過去ログ - 恒一「『ある年』の3年3組の追憶」
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68:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2012/08/06(月) 21:59:32.49 ID:4DOG5YTr0
僕と猿田は吹奏楽部で知り合った。
クラスで一緒になったのは今年からだけど、
同じクラリネットのパートなので、チューニングなど一緒にいる機会が多く、
今では良き相棒といった存在だ。
ここにはいないけど、多々良さんとは2年生の時から同じクラスで、
猿田ともども、部活で親しくしている。
ここ最近の僕は、後悔ばかりの日々だった。
先月に起きた久保寺先生の自殺は、僕の心にも大きな影を落とした。
あまり感情を表に出さないので、そうは感じられないかもしれないが、
結構僕は怖いもの、恐ろしいものが苦手だったりする。
もちろんホラーやスプラッタなんてとてもじゃないけど、受け付けられない。
それを生身で体験させられた今回の事件は相当応え、
僕はしばらく学校を休んでいた。
県のコンクールがあるので、部活にはしばらくして復帰したが、
それでも数日間のブランクは大きかった。
クラリネットはメロディーを担当することが多い演奏の要で、
最上級生と言うことで、演奏自体にも影響が大きい。
遅れを取り戻そうと必死に練習を重ねたが、
あの事件の恐怖がどうしても脳裏から離れず、
しばしば集中力を妨げてしまう。
そしてコンクール当日、僕たちの結果は、銀賞だった。
ここ数年、金賞が続いていたため、
表彰式を聞いていた僕たちの動揺と落胆も大きかった。
「ゴールド、金賞」と聞いて
歓声を上げる他の学校の女子の叫び声が、より敗北感を強めていた。
ホールに上がっている多々良さんの姿が、少し小さく感じられる。
「ま、こんなことだって、たまには起こるもんよぉ。
アシらの演奏が、一番最初だったこともあるんじゃろ?」
ロビーに出て部員一同が集まる中、猿田はそう言って僕や後輩達を励ましていた。
猿田の言う通り、演奏順が一番手だと、
この演奏が判定の基準となって、他の学校との比較になりやすい。
早く演奏が終わるため、プレッシャーが少ないように思えるが、
このジンクスを痛感した人も少なくないはずである。
と、表彰状を持って戻ってきた多々良さんを見て、
僕も猿田も驚きを隠せなかった。
誰にでも優しく、朗らかで気丈な多々良さんが・・・、泣いていた。
大粒の涙をポロポロ流して。
「みんな・・・ゴメンね・・・部長の私の力不足で・・・」
信じられなかった。こんな多々良さんの姿を見るのは、
部員の誰もが、初めてだったろう。
「先輩!」「部長!」「多々良さん!」
女子の部員たちが一斉に、しゃっくりを上げて泣く多々良さんの元へ
駆け寄ってくる。
「先輩と一緒に演奏できて良かったです!」
「自分を責めないで下さい、部長!」
いつしか他の部員たちも涙を浮かべ、もらい泣きがどんどん広がる中、
僕は複雑な気持ちだった。
銀賞になってしまったのは、少なくとも僕にだって原因がある。
そうに違いなかったから。
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