158: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 16:57:09.23 ID:iX/HvtXE0
特別、驚きはしなかった。
かと言って安堵したり、喜んだりすることもなかった。
この瞬間、私たちはきっと二人きりだった。
お互いを隔てている客席、明暗、それらの障害の一切が消え失せて、私の目の前にはただ紗枝ちゃんの姿だけが、遠く見つめ合うほどすぐ近くに感じられた……
が、それも長くは続かなかった。
指揮者が構え、次の曲目が始まろうとしていた。
私は振り上げられたタクトに視線を戻した。
再び、楽曲とオーケストラと、観客と、そして自分自身へと没頭していく。
感覚を研ぎ澄まし、ホールに響く音と一体になる。
しかし私は、そうして演奏に集中する一方、意識の上には彼女の懐かしい記憶ばかり鮮明に思い浮かべていた。
豊かに、繊細に奏でられる交響曲の中に私が見い出していたのは、たった一人の、私が愛した恋人の姿だった。
私は今や彼女のためだけに演奏していた。
私はここにいる、そう叫ぶように……。
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