1:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:31:27.09 ID:UvARFro70
μ'sをおしまいにしてから、一年と少しが経ちました。
九人最後のステージに立って、まだ一年生だった私は、事の大きさや周りの変化についていけなかったんだと思います。どことなく上の空で、何をするにも焦ってばかりで、思い返せばただただ恥ずかしくて……、
「ダレカタスケテー」
なんて。
喜ばしい事に“助けてくれる誰か”に恵まれた私は、今もこうしてアイドル研究部二代目部長、さらに二期目の席に座っていられるのです。あちらこちらで転びながらも、ですが。
部室の一番奥、引き違いの窓を背に、眼鏡越しの室内を見渡せる一番の椅子が私の居所になりました。夏に差し掛かる気配を見せる、賑やかな街区のざわめきを乗せた涼風が、私の後ろ髪を梳かしていきます。
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2:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:34:48.80 ID:UvARFro70
「みんな帰っちゃったわよ? 花陽もそろそろ準備しなさい」
縦長の部室横に繋がった隣の教室から、ふわふわの赤みがかった髪が覗きます。指先で滑らかな毛先をもてあそぶ幼げな癖は、出会って以来ずっと変わっていません。いつからか着始めた、些かくたびれ気味な桃色のカーディガンも、手入れはしっかりとされているみたいです。
「ごめんね真姫ちゃん、待たせちゃって。もうすぐ終わるところだから」
3:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:38:01.21 ID:UvARFro70
「部長のかよちんも好きにゃー」
書類とノート、そして真姫ちゃんと私が占める世界に、もう一人の三年生が英語の補修を終えて帰ってきました。ショートカットに赤いリボンで、小さく結わえた橙色の尻尾が揺れる、私たちのリーダー兼、生徒会副会長です。
「おかえり、凛ちゃん」
4:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:40:49.19 ID:UvARFro70
この学校では学年ごとに制服と合わせるリボンの色が固定されているため、毎年新しい色に新調しなければなりません。けれども私は、進級時に三年生用のものを購入しませんでした。特別に、その必要が無かったのです。
そのうえ、どうやらしっかり者のお姉ちゃんという人種は、自らの持ち物にちゃんと名前を書いておく習性があるんですね。洗濯機に放り込んでも色落ちしないように、もし姉妹がお下がりとして使う事になった時でも困らないように。
リボンの裏、慣れた手つきの桃色の刺繍で“矢澤”。
5:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:43:34.55 ID:UvARFro70
普段の私なら決してしないせがみ方で、半ば強引に譲ってもらった本当に本当に大切なもの。私の傍でじゃれている二人も、そうしてそれぞれ譲り受けたに違いないでしょう。
物事が上手くいかなくてつらかった時も、逆に幸福の最中にあった時も、今も。触るだけで、撫でるだけで、後ろから肩を抱かれているような心強さをくれる、あの人のもの。
あらゆる想いや悩みを道連れに、時間は緩やかに流れていきます。半開きで漂う埃っぽいカーテンも、ときどき中のファンが回る、いまいちパワー不足なパソコンも、明け透けな口論ではしゃぐ親友も、私自身も。
泣きそうになるほど穏やかな世界の中で、かすかに正面のドアノブが動いた気がしました。
6:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:46:23.35 ID:UvARFro70
「にこちゃん!」
私が声をあげる前に呼びかけたのは、凛ちゃんでした。
ちょっと挨拶しにきただけだから、と日を改めることにして帰ろうとするにこちゃんですが、なんとか阻止しなければなりません。実際、既に今日の練習は終わっているのですが、私たちはこの人をどうにかして繋ぎとめたいのです。
7:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:49:14.84 ID:UvARFro70
引き留め工作の一環として私は席を譲り、真姫ちゃんが取り置いていたお菓子をそれとなく勧め、凛ちゃんは校内で一番近いジュースの自動販売機に走っていきました。そういえばにこちゃんは、もうすぐお酒が飲める歳になるんですね、早いなぁ……。
「ふーん。それなりに、しっかりやれてるじゃない」
七割ほど減った缶の上っ縁を軽く指ではじき、にこちゃんは私たちの活動を褒めてくれました。凛ちゃんは何を思ったのかトマトジュースを全員分購入してきたのですが、真姫ちゃんが嬉しそうなので良しとします。ただ、お菓子との食べ合わせについては言及しないことにしたほうが、穏便に済みそうです。
8:名無しNIPPER[saga]
2016/06/03(金) 22:51:43.46 ID:UvARFro70
μ'sの名前を継がなかった私たち。
あれから、部全体とは別に新しく2〜3人のユニットも組んで活動していること、ユニット間でも相互にやり取りをしつつ、浮き沈みありながらもスクールアイドルのランキング自体には残り続けていること、にこちゃんが本格的にアイドルとして活動を始めたこと。山積みの日常をできる限り伝えたくて、代わる代わる被せ合って話題を出し合いながら、言葉の洪水の中で生じた一秒にも満たない瞬きをついて、にこちゃんが寂しそうな目で呟きました。残念ながら私たちは、その一言の流出を食い止める事ができませんでした。
「私は、ここに何を残せたのかしらね」
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