堀裕子「ぴーぴーかんかん?」

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37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:04:23.81 ID:I9OmqLYR0
「ほら真ん中のこの五円玉をよく見てください……イツキさんはだんだん眠くなーる……だんだん眠くなーる」
 彼女は五円玉振り子を小刻みに揺すってから馬鹿の一つ覚えみたいに「眠くなーる」と繰り返している。
恐らくこの感じだと普通に眠い人も彼女の声が気にかかって眠れないのではないだろうか。

「眠くなーる……眠くなーる……眠くな……ん……」
 前言撤回。そんな事をやっている間に彼女は普通に寝てしまった。
何と言うか最早お約束じみてきている彼女の超能力芸だけど
もしかしたら万が一の可能性で本当にサイキック能力だとかが使えるのかもしれない。
……いやそんな訳はないか
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:05:40.62 ID:I9OmqLYR0
「なぁユッコ、お前が寝てどうする」
「……はっ……私としたことが!」
 適当に声をかけて彼女を起こす。
彼女の寝顔を見続けるのはどこか犯罪じみて思えたし、俺の心臓が持ちそうにないと思えたから。

「あはは……お恥ずかしいところを見せちゃいました」
「はぁ……」
「……」
「……」

何となくの気まずさを感じた。自分から起こしといてなんだけど、もう少し寝かせておけば良かったのかもしれないと思えた。
と言うか、昨日あんな事を言っておいて今までと変わらずに接せていた彼女
(もっともそれを気にしているのは俺だけで彼女は多分気にしていないと思うのだけれども)
そっちの方が凄いと思えた。
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:06:44.59 ID:I9OmqLYR0
「なぁユッコって超能力のこと信じてる?」
俺がその気まずさを打開しようと彼女に振った言葉はそんな感じだったと思う。
急に何言ってるんだコイツって思われたと思う。

何となく文字足らずになってしまって言葉を付け加える。

「あ、いや、その、何か特に深い意味があるわけでは無いんだけれど、ユッコってサイキッカーだろ?
だけどこうあんまり成功できてないわけじゃん? それなのによくそこまで頑張れるなって」
 慌てて口を動かしても口から出てくるのはあまり好意的とは取れない言葉ばっかりだった。
別に彼女のサイキックなんて彼女が信じていればいい話だ。少なくとも俺ごときの人間が口を挟める立場には居ない。

「あ、いや今のは違くて……なんかこう……うん」
 もう一度、修正を試みてみたけど口から出てくる言葉は宙を横切るものばっかりだ。そう言う自分の事が、またつくづく嫌になる。
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:07:13.63 ID:I9OmqLYR0
「ふふっ」
 慌てふためく俺の姿が面白かったのか彼女は少しはにかんで笑った。
「はい!如何にも私はサイキックを信じています!」
「サイキックだけじゃなくて、UFOだとか宇宙人だとかネッシーだとか……ビックフットだとか!」
「そういう物も全部!」
彼女は言葉を続ける。
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:07:56.17 ID:I9OmqLYR0
「でも……冷静に考えてみれば……そんな物は居ないのかもしれません
UFOは誰かの悪ふざけかもしれないし、ビックフットだって着ぐるみかもしれません」

「でも……私は思うんです!きっと信じている方が楽しいんだって!」

「初めからそんなものは無いんだ! って否定して傷つかずに済むのも良いと思います!
と言うかそっちの方が賢いと思います! 傷つくのは誰だって嫌ですから」

「でも私はアホの子なのでそんなの知りません! 痛い目にあったり否定されたり、
たまに落ち込んだりしても、信じ続けてればきっと素敵な出来事や出会いが私の未来にはあると思うんです!」
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:08:41.15 ID:I9OmqLYR0
「もしかしたらバッドエンドの物語がハッピーエンドに変わっちゃうような、そんな映画みたいな奇跡だって叶えられるかもしれません!」
「それに私とイツキさんが出会えたことだって、もしかしたら既に奇跡だったかもしれませんよ!」
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:09:06.69 ID:I9OmqLYR0
……何と言うか、俺には彼女の紡いだその言葉はあまりにも善政的でとても眩しくて、
まるで穢れだなんて何も知らない無垢な赤ん坊のように、あるいは清濁の全てを呑み込んで光も闇も
その全てを内包するような柔らかさだとか、大きさだとかそう言った物を感じさせた。

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:10:40.33 ID:I9OmqLYR0
 図書室には風が吹いた。夕焼けに全て溶けた昨日の涼しい風とは違う、とても暖かい風が。
風は、俺が誰にも知られたくなくて、自分自身にも知られたくなくて
必死に、必死に隠した心の在りかを馬鹿にして笑うみたいに、いとも簡単に通り過ぎて行った。
 
俺が彼女に心を惹かれていた理由が今なら分かる気がした。
多分俺たちは正反対にいる人間なのだ。

彼女が雲一つない快晴なら俺は土砂降りの豪雨。
彼女がハッピーエンドなら俺はバットエンド。
色なら彼女はオレンジ色で俺は水色。

だから俺は彼女に強く憧れていた。俺が持っていない、俺が要らないからと言って切り捨てたその全てを持っていた。
そんな彼女に憧れて、羨ましくて、愛しくて仕方がなかったのだと、俺にはどうしようもなく思えた。

自分自身にすら嘘をつくのはもう辞めようと思えた。飾らない言葉で表そう。

俺は彼女の事が好きだった。この気持ちが恋でないなら辞書に恋と言う言葉は無いと言えるぐらいに。

45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 00:20:03.19 ID:I9OmqLYR0
後半は明日投下します
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:34:58.65 ID:I9OmqLYR0
6.七月


その日からの数週間。
詰まる所、その月は俺にとって間違いなく人生で一番楽しい七月だった。
何をやるにしても楽しくて、放課後がひたすらに待ち遠しくて仕方がなくて、授業なんか全部聞こえずにうわの空で、
そうやって浮かれてる自分が笑ってしまえるぐらいに気持ち悪くて、何だかそんな事が俺にとっては凄く楽しかった。

47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:35:56.48 ID:I9OmqLYR0
「ユッコは期末どうだった」
「あーまぁ……ボチボチって感じですね」
「俺も実はそんな感じ……」
「英語ヤバくなかったですか……? 長文のとことか特に」
「俺はそれより世界史がヤバかったな……何だよ前漢、後漢って……中国は中国だろ」
「お互いヤバかった感じですね……点数を見せあうのは辞めときましょうか」
「だな……」

 そう言う苦い体験だとか。
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:36:37.04 ID:I9OmqLYR0

「今日は雨か……俺あんまり雨好きじゃないんだよね」
「大丈夫ですよ! 止まない雨なんてありませんから!」
「んーでもなぁ」
「大丈夫です!それに雨が降った後の夕日は綺麗って言うじゃないですか!」

だとか。

「実は今度東京の方に行くんです! 何か欲しい物とかってありますか」
「んー東京土産かぁ……特に欲しいものはないかな」
「出ましたね! 特になし! そんな事言ってると女の子に嫌われちゃいますよ!」

 そう言う日常の何でもない一瞬までもが、彼女と知り合う前までのモノクロの世界とは違った、鮮やかな色のカラーの世界に見えた
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:37:58.57 ID:I9OmqLYR0
「めちゃくちゃ暑いな」
「お前が言うと余計に蒸し暑く感じるんだけど」

綺麗に舗装されたアスファルトを足に付けて歩く。
ユッコはその日何か用事があるらしく図書室に来るのが遅れると言っていたから、
別に図書室に残っても良かったのだけれど何か彼女に対して含みを持たせてしまうと思えたから、
藤井と共にその帰路を歩いていた。

思い返してみれば最近はずっと図書室に残っていたから
まだ日が昇っている時間に帰るのは久々に思えたし、藤井と帰るのも久しぶりに思えた。
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:38:35.28 ID:I9OmqLYR0
「こんな日に限って最高気温とはな……」
「だからお前喋るな、蒸し暑く感じるんだって」
「それにしても暑いな……」
「だから喋んなって……」

 そんな事を言いながら、本格的に到来した夏の暑さに己の身を焼かれて悶えていた。
初夏とは違う一切に容赦のない日照りが、俺らを苦しめてやろうとギラギラ照らしている。

「そう言えばお前ユッコとはどうなんだ、もうやる事はやったか?」
 だから尚更だけど、その藤井の発言はあまりにも唐突すぎたのと、何でこいつが知ってるんだってダブルパンチで死ぬほど俺を驚かせた。
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:39:35.35 ID:I9OmqLYR0
「あ、何の話?」
 あくまで冷静を装いつつ答える。大丈夫まだ問題はない。

「とぼけんなよ、最近のお前の浮かれ具合は傍から見ても異常だぞ」
「いやだからって何でユッコに繋がるんだよ、おかしいだろ」
「この前と言うか二カ月前ぐらいだったか忘れたけど、ユッコの事が気になってるってお前自分の口で言ってたろ」

もし俺がクイズ大会か何かで藤井の長所と短所を答えろって問題に出会ったなら
俺は即答で「女好き!」だとか「無駄なガタイの良さが気持ち悪い!」だとか、そう言った短所を連続で答えてから
さんざん悩んだ挙句に「物覚えが無駄に良い」って長所を渋々答えるだろう。

とにかく藤井は無駄にこういう事を覚えられるタイプだった。
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:40:21.38 ID:I9OmqLYR0
「あー確かに言ったかもしれないけど別に俺らはそんなんじゃねぇよ」
「で、どこまでやったんだ、キスはどっちをした」
「だから俺らはそんなんじゃねぇって、少し話せるぐらいの友達だよ」
「それはいわゆるあれか、大人の関係ってやつか」
「別に付き合ってもねぇし、そういうやつでもねぇよ! 特になんもない! ただの友達」

 そう俺らはただの友達だった。
俺からの気持ちはともかく彼女から見た俺は恐らく大多数の友達の一人に過ぎないのだと思う。
自分で言っておいて何だか悲しくなってきた
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:40:50.87 ID:I9OmqLYR0
「告白は?」
「してねぇよ」
「する予定は」
「ねぇよ」
「もたもたしてると知らん奴に取られるぞ」
「知るかよ」

 太陽は俺らをあざ笑うみたいにギラギラと嫌味ったらしく照らしている。
滝のように流れ出る汗は、恐らく暑さのせいだけで無いことは俺にも何となく分かっていた。
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:41:24.25 ID:I9OmqLYR0
正直な話をすると告白を考えてみたことが無い訳では無かった。
彼女と今より進んだ関係になれれば俺の人生はもっと幸せになれると思う。
一日が楽しすぎてきっと二十四時間が数秒程度にも考えられると思う。
でも、だからこそ、この関係を壊してしまうのが何より怖かった。

今のこの幸せは俺らが友達であって恋人同士ではない『超能力同好会』の部員同士って名目上の上に成り立っている。
それを俺が気にせずに彼女に告白して、もし振られてしまったら今のような関係には二度と戻れないだろうという事は分かっていた。
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:42:28.76 ID:I9OmqLYR0
「もし告白して振られた時の事を考えてるなら、それはお門違いだぞ」
藤井はそう言って言葉を続ける。

「前にも言ったけどな、ユッコってめちゃくちゃライバル多いんだぞ、容姿に限って言えばミス一位なんて余裕なレベルだしな」
「だから外面しか見てないカス共に告られる可能もゼロじゃない、想像してみろよ。
お前のユッコが急に名前も知らないチャラそうなサッカー部の先輩と付き合った時の事
そしたらお前はその時になって初めて後悔するんだよな。
「あぁ告白しておけば良かったなぁ」って」

「と言うか、たぶんお前は告白したら元の関係には戻れないんだろうとか、ユッコに嫌われるのが怖いだとか、
そういう事を思ってるんだろうけど、お前の知ってるユッコはそれぐらいで人を嫌いになるか?」

 ここまで恐らく十秒程度。
言いたいことを言いきったのか藤井は満足げな顔をしている。
一方の俺はというと正論でぼこぼこに殴られてどうしようもなくなっていた。

56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:43:18.59 ID:I9OmqLYR0
でも確かにそうだ。もし彼女が他の俺の知らない有象無象共とくっついたら?
考えてるだけで嫌な気分になる。それにそうだ。ユッコは多分俺が告白したぐらいじゃ俺の事は嫌いにはならないで居てくれるだろう。
それはこの数カ月の俺らの親交が何よりも深く示してくれている。

「まぁ、お前にしては参考になったわ、さんきゅ」
 藤井に適当に礼を言ってから後ろを向く。今なら彼女はまだ学校に居ると、どこか確信めいた物を感じた。
彼女に言わせれば、これがサイキックパワーってやつなのかもしれない。根拠は無いけれどそう思う。

「頑張れよ、あとお前にしては余計だけどな」
「それを言うなら俺だって、まさか彼女が出来たことないお前にアドバイスされるとは思わなかったな」
「は、馬鹿かお前、さっきのアドバイスは彼女が出来なくても、告白しまくって場数をこなしてる俺だから言える言葉だぞ」

 この言葉は俺の覚えてる限りの藤井の言葉の中で一番説得力が高い言葉だった。

57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:44:08.45 ID:I9OmqLYR0
それから俺は帰路とは逆方向に学校へ、彼女のもとへ向かって全力で走った。
クラスメイトに見られたらアイツは変な奴だと思われるだろう、でもそんな事は関係なかった。
ただ彼女に会いたい。告白して振られたって良い。
とにかく俺は彼女にどうしようもなく好きなんだと、お前が好きなんだと伝えたかった。
汗ばむ制服も見下ろす太陽も、その全てがその瞬間だけは俺のためのエキストラだと思えた。

 校門を抜けて、旧校舎の玄関を開けて、階段を昇り、廊下を駆け抜ける。
その頃にはもう俺の足はパンパンで心臓は痛いぐらいに跳ねていた。
焦る気持ちを抑えて、ゆっくりとそのドアを開ける。
彼女は奥の方に一人何をするわけでもなくそこに立っていた。

「よぉユッコ」
 高鳴る心臓を抑えて彼女に声をかける。
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:44:46.45 ID:I9OmqLYR0
「あれ?イツキさんどうしたんですか慌てて」
 入ってきた俺に気づいたのか、彼女は小走りでこちらに近寄る。

「凄い汗ですけど大丈夫ですか?」
「あぁ……それは大丈夫……それよりユッコに言いたいことがあるんだ」
 上がった息を整えて彼女の目の前に立つ。彼女の栗色の大きな瞳は俺の全てを見透かしているように
そんな風に思えた。

「実は私もイツキさんに伝えたいことがあるんです」
 彼女もまた俺の前に立って、俺が何を考えているんだかを見通すみたいに、その瞳を見ていた。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:45:35.87 ID:I9OmqLYR0
「どっちが先に言いましょうか」
「じゃあジャンケンとかってのは?」
 その方法を提案したのは俺だった。もっとも順番なんてどうでも良かったけれど。

「いいですね、じゃあ勝った方が先に言うってことにしましょうか」
「じゃあそれで、先に言っておくけどお前にだけは負けないからな」
「ふふふ……私も望むところです! では!」
「「さいしょはぐーじゃんけん……!」」

 拳を振り下ろして下げる。日本人なら誰でも知っているそのゲーム。
幼いころから何度も、こうやって物事を決めるときに使ってきた。

それすらも彼女と一緒なら楽しいと思えた。
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:46:40.79 ID:I9OmqLYR0
「……」
 俺は拳を丸めたその形グーを出した。彼女はその小さな手のひらを広げたパー。
じゃんけんは彼女の勝ちだった。

「あっちゃー負けたか」
「ふふふ……見ましたか! これがサイキックパワーです!」

 彼女はそんな自分の勝ちを誇るように天井に向かってパーを突き出している。
彼女の笑顔はとても眩しく思えた。

「じゃあユッコから話どうぞ」
 そう言って彼女の方へ向き直す。
「はい! では! あ、イツキさんビックリしすぎて倒れても知りませんよ」
「分かった、分かったから」
「はい……では! ごほん!」

彼女はそう言って大きく咳払いをしてから言葉を続ける。
彼女の口が開く。一語。一語ずつ言葉を繋げて。

61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:47:52.44 ID:I9OmqLYR0
 俺があの頃の事を思い出すとき、記憶の中でそれはいつも映画のような物として再生される。

俺は映画館に居る。両手には何も持っていない。ポップコーンもドリンクもチュロスも何も。
当然だけど周りには誰も居ない、俺の隣の席にも、この映画館にも。
ただポツンと一人でその大きなモニターの前に立っている。

映画の前半は凄く退屈でつまらなかった。

一人の男が好きな女の子に「あぁでもない、こうでもない」
そう言って自分の心に嘘をついて左右往生する酷くありふれた陳腐な物語。
終盤になって主人公の男が自分の気持ちをやっと理解してから彼女のもとに向かって走り
想いを伝えようとするシーン。そこで観客はやっと物語が佳境に入って面白くなったなと思う。
でもそれは結局違う。
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:48:49.32 ID:I9OmqLYR0
もし俺の人生の監督を務めた神様とか言う奴が本当にいるなら
そいつはバットエンドが好きな性格の悪い奴なのだと思う。

そいつは「好きな映画は? 」と聞かれたらミストだとか、バタフライエフェクトだとかって答えるだろう。
だから神様が俺の人生の監督なら、それは最初からバットエンドのオチの付いた映画なのだ。

どれだけ楽しい事があっても、どれだけ愛しい人がいても
それはただのバットエンドの引き立て役にしかならないのだと、俺にはそう強く思えた。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:50:14.53 ID:I9OmqLYR0
「実は私アイドルになったんです!」
 彼女はそう言って、陽だまりに溶けるような、見るもの全てを楽しくさせるような、そんな笑顔を浮かべた。

 一秒。理解できない、二秒。理解できない、三秒。理解したくない。
体の全身がそれを拒んでいる。
「驚かれるのも無理はないですよね……実はこの前、東京に行くって言ったじゃないですか
実はあれオーディションを受けに行ってたんです。それで昨日の夜に合格通知が届いてて……凄く嬉しくって
……それで唐突なんですけど二学期からは東京の方に引っ越すことになりました!
寂しくないと言ってしまうとそれは嘘になってしまうんですけど
……でも夢だったんです! 私もテレビのあの子たちみたいに皆を笑顔にしたいって!」
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:51:28.68 ID:I9OmqLYR0
その瞬間に限って言えば俺は彼女の言葉を聞きたくなかった。
今すぐ耳を塞いでこの場から逃げ出してしまいたかった。
あるいは俺は家のベッドに横たわって「あぁ変な夢だったな」ってそんな事になってほしいと思えた。

「今はまだへっぽこだし何も分からないけれど……それでも私はアイドルとしてステージに立ちたいって……そう思うんです!」
「だからイツキさん……応援してくれませんか? 私の事を……」

彼女はそう言って力強くだけれど少し弱弱しく笑った。
彼女のそんな笑顔を見るのは初めてだった。
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:52:16.27 ID:I9OmqLYR0
その瞬間に俺は彼女の事を結局何も知らなかったのだと気づいた。
彼女が好きな食べ物は? 好きな映画は? 将来の夢は? 何も分からなかった。
俺は彼女を自分の価値観の中に押し込んで今まで物事を考えていたのだ。
ステレオタイプみたいに彼女はアホだから。サイキッカーだから。

そういう分かりやすい指標だけで彼女の事を理解した気になって、あまつさえ付き合えたらどうだ?
吐き気がする。気持ち悪くて仕方がない
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:52:49.80 ID:I9OmqLYR0
 ゆっくりと口を広げて一瞬ためらう。その言葉は呪いだ。
その言葉を彼女に伝えてしまったら俺はもう彼女に想いを伝えることは出来ないだろう。
そんな事は分かり切っていた。

でも、それでもこの物語がバットエンドだとしても
彼女の行き先はハッピーエンドであってほしいと俺にはどうしようもなく思えた。

 もう一度、口を広げて丁寧にその言葉をなぞる。
「うん、応援してるよ」
 俺ははち切れんばかりの笑顔でそう答えた。
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:53:45.48 ID:I9OmqLYR0
7.


 映画はここで終わり。
この後に続くのは真っ暗な画面のエンドロール。
NGシーンが流れるわけでもなければ続編を匂わせる描写があるわけでもない。

だから、ここから先はただの蛇足だ。
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:54:46.75 ID:I9OmqLYR0
それからしばらくして彼女は東京へ転校していった。
俺はあの日、彼女にその言葉を伝えてから何もやる気が起きなくて、痛みだとか、辛さだとか。
そういう物も何も感じられなくて、自分の心に嘘をつくのも何も思わなくて

だから彼女が東京へ転校していく、その最後の日にも俺は彼女に会わなかった。

 俺らが二年になる頃に彼女は一躍有名人になった。
バラエティを賑わせるサイキックアイドルとしてお茶の間を彩って、その知名度を上げていた。
彼女が有名になるほど、相対的に俺らの高校でもファンは増えて行った。
それどころか地域を挙げて、アイドル堀裕子生誕の地みたいな宣伝をあげて
そう言う物が増えるたびに彼女がもう手の届かない所まで行ってしまったのだという事を痛感して
失ってしまった心のピースを探し続けた。
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:55:50.84 ID:I9OmqLYR0
一度だけ彼女からチケットをもらった事がある。
三年の夏の頃だったか「エスパーユッコ」の名義でチケットと手紙が届いていた。
その手紙には東京でも案外楽しくやれている事と信頼できる人に出会えた事
ソロライブを出来るぐらいにまでなった事。
それとあの時、応援してくれてありがとうと書かれたライブのチケットが入っていた。

それから俺はしばらくその手紙を見て、チケットを破って一緒に捨てた。
その時、俺には失ってしまったはずの心の一部分がどうしようもなく痛くて仕方がなくて一人、部屋で嘔吐いた。
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:56:29.32 ID:I9OmqLYR0
 大学生になって初めて彼女が出来た。栗色の大きな瞳を持った彼女だった。
何気なく入った映像サークルで初めて出来た後輩だった。それなりの恋をした。
それなりの事をして、お互いに愛を確かめ合った。
でもその彼女は「先輩はきっと私じゃなくて、私を通した誰かを愛しているんです」
と言って俺のもとを去って行った。

社会人になって適当に入社した会社で出会った
小さなポニーテールを揺らす彼女もまた同じような事を言って離れて行った。

71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:57:59.01 ID:I9OmqLYR0
 偶然テレビで彼女のライブ振り返りを見た事もある。
そこに映る彼女は記憶の中の彼女より少し大人びて見えて綺麗だった。それから彼女はファンに向かって感謝を述べた。
「ありがとうございます!」と。
その笑顔が俺の記憶の中のそれと全く同じものであることに気づいてから、また一人嘔吐いた。
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:58:48.17 ID:I9OmqLYR0
俺はときどき思う事がある。
あの日に、俺が告白していれば?
あの日に、俺がグーではなくチョキを出していれば?
あの日に、夕日に満たされた教室で俺が彼女に声をかけなければ?

答えは出ない。
でも俺はきっと
何万回人生を繰り返したって、何億回人生を繰り返したって。
あの日、あの教室で。

「何してんの?」
 って声をかけて、それから彼女に恋をするだろう。
何百万回も。何百億回だって。
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:59:24.82 ID:I9OmqLYR0
彼女は言っていた。
信じ続ければきっと素敵な出来事が待っているのだと。
ならば俺は彼女を信じよう。自分自身の事を見失って何も信じられなくても
彼女の事だけを信じ続けていよう。
彼女の行く末に幸あれと。

俺は強くそう思って一人少し泣いてから眠った。
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 15:59:56.21 ID:I9OmqLYR0











ここから先は未来
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:00:58.81 ID:I9OmqLYR0
雨の降る六月だった。
朝過ぎから降り続けていた雨は午後になってその勢いを強め
喧噪に塗れたその街を洗い流すように降り続けていた。

彼が居る映画館からは多くの人が見える。
雨に濡れながらも帰路を急ぐ者や、雨が降りやむまで適当に身を隠す者。その点において彼は後者だった。
仕事に向かう最中、突然の雨に降られてフラフラと誘われるように映画館へ入ったのが二時間前の出来事。

見たい映画なんてのも特になかったから一つだけ名前を聞いたことがあった青春映画を見ることにした。
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:01:46.54 ID:I9OmqLYR0
観客は彼一人。映画が始まっても聞こえるのはモニターのカタカタと無機質な音。それだけだった。

何と言うかその映画は言葉を選ばずに言うなら、普遍的で掴みどころのない物語だった。
主人公の少年は廃校間際の野球部で爛れた日々を送っていたが
不治の病で入院した幼馴染の女の子のために甲子園優勝を目指す。そんなあらすじ。

最終的に、主人公は甲子園で優勝を果たし、幼馴染の手術も成功して物語はハッピーエンドです。
ちゃんちゃん。ご都合主義も良いところの映画だと思えた。
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:02:54.38 ID:I9OmqLYR0
「見る映画を間違えたな」
一人呟いてみる。
その呟きは、この東京の街に降り注ぐ大雨にかき消されてどこへ行くわけでもなく消えて行った。

外はまだ大雨が降っている。当分の間は止みそうにない。
ふと思い出してポケットに入れていたスマホの電源を入れてみる。
着信履歴には会社からの大量の電話が入っていた。当然だ、何の言い訳もなしに無断欠勤したのだから。
仕事は嫌いではない。むしろそうやって激務に追われている方が自分の事を見つめなくて済んだ。

では何故この映画館に入ったのか? そう問われても彼自身にもその答えは分からなかった。
雨が降っていたから? 久しぶりに映画を見たかったら? それはどちらも違うように思えた。
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:03:22.45 ID:I9OmqLYR0
雨はやはり止みそうにない。今ならまだ腹痛で倒れていた言い訳が効く時間だろう。
意を決してその大雨の中に飛び込む。空から斑に降る豪雨は痛いぐらいに体を撃っている。
長くこの雨に撃たれていると体を壊してしまう。そう思えて水溜を踏む足を急かした。

その足も久しく走っていなかったからか、彼にはとても重く感じた。
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:04:08.02 ID:I9OmqLYR0
そうして少し走ってから信号に差し掛かった。
即座にボタンを押して一秒、一瞬を感じる。
向こうの信号機には家族連れが見えた。休日がこんな大雨の日になって可哀想だな。
そんな事を思って青色になった信号を渡る。肌着が水を吸って重い。
そうして、彼らがすれ違ってから一瞬目があった。

足を止めて後ろを振り返る。肩にかかった小さなポニーテールを揺らして走る後姿。

いま、彼女の名前を呼べば彼女は振り返ってくれる、そんな気がした。
記憶の中の彼女と変わらない、こんな大雨すら跳ね除けてしまいしまいそうな笑顔で、笑ってくれる気がした。
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:04:39.56 ID:I9OmqLYR0
信号の音がちくたくと点滅している。空からは大粒の雨が降り注いでいる。
東京の街に降る一年分の雨がこの瞬間のためだけに降っている。そんな突拍子もない事を思えた。

それから少し考えてゆっくりと前を向いた。
彼女に声をかけるのは辞めよう、彼女の物語にもう俺が関わるのは必要ない。

そう思えたから。再び足に力を入れた。
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:05:30.62 ID:I9OmqLYR0
その瞬間、強くズボンを引っ張られた気がした。
足を降ろしてゆっくり、ゆっくり振り向くとそこには小さな少女が
五、六歳に見える、栗色の大きな瞳を覗かせた少女がいた。

「おじさん!」
「これ!」
「お母さんがあの人に渡してって!」
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:06:09.72 ID:I9OmqLYR0
少女はそう言って、陽だまりに溶けてしまいそうな笑顔を浮かべて、手のひらに何かを握らせた。

「じゃあね!バイバーイ!」
 少女は信号機の向こう側で待つ両親の元に駆けて行く。
自分の声すら聞こえない程の豪雨の中でも、不思議と、その少女の声だけはハッキリと聞こえた気がした。

 その少女から貰った物を確認するのに手のひらを開く必要はなかった。
握りしめた拳からは銀色のスプーンがはみ出している。何の変哲もない先の割れたスプーンが。
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:06:53.99 ID:I9OmqLYR0
顔を上げて信号の向こう側を見る。
降り注ぐ豪雨は更に勢いを増して、ほんの先の一メートル程度も見れない程に強かった。
それでも、それでも。彼には、彼女は笑っているのだろうと。あの頃と変わらない笑顔で優しく笑っているのだと。
彼女に言わせれば、これがテレパシーってやつなのだと。根拠はないけど強く、強く思えた。 

そうして彼は、水溜を踏みしめて走って行く。
 
夏はもう、すぐそこにあった。
84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:07:31.25 ID:I9OmqLYR0
終わりです
ありがとうございました
85 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/06/24(木) 16:14:41.34 ID:I9OmqLYR0
タイトルのぴーぴーかんかんは映画業界で使用されていた用語で
「快晴」って意味らしいです
86 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/06/24(木) 18:44:56.92 ID:ubxzPR4F0
乙でした
ユッコでこういう切ないストーリーってのは珍しい
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