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【オリジナル】男「没落貴族ショタ奴隷を買ったwwww」
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232 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:03:56.56 ID:0Z7ce72e0
ん、トリップがおかしい?
233 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:06:56.19 ID:0Z7ce72e0
IDの通り、
>>231
も自分です
234 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:09:05.42 ID:0Z7ce72e0
男が姉の治療費と引き換えに、国のお偉方相手に商売を始めたのは数年前のことだ。
安全な水を幾度も幾度も売りさばき、その利益を自身の生活と姉の治療費に当てた。
それは役人が初めて施設へと訪れてから、およそひと月後には開始されていた。
この国は他国に比べれば、大気も水も汚染度が格段に低いものの、
正直に言ってしまえばどちらも健康を害するレベルであり、
こと水においては飲料には適しているとは言えないものであった。
お偉方は疾うの昔から『やや安全』な飲料水を飲んでいたにも関わらず、
『更に安全な水』があると知るや否や我も我もと男の下へと詰め掛けた。
かくして男は、国の中枢を握る男たちへとそれらを売りさばくことを、合法的に許可されるに至ったのだ。
利益の半分は所属していた研究所のもので、もう半分の半分は製造機の稼動に当てられ、残りは男のもの。
全体から見れば取り分は少ないように思えるが、男と姉の生活を保つには充分な資金が懐へと入ったのだ。
最初は順調そのものであった。
水の存在はお偉方の一部しか知らぬものであったし、
設計を知るのもメンテナンスを行えるのも男一人であったのだから、その身分はかなり優遇された。
だからこそ男自身の安全も保障されていたのだ。
だが悪いことはできぬものだ。
水の存在が口伝えで広がりを見せ、庶民にまでその存在が知られることとなるまでにそう時間は掛からなかった。
まず水を巡って暴動が起きた。国は当然ながら、その暴動を終息させようと動いたわけだが、
しかし事態は収まらず、ついには男を捕らえ、拷問を加え、抽出量を増やすよう設計に変更を加えさせたのだ。
男は当初、頑なに抽出量を増やそうとしなかったため、拷問は長引いた。
ついに根を上げ了承することとなるのだが、そもそもの間違いはこの了承にあったのかもしれないと
男は後々後悔することとなる。
235 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:10:34.62 ID:0Z7ce72e0
クオリティの低い水、つまり多少の汚染物が含まれるものでも良しとするならば、
一日の水の製造は五百トンにまで増やすことができる。
それでも今国民が日常的に口にしている飲み水よりも、汚染度がかなり低い値なのだ。
抽出量の変更について報道が為されたころより、暴動は治まりを見せ始めた。
それを見計らうようにして、国は男に、全国に三百機もの製造機を作らせることを約束させた。
即ち、一日一リットルが一人頭の摂取量と計算して、
一億五千万人分の飲料水が一日あたり製造される計算だ。
大日本帝国の現在の人口は一億二千万人であるから、約三千万人分の『遊び』が生まれる計算である。
遊び部分がどうなるかなど、言うまでもない。
国は、それらを当然のように、外国のありとあらゆる軍へと高値で売ったのだった。
それからは戦争へとまっしぐらである。いや、正確に言うならば、各国はこの国に対してなにもしなかった。
そんな世界に対して怒りを抱く者たちがこの国を襲ったのだ。それがのちの無国籍軍である。
男は選択を誤ったのだろう。『安全な水』の製造は、秘匿しておくべきものだったのだ。
やがて戦争が始まると、国民の怒りの矛先は水を生み出した男へと向かった。
男の生み出した水を口にして喉を潤すくせに、彼らは容赦なく男を責めたてた。
勝手なものだ。与えられるものは握って離さないくせに、
それとこれとは別問題だと開き直って男を犯罪者扱いするのだ。
勝手なものだ。実に勝手なものだ。
道を歩けば石を投げられ、時として殴られる。それが男の日常となった。
男は、戦争に借り出されてはいないものの、今や正真正銘の戦犯となったのだった。
236 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:16:02.46 ID:0Z7ce72e0
男はわが子を腕に抱き、周囲をそわそわと見回した。
そして本当にここでいいのだろうかと、その朽ちかけのあばら家を困惑の面持ちで眺め続ける。
家屋をぐるりと囲うのは、家屋よりも背丈の高い鉄格子だ。格子だけがやけに立派で、
その内側に置かれた家とは不釣合いと言っていいほどだった。
ここに旧知の仲である女が住んでいるのかどうか、とても怪しい。
もしかしたら男を憎む誰かの罠かもしれない、という疑いが頭も擡げたが、
今さら引き返すこともできない。
しかし、と考える。
周りに家なんてないからすぐに判ると旧友である女は言ったが、
如何せんこの家は『ボロ』が過ぎるのだ。
こんなところにあの一流の科学者――、
今や人体交換パーツの権威と呼ばれるあの女――、が住まっているとは、到底思えなかった。
ましてや先日電話越しでした会話によると、彼女自宅は実験室もかねているというのだから、
ここが彼女の住まいであるとはにわかに信じがたかったのだ。場所を間違えただろうか。
「お父さん……?」
舌足らずな声で子供が声を掛ける。小さな手が男の衣類をぎゅっと掴み、離すまいとしている。
「大丈夫」
安心させるように言うが、しかしこの短い言葉が、彼を安堵させるに至らなかったのは明白だろう。
幼い子供は、男の肩口に顔を埋め、外敵から自分を守るかのようにさらに体を丸めて見せた。
それにしても酷いボロ屋だ。
今時珍しい、壁までを木材で作られた平屋の日本家屋は、所々の窓にはヒビが入っており、
科学者が住んでいるとはとても思えぬ風体であった。
犯罪者やストリートチルドレンの闊歩するここは、所謂スラム街と呼ばれる場所で、
周囲には建物と呼べるかどうかさえ怪しい建築物、ゴミ、そして転がって干からびた人の死体以外は何もない。
廃れた街の廃れた風景は、物騒や厄介ごとを常に抱えている。
真っ当な人間ならば、こんな場所に幼児を連れてノコノコやって来たりはしないだろう。
男は尻のポケットを撫で、その固い感触に身震いをする。
遠き日の遺産とも言うべき、リボルバー式の拳銃。護身用に入手したものであったが、
幸運にも使う機会には恵まれず目的地へと到達することができた。これからも使わずに済めばいいのだが。
そんなことを考えながら、男は恐る恐るインターホンを押した。
237 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:17:37.93 ID:0Z7ce72e0
『はい』
ボタンをプッシュしてから十秒も待たずに、スピーカーから女の声が聞こえてきた。
それは確かに知った声であり、男はその事実にひどく安堵した。
「俺だ。今ついた」
『ああ、アンタね。待ってたわ。今扉を開ける。侵入しようとしてくる輩がいたら、
"それ"で撃ち殺すのよ。いいわね?』
物騒なことを平然と言ってのける女に顔を顰めつつも、
しかし男は警戒を解かずに周りをキョロキョロと見回したのち、
鉄格子に設けられた鉄扉が開くと、素早くその体を庭先へと滑り込ませ、
オートロックのその扉を勢いよく閉めた。
鉄扉から玄関までは差して距離はない。メートルにして十と言うところか。
男は乾いた薄黄色砂を踏みしめて玄関へと歩を進めた。
辿り付いた――、男がそう思った瞬間に横開きの扉が開き、
スッとした鼻梁の、目鼻立ちのハッキリした女が顔を覗かせてきた。
文句なしの美人だ。だがもう十数年前にはいやと言うほど観察した顔に、今さら然したる感嘆はない。
単に、久しぶりだと思っただけだ。大学時代の友人など、そんなものだろう。
Webカメラで顔を見ることは頻繁にあったが、実際に対面するのは実に数年ぶりだ。
女は口に加えた煙草を指先で摘むと「待ってたわ」と言ったのちに、それを庭先に放って捨てた。
「入って」
「ああ」
女に言われて男は家屋に足を踏み入れると、男はまず最初に違和感を覚えた。
土間が土間ではなく、大判の大理石が敷き詰められていたからだ。
それから何の気なしに数メートル先の天井を見上げ、男は思わず口をあんぐりと開けることとなる。
点在するカメラは自動発砲機つきのものだった。
「これで顔を登録して頂戴」
女は掌に収まるサイズのタブレット型端末を男に差し出した。どうやら情報取得端末の類ではなく、
情報登録の為の端末のようだ。
つまり、男と子供の顔を、その端末に登録しろと言うことだ。
「カメラを起動させて顔を映すだけ。
そうしたら、アンタと息子の顔はうちのセキュリティに登録されるわ」
――大丈夫、今はセキュリティを切ってあるの。
女はそう言いながら端末を差し出した。
238 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:22:25.21 ID:0Z7ce72e0
確かにカメラは止まったまま動く気配はない。
この手のカメラは通常、始終左右を、或いは上下を観察して忙しなく動いているものだ。
男は言われた通りにスリープ状態の端末を起こし、自身の顔を画面に映し出す。
画面に『登録完了』の赤い文字が表示されたのを確認すると、
事態を飲み込めていない息子の顔も撮影する。
同じく画面に四文字の感じが浮かび上がったのを男が確認するよりも早く、
女は端末を男の手から取り上げ、
そして「セキュリティ起動」と凛とした声で、はっきりと発音をしたのだった。
ブン、と言う僅かな起動音が聞こえたその瞬間に、数台のカメラは男と息子、
そして家主たる女の顔までをも凝視するかのように観察を開始する。
その間およそ数秒だ。登録情報と顔を照らし合わせた結果、
三人が『外敵』ではないと判断したのだろう、カメラたちは忙しなく、
セキュリティカメラ然とした態度で動き始めたのだった。
「外観と中身はだいぶ違うんだな」
「ああ、内側はセキュリティを強化してあるのよ。物騒でしょ、このあたり」
確かに女一人で住むには些か厳しい環境であろう。
しかし男が訝しんでいるのはそのことではない。
外観はあばら家のまま、だがその周囲をぐると『判りやすく』鉄格子で覆い、
そしてセキュリティをわざわざ強化していることに引っかかりを覚えるのだ。
「なんで……、」
問いかけようとしたところで、男は口をつぐんだ。
いいたくないような事情があるのかもしれない。
この旧友は貴族なのだ。そして、所謂妾腹の子でもある。
もしかしたら、家の事情――、それも実にくだらない身内同士の諍いによって、
こんな場所に閉じ込められているのかもしれない。そんなことを考えたのだ。
その手の問題は、なにも珍しい話ではない。
「なぁに?」
いや、と男は考える。
そもそも『その手の問題』と言うもの自体が男の憶測であるかもしれないし、
この天才科学者――、と言えば聞こえがいいが、
実のところこの女は『変人』と呼ばれる類の人間であったし、
好き好んでこんな場所に住んでいるだけかもしれない。
様々な面倒な話を避けるべく、男は「なんでもない」と短く返事をしたのだった。
239 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:23:22.11 ID:0Z7ce72e0
「ろぼっと」
「え?」
不意に息子が言葉を紡いだ。
男が頭を駆け巡る些細な疑問に気をとられている間、
息子は物珍しそうにあちこちを観察していたようで、
目の前に見えたその珍しいものに対してそう短く発音し指差して見せた。
丸い指が指し示すその先では、廊下に点在する照明が明滅を繰り返していた。
どうやらセンサーが内蔵された照明のようで、『それ』が通り過ぎる都度、
光りが点いたり消えたりを繰り返しているようだ。
「ああ、アンドロイドって言うんだよ」
人の形を模した、しかし足の代わりに車輪が取りつけられた、
その奇妙な機体の正しい名称を男は教えてやった。
廊下のはるか遠くに見える突き当りから、数台のアンドロイドが行き来を繰り返している。
きっとこのアンドロイドは愛玩用ではなく警備用だ。
例えば、男が今ここで銃を抜いたとしたら、
彼らは主人である女を守るべく警告を始めることであろう。
「さ、あがって」
「ああ」
お邪魔します、と一言告げて土間から一段上のリノリウムに上がるべく靴を脱ごうとすると、
女は「ああ、土足でいいわ」と制してきた。
「土足でいいのか」
「スリッパじゃ、いざって時に逃げられないでしょ」
「ああ……」
それだけこの地域は危険だということだろう。
240 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:25:02.91 ID:0Z7ce72e0
子供の順応は早い。
父から許可が出た今、なにも臆することはないと言わんばかりに廊下を闊歩している。
「……可愛いわね。結婚したなんて、最近知ったわ」
「……まあね」
男は言葉を濁して微笑んで見せた。
「そういえばお姉さんはどうしてらっしゃるの?」
姉が死んだのは、一年前のことだ。
三年前まではそれなりに呼吸も健全に保たれていたが、症状が急速に悪化したのが二年前。
男が憲兵に任意同行を命ぜられている間に亡くなったようだった。
男は戦慄く唇を開き、「亡くなった」と答えるのが精一杯だった。
もしも男がそばに居たのなら、彼女はまだ生きていたかもしれない。
いや、だが――。
それは、有り得ないのかもしれない。
男は、鬼の形相を取った姉の死に顔を思い浮かべた。
醜く歪んだ顔から、その死が決して穏やかでなかったことは安易に知れる。
そこまで他人に話す必要はないだろう。男はもう一度「亡くなったんだ」と短く告げた。
「気の毒に。私知らなかったから、お葬式にも行けなかったわ」
眉を顰めた女に、男は首を振る。
「葬式はやってないから」
「……そう」
女はそれ以上は言わず、こっちよ、と家を案内した。
深く追求してこない気遣いが嬉しかった。
「ここまで来るの大変だったでしょ」
「地下道を通ってきた」
廊下をキュッキュと言う音を立てて進んでいく。
その道中、いくつかメタルカラーの扉があったが、どれも入り口に網膜スキャンが設けられ、
簡単には立ち入ることができぬように処置されていた。
セキュリティレベルがどの程度なのかは判らないが、
一般の家屋にしては厳重な方だろう。
「急に連絡を寄越したから、驚いたよ」
「アンタのことが心配だったのよ。優秀な科学者が――、戦犯扱いなんて納得できないもの」
「……まさか俺もこんなことになるとは思わなかったよ」
男は白髪の随分増えてしまった頭をかき回しながら溜息を吐いた。
241 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:28:31.53 ID:0Z7ce72e0
「酷い顔」
女は小さく呟き、男の顔へと手を伸ばした。冷たい指先が頬に触れ、男は顔を顰める。
「ごめんなさい、痛かった?」
「少し」
男の顔には、無数の傷があった。拷問された跡だ。
それに幾度かの殴打のおかげで、顔も相当に歪んでいる。
やはり目立つのだろうな、と男はなにも答えずに苦笑した。
痛むのは、近頃道端で暴漢に襲われたものだが、敢えて口にしなかった。
拷問の際に作られた怪我は、もう殆ど癒えている。
だが、歪んでしまった骨までは自然に治ることはなかったのだ。
適性な処置をしたのなら、或いは元に戻ったかも知れぬが、男はその一切を拒否したのだった。
何せ金がない。
そんなものに金を使うのなら、息子に少しでもいいものを食べさせてやりたかったのだ。
と、女が立ち止まり、ふいにもう一度「ごめんなさい」と言った。
「なにが」
「恥ずかしいわ。同じ貴族として」
「君の所為ではない」
「でも、アンタにこんなことをしたのは、間違いなく私と同じ貴族よ。
憲兵には貴族しかなれないもの。この戦時下、彼らは戦地にも赴かずにいるのよ。
情けない話だわ……、本当にごめんなさい」
「やめてくれ」
男は掌を女へと向け、もう一度「もうよしてくれ」と制止の言葉を紡いだ。
「君が俺に何かをしたわけではない」
242 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:30:46.54 ID:0Z7ce72e0
男は全てを奪われた。酷い暴力も振られたし、財産まで巻き上げられた。
確かに男は世界の全てが憎かった。特に憎いのは国の中枢を握る貴族たちだ。
男もとんでもないものを作ってしまったかもしれないが、
最初から、この技術を悪用せんとしていたお偉方も同罪ではないのだろうか。
自分たちが美味しい思いをしたのち、分が悪くなれば今度は大量に生産させ、
それが落ち着きを見せれば、頃合を見計らって国外に水を売りさばき、
その見返りとして様々な物品を手に入れている。
一体どちらが悪であろうか。姉の為と甘んじていた男だけが悪いのだろうか。
そう幾度も考えたが、責めるべきは今目の前に居る女でないのは確かだ。
貴族と言うくくりで全てを捉えて憎むほど、男は愚かしくはない。
「……君の所為では、ないよ」
それに、と付け加える。
「実験に付き合えば、俺たちを匿ってくれると君は言った。
どこに行っても石を投げられるから、その申し出はありがたい」
だから気にしないでくれと告げれば、女はやっと曇っていた表情を明るく微笑ませてくれた。
少し前の男ならば、突っぱねた申し出かもしれない。
だが、男には協力してくれる人間はもう僅かにしか残されていない。
特に息子のこととなれば、戦犯の子どもなど誰も引き取ってはくれまい。
男は自分に万が一のことがあった場合を考え、女をよすがにここまでやってきたのだ。
243 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:34:13.48 ID:0Z7ce72e0
「いいのよ。アンタが実験に協力してくれるのなら、例えアンタになにかあっても
絶対にこの子だけは守ってあげる」
「……ありがとう」
もう自分の命などどうでもよかった。ただひとつ、息子の命さえ安全ならば。
男が死守したいものなど、もう彼の命しかない。あとひとつあるとすればそれは。
「結局設計図は教えなかったの?」
そう、設計図くらいだろう。
「ああ。教えていない。全部俺の頭の中だ」
「そう。それが賢明だわ」
製造機の設計図だけは、男は絶対に口を割らなかった。
同じ能力を有する機体であっても、それらはパズルのピースのように、
形も、組み立て順も異なっている。三百機すべてが、中身の設計はバラバラなのだ。
「よく死守できたわね」
「死ぬと脅した」
リノリウムの床を踏みしめ、
物珍しげにそこら中をキョロキョロと見回しつつ先を行く息子に視線を落とし、
そして声を潜めてそう小さく呟く。
どれほどの効果があるか判らぬ子供っぽい脅しであったそれは、思いの外効果覿面で、
男はなんとか自身の命と息子の命、そして製造機の設計を死守することに成功したのだ。
「俺がいなくてはあれは組み立てることも分解することもできない。
爆弾と同じだ。どこかひとつでも分解の順番を間違えれば即座に壊れる」
男が生き残ったのは、皮肉にも製造機の存在があったからなのだ。
この機械を失うことを、国は良しとしなかった。
「しくみは?」
「サージ電流」
なるほどね、と女は頷いた。
「手順を誤ると電流が逆流するのね」
「そして燃え尽きる」
片頬を上げるようにして男は笑った。
244 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:35:23.20 ID:0Z7ce72e0
汚染物質をろ過するフィルタとて、一般に想像されるただの漉し器ではない。
電流を流すことによって初めて有害物質をブロックすることが適う精密機器なのだ。
国は男の作ったもの全てをどうにかしてモノにしたいと考えているようであるが、
果たしてそれが可能な人間はいるのだろうか。
よしんば分解ができたとしても、
その先に待つのは英数字を組み合わせた四十桁にも及ぶパスワード入力画面だ。
ブラックボックスたるフィルタの仕組みは、最後の最後まで足掻いて死守してみせるつもりだ。
尤も、そこまでたどり着ける人間がいるとは到底思えぬが、
念には念を入れて男は製造機を設計したのだった。
機械を作るにあたりパーツの鋳造に尽力してくれた幼馴染――、
アンドロイドを作っている会社の娘だ。実際にパーツを作ったのは、
彼女の家で働くアンドロイドだが――、とて、
それぞれ三百機分をランダムに発注されたそれらからは、
どこをどうすれば機体が出来上がるのかは判りはしないだろう。
組み立てを行ったのも同じく彼女の家から貸し出されたアンドロイドであったが、
彼らは作業用機器であり、記憶媒体を持たぬアンドロイドで、
組み立て専属の、どちらかと言うとロボットに近い単純な造りのモノであるから、
機密漏えいの心配もない。
245 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:38:08.23 ID:0Z7ce72e0
男が巨大な製造機の製造に当たってわざわざ幼馴染に会社を指定したのには理由があった。
あの会社が安全であるからだ。
日本中から男がバッシングを受ける中、幼馴染の一族は、
陰ながら男の味方に回ってくれた唯一の存在なのだ。
と言っても、望んで協力を申し出たわけではない。
アンドロイド製造業を営む翁は孫娘に酷く甘く、そんな彼女のお願いと言う名の脅迫めいた要求を、
翁は渋々受け入れたのだった。
『お爺様に貴方への全面協力と保護の約束を取り付けたわ』
笑顔でそう言った彼女は、だから心配しないで、と添えて
百体以上のアンドロイドを無償で男に貸し出してくれたのだ。
彼女に男を出し抜こうだとか、そういう意志は絶対にない。
男が子をもうけた今でも、男に対して恋心を抱いているのは知っていた。
卑怯といわれようが、その移ろい易く不安定な気持ちにすがるよりほかに
男には道は残されていなかったのだ。
――と言った具合に、そういう意味で会社を安全と見なしていたわけだが、
幼馴染の会社が比較的安全だと確信を持てる理由はあとひとつあるのだ。
それは、彼女の家が名門貴族として名を馳せる家であることに由来する。
貴族には『美徳』と言うか、下らぬプライドがあるらしく、
貴族同士を潰しあうことをよししない『習性』があったのだ。
男は貴族、それも名門貴族の手によって保護されている。
幼馴染の祖父は実業家であるが、しかしその親族には政治家やら官僚もちらほらといるのである。
貴族同士は潰しあえぬ。
そうとなれば、男を保護しているという理由で幼馴染の家が奇襲を掛けられることもないだろうし、
虐待したいがために男を引きずり出そうとするサディスティックな輩に手出しをされることもない。
アンドロイドは苦手だし、貴族も苦手であるが、強かにも男はそれらを利用し、
そして誰も死なないであろう方法を取ったのだった。
「これ以上誰も……」
死なせたくはなかった。
そのためには、貴族の協力を得ることが、男に唯一残された道だったのだ。
246 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:39:31.04 ID:0Z7ce72e0
案内された一室は、他の部屋とは異なりセキュリティが施されていなかった。
ソファやテレビが置かれ、そして区切り無く続く部屋にキッチンが見える。
女は二人をソファに座るよう促すと、自身はキッチンへと消えて行った。
「ところで、実験とはどんな実験だ?」
キッチンカウンターの向こうでなにやら作業をする女の背に向かって、男は声を掛けた。
匿ってもらう条件は『実験に付き合うこと』、ならばそれに協力せねばなるまい。
彼女の研究内容を鑑みれば不安が無いわけではなかったが、
男は自ら切り出し『約束通り協力はする』と言う姿勢を示した。
尤も、それがどんなに過酷な実験であったとしても、拷問ほどの厳しさはないだろう。
男はどんな実験にでも付き合うつもりでいた。
ところが女は口を開かない。
相変わらずカウンターの中でなにやら作業を繰り返しているようだが、返答はなかった。
「おい?」
不審に思い問いかけると、女は観念したような顔で振り返り、そしてこう告げたのだ。
「頭を開かせて欲しいの」
今度は男が黙る番だった。
男も、女がなんの研究をしているのか知っていた。
「開頭か……」
男は辛うじてそう口を開いたが、紡ぐ言葉はもうない。
覚悟をしていたとは言え、はっきりとそう告げられると即座に了承することはできなかった。
そうだよな、と男は考える。それしか有り得ないだろう、と。
247 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:41:00.20 ID:0Z7ce72e0
女が患者の遺伝情報を丸々コピーした生体パーツを作り出す実験をしていることは知っていた。
例えばある患者が事故で親指を失ったとする。
女は失った親指の組織が『生きているうちに』その遺伝情報のすべてをコピーするのだ。
勿論、その指が『形を保っている』のならそのまま接合させるが、指が瀕死の重傷であった場合――、
例えば『グチャグチャで再建不可能』な場合、細胞から親指となる遺伝子を特定し、再現するのだ。
培養には時間がかかる。そこで、女は3Dプリンタでそれらの遺伝情報を元に指を再現――、
再建というべきだろうか――、する技術を開発したのだ。
材料は人の細胞を構成するものたち。カリウムだとか、リンやナトリウム、etc.そういうものを使っ
コピーした情報を再建していく。
ここまでは、既に女が数年前に完成させた医療技術である。
だが、彼女はその先を見ていた。
脳の『記憶』の復元と再建。それを追い求めていたのだ。
細胞記憶と言うものがSFの世界で扱われるようになって久しいが、
彼女はそれを長らくの間、追い求め続けいていた。
馬鹿げた疑似科学と笑う医者も多い中、
彼女は現実的な手法を用いてそれらを抽出することを目指していたのだった。
――と言うのが女からたびたび聞かせられた話で、
門外漢である男はどんな実験に自身が協力することとなるのかまでは知らない。
「できたのか? 記憶の再建」
「ある程度はね。新しいマイクロチップができたの」
「そうか」
「直接脳に埋め込めるレベルのものがやっとできたのよ」
つまり、最初に記憶を抽出するということだろう。
そのチップを埋め込む実験に、男は協力することになるに違いないと男は理解した。
頭を開くことに抵抗が無いわけではない。寧ろ多大な抵抗がある。
だが、息子の安全を保障してくれるというのなら――。
男は自身が実験台になることも致し方がないと感じる程度には切羽詰っていた。
自身の親類からも放り出され協力者も数少ない今、男の身に万が一のことがあった場合、
幼い息子を守ってくれる後ろ盾はなにもない。
248 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:42:39.54 ID:0Z7ce72e0
「だが、チップだけでは君の目指す『再建』には繋がらないだろ」
彼女の専門はあくまで『再建』だ。記憶の抽出だけでは物足りないはずである。
脳の物理的な再構築はとても難しく、
例えば脳を破壊された患者の脳を3Dプリンタで再現するには、多大な技術力が要される。
生きているニューロンネットワークを構築することが難しいのだ。
それに、それを再現できたとして、実験するのは不可能だ。人道的に許されないだろう。
「うん、だからね、私、決めたの」
女は湯気立つカップを持ってソファへと近づいてきた。
目の前に置かれたのは、コーヒーとホットミルクのようだ。男は促されるまま、息子にミルクを、
自身は火傷しそうに熱いその濃いコーヒーを啜った。
「なにを?」
カップから唇を話、そう問うと、女は口を大きく開けて笑った。
真っ白い歯が見える。何故かそれが不気味に感じられ、男は気取られぬ範囲で眉を顰めた。
「アンタの脳をスライスさせてもらうことに決めたの」
249 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:44:17.20 ID:0Z7ce72e0
あまりにもさらりと女が告げるものだから、男はその言葉の内容を危うく聞き落とすところだった。
「は……?」
男が漸く告げたのは、その一言だけである。とんでもない言葉を紡がれたようだが、
左から右へと耳が音を素通りさせていたように感じられる。
「脳みそと神経系を凍結するの。
そのあと、最新のレーザーで物凄く小さく小さくスライスするのよ。んで、
これも最近できた高解像度装置なのだけど、それでスキャンする。
スキャンしたら結果を起こして復元し3D化させる。
神経細胞は増えないから、やっぱり培養じゃなくて『材料』をつかって再現するしかないのね。
それが人工の脳になるんだけど、記憶って結局電気信号だから、ある程度は記憶を媒体に保存できる。
あとはニューラルネットワークさえ完全再現できれば同じ思考回路の脳みそができるってわけ」
「ちょっと待て!」
男は思わず叫んだ。
脳をスライスする。女はそう言ったのだ。
「……ちょっと、待ってくれ」
女はうん、と頷き男を見ている。二人のやり取りを息子が不安げに見つめていた。
脳をスライスするということは、つまり男の脳が失われるということだ。
男は額に手をあて俯いた。どんなことでも協力するとは言ったが、精々実験の手助けとして、
脳を開き、マイクロチップを埋め込む、或いは脳の一部を切り取って遺伝情報をスキャンする――、
その程度の協力だと考えていたのだ。
250 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:46:33.78 ID:0Z7ce72e0
「俺の脳はどうなる……?」
「オリジナルは消失するわね。切り刻むわけだから」
「完全に再現できるのか……?」
「させて見せるわ。すでに動物実験では成功している」
「人間では……?」
その第一号に抜擢されるのが、自分なのだろうと男は考えた。
これが震えずに居られるわけがない。突然声を荒げた父親に、
息子は不安げに視線を投げ掛けている。
一瞬、ほんの一瞬だけ、男は息子の身の安否を後回しにしようとした。
それを瞬間的に自覚して、顔がサッと赤く染まる。
おそらく二人はそのことに気づかなかっただろうが、
男は息子の安全と自身の体を天秤に掛けるような真似をしたことを恥じ、そして恐怖した。
「実験は成功しているのよ。最初はね、まず猿に学習をしてもらった。
自分を可愛がり遊んでれる飼育員Aと、日常的な接触が少ないながら、猿に暴力を振るう飼育員Bがいる。
やがて猿はAには懐き甘えるけれど、ふた月に一度訪れるBには威嚇をし警戒を示すようになった。
その状態で猿の脳を開き、凍結、スライス。そして再現された脳はつつがなく猿の中に戻されたのだけど、
『彼』は確かにAとBを認識したのよ」
一息に女は喋り、そして「だから安全なのよ」と言わんばかりに微笑んで見せたのだ。
不気味な微笑だった。猿で成功したからなんだというのだろう。
その程度の結果が出たからと言って人間で実験を始めるなど馬鹿げているとしか思えなかった。
「なんで、俺なんだ……? と言うか、猿以外での実験は?」
掌に滲む汗をパンツで拭いながら、男は乾いた声で尋ねた。
動物実験と人間での実験では結果が異なることは珍しいことではない。ましてや彼女の実験は『猿』だ。
人間と意思の疎通を図ることができぬ『猿』が、
感情や記憶を以前と変わらずに保有しているという確かな保障はない。
「無茶を言う……考えさせてくれ」
251 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:51:18.01 ID:0Z7ce72e0
「アンタに『先』はあるの?」
女は間髪入れずに残酷にも尋ねた。
「アンタはどこに行っても『戦犯』よ。例えばアンタになにかあったらこの子はどうなるの?
幼馴染のお家だって、戦犯の子供を引き取ってくれたりしないわ。
この子自身には落ち度はないのに、いきなりわけもなく襲われたりするようになるでしょうね。
アンタが道で襲われるのと同じよ」
「なにが言いたい……」
男は息子を抱き上げソファから立ち上がる。
女の思考が、僅かに透けて見える。
もしかしたら、男はとんでもない場所へとやってきてしまったのかもしれない。
「判るでしょ? 私なら大事に育ててあげるって言ってるの」
「いや、そうではなくて……」
先ほどから女が言いたいことが判然としないのは、
わざと核心部分を隠しているからだと男にも感じられた。
彼女はわざわざ回りくどい話し方をしている。
まるで、男が死ぬことを前提としているような話し方だ。
脳をスライスして復元すると言っているのにも関わらず、
実験は失敗し、男の死がそこにはあるような口調なのだ。
いや、そうではない。もっと別のたくらみがそこにあるのは確実だ。
「……人間での実験も成功しているわ」
「え?」
「私が、なんでこんな物騒な場所に好き好んで住んでいると思っているの?」
「……どういう意味だ……」
空調がやけに冷えて感じられる。
女の実験は、いつでも『再建』と『移植』に比重が置かれていた。
考えろ、と男は自分を追い込んだ。彼女がなにをしでかそうとしているのか、考えるべきだ。
ニューラルネットワークが構築されたところで、男の意識はそこにあるのか? いいや、ないだろう。
それがいくら完璧なものであっても、そこに男の意識はないはずだ。
ではどうすれば脳は男が男たるゆえん、つまりアイデンティティを維持できるのか。
あらかじめ記憶しなくてはならないだろう。そこまでは許せる。そこまでなら男も実験に協力できる。
だが、その『先』がきっとあるのだ。男の将来と違い、彼女の実験には確実に『先』がある。
252 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:54:02.44 ID:0Z7ce72e0
「新しいマイクロチップはね、すっごく小さくて精密で、三十年分の記憶は維持できるの。
と言っても、まあそれを脳に埋め込んでおけば、
一年もすればアンタの人生の半分くらいは記憶してくれるでしょ」
女は微笑む。いや、これは本当に微笑みなのだろうか。
まるで、実験が成功すると踏んでいる時の研究者の顔だ。
そこにはネズミを切り刻むことに対する慈悲などない。
ただ単純に、実験の成功を確信した、喜びの感情しかない。
実験動物なのは、男だ。
「対象者の頭にマイクロチップを埋め込んで、記憶を抽出した。一年くらいね。
そのあとで、脳を切り刻む実験もしたわ。
再建した脳とマイクロチップは対象者の中に戻されたの。
結果、対象者は記憶が正常に保たれることを知ったのよ! だから大丈夫」
興奮したかのように、女の瞳孔が開いている。
「信じられる? 一昔前は絶対にできないことだったのよ!」
「……対象者は、どこから調達した……?」
「この屋敷にはたくさん浮浪者が侵入しようとするから、実験材料には事欠かないのよ。
みんな元気な体でこの家の外に出て行ってるから平気よ」
「なんてことを……」
おそらく女は、実験対象者の許可なく頭を切開いているに違いない。
いや、それよりももっと考えなくてはならない問題がある。
実験は成功している。ならば何故男を実験台にしたいと考えているのだろうか。
男の背筋を伝っていく冷たい汗を、女は知ってかしらずか冷房を強めた。
腕に抱いた息子が震えたのは、恐怖からかそれとも寒さからか判らなかったが、
男はその腕の拘束を強める。
253 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:57:46.29 ID:0Z7ce72e0
「浮浪者の記憶もそれなりに上手く抽出されたのね。
でも、私がやりたいのはやっぱり『再建』と『移植』なのよね。
脳って、やっぱり思考パターンと記憶が一番大事でしょ?
だから脳を切り刻んでニューラルネットワークを完全再現させて
思考パターンを同じくする脳を作りたいし、マイクロチップに保存された記憶を使って
その人のアイデンティティを再現したい」
「それは、成功しているだろ……?」
ひりつく喉で、男は漸くその言葉を紡ぎだした。
彼女は、浮浪者で何度も実験をしている口ぶりだった。
「そう! 本当に素晴らしいことよ!! 実験は全て成功しているの!」
そう、実験は、成功しているのだ。
人の記憶を保存し、なおかつ思考パターンを再現することに、彼女は成功している。
では彼女は、男を使ってどんな実験をしたいというのだろう。
女は、今まで、欠損したパーツを新たに生み出し
『再建』し『移植』することに重点を置いた研究を繰り返していた。
再建は成功している。つまり、残すところはあとひとつ。それらは禁忌とされることに違いない。
嫌な予感がした。いや、男の考えは百パーセント当たっているだろう。
人間は上を追い求める。
脳の寿命は一五〇年と言われている。
脳と記憶の再建が可能のなったのなら、
アイデンティティとその人独自の思考パターンは保存が可能となったということだ。
その次に目指すところなど、馬鹿でも判る。
『器』の変更だろう。
254 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:58:45.94 ID:0Z7ce72e0
「……帰らせてもらう」
「なに言ってるの? 大事に育ててあげるって言ってるじゃない」
「断る! 息子を実験台にされてよしとする親がどこにいる!」
「ああ……そう……」
不機嫌に歪んだ顔からは、正常な観念が失われていた。
わざわざ『息子を育ててあげる』と女は言ったのだ。
この時勢、戦犯として扱われる男と親しくしたい人間はそうはいない。
彼女がどうして男に親切だったのか、今漸く男は理解した。
男は、彼女の実験体だったのだ。
いや、それは最初から判っていた。問題は、息子も実験対象だったということだ。
再建された男の脳を、息子に移植する――、それが目的だったのだろう。
若い体で新たな人生を送ることを可能とする実験、彼女はそれを行いたかったのだ。
体のパーツは生み出せる。それらを繋げて新たな人間を作り出すことも容易となるのだろう。
だが、金持ちの欲望は止まらない。
どうせ二度目の人生を送るのなら、新たな体で楽しみたい――、そんな要望もあるのだ。
「待ちなさいよ」
女が怒りを含んだ口調で男を呼び止めた。
「上手く行くはずがないだろ!」
そんなことが上手く行くとは思えなかった。免疫が拒絶反応を起こさないはずがない。
だが。
255 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:00:10.35 ID:0Z7ce72e0
「私知っているのよ。アンタとその息子だったら、拒絶反応は凄く少なく済むはずよ」
何故知っている。その言葉と一緒に、男は唾を飲み込んだ。
「アンタが『そんなこと』をしなければ、
もう少しアンタに協力してくれる人間も多かったんじゃないの?」
「……どこで聞いた……」
情けないことに、声が震えた。
このマッドサイエンティストに、男は確かな恐怖を抱いている。
震える腕では、息子の体を抱くだけで精一杯だった。
「ああ、やっぱりそうなんだ!」
しまった、と男は顔を歪めた。
カマを掛けられたのだ。頭の回転が遅いのは、疲れの所為かもしれない。
男は間違ってはならないところでまたもや間違えたのだ。
また、間違えてしまったのだ。失敗をしたのだ。
「やっぱりその子、アンタとアンタのお姉さんの子供なのね!」
嬉々とした女の表情に、男は口をつぐんで拳を握った。
許されない行為の果てに、息子は生まれた。
「きっもちわるーい! でもアンタが変態でよかったと今は思うわ!」
女はケラケラと笑っている。学生時代に好ましく感じられた明るい笑い声は、
今は不気味にしか感じられない。
姉は悪くない。悪いのは自分ただ一人で、物言わぬ人形のような姉を無理に孕ませたのは男だ。
意識がろくにない姉に行為を強要し、いっそのこと孕んでしまえと避妊さえしなかった。
その結果が息子だ。
腕の中の息子には二人の会話が何なのか判らないだろう。いや、判らずに居てくれと男は願った。
256 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:01:41.79 ID:0Z7ce72e0
「とにかく、帰らせてもらう」
帰宅に向けて足を一歩踏み出す。
早くここから出なくてはならない。
尻のポケットに入れた拳銃にさりげなく手を伸ばし、もう片方の手は息子の体を強く抱きしめた。
早くここから立ち去らなくてはならない。なるべく早く。
「させるわけがないでしょ」
男の耳元で、いつの間にか近寄っていた女の声がした。
ゾワッと首筋が粟立つ。
吐息が首筋にあたり、その場所には次の瞬間、鋭い傷みが感じられた。
無理に振り変えれば、その場所から何かが首から抜ける感覚がした。
皮膚が裂けたのか、微量の血液が宙を舞うのも視界に写る。
なにか薬を注入された。そう気づくも対処の仕様がない。
拳銃に引っ掛けていた指を素早く首に移すと、生ぬるい感触と錆びた鉄のような匂いがした。
「……!」
「逃さないわ」
こんなにいい実験対象、そう居ないもの。
悪びれるでもなく、女は心底嬉しそうに微笑んでそう言った。
体が倒れこむ。指先が痺れて、視界がぼやけていった。
次に目を覚ました時、男の体はどうなっているのだろう。
不安、焦燥、怒り。
それらの入り混じった感情を胸に押し込め、ただひとつ、
男に残された唯一の守るべきものの名を男は口にしていた。
ごめんな、すまなかった、守るつもりだったのに。
わが子さえ守れぬとは、なんと情けないことだろう。
いっそのこと、この手で殺してやったほうが、まだマシだったかもしれない。
「お父さん……!」
三年間、幾度も耳にした息子の泣きそうな声に、男は答えることができないまま、名前を呼んでやった。
――タカシ。
そう男はか細い声で呼びながら冷たいリノリウムの床へと倒れたのだった。
257 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:03:21.96 ID:0Z7ce72e0
今日はここまで。
>>230
ショタそっちのけになっていて本当にすまない……すまない……
そのうちショウタも戻ってくる……すまない……
258 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/10/19(日) 23:58:34.49 ID:kKW+hg7M0
待ってた!乙です〜
続きも楽しみにしてます。
259 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/10/29(水) 19:35:16.99 ID:HxQGvTN9O
クライマックスかそれともまだまだ続くのか
どっちにしろ楽しみ
260 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/11/05(水) 01:00:07.50 ID:bJDvdU+U0
乙〜毎回楽しみだよ〜
完結は来年かな?
261 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
:2014/11/05(水) 23:19:21.68 ID:wb/m0ndS0
解
262 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/11/05(水) 23:25:38.49 ID:3T8YgfzC0
ぬ
263 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/11/22(土) 08:55:45.37 ID:6AFpwh3xO
マッテイルヨ
264 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/11/22(土) 09:59:06.56 ID:jdM24uCAO
ならsageようか
265 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:29:45.96 ID:CXTObaj+0
****
膝丈までのワンピースタイプの検査衣は真っ赤に染まっていた。
壁に掛かった額縁型テレビでは、神経質な女の声がなにやら緊迫した状況を伝えていたが、
それは殆ど耳には届かず、『彼』の耳を右から左へと素通りしていく。
『クローン人間の"権利"を巡り、暴動が……』
機能が鈍くなった聴覚情報に変わって、視覚は通常の二倍、いや三倍の情報を取得しようと
忙しなく稼動しているように感じられる。
ちりちりと網膜に焼きつく情報の大半は『赤』。それ以上でもそれ以下でもなく、
床の大部分を染めるその色は、男の感覚の全てをジャックしていた。
ハァ、ハァ、と短い呼吸が繰り返される。
肩から掌までが細かく痙攣し、立てひざを突いたままの脚も同様に笑っていた。
素足の裏や足の指の間を湿らせるのは、赤。
赤い水気の中心には中年女性が仰向けで倒れており、男はその腰辺りにまたがっていた。
女は白衣を着ている。だが、その白衣も真っ赤に染まっており、彼女は少しも動かなかった。
いや、動けぬようにしたのは男だ。
彼が、ぴくぴくと痙攣する彼女に、助けを求めて這いずる彼女に、
何度も何度も、その手に未だ握られたままのメスを突き刺したのだった。
『十五年前に確立されたクローン製造に関する定義によると……』
血みどろの彼女は完全に絶命している。
男は、ハァ、ハァと息を吐いた。
ハァ、ハァと何度も繰り返し吐息しながら、今から二時間前のことを反芻していた。
266 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:31:48.87 ID:CXTObaj+0
意識が浮上する瞬間に、いつもと何かが違うと感じていた。
まず、爆音が聞こえない。爆撃機が地上を攻撃する音が、少しも聞こえなかった。
その代わりに聞こえてくるのは、爆音と同等程度に不快な、
だが生命を脅かすような危険性を少しも感じない音で、
それはどうやら地面を掘削する音のようだと男は判断した。
その重低音に辛うじて埋もれない程度の声音で、『それ』は『おはよう』と告げた。
女の声だった。
男はベッドに横たわったまま、声の方向へと顔を動かすと、
ほのかに首の筋肉が軋むのを感じつつも、その視線の先には華奢な女がいたから、
やはり自身に声を掛けたのはその女だと把握することができたのだ。
「……だ」
誰だ。口はそう開いたはずであるが、
喉から飛び出したのはヒュウヒュウと言う呼気に伴う音ばかりで、その発音は判然としなった。
真っ白いLEDライトが目に眩しい。
よく見るとそれは手術室にあるような無影灯だと気づいたが、
しかし何故自身がそんなものに照らされているのかが男は判らなかった。
その上、光りに慣れぬ視界は未だ女の正体を掴むことができず、
男は少しばかりの不安に襲われながら
周囲を確認すべく、首を左右に動かしてみた。
「もう少し横になっていて」
女の声が短く告げたが、男の問いに対する返答はなかった。
267 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:34:00.04 ID:CXTObaj+0
「だれ、だ……?」
男は性懲りもなくもう一度尋ねる。
今度は何とかハッキリと発音することに成功したが、
しかし彼は自分自身の声に驚きを隠せなかった。
干からびた喉は、皮同士がくっ付くような不快感があったが、それ以上に彼が驚いたのは、
その掠れた声でさえ確認できるほど、自身の声が少年のように『若かった』ことだ。
霞が掛かったような脳は上手く機能しない。
彼は、気を抜けば意識を失いそうなほどの頭痛に襲われながら、
なんとか起き上がるべく、ベッドのはしに手を額につき、
そして目に染みる光りを遮るべく目を瞑りつつ体を起こした。
否、起こそうという努力も束の間で潰えて、男は力なくベッドに沈み込んだ。
体が鉛のように重くて、まるで言うことを聞かないのだ。
頭も痛むし、両手両足はとにかく重くて、まともに動くことがままならない。
「その体にも、そのうち慣れるわ。大サービスよ。うるさい人がいるから」
「なに……?」
どういう意味だ。
そう問いかけようとした瞬間に、女は短く告げたのだ。
「タカシ君。今日アンタにはここを出て行ってもらうわ」
タカシ――?
その名を耳にすれば、男――、否、タカシは、
己の意識が突然にクリアになっていく感覚に襲われた。
違う、『そう』ではない。
タカシはゆっくりとかぶりを振った。
目の前の誰だか判らぬ相手に対して、懸命にかぶりを振る。
違う、『そう』ではない、『それ』ではない、と。
『それ』を耳にした瞬間、今現在自分の身を襲っている全ての事象がどうでもいいことのように感じられた。
まず、『そう』ではないとと伝えなくてはならないと、そう考えたのだ。
だが、男はふと思った。
『そう』ではないとは、なにが『そう』ではないのだろう、と。
268 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:36:27.12 ID:CXTObaj+0
男の動揺を差し置き、女はツラツラと言葉を紡ぎ続けた。
規則的な抑揚をつけて続けられる言葉は、どこかよその国の言葉のようにさえ感じられる。
「大丈夫、国へ申請する書類には、戦時下のいざこざで書類に不備があったことにしてあるから。
望むのなら医療機関も受診できるし、誰もアンタのことを気に止めたりしない。
アンタはアンタが望むように生きていけるのよ」
女は矢継ぎ早にそう告げるが、それらはどれひとつとしてタカシの知りたいことではなく、
だが女がさも当たり前のように言葉を羅列していくものだから、押し寄せる混乱の中、
タカシはたった一つ、『違う』と懸命に、短く、幾度かに分けて発音した。
「とにかく、アンタはなんの問題もなく生きていけるから安心しなさい」
安心などできるものか。何故ならば『それ』は『違う』のだ。
か細い声での訂正を、女はなにも聞こえないように振る舞い今後の生活について進言し始めた。
まず男はタカシと言う名であるということ。
そして当面の生活の面倒は金銭的にもキチンと見てくれる人がいるということ。
そして女自身が、今後はタカシに関わることはないと言うこと。
――理解が追いつかない。
なにを言っているのだ、と彼は考えた。
ぼんやりとした視界がだんだんと明瞭になっていく。
眩しい光に未だ目を眇めてはいたが、二百万本の視神経はその女の容貌を把握し始めていた。
彼女は、それを見計らうようにして、これ見よがしに溜息を吐いて見せる。
タカシの頭の回転の鈍さに憤っているのか、それとも別の出来事が彼女を苛立たせているのか、
或いはその両方か。
とにかく彼女はイライラとした面持ちで、タカシの横たわるベッドの周囲を歩き始めた。
行ったり来たり、それを繰り返す姿は忙しなくて、
見ているタカシからしても気分のいいものではない。
269 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:38:13.81 ID:CXTObaj+0
幾度もタカシの視界の端を通り過ぎる彼女に、タカシは只管『違う』と言葉を紡いだが、
その全てが無視された。やがてタカシは『違う』と告げるのをやめ、彼女を観察し始める。
彼女が誰か判らなかったが、
とにかくいずれは『それ』が『違う』と言うことを理解してもらわねばならないと感じたのだ。
シワの深く刻まれた顔、白髪の交じり始めた短い髪。
それらをよく観察したのちに、タカシは既視感を覚えた。
彼女を知っているような気がしたのだ。
だが、それらはタカシの記憶の片鱗へと引っかき傷を作るが、
しかし誰だと断言するまでには至らない。
あと少しで彼女が誰だか判りそうなのだが、しかしハッキリと『誰』と判断できぬのだ。
忙しなくタカシの周囲を歩き続ける彼女がふいに歩みを止めた。
そしてその視線はタカシへと注がれ、
口を軽く開き何某かを紡ごうと二度ほど開閉を繰り返して見せる。
強烈なほどに赤く塗りたくられたルージュは、あまり彼女に似合ってないように感じられた。
「もう二度と会わないって約束『させられた』から、先に言っておくわ」
意を決したように口を開いた彼女は、それが不本意であると隠すことなくその表情で示している。
横たわったままのタカシも、その表情からして今から『特別』なことを伝えるのだろうと悟って身構えた。
「先に言っておくわ、ゴメンナサイね」
「なに……? 意味、が、判らな、い」
何を謝っているのだろうか。
タカシはまずそう考えたが、しかしそれを伝えるほどの体力はない。
女はタカシの様子をちらと見て、それから、『失敗したのよ私』と先ほどと同様に早口で言った。
失敗した。
その言葉を耳にした瞬間、タカシは何故か背筋が震えるのを感じた。
270 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:39:47.17 ID:CXTObaj+0
「タカシ君」
女は尚も言葉を紡ぐ。
違う、『そう』ではない。
だが何が『違う』のか、そして『そう』ではないのか、タカシにも判然としない。
ただ、『違う』と言うことを伝えなくてはならないような気がしたが、
今タカシが最も気になっているのは、女の口にした『失敗』と言う単語だ。
「し、っぱい、した?」
「そう、失敗したの。だからその『体』もアンタの遺伝子から復元した、
アンタそのものの体よ」
女の言葉の意味が判らなくて、タカシは眉根を寄せて見せた。
今しがた女が告げた『復元したアンタそのものの体』と言う意味も判らなかったし、
『失敗』の意味も未だ判然としない。
暫くタカシは考えていたが、答えは結局見つからず、
意味が判らぬという意志を告げるために首を左右に振った。
「判らないなら好都合だわ。……私だって適合すると思ったのよ。
絶対するはずだったの」
「わから、な……」
「判らないの? ……でもそのうち思い出すかもしれない。
アンタの記憶はそのうちキチンと戻る。アンタは私を恨むでしょうね。だから、今言うわ」
意味深に紡がれる言葉は、どれもが謎めいていて、タカシの頭にしっくりとはまり込むことがない。
どれも知っているよ言葉のような気がしたが、
だがやはり決定的な答えを導き出すことができぬのだ。
タカシは彼女の言葉を待った。言葉の続きを。
「残念ながら、アンタの息子は死んだわ」
271 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:44:57.03 ID:CXTObaj+0
息子。死んだ。息子、死んだ。
息子が、死んだ。
その言葉に、ゆっくりと意識が覚醒していくのをタカシは感じた。
タカシ、自分の名前はタカシではない。
ではタカシとは誰だ。タカシ。タカシ。
「た、かし」
「そう、タカシは死んだ。だからアンタの名前は便宜上のものよ」
タカシは死んだ。タカシは、死んだ。
息子、死んだ、死んだのは、タカシ。
「タカシ……」
「もうすぐ、アンタの幼馴染が迎えに来るわ。よかったわね。
浦島太郎状態だけど頑張りなさいね。
戦争は終わってるわ。改めて言うわ、おはよう、タカシ君。
今はアンタが眠りについてから二十五年先の未来よ」
タカシ。
男の頭に閉じ込められた記憶が、ゆっくりと溶け出していく。
タカシ。小さい手。三歳の子供。まだ、三歳。
――お父さん。
舌足らずな声。なんだ、と答えた。
――ろぼっと。
アンドロイドって言うんだよ。
タカシ――、否、『男』はそう答えてやってた。そう、息子の『タカシ』に。
男はゆっくりと顔を持ち上げた。女は背を向けている。無防備だ。
テレビからはニュースが垂れ流されている。
画面はなにやら暴徒と化した人々を映し出しており、アナウンサーは冷静な声で現状を告げている。
『引き続きクローン人間を巡ってのニュースです。国会では、』
――お父さん。
なんだ。
――お父さん。
なんだ、どうした。
『次は、水製造機に関するニュースです』
アナウンサーの声。
右から左へと素通りする声であったが、その音だけはハッキリと男の脳に響いた。
水製造機。その言葉を耳にした途端、頭の中で、何かがカチリと噛みあうような音がして、
男の意識は今まで以上にハッキリとしていった。
272 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:49:46.97 ID:CXTObaj+0
「息子、は」
干からびる声で尋ねた。
「だから、死んだわ」
女は悪びれもせずそう言った。
つま先から、血流が一気に脳に向かって駆け上がるような感覚がした。
「でも、」
女がなにか言いかけた。それを待たずに男はベッドから立ち上がり、
そして女に向かって突進した。
うおおお、と言う声は自分の叫び声だろうか。獣の慟哭のような音が鼓膜を揺さぶっているが、
それが自分のものであると男は暫くの間判らなかった。
足がもたつく。ちらと視界に飛び込んだ己の脚は、酷く痩せて見えたが、
それをものともせず女へと突進していく。
渾身の力を込めて、女の体に体当たりをした。
女と接触した右半身が酷く痛む。
自身の体もろとも、女の体が体が床へと倒れていき、
景色がスローモーションのように緩やかに傾いていった。
と同時に、彼女が引っ掴んでいたシルバーバットも一緒に床へと転がり、
そして中身のメスやハサミがリノリウムの上へとぶちまけれる耳障りな音が鼓膜を激しく振るわせる。
女が制止をしようと手を振り回すが、男はその首を引っ掴み床へと押し付けると、
右の拳を振り上げた。
「やめ、」
制止の言葉を短く叫ぶ女は、中年だと男は再度確認した。
手や顔にシワとシミが刻まれており、それだけの歳月が『経ったのだ』と知らされた。
細い首だった。それに、骨っぽい顔の輪郭。
だが、今ならハッキリと判る。その年齢を重ねた顔は、確かにあの女――、
『男』の『脳』を『息子』に移植しようとした、あの『マッドサイエンティスト』である。
男は拳を握り締め、その頬に向かって拳を幾度も振り下ろした。
273 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:54:39.80 ID:CXTObaj+0
「ぃ……、」
女が悲鳴を押し殺したような吐息を漏らす。
それでも男は振り上げる腕を止めなかった。
拳に、ミシッと言う感覚が伝わった。
自身の拳にヒビが入った音なのか、はたまた女の頬に打撃が入った音なのかは判然としない。
だが、男は夢中で拳を振り下ろしていた。
ミシッと言う音が何度も伝わる。興奮の為か、その腕が止まることはない。
やがて女の顔は赤く染まっていき、そして指先が痙攣しているのが見えた。
それでもなお抵抗をする女に、
男は転がっていたメスを握るとその首元めがけて躊躇なく振り下ろした。
鮮血が舞う。
すっぱりと切れた皮膚からは、切断された血管がビクビクと脈打ちながら血液を放出し続けていた。
鉄臭く生ぬるい雫が口に入るが、男はそれでもなおメスを振り下ろし続けた。
顔を、目を、そして首を。
容赦なく加えられる暴力に、女の体からは生気が抜け落ちやがて沈黙した。
――どれほどそうしていただろうか。
女に馬乗りになったまま、男はぼんやりとその肉塊を見下ろしていた。
男は、人を殺した。
たった今、その手で女の首を引っ掴み、引きずり倒して、人であった者をただの肉の塊へと変化させた。
今さらながら震え始めた両手を握り締め、
男はおびただしい血液でぬめる床の上へとゆっくりと足の裏をくっ付けた。
立てる。立てるが、しかしその脚は驚くほど細く、頼りない。
真っ赤に染まった検査衣が鬱陶しい。血まみれのそれを脱ぎ捨てると、男はその部屋から脱出すべく、
メタルカラーの扉に近づいた。扉は、パスワードの入力を求めることもなく、すんなりと開いた。
変わっていない。
男が監禁され体の自由を奪われたあの日から、この部屋は然して変わっていなかった
274 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:07:00.08 ID:CXTObaj+0
男――、タカシと名乗るよう言われた男は、その場に再び力なく崩れ落ちた。
ぬるついた脚は未だ本調子ではないのか、
いつまで経っても、リノリウムの床が体温で温まり始めても、立ち上がることができなかった。
いや、これは気力の問題だろうか、と男――、タカシは考える。
息子が死んだ。三歳の息子が。
その事実を頭に少しずつ刷り込んでいくと、死と言う概念を初めて認識し方のように、
突如として悲しみが胸に渦巻き始めた。
それを過ぎると極度の悲しみからか吐き気が襲ってきて、男は耐え切れずにそのまま嘔吐した。
だが、なにも出ない。吐き気は襲うのに、空っぽの胃は何ひとつ吐き出すことができなかった。
女は本当にタカシを――、息子を殺したに違いない。
元々失敗する確立の方が高い実験だったのだ。
「なんでだ……」
タカシは呟いた。
あまりにも不自然だと、タカシは考えたのだ。
死体をひとつ築き上げたあとで冷静になるとは妙な話であるが、
タカシは覚醒した脳で、ふと大きな疑問を抱いたのだ。
移植についての疑問だ。
男とタカシは確かに兄弟であり親子であったが、移植の成功率は一般の兄弟の確率と変わらない。
女が何故、どうして男とタカシの移植が成功すると睨んでいたのか、タカシには未だ判らなかった。
移植を成功させるにはHLA抗原と言う、細胞の表面にあるたんぱく質の一致が重要で、
それらがあることによって自己と他者は正しく区別され、即ち彼らの存在によって体は守られるのだ。
免疫の一種と思えばいい。それらの一致なくしては移植は成功しない。
そしてそれらは、元々親子では一致しにくいとされている。
仮に父を◇◆型とし、母を○●型とすると、子は◇○、◇●、◆○、◆●の四タイプが生まれる。
即ち、兄弟間での移植の適合率は1/4。
確かに男とタカシの適合率は高いものの、それは通常の親子に比べて、と言う程度なのである。
例えば男を◇○型、姉を◇●型としても、生まれる子のタイプは同じく四種、
つまり男とタカシは兄弟間の適合率と変わらぬ1/4のままなのだ。
何故女が、男とタカシを検査することなくHLAが完全一致するとの誤解を抱いていたのか、
男には理解ができなかった。
移植は彼女の専門だ。移植の基礎部分で過ちを犯すはずがないのだ。
だというのに――、一体なにが。
もしかしたら、誰かが意図的に男とタカシのHLA抗原が一致すると
嘘の情報を彼女に流したのではないか。
そんな考えが頭を駆け巡った。
だが一体誰が。
タカシは、それを確めなければならないだろう。息子が死んだ、その理由を。
だが、嘘の情報をリークするような人間がサッパリ思い当たらなかったのだった。
****
275 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:09:40.78 ID:CXTObaj+0
「タカシ君、君、大丈夫かね」
医師の言葉に、タカシは「いいえ」と短く返事した。
「体はまだ動かないのかね」
それには「はい」、と答える。
「頚椎かもなぁ。代替パーツ作ってねぇけど平気かな。『再現』に時間が掛かるかも」
技師がなにやらブツブツと言っていたが、タカシにはそれに耳を傾ける余裕もない。
タカシの記憶は、そして情動は、すべてがショウタの管理下に置かれている。
今しがた受けた告白は、タカシを呆然とさせるには充分な衝撃であった。
少し前のタカシなら鼻で笑って否定したことであろうが、今はそれすらできない。
何せ、記憶が曖昧すぎる。タカシは今は、自身が何もであるかさえ判然としないのだ。
「君は君について知る必要がありそうだ」
医師は淡々と告げていたが、しかしのその瞳はタカシを哀れんでいるような色合いをしていた。
風ひとつ吹かない地下室だ。澱んだ空気はまるで、混濁したタカシの記憶そのもののようである。
「私はね、タカシ君。君を失いたくはないんだよ」
タカシにとっては初対面とも言える医師が、苦渋を浮かべて言った。
彼は足を組みなおし、そしてその膝頭を組んだ掌で覆って見せた。
「君の頭を毎回開いているのはこの私だ。そして記憶を捏造しているのは、彼」
親指でひょいと指した先のは技師が居た。彼も医師と同様に、苦い表情を取っている。
「君の開頭に何度も携わった。正直、それはいいことではない。
いや、同じ医師が同じ患者の手術をするのは構わない。
そうではなくて、そう何度も頭を開けるのは、決していいことではない。
頭は人間にとって重要な部位だ」
それに、と医師は続ける。
「人の記憶を捏造するのは、楽しい仕事ではない」
「捏造してんのは俺だけどな……、今じゃな、人の記憶の五割程度は映像として抽出できるんだ。
俺はそれをコンピュータ上で弄って捏造する。全部あの坊ちゃんの依頼だ」
276 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:13:57.87 ID:CXTObaj+0
「……ショウタは、何者なんだ……」
タカシは苦々しくそう吐き出した。
タカシの記憶が捏造されたものならば、
そもそもショウタは奴隷でさえないのかもしれないと、漸くそこに考えが至ったのだ。
タカシが買ってきた生意気な貴族奴隷。それがタカシの認識であったが、
それが事実である可能性はきわめて低いとタカシは自覚していた。
何せ、タカシは己の実態さえ判らぬのだから、他人に関する記憶などそれこそ怪しい。
そして目の前の二人は、ショウタを知っているようである。
この二つの事実によって、ショウタはタカシに買われてきた奴隷ではないということは、
殆ど確定した事実と考えていいだろう。
「何者なんですか……」
二人のどちらかが答えてくれるに違いないと尋ねるが、返答はいつまで経っても帰ってこない。
項垂れたタカシの耳に、吐息が届く。
「それは、知らねぇ方が幸せだ」
答えたのは技師だった。
思わず顔を持ち上げるが、彼の眉間はシワが寄っており、タカシと視線がかち合えば、
首を左右に振って見せる。続いて医師へと視線を移せば、やはり彼も同じように首を振って見せた。
話すつもりはない、と二人ともハッキリと意思表示している。
おそらくそれは、ショウタの為ではなく、タカシの為に隠匿しようとしているのだ。
そう気づけばタカシはもう何も言えなくなる。
これ以上の衝撃が襲い掛かるなど、タカシには到底耐えられそうにない。
全てを知る勇気など、あるわけがなかった。
「あんたは数年前、大きな事故に遭った。と言うより、テロに遭ったっつーか」
「……テロ?」
「ああ、テロだ。落ち着いて聞きたまえ。
この国の水が、とある製造機によって作られたものだと知っているね?」
勿論だ、とタカシは頷いた。
「それを作ったのは、君だ。そしてそれが引き金となり、戦争が起こった」
277 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:17:03.98 ID:CXTObaj+0
「……ちょっと待ってください、意味が判らない」
記憶の断片、ほんの少し前に見た夢の内容がふいに思い出されるが、
タカシは首を振って否定する。
そんなはずはない、と。この国を戦争に巻き込んだ原因が自分であるはずはない。そう思いたかったのだ。
あれは、ただの夢のはずだ。タカシにそれほどまでに大それたことができるはずもない。
そう自身に言い聞かせるように頭を振るが、しかし医師の言葉が鼓膜に、脳に絡み付いて振りほどけない。
「君は、今も残る過激派の残党の手によるテロ行為にあったのだ。
それは明確に君を狙ったものだった。君がそこにいると、何者かがリークしたのだ」
タカシの乗った車は、仕掛けられた爆発物によって大破したのだという。
「そして君は、」
医師の瞳が揺れた。
「そして君は、妻を失った」
「つ、妻?」
思わず声が上ずった。
タカシは今しがたまで己を独身だと――、性嗜好が多少歪んでいようとも、不貞はしない主義だ――、
そう思っていたのだから、その事実に驚くのも無理のない話しだろう。
「ちょっと待ってください、妻って……」
全く記憶にない妻。それを思い出そうにも、
記憶そのものが改竄されているのだから思い出されるはずもない。
「あとひとつ、これだけは教えておこう」
医師が浅く息を吸い込み、タカシを真っ直ぐに見た。
「ミユキ君は、君の姉ではない」
「……嘘だ……」
思わずそう返答するが、二人のどちらともがその言葉を肯定してはくれなかった。
――なにもかもが虚像で満たされている。
タカシの中には、真実などただのひとつも、ひとかけらもないに違いない。
ミユキはタカシにとって、何者であるのか、またショウタはどこから来たのか。
タカシは誰なのか、一体なんなのか。
278 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:19:33.36 ID:CXTObaj+0
「じゃあ、彼女は、姉は一体何者ですか?」
彼らは、おそらくタカシの味方となりうる人物なのだろう。
そして、ショウタにはあまり好意的ではないことも判る。
タカシはその味方に縋るようにして返答を求めた。
医師として、技師として、人の記憶を好き勝手弄り倒すことに拒否感を覚えているのだろうか。
タカシは、彼らに期待をしていた。そう、ショウタを裏切ることを。
「姉は、何者なんですか……?」
「彼女は、」
医師が口を開きかけたときだった。
「ミユキはアンタの奥さんだよ」
静かな声が三人の会話に割って入ってきた。
「ミユキはアンタの奥さん」
凛とした、少年の声。
音もなく重い扉を開けたのか、それとも三人が話しに夢中になっていたのか、
ショウタはそこに居た。
半ズボンに、Yシャツ、ニットのベストはお坊ちゃま然としており、
その態度はどこか威圧的にさえ感じられた。
「ぼん……」
チッと、技師が舌打ちをした。
「酷いよね、二人とも。裏切るなんてさ」
「俺はぼんに雇われているわけじゃねぇ。裏切るもクソもねぇだろ」
「今は俺が雇ってるのと同じじゃん」
お前は何を言ってるんだ。そう言いたげな小馬鹿にしたような表情で、ショウタは首を傾げて見せた。
その顔は、貴族の少年らしいふてぶてしさがあった。
タカシはその顔にひどい嫌悪感を覚え、そして視線を逸らした。
279 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:22:59.29 ID:CXTObaj+0
「いいや違う」医師は首を横に振った。「雇い主は、タカシ君だ」
「まだ言うんだ、そういうこと。馬鹿みたい。馬鹿じゃないの。
誰のおかげでこいつは生きていると思ってるの。なんでこんな死に損ないを雇い主だなんていうの」
「坊ちゃん、やめたまえ。それ以上は言っていいことではない」
「こいつを、生かしてやってるのは俺じゃん! そうしなかったらこいつはあのテロで死んでた!」
「ぼん」
「坊ちゃん」
きつい声音での制止は効果がまるでないようだ。
ショウタはその小さな口を目一杯広げ、そして言い放った。
「こいつの体はもう全部機械じゃん!
脳みそしか生身の部分がないなんて、アンドロイドと変わんない!
でもそうしないと助からなかった」
「いい加減にしたまえ!」
医師が立ち上がり、ショウタの襟首を掴んで平手打ちをした。
小さな体が一瞬だけ、その力に押されて斜めになった。
タカシは、その様を冷静に見ていた。
冷静に見てるしか、なかった。
「お前は機械なんだよ! ずっとずっとそうだった! 機械なんだ、機械!」
キカイキカイキカイ。
なにを言っているのか、判らなかった。
タカシは機械。脳以外の殆どが機械。
「こいつらがアンタに頭を弄りたくないとか言っているのだって、
人間を機械にすることを怖がってるからなんだ!
別にいいことをしようと思ってあんたに本当のことを言ったわけじゃない!」
「坊ちゃん!」
280 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:24:40.09 ID:CXTObaj+0
「アンタがそうなったのは当然のことだよ! バチが当たったんだ!
アンタは、アンタは、アンタは……、
アンタはいつだってアンタとアンタの姉ちゃんとその子供のことしか考えてなかった!
俺がどんなに惨めだったか判る!?」
どんなに惨めだったか判るか。
何度も何度も、ショウタは繰り返し問うた。
肩を怒らせ、また、胸元をその手で押さえながら。
だが、そのショウタの態度よりも、続けざまに襲ってくる真実の大群に、タカシはなすすべもなく、
言葉一つ一つを理解することもなく、ただただ為すがまま、されるがままになりながら、
ショウタの吐き出す真実の告白に耳を傾けていた。
「変態! 自分の姉ちゃんと子供を作った変態の癖に!!」
「ぼん」
――自分の姉と子供を作った。
こみ上げる吐き気に耐え切れず、タカシは胃の中身をぶちまけた。
吐瀉物で下半身が汚れるが、それに構うことなく中身を吐き出した。
「アンタは、俺のことなんてどうてもよかったんだ! 俺だって、俺だって……、」
「坊ちゃん!」
「俺だって、アンタの子供なのに!」
悲鳴のような声だった。
澱んだうす闇を切り裂くような声は、室内に木霊する。
ショウタの叫びに呼応するようなその音の漣は、
タカシの鼓膜に絡みつき、纏わりつき、そして脳をえぐった。
「こども……?」
信じられない気持ちで尋ねるように、
いいや、何かの間違いであるようにと願うように、祈るように呟く。
ショウタの目がタカシを見た。
真っ赤に充血した目は、燃えるような憎しみで満たされていた。
涙を湛え、しかしそれを一滴も零すまいするかのように、
真っ白になるまで拳を握り締め、襟元に宛てている。
281 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:26:56.46 ID:CXTObaj+0
「そうだよ! アンタは自分の子供をレイプしたんだよ! ざまあみろ!
アンタが大嫌いな俺のことを、アンタはあの時だけは見てた!
"生きてた頃"は俺の顔を見るたびに目ぇ逸らしたくせに! 俺が邪魔だったくせに!
ざまあみろ! ざまあみろ!! 俺が悪いんじゃないのに! 俺のせいじゃないのに!!
なのにアンタは俺を邪魔者にした! ざまあみろ!!
姉ちゃんと子供を作っただけじゃなくて、お前は自分の子供もレイプしたんだ!
変態! 地獄に落ちろ!!」
「ぼん、もうやめろ!」
「うるさい! うるさいうるさい!」
ざまあみろ。支離滅裂にそう繰り返すショウタは、
タカシの記憶にあるショウタのどの姿よりも幼かった。
初めてショウタを犯したとき、ショウタは叫ばなかったか。お父さん助けて、と。
目の前が暗くなっていくのを感じる。
「ぼん、落ち着け」
「離せ、離せよ!」
技師がショウタを羽交い絞めにしている。
「許さない! 俺のことを邪魔者にしたお前を許さない! ざまあみろ……!!」
「ぼん……! いってぇな、クソ、引っかくな! おい、ぼん!」
「死んじゃえばよかったんだ! あの時、死んじゃえばよかったんだ!」
技師の腕に爪を立て、ショウタは自身を阻む存在から逃れようとしている。
「死んじゃえばよかったんだよ、そうだ、死ねばよかったんだ!」
「こら、ぼん!」
ついにショウタの目から大粒の涙がこぼれだした。それが合図だったかのように、
ショウタの動きが止まった。
「死んじゃえばよかったんだ……俺なんて……俺が死ねばよかったんだ……」
はぁはぁと息を切り、ショウタは俯いた。
ひっひとえづくような声がして、そして技師の服を引っ張り無理やり顔を拭いて見せた。
「ショウタ……」
震える声でタカシは名前を呼んだ。
自分の息子だと名乗る子供の名前を、干からびた声で呼ぶ。
「おれ、俺なんて、死ねばよかったんだ……」
ショウタは泣き続けている。
『お父さん』
ふいに、耳の奥で声がした。
子供の声だ。幼児の、声。
タカシは、何故かそれがショウタの声ではないと断言できた。
そしてそれが、『息子』の『タカシ』の声だとも。
「タカシ……」
呟いた声に、ショウタは、目を見開いた。
「やっぱり、俺なんて死ねばよかったんだ……」
絶望したような目。
「お前は完璧じゃなかった。ホテルになんか助けに来なければ、完璧だったのに……」
そう呟いたかと思うと、医療器具の入ったバットからメスを振り上げ、そして――、
282 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:30:02.23 ID:CXTObaj+0
****
血に滑った足が気持ち悪い。
タカシは足を床に擦り付け、なんとか殺人の記憶を体から追い出そうと努力した。
だがそんなことをしても乾きかけた血液は取れてはくれぬし、女の死体が消えるわけでもない。
肉塊と共に過ごし、凡そ一時間ほどが経った。
ぼんやりとアホのように佇むには、なかなか長い時間だろう。
のそりと動き出したのは体中に血の匂いがして気持ち悪かったからだ。
女の家に、男物の服などあるだろか。
手術室を後にして、タカシはまずそんなことを考えていた。
死体を隠さなくてはならないという意思よりも先に、そんなことを考える自分がおかしかった。
なんとかタカシでも身につけられる衣類を引っ張り出して、
それらに漸く着替えたところで、突然その訪問者は訪れた。
タカシの記憶では、セキュリティの強化されたこの家に訪れる人間はそういなかった。
インターフォンが鳴らされ、モニタに映し出された『少女』の顔には見覚えがあった。
タカシは暫しモニタの前で状況を把握しきれず、
そして混乱の入り混じった思考のまま『誰だ』と問うたのだ。
モニタの向こう、彼女は怪訝な顔で首を傾げ――、
それはタカシにとって見覚えのある仕草であった――、
言葉少なに答えられた名に、タカシは仰天した。
『ミユキよ』
そう彼女は返事したのだ。
ミユキは、アンドロイド製造業を生業とする貴族の娘である。
水製造機量産に協力をしてくれたタカシの幼馴染で、
当時、協力者として立候補してくれた数少ない知人だ。
最後に会ったとき、彼女は三十手前の女性であったはずだ。
だが、モニタの向こうでワンピースをまとう彼女はどう見ても十代の少女である。
そして彼女は『今日、貴方……、タカシさんの目が覚めるって聞いたから、迎えに来たのよ』と告げたのだ。
殺される前、確かにあの女は『幼馴染が迎えに来る』と言っていた。
そして女は『今が二十五年先の未来』だとも言っていた。だというのに、彼女は少女だった。
283 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:31:39.70 ID:CXTObaj+0
タカシはハタと自身の声に対する違和感について思い出した。妙に若い、己の声。
それについての違和感は、女に対する憎しみを前にすっかりと記憶の彼方に放られていた。
恐る恐る頬に両手で触れる。違和感はない。
だが、確かに『体』に違和感を覚えるのだ。
モニタの向こうで、タカシの混乱をよそにミユキはタカシを呼び続けた。
待ってくれ、だとか、いや、と歯切れの悪い言葉をタカシが数回紡いだところで、
彼女は『開けるわね』と短く告げたかと思えば、なにやらモニタから姿を消した。
身をかがめている。網膜スキャンをしているに違いないと気づくが、
彼女はタカシの制止も聞かずに鍵を開けに掛かっている。
まずい。そう思った。何せタカシが今しがたまで眠っていた部屋には、そう、女の死体があるのだ。
誰かが死体を目にするという可能性に直面し、タカシは漸く己のしでかしたことの重大さを思い出した。
待ってくれ、と言う叫びに似た制止もむなしく、果たして扉は開け放たれ、
そして彼女は家屋に侵入してきたのだった。
瞬間、タカシは息を飲んだ。
彼女の姿に驚いたのではない。その衝撃は既に過ぎ去っている。
そうではなく、扉のその向こう、そこにあるのは発展した都市だった。
いや、発展すべく工事を重ねている最中のビルの群れのだ。
タカシたちはその中にいたのだ。
空の色が妙に薄い。敷地の外を馬車が通り過ぎ、
それとは不似合いな近未来的な街並みがそこにはあった。
ビルからビルを繋ぐのは、空と同じく淡い青色のチューブ。
どうやら巨大なビルには、それごとに駅が存在しているようだ。
どういう仕組みなのか、チューブの中を浮遊するようにして球体が移動している。
球体の中には人が入っているようだった。
浦島太郎状態、まさにソレだった。死ぬ前に女が言っていた台詞を思い出す。
284 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:32:57.96 ID:CXTObaj+0
「会いたかった……!」
タカシの困惑と、感動と、そして恐怖、それらを破り去ったのは、ミユキの声だった。
半ば体当たりするようにして、彼女はタカシに引っ付いてきた。
「おい……!」
思わず抵抗して腕を真っ直ぐに伸ばそうと試みるが、
彼女はそれをものともせずタカシの頬に手を伸ばす。
「昔のままね……」
見上げる顔の位置が、近い。
タカシは頭の片隅で、警報を鳴らしている自分に気づく。
そう、ミユキの顔が異様に近いのだ。
タカシは――、男は、昔、一七〇cmほど身長があった。それに対して幼馴染のミユキは一五五cm程度。
タカシの記憶ならば、鼻の下辺りが丁度彼女の頭頂部であったのだ。
であるにも関わらず、彼女の身長は丁度タカシの目線程度。
身長差が僅か五センチ程度にしか感じられないのである。
「私、貴方が『成長』するのをずっと待ってたの……!」
「は?」
潤んだ目は、タカシを真っ直ぐに見てくる。
身長差はごく僅かであったから、ミユキがタカシを見上げてくることはない。
「貴方の体が成長するのを、待っていたのよ」
どういうことだ、なにを言っている。
その言葉がまるで出てこない。
成長するとはなんだ? 一体なにが起こっているのだ。
タカシの混乱に漸く気づいたのか、ミユキは「あら?」と間抜けな声を出す。
285 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:34:15.39 ID:CXTObaj+0
「もしかして、あの人からなにも聞いていないの?」
あの人とは、女のことだろう。途端に女の死体のことが頭を駆け巡りだす。
「あの人、何をしているの?」
女の出迎えがないことを不審に思ったのだろう、
ミユキは迷うことなく土足のままでリノリウムの上へに足を乗せた。
「待て!」
細い手首を掴む。ミユキは、きょとんとした顔をしてタカシを見ている。
どうしたの、と言うミユキの言葉に応えられるわけがない。
途端に心臓が早鐘を打ち始めた。
そうだ、タカシは暢気にお喋りをしている場合ではないのだ。
タカシは今、人を殺した。そう、殺人を犯したのだ。
それがどれほど重罪であるのか、戦争を経験したタカシは忘れていた。
「……なにか、あったの?」
「いや……」
しどろもどろになるタカシに何かを察したのか、
ミユキはタカシの手を振りほどいて廊下を奥へ奥へと進んでいく。
「待て!」
声を荒げるが、彼女の足は止まらない。
女を殺す時にはあれほどの瞬発力を見せた足が、どうしたことか、今は全く言うことをきかなかった。
一歩踏み出すたびに足はもつれるし、その足を踏み出す作業そのものがのろま臭くて時間が掛かる。
「待て!」
悲痛な声にミユキは一度だけ振り返り、だが足を止めることなくズンズンと奥へと進んでいく。
白いワンピースは彼女が歩くたびに揺れ、まるで逃げているようにさえ見えた。
時すでに遅し、タカシがそこに辿り付いたときには、彼女は肉塊を見下ろしていた。
白いヒールの端が、少し赤く染まっている。
手に持っていたバッグは床に落下し、そして彼女はまじまじと女を見ている。
どれほどの間、そうしていただろうか。沈黙を破ったのは、ミユキの方だった。
「大、丈夫。私がなんとかするわ」
なんとかなど、できるはずがない。
口を開きか掛けたタカシを制止するようにして、ミユキはスカートが汚れぬよう慎重にしゃがみ、
そして落下したバッグを探った。
「大丈夫、なんとかするから」
ミユキは繰り返し『なんとかする』と呪文のように呟き続け、バッグから小型の――、
タカシが目にしたこともないような、薄く四角い端末を取り出し、なにやら操作をしていた。
「大丈夫。私が、私が貴方を助けるわ。私しか助けられないもの。
あの時、あの時だって、そうだったでしょ? 私は、貴方を助けられるわ……」
「ミユキ……、」
ふいに名前を呼んだ。
その声に呼応し、ミユキが視線を持ち上げ、そして、ふ、と柔らかく微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫だから、安心して」
ミユキは震える指で掌に収まった端末を操作し、そしてそれを頬に押し当てた。
どうやらそれは、ケータイ電話のようだった。
大丈夫。
大丈夫だから。
子守唄のような声音の呪文を聞きながら、タカシは赤いぬめりに足を浸し続けていた。
286 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:36:37.57 ID:CXTObaj+0
****
「一八歳になったら娘と結婚してくれ」
その男性はどうみても還暦を越えており、
その隣に座る少女は十五、六、どんなに大きく見積もっても
到底二十歳には見えぬような、幼い面差しをしていた。
「ミユキと、結婚をしてくれるね?」
威圧的な態度で男性は言った。
祖父と孫娘。外見だけを見ればそれくらいにしか見えぬ二人であったが、
遺伝的に戸籍的にもれっきとした親子である。
「ミユキは君を待つために、体まで変えた」
「お父様、そんなの私にとっては瑣末な問題よ」
「そうは言ってもな、ミユキ。あの頃……、お前が四十になろうとしていた頃の話だ。
お前はタカシ君、彼の死に絶望して結婚もしないで毎日泣き暮らしたね、十年も。
お前はそういう犠牲を払っているんだよ。それに、私たちは彼の水製造機についても協力をしている」
そんなこと知ったことではない。タカシは渋面しそうなのを何とか堪え、茶を啜った。
貴族らしい考え方だ。自分たちは何ひとつ悪くはない。悪いとしたらそれは他人。
彼らはそういう考え方をするのだ。吐き気がした。
確かに水製造機の製造に力添えをお願いしたのはタカシで、
彼女が協力してくれた根底には彼女のタカシに対する思慕があったのは承知をしていたが、
しかしタカシは『自分を想ってくれ』などと言ったことは一度もない。
そもそも、タカシの最初の移植――、
つまり息子のタカシに、父親である自分が移植されようとしていたとき、
彼女はすでに三十路を越えていた。
タカシにはその頃息子のタカシがいたし、
彼女の気持ちには応えられぬと、それまでに散々示していたはずだ。
それを今さら持ち出されても……と思うが、しかし雁首そろえて威圧的に微笑まれては、
タカシは何ひとつ言い返すことができなくなる。
――その上タカシは、殺人の記録まで消してもらっている。
なるほど、タカシは用意周到に罠へと導かれたと言うわけか。
287 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:38:59.17 ID:CXTObaj+0
「タカシ君」
返答のないタカシに焦れたのか、男が語気を強めて言った。
「君の移植に失敗したあとの十年、ミユキは泣いて暮した」
「お父様、」
「それから十五年後今年、私は一瞬だけだが娘を失った」
うう、と芝居染みた態度で男が目頭を押さえた。
泣いているつもりか。
白けた気持ちになりながら、タカシは茶を最後まで啜った。
「お父様ったら、私はここに居るわ」
麗しき親子愛。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「だがな、ミユキ。クローン技術は確立されてまだ十五年だ。
お前のクローンを作るのはいい。だが脳を移植すると聞いた時、
私がどんなに心配したか判るか?」
「お父様……、ごめんなさい」
ミユキがしおらしく謝った。
つまり、ミユキはタカシが死んだあと――、脳は復元され保管されていたわけだが――、
十年はタカシを思って泣き暮らした。
その丁度十年目にクローン技術が正式に民間で扱えるようになったと発表を受け、
ミユキは自分のクローンを作り、脳以外を利用することにした。
本来は遺伝元の人間に何か不幸な出来事に直面した際――、
それは専ら移植が必要とされる場合の事故や病気を指す――、
クローンの臓器や皮膚を用いて不足分を補おうという技術であるが、
ミユキはクローンの脳をすっぽりと取り外し、
自身の脳を移植することで己を若返らせたのである。
そして彼女は十五歳の少女の体を手に入れるに至ったのだ。
また脳だけの状態で保管されていたタカシも同様に、ミユキの移植成功を待ち、
同時期に育てられていたクローン人間へと己の脳を移植されたと言う話だ。
288 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:44:14.94 ID:CXTObaj+0
だから私の方が少しだけお姉さんね。
そんな風に少女めいた表情で言うミユキが気持ち悪かった。
なにせ中身は五十五歳の女だ。だが彼女の中身はまるで成長しておらず、
初恋を抱えたまま人生の折り返し地点まで生きてきた痛々しいまでに幼い中年女性なのだ。
それが妙に気持ち悪くて、タカシはそっとミユキから目を逸らした。
「君は戦後生まれたことになっている。
故に君は戦犯としてではなく、まっさらな何の罪もない少年として表を闊歩できるのだよ、タカシ君。
そうなるよう便宜を図ったのは、ほかでもない私たちだ」
タカシが石を投げられることも泣く真っ当に生きていられるのは自分たちのおかげである。
男はオブラートに包むこともなくそう言い放ち、
そして生活を支援しているのだからミユキの願いを聞き入れ結婚することは当たり前だと主張しているのだ。
タカシはどうしても『はい』と返事をすることができなかった。
誰も頼んでいない。何ひとつ、タカシが望んだことではない。
タカシの中にあるのは姉への愛情と、そしてたった三歳で死んだ息子のタカシのことだけだ。
他のことなどどうでもいい。
あとひとつだけ気になることと言えば水製造機のことだろうか。
タカシはツイと視線を泳がせ、時刻を確認した。
この豪奢なリビング――、床は大理石、二人とタカシの座るソファは革張り、
天井からはシャンデリアが下がっている――、
に腰を落ち着けてから早二時間は経過している。幾度溜息を飲み込んだのか、
タカシはカウントすることを諦め、ただ只管に時が経つのを待っていた。
ミユキのに対して、幼馴染としての情はあっても、それ以上のものは少しもない。
その幼馴染としての情でさえ、近頃は緩やかに変容しつつあった。
289 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:49:59.66 ID:CXTObaj+0
――姉が病に倒れたのは、十代の半ばのことで、
それは他の一族の女に比べてだいぶ早い発病だった。
タカシが誰かも判らなくなり、
次第に静かに人形のようになっていく姉の世話をしていたのは他ならぬタカシだ。
人生の半分近くは姉の世話をしながら生きてきたのだ。
それゆえか、タカシの姉への気持ちは次第に歪になっていき、
気がつけば女に向けるそれと同じ情を抱き悶々と過ごしていた。
それが異常なことだとはよく判っていたし、随分苦しんだと思う。
ある時、何が引き金となったのかは忘れたが、タカシは突然にその煩悶をかなぐり捨てたのだ。
姉はなにも判らない。そして早々に死に行く身だ。
例えば夫でもこれほど丁寧に世話を焼いたりしないだろうというところまで、
タカシは姉の面倒を見てきたのだから、たった一つの願いくらいかなえてもいいだろうと考えた。
魔が差したのだ。
魔が差して、タカシは姉を汚した。
たった一度のそれで、姉は身篭った。
タカシはそれに戸惑うどころか喜びを覚え、そして姉に子を産ませるために堕胎が不可能な時期まで
姉の妊娠を隠し通した。
あとは親戚一同を巻き込んだ修羅場と化したが、タカシにはその騒動でさえどうでもよかったのだ。
姉はタカシの全てだった。ほかはどうでもいい。
それが如何に歪んでいるかなど、他人に指摘されるまでもなく、タカシには充分に判っている。
タカシはやっと手に入れたものを奪われるようにして失った。
それを充分に理解しているクセに、タカシの痛い部分に着け込みあれこれと要求するこの親子に
近頃ではほのかな嫌悪感を抱き始めてさえ居るのだ。
「私たちは君の殺人まで隠匿した」
切り札だと言わんばかりに男はそういい、タカシを見た。
290 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:51:14.87 ID:CXTObaj+0
「――意味が判りません」
タカシは幾度か押し込めていた溜息をこれ見よがしに吐き出したあと、率直にそう述べた。
そう、意味が判らないのだ。
タカシを愛娘と結婚させたいという意味がよく判らないのだ。
タカシはタカシとして、男の言い方を借りれば『まっさらな何の罪もない少年』として生きてはいるが、
その中身は『戦犯』であったし、そもそもミユキに対して愛情の欠片も抱いておらぬのは
タカシの態度を見れば明白であろう。
タカシはいつ戦犯であると明るみにでるかも判らぬ身の上であるし、貴族でもない。
その上娘を愛してもいない男へと嫁がせるなど、不自然なことこの上ないだろう。
タカシにはそれが何よりも不思議であった。
「何が目的ですか?」
わざわざタカシを保護するメリットもないはずだ。
「私は娘を思っているだけだ」
なんて白々しい言葉だろう。きっと何かが隠されているに違いないが、その何かが判らない。
タカシにはやらなくてはならないことがある。
息子を殺した――、息子とタカシのHLA抗原が一致するとリークした人物を探さなくてはならないのだ。
ミユキに構っている暇などない。
「俺はミユキを愛していません」
「知ってるわ」
刺々しく告げたタカシの言葉に応えたのは、意外にもミユキであった。
彼女は思いの外冷静に、凛とした声でもう一度『知ってます』と返答を繰り返してみせる。
「そんなこと承知しているのよ。だからいいの、形だけでもいの。私と結婚してくださらない?」
正直な話、その申し出にタカシは面食らった。
結婚だけでいいとはどういうことだろうか。
291 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:53:15.85 ID:CXTObaj+0
「結婚して、そうね、子供が生まれればそれでいいの。一人だけでいい」
「ミユキが子供を一人産むことに何のメリットがあるか俺には判りません」
「私は貴方の子供が産めれるのなら、」
「違う。ミユキ、君ではない。貴方だ」
目的などないと言われたところで、それを易々と信じるほどタカシは馬鹿ではない。
何かしらの目的が、目の前の初老の男の胸のうちへと隠されていることは確実なのだ。
タカシはそれをどうしても聞き出したかった。
もう二度と人に騙されたくはない。
貴族は平気で嘘を吐く。タカシは貴族と言うだけでその一族もろとも嘘吐きだと知っている。
貴族の口車に乗せられて、タカシは息子を失ったのだ。
「目的などないと言っている。何度言わせれば気が済むんだね」
「嘘ですね」
「君がそう思うのなら永遠にそう思っていればいい。だが私に目的などないよ」
嘘だ。タカシはもう一度口には出さず、心中でそう呟いた。
信用するな、絶対に。
両の目でしっかりと男を見据え男の腹を探ろうと考えた。
なにか目的があるに決まっている。だが一体何が? タカシには財産もなければ特許もない。
あるのは戦犯の汚名のみだ。タカシをミユキに宛がい婚姻関係を結ばせるメリットは全くないはずだ。
どれくらいの間そうしていただろう。
タカシの視線から目を逸らすことなく佇んでいた男が、ふいに口を開いた。
「君の息子の記憶は残っている」
「……は?」
今、男はなんと言っただろう。タカシは間抜けな声でたった一文字そう発音した。
男は疾うの昔に冷め切ってしまった茶を優雅な仕草で飲むと、
「残っているんだよ、君の息子の記憶はね」と繰り返して見せた。
292 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:59:23.25 ID:CXTObaj+0
「……何の話ですか」
「記憶だけではない。脳そのもののスキャンデータも残っている。
現代の技術ならば脳から組織を拝借しクローンを作り出すこともできる。
今現在の法ならば、クローンを作ることも許されている。
君の息子は完全再現が可能なのだよ、タカシ君」
息子が――、息子のタカシが、完全再現できる?
タカシは瞬きをするのも忘れて男を見つめた。
あの女、マッドサイエンティストは、確かに殺される直前『でも』と言い、なにか言葉を繋ごうとしていた。
それは、この事実を告げようとしていたのだろうか。タカシは今さらそんなことを考えた。
「脳の……記憶も、スキャンデータも、すべて……?」
「すべて揃っている」
騙されるな、信用するに値する人物ではないはずだ。
頭の中で警鐘がうるさく鳴り響くが、タカシの心は傾きかけていた。
もしかして、と。そしてタカシは己の太ももに視線を落とした。
体が縮んだこと以外については、
以前の自身となんら遜色なく自己を保持してこの世に復活を果たした自分自身。
息子の再現だけに関して言えば、それは何よりもの保障となる。
再現は可能なのだ。
『お父さん』
三歳のタカシ。幼い我が子の声が耳に木霊する。
「ミユキと結婚するというのなら、君の息子を再現させよう」
男の目的が判らない。
金も名誉もないタカシに、何をさせようというのだろうか。
男は続けた。
「ただし、再現はミユキが出産を終えてからだ」
無事子が生まれたら息子をこの世に復活させてやる。男は淡々とそう述べてた。
もう、タカシがどんな選択をするか判っているのだろう。だからこそ男は条件を提示し続けるのだ。
「君の息子の再現も、生活の面倒も、全てを援助しよう。
大学を卒業するまでの学費も私が持とう。なんなら、我がA社へと入社させてもいい」
A社は今やアンドロイドの国内シェアナンバーワンの冠を被っている。
傍目に見れば、これ以上にいい条件はないはずだ。
警鐘は鳴っている。だが。
「判りました」
タカシには、姉と、その間に設けた息子以外に大切なものなどなかった。
男がにやりと不気味に微笑むのが判ったが、タカシにはもう引き返すつもりがなかった。
「十八になったら、ミユキと結婚します」
また、間違えることになるのかもしれない。
道を誤ることになるのかもしれない。
だが、息子を復活させる以上に大切なことなど、今のタカシにはなかったのだ。
「結婚、します」
タカシはもう一度はっきりと告げたのだった。
293 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 05:01:42.21 ID:CXTObaj+0
今日はここまで
保守してくれているので本当に助かってます
ありがとう
年内に終わらせたかったけどどうなるか判りません……
そして方々に特殊性のある人間関係が(近親系)があって申し訳ない……
すまぬ……すまぬ……
294 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/11/24(月) 11:15:25.47 ID:DCsA4JN8O
来てた つまり
ミユキ┬男┬姉
│ │
ショウタ タカシ
か、wktkしてきた
295 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/11/24(月) 23:25:44.05 ID:tVCPifQD0
乙です。色々謎が明らかになってきてテンション上がる
楽しみに待ってるよー
296 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/11/28(金) 19:35:04.10 ID:0Fny/LWzO
おもしろい
がんばれ
297 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2014/12/27(土) 09:18:52.37 ID:/8X1xLBu0
ほ
298 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/01/10(土) 19:00:50.10 ID:F4z74UVPO
ばあさんや 更新はまだかのぅ?
299 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/01/14(水) 02:24:17.23 ID:qQIUzgop0
まって いるよ
300 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/01/14(水) 20:16:56.16 ID:bCFxiTS8O
1ヶ月+αで更新されてるのを見ると2月に入る位で更新されると睨んでる
301 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/01/28(水) 20:57:24.80 ID:tAa8ZxtJ0
すまない……すまない……
もう少し時間を下さい
保守ありがとうございます
302 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/08(日) 03:03:18.32 ID:FC6GIJMj0
がんばれ!のんびり待ってるよー
303 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/13(金) 22:35:45.54 ID:kNyXN/eDO
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
ホトトギス
304 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/17(火) 01:21:57.26 ID:letCskjA0
そろそろ更新くる?
305 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/03/05(木) 01:10:29.15 ID:fX2ogqWV0
待ってる保守
306 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 20:58:38.19 ID:PPbBn0gE0
トリップあってるか不安……。
307 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:01:48.19 ID:PPbBn0gE0
****
その年、タカシの肉体年齢は十八年目の春を迎えていた。
とは言え十四年間と少しの間は肉体の生育期間であったから、
タカシとして意識を保有しての生は僅か三年と言うことになる。
そのごく短い三年の間で、タカシは人生のやり直しを図っていた。
学生としての、いや、一人の少年としてのやり直しの期間を過ごしていたのだ。
通常、子供は九年間の義務教育総合校での教育を経て卒業を迎えたのち、
その先の義務教育高等学校へと進学をしていく。
しかしタカシの『体』はその手の学校に通った履歴が一切残されておらず、
故に、膨大な量のテストを受ける必要があった。それらを無事クリアして
なんとか義務教育総合校へと続く教育機関である義務教育高等学校へと在籍を果たしたが、
タカシが属した群れは、毎日のように勉学に励んだ学生のそれであり、
そのような場から遠のいて数年経つタカシは追いつくのがやっとであった。
少しでも気を抜けば、成績ががた落ち、などと言うことになりかねず、
常に緊張をした三年間を送っていた。
――ミユキと結婚するだけで全てが丸く収まるわけではない。
そう気づいたのは彼女との結婚を約束した後のことで、
それからはミユキの配偶者となるに相応しい男である振る舞いや学力を身につけるべく、
目覚めてからの向こう三年、殆どの時間はそれらの鍛錬に費やされた。
自由時間はないに等しく、生活の全てはこの上ない苦行そのものであったが、
タカシは文句を言えるような身分ではなく、必死で日常を過ごして行った。
思えば、前回のタカシの人生は早く短く過ぎ去った。
学習した記憶よりも、戦犯として捕まり拷問を受けた記憶ばかりが強烈で、
『教育を受ける一般的な少年』と言う感覚を取り戻すのには多大な労力が要されたのだ。
一度失った感覚は取り戻すのに時間が掛かる。
まず、目覚めてからの一年は、その感覚を取り戻すことに始終していたようにタカシには思える。
だが、その感覚に慣れ、かつタカシと名乗ることになれた頃には、
その肉体の年齢に引きずられてでもいるのか、
思春期の少年然とした振る舞いをごく自然に取るようになっていた。
308 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:04:06.40 ID:PPbBn0gE0
つまり、思考回路が少年らしく変化し、中身が三十路を越えた男とは思えないような、
例えば、やや自信家で、少々我がままで、若干癇癪を起こしやすい、
そんな振る舞いを意図せず取るようになっていたのだ。
これに一番困惑をしたのはミユキの父であろう。
ある日の朝にはは息子のことなど忘れたかのように『ミユキとの結婚はない』と言い放ち、
その晩には『今朝の話は嘘だ』と思いつめた顔で告げるのだ。
しかもそのジグザグとした不可解な言動はタカシ自身がコントロールしてわざと行っているものではなく、
自然と勝手にそういう思考回路になってしまい周りを振り回すのだというからたまらない。
だが、周囲の人々以上に戸惑いっているのは他ならぬタカシであった。
まず、感情がコントロールできない。
子供っぽい自分を制することができない。
そんな自分に遭遇するのは初めてのことで、
どこか精神的におかしくなってしまったのだろうかと危惧したものだ。
だが「しかしよくよく考えてみれば、
ミユキも中身が五十を越えた中年女とは到底思えぬような少女然とした振る舞いをそており、
そのような結果を鑑みれば、なるほど、
精神の成熟度は肉体に引きずられがちになることは決して珍しくないらしいと
タカシは判断するに至った。
ある日は息子を人質に取られたことに怒り狂い『人身御供だ』と涙を撒き散らしながら叫び、
ある日は『すまなかったと』懇願をする。
いずれはこの激しい情動も肉体の成熟と共に落ち着くだろうと医師に――、
あのマッドサイエンティストの決して数の多くない門下生たちだ――、と告げられ、
それに安堵したのか、タカシの精神も次第に落ち着いていった。
ただし、タカシやミユキのような脳移植を受けた例は少ない。
非合法な行いを戦中に行っていたマッドサイエンティストの例を含めればかなりの数になる術例も、
公式的なものとなればその数は激減した。
そのため二人には長期的な診察が要されたが、肉体的には全くの健常であり、問題はないだろうと診断を下され、
移植を受けたあくる年には一般的な十六歳に交じって、それぞれ義務教育高等学校へと入学を果たし、
つつがなく三年間は刹那に過ぎ去っていった。
そしてついに十八の肉体的誕生日を迎えた翌日、タカシはミユキと婚姻関係を結んだのだった。
309 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:15:15.60 ID:PPbBn0gE0
「流産したの」
ミユキは夕食を囲みながらぽつりと告げた。
二十一歳二ヵ月、婚姻関係をミユキと結んでから三年以上が過ぎ去った夜、
ミユキから告げられたその言葉にタカシは「そうか」、と短く返答した。
つまり、また数ヶ月の期間をおきその後『お勤め』をせねばならないということだ。
しかしタカシは、うんざりとすると同時にホッとしていた。
――着床しなかった、流産した。
様々な理由があったが、種が悪いのか畑が悪いのか、ミユキはなかなか子を身篭ることができなかった。
医師の診察を受け両者共に肉体的な問題は見受けられないとされていたが、
本当にそうであるのか怪しいものだとタカシは考えた。
この国の出生率は四十年ほど前から落ちている。
ここ数年の間に算出が行われ、と同時にそれらは国から開示されることととなり、
漸く公に少子化現象が認められたのだ。
兆候が見られはじめた最初の年は戦争の真っ只中にあったためか、
国民が「なんとなく」感じていたことであっても、データとして公にすることは憚られたようだ。
そして戦争も終わった現代、国は出生人数を向上させるべく人工的な妊娠を奨励し始めた。
国民の大半もそれを受け入れており、夫婦の精子と卵子を受精させる一般的な体外受精は勿論のこと、
未婚女性には容姿や頭脳の優れた男性の精子を受精することができる『選別的体外受精』も人気であった。
これは、子供の性別も選択できる、非常に優れた受精方法だった。
しかしミユキもタカシもあくまでも自然な妊娠にこだわったため、それらの方法を率先して取ることがなかったのだ。
「残念だわ」
婚姻関係を結び、三年。となると、そろそろ保健所から体外受精のお知らせ、などという通知が届く頃だろうか。
そんなことを考えながら、タカシは野菜炒めを箸でつまんだ。
「気を落とすことはない。ミユキはまだ若い」
「ええ、そうね」
310 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:18:04.38 ID:PPbBn0gE0
タイムリミットははるか先のように思えるが、しかし、時間とは瞬く間に過ぎ去っていくものなのだ。
――最早自然妊娠は不可能なのではないか。
タカシは顔には出さずに時々そんなことを考える。
女性の五人に三人は自然妊娠が難しいとの裏づけがなされた昨今、
ミユキがその三人に含まれることは数度に渡る結果を見れば最早明白で、
それならば国の金銭的な支援も受けられる今、積極的に体外受精を受けるべきなのだ。
出生人数の低下――それが叫ばれ始めてから十年ほどになるという話だ。
深刻な大気汚染が原因のひとつではないかとされていたが、本当のところの原因は判らずじまいだ。
国には特定する気がないのだから仕方がない。例え大気汚染が原因と確定したところで、
打たれる対策はさしてないに等しいのだから、あえて特定をせずにいるのだろう。
そんな事情もあってかミユキの妊娠は遠い夢のように感じられていた。
肉体的に問題がない、などと言う言葉は詭弁であろう、と言うのは、
タカシを含め子を得られない夫婦たちの共通認識であるようにさえ感じられる。
だが、今しばらくは子が生まれなければいいともタカシは考えていたのだ。
彼女が無事出産をせねば息子の『再現』もまた夢と終わる。
それはなんとしても阻止せねばならなかったが、実のところ、タカシはまだ未来を決めかねていた。
問題はそう、ミユキの父だ。
彼がなにを思いタカシを女婿として迎え入れたのかが、その腹が判らぬ以上は動くことはできない。
ミユキとの『お勤め』は少ないに越したことがないし、
タカシもさっさと体外受精に切り替えたいというのが本音であったが、それは彼女の妊娠を早めるばかりで、
タカシにとっての根本的な問題の解決は望めぬままになってしまうのではないかと危惧しているのだ。
ミユキの子が生まれたとして、なにかと理由をつけられ息子の『再現』が行われず
『そんな約束をした覚えはない』と約束を反故にされる可能性も大いにある。
それを阻止するためにも何故タカシがミユキへと宛がわれたのか本当の理由を知る必要があったのだ。
「お義父さんには?」
「伝えてないわ。着床したことも言ってなかったから。またがっかりさせたら可哀想だもの」
額に掛かったか髪を細い指先で避けながらミユキは答えた。
「……また頑張ろう」
心にもない台詞を口にすれば、少しだけこけた頬を微笑ませ、ミユキは「ええ」と返事をして見せた。
「男の子がいいわ。男の子なら、きっと貴方によく似ている」
「それは判らない。男児は母親に似るとも聞く」
仲睦まじい夫婦が互いを支えあっているように見えるような薄ら寒い会話だ。
タカシは溜息を飲み込んで食事を続けた。
311 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:20:26.24 ID:PPbBn0gE0
「いつもと変わりませんよ」
その探偵は、近代的な街並みにそぐわぬ煤けた屋台で、出所不明の肉をつつきながらまずそう切り出した。
彼が日中のオフィス街に紛れ込むべくカムフラージュの為に着込んだスーツは、
普段愛用しているヨレヨレのコートに比べれば随分と上質なものに見える。
赤い提灯が風に揺れ暗闇に光りの残像を残していくのを目で追いながら、
タカシは一先ず「つくね」と注文をする。
「私はネギマ……、貴方が指定した一族、どんな関係が貴方とあるのか判りませんけど、サッパリですよ。
まず『あの』一族――、毎回お尋ねしてますけど、この一族と貴方はどんな関係なんですか?
ああいいですよ、どうせ答えてくれないんですから」
「悪いな」
タカシはくすんだ色のコップでアルコールを煽りながら形ばかりの謝罪をする。
――己の一族を調べるのは妙な気分だった。
この二年もの間、タカシは自分を育んでくれた一族を、その末端まで探している。
一族特有の病に侵される女たちを守るべく、濃い親戚づきあいを続けてきた一族は、
ある者は戦火の中で、ある者は病で、ある者は――、タカシの生み出した水製造機の為に死んでいった。
迫害を受けたのだろう。暴行を受け死んだ者も少なくはなかった。
だからこそ、タカシは自身の一族を探っているのだ。
「この一族、やっぱり一人を残して死に絶えてますね。ま、戦争がありましたからねー、仕方がないです。
何度も調べましたけど、女性一人だけしか生き残ってない。
本家を継いだ人間もいませんし、末端の末端、ただ一人生き残った女で、彼女、今年三十五歳なんですけど、
アルツハイマー病で入院中です。若いのにねぇ。そして訪ねてくる親族は一人もおりませんし、
天涯孤独ってのは本当かと」
その言葉に、タカシは胸を撫で下ろした。
例えば、自分の見知った顔が生き残っていたのならば、
タカシはそこに赴き対象をしつこく尋問することになっただろう。
そう、タカシは、自身の親族があのマッドサイエンティストへと誤った情報をリークしたのではないかと
疑っていたのだ。
312 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:23:56.80 ID:PPbBn0gE0
思えば、一族はタカシが戦犯となったことによって不利益を被った者の集団なのだ。
そのタカシへと一矢を報いようとするのはごく自然な感情の流れであろう。
一族の女たちは、呪われた持病の治療のため、自己注射を行っていた者も居た。姉もそのうちに一人だ。
薬剤の注入はもとより、大病院を受診する際にスムーズに診察が済むよう、血液検査が必用な場合はあらかじめ
血液を自宅で採取することもあった。
つまり一族の者は、注射器の扱いになれていた。
その上、一族間では密な親戚づきあいをしており、互いの知り合いを把握していた。
もしもタカシに憎しみを抱く親族が、姉の血液をタカシのものだと偽り提供したとしたら、
マッドサイエンティストが戦時中の混乱の中、
たった一度の血液検査のみで脳移植が可能であるかどうかを判断し、
最終的な検査を碌に行わずに移植をしたのにも合点がいく。
報復の機会を虎視眈々と狙っていた一族の誰かによって、タカシも、またあのマッドサイエンティストも
陥れられたのかもしれない――、タカシはそう考えていたのである。
通常は親子間で一致しないことが殆どであるHLA抗原であるが、息子のタカシはその特異な出自故に
タカシとの適合率は兄弟間のそれと同等の、1/4の確率までに引き上げられる。
だが、それはタカシと息子との適合率としての話だ。
タカシと姉、二人合わせてての適合率ならば確率は1/4+1/4で1/2までに引き上げられるのだ。
姉と息子が適合しなかった場合、またはタカシと息子のHLAが一致した場合には、復讐は失敗に終わるだろう。
だが万が一、姉と息子が適合しており、姉の血液をタカシのものだと偽っていたとしたら?
マッドサイエンティストは、姉の血液をタカシのものと信じ、タカシの脳を息子に移植しただろう。
実際、あの女は何かの根拠を持って移植を遂行した。
だが、実際には移植は成功することなく、息子は死に、そして表向きにはタカシも死んだ。
タカシに復讐をしたいと望む者がをあの女に渡していたとすれば、
これ以上にいい報復はないだろう。
タカシを苦しめて得をする人間は、考えてみれば己の親族であると言うのが最も妥当な考えだ。
313 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:26:50.04 ID:PPbBn0gE0
タカシは姉を助けるために政府へと技術提供をしたわけだが、
名声を博するようになるにつれ、国から一族全体の治療費を工面する動きが見られた。
つまり、一族全体がタカシのおかげで潤ったわけだが、それもある日を境に一転することとなった。
タカシが戦犯となった為だ。
親族たちにとって、タカシは自慢の存在から、国内に戦争の火種を作った悪魔となったのだった。
同時に、親族たちも迫害されるようになったのだから、
彼らにとってタカシの存在は悪魔などと言う生易しいものではなかったのかもしれない。
復讐を誓うには充分すぎる要因をタカシは保持していたのだ。
「大丈夫ですか?」
探偵に声を掛けられ、タカシはハッと現実へと引き戻された。
単なる仮定であったが、可能性としては一番濃厚な線だろう。
「引き続き捜索しますか? 打ち切りますか?」
――タカシは、息子を諦めきれずにいた。
再現される息子のことではない。『オリジナル』の息子のことだ。
誰かがマッドサイエンティストへと嘘を吹き込んだことによって息子は死んだ。
その犯人を、タカシはどうしても突き止めたかったのだ。
敵討ちなどと言う高尚なものを目論んでいるわけではない。
ただ、誰かのせいで息子が死んだのだと結論付けたかったのだ。
「あの……」
「引き続き頼む」
「判りました」
冷たい木枯らしに頬をなでられながら、タカシは短く告げた。
タカシの推測が当たっているのなら、犯人はすでにこの世に居ないかもしれない。
だが、タカシはその人物を知りたかったのだ。
何故それほどまでに執拗に追い詰めたいのかと言えば、答えは単純明快だ。
「逃げたい」
ぽつりと呟いた言葉に、探偵が「はい?」と返事した。
「いや、なんでもない」
タカシは、自身の誤った選択で息子を喪ったことを悔いていた。
その思いは、一人で抱えるには重みがありすぎるのだ。それをどうにか小さくするには、
自分以外の誰かの所為で息子の命が喪われたということにしたいのだ。
そうしなければ、あまりにも重かった。
一族を探し出し、何かしらの理由を聞き出したい。
だが、聞きだせる人間が居ないのなら、『諦めるしかない』。
そんな風にして、タカシは自身を誤魔化し続けているのだ。
314 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:29:06.28 ID:PPbBn0gE0
「……まぁ、なんでもいいですけどね」
肉が焼けるくすんだ空気を振り払うように、探偵は酒を煽りつつ言った。
「私は金さえもらえれば文句はありませんよ」
正直な男だ。
探偵は、一族ひとりひとりの死因を具に調べていた。何故殺されたのか、どんな人物だったのか。
だがタカシはそこまでは望んでいなかった。単純に一族が『生き残っているかどうか』を知りたかったわけだが、
それでは流石の探偵もタカシのことを訝るだろうから、それらしい理由を添えて調査を続けさせている。
きっと誰がリークしたのかは判らず仕舞いであろう。
探偵は自身が調べている一族が、悪名高き水製造機を生み出した戦犯の一族であると疾うの昔に知っている。
タカシが水製造機を我が物にせんとしているだとか、または水製造機で不利益を被っただとか、
そんな線で調査を依頼されたと思い込んでいることであろう。
クローン技術は一般的なものとして浸透してきたものの、
脳を挿げ替えるという使い方は一般的とは言いがたいため、
今目の前に居るタカシがまさかその『戦犯』だとは露ほどにも思っていないに違いない。
タカシは三十年近く前に失踪ののちに死体が見つかったということになっていたし、
その死体も暴行を受けたようにひき肉状態だったとの探偵の報告があるからこそ、
あのいけ好かないミユキの父が言ったように、タカシはまっさらな少年――、否、もう青年だが――、
として生きていけるのだ。
死体が実際のところ誰の者であるのか、タカシは知る由もないし興味もない。
「それでですね」
タカシが残り僅かとなった酒をグイッと飲み込むと同時に、探偵はそう切り出した。
「『こっち』についてもあまりいい結果をお持ちできませんでした。面目ない」
「うん、そうか」
315 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:33:09.14 ID:PPbBn0gE0
タカシが探偵に調べさせているのは、己の身内についてのみではなかった。
「真っ当に会社の親分をしてますよ。あ、カワください」
あいよ、と大将は軽快な返事をひとつして、網の上へとその妙に黄色っぽい肉を並べていった。
「そうか……」
二週間ぶりの報告には何ひとつ芳しいものがなく、タカシは口を引き結んで渋面した。
ミユキの父親の動向について、タカシは二年もの間探っていた。
タカシを女婿として迎え入れたその行動にはなにか目的が隠されているはずだと踏んでから早数年、
しかしあの男が尻尾を見せることはなかった。
「朝の出勤、それから退勤、会うの仕事関係の人間ばかりですよ。
大企業のシャチョーさんで怪しいやつってのは、大体ガラの悪いのとか人相が悪いのとか、
要するに真っ当でない人間と付き合いがあるのが普通ですけど、
清すぎるくらいに普通の生活をしてますね。貴族や政治家のお友達はたくさん居るみたいですけどね、
それも大して面白い会話をしているわけではない。いつもと同じですよ」
タカシがこの探偵を雇い始めてもう二年になる。
その間定期的に繰り返される報告にはなんら怪しいものはないと言うのが現状だ。
この探偵がタカシを裏切らないとも限らないため、他に九名の探偵を雇っているが、
みな口をそろえて「怪しい動きはない」との報告を繰り返していた。
「タカシさん、貴方が想像するようなことは、なにもないのではないですか?
もう二年も私はあの老人を追いかけてますよ。それこそストーカーのように。
今では彼の経歴を諳んじることもできますし、彼が愛用しているシェービングジェルの名前も判るほどだ」
タカシの妄想ではないのか。雇った探偵はそれぞれ、その言葉をオブラートに包んで告げ始めている。
頭の狂った義理の息子が義父をストーキングしている。しかも相手はあのA社CEOだ。
これ以上に面白いスキャンダルはないだろう。
そのような醜聞が漏れ出ぬよう細心の注意を払い人選はしたつもりだが、
やはりかすかな不安は拭えずに居るのもまた確かだ。
そろそろ潮時だろうか。タカシ自身もそんなことを思う時間が増えてきた。
316 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:35:58.09 ID:PPbBn0gE0
ただミユキ可愛さに、彼女の願いを叶えるべく義父はタカシをミユキに宛がったのではないか。
戦犯の汚名を着せられたといっても、二十五年も前のことだ。
以前のタカシ――、つまり『三歳で死んだ男児タカシ』の父であった男は、
公文書上では死亡したことになっているし、
今ここに生きるタカシは何の汚点もない人生を歩む戦後生まれの青年だ。
戦犯でもなく、研究者でもなく、近親相姦で子をもうけた穢れた男でもない。
そう、大企業の物好きのCEOが、身寄りのない才覚ある青年を引き取り娘に宛がっただけ。
プレスにも顔を出すことのないタカシの存在は、A社の上層部ではそのように捉えられており、
ミユキの存在はと言えば「生体利用アンチエイジング」を受けた「ちょっと痛い娘」と言う程度の存在だ。
クローンを栽培してその脳をくり貫き自己の脳を植えつける鬼のような所業が
「生体利用アンチエイジング」などと言う名称で罷り通っているのには驚きが隠せないが、
とにもかくにもミユキやタカシの存在はそのように捉えられていた。
水製造機もなにもかもが関係ない世界で生きるまっさらな青年なのだ、今のタカシは。
ただ娘を幸せにしてやりたくて、そんな男を――?
怪しげな肉を口に運び、咀嚼する。
ジワッっと肉汁が口に広がり、タカシはそのどこか焦げ臭い匂いに眉を顰めた。
そこはかとなく機械油の匂いがするような気がした。失敗したかもしれない。
「娘のほうも同様ですね。ご学友と会ってお茶をしたり、あとは定期的に病院へ通うくらいで。
あとは気分転換のために散歩をしていたり。この辺りは貴方もご存知でしょう」
そう、ミユキは逐一その日のスケジュールをタカシに報告してきたから、それを知らぬわけではなかった。
父が駄目なら娘を探ってみろと探偵に依頼を出したものの、
やはりこちらからもそれらしい話が漏れることはなかった。
「時々お墓参りに行ったりして、なんていうか、いい奥さんじゃないですか」
いい奥さん、いい義父。その通りなのかもしれない。
だが、やはり心の片隅に巣くう不安は打ち消せなかった。
なにかがある。なにかがなければ、タカシを助けるはずがない。
そんな風に思えてならないのだ。
どうしますか、続けますか、と探偵が訪ねてくる。
毎月費やされるこの費用も馬鹿にならない。だが、それでもタカシは「頼む」とたった一言だけで
周囲を疑い続ける道を選ぶのだ。
人は疑うべき存在だ。二度と騙されないために、タカシは人を疑い続ける人生を選ぶのだ。
317 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:39:35.03 ID:PPbBn0gE0
****
タカシは焦っていた。
ミユキが妊娠をしない。
もう何度目だろう。流産について、そして月の物が来たと言う報告も、もう何度目になるか判らない。
「そうか」と言う答えも日に日にぞんざいになり、おはようの挨拶と同レベルの重みと化してしまった。
数えるのもやめてしまった。着床したかと思えばすぐに流れる。
ミユキの母体に問題があるのかと思い検査をしたこともあるが、問題は一切見つからなかった。
排卵もある、卵子の質も悪くはない、子宮も健全に保たれている。
ではタカシのほうはどうかと言えば、こちらもミユキ同様に初期の検査では『問題なし』とされていた。
『前回』の短い『生』では姉は妊娠をしたことから、DNAが全く同じ今回の体で何かしらの問題が
生じることはないと考えていたのだ。
しかし、もうタカシには時間がなかった。
何故か妊娠できないミユキ――、おそらく環境の所為だろう――、の
人工的でない自然な妊娠を待っている余裕はなかったのだ。
もうこれ以上は待てない。待てないが、何をどうすればいいのかが判らない。
人工的な妊娠をミユキに促すも、彼女は首を横に振り頑として頷かない。
最早お手上げである。
婚姻関係を結び、六年目の夏、タカシは自ら医院へと赴き再び自身の体を検査した。
それくらい、焦っていた。
しかし医者から告げられたのは、タカシの望んだ答えではなく、
やはりタカシの精子にも問題はないこと、体外受精を勧めると言う旨の話だった。
体外受精は今や珍しいことではない。多くの夫婦が利用しているし、
自然妊娠と同じくらいにスタンダードな妊娠方法だった。
ミユキが何故そこまで自然な妊娠にこだわるのかが理解できなかった。
偏見があった時代ならともかく、
今は広く受け入れられている子をもうけるその方法を厭う理由が皆目判らない。
病院をあとにし、タカシは馬車に乗り込み家路を急いだ。
318 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:42:45.94 ID:PPbBn0gE0
信号で立ち止まると、浮遊した電光掲示板に
『クローン禁止法来再来年春施行決定』の文字が大きく浮かんでいるのが目に留まる。
額に手をつき、大きく溜息を吐く。
長らくの間、一部の国民から「受け入れがたい残虐な行為」とバッシングをされ続けていたクローンのパーツ買いが、
ついに法として禁止される運びとなったのだ。
これに伴い、生体パーツの体の部位単品での製造は可能であるが、
人を丸々と作ることは禁止されることとなった。
人を丸ごと作るよりも、生体パーツとして人の体の部分部分を生み出すことの方が技術的に難しく、
また金も掛かるために、その技術はあまり浸透していなかった。
人間は卵子の核を取り除き、人の細胞を中に注入すれば勝手に育つ。
だが、部分的な育成は、特別な細胞を要し、その権威であった博士が死亡したため――、
殺したのはタカシであるのだが――、パーツ生成が一般の流通に乗るまでに多くの時間が費やされたのだ。
だが昨年の冬、ついにその技術が完全な形で確立され安定性を持ち、
その手の技術を身につけてきた専門医ならば誰でもパーツ生成を行うことができるようになったのだ。
と、同時に、クローンは正式に禁止されることとなってしまったのである。
即ちそれは、再来年冬以降は息子を『再現』できなくなるということだ。
いかにA社が金持ちであり、そのCEOであるミユキの父が暗躍しようとも、
それなりに大掛かりな施設を要するクローンをこっそりと作り出すことは不可能だろう。
今、無理やり作ればいい。そう考えるが、しかしタカシには、どこに息子の細胞があるのか、
また脳のスキャンデータがあるのか、それさえ教えられてなかったのだ。
間抜けな話だと思う。散々『そこに保管してある』とされていた場所にもタカシは立ち入ることを許されなかったし、
許されたとしても、人を生み出すクローン技術には数千万の資金が要され、
ミユキの父のお情けでA社の子会社で身分を隠し平社員として働いているタカシにはそんな大金はなかった。
タカシが息子を再現するには、ミユキが今すぐ妊娠をすることしか道がないのである。
なんとしてもミユキには妊娠をしてもらわなくてはならない。そうしなければ、
好いても居ないミユキと婚姻関係を結び『お勤め』を果たしている意味がなくなる。
ミユキの父が何を考えてタカシを女婿にしたのかは未だ明らかになっていない。
だが、どうやらそれをゆっくりと探っている時間はなさそうだ。急がなくてはならない。
319 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:44:50.29 ID:PPbBn0gE0
あの男は、ミユキが出産をしなければ再現は行わないと言った。
どんなにタカシがごねても、約束は条件を満たした時にしか遂行されないだろうし、
最悪の場合約束を反故にされる可能性もある。
「チクショウ……」
舌打ちをしつ呟いた声は、馬車の揺れる音にかき消される。
子供なんて欲しくはない。好きでもない女と自身のDNAが交じり合ったイキモノなど愛せるわけがない。
だが、子供が生まれないことには再現は行われない。タカシの息子であったあの子供は永遠に喪われるのだ。
どんな声をしていたか、どんな顔で笑ったか。
年を追うごとにそれらの記憶はどんどんと磨耗していき、少しずつ日々の忙しさに混じって薄れていくのだ。
それが恐ろしくて、タカシはを拳を強く握り締めた。
姉から与えられた、ただひとつの存在なのだ、息子は。
なんとしてもこの世に呼び戻さなくてはならないのだ。でなければ、タカシがここにいる意味はなくなる。
生きている意味が、ない。
そうだ、生きている意味なんて、もう疾うの昔に喪われていたのだ。
息子がいること、ただひとつそれだけがタカシがこの世に生きる意味なのだ。
たとえ息子が呪われた子だとか、鬼の化身だとか、そんな風に身内から蔑まされたとしても、
姉が死んだあともタカシが生き続けるたった一つの理由だったのだ。
身勝手だと罵られても、息子には生きていてもらわなくてはらないのだ。
だから、今すぐにミユキを説得しなくてはならない。
なんとしても、人工的な手段に頼ってでも子を産んでもらい、そして早くに息子を再現しなくてはならない。
馬車が止まった。
いつの間にか自宅に到着していた様だ。
「着きましたよ」
御者が扉を開けると、タカシは礼もそこそこに庭へと素早く降り立った。
結婚と同時に与えられた邸宅は回廊型をしている。
なんとも不便な造りで、タカシはこの家が好きではなかった。
芝生を踏みしめ玄関へと向かう。その重厚な扉にはすぐにたどり着き、タカシは指紋認証をすべく
指先を小型端末に押しつけた。その僅か数秒の判定にさえタカシは焦れ、そして認証が降りた瞬間に
鍵穴へと鍵を乱暴に突っ込んで扉を開けた。
なんとしてもミユキを説得する。誓いを胸に、靴を放り出すようにして脱ぎ、上り框へと足を乗せた。
320 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:46:25.16 ID:PPbBn0gE0
午後三時を回ったこの時間ならば、彼女は角部屋に当たる『八の間』でお茶でも飲んでいることだろう。
タカシはすぐさま左を向いて八の間を目指した。
己の足音がどすどすと醜く響く。ミユキはそのような乱暴な歩みをひどく嫌ったが、
そんなことを気にしている場合ではない。
「ミユキ!」
歩みを進めつつ、怒気を孕んだ声で女の名を呼ぶ。
子供を、産ませる。タカシの頭にはもうその考えしかなかった。
ミユキはただの道具だ。息子を再現させるための手段に過ぎない。
愛情の欠片もなく、ただ、息子の為の道具に過ぎなかった。それでもいいと言ったのはミユキだ。
だからタカシはそれを利用したに過ぎず、なにも悪くないはずだ。
種が欲しいのならばくれてやろう。そこに愛情は欠片さえ、ひとしずくさえなかったが、
ミユキは確かに「それでいい」と言ったのだから。
「ミユキ!」
タカシの濁った怒声に反応するかのように、八の間の襖が開けられた。
「タカシさん、大きな声を、」
「体外受精をしてくれ」
タカシの乱暴な動作と声に眉を顰めつつ顔を覗かせたミユキは、やぶからぼうに告げたタカシの言葉に、
一瞬唖然としたのち、目を瞬かせて見せた。
何を言っているのか理解しかねる――、そんな顔に見えた。
しかし、そう思ったのはタカシのみだったのかもしれない、
ミユキはぽかんと開けた口をすぐさま引き結び、そして口角を上げて見せた。
「嫌よ、絶対に嫌」
タカシの鼓膜を振るわせたのはそんな言葉で、ミユキはきっぱりと拒否を示したのち、
優雅に小首を傾げて見せた。
「ミユキ……」
「二人で話し合ったでしょ、妊娠は自然の流れに任せようって。今さらなんなの?」
ずり下がったストールを引き寄せ、ミユキは「嫌よ」と繰り返した。
彼女が自然妊娠にこだわる理由が皆目判らない。
体外受精は今やスタンダードな妊娠方法であるし、差別的に揶揄されることもない。
だというのに一体何故彼女は自然妊娠にこだわっているのか理解に苦しむ。
321 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:48:38.09 ID:PPbBn0gE0
「時間がない」
タカシは声をしぼませて正直に言った。
「クローン禁止法が可決された」
「そう」
だからなんだというのか。そう言いたげな眼差しのまま、ミユキは真っ直ぐにタカシを見つめてきた。
あれほどまでに息巻いて帰宅したというのに、彼女を説得する言葉はひとつも見つからない。
どうすれば説得できるのか、どうしたら彼女がその気になるのか。
渦巻く疑問は、頭の中で膨れ上がり、
だがその無為に過ごした時間からは、適切な言葉を見つけ出すことができなかった。
やがてそれは苛立ちに変わり、タカシはガシガシと頭を掻いた。
――ミユキは、これほどまでに物分りの悪い女だっただろうか。
ふとそんな疑問が頭を掠めるが、しかしタカシは自身が思っている以上にミユキのことを知らない上に、
「どうでもいい人間」とカテゴライズしていることに気がついた。
なにせ、彼女をその気にさせる言葉を見つけ出すことさえできぬのだ。
「ふふ……」
静寂を破ったのは、ミユキの笑い声だった。
「ミユキ、」
「あははは!」
彼女は体を「くの字」にまげて笑い出した。
折り曲げられ揺れ出した体の向こうにティーテーブルが見え、
タカシはその対となる椅子に座す人物が居ることに、今さら気づいた。ミユキの父だ。
彼は二人の成り行きを黙って見つめていた。
「私、待ってたのよ! ふふ、おかしいわ、タカシさんったら!」
「ミユキ……?」
「私、クローンが禁止されるのを待っていたの! 気づかなかったの?」
涙の浮かんだ目で、ミユキはタカシを見た。
ああ、とタカシは今更ながら合点がいったのだ。
今までタカシは、ミユキをただの金持ちのあまり頭のよくない娘だと思っていたが、
タカシ自身もあまり頭がよくないのだと気づかされる。
――ミユキは、最初から息子を再現させるつもりなどなかったのだ。
322 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:50:04.51 ID:PPbBn0gE0
「絶対嫌よ。なにもかもが全て嫌!
人工的に妊娠をするのも嫌、貴方の息子を再現するのも絶対に嫌、娘を産むのも嫌!」
全部嫌なのよ、とミユキは捲くし立てるように言った。
回廊の家には光りがあまり入らない。それを補うようにしている擬似太陽光LEDが、
彼女の病的にまで白い肌を照らしていた。
おかしそうに笑う彼女は口許を醜悪に歪め、「馬鹿ねぇ、タカシさんったら」と言い放った。
「ミユキ……」
「貴方のお姉さんにできて、私にできないはずがないわ。
ねぇ、タカシさん、私が貴方のお姉さんに劣っているわけがないの」
ミユキは涙で濡れた目元をきつく吊り上げ、そして真っ直ぐにタカシを見た。
タカシの姉に自分が劣っているわけがない――、そう言い聞かせ、
つまり、彼女はずっと姉に張り合っていたということか。
――姉が自然に妊娠をできて、ミユキにできないはずがない。
彼女の自然妊娠に対する拘りは、そんなちんけなプライドによって齎されたものだったのだ。
女として情を掛けられていないことを理解しているはずの彼女は、
愚かしくも心の底では姉に張り合っていたとうことだ。
そんなこと、無駄だと言うのに。
タカシにとって姉は唯一の存在であるし、他の者にその立場か挿げ替えられることはこの先ない。
ましてや姉は死人であって、死者が生者より美しく記憶に刻まれているのは至極当然のことだ。
タカシの目に姉よりもミユキが美しく映ることはないし、女として上の存在になることもない。
ミユキはタカシを侮蔑するような視線を投げ掛けている。その顔のなんと醜悪なことか。
タカシも口許を歪めて彼女を見た。
「何度か妊娠したのよ」
ミユキは不遜な態度でチェアへと腰を下ろした。
彼女の向かいには、彼女の父が座していた。
「……流産しただろ」
「してないわ。妊娠するたびに、堕胎していたの」
「嘘だろ……」
ミユキの告白に、タカシは頭を振るった。
「本当よ」
ミユキがなにを考えているのかが判らなかった。
そしてタカシは、己がショックを受けていることがなによりも意外であった。
ミユキとの子供など要らないと、確かに思っていたのだ。だがどうだ、堕胎した――、
それも何度か堕胎したと告げられ、タカシは自身でも驚くほどに動揺していた。
「何でだ……」
「女の子だったのよ。女の子なんて要らないわ」
「何故だ」
「女の子なんて、貴方がなにをするか判らないじゃない」
323 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:51:55.95 ID:PPbBn0gE0
一瞬、頭が白くなるのをタカシは感じた。
白くなった思考のまま、ミユキに近寄り彼女の衣類の襟元を掴み手を振り上げた。
「やめろ!」
成り行きを静かに見守っていた義父が俊敏に動き、タカシの前に立ちはだかると、
その手を掴み、動きを制止させた。
老人の者と思えぬ力強さは娘可愛さ故に発揮されたものか、
枝のような腕はタカシの手首をきつく握り締めたまま、
ミユキを庇うようにして前に立ち、鋭い眼光でタカシを睨みあげてきたのだった。
ミユキは父が動くのを見越していたのか、のんびりとした眼差しでタカシを見ている。
「タカシ君、ミユキから手を離しなさい」
地鳴りのような低い声で言われても、タカシはその手をミユキの襟元からどけることができなかった。
「離しなさい!」
二度目の命令に、タカシは仕方がなく手を下ろした。
ミユキが優雅に微笑んでいる。穏やかな笑顔に無性に腹が立った。
タカシは近親者ならば誰もでもいいケダモノと言うわけではない。
ミユキの中ではそれが真実であったとしても、それは実際のタカシではない。
それは、確実に誤解である。
――だがそれを弁明してどうなるというのだろうか。
元々上手く行くはずのない関係だったのだ。
タカシにとってこの婚姻は目的があってのものであった。ミユキにしても同様だ。
誤解を正すことで修復されるような関係では、元々なかったのだ。
「男の子じゃないと駄目」
ミユキがぽつりと言った。
「どうしても、男の子じゃないと駄目」
選択的妊娠で、男児は確実に望める。しかし、彼女のプライドはそれを許さない。
だが、彼女は数回の堕胎を告白したのだから、姉に女性として劣ってるとは言えないはずだ。
なにが彼女をここまで追い詰めるのかが判らない。
いや、判っているはずだ、とタカシは考えた。
324 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:53:58.03 ID:PPbBn0gE0
彼女は、完璧でありたいのだ。
誰よりも完璧であって、完璧な子供を産みたいのかもしれない。
望むような、完璧な女、そして母でありたいのかもしれない。
だがその考えは結局のところタカシの思い込みかもしれぬし、
果たして彼女の心の奥底に巣くう答えが正しいものであるかどうかは判らない。
それほどまでに、タカシとミユキは完璧とは程遠い夫婦であったのだ。
「貴方に言っても判らないでしょうね」
彼女の感情の起伏についていけない。怒っていたかと思えば急に聖女のように微笑む。
不安定な精神状態は、タカシのせいなのだろうか。
そもそも、子を望みながら堕胎を繰り返す精神状態は、真っ当とは言いかねる。
一体何人の子供を堕胎したのだろう。考えただけで、タカシは気分が悪くなった。
「アンタも知ってたのか」
事の成り行きを見守るようにしていた義父に、タカシは問いかけた。
ミユキの父と言うより、祖父と行った方が年齢的に相応しいような男は、
シワが深く刻まれた顔を左右に振ってみせる。どうやら彼もミユキの堕胎に関しては知らなかったようだ。
「タカシ君」
老人がふいに口を開いた。
「水製造機が壊れつつある」
今、このタイミングでなにを言っているのだろう。
「そんなことはどうでもいい」
今はミユキの話をしている。娘が堕胎を繰り返していたことを、
この老人はなかったことにするつもりなのだろうか。
タカシは拳をきつく握り締め、「どうでもいい」と繰り返した。
「君が死ぬより前から、その兆候は見え始めていた。水が戦争の元凶であると怒りを抱き、
テロにあった機体も少なくはない。
襲撃の衝撃によって、君の仕掛けたブラックボックス保護のプログラムが起動して自爆した製造機も数多くある」
「今、その話は必要がないはずだ!」
「三百機あった製造機は、今や百機ほどしかない。それも戦争を経たため、各所にほころびが見え始め、
修理が必要な状態だ。だが、これらは君にしか修理ができない」
「アンタ……!」
「全てを直すことを条件に、君の息子を再現しよう」
325 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:55:46.57 ID:PPbBn0gE0
「は……?」
「お父様、なにを言っているの!?」
「国は今、修理が可能な技術者を欲している」
「お父様!?」
ミユキの甲高い声が老人を激しく非難した。
何故そんなことを言い出すのだ、酷い裏切りだ――、要約すればおおよそのの内容はそんなところで、
今にも始まりそうな親子喧嘩寸前の一方的な金切り声を、タカシはぼんやりと阿呆のようにして見ていた。
「ミユキを壊してしまったのは、私だ」
「お父様!?」
「私は、水製造機の利権が欲しかった。
君が死ねばミユキは必ず君を再現しようとすることは、判っていた」
ああ、とタカシは納得をした。
つまり、この老人がタカシと息子のHLA抗原が一致すると、『あの女』にリークしたということか。
タカシが死ねば、ブラックボックスの中身は隠匿される。永遠に。
タカシが死んだのならば、その中身の謎が表に出ることはない。
だがどうだ。もしタカシが記憶を保持したまま復活したとしたら。
もしもその復活ののち、タカシがこの老人の言うこと全てに従う人形であったのならどうだろう。
タカシは表向きには死んだこととになっている。
こんなに早くほころびが現れるとは予想外であったが、老人はタカシが死ぬその瞬間には、
もうこの未来を予測していたのだろう。
製造機は機械だ。いずれ壊れる。メンテナンスを要する状況になった場合、それを行えるのはタカシのみだ。
タカシの命を握りこむことで、そして息子と言うニンジンを目の前にぶら下げることで、
タカシはいいようにコントロールされるに至ったということだ。
「――チクショウ……」
最早、怒りさえ湧いてこなかった。
自分の頭の足りなさにただただ情けなさを感じるだけだ。
「姉貴の血液はどこから得た」
「君の叔父さんからだ」
なるほど、身内も確かにグルだったというわけか。
噛み締めた唇から鉄の匂いを感じた。
「俺を『買った』と言うわけか。あんたは」
おそらく、叔父には大金が流れたに違いない。
「アンタ、俺を買っただけじゃまだ足りないのか」
老人はなにも言わない。
「俺の『種』も道具にしたわけか」
やはり、老人はなにも答えなかった。
326 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:05:31.80 ID:PPbBn0gE0
思えば、ミユキは唯一つ、タカシの子供だけを望んでいた。
タカシに対して彼女が欲したのはそれだけだ。
老人は、タカシに人間的な情を期待していたのだろう。
子が生まれれば、それなりに愛情を感じるだろう。
その情はやがてはタカシをがんじがらめにすると考えたに違いない。
息子の再現を条件に、好いても居ない女と添うことを決めたタカシならば、
ミユキとの間に設けた子もそれなりに愛するだろう、と。
その子供を人質にすれば、おそらくタカシは言いなりになるだろう、と。
老人は、タカシを手の内で転がせるとそう目論んでいたのだろうが、だがそれは甘い考えだ。
「だが残念だったな。俺はこうなった以上ミユキと交尾するつもりはない」
「タカシさ、」
「水も記憶も知ったこっちゃない! お前らの馬鹿げた目論見に巻き込まれた自分が情けない。
お前にも、世間にも、うんざりだ」
タカシの人生は翻弄されっぱなしだ。
ただの開発者であったのに戦犯と罵られ、そして騙され殺された。
死んだと思ったら今度は勝手に生き返らされ、二度目の人生を歩み始めたかと思えば、
それは搾取されるためのものだった。
「水も、大戦も俺には関係ない! お前らが勝手に始めたことだ!!」
「タカシさん、」
「俺には関係ない! なにもかも!! 知ったことではない!
好きにしろ、もう好きにしてくれ、だがそこに俺を巻き込むな!」
肩を怒らせ、心に渦巻くどす黒い熱を撒き散らした。
タカシは、この老人の支配下で生きている。
情けないことに、そうしないと生きていけないのが現状だ。
「大戦なんて俺には関係ない! だが世間は俺を戦犯だと罵る!
俺のせいで何人死んだ!? そう問いかけては石を投げる! 勝手だろ!
俺を殺し復活させたアンタが欲しかったのは利権だと!? 人を二人も殺して、
なにを成し遂げたかったのかと思えば、そんなことか! 馬鹿馬鹿しい!」
「君はあのまま生きていたとしてもいずれは殺されていただろう」
「だから『殺して』助けてやったってか。ご立派だな!」
「君が死すれば安全な水は再び供給困難となり、国民の体はたちまち病に侵されることとなる」
「そんなこと、俺の人生にも『あの子』の人生にもまったく関係のないことだ!
勝手に病気にでもなんでもなって死ねばいい!」
「君の命が安全な状態で保たれていれば、苦しむ国民は減るだろう。君の技術は保管されるべきものだ!
その技術は永久に保存されるべきもので、引き継ぐべきものだ!」
まるで話しにならない。
老人の語る理想はすべてタカシの人生を犠牲にした上に成り立つもので、
そこに無理やり巻き込まれ、既に僅か三歳で散った幼い命もある。
憎しみが腹の中で増幅されていく。
327 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:07:18.46 ID:PPbBn0gE0
「人を殺してまで……、俺は、『そんなこと』をしてまで、
技術を引き継がせるのはおかしいと言っているんだ!
では俺が再び死んだらどする!? 技術は再び消え行くぞ! クローンは禁止されると決まった!」
「だから君の技術を私に開示しろと言っている」
「……はッ」
呆れてものが言えなくなるというのは、こういうことだろう。
ひとしきり怒りをぶちまけたのちに湧き上がったのは、呆れとそれに伴う嘲笑であった。
この男は、金のことしか考えていない。
金が全てなのだ。
ミユキに対して多少の愛情はあるようだが、それも金の為の道具としか思っていないフシがある。
息子を『再現』すると申し出たのも、『再現』が終わってしまえばミユキが妊娠を諦めると踏んでのことだろうが、
最大の目的はブラックボックスの開示であり、やはりミユキは二の次となっている。
つまり、愛娘に対して『死を望まない程度』には愛情を抱いているようではあるが、
その薄っぺらな愛情でさえ、何かしらの衝撃を与えれば剥離してしまうような脆いものなのではないか、
とタカシは考えた。
現に老人は、ミユキの体調よりも先に製造機の内部を気にしているではないか。
ミユキの存在は、老人の中では『二番目』なのだ。
だが、事がそう上手く運ぶものだろうか。最大の障害はミユキの存在だ。
再現を厭うミユキが納得するとは思えない。
――とはいえ、タカシも老人のことを批判できない程度には薄情なのは確かであろう。
タカシはどう足掻いてもミユキを愛することはないし、そしてこの先、一切の生殖行為を行うつもりがない。
ミユキなど、最早どうなっても構わなかった。
もしかしたら生まれていたかもしれない娘たち、彼女たちのことを思うと胸は痛んだが、
生まれても居らずタカシを『お父さん』と呼んだことのない胎児よりも、
タカシにとってなによりも大切なのは、やはり三歳で無残にも殺された『息子のタカシ』だけなのだ。
そう、タカシは誰よりも愚かなのだ。
タカシにとって、息子は全てだ。
息子が鼻先にぶら下げられたニンジンであるとわかった今、今後息子を再現することは
老人の思い通りに動かされることとなると充分に判っている。
328 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:08:51.45 ID:PPbBn0gE0
それでも、騙されていたと判っていても、タカシは愚かしくも望むのだ。
息子の『再現』を。
「……再現が先だ。そうしなければ俺はアンタにブラックボックスの中身を決して教えない」
「判った」
老人はあっさりと頷いた。
もしかしたら、息子の記憶や脳のスキャンデータはないのではないかと危惧していたが、
しかしそれはないようだ。タカシは心中安堵していたが、それは顔に出さぬように努めた。
二人の間で、取引は成立した。あとは息子を再現させるだけだ。
だが――、
「冗談じゃないわ!!」
金切り声が二人の間に割って入った。
「なんで、なんで、お父様、酷いわ、結局お父様、私を利用しただけじゃない! 私のことなんて、
私のことなんて、」
「違う、ミユキ、私はお前のことを可愛いと思っている」
「嘘よ! でなかったらこんな、こんな、酷い! どうして! どうして再現するだなんて言うの!
そんなことしないって言ったじゃない! 私、私にタカシさんの子供をくれるって、言ったじゃない!」
耳に突き刺さるような声は、酷い酷いと何度も泣き叫ぶ。
再現は行われない――、最初からそのつもりであったことに、タカシは驚きなど感じない。
正直、その可能性は大いにあると考えていたのだ。
もしもそうされた場合、ミユキが出産した子供を人質にとってでも再現を行うつもりだったのだが……。
「そうしてやりたかったさ! だがミユキ、お前は自ら子供を……、」
「うるさい! 女の子なんて要らないの! 男の子じゃないと駄目なのよ!! じゃないと、じゃないと……、」
「落ち着きなさい」
「絶対嫌よ!! 絶対に嫌! 再現なんて認めない! 絶対に!!」
「ミユキ、」
絶対に嫌。
ミユキは勢いよく立ち上がり、そして襖を勢いよく開けた。
白いワンピースが揺れている。
いつの日か、タカシを迎えに来たあの日のように、ワンピースの裾がタカシをからかうように揺れていた。
329 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:15:40.04 ID:PPbBn0gE0
***
ガガガガガ、と大地を大きく削る音がする。
今日もそこかしこで工事が行われているらしい。
「避難をしたいのよ。貴方にも一緒に居てもらいたい」
ミユキはチェアに座り込んだまま、轟音にかき消されそうな細い声で呟いた。
「警備アンドロイドも居るだろ。避難したいならすればいいが、俺が一緒に居る必要はない。
そんなに心配なら、二台でも三台でもアンドロイドを増やせばいいだろ」
タバコを携帯灰皿の上で押しつぶしながらぞんざいに答えると、ミユキは目元を吊り上げてタカシを見た。
「タカシさん、貴方はあの子がどうなってもいいって言うの!?」
漂うタバコの煙を払い、ミユキは俯いてみせる。
どうなってもいい? そうなのかもしれない。
ミユキが『一人』で身ごもった末に産み落とした子供など、タカシには関係のない存在のはずだ。
夫婦相互の同意の上のもとにもうけた子供ではないのだから。
「俺には関係ない」
「酷い……! あんまりだわ!」
「あの子はミユキ、お前が勝手に『一人』で作った子だ。俺は種を利用されていただけに過ぎない」
「遺伝子上は貴方は父親なのよ!?」
「お前の卵子を勝手に利用され、例えば隣の親父が『お前の子供だから育てろ』と子供をつれてきたとして、
お前はその子供を育てようと思うのか? お前が主張するのはそういう話であるし、
お前が俺にしたことはそういうことだ。俺は忙しい。帰る」
「待って!」
冷たい指先が、タカシの手首を掴んですがる。まるで蛇にまつわりつかれたような薄気味悪さを感じて、
タカシはその指を振りほどいた。
部屋の出入り口である扉が随分と遠くに感じられる。
待って、と叫ぶミユキの声に無視を決め込むと、漸く辿り着いた扉を開け放ち、
タカシは素早く部屋を後にした。
330 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:18:55.53 ID:PPbBn0gE0
飛び出すようにして玄関を開ければ、暖かい風が頬を撫でた。
気温は二十度前後。花粉も飛ばずに過ごしやすい気候だ。
他国の侵入に備えて上空をシールドで覆うようになったのは数年前のこと。
それと同時に、大日本帝国内の全ての気温も暑すぎず寒すぎずの気温に統一される技術も導入された。
今ではこの国は一年中『春』なのだ。なんとも不自然であるが、人の体は楽なほうへと流れ行く。
それでも春を感じられるのだから、不思議なものである。
「タカシさん」
春の匂いに一瞬だけ気を緩めたタカシを不快な現実に引き戻したのは、
工事の低周波でもなく、少しばかりまぶしく網膜を刺激する日光でもなく、
自身に呼びかける、まだ幼い声だった。
「タカシさん、こんにちは」
ミユキのものとは異なる、明らかに幼い男児の声は、しきりにタカシを『タカシさん』と呼び続けた。
「あの、タカシさん、話があるの!」
無視して歩き出すタカシに近づくべく、足音は必死といった様子で追いかけてくる。
――気味が悪い。
タカシは喉もとまでせり上がってきた言葉を寸でのところで飲み込むと、漸く観念して立ち止まった。
茶色く変色した芝を踏みしる足音は次第に近づいてきて、それはタカシの嫌悪も知らずに、
リズミカルに音を奏でていた。
「おいついた!」
はあはあと息を切らし、その子供はタカシを見上げ、そして汗で湿って張り付いた前髪を
乱暴に掻き揚げるとニコリと微笑んでみせる。
「あのね、」
小さな手はタカシの手の甲を掴む。
それは、何と言うことはない、ただの『親子』のスキンシップである。
だがタカシは、その柔らかい感触に物理的な、ゾワリとした不気味な塊が
背筋を辿って頭のてっぺんまで流れていくような感覚を覚えた。
331 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:30:22.19 ID:PPbBn0gE0
「……忙しいんだが」
「ごめんなさい。あのね、」
子供はもじもじとして、もったいぶった仕草でタカシを上目遣いに見た。
「……忙しいと言っただろ。話が無いのなら帰る」
「あ……っ」
掴まれた手をするりと抜き取って、タカシは待たせている馬車へと向かって再び歩き出す。
「ま、まって!」
今度こそ返事をせずにタカシは歩く。早く、一秒でも早くこの家から、この子供から逃げ出したかったのだ。
風にあおられて、子供が愛用している赤ん坊用のシャンプーの香りがした。
その匂いさえ気持ちが悪くて、気がつけば掌は、口と鼻を覆っていた。
子供は、妻が一人で身ごもった子供だった。だが確かに四十六本の染色体のうち、
二十三本はタカシに由来するそれを持って生まれてきた子供であった。
遺伝的には確かにタカシの子供である『それ』は、母親に倣ってタカシを『タカシさん』と呼ぶのだ。
それがどうにも気味が悪くて好きになれなかった。
タカシは無視を決め込んで芝を乱暴に踏みしめながら足早に馬車へと向かう。
――五歳。可愛いさかり。
世間一般ではそのように呼ばれているのだろうが、タカシには彼をそのように思えなかったし、
おそらくこれからもそうは思えないまま年を重ねていくのであろうと言う確信があった。
実子を愛せないタカシを欠陥品と呼び詰る人間は多い。
だが、知らぬ間に種だけ採取され、
いつの間にか妻が『独りでに』身篭った子供のどこをどう愛せばいいと言うのだろう。
妻でさえ今はただ忌々しいだけの存在なのだ。いや、妻と呼ぶのもおぞましい。
妻――、ミユキは、ある日勝手に妊娠をした。
ならば最初から体外受精をすればよかったものの、
六年前、そう、老人がタカシの息子の『再現』を申し出たあの日だ、その直後に、
彼女はあれほど厭っていた人工授精を『勝手』に行ったのだ。
最早妻がなにを考えているのか判らなかった。
いや、最初から互いを理解できるような関係性ではなかったのだろう。
半ば強制的な、それも人質――、つまり息子のスキャンデータだ、を取られた上での脅迫めいた結婚に、
最初から愛情などない。
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