何も無いロレンシア
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34: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:50:19.74 ID:zJUkddjZ0
 女が泣いている。

 彼女はたおやかな手で顔を覆い、草むらにしゃがみ込み悲しみに暮れていた。

 凍てついた彼女の心を温めようと、木々はその身をどかし暖かな陽光を彼女へと導く。

 鮮やかな色を誇る蝶たちが彼女を中心に舞い、小鳥は彼女の肩で歌を奏でる。

 それでも彼女は泣いていた。

 細い肩を震わせ、陽の光を浴びた蜂蜜色の長い髪を揺らし、この世の終わりのように嘆いている。

 その光景を、ただ俺は立ち尽くして見ていた。

 期待していた憎悪など、微塵もわき起こりやしなかった。いや、期待が裏切られるのはいい。いつものことだ。

 だが何だ。なぜ俺の目は彼女を捉えて離さない。この胸を憎悪が満たすことはなかったのに、胸の鼓動が高まるのは何故か。

 輝く太陽の光に俺の頭も染められたのか。ぼうっとして、頭が真っ白になってきた。活を入れるために舌を噛もうとしたが、この瞬間を、何かはわからないが非常に貴重なことが起きている気がしてならない今この時を終わらせていいものか迷い、力を込めることができなかった。

 いったいどれほどそうしていただろうか。

 やがて彼女の肩に止まっていた小鳥が、この場で唯一彼女を慰めない俺を非難するように甲高い鳴き声を向けてくる。

 これまでと違う出来事に、彼女はそっと俺の方へと視線を送った。

 涙で濡れた翡翠の瞳が俺を捉えたその時、彼女から俺へと強い風が走る。

 その風は俺の迷いを吹き飛ばした。それなのに、俺は舌を噛めなかった。それどころか、舌にかけていた歯から力が抜けるのがわかる。

 俺はただひたすら目の前の女に、依頼のことなど関係なく憎しみから殺せるかもしれない女に、マリア・アッシュベリーに――――――――――見惚れてしまった。

 人は、夜明けを告げる太陽を当然のように美しいと思うらしい。遠く離れていても頬に水しぶきを感じる雄大な滝や、夕焼けに染まる海もそうだ。

 その“当然”という感覚がまるでわからず、皆が美しいと言うのを聞いてきた経験則と、まだまともな感性があった頃の記憶を組み合わせて、きっと美しいのだろうなと判別するようになった。

 しかし今、初めて理解する。これが何の理屈も無しに、誰に言われるでもなく理由づける必要もなく、当たり前に美しいと受け入れられる存在なのだと。

 驚きで半開きとなった口が乾いていくことに気が付き、自分が何をすべきか考える余裕が戻る。

 舌を噛む。目を逸らし、一度彼女を視界から外す。深呼吸をする。

 でもそんな考えは次々と消え去っていく。

 わからなかった。今自分に何が起きているのか、これっぽっちもわからない。こんなこと何も無くもなかった頃、諦観と汚臭に満ち満ちた窓が一つだけの大部屋にいた頃でさえ記憶にない。

「夜の……」

 初めてのことに途方に暮れるという、これまた初めての状態に陥っていると、彼女が驚いたように口を開く。

 それをきっかけに、ようやく彼女を観察する余裕ができた。


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