15:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:37:44.14 ID:r9ema6LhO
「で、僕は決めた。君を待つ。アイドルとして輝いたあと、どうやって音楽に関わるか決まるまで」
「!」
「業界を一度見るといい。成功するのはそう難しい話じゃないし、橘さんはまだまだ若い。どう音楽に関わるかを決めるのは、今じゃなくていいんじゃないかな?」
「でも……急がないと。私に才能なんてありませんし」
16:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:38:26.33 ID:r9ema6LhO
その翌日。俺はとあるカフェに呼ばれていた。目の前には鋭い目つきの女性。出されたコーヒーに手を付ける気になれないと思ったのは久しぶりだ。
目の前の女性ー橘さんの母親、珊瑚さんは不信感を隠そうともせずに言った。
「何のつもりですか?」
「文字通りの意味です。貴女の腕を見込んでの」
17:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:48:56.55 ID:DoK8Vme/0
「……その代わりに娘を、ということですか」
「まさか、全ての利益を考えた結果ですよ。私どもは有能な顧問弁護士とスターの原石を、貴女は新たな取引相手と安定した収入源を、そして娘さんは夢の舞台を得られる。私どもが出来る提案としては破格のものかと」
現実問題として橘家の財政は苦しい。また、全ての人が得をしている。恐らくこれで何とかなるだろう。
あまり得意ではないが、しっかりと珊瑚さんの顔を見る。その表情は値踏みして……いや、不信感だ。よほど信頼されていないらしい。あるいは信頼以前の問題だろうか。
18:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:50:54.02 ID:DoK8Vme/0
「才能とおっしゃいましたが、確かに世の中には汚い芸能界関係者もあります。才能のない人間に才能があると言い、レッスン料と称して金をせしめるような人間が」
ここは事実やな。
「問題は、彼らは養成所の人間であって事務所の関係者ではないということです。オーディション合格者となると話が変わります。才能のない人間がオーディションに現れても落とされるだけです。つまりはオーディションに合格した時点で、娘さんの才能は保証されたわけですよ」
19:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:53:14.38 ID:DoK8Vme/0
「実際問題として、何らかの形でコネを作ることは非常に有用です。可能性は0に近いですが彼女がアイドルとして大成できなかったとしても、芸能界で作った人脈は必ず役に立ちます。さらに言えば私どもの事務所が小規模で仕事が来やすく、交流も多いですからね」
「つまり?」
「チャンスは今をおいて他にない、ってことです。逆にこれを逃せば、彼女の夢が完全に叶う日は来ないでしょう」
20:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:54:07.05 ID:DoK8Vme/0
「……結局のところ、貴方の身勝手では?もちろん、貴方がありすのことを誠実に考えていることを否定するつもりはありませんが」
痛い所を突く人だ。他人の人生を歪めるこの業界は確かにそういう所がある。よくプロデューサーはシンデレラの魔法使いだなんて言うが、俺に言わせれば同じ魔法使いでもマクベスのそれだ。運命という呪いを、どこにでもいたはずの人間にかける存在。そうして作られた人生は喚き声に溢れている。それに意味をつけるとするならば。
「否定はしません。ですがそれは全ての人に共通するものでは?誰かが言葉で呪い、舞台で大見得を切らせて、愚か者がその物語を語るだけ。ならばせめて、舞台だけでも広く、大きく、客の多いところを選ばせたいというのが私の意見です」
21:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:54:39.38 ID:DoK8Vme/0
「……ありすが舞台を降りたあと、貴方はどうされるつもりですか?」
「本人が望む舞台があるのなら、そちらへ手招きしますよ。あらゆる手を使って。それが私の出来る善行です」
「そうですか」
先程よりも落ち着いた声。ほのかに香る嗅ぎ慣れた安たばこの匂いが鼻をつく。不味そうに吸っていたな、そういえば。
22:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:55:25.88 ID:DoK8Vme/0
俺たちが違えてはならない約束をした3ヶ月後、橘さんーありすはアイドルとしてデビューした。誰もが予測しないほどのスピードで。
23:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:57:20.72 ID:DoK8Vme/0
【断章・夜桜】
大学生の頃だったか、友人と桜を見に行ったことがあった。地元の桜の名所だ。とっくに日は暮れていて、スポットライトに照らされた夜桜が川沿いに並んでいる光景は言葉にしがたいほどだった。
その翌日。たまたま用事があってそこを通った俺は、ちいさな違和感を覚えた。桜が咲き誇り、誰もが喝采を送る。笑顔を見せる女の子に、写真を撮る若者。この世の何よりも美しいはずだ、なのに。
しばらく考えて気がつく。簡単な話だ。今日の俺は酒に酔っていないじゃないか。夜桜とは、酔っているからこそ美しく見えるものなのだ。となれば。
夜桜とやらにだけは、なりたくないものだ。
24:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:57:58.70 ID:DoK8Vme/0
私が3歳の頃のことです。珍しく両親が花見に連れて行ってくれました。地元の桜の名所に場所を取って、3人で飲み食いして。その時に見た夜桜の美しさは、今でも思い出せます。
それから私は花見をする時は、必ず夜にしようと決めていました。あの時ほどに美しくなくても、私にはそれでよかったんです。視野が狭いと、今はそう思えます。でも、大切な目標をくれました。
私は、誰かにとっての夜桜になりたいんです。
25:名無しNIPPER
2025/07/31(木) 00:59:49.14 ID:DoK8Vme/0
【20年後】
あれからそれなりの時間が経った。事務所は大手になり、あの懐かしきビルは手狭になって解体された。今や設立当初の2人は別の舞台にいる。喜ぶべきなのだろう。変化とは誰にとっても美しきことだ。
「……プロデューサー、何してるんですか」
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