1: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:25:59.22 ID:zJUkddjZ0
プロローグ
彼には何も無かった。
これを聞くと笑う者がいる。
何を言う。そいつに目は無いのか? 耳は無いのか? 命は無いのか? 何かあるんだろ? 大げさに言いやがって。
そう笑い飛ばした者も、彼を直に見ると凍りつく。
彼が立ち去り、なんとか顔に血の気が戻ると唇をわなわなと震わせ、かろうじて呟くのだ。
何も、無かったと。
彼を例えるのなら戦場の荒野。
戦場を連想させる男ならいる。歴戦の勇士がそれにあたるだろう。
しかし彼が連想させるのは、戦争が終わり荒れ果てた後のこと。はらわたから糞が漏れ出て、光を失った死体の目玉をついばむカラスの光景が自然と思い浮かぶのだ。
目の前で生きている者が、ただひたすら死を連想させる。それも[ピーーー]姿、死ぬ姿ではなく、とうの昔に終わって野ざらしとなった死体の光景を。
それほどまでに、彼には何も無い。
だから彼はこう呼ばれる。
“何も無い”ロレンシア。
――これは地獄を生きる彼が、他の人にとってありふれた、しかし彼にとっては命がけの願いを掴みとろうともがく物語。
2: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:28:04.84 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
その街が盗賊団に襲われたのは二日前のことだった。
3: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:29:18.43 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
「ハッ……ハッ……ハッ!」
4: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:30:06.54 ID:zJUkddjZ0
木々をかき分け、開けた場所に出ると同時に頭を抱えて転がる。
俺の突然の動きに驚く“奴”を、射線上から邪魔な俺がいなくなった仲間が次々と射ぬく――はずだった。
「…………は?」
5: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:30:47.71 ID:zJUkddjZ0
人を不幸にしなければ生きていけない盗賊の俺ですら吐き気をもよおす腐臭を、ソイツは全身から放っていた。
全身を大きな外套で身を包み、その体格ははっきりとはわからない。かろうじて背丈が一七〇半ばと予想できる程度か。
黒い髪。泥沼のような瞳。
6: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:31:22.57 ID:zJUkddjZ0
「疑問は解けたな。では俺の質問に答えてもらう」
別に切っ先を向けられたわけではない。そしてかろうじて俺の手には獲物がある。
けどもう、今のやり取りでほんの少し残っていたかもしれない気力も、完全に無くなってしまった。
7: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:32:10.94 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
8: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:32:46.46 ID:zJUkddjZ0
剣を肩に乗せ、“奴”が俺の目の前に立つ。
“奴”の腕ならば、次の瞬間にも俺を[ピーーー]ことができる。
許されるのは一言だけだ。
9: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:33:34.91 ID:zJUkddjZ0
「そうか。じゃあ最後の確認だ」
それはまるで、今日の天気を確認するかのような軽い口調だった。
「オマエの利き腕は、右だな?」
10: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:34:12.19 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
こうすればどうなるか予想できていた。
11: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:34:53.53 ID:zJUkddjZ0
楽しいから生きたい。楽しめなくなる死が怖い。
多くの罪を犯し、断罪の刃が目の前に迫ってなおそう思えるほど、奴の人生は楽しいものだった。
これでやっと終われるなど、微塵も考えなかったんだろう。
12: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:35:32.55 ID:zJUkddjZ0
まるで俺がとんでもない提案をしたかのように、女は目を見開いて後ずさる。あまつさえ体を小刻みに震えさせてまで。
「奴が逃げ出して時間は経ってしまったが、何せあの傷だ。血は失い、体のバランスも以前とは違って思うように走れない。血の痕跡もあって追いやすいだろう」
「で、でも……」
13: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:36:14.90 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
「目付け役がいてな。途中から置いてきてしまったが、道すがら目印は用意していた。多分もうじきここに来るだろう。奪われた物を運ぶのに人手も必要だから、そいつ等と合流してから帰る」
14: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:36:51.80 ID:zJUkddjZ0
盗賊団の生き残りではない。茂みへの距離は約十メートル。こんな近くに接近されるまで気づかせない隠形の業を、奴ら程度ができるはずがない。
血の匂いに惹きつけられた狂人か、俺の首を狙う賞金稼ぎか。考えにくいが、“魔に心を呑まれたモノ”の可能性すらある。いずれにしても只者ではない。
とはいえ、これ以上のことは対峙しなければわからなかった。
15: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:37:25.81 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
16: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:38:01.78 ID:zJUkddjZ0
俺に礼を言えないことなど、どうでも良かった。
そんなことよりも注目すべきことがあるのだから。
「俺に礼を言わなければならない。助けてもらったのに非難したことを謝らなければならない。けどこんな奴に、そんなことしたくない。でもしなければならない。そして――命の恩人に、形だけの礼なんて失礼極まりないことをするわけにもいかず、固まっている」
17: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:38:35.89 ID:zJUkddjZ0
「俺が引き受けた依頼と、その結末をいくつか話そう」
一つは家族を皆殺しにされた少年が復讐を誓い、鍛錬を積み、さらに助けとして俺を雇った時のこと。途中で俺は犯人の正体に気づいた。殺されたはずの少年の姉が、魔に心を呑み込まれて変わり果て、少年以外を皆殺しにしたことに。
少年は自分の手で犯人を[ピーーー]ことを何年も夢見ていたが、俺は少年に姉殺しをさせるのはどうかと思い、依頼を無視して俺がこの手で殺した。正気を失った少年は俺に襲いかかるが、敵わない。そして俺に吹き飛ばされ、怒りと無力感でさらに正気を失いかけたよりによってその目の前で、異形と化していた姉が元の姿に戻ってしまった。無残な死体の姿でな。
18: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:39:24.45 ID:zJUkddjZ0
「……そんな顔をするな」
「……だって」
今にもこぼれそうなほど目じりに涙をためた妹に、ため息をつく。
19: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:39:56.02 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
20: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:40:39.15 ID:zJUkddjZ0
――もしかするとすると魔法か?
魔に心を呑まれたモノだけが起こせる超常の力。それが魔法。
魔法を扱える者と会ったことはこれまで三度しかない。それほど魔に心を呑まれたモノはマレで、さらに生き延びられる者は限られるからだ。
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