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【オリジナル】「治療完了、目をさますよ」2【長編小説】
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171 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:07:13.09 ID:Eb2omwdb0
「…………」
「今は、俺が何を言っているのか分からなくてもいい。だがいつか分かる時が来る。望むと望まざるとに関わらず、必ず」
掠れた声でそう言って、坂月は続けた。
「中萱という男がいた。俺は、そいつと一緒に『自殺病』を利用して循環ビジネスを演出している機関を潰そうと決めた。そしてそれは、赤十字病院を裏で操っていたアルバート・ゴダックをアメリカ国防総省が処分する決定通知を出し、アンリエッタ・パーカーが死亡し、精神体が放流された瞬間に達成された。中萱は死んだよ。その結果を作り出すために、自ら退場した」
夕陽を見つめて、彼は小さく呟いた。
「最期まで馬鹿な奴だった」
寂しそうな呟きの後、青年は少女を見下ろして言った。
172 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:07:58.82 ID:Eb2omwdb0
「元老院という組織がある。それは、自殺病を利用して人々の心にウイルスを拡散させ、患者を増やしている機関だ。治療すると同時に、繋いだネットワーク越しに別の人間にウイルスが感染し、ねずみ算式に自殺病患者は増えていく。そういうシナリオさ。でもね、その元老院っていう組織は、君達がいる現実には存在しないんだよ」
目を見開いた汀(なぎさ)に微笑んで、坂月は言った。
「いくら探しても見つからないわけだ。だって、元老院の人間達は、既に自分達の意識を夢の中に落とし込んで、『こちら側』の住人になっているんだから。自分達だけは安全な場所で、世界を玩具のように動かしている存在だったんだ。まさに、悪魔だと思わないかい?」
問いかけ、しかし答えが帰ってこないのを確認してから彼は沈みゆく太陽に視線を戻した。
「君がいたさっきの場所は、アルバート・ゴダックの夢世界に通じる道だ。いずれアンリエッタ・パーカーの分裂精神体は、彼のところまで到達し、殺すだろう。トラウマの塊だからな……そういう調整をされている」
「…………」
「そしてさらに分裂したアンリエッタは、ネットワークから世界中の人間の心に入り込み、新たなスカイフィッシュとなるだろう。その過程で、元老院の精神体達もいずれ殺される。そういう筋書きだ」
173 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:08:37.68 ID:Eb2omwdb0
彼は車椅子を汀(なぎさ)に向き直らせ、続けた。
「中萱はこう考えた。元老院を全員殺した後……不要になったスカイフィッシュを、どうやって破壊しようかと。そこで選ばれた存在は、君だった」
「私……?」
「そうだ。君が新たなスカイフィッシュ、『アンチスカイフィッシュ』となり、目的を達した後、邪魔な敵をすべて駆逐する。俺は、その橋渡しをする役目だった」
フー……ッと、息を吐き、坂月は真っ直ぐ汀(なぎさ)を見た。
「でも、俺はこうも考えるんだ」
「…………」
「必要な手はすべて打った上で、中萱は死んだ。中萱の誤算は、俺があいつの思う通りに動くと勝手に踏んでいたことだな、とな」
174 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:09:18.62 ID:Eb2omwdb0
「あなたは……」
「俺の目的は、中萱とは違う。アルバート・ゴダックの殺害と、『スカイフィッシュ』の根絶、その二点だ。だから今回、君をスカイフィッシュへと誘導するのではなく、その精神中核を返すことにした」
淡々とそう言い、彼は手を伸ばして、ギプス越しに汀(なぎさ)の頬に触れた。
「目を覚ませ、マインドスイーパー。君は、君の意思で人を治し、人を救う。治療するんだろう、沢山の人を。誰に操られる訳でもない。誰に謀られる訳でもない。君は君自身の決定で、君自身の信念で戦うんだ。その精神中核が、その決意の印だ」
「え……?」
「君は、精神外科医に精神を切り取られて一度殺されている。『君のオリジナル』は、死んだ。だが、君は持っていた精神中核に、君自身の『魂』の情報を上書きして、殺される前に残していた。おそらく、捕まえたテロリストの少年の精神中核を元にしたんだろう。それが、その中核さ」
175 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:10:05.66 ID:Eb2omwdb0
微笑んだ坂月が、続けて何かを言いかけ……そして彼は弾かれたように顔を上げた。
「予想よりかなり早いな……やはり、あの子の改造は失敗だったのか……」
「え……?」
「猫ちゃん、この子が目覚めるまで頼むよ。俺はどうやら、ここまでみたいだ」
小さな猫にそう呼びかけ、青年は車椅子を動かし、海と汀(なぎさ)を背にするように移動した。
「その中核を飲むんだ。そうすれば君は、君自身を取り戻すことができる。それから先どうするかは、『網原汀』君。君自身の選ぶ未来だ」
その瞬間、空がまるでガラスのように割れた。
夕焼け空が無数の尖ったガラス片にかわり、雨あられと降ってくる。
坂月は足元の砂をギプスの手ですくうと、自分と汀(なぎさ)を守るように空中に投げた。
砂が傘のように宙に固定され、ガラス片が凄まじい音を立ててそこにぶつかる。
176 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:10:48.28 ID:Eb2omwdb0
汀(なぎさ)は頭を抑えて悲鳴を上げた。
割れた空の向こうは、銀色のどろどろしたものが流動している空間だった。
そこをかき分けるようにして、小さな病院服の女の子が落ちてくる。
彼女は持っていたチェーンソーを砂浜に叩きつけた。
轟音と砂煙が上がり、彼女がゴロゴロとすり鉢状にえぐれた地面を転がる。
「時間差空間……? くっ……ナビが聞こえない……」
毒づいて、彼女は左腕を振った。
ショットガンがどこからともなく現れ、それを掴む。
「時間は少し早いが……フランソワーズ・アンヌ・ソフィー君だね」
坂月にそう呼びかけられ、ソフィーは彼の方を見て硬直した。
そして大声を上げる。
「坂月……坂月健吾……!」
「俺の顔を知っているのか。さすが天才少女だ。そして、移植自体は成功しているようだな」
177 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:11:21.83 ID:Eb2omwdb0
暗い笑みを発した坂月を、歯ぎしりして睨みつけ……しかしソフィーは、続けて砂浜に落下してきたもう一つの影を見て、慌ててショットガンを何発も発射した。
もうもうと砂煙が上がり、銃声と飛び散る薬莢に、汀が固まって体を丸める。
「私の体に、スカイフィッシュの腕を移植して……こんなことに……!」
悲痛な声を絞り出したソフィーを、淡々とした顔で見ながら坂月は言った。
「良かったじゃないか。それでS級能力者の仲間入りだ」
「クッ……」
歯を噛み、彼女は震えている汀(なぎさ)を横目で見た。
「まだ覚醒してないの……!」
悲鳴のような声を上げ、彼女は砂煙の向こうで、落ちてきたアンリエッタが無傷で立ち上がるのを見て、唾を飲んだ。
178 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:12:04.27 ID:Eb2omwdb0
「手伝いなさい、坂月健吾。アレをどうにかしないと、ここで私達は全員殺されるわ」
「勿論、できるだけ足掻かせてはもらうつもりだよ」
車椅子をソフィーの脇に移動させた坂月は、自嘲気味に小さく笑った。
「どれだけもつかは分からないけどね」
彼は振り返ると、足元に散らばったガラス片を見回してから、軽く手を振った。
ガラスの山が、パァンと炸裂して光の飛沫になる。
それらが空中で礫のように幾百もの形を形成した。
おびただしい数の日本刀が宙に浮かんでいた。
まさに、背後をすべて埋め尽くす程の数だった。
坂月は車椅子に悠々と腰掛けた姿勢のまま、軽く指を振り、アンリエッタを指した。
日本刀の群れが、途端、意志を持つ鳥の群体のように空中で渦を巻き、そして突っ立っているアンリエッタに殺到した。
鋭利な刃がパーカー姿の化け物、その腕を切り飛ばし、足を八つ裂きにし、胴体に次々に突き刺さり、脳天を串刺しにし、情緒も何もなく斬り刻んでいく。
179 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:12:42.94 ID:Eb2omwdb0
唖然として動けないでいる汀(なぎさ)の目に、細切れの肉の塊になったアンリエッタと、砂浜に幾百も突き刺さる日本刀という悪夢のような光景が飛び込んでくる。
吐き気を抑えきれず、その場に胃液をぶちまける。
しかしその光景を見ていたソフィーと坂月は表情を険しくて汀(なぎさ)を守るように少し後退した。
細切れの肉塊になったアンリエッタの、「それぞれ」が蟲のように蠢いた。
それぞれから百足のように節足動物の足が生え、カサカサと動き回り始める。
そして、数百の肉片蟲達はものすごい速度で砂浜を埋め尽くし始めた。
「どうすればいい、坂月健吾! 同じスカイフィッシュのあなたしか対処法は分からないわ!」
ソフィーが悲鳴のような声を上げる。
坂月は溜息をつくと肩をすくめた。
「一つ勘違いをしているな。俺は、坂月の精神体とは言っても、スカイフィッシュになりそこねた出来損ないなんだ。いわば失敗作だな。だからこんな姿をしている。」
180 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:13:23.89 ID:Eb2omwdb0
「冷静に解説している暇があって?」
ソフィーに睨まれ、坂月は黒い百足が砂浜に軍隊のように整列し、ムクムクと膨れ上がり始めたのを見て、ギプスの指先で鼻の頭を掻いた。
「確かに、その暇はなさそうだ」
膨れ上がった百足達が、粘土細工のように人間の形に変化する。
数秒後には、数百に分裂したアンリエッタ・パーカーが目の前に綺麗に整列していた。
それぞれが全く同じ動きでポケットに手を入れ、ズルリと手斧を取り出す。
かなり大きな手斧がズルズルと引きずり出され、全員が同時にそれを肩に構え、足を踏み出した。
ザッ、ザッ、と化け物達が軍隊のようにこちらに足音を立てて迫ってくる。
坂月はソフィーの前に車椅子を移動させると、軽く手を横に振った。
彼らの脇の海から、波をかき分け、ゆっくりと小さなヨットが浮かび上がってきた。
「網原君を連れて逃げるんだ。残念ながら、今の俺にパーカースカイフィッシュを全滅させる力はない」
ソフィーが目を見開いて、歯を噛む。
181 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:13:54.30 ID:Eb2omwdb0
「あなたの分裂スカイフィッシュを呼ぶことは出来ないの?」
「この夢は俺の隔離された夢の中だ。『俺の悪夢の元』は入ることが出来ない。それに……」
坂月は軽く笑った。
「俺は、スカイフィッシュの中核をなしていてね。俺が消えれば、中核を失った『坂月スカイフィッシュ』はすべて自壊する」
「何ですって……?」
「だから早く行くんだ。どの道俺は、ここで消えなければいけない」
ソフィーをギプスの手で押し、坂月は天を仰いで小さく言った。
「それが、俺のカルマなんだ。そうだろ、真矢」
ソフィーは舌打ちをして、震えている汀(なぎさ)を抱えるようにしてヨットに引きずりあげた。
白い子猫がジャンプしてヨットに乗り込む。
金髪の少女は、ヨットのエンジンを慣れた手つきで作動させると、急発進させた。
「待って、あの人が……!」
汀(なぎさ)が声を上げる。
182 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:14:27.85 ID:Eb2omwdb0
落ちそうになった彼女を、舵を取るもう片方の手で押しとどめ、ソフィーはヨットを、暗い海へと驀進させた。
「あ……」
手を伸ばした汀(なぎさ)の目に、車椅子に乗った坂月が、無数の手斧に叩き潰され、そして黒い影に飲み込まれるのがうつった。
しかし、次の瞬間、彼女は息を呑んで硬直した。
海岸をびっしり埋め尽くすように、アンリエッタ・パーカー達が立っている。
その妙に白く光る目玉が、一斉にこちらを向いたのだ。
「あれらの目を見ては駄目! 今のあなたには荷が重すぎる!」
ソフィーが絶叫のような声を上げる。
波を蹴立てて沖に進むヨットの方に、アンリエッタ達は足を踏み出した。
その数百の影がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、黒い、ドブ沼のような色になる。
そして全員が海に溶けた。
何を、と思った時には遅かった。
183 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:15:01.02 ID:Eb2omwdb0
ガクン、とヨットが止まり、エンジンが空ぶかしされる音が響く。
ソフィーがまた舌打ちをし、舵から手を離して左腕を振った。
ヨットの上におびただしい数の手榴弾が、どこからか現れ、ゴロゴロと転がる。
白い子猫が、口を開いて
「シャーッ!」
と何かを威嚇した。
『どこに逃げるの? 馬鹿な子達』
クスクスと笑ったアンリエッタの声が、周囲に反響した。
ゾッとした汀(なぎさ)の目に、海が流動するのが見えた。
煽られてグラグラとヨットが揺れる。
マストにしがみついた二人の少女の前で、ゆっくりと少し離れた海が盛り上がった。
そして海中から、真っ黒な物体が姿を現す。
何だ、と認識する前に、その「目」が赤く光っているのが見え、汀(なぎさ)は悲鳴を上げた。
184 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:15:33.85 ID:Eb2omwdb0
髑髏だった。
カタカタと顎骨を鳴らした、おぞましい頭蓋骨が、眼窟の奥を鈍く光らせながらこちらにゆっくり進んで来る。
天を衝くほどの、巨大な頭蓋骨だった。
あまりの光景に腰を抜かして唖然とする。
どうすればいいのか、という次元を越えていた。
ソフィーも、手榴弾を手に持った姿勢のまま歯ぎしりをする。
「大きすぎる……何なのこの悪夢の総量……」
彼女は硬直している汀を見て怒鳴った。
「早く精神中核を飲みなさい!」
ハッとして、手の中の赤いビー玉を見る。
しかし口に運ぼうとして、ひときわ大きい波がきてヨットが大きく煽られた。
二人の少女と子猫が吹き飛ばされ、黒い海に頭から叩きつけられる。
水をしこたま飲み、汀(なぎさ)はもったりと粘土のように絡みつく水に抵抗できず、どんどん沈んでいった。
185 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:16:02.53 ID:Eb2omwdb0
その手から赤いビー玉が離れ、ゆっくりと光を発しながら浮かび上がっていく。
そこに手を伸ばし、彼女はハッとした。
足を誰かに掴まれている。
慌てて下を見ると、白い骨に腐りかけの肉をまとった、腐乱死体のようなものが……海の底におびただしい数漂っているのが見えた。
その中の一体が手を伸ばし、ガッチリと汀(なぎさ)の足を掴んでいたのだ。
少し離れたところでソフィーも足を掴まれてもがいている。
息ができず、肺の中の空気を吐き出す。
(パパ……)
大河内の顔が脳裏に浮かぶ。
186 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:16:30.95 ID:Eb2omwdb0
私は、ここで死ぬのだろうか。
この悪夢の中で、溺れて殺されてしまうのだろうか。
怖い、苦しい。
誰か。
誰か……。
居もしない神に向かって手を伸ばす。
水面に向かって、彼女は手を伸ばした。
私は……。
私は……。
(私は生きる……!)
187 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:17:10.76 ID:Eb2omwdb0
そうだ、私は死なない。
私は、幸せになるんだ。
沢山の人を助けて。
沢山の人を救って。
子供もたくさん産んで。
普通の人のように、普通に愛されて。
私は幸せに生きるんだ。
だから……!
水の中で絶叫する。
逆流した水が喉を焼き、肺を焼き……。
その時だった。
『やっぱり、汀(みぎわ)ちゃんだあ』
耳元で声がした。
188 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:17:36.67 ID:Eb2omwdb0
光る赤いビー玉を大事そうに手で掴んだ少女が、隣に浮いていた。
彼女は持っていた出刃包丁で骸骨を叩き割ると、半ば意識を失っている汀(なぎさ)を抱え、その口に赤い玉を押し込んだ。
そして包丁を投げ、ソフィーを拘束している骸骨を破壊する。
少女に抱えられ、汀(なぎさ)はゆっくりと水面に向かって浮上した。
189 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:18:04.69 ID:Eb2omwdb0
◇
目を開けた。
転覆したヨットの側部に引き上げられた少女は、自分より少し大きい少女に、口から口に息を吹き込まれ、咳き込んだ。
そしてゴボリと飲み込んだ海水を吐き出す。
「汀(みぎわ)ちゃん、大丈夫?」
口を重ねていた女の子は、髪からポタポタと海水を垂らしながら微笑んだ。
その、どこか焦点が合っていない目を見て、汀(みぎわ)は目を見開いた。
「理緒……ちゃん……?」
掠れた声を発する。
理緒、と呼ばれた少女はニッコリと笑った。
「久しぶりだね、汀ちゃん」
190 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:18:36.11 ID:Eb2omwdb0
「なんだか……」
汀は体を起こして、理緒のことを強く抱きしめた。
ぐしょぐしょの病院服の姿で、二人の少女が揺れるヨットの上で抱き合う。
「悪い夢を、見ていたみたいだよ……私」
「そうだね。夢、覚めないね」
どこか寂しそうに理緒は呟いた。
そして横目で、風船のように膨らんだ白い猫……小白(こはく)に助けられる形で浮上し、ヨットに這い上がったソフィーを見る。
海水を吐き出して、ギラつく目で臨戦態勢をとったソフィーが、濁った声を発した。
「網原汀! 覚醒したのなら返事をしなさい!」
「怒鳴らなくても聞こえているわ」
191 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:19:23.00 ID:Eb2omwdb0
汀は立ち上がると、理緒の手を掴んで引き起こした。
「あ……」
しかし理緒はふらつくと、そのまま汀によりかかるように崩れ落ちてしまった。
汀は彼女を見下ろし、そしてその上気した顔を見てハッとした。
強く、砕けんばかりに歯を噛んで、手を握りしめる。
しかし彼女は、その感情を押し殺して、もう一度理緒を助け起こすと、揺れるヨットの上で周りを見回した。
巨大な頭蓋骨が、少し離れた海に浮かんでカタカタといっている。
断続的に大きな波がヨットを揺らす。
「どうすればいいの、網原汀! スカイフィッシュのようだけど、私はアレの対処法を知らない!」
ソフィーが左手を振り、ショットガンを出現させる。
理緒も海中に手を突っ込んで出刃包丁を引きずり出した。
汀は猫のように跳躍しようとした理緒を手で押しとどめ、前に進み出た。
「相手にしないことね。ここから出るわよ」
彼女の端的な断言を聞いて、ソフィーが息を呑む。
そして彼女は歯噛みして、短く聞いた。
192 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:20:05.68 ID:Eb2omwdb0
「どうしようもないってこと?」
「どっちみちこの世界はもうすぐ自壊するわ。夢の持ち主がさっき死んだから。もう存在していない夢の中に居続けることの方が危険だと思う」
汀はそう言って、理緒とソフィーの肩を掴んだ。
「小白、行くよ」
呟くように言って、彼女はためらいもなく海に身を躍らせた。
再度苦手な水に突っ込まれ、ソフィーが口から空気を思い切り吐き出す。
小白は、汀の意思を汲んだのか、彼女の腰にグルリと救命胴衣のように巻き付いた。
しかし今度は膨らむのではなく、ずっしりと重いオモリになり、少女達を海底に引きずり込もうとする。
何を、と叫ぼうとしたソフィーがしこたま水を飲み、咳き込もうとして失敗した。
海底にたゆたっていたおびただしい数の亡者が三人の体にまとわりついてくる。
汀はそれを蹴散らすように暴れると、二人を掴んだままさらに海底へと水を蹴った。
『逃げるつもり? 馬鹿な子供達……私を置いて逃げるつもり? ねぇ。答えなさいよ』
水を振動させ、頭にとどまらず体全体をグワングワンと揺らす程の強烈な「声」が周囲に響いた。
193 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:20:35.86 ID:Eb2omwdb0
そして髑髏の顔面が、海上からこちらを覗き込み……ゆっくりと追うように沈んでくる。
『気に入らないわ。その達観した動き。達観した行動力。肝が据わった動き。気に入らない。気に入らない。気に入らない。まるで、私が大嫌いな人のよう』
理緒が汀を守るように、ガチガチと歯を鳴らしながら近づいてくる髑髏の前に手を伸ばす。
ガチン、と巨大な歯が噛み合い、間一髪で理緒の肩を歯がかすった。
赤い血が海中に散る。
『噛み砕いてミンチにしてあげる。無様なヘドロにしてあげる。気に入らない馬鹿達は皆殺しにしてあげる』
ガチンガチンと、三人の少女達を追うように髑髏の歯が噛み合っていく。
声を発することも出来ず、ソフィーは汀の腕を掴みながら左手を振った。
そして水中銃を作り出し、とっさに、近づいてきた髑髏の目玉に当たる場所に向けて発射する。
鋭利なモリがすっ飛んでいき、髑髏の眼窟に吸い込まれた。
二発、三発と発射していく。
髑髏は一瞬動きを止めると、悲鳴のような叫び声を上げた。
194 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:21:03.89 ID:Eb2omwdb0
水中がグワングワンと揺れ、たまらずソフィーと理緒が耳を塞ぐ。
脳までをシェイクされるような強烈な衝撃に、周囲の空間それ自体が大きくたわんで揺れた。
モリを撃ち込まれた右目の部分から真っ赤な血液を噴出させながら、髑髏は急速な勢いで近づいてきた。
そこで汀が、海底の岩に到達し、思い切りそこに素足を叩きつけた。
ボコリと岩が動き、パズルのピースのようにヒビが広がっていく。
自壊。
腐った精神壁が崩れ始めているのだった。
穴が空いたその場所に、水が物凄い勢いで吸い込まれていく。
汀は一瞬だけ、哀れな蟲を見るような目で髑髏……化け物に変わったアンリエッタ・パーカーを見ると、背を向けてそこに身を躍らせた。
ソフィーと理緒も渦巻いて吸い込まれていく水の奔流に巻き込まれる。
彼女達の意識は、そこでブラックアウトした。
195 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:21:40.07 ID:Eb2omwdb0
◇
したたかに頭を床に打ち付け、汀の目に星が散った。
受け身をとれずにゴロゴロとその場を転がる。
しばらくうずくまって呻いていると、続けて理緒とソフィーが同様に、壁に空いた穴から水とともに吹き出してきた。
彼女達も床に叩きつけられ、呻く。
小白が腰から離れて子猫に戻り、汀の頬を舐めた。
『……通信が戻った! 大丈夫か、返事をしてくれ!』
ヘッドセットから大河内の声が響き、汀は息を止めた。
そしてそっとヘッドセットに手を当て、息を整えてから口を開く。
「……せんせ?」
その声を聞いて、大河内は一瞬言葉を止めた。
そして震える声で答える。
『汀(みぎわ)ちゃん……なのか?』
196 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:22:16.45 ID:Eb2omwdb0
「そうだよ、私だよ。せんせのことが大好きな、私……戻ってこれた。少し体に違和感はあるけど……」
『どういうことだ……いや、良かった。本当に……』
大河内の声が少し途切れ、彼は無理矢理に意識を引き戻した調子で続けた。
『再会を喜びたいところなんだが、危機的状況だ。分かるね?』
「うん。でも理緒ちゃんとソフィーが来てくれてる」
『なんだって?』
素っ頓狂な声を上げた大河内の耳に、ソフィーがヘッドセットを操作して答えた。
「私よ、ドクター大河内。フランソワーズです。関東赤十字病院からの要請で、急遽ダイブに参加させられてるわ」
『高畑が細工をしたのか……? 君達が、どうしてこの患者の夢座標を……』
絶句して言葉を失った大河内に、汀が立ち上がって理緒を助け起こしながら、悲鳴のような声をあげた。
「せんせ、理緒ちゃんを戻してあげられないの? このままじゃ死んじゃう!」
197 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:22:51.54 ID:Eb2omwdb0
『理緒ちゃんが危ないのか? 私の方からは二人のことは関知できないんだ。ソフィー、なんとかならないのか?』
大河内に問いかけられ、ソフィーは歯噛みして答えた。
「あの子がいる場所は関東赤十字ではないようなの。私からも関知できないわ!」
「私は……やれるよ……」
震えながら理緒が汀に掴まって立ち上がる。
そして、自分達が排出された壁の穴を見る。
そこにヒビが入っていくのを捉えて、汀はソフィーに向かって怒鳴った。
「走るよ!」
短く言って、理緒を抱えるようにして走り出す。
ソフィーも慌ててそれに続く。
次の瞬間、髑髏の歯が今まで少女達がいた場所を、通路ごと噛み砕くのが見えた。
狭い通路に髑髏はすべて収まりきらず、薄汚れた歯だけが覗いている。
198 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:23:36.19 ID:Eb2omwdb0
「どうするの、網原汀! どの道あのスカイフィッシュを駆除しないと、私達は戻れないわ!」
走りながらソフィーが言うと、汀は息を切らして言った。
「この通路にいるのは危険よ。通路の先……アルバート・ゴダックの夢世界に逃げ込むわ」
「あなた、事情がわかるの?」
「今までの事は、この子が教えてくれたから……」
胸を手で抑え、汀は歯を噛んだ。
「そこでアンリエッタ・パーカーを治療する」
「治療? スカイフィッシュを?」
素っ頓狂な声をあげたソフィーだったが、そこで汀の服を引っ張っていきなり止まった。
声を上げてもんどり打って倒れた汀と理緒だったが、受け身を取ってすぐに立ち上がる。
「何を……!」
汀が怒声をあげかけて、言葉を飲み込んだ。
通路の先に、髑髏のマスクをつけた少年と、少女が立っているのが見えたからだった。
199 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:24:16.26 ID:Eb2omwdb0
「いっくん……みさきちゃん……」
「なぎさちゃん……良かった。精神中核をどこかに避難させてたのか……」
一貴が震える声を発する。
彼は数歩近づくと、汀に向けて手を伸ばした。
「いっくん」
そこで岬が彼を制止し、二人の間に割って入る。
「邪魔されたくない。いますぐダイブアウトして、なぎさちゃん」
淡々とした岬の声を聞いて、汀は軽く口の端を歪めた。
「それが出来てれば苦労しないわ」
小さな呟きを無視し、岬は手を振って、肩に担ぐほど大きな連装機銃を出現させた。
「無駄話をしている暇はないわ。帰れないなら、ここで消えて」
200 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:24:54.58 ID:Eb2omwdb0
抑揚のない声でそう言った岬の目を見て、汀は息を呑んだ。
「あなた、もうスカイフィッシュに……」
「やめろ岬ちゃん! なぎさちゃんは……」
一貴が静止しようとし、その場に盛大に吐血した。
うずくまって震え出した一貴を一瞥もせずに、岬は連装機銃の引き金を引いた。
連続した破裂するような銃声と、硝煙の煙と薬莢が雨あられのようにその場に飛び散る。
とっさにソフィーが左腕を振ると彼女達の間にコンクリートの壁が出現した。
銃弾が分厚いそこに次々にめり込んでいく。
振り返ると、後方からはアンリエッタの髑髏……その口が迫ってきていた。
「手伝って! 私一人じゃ壁を維持できない!」
ソフィーが叫ぶ。
銃弾ですでにひび割れてグラグラになっている壁は、崩れかけていた。
汀は舌打ちをして、隣の理緒の手を引っ張った。
そこで理緒は咳をした。
口元を覆った手の平を見て、そこに真っ赤な血が広がっているのを見て、彼女は一瞬呆然とした。
201 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:25:59.33 ID:Eb2omwdb0
「理緒ちゃん、早くこっちに!」
汀の叫びを聞いて、理緒はしかし、汀の手を離した。
「え……」
「汀ちゃんと、もっと遊びたかったなあ」
理緒は小さく笑った。
「さよならだね。バイバイ、汀ちゃん」
「理緒ちゃん……何を……」
震える声で汀は言って、理緒に向かって悲鳴を上げた。
「やめてええ! 理緒ちゃんそれだけは駄目! 駄目だよ!」
「私達、ずっとずっと友達だよ。約束だよ? 汀ちゃん……」
ザワザワと理緒の髪の毛が逆立つように動き、彼女の顔面を覆い隠す。
次いで病院服がゆっくりと変化を始め、白衣のようなコートを形作った。
202 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:26:49.07 ID:Eb2omwdb0
「スカイフィッシュ変種に……自分から変質してるの……?」
わななく声でソフィーが呟く。
数秒後、お面のような髑髏のマスクをつけた白衣姿の理緒が、軽く、迫りくるアンリエッタに向けて手を伸ばした。
その手に、大口径の拳銃が出現する。
安全装置をスライドさせ、理緒は特に狙いをつけるでもなく、アンリエッタに向けて引き金を引いた。
小さな銃弾だった。
しかしそれはアンリエッタの頭蓋骨、その口腔に突き刺さると、骨を砕き散らしながら向こう側に抜けた。
穴が空いた場所からものすごい量の血液が、滝のように噴出する。
ビシャビシャとそれに体を汚されながら、呆然と硬直した汀とソフィーを庇うように体で覆い、理緒は崩れてきたコンクリート片を手で払った。
発泡スチロールのようにコンクリートが砕けて散る。
「理緒ちゃん駄目だよ! 駄目! お願いだから元に戻って! 私達友達でしょ!」
汀にしがみつかれ、しかし理緒は答えることはせず、砕けたコンクリート壁から連装機銃の銃弾が飛び込んできたのを見て、腕を振った。
空中で銃弾が爆裂し、もうもうと煙を上げる。
203 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:27:26.76 ID:Eb2omwdb0
「私を置いていくの? 理緒ちゃん!」
汀の絶叫が響く。
『どうしたんだ汀ちゃ……ノイズ……ひど……通信……が……』
「せんせ! 助けて! 理緒ちゃんが!」
頭を抑え、電波ジャックの影響か通信が切れかけている向こうに、汀は喚いた。
次の瞬間、背後に迫っていた髑髏が小さくしぼんだ。
そして粘土のように形を変え、パーカーフードの女性を形作る。
アンリエッタは口から大量の血を吐き出すと、その場に膝をつき、真っ赤に充血した目で汀達を睨んだ。
「理緒ちゃん!」
手を伸ばした汀のそれを、理緒は強く振り払った。
呆然とした汀の目の前で、理緒の姿が消えた。
突進してきた岬が、手に持っていた日本刀で理緒の肩を突き刺しながら、壁に衝突したのだ。
縫いとめられた形になった理緒だったが、彼女は痛みを感じていないのか、持っていた大口径の銃を岬の眉間に当てた。
「駄目!」
汀が絶叫したのと、理緒が引き金を引いたのは同時だった。
204 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:28:17.01 ID:Eb2omwdb0
ドパン、とものすごい音がして周囲に岬の頭部だった物体がビシャビシャと飛び散った。
銃弾に頭を破壊されたスカイフィッシュが、グラグラと揺れ……そして膝をついた。
力なく倒れた岬だったものを、血で顔面を濡らした汀は呆然と見つめた。
「嘘……」
ヘッドセットの通信が完全に切れた。
大河内が何かを言っていた気がするが、頭に入らなかった。
「みっちゃん……?」
理緒が肩に突き刺さった日本刀を無造作に抜き、それを脇に投げ捨てる。
「岬ちゃん!」
少し離れた場所で一貴が叫ぶ。
理緒はそちらに構うことなく、手斧を構えて向かってきたアンリエッタに拳銃を発砲した。
その銃弾を手斧で叩き落とし、パーカーフードの悪魔は床を蹴った。
そして天井に背中からぶつかり、三角飛びの要領で理緒に肉薄した。
繰り出された手斧に、先程岬に突き刺された右肩……少し反応が遅れたそこが、一気に両断される。
205 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:28:52.44 ID:Eb2omwdb0
ゴトリと理緒の腕が転がった。
しかし怯むことなく、理緒は手に持った拳銃を振った。
それが出刃包丁に変化した……と思った瞬間。
彼女はアンリエッタの首を一閃した。
数秒、沈黙があたりを包んだ。
一歩、二歩と首を凪がれたアンリエッタが後ずさる。
その首がズルリと滑り、はねられた形で地面に落ちて転がった。
怨嗟の表情で停止したアンリエッタの頭部を、理緒は出刃包丁を振って変質させた拳銃の引き金を引いて、粉々に破壊した。
次いで胴体にも発砲し、胸を撃ち抜く。
倒れ込んで動かなくなったアンリエッタを見て、そこでやっと理緒はその場に崩れ落ちた。
「理緒ちゃん! 嘘……嘘だよ……!」
206 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:29:27.34 ID:Eb2omwdb0
汀は金切り声を上げながら理緒に駆け寄った。
そして髑髏のマスクを引き剥がして、脇に投げ捨てる。
右肩を両断され、そこから血がどんどん流れ出していく理緒の体を抱き、汀はソフィーを、そして一貴を見た。
「助けて! 血が止まらない! 止まらないよ!」
必死に理緒の傷口を手で押さえるが、ぬるぬるとしたそれは噴水のように溢れていく。
段々血色がなくなっていく顔で、理緒は残った左手を伸ばし、汀の頬を触った。
そしてにっこりと笑う。
「置いていかないよ? 汀ちゃんは寂しがり屋で……わがままだから……私は、一人じゃ逝かないよ……」
「理緒ちゃん……」
汀は理緒の力がなくなってくる体を抱いて、声を絞り出した。
「こんなの夢だ……夢だよ……」
「そう、夢だよ」
207 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:30:14.65 ID:Eb2omwdb0
理緒は左手で汀の頭を優しく撫で、耳元で言った。
「だから……夢はもう終わりにしよう?」
「終わり……?」
「そうだよ、汀ちゃん。目を覚まそう」
理緒は微笑みながら続けた。
「全部夢なんだよ? だから、汀ちゃんは何も悲しむことも、苦しむこともないの。目が覚めたら、汀ちゃんは誰かに普通に愛されて、誰かを普通に愛して、そして沢山の人を救って、しあわせで……普通の生活を送るんだよ」
「…………」
泣きながら言葉にならない嗚咽を漏らした汀に、理緒は囁いた。
「大河内先生と、しあわせにね」
208 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:30:47.79 ID:Eb2omwdb0
ドン、と突き飛ばされ、汀は目を見開いた。
理緒が左手で拳銃を握り、頭に当てているのを見たからだった。
どこかスローモーションにその光景が映り……。
ゆっくりと自分の体が後ろに倒れ込んでいくのが分かる。
嘘だ。
こんなの夢だよ。
嘘だよ。
悲鳴を上げた。
次の瞬間、理緒が拳銃で自分の頭を吹き飛ばしたのが、汀の目に映った。
209 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:31:53.51 ID:Eb2omwdb0
◇
最終話に続く
◇
お疲れ様でした。
次話は明日、5/25に投稿予定です。
また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217
m(_ _)m
210 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/24(水) 18:37:20.56 ID:G6pZpWtA0
うお〜ん!非道いよイッチ!汀が復活したのはいいけど死屍累々だよ
一体何をどうすりゃこのゲームはクリアできるんだ?
良かったら完結後に登場人物を整理していただけないでしょうか。ハヤカワ文庫の表紙をめくったとこみたいに。また読み返しますんで
登場人物は決して多くないのにこの関係の複雑さ。まるでホラーやサスペンスというよりエスピオナージだ
211 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/25(木) 06:18:21.59 ID:bxWu4J4o0
理緒ちゃん…
212 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:34:52.86 ID:vhS4jR9Y0
皆様こんばんは。
最終話を投稿させていただきます。
>>210
登場人物整理や、内容についてのお話などは完結後にこのスレでさせて頂きます。
色々書き込んでいただけますと幸いですm(_ _)m
213 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:37:43.73 ID:vhS4jR9Y0
◇
最終話 目をさますよ
◇
頭部が滅茶苦茶になった理緒の体を抱いて、汀は半狂乱になって泣き喚いた。
一秒経ち、二秒経ち。
理緒の体が、まるで蜃気楼のようにフッ、と消えた。
突然重さがまるでなくなり、血も、飛び散った頭部の欠片も綺麗に消滅する。
汀は、しばらく理緒の体を抱いた姿勢のまま虚脱していた。
ポタリポタリと彼女の目から、次々に涙が流れ落ちていく。
目を見開き、口を半開きにして汀は震えていた。
口の血を拭い、一貴が立ち上がる。
そして、よろめきながら足を進めて近づいてきた。
ソフィーが我に返り、慌てて一貴に向かって腰を落とす。
しかし彼は手でそれを静止すると、髑髏のマスクを脱いで脇に捨て、ソフィーの脇を通過した。
そして理緒と同様に陽炎のように揺らいで消えた岬の亡骸があった場所で立ち止まる。
彼は、暗い表情で消え去った岬のいた場所に手を伸ばそうとして……そして途中でとめた。
そこを通過し、硬直して停止している汀の脇にしゃがみ込む。
「なぎさちゃん、時間がないよ……アルバート・ゴダックの精神体に逃げられる。行かなきゃ」
214 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:38:26.25 ID:vhS4jR9Y0
彼にそう呼びかけられ、汀は呆然とした顔で涙を流しながら、いびつな表情で一貴を見上げた。
そして口を震わせて声を絞り出す。
「いっくん……理緒ちゃんがね……理緒ちゃんが、息をしてないの……」
「…………」
誰もいない虚空を必死に抱きかかえながら、汀は掠れた声を出した。
「どうしたらいい? ね、どうしたらいいかな? 私、どうすれば理緒ちゃんを救える? 教えていっくん……私はどうすればいいのかな……?」
一貴は黙って汀の嗚咽を聞いていたが、やがて彼女の前でゆっくり首を振った。
「死んだら、もうここにはいないよ。なぎさちゃん、それは『夢の本質を見ることができる』君の目で、一番分かってることだろ」
静かな彼の声を聞いて、汀は口の端を歪めた。
笑っているつもりだったようだが、それは無残に失敗していた。
215 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:39:01.73 ID:vhS4jR9Y0
「嘘……嘘だよ……だって、だって理緒ちゃんは、ここに……」
「僕の目には、何も見えない」
一貴の言葉を聞いて、汀は力なくその場に崩れ落ちた。
その体を支えた一貴にすがりついて、汀は悲痛な枯れた声で言った。
「理緒ちゃんは……理緒ちゃんはね、私の、私のたった一人の友達なんだよ……? 私のことを、いつだって救ってくれて……いつだって、裏切らないで助けに来てくれて……だから、だから私は……私は理緒ちゃんを救ってあげないといけないんだよ……?」
「…………」
「おかしいよこんなの……どうして? どうして誰も……理緒ちゃんでさえも……私、私は救えないのかな……? いっくん……いっくん、私こんなの嫌だよ……」
「そうだね……」
一貴はそう言って、血にまみれた手で汀の頭をそっと撫でた。
そして彼女の頭を優しく抱きしめる。
216 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:39:42.27 ID:vhS4jR9Y0
「岬ちゃんも、死んでしまった。スカイフィッシュの力で殺された人間の精神は、もう戻ることはないからね。君の精神中核を上書きした、忠信も、多分もうこの世にはいない」
「…………」
「みんな死んでしまった。でも僕達は、行かなきゃいけない」
一貴は汀をそっと体から離し、その両肩を掴んだ。
そしてぎこちなく微笑んでみせた。
「終わりにしよう、なぎさちゃん。僕達は、この悪夢から目覚めるんだ」
「この……悪夢……?」
「アルバート・ゴダックの精神体は、マインドスイープの中枢システムの近くにいる。つまり、ここを越えたすぐそこだ。一緒に行こう」
「でも……でも、いっくん……あなた達の目的は、元老院を殺すことじゃなかったの……?」
「違うよ」
一貴は首を振った。
そして立ち上がり、汀の体を引き起こす。
217 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:40:45.53 ID:vhS4jR9Y0
「僕が、新しいスカイフィッシュになることがこの計画の目的だったんだ」
「え……?」
呆然とした汀に、一貴は頷いて続けた。
「アンリエッタ・パーカーではなく、スカイフィッシュになって世界中にばらまかれる予定だったのは、僕だ。だから僕は、それを為さなければいけない」
「…………」
汀は、頼りなく掴んだ一貴の手を、離そうとしなかった。
一貴は力を込めて握ってきた汀の小さな手を握り返し、言った。
「それを止められるのは、なぎさちゃんだけだと思うんだ。僕が、この自我が崩壊しかけても、ずっと覚えてて、ずっと好きだった君しか、僕を止めることは出来ない」
「…………」
「本当言うとね、少し前のことも、もう思い出せないんだ。でもなぎさちゃんと、岬ちゃんと、忠信のことだけは覚えてた。ずっと忘れなかった。自分のことも忘れて、もう何がなんだか分からないのに、君のことだけは好きなんだ。これって……おかしいかな?」
218 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:41:13.82 ID:vhS4jR9Y0
汀は顔を上げて一貴のことを見た。
そして引きつった顔を必死に動かし……小さく笑ってみせた。
それは、泥沼のような絶望の中でもがき、それでも這い上がれない小動物のような……そんな、必死に抗う顔。
どこか狂気をはらんだ小さな笑顔を一貴に向け、汀は無言で彼の手を引いて歩き出した。
「行こう、小白、ソフィー」
子猫とソフィーに声をかけ、汀は通路の奥の白く光る空間の前まで進んだ。
「終わりにしよう」
そこで彼女達の意識は、ブラックアウトした。
219 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:41:46.34 ID:vhS4jR9Y0
◇
ものすごい数のモニターが並んでいた。
地平線の向こうまで続く砂丘に、同じ形をしたパソコンのモニターが突き刺さるように乱雑に並べられている。
数百……いや、数千のモニターに線はなく、どれもが真っ黒で何も表示されていなかった。
その中心に立ち、汀は周りを見回した。
少し離れた場所に、両手に二本の日本刀を構えた一貴が、こちらを向いて立っていた。
「ここが……アルバート・ゴダックの夢世界……?」
ソフィーも少し離れた場所に、小白と一緒に立っていた。
彼女がそう呟くと、一貴は軽く首を振った。
「少し違う」
「…………?」
「アルバート・ゴダック達の『魂』のデータが格納されている、サーバーの一つ……その中だよ。つまり……」
220 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:42:17.87 ID:vhS4jR9Y0
汀がそこで口を開いて、続けた。
「マインドスイープの、中枢システムね。自殺病にかかった人間は、全てここのデータラインを中継してダイブが行われる」
「そう。僕は、今からスカイフィッシュの力で、このシステムの中に隠れている元老院達の魂を殺さなきゃいけない。なぎさちゃん。君が僕を止めないと、僕はそれをする」
「…………」
「そして、その後僕は完全にスカイフィッシュになって……ここから沢山の人の夢の中に感染する。悪夢は、まだ終わらない」
腰を落とした汀に、一貴は続けた。
「終わらせようよ、なぎさちゃん。僕を……僕を、『治療』してくれないか?」
刀を構えて歩き出した一貴に、汀は言った。
「そのつもりよ。私は医者だから。命をかけてあなたを助ける。あなたを治療するわ、いっくん」
「ありがとう。それを聞けて安心した」
一貴はそう言って走り出した。
221 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:42:59.83 ID:vhS4jR9Y0
そして地面を蹴り、日本刀を大上段に汀に向かって振り下ろす。
少しでもかすれば致命傷のその斬撃を体をひねって避け、汀は人間のものとは思えない反応速度で地面を蹴った。
その体が一瞬掻き消えるように見えなくなり、蹴った部分の砂丘から砂煙が上がる。
一瞬で一貴の背後に移動した汀が体を反転させて、素足を彼の後頭部に叩き込む。
凄まじい衝撃に体制を崩した一貴だったが、彼は倒れがてらもう片方の日本刀を横に凪いだ。
汀がとっさに足元のモニターを一つ手に取り、それで日本刀を受け止める。
半ばまで日本刀がめり込んだモニターがバチバチと帯電し、次の瞬間豪炎を上げて爆発した。
その炎に吹き飛ばされる形で、汀と一貴が砂丘に背中から突き刺さり、ゴロゴロと転がった。
汀は近くに落下していた、一貴の日本刀の一本を手に取り、次の瞬間、一貴がポケットから取り出した拳銃から放たれた銃弾を刀で弾いた。
金属音が響き渡り、両断された銃弾が砂煙を上げて砂丘に突き刺さる。
一貴は地面を蹴り、高く跳躍すると、落下しながら二度三度と拳銃の引き金を引いた。
それらを人間業とは思えない動きで切り払い、汀は、一貴が拳銃を変質させて形成した日本刀で繰り出した斬撃を、持っていた刀で受け止めた。
そのまま鍔迫り合いの形でしばらく睨み合う。
222 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:43:37.42 ID:vhS4jR9Y0
体格が劣る汀が徐々に押され始め、一貴は全身の力で彼女を両断しようと腕を動かしていた。
膝をついた汀の持つ日本刀にヒビが入り、グラグラと揺れ始める。
一貴が一度下がり、腕を振り上げて、両手で日本刀を振り下ろした。
受け止めた汀の刀が真っ二つに砕け散り……。
一貴の刀は、汀の右目を深く真一文字に切り裂いた。
鼻先まで刀が彼女の顔を凪ぎ……。
しかし汀は、全く怯むことなく一歩を強く踏み出した。
「さよなら、いっくん。あなたを『救う』よ」
そう、一貴の耳には聞こえた気がした。
次の瞬間、汀の繰り出した拳が、空気を裂く音と共に一貴の胸に吸い込まれた。
腕は弾丸のように彼の胸を打ち……。
一貴は動きを止めた。
汀の手が、一貴の心臓の部分にめり込んでいた。
223 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:44:05.98 ID:vhS4jR9Y0
彼女は暫くの間、手の中で一貴の心臓が脈動するのを感じていた。
少年は振り上げていた日本刀を、ブルブルと震える手で振り下ろそうとして……。
そしてとめた。
「なぎさちゃん……」
口の端から血を流しながら、一貴は屈託なく笑った。
「君を好きになれて、良かった」
汀が一貴の心臓をえぐり取ったのと……。
彼が掠れた声でそう言い、ゆっくりと後ろに倒れ込んだのは、ほとんど同時のことだった。
224 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:44:36.29 ID:vhS4jR9Y0
◇
荒く息をつきながら、汀はその場に膝をついた。
手の中の一貴の心臓がぐんにゃりと形を変え、青いビー玉を形成する。
汀はそれを胸に抱き、陽炎のように揺らいで、一貴の体が消えていくのを見ていた。
「やった……の……?」
ソフィーが震える声で呟く。
彼女は汀に近づこうと足を踏み出し……。
そこで、パチパチパチという拍手の音が聞こえて、足を止めた。
いつの間にか……。
彼女達から少し離れた場所に、バスローブを羽織り、赤いソファーに腰を下ろした初老の男性がいて、手を叩いていたのだ。
「いや……お見事。楽しい見世物だったよ、網原汀君」
男はそう言って拍手を止めると、近くのテーブルに乗っていたワインをグラスに開けた。
225 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:45:10.73 ID:vhS4jR9Y0
「飲むかね? 勝利の美酒といこうじゃないか。ああ……君達は未成年だったな。アルコールはまだ止めておいた方がいいだろう」
「アルバート……ゴダック……!」
ソフィーが呆然と呟く。
「ずっと……見ていたの……?」
「見ていたも何も、ここは私の夢世界のようなものだ。いや……しかし、今回は本当に駄目かと思ったよ。よくぞスカイフィッシュ共を撃退してくれた。君達の健闘を讃えよう」
アルバートはそう言ってニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、汀とソフィーを舐めるように見た。
「どうした? 『私を守る』という目的を達成したんだろう? もう少し喜んでくれてもいいのではないか?」
馬鹿にしたように言われ、汀は彼に背を向けたままその場にへたり込んでしまった。
そして一貴の精神中核を抱いたまま、歯を噛む。
小白が彼女の脇に移動し、頭を擦り付けていた。
226 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:45:46.59 ID:vhS4jR9Y0
「ふむ……」
アルバートは小さくそう言うと、ソフィーの方を見た。
「君がフランソワーズか。今回はよくやってくれた。赤十字に話を通し、君の将来保証をしよう。こっちに来て、手を貸してくれ。私のデータももう古くなってしまい、うまく体が動かなくてね……」
呼ばれたソフィーは、しばらく躊躇していたが、やがてアルバートに近づき、左手を差し出した。
「それにしても、最後に残ったのが君達のような小さな女の子だとはな……顔立ちはいいが若すぎる……」
毒づきながらソフィーの手を握ろうとしたアルバートの動きが止まった。
ソフィーがいつの間にか拳銃を持ち、彼に突きつけていたのだった。
「なっ……」
「やっと見つけたわ。アルバート・ゴダック。のこのこ姿を現すなんて……気が緩んだんだろうけど、あなた……バカね」
ソフィーは吐き捨てるようにそう言うと、一歩を踏み出した。
227 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:46:23.16 ID:vhS4jR9Y0
そしてゴミを見るような目で彼を見下ろし、その口に拳銃を突っ込む。
「網原汀! 動かないで。動いたらこの男の頭を撃ち抜くわ。精神中核を破壊する」
静かにソフィーはそう言った。
汀は残った左目から涙を流しながら振り返った。
そして右手に強く一貴の精神中核を握りしめて、よろめきながらソフィーに向き直る。
「なにを……」
怒鳴ろうとしたアルバートの喉奥に拳銃を突き入れ、ソフィーは口を異様な形に歪めて笑った。
「あなたを……いや、『お前』をずっと探していた。悪魔め……」
人格が変わったように吐き捨てると、ソフィーは左目で自分を睨みつけている汀に言った。
「残念だけど、こいつはここで殺させてもらうわ。あなたを踏み台にするようで悪いけど、私はこの男をずっと探していた」
「…………」
228 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:47:15.82 ID:vhS4jR9Y0
汀はしゃがみ込むと、前に出ようとした小白を手で制止し、一貴が握っていた日本刀を手に取った。
そしてそれを弄びながら口を開く。
「……多分あなたは圭介と取引をした。だから人体移植手術という非合法な手段にも応じた」
冷静に汀が言うと、激高したのかアルバートが暴れようとし……、ソフィーが鉄のような目で彼を見下ろし、右手を思い切り振り下ろした。
か弱い少女の力だったが、老人には十分すぎるほどの暴力だった。
頭を殴られ、銃を噛んでアルバートが震えながら硬直する。
「余計なことはしない方がいいわ。多分その子……フランソワーズ・アンヌ・ソフィーは本気よ。あなたを殺すつもりね」
「ええ。網原汀。あなたが一歩でも前に踏み出したら、私は引き金を引く。あなたは危険な存在すぎる。しばらくそこでおとなしくしていて欲しいの」
ソフィーは静かな声でそう言うと、アルバートの髪を掴んで無理やり顔を引き上げた。
その目は、憎悪にギラついていた。
「すぐに済むわ」
息を呑んだアルバートが、彼女の目にうつるどす黒い感情を真っ向から浴びて震え出した。
本気だ。
そう、自覚したのだ。
229 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:47:51.18 ID:vhS4jR9Y0
「殺す前に一つだけ聞いてあげる。余計なことを言ったら、どうせ殺す命ですもの。後悔する目に合わせるわ」
ソフィーはそう言うと、彼の髪を掴む手に力を込めてその顔を覗き込んだ。
「私達は孤児……赤十字が引き取って育て、マインドスイープの教育を施した子供。ただね、私は調べたのよ」
「…………」
恐怖に怯える老人を無表情で見ながら、ソフィーは続けた。
「お前達元老院が、マインドスイープに適正のある赤ん坊を親から引き離し、孤児として出生登録をし直してたことをね。ダイブができる子供は一千万人に一人の割合でしか適正が生まれない。貴重な『資源』を採集するために、お前達はあらゆる手を使ったみたいね」
「…………」
「チャンスをあげる。私のパパとママの居場所を言いなさい。知らないとは言わせないわよ」
230 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:48:43.82 ID:vhS4jR9Y0
狂気を感じさせる調子で淡々と言い、ソフィーはアルバートの口に突っ込んでいた拳銃を抜いた。
途端、彼は汀に手を伸ばして喚き始めた。
「何を……何を見ている! 網原君! 早く君の力でこいつを殺すんだ!」
ダァンッ! と、乾いた音が響いた。
一瞬呆然としたアルバートが、次の瞬間絶叫する。
彼の髪を掴んだまま、ソフィーはどこかスカイフィッシュのように赤く光る瞳で彼を見下ろした。
手にした拳銃から硝煙が上がっていた。
右足を半ばから銃弾で吹き飛ばされ、おびただしい数の血液を撒き散らして暴れているアルバートを押さえつけ、ソフィーは彼の左足に拳銃を向けた。
「や……」
やめろ、と絶叫する前に、彼女はためらいもなく引き金を引いた。
同様に左足も吹き飛ばされ、無残な肉塊があたりに散開する。
潰れてぐちゃぐちゃになった両足をわななきながら見ているアルバートの頬を張り、意識を自分の方に向かせてから、ソフィーは彼の右手に銃口を向けた。
231 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:49:15.48 ID:vhS4jR9Y0
「ま……待って……待ってくれ……」
息も絶え絶えな様子で、アルバートは懇願した。
ソフィーが引き金を引こうとしていた指を止めて彼を見る。
「何?」
「言う……答える……お前の言うことに……だから、これ以上私を痛めつけないでくれ……」
ソフィーは口を歪めて笑い、彼の頭に銃口を押し付けた。
「……で?」
「お前の番号は、二百十五番……フランスで当時、唯一の適正が確認された赤ん坊だった」
「…………」
「お前の両親は赤十字の医者……だ。お前のことを……引き渡すのに賛同しなかった……」
ソフィーの手が震え出す。
彼女は歯を鳴らしながら、アルバートに押し殺した声を発した。
「…………殺したの?」
「…………」
「十三年前に、首都で鉄道事故があった。その時に赤十字の医師が二人、乗り合わせていて死亡してる」
「…………」
答えないアルバートの前で、ソフィーの目から大粒の涙が盛り上がった。
232 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:49:51.57 ID:vhS4jR9Y0
「私の……」
彼女はよろめきながら歯を噛み、絶叫した。
「パパと、ママを! お前らが殺したんだ!」
ソフィーの髪がざわつき、金色の髪が彼女の顔を覆い隠す。
病院服が長いドレスのような……白色の薄いローブに変わり、数秒後、そこには髑髏のマスクをつけた小さな影が一つあった。
「殺してやる!」
スカイフィッシュと化したソフィーは、半狂乱で絶叫し、悲鳴のような声で笑いながら拳銃の引き金を引いた。
アルバートの右手、左手が肘の部分から吹き飛ばされ、肉塊に変わる。
ダルマとなった無抵抗の老人の眉間に銃を押し当て、彼女は地面に大の字に転がった彼の胴体を足で踏みつけた。
「何千回でも殺してやる! 死んだら生き返らせて殺す! 永遠に苦しめてやる! 悪魔め! 貴様ら全員同じ目に合わせてやる!」
人が変わったように喚くソフィーの目が、白目までもが真っ黒に変色していく。
233 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:50:21.14 ID:vhS4jR9Y0
「残念だけど……それは出来ない相談よ」
そこで彼女は、背後から声をかけられ、ハッとして振り返った。
その髑髏の仮面の顔面に、いつの間に移動したのか、汀が繰り出した拳がめり込む。
彼女の風を切った拳はそのままソフィーの体を持ち上げると、人一人を重機で殴ったかのように後方に吹き飛ばした。
少し離れた砂山に、ソフィーが背後から砂煙をあげて叩きつけられる。
汀の繰り出した左手は、おかしな方向に曲がっていた。
痛みに顔をしかめた彼女に、アルバートが震える声を上げる。
「こ、殺せぇ! あのスカイフィッシュを……殺せ! 早く!」
喚いている彼を、ゴミでも見るかのように冷たい目で一瞥すると、汀は左手をダラリと下げ、潰れた右目からとめどなく血を流しながら、ゆらりと立ち上がったソフィーに向けて足を踏み出した。
「小白は危ないから、そこにいて」
ついてこようとした小白を押しとどめた汀に、ソフィーが怒鳴った。
234 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:50:59.01 ID:vhS4jR9Y0
「邪魔をするの? 邪魔をするのね、網原汀! 私の復讐の邪魔をするのね!」
「あなたはスカイフィッシュの悪夢に精神を汚染されてる。完全にスカイフィッシュになってしまえば、もう元には戻れないわ。今ならその腕を切除すれば、あなたの精神は助かる」
汀に静かに言葉をかけられ、ソフィーは歯をギリギリと噛みながら答えた。
「……何を言っているの? あなたの親も、この悪魔に! こいつらに殺されていたかもしれないのよ! あなたも、私と同じ境遇なのよ!」
「…………」
「憎くないの? 怒りが沸かないの? あなたをここまで苦しめて、私をここまで貶めて、苦痛を与え続けたのはこいつらなのよ! あなたはそれでも、あの外道を守るっていうの!」
悲痛なソフィーの叫びを聞き、汀は残った左目で、まっすぐ彼女を見た。
そこには怒りも悲しみもない。
ただ、純粋な、まっすぐ突き刺さる信念があった。
「人を治すっていうのは、そういうことなんだよ。多分」
彼女の端的な声を聞いて、ソフィーは口をつぐんだ。
235 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:52:02.41 ID:vhS4jR9Y0
汀は手に持った日本刀を、右手だけで構えて腰を落とした。
「私は人を治すわ。人を救う。だから、あなたも治療しなきゃいけない。あなたは、病人よ」
「正気? その満身創痍の体で、この体の私をどうにかできると?」
「するわ。私は医者だもの」
「違う!」
ソフィーは絶叫した。
「それはこいつらにインプラントされた強制記憶の一つよ! あなたの意思じゃない!」
「だとしても……」
汀はソフィーを見て、フッ、と小さく笑ってみせた。
「私は、人を救いたいんだ」
絞り出すような彼女の声を聞いて、ソフィーが目を見開く。
汀が地面を蹴った。
その姿が視認できない程の速度で動き、掻き消える。
236 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:52:41.26 ID:vhS4jR9Y0
地面を蹴った左足が異様な音を立てて曲がった。
残った右手で、汀は肉薄したソフィーの左手を一閃した。
肩口からそれがゴドリと地面に転がる。
肩を抑えて、激痛に悲鳴を上げてソフィーが倒れた。
汀は着地の姿勢をとれずに、そのままゴロゴロと砂山を転がった。
そしてうめきながら日本刀を掴んで立ち上がろうとし……左足の激痛に崩れ落ちた。
ソフィーの切り離された左腕が粘土のように蠢き、形を変えて膨れ上がる。
「……自我を持っちゃったか……」
吐き捨てるように呟き、汀は日本刀を砂山に刺し、杖代わりにして立ち上がった。
そして右足だけで地面を踏みしめて、ソフィーの腕が変質した「モノ」を睨みつける。
それは、一抱えもあるような巨大な「脳」だった。
人間のピンク色をしたそれが、脳髄をダラリとたらしながら空中に浮かんでいる。
異様な悪夢の形を見て、汀が顔をしかめる。
237 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:53:10.59 ID:vhS4jR9Y0
彼女は視界の端で、肩口から血を流したソフィーが意識を失ったのか、地面に突っ伏したのを確認してから、日本刀を振った。
それが大口径の拳銃に変化し、間髪をいれず脳型のスカイフィッシュに向けて引き金を引く。
真っ直ぐ飛んだ銃弾は、しかし突き刺さることはなかった。
脳が軽く脈動した途端、彼女たちの周囲の空気が、まるで強烈なマグニチュードの地震が起こったかのように揺れた。
たまらず地面に転がった汀の目に、銃弾が突き刺さる直前で爆裂し、煙を上げたのが見える。
スカイフィッシュはゆっくりと空中を浮遊しながら、アルバートに向けて進み始めた。
悲鳴を上げて喚いている老人を見て、汀が歯噛みする。
彼女は荒く息をつきながら銃を片手で構え……そこで、心臓が激しく脈動し、硬直した。
体が痙攣し、思い切りその場に血液を吐き出す。
脳が過負荷に耐えきれず、悲鳴を上げていたのだった。
視界がぐるぐると回り始め、音がハウリングしたかのように聞こえなくなる。
息を吸おうとするが、空気が肺に入ってこない。
238 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:53:39.96 ID:vhS4jR9Y0
まずい。
もう少しなんだ。
もう少しで、私は人を救えるんだ。
そして、これからなんだ。
この悪夢を抜けて、私は。
しあわせになって。
しあわせにして。
普通の人間の、普通の生活を送るんだ。
残った左目から涙が盛り上がる。
お願い。
お願い神様……。
もう少しだけ私の体を、動かして。
私に、あの人を助けさせて。
239 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:54:16.75 ID:vhS4jR9Y0
「そこじゃないよ。もう少し上」
汀は、はっきりと耳の奥で声が聞こえ、目を見開いた。
誰かが隣に立っている。
優しく、温かい感覚。
隣にいる「彼」は、手を伸ばして汀の震える手を支えた。
這いつくばった姿勢のまま拳銃を握りしめた汀の手をゆっくりと動かし、「彼」はスカイフィッシュの脳幹の部分に照準を合わせた。
「落ち着いて引き金を引くんだ。君の体力はもうもたない。限界なんだ。そろそろ君は強制的にダイブアウトする」
霞んだ視界では、「彼」の顔を見ることはできなかった。
「チャンスは一回だ。あのスカイフィッシュが、アルバート・ゴダックを殺そうとした瞬間を狙う。無防備になる時があるはずだ」
冷静な声を聞き、汀は手に持った拳銃に意識を集中させた。
240 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:55:35.78 ID:vhS4jR9Y0
ダルマになったアルバートに覆いかぶさるように、巨大な脳が蠢いていたところだった。
その中心部が割れ、中から巨大な回転ノコが現れる。
高速回転を始めたノコを見て、アルバートが金切り声の悲鳴を上げた。
それが彼の眉間を両断する……という瞬間。
「今だよ、なぎさちゃん」
その声とともに、汀は拳銃の引き金を引いた。
241 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:56:10.20 ID:vhS4jR9Y0
◇
「…………」
汀はグチャグチャに飛び散った脳漿の海の中で、もがくようによろめきながら、なんとか立ち上がった。
荒く息をつき、手に持った拳銃を取り落とす。
そして彼女は、病院服のポケットに手を入れて、一貴の精神中核を取り出した。
先程まで鈍く光っていたそれは、くすんだ真っ黒い色に変わっていた。
「…………」
残った左目でそれを見つめ、汀は胸に輝きを失った精神中核を抱きながら、折れた足を引きずって歩き出した。
彼女の足元に小白が駆け寄る。
少女と猫は、意識を失っているのか、白目をむいて倒れているアルバートの前で止まった。
汀は一貴の精神中核を大事そうにポケットに入れると、ヘッドセットのスイッチを何度か操作した。
しばらくしてノイズとハウリング音と共に、大河内の声が流れ出す。
242 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:56:41.44 ID:vhS4jR9Y0
『汀ちゃん! 通信がつながったぞ!』
ヘッドセットの奥から歓声が聞こえる。
汀はアルバートを見下ろして、囁くように言った。
「生きなさい……夢の世界に生きる化け物達。私達は生きなければいけない。犠牲にした人の上に、築いていかないといけない。それが生きるってこと……私達医者の『カルマ』だと、そう思う……」
『どうした? 汀ちゃん! 声がよく聞こえないぞ!』
大河内の声を聞いて、汀は小さく笑った。
「せんせ……」
彼女は残った左目で天を仰いだ。
砂原の上の空は、青く澄んでいた。
「治療完了。目をさますよ」
243 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:57:18.30 ID:vhS4jR9Y0
★
「先生? 先生!」
呼びかける声が聞こえた。
目を開けた。
片目から見える世界も、もうだいぶ慣れた。
左目を動かして視線をスライドさせる。
同時に指先で電動車椅子を操作し、彼女……汀は白い壁に囲まれた診察室の中で、テーブルから正面の座席の方に体を向けた。
「そろそろ会議の時間ですよ。今日はご出席できそうですか?」
看護師の女性に顔を覗き込まれ、汀は軽く微笑んでみせた。
「……ええ。何時からだったかしら」
244 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:57:52.62 ID:vhS4jR9Y0
「二時間後の十五時からです。診察は空いてらっしゃるとお聞きしましたので……」
「今日は、別の先生が担当してくださるの。大丈夫、時間になったら会議室に行きます」
二十代前半程の彼女……汀は、眼鏡の奥の左目を細めて、小さく首を傾げた。
「少し、中庭で食事をしてきてもいいかしら? 朝から何も食べてなくて……」
「あら……そうだったのですか? 駄目ですよ先生、ただでさえ細いのに、もっと痩せたら栄養失調になってしまいます」
「うふふ……そうね」
頷いて、汀は顔を上げて診察室の脇を見た。
病院の中だというのにケージがあり、ふかふかのクッションに老猫が一匹丸くなって眠っていた。
「小白が起きたら、エサをあげて、トイレの掃除をしてもらってもいいかしら?」
「分かりました。安心して何かお腹に入れてきてください」
看護師に急かすように言われ、汀は頷いた。
「ええ。それじゃ、行ってくるわね」
245 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:58:20.85 ID:vhS4jR9Y0
◇
関東赤十字病院の中庭に車椅子を進め、汀は街路樹が並んでいる隅のベンチ、その脇に停止させた。
彼女の眼鏡の奥の右目は白濁していた。
視力は完全にない。
感覚もなく、かろうじて瞼の開け閉めはできる。
左半身の麻痺に加え、首もよく動かすことができなかった。
右手で、先程病院内ストアで購入したサンドイッチの袋を慣れた手つきで開ける。
動かない左手は膝の上に置いてある。
サンドイッチを時間をかけて飲み込み、長く伸びた白髪を手でかきあげる。
看護師に、出勤した時に後頭部のあたりで三つ編みにしてもらっていた。
246 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:58:49.54 ID:vhS4jR9Y0
「元気そうだな」
そこで汀は声をかけられ、顔を上げた。
彼女の前に、スーツ姿の初老の男が立っていた。
彼は堀りが深い顔で汀を見下ろして、言った。
「座っても?」
問いかけられ、汀は軽く微笑んで頷いた。
「ええ、どうぞ」
男性が小さく会釈して、汀の脇のベンチに腰を下ろす。
彼は足が悪いのか杖を持っていた。
それを脇に置いて、懐からタバコを取り出す。
「いいかな?」
「ええ、ここには私以外誰も来ませんから。ただ、ポイ捨てはしないでくださいね」
「失敬な。私がいつそのようなマナー違反をしたというのだね」
247 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:59:25.06 ID:vhS4jR9Y0
軽口を叩いてきた汀に笑いかけ、彼はタバコに火をつけ、フーッと息を吐いた。
煙の匂いをかぎながら、汀はパックの野菜ジュースのストローを口にくわえた。
彼女の膝の上に置いてある、動かない左手の薬指には、プラチナの指輪がはまっていた。
それをしばらく見つめてから、男性は視線を青い空へと向けた。
「結婚式には行くことができなかった。君の花嫁姿を、見たかったんだがな」
「呼んでいませんもの。来れなくて当たり前です」
淡々と返した汀に、男は視線を向けずに続けた。
「彼は元気かね?」
「時折傷口がうずくとは言っていますけれど。ただ、あなたの顔を見たら傷も開きそうですね」
「違いない」
クックと小さく笑い、男性はタバコを暫くの間ふかしていた。
248 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 18:59:52.61 ID:vhS4jR9Y0
そして小さく、ポツリと言う。
「網原……いや、大河内君。私は、君に謝らなければいけないことがある」
「それはそれは。会議までに終わるかしら」
微笑んで呟く、大河内と呼ばれた汀。
男性はそれに答えず、タバコの煙を吐いて言った。
「君が、マインドスイーパーを続けてくれるとは思っていなかった。その……君はもう、人並みのしあわせを手に入れることができた女性だ」
「…………」
「大人になっても長時間のダイブができる人間は、確かに世界中で君一人かもしれない。だが……」
男性は空を見上げながら言った。
「もういいのではないか? 中萱榊の計画のために育てられた君という存在の『カルマ』は、綺麗に消えたはずだ。他ならぬ、君が成し得た戦いによって。だから……」
「医者をやめろ、というのです?」
汀に静かに問いかけられ、男は懐から携帯灰皿を取り出し、タバコを押し付けて火を消した。
249 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:00:23.28 ID:vhS4jR9Y0
「そうだ」
汀は少しの間沈黙していた。
そして、動く右手で、白濁した右目をなでた。
「その目も、精神外科の治療で治すことができるかもしれない。私は、そのサポートを……」
「この目は、このままでいいんです」
汀ははっきりと彼の言葉を否定すると、小さく首を振ってみせた。
「これは、私の大事な証なんです」
「…………」
男はベンチの背もたれに背中を預けた。
「……そうか」
「私のカルマは、消えていませんよ」
汀はそう言って、野菜ジュースのパックを膝の上に置いた。
250 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:00:49.42 ID:vhS4jR9Y0
「消えることはない。私は、一生そのカルマを背負い続け、一生苦しまなければいけないんです」
「…………」
「それはいつか、私の心を蝕み、体は朽ちて、死へと誘っていくでしょう。私は、やはり苦しみの中で死ぬのかもしれません」
汀は、しかし男の方を向いて、屈託なく笑ってみせた。
「でも……それが『生きる』ってことでしょう?」
男は目を見開いた。
彼はしばらく汀の笑顔を見ていたが、やがてそっと視線をそらし、杖を手にして立ち上がった。
「いや……その通りだな。すまない。時間をとらせた」
「いえ、いつでも」
「ああ。また来るよ」
コツ、コツ、と杖を鳴らして出口の方に向かって歩いて行く男性。
その向こうで、白衣を着た、眼鏡の女性が彼を待っていた。
女性に支えられ、男の姿が向こうの通路に消える。
251 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:01:25.94 ID:vhS4jR9Y0
「ドクター大河内!」
そこで背後から声をかけられ、汀は振り返った。
少し離れたところで、金髪の背が小さな女医が、パタパタと走ってくるところだった。
「あら……ドクターアンヌ。こちらに来てたの?」
穏やかに言われ、アンヌと呼ばれた女医……ソフィーは息をついて腰に右手を当てた。
彼女の左腕は、肩口からギプスで吊られていた。
「その呼びはやめて。ソフィーでいいわ」
「でもねえ、そっちのS級能力者を呼び捨てにするのもねえ……」
指先を顎に当てて考えた汀を見て、ソフィーはため息をついた。
「あなたに言われると嫌味にしか聞こえないわ」
「いつ日本に?」
252 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:01:55.72 ID:vhS4jR9Y0
「さっきよ。っていうか、私昨日飛行機の中からあなたにメールしたわよ。見てないの?」
「あら……ごめんなさいね。忘れてた」
屈託なく言われ、ソフィーは肩をすくめて汀の車椅子、その取っ手を掴んだ。
「押してあげる……あら?」
顔をしかめて、彼女は汀を見た。
「お線香の匂い……? あなた、ケムいわよ」
「そう? 気のせいよ」
右手だけで車椅子を慣れた手つきで操作し、ソフィーは汀と一緒に病棟に入った。
「フランスではどう? いじめられてない?」
問いかけられ、ソフィーは呆れたように鼻を鳴らした。
「私を誰だと思ってるの? 世界に二人しかいないS級能力者の一人よ。どうにかしたくても、誰にもどうにもできないわ」
253 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:02:25.55 ID:vhS4jR9Y0
「うふふ、そうね。違いないわ」
優しく彼女の言葉を肯定し、汀は小さく欠伸をした。
「ちょっと、寝ないでよ? これから会議なんだから」
「あなたがいれば問題はないでしょう? 私、ちょっと疲れちゃって……ごめんね、少し……」
そこで汀の声が途切れた。
「ちょっと……!」
咎めるような声を出したソフィーの前で、汀は車椅子に体を預け、小さく寝息を立て始めてしまった。
一旦車椅子をとめ、持っていたブランケットを彼女の膝にかけたソフィーに、パタパタと小さな子供達がかけてくるのが見えた。
小児病棟の入院棟だったらしい。
254 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:02:57.19 ID:vhS4jR9Y0
「先生! 先生見てー! 教えてくれた折り紙、うまく出来たよ!」
女の子が手にたくさんの折り紙作品を持って汀に呼びかける。
声を聞きつけて、次から次へと子供達が集まってきた。
「あれ? 先生寝ちゃってる」
「そうよ、先生ちょっと疲れちゃってるから、みんな、今は寝せてあげてね」
ソフィーが微笑んでそう言う。
そして彼女は少し子供達と話した後、車椅子を押して歩き出した。
255 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:03:26.65 ID:vhS4jR9Y0
◇
自殺病は、なくならなかった。
人々の心に蔓延したスカイフィッシュは少なくはなったが、まだ活動はしている。
十年経ち、変わったことといえば……。
医療技術が進歩し、マインドスイーパーが無駄に命を落とすことが、少なくなったこと。
そして、子供が大人になったということ。
その二点だけだった。
相変わらず自殺病で人は死に、マインドスイーパーは治療のために犠牲になっている。
テロが終わって、世間は騒がしくはなったが、数年経ちそれは、ただの「過去の出来事」になった。
子供達は、それを知らない。
そして大人になり、結婚し、子を育み、死んでいく。
自分達がいつ死ぬかも分からず。
どうやって死ぬかも分からず。
256 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:03:57.36 ID:vhS4jR9Y0
恐怖に依るエラーを心に蓄積させながら、それでも人は生きていく。
生きざるを得ない。
257 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:04:24.17 ID:vhS4jR9Y0
◇
汀は、赤十字病院のドライバーが運転する車の後部座席に腰を下ろしていた。
ぼんやりとした視線には、流れる夜の街のライトが映る。
これは現実だ。
夢ではない。
何度も確認し、何度も実感すること。
しかし……。
夢と現実の境目とは何なのだろう。
汀はいつもそう思う。
もしかして、私の生きているこの世界こそが夢で。
目覚めるところ、そこが現実なのかもしれない。
そうも思う。
258 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:04:50.09 ID:vhS4jR9Y0
しばらくしてドライバーが車を停め、郊外の一軒家の前でドアを開けた。
車椅子をセットしてくれたので、抱え上げられてそこに座らせてもらう。
「それでは、お疲れ様です。大河内先生」
「ありがとう。また、明日もよろしくね」
微笑んで若い男性ドライバーに言うと、彼は少し頬を赤らめて会釈した。
手を振って車を送り、一軒家のスロープを車椅子でのぼり、チャイムを押す。
少しして、電気がついている玄関のドアが開いた。
259 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:05:19.60 ID:vhS4jR9Y0
汀はそこから覗いた顔を見上げ……。
「ただいま」
そう、言った。
【終】
260 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:05:55.04 ID:vhS4jR9Y0
お読みくださったすべての方に感謝を。すべての幸せに祝福を
261 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:24:44.88 ID:vhS4jR9Y0
[登場人物]
・網原汀(あみはらなぎさ)=高畑汀(たかはたみぎわ)
13歳。特A級マインドスイーパー。夢の本質を見ることができる特殊な眼を持つ。
・高畑圭介=中萱榊(なかがやさかき)
汀の主治医。その実は、赤十字組織に復讐を誓った元マインドスイーパー。感情の大部分を欠落している。
・大河内裕也
赤十字病院の医師。秘密機関GDの諜報員でもある。過去圭介達と仕事をしていたマインドスイーパー。
・小白(こはく)
汀が拾った猫。マインドスイーパーの能力があり、夢の中を自由自在に行動できる。
・加原岬
汀達、第二実験体と同期の少女。後ほどテロリストに拉致され、スカイフィッシュの悪夢に覚醒、飲み込まれる。
・工藤一貴(くどういちたか)=ナンバーX
第二実験体の成功作。テロリスト側に周り、幾度も汀の前に現れる。彼女を愛している変質的な側面もある。強力なスカイフィッシュの力を持つ。
・片平理緒
赤十字病院のマインドスイーパーで汀の親友。しかし、スカイフィッシュ症候群の治療で感情の大部分を欠落させられてしまう。
・フランソワーズ・アンヌ・ソフィー
フランスのマインドスイーパー。高いIQを持つ天才少女。父と母を探している。
・結城政美
テロリストの女性。一貴達の管理をしている。
・ジュリア・エドシニア=アンリエッタ・パーカー
アメリカ特務機関の人間。圭介を昔から愛している。人工的に調整されたスカイフィッシュ変種。
・赤西忠信
第二実験体の少年。精神崩壊を起こしているスカイフィッシュ変種。
・喫煙者=スモーキン・マン
機関にも赤十字にも、更にはテロリストにも関与している謎の人物。汀と縁が深い。
・松坂真矢
圭介と相思相愛だった女性。過去の汀の治療中に死亡してしまう。その意識の断片がプログラムにされている。
・マティアス
機関の精神外科担当医。闇医者的な存在で、汀の精神真皮を切り殺してしまう。
・アルバート・ゴダック
元老院を統括していた存在。夢世界に生きている。
・坂月健吾
かつての最強のマインドスイーパー。その精神はスカイフィッシュに変わって感染を繰り返していた。
※登場順
262 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 19:32:41.39 ID:vhS4jR9Y0
[あとがき]
お読みくださり、ありがとうございますm(_ _)m
かなり時間がかかりましたが、このような形で完結させることができました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
このお話ですが、イラストつきの同人書籍として刊行予定です。
私のツイッター(@Gemmy_FFXIV)で告知をしていきますので、その際はぜひお手にとっていただけると幸いです。
フォローなどもお気軽にどうぞ!
また、カクヨムなどで小説も連載中です。
現在は同様なサイコホラーの「アリス・イン・ザ・マサクル」というお話を随時更新しています。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217
こちらもお気軽にフォローなどいただけますと幸いです。
このスレはある程度時間が過ぎましたら、クローズさせていただきます。
それまでご自由にご意見、ご質問など書き込んでいただけますと嬉しいです。
それでは、今回の小説本文投稿はこれで失礼させていただきます。
今後も別の小説を投稿させていただく際には、別スレなどを建てますので、そちらでもよろしくお願いします。
天寧霧佳(天音)
263 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/25(木) 20:35:18.62 ID:dASGJjjwO
乙
喫煙者は他の登場人物だったりするのかな?
264 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 20:42:17.63 ID:vhS4jR9Y0
>>263
ありがとうございますm(_ _)m
喫煙者は、読む方によっていろいろなとり方ができる書き方をしています。
一応私の中で定まった設定はあるのですが、作中で特に明言はしていませんので、皆様の考える設定で受け取っていただいて大丈夫です。
265 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/25(木) 20:44:22.70 ID:ejhKRx0A0
面白かった!普通に興奮しながら読んでた。オリジナルでここまで読まされたのは久し振りだ。完結乙でした!
序盤の気の毒な寝たきり少女がラストでは歴戦の猛者の凄みでクール!
人物紹介のリクエストに応えて下さった事にも感謝です
266 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/25(木) 20:45:35.74 ID:ejhKRx0A0
高畑は凄くて怖くて悪くて哀しくて矢尽き刀折れて尾羽打ち枯らした完璧超人という盛り過ぎの奴だったけど、やはり哀しいな
元は情味深い男だったんだろうに、後半生は生き地獄だったろう
汀を悪魔の計画に利用し倒して善人面を一片も見せず、それでいて巧妙に汀を守った。せめて最期に真矢さんのお迎えはあったと思いたいRIP
267 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 21:01:41.01 ID:vhS4jR9Y0
>>265
なんとか完結させることができました。
汀が最後、目を覚ますための「彼女の治療の物語」でもありました。
一応この作品の続きのプロットもあるのですが、先にお読みいただいた方から、「ここで終わるのがいい」と言われ、迷っています。
いずれにせよ書けるにしても少し先のお話になりますけれどね。
>>266
裏の主な主人公はやはり圭介でした。
彼が復讐のために総てを用意し、総てを動かした戦いの物語でもあります。
感情を欠落したがゆえ、汀達のことを理解できず苦しむ描写は序盤から少しずつ入れていました。
伝わっていたらいいなと思います。
268 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/25(木) 21:13:18.80 ID:ejhKRx0A0
以下細かい点の解説を希望
・結城医師が何者かよくわからない。アメリカ赤十字の回し者だったのか?
・高畑とアンリエッタの過去の因果関係がよくわからない
・アンリエッタの立場がよくわからない。というか非道いよ貴重な女性キャラが…
特務という事は軍関係?精神外科技術が軍事転用されている事は想像に難くないが
・汀がロストしていた間、理緒がどこでどうしていたのかわからない
・自殺病とマインドスイーパーは卵と鶏。病気の発見とシステムの開発にはまだ裏がありそう
・自殺病の専門医である大河内が高畑のクソ発言にいちいちキレる。高畑の自殺病の後遺症をわかっているはずなのに。あれも高度な腹の読み合いだったのか?
・汀の行きつけのびっくりドンキーのクオリティが高すぎる。うちの近所のは潰れたのに
・小白かわいい。カプセル怪獣かよ
・「喫煙者」の正体………は野暮ですね。想像で納得しておきます
269 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 21:28:35.01 ID:vhS4jR9Y0
>>268
@結城医師について
彼女は、純粋に赤十字の妥当を目的としたテロ組織の一人です。
もともと赤十字病院の医者だったのが、テロに加担していました。
最終話で喫煙者のことを出迎えた女性は結城です。
A高畑とアンリエッタ
ここについては本編の中で一切触れていませんでした。
過去、圭介と坂月、真矢(時々大河内)はセットでマインドスイープをさせられていました。
ある日圭介は、子供の時から、後に真矢が組み込まれるロボトミーシステムのために育てられていたアンリエッタに遭遇します。
すでに感情欠乏症を発症していたアンリエッタの夢にダイブし、圭介は彼女のトラウマを破壊したことがあります。
しかしその施術で、同時にダイブしていた坂月と真矢は重症を負ってしまい、後々まで引きずる障害を持ってしまいます。
それが、アンリエッタが圭介のことを愛していて、しかし坂月や真矢に負い目があった理由です。
その後、アンリエッタはテロ対抗の特務機関に配属され、圭介を追って、汀の危機を利用してやってきます。
結局はその気持ちを利用、踏みにじられ、圭介の復讐の一部に組み込まれてしまうというわけです。
270 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/25(木) 21:33:13.79 ID:vhS4jR9Y0
>>268
Bアンリエッタの続き
彼女はテロリスト対抗組織の一員です。
つまり、世界医師連盟が組織した軍事部のメンバーということになります。
圭介の殺害司令を出したのは、世界医師連盟の会長、アルバート・ゴダックでした。
C汀が死亡した後の理緒
マティアスに汀のオリジナルが殺された後、理緒は赤十字の別の研究機関で監禁されていました。
しかし、圭介がアンリエッタに殺される直前に残していた大河内へのメモを、喫煙者が回収。
そこに書かれていた夢座標を読み取り、彼が手回しをしてソフィーと理緒を汀の助けに向かわせました。
それゆえ、アルバート・ゴダックの精神通路内に二人は侵入してこれたというわけです。
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