159: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 16:58:13.76 ID:iX/HvtXE0
やがて無心のうちに曲が終わった。
沸き起こる拍手の嵐が私を徐々に現実に引き戻した。
160: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:02:46.07 ID:iX/HvtXE0
十六
春、大学生になった。
161: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:03:27.69 ID:iX/HvtXE0
――その後、六月のデビューイベントを成功させた私たちは、勢いにのってトークイベント、握手会、フェスのゲスト参加等、精力的に活動を続けていった。
九月には二枚目のシングルも発売し、スケジュールにはライブの予定が次々に舞い込んできて、しかもそのうちのひとつはチケットが完売するという、昔の私なら考えられないような事態が起こり、そこで私はようやく、自分たちが注目されてきているということを実感した。
相変わらず学業と折り合いをつけるのは大変だったけれど、そうした苦労がきちんと結果に結びついていることが何より嬉しくて、少しくらいの忙しさは全然、気にならなかった。
162: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:03:58.86 ID:iX/HvtXE0
決して、忘れていたわけではなかった。
しかしその頃の私はとにかく毎日が忙しくて、彼女のことをゆっくり考える暇もなかったのだ。
163: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:04:48.06 ID:iX/HvtXE0
ただ、それとは別に、やはり彼女のことが心配だった。
あの時の、やつれた細い身体、覇気の失せた表情を思い出すと、もしかしたら、という不吉な考えが頭に浮かぶ。
しかし結局のところ、私は紗枝ちゃんの安否を案ずるだけ案じて、実際に何か行動を起こすことはなかった。
164: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:05:27.72 ID:iX/HvtXE0
そして私は後に思い返す。
この、繁忙の熱狂に我を忘れたように生活していた日々こそ、かつて私が思い描いていた幸福のひとつの形だったのではないかと。
165: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:06:15.68 ID:iX/HvtXE0
しかし、目の前の現実は私が想像していたよりも遥かに堅く、険しく、非情だった。
確かに、私たちのグループは一時期、大きく勢いに乗っていた。
九月の比較的大きなライブイベントを終え、一旦は落ち着いた活動も、その後、秋から年末にかけて予定されていた各種イベントのために、水面下ではそれぞれの目標に向けて課題に取り組み続けていた。
166: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:06:59.41 ID:iX/HvtXE0
私たちは緩やかな敗北を喫していた。
十二月になり、次のライブの目途がまったく立っていないことが分かると、私もとうとう認めざるをえなくなった。
167: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:07:54.79 ID:iX/HvtXE0
……後になって振り返れば、この時の私は、求めていたものを寸でのところで取り逃したと思い込み、自暴自棄な心に縛られていただけだったのかもしれない。
目先の結果に捉われ、判断力を失った私が、もしこの時、本当に一歩を踏み出していたらと思うと、ぞっとする。
168: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:09:53.54 ID:iX/HvtXE0
この、出来すぎた偶然のようなチャンスを、果たして幸運の一言で片付けてしまっていいのだろうか?
私は驚きと喜び、それからこの数週間悩み続けた切実な苦しみを思って、つい、プロデューサーさんの前でぽろぽろと涙を流してしまった。
プロデューサーさんはそんな私を慰めながら、また彼自身、報われたことの感動から涙を堪えている様子だった。
169: ◆wsnmryEd4g[saga]
2020/10/18(日) 17:10:31.57 ID:iX/HvtXE0
……しかし一方で私は冷静だった。
私と紗枝ちゃんの関係はすでに終わったものだと、もはやかつてのように純粋に愛し合える日は来ないのだということを、頭でははっきりと理解していた。
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