何も無いロレンシア
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32: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:49:09.62 ID:zJUkddjZ0
「話に聞く異界侵食は、異界の主のためだけに創造されるもの。そこに調和という言葉は無い。けどここは、おそらく標的が来る前と大きな変化が無い」

 イヴの言うとおりなのだろう。肌を突き刺す冷たい感覚を除けば、ここはいたって普通の林の中だ。木を見上げると、俺の視線に気づいたこの地域の鳥が羽ばたいて逃げていく。木も鳥も、異界侵食の影響を受けているようにはまるで見えない。

 いや、そもそもこの肌を突き刺す感覚ですら、マリア・アッシュベリーを[ピーーー]ことを完全に諦めてしまえば消えてなくなりそうだ。

 異界侵食は周囲の環境を侵食汚染し、支配する。だがここはまるで、周囲の環境が自ら進んでマリア・アッシュベリーを守ろうとしているのかもしれない。

 そんな奴が、いるのか。

 そんなモノが、存在するのか。

 チクリと胸が痛んだような気がした。

 不思議に感じたが、もしかするとこれが嫉妬なのかという考えが、他人事のように思い浮かんだ。

 誰からも一度たりとも愛されたことがない俺。

 周りにあるモノが自然と味方するマリア・アッシュベリー。 

 儚い希望が胸に宿るのがわかった。ひょっとすると俺は、憎めるかもしれない。マリア・アッシュベリーと対峙した瞬間、俺は我を失って斬りかかることができるかもしれない。

 空っぽなこの胸は儚い想いが時おり身をおろすことがあるが、それは全て錯覚だったと後で気づかされてばかり。まともであった頃の遠い日の残像。

 だが今回は違うかもしれない。例えそれが、負の感情であっても。暗く身勝手な憎悪であっても。今度こそ、何もないこの身を満たしてくれるのかもしれない。

 愛が理解できなくとも、その真逆のモノならばひょっとすると――

「ロレンシア?」

「……何でもない。俺のコンディションは、ここでもさして落ちないようだ。そろそろオマエも姿を消したらどうだ?」

「……ええ、わかった」

 イヴの表情を見るに、俺の顔は「何でもない」からかけ離れたモノだったのだろう。

 だがしょせんはその場で一時的に組んだだけの相手。俺がどんな存在であっても、想定通りの戦闘力を発揮して標的と戦いさえすれば彼女に何ら不都合はない。イヴは目の前から音も無く消え去った。

 意識して一呼吸する。山の新鮮なはずの空気は、忌まわしき俺を拒絶するかのように喉を突き刺す。

 鞘から剣を抜き放つ。刃に反射する陽光は、俺の喉元を睨んでいた。

 踏みしめて進む足元からは、虫たちの威嚇がほとばしる。

 通り過ぎながら樹木を眺めれば、樹皮が歪んで老人の表情となり、無言のまま俺を弾劾する。

 これらは全て幻覚であると同時に現実。

 あまりに生々しい幻覚は現実に影響を及ぼす。 

 そして現実への侵食は、アリア・アッシュベリーに近づけば近づくほど増していく。

 頭上から次々とこぼれる、落葉の裏に潜む小人たちが槍をこの身に突き立てる。まともな神経をしているのなら血まみれになってしまうのだろう。だが俺は、少し肌がかゆいと感じただけだった。

 最後に剛腕となって唸りをあげる枝を片手で横に押しやり、開けた空間に出る。

 イヴには遠く及ばないが、俺もそれなりの感知能力はある。この異様な雰囲気に大きく妨げられたが、ここにマリア・アッシュベリーがいることは察していた。

――そして、大きく目を見開くこととなった。


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