過去ログ - 恒一「『ある年』の3年3組の追憶」
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138:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/08/06(月) 22:54:30.53 ID:4DOG5YTr0

家に戻り、私は三年間の思い出が詰まった写真を眺めた。
コンクールの時に全員が演奏しているものもあれば、
楽器パート別に集合写真を撮ったものもある。
フルートとクラリネットは同じ木管楽器同士なので、
二つのパートが合わせて写っているものもいくつかある。
懐かしい思い出が次々に蘇ってくる。
と、写真が急に歪み始めた。
いや、写真ではない。目元が潤んでいるのだ。

「王子君・・・」

私は声を殺して泣いた。
顔を両手で覆ったが、もう遅い。一旦涙が流れたら、もう止まらなかった。
漫画とかでよくあるシチュエーションと違い、
私は、別に王子君と恋仲だったとか、別にそのような関係ではない。
けど、私たちは猿田君も含めてこの三年間、苦楽を友にした仲間だった。
今年になってからは、共に災厄に立ち向かうという意味でも戦友だった彼。
王子君の死を知らされた時も、朝に部活でその旨を話した時も、私は涙が出なかった。
まだ実感が湧いてこなかったからとも、その死を信じたくなかったからとも言える。
けど、写真を目にして、もう二度と帰らない友を改めて思い出した時、
悲しみが堰を切ったように、一挙に溢れ出てしまったのである。

私が合宿に参加しなかった理由。
それは合宿二日目になるはずだった8月9日が、祖母の一周忌だったからだ。
お婆ちゃんは戦前の若い頃、鼓笛隊の指導も行っていた音楽教師で、
戦後から退職するまで、夜見山市に吹奏楽を普及させた偉大な人だった。
その息子、つまり私のお父さんも学生時代は吹奏楽部に所属し、
現在も、お婆ちゃんが設立した夜見山市の吹奏楽団、
通称「夜見山市吹」の団長をしている。

お父さんとお母さんはこの吹奏楽団で知り合い、生まれたのが私である。
つまり、我が家は家族全員が吹奏楽と深い縁があり、
お婆ちゃんが吹奏楽に関わっていなかったら、私は生まれていなかったのだ。
物心着いた頃から、楽器をいじったり、色々と馴染んでいた私は大のお婆ちゃん子で、
私が吹奏楽を始めるようになったのも、両親よりお婆ちゃんの影響が大きい。

話が少しそれてしまったが、
そのお婆ちゃんが亡くなったのが去年の夏。
まだ3年生になる前なので、もちろん災厄とは全く関係なく、
眠るように、息を引き取る大往生だった。
それでも、私にとって初めて身近で味わった家族の死ということで、
私のショックは大きかった。今でも、時々お婆ちゃんが懐かしくなることがある。
そのため、合宿の日程が決まった時、私は早い段階から不参加を決めた。
中学で知り合った親友二人のうち、幸子ちゃんは入院していたため、
松子ちゃんが代表して行くこととなった。

松子ちゃんは無事に帰ってきた。嬉しい。
でも、同時に王子君の死を知った私は、素直に喜べなかった。
法事でも合宿で起きた惨事などが頭から離れず、
お婆ちゃんも王子君、二人それぞれの死の悲しみを悼むことも、
中途半端と言うべきか、どっちつかずになってしまったことが、
二人に対して申し訳ないと思ったのである。
悲しみだけでなく、嘆き、悔いなどの様々な感情が入り乱れて、
私はただ、涙に暮れることしかできなかった。



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