【グラスリップ】透子「かけるくん?」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

1 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 19:40:26.53 ID:DvK9a+dU0
 †

 ピアニストの母さんは、職業柄なのか、人柄なのか、ひとところに留まらない人だった。

 それが原因で、子供の頃から俺は各地を転々としてきたけれど、そのことで母さんを恨んだことはない。

 むしろ、母さんのしていることは、それがなんであろうと、正しいように感じられた。

 母さんのような生き方に、憧れていた。

 広い世界を飛び回る、まるで翼が生えているような、母さんの背中。

 その後ろについていくことを許されたのだから、俺は恵まれていた。

 母さんの生き生きとした姿を間近に見ることができて、俺は誇らしかった。

 ……ただ、一つだけ。

 この胸にわだかまる気持ち。

 ふとした瞬間に襲いくる痛み。

 それだけが、ずっと、影のようにぴたりと付いてきて、俺を苦しめた。

 しかし、それも俺が完全な人間になれば。

 散らばる断片を集めて完成した形になれば。

 いつか、何かしらの決着をつけられるはずだ、と。

 そう、思っていた。
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 19:54:56.47 ID:DvK9a+dU0
<第1話 花火>

 転校は初めてじゃない。

 ただ、これが最後になるかもしれなかった。

 高校三年生の夏。

 進路を決めるのに、腰を据えて考えられたほうがいいだろう、と誘われて、俺は父さんの地元で一緒に住むことになった。

 そうと決まれば、それまで住んでいたところを離れ、学校も変える。

 いつもしてきたことだ。

『新しい場所でうまくやっていけるだろうか?』

『やっていけるとも。これまでそうしてきたようにな』

 車窓に映る《俺》たちが、他人事のように軽い調子で言う。

『それにしても、やけに人が多くないか?』

『祭りでもしているんだろう。花火の音が聞こえるし、華やかな装いの人も多い』

『このあたりでは有名な祭りなのかもな』

『人が増えないうちに、さっさと父さんの家に向かおう』

 俺は《俺》たちが喋るのをただ聞いていた。

 汽笛が鳴り響き、電車が石橋の下をくぐる。

 外の景色が遮られ、窓に映る《俺》たちの顔が、元の俺の顔に置き換わった。

 混み合う車内で一人、重たい荷物を抱え、退屈そうに押し黙る俺――沖倉駆と目が合う。

 三両編成の古そうな電車が、乗客の重さに耐えられないというように、軋みながら停車する。

『日乃出浜港駅』

 日の沈む日本海の港町なのに、日の出。あべこべな印象を受ける地名。

 電車が止まり人が動き出すと、俺もその流れに乗って電車を降りる。

 花火が打ち上がり、前をゆく乗客が歓声を上げながら立ち止まった。

 俺は歩みを止めず、視線を足元に向け、空いている僅かなスペースを見つけて、ごったがえす人々の間を抜けていく。

 まるで幽霊か、透明人間にでもなったかのように。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:07:16.43 ID:DvK9a+dU0
『花火、少しくらい見ていかないのか?』

 ほとんど歩く機械みたいになっていた俺を見かねたのだろう、《俺》が苦笑気味に言う。

『よせよ。俺は祭りが苦手なんだ。知ってるだろ?』

 何も答えない俺の代わりに、もう一人の《俺》が俺を擁護する。すると、花火が見たいらしい《俺》は、納得いかないといったように言い返した。

『祭りが苦手、とはちょっと違うだろう』

『なら言い方を変える。祭りにはあまりいい思い出がない』

 結局、《俺》は《俺》にやり込められてしまい、名残惜しそうにため息をついた。

『花火……綺麗だと思うんだがな。今日見逃すと、次はきっと来年だろうに』

 来年――それは果てしなく遠くのことのように思えて、うまく想像できなかった。

 高校を卒業して、来年の今頃、俺はどうなっていて、何をしているのだろう。

 少しくらいは変われているだろうか。

 今の俺に足りない、欠けている何かは、手に入っているだろうか。

 それは、どこに落ちている?

 どこを探せばいい?

 どうしたら俺は完全になれる?

 そもそも、俺に欠けているものとは一体なんなのか――。

 思考がいつもの袋小路に迷い込んだ、その瞬間だった。



 どんっ……!



 と、ひときわ大きな花火が打ち上がり、そして、



《――やっと見つけた――》



「っ……!?」

 不意に聞こえる、俺自身の《声》。

 空耳や幻聴とは違う、《未来の欠片》と名づけた現象――それは今までにも何度もあった。

 しかし、今回の《未来の欠片》はやけにはっきりと聞こえた。

 それだけじゃない、《声》と一緒に『打ち上がる色とりどりの花火』までもが『見えた』。

 実際の花火を、俺がこの目で見たのではない。俺はずっと下を向いて歩いていたから、見えるはずがないのだ。

 なのに今、確かに花火が――立っている俺よりももっと地面に近い視点から見上げた花火が――見えた。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:11:26.57 ID:DvK9a+dU0
 何が起こっている?

 《未来の欠片》で何かが見えたことは一度もない。

 明らかにこれまでのものとは違う。

 俺はその理由を求めて、周囲を見回す。

 すると、山吹色の帯に桃色の浴衣を着た、明るい髪色の女の子の姿が目に飛び込んできた。

 露店の前にしゃがみ込んで、鈴のようなものを手にしている。

 ちょうど『彼女の視点』からなら、俺に『見えた』のと同じように花火が見えるのではないか――?

『声をかけてみるか』

『なんて言って? 完全に不審者だろ』

『今みたいなのはこれっきりかもしれない。理由を突き止めておかないと』

『だが、彼女が原因だと決まったわけではないだろう』

『その時はその時で、いっそナンパしたらいいじゃないか』

『いや、まあ、可愛らしい子だとは思うが――』

 そのとき、彼女がこちらの視線に気づいて、振り返る気配がした。

 《俺》たちの意見もまとまらず、困惑も大きかった俺は、逃げるようにその場を去った。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:28:12.54 ID:DvK9a+dU0
 翌日、俺は転校の手続きに必要な書類を受け取るため、日乃出浜高校を訪れた。

 既に夏休みに入っていたので、登校している生徒は少なかった。野球部員がグラウンドで練習していたり、美術部員がなぜか放し飼いにされている鶏をスケッチしていたりと、そんな程度。

 閑散とした校舎に入り、担当の先生と会って、少し話をした。しかし、昨日のことが気になって内容が頭に入ってこない。俺は適当なところで話を切り上げ、そそくさと帰り支度をした。

 日差しが遮られて薄暗い昇降口から、炎天下の屋外へと足を踏み出す。

 ふと、つば広の帽子を被った美術部員の姿が目に留まった。

 少し癖のある、長い髪の女の子。その明るい髪色に、俺はハッと息を飲む。

「……君だったのか」

 再会できるとは――それも昨日の今日で――思ってもみなかった。

 俺の《未来の欠片》に、何らかの変化を齎した……かもしれない存在。

 同じ学校の生徒ならば、声をかけても不自然ではない。もし違っていても、その時はその時。ひとまず自己紹介をして、それとなく探りを……。

「――ダビデ!」

 振り返った彼女は、開口一番、驚きに満ちた表情でそう言った。

「ダビデ……?」

 意味がよくわからない。

 いや、ダビデとはイスラエルの王の名か、あるいは美術部員ならば、あの有名な石像のことを指しているのだろう。

 しかし、なぜ俺を見ての第一声が、ダビデ?

 ……少し変わった子なのかもしれない。

「おおい、きみー、これ」

 話の端緒を探っていると、先ほどの先生が俺を追ってやってきた。転入手続きに必要な書類を持ってきてくれたのだ。すっかり本来の用事を失念していた俺は、礼を言ってそれを受け取った。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:35:08.72 ID:DvK9a+dU0
「ありがとうございます」

 先生が校舎へ戻っていくのを見届けてから、俺はスケッチを続ける彼女の隣に、ゆっくりと腰掛けた。

「面倒だよね。転校って」

 こういう雑談はそれなりに得意だと思っている。ひとまずは、様子見だ。

「何年生?」

 彼女はあまり警戒することもなく、自然に話題に乗ってきた。

「三年」

「同じなんだ。三年で転校って大変だねえ」

 相手に合わせているというよりは、心から共感しているような言い方。素直な子なのだろう。話しやすい、と感じる。

「名前、なに?」

「深水透子」

 フカミ、トウコ――綺麗な響きだと思った。

 ガラスとガラスが優しく触れ合う、風鈴の音色のような響き。

「トウコ」

 気づくと、俺はその名を口にしていた。

 いきなりの呼び捨てに、彼女――トウコが困惑するのが伝わってくる。

 けれど、トウコは気恥ずかしそうにするだけで、俺に対して線を引いたり壁を設けたりはしなかった。

 やはり、ちょっと変わった子だ。もちろん、いい意味で。

「この間、花火大会の日、君を見た。鈴、買ってたよね」

 やや踏み込んだ言い方をしてみる。

 どうだろう、さすがに不審がられるだろうか?

 俺はちらりと、トウコの表情を伺う。すると――。

「あっ、待って、ジョナサン!」

 トウコは急に立ち上がって、校庭に放し飼いにされている五羽の鶏のうち、デッサン対象なのだろう一羽のところへ走っていく。

「ジョナサン?」

 何気ない問いかけだったが、トウコはこの鶏たちを可愛がっているのか、詳しく教えてくれた。

「鶏の名前。他にもフッサール、孔子、ロジャー、真葛がいるの。学校のみんなで飼ってるんだけど、一番世話してるのは倫理の先生かな。ジョナサンだけは他から来た子なんだけどね」
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:44:27.48 ID:DvK9a+dU0
 『他から来た子』――その単語が、胸の奥に無断で手を突っ込まれたように、嫌に耳についた。

「……だから一羽だけ浮いてるのか」

 少し暗い調子でそう呟いた俺に、トウコが不思議そうに振り返る。だが、俺が何も言わないでいると、彼女はまたデッサンに戻った。

「放し飼いだから、描きづらいったらないのよ」

「なら、小屋に入れればいいのに」

 トウコに悪気はないとわかっている。なのに、どうしても言葉に棘が出てしまう。気を落ち着かせなくては。俺は立ち上がり、ジョナサンなる鶏をよく見てみようと歩み寄る。

「私の勝手で小屋に入れるなんてできないよ。かわいそうだし」

 何気なくそう呟く、トウコ。

「なんでジョナサン逃げないの? すごいね」

 確かに、ジョナサンは俺が近づいても反応らしい反応を見せない。

 いや、それよりも、俺はまた彼女の言葉に引っかかりを感じてしまう。

「……かわいそう?」

 それはつまり、小屋に入れるのを良しとは思ってないということ。

 言い換えれば、放し飼いの肯定だ。

 けれど、彼女はきっと、知らない。

「好きなとこ歩けたほうがいいでしょ?」

 色んな街を見られて楽しそう、自由な生活が羨ましい――誰もが口々に言った。

「それはトウコの価値観だろ」

 あてどもなく歩き回ることが、いいことばかりとは限らない。

 小屋の中での生活だって、そう悪いことばかりじゃないはずだ。

 一つの場所に留まる人々ほど、そのかけがえのなさに気づかない。

「ええっと、自分から檻に入る動物なんていないし……」

「それは彼らに、選択肢が不足しているからだよ」

 生まれてからずっと同じ街に住み続けるのか。

 それとも、飛び回るように様々な街を移り住むのか。

 子供の俺には、母さんについていく以外の選択肢はなかった。

 それが間違っていたとは思わない。

 けれど、もしも、自分の意思でどちらかを選べたなら。

 あんな経験をすることもなかったんじゃないか?

 仮にしたとしても、それは俺自身で選択した結果なのだと、納得できたんじゃないだろうか?
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:51:08.02 ID:DvK9a+dU0
「ここは港町だし、猫もたくさんいる。――襲われる可能性は考えない?」

「魚でお腹いっぱいだから大丈夫っ! ……たぶん。今まで猫に襲われたっていう話、聞いてないし……」

「猫以外は?」

 直接的な外敵なんかではない。

 もっと概念的なものに、不意に襲われる可能性。

「ジョナサンは飛んで逃げ――」

 そう言いかけて、彼女は俺のことを見、ぎょっとしたように表情を強張らせる。

「へ……?」

 自分でもわかっている。こんなの、幼稚な八つ当たりでしかないと。

 本気で彼女を困らせたいわけでも、ジョナサンを傷つけたいわけでもない。

 それでも、つい、試したいと思ってしまった。

「いったいなに!?」

 俺の醸し出す不穏な雰囲気に、彼女が焦ったような声を出す。

「……飛んで逃げるんだろ」

 他にどうしようもないなら、そうするしかないだろう。

「俺は敵? 味方?」

 唐突に現れる、強大で、自分ではとても太刀打ちできない、何か。

 ちょうど、ジョナサンにとっての、今の俺のような。 

 そんなものに襲われたときには、どうするのが正解なのだろう。

 敵として、戦いを挑んで必死に抗えばいいのか?

 味方のように、自らの一部として受け入れるしかないのか?

 それとも、飛び立って、捉われないよう、どこまでも逃げる?

 ジョナサンは、どうするだろう? 俺はどうすればよかった? あるいは彼女なら――。



「それならジョナサンは、私が守るからっ!」



 想定していなかった答えに、面食らった俺は、言葉を失った。

 ……守る? 君が――?

 彼女はジョナサンを庇うように俺の前に立ち塞がり、決意に満ちた瞳で見つめてくる。

 素直で、暢気そうで、少し天然風な女の子――そんな素朴な印象が、上書きされる。

 俺の《未来の欠片》に何らかの変化を齎したかもしれない存在。

 フカミトウコは、どうやら、かなり変わった子のようだった。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 20:57:42.87 ID:DvK9a+dU0
 *

 あんなことをしでかして、結局、俺は彼女に《未来の欠片》のことを切り出せずに終わった。

 けれど、もちろん、一歩目で躓いたくらいで諦めるつもりはない。

 狭い街だからだろう、少し聞き込みをするだけで情報は手に入った。

 彼女――深水透子は、普段はカゼマチという喫茶店に数人の仲間とたむろしているらしい。

 早速、俺はその喫茶店を訪れた。

 からん、と、どこか懐かしい音色でカウベルが鳴る。

「いらっしゃいませー」

 すらりと背の高い、大きなリボンが特徴的な子に迎えられ、好きな席に座るよう案内される。

 俺は手近な席に落ち着いて、店内を見回す。すると、奥のテーブル席に透子の後ろ姿を見つけた。

 話しかけるタイミングを伺っているうちに、先ほどのリボンの子がエプロンを脱いで透子のいる席へ向かう。

 俺は静かに席を立った。

「なんでいきなりあんなことしようと思ったの?」

「えっと……転校生がね、三年で、ダビデみたいな――」

 近づくにつれ、壁で遮られていたテーブル席の様子が見えてくる。

 集まっているのは、透子とリボンの子を含めて、五人。

 最初に俺に気づいたのは、透子の正面に座るリボンの子だった。

「……ん?」

 そして最後に振り返ったのが、当の本人。

「俺のこと?」

「あっ……!?」

 背後から話しかけたせいか、透子はかなり驚いた様子だったが、わりあいすぐに気を取り直し、物言いたげな仲間たちのほうへ向き直った。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 21:01:17.60 ID:DvK9a+dU0
「紹介します。ええっと、名前は――」

「沖倉です」

「沖倉ダビデ?」

 カチューシャで前髪を上げた男が、そんなとぼけたことを言う。きっと人が良いのだろう、彼からは敵意を感じない。

 ただ、彼の隣にいる眼鏡の女の子、それに透子の隣にいる目つきの鋭い男からは、かなり不興を買っているように思う。

 リボンの子は――どうなのだろう、じろじろと俺の顔を見てくるが、敵意よりは興味を持たれている感じだ。

「私、ジョナサンのこと考えているつもりで――」

 透子が昨日のことで俺に何か伝えようとする。だが、その言葉は途中で遮られた。

「ってか、なんだ?」

 がたっ、と目つきの鋭い男が立ち上がる。背が高い。それに何かスポーツをしているのか、身体が引き締まっている。凄まれると、なかなかの迫力だ。

「男子がいるのは想像の範囲内だったけど……」

 透子に話しかけただけでこんなに睨まれるとは――ちょっと厄介だな。

「なんなの?」

 男に続いて、今度は眼鏡の女の子が立ち上がった。よほど俺が不審に見えるのか、あるいは、透子が仲間内でかなり大事な立場にいるのか。リボンの子も、二人の不穏な反応を見て、俺という異分子に警戒心を抱く。

 長居するのは得策ではないらしい。用件だけを告げて、退散するとしよう。

「――透子」

 《未来の欠片》について、どうやって切り出すか、いくつか用意してきた。

 その中で、最も手短でかつ端的な台詞を、俺は口にする。

「俺はあの日、君と同じものを見た」
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 21:13:31.09 ID:DvK9a+dU0



唐突な当たり前のグラスリップSSです。

このSSは完全かけるくん視点なのでヒロくんはもうラストまで出てきません。

第2話はしばらくしたら更新します。


12 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:10:29.16 ID:DvK9a+dU0
 †

 その《声》のことは、母さんにも、もちろん父さんにも、話したことはない。

 あれは、忘れもしない、あの夏祭りの日。

 家へと続く道を悄然と歩いていた俺の元に、それは通り雨のようにふらりとやってきた。



《――またな――》



 その時は、何かの空耳かと思い、気にも留めなかった。

 しかし、その街を出ていくことになって、みんなに別れを告げたとき。

『……またな』

 無理に笑って再会を約束する自分の声に、俺は強い既知感を覚えた。

 以来、俺はその《声》を、それなりの頻度で耳にするようになった。

 大半は意味のないノイズだったり、おぼろげで何を言っているのかわからなかったりしたけれど、かろうじて聞き取れた《声》は、ほとんどの場合、少しあとになって俺が言うことになる言葉だった。

 母さんのあとについていくのに精一杯で、自分が今どこにいて、次にどこへ向かうかもわからなかった幼い俺にとって、その《声》は闇夜の灯台のように感じられた。

 今はまだ不完全な俺だけれど、その《声》の示す場所へ向かうことで、いつか完全な形を手に入れることができるかもしれない……。

 いつしか、俺はその《声》を待ち望むようになった。

 《声》について、もっと多くのことを知りたいと思った。

 少しでも《声》の正体に近づければと思うようになった。

 そしてついには、《声》それ自体が、現実の、現在の俺の欠落を補ってくれる、何かの部品のようなものなのではないか、と考えるようになった。

 胸にわだかまるこの気持ちを、いつか埋めてくれる小片。

 ゆえに。

 暗い海の底か、あるいは、はるか遠くにある大地にでも落ちていくような感覚の中で。

 藁に縋るような、淡く、それでいて切実な期待を込めて。

 俺はその《声》に、《未来の欠片》という名をつけた。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:16:14.15 ID:DvK9a+dU0
<第2話 ベンチ>

「俺はあの日、君と同じものを見た」

 そう告げた俺に、透子は何も答えることはなかった。

 代わりに反応したのは、周りにいた透子の友人たちだ。

「同じものって……」

 カチューシャの彼は、状況についていけない、と戸惑っている様子。

「あんた、透子のなに?」

 目つきの鋭い彼は、俺への敵意を隠そうともしない。

「ちょっと」

 そんな彼を諌めるのは、気の強そうなリボンの子。だが、彼は構わず質問を重ねた。

「ここにも透子に会いにきたわけ?」

「ああ」

「ああ、って……」

 そんなの見ればわかるだろう、と開き直った態度で肯定した俺に、彼は言葉に詰まったようにうめいた。

「どうして場所がわかったの?」

 鋭い質問をしてきたのは、眼鏡の女の子。直情的な彼よりも、彼女のほうが手強そうだ。俺は誤解されないよう、なるべく正直に答える。

「ここが君たちのたまり場なんだろう?」

「そうだけど……」

 次なる質問はなかった。しかし、会話が途切れたことで、かえって彼らからの視線が痛い。透子の返事はまだ受け取っていないが、これ以上待ってもさらなる面倒が起こるだけだろう。

「明日の十一時、麒麟館の展望台で待ってる」

 透子の耳元に囁き、俺は踵を返す。透子が困惑したように振り返り、例の彼氏が声を荒らげて俺を呼び止めたが、一切を無視して俺は店を出た。
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:26:55.15 ID:DvK9a+dU0
 *

 そして、翌日。

 父さんの家のリビングのリクライニングソファの上で、俺は母さんの演奏する夜想曲を聴いていた。

『昨日は随分と思い切りがよかったな』

『けど、確実に反感を買った』

 仕方がなかったんだ。時間も無限ではない。少し強引なくらいでないと。

『俺にしか聞こえない《声》なんて、よくわからないものに巻き込むんだからな』

『それでも、周りの彼らはまだ、適切な距離を置けばいいさ。ただ、深水透子――彼女には、どうしたって迷惑を掛けることになる』

 そこは、俺も彼女に悪いと思ってる。でも、だからこそ急がなければならない。

『彼女も受験を控えているだろうから、期限はこの夏休み中か』

『忙しくなりそうだ』

『でも、ようやく巡ってきたチャンスだ』

『逃すわけにはいかない……な』

 《俺》の言う通り。

 こんな偶然はきっと、最初で最後。

 今まで形のはっきりしなかった《声》――《未来の欠片》。

 その正体に迫る手がかりを、俺はあの花火の日、《やっと見つけた》。

 ずっと知りたかったことが、わかるかもしれないんだ。

 掴もうとしても掴めなかった、《未来の欠片》の本当の意味。

 不完全な俺に足りないもの、今の俺に欠けているものが、一体なんなのか。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:37:18.67 ID:DvK9a+dU0
『何はともあれ、今日の約束に深水透子がどう応じるかだ』

『彼女の協力は必要不可欠なんだから、うまくやれよ』

 わかってる……やれるだけのことはやるさ。

 決意を固めると、俺は逸る心を鎮めるため、母さんの演奏に集中する。

 深く呼吸をして、身体の力を抜いていく。

 そうして音楽に聴き入り、無心になれたかと思った、次の瞬間だった。



《――あなたの欠片は見つかった?――》



「っ……!?」

 またしても、かつてないくらい、はっきりと聞こえる《声》。

 それも俺のじゃない――『深水透子』の《声》だ。

「……油断した……」

 母さんの演奏を聴いていると《声》を聞きやすいのは、わかっていたはずだ。

 ただ、『深水透子』の《声》が聞こえるというのは、完全に想定外。

 これは……しかし、やはり彼女が何らかの鍵を握っているということなのか?

「済まないな、部屋の準備が間に合わなくて――」

 聞こえた《声》について考えを巡らせていると、ダイニングにいた父さんが話しかけてきた。

 庭のテントのことで詫びられたが、好んでああしているのは俺だ。今までふらふらと各地を飛び回ってきたから、急に自分の部屋ができるのは違和感があった。

「そうだ、これから出かけるから、昼飯いらないよ」

 そう伝えると、父さんは冗談めかして返した。

「なんだ、デートか?」

 デート――言われて、俺ははたと気づく。

 同年代の女の子と待ち合わせるのは、客観的に見れば、そういうことになるのか。

「……うん」

 まさか『《未来の欠片》の正体を探るため』とも言えず、俺は頷いた。

 それにしても、デート、か。

 昨日喫茶店で会った深水透子と、彼女の友人たちの姿が思い浮かぶ。

 たが、今更後には引けない。

 俺にできるのは、俺の我儘で起こる面倒が少しでも小さくなるよう、祈ることくらいだった。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:46:05.92 ID:DvK9a+dU0


 来ないという可能性も考慮していただけに、女の子一人が同伴しての登場とは、昨日の突貫はかなりの成果を上げたと考えていいだろう。しかし――、

「やあ、こんにちは。君は昨日の……」

「永宮です」

 同伴者がこの眼鏡の子――永宮となると、かえって対応は難しい。彼女に下手なごまかしは通じないだろう。何もかもを喋るわけにもいかないが、話せる範囲で誠意を見せるしかない。

「永宮は、透子が心配でここにきた?」

 答えがイエス以外にありえないのは、俺を睨む永宮の表情でよくわかった。

 腹の探り合いでは埒が明かない。ここは単刀直入にいこう。

「どうしたら君の信頼を得られる?」

「透子ちゃんに近づかないで!」

 拒絶――永宮は、得体の知れない俺を端から信用していないらしい。

 となれば、信じるか信じないかではなく、損か得かで決断を迫るのがいいか。

「……もし、俺が透子の悩みの一部を解決できるって言ったら、どうする?」

 確証はないが、起こった現象や透子の反応から、俺はある仮説を立てていた。

「透子には、何かきっかけがあると、幻覚のようなものが見えるんじゃない?」

 あの花火の日、それまで《声》だけだった俺の《未来の欠片》に、《映像》が付随した。

 もし、その変化を齎したのが透子なら、その《映像》はきっと彼女に由来するもののはず。

 その先は俺の体験からの類推でしかなかったが――、

「さっちゃん、私、沖倉くんと話したい」

 どうやら、そう的外れではなかったようだ。
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:51:34.60 ID:DvK9a+dU0
「でも……」

 永宮はなおも反対したが、最終的には透子の意思を尊重することに決めた。

「透子ちゃんを、助けてくれるのよね?」

「……恐らく」

 俺と短いやり取りを交わし、永宮は俺と透子を残して席を外す。ただし、

「うちのグループ、恋愛禁止だから」

 そう、しっかりと釘を刺していく。

 ……父さんといい彼女といい、やはり、そういう捉え方になるのか。

 しかし、永宮の懸念は少しだけピントがズレている。

 俺は透子とそういうことをするつもりはないし、透子にもその気はないだろう。

 だから、何かあるとすれば、それはきっと、俺が現れたことで仲間内の人間関係が変化する、という形で訪れるに違いない。

 部外者の俺に気を取られて、近くのものを見落とすようなことにならなければいいが――。

「そういうの、すぐ崩れると思うけど」

 釘を刺された意趣返し、というわけではないが、やんわりと警鐘を鳴らしてみる。

 永宮は細い眉を顰め、それから心配そうに透子を一瞥すると、静かに階段を降りていった。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/04/03(水) 23:54:34.34 ID:DvK9a+dU0
 *

 いざ透子と二人きりになってみると、自分でも意外だが、多少の緊張があった。

 それもこれも父さんや永宮の一言のせいだ――というのは、さておき。

 あまり長い間二人でいると、永宮が上がってくるかもしれない。

 限られた時間の中で、うまく説明できるといいのだが……。

「透子は自分の才能についてどう考えている?」

「自分の才能?」

「能力と言い換えてもいい。君の幻覚の話」

 手短に、かつ端的に――そんな俺の急いた気持ちを察してか、それとも単なる天然か、透子は言う。

「あの、外に出ない?」

 ……この子と話していると、ペースを狂わされてばかりだな。
212.06 KB Speed:0   VIP Service SS速報R 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)