過去ログ - 恒一「『ある年』の3年3組の追憶」
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2012/08/06(月) 21:01:45.99 ID:4DOG5YTr0
赤沢さんが死んだ後に、ようやく記憶を取り戻したあの思い出。
でも、あまりにも遅すぎた。
どうしてあの時、思い出せなかったのだろう?
覚えていると言えなかったのだろう?
記憶が現象で消されたなんて、言い訳に過ぎない。
『死者』を死に還すために、母のように慕った怜子さんを殺したのと同様に、
自分の薄情さと、赤沢さんへの悔いが、ぼくの胸を締め付ける。
それが今も尚、風化することなく、こうしてぼくの記憶に刻み込まれたのだろう。
「赤沢さん・・・ぼくは・・・くっ・・・うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ぼくは赤沢さんのお墓にすがりつくようにして、大声を上げながら泣いた。
これほど感情を爆発させて泣くのは、どれくらいぶりだろう?
そうだ。ぼくが退院して間もなく、怜子さんのお墓参りに行った時も、
おばあちゃんが話した怜子さんのことを思い出して、ただ涙に暮れた。
その時は、泣き崩れたぼくの後ろで、鳴が見守っていた。
そして今、同じようにうちひしがれたぼくを、鳴が優しく抱き起こしてくれる。
「榊原君、落ち着いた・・・?」
「あぁ、ありがとう。ごめんね、恥ずかしいところ見せちゃって・・・」
鳴は首をわずかに横に振ると、二人で改めてお墓に手を合わせ、
僕たちは墓地を後にした。
夜見山での学園生活が再開した、二学期の始業式を思い出す。
B号館の3年3組の教室に入り、クラス全員が揃って
千曳先生のホームルームが始まった時、何とも言えない寂寥感がクラスを包んだ。
今年の災厄で犠牲となったクラスメイトは12人。
元々30人いたのだから、実に3分の1以上が命を落としている。
これに加え、クラスメイト以外では、おととし既に死んでいた怜子さんを除き10人。
合計22人という、あまりにも多すぎる犠牲であった。
そしてこの教室も、多すぎる空席がより一層、喪失感を煽る。
なにしろ、八人いたぼくの机の周りのクラスメイトの中で、
生き残ったのは望月、江藤さん、和久井君の三人しかいないのだから。
勅使河原とは席を移動しなくても話せるようになったけれど、
それは間にいた王子君がいないからであり、
赤沢さんのいた席に視線を向けると、
綾野さんと中尾君も、もういないのだという虚しさも同時に胸をよぎる。
廊下側を見ると、後ろの方は誰もいないのが改めて犠牲者の多さを感じる。
どこか多々良さんの後ろ姿が、寂しそうなのは気のせいではないはずだ。
千曳先生もホームルームの始めに、クラス全員と共に犠牲者の黙祷を捧げた。
長年、3年3組の悲劇を見つめ続けた千曳先生も、
今年は赤沢さん、綾野さん、小椋さんと演劇部の教え子を全員失ったのだ。
しかも、合宿を主催したのは千曳先生ということにされているため、
死んだクラスメイトの遺族からの、風当たりも厳しいと思われる。
その辛さも並大抵の物ではないはずだ。
それは、ぼくや千曳先生に限らない。こうして生き残った18人全員が、
様々な思いを胸に抱きながら、犠牲者に祈りを捧げたのだろう。
さらに言えば、災厄で命を落とした者、奇跡的に生き残った者関係なく、
夜見山北中の3年3組クラスメイト30人には、
それぞれ異なる、30通りの生き方や想いがあったに違いない。
そこには、ぼくが関わったり、知ることも全く無かった、
様々な人間模様が交錯していたと思われる。
ぼくのことは、既に語り尽くしたと思うし、今更、改めて話すつもりはない。
ぼくの身に起こった一連の出来事は、そのわずか一部分に過ぎないのだから・・・
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