過去ログ - あなたの物語を。トエル 『氷菓』
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32: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:34:34.94 ID:fiJYedV+0
そんなことないさ、とは口に出来なかった。千反田はその言葉をにべもなく否定してしまうだろう。
何を言葉にすればいいのか、どれもこれもが千反田を傷付けるだけのようで俺には分からなかった。
33: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:35:06.46 ID:fiJYedV+0
「折木さん。よければ少し歩きませんか?」
こちらの戸惑いを感じ取ったのだろうか。千反田は憂いを含んだ苦しげな笑みを無理矢理に浮かべ、
手にしていた茜色の傘を楚々とした仕草で、そっと開いた。
34: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:36:02.69 ID:fiJYedV+0
茜色の傘は、二人を雨粒から守るには小さすぎた。俺はいいからと固辞はしたけれど、
千反田が頑としてそれを許さなかった。
それでも、背丈が高い俺が傘を持つことになったから、気取られぬよう僅かに千反田側へ傘を傾ける。
35: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:36:59.41 ID:fiJYedV+0
熱せられた舗装道の余熱はとうに失われ、近くのクヌギはすっかりぬれそぼり、水を含んだその立ち姿は
どこか恨めしげにこちらを見つめているようにも感じられた。
雨の匂いばかりが辺りを彷徨っている。
36: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:37:38.05 ID:fiJYedV+0
不意に傘の重みが増した。どうしたことかと視線を向けると、
ほくそ笑む千反田が傘の柄を指先でこちら側に押し返している。
「わたしは大丈夫です。心配には及びません。遠くない距離に家があるので、
37: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:38:19.27 ID:fiJYedV+0
もうそのまま、お言葉に甘えてしまおうかという気分になった。
けれど、千反田の方をよく観察してみると、雨水に打たれた白いシャツの左肩部分が既にぐっしょりだ。
薄っすらと肌も透けているのを一瞥し、気恥ずかしくてすぐに目を背けた。
38: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:38:50.43 ID:fiJYedV+0
「なあ……千反田」
「はい」
いつもは気にもかからない沈黙が、今日は重たい。
39: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:39:47.50 ID:fiJYedV+0
それは錆が目立つホーロー看板を掲げた、朽ち果てかけた家屋の前でのことだった。
屋号を掲げていたと思しき大きな看板はこれ見よがしに斜めに傾いでいる。
排気ガスを浴び黒ずんだ引き戸、風雨に晒され腐りかけた柱、
40: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:40:29.25 ID:fiJYedV+0
人が居住しているからこそ、家屋は家屋らしく振る舞うと、どこかで耳にしたことがあるけれど、
まさにその事の例を見せられているかのようだった。
人を住まわす責を解かれた家屋は、こうも無残に荒れ果ててしまうのだ。
41: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:41:23.90 ID:fiJYedV+0
「知り合いなのか?」
千反田が頷く。
「折木さん。小さな場所です。自慢ではありませんが、わたしがこの近辺で知らない方たちはいませんよ。
42: ◆KM6w9UgQ1k[saga sage]
2017/01/09(月) 19:41:52.54 ID:fiJYedV+0
駄菓子屋店主の千反田もそれはそれで面白そうだと想像めぐらしてみる。
ホーロー看板の、なぜだか馴染みのある笑顔の男性が有名な飲料を手にこちらを伺っていた。
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