過去ログ - 恒一「『ある年』の3年3組の追憶」
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16:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/08/06(月) 21:14:58.10 ID:4DOG5YTr0

これから、我がクラスはこのような惨劇が、
来年の3月まで、立て続けに起きるのだろうか?
教え子が死ぬのをただ黙って見続けるのは、どうしても避けたい。
教師として、これほど辛く悲しいことはないからだ。
しかし、クラスの一員という意味では、私が死ぬ可能性も充分あり得る。
死にたくない。
が、自分自身が死ぬという恐怖は、不思議と起こらなかった。

私が死を恐れる理由。
それは寝たきりの母のことが気にかかるからだ。

私の母は長らく不妊に悩まされており、私を生んだのは42歳の時。
現在でもかなりの高齢出産だから、当時とすれば異例のことだっただろう。
私が生まれて間もなく、父は急な病で亡くなり、
私は母に女手一つで育てられた。
大正生まれの母は、戦前の家風をそのまま残したような昔気質の人間で、
とにかく厳しい人だった。
いたずらをすれば、真冬でも外に放り出されたり、
米一粒でも残せば「お百姓さんの罰が当たって目が潰れる」と言って怒り、
一時間近く正座させられたこともあった。
しかし、家庭が苦しい中でここまで私を育ててくれた母には感謝している。

そんな母が脳梗塞で倒れたのは、今から5年前のことだ。
母は気むずかしく、病院も信用できないと言って、行くことすら渋る人間だ。
老人ホームやホームヘルパーもまっぴらゴメンだと言って、
私がたった一人で介護し続けている。
幼い頃、あれほど恐ろしかった母が、今では驚くほど小さく感じられる。
食事から排泄まで、何から何まで私が面倒を見ないと、
何もできなくなってしまった母を見るのが忍びない。

もし私が死んで、誰も面倒を見る人がいなくなってしまったら・・・
それならば、いっそのこと私の手で・・・

ふと、我に返る。
私は何を考えていたのだ?なんと恐ろしいことが、脳裏によぎったのか?
私は疲れている。
長年にわたる母の介護に加え、3年3組の担任となったために重なったストレス。
そして3組の災厄が始まった以上、
これからの精神的な負担は、更に増えていくことになるだろう。
明日、クラスの皆に桜木の死を伝えなければいけない。
そう考えるだけで、帰り道の足取りは重さを増していた。


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