145: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 13:59:53.87 ID:iX/HvtXE0
やがて彼女は何も言わずに湯から上がった。
私はそこでようやく我に返り、彼女の背中に向けて言った。
「あの、チケット。……ポストに、入れておくから」
焦るような気持ちからつい張り上げてしまった声が、浴室に反響して彼女の肩をぴくりと震わせた。
しかしそれきり彼女は反応せず、湯上りのシャワーを浴びるとそのまま出て行ってしまった。
広い浴室で一人、ぽつんと取り残された私は、軽くシャワーを流しながら今しがた交わされた無言のやりとりを頭の中に反芻していた。
彼女は果たして来てくれるだろうか?
私の見立てでは彼女もきっと迷っているに違いなかった。
こうした、私たちの間ではすっかり当たり前になっていた曖昧な意思表現がまだその法則を保っているのなら、彼女はこんな風に言っていたはずだった。
――考えさせて――と。
しかし、お風呂から上がって脱衣所で着替えているうちに、再び激しい後悔が胸の奥で渦巻きだした。
私は何かとんでもない間違いを犯してしまったのではないだろうか?
冷静になった今、一体なんのために彼女を演奏会に誘ったのか、自分でもその目的を説明できなかった。
彼女に私の演奏を聴いてもらって、それで元気になって欲しいとでも思っていたのだろうか?
いや、違う。
私はただ寂しさと恋しさから、彼女を振り向かせようとしてあんなことを口走ったのではなかったか? ……。
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