【オリジナル】「治療完了、目をさますよ」2【長編小説】

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71 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:04:32.53 ID:cASlUPYO0
「な……何が……」

マティアスが顔を上げ、そこで彼は目を丸くして動きを止めた。
直径十メートルを超える巨大な黒光りする「鉄球」が、地面にめりこんでいた。
どこから現れたのか、何を変質させたのかわからないが、とにかく規格外の大きさだった。
その天辺に岬が立ち、マントを風に揺らしていた。

「いっくん、片付いたよ」

彼女がそう言って飛び降りたところで、マティアスは見てしまった。
二体のスカイフィッシュが、鉄球に押しつぶされて、まるで虫の標本のようにぐちゃぐちゃな血反吐の塊になっているところを。

「うっ……」

思わずえづいた彼の目に

「早かったね」

と言って日本刀を、飛びかかってきたスカイフィッシュの口に突き刺した一貴の姿が映る。
72 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:05:12.22 ID:cASlUPYO0
彼は地面にスカイフィッシュを縫い止めると、残った一体に向けて口をすぼめて強く息を吐いた。
熱風。
いや、違う。
炎の竜巻が巻き起こり、残った一体の体を吹き飛ばす。
虚数空間に落ちていったそれを見下ろして、一貴は息をついた。

「迎撃部隊全滅しました……! マティアス!」
「外部との連絡通路、構築出来ません! 何らかの阻害電波が発せられています!」

職員たちが悲鳴のような声を上げる。

一貴と岬は悠々と足を進めると、戦車から少し離れたところで歩みを止めた。

「まぁ、経験と素質の差ってことで……同じスカイフィッシュだと思ってもらっては困るんだよね」
73 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:05:53.35 ID:cASlUPYO0


第21話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/22に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

m(_ _)m
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/21(日) 22:45:49.30 ID:6ETy6DRRo
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/21(日) 23:24:24.30 ID:CA4rB0YA0
もうてんやわんやww、仮面ライダーでも来てくれたらいいのに


医者とも傭兵ともつかない男マティアス、マインドスイーパーにしてはなんというか「流儀」が違う?北欧の人だからか。名前もラテン系だし流れ者なのかな
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/22(月) 05:56:32.77 ID:ZvqU0gqT0
岬ちゃん…狂気に飲まれたか?
77 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:28:44.03 ID:+j5AeXst0
皆様こんばんは。
第21話を投稿させていただきます。

>>75
マティアスは機関専属の闇医者的ポジションの人間です。暗部ですね。
非人道な人体実験をひけらかしているのも、そのあたりが関係しています。

>>76
岬はこの時点でスカイフィッシュの悪夢に精神の大部分を汚染されてしまっています。
忠信のような状態になってしまっています。
78 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:30:00.54 ID:+j5AeXst0


第21話 アンリエッタ・パーカー



「まさか……そんな馬鹿な! 迎撃用に用意したスカイフィッシュが全滅だと? この短時間で……!」

狼狽しているマティアスに、大河内は怒鳴った。

「どうにかできないのか! このままだと全員殺されるぞ!」
「あんた達には二つの選択肢がある」

一貴がそう言って日本刀を、倒れたスカイフィッシュの頭に突き立てた。
そして淡々とした目で、自分を取り巻く恐怖の感情を見回して続ける。

「今、ここで皆殺しにされて飛行機ごと罪のない乗客達と海の藻屑となるか。もう一つは、抵抗せず、静かに『網原汀』の身柄をこちらに引き渡すという選択肢だ」

なぎさ、と聞いて汀(なぎさ)が顔を上げて一貴を見る。
その怯えたような小動物のように震える目を見て、一貴は一瞬怪訝そうな顔をした。
79 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:30:35.54 ID:+j5AeXst0
しかし一拍後、その目が見開かれ、やがて彼は口をあんぐりと開けて、よろめいた。

「いっくん!」

岬が慌ててその体を支える。
一貴は自分を見つめる汀(なぎさ)を見ながら、岬に寄りかかって息をついた。

「はは……ウソだろ……」

自嘲気味な乾いた笑いが彼の喉から出た。
一貴は片手で顔面を覆うと、わななく手で髪を毟らんばかりに掴んだ。

「ウソだろ!」

一貴の怒鳴り声を聞いて、問いかけようとした岬だったが、彼女も汀(なぎさ)のことを見て停止した。
80 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:31:30.43 ID:+j5AeXst0
「……あなた……誰?」

唖然としたように問いかけられ、汀(なぎさ)が硬直して大河内にしがみつく。
岬は目を怒りに燃え上がらせながら、手にしたショットガンを周囲に向けた。
そして発狂したかのように喚き出す。

「なぎさちゃんをどこにやった! 汚いぞ、赤十字!」
「違う。岬ちゃん。あれが……なぎさちゃんだ」

一貴が歯を噛み締めながら立ち上がった。
そして日本刀を両手に構えながら足を踏み出し、地面にへたりこんでいるマティアスに大股で近づく。
81 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:32:13.43 ID:+j5AeXst0
悲鳴のような声を上げて逃げ出そうとしたマティアスの足に、彼はためらいもなく日本刀を叩き込んだ。
陰惨な悲鳴が周囲に響き渡り、太ももから両断されたマティアスの右足が、屠殺場の肉の塊のように転がる。
噴水のように血を噴出させ、わけの分からない言葉を喚きながら地面を転がるマティアスの頭を踏みつけ、一貴は半ば瞳孔が開いた目で彼の顔を覗き込んだ。

「一つだけ質問をしよう」

凍った鉄のような、抑揚がない声だった。
ヒー、ヒー、と喉を鳴らすマティアスに、一貴は静かに問いかけた。

「何をした?」

マティアスはそれを聞き、しかしクック……と震える喉を鳴らして笑った。
そして一貴に手を振り上げ……。
脇に立っていた岬が、表情も変えずに、ショットガンの引き金を引いた。
サバイバルナイフを持っていたマティアスの右腕が銃弾に吹き飛ばされて粉微塵に飛び散る。
絶叫した彼の頭を強く踏みにじり、一貴は静まり返った周囲を気にすることもなく、繰り返した。
82 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:33:03.33 ID:+j5AeXst0
「お前、僕のなぎさちゃんに何をした」

マティアスは痛みに体を痙攣させながら、口の端を歪めてニィ、と笑った。

「わからないか……?」

かすれた声で問いかけ、彼は息を吸い、吐いた。

「もう少し賢いと思ったんだがな……テロリスト……」
「…………」
「切り取った精神真皮は腐敗してた……破棄したよ。つまり、『網原汀』という存在は、もうこの世界には存在しない……」

無言の一貴を、残った左腕を上げて指差し、マティアスは大声で笑った。

「俺達の勝ちだ! テロリスト、お前達が求めていた、ナンバー4はもう既に死んでるんだよ! あそこにいるのは外側だけのただの人形さ!」
83 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:33:44.19 ID:+j5AeXst0
「何……だって……」

大河内がマティアスの怒声を聞いて、汀(なぎさ)を抱きながら引きつった声を発する。
彼は何か言葉を続けようとしたが失敗した。

「どんな気分だァ? 仲間を殺されるっていうのは! なぁ教えてくれよ、テロリスト? やっぱり悲しいものなのか?」

呆然としている一貴を嘲笑し、マティアスは血が混じった唾を吐き散らしながら叫んだ。

「そしてお前らはもう逃げることはできない! のこのこ乗り込んできた時点で、俺達の勝ちは」

パァン、とショットガンの炸裂する音が響いた。
腹部をグチャグチャに破壊されたマティアスの体が、何度か痙攣して力をなくす。

「うるさい」

岬がゴミでも処理するかのように呟き、一貴の肩を掴んだ。
84 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:34:16.90 ID:+j5AeXst0
「しっかりして、いっくん。とりあえずあのなぎさちゃんの精神中核を持って、早くダイブアウトしよう」
「ダメだ、岬ちゃん。僕達はどうやら、こいつの言うとおりにハメられているみたいだ」

一貴が頬に浮いた汗を拭い、舌打ちをする。
その目にはわずかに焦りの色が浮かんでいた。

「急いで。すぐにダイブアウトするよ」
「どうして? 外側だけでも、あそこになぎさちゃんが!」
「早くしないと僕達全員死ぬ!」

いつになく緊迫した声で一貴が怒鳴る。
岬がビクッとして、そして耳元のヘッドセットを操作した。
そして目を丸くして硬直する。

「ウソ……そんな……」

一貴が無言で、地面にパンッと手をつける。
85 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:34:55.35 ID:+j5AeXst0
そこに木造りの扉が開き、彼はそれを開けた。

「ま……待ってくれ!」

大河内がそこで立ち上がり、大声を上げた。
一貴が動きを止め、首だけを曲げて大河内を見る。

「聞きたいことがある。さっきの……さっきの話は、本当のことなのか!」

一貴は怪訝そうな顔をして、大河内を睨みつけた。

「お前達がやったことだろう」
「違う……私は……私は……!」

大河内は手を握りしめ、絞り出すように言った。

「この子を救いたかった……!」
86 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:36:07.99 ID:+j5AeXst0
一貴はしばらく大河内を睨んでいたが、岬に手を引かれ、息を吸ってから言った。

「時間がない。早く現実世界に戻って、管制局に連絡するんだ。このままでは、俺達もお前らも皆殺しにされる」
「……どういうことだ?」

目を見開いた大河内に、一貴は続けた。

「外の仲間から連絡があった。空自の戦闘機が三機、こちらに近づいてきている」
「戦闘……機?」

言われたことの意味がわからず呆然とする大河内。
一貴は、周囲で息を飲んだ看護師達を見回して、言った。

「僕達の飛行機は、お前達の乗っている飛行機の真上を飛行中だ。戦闘機に補足されたら破壊される。その意味がわからないわけはないだろう」
87 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:36:48.16 ID:+j5AeXst0
「私達は……」

大河内は震える手で顔を覆った。

「囮にされたのか……!」
「僕達はここを離脱する。早く着陸先の空港に連絡をしろ。連絡途絶状態でなければ、もろとも撃墜されることまではないはずだ」

一貴はそこまで一気に言うと、扉の中の暗闇に体を滑り込ませた。
そして一瞬、怯えた目の汀(なぎさ)を見つめて扉を締める。
そこで、大河内達の意識はホワイトアウトした。
88 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:37:30.04 ID:+j5AeXst0


「やられた……!」

簡易ベッドから飛び起きて、一貴はヘッドセットを床に叩きつけた。
その隣で岬が目をこすりながら緩慢に体を起こす。

「すぐになぎさちゃんの捨てられた精神真皮をサルベージしないと……」
「ダメだ、時間がない」

頬に汗を浮かせながら、結城が言った。
そして一貴の頭を掴んでベッドに押し戻し、低い声で言う。

「離せ! 今はお前と話してる時間は……」
「黙れクソガキ。お前には私らを追ってきてる戦闘機のパイロットを殺しに行ってもらわないといけない」

冷たい、鉄のような目で結城は一貴と岬を見下ろした。
89 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:38:05.93 ID:+j5AeXst0
「ダメだ! 時は一刻を争うんだ!」

喚いた一貴の頬をパァン、と結城は張った。
一瞬呆然とした一貴の髪を掴んで、彼女は無理矢理に自分の方を向かせた。

「奇遇だね。あたしらも一刻を争うんだ。話し合ってる時間はない。行け」
「…………!」
「それともあの旅客機に乗ってる、網原汀の外側と一緒に、この空の上で爆裂四散するかい? 赤十字……いや、日本政府は、マインドスイープを妨害してるテロリストであるあたしらを殺すためなら、旅客機の一つや二つ、簡単に見捨てるんだよ。ただの事故として処理されて終わりさ。あたしらの理想も実現できずに、幕を下ろす。それでもいいのか?」

一貴は歯を噛み締めて、ベッドに横になった。
結城が転がっていたヘッドセットを彼に被せて、計器を操作する。
90 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:38:32.45 ID:+j5AeXst0
「残念だったな一貴。あっちの旅客機に退避勧告が遅れた。あと二分くらいで空自の戦闘機と接敵する」

結城がそう言ったところで、岬が力なく咳をし、ベッドの上に盛大に吐血した。
白衣を着た看護師達が岬に群がり、処置を始める。

「岬ちゃん……!」
「無理のしすぎだ。一貴、集中しろ」
「……分かった。どうすればいい?」

無理矢理に気持ちを切り替えた一貴に頷き、結城は続けた。

「この飛行機から、半径五キロ圏内に、眠りを誘発する妨害電波を発生させる。ある程度の指向性をを持たせて、戦闘機に向けて電波を照射する」
「戦闘機の速度だ。当たるとは思えない」
91 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:39:01.25 ID:+j5AeXst0
「だろうな。当たったとしても一瞬だ。戦闘機のパイロットの意識を、一瞬だけノンレム睡眠間際の、朦朧状態にする。その一瞬で、お前はパイロットの意識下にダイブ。殺せ」
「ダイブラインの通信電波は?」
「問題ない。ここから半径二百キロの範囲でお前の意識を飛ばせる」

淡々と計器を操作しながら結城が言う。
一貴は奥の部屋に運ばれていった岬を一瞥し、ベッドに体を預けた。

「分かった。殺してくる」
92 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:45:48.32 ID:+j5AeXst0


それから一貴が目を覚ましたのは、三時間ほどが経過した夕方だった。
ゴウンゴウン、という飛行機の駆動音が響いているのを聞いて、自分が空の上にいることを自覚する。
隣には無表情で医療器具の計器を操縦している結城の姿があった。

「起きたか」

静かに呼びかけられ、一貴は力が入らない体を無理矢理に動かし、上半身を起こした。

「無理するな。短時間の間にスカイフィッシュになりすぎたんだ。しばらく体は麻痺してる」
「僕は……どうしたんだ?」

その問いかけに、結城は怪訝そうな顔を一貴に向けた。

「何だ? 何言ってるお前」
「結城? 何で僕はここにいるんだ? いつの間に飛行機に……」

一貴は戸惑った顔で周りを見回した。
93 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:46:25.21 ID:+j5AeXst0
「岬ちゃんは? これからなぎさちゃんを助けにいかないと……」
「お前……」

結城は一瞬だけ、つらそうに顔を歪めた。
やるせないような、苦しい、悲しい顔だった。
しかし彼女はすぐに表情をもとに戻し、眼鏡の位置を直した。

「……そうだな。だが、しばらく休息が必要だ。これ以上動くと死ぬぞ、お前」

そう言いながら、結城は一貴の点滴に、金色の液体を混ぜた。

「そうだな……」

一貴は頷き、目を閉じた。

「なんかだるい……力が出ねえや……」
94 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:47:13.71 ID:+j5AeXst0


静まり返った会議室で、圭介はアイパッドをデスクに置いてそこを見つめていた。
「Albert Godark」と書いてあるアイコンが点滅し、重苦しい声が流れ出す。

『極秘で出動させていた、日本空自の戦闘機が三機、撃墜された。撃墜……と言うよりは、全機コントロールを失って海面に突っ込んだ。大破、残骸さえ見つからず粉々になったらしい』
「…………」

無言の圭介に、通話の先の男性……アルバートは続けた。

『失敗だな、ドクター高畑。君が立てた計画通りに動いたが、肝心のところで詰めを誤ったらしい。網原汀の身柄を囮に、飛行機ごとエサにしておびき出すまでは良かったが……おびき出したテロリストの戦力と能力を見誤るとは、君らしくもない。今まで何を見てきたのかね?』

責めるような口調を受け、しかし圭介は眼鏡のズレを直して、裂けそうな程口を開いて、ニィと笑った。
カメラで相手側に表情が伝わっていたのか、沈黙が返ってくる。
95 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:47:59.66 ID:+j5AeXst0
「失敗? 世界医師連盟の重鎮である、あなたらしくもない断言ですね」
『どういうことだ?』
「ことは予定の範囲内です。私の計算通りならば、テロリストの保有するスカイフィッシュは、今回の無茶なジャックで行動不能になっているはずです。しばらくは動けないかと思われます」
『……君は……』

アルバートが声を落として言う。

『まさか、空自の戦闘機まで捨て駒にしたとでもいうのか?』
「スカイフィッシュの危険性を侮ってはいけません。今回、テロリストは飛行中の戦闘機パイロットの脳内に強制ジャックをかけてきました。おそらくそれで、パイロット達は一時的に昏睡状態に陥り墜落したのです」
『分かっていたのか……!』
「分かっていなければ、計画は立てられないと思いますが?」

何でもないことのように無表情で返し、圭介は続けた。
96 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:50:34.94 ID:+j5AeXst0
「予定通り、大河内医師達を沖縄の那覇空港に着陸させてください」
『待て。今テロリストのスカイフィッシュが動けなくなっているのならば、叩くのは今ではないのか? 奴らの航空機の座標をロストする前に……』
「流石にあなたといえど、三機も自衛隊の戦闘機をお釈迦にしておいて、今後何もないとは思えませんが……やめておいた方がよろしいかと」

淡々と言い放った圭介に、アルバートは声を張り上げた。

『貴様……! 私を利用し脅すつもりか!』
「ええ。利用し脅すつもりです。それが何か?」

機械のような声と無表情を受け、アルバートが押し黙る。
97 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:51:17.57 ID:+j5AeXst0
「まぁそうカッカせず。いい関係を築いていきましょう。私は、『まだ』あなたの敵ではありませんから」

プツッ、と一方的に通話を切り、圭介は背もたれに体を預けた。
そして、ぬるくなったコーヒー缶の中身を喉に流し込んで立ち上がる。
部屋の対角側には、ジュリアが重苦しい顔をして座っていた。

「ドクター高畑。どこに行くの?」
「ソフィーの腕の結合手術をしなければいけない。君の、『アンリエッタ・パーカー』としての力を貸してもらう」
「私は……」

ジュリアは俯いたまま、両手を弄びながら小さな声で言った。

「……反対よ。こんなの、人間のやることじゃない……」
「へえ……」

意外そうに圭介は顔を上げ、ジュリアに近づいた。
98 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:51:51.33 ID:+j5AeXst0
そして俯いた彼女に覆いかぶさるようにその顔を覗き込み、無表情の目を向けた。

「理緒ちゃんを殺しておいて、よくそんなこと言えるな」
「あれは……!」

弾かれたように顔を上げ、ジュリアは必死の形相で圭介に叫んだ。

「ああするしかなかったじゃない! あなただって了承していた!」
「でも人間一人の精神を破壊し、元に戻らなくしてしまったのは事実だ。俺はその手伝いをしたにすぎない。あの作戦の陣頭指揮は、君がとっていた。分かるか? 理緒ちゃんを殺したのは、君だ」

ゆっくりと反芻するように言い、圭介は子供にやるように、震えるジュリアの頭を撫でた。

「人間殺すのははじめてか?」
「そんな……違う、私は、私は殺してなんかいない……あの子を治療した。確かに治療したわ!」
「その結果、理緒ちゃんの主人格は永遠にロストした。何現実から目を背けてるんだ」

圭介に無慈悲に断言され、ジュリアはテーブルに手を叩きつけて立ち上がった。
99 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:52:39.64 ID:+j5AeXst0
「何を言いたいの……? 私を責めているんですか!」
「いや……全然そんなことは。ただおかしくてね」
「……おかしい?」
「一人殺せば、十人殺しても百人殺しても同じさ。結局は人殺しなんだ。医者なんて。一万の命を救ったとしても、一人殺したら、そのカルマを永遠に背負わなければいけない。消えることがないカルマだ」
「…………」
「人殺しの責任なんて誰もとれない。だから俺達は、いずれ考えることをやめなければいけない。そう……俺達は既に自殺病に侵されている。緩やかにカルマに押しつぶされて、死に近づいている」

圭介はアイパッドをカバンにしまって、出口に向かって歩き出した。
ジュリアが力なく椅子にへたり込む。

「自殺病にかかった人間は幸せにはなれない。決してだ。いや、なってはいけないんだ」
「ドクター高畑……あなたは……」
「君は、そんなこともまだ分からないのか? アンリエッタ・パーカー」

名前を呼ばれ、ジュリアが口をつぐんで視線をそらす。
100 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:53:17.56 ID:+j5AeXst0
「施術は十四時からだ。遅れないで来てくれ」

圭介の姿が廊下の向こうに消える。
ジュリアはしばらく、形容し難い痛みに襲われているかのようにうずくまっていたが、やがてポケットから携帯電話を取り出し、番号を押した。
そして耳に当て、数コール後に応答した相手に、英語で何かを言う。
一言、二言返され、ジュリアは少し沈黙した後、肯定の意思を伝えたのか、何度か頷いてから答え、電話を切った。
その手から携帯電話が滑り落ち、テーブルの上で乾いた音を立てた。
俯いたジュリアの目から一筋涙が流れる。

(中萱君……私は……)

たまらず、ジュリアは両手で自分の顔を覆った。

(あなたのことが、好きでした)
101 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:53:51.83 ID:+j5AeXst0


「着いた……のか……?」

ざわつくファーストクラスのエリア内で、大河内は汗を拭って口を開いた。
アスガルドと名乗るテロリストによるハイジャック。
それにより、強制的な眠りから目覚めた機内の乗客は、一時的にパニックに陥っていたが、先程沈静化し、那覇空港に無事に着陸したのだった。
汀(なぎさ)は目を覚まさなかった。
意識内を刺激しすぎたのだ。
薬も投与してあるので、しばらくは起きないと思われる。

(この子は……もう、汀(みぎわ)ちゃんじゃないのか……)

大河内は胸を抑え、えぐりこむような痛みに息をつまらせた。
過去、一貴にやられた通り魔のときの傷が、興奮により少し開いてしまったようだ。

「ドクター大河内。汗を……」

看護師が差し出したハンカチで顔を拭い、大河内は視線を横にスライドさせた。
102 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:54:24.84 ID:+j5AeXst0
そこには、酸素吸入器を口に取り付けられ、空港の職員達により真っ先に運び出されていくマティアスの姿があった。
おそらく、もう事切れている。
殺したのだ。
あのスカイフィッシュの少年少女達が、あっさりと。
汀(みぎわ)の施術をしたマティアスが死亡してしまった今、彼女の精神真皮がどこにいったのかを知る術はない。
つまり。

(汀(みぎわ)ちゃんは……永遠にこの世界からロストしたんだ……)
103 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:55:09.68 ID:+j5AeXst0
死。
汀(みぎわ)は既に死んでいた。
その残酷過ぎる、しかしあっさりとした事実を大河内はまだ理解ができていなかった。
じゃあ、目の前にいるこの子は何だ。
汀(みぎわ)の顔をし、声をし、同じように笑い、同じように怒る。
だが……別人なのだ。
人造で生み出された仮想の人格。
存在しないはずの人間が、目の前にいた。
圭介から遠ざけようとしたのが裏目に出てしまった。
これでは沖縄で、ただ単なる孤立状態になったと同じだ。
テロリストがいつ自分達の意識下にダイブしてくるかも分からない。
もう、大河内に打てる手は何もなかった。
頭を抱えて体を丸めた大河内だったが、看護師の一人がその肩を叩いた。
104 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:56:14.28 ID:+j5AeXst0
「ドクター大河内。そろそろ降りないと……」
「あ、ああ……とりあえず、沖縄の赤十字病院に避難しよう。マインドスイープの妨害電波を発する設備があったはずだ」
「分かりました。この子は……」

数名の看護師が近づいてくる。
大河内は胸を抑えて立ち上がり、汀(なぎさ)の体を持ち上げた。

「私が連れて行く。君達は早急に病院への移動手段を準備してくれ。次にジャックされたら全滅する」
「分かりました」

頷いて看護師達が機内を出て行く。
大河内は足を引きずりながら、飛行機の出口に向けて歩き出した。
105 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:56:48.87 ID:+j5AeXst0


夢の世界で、手術台に寝かされたソフィーは、重苦しい顔で近づいてくるジュリアを見て、不安そうな表情を浮かべた。
その脇には、白衣のポケットに手を突っ込んだ圭介がいる。
二人とも、ジュリアの中にマインドスイープしてきたのだ。

「時間がないわ。ソフィーさん、あなたの腕を切除して、この腕を接続する施術を始めます」

ジュリアが、夢の中に持ち込んだのか、台の上に乗った子供の腕を持ち上げてソフィーに見せる。
ソフィーはジュリアからその腕に視線を移し……その目が大きく見開かれた。

「え……」

かすれた声で呟き、弾かれたように上半身を起こす。

「ちょっと待って! それは……それは一体何?」

悲鳴のような声を上げて喚くソフィーに近づき、圭介がその頭を押さえて無理矢理に手術台に押し付ける。
106 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:57:31.77 ID:+j5AeXst0
「……何を暴れているんだ。ジュリアはこの手術の『専門医』なんだ。施術自体は短時間で終わる。動かないでくれ」
「聞いてないわ! あれは……あれは!」

引きつった声で叫ぶソフィーに、悲しそうな顔でジュリアが子供の腕を持ったまま近づく。
顔面蒼白となったソフィーだったが、圭介がポケットから出した注射器を、彼女の首に挿して中身を流し込む。
一瞬で体が麻痺したのか、ソフィーはガチガチと歯を鳴らして、目を飛び出さんばかりに見開いたまま、かすれた声を発した。

「嫌……嫌よ……そんなのやめて……ひどい、ひどすぎるわ……誰か助けて……」
「痛くはしないわ。すぐに終わる」

淡々とした声でジュリアが言う。
次の瞬間、彼女の髪がざわざわと動き出し、体全体を包み込む大きな白いコートを形成した。
そのパーカーフードの奥。
ドクロのマスクを見て、ソフィーは金切り声の絶叫を上げた。
それはまさにスカイフィッシュ。
悪夢の権化の姿だった。
107 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:58:03.56 ID:+j5AeXst0


第22話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/23に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

m(_ _)m
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/22(月) 21:17:49.77 ID:Ce+BPCF/O

わりと一貴を応援している自分がいる
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/22(月) 21:54:00.84 ID:sdCqcKkA0
乙です。2クール位でアニメ化かドラマ化できそう。
質問や突っ込みたい所が山ほどあるんだけど完結後に受け付けていただけますか?
毎日の更新が楽しみです!


事情通のようであんまりよくわかってない大河内。完全に高畑の手の平。責任を取ってヒゲを剃れ。さては剃ったら童顔だな?
110 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:26:28.37 ID:roP5EhAm0
皆様こんばんは。
第22話を投稿させていただきます。

>>108
この話は、複数の主人公の視点で進行させています。
一貴も主人公の一人ですので、最も感情移入がし易い少年なのかもしれませんね。

>>109
ご質問や討論など、ぜひこのスレでさせていただければと思います。
都度ご返信をさせていただきますm(_ _)m

アニメ化やドラマ化ではありませんが、挿絵やイラストつきの同人小説として、近日に発売する予定ではあります。
もしよろしければ、お手にとっていただければ幸いです。
その際も各所で告知させていただきます。
111 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:28:31.87 ID:roP5EhAm0


第22話 愛しているよ



酸素吸入器を口に取り付けられ、腕には無数の点滴。
そしてマインドスイープ用のヘルメットを装着させられたソフィーが、担架で運ばれていく。
圭介はヘッドセットを外し、フーッ、と息をついた。
その目が、部屋の隅でうずくまり、パイプ椅子に腰を下ろしたジュリアにとまる。
彼は鼻を鳴らすと、ゾロゾロと部屋を出て行くスタッフ達に続いて出ていこうとして……眼前でバタン、と施術室のドアが閉まったのを見て足を止めた。
ドアノブに手をかけて開けようとするが、向こう側からガチン、と鍵が閉められ動かない。
しばらくして開けようとするのを諦め、圭介はポケットに手を突っ込んで振り返った。
ジュリアが立ち上がり、圭介から数歩下がった場所まで近づいてきていた。
彼女の手には、小さなハンドガンが握られていた。
それをまっすぐ圭介の眉間に突きつけ、ジュリアはどこか悲しそうな、空虚な目を向けていた。
112 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:29:09.11 ID:roP5EhAm0
「……成る程な」

意外なことに、圭介は冷静だった。
彼はポケットに手を入れたまま、ジュリアに向き直った。

「いつからだ? アンリエッタ」

彼がそう問いかけると、ジュリアは口元を僅かに歪め、いびつな笑みを発した。
そして掠れた声で答える。

「最初からよ、中萱君」
「そうか……」
「随分と落ち着いているのね……」

小さな声でジュリアがそう言うと、圭介は軽く肩をすくめ、自嘲気味に笑った。
113 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:29:41.32 ID:roP5EhAm0
「そんな気はしていた。人造スカイフィッシュである君を、アメリカ赤十字が何の意図もなく派遣してくるわけがない。なにせ……」

圭介は鼻を軽く引きつらせ、淡々と言った。

「俺達には、人権がない」
「……まるで何もかもがお見通しって言う感じの言い方ね……」
「およそ君が知っている限りのすべてのことはな」
「私は!」

圭介の言葉を打ち消すようにジュリアは叫んだ。
そして両手でハンドガンを構え、安全装置を指先でスライドさせる。

「……私はそんなあなたの、達観した物言いが嫌いだった!」
「…………」
「坂月君も! まるで全てを見透かしているような……私達の存在自体をすでに諦めているような……そんな顔も、声も何もかもが大嫌いだった!」
114 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:30:17.87 ID:roP5EhAm0
「…………」
「命乞いをしなさい」

淡々とした声でジュリアは圭介に言った。

「死にたくないって! 助けてくれって喚きなさい! 抵抗しなさい! 中萱榊!」

圭介の本名を怒鳴り、ジュリアは一歩を踏み出した。
そして圭介の額に銃口をえぐりこむように押し付ける。

「どうしたの? 何余裕かましてるの? 私が撃てないとでも……そう思っているの?」
「…………」

圭介は小さく溜息をつくと、その場から動くでも、抵抗する様子もなく軽く笑った。
それはどこか諦めたような、悲しそうな、やるせなさそうな。
虚脱した笑みだった。
彼のその顔を見て、ジュリアが言葉を飲み込む。
115 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:31:01.94 ID:roP5EhAm0
「いや……君はきっと、引き金を引く。分かってる。これは脅しじゃない」
「…………」
「そして、これは赤十字全体の意思だろう。なら、俺がここで騒いで、たとえ君を組み伏せたとしても。俺が助かる確率は極めてゼロに等しいってわけだ」
「何を冷静に……分析している場合?」
「ああ。最期くらいゆっくりしたいと思ってね」

圭介はそう言って、懐からタバコを取り出した。
そして口にくわえ、ライターで火をつける。
額に銃を押し付けられたまま、彼はフーッ、と煙を空中に吐き出した。
軽く咳をしたジュリアが、咎めるように言う。

「ここは……病院よ」
「硬いことを言うなよ。今までずっと、あの子の世話で吸えなかったんだ」
「いつから気づいてたの……? 私が、あなたを殺すために派遣されてきたって」

ジュリアが問いかけると、圭介はタバコを吸いながら笑った。
116 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:31:47.24 ID:roP5EhAm0
「いつも何も」
「…………」
「そういうものだろう。マインドスイーパーの最期って大体」
「……そうね」
「坂月は、そうやって俺が殺したからな」

笑い話のような調子でそう言うと、ジュリアは目を見開いて硬直した。
そして引きつった声を発する。

「坂月君を……? 中萱君……あ、あなたが……?」
「何を驚いてるんだ。知っているんじゃなかったのか?」

圭介はバカにするように鼻を鳴らし、続けた。

「坂月はS級のマインドスイーパーだった。沢山の人を治療したよ。そして、沢山のエラーを心に蓄積させていった。やがてそれは、処理しきれない悪夢の塊となって坂月を侵食した」
「…………」
117 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:32:16.39 ID:roP5EhAm0
「元の人格は崩壊。理性もなくなり、自分が誰かも分からなくなった。常に何かに怯え、何かに怒り。人を治し続けたS級能力者は、ただのリビングデッドに成り下がった」
「だから……殺したの?」
「そうだ。それが、坂月の遺言でもあった」
「遺言……?」
「人格が壊れる前に、あいつは俺に、自分自身の治療を依頼していた」

圭介の吸っているタバコから、灰がボトリと床に落ちる。
それを空虚な瞳で見下ろしながら、彼は続けた。

「俺は約束通り、坂月を治療した」
「殺すことは治療ではないわ! それはただの殺人よ!」

ジュリアが叫ぶ。
圭介はしかし、それをやるせない瞳で見返し、ゆっくりと首を振った。

「坂月はそれで救われた。俺は、産まれて初めてその時、人を救った」
118 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:32:46.46 ID:roP5EhAm0
「…………」
「最初で最後の、治療だ」

圭介は床にタバコを投げ捨てると、靴のつま先で踏みにじった。
指先でメガネの位置を直し、彼はジュリアをまっすぐ見た。

「坂月は救われた。だが、マインドスイープのネットワーク上にコピーされた坂月の人格は、分裂、増殖を繰り返して『悪夢の元』を延々と生み出し、トラウマとして人の心に介入を続けている。分かるか? 『スカイフィッシュ』というのは、ナンバー1システムの出来損ないの、慣れの果てなんだよ」
「スカイフィッシュが……坂月君の精神体の分裂したものだとでも言うの……?」
「その通りだ」
「嘘よ!」
「じゃあ説明できるのか? スカイフィッシュがどうして同じ姿形をしているのか。どうして介入不能な戦闘能力を有しているのか」
「…………」

圭介は手を伸ばし、ジュリアの頬にそっと触れた。
119 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:33:18.68 ID:roP5EhAm0
「全部、坂月の悪夢がモチーフになっているからなんだ」
「それじゃ……」
「君の中にも、坂月の悪夢が感染させられている。君も病人だ」

絶句したジュリアに冷たい目を向け、圭介は手を降ろした。

「……もう少し足掻けると思ったんだがな。存外に早かった。アルバート・ゴダックか? 君に俺の殺害を命令したのは」
「違うわ」
「へえ……?」
「あなたを殺すのは私の意思。あなたのことを、いっときでも好きだった……この私の意思。これは、私が決めた、私の殺意」
「違うな」

圭介はわずかに震えるジュリアの手を見てから、彼女の目に視線を動かした。

「それは植え付けられた殺意だ。誰かにインプラントされた強迫観念だよ」
120 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:33:50.56 ID:roP5EhAm0
「違う!」
「……違ったら、いいんだけどな」

そこでフッ、と圭介が笑った。
彼の気の抜けたような顔を見て、ジュリアが息を呑む。

「これを」

圭介はポケットから手を出して、ジュリアに差し出した。
そこには小さな紙切れがつままれていた。

「大河内に渡してくれ」
「そんな頼み、私が聞けると思う?」
「聞くさ。なにせ、君は俺のことが好きだからな」

圭介の表情が下卑た笑みに変わる。
121 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:34:33.72 ID:roP5EhAm0
「アンリエッタ。ここで俺が、君のことを愛していると言ったら。君はその引き金を引けるかな?」

小馬鹿にしたような邪悪な言葉に、ジュリアは目を見開いて怒鳴った。

「私を……私を弄んでたばかるつもり?」
「ああ、そうだ。じゃあ逆に聞くが。君は俺を、簡単に殺せるとでも思っていたのか?」

クックと喉を鳴らして笑い、圭介は手を伸ばしてジュリアの、銃を構える右手を掴んだ。
硬直して息を呑んだジュリアの手を引いて、自分の左胸。
心臓に銃口をあてがわせる。

「愛してるよアンリエッタ・パーカー。俺は、君のことが好きだった」
「…………」

歯を噛み締めて圭介を睨みつけるジュリア。
その手がブルブルと震えていた。

「どうした? 俺を殺しに来たんじゃなかったのか?」
122 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:35:05.68 ID:roP5EhAm0
「こんなの……こんなの……!」

ジュリアがヒクッ、と喉を鳴らした。
その泣き笑いのような歪な表情を作った顔が歪み……。
彼女の目から涙が溢れた。

「卑怯すぎる……」
「嘘だと分かっていても、動けないだろう。君は『そういう調整』をされているからな」

圭介はニヤニヤと笑いながら、ジュリアの手を握り込んだ。

「撃てよ! 俺を殺すんじゃなかったのか!」

突然の圭介の怒号を聞いて、ジュリアがヒッ、と息を呑む。
そして彼女はよろめいて、その場に尻もちをついた。
カシャン……と安全装置が外れたハンドガンが床に落ちて転がる。
圭介は冷めた目でそれを見下ろし、ポケットに両手を突っ込んだ。

「その程度の存在なんだよ。君も、俺も」
123 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:35:39.69 ID:roP5EhAm0
頭を抑えて絶叫したジュリアを淡々と見下ろし、圭介は続けた。

「坂月だって、真矢だってそうだ。俺達……赤十字による第一実験体は、今も昔も只のモルモット。モルモットにはモルモット以外のレールを歩くことは出来ない。だって……モルモットなんだからな」
「…………」

震えながら自分を見上げるジュリアに、鉄のような視線を下ろす圭介。
それは、スカイフィッシュの目に酷似していた。

「俺はずっと考えていた。どうして俺はモルモットなのだろうか。モルモット足り得る定義を作った奴は、一体誰なんだろうか……神ではない。そんなものはこの世にはいない。なら誰? ……坂月と、ずっとそれについて考えていた」
「中萱君……あなたは……」
「俺達をモルモットにし、坂月を壊し、真矢を壊し、こんな腐ったレールを作ったのは一体誰だ。自殺病を蔓延させ、人間の心に腐食するトラウマを植え付けている奴は、一体誰なのか」

圭介は足元の潰れたタバコを踏みにじり、それをドン、と足で叩き潰した。

「俺は坂月と誓った。どんな犠牲を払っても。その『悪魔』を地獄に叩き戻してやると」
124 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:36:14.57 ID:roP5EhAm0
「…………」

唖然として硬直しているジュリアに、圭介は続けた。

「だが俺は歳を取りすぎた。君もだ。手足がいる。俺の代わりに、悪魔に鉄槌を下す『カルマ』を持った道具が」
「それが……汀さんだったのではないの?」

震える声でジュリアが言うと、圭介は鼻を鳴らして答えた。

「他に誰がいる」
「あの子は人間よ……あなたの、あなたの復讐のための道具ではない……!」
「汀は真矢を殺した」

淡々と言い放った圭介の言葉に、ジュリアは息を呑んだ。

「え……?」
「マインドスイープした汀の中で、俺達はスカイフィッシュとなったあいつに襲われた。真矢はそこで死んだ。俺を庇って」
「…………」
「真矢のオリジナルは、そこで死んだ」

圭介は小さな声でそう言うと、自嘲気味にクックと笑った。
125 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:36:46.27 ID:roP5EhAm0
「分かるか、俺の気持ちが。俺の憎しみが。真矢を殺したクソガキを、あの悪魔を、俺は今までずっと育てていたんだ。ずっと守っていたんだ。俺の大事な真矢を奪ったあの外道を、俺は『治療』していたんだ」
「そんな……」
「だがもう十分だ。準備は整った。あいつは、もう逃げることは出来ない」

裂けそうなほど口を開いて笑い、圭介はポケットから両手を出して横に広げた。

「俺の復讐の準備は整った。そこにおける、俺の生死など大した問題じゃないんだ、アンリエッタ」
「あなたは……何をしようとしているの?」

掠れた声で問いかけたジュリアに、圭介はメガネの奥の瞳に鈍く光を反射させながら答えた。

「赤十字病院を……マインドスイープというシステムを牛耳っている病人達。『元老院』達を、治療するんだよ」

なめるようにゆっくりとそう言い、彼は舌で唇を湿らせた。
126 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:37:17.66 ID:roP5EhAm0
「元老院……を……?」
「そのために汀を育てた。テロリストと戦わせた。あいつに治療の術を叩き込んだ。そうだ……アンリエッタ。これは最初から、そう、最初から……元老院と、俺の戦争だったんだ」
「まさか……」
「俺だよ。テロリストを動かして、マインドスイープを妨害していたのは。俺と、坂月だ」
「…………」

絶句してジュリアは後ずさりした。

「無論テロリスト達はそれを知らない。テロに対抗するために組織された、君達『機関』も知らない筈だ。だけどな、事実なんだよ」

圭介は面白くてたまらないという調子で体を曲げて小さく笑い始めた。

「大変だったよ。反乱分子に情報を与えて。わざわざ調整された実験体を助けて……機関とテロの対抗図式を構築するまでに十年はかかった」
「……嘘……」
「嘘じゃない。まぁ、今となっては証明する術はないけどな。証明をするつもりもない」
127 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:37:49.17 ID:roP5EhAm0
「テロで、どれだけの人が死んだのか……分かっているの……?」

小さな声で問いかけられ、彼は首を振った。

「興味もないからな。知らない」
「あなたは……!」

ジュリアは弾かれたように顔を上げた。

「あなたは人間ではない……! 悪魔よ! 汀さんを悪魔と呼ぶなら、あなたもその同類よ!」
「……だから何だ」
「だから……」

ジュリアは悲痛な声を上げた。

「だから……!」

言葉にならなかったらしかった。
128 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:38:17.95 ID:roP5EhAm0
しばらく圭介は嗚咽するジュリアを見下ろしていたが、やがてポケットからサバイバルナイフを取り出した。

「さて……」

それを逆手に持って、ジュリアに向き直る。

「そろそろ終わりにしよう、アンリエッタ。この現実の世界で。せめてそこで終わりにしよう」
「…………」
「俺はこれから君を殺そうとする。無論抵抗しなければ、俺は君の頸動脈を切断して、殺す。その後、この病院内の全ての赤十字を皆殺しにする」

もう片方の手をポケットに入れ、彼はリモコンのようなものを取り出した。

「計十八ヶ所。この病院には爆薬を設置した」
「…………」

目を見開いたジュリアに、圭介は淡々と言った。

「ボタンを押せば爆発する。まぁ……多数の死傷者は出るだろう」
129 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:38:48.44 ID:roP5EhAm0
「それが……」

彼女はわななく手で床に爪を立てた。

「それが医者のやることなの……?」
「アンリエッタ……」

圭介は不気味な能面のような顔で、それに返した。

「自殺病に感染した人間は、もう二度と幸せにはなれない。なってはいけないんだ」
「…………」
「なぜだか分かるか? 自殺病に感染した人間が、マインドスイープのネットワークにアクセスするたびに、ネットにトラウマが放流される。ウイルスだ。つまり、自殺病患者は治療されるたびに、自殺病のウイルスをばらまいている。世界中に」

口の端を歪めて、彼は笑った。

「病原体なんだよ。すでに」
130 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:39:22.07 ID:roP5EhAm0
「…………」
「俺はこれから君を殺す。その後ボタンを押す。君が俺を殺さない限り、俺はそれを実行する」

カラカラと空調の音が響いた。
ジュリアは震える手でハンドガンを拾い上げ、立ち上がった。
そして両手で圭介に向けて構える。

「そうだ。それでいい」

彼は銃口が頭を向いているのを確認して、満足げに微笑んだ。

「ああ……これでやっと……」
「…………」

砕けんばかりに歯を噛み締めたジュリアが、指先に力を込める。

「真矢のところに逝ける」

銃声が響いた。
131 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:39:52.20 ID:roP5EhAm0


「…………」

タバコをくゆらせたスーツ姿の男性が、苦々しげな顔で施術室の中に立っていた。
彼の周りには、黒服を着た男達が立って警備している。
警察と思われる者が出入り口を封鎖し、数人が遺体を青い袋に詰めていた。

「待て」

タバコの男はそう言うと、足を踏み出した。
そして二つの遺体袋に近づき、片方の半開きになっているチャックを覗き込んだ。
高畑圭介……というネームプレートと、頭部を銃弾で半ば破壊された遺体が、そこにはあった。
タバコの男は舌打ちをして立ち上がった。
視線をもう一つの遺体袋にやると、そこにも頭部が半ば破壊された女性の亡骸があった。
132 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:40:33.92 ID:roP5EhAm0
「こちらの男性を射殺してから、自殺したようですね……現場の検証を詳しくしないと、断言はできませんが……」
「警部!」

そこで息を切らせて別の刑事が飛び込んできた。
彼は血溜まりを踏み越えて近づくと、警部と呼んだ男に何事かを囁いた。
それを聞いた途端、男が顔面蒼白になる。

「アンリエッタ・パーカー……私の見込み違いだったか……中萱榊を殺して、自分も後を追うとはな……」

苦々しげに呟いたスモーキン・マンに、警部の男が近づいて、耳元に口を近づけて言った。

「即刻ここから退避を」
「何かあったのか?」
「監視カメラの映像と音声を聞いた結果、この病院には爆発物が設置されているようです。パニックにならないよう、内部の人を誘導しますので、あなたも早く外へ」
「…………」

また舌打ちをして、スモーキン・マンが足を踏み出す。
133 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:41:00.00 ID:roP5EhAm0
そこで彼は、血溜まりの中に紙切れが落ちているのを目にした。
さり気なく身をかがめてそれを拾い上げ、血をスーツで拭ってポケットに突っ込む。
そして彼は、火のついたタバコを携帯灰皿に押し込んで、蓋を締めた。
その視線が、圭介が吸って踏みにじったタバコに落ちる。

「……バカ者が……」

苦く、そして重く呟いて、彼は歩き出した。
点、点と血の足跡が、リノリウムの床に広がっていった。
134 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:41:30.93 ID:roP5EhAm0


「高畑が……殺された……?」

愕然として大河内は、携帯電話の向こうに震える声を発した。

「そんな馬鹿な……誰だ、殺したのは? テロリストか?」
『それが……ジュリア医師が、施術後に銃で頭部を撃ち抜いたそうで……』
「…………」
『即死です』

電話口の向こうの医師に、大河内は声を荒げて言った。

「ジュリア女史は……? あの人はどうしたんだ?」
『高畑医師を射殺した後、銃を口にくわえて引き金を引いたようです。二人分の遺体が、施術室から発見されました』
「なんだって……」

大河内は言葉を失い、よろめいて椅子に腰を下ろした。
135 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:42:08.09 ID:roP5EhAm0
そして腹の傷を手で抑えながら、掠れた声を発する。

「……分かった。関東赤十字病院はどうなった……?」
『病院内に爆弾が仕掛けられているという話があり、一時騒然となりましたが……デマだったようです。爆弾は発見されず、通常通り、今は稼働しています。報道機関への抑制も完了しています』
「…………」

大河内は息をついて天を仰ぎ、電話の向こうに数点指示をしてから通話を切った。
そして頭を抑えて体を丸める。
病院の、音響反射材のような白い壁に囲まれた部屋だった。
かなり広く、幾つかのパーテーションで分けられている。
大河内はそこで点滴を受けていた。
すぐ近くのベッドには、汀(なぎさ)が横になって寝息を立てている。
136 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:42:46.93 ID:roP5EhAm0
沖縄赤十字病院の地下、マインドスイープ用の施設だった。
このエリアは、外部からのマインドジャックを妨害する効力がある。
ここにいる限り、テロリストの干渉を受ける心配はないが……反対に、こちらから手出しをすることもできなかった。
マインドスイープのネットワークに接続した瞬間、ハックされる危険性があるからだ。

「高畑……」

大河内は頭を抑えて言葉を絞り出した。
その表情が苦悶と苦痛に歪む。

「逃げるのか……そうやって。卑怯じゃないか……お前はいつも……」

そこで大河内は、看護師の女性が、院内通話用の携帯端末を持って近づいてくるのを見て、顔を上げた。
137 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:44:01.35 ID:roP5EhAm0
「ドクター大河内、お電話です」
「何だ? 関東赤十字からか?」

なぜ自分の携帯によこさない、と疑問が頭をよぎった所で、看護師が戸惑いの表情を浮かべて携帯を大河内に渡した。

「いえ……『サカヅキ』という方からです。男性です」
「えっ……?」

呆然として目を見開く。
看護師は彼の様子を見て、怪訝そうに顔を覗き込んだ。

「お知り合いではないのですか? ドクターの親戚の者だということなので、お継ぎしたのですが……」
「いや……知り合いだ。ありがとう、下がってくれ」

大河内は携帯を握り、立ち上がって誰もいない通路側に移動した。
そして保留解除のボタンを押し、耳に近づける。

「……私だ」
138 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:44:33.46 ID:roP5EhAm0
『随分出るのに時間がかかったじゃないか』

淡々とした声を受け、大河内は奥歯を噛み締めて、言葉を絞り出した。

「坂月君……」
『生きていたのか? っていう知能指数の低い質問は勘弁してくれ。時間もない』
「……お前が坂月君から分裂した精神体の一つか……」
『ああ。ネットワークを通じて、音声変換ソフトを間に挟んで通話してる。あまり長くは話せない。元老院に逆探知される』
「元老院……?」
『知っていると思うが、先程高畑圭介が死んだ』

大河内の問いかけを無視し、電話口の向こうの「坂月」はそう言った。

「本当のことなのか……やはり……」
『殺したのはジュリア・エドニシア。アメリカ赤十字の……』
「アンリエッタ・パーカーだな。厄介なことになった」

歯を噛み締め、大河内は押し殺した声で続けた。
139 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:45:18.36 ID:roP5EhAm0
「こちらの情報部からの情報通りだとすると、あの女は人造で調整されたスカイフィッシュのようだな」
『そうだ。いわば、人の手で作り出された俺のようなものだと言える』
「どこかにアンリエッタ・パーカーの精神が分裂した分裂体がいたら、君が死んだ時と同じように、誰かの悪夢に感染する」
『話が早いな』

坂月は小さく笑いながら言った。

『そこまで分かっているならいいんだ。ジュリア……いや、アンリエッタは、最初から高畑圭介を殺すための「時限爆弾」だったんだよ。生きていてもどっちみち処分されていた。新しいスカイフィッシュをネットワークに放流するためにね』
「何故だ」

大河内の血反吐を吐かんばかりの声に、坂月は言葉を止めた。

「自殺病を根絶するために、ナンバー1システムを作ったんじゃなかったのか……?」
『君は一つ大きな勘違いをしてる』

坂月は淡々とそれに返した。
140 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:45:52.74 ID:roP5EhAm0
『マインドスイープは、一つのビジネスだ』
「ビジネス……?」
『自殺病にかかった人間が、赤十字病院で治療される。自殺病のウィルスは誰かにまた感染し、あらたな患者を作り出す。そのサイクルで赤十字という大きなコミュニティは潤い、回る』
「…………」

絶句した大河内を馬鹿にするように笑い、坂月は続けた。

『たまにスカイフィッシュというスパイスも必要だ。簡単潤滑に進むだけではいけない。異分子による妨害があってはじめて、「治療」はさらなる「必要性」を有する』
「…………」
『全て赤十字の……「元老院」の描いたシナリオなんだよ。君達は、ただそれにそって足掻いているにすぎない』

大河内は歯を噛みながら壁に寄りかかった。
そしてズルズルとその場に腰を下ろす。
141 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:46:28.84 ID:roP5EhAm0
『そのシステム自体を潰そうとしているのが、テロリストだ。彼らはマインドスイープという行為自体を消し去ろうとしている』
「そんなことが可能なのか……?」
『可能だ』

坂月は重い声で続けた。

『人の夢に入り込めるシステムを掌握し、そこから別の悪夢を、世界中に送り込む。いわば……アンチスカイフィッシュだ。スカイフィッシュを殺すことができる、ウイルスバスターとでもいうものかな』
「そんな……」

大河内は声を荒げた。

「そんな都合のいいことが、できるわけがない!」
『無論、理想通りには行かないだろう。だが、自動でスカイフィッシュを駆逐できる、強力な別の悪夢を患者の心にインプラントできれば、それだけで自殺病の進行をある程度遅らせることが可能だ』
「…………」
『テロリストは、何度もマインドスイープへのジャックを繰り返し、システムの中枢をすでに発見している。次にダイブしてきた時が、彼らの決行の時だ』
142 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:47:08.85 ID:roP5EhAm0
「私に……どうしろと言うんだ……」

頭を掴んで首を振る。
そして大河内は弱々しい声を発した。

「高畑は死んだ……汀(みぎわ)ちゃんも、マティアスに殺されてしまった。私一人ではもう何も出来ない……そこにさらに、アンリエッタ・パーカーが二人目のスカイフィッシュとして、ネットワークに放流されたら、もう打つ手は何もないじゃないか……」
『今すぐ、君が保護した女の子をダイブさせるんだ』

坂月ははっきりとそう言った。

「何だって……?」
『網原汀(あみはらなぎさ)君を、今すぐ俺の指定する夢座標にダイブさせろ。君のすることはそれだけでいい』
「待て。あの子の主人格は、もう精神外科医によって削り取られてる。記憶も何もないんだ」
143 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:47:47.81 ID:roP5EhAm0
『知っている。高畑からそれは聞いた』
「高畑から……?」
『俺達はそのような状況のために、対抗策を用意しておいた。網原君には、やってもらわなければいけないことがある。主人格をロストしたくらいで、終わらせるわけにはいけない』

恐ろしいことを言い放ち、坂月は大河内に、座標情報をボソボソと伝えた。
その声が、伝え終わったあたりでノイズ混じりになる。

『赤十字に逆探知された。そろそろ通信を切る』
「坂月君! 教えてくれ、この患者は……一体誰なんだ? 誰の頭に汀(みぎわ)ちゃんを連れていけばいいんだ!」
『……君がよく知っている人物さ』
「私が……?」
『その夢座標は、アルバート・ゴダック』

大河内が息を呑んで、メモした夢座標の紙を見つめる。

『俺と高畑が十年かかって割り出した、元老院の最高責任者……全ての赤十字を統括している悪魔の、頭の中だ』
144 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:48:20.92 ID:roP5EhAm0


会議室で、大河内は目の前のアイパッドに視線を落とした。
周囲には沖縄赤十字病院の医師達がいる。

「しかし……ドクター大河内。この状況でダイブを行うのは無茶です。それに、誰なんですか、この患者は」

沖縄側の医師の一人が口を開く。
大河内はアイパッドに表示されているカルテを見ながら、重苦しい声を発した。

「この患者は……世界医師連盟の一人。アルバート・ゴダックという男性です」

その名前を聞いて、周囲が息を呑む。

「冗談を……! あなたの情報だと、この患者は……」
「はい。アメリカ赤十字病院の隔離病棟で現在も集中治療中の、重度の全身麻痺患者……数年前の脳梗塞で意識不明となっている、植物状態の男性です」

静かに言い、大河内はアイパッドを叩き、カルテのページをめくった。
145 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:49:22.35 ID:roP5EhAm0
「偽名を使っているようですが、この男性で間違いはありません」
「そんな情報をどこから……」

声を上げた医師が、歯を噛んで大河内を睨む。

「いや……そんなことより、ダイブは無理です! 現在テロリストのマインドスイープの妨害を警戒し、全てのダイブ機構へのアクセスが規制されています。ご存知のはずでしょう?」
「分かっています」

大河内はそう言って、息をついてその医師を見た。

「しかし、先程その『世界医師連盟』のアルバート・ゴダック氏に『ダイブ』を行うように、という要請が、私に来ました。ご覧ください」

彼はアイパッドを操作し、そこに表示されている文書を、画面を回転させて全員に見せた。
映し出されたマークを見て、周囲が唖然とする。

「アメリカ国防総省の、セドリック・オーバンステイン大臣からの書面です。そして、彼は私の所属している『機関』の最高責任者でもあります」
146 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:49:54.47 ID:roP5EhAm0
アイパッドを持ったまま、大河内は淡々と続けた。

「日本政府への打診は終わっています。ご存知の通り、国防総省からの通達は、世界医師連盟の決定を上回ります」
「待ってください!」

机を叩いて、医師の一人が立ち上がる。

「この植物状態の患者にアクセスして、何をどうするつもりなのか、お聞かせ願いたい。いくら命令があろうと、ここは軍隊ではない。病院です! あなた方特務機関の力押しで、はいそうですかと協力する訳にはいかない!」

周囲の同調する頷きを見回し、大河内は息をついた。
そしてしばらく沈黙してから一気に言う。

「この男は、テロリストの一人です。先程CIAにより、国際手配もされています」
147 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:50:21.05 ID:roP5EhAm0
大河内は、嘘をついた。
勿論、国防総省の大臣から送られてきた書面は、本物だった。
先程の坂月の分裂体との会話を途中から録音し、転送。
それを受けてアメリカ国防総省から送られてきた通達は

「アルバート・ゴダックの殺害」

を命じるものだった。
彼がテロリストである、というのは、国防総省のでっちあげである。
そう、つまり大河内の属する機関は……。
簡単に言うと、「世界医師連盟」という組織を切り捨てたのだった。
そこには様々な思惑があるのだろうが、おそらく一番は、共倒れを防ぐため。
テロリストに情報が漏れている可能性のある、アルバート・ゴダックを殺害することで、口封じをしようとしているのだ。
148 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:50:50.14 ID:roP5EhAm0
こみ上げてくる吐き気を抑えながら、大河内は腹の傷を掴んだ。
僅かに血が滲んでいるのが分かる。
夢座標を解析した結果。
アルバート・ゴダックは植物人間であることが判明した。
すでに十年以上寝たきりの生活を送っている。
つまり、元老院の最高責任者とは……現実のこの世界からではなく、夢の世界から、坂月の精神体のように干渉し、動かしていたことになる。

「国際指名手配犯です。ネットワークに逃げ込まれる前に、精神中核の身柄を確保しなければいけません」
「なるほど……しかし危険すぎる」

大河内の言葉を聞き、医師の一人が歯を噛む。

「沖縄赤十字病院から出せるマインドスイーパーは、今は誰もいません。これ以上スイーパーの命を危険にさらす訳にはいかない。私達でダイブしようにも、時間がもつかどうか……」
149 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:51:17.15 ID:roP5EhAm0
「大丈夫です。私が連れてきた子を使います」

静かにそう言い、大河内はアイパッドをデスクに置いた。

「時間がありません。逃げられる前にテロリストを捕まえ、このテロを終わりにしましょう。長距離ダイブの用意を、お願いします!」
150 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:51:43.48 ID:roP5EhAm0


大河内は眠ったまま目覚めていない汀(なぎさ)の頭にヘッドセットを装着し、何ともいえない苦しい表情で彼女を見下ろした。
ダイブ室に移動して、汀(なぎさ)を長距離ダイブ装置に接続。
大河内はナビでのサポートに回ることになっていた。
本当は大河内も一緒にダイブをしたかった。
そう主張はしたのだが、沖縄から、アメリカの患者にダイブするというその意識の伝達に、大人の大河内は耐えられないと止められてしまったのだ。
破れんばかりに唇を噛んで、彼は眠っている汀(なぎさ)の手を握った。
周囲では沖縄赤十字の医師達が慌ただしくダイブの準備をしている。

「……高畑は死んでしまったよ」

大河内は、汀(なぎさ)にだけ聞こえる小さな声で呟いた。
151 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:52:18.29 ID:roP5EhAm0
「ちゃんと話したことはなかったね……私は、卑怯な男なんだ」

反応がない少女の脇の椅子に腰を下ろし、彼は両手で彼女の手を包み込み、額に当てた。
そして絞り出すように続ける。

「私は、真矢ちゃんが好きだった。愛していたんだ。ただ、真矢ちゃんは優しくてね……高畑のことが放っておけなかった。あの二人が惹かれ合って、相思相愛になっていたと知った時、私は狂いそうになった」

自嘲気味に笑って、大河内は目を閉じた。

「高畑を殺してやろうかとも思った。でも、意気地がない私にはそれはできなかった。見ているだけだった。そしてやがて真矢ちゃんは君の中のスカイフィッシュに殺されてしまい、君と高畑だけが残された」
「…………」

眠り続けている汀(なぎさ)に、彼は小さく言った。
152 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:52:51.13 ID:roP5EhAm0
「高畑は君を憎んでいた。私はそれを知っていた。私は、真矢ちゃんが命をかけて守った君を、何とかして高畑の手から助け出したいと思っていた。だから機関に入った。でも、私は君を助けられなかった……それどころか、また戦場に送り出そうとしている……」

強く少女の手を握りしめ、大河内は言葉を絞り出した。

「私を……許して欲しい……」
「ドクター大河内、時間です」

後ろから声をかけられ、大河内は汀(なぎさ)の手をベッドに戻してから、立ち上がった。
ダイブ室から出て、ガラス張りのそこを取り囲むように機器が敷き詰められている一角に、大河内はよろめきながら移動した。
そして彼は、ヘッドセットをつけて声を張り上げた。

「ダイブを開始します。彼女の意識をスイープシステムに繋いでください!」
153 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:53:18.77 ID:roP5EhAm0


汀(なぎさ)は、真っ白い、どこまでも続く廊下に立っていた。
天井には蛍光灯が縦に並んでおり、時折ブツブツと明かりが切れて、ついてを繰り返している。
二メートル幅ほどの通路はどこまでも伸びており、振り返っても同じ、先が見えない通路しかなかった。
壁も、床と同じ素材なのか白い、ただそれだけのものだ。
通路というよりはトンネルのようだ。

『私の声が聞こえるか?』

耳元のヘッドセットから大河内の声が流れてきて、汀(なぎさ)はビクッとしてヘッドセットを触った。
病院服に裸足の格好だ。
訳が分からない。
そこで彼女は、頭に抉りこむような痛みを感じ、悲鳴を上げて両手で耳を塞いだ。
鼓膜が破れそうな激痛だった。
154 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:54:19.07 ID:roP5EhAm0
そのまま床に転がってのたうち回る。
ヘッドセットの向こうで大河内が何事かを言っているが、聞いている余裕はなかった。
汀(なぎさ)の鼻から一筋、血が流れ出す。
しばらくして痛みが鈍痛に変わり、彼女はうずくまって頭を抱えたまま震えていた。
ここはどこで、自分はどうしてしまったのか。
さっぱり分からなかったが、先程の激痛でそんなことを考えている余裕がなかった。

『大丈夫か? 返事をしてくれ!』

大河内の声に、やっと掠れた呟きを返す。

「パパ……?」
『良かった。いいかい? 時間的余裕がない。君の身を守るためにも、私の言うことを、聞き返さずに素直に聞いて欲しい』

大河内の切羽詰ったような声を聞き、汀(なぎさ)は震えながら言った。
155 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:54:52.92 ID:roP5EhAm0
「な、何が……」
『君の脳に多大な負荷がかかってる。激痛はそのためだ。君は今、夢の中の世界にいる。今すぐその地点から移動するんだ』
「夢……ここが……?」

呟いて、壁により掛かりながら何とか立ち上がる。

『目的地は別だが、指定地点に寄って欲しいんだ』
「体が……うまく動かない……」
『君の精神がまだ慣れていないんだ。少し動けば適応する。とにかく、そこは危険だ。先に進んでくれ』
「後ろと前が同じで、どっちに行ったらいいのか分からないよ……」

心細げに言われ、大河内は少し考え込んでから答えた。

『壁に扉があるはずだ。すぐ近くに』

言われ、汀(なぎさ)は周りを見回した。
確かに、少し進んだ先の壁に、一つだけ不自然に木造の扉がついている。
その前に移動して口を開く。

「うん……ある」
156 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:55:19.22 ID:roP5EhAm0
『中継地点はおそらくそこだ。開いて中に入ってくれ』
「分かった」

頷いてドアノブに手をかけようとしたときだった。
チャリ……という金属音が響き、汀(なぎさ)は弾かれたように振り返った。
少し離れた場所……。
今まで彼女がいた場所に、人影があった。
パーカーフードを目深に被った、足元まで続く長いコートを羽織った華奢な影だった。
しかしそれを見た瞬間、汀(なぎさ)の体が勝手に震えだし、彼女は悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。
腰が抜けてしまったらしく、ズリズリと力なく後ずさりする。

『何だ……? 何かいるのか!』

大河内がヘッドセットの向こうで怒鳴る。
しかし汀は答えることができずに、フードの女性……と思われる人を真っ直ぐ見つめていた。
157 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:56:05.33 ID:roP5EhAm0
フードの中が異様に暗く、顔を見ることができない。
汀(なぎさ)は体全体を走る悪寒に耐えきれず、「彼女」が足を踏み出したのを見て、金切り声の絶叫を上げた。

「誰かがネットワークに侵入してきたと思ったら……あら、中萱君のペット」

クスクスと笑いながら、女性の声を発した「それ」は汀(なぎさ)の眼前で足を止めた。

「でもお生憎様。あなたをこの先には行かせないわ」
『アンリエッタ・パーカーの精神分裂体……! スカイフィッシュか!』

汀(なぎさ)の耳のヘッドセットから、大河内の声がする。

『逃げろ! その精神体は、トラウマとしての機械的な動きしかしない。早く扉に入るんだ!』

汀(なぎさ)はしかし、動くことができなかった。
震えながら、アンリエッタのことを見上げる。
フードの奥の暗闇で、髑髏のマスクが光ったような気がした。
ドルン、という音がした。
ハッとした時には、アンリエッタが何か巨大なものを持って、鎖を引っ張っていた。
どこから出したのか、と考えるより恐怖が先行した。
158 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:56:55.98 ID:roP5EhAm0
チェーンソーの高速回転する刃を振りかざして、フードの化物は汀(なぎさ)に向かってそれを振り下ろした。
殺される、と目を瞑る。
しかし予想された衝撃はいつまで経っても訪れず、汀(なぎさ)は恐る恐る顔を上げ……そして目を見開いた。
自分と同じような病院服の女の子が、いつの間に現れたのか、間に飛び込んできていたのだ。
彼女は、アンリエッタと同じような巨大なチェーンソーを軽々と振り回すと、受け止めていた相手の凶器を跳ね飛ばした。
そしてためらいもなくアンリエッタの頭に向けて振り下ろす。
フードの化物は手を伸ばして、女の子の腕を掴み、チェーンソーの動きを止めた。
凄まじい力が双方にかかっているのか、ミシミシという異様な音が響く。

「何をしているの、網原汀(あみはらなぎさ)! 早くその扉の中に退避しなさい!」

悲鳴のような声を受け、汀(なぎさ)はハッとして立ち上がり、転がるように扉のドアノブに手をかけた。
回して押すと、向こう側に扉が開き、彼女の小さい体が中に転がり込む。
そこで、汀(なぎさ)の意識はブラックアウトした。
159 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/23(火) 16:57:36.65 ID:roP5EhAm0


第23話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/24に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

m(_ _)m
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/23(火) 18:31:01.52 ID:6uwZxwyA0
乙です。質問どころじゃなくなってきました。後2回でほんとに完結するのかよ?日米欧合作の実写映画版のキャスティングをつい考える自分
161 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:00:24.75 ID:Eb2omwdb0
皆様こんばんは。
第23話を投稿させていただきます。

>>160
ありがとうございますm(_ _)m
残り2話ですが、最後までお楽しみいただけると幸いです。
162 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:01:28.76 ID:Eb2omwdb0


第23話 理緒ちゃん



汀(なぎさ)は鈍痛がする頭を抑えて目を開けた。
そこは、どこか南国の浜辺のような光景だった。
白い砂浜が広がっていて、少し離れたところにはゆっくりと波が行ったり来たりしている。
見る限り、砂浜と波以外何もなかった。
空には燦々と輝く太陽。
暑い。
汗を手で拭って、汀(なぎさ)は荒く息をついた。
さっきの化け物は?
助けてくれた女の子は?
慌てて周りを見回すが、どこにもいない。

「ニャー」

そこで足元から声がして、少女は弾かれたように立ち上がった。
163 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:02:11.64 ID:Eb2omwdb0
白い小さな猫だった。
どこから現れたのか、それが足元に擦り寄ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付けたのを見て、小さく息を吐く。

「猫は夢の世界に生きる動物、と言うが。ここまで適正のある個体は初めてだ。君は、随分とその子に好かれているらしい」

そこで背後から声をかけられ、汀(なぎさ)はビクッとして振り返った。
今まで誰もいなかった場所。
そこに、車椅子に乗った白髪の男性が座っていた。
彼は頭に包帯を巻いていた。
血まみれのその包帯は右目を覆い隠し、両手の指はギプスに覆われている。
足も折れているのか、右足に太くギプスが巻かれていた。
その異様な風体に警戒し何歩か後ずさりした汀(なぎさ)に、彼は軽く笑ってから続けた。
164 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:02:51.45 ID:Eb2omwdb0
「ようこそ、俺の夢の世界に。もっと近くにおいでよ。この通りの姿だ。君に危害を加えることはできない」

硬直している汀(なぎさ)に、彼は

「ほら」

と言ってギプスの手で手招きをした。
ビクビクしながら近づいた汀(なぎさ)に、目の前に座るように促し、彼は少女が腰を下ろして、震える足を抱え込んだのを見て微笑んだ。

「……怖いかい?」

問いかけられ、少女は頷いた。
そして必死の形相で青年に言う。

「ここはどこなんですか? パパは? あの化け物は一体何? 私はどうしてしまったの?」

そこまで一気に問いかけて、汀(なぎさ)は先程まで聞こえていたヘッドセットからの音が全く聞こえないことに気がついた。
スイッチらしきところを何度も押すが、反応がない。
165 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:03:28.80 ID:Eb2omwdb0
「どうして……」

愕然としてつぶやくと、青年は何でもないことのように言った。

「『外』の時間軸と、この夢の中の時間軸がズレてるんだ。通信は、この空間を出ないと使えないようにしてもらった。しばらくはスカイフィッシュも入ってはこれないだろう」
「あなたは……」
「俺は坂月。坂月健吾という、赤十字病院の『医者』だ……いや……」

自嘲気味に笑い、彼は目を細めて汀(なぎさ)を見た。

「医者だった、と言った方が良いかな」
「…………」
「今はただ、この情報の海で動けず朽ちていくだけの、ただの『産廃物』さ。そんなに恐怖しないでもいい」
「怪我を……してるんですか?」

問いかけられ、坂月と名乗った青年は首を振った。
166 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:04:02.72 ID:Eb2omwdb0
「これは怪我じゃない」

そう言って手を上げ、頭にかかっている包帯を引っ掛けてぐるぐると外す。
そしてその中から出てきた「モノ」を見て、汀(なぎさ)は息を呑んだ。
彼の、右側頭部が綺麗になくなっていた。
向こう側が見える。
断面はデータのバグのように、時折ノイズ紛れに歪んでいた。

「指と足も同じでね。まぁ……痛覚はないからいいんだが。もう俺のデータもだいぶ古くなり、欠損しているだけの話だ。気にしなくていい」
「あなたは何……?」

震える声で問いかけられ、坂月は微笑んだ。

「俺は俺さ。君が君であるように」
「私が……私……?」
「そうだ。君は、一体誰だい?」

問いを聞いてそれに答えようとし、汀(なぎさ)は口をつぐんだ。
167 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:04:29.74 ID:Eb2omwdb0
私……。
私は、パパの娘で……。
娘……?
それは、「いつから」のことだったんだろう。
その疑問が頭に浮かんだ瞬間、えも言えぬ悪寒が体全体を走ったのだった。
思い出せない。
いや、それ以前に私は、いつから私だった?
小さい頃の思い出は?
ママの顔は?
今までどこに住んでいたの?
何も思い出せない。
何も。

「私は……」

震える手で顔を隠し、汀(なぎさ)は呟いた。

「私は誰……?」
168 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:05:14.91 ID:Eb2omwdb0
「教えてあげよう」

坂月はそう言って、車椅子を汀(なぎさ)に近づけて言った。

「君の名前は、網原汀(あみはらなぎさ)だ。十三歳。日本人。身長は百三十二センチ。体重は三十一キロ」

少女の個人情報をスラスラと言い、坂月は微笑んだ顔のまま、ギプスの手を伸ばして、ポン、と彼女の頭に乗せた。
そして優しく撫でる。

「君は、マインドスイーパーだ」
「マインド……スイーパー……?」
「いいものをあげよう」

坂月はそう言って、彼女の前にギプスの手を、手のひらを上にして差し出した。
そこに赤い、小さなビー玉が乗っているのを見て、彼女は不安げに彼を見上げた。

「これは、君のものだ」
「何……それ……?」
169 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:05:48.09 ID:Eb2omwdb0
「その猫ちゃんがね、探してきてくれたんだ。これは精神中核と言い、人間の『魂』のようなものさ」
「…………」
「受け取って」

促され、汀(なぎさ)は手を伸ばしてビー玉を受け取った。

「不思議な時代だね。人間の魂も、データのように扱うことができる。人の魂の価値さえ、もうたいしたものはないんだな」

寂しそうに呟き、坂月はキィ……ときしんだ音を立てて車椅子を動かした。
そして汀(なぎさ)から視線を離し、海を見つめる。

「少し難しい話をしてあげよう」

彼はそう言って、囁くように、掠れた声で話し始めた。
170 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/24(水) 16:06:34.41 ID:Eb2omwdb0
「人間の心は、元来病んでいるんだ」
「…………」

何を言われているのか分からない顔をしている汀(なぎさ)を見ずに、彼は続けた。

「人は元々死に向かって歩いている。生きている、一分一秒が死への階段だ。しかし生きている間にそれを事実として認識する人は、どれだけいるだろうか……」

坂月はそう言って息をついた。

「いない。誰も彼も、自分がいつ死ぬかわからない恐怖、その絶望を考えない。認識をしない。だが、意識が認識しなくても、心にはその恐怖……絶望の差異が生じさせるエラーは残る」

太陽がゆっくりと下降を始めた。
あたりが燃えるような赤い、夕焼けの色に包まれる。

「それが自殺病のウイルスの正体さ。人間は元々、心に死へと向かっていく絶望から生じる疾患を持った、患者なんだ。スカイフィッシュは、その病気が生み出した二次災害的なものにすぎない」
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