?」

ほんの少し首をかしげて、鳴は淡く微笑する。
自分で言っておきながら、心の底では露ほどもそうは思っていない。そんな口調だった。

「どうする、って……。いや、それはおかしいよ。だってあの日、きみの隠した人形はどこにも無かったじゃないか」

「それは榊原くんが見つけられなかっただけ、だったとしたら? 実はどこかにあったのかもよ」

そんなはずは、もちろんなかった。あれだけ探したのだから。
しかしそれを口にしたところで、「かもしれない」という可能性の話は、どこまで行っても平行線にしかならないだろう。
そもそもの話、鳴にしたってこんな屁理屈を本気で言っているわけじゃないのは、彼女の様子を見れば明らかで。
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:06:02.90 ID:mQm9OJvR0
「電話で言ってたよね。これは答えあわせだ、って。答えだけをそのままぽんと書いても、数学のテストなんかじゃ正解にはならないでしょ? ……それに榊原くんの言うことにただ丸をつけるだけじゃ、わたしも面白くないから」

と、鳴は更に言う。
暗にぼくの考えを肯定しているも同然の発言だったが、その意図はこれではっきりした。
つまり彼女は、ぼくにこう問うているのだ。


――わたしが隠し部屋に行ったって証拠は、あるの?
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:06:46.41 ID:mQm9OJvR0
一昨日に起きたことについては、確信がある。ぼくが想像している通りで間違いはないだろう。
それでもまだ……鳴の、この態度だけが、どうしても分からない。
既に暴かれつつある真相を、なお隠さんとする、その理由が。

あるいは……鳴にとってはこれもまた、一昨日の勝負の続き、ということなのだろうか。
ならば受けて立とう。勝算は、充分にある。

「ダメだよ、見崎。間違いなくきみは、あの時隠し部屋に行っていたんだ。……だから、"これ"を今ぼくが持っているんだろ?」

ポケットの中を探り、取り出したそれを鳴へと示す。
彼女が隠し部屋にいた"証拠"――五枚の百円玉を。

「それって……土曜日に榊原くんが置いていったお金?」

「違うってば。それにぼくは五百円なんて、ここで一度も払ったことはないよ。天根さんが、いつも半額にしてくれてたから」

「そうなの?」

ぼくの言葉に、鳴は少なからず驚いたようだった。

「なら、これを払っていったのって……」

「あの時ぼくが電話で言ったこと、覚えてる? 『ギャラリーから男の人が出ていった』って。その人だよ。――あれから本人に会って、確認もしたんだ。島田さんって人なんだけど、間違いないって」
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:07:24.95 ID:mQm9OJvR0
「……じゃあ本当に、榊原くんの言った通りだったんだ」

「うん。見崎が人形を隠している間、その人がギャラリーに来てたんだよ」

「……」

「そんなわけでさ、これはきみが……というより、きみの家が受け取るべきなんだよ。だから、はい」

そう言ってぼくがもう一度手を突き出すと、それでようやく、鳴は五百円を受け取った。
手の中のそれを、鳴は未だ釈然としない面持ちで見つめている。

当然ではあるけれど、この家で暮らす鳴には、ギャラリーの入館料を払う機会なんてあるはずがない。
黒板には「入館料五百円」としか記されていないから、天根さんがぼくにサービスしてくれていたことを知らない鳴は、
島田さんが支払ったそのお金を、ぼくのものだと勘違いしたのだろう。

そう、「勘違い」だ。
鳴はなにも、島田さんのことを意図的に"いないもの"にしていたわけではなかったのだ。
――それは、つまり。
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:08:06.53 ID:mQm9OJvR0
「気づかなかったんだよね?」

ぼくの問いかけに、鳴が顔を上げる。

「……気づかなかったって、何に?」

「あの日きみが人形を隠していた間、人が入ってきていたことにだよ。だからきみは、お金もぼくが置いたと考えた」

「……っ」

何かを言いかけ、言葉にする前にそれが崩れてしまった。そんな吐息が、鳴の口から漏れる。

「もちろん、ギャラリーに誰かが入れば――」

ぼくがそう口にした、ちょうどその時。
まるで示し合わせたようなタイミングで、ドアベルの音が聞こえた。
「はい、ごくろうさま」と天根さんが言う声がして、すぐにもう一度ドアベルが鳴る。
郵便配達か何かだったのだろう。

ぼくにとっては、地下でドアベルを聞いたのはこれが初めてのことだったけれど、その音は十分に聞き取れた。
聞き逃すはずがないほどに。

「……ね? ここにいれば、人が来たことには絶対に気づく。でもきみは気づかなかった。つまり……その時きみは、ここにはいなかったんだ」

ドアベルの音が届かない場所で、あの時鳴が移動できたのは、たったひとつ。
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:09:01.53 ID:mQm9OJvR0
「島田さんがギャラリーに入ってきた時、きみは地下二階――隠し部屋にいた。人形を隠すために。だから音が聞こえなかった」

地下二階へと続く階段で、その先の隠し部屋で、空調の音は一際大きく、絶えず唸りを上げていた。
ドアベルの音など、そこではたやすくかき消されてしまうだろう。

「榊原くんも、ここの下には行ったんだもんね。……だったら分かる、か」

軽く髪を払い、鳴が言った。

<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>を訪れる人間は、決して多くはないという。
――だから、そんな都合のいいタイミングで誰かが来てたなんて、あるはずがない。
島田さんの来訪に気づかなかった鳴には、そんな先入観があったのだろう。

更に言うのなら、あの時点できっと、鳴にはもう分かっていたのだ。
この事件に、外部の人間はまるで関係がないということを。

――いないの。そんな人は。

だからこそ、彼女はあれほどきっぱりと言い切ったのだろう。――外からやってきた犯人などいない、と。
見当違いの方へ疑いの目を向けて暴走しかけていた、ぼくを止めるために。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:09:28.37 ID:mQm9OJvR0
「もう一度だけ、訊くよ。あの時きみが人形を隠したのは、ここの隠し部屋だった。……違うかな、見崎?」

さっきと同じ質問を繰り返す。
鳴は一瞬、足下に視線を落として、それから諦めたようにため息をつき、

「違わない。榊原くんの言うとおり」

そう、ぽつりと言った。
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:10:07.74 ID:mQm9OJvR0
37

「あの日、きみはぼくをを三階に戻してから、まずは暖炉に入った。からくりを作動させるために」

「そう。それから人形を棺ごと隠し部屋に運んで、暖炉のスイッチを元に戻して……エレベーターであなたを呼びに行った」

回想するように中空を見つめながら、頬に手を当てる鳴。

「説明するだけなら、すぐなのにね。実際は棺を運ぶのが大変で、思ったより時間がかかっちゃったの」

「つまりきみがしたことは、それだけだった。あの人形を隠し部屋に持って行っただけ」

「……」

「だって中村青司の話の続きをするために、別の人形を壊して衝立の裏に隠す必要なんて、どこにもないからさ。……でもあの時、そこに人形は確かにあった。顔のない、もう一つの人形が」

階段の下に立つ衝立を指差す。
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:10:41.93 ID:mQm9OJvR0
「もちろん、それは初めから衝立の裏に隠されていたわけじゃない。一昨日にぼくがきみと最初に話をした時、そこにまだ棺は置かれてなかった」

こんな風に座って鳴と話をしながら、ぼくは彼女の背後に立つ首なし人形を目にしていた。
二体ではなく、今と同じように一体だけ。
つまりその時、衝立の裏にはまだ棺ではなく、もう一体の首なし人形が存在していたのだ。

「だから棺はぼくがここを訪れた後、別の場所から運ばれてきたってことになるんだけど……そもそもさ」

ぼくの話にじっと耳を傾けている鳴に、言葉を向けた。

「あの壊された人形って、元はどこに置かれていたんだろうね。それとも、こう言った方がいいのかな。――あの人形は、一体何なのか」
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:11:18.84 ID:mQm9OJvR0
答えが返ってこないのは分かっていたから、そのまま続ける。

「少し前まで、地下展示室には棺が二つあった。片方には、きみそっくりの人形。もう片方は空だった。その空っぽの棺の中に入って、きみはぼくにこう言ったよね」

――新しい人形が、この中に納められるみたい。

「ぼくが見つけた壊れた人形こそが、その『新しい人形』だったんだ。あの人形はもともと霧果さんの工房に置かれていて、それをあの日、誰かが壊してここへ隠した。きみがもう一つの棺を隠し部屋に隠したように」

そこまで言い終えた時、唐突に鳴が口を開いた。

「それだけで例の人形が元は霧果の工房にあったなんて、少し話が飛躍してると思うけど」

「どうして? この家で人形が創られる場所は、そこしかないんだよ」 

「でも、榊原くんはそれがいつ完成したのかまでは知らない。そうでしょ?」
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:12:08.52 ID:mQm9OJvR0
素直に頷いた。

「それなら、完成したのは最近の話じゃなくて、それから霧果がどこかに移動させていた可能性だってある。それこそ地下の隠し部屋、とかね」

それからまた、鳴はいたずらっぽく右目を細める。

「だとすれば、人形を隠し部屋に持って行ったわたしには、その新しい人形を壊すことも、代わりにそれを地下展示室へ持ってくることだってできた。――わたしはまた、容疑者に逆戻りかしら?」

「いや、それはないよ」

「……どうして?」

「見崎は、棺の蓋の裏側って見たことある?」
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:12:50.41 ID:mQm9OJvR0
脈絡のない問いに思えたのだろう。不思議そうな表情を浮かべ、鳴は頷いた。

「あるよ。もちろん」

「数字が彫ってあるよね、人形が創られた年の。今回きみが隠したあの人形は『1997』。そしてぼくが見つけた、壊れた人形の数字は『1998』。今年の西暦だ」

「それがどうかした?」

「一昨日にぼくが最初にここへ来た時、『1997』の人形はまだここに置かれていた。きみが言うとおり『1998』の人形がとっくの昔に完成していたのなら、霧果さんはどうしてそれをここに飾ってなかったのかな。まっすぐ隠し部屋に運ぶなんて、おかしいよね。あそこじゃ、誰も見てくれないんだから」

音は聞こえずとも、鳴が小さく息を呑んだのが動きで分かった。

「『1998』の人形が完成していない、つまり制作途中だったのなら、それはまだ霧果さんの工房にあったはずだし、仮に完成していたのなら、霧果さんはそれを『1997』の人形に代えて、地下展示室に飾っていたはず」

そして彼女は、役目を終えた「1997」を隠し部屋へと弔っていたことだろう。
それだけの二択なのだ。
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:13:21.27 ID:mQm9OJvR0
「そして事実として、あの日の地下展示室には『1997』の人形が置かれたままだった。――つまり『1998』の人形があったのは、霧果さんの工房なんだよ」

「……」

肯定も否定もしないままに、鳴はぷいと顔を背けてしまう。

壊された「1998」の人形は、既にドレスも着ていたし、顔以外は「1997」と見分けがつかないほどだった。
だからぼくも勘違いをしたのだ。
おそらく未完成だったとはいえ完成間近で、後はわずかな仕上げの作業を残すだけだったのだろう。

「そろそろ教えてくれてもいいんじゃない。ぼくの考えていることが、合っているかどうか。……どうかな?」

体ごとあさっての方向を見たままの鳴にそう呼びかけたが、返事はない。
何かあるのかと思い、ぼくもつられて同じ方を向いてみたけれど、部屋の奥でカーテンが揺れているだけだ。

「……正解」

不意に、鳴の声がした。
振り向くと、彼女はいつの間にかこちらに顔を向けている。
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:13:47.97 ID:mQm9OJvR0
「それは、認めるってこと? あの日、『1998』の人形はもともと、霧果さんの工房にあったって」

「ええ。あともう少しで完成だったって、霧果は言ってたかな」

「そっか。なら、見崎は知ってたんだ。『1998』の人形が完成して、『1997』の役目が終わる。――つまり、"お別れ"だってことをさ」

「……うん」

――この子とも、もうすぐお別れね。

霧果さんがそうであったように、鳴もまたこの家で繰り返してきたのだろう。
棺の中で眠る自分の写し身との、出会いと別れを。

「でも、これではっきりしたよ。やっぱり、見崎には無理だったんだね」

「何が?」

「『1998』の人形を壊して、地下展示室に隠すことがさ」

「……」
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:14:21.23 ID:mQm9OJvR0
「ぼくがここに来てから壊された人形を見つけるまで、きみが工房のある二階に行くことは不可能だった。ぼくと一緒にいた時はもちろん、きみが一人きりで『1997』の人形を隠していた時も、きみはずっと地下にいて、エレベーターは一度も二階では止まらなかった」

エレベーターを使わずとも、階段で二階へ行くことは、確かにできた。
だが、あの時ぼくがエレベーターを監視していたことを、鳴が知っていたはずはない。
知らなかったのなら、ぼくに気づかれないよう階段を使うという発想は浮かばない。
だとすれば、例え物理的に可能だったのだとしても、そんな選択をすることは決してない。

――そして何より、ぼくにこう言われてなお、当の鳴自身がその可能性を指摘していない。
ぼくの言葉を受け入れているかのように、ただ静かにぼくの方を見やるだけだ。
この現状こそが、鳴が二階へ行くことはなかったという事実を如実に物語っている。
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:15:01.30 ID:mQm9OJvR0
「だとすれば当然、『1998』の人形を壊したのも、それを工房から運んで衝立の裏に隠したのも、きみとは別の人がやったこと。そうなるよね。……なんだか、これを言うためだけに随分遠回りをした気がするよ」

衝立の裏で壊された「1998」の人形を見つけた時、もちろんぼくは驚いた。
だが、鳴はぼく以上に驚いていたはずだ。
自分が隠したものと同じ棺、同じドレスの人形が、あるはずのない場所から現れたのだから。

当然、それが別の人形だなんて考えはすぐに浮かばず、彼女はこう思ったことだろう。
誰かが、自分が隠し部屋に運んだ人形を壊し、ここまで持ってきたのだ……と。

――どうして、こんな……。

壊された人形を見て、こう口にした鳴。
それは人形が壊されていたことへの、"どうして、こんなことに"という驚きだと、ぼくはそう考えていた。

けれどそこにはもう一つ、別の意味があったんじゃないだろうか。
つまり、人形がそこに存在していること、そのものに対する――"どうして、こんなところに"という驚きが。
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:15:41.05 ID:mQm9OJvR0
もっとも、これを鳴に言ったところで「国語の問題みたいで、あんまり好きじゃない」なんて言われそうだったから、言葉にするつもりもないのだけど。
言うべきは、揺るぎのない事実だけでいい。そしてそれも、残るはひとつ、だった。

「あの日、この家では……二人の人間がそれぞれ、別の人形を違う場所に隠していた。一人目は――見崎、もちろんきみだ」

ぼくとの勝負のため、ここに置かれていた「1997」を、地下二階の隠し部屋へ。
目を伏せ、頷くことはないまま、「そうね」とだけ鳴は言った。

「そして、もう一人。二階の工房に置かれていた『1998』を壊して、地下展示室に隠した――犯人」

この「犯人」という言葉を使うことに、今は少なからず抵抗があった。
なぜなら――。

「まず前提として、犯人はあの日、もともと家の中にいた人。人形のあった工房に繋がる二階の入口はきみが鍵を掛けていて、外からは入れなかったからね」

「外部の人でも、ギャラリーの入口から中に入ることはできたと思うけど?」

またしても、心にもないことを鳴は言う。承知の上で、ぼくもそれに応じる。
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:16:25.12 ID:mQm9OJvR0
「確かにそうだけど、工房に行くまでが大変だよ? 一度地下に降りて、そこからエレベーターに乗ってまた二階に上がって……ってさ。そこまでする人は、そうそういないんじゃないかな」

「けれど、いなかったとは限らない。もし犯人がわたしに恨みを持っていて、わたしそっくりの人形を壊したいと思っていたのなら、その程度の苦労は平気ですると思うけど」

「……見崎って、そんなに人から恨まれるようなタイプだったっけ」

「さあ? 自分では気づかないものなんじゃない、そういうのって」

反論を並べながらも、言葉遊びを楽しんでいるかのように鳴の表情はどこか明るい。

「犯人が外部から来たとして、狙いがきみの人形を壊すことだったのなら……まあ、確かにそのくらいはしてもおかしくないのかもね」

「でしょう?」

「じゃあさ、犯行はいつ行われたの? さっきも言ったけど、ギャラリーから入ったのなら、二階へはエレベーターを使わないと上がれない。そしてエレベーターは、きみのお母さんが三階に来てからは一度も二階に行ってないんだよ」
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:16:57.10 ID:mQm9OJvR0
「それなら……そう、霧果が来るより前だった。それだけの話でしょ」

テーブルの上で両手を組み合わせ、鳴は続ける。

「霧果が来る前ってちょうど、わたしと榊原くん、ずっとリビングで話をしてたよね? その時だったら、誰かが入ってきていても気づかない。霧果だって、そうだったのかも」

「ならその時に、きみに恨みを持つ人がギャラリーに侵入し、工房にまで行って人形を壊していった。そして犯人は、運良く誰にも見つからず帰っていった――って?」

「ええ」

ぼくの言葉にすんなりと鳴は頷く。

――その返事を、ぼくが待ち望んでいるとも知らずに。
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:17:44.09 ID:mQm9OJvR0
「見崎。だとすれば、犯人が二階の工房に行ったはずはないよ。……いや、行く必要がなかったと言うべきかな」

「……どういうこと?」

「だってそうする前に、お目当てのものにありつけたんだからさ。まだきみが隠す前、地下展示室に置かれたままの――『1997』の人形に」

「……あ……」

「『1997』も『1998』も同じドレスを着て、同じ棺に入ってる。工房に行くまでもなく、目的は達成できたはずなんだ。……でも、『1997』は無事だった。外部の人間がきみの人形を壊すためにやってきたのなら、放っておいたはずがない」

そして鳴が「1997」を隠した後では、エレベーターはずっとぼくが見ていたし、ギャラリーに島田さんもいたのだ。
「1997」がある間は工房に行く理由が存在せず、「1997」が消えた後は工房に行くことができない。

「……だからやっぱり、外からやってきた犯人なんていないんだよ、見崎。あの時、きみが言ったように」

「……」

俯いたまま、鳴は答えない。
分かっているのだろう。犯人を示す道筋が、既に明らかになっていることに。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:19:11.68 ID:mQm9OJvR0
「今までの話で、犯人としての条件が二つ出てきたよね。一つ、もともと家の中にいた人。一つ、ぼくが来た後で、他の誰にも気づかれることなく工房と地下展示室へ行けた人」

事件の様相は、今となってはその形を大きく変えていた。
「被害者」である人形の取り違えが明らかになり、現場が工房だと判明した結果、
当初の犯行時間と目されていた時間帯――鳴が「1997」の人形を隠し始め、ぼくが「1998」の人形を見つけるまで――は、事件「後」であると分かったのだ。
その時間帯では鉄壁かに思えた"彼女"のアリバイは、もはや意味などない。

「その人は、ぼくときみがリビングで話をしている間、自由に動き回ることができた。……事件は、その時に起きたんだ」

犯人がリビングに現れた時にはもう、全てが終わっていた。

それからぼくと鳴がもう一度地下へ降り、鳴が「1997」の蓋を閉めた、あの時。
顔のない「1998」の人形は、既に衝立の裏に隠されていたのだ。
すぐ三階に戻ったぼくはもちろん、暖炉の仕掛けを作動させて更に地下へと降りた鳴も、その異変に気づくことが出来なかったのだろう。

「そして、犯人は――」

ぼくの言葉を遮るようにして、結論を言ったのは鳴だった。


「そう。――犯人は、霧果」
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:20:36.15 ID:mQm9OJvR0
38

肘掛けに両腕を踏ん張って体を浮かせ、椅子に深く座り直す。
地下展示室は相変わらず暗い。
しかし今までここに流れていた、どこか鋭利な気配。
それが揺らいだように感じるのは、ぼくの気のせいだけではないだろう。

「全部、霧果がしたことだったの」

目を伏せて淡々と話す鳴の声にも、その変化は表れているようだった。

「……なんだか、ずいぶんとあっさりだね。見崎の方からそんな風に言い出すなんて、思ってなかったよ」

「だって榊原くんも、もう分かっているんでしょ。あの日わたしと榊原くんが話をしている間、霧果がずっと一人だったこと。……それとも、最後まで言わせてあげた方が良かった?」

「いや、別に。――見崎は、いつから知ってたの?」

「あの日……榊原くんが出ていった後にね。霧果に直接確認したの。あの人形がわたしの隠したものじゃないことは、すぐ分かったから」
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:21:19.99 ID:mQm9OJvR0
「それは、蓋の裏側の西暦を見て?」

「確かにそれもあったけど、一番は時間。わたしが人形を隠してから榊原くんと一緒にここへ戻ってくるまで、五分も経ってなかったよね」

鳴のほっそりとした指が、左目の眼帯に添えられる。

「榊原くんも分かると思うけど、暖炉のスイッチを操作してから階段が出てくるまでって、結構時間がかかるの。それで階段を降りて人形を持ってきて、それを壊してまた階段を元に戻す……なんて、五分じゃ絶対にできないから」

「ああ……そういうこと」

「だからね、あの時――榊原くんに電話した時には、もう全部分かってた」

「やっぱり。何となくだけど、そうなんだろうなって気はしてたよ」

鳴が事態を把握できていなかったのは、ぼくが「1998」の人形を発見した直後の、わずかな時間でしかなかったのだろう。
一方のぼくは、ずっと混迷の中で惑い続け、抜け出したのはついさっき。

「電話で話した時は、どうしてちゃんと説明してくれなかったの? 『もう大丈夫』なんてだけ言ってさ」

くっと、鳴の口元が引き締まった。

「……あの時は、言っても余計に混乱させるだけだと思ったの。ほとぼりが冷めてからの方がいいって、そう思って」
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:22:00.57 ID:mQm9OJvR0
「じゃあ、ぼくがこうしてきみに確認しなくても、いずれは教えてくれてた?」

無言のまま、鳴はこくんと頷いた。

「そっか。――霧果さんが犯人って言ったよね。どうして自分の人形を? もうすぐ完成だったのに」

「どうしても、出来に納得がいかなかったんだって。それでちょうどあの日、勢いあまって人形を壊してしまった」

そこで一度言葉を切り、ふっ、と息をついてから、後ろを振り向く。

「だから、人形を人目につかないここに隠したんだけど……その直後、わたしたちがよりにもよって、ここで人形探しを始めちゃって。――後は、榊原くんの知ってるとおり」

「ぼくが今日ここに来た時はもう、『1998』の人形は隠し部屋に置いてあったけど、それも見崎が?」

「そう。さすがにあのままにはしておけなくて。ギャラリーに来たお客さんが見ちゃったら、またややこしいことになりそうだったし。だからとりあえず、隠し部屋から『1997』の方をまた持ってきて、代わりに置いてたの。霧果も、そうしてって言うから」
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:22:32.25 ID:mQm9OJvR0
実際に今日ぼくがこうして棺を開けてしまったのだから、鳴がそう危惧したのは正しかったのだろう。
もっともぼくにとっては、むしろ無傷の「1997」がそこにあったからこそ、真実に辿りつくことができた。
そういうことになってしまうのだけど。

「……なるほどね」

納得を込めて、ぼくはそう鳴に頷いてみせる。
こだまを返すように、鳴も深く頷いた。

「うん。……わたしの話は、これでおしまい」

後には、沈黙だけが残った。
お互い何も口にせず、身動きすることもなく、ただただ時間だけがゆっくりと流れていく。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:23:07.75 ID:mQm9OJvR0
――鳴の告白は、終わった。

もしぼくが「もう帰るよ」と言えば、鳴は何も言わず、ただぼくを見送ることだろう。
そして、もしもこのまま何もせずにいれば、たぶん、ぼくたちはいつまでもこうしていられる。
人形たちの"虚ろ"の中で。

目を閉じて、深く息を吸い込んだ。
"虚ろ"が肺に満ちていく。息を止めてみても、どこからも漏れることはない。
天井を見上げて、それを大きく吐き出す。
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:23:40.24 ID:mQm9OJvR0
さて。
ぼくはついさっき、確かにこう語った。
ここで起きたことについて「確信がある」と。

その言葉に偽りはない。
鳴の告白を聞いた今もなお、それが揺らぐことはない。
だから今一度、ここで断言することにしよう。
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:24:09.78 ID:mQm9OJvR0



「ねえ、見崎。――どうして、本当のことを教えてくれないの?」





鳴は、まだ嘘をついている。
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:25:19.66 ID:mQm9OJvR0
39

空気が再び張りつめていく。

「本当の……こと?」

鳴の顔には、狼狽の色がはっきりと浮かんでいた。

「うん。だって、霧果さんが犯人のはずがないんだ」

「榊原くん、さっき自分で言わなかった? 犯人の条件が二つあって、それを満たすのは霧果しかいない……って」

「ぼくの話はまだ途中だった。それを遮ったのはきみだよ、見崎。霧果さんが犯人だって言ったのもね。――ぼくはそんなこと、一言も言ってないはずだけど?」

虚を衝かれたような表情を浮かべた後、呆れたように鳴は言う。

「……意地悪ね、榊原くんって」

冷ややかな視線を受け流しつつ、ぼくは続ける。

「犯人の条件は、さっき言った二つだけじゃなくて、もう一つあったんだ。その最後の一つに、霧果さんは絶対に当てはまらない」
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:26:05.58 ID:mQm9OJvR0
「霧果が犯人だって、わたしが言ってるのに?」

「まあまあ。……でも、霧果さんのやったことにしては、ずいぶん変だとは思わない?」

「……べつに。自分の納得いかない作品をどうしようが、霧果の勝手だし」

「そこじゃなくて、その後がさ」

「人形を隠したこと? それも、当然の行動だと思うけど。工房に置いたままじゃ、誰かが来た時にすぐ見つかってしまうもの」

「――その"誰か"って、誰?」

「えっ?」

「事件のあった一昨日、工房は休みでお客さんが来るはずはないし、天根さんも不在だった。まあ、実際にはぼくが訪問していたんだけど……きみのお母さんは、リビングに来て初めてぼくに気づいたわけだからね」

それより前に人形を壊したその時点で、ぼくが工房に来ることを予期できるはずはない。
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:26:51.81 ID:mQm9OJvR0
「他に工房に行きそうな人と言えば、向かいに部屋がある……きみかな、見崎。でもきみはぼくに言ったはずだ。『工房にはめったに入らない』って」

「……」

「避けるべき人目なんか、どこにも無かったんだ。霧果さんなら、そんなことはよく分かっていたはずだよね? 人形を工房に置いたままでも、全く問題は無いってことを」

黙ったままぼくの話を聞いていた鳴が、静かに口を開いた。

「榊原くん、一番大事な人を忘れてない?」

「誰のこと?」

「霧果本人。他ならぬあの人自身が、人形を自分の目の届く範囲に置いておきたくなかった。――あの人形が、失敗作だったから」

そしてほんの少し、首を傾げて微笑んだ。艶のある黒髪が、さらりと揺れる。

「それなら……工房から移動させても不思議じゃない、でしょ?」

「……ふうん。それならまあ、確かにね」

「じゃあ――」

「でも、そこに隠したのはやっぱり変だよ」

人差し指をまっすぐ鳴に――彼女の向こう側、棺の置かれていた場所に――向ける。
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:27:41.18 ID:mQm9OJvR0
「そんな、すぐ見つかるような場所に隠すなんてさ。だからぼくなんかが、うっかり見つけちゃうんだし」

「それは、偶然そうなっただけじゃない? 元を正せば、榊原くんがギャラリーに入れたのだって、そうだと思うけど」

「うん、それはぼくもそう思う。ぼくが人形を見つけてしまったのはたまたまで、ある意味では運が悪かったからだって。でもね見崎、ぼくが言いたいのは……そこに隠すくらいなら、もっといい場所があったんじゃないかってことなんだ」

ぼくがいくら探したところで絶対に見つかるはずのない場所が、ここにはあったのだから。

「見崎。実際にそこを使った、きみなら分かるはずだよ。――この地下にある、隠し部屋。霧果さんはどうして、人形をそこに持って行かなかったんだろう?」

細く白い鳴の喉が、かすかに上下した。

「だって、『1998』の人形が霧果さんの指示でさっきまで隠し部屋にあったってことは、霧果さんは失敗作をあそこにある他の人形たちと一緒にしたくなかった、ってわけでもなさそうだしさ」

仮にもしそうだったとしても、「1998」の棺だけを隠し階段の途中や例の部屋の前に置けば済む話だろう。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:28:20.55 ID:mQm9OJvR0
「それに工房と同じで、隠し部屋にもきみが行くことはほとんどなかったんだよね? ……それとも、あの日ぼくらが人形探しをすることを、きみはお母さんにこっそり話してた? まさかね」

鳴が答えるはずもないと分かっていたから、自分ですぐに否定する。
言うまでもなく、ぼくが来てから鳴にそんなことを伝える余裕は無かった。

「つまりあの隠し部屋だって、この上なく"人目につかない場所"だったんだ。一昨日はきみが暖炉の仕掛けを実際に動かしてるから、機械に不具合があった、なんてこともない。当然、仕掛けを使うことは可能だった。――霧果さんが犯人なら、どうしてそれを使わなかったのかな」

鳴は俯き、答えない。
答えられないのだ。
不用意に口を開けば、それすらも命取りになる。
それほどまでにぼくは今、核心へと迫っているのだから。

「……ねえ見崎、気づいてる?」

沈黙を続ける鳴に、ぼくはゆっくりと語りかける。

「霧果さんなら、霧果さんなら……。全部、"霧果さんが"犯人だと考えるから、上手くいかないんだよ」
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:29:00.63 ID:mQm9OJvR0
「……それは……」

かろうじて聞き取れるほどの音量で、ようやく鳴の声がした。

「けど、霧果さんじゃないのなら、そうしたっておかしくはない。つまり、"この家の事情を知らない人"なら、ね」

俯いていた鳴が、顔を上げる。

「壊した人形を工房から移したのは、向かいの部屋を使うきみが入ってくるのを恐れたからだし、隠し部屋を使わなかった理由は――言うまでもないよね。そもそも犯人は知らなかったんだよ、そんなものがこの家にあるなんて」

だから、人形をあそこに隠すしかなかった。
犯人にとっては、あれが最善の隠し場所のつもりだったのだ。
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:29:35.69 ID:mQm9OJvR0
「この家のことを、よく知らない人。――それが犯人としての、最後の条件だよ。ここに住んでる霧果さんが、犯人であるわけがない」

「……それなら」震える声で鳴が言う。「それなら、榊原くんは一体誰が犯人だって言うの? わたしでもあなたでもなく、霧果でもないなら……もう、誰もいない」

振り絞るようにして、ついに彼女はそう言った。
カウンターを喰らうことが分かりきった、まるで身投げに等しい反論。
それを口にしてしまえば、もうどこにも退路はない。

だとすれば後はもう、ひと思いに叩きつけてやるだけだ。
鳴が最後の最後まで守りぬきたかったであろう、真実を。
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:30:28.54 ID:mQm9OJvR0
「いいや、ぼくの言うことは変わらないよ。犯人はぼくときみがリビングで話している間に、人形を壊すことが出来た人だ。それが出来たのはたった一人で、もちろん霧果さんじゃない」

続けざまにぼくは、とどめの言葉を口にする。

「……それでも犯人は間違いなく、"きみのお母さん"なんだよ、見崎」

鳴の右目が、大きく見開かれた。

それからぼくは、部屋の奥へと大きな声で呼びかける。
さっきから時折カーテンが揺らめいていること――そこに誰かがいることに、ぼくも鳴もとっくに気づいていた。



「――そうですよね? 藤岡美津代さん」
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:31:18.37 ID:mQm9OJvR0
40

両手をテーブルに突き、身を乗り出すように鳴が椅子から立ち上がる。
がたん、と大きな音がした。

「どうして」呆然とした様子で言う。「どうして、榊原くん」

信じられないという表情で、同じ言葉を繰り返す鳴。
それに気を取られ、カーテンに向けていた視線が外れる。

そして再び顔を戻せば、もう既に、"彼女"はそこに立っていた。
それからゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。

彼女がテーブルの近くまで来てようやく、ここには椅子が二つしかないことにぼくは気がついた。
立ち上がりかけたぼくに、

「いいの。そのまま座ってて。あなたはお客さんなんだから」

と彼女は笑いかける。
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:32:02.09 ID:mQm9OJvR0
同じく鳴が場所を譲ろうとしたけれど、やはり「いいから」と言われて終わった。
自分だけが腰を下ろしている状況に居心地の悪さを感じつつ、それでもぼくは問いかけた。

「いつから、そこにいたんですか?」

「十分くらい前から、かしら」

つまり、ぼくと鳴がこちらに移ってからの会話は、ほぼ全て耳にしていたことになる。

「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったの。でも、あなたたちの会話に割って入るのも悪いと思って」

申し訳なさそうに言う彼女は、この前と同じようにエプロンをつけていた。
適当なところで料理を切り上げ、すぐこちらに来ていたのだろう。
というより、そもそもぼくが呼んだから彼女は来たのだ。

そう、ぼくが呼んだのは間違いなく"彼女"の方だ。
一昨日も、そして今日も、この家にいたのは霧果さんではなく、彼女――美津代さんだったのだから。

頭では分かっていても、こうして目にするとやはり混乱してしまう。
それほどまでに似ているのだ。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:32:41.26 ID:mQm9OJvR0
「霧果さんは、今どこに?」

「紅太郎さんと一緒に、東京にいるはずよ。仕事の都合で、夫婦で出席しなきゃいけないパーティーがあるんですって。――大変よね。そういう業界の付き合いって」

ここにいるのが藤岡美津代であることを前提にしたぼくの質問にも、すんなりと彼女は答えた。
しらを切るつもりは、どうやら初めから無いらしい。

「予定だと一週間、向こうにいるのよね?」

美津代さんに問われ、ややあって鳴はこくりと頷く。

「……うん。出発したのがこの前の水曜日だから、たぶん明日には戻ってくる」

「それで、その間は工房がお休みなのよ。もしかしたらもう、看板の張り紙を見てるかもしれないけど」

「……ええ。確かに見ました」ぼくは頷く。「美津代さんはその間、家のことを霧果さんから頼まれたんですか?」

「まさか」彼女は笑って手を振る。

「由紀代は私に、わざわざそんなことを伝えたりはしないわ。――連絡をくれたのは、鳴よ。もっともこの子だって、それだけなら電話してこなかったかもね」
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:33:28.28 ID:mQm9OJvR0
美津代さんの言う通り、霧果さんが不在になったところで、身の回りのことくらい鳴は自分でやるだろう。
唯一不安が残るのは料理だが、天根さんがいればそれも――。

「ああ」それで合点がいった。「天根さん、ですか」

「そういうこと。伯母さまが腰を痛めて、さすがに私の助けが必要になったというわけ。医者に連れて行くにも、やっぱり車がないとねえ」

頬に手を当てて、彼女は鳴の方を見やる。

「それに由紀代が戻ってくるまで、ご飯くらいは作ってあげようかなって」

当の鳴は、美津代さんの視線をかわすようにしてぼくを見た。
そこまでは頼んでないのに、とでも言いたげではあったけれど、それを敢えて口にはしない程度には、感謝もしているのだろう。

「じゃあ、ここには毎日通っているんですか?」

「ええ。主人から許可は貰ってるけど、だからってほったらかしにはできないもの。今日だって夜ご飯を作り終えたら、家に戻るつもり」

そう話す美津代さんの耳に、イヤリングが揺れている。思えば、一昨日もそうだった。
霧果さんにしては珍しいと思った、着飾った装い。
ぼくは外出の予定でもあるのかと考えたけれど、確かにそれは当たっていた。

ただし彼女――美津代さんは、あの時もう、既に外出中だったのだ。
自分の家から、ここ"夜見山の人形館"へと。
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:34:10.51 ID:mQm9OJvR0


この家が現在置かれている状況については、これでずいぶんとはっきりした。
けれど、それはあくまで外郭でしかない。核心は自分の手で突くしかないようだ。

「改めて、確認させてください。一昨日、人形を壊したのは……美津代さん、あなたですよね」

「……ええ。驚かせてしまって、ごめんなさい」

「理由を訊いても、いいでしょうか?」

覚悟を決めてぼくが言うと、美津代さんの顔からすっと表情が消えた。
こうなると、ますます霧果さんそっくりだな――と、ひどく場違いなことを思う。

「その前に。……一つ、いいかしら?」

冷たさすら感じる声で、彼女は言った。

「何ですか?」

「私が由紀代じゃなくて藤岡美津代だってことは、素直に認めるし、誤魔化すつもりも無いわ。それを断った上で、興味があるから訊くのだけど……」

そう言って、今度は淡く微笑む。
鳴がよくする表情だ。

「もし私が、『自分は霧果だ』って言い張ったら、あなたはどうするつもりだったの? 私たちの区別がついたかしら?」
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:34:52.88 ID:mQm9OJvR0
自信に満ちた口調だった。
彼女の顔を見れば見るほど、それに気圧され、迷いが生まれていくのが自分でも分かる。
――だから、見てはいけない。
似ているところばかり見ていれば、惑うのは当たり前だ。

「……確かに、あなたと霧果さんはよく似ています。正直なところ、こうして対面していると、今ぼくが話しているのはどちらなのか、自信が無くなってくるくらいです。でも……」

喋る勢いに任せるようにして、とうとうぼくも椅子から立ち上がった。

「実際にやるかどうかは別として、お二人を見分ける方法なら――あります」

「へえ?」興味を惹かれたように、美津代さんの眉が持ち上がる。「ひょっとして、人形を創れとでも言う気? 確かに私は、由紀代みたいに器用じゃないけど」

「それよりもっと簡単で、間違いの無い方法です。――そういう意味では、お二人を見分けるのは『見崎鳴と藤岡未咲を見分けろ』と言っているのに等しいんじゃないでしょうか」

ぼくの言葉に、鳴がまた驚愕の表情でこちらを見た。
美津代さんに、彼女――藤岡未咲の話は禁物だ……ということか?
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:35:30.66 ID:mQm9OJvR0
だが、美津代さんは特に気にしたふうでもなく言う。

「鳴と、未咲? それなら簡単でしょうね。どんなに顔がそっくりでも、眼帯をしている方が、鳴。それだけの話だもの」

その言葉に誘われるようにして、鳴が眼帯に手を当てる。
自身と妹を区別する"印"に。

「でも、私も由紀代も眼帯なんてしていないけど?」

「確かにそうです。ですけど、お二人にも決定的な違いがあるんです。それこそ、眼帯にも等しい違いが」

まるで思い当たることが無いとでもいうように、美津代さんは右手を口元にやり、深く考え込んでいる。
ぼくの言葉をじっくり吟味しているのか、人差し指だけが一定のリズムで動いていた。

「……不思議ね。自分たちのことなのに、全然ぴんと来ないなんて。私や由紀代の体に、印でもついて――」

彼女の言葉が、何かに気づいた表情と共にそこで途切れる。
やがて、ぽつりと呟いた。

「……そう。そういうことなのね」

「そうです」ぼくは頷く。「美津代さん、あなたの体にはあるんです。霧果さんにはない"印"――手術痕が」
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:35:58.62 ID:mQm9OJvR0
今年の初め、彼女は病院で手術を受けた。
自らのためではなく、娘――藤岡未咲を救うための腎臓移植手術を、ドナーとして。
当然、その傷痕が彼女にはあるはずだ。

「ええ、確かにその通り。……あなたは今ここで、それを確認するつもりかしら?」

すぐに首を振って否定する。

「いえ。ぼくはただ、質問の答えを示しただけです。あなたと霧果さんを見分ける方法は、間違いなくあると。それでこの話は終わりです。……後はその、また別の問題なんじゃないかと」

「ああ、だからあなた、ああいう言い方をしたのね」おかしそうに美津代さんが笑う。「そうでなきゃ、私に服を脱げって言ってるようなものだもの」

おかしさが次々とこみ上げてきているのか、くすくすという彼女の笑い声は尾を引くように続く。
それが治まりかけてきた頃、

「……そうね」

と、これはひどく弱々しい声で。

「確かに私、手術を受けたわ。自分のことなのに、すっかり忘れてた。――あまりにも、意味が無かったから」
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:36:29.94 ID:mQm9OJvR0
ああ――と、今更ながらにぼくは思う。
いくら話すきっかけを作ったのは美津代さん自身でも、やはりこのことは口にするべきではなかったのかもしれない。
言えば当然、こういう話になってしまうのは分かりきっていたのに。

「病院の先生は、『これで大丈夫』って言ってくれてたのにね。どうしてなのか、原因は結局分からなかった。でもきっと……私のせい、なんでしょうね。あの子に腎臓をあげた私に原因があったから、きっと」

それは違うと、そう言えたらどんなに楽だったろう。
悪いのは<災厄>で、移植手術に問題があったわけでも、ましてや美津代さんのせいでもないと、今ここでそう言えたら。
けれど、仮にぼくがそう説明したところで、それはいかにも子供じみた、優しく陳腐ななぐさめの嘘。
そういう風にしか受け取ってもらえないことだろう。

それにもし、美津代さんが<災厄>の存在を信じてくれたとしても、それが何になる?
彼女はきっと、今度は夜見山に戻ってきたことに責任を感じてしまうだけだ。

もし彼女の悲しみを癒せるとすれば、それは藤岡未咲だけ、だろう。
死んでしまった彼女が、戻ってくることだけが。
そしてそれは、言うまでもなく不可能で。
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:37:11.13 ID:mQm9OJvR0
鳴はきっと、だから彼女に何も言わないのだ。
<災厄>が終わってからももちろん、こうしている今だって。
悲しそうに微笑む美津代さんをただ、無言のまま見つめている。

その表情はいつもと変わらないはずなのに、その裏では様々な感情がうねり、溢れ出しそうになるのを必死で押しとどめている。
そんな揺らぎを、確かに感じた。
……鳴がじっと耐えているのに、ぼくが先に音を上げてしまうわけにはいかない。

沈黙の中、美津代さんが再び口を開く。

「……あなたの質問に、そろそろ答えないとね。私がどうして、由紀代の人形を壊したのか」

そう話す声の調子は、もうすっかり元に戻っていて。

「私、由紀代の創る人形は好きよ。双子なのに、あの子にだけあんな才能があるなんてずるいって、昔はよく思ったりもした。お互い結婚して離れて暮らすようになって、今までここに来ることも無かったんだけど」

地下展示室をぐるりと見回しながら、並ぶ人形たちにも語りかけるように言う。

「今回たまたま、こうしてじっくり見てみる機会ができて、やっぱり素敵だなって思ってね。悪いとは分かってたけど、こっそり工房にも入ってみたくなったの。そしたら工房の中に棺があって、蓋が閉まってたから、気になって……開けてみた」
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:37:43.88 ID:mQm9OJvR0
その時の光景が甦ってきたのか、彼女の言葉がそこで止まる。
痛みに耐えるよう目を閉じて、静かに言った。

「――未咲だった」

「えっ?」

「中にいたのは未咲だった。あの子が棺の中で……眠ってた」

未咲。未咲というのは、つまり。

「……藤岡未咲さん?」

「もちろん、中にいたのは人形よ。でも、顔がね。――あなた、『1997』の人形は見たことある?」

カーテンに隔てられ今は見えない、ぼくにとっては一番なじみの深い人形。

「それは……あります。何回も」

「あれは、誰だと思う?」

まっすぐ突きつけられるような問いに、言葉に窮する。
様々な思考が駆け巡ったが、素直に、思ったままを答えることにした。

「見崎――見崎鳴に見えます。少なくとも、ぼくには」
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/23(土) 21:38:17.18 ID:mQm9OJvR0
そう答えながら、自然と顔は鳴の方を向いていた。
変わらぬ沈黙を保ったまま、彼女は身じろぎひとつしない。

「……そう。あなたがそんな風に感じたのと同じように、私は工房の人形を見て、未咲だって思った。……そういうことだったと、思うんだけどね」

「ですけど、霧果さんにとってあの人形は――」

「ええ。それも、後で鳴に教えて貰ったわ。鳴でも未咲でもなく、由紀代自身の子供……。そうなんでしょう?」

「はい。……そうだよね、見崎」

二人分の視線と言葉を向けられ、さすがに何かを言わねばならない気になったのか、鳴はひとつため息をつき、

「わたしはあの子たちのこと、わたし自身だって思ったことは一度もないよ」

とだけ、言った。

「私が『1997』の人形を見た時も、確かに似てるとは思った。でも、それはどちらかと言えば鳴に……ううん、そもそも具体的に誰かなんてことは考えなかったわ。漠然と『似てる』って思っただけ」

自らの感情をなんとか言葉にしようともがいているのか、美津代さんは額に手を当てて言う。
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