21: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:48:58.62 ID:Bte9AddR0
「やっぱり、煙草は控えた方がいいんでしょうか」
わたしがそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「別に構わないと思いますよ。ちひろさんは大人の方ですし」
22: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:51:14.85 ID:Bte9AddR0
プロデューサーと別れ、会社を出て駅の方向に歩く。
まだ少し凝り固まった感覚のある肩を回しながら、最近の自分の運動不足を嘆いた。
たしかにデスクワークをこなすことに慣れたけど、それに伴ってこんなに身体が鈍ってしまうとは。
23: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:53:58.75 ID:Bte9AddR0
柔軟性も、筋力も、体力も、すべてが落ちている。
予期していたことだけど、それでもやはり心にくるものがある。
日々の業務に差し障りはないにしても、ただ個人的に自分が衰えていることを自認するのが嫌だった。
24: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:56:05.91 ID:Bte9AddR0
誰かに幸せを与えられる存在に、誰かの心の片隅にひっそりと佇んでいられる存在になりたかった。
自惚れることが許されるなら、過去のある瞬間では、なれていたように思う。
25: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:59:37.03 ID:Bte9AddR0
あれから何日も経つのに、未だにプロデューサーにライターを返すことができないでいる。
返さないつもりではないし、むしろ早いうちに返さなければとも思うのだけど、どうしてだかそれは躊躇われた。
気のせいかもしれないけどそれには、未練のような、浅はかな感情が邪魔しているような感覚がある。
26: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:02:06.85 ID:Bte9AddR0
休日や、会社を早く上がれた日の夜にジョギングを再開した。
走るのに適した服装に身を包み、幾ばくかの小銭だけを懐にしまい込み、無心で走る。
大抵はランニングコースを何周か。数キロの道のりを、たっぷり時間をかけて。
27: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:04:24.18 ID:Bte9AddR0
時折、アイドルをしていた頃の夢を見ることがある。
舞台に立つその瞬間の緊張や、精一杯覚えたダンスと歌を届けられる喜びを、わたしは追体験する。
ファンの声援がわたしの鼓膜に張り付く。ステージから眺める彼らが網膜に焼き付く。
28: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:07:05.73 ID:Bte9AddR0
彼にライターを返すことについては、あっさり解決した。
ある日の退勤後に人気のしない喫煙室に向かったら、既に彼が中にいたのだ。
「プロデューサーさん」
29: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:10:18.96 ID:Bte9AddR0
二秒ほど固まって、何事かを考える素振りを見せてから彼は思い出したようで、緩やかに破顔した。
「ああ、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、すぐに返せなくてごめんなさい」
30: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:12:12.66 ID:Bte9AddR0
それから彼と、色々な話をした。
これからのイベントの話、やろうとしている企画の話、最近のアイドル達の様子。
31: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 22:13:11.02 ID:Bte9AddR0
「ちひろさんは本当に、アイドルが好きなんですね」
紫煙の奥から、そんな声が聞こえる。
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