10: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:15:52.62 ID:1dmR7XxL0
我々の旅はどうやら私が物心つく前から続いているようで、始まりと云えばとんと思い出せぬ。
強いて思い出せる一番古い記憶と云えばどこぞの荘厳なお城で生まれたばかりの私を父が高く掲げて、それに驚いて私が泣き出したことである。
皆も知っている通り私と父は旅をしていたというだけの何の変哲もない一般市民だから、これは何かの本にあった出来事と混ざってしまっているのだろう。
父にそれを伝えた時も寝ぼけているなと笑われた。
曖昧な記述をして間違いがあるといけないから、より鮮明に思い出せる場面から話すことにする。
11: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:16:55.57 ID:1dmR7XxL0
私と父は船に乗っていた。船と云っても客船とも呼べぬ粗末な代物で、おそらく商船かなにかに乗せてもらっていたのだろう。
暇な私が船中を捜索していると突然物陰から大男がとびかかってきた。
見ると怖がらせるつもりなのだろう、珍妙に顔を歪めてこちらを威嚇している船員である。
呆れた私が黙っているとお、泣かなかったな、偉いぞと云って頭を撫でてくる。
実はそれなりに驚いたのだが、大男の顔が恐いよりむしろおかしかったのでこみ上げる笑いとで相殺されたんである。
12: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:19:09.44 ID:1dmR7XxL0
船底まで歩を進めると大変な数の宝箱がある。普段人のものは取らないがどうせこの船は父のものだから構わんだろうと一人合点して開けようと試みる。
すると一向に蓋が動かない。調べてみると鍵が掛かっている。
船長にあれは開きますかと聞けばあれはルドマン様のものだから勝手に開けてはいけないよと苦笑する。
ルドマンとは誰ですと問えばこの船のオーナーだという。普段客は乗せないが、パパスさんのために特別にサービスとして乗せるんだと云っていた。
子供の私はよく意味を分かっていなかったから特別で乗せてもらえる父はそのルドマンとかいうのより偉いものだとばかり思っていた。
13: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:20:20.12 ID:1dmR7XxL0
そのうち船が港につき、桟橋との間に歩み板が掛かった。
娯楽のない船の中に飽き飽きしていた私は一刻も早く陸に上がりたかったが、父がそれを押し止めた。
見れば歩み板を非常な速力で駆け上がるもの凄い奴がある。
赤いドレスに身を包み、バラの簪をした黒髪のおかっぱ娘である。それも肌や髪の健康状態から察するにいい身分の令嬢と見た。
おかっぱは船に乗り込むなり入口の前にいる我が父に向っておじさん、邪魔よと怒鳴りつけた。
14: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:21:16.19 ID:1dmR7XxL0
呆気にとられた私たちが固まっていると、ゆったりとした足取りで我々とは比べ物にならぬほど綺麗な身なりをした富豪が船に乗り込んでくる。
富豪がいや、娘が失礼しましたとおかっぱの非礼を詫びると、船長がお帰りなさいませ、ルドマン様と慇懃に頭を下げる。
この富豪が先の話に出ていたルドマンとかいうオーナーらしい。船長との会話からすると旅行の帰りのようだが、彼の晴れやかな顔を見るとそれもうまくいったようだ。
ルドマンが省みてフローラや。と呼びつけると何か小さい者が船の縁に必死に手をかけて奮闘している。
おや、少し入口が高すぎましたなと船長が呟くと、父がどれ、私が手を貸しましょうと幼い手を取って丁寧にエスコートする。
15: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:22:12.23 ID:1dmR7XxL0
父の手を借りて船上へ躍り出たのは、華やかなドレスに身を包み、透き通るように綺麗な青い髪を先のお転婆と同様におかっぱに切り揃えた美しい少女であった。
私は生来口下手であるからあまり美人の形容はできないが、旅をして方々の人々を見てきた経験から云っても全くの美人に相違ない。これは将来が実に有望であると子供心に思った。
船に上がった彼女は周りを取り囲む大人たちの注目を浴びていることを自覚したか、顔を赤くして俯向いてしまった。
ルドマンがお礼をしなさいと促すと、気恥ずかしながらもしっかりと顔を上げて、ありがとうと太陽の如くまぶしい笑顔を見せた。
遠くからぼけらと眺めてばかりいた私はその笑顔を見て自分に向けられたわけでもないのになぜか快くなった。
16: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:23:23.36 ID:1dmR7XxL0
ルドマンが長旅で疲れたろう、奥の部屋で休みなさいと船員を呼んでフローラを奥へ案内させた。
すると不意に彼女が振り返り、こちらの方を見た。
一瞬、私と目があったかと思うと、彼女の目が細くなった。
そしてすたすたと黒いおかっぱと同じ部屋へと向かう。
私にはこの数刻のやり取りが夢だったかのように思われた。
17: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:24:11.59 ID:1dmR7XxL0
父が忘れ物はないなと聞くのではいと答えたが、やはり先ほどの女子等が少々気にかかる。
そんな私の気配を察したのか、目聡い父は私にもし忘れ物があるといけないから少しだけ見てきなさいと命じた。
目を上げるとそこには訳知り顔で頷く父の顔があった。
私は元の部屋に戻る振りをしながら、素早くおかっぱ姉妹の消えた部屋へ駆けていった。
18: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:25:28.65 ID:1dmR7XxL0
部屋の前には警護の者がついていたのでこれはと思ったが、駆け寄る私を見て引き止めるどころか走ると危ないから気をつけなさい、と優しく忠告してくる始末である。
寛容なことは結構だがもし私が雇い主なら首にしているところだ。
女子の部屋になぞついぞ入ったことがないから勝手が分からなかったが、とりあえず形だけでもノックをして扉を開けると、いきなり無遠慮な怒号が飛んできた。
声の調子からすると黒いおかっぱのものである。一瞬ひるんだが、ここまで来て引き返すのも癪だから一思いに戸を開け放った。
19: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:27:08.78 ID:1dmR7XxL0
中にはやはりさっきのおかっぱ姉妹が礼儀正しく椅子にちょこんと座り込んでいる。
もっとも両人が揃ってそうしているのは一瞬で、片方の激しい方がすぐさま立ち上がってまなじりを釣り上げた。
ちょっと、ここは私の部屋なんだから勝手に入らないでよねとあえて所有権を自分一人で背負い込んでいるところがおかしい。
甲高い怒声にすっかり辟易した私はその場で立ち竦んでしまったが、優しい方がいいのよ、私が呼んだんだからと機転を利かすのには驚いた。
やはりさっきの目配せは、と思うや激しいおかっぱが何考えてんのとむくれてバルコニーへ向かう。
20: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:27:56.19 ID:1dmR7XxL0
優しい方がこちらへ向き直って手招きをする。
その仕草が子供のくせに妙に妖艶で、頭に靄の掛かったような心持ちになった私はふらふらと導かれるままに彼女の前に立った。
あなたはだあれ、と今までとこれからの人生でも聞いたことのないような清廉な声色で尋ねられたのでしどろもどろになりながらも名を名乗った。
ついでに勢い余って父と旅をしていることまで付け加えてしまうと相手の方もあら、奇遇ね。私もお父様と旅をしているのとあっけらかんと笑う。
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