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ビッチ - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 00:10:36.58 ID:ogCHSW01o
多分ムズムズ感とか無駄に長いとかという感想しか抱けないSSです。

あと現在INIPでかけもち中なので完結まではそちらのスレを優先して投下していきますのでこっちの投下頻度は遅いと思います。

それでもよかったらお付き合いいただけると嬉しいです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1346166636
【 このスレッドはHTML化(過去ログ化)されています 】

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もし、探しているスレッドがパートスレッドの場合は次スレが建ってるかもしれないですよ。

小テスト @ 2024/03/28(木) 19:48:27.38 ID:ptMrOEVy0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/zikken/1711622906/

満身創痍 @ 2024/03/28(木) 18:15:37.00 ID:YDfjckg/o
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aaorz/1711617334/

【GANTZ】俺「安価で星人達と戦う」part8 @ 2024/03/28(木) 10:54:28.17 ID:l/9ZW4Ws0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1711590867/

旅にでんちう @ 2024/03/27(水) 09:07:07.22 ID:y4bABGEzO
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1711498027/

にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:18.81 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459578/

にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:26:02.91 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459562/

にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:25:33.60 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459533/

にゃんにゃん @ 2024/03/26(火) 22:23:40.62 ID:AZ8P+2+I0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/gomi/1711459420/

2 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:11:09.86 ID:ogCHSW01o
 僕はその日の朝、普段より早く起き過ぎってしまったのだった。

 母さんを起こしたくない。僕は反射的にそう思って、爪先立って僕と妹の部屋が並ん
でいる二階の部屋を通って階下に降りようとした。この時の僕は熱いコーヒーを飲みた
かった。冬の早朝のことだった。

 僕が妹の部屋の前を通り過ぎようとした時、その部屋のドアが少し開いていることに
気づいた。

 何気なくドアの向こうを覗くと妹がだらしない姿勢でベッドの上にしどけなく横にな
っている姿が目に入った。妹は剥き出しの腕を伸ばしたまま仰向けに寝ていて、普段は
うざいくらいに口うるさくやかましいことが嘘のような子どもっぽい表情だった。

 妹の部屋から暖房の熱気が漏れ出していた。またエアコンを付けっぱなしで寝たのだ
ろう。こいつは何をするにもこういう具合にだらしない。

 暖房のせいで暑かったのか妹はTシャツとパンツしか身にまとっていなかった。子ど
もっぽいあどけない表情を裏切るように、成長中の妹の悩ましい肢体が僕の目に入った
けど、僕は慌てて目を逸らした。

 僕がこいつの体を見つめているところなんかをこいつに見られたらどうなるのかは僕
にはよくわかっていた。以前にも同じようなことがあったからだ。

 こいつはわざとらしい悲鳴をできる限りの声量でわめきたて、何事かと駆けつける父
さんと母さんに対して「お兄ちゃんがあたしの裸を覗いたの」と騒ぎ立てて訴えるの
だ。

 そんな騒ぎは二度とはごめんだった。僕は妹から目を逸らして妹の部屋を通り過ぎて
階下に降りた。
3 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:11:40.64 ID:ogCHSW01o

 思ったとおりこの時間の朝のキッチンにはいつもは家中で一番早く起きる母さんの姿
はなかった。

 僕はやかんに少しだけ水を入れてコンロに火をつけた。このくらいの量の水ならすぐ
に沸騰するだろう。

 早起きしてしまったせいで登校するまでにはまだ時間が十分あった。何でこの日だけ
早起きしてしまったのかはわからないけど、その恩恵には十分にあずかれそうだった。

 僕は父さんのことも母さんのことも嫌いではない。この二人から高校生活のことや部
活のこととかを質問されながら朝食の時間を過ごすのも悪くはない。

 ただし、それは妹が一緒に食卓についていなければだ。あいつがいると、僕のこの間
のテストの成績を誉めようとしてくれた母さんは口をつぐみ、部活のことを楽しそうに
聞いてくれている父さんまで黙ってしまう。

 要するに妹がいると父さんと母さんは僕とまともに会話できなくなってしまうのだ。

 あいつはこういう時いつも僕の話に水をさす。

「お兄ちゃん(と両親の前では昔のように妹は僕のことを呼んでいた。二人きりのとき
はあんたと呼ぶか人称さえないことが普通だったけど)のことばっか話すよね、母さん
たちは。どうせあたしはお兄ちゃんみたいないい子ちゃんじゃないし成績もよくないよ。でもだからといってあたしのこと無視しなくてもいいじゃない」

 こうなると父さんと母さんは気まずそうに僕から目を逸らして黙ってしまうのだ。
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:12:10.55 ID:ogCHSW01o

 だからせっかくたまに早く目を覚ました朝なんだし、朝食抜きでお湯が沸いたらコ
ーヒーだけ飲んでさっさと高校にでかけてしまおう。今日は兄友がコンプしたゲームソ
フトを貸してくれることになっていたから、DSを忘れずに持って行こう。

 そう考えると僕は早い時間にも関らず少し焦ってきた。誰も起きる前にメモを残して
家を出なければならない。メモには部活があるから早めに登校しますと書いておけばい
いだろう。

 そこまで考えたときにやかんがピーッと鳴ってお湯が沸いたことを告げた。

 僕はインスタントコーヒーの粉を入れたマグカップにお湯を注ぎ、リビングのソファ
に座ってテレビを点けた。早朝の天気予報が画面に映し出される。

 今日は突然集中的に雨が降ることがあるらしい。窓の外の冬の朝の様子からは降雨の
予感は少しも感じられないけど、天気予報で気象庁がそう言っている以上傘を用意した
方がよさそうだ。

 僕はコーヒーを飲み干すとカップを流しに片付けてから登校の準備にかかった。顔を
洗って歯を磨き制服に身を通してもまだ家族が起きてくる様子はなかった。着替えるの
とカバンを取るために一度自分の部屋に戻る途中で妹の部屋をちらっと眺めたけど、妹
は相変わらずだらしなくでもしどけない格好で自分の体を晒しながら寝息をたてていた。

 僕はこの日、両親には早く登校するというメモだけをテーブルに残して家を出たのだ
った。
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:12:39.76 ID:ogCHSW01o

 今朝は偶然に早起きしたせいで妹と顔をあわせずに済んでよかった。
俺は駅への坂道を下りながら思った。僕がいないだけなら両親と妹はそれなりにうまく
やっていける。ちょっと早起きして早出するだけで両親も僕も、そして多分妹も朝から
ストレスを感じずにすむのだ。父さんだけではなく母さんも仕事を持っているのだし、
朝から嫌な想いなんてしたくないだろう。それでも懲りずに妹の前で僕に話しかけてく
れる父さんと、特に母さんには僕は感謝していた。

 駅に向う坂道の途中で僕はほほに雨滴を感じた。雨がふるようには思えなかったけど
天気予報は正確なようだった。でもこの程度の小雨のうちに駅まで辿るつけるだろうと
僕は思った。傘は持っていたけど開かずに済むならその方がいい。僕は込んだ電車の中
で濡れた傘を持つのは嫌いだった。濡れた傘が自分の足にべっとりとついてズボンが濡
れることも嫌だったけど、それ以上に他人の服に自分の濡れた傘が当たるのも気が引け
て嫌だった。

でも込み合った電車の車内ではそれを回避するのは難しかった。

 もう少しで駅が見えてくるところで、突然アスファルトとの路面に雨が叩きつけられ
る音が響き出した。結構な雨量だった。

 僕は傘を開こうとしたけど目の前に電車の高架下のスペースが目に入った。とりあえ
ずあそこなら雨には打たれない。そこまで行ってから傘を開こう。僕は高架下の濡れな
い場所に向かって走り出した。
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:13:28.75 ID:ogCHSW01o

 そこには先客がいた。

 僕はその女の子を呆然として眺めた。

 華奢な肢体。背中の途中くらいまで伸ばした黒髪。セーラー服に包まれたスレンダー
な体つきのな女の子。

 中学生くらいのその子は戸惑ったように高架下から雨の降りしきる景色を眺めていた。これでは傘がなければここから動くこともできないだろう。


 彼女だけしか存在しない空間に迷い込んだ僕は自分の傘を眺めた。とりあずこの傘を
開けば僕は駅まで辿り着ける。天気予報を見ていてよかったと僕は思った。

 その時、誰かが高架下に入ってきたことに気がついた女の子が振り返って僕の方を見た。
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:13:59.76 ID:ogCHSW01o

 それで初めて僕はその子の顔を見ることができたのだった。

 それは僕がこれまで実際に会ったことのないほどの美少女だった。これまで僕は女の
子と付き合ったことはなかったし、年頃の女の子については妹のだらしない生活ぶりを
目の当たりにしていたおかげで全く幻想を抱いていなかった。

 でもこの子を見た時、僕の中で何かの感情が揺り動かされたのだった。

 普段から女の子と話すことが苦手な僕には考えられないことだったけど、僕はその子
と視線を合わせた時、自然に彼女に話しかけることができたのだった。

「君、傘持ってないの?」

 僕の言葉に彼女は戸惑った様子だった。でも彼女は思ったよりしっかっりした声で僕
に返事をしてれた。

「あ、はい。今日は雨が降るなんて思わなかったから」

 彼女の表情は僕に気を許したものではなかったけど決して警戒しているものでもなか
った。

「君も駅に行くの?」

 僕は彼女に聞いた。

「はい。でも駅まで行く途中で濡れちゃいそうで」

「じゃあ駅までしか送れないけどそれでもよかったら一緒にどうですか」

 その女の子の顔に一瞬だけ警戒しているような表情が浮かんだけど、彼女はすぐにそ
の表情を消した。

「いいんですか?」

「うん」

 この時の僕は少女の整った可愛らしい顔を呆けたように眺めていたに違いない。

「多分降りる駅が違うから、そこの最寄り駅までしか送れないけど、それでもよかった
ら」


「ありがとう、じゃあお願いします」
 女の子が言った。「駅まで行けば売店で傘を買えると思いますから」

 僕は傘を開いて彼女の方に差しかけた。彼女は遠慮がちに僕の方に身を寄せてきた。
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 00:14:42.18 ID:ogCHSW01o
今日は以上です

他スレが終るまでは更新速度は遅いと思います

ではまた投下します
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/29(水) 00:45:13.95 ID:7rl9Y7pIO
面白いな地の文のおかげで想像しやすかった
また、巡回するスレが増えてしまった…
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/29(水) 08:27:58.50 ID:lkhi+vuco
おつおつ
期待してるよー
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/29(水) 13:44:01.45 ID:VGX68nEIO
女神の人かな
これは期待
12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 23:16:23.78 ID:ogCHSW01o
>>11
そうです。そして女神スレの進行に少し悩んでいるので気分転換に今日はこっちの方を投下します。

女神が更新されないのにこっちが更新されている時は女神の方が書けないからと考えていただけると幸いです。

今はあくまでも女神の方を優先したいとは思っているのですけど。
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:16:54.96 ID:ogCHSW01o

 その朝、僕は偶然登校中に出会った女の子を駅まで送っていったのだった。彼女と出
合った場所から駅までは十分もかからない。駅に着くまでの間、僕は何を話していいの
わからなかったし、傘に入れたくらいで馴れ馴れしく振る舞う男だと思われるのも嫌だ
った。

 そして彼女の方も特に何を話すでもなかったので僕たちは傘に強く降りかかる雨の中
を無言のまま駅に歩いて行った。

 駅の構内に入ると傘を叩いていた雨音が突然途切れ、通勤通学客でにぎあう構内の騒
音が僕たちを包んだ。僕は傘を閉じた。そのままお互いにどうしていいのかわからない
感じで僕たちはしばらく黙ったまま立ちすくんでいた。

 やがて彼女は僕の側から離れ恐縮したようにお礼を言ってから、僕とは反対側のホー
ムに向うエスカレーターの方に去っていった。

 僕はその場に留まってしばらく彼女の方を眺めていた。その時ふいにエレベータに立
っていた彼女がこちらを振り向いた。少し離れた距離で僕たちの視線が絡み合った。

 僕が狼狽して彼女から視線を逸らそうとした時、初めて少し微笑んで僕の方に軽く頭
を下げている彼女の姿が僕の目に入った。
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:17:25.47 ID:ogCHSW01o

 学校の最寄り駅に着いて電車を降りる頃には突然の雨はもう止んでいた。その雨は天
気予報のとおり突然集中的に振り出し突然降り止んだようだ。

 これが夏ならこういうこともあるだろうけど、十二月もそろそろ終るこの季節にこう
いう天気は珍しい。でも夏と違って雨の後に晴れ間が広がったりはせず、天気は雨が降
り出す前の暗い曇り空に戻っただけだった。

 僕は閉じたままの傘を抱えて学校に向う緩やかな坂道を歩き出した。

 確かに嫌な天気だったけど、あそこで突然に強い雨が降り出さなければ僕があの子を
傘に入れて駅まで寄り添って歩くこともなかった。

 今思い出そうとしても今朝出会った少女の顔ははっきりと思い浮んではくれなかっ
た。無理もない。最初にこちらを驚いたように振り向いた時以外は僕は彼女の顔を直視
できなかったのだから。

 それでも僕は名前すら知らない少女に惹かれてしまったようだった。ただその甘い感
傷の底の方にはひどく苦い現実が隠されていたことにも気がついてはいた。

 いくら僕がさっき出合った少女に惹かれようがその想いには行き場がないのだ。僕は
彼女の名前も年齢も学校も知らないまま彼女と別れたのだから。

 時折思うことだけど、僕がこんなに内向的で自分に自信のない性格でなければ、例え
ば同級生の兄友のように相手の女の子にどんなにドン引きされても図々しくメアドを交
換しようとか積極的に言えるような性格なら、ひょっとしたら今頃僕は今朝出合った少
女のアドレスを手に入れていたかもしれない。

 そして僕がそういう社交的で積極的な性格に生まれていたら、ひょっとしたら妹との
関係だって今とは違っていたかもしれない。あの妹だって理由もなしに僕のことを毛嫌
いしているわけではないだろう。多分うじうじしていてはっきりしない僕の性格を妹は
心底嫌っているのだろう。

 でもそれは考えても仕方のないことだった。
15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:19:25.41 ID:ogCHSW01o

「何でそんなに暗い顔してんだよ」

 教室中に響くような声で兄友が話しかけてきた。いつもより早目に教室に入ったせい
で登校したた時には教室内にはまだ誰もいなかった。

 それで僕は自分の席でさっきの少女との出会いを思い返していたのだけど、そんなこ
とをしている間にいつのまにか登校してくる生徒たちで教室は一杯になっていた。

 僕は登校してきて隣の席に座ったばかりの兄友の方を見た。

「何でもないよ。つうか僕、暗い顔なんてしてるか?」

「してるしてる。おまえってもともといつも暗い顔してんだけどよ。今日は特にひど
いよ」

「まあ、昨日もちょっと家で揉めたからね」

 僕は少し苦々しい声でそれを口に出してしまったようだった。兄友の表情が真面目に
なり声も少し低くなった。

「それは悪かったな」

「いいよ、別に」

「おまえ、また義理の妹と喧嘩したの?」

「僕は別にそんな気はないけどさ。あいつがいつもみたいに突っかかって来たから」

「それでまた気まずくなちゃったってことか」

「まあね」
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:20:43.37 ID:ogCHSW01o

 そこで兄友は少し真面目な顔になった。

「前にも聞いたけどさ。何でおまえの妹ってそこまでお前のこと毛嫌いするのかね。こ
こまで来るとおまえが言ってたみたいにおまえの性格が気に入らないだけとも思えねえ
よな」

「知らないよ。あいつに嫌われてるって事実だけで十分だろ。原因なんてあいつが言わ
なきゃわかんないし」

「ひょっとしたらさ。そういうおまえの淡白な態度に問題があるじゃねえの」

「・・・・・・どういうことだよ」

「うまく言えねえけどさ、おまえの妹って何かおまえに気がついて欲しいこととかがあ
ってわざと突っかかって来てるんじゃねえかな」

 それが正しいかどうかはわからないけど、兄友の言っていることは僕がこれまで考え
たことだった。あいつが何かを訴えている? そのために僕に辛く当たっている。

 そうだとしても僕にはあいつが僕に訴えたいことなんか見当もつかなかった。

「ひょっとしたらさ。おまえの妹っておふくろさんとおまえの親父の再婚のこと面白く
思ってないんじゃねえのかな」

 それは僕もこれまで何度も考えてきたことだったから、それについては僕は兄友に即
答できた。

「それはない。あいつは僕の父さんとは普通に仲がいいんだ。だからあいつが僕を嫌っ
ているのは父さんたちの再婚とは別の話だと思う。だいたい再婚って言ったってもう十
年くらい前の話しだし」

「じゃあ、やっぱりおまえに原因があるんだ」

 兄友がさらに話を続けようとした時、担任が教室に入って来た。
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:22:11.77 ID:ogCHSW01o

 兄友に義理の妹の話を持ち出されて僕は思わず真面目に答えてしまったけど、妹の態
度については昔からなので僕はそのことについては半ば諦めていた。

 妹とのことは別に今に始ったことではない。僕にはどこかで僕とは無縁に生活してい
るはずの実の母親の記憶はないし、物心ついた頃から僕は今の家族と一緒に生活してき
たのだ。だから僕は母さんが自分の本当の母親ではないなんて考えたこともなかった。

 そして去年のある夜。僕と妹が両親に呼ばれて初めて事実を告げられた日、僕はその
時に自分の本当の母親が他にいることを知って動揺したのだけど、妹はその時もその後
も別にたいして悩んでいる様子はなかった。

 きっと妹は前から知っていたのではないか。僕と妹が本当の兄妹ではないことを。

 普通に考えれば両親が再婚した時、妹は僕以上に幼かったのだから彼女が真実を覚え
ていることは考えられないけど、きっと親戚か誰かに聞いていたに違いない。

 だから去年両親から僕たちが本当の兄妹ではないことを知らされたそれ以前から、妹
は僕のことを嫌っていたのだろう。再婚に反対してではなく、多分実の兄妹なら許せる
ことでも、赤の他人である僕の優柔不断な性格が妹の気に触っていたのかもしれない。

 でもそのことは去年から考えつくしていたことだったし、授業に集中できない僕がそ
の日一日中考えていたのは妹のことではなくて、今朝出会った少女のことだった。

 ほんの一瞬だけ僕の人生に現われた少女。でも僕と彼女の関わりはその一瞬だけだ。
彼女のこの先の人生に登場する人物の中に僕の名前はないのだ。そしてもう二度と僕は
彼女と会うことはないだろうし、たとえ偶然に出会ったとしても無視されるかせいぜい
黙って会釈されるかだろう。

 そんな自虐的な考えを僕はその日一日中繰り返していたのだった。

 授業が終わり部活に行こうとしている兄友に別れを告げると僕は学校を出た。校門の
外に出た時、兄友が今日持ってきてくれるはずのゲームソフトを受け取っていないこと
に気がついたけど、それはもう後の祭りだった。
18 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:25:24.60 ID:ogCHSW01o

 僕が自宅に着いてドアを開けようとした時、逆側からそのドアが開き妹が出てきた。

 妹は相変わらず中学生とは思えな派手な姿だった。爪には変な原色の色彩が施され冬
だというのに短いスカートを履いている。アイシャドウも濃い目、手に持っている小さ
なハンドバッグはラメが一面にごてごてと派手に刺繍されているものだ。

 僕は思わず今朝出会った彼女のことを思い出して妹と比較してしまった。多分彼女も
妹と同じで中学生くらいだと思う。はっきりとは見ていないので確かとは言えないけど
彼女は目の前の妹と違って普通に清楚な美少女だった。それは短い僅かな言葉のやり取
りにも表れているように僕は思った。

 何で同じ中学生なのに妹と彼女はここまで違うのだろう。僕はそう思った。

 でも今はトラブルは避けたい。ただいまとだけ妹に向ってもごもご呟いた僕は、これ
からどこかに遊びに行く様子の妹を避けて家の中に入ろうとしたその時だった。

「あんたさ」

 妹が僕に話しかけてきた。

「え」

「今朝どっかの女と相合傘してたでしょ」

 行く手を遮るように僕の正面に立った妹が言った。

「何でおまえが知ってるの」

 いきなりの奇襲に面食らった僕は何とかそれだけ言い返すことができた。

「何でだっていいでしょ。あれあんたの彼女? つうかキモオタのあんたにも相合傘す
るような相手がいるんだ」

 最初僕は正直に偶然出会った女の子を駅まで傘に入れただけだよと言い訳するつもり
だったけど、悪意に満ちた妹の声を聞いているとそんな言い訳する気すら失われていった。

「それこそどうだっていいだろ。おまえには関係ないじゃん」

 僕の言葉を聞いた妹は目を光らせた。いつもなら戦闘開始の合図だった。僕は少し緊
張して立ちはだかる妹の方を見た。

「・・・・・・何じろじろ見てんのよ。そんなに女の体が珍しいの? 気持悪いからあたしの
体を見るの止めて欲しいんだけど」

 こんなやりとりは僕にとっては日常のことだ。僕は必死に自分の感情を抑えた。早く
妹にどっかに行ってしまって欲しい。そうすれば僕は一人で心の平穏を保てるのだ。

「あんた、彼女いたんだ。あの子どう見ても中学生くらいだったけど」

 僕はもう何も言わないことにした。むしろ早く家の中に入ってしまいたいけど玄関前
に立ちはだかる妹をどかそうとすれば彼女の体に触れざるを得ない。

 僕に自分の体を触れられた妹がどういう行動を取るのかは、僕はこれまでの苦い経験
でよく学んでいた。だから僕はひたすら沈黙して妹が出かけていってしまうことを待つ
ことしかできなかった。
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/29(水) 23:29:54.91 ID:ogCHSW01o
「その子もきっと無理してるんだろうな。会うたびに自分の体をあんたにじろじろ見ら
れてるんでしょ? きっと」

「だんまりかよ。まあいいや。今日父さんも母さんも帰り遅いって。あたしは出かけて
くるから」

「ああ」

 僕はそれだけ返事した。

「ああ」
 妹は鸚鵡返しに僕の言葉を真似して言った。「あんたコミュ障? ゲームの中の女と
しか喋れないわけ?」

「そんなことないか。可愛い中学生の彼女がいるんだもんね」

 ひたすら言葉の暴力に耐えているとようやく妹は僕を解放してくれた。

 そして妹はもう僕のことなんか振り返らずに大股で雨上がりの夕暮れの中を駅前の方
にずんずんと歩いていってしまった。

 その夜、両親は帰って来なかった。あいつは父さんたちが今日遅くなると言っていた
けど、多分正確な伝言は今日は帰れないだったのだろう。僕への嫌がらせに間違った伝
言を僕に伝えたに違いない。

 両親が帰って来ると思っていた僕はその晩夕食を食べ損ねた。キッチンにあったポテト
チップスを少し食べて空腹を紛らわせた僕は、そのままベッドに入って寝てしまおうと
思ったのだった。



 僕は昨日に続いて今朝も早朝に目を覚ませてしまった。重苦しい気分で目を覚ました
僕は僕に抱きついて寝入っている妹を見てぎょっとした。

 何だ、これは。

 妹は僕の脇に横たわってぐっすりと熟睡していた。さっき感じた重苦しさは昨日妹に
嫌がらせをされた精神的なものではないかと思っていたのだけど、実はベッドの中で妹
の体重支えていた身体的な重苦しさなのかもしれなかった。

 妹の寝顔は彼女のいつものこいつの酷い態度と異なって子どもっぽいものだった。昨
日こいつの部屋で覗いた妹の表情と同じだった。

 何で妹が僕のベッドにいて僕に抱きついているのかはわからない。でもこのままこい
つが目を覚ませば自分の行為はさておいて、僕に無理矢理レイプされかかったくらいの
ことを両親に言いかねない。ひょっとしたらそのためにわざと僕のベッドに入ってきた
のかもしれない。

 僕は妹を起こさないよう極力そっと自分のベッドから抜け出した。そして、そのまま
着替えと学校に持っていくカバンだけ持ってリビングに向った。

 やはり両親は昨晩は帰宅していないようだった。僕は朝食もコーヒーも全て省略し、
急いで制服に着替えて家を出た。

 何とか妹の罠から脱出することができた。僕は駅に向かっているとようやく緊張から
開放されて来た。

 妹の理不尽な態度に酷い目に会ったのこれが初めてではないけど、ここまで直接的な
嫌がらせをされたのは初めてだった。

 でも僕は幸いにもその罠にかからずに済んだのだった。

 僕が妹のことを考えながら駅前の高架下を通り過ぎようとした時、僕は誰かに声をか
けられた。



「あの・・・・・・おはようございます」

 僕はその声の方に振り向いた。昨日出会った所に真っ直ぐに立って僕に声をかけたの
は、僕が二度と会うことがないだろうと思っていた昨日の少女だった。

 僕が突然のことに声を失っていると彼女は僕の方に寄って来て言った。

「お会いできて良かったです。会えないんじゃないかと思って心配してました」

 彼女は僕の方を見て微笑んだ。
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/29(水) 23:31:43.76 ID:ogCHSW01o
今日は以上です。更新頻度は女神スレの進行しだいになりそうです

あっちが進行している時はこっちの更新は遅いと思います

女神が終ったらこちらに専念します

駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/29(水) 23:45:28.76 ID:IMgaTLgGo
乙乙
女神のほうもみてみようかな
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/30(木) 22:22:48.30 ID:r0JYWwd1o
女神スレが一向に進まないのでこっちを更新します

更新レスは少ないですけど
23 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:23:19.38 ID:r0JYWwd1o
「ああ、偶然だね」

 その時僕は彼女に会えたことに驚いて呆然としていたのだけど何とかこの間抜な返事
をようやく口にすることができたのだった。

「偶然じゃないんです」

 相変わらず僕に微笑みかけながら彼女は僕の言葉を否定した。

「昨日はちょっと急いでいてちゃんとお礼を言えなくて」

「お礼って・・・・・・傘に入れただけだよ」

「どうしようかと思って困っていた時に、傘に入らないって自然に声をかけてくれて本
当に嬉しかったんです。でもあの時は何か照れちゃってずっと黙ったままだったし」

「だから偶然じゃないんです。ひょっとして同じ時間にここにいればまたお会いできる
んじゃないかと思って」

「じゃあ、わざわざ僕を待っていてくれたの?」

 これは恋愛感情ではないかもしれない。でも一度だけそれも十分程度傘に入れた男に
会うためにここまでする必要なんてあるのだろうか。

「はい。無駄かもしれないと思ったんですけど、お会いできて良かったです」
 彼女は頭を下げた。「昨日は本当にありがとうございました」

「どういたしまして」

 僕も頭を下げた。高校生の男と多分中学生の少女が向かい合って頭を下げあっている
光景は傍から見たらずいぶんと滑稽な様子に見えたに違いない。

 多分彼女も同じことを考えていたのだろう。頭を上げた彼女は再び恥かしそうに微笑
んだ。
24 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:23:50.47 ID:r0JYWwd1o
 だいぶ緊張がほぐれてきた僕は普通に彼女に話しかける余裕が戻って来たようだった。

「君さ。昨日はずいぶん急いでいたみたいだけど、今日はこんなところで話していて学
校は平気なの?」

 僕は昨日に引き続き普段よりもずいぶん早く家を出たから別に急ぐ必要はなかったけ
ど、彼女は昨日の同じ時間に慌しく僕とは反対側の方向に向うホームに向っていたはず
だった。

「あ、はい。大丈夫です。昨日は課外活動で朝早く現地集合だったんです」

 そこまで詳しくは聞いたつもりはなかったんだけど、彼女は嬉しそうに自分の事情を
話し出した。

「だから昨日は雨のせいで遅刻しちゃいそうで急いでたんですけど、普段ならもっと遅
い時間に登校してるんです。あとあたしの学校って昨日の集合場所とは反対の電車の方
向だし」

 では彼女の学校は僕と同じ方向にあるのだろう。

 ここまでの僅かな会話でも僕は彼女との距離が縮まっていくのを感じた。

 ・・・・・・誤解するなよ。僕は改めて自分の心の中に警鐘を鳴らした。高校で同級生の女
さんの時も今と同じような状況だったじゃないか。親しげに僕に擦り寄ってきた女さん
の態度を誤解した僕はあの放課後に彼女に告白したのだ。

 その時の彼女の返事やその時感じた喪失感はだいぶ時間が経った今でも胸の奥に小さ
な痛みとして残っている。あの時女さんは戸惑い、困ったような表情で僕に謝ったのだ
った。

『何か誤解させちゃったとしたらごめん。あたし君のこと嫌いじゃないけど、本当に好
きなのは兄友君なの』

 しばらくして二人が付き合い出して、今ではいつも一緒にいる姿を見ることにも大分
慣れてきた。慣れざるを得なかった。兄友は友だちの少ない僕にとって唯一の親友だっ
たから。

今の状況は女さんの時よりもっと頼りない。額面どおりに受け取れば礼儀正しい女の
子が傘に入れてもらったお礼を改めてしたくて僕を待っていただけのことじゃないか。
25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:24:30.21 ID:r0JYWwd1o
 そう考えようと必死になった僕だけど一度胸の中に湧き上がった期待はなかなか理性
の指示するとおりに収まってはくれなかった。

「そう言えばお名前を聞いていなかったですね」
 少女が言った。「あたしは、鈴木ナオと言います。富士峰女学院の中学二年生です」

 それでは彼女は僕の高校より一つ先の駅前にある学校に通っていたのだ。確か富士峰
は中高一貫校の女子校だった。

「僕は結城ナオト。明徳高校の一年だよ」

 僕も名乗った。でもこれで彼女の名前を知ることができた。

「あの」

 再び彼女が言った。これまで僕とは違って冷静に話していた彼女は、少し紅潮した表
情で僕の方を見上げた。

「図々しいお願いですけど、よかったらメアドとか連絡先を教えてもらっていいですか」

 女の子に耐性のない僕にとってそれはとどめの一撃といってもよかった。自分への警
鐘とか女さんの時の教訓とかが僕の頭の中から吹っ飛んだ。

 僕と彼女はメアドと携帯の番号を交換した。その事務的な作業が終わると少しだけ僕
たちの間に沈黙が訪れた。でもそれは決して気まずいものではなかった。

「そろそろ行きませんか?」

 ナオが僕に言った。相変わらず僕に向かって微笑みながら。

「そうだね。同じ方向だし途中まで一緒に」

 思わず言いかけてしまった言葉に僕は後悔したため、僕の言葉は語尾が曖昧なままで
終ってしまった。

 でもナオは僕の言葉をしっかりと拾ってくれた。

「うん、そうですね。同じ方向だし、ナオトさんとまだお話もしたいし一緒に行きまし
ょう」

 僕たちは目を合わせて期せずしてお互いに微笑みあった。その時、僕の腕が誰かに強
く掴まれて引き寄せられた。
26 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:24:57.89 ID:r0JYWwd1o

「こんなところで何してるの? ナオト」

 僕の腕にいきなり抱きつき甘ったるい声で上目遣いに僕に話しかけてきたのは私服姿
の妹だった。

 その派手でケバい姿は清楚なナオと同じ中学二年生とは思えない。突然僕に抱きつい
てきた派手な女の子の登場に、ナオも驚いて微笑みを引っ込めて黙ってしまっていた。

 何でこいつが僕のことを名前で呼びかけて、しかも僕の腕に抱きつくのか。こんなこ
とは今までなかったのに。

 そう思った時、僕はさっき僕のベッドの中で僕に抱きついたまま寝入っていた妹のこ
とを思い出した。

 嫌がらせか。僕は珍しく本気でこいつに腹を立てていた。昨日僕とナオが一つの傘に
入って一緒に駅に向うところを目撃した妹は、今日も僕たちが一緒なのではないかと思
いついたに違いない。そしてこいつは僕とナオが恋人同士だと思い込んでいた。

 もう間違いない。こいつはわざわざ僕に嫌がらせをするために、こいつが勝手に思い
込んでいる僕とナオの関係を邪魔することにしたのだろう。

「どした? ナオト。この人誰?」

 妹が僕の腕に抱きついたまま僕の方を上目遣いに眺めながら言った。何か妹の柔らか
なものが僕の腕に押し付けられている感触があった。

 人というのはこんなんに純粋な悪意によって行動できるのだろうか。父さんたちの再
婚以来こいつが僕のことを徹底的に嫌っていることは十分にわかっていた。

 自分の部屋のドアを開け放してあられのない姿を僕に見せ付けるのだって、そんな自
分の姿を覗こうとする僕のことを父さんたちに言いつけるための嫌がらせだった。

 でもそういう妹の行為に対して僕は一定の範囲で理解して許容していたのだ。

 父さんと母さんは僕のことをいつも誉めてくれる。成績も素行もよく両親の言うこと
をしっかりと守るいい子だと。

 そのことが妹にとって強いプレッシャーになっていたことは間違いない。次第に彼女
は両親に対して反抗し、僕に対しては攻撃的なまでの嫌がらせを繰り返すようになっ
た。

 同時に僕と違う自分を演出しようとしたのか、妹は勉強とか部活とかには背を向けて
遊び歩いているグループに入って、両親の帰宅が遅いのをいいことに夜遊びを繰り返す
ようになったのだった。

 僕はこいつの彼氏という男とこいつが一緒に歩いているところを見たことがある。派
手な格好で大きな声で傍若無人に振る舞う工業高校の高校生。その時の僕は、自分には
関係ないと思いつ自分の妹がこんなやつのことを好きだということに無意味に腹を立て
たのだった。
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:25:29.60 ID:r0JYWwd1o
「お邪魔してごめんなさい。あたしもう行かないと」

 ナオが戸惑ったような声を出した。さっきとは打って変って笑顔もなく僕に視線も向
けてくれなかった。

「いや、ちょっと」

 僕がナオにこいつは自分の妹だよと言おうとした時、妹が僕を遮るようにナオに話か
けた。

「あ、そう? 何か邪魔したみたいで悪いね。あたしいつもナオトとは一緒に登校して
るからさ」

 僕は妹に反論してこの一連の出来事が嘘だよとナオに言いたかったけど、その機会を
与えてくれずナオは僕と僕の腕に抱き付いている妹にぺこりと頭を下げて、駅の方に
去って行ってしまった。ナオはもうこちらを振り向かなかった。



「・・・・・・何でこんなことした」

 僕は怒りを抑えて妹を問い詰めた。きっと嘲笑気味に答が帰って来るだろう。僕はそ
のことは承知していたけど、それでも今朝の妹の仕打ちは許せなかったのだ。

「何でこんなことをしたのか言えよ」

 案の定、妹はナオがいなくなるとすぐに僕の腕から手を離した。もともと僕に抱きつ
くなんて嫌で仕方なかったのだろう。

「あんただって同じことしたじゃん」
 僕から離れた妹が目を光らせた。「前にあたしが彼氏と二人で歩いている時、あたし
たちのこと邪魔したじゃない」

「ちょっと待てよ。僕は別におまえとおまえの彼氏のことなんか邪魔した覚えはないぞ」

「したよ。町で偶然に出会った時、あんた彼氏のこと虫けらでも見るような目で見てた
じゃん」

 それは本当のことかもしれなかった。妹のことなんてどうでもいいとは思っていたけ
ど、それにしてもあんなクズと付き合っているとは思ってもいなかったから。

「あんたは確かにあたしたちを見ただけで何もしなかったよ。でもね、ああいう目で見
られただけでも心は痛むんだよ。あの後、彼氏が悩んじゃって大変だったんだから」

 妹が言うには自分を侮蔑的な目で見ている奴がいるからちょっと喧嘩を売ってきてい
いかと妹の彼氏が言ったそうだ。妹があれはあたしの兄貴だよと話すと、そいつは今まで
の威勢の良さを引っ込めて、俺って本当に駄目なやつに見えるのかなあと言って落ち込
んだそうだ。

「その仕返しのためにわざわざ早起きして僕の後を付いて来たのか」

 でも妹はもう何も話そうとしなかった。

 僕はその場に妹を置いて黙って駅に向って歩き出した。こいつには言葉が通じない。
これ以上話しても無駄だ。そう考えたことは今回が初めてではないのだけど。
28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/30(木) 22:26:06.00 ID:r0JYWwd1o

 ざわめく心を静めながら電車の中で吊り輪に掴まっていた時、携帯電話が振動した。
僕は携帯に着信したメールに目を通した。


from :××××@docomo.ne.jp
sub  :さっきはごめんなさい
本文『ナオです。教えていただいたばかりのアドレスにメールしちゃいました。彼女さ
んと一緒で迷惑だったら読まなくてもいいですよ(汗)』

『さっきは待ち伏せしたりお名前を聞いたりとか図々しくてごめんなさい。あと、彼女
さんと待ち合わせしてるなんて思わなかったんで、そもそもあんなところでお話しした
こと自体がご迷惑でしたよね』

『本当に昨日のお礼を言いたかっただけなんですけど、万一彼女さんにが誤解したとし
たらすいませんでした』

『もう彼女さんに誤解されるようなことはしませんので安心してくださいね』

『それではさっきはほんとにすいませんでした。彼女さんにもごめんなさいとお伝えく
ださい』

『ナオ』


 ナオからだ。このままナオの誤解が解けないのは嫌だ。そして誤解さえ解いてしまえ
ばこの先もっとナオと親しくなれるかもしれない。僕はその時もうどんなに恥をかいて
もいいと思った。

 ナオが僕のことを好きでなくてもいい。もうこれ以上僕の心には嘘をつけない。

 普段臆病な僕だったけど、この時は妹との関係への誤解を解いてナオと親しくなりた
いということしか考えていなかった。


from :○×○@vodafone.ne.jp
sub  :Re:さっきはごめんなさい
本文『さっきの女の子は僕の妹です。あまり仲が良くないのですぐにああいう悪ふざけ
をするんで困ってるんですけど、あいつは僕の彼女ではないよ〜』

『せっかく知り合えたのでナオちゃんともっとお話ししたかったです。一緒に登校でき
なくて残念だよ。また会えたらその時はよろしくね。じゃあさっきは本当にごめんな
さい』

 送信してたいして間も空けずにナオは返信してくれた。


from :ナオ
sub  :Re:Re:さっきはごめんなさい
本文『そうだったんですか。妹さんの冗談だったんですね。まじめに悩んじゃった自分
が恥かしいです(汗)』

『でも安心しました。これからも朝一緒に登校していただいたらご迷惑ですか』

『え〜い。もう勇気を出して言っちゃえ! ナオトさんって彼女いますか? 正直に言
うと昨日雨の中で出会ってからナオトさんのことが気になって昨日夜も眠れませんで
した』

『面と向って告白する勇気はなかったんですけど、妹さんのおかげでメールすることが
できたので頑張って告白しますね』

『一目惚れとか軽い女だと思われるかもしれないけど、ナオトさんのこと気になってま
す、と言うかはっきり言うとナオトさんのことが好きです』

『明日の朝も駅前の高架下のところで待ってます。よかったらその時に返事してくださ
いね』

『それではまた明日』

『ナオ』
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/30(木) 22:26:36.78 ID:r0JYWwd1o
本日は以上です
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/31(金) 03:23:52.71 ID:TwYmTnq/o
ビッチってタイトルの時点で嫌な予感しかしないんだけどね


楽しみに待ってます
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/31(金) 23:57:00.15 ID:/RawQli4o

「ふ〜ん。そんなことがあったんだ」

 兄友が学食のカツカレー大盛りを食べながら言った。

 僕は昼休みになった途端、兄友に昨日と今朝の出来事を全部話して相談したのだった。

「よかったじゃんか。初めて会って気になってた子が次の日におまえに告ってくるなん
て、何かのアニメみてえだな」

 それは兄友に言われるまでもなく自分でも考えていたことだった。こんな僕にはもっ
たいないほどの幸運としか言いようがない。

「まあ素直におめでとうと言っておこう。女もこのことを聞いたら喜ぶよ。どういうわ
けかあいつ、やたらおまえのこと気にしてるしさ」

 女さんは約束どおり僕の恥かしい勘違いの告白のことを誰にも言わなかったようだ。
彼女は彼氏の兄友にさえ黙っていてくれたのだ。

「そんで明日も駅前で待ってるんだろ、その女子中学生の子って」

「うん」

「きっちり決めろよ。おまえいざと言う時無駄に迷うからな。こういう時は余計なこと
を考えずに素直にただ一言、俺もおまえが好きだ、でいいんだからよ」

「・・・・・・僕も君が好きです、じゃだめか?」

「それでもいい。僕とか君とは普通は言わねえけど、おまえそれが口癖になっちゃって
るしな。変に気取ってもすぐにばれるだろうしよ」

 兄友に相談していると僕はだいぶ気が楽になってきた。ナオのメールを見た時の興奮
や歓喜は時間が経つにつれ僕の中でプレッシャーに変化していた。

 こんなに都合よくあんな美少女が僕に告白するはずがない。だとしたら何で彼女は出
会った翌日にろくに会話したこともなくどういう男かわからない僕なんかに告白したの
だろう。しかも今朝は妹の嫌がらせにも会ったわけで、彼女の僕に対する印象は最悪の
はずだった。

 でも兄友はそんな僕の心配なんか今は考える必要なんかないと僕に言った。

「おまえのことが気になって夜も眠れないとかメールにはっきり書いてあるじゃん。こ
れ以上彼女に何を求めてんの? おまえ」

「とりあえず彼女のことが気になるんだろ? それなら明日君が好きって言えよ。付き
合ってみてこんなじゃなかったって愛想つかされることなんか心配してたらいつまで経
っても彼女なんかできねえぞ」

 多分兄友の言うとおりなのだろう。
32 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/08/31(金) 23:59:59.10 ID:/RawQli4o

 兄友に励まされ背中を押された僕は明日の朝、彼女に僕も君のことが好きだと返事す
ることにした。

 できれば明日までの緊張に耐えられそうになかったので今日中にメールで返事をした
かった。

 兄友もメールでもいいんじゃね? って言っていたけど、彼女からは明日の朝返事を
するように言われていた僕はとりあえず緊張に耐えながら彼女の言葉に従うことにした
のだった。

 帰宅すると家には誰もいなかった。両親は今夜も遅いか職場で泊まりなのだろう。も
ともとうちは昔から両親が家にちゃんといる方が珍しいという家庭だった。

 それに僕にとって幸いなことに最近では珍しく二日間も連続して僕に嫌がらせをして
きた妹も今夜はまだ帰宅していなかった。多分彼氏と夜遊びでもしているのだろう。妹
は両親がいない夜は家にいる方が珍しいのだ。

 そしてそんな妹のことを、僕は余計なトラブルを起こすのが嫌だったから両親に告げ
口とかしたことはなかった。妹がよく言うようにあいつのことは僕とは関係ないのだ。

 とりあえず今日は簡単な食事を作って寝てしまおう。僕は明日の朝、ナオの告白に返
事をしなければならない。そんな重大な出来事を抱えて普段のように夜を過ごすことな
んか考えられなかった。実際、今だって胃がしくしく痛むほどのストレスを感じている
のだから。

 僕は妹がいないことを幸いに、義務的に味すら覚えていないカップ麺だけの食事を済
ませるとさっさとベッドに入って目をつぶった。


 ようやく眠りにつきそうだった僕は、階下でどたんという大きな音が聞こえたせいで
て目を覚ましてしまった。

 大きな物音に続いてけたたましい笑い声がリビングの方から響いてきた。僕は強く目
をつぶって階下の出来事を無視しようとした。明日は早起きしてナオに告白しなければ
いけない。こんな夜に階下に下りていくのは心底から嫌だった。少しだけこの騒音を耐
えていればすぐに収まるに違いない。僕は無理にもそう思い込もうと思った。

 父さんと母さんが深夜に帰宅したときは僕たちを起こさないようひっそりと帰宅して
できるだけ音を立てないようにシャワーを浴びたりしてくれていることを僕は知ってい
た。だから階下のこの騒音は夜中に帰ってきた妹に違いなかった。
33 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 00:03:00.18 ID:JedZn9S4o
 僕が階下の騒音を無視することして毛布を頭からかぶろうとしたとき、ポップミュー
ジックの音が強烈な音量で流れ始めた。ここにいてさえやかましいくらいのボリューム
だ。

 僕はついにこのまま寝入ることを諦めた。これでは近所の人たちにも迷惑なほどの音
量だったし、このまま放ってはおけない。

 階下に下りてリビングに入った僕はまっすぐにオーディオ機器の方に向かい、アンプ
の電源をオフにした。思ったとおり突然静まり返ったリビングのソファには、思ってい
たとおりだらしなく横たわっている妹の姿があった。

 リビングの床には脱ぎ散らかした妹の派手な服が転々と乱れている。当の妹はお気に
入りの音楽を消されて、ソファから起き上がり何か聞き取れない声で怒鳴りながら僕に
掴みかかってきた。

 妹の顔が僕のそばに寄ってくると強く酒の匂いがした。やっぱり飲んでたんだ。

「何で勝手に音楽消すのよ。あんたには関係ないでしょ」

 妹は僕の横に立って僕の方を睨みながら言った。でもその声は呂律が回っていなかっ
た。

「近所迷惑だろ。何時だと思ってるんだよ」

「うっさいなあ。あたしのそばに来ないでよ」

 妹は明らかに泥酔しているようだった。

「とにかくシャワー浴びて寝ちゃえよ。ガキの癖に酒なんか飲むからこんなことするん
だろうが」

 僕は本当にイラついていた。明日は早起きしてナオに告白しなければいけないのに。
何でこういう日にこいつはこんなトラブルを持ち込むのだろう。

「ガキって何よ、ガキって」

 妹はふらつきながら僕を睨んだ。

「とにかくシャワーー浴びて寝ろ。今ならまだ母さんたちにばれないから」

 こういうことは前からたまにだけどあった。ここまで酷いのは初めてだけど、僕はト
ラブルを起こすのが嫌だったからこいつが飲酒いていることを両親には黙っていたのだ
った。
34 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 00:05:49.34 ID:JedZn9S4o

 それでも今夜のこれは酷すぎる。ここまで来ると黙っている僕さえも同罪かもしれな
い。僕は一瞬両親にこのことを話そうかと思ったけど、すぐにその考えは脳裏から失わ
れた。

 今の僕はそれどころではない。中学生の妹との飲酒癖は早めに直した方がいいに決ま
っているけど、結局は妹の自己責任というか事業自得じゃないか。

 僕は明日早起きして駅までナオに会い、彼女の告白に返事をしなければならない。こ
んな深夜に妹の面倒をみている場合ではないのだ。

「どいてよ」

 突然妹がそう言って僕の横をすり抜けリビングを出て行った。しばらくすると浴室の
方からシャワーの音がした。

 僕はほっとした。これで少しは妹も正気に戻るだろう。

 僕は妹が脱ぎ散らかしたコートとかハンドバッグとかを拾い集めた。もうこんな時間
だから両親は泊まりで仕事をしているのかもしれないけど、万一遅い時間に帰宅したと
きに両親にこんなリビングの様子を見られるわけにはいかない。

 それは姑息な誤魔化しだったけど今の僕には他にいい手段は思いつかなかった。

 ソファを片付けているとその隅にバーボンの小さいボトルが転がっているのが見えた。

 粋がっている中高生の飲酒なんてせいぜいビールとか缶入りの梅酒とかだろうと思っ
ていたのだけど、それはアルコール度数40の強い酒だった。仮にこんなものをどこか
で飲んでいたとしたら妹が家に酔っ払って帰ってきたとしても不思議はない。

 僕はため息をついてそのボトルに残っていた酒をキッチンのシンクに流して捨てた。

 リビングがだいたい片付いた頃、リビングのドアが開いて全裸の妹が戻ってきた。

 茶髪が濡れているところを見るとシャワーを浴びていたのは本当だったようだ。こい
つはろくに髪も体も拭いていないのだろう、髪も体もびしょ濡れのままだ。
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 00:10:18.32 ID:JedZn9S4o

「お兄ちゃんの言うとおりにシャワー浴びたてきたよ」

 さっきまで激怒していた妹が嫣然と僕に微笑みかけた。

「どう?」

「どうって何が・・・・・・つうか服着ろよ」

 僕は妹の裸身から目を逸らした。何でこいつが突然僕にお兄ちゃんなんて話しかける
のだろう。そもそも何でこいつは服を着ていないのだ。

「お兄ちゃん、ちゃんと見て。これでもあたしはガキなの?」

 先入観から僕は妹の肌とかは穢れているような印象を持っていた。彼氏がいたり夜遊
びするような妹が清純な少女のはずはない。

 でも目を逸らさなきゃと思いながら思わず見入ってしまった妹の裸は綺麗だった。あ
れだけ遊んでいるビッチとは思えないほど。

 白い肌。思っていたより控え目な胸。細い太腿。そして薄い毛に覆われた・・・・・・。

「ねえ。これでもあたしってガキなの?」
 妹が僕の方に近づいてきた。「あたしを見てどう思った?」

 クスクスと笑う妹の声。

「あ、そうか。お兄ちゃんってキモオタだから見ただけじゃわかんないのか」

「おい、よせよ。僕たちは兄妹だろ」

「何言ってるのよ。本当の兄妹じゃないじゃん。それにそんなことは今関係ないでしょ」

 妹が裸の腕を僕の首に巻きつけようとした時だった。

「あれ、何か揺れてるよ。あれ」

 シャワーを浴びたことも効果がなかったようだった。妹は酔いが回って目を廻したの
だろう。

 妹が床に崩れ落ちる寸前に僕は妹の裸身に手を廻して辛うじて彼女を支えることがで
きた。
36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 00:13:30.59 ID:JedZn9S4o

 妹は僕に抱きかかえられたまま寝入ってしまった。酔いつぶれている人間を二階の部
屋のベッドに運び込むことがこんなに大変なことだと僕はその日初めて思い知らされた。

 手っ取り早くお姫様抱っこしようとしてもぐんにゃりとした妹の体はとても持ち上げ
ることはできなかった。結局僕は妹をの肩を抱きかかえて半ば無理に立たせて彼女を引
き摺るようにしながらるようやく二階の彼女の部屋に運び込むことができた。

 もう下着とか服を着せるのは無理だった。僕は妹をベッドに投げ出してこいつの裸身
に毛布をかけてから自分の部屋に戻った。

 僕は泣きたい気分だった。仲の悪い酔った妹から裸を見せつけられるような悪ふざけ
をされた。結局もう夜明けが近い。そして明日、というか今日の早朝には目不足のまま
ナオに会って告白の返事をしなければならないのだ。

 いや、そんなことを嘆いている場合ではない。とにかく寝過ごしてはいけない。僕は
目覚まし時計のアラームを確認すると携帯のアラームもセットした。明日だけは何とし
ても遅刻できない。

 僕はベッドに入った。短い眠りの中で夢を見た。夢の中の少女はナオでもあり妹でも
あった。

 そしどういうわけか夢の中の少女は清楚で恥かしがりやででも積極的な女の子だっ
た。

 夢の少女は全裸で僕に微笑んだ。

『一目惚れとか軽い女だと思われるかもしれないけど、お兄ちゃんのこと気になってる
の、と言うかはっきり言うとお兄ちゃんのことが好きです』

『ナオトさん、これでもあたしってガキなの?』

『ナオトさんあたしを見てどう思った?」

 クスクスと笑う妹の声。いやこれはナオの声だったのか。

「あ、そうか。ナオトさんってキモオタだから見ただけじゃわかんないんですね」

 俺に抱きつこうとするナオ、いやそれは妹なのだろうか。

 その時、時計と携帯のアラームが同時に鳴り出し僕は目を覚ました。嫌な汗が全身を
濡らしていた。
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 00:17:14.75 ID:JedZn9S4o
 朝食を省略しシャワーだけ浴びて昨日の夢と汗を洗い流して僕が早々に家を出た。

 妹の部屋を覗くと妹はぐっすりと寝入っているようだった。ただし、昨日僕がかけた
毛布ははだけていてベッドの上の妹は一糸まとわぬ全裸のままだった。僕は目を逸らし
た。

 緊張したまま駅前の高架下に着くとそこには既に所在なげに立ちすくんでいるナオの小
柄な姿が目に入った。再び緊張感がマックスまで高まっていく。

 でもここでへたれるわけにはいかない。僕は兄友の言葉を思い浮かべた。そうだ、既
にメールで僕は好きだと告白されているのだから万に一つ断られることはないのだ。

「あ」

 ナオが僕に気がついて顔を赤くして頭を下げた。

「おはようナオちゃん」

「おはようございます。ナオトさん」

 彼女は恥かしそうに微笑んだ。でも体の前で震えている手が彼女の余裕を裏切ってい
た。

 こんなに美少女のナオちゃんだって告白の返事を聞くときは緊張するんだ。何だか僕
は新しい発見をしたよう気分になり少し気が楽になった。同時に僕は妹との酷い夜のこ
とを忘れていくのを感じた。

「遅くなってごめんね」

「いえ・・・・・・あたしが早く来すぎただけですから」

 しばらく僕たちの間に沈黙があった。でも今日だけはその沈黙を破るのは僕でなけれ
ばいけない。

「メール見たよ。僕もナオちゃんのこと好きだよ。よかったら付き合ってもらえますか」

 僕の前に立っている華奢な少女の目に少しだけ涙が浮かんだようだった。僕は言うこ
とを言ってじっと返事を待った。

「・・・・・・はい。嬉しいです」

 ナオは僕に抱きついてきたりしなかったけど、潤んだ目で僕を見つめてそっと自分の
白く華奢な手を伸ばして僕の手を握ってくれた。
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/01(土) 00:18:00.21 ID:JedZn9S4o
本日はここまで

別スレが再構成中なのでしばらくはこっちを進めようと思います
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/01(土) 12:21:51.55 ID:/rVDrdd/o
いいねいいね
おつ
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/09/01(土) 14:46:12.87 ID:07vUPIk3o

なんかお話に引き込まれるような…不思議な感覚
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/01(土) 17:46:49.58 ID:k1C4kW0qo
またマルチアングルなのかな?

なんか俺も嫌な予感がする、、、
42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:46:58.07 ID:JedZn9S4o
 僕とナオは並んで駅の方に向かって歩き出した。歩き出してからもナオは僕の手を離
そうとしなかった。

 妹が昨日酔ってたせいで僕は辛い思いをしたのだけれど、結果的に考えるとそのおかげ
で大切な告白の時間を妹に邪魔されずに済んだのだ。あの酔い具合ではあいつは僕の後
をつけて僕を邪魔することなんかできないだろう。その安堵する思いと無事にナオと付
き合えたせいか、僕は急にさっきまでのストレスから解放されて身も心も軽くなってい
った。

 こんな綺麗な子と手を繋いで歩いているのだ。普段の僕なら緊張のあまり震えていた
としても不思議はなかったけど、さっきまであり得ないほどのストレスを感じていたせ
いか、今の僕の心中は不思議と穏やかだった。

「僕の降りる駅までは一緒にいられるね」

 何でこんなに落ち着いて話せるのか自分でも可笑しくなってしまうくらいに。

「そうですね。三十分は一緒にいられますね」
 ナオが微笑んだ。もうその顔には涙の跡はなかった。「ナオトさんっていつもこの時
間に登校してるんですか」

「普段はもう少し遅いんだ。この間はちょっと事情があってさ」

「そうですか。じゃあ明日からは」

 彼女はそこで照れたように言葉を切った。考えるまでもなくこれは僕の方から言わな
きゃいけないことだった。

「よかったら明日から一緒に通学しない? 時間はもっと遅くてもいいしナオちゃんに
合わせるけど」

 彼女は再びにっこり笑った。

「今あたしもそう言おうと思ってました。でもいきなり図々しいかなって考えちゃって」

「そんなことないよ。同じこと考えていてくれて嬉しい」

 僕は僕らしくもなく口ごもったりもせず普通に彼女と会話ができていることに驚いて
いた。緊張から開放され身も心も軽くなったとはいえ、何度も聞き返されながらようや
く告白の意図が伝わった女さんの時とはえらい違いだ。

 そこで僕は気がついたのだけど、きっとこれはナオの会話のリードが上手だからだ。
赤くなって照れているような彼女の言葉は、実はいつもタイミングよく区切りがついて
いてその後に続けて僕が喋りやすいものになっているのだ。

 この時一瞬だけ僕はナオのことを不思議に思った。

 わずか数分だけそれもろくに口も聞かなかった僕のことを好きになってくれた綺麗な
女の子。

 まだ中学二年なのに上手に会話をリードしてくれるナオ。

 何でこんな子と僕は付き合えたのだろう。
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:48:05.60 ID:JedZn9S4o

 それでも手を繋いだままちょっと上目遣いに僕の方を見上げて微笑みかけてくれるナ
オを見ると、もうそんなことはどうでもよくなってしまった。

 兄友も言っていたけど僕には昔から考えすぎる癖がある。今はささいな疑問なんかど
うだっていいじゃないか。付き合い出した初日だし今は甘い時間を楽しんだっていいは
ずだ。

 やがてホームに滑り込んできた電車に並んで乗り込んだ後も、ナオは僕の手を離そう
としなかった。僕はナオは僕の手を握っていない方の手で吊り輪に掴まるのかと思った
けど、ナオはそうせずに空いている方の手を僕の腕に絡ませた。つまり揺れる電車の車
内でナオを支えるのが僕の役目になったのだ。

 そういう彼女の姿を見ると最初に彼女を見かけたときの儚げな美少女という印象は修
正せざるを得なかった。

 むしろ出会った翌日に僕に会いに来たりメールで告白したり、彼女はどちらかという
とむしろ積極的な女の子だったのだ。でもその発見は僕を困惑させたり幻滅させたりは
しなかった。

 むしろ逆だった。僕は積極的なナオの様子を好ましく感じていたのだった。僕は何と
なく大人しい印象の女の子が自分の好みなのだと今まで考えていたけど、よく考えれば
初めて告白して振られた女さんだって大人しいというよりはむしろ活発な女の子だった。

 まあそんなことは今はどうでもいい。僕の腕に初めてできた僕の彼女が抱きついてい
てくれているのだから。

「ナオちゃんってさ」
 僕はもう全く緊張せず僕の腕に抱き付いている彼女に話しかけた。「そう言えば
名前・・・・・・」

「あ、あたしもそれ今考えていました。ナオトさんとナオって一字違いですよね」

「ほんと偶然だよね」

「偶然ですか・・・・・・運命だったりして」

 そう言ってナオは照れたように笑った。

「運命って。あ、でもさ。ナオって漢字で書くとどうなるの?」

 そう言えば僕とナオはお互いの学校と学年を教えあっただけだった。これからはそう
いう疑問にもお互いに答えあって少しづつ相手への理解を深めて行けるのだろう。

「奈良の奈に糸偏に者って書いて奈緒です・・・・・・わかります?」

 え。偶然もここまで来ると出来すぎだった。

「わかる・・・・・・っていうか、僕の名前もその奈緒に最後に人って加えただけなんだけ
ど。奈緒人って書く」

 ナオも驚いたようだった。

「ナオトさん、運命って信じますか」

 ナオは真面目な顔になって僕の方を見た。
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:49:30.10 ID:JedZn9S4o

 ナオと一緒にいると三十分なんてあっという間に過ぎていってしまった。学校がある
駅に着いた時、僕は僕の腕に抱き付いているナオの手をどうしたらいいのかわからなく
て一瞬戸惑った。このまま乗り過ごしてしまってもいいか。僕はそう思った。

 でもそこで彼女は僕の高校のことを思い出したようだった。

「あ、ごめんなさい。明徳ってこの駅でしたね」

 ナオは慌てたように僕の腕と手から自分の両手を離した。彼女の手の感触が失われる
と僕は何だかすごく寂しい気がした。

「ここでお別れですね」

「うん・・・・・・明日は時間どうしようか」

「あたしはナオトさんに合わせますけど」

「じゃあ今日より三十分くらい遅い時間でいい?」

「はい。また明日あそこで待ってます」

 ここで降りるならもう乗り込んできている乗客をかき分けないと降車に間に合わない
タイミングだった。

 僕は彼女に別れを告げて乗り込んできている人たちにすいませんと声をかけながら駅
何とかのホームに降り立つことができた。
45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:51:28.97 ID:JedZn9S4o

「何の話してるの?」

 昼休みの学食のテーブルで僕と兄友が昼食を取っていると女さんが兄友の隣に腰掛けた。

「おお、遅かったな。いやさ、ナオトにもついに彼女ができたって話をさ」

「うそ!」
 女さんは兄友の話を遮って目を輝かせて叫んだ。「マジで? ねえマジ?」

「おう。マジだぞ。しかも富士峰の中学二年の子だってさ」

「え〜。富士峰ってお嬢様学校じゃん。いったいどこで知り合ったの?」

 以前の僕なら一度は本気で惚れて告白しそして振られた女さんのその言葉に傷付いて
いたかもしれなかったけど、実際にこういう場面に出くわしてみると不思議なほど動揺
を感じなかった。

「通学途中で偶然出会って一目ぼれされた挙句、メアドを聞かれて次の日メールで告ら
れたんだと」

 兄友が少しからかうように女さんに説明した。

 確かに事実だけを並べると何だか薄っぺらい感じがする。でもそれが女さんにどうい
う印象を与えたとしても今の僕にはさほど気にならなかった。

「ナオト君にもついに春が来たか。その子との付き合いに悩んだらお姉さんに相談し
なよ」

 女さんが笑って言った。

「誰がお姉さんだよ」

 僕も笑って気軽に返事をすることができた。

「ナオトさあ。今度その子紹介しろよ。ダブルデートしようぜ」

 兄友が言った。

「ああ、いいね。最近兄友と二人で出かけるも飽きちゃったしね」

 女さんも兄友の提案に乗り気なようだった。

「おい。飽きたは言い過ぎじゃねえの」
 兄友が言ったけどその口調は決して不快そうなものではなかった。「そうだよ。四人
で遊びに行こうぜ。昨日イケヤマと彼女が別れちゃってさ。それまでは結構四人で遊び
に行ったりしてたんだけどな」

「イケヤマって兄友の中学時代の友だちだっけ?」

「おう。何か年下の中学生の子と付き合ってたんだけど、昨日いきなり振られたんだ
って」

「イケヤマ君、あの子と別れちゃったの?」

 女さんが驚いたように言った。
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:52:58.37 ID:JedZn9S4o

「昨日イケヤマからメールが来てさ。振られたって言ってた」

「ふ〜ん。でもイケヤマ君の彼女って中学生の割には結構遊んでいるみたいなケバイ子
だったし、他に好きな子ができたのかもね」

「まあそうなんだけどさ。イケヤマって遊んでいるように見えて結構真面目だからさ。
彼女に突然振られて悩んでるみたいでな。ちょっと心配なんだ」

「イケヤマ君の彼女って明日香ちゃんって言ったっけ?」

「そうだよ。ていうか名前も覚えてねえのかよ。結城明日香だって・・・・・・ってあれ?」
 兄友はそこで何か気づいたようで少し戸惑った表情を見せた。

「ナオトの中二の妹ってアスカちゃんって名前だったよな?」

「え? 結城ってナオト君の姓だよね? まさか・・・・・・」

「そのイケヤマってやつ、工業高校の生徒で髪が金髪だったりする?」

 僕は聞いてみたけどどうもこれは妹で間違いないようだった。でもどうしてあいつは
突然彼氏と別れたのだろう。

 兄友はイケヤマとかいう妹の彼氏のことを結構真面目な奴と言っていたけど、僕には
そうは見えなかった。むしろ先々を考えずに刹那的に遊び呆けているどうしようもない
高校生にしか見えなかった。きっと妹の飲酒だってそいつの影響に違いない。

「多分それ、うちの妹の明日香のことだ」

 僕は淡々と言った。

「何か・・・・・・悪かったな、ナオト」

「ナオト君ごめん。あたし妹さんのこと、結構遊んでいるみたいなケバイ子とか酷いこ
と言っちゃった」

 女さんは僕に謝ってくれたけど別に彼女は間違ったことは言っていない。

「いや。女さんの言ってることは別に間違ってないよ」
 僕は女さんに微笑みかけた。「本当に妹の生活ってすごく乱れてるんだ。妹は僕の一
番の悩みの種だよ」

「でも・・・・・・」

 女さんは相変わらず申し分けそうな表情で俯いていた。
47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:56:05.94 ID:JedZn9S4o

 放課後になって僕が部活に行く兄友と別れて校門を出ようとした時、そこにたたずん
でいる女さんに気がついた。

「誰かと待ち合わせ?」
 僕は彼女に話しかけた。「兄友は部活だよね?」

「・・・・・・そうじゃないの。もう一度ちゃんとナオト君に謝っておこうと思って」

「あのさあ・・・・・・」

「うん」

「僕は全然気にしてないって。それにさっきだって言ったでしょ? 君の言ったことは
本当のことだよ」

 女さんは俯いていた顔を上げた。

「それでも。誰かに家族のことを変な風に言われたら嫌な気分になるでしょ? あたし
だって自分の兄貴のことをあんなふうに馬鹿にした言い方されたら嫌だもん」

「だから・・・・・・ごめんなさい。ナオト君の妹とは知らなかったけど明日香ちゃんのこと
酷い言い方しちゃっててごめん」

 明日香のことをビッチ呼ばわりされた僕だったけど正直に言うとあの時はそのことに
ついてそんなに不快感を感じなかった。女さんが言ったことはかなり控え目な表現で言
っても、実際の妹はビッチというほかないような女だと僕は思っていた。

 それでもあいつは僕の家族だった。女さんが他人の家族のことを悪く言ったことを思
い悩む気持ちもよくわかった。

 兄友たちはああいう風に言ったけど妹がビッチと呼ばれても仕方がないことは事実だ
った。僕だって妹のビッチな行動の直接的な被害者だったのだ。

 それでもやはり家族というのは特別なのかもしれない。それが全く血がつながってい
ない義理の妹であっても。

 今までだって誰かの口から妹の悪口を聞くと僕はすごく落ち着かないいたたまれない
ような気分になった。指摘されていることは普段から僕が思っていた感想と全く同じも
のだったとしても。

「もういいって」
 それでも僕は女さんに微笑んだ。「本当に気にしてないよ」

「ごめん」

「途中まで一緒に帰る?」

「いいの?」

「兄友が嫉妬しないならね」

「それはないって」

 不器用な僕の冗談にようやく女さんが笑ってくれた。
48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 21:58:48.91 ID:JedZn9S4o

「でも何で妹はそのイケヤマってやつと別れたのかなあ」
 ようやく僕はそっちの方が気になってきた。「遊び人同士うまく行ってそうなものだ
けど」

 女さんは少しためらった。でも結局僕にイケヤマと妹の印象を話してくれた。

「あたしも何度か四人でカラオケ行ったりゲーセンに行ったくらいなんだけど」

「うん」

「さっき兄友が言ってたのは嘘じゃないよ。イケヤマ君って見かけは酷いけど中身は結
構常識的な男の子だった」

 その真偽は僕にはわからないけど一度外で妹と妹の彼氏を見かけたことがある僕とし
ては素直には信じられない話だった。

「それでね・・・・・・ああ、だめだ。またナオト君の妹さんの悪口になっちゃうかも」

 僕は笑った。

「だから気にしなくていいって」

「うん。明日香ちゃんって別にイケヤマ君じゃなくても誰でもいい感じだった。妹さん
って別に本気で彼氏なんか欲しくないんじゃないかな」

「まあ、そういうこともあるかもね。背伸びしたい年頃っていうか、自分にだけ彼氏が
いないのが嫌っていうことかもね」

「それとはちょっと違うかも。何て言うのかなあ、彼氏を作って遊びまくって何か嫌な
ことから逃げてる感じ?」

「そうなの?」

 そうだとしたら妹はいったい何から逃げていたのだろう? 再婚家庭の中で唯一気に
入らない僕からか。

「まあ、あんまりマジに受け取らないで。実際に明日香さんと会ったのってそんなに多
くはないしそれほど親しくなったわけでもないから」

「うん」

「そんなことよりさ」
 ようやく元気を取り戻した女さんが突然からかうような笑みを浮べて言った。「富士
峰の彼女ってどんな子?」

「どんな子って」

「どういう感じの子かって聞いてるのよ? それで大分年下だけどどういうところが好
きになったの?」

 僕がナオにマジぼれしていなければそれはトラウマ物のセリフじゃんか。僕は女さん
に振られたことがあるのだし。

 でもこの時の僕は女さんのからかいには動じなかった。それだけナオに惹かれていた
からだったろう。
49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/01(土) 22:05:13.85 ID:JedZn9S4o

 僕が女さんと別れて帰宅し自分の部屋に戻る前にリビングのドアを開けると妹がソフ
ァに座ってテレビを見ていた。

 僕に気がついた妹は僕の方を見た。どうせ無視されるか嫌がらせの言葉をかけられる
のだろう。僕はそう思った。昨日のこいつの醜態に文句を言いたいけどそんなことをし
たって泥仕合になるだけだ。そのことを僕は長年のこいつとの付き合いで学んでいた。

「お兄ちゃん、お帰りなさい」

 妹が言った。

 え? 何だこの普通の兄妹の間のあいさつは。無視するか悪態をつくかが今までの妹
のデフォだったのに。

 その時僕は奇妙な違和感を感じた。そしてその違和感の原因はすぐにわかった。

 どうしたことか妹の濃い目の茶髪が黒髪に変わっているのだった。そして帰宅したば
かりなのかまだいつものスウェットの上下に着替える前の妹の服装はいつもの派手目な
ものではなかった。

 平日に制服ではなく私服を着ていること自体も問題だと思うけど、そのことを考える
よりも僕は妹が今着ている服装から目が離せなかった。

 どういうことだ?

 薄いブルーのワンピースの上にピンクっぽいフェミニンなカーデガンを羽織ってい
る。僕はナオの制服姿しか見たことがなかったけどきっと清純なナオならこういう服装
だろうなって妄想していた姿そのままの妹がソファに座っていたのだ。

「どしたの? お兄ちゃん。あたしの格好そんなに変かな?」

 僕はやっと我に帰った。

「いや変って言うか、何でおまえがそんな格好してるんだよ?」

「そんな格好って何よ。失礼だなあお兄ちゃんは」

 妹は落ち着いてそう言ってソファから立ち上がるなりくるっと一回転して見せた。

「そんなに似合わない? お兄ちゃんにそんな目で見られちゃうとあたし傷ついちゃう
なあ」

「いや、似合ってる・・・・・・と思うけどさ。それよりその髪はどうした? 何で色が変わ
ってるんだよ」

「何でって、美容院で黒く染め直しただけだし」

 僕は妹をの姿を改めて真面目に見た。その姿は正直に言うと心を奪われそうなほど可
愛らしかった。でもこいつは内面が外見に追いついていない。

 ぼくは昨日のこいつの酔った醜態のことで文句でも言おうと思っていたのだけど、こ
いつだって彼氏と別れたばかりだったことを思い出した。

 昨日や一昨日のこいつの嫌がらせのことは少し忘れよう。

「おまえさ、何かあったの?」

 妹は僕を見て笑った。そしてどういうわけかその笑いにはいつものような憎しみの混
じった嘲笑は混じっていないようだった。何か両親に紹介されてお互いに初めて出会っ
た頃のような照れのような感情が浮かんできた。

「何にもないよ。お兄ちゃん、今日は何か変だよ」

 変なのはおまえだ。僕は心の中で妹に言った。それにしても妹の黒髪ワンピ、そしてお
兄ちゃん呼称の威力は凄まじかった。これまでが酷すぎたせいかもしれないけど。

 それからしばらく僕は呆然として清楚な美少女のような妹、明日香の姿を見つめ続けて
いた。

「お兄ちゃん?」

 明日香がそう言って僕の隣に寄り添った。
50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/01(土) 22:06:41.68 ID:JedZn9S4o
今日は以上です。

来週中は女神の構想の練り直しをするのでその間はこっちに投下します

それ以降は女神終了までこっちの更新速度は落ちると思います

ここまでお付き合いありがとうございました
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/01(土) 23:27:15.75 ID:/rVDrdd/o
おつかれ!
52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/09/01(土) 23:52:06.57 ID:tV4dD0Pmo
新作期待
>>1ならうまく終わらせてくれると信じてる
53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/02(日) 00:22:08.79 ID:LCkimwgPo
まさかのイケヤマ再登場www

しかし、名前がついていない登場人物はモブなのかな?
54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/02(日) 22:52:27.16 ID:SMaVK8Xxo

「何だよ」

 僕は無愛想に言って近寄ってくる妹から体を離そうとした。ただ僕の視線の方は突然
清楚な美少女に変身した妹の容姿に釘付けになっていた。

「お兄ちゃん・・・・・・何であたしから逃げるのよ」

「何でって・・・・・・。おまえこそ何でくっついて来るんだよ」

「ふふ」

 妹が笑みを浮べた。それは複雑な微笑みだった。僕にはその意味がまるで理解できな
かった。

「何でだと思う? お兄ちゃん」

 そう言って妹は僕の腕を引っ張った。いきなりだったために僕は抵抗できずに妹に引
き摺られるままソファに座り込んだ、妹が僕に密着するように隣に座った。

「いや、マジでわかんないから。僕は自分の部屋に行くからおまえももう僕から離れ
ろよ」

「そんなに慌てなくてもいいでしょ。あたしが近くにいると意識してドキドキしちゃ
うの?」

「そうじゃないって。つうかいつも僕に突っかかるくせに何で今日はそんなに僕にくっ
つくんだよ」

 その時妹の細い両腕が僕の首に巻きついた。

「何でだと思う? お兄ちゃん」

 再び妹がさっきと同じ言葉を口にした。

 僕は妹の体を自分から引き離そうとしたけど、妹は僕に抱きついたままだった。

「何でだと思う?」
 妹は繰り返した。「そう言えば、この間お兄ちゃんと一緒にいた子って中学生でし
ょ? 何年生?」

 僕は明日香の突然の抱擁から逃れようともがいたけど明日香の腕は僕の首にしっかり
と巻きついていて簡単には解けそうになかった。

「二年だけど」

 仕方なく僕は妹に答えた。本当にいったい何なのだろう。

「お兄ちゃん・・・・・・本当にあの子と付き合ってるの? あの子何って名前?」

「・・・・・・おまえには関係ないだろ」

「いいから教えて。教えてくれるまでお兄ちゃんから離れないからね」
55 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/02(日) 22:54:21.69 ID:SMaVK8Xxo

 ここまで来たら全て妹に明かすしかなさそうだ。妹を振り放すには今はそれしか手が
なかった。

「付き合ってるよ。つうか今日から付き合い出した」

「え? じゃあ相合傘してたのとか昨日待ち合わせしてたのは?」

「あの時はまだ付き合い出す前だよ」

「いったいいつ知り合ったのよ」

「だから傘に入れてあげた時からだけど」

「じゃあ知り合ったばっかじゃん。お兄ちゃんってヘタレだと思ってけどそんなに手が
早かったのか」

 それには答える必要はないと僕は思った。

「で、あの子の名前は?」

「鈴木ナオ」

「ふーん。で、そのナオって子のこと好きなの?」

「・・・・・・好きじゃなきゃ付き合うわけないだろ」

 妹は僕に抱きついていた手を放して俯いた。僕はほっとして自分の部屋に戻ろうとした。
その時ふと覗き込んだ妹の目に涙が浮かんでいることに気がついた。

 僕は立ち上がりかけていたけど再びソファに腰を下ろした。

「泣いてるの? おまえ」

「・・・・・・泣いてない」

 僕は最初、明日香が僕に彼女ができて寂しくて泣いているんじゃないかと考えた。で
もそんなはずはなかった。長年、明日香は僕のことを嫌ってきた。しかも嫌って無視す
るだけでななく直接的な嫌がらせまでされてきたのだ。そんな憎悪の対象である僕に彼
女ができたからといって寂しがったり嫉妬したりするはずはないのだ。

 その時、ようやく僕は思いついた。

 妹にとって彼氏と別れたのはかなりの衝撃だったのではないか。兄友の話では妹の方
からイケヤマとか言う彼氏を振ったということだったけど、妹にはそいつを振らざるを
得ないような事情があったのだろう。

 兄友と女さんはイケヤマのことを外見と違って真面目な奴だと考えているようだった
けど、一度見かけたそいつの様子からは真面目なんて言葉はそいつには似合わないとし
かいいようがなかった。

 そうだ。妹はイケヤマの何らかの行為に嫌気が差してそいつのことを振ったのだろ
う。でも心底嫌いになっての別れではなかったのかもしれない。

 だからこいつも今は辛いのだ。
56 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/02(日) 22:56:56.23 ID:SMaVK8Xxo

「おまえ無理するなよ」

 今度は僕の方から妹の肩を抱き寄せた。こんな行為を妹にするのは生まれて初めてだ
った。でも、どんなに仲の悪い兄妹だとしても妹が悩み傷付いているならそれを慰める
のが兄貴の役割だろう。自分だけ部屋にこもってナオのことを思い浮かべて幸福感に浸
っているわけにもいかないのだ。

「え?」

 突然僕に肩を抱き寄せられた妹は一瞬驚いたように凍りついた。それからどういうわ
けか妹の顔は真っ赤に染まった。

 僕は妹の肩を抱いたままで話を続けた。

「彼氏と昨日別れたんだろ? それで辛くて悩んでそして気分転換に髪を黒くしたり服
を変えたんだろ?」

 僕は話しながら妹の顔を覗き込んだ。その時は自分では親身になって妹の相談に乗っ
ているいい兄貴のつもりになっていた。

「悩んでいるなら聞いてやるからふざけてないでちゃんと話せよ。おまえが僕のことを
嫌っているのは知ってるけど、こんな辛い時くらいは僕を頼ったっていいじゃないか」

 妹は僕の言葉を聞くと突然僕の手を振り払って自分の体を僕から引き剥がした。

 その時の妹はもはや照れたような紅潮した表情ではなかった。そしてその清楚な格好
には似合わない怒ったような表情で言った。

「あんた、バカ?」
57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/02(日) 22:58:55.49 ID:SMaVK8Xxo

「え?」

「あんたが珍しくあたしを抱いてくれるから期待しちゃったのに、あんたが考えてたの
はそっちかよ」

 妹の話し方には今まで取り繕っていた仮面が剥がれて地が表れていた。僕はその時い
つものように罵詈雑言を浴びせられることを覚悟した。

 結局いつもと同じ夜になるのだろうか。

 でも妹は気を取り直したようだった。喋り方もさっきまでの普通の妹のようなものに
戻っている。

「まあお兄ちゃんなんかに最初からあんまり期待していなかったからいいか」
 突然機嫌を直したように妹は笑顔になった。「まあそんな勘違いでも一応あたしのこ
とを慰めようとしてくれたんだもんね。ありがとお兄ちゃん」

「いや。でも彼氏と別れたのが原因じゃないなら、いったい何で髪の色とかファッション
とか今までがらりと変えたんだよ」

「ナオって子を見てこの方がお兄ちゃんの好みだとわかったから」
 妹は、明日香は僕の方を見つめて真面目な顔で答えた。「明日からはもうギャルぽい
格好するのやめたの。お兄ちゃんのためにこれからはずっとこの路線で行くから」

 妹は照れもせずに平然とそう言い放った。

 僕のため? 僕は僕のことを大嫌いなはずの妹の顔を呆然として眺めた。
58 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/02(日) 23:05:56.19 ID:SMaVK8Xxo

 自分の部屋でベッドに入ってからも僕は妹の言葉が気になって眠ることができなかっ
た。付き合い出した初日だしナオのこと以外は頭に浮かばないのが普通だろうけれども。

 でもこの瞬間にベッドの中で僕の脳裏に思い浮ぶのは妹だった。

 こいつは僕とナオが一緒にいるところを目撃し、ナオが僕の好きな人だということを
知った。そして彼氏と別れた。その後美容院に行って髪を黒く染め服装も大人し目で清
楚っぽい服に着替えた。

 思い出してみれば妹の爪もいつもの原色とかラメとかの派手なマニュキアではなく、普
通に何も手を加えられていないほんのりとした桜色のままだった。

 その全てが僕の好みに合わせたのだと妹は言った。いったいそれは何を意味している
のか。本当は妹は昔から僕のことを好きだったのだろうか。



 妹の言動からはさすがにそれ以外の回答は導き出すことはできなかった。少なくとも
妹の変化に対して唯一僕が思いついた理由、つまり妹が彼氏と別れたから妹はイメチェ
ンをしたのだということは、妹に一瞬で否定されてしまった。

 あと今さらながら気になるのは何で妹が彼氏を振ったのかということだった。もちろ
ん彼氏のどこかが許せなくて別れたということもあるだろう。

 それにしても妹が僕のことを好きなのかもしれないという前提でそれを考えると、僕
がナオに出会ったことを知ってすぐに彼氏を振った妹の行動には、僕のことが気になる
からということ以外の理由は考えづらかった。

 それは僕とナオのことを気にして自分もフリーになったということか。

 そうなるともうこいつが僕のことを好きななのではないかということ以外に僕には思
いつくことはなかった。

 もう今日は考えるのをやめて寝よう。そう思って携帯のアラームをセットするために
携帯を手に取った僕はメールの着信があることに気づいた。僕はメールを開いた。それ
はナオからのメールだった。


from :ナオ
sub  :無題
本文『こんばんは。用事なんて何もないんですけどナオトさんのことを思い出している
と全然眠れないからメールしちゃいました。まだ夜の七時だからいいですよね』

『今日初めてナオトさんと一緒に登校できて嬉しかったです。』

『何かあっという間にお別れの時間が来ちゃった感じでしたよね。本当はもっともっと
ナオトさんに抱きついて一緒にいたかったです(汗)』

『あたし男の人と付き合うのはこれが初めてだからよくわからないんですけど、こうい
ういつまでも一緒にいたいっていう気持ちは付き合ってれば普通に感じるものなんでし
ょうか』

『それともあたしにとってナオトさんが特別な人なのかなあ。名前が似ているのもそう
だし、出会い方だってロマンティックでしたよね?』

『明日またナオトさんに会うのを楽しみにしています。じゃあそろそろ寝ないと万一遅
刻したら嫌だし』

『おやすみなさいナオトさん。大好きです(ハート)』

『ナオ』


 このメールは大分前に来ていたものだった。多分僕と妹がリビングで話をしていた頃
に。今からでは返信するには時間が遅すぎる。返事がなかったことにナオを失望させて
しまったかもしれないと思うといてもたってもいられなかったけど、もう後の祭りだっ
た。

 明日朝ナオに会ったら忘れずにフォローしよう。僕はそう考えた。そしてナオのメー
ルのおかげで妹のことを忘れることができた僕はそのまま携帯を握り締めながら眠りに
ついたのだった。
59 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/02(日) 23:07:29.27 ID:SMaVK8Xxo
短いですけど今日はここまで。

女神は次の土曜日から再開予定ですのでそれまではビッチの更新を続けます

土曜日以降は更新頻度は遅くなると思います

乱筆駄文におつきあいありがとうございました
60 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/03(月) 00:17:05.78 ID:1UDb7kYao
地の文多くて好きだ
61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/03(月) 21:21:13.97 ID:ZzY150TQo
おつおつ毎度楽しみにしてる
62 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/03(月) 23:33:52.21 ID:euF2FmBAo

 翌朝登校の支度を済ませて僕が階下に下りていくと、珍しく父さんと母さん、それに
妹が既にキッチンのテーブルについて朝食を取っていた。

 昨日僕が眠ってしまった後の遅い時間に両親は帰宅したのだろう。この様子だとあま
り眠れなかったではないかと僕は両親を見て思った。

「おはようナオト」
「おはようナオト君、何か久しぶりね」

 両親が同時に僕に微笑んで挨拶してくれた。久しぶりに両親に会って笑って声をかけ
てくれるのは嬉しいのだけど、こういう時いつも僕は妹の反応が気になった。

 父さんはともかく母さんは常に僕に優しかった。母さんが自分の本当の母親ではない
と知らされたとき、僕は母さんが途中で自分の息子になった僕に気を遣って優しく振る
舞っているのだろうとひねくれたことを考えたこともあった。

 でもそういう偽りならどこかでぼろが出ていただろう。それに気に入らない義理の息
子に気を遣っているにしては母さんの笑顔はあまりに自然だった。

 それでいつの間にか僕はそういうひねくれた感情を捨てて、素直に母さんと笑顔で話
ができるようになったのだった。今の僕は父さんと同じくらい母さんのことを信頼して
いる。

 ただ唯一の問題は妹の明日香だった。無理もないけど明日香は昔から自分の母親を僕
に取られたように感じていたらしい。僕が母さんが義理の母親だと知ってからも母さん
を信頼するようになって、前よりも母さんと仲良くなってからは、明日香は僕のことを
ひどく嫌って、反抗的になった。

 挙句に服装が派手になり髪を染めるようになり遊び歩くようになったのだった。僕と
は違う自分を演出するつもりだったのだろうけど、もちろん母さんと明日香の関係にお
いてもそれは良い影響なんて何も及ぼさなかったのだ。

 やがて母さんは明日香の生活態度をきつく注意するようになった。母さんに「何でお
兄ちゃんはちゃんと出来てるのにあんたはできないの」と言われた後の妹の切れっぷり
は凄まじかった。その時明日香はやり場のない怒りを全て僕に向けたのだった。

 こういう両親と過ごす朝のひと時は妹さえいなければ僕の大切な時間だったのだけ
ど、両親の僕に向けた柔らかな態度に明日香はまた一悶着起こすのだろうと僕は覚悟し
てテーブルについた。

「おはよう」

 僕は誰にともなく言った。妹がそう思うなら自分に向けられた挨拶だと思ってくれて
もよかった。
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/03(月) 23:34:24.12 ID:euF2FmBAo

「おはよお兄ちゃん」
 明日香が柔らかい声で言った。「今日は早く出かけなくていいの?」

 え? 一瞬僕は自分の耳を疑った。朝こいつから普通に挨拶されたのは初めてかもし
れない。僕は一瞬言葉に詰まった。それでも僕はようやく平静に妹に返事をすることが
できた。

「う、うん。別に早く出かける用事はないし」

「ないって・・・・・・待ち合わせはいいの?」

 そういえば妹は僕とナオが待ち合わせの時間を変更したことを知らないのだった。き
っといつもと同じ時間に待ち合わせするものだと思っているのだろう。でも何で明日香
が僕とナオのことを気にするのだろうか。

 一瞬僕の脳裏に昨日の妹の言葉が思い浮んだ。

「明日からはもうギャルっぽい格好するのやめたの。お兄ちゃんのためにこれからはずっ
とこの路線で行くから」

 その言葉を思い浮かべながら改めて妹を眺めると、髪が黒いのは当然として中学校の
制服まで心なしか大人しく着こなしているように見えた。とりあえずスカート丈はいつ
もより大分長い。

「別に・・・・・・それよりおまえ、その格好」

「昨日言ったでしょ? お兄ちゃんがこっちの方がいいみたいだからこれからは大人し
い格好するって」

 明日香は両親の前で堂々と言い放った。

 僕が妹に返事をするより先に母さんが妹に嬉しそうに話しかけた。

「あら。明日香、今朝はずいぶんお兄ちゃんと仲良しなのね」

「そうかな」

「そうよ。いつもは喧嘩ばかりしてるのに。それに明日香、今日のあなたすごく可愛い
よ。いつもより全然いい」

「そう?」
 妹は少し顔を赤くした。「お兄ちゃんはどう思う?」

 突然僕は妹に話を振られた。とりあえず僕は口に入っていたトーストをコーヒーで流
し込みながら思った。妹が僕のことを好きなのかどうかはともかく、妹のこの変化は良
いことだ。

「うん、似合ってる。と言うか前の格好はおまえに全然似合ってなかった」

 言ってしまってから気がついたけどこれは明らかに失言だった。似合っているで止め
ておけばよかったのだ。何も前のこいつのファッションまで貶すことはなかった。僕は
今度こそ妹の怒りを覚悟した。

 でも。妹は赤くなって俯いて「ありがとう、お兄ちゃん」と言っただけだった。

「本当に仲良しになったのね。あなたたち」

 母さんが僕たちを見て再び微笑んだ。
64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/03(月) 23:35:29.60 ID:euF2FmBAo

「おはようございます。ナオトさん」

 ナオはいつもの場所で僕を待っていてくれた。今日は彼女より早く来たつもりだった
のだけど結局ナオに先を越されてしまった。

「おはよう、ナオちゃん。待った?」

「いえ。あたしが早く来すぎちゃっただけですよ。まだ約束の時間の前ですし」

 ナオが笑った。やっぱり綺麗だな。僕は彼女の顔に見入ってしまった。

「どうしました?」

 不思議そうに僕の方を見上げるナオの表情を見ると胸が締め付けられるような感覚に
捕らわれた。いったいどんな奇跡が起こってナオは僕のことなんかを好きになったのだ
ろう。

「何でもないよ。じゃあ行こうか」

「はい」
 ナオは自然に僕の手を取った。「行きましょう。昨日と違ってゆっくりできる時間じ
ゃないですよね」

「そうだね」


 僕たちは電車の中で初めて付き合い出した恋人同士がするであろうことを忠実に行った。

 つまり付き合い出した今でもお互いのことはほとんどわかっていなかったのでまずそ
のギャップを埋めることにしたのだ。ナオの腕は今日も僕の腕に絡み付いていた。

 とりあえずナオについてわかったことは、彼女が富士峰女学院の中学二年生であること、
一人っ子で両親と三人で暮らしていること、同じクラスに親友がいて下校は彼女と一緒
なこと、ピアノを習っていて将来はできれば音大に進みたいと思っていること。

 何より僕が驚いたのは彼女の家の場所だった。これまでいつも自宅最寄り駅の前で待
ち合わせをしていたし、最初の出会いもそこだったから僕は今までナオは僕と同じ駅を
利用しているのだと思い込んでいたのだ。でもナオの自宅は僕の最寄り駅から三駅ほど
学校と反対の方にある駅だった。

「え? じゃあなんでいつもあそこで待ち合わせしてたの?」

「何となく・・・・・・最初にあったのもあそこでしたし」

「じゃあさ。昨日とか相当早く家を出たでしょ?」

「はい。ママに不審がられて問い詰められました」

 ナオはいたずらっぽく笑った。

「最初に出会った日にもあそこにいたじゃん?」

「あれは課外活動の日で親友とあそこで待ち合わせしたんです。彼女はナオトさんと同
じ駅だから」

 ちゃんと確認すればよかった。僕は彼女にわざわざ自分の最寄り駅で途中下車させて
いたのだ。
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/03(月) 23:36:26.69 ID:euF2FmBAo

「ごめん。無理させちゃって」

「無理じゃないです。あたしがそうしたかったからそうしただけですし」

「あのさ」
 僕はいい考えを思いついた。「明日からは電車の中で待ち合わせしない?」

「え?」

「ここを出る時間の電車を決めておいてさ。その一番後ろの車両の・・・・・・そうだな。真
ん中のドアのところにいてくれれば僕もそこに乗るから」

「はい。ナオトさんがそれでよければ」

 彼女の家の場所を聞いてみてよかった。これで余計な負担をナオにかけずに済む。

 僕自身のこともあらかた彼女に説明し終っても、学校の最寄り駅まではまだ少し時間
があった。僕はさっきから聞きたくて仕方がないけど聞けなかったことが気になってし
ょうがなかった。でもそんなことを聞くと自分に自信のない女々しい男だとナオに思わ
れてしまうかもしれない。

 ナオは楽しそうに自分の通っているピアノのレッスン教室の出来事を話していたけ
ど、気になって悶々としていた僕はあまり身を入れて聞いてあげることができなかった。

 そしてその様子はナオにもばれてしまったようだ。

「あの・・・・・・どうかしました?」

 ナオは話を中断して僕の方を見た。

「いや」

 駄目だ。やっぱり気になる。僕は思い切って彼女に聞いた。

「ナオちゃんってさ」

「はい」

 話を途中で中断されたナオは不思議そうな顔で僕の方を見た。

「あの、つまりすごい可愛いと思うんだけど、やっぱり今まで彼氏とかいたんだよ
ね?」

 ナオは戸惑ったように僕を見たけど、すぐに笑い出した。

「あたし可愛くなんてないし。それに女子校だから男の人とお付き合いするのってこれ
が初めてです」

「そうなんだ・・・・・・」

「ひょっとしてナオトさん、あたしが誰かと付き合ったことあるか気にしてたんで
すか?」

「違うよ・・・・・・・いやそれはちょっとは気になってたかもしれないけど」

 僕は混乱して自分でも何を言ってるのかわからなかった。でもナオの言葉だけはきち
んと胸の奥に届き、僕はその言葉を何度も繰り返して頭の中で再生した。

「男の人とお付き合いするのってこれが初めてです」
66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/03(月) 23:38:52.45 ID:euF2FmBAo

「ナオトさん。顔がにやにやしてますよ」

 ナオが笑って言った。

「そ、そうかな」

「そんなにあたしに彼氏がいなかったことが嬉しかったんですか」

「僕は別に・・・・・・」

 不意にナオがこれまでよりもう少し僕に密着するように腕に抱き付いている自分の手
に力を入れた。

「でも気にしてくれてるなら嬉しい。ナオトさんは今まで彼女とかいたんですか? 中
学も高校も共学ですよね?」

「いないよ。僕もナオちゃんが初めての彼女だよ」

 それがナオにどんな印象を与えたのかはわからなかった。自分が初めての彼女で嬉し
いと思ってくれるのか、もてない男だと思って失望されるのか。でも何となくこの子に
は正直でいたいと思っている僕がそこにいた。そしてそれは決して嫌な感覚ではなかっ
た。

「嬉しい」
 ナオは言った。「お互いに初めて好きになった相手でしかも名前も似てるんですよ」

「うん」

「本当に運命の人っているのかも」

 僕とナオは改めて見つめ合った。


「お、ナオトじゃん」

 僕たちはその時大きな声で僕に話しかけてきた兄友に邪魔されたのだった。

「あ、ナオト君だ。って富士峰の制服の子だ」
 これは女さんだった。「ナオト君の彼女でしょ? もう一緒に登校してるんだ」

「おはよう」

 僕はしぶしぶ兄友と女さんにあいさつした。

 僕は二人にナオを紹介した。二人のところを邪魔されたわけだけど、ナオは僕の友人
たちに僕の彼女として紹介されることが嬉しかったのか、高校の最寄り駅で別れるまでず
っと機嫌が良かった。正直に言うと僕はもっとナオと二人きりで話をしていたかったの
だけど。

「じゃあ、ナオトさん。また明日ね」
 ナオが控え目な声で言った。「明日は電車の中で待ち合わせだから忘れないでくださ
いね」

「うん、大丈夫だよ」

「兄友さん、女さん。これで失礼します」

「またね〜」

「気をつけてね」

 僕はナオ兄友と女さんのせいで何か消化不良のような気分になりながらナオに別れを
告げ、兄友たちと連れ立って電車から降りた。
67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/03(月) 23:39:35.21 ID:euF2FmBAo
今日は以上です

金曜日まではなるべく更新するようにします

駄文にお付き合いいただきありがとうございました
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 01:46:11.67 ID:a7CkZA2Io
おつー
69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 07:33:31.44 ID:9TJG/oHDO
気になる
>>1
70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 08:21:21.99 ID:7VkoY4gIO
またさりげなく伏線が敷いてあるなあ
誰がビッチなのか、それが問題だ

71 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 10:38:47.50 ID:7sDaWcrIO
面白いね。
主語を省けるところは省くと、もっと読みやすく面白くなるかも。
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/04(火) 22:22:20.11 ID:j6ezIR3ko

「ナオちゃんってさ」
 女さんが校門に向って連れ立って歩いている時に言った。「どっかで見たような気が
するんだよね」

「前からいつもあの電車みたいだから登校中に見かけたんじゃない?」

 僕は言った。

「いや、そういうのじゃなくて。何だっけなあ。ここまで出かかってるんだけど」

 女さんは首をかしげて考え込んだ。こうなると僕も女さんがどこで彼女を見かけたの
か気になってきた。

「おまえの記憶力は怪しいからな」
 兄友が茶々を入れた。「ナオトもあまりマジになって受け止めない方がいいぞ」

「本当だって・・・・・・でも、ああだめだ。思い出せない」

「しかし綺麗な子だったなあ。しかも富士峰の生徒だし深窓の美少女って言うのはナオ
ちゃんみたいな子のことを言うのかな」

 兄友が感心したように言った。

「本当にそうね」

 女さんも同意した。

「本当にそうだよなあ」

 思わず僕もそれに同意してしまった。自分の彼女なのだからひょっとしたらもっと謙
遜しなきゃいけなかったかもしれないのだけど。

「おまえが言うな」
 案の定兄友に突っ込まれた。「彼女の自慢かよ」

「そうじゃないよ。でも自分でも何で彼女みないな子と付き合えることになったのか自
分でもいまいち理解できてなくて」

「そういうことか」
 兄友が笑った。「まあ、あんまり考えすぎなくてもいいんじゃね? さっきのナオちゃ
んを見ていてもおまえのことを好きなのは間違いないみたいだし」

「そうかな」

「そうだよ。ナオト君はもっと自分に自信を持った方がいい」

 女さんも言った。

 兄友と女さんの言葉は嬉しかった。やはりナオは本当に僕のことが好きになってくれ
たのだ。何でああいう子が僕なんかをという疑問は残るけど、今はナオが僕のことを本
気で好きになったということだけで十分だと思うべきったのだろう。
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/04(火) 22:23:08.28 ID:j6ezIR3ko

「よかったね、ナオト君。ナオト君ならきっとああいう感じのいい女の子に好かれるん
じゃないかと思ってた」

 女さんが言った。

「何だよ。ナオトにだけそういうこと言っちゃうわけ? 俺は?」

「・・・・・・あんたにはあたしがいるでしょ? 何か不満でも?」

「ないけどさ」

 かつて女さんに告白して振られた僕としては複雑な気持ちだった。女さんが今の言葉
を真面目に言っているのだとしたら、あの時僕が振られた理由は何なのだろう。そのこ
とがちょっとだけ気になったけどもうそれは過去の話だった。それに女さんは彼氏であ
る兄友には僕から告られたことを黙っていてくれている。女さんの気持ちを蒸し返す余
地はなかった。

 僕には今ではナオがいる。そう考えただけでも僕は心が軽くなった。明日はナオと会
ってから車両の位置を変えようか。そうすれば兄友たちと朝出くわさないで済む。

 決して兄友たちと四人で過ごすが嫌だったわけではない。でも僕たちはまだ出合って
恋人同士になったばかりだった。四人で楽しく過ごすより今は二人きりで話をしたい。

 ナオは気を遣ったのか本心からかわからないけど、兄友たちに一緒にいることを楽し
んでくれたようだった。でも彼女だって最初は二人きりがいいに違いない。僕たちはま
だお互いのことを知り始めたばかりだったのだ。




 授業が終り部活に行く兄友と別れて下校しようとした時、女さんが僕に話しかけてき
た。

「ナオト君もう帰るの?」

「ああ。帰宅部だしね。君は兄友が部活終るの待つの?」

「まさか。何であたしがそこまでしなきゃいけないのよ」

「・・・・・・何でって言われても」

「ナオト君、帰りも彼女と一緒なの?」

「帰りは別々だよ。前から親友と一緒に帰ってるんだって。あとピアノのレッスンとか
あるみたいだし」

「ああ、やっぱりそうか」

「え?」

「一緒に帰らない? あ、言っとくけど兄友はあんたとあたしが一緒に帰ったって嫉妬
なんかしないからね」」

「まあいいけど」

 それで僕たちは並んで校門を出て駅の方に向かって坂を下って行った。
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/04(火) 22:24:40.96 ID:j6ezIR3ko

「あたしさ。思い出したのよ」

 電車に乗るといきなり女さんが言った。

「思い出したって何を?」

「ほら、今朝話したじゃん。ナオちゃんってどっかで見たことあるってさ」

 それは僕にも気になっていた話題だった。思ったより早く女さんは記憶を取り戻してく
れたようだった。

「はい、これ」

 女さんから渡されたのはどっかのWEBのページをプリントした数枚のA4の紙だった。

「何これ」

「さっきIT教室のパソコンからプリントしたんだよ。ナオちゃんってさ名前、鈴木奈
緒でいいんでしょ?」

 ナオの苗字や名前の漢字まで女さんは知らないはずだったのに。

「・・・・・・そうだけど」

「じゃあ、もう間違いないや」

 彼女は僕の手からプリントを取り返してそのページを上にして僕に渡した。

「ここ見て」



『東京都ジュニアクラッシク音楽コンクールピアノ部門中学生の部 受賞者発表』

『第一位 富士峰女学院中等部2年 鈴木奈緒』

『演目:カプースチン:8つの演奏会用練習曲 作品40 第5番「冗談」』

『表彰状、トロフィー、記念品、賞金30,000円の贈呈』



 プリントに印刷されているのはそれだけだったけどナオの名前の横に小さく顔写真が
掲載されていた。荒い画像だったけどその制服と何よりもその顔はナオのものだった。

「これさ、あたし生で見てたんだよね」
 女さんが言った。「従姉妹のお姉ちゃんがこの大学生部門に出場したんで応援しに行
ったの」

「その時にさ、何か中学生の部に出てたことがやたら可愛かった記憶があってさ。それ
でナオちゃんのこと覚えてたみたい」

 思い出せてすっきりした。そう言って女さんは笑った。
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/04(火) 22:26:33.71 ID:j6ezIR3ko

 僕は駅から自宅に歩きながら再び気持ちが落ち込んでいくのを感じた。

 兄友に言われたとおりナオが僕のことを好きなことは今となっては疑いようがない。
だからなんでナオのような子が僕のことなんか好きになったのだろうとうじうじと考え
ることは止めにしようと思っていた。

 でもピアノコンクールで一位とかっていう話を聞くとまた別な不安が沸いてきたのだ。

 今現在ナオは付き合い出したばかりの僕のことが好きかもしれない。でもあれだけ容
姿に恵まれていて、それだけではなくピアノの方もコンクールで受賞するレベルとなる
と、この先もナオが僕のことを好きでいてくれる保証は何もないのだ。

 ここまでくると世界が違うというほかはない。ナオからピアノのレッスンの話とか音
大志望のことは聞いてはいたけど、ここまで本格的に取り組んでいるとは考えもしなか
った。

 単なるお嬢様学校に通う生徒の嗜みくらいならともかく入賞レベルだとすると中高は
彼氏どころじゃないのが普通じゃないのか。僕はこの世界のことはよく知らないけど、
ここまで来るには相当厳しいレッスンに耐えてきたはずだった。

 それにその世界にだっていい男なんていっぱいいるかもしれない。僕ではピアノの話
には付き合えないけど、彼女と同じくこの世界を目指している男にだってナオの容姿は
好ましく映るだろう。そういう奴らと比較された時にナオは僕を選んでくれるのだろう
か。


 どう考えても将来は不安だらけだった。




 帰宅して自分の部屋に上がる前にリビングを覗くと、僕に気がついた妹がソファから
立ち上がった。

「おかえりなさい」

 妹は相変わらずいい妹路線を続けているようだった。髪が黒いままなのは当然として
化粧もしていないし異様に長かったまつげも普通になり爪も自然な桜色のままだ。

 こいつが昔からこうだったらあるいは僕は明日香に惚れていたかもしれない。一瞬そ
んなどうしようもないことを考え出すほど、前と違ってこいつの顔は少し幼い感じでそ
の印象は可愛らしい少女のそれだった。

「ただいま」

「今日もお父さんたち帰り遅いって」

「そう」

「お風呂沸いてるよ」

 僕は少し驚いた。風呂の水を入れ替えてスイッチを入れるのはいつも僕だった。妹は
僕の沸かした風呂に入るか、シャワーだけかいつもはそんな感じだったのだ。

「先に入っていいよ。ご飯用意できてるから」

 え? こいつが夕食を用意するなんて初めてのことじゃないのか。妹は僕の好みに合
わせて服装を変えるとは言ったけど生活習慣全般を見直すとは思わなかった。

「先に入っていいのか」

「何で聞き返すのよ。変なお兄ちゃん」

 妹は笑って言った。
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/04(火) 22:28:49.56 ID:j6ezIR3ko

 僕が風呂から上がってリビングに戻ると妹は相変わらずソファに座って何かを読みふ
けっていた。

「おい・・・・・・勝手に読むなよ」

 それは風呂に入る前にうっかりカバンと一緒にリビングに放置してしまったナオのコ
ンクールのプリントだった。

「ああ、ごめんお兄ちゃん。片付けようとしたらお兄ちゃんの彼女が載ってたからつい」

 僕は一瞬苛々したけどこれは放置しておいた僕の方が悪い。それにナオと付き合って
いることは妹にはばれているのだし、今さらコンクールのことなんか知られても別に不
都合はないだろう。

「コンクールで優勝とかお兄ちゃんの彼女ってすごいんだね」
 妹が無邪気に言った。「そんな子をいきなり彼女にできちゃうなんてお兄ちゃんのこ
とをなめすぎてたか」

 妹は笑った。嫉妬とか嫌がらせとかの感情抜きで妹がナオのことを話してくれるよう
になったことはありがたい。でもナオのことをすごいんだねと無邪気に言われると、改
めて僕のナオの恋人としての位置の危うさを指摘されているようで、少し気分が落ち込
んだ。

「ほら、これ返すよ。ご飯食べる?」

 驚いた僕の様子に、帰宅して初めて妹は少し気を悪くしたようだった。

「さっきから何なの? 妹がお兄ちゃんにお風呂沸かしたり食事を用意するのがそんな
に不思議なの?」

「うん。不思議だ。だっておまえこれまでそんなこと全然しなかったじゃん。むしろ僕
の方が家事の手伝いはしてただろ」

 僕は思わず本音を言ってしまった。

「ふふ。これからは違うから」

 でも妹は怒り出しもせず微笑んだだけだった。

 テーブルについて妹が用意してくれた簡単な夕食を二人きりで食べた。何か不思議な
感覚だったけど別にそれは不快な感じではなかった。

「そういえばさ」

 機嫌は悪くなさそうだったけど妹がずっと沈黙していることに気まずくなった僕は気
になっていたことを尋ねた。

「何」

「おまえさ、僕の友だちと知り合いだったんだってな」

「え? お兄ちゃんの友だちって?」

「兄友と女さんっていうカップル。おまえの彼氏だったイケヤマとかというやつとおま
えと四人で遊んだことがあるっていってた」

「兄友さんが? お兄ちゃんの知り合いとかって言ってなかったけど」

「知らなかったみたい。この前偶然おまえの名前で気づいたみたいだな」

「ふ〜ん」

 妹は関心がなさそうだった。

「お兄ちゃんが二人から何を聞いたのか知らないけど、それ全部過去のあたしだから」

「はい?」

「あたしはもう彼氏とも別れたし遊ぶのも止めたの・・・・・・それは今さらピアノを習うわ
けには行かないけど」

「おまえ、何言ってるの」

 妹は立ち上がって僕の隣に腰掛けた。

「いい加減に気づけよ。あたしはあんたのことが、お兄ちゃんのことが好きだってアピ
ールしてるんじゃん」

 僕が避けるより早く妹は僕に抱きついてキスした。
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/04(火) 22:30:20.79 ID:j6ezIR3ko
本日は以上です

少なくとも金曜日まではこちらの更新をこのペースで続ける予定です
78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 23:39:59.40 ID:V1QcgB2qo

楽しみにしてる
79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/05(水) 18:33:18.51 ID:Q3Xan6VBo
おつおつ!
80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:38:35.83 ID:8xw3Blz8o

 次の日は週末で学校は休みだった。このまま両親不在の自宅で妹と過ごすのは気まず
いと思った僕は、まだ妹が起きる前に朝早くから外出することにした。

 別に目的はなかったのでどこかで時間を潰せればよかった。そう思って駅前まで行っ
てはみたものの十時前ではろくに店も開いていなかった。

 とりあえず電車に乗ろうと僕は思った。休日の電車なら空いているし確実に座れるだ
ろう。図書館とか店とかが開くまで車内で座って居眠りでもしていよう。よく考えれば
最近はあまり睡眠が取れていなくて寝不足気味だった。

 僕はとりあえず学校と反対方向に向う電車に乗り込んだ。どうせならいつもと違う景
色の方がいい。

 昨日の妹のキスは今までの悪ふざけとは少し違った感じだった。僕はすぐに妹を押し
放して「もう寝るから」と言い放って自分の部屋に退散したのだけれど、僕に突き放され
たときの妹の傷付いたような目が気になっていた。

 でもやはりそれは正しい行動だった。今では僕には彼女がいるのだから。

 それに、たとえナオと付き合っていなくたって妹と付き合うなんて考えられなかった。
いくら血が繋がっていないとはいえ家族なのだ。妹と恋人同士になったなんて両親や兄
友たちに言えるわけがない。

 そう考えると昨日の明日香のキスはとてもまずい。というか明日香は違うかもしれな
いけど僕にとってはそれは初めてのキスだった。

 もう考えることに疲れた僕は席について目をつぶった。すぐに眠気がおそって来てき
た。電車の心地よい振動と車内の暖房に誘われて僕は眠りについた。



「・・・・・・さん」

 心地よい声が耳をくすぐった。

「ナオトさん」

 え? 僕は目を覚ました。さっきまで誰もいなかった隣に座っている女の子がいる。

 それは私服姿のナオだった。

 その時ようやく意識が覚醒した僕は密着して話しかけているナオの顔の近さに狼狽した。

「ナオトさん休みの日にどこに行くんですか」

 ナオはそんな僕を見てくすくすと笑った。

「確かに偶然だけどそんなに驚かなくてもいいじゃないですか」

 突然現われたナオに驚いて固まっている僕にナオが親しげな口調で言った。

「・・・・・・いつからいたの?」

「一つ前の駅から乗ったらナオトさんが目の前で寝てるんですもん。びっくりしちゃっ
た」

 ナオは笑った。

「ナオちゃんはどこかに行くところ?」

 ようやく頭がはっきりした僕は相変わらず密着しているナオに聞いた。
81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:40:14.34 ID:8xw3Blz8o

「ピアノのレッスンなんです」

 ナオは言った。

「こんなに早くから?」

 僕は驚いた。僕にとっては土曜日の朝なんて十時ごろまで寝坊するのが普通だっただ
けに。

「毎週土曜日の午前中はお昼までレッスンなんです」

「大変なんだね」

 僕はそう言ったけど同時にコンクールの入賞のことを思い出して、それなら無理はない
なと思った。

「好きでやっていることですから」

 ナオはあっさりと答えた。

「それよりも偶然ですよね。ナオトさんはどこにお出かけなんですか。学校とは逆方向
ですよね」

 僕にぴったりと寄り添うように座っているナオと会話を始めると、さっきまで悩んで
いた明日香の行為のことも忘れられるようだった。

 妹と一緒に家にいたくないから目的もなく外出しているとはナオには言えない。

「いや、特に何でって訳じゃないよ。本とか探したくてぶらぶらと」

「本屋ならナオトさんの最寄り駅に大きなお店があるのに」

「たまにはあまり降りたことのない駅に降りてみたくてさ」

 苦しい言い訳だったけどどういうわけかその言葉はナオの共感を呼んだようだった。

「ああ、何となくわかります。あたしもたまにそういう気分になるときがありますよ」

「そうなの」

「ナオトさんと初めて会った時ね、あの駅で初めて降りたんですよ。駅前の景色とかも
新鮮で何かいいことが起こりそうでドキドキしてました・・・・・・そしたら本当にいいことが
起こったんですけどね」

 ナオは少しだけ顔を赤くして笑った。

「でも週末はナオトさんと会えないと思ってたから今日は得しちゃったな」

 それは僕も同じだった。妹のことで胃が痛くなって自宅から逃げ出した僕だったけど
期せずしてナオに会えたことが嬉しかった。
82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:41:36.76 ID:8xw3Blz8o

「ナオちゃんのピアノのレッスンってどこでしているの」

「ここから、えーとここから四つ目くらいの駅を降りたとこです」

 僕は車内に掲示してある路線図を眺めた。

「降りたことない駅だなあ。あのさ」

「はい」

「ナオちゃんさえ迷惑じゃなかったらピアノの教室まで一緒に行ってもいい?」

「本当ですか」
 ナオは目を輝かせた。「夢みたい。偶然電車で会えただけでも嬉しかったのに」

「そんな大袈裟な」

 その時僕はもっといい考えが思い浮んだ。もっともナオに午後予定がなければだけ
ど。一瞬だけためらったけど勇気を出してナオに言った。

「それとよかったらだけど。ナオちゃんのレッスンの終った後、一緒にどこかで食事と
かしない?」

「え?」

 調子に乗りすぎたか。びっくりしているようなナオの表情を見て僕は後悔した。ナオ
の好意的な言動に調子に乗ってまた女さんの時のようにやらかしてしまったか。

 でもそれは杞憂だったようだ。

「でも・・・・・・いいんですか? レッスンが終るまで三時間くらいかかりますよ」

「うん。本屋とかカフェとかで時間つぶしてるから大丈夫」

「じゃあ、はい。ナオトさんがいいんだったら」

「じゃあ決まりね」

 僕はその時財布の中身のことを思い出した。一瞬どきっとしたけどよく考えれば大丈
夫だった。今月はお小遣いを貰ったばかりで全然使っていないし、先月の残りも一緒に
財布に入っている。食事どころか一緒に遊園地に行ったって平気なくらいだった。

「じゃあ、あたし後で家に電話してお昼は要らないって言っておきます」

「家は大丈夫?」

「大丈夫・・・・・・と思います。大丈夫じゃなくても大丈夫にします」

「何それ」

 僕は笑った。

「本当に今日はラッキーだったなあ。一本電車がずれてたら、あと車両が一つずれてた
ら会えなかったんですものね」

 ナオは嬉しそうに言った。
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:43:27.53 ID:8xw3Blz8o

 僕とナオは並んでその駅から外に出た。ナオにとっては毎週通っている町並みだった
のだろうけど、僕はこの駅に降りたのは初めてだった。

 駅から出ると冬の重苦しい曇り空が広がっていた。そのせいで初めて来た町並みはや
や陰鬱に映ったけれど、よく眺めると静かで清潔な駅前だ。

 開店準備中の本屋と既に開店しているチェーンのカフェがあった。これでナオを待っ
ている間時間を潰すことができる。

 僕はナオに言われるとおりに駅から閑静な住宅地への続く道を歩いて行った。いつの
まにかナオが僕の手を握っていた。

 曇り空の下をナオと手を繋ぎ合って知らない街を歩く。何か奇妙なほど感傷的な想い
が僕の胸を締め付けた。

 初めて訪れた街だけどナオと二人なせいかどこか静かな住宅地が身近な場所のように
感じられる。

 前にナオは僕に運命を信じるかと聞いたことがあった。正直運命なんて信じたことは
なかった。それでも今この住宅地をナオと二人で歩いていると、その様子には既視感を
覚えた。しかもその感覚はだんだんと強くなっていく。

「ナオトさん?」

 ナオが奇妙な表情で僕に言った。

「うん」

「笑わないでもらえますか」

「もちろん」

「あたしね。この道は幼い頃から何百回って往復した道なんです」

「うん」

「幼い頃からずっとここの先生に教えてもらってたから」

「そうなんだ」

「でも今日は初めてちょっと変な感じがして」

「変って?」

「あたし、前にもナオトさんと一緒にこの道を歩いたことがあるんじゃないかなあ」

 それは僕の既視感と同じようなことなのだろうか。僕自身のその感覚は強くなりすぎ
ていて今では夕焼けに照らされたこの道をナオと並んで歩いてるイメージが鮮明に浮か
んでいた。

「あたし、ナオトさんと手を繋いでここを歩いたことあると思う」

 ナオが戸惑ったように、でも真面目な表情で言った。
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:46:19.87 ID:8xw3Blz8o

「ナオトさん運命って信じますか」

 そうナオに聞かれたのは二度目だった。最初のときは曖昧な笑いで誤魔化したのだけど。

 僕は超常現象とかそういうことは一切受け付けない体質だ。世の中に生じることには全
て何らかの合理的な説明がつくはずだと信じている。

 でも前にもここで同じことがあったのだというこの感覚的な印象は、いったいうまく説
明がつくのものなのだろうか。

「よくわかんないや」

 僕は再びあやふやに答えた。

「そうですか。あたしひょっとしたらあたしとナオトさんって前世でも恋人同士か夫婦
同士だったんじゃないかって思いました」
 ナオは真面目な顔で言った。「ナオトさんと一緒にここを歩いていた記憶って前世の
ものなんじゃないかなあ」

「どうだろうね」

 僕にはよくわからなかった。でもナオが感じたその記憶はその時僕も確かに感じたて
いたのだ。

「運命とか前世とかはよくわからないけど・・・・・・昔、ナオちゃんと一緒にこの道を歩い
たことがあるんじゃないかとは僕も思ったよ。その時は夏の夕暮れだった感じだけど」

「あたしも夏の夕方のイメージでした」

 ナオが言った。

「一緒だね。まあ前世とかはわからないけど、僕とナオちゃんって結ばれる運命なの
かな」

 僕は真顔で相当恥かしいことを言った。

「それです、あたしが言いたかったのも。きっと運命的な出会いをしたんですね。あた
したち」

 ナオが考え込んでいた表情を一変させて嬉しそうに言った。

 こんな話を聞いたら兄友や女さん、それに妹だって腹の底から笑うだろうな。僕はそ
の時そう思った。まるでバカップルそのものの会話じゃないか。

 でも僕にはそのことはまるで気にならなかった。僕はナオの手を握っている自分の手
に少しだけ力を込めた。

 ナオの手もすぐにそれに応えてくれた。
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/05(水) 22:47:35.02 ID:8xw3Blz8o

 閑静な住宅地の中にそのピアノ教室はあった。外見は普通のお洒落な家のようだった。

「本当にいいんですか? 待っていただいて」

 ナオが言った。

「うん。駅前に戻って時間を潰して十二時半くらいにここへ戻って待ってるから」

「じゃあお言葉に甘えちゃいますね。あたし男の人に迎えに来てもらうのって初めて
です」

 僕は笑った。

「僕だって女の子を迎えに来るなんて初めてだよ。待っている間に食事できるお店を探
しとくね」

「あ、はい。何だか楽しみです。今日は練習にならないかも」

 ナオが赤くなって微笑んだ。

「それはまずいでしょ。都大会の中学生の部で優勝したナオちゃんとしては」

「・・・・・・何で知ってるんですか?」

 ナオは驚いたように言った。

「まあちょっとね」

「何か・・・・・・ずるい」

 ナオが言った。

「ずるいって・・・・・・」

「あたしはナオトさんのこと何も知らないのに。何であたしのことだけナオトさんが知
ってるの?」

 僕は思わず笑ってしまった。知っているのはこれだけでしかもそれは女さんの情報だ
った。あとでそれをナオに説明しよう。

「話は後でいいでしょ。ほら早く入らないと遅刻しちゃうよ」

「・・・・・・ナオトさんの意地悪」

 ナオはそう言って恨めしそうな顔をしたけど結局笑い出してしまったので、彼女の恨
みは全然切実には伝わらなかった。

「後で全部話してもらいますからね」

 ナオは笑ってその家のドアを開けて中に姿を消した。

 ドアを閉める前にナオは僕の方に向ってひらひらと手を振った。
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/05(水) 22:48:06.37 ID:8xw3Blz8o
今日は以上です

また明日投下予定です

お付き合いいただきありがとうございました
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/09/05(水) 22:50:46.40 ID:nNnXIeSdo

88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/06(木) 01:10:25.94 ID:URsi2i6lo
投下おつ
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/06(木) 01:25:45.18 ID:sr6p21CDO
なんだか不思議な雰囲気だな

楽しみにしてるよ
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/06(木) 18:47:11.18 ID:rioV/t3Vo
おつ
引き込まれる感じがいい
91 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:04:33.15 ID:04B86Ztno

 ナオが入っていった家のドアを僕はしばらく放心しながら眺めていた。

 ナオが言っていたような前世とかを信じていたわけではなかったけど、運命の恋人と
か言われることは気分が良かったので僕は特にそのことに反論しなかった。

 確かなことは一つだけ。僕が好きなのは、僕にとって一番大切な子はわずか数日前に
付き合い出したナオだけだ。

 そろそろ妹のアプローチに鈍感な振りをしているのも限界かもしれなかった。

 もし本当に妹が僕のことを好きなのだとしたら。

 結局妹を傷つけるなら少しでも早いうちに自分の本心を妹に告げたほうがまだしもあ
いつの傷は浅いかもしれない。

 そんなことを考えながら僕は時間を潰すために駅前の方に向った。無事に駅前に着い
たとき再び僕は違和感を感じた。

 僕は昔から方向音痴だった。方位的な感覚がなく地図を見るのも苦手なので初めて来
た土地でこんなにスムースに駅前に戻れるなんてあり得ない。

 まして行きはナオの指示のままに何も考えずに着いて行ったのだし。

 やはりここには来たことがあるのだ。そして体がそれを覚えていたのだろう。ナオの
言うような前世とかではなくこの世に生まれてから僕はこの駅とピアノ教室の間を歩い
たことがあるのではないだろうか。

 でもそれがいつのことでいったい何のためにピアノ教室になんか行ったことがあるの
かまるでわからない。僕はピアノなんて習ったことはないのだ。

 駅前に戻ったときにはもう本屋が開店していた。本屋で適当に時間つぶしのための雑
誌を買った僕はカフェに行こうとしてふと気づいた。そういえば一緒に食事をする約束
ができたのはいいけどいったいどこに行けばいいのだろう。

 ナオには偉そうにお店を探しておくよと言ったけど本当は当てなんか何もない。女の
子がどんな店を好むのかさえよくわからなかった。
92 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:07:21.26 ID:04B86Ztno

 そう言えば兄友と女さんに誘われて放課後三人でファミレスに入ったことがあったな。

 僕は思い出した。ドリンクバーだけで二時間くらい粘ったっけ。ああいう店なら無難
なのかもしれない。僕はカフェに行くのを止めて駅前を探索することにした。お店の当
てすらないけど幸い時間だけは十分にあった。

 確か駅の自由通路を抜けた反対側が少し繁華街のようになっていたはずだった。

 僕はそちらの方に向けて駅の中を抜けて繁華街の方に行ってみた。幸いなことに西口
の方はお店だらけだった。駅前広場に沿ってファミレスが数軒。その他にもちょっとお
洒落そうなパスタ屋とかカフェとかも結構ある。そのほとんどが営業中だった。

 これなら大丈夫だ。この中のどこかのファミレスに入ればいいのだ。ようやく重荷を
下ろした僕はほっとして東口のカフェに入った。

 カフェで窓際の席に落ち着いた僕はさっき買った雑誌をめくる気がおきないまま、ぼ
んやりとレストランを探していたときのことを思い出していた。

 ピアノ教室までの道もそうだけど、初めて降りたこの駅の西口が繁華街だなんて僕は
どうしてあの時何の疑問も持たずに思いついたのだろう。早く店を決めたくて焦ってい
た僕はあの時は何も考えずに心の声に従って行動した。

 その結果、思ったとおり西口は繁華街で僕は探していた店を見つけることができた。

 覚えていないだけでやはりこの街に来たことがあるのか。それが一番妥当な回答だった。

 まあいいや。今はそんなことを考えるよりもっと考えなきゃいけないことがある。雑
誌なんて買う必要はなかったのだ。今日は期せずしてナオとデートできることになった
のだから、食事の後どうするのかも決めておかなければならない。よく考えれば時間を
つぶすとか言っている場合じゃなかった。

 とりあえずファミレスで食事をする。ドリンクバーも頼んで少し長居したいものだ。
それでナオとずっとお喋りするのだ。いつもなら僕の学校の最寄り駅まで三十分くらしか
一緒にいられない。感覚的にはあっという間に別れの時が来ているような感じだった。

 だから今日はナオさえよければずっと一緒に話をしていよう。

 その後は。

 ナオは何時までに家に帰らなければならないのだろうか。とりあえず遊園地とか動物
園とか水族館とかそういうのは時間的に無理だから、ファミレスを出た後はもう帰るし
かないかもしれない。

 でもナオさえよければ彼女を家の途中まで送っていくことはできるだろう。さすがに
家まで送るのは僕には敷居が高かったけど、駅までとかなら。

 そんなことを考えているうちにすぐに時間が経ってしまい、そろそろナオをピアノ教
室まで迎えに行く時間になっていた。
93 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:10:33.29 ID:04B86Ztno

 思ったとおりナオが案内してくれなくても心の中の指示に従って歩くだけで、住宅街
の複雑な道筋に迷うこともなくさっき彼女と別れたピアノ教室の前まで来ることができた。

 その建物のドアの真ん前で待つほど度胸がない僕は、少し離れたところで教室のドア
を見守った。もう少しで十二時半になる。

 やがて教室のドアが開いて中から女の子たちが連れ立って外に出てきた。華やかとい
うとちょっと違う。でも決して地味ではない。その子たちは何か育ちのいいお嬢様とい
う感じの女の子たちだった。彼女たちは笑いさざめきながら教室を出て駅の方に向かっ
て行った。

 そういう女の子たちに混ざって女の子ほどじゃないけど男もそれなりに混じっている
ようだった。こちらはやはり少し真面目そうで、でも女の子に比べると地味な連中ばか
りだった。少なくとも兄友みたいなタイプは一人もいない。

 でもよく考えれば僕だって外見はこの男たちの仲間なのだ。しかもこいつらは外見は
ともかく音楽の才能には恵まれているんだろうけど、僕はそうじゃない。それなりに成
績が良かったせいでこれまであまり人に劣等感を抱いたことがなかった僕だけど、それ
を考えると少し落ち込んでいくのを感じた。

 ナオにふさわしいのはこの教室に通っているような男なんじゃないのか。ついにはそ
んな卑屈な考えまで僕の心に浮かんできた。

 それに僕の妹の明日香はビッチな格好を卒業したみたいだけど、中身はいったいどう
なんだろう。少なくともこの教室に通っている女の子たちとは全く共通点がない。どう
いうわけか僕はこの時明日香のことが気の毒になった。あいつだって色々悩んだ結果、
大人しい外見に戻ることを選んだのだろうに、やっぱり僕の目の前を楽しそうに通り過
ぎて行く「本物」の女の子たちには追いつけないのだろうか。

 やがてナオが姿を現した。ナオはドアから外に出て周りを見回している。

 僕を探してくれているのだ。少し離れたところで半ば身を隠すようにしているせいで
ナオはすぐには僕が見つからなかったようだ。僕がナオの方に寄って行こうとした時、
誰かがナオに話しかけるのが見えた。
94 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:14:02.48 ID:04B86Ztno

 それは黒ぶちの眼鏡をかけた高校生くらいの男だった。彼は馴れ馴れしくナオの肩に
片手をかけてナオを呼び止めた。

 ナオもその男に気づいたのか振り向いて笑顔を見せた。その男がナオに何か差し出し
ている。どうもピアノのスコアのようだ。

 そのスコアを受け取りながらナオは彼に何か話しかけた。彼にお礼を言っているみたい
だった。ナオの方に行こうとした僕はとっさに足をとめ、隣の家の車の陰に半ば身を隠
すようにした。

 何でこんな卑屈なことをしているのだろう。僕は自分のしたつまらない行動を後悔し
た。ナオはさっき僕のことを運命の人とまで言ってくれたんじゃないか。

 ナオは笑顔でスコアを渡した彼に話しかけていたけど、目の方は相変わらずきょろき
ょろと周囲を見回しているようだった。僕を探してくれているのか。

 その時ナオと目が会った。

 ナオはその彼に一言何かを告げると嬉しそうに真っ直ぐに僕の方に向かって来た。そ
の場に取り残された男は未練がましく何かをナオに話しかけたけどナオはもう彼の方を
振り向かなかった。

「お待たせしちゃってごめんなさい」
 ナオはそう言っていきなり僕の手を取った。「ナオトさん、待っている間退屈だった
でしょ」

 僕が心底から自分の卑屈な心の動きを後悔したのはその時だった。こんなに素直に僕
を慕ってくれているナオに対して、一瞬とはいえ僕は卑屈で醜い劣等感を抱いていたの
だから。

「いや、お店とか探してたら時間なんかあっという間に過ぎちゃった」

「そう? それなら良かったけど」

 僕たちの話を聞き取れる範囲にはその男のほかにも同じピアノ教室に通っているらし
い女の子たちがまだいっぱいいたけれど、ナオはもうその子たちの方を見ようとはしな
かった。上目遣いに僕の顔を見ているだけで。

 さっきまでの卑屈な考えを後悔した僕だったけど、新たな試練も僕を待ち受けてい
た。周囲の女の子たちの視線が突き刺さるのを僕は感じた。ここまで回りを気にせずに
僕に駆け寄っていきなり男の手を握るナオを姿はこの子の注目を集めてしまったようだ
った。

 案の定そのうちの一人がナオに話しかけてきた。

「ナオちゃんバイバイ」
 ナオも僕から目を離して笑顔でそれに答えた。「ユキちゃん、さよなら」

「・・・・・・ナオちゃん、その人って彼氏?」

 ユキという子は別れの挨拶だけでこの会話を終らせるつもりはないようだった。彼女
の周りの女の子たち、それにさっきから僕の手を握るナオをじっと見つめていた、ナオに
話しかけた男も聞き耳を立てているようだ。

 ナオはちらっと僕の顔を見た。それから彼女は少し紅潮した表情でユキという子に答
えた。

「そうだよ」

 周囲の女の子たちがそれを聞いて小さくざわめいたけど、もうナオはそちらを見なか
った。

「じゃあねユキちゃん。行きましょ、ナオトさん」

 僕はナオに手を引かれるようにして駅前の方に向った。
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:15:39.09 ID:04B86Ztno

「ごめんね」

 ナオが言った。

「ごめんって何で」

「みんな噂好きだからすぐにああいうこと聞いてくるんですよ」

「別に気にならないよ。君の方こそ僕なんかが待っていて迷惑だったんじゃないの」

 僕は思わずそう言ってしまってすぐにそのことに後悔した。ナオが珍しく僕の方を睨
んだからだ。

「何でそんなこと言うんですか? あたしは嬉しかったのに。ナオトさんが待っていて
くれるって思うとレッスンに集中できないくらいに嬉しくて、集中しなさいって先生に
怒られたけどそれでも嬉しかったのに」

「ごめん」

 僕は繰り返した。またやらかしてしまったようだ。でもナオはすぐに機嫌を直した。

「ううん。あたしこそ恥かしいこと言っちゃった」

 ナオは照れたように笑った。

 この頃になると周りにはピアノ教室の生徒たちの姿はなくなっていた。

「一緒に食事して行ける?」

 僕はナオに聞いた。

「はい。さっきママに電話しましたし今日は大丈夫です」

「じゃあファミレスでもいいかな」

 ファミレスでもいいかなも何もファミレス以外には思いつかなかったのだけど、とり
あえず僕はナオに聞いた。

「はい」

 ナオは嬉しそうに返事した。
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/06(木) 22:20:13.41 ID:04B86Ztno

 相変わらず空模様はどんよりとした曇り空だったけど、その頃になると駅の西口もか
なりに人出で賑わいを増していた。そう言えばもうすぐクリスマスだ。

 目当てのファミレスで席に着くまで十五分くらい待たされたけど、その頃になると再
び僕は気軽な気分になっていたせいで、ナオと話をしているだけで席に案内されるまで
の時間が長いとは少しも思わずにすんだ。

「ご馳走するから好きなもの頼んでよ」

 僕は余計な念を押した。兄友とかならこんな余計なことは言わないのだろう。一瞬僕
は余計なことを言ったかなと後悔したけど、でもナオは素直にお礼を言っただけだった。

 とりあえず料理が来るまで僕は自分が待っている間にこの駅前を探索したこと、不思
議なことに初めて来たはずのこの街で少しも迷わなかったことを話した。

「う〜ん。あたしと一緒に教室までの道を歩いた記憶があるというだけなら、前世の記
憶だって主張したいところですけど」
 ナオが少し残念そうに言った。「ナオトさん一人でもこの辺の地理に明るかったとし
たら、ナオトさんは昔この街に来たことがあるんでしょうね。忘れているだけで」

「何で残念そうなの」

 僕は思わず笑ってしまった。

「だって、前世でも恋人同士だったあたしたちの記憶が残っていると思った方がロマン
ティックじゃないですか」

「まあそれはそうだ」

「まあ、でも。よく思い出したら昔何かの用でここに来たことがあるんじゃないですか」

 ナオは言った。

「さあ。記憶力はよくない方だからなあ。全然思い出せない。逆に言うとここに来たの
が初めてだと言い切るほどの自信もない」

「それじゃわからないですね」

 ナオは笑った。その時注文した料理が運ばれてきた。

 食事をしながらナオと他愛ない話を続けていたのだけど、だんだん僕はあの男が気に
なって仕方なくなってきた。変な劣等感とか嫉妬とかはもうやめようと思ったのだけ
ど、これだけはどうしても聞いておきたかった。

「あの・・・・・・気を悪くしないでくれるかな」

 ナオがパスタの皿から顔を上げた。

「何ですか」

「さっきの―――さっき君の肩に手を置いた男がいたでしょ? 随分馴れ馴れしいとい
うか、結構親しそうだったんだけど彼はナオちゃんの友だちなの?」

 ナオはまた不機嫌になるかなと僕は覚悟した。でも彼女はにっこりと笑った。

「嫉妬してくれてるんですか?」

 その言葉とナオの笑顔を見ただけで既に半ば僕は安心することができたのだ。
97 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/06(木) 22:22:59.11 ID:04B86Ztno
今日は以上です。

多分明日の投下分で第一章は終了です。

女神や妹手握から来てくれている方はご承知のとおり、例によって第二章からは視点が変わります。

ここまで駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
98 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/06(木) 23:07:06.82 ID:URsi2i6lo
99 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/07(金) 14:46:51.09 ID:OBtgWl6so
いつものやつか
100 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/07(金) 23:25:43.63 ID:FR2r4LMjo

 その日僕たちはそのファミレスで二時間以上も粘っていた。さっきナオの肩に手をか
けて呼び止めた男がただのピアノ教室での知り合いで、ナオにはその男に対する特別な感
情は何もないと知って胸を撫で下ろした僕はいつもよりリッラックスしてナオと会話することが
できた。

「何でナオトさんがコンクールのこと知ってるんですか?」

 いろいろとお互いのことを質問しあう時間が一段落したときにナオが思い出したよう
に尋ねた。

 僕は種明かしをした。女さんの情報だということを知ったナオは自分が載っているW
EBページのプリントを見せられて驚いていた。

「写真まで載ってたんですね。見たことがなかったから知らなかったです」

 そう言ってナオは自分の記事をしげしげと眺めていた。

 偶然に出会って始まった土曜日の午後のデートだったけど、この出会いで僕はナオの
ことが大分わかってきたし、ナオにも自分のことを教えることができた。

 ナオも僕も離婚家庭で育った。幸いなことにナオは再婚した両親のもとで幸せに普通
の暮らしをしているみたいだし、妹のことを除けば僕だってそうだった。

 でもここまで境遇が似ていると、ナオが言う運命の人っていうのもあながちばかにで
きないのかもしれなかった。

 話はいつまでたっても尽きないしここでもっとナオとこうしていたいという気持ちも
あったけど、そろそろ帰宅する時間が近づいてきていた。曇った冬の夕暮れは暗くなる
のが早い。窓の外はもう完全に暗くなっている。

「そろそろ帰ろうか。結構暗くなって来ちゃったし」

 僕の言葉にナオは顔を伏せた。

「そうですね。もっと時間が遅く過ぎればいいのに」

「また月曜日に会えるじゃん。あと、よかったら今日家の近くまで送っていくよ」

 ナオが顔を上げた。少しだけ表情が明るくなったようだった。

「本当ですか?」

「うん。君さえよかったら」

「はい・・・・・・うれしいです」

「じゃあ、そろそろ出ようか」

 僕は伝票を取って立ち上がった。
101 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/07(金) 23:28:15.04 ID:FR2r4LMjo

 僕たちは寄り添って帰路に着いた。さっきファミレスではあれほど話が盛り上がっ
て、僕のくだらない冗談に涙を流すほど笑ってくれたナオだったけど、駅に向う途中
でも、そして電車が動き出した後も彼女はもう自らは何も話そうとしなかった。

 ナオはただひたすら僕の腕に抱きついて身を寄せているだけだったのだ。週末の車内
は空いていたので僕たちは寄り添ったまま座席に着くことができた。ナオは黙って僕の
腕に抱きついているだけだったけど、その沈黙は決して居心地の悪いものではなかった。

「・・・・・・この駅です」

 途中の駅に着いた時ナオが言った。

「じゃあ、途中まで送って行くね」

 ナオはこくりと頷いた。

 さっきのピアノ教室があった駅と同じで、駅前は完全に住宅地の入り口だった。何系
統もあるバスがひっきりなしに忙しく駅前広場を出入りしている。

「こっちです。歩くと十分くらいですけど」

「うん」

「もっと家が遠かったら一緒にいられる時間も増えるのに」

 ナオがぽつんと言った。

 僕の腕に抱きついて顔を伏せているこの子のことがいとおしくて仕方がなかった。僕
にできることなら何でもしてあげたい。僕はナオに笑顔でいて欲しかったのだ。

 閑静な住宅街であることはさっきのピアノ教室と同じで、ナオの家がある街は綺麗な
街並みだった。道の両側に立ち並ぶ瀟洒な家々からは暖かそうな灯りが洩れて通りに反
射している。

「あの角を曲がったところです」

 ナオが言った。

「じゃあ、僕はこの辺で帰るよ」

 ナオは僕の腕から手を離した。そして再び黙ってしまった。

 僕はナオの両肩に手をかけた。彼女は目を閉じて顔を上げた。僕はナオにキスした。

 ナオと別れた帰り道、どういうわけか方向音痴の僕は再び迷わずに暗い街並みを抜け
て駅前まで帰り着くことができた。
102 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/07(金) 23:29:40.93 ID:FR2r4LMjo

 それから僕とナオは急速に接近しお互いを理解し、そしてお互いのことを何よりも大
切に思えるような関係になって行った。

 お嬢様学校に通っているとかピアノコンクールの地方大会で優勝するほどの腕前と
か、何よりもその綺麗で可愛らしい容姿とか、僕がナオに対してひけ目を感じなけれ
ばいけない要素は山ほどあった。ある意味では女さんに片想いしていた時以上に。

 でもナオとより親しくなるにつれそういう劣等感をあまり感じなくなっていた。ナオ
の僕に対する直接的な愛情表現はもう疑うべくもなかったから。

 こうして僕にもようやく可愛い彼女ができたのだった。

 僕は幸せだった。

 妹の明日香の僕に対する態度は相変わらず無駄に積極的だったので、そのことはかな
り気にはなっていた。

 明日香の積極的な誘惑をナオに見られたら彼女はいったいどう思うのだろう。そうい
う心配はあったけど、それでもしょせんは明日香は妹だった。たとえ義理の妹であるに
しても。

 こうして充実した日々を過ごしているうちにクリスマスイブが目前まで近づいてきた。
103 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/07(金) 23:39:34.32 ID:FR2r4LMjo

第二章 明日香


 奈緒さんという子はいったいどういう意図で兄貴に好意を示しているのだろう。

 あたしは兄貴があの子と二人で一つの傘に入って寄り添って歩いているのを目撃して
から、ずっとそのことだけを考えてきた。

 鈴木奈緒。富士峰女学院中等部二年でピアノコンクールの少なくとも地方のコンペでは
常連の入賞者。いわゆるお嬢様だ。

 彼女が歩いていると、もういい年のおじさんも含めた周りの男たちが奈緒の方をちら
ちら盗み見る。

 それほど整った容姿の奈緒。

 奈緒自身は周りの男の視線に気づいているのか気がついていないのかよくわからない。

 少なくとも自分の顔や体を舐めるように見つめる男の視線のことは全く気にしていな
い様子ではあった。



 あたしは奈緒がうちの兄貴、奈緒人の実の妹であることを以前から知っていた。



 多分兄貴はパパがうちのママと再婚する前のもともとの家庭のことは何も覚えていな
い。無駄に頭が良くて両親や教師に受けがいい兄貴にも、記憶力だけはあまり備わって
いないのだ。

 あたしはこれまで兄貴にはいい感情を抱いたことはなかった。

 あたしはママの愛情を独り占めして育った。でもいつの間にかあたしには兄貴ができ
ていた。そして一緒に暮らしているうちにその兄貴はママの愛情をあたしから奪って行
ったのだ。

 去年、真面目な顔をした両親はあたしたち兄妹に初めて事実を告げた。

 曰く。

 パパとママはお互いにバツイチで互いの子どもを連れたまま再婚した。だから兄貴と
あたしには血の繋がりはない。

 それを聞かされた兄貴は一時期相当悩んでいたようだ。間抜な兄貴はこの家庭が本物
の家庭で、あたしとも実の兄妹だと思い込んでいたのだろう。

 あたしには別に意外な話ではなかった。いつのまにかできていた兄貴。いつのまにか
前にいた人と変わっていた新しいパパ。あたしには昔からよくわかっていた。こんなこ
とで今さら驚く兄貴の方が愚かなのだ。

 あたしはそう考えた。あたしの兄貴に対する嫌悪感は両親の告白前と別に変化したわ
けではなかった。兄貴に対する嫌がらせは前と同じでチャンスがあれば積極的に仕掛け
てやった。

 ただその成果は出なかった。いくらあたしが兄貴に対するパパとママの信頼を失わせ
ようとして頑張っても、両親は兄貴を慈しむように眺めて苦笑するだけだった。どうせ
明日香のいたずらでしょ。

 あたしには両親の間の会話が聞き取れるようだった。

 でも今では事情が異なる。

 兄貴のことが嫌いだとかはどうでもいい。これ以上あの人たちにはあたしの家庭にち
ょっかいはかけさせない。ましてその原因を作った女の娘である奈緒なんかには。

 奈緒が兄貴のことを実の兄だと知っていて何らかの悪意を持って兄貴に接近したの
か、それとも悲劇的な偶然で実の兄貴と仲良くなったのかはいまいち判然としなかっ
た。

 でもそのどちらの場合であっても真実が明らかになれば傷付くのは兄貴だった。

 あたし以外の女には兄貴を傷つける権利なんかない。

 あたしは奈緒と兄貴の付き合いを邪魔することに決めた。それにしても必用な情報を
仕入れておかないといけないだろう。

 とりあえず玲子叔母さんに会いに行こう。

 あたしはそう考えた。
104 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/07(金) 23:41:05.98 ID:FR2r4LMjo
今日は以上です。

明日は投下予定ですが、明後日からは別スレを再開しますのでいろいろと未定です。
でもできるだけこっちの進めたいとは思います
105 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/07(金) 23:46:06.97 ID:gSu4gF+Wo
やはりか
106 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(静岡県) :2012/09/07(金) 23:58:41.61 ID:7vt03QWuo
なるほどなるほど

とはいえ前作のフィナーレも頑張ってね
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/08(土) 00:25:52.24 ID:o8iQiZnIO
なんて残酷な
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/08(土) 14:44:50.61 ID:tGnwfJOuo
こーだったか
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/08(土) 23:30:48.25 ID:R6AaFDA/o

 叔母さんのマンションまでは電車を乗り継いで一時間くらいかかる。あたしはその
間、奈緒を初めて見かけた時のことを考えていた。

 あれは今年の夏の頃だったか。その頃のあたしはもう校外で遊び歩いている新しい友
だちとかにも馴染んでいた。そしてイケヤマに真面目な顔で告白されあいつと付き合い
出していた。

 兄貴やママへの反抗心もあって服装やメイクを派手にして同じような格好の友だちと
付き合い始めていて、イケヤマの知り合いの行動については多少のことには動じなくな
っていたあたしだったけど、あの時は一瞬本当にヤバイと思った。



 あれはイケヤマに連れられて彼の高校の男友だち数人と夜の街を当てもなく徘徊して
いたときだった。公園でお酒を廻し飲みしていたせいでみんな大分酔っていた。

「ここどこだよ」

 酔いの回ったイイダが大声で叫んだ。どうもどこかの住宅街に迷い込んだみたいだった。

「駅前に戻ろうぜ。な、明日香」
 イケヤマがあたしの肩を得意そうに抱きながら言った。「ここ何にもねえじゃん。家
ばっかだし」

 その時正面の瀟洒な家の扉が開き、中から中学生や高校生たちが外に出てきた。ほと
んどが制服姿の女の子たちだけどちらほらと男も混じっている。

「こっち行こうぜ」
 イケヤマが大声で言った。こっちを下っていくと駅なんだよ。間違いねえよ」

 その言葉につられてみんなが動き出した時だった。

 目の前の瀟洒な家から出てきた三人の男女があたしたちの脇を通り過ぎた。それは眼
鏡をかけた男子高校生と大人しそうな可愛らしい中学生の女の子二人の三人連れだっ
た。

 彼らがあたしたちを通り過ぎようとした時、その眼鏡が連れの女の子たちに言った言
葉が聞こえた。

「目を合わせるんじゃないよ。そうすればこいつら怖くないし何もしないから」

 可愛い女の子を連れて気が大きくなっていたのだろうか。こいつらに聞こえなければ
いい。あたしはトラブルが嫌だったから反射的にそう思った。

 でもその眼鏡の言葉をイケヤマの酔った友人たちは聞き逃さなかった。

「おいてめえ今なんて言った」
 イイダがいきなり眼鏡の肩を掴んだ。「こいつらとは何だよ。もう一回言ってみろ」
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/08(土) 23:31:20.48 ID:R6AaFDA/o

 これはまずい。あたしは普通の中学生活を逸脱した行動をするこいつらと一緒に遊び
まわることには抵抗はなかったけど、仲間うち以外の人たちといざこざを起こすのは嫌だ
った。

 悪いことにさっきの家から出てきた生徒たちは別な方向に向って行ったようで、人気
の無い路面には酔ったイケヤマの友だちと真面目そうな三人組しか残っていない。

 突然イイダはいきなり眼鏡の顔を殴った。酔ってなければ因縁をつけるくらいで済ん
だかもしれないけど、悪いことにこいつらには相当お酒が入っていたのだ。

 眼鏡はイイダに殴られよろよろと路面に倒れた挙句、何とか立ち上がったかと思うと
女の子たちを残して一目散にどこかに駆けて逃げてしまった。

 後には怯えたように身を寄せ合っている中学生の女の子二人が残された。

「もういいでしょ」
 あたしは震え声で言った。「もう帰ろうよ」

「・・・・・・明日香がいたか」
 イイダが言った。「イケヤマさ、明日香にはもう帰ってもらった方がいいんじゃね」

「・・・・・・そうだな。明日香一緒に帰るか」

 イケヤマがあたしに言った。

「え」
 イイダが意外そうに言った。「イケヤマも一緒に帰っちゃうのかよ。本当にそれでい
いのか」

「こいつらは放っておいて帰ろうぜ」

 イケヤマはイイダの言葉に耳を貸さずにあたしにそっと言った。

 その時小さな悲鳴が聞こえた。

 一人が身を寄せ合って黙りこくって震えている女の子のうちの可愛い方の子を抱き寄
せたのだ。

「黙れ」
 そいつは華奢なその子を抱き寄せながら言った。「おまえ死にてえの?」

「名前を言えよ」
 イイダがイケヤマから目を離してその子に命令した。もう酔いは覚めたようだった。

 無理矢理抱き寄せられながら俯いていたその子は脅かされて仕方なさそうにぼそぼそ
と何か言った。

「聞こえねえよ。もっとでかい声で言え」

「・・・・・・スズキナオ」

「ナオちゃんか。こいつ富士峰の生徒じゃん。イケヤマおまえ本当にいいの? おまえ
の好きなセーラー服の女の子だぜ」

 あたしはイケヤマに肩を抱かれながら、知らない男に抱き寄せられて俯いて震えてい
るセーラー服姿の華奢なその子を見つめた。


 スズキナオ。富士峰の制服。あたしの大嫌いな兄貴の実の妹。
 鈴木奈緒。あたしの大嫌いな女。


 あたしは自分の肩を抱いていたイケヤマの手を振り払った。
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/08(土) 23:33:12.77 ID:R6AaFDA/o

 その時のあたしの心も動きは後になって考えてようやく理解できたことであって、そ
の時のあたしは本能に従うまま行動したのだ。

 いきなりあたしに手を振り払われたイケヤマは戸惑ったように言った。

「どうした明日香」

 イケヤマが戸惑ったように聞いた。

「あんたたちに言っておくけど。さっきあんたたちに嫌なことを言ったのは眼鏡の男でし
ょ。この子たちは一緒にいただけで関係ないじゃん」

 あたしは女の子を虐めているこいつらに言った。

 イイダは、自分たちの嗜虐的な言葉で虐めらて泣き出しそうな中学生の女の子から目
を逸らしてあたしを見た。

「こいつらはあの男と一緒にいたんだから同罪だろうが。あいつの分まで落とし前付け
させて何が悪いんだよ」

 イイダはそう言い放つとその女の子、つまりあたしの兄貴の妹の奈緒のスカートを捲
り上げた。夜目にもはっきりと彼女の白く細い脚がむき出しにされるのが見えた。奈緒
が小さな悲鳴を上げた。

 イケヤマは迷っているようだった。でもあたしにはわかっていた。こいつはあたしに
惚れている。それだけでもあたしの言うことを聞いてくれるかもしれないけど、さらに
言えばイケヤマは見掛けよりも常識的な性格だったのだ。

「あんたがこいつらを止めないんだったらあたしはあんたと別れて二度と口聞かないか
らね」
 あたしは言った。「あんたは平気なのかよ? あの眼鏡のせいで関係ない女の子がレ
イプされても」

「わかった」

 一言だけイケヤマはあたしに言った。

 それを聞いたイイダは奈緒のスカートから手を離してイケヤマをにらんだ。



「もうよそうぜ。駅前に行って飲みなおそう

 イケヤマが穏やかにイイダに言った。イイダさえ納得してしまえば後の二人は言うこ
とを聞くだろう。

 しばらく二人はにらみ合っていたけど、結局イイダが先に目を逸らした。

「つまんねえやつになったよな、イケヤマも。こいつのせいか」

 イイダはあたしを睨んだ。奈緒を抱きすくめていたやつも彼女を放した。

「早く逃げな」

 あたしは怯えている二人の女の子に声をかけた。
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/08(土) 23:35:46.45 ID:R6AaFDA/o

 結局白けたようにイイダと二人の男はあたしとイケヤマを置いて駅の方に帰って行った。

 それが奈緒との始めての出会いだったけど、多分奈緒はあたしのことなんて覚えてい
ないだろう。



 自分でもよくわかっていて心がけていたことだったけど、あたしはこいつらと行動を
共にしながらも常にどこかで彼らとは一線を画すようにしていた。

 心底このグループに染まってしまえばあたしの家庭での位置はその瞬間に崩壊する。
あたしにはそのことがよくわかっていた。あたしのことを一切叱ったことのないパパは
別として、ママや兄貴がこんなあたしを何とか見過ごしてくれているのはあたしがとこ
とんまで馬鹿をしていないせいだった。そういうことは隠していても以外によくわかっ
てしまうものだ。

 あたしは教師たちから目を付けられているようなグループの子たちと一緒に遊び歩い
てはいたけど、本当にヤバイ場面は避けるようにしていた。普通ならこういう半端な行
動はこいつらには一番嫌われる行為だ。

 あたしがこんな中途半端なことをしても叩かれなかったのはあたしのバックにイケヤ
マがいたせいだった。

 そんなことを見越してイケヤマと付き合い出したわけじゃなかったけど、結果的には
あたしの彼氏はあたしを守る力を持っていた。イケヤマがあたしのどこにそんなに執着
したのかはよくわからなかった。ただ、たまにあいつは変なことを言う癖があった。

「おまえさあ。せっかく可愛い顔してるんだから化粧もっと薄くするかすっぴんとかに
しねえの」

「おまえは中学の制服が一番似合うな。でもスカートとかもっと長いほうがいいんじ
ゃね?」

 そういう言葉をかけられるに連れあたしは一時はこいつはロリコンなんじゃないかと
思うことさえあったのだ。

 ある時あたしはイケヤマを試したことがあった。

「あのさあ」

「何?」

 イケヤマがあたしの方を見た。

「あんたって意外と真面目そうな初心な女が好みなんだね」

「別にそうじゃねえよ」

 でもその時のイケヤマの顔は少し赤くなっていた。

「でもさ。あたしがあんた好みの真面目な中学生の女の子だったら、絶対あんたみたい
なDQNなんかと付き合わないけどな」

「うっせえな。わかってるよ」

 イケヤマは拗ねたように言った。こいつをからかっていると少しだけ幸せな気分にな
った。もともとは兄貴への嫌がらせで始めたことだったけど、それまでは世界が違うと
思っていたこいつらと仲良くなれたことは悪い経験じゃないかもしれない。

「いい子にしてたら今度あんた好みの格好をしてデートしてやるよ」

 あたしはイケヤマをからかった。でもこいつは結構真面目にあたしの言葉を受け止め
たようだった。

「マジか? だったら俺大人しくしてるよ。何ならこの間先公に言われたとおり追試を
受けてもいいぜ」

「・・・・・・それはあたしとは関係なく受けろよ」
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/08(土) 23:41:36.99 ID:R6AaFDA/o

 二度目に奈緒を見かけたのは、いつもより早い時間に家を出た兄貴を追いかけていた
時だった。

 その朝いつもより早く起きてきたらしい兄貴は階下のリビングに下りる途中であたし
を寝姿を見たはずだった。

 あたしは自分の部屋のドアを開け放してお腹とか脚とかを剥き出しにしたままベッド
に横たわっていた。兄貴がそんなあたしの体を見つめたり、ひょっとしたら部屋に入っ
てきて寝入っているあたしの体を触ったりしたら。

 その時はあたしは大声で悲鳴を上げるつもりだった。この間、イイダに襲われそうに
なった奈緒の声なんか全然無意味だ。せいぜい可愛いい悲鳴を聞いたイイダたちがかえ
って興奮を深めるくらいの効果しかない。

 悲鳴を上げるなら誰かに気づいてもらわなければ意味はない。兄貴があたしにちょっか
いを出してきたら、あたしは大声を出してパパとママに訴えるつもりだったのだ。それ
も可愛らしい震える声で。

「お兄ちゃんがあたしに変なことしようとしたの」

 でもあたしの期待に反して兄貴はあたしの部屋をスルーして階下に降りて行ってしま
った。

 あたしは兄貴が起きてから階下に降りるまでずっと目を覚ましていた。寝たふりをし
ていたのだ。

 イケヤマならこんな無防備なあたしを見たら黙っていないだろう。それなのに兄貴は
あたしを無視した。実の妹ではないのだからそういう意味でのタブーを気にしたわけで
はないはずだ。

 それでいたくプライドを傷つけられたあたしは起き上がって身支度をした。

 何でいつも兄貴はあたしを無視するのか。何であたしの嫌がらせをなかったようにす
るのか。あたしの派手な格好とか言動のせいではないだろう。

 あたしがまだ真面目だった頃から兄貴はあたしには無関心だったのだ。それでいて両
親の関心だけは独り占めして。

 今日という今日は兄貴をもっと直接的に誘惑してやる。あたしはそう思って階下に下
りたけど、既に兄貴は家を出て行ったようだった。

 兄貴を追って駅の方に向ったあたしはすぐに後悔した。冬には珍しい突発的な豪雨に
なったのだ。傘を持っていなかったあたしは、とりあえず目の前の高架下のスペースを
目指すことにした。

 その時、兄貴と奈緒が一つの傘の下で寄り添って高架下を出て行く姿が目に入った。

 この時あたしは心の中で中でこれまで経験のない痛みを感じた。

 兄貴のことなんか好きでも何でもない。あたしはこれまでそう思ってきた。それなの
にこの動揺は何なのだろう。

 奈緒は一見控え目に、でもさりげなく兄貴の方に体を寄せていた。兄貴のような女心
のわからない童貞なら騙されたかもしれない。でもあたしには一目で理解できた。

 この女は兄貴を誘惑しようとしている。大人しそうな外見に隠れているけど、実は結
構積極的に。

 この子はビッチだ。あたしは思った。

 こんなことなら最初出会いのとき助けなければよかった。ビッチのこの子ならイイダ
たちに体を弄ばれても全然ショックでもなかったろう。こんな女はイイダたちに何度で
も繰り返しイプされて、あいつらの女にされてしまえばよかったのだ。

 あたしはこの日初めて奈緒に憎しみを覚えるとともに、兄貴への執着心が自分の中に
あることにはっきりと気がついたのだった。
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/08(土) 23:42:43.81 ID:R6AaFDA/o
今日は以上です

明日からは別スレを再開するのでこっちの投下は未定ですけどなるべく再開するように努力します
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/08(土) 23:55:54.12 ID:ExjxltMco
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/09/09(日) 02:18:53.84 ID:pi+0pXKZo

待ってる
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/09(日) 16:55:24.18 ID:rQihiK0DO
まさか妹の独白からこんなどえらい真相があっさり語られるとは意外だったw

乙。いつも楽しみにチェックしてるよ。
118 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/09(日) 17:59:28.69 ID:Tyiu3iKN0
つまり・・・どういうことだってばよ?
119 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/09(日) 19:56:43.53 ID:qRmwCUi9o
そっちがビッチだったかー
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 00:07:24.27 ID:Rc4G2L0yo

 でもそれは恋愛感情じゃないとあたしは思った。というか思いたかった。

 兄貴がビッチな実の妹に誘惑されそうになったことにあたしが嫉妬しているとした
ら、あたしのこれまでの兄貴への感情は全て意味を失う。

 あたしは理屈ではなくパパと兄貴の前の家族のことを憎んでいた。こうなった全ての
原因はパパの前の奥さん、兄貴no本当のお母さんの浮気が原因だとあたしは聞いていた。

 それだけでもあたしが兄貴の本当の妹を憎むには十分な理由ではないか。それなのに
あたしは馬鹿正直にイイダたちに弄ばれそうになって怯えていた奈緒を救った。

 兄貴には多分本当の母親とか妹の記憶はないと思う。それでもあたしはあの時、あた
しの兄貴の身内ならあたしが守らなきゃと思ったのだ。

 奇麗事を言うつもりはない。あたしは深刻なトラブルに直面した時は、これまでは自
分がそこに居合わせず関らないことだけを気にしてきた。

 だからあの時、イイダたちが奈緒以外のもう一人の富士峰の中学生の女の子に酷いこと
を仕掛けたとしても見なかったふりをしてその場を立ち去ってただろう。もちろん、見逃
せば何の罪もないその中学生の女の子がイイダたちに残酷に弄ばれるだろうことは承知の
うえで。

 あたしのことをよくわかっていたイケヤマは、あの時ただあたしをその場から連れ出
そうとした。それなのにあたしはイケヤマにイイダたちを抑えるように強要したのだった。

 あの場ではイイダたちはおとなしく引き下がったけど、イケヤマのことを悪く思った
ことは間違いない。あたしはイケヤマの立場を危うくしてまで奈緒を守ったのだ。

 それなのにあのビッチは。

 恩知らずにも兄貴に恥知らずな誘惑を仕掛けようとしているのだ。こんな女を守って
やるためにあたしもイケヤマも仲間内での立場を悪くしたのだ。

 あたしは奈緒に復讐しようとは思わなかった。そんなことより今は兄貴を守ることが
最優先なのだ。

 その時のあたしは積極的に奈緒に復讐しようとは思わなかったけど、今あの夜の人気
のない住宅街でのできごとに出くわしたとしたら。

 あたしはイイダたちに無理矢理富士峰の清楚なセーラー服を脱がされ、露わにされた
華奢な裸身を残忍にいたぶられて悲鳴を上げて助けを求める奈緒たちのことを、冷酷な
微笑を浮べて見守ることができるだろう。

 その時のあたしはそれくらい奈緒に対して憎しみを抱いたのだった。
121 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 00:10:01.22 ID:Rc4G2L0yo

 玲子叔母さんは都心の瀟洒なマンションに一人暮らしをしていた。叔母さんのマンシ
ョンの部屋からのビル街の景色、特にその夜景が好きだったあたしは時々この部屋を訪
問していた。

 あたしはエレベーターで十七階まで昇って叔母さんの部屋のチャイムを鳴らした。

 約束して訪れたわけではないので留守かもしれない。一瞬そう思ったほど間が開いた
けどそのうちインターフォンから叔母さんののんびりとした声が聞こえた。

「あたし、明日香だけど」

「ああ、あんたか。今開けるよ」

 目の前のドアが開いて何だかだらしない格好の叔母さんが姿を現した。あたしにだっ
て人のことは言えないけどこれは相当なものだ。

「叔母さん、その格好さあ」

「シャワー浴びてたからね」

「あたしが一人じゃなくてパパとか兄貴とかと一緒だったらどうすんのよ」

 叔母は濡れた髪をかきあげて笑った。

「どうするって、別に結城さんとか奈緒人君になら裸を見られたってどってことないじ
ゃん?」

「・・・・・・入っていい?」

 平然と笑っている叔母に根負けしてあたしは叔母の格好についてはもう何かを言うの
を諦めた。

「その辺に適当に座ってよ」
 叔母は言った。「夕飯食った? あたしはこれからだけど一緒に食べる?」

 叔母のマンションの窓からは都内の夜景が綺麗に見渡せた。

「うん」

 あたしは言った。




「それで?」

 夕食のテーブルに着いた叔母があたしに聞いた。ようやくスウェットに着替えた叔
母はあたしのママの妹とは思えないほど若々しかった。独身の叔母は時折だらしなく時
折あたしがドキッとするほど若々しく素敵な女性になる。

 三十前にして未だに独身の叔母さんは中高生向けのファッション雑誌の編集部で仕事
をしている。そのせいかどうか、時折見せてくれる叔母さんのファッションはすごく格
好よく素敵だった。

「今日は何か用だった?」

「うん」

「つうか明日香。あんたここに来るって姉さんに話してあるんでしょうね?」

「・・・・・・今から電話する」

「はあ」
 叔母は大きなため息をついた。「また黙って家出かよ。あたしが姉さんに怒られるん
だよ」

「ごめん」

 あたしは叔母さんに謝った。
122 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 00:11:45.94 ID:Rc4G2L0yo

「それで? どうせ、また何か話か質問か悩み相談とかあるんだろ」
 食後のコーヒーを出しながら叔母さんが本題に入った。「あんたは用がある時しかあ
たしのとこに寄り付かないしね」

「そんなことないよ」

「じゃあ今日はあんたの質問タイムはなしだな」

「ちょっと待ってよ」
 叔母は笑った。「ほれ見ろ。やっぱそうじゃんか。まあいいや。あんたは休みかもし
れないけどあたしは明日も早いし、さっさと本題に入れよ」

「あのさ・・・・・・」
 あたしが聞きたいことを言い出そうとする前に叔母があたしの言葉を遮った。「ちょ
っと待て。姉さんに電話しとかないとあたしが怒られる」

 叔母さんは家に電話して今日はあたしを泊めるからと話していた。電話に出たのは珍
しく早く帰宅したパパのようだったので思ったよ簡単にOKが出たみたいだった。

「ええ・・・・・・明日は明日香ちゃんもお休みですし家に一晩泊まらせますので」

「姉さんは今日は帰らないんですか? そうですか。結城さん夕食とか大丈夫?」

「そうか・・・・・・そうですよね。じゃあ姉さんと奈緒人君にもよろしく」

 叔母さんのパパへの電話は微妙に馴れ馴れしくてそれが妙にあたしの気に障ったけ
ど、これは気を悪くする方が悪い。再婚以来パパとママと叔母さんは仲が良かった。お
じいちゃんとおばあちゃんがパパとママの仲を認めていないのと正反対に。

「さて」

 家に電話してお泊りの了解を取り付けている時には、電話で相手には顔を見られるこ
とはないのにニコニコと愛想を振りまいていた叔母さんが急に態度を変えた。

「じゃあ聞こうか」

 あたしは覚悟した。もともと今日は叔母さんに助けてもらいたいことがいっぱいあった
のだ。叔母さんにうざがられようがドン引きされようが聞かなければならない。

 聞きたいことはいっぱいあったけど、うちの家庭の秘密ではなくつまらないないこと
から聞いてしまったのはあたしだって普通の女の子の部分が残っていたせいかもしれな
い。

「あのさ・・・・・・」

「何だよ」

 叔母さんは食後のコーヒーをほとんど飲まずに冷蔵庫から缶ビールを取り出して飲み
始めていた。

「前に叔母さんに聞いたじゃん? 兄貴の実の妹のこと」

「ああ、奈緒ちゃんね」

「うん。その子とさあたしとどっちが可愛いと思う?」

「へ?」

 叔母さんは驚いたようにビールをテーブルに置いた。
123 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 00:14:28.19 ID:Rc4G2L0yo

「何でそんなこと聞くのよ」
 叔母さんは真面目な表情で言った。「何かあったの」

「うん」

 あたしはその時ずるいとは思ったけどイイダたちに奈緒が犯されそうになったことは
省略した。そして、ある朝奈緒が兄貴を誘惑するように兄貴に接近して二人きりで駅の
方に歩いていったことだけを叔母さんに話したのだ。

 叔母さんはあたしの話を聞いて考え込んでしまった。

「それ本当に奈緒ちゃんなの」

「うん。間違いないと思う」

「そうか。でもそれとあんたと奈緒ちゃんとどっちが可愛いって聞くのってどう繋がる
わけ?」

 それは兄貴を誘惑したいからだ。でも仲のいい叔母さんにもそこまでは言えなかった。

「訳は聞かないでお願い」

「何でそんなに必死なのよ」

 訳がわからないと言いながら叔母さんは立ち上がってリビングの隅に置いてあるテー
ブルをごそごそとあさって何かプリントしてある紙をあたしに渡した。

 あたしはそれを読んだ。



『東京都ジュニアクラッシク音楽コンクールピアノ部門中学生の部 受賞者発表』

『第一位 富士峰女学院中等部2年 鈴木奈緒』

『演目:カプースチン:8つの演奏会用練習曲 作品40 第5番「冗談」』

『表彰状、トロフィー、記念品、賞金30,000円の贈呈』



 「これが何よ。前にも奈緒が優賞したって話は叔母さんから聞いてるじゃん」

 あたしは言った。その紙には奈緒の小さな写真が載っていた。荒い写真だけど奈緒の
可愛らしさはよく伝わってくるようだった。

「あたしはさ、奈緒ちゃんと実際に会ったのは一回だけなんだよね」

「うん・・・・・・」

「あれは離婚に向けてお互いの弁護士さんとかと調停って言うの? そういうのをした
時でさ。両家別々に離婚調停してたんだけど、あの時だけは関係者全員で顔をあわせて
話し合おうってことになってね」

「その時大学生だったあたしはまだ小さかったあんたのお守り役で姉さんに付いて行っ
たのさ。そこにはやっぱりまだ幼かった奈緒ちゃんがいてね。その奈緒ちゃんの面倒を
見ていたのが奈緒人君だったんだけどね」

 叔母は少しだけ懐かしそうな表情になった。

「その時の奈緒ちゃんってさ、まるで天使みたいだったなあ。奈緒人君の後をひょこひ
ょこ付いてまわってさ」

「それはわかったよ。で、今叔母さんから見てどう? あたしと奈緒ってどっちが可愛いと思うの?」

「あたしは最近の奈緒ちゃんを知らない。でもその画像を見る限り奈緒ちゃんの方があんたより全然可愛いね」

 叔母が歯に絹を着せずにきっぱりと言った。
124 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 00:20:37.66 ID:Rc4G2L0yo

 あたしは黙りこくったままだった。ここまで酷く言われるとは夢にも思わなかった。

 あたしだってイケヤマやその周りの男の子たちから随分と言い寄られたものだった。
確かにあの女みたいな男の心をくすぐるような清純さはないかもしれないけど、見た目
ではそんなに奈緒に負けているつもりはなかったのだ。

「あんたさ、奈緒人君のこと好きなの?」
 二缶目のビールを開けながら叔母さんがニヤニヤして言った。「実の妹と義理の妹が
奈緒人君を巡って争ってるわけ?」

「そんなんじゃねえし」

「じゃあどうしてそんなこと気にするのよ」

「・・・・・・これ以上あたしの家族をひっかきまわして欲しくないだけよ」

 あたしは何か悲しくなって、それだけをようやく口から搾り出した。叔母さんが考え
ているほど軽い話じゃないのだ。

「・・・・・・悪かったよ。ちょっとふざけちゃってさ」

 叔母さんがあたしの口調に驚いたように言った。

「ううん。あたしこそ訳わからない相談してごめん」

「もうこれ以上事情は聞かないよ。あたしだって姉さんの妹なんだから何でもかんでも
明日香の味方になるわけには行かないし」

 あたしは俯いてうなずいた。叔母さんの言うとおりだった。叔母さんに甘えるのにも
限度というものはある。

「まあでも可愛い明日香の頼みだからさ。若者のファッションで食ってるあたしがマジ
に答えるくらいはしてあげるよ」

「○ブンティーンとかああいう雑誌を鵜呑みにするなよ。あんたの今のファッションっ
て最低だよ」

「叔母さんの会社が出している雑誌のとおりにしてるんじゃない」

 あたしは反論しようとしたけどそれは叔母さんに一笑にふされて終ってしまった。

「今一番女がお金を投資する分野って何か知ってる?」

「化粧とか服でしょ」

「アンチエイジングだよ。聞いたことあるでしょ」

「うん」

「あたしや姉さんみたいなババアはこういう分野に金をかけるわけよ。なのにせっかく
素肌だけでも勝負できる年齢のあんたのそのメイクは何だよ。うちの雑誌だってモデル
にそこまで厚化粧させてないぞ」

「だってこういうの流行ってるし」

「いい? 奈緒ちゃんを見た目で任せたいならまずそのメイクをやめろ。あんたくらい
肌が綺麗ならすっぴんでもいいし、どうしてもって言うならもっとナチュラルメイクに
しなよ。でもナチュラルなのって結構難しいけどね」

「あと原色のマニュキアとペディキュアよせ。髪も黒い方がいいよ。ついでに服装もも
っと自然な服に」

「それじゃ何もしないと同じじゃん」

 あたしは反論した。

「やることはいっぱいあるでしょ? 無駄毛の処理とかよく睡眠をとるとか髪の毛と肌
のケアに気を遣うとかさ。ゴテゴテ飾るだけじゃ奈緒ちゃんには勝てないよ」

 あたしにはよくわからなかったけどそれで兄貴の関心を引けるなら明日から試してみ
てもいい。いつものメイクに時間をかけるより楽そうだったし。

「それにしてもさ。奈緒ちゃんが奈緒人君と一緒にいたってどういうことだろうね」
 叔母さんが改めて考え込んだように言った。「二人とも実の兄妹って知ってって会ってるのかな」

でも今のあたしはそれどころではなかった。

「本当にそうすれば奈緒に勝てるの」

 あたしは真面目に聞いた。
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/10(月) 00:21:59.33 ID:Rc4G2L0yo
別スレ投下後の時間でこっちも更新してみました
明日以降の予定は不明ですけど

お付き合いいただいてありがとうございました
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/10(月) 00:59:21.63 ID:7P49kDODO
>>1乙、ありがとう

あっちも読んだけど自分には合わなかったかな。
どちらもがんばれ。
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 23:42:56.88 ID:Rc4G2L0yo

「それはあんたが奈緒ちゃんよりも可愛いって、誰に思われたいかによるね」

 叔母さんが言った。

「どゆこと? メイクしないですっぴんで自然にしてた方が可愛いって叔母さんが言った
のに」

「あたしから見たらね。こういうのって趣味の問題もあるからさ。ターゲットを絞らない
とね。さっきあたしが話したのは一般論。でもあんたの遊び友達とかには今のあんたの方
が受けがいいだろうし」

「・・・・・・奈緒に勝ちたいのよ」

「だから誰から見て? 奈緒人君?」

「まあ、そう・・・・・・かな」

「だったら普通にあたしが言ったとおりにすればいいよ。正直今のあんたの格好は奈緒人
君の好みの正反対だと思うし。むしろ奈緒人君的には奈緒ちゃんの方が好みの女の子だろ
うな」

 あたしはその時少しいらついて言った。

「兄貴の好みって・・・・・・奈緒は兄貴の本当の妹じゃん」

「そうだよ。それがどうしたの」
 叔母さんは平然と言った。「実の妹の方が義理の妹より可愛いと思ったっていいでし
ょ」

「いや実の兄と妹でそれはまずいでしょ」

「何で? 別に付き合うとか結婚するとかじゃないんだから」

「え?」

「え、じゃない。何、それともまさか本当に実の妹と義理の妹で兄貴を取り合ってる
の?」

「そんなわけないでしょ」

「じゃあ別にいいじゃん」

 叔母さんが言った。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 23:44:01.99 ID:Rc4G2L0yo

「ねえ明日香」

「あんたが聞いて欲しくないっていうならしつこくは聞かないけどさ」
 叔母さんがあたしを見て言った。「さっきあんた、奈緒ちゃんと奈緒人君が一緒に歩い
てたって言ってたけど、何かの見間違えじゃないの」

「間違いないよ」

 あたしだって見間違えならよほどその方がいい。でもあれは奈緒だった。叔母さんには
話していないけど、あたしはイイダたちに脅かされている奈緒を身近で見ていたのだ。あ
の時の奈緒の顔はよく覚えている。あたしが奈緒を見間違えるはずはない。

「だとするとだ」
 叔母さんが少し真剣に考え込んだ。「奈緒と奈緒人の兄妹がいったい今頃になって何で
一緒にいたんだという話になるね」

 やはり叔母さんを誤魔化すのは無理だった。ファッションとかへのアドバイスと、昔叔
母さんから聞いたパパとママの馴れ初めの話をもう少し詳しく聞くつもりだったのだけど、
奈緒が兄貴と一緒に歩いていたことを打ち明けてしまったのが失敗だった。

 当然なのかもしれないけど叔母の興味は完全にそちらに映ってしまったのだ。でも叔母
はそのことをどう解釈するだろう。

 あたしの最初の目論見とは違ってしまったけど、あたしは叔母がどう考えるかを聞きた
くなっていた。

「叔母さんはどう思う?」

「まあ普通に考えれば幼い頃に引き裂かれた仲の良かった兄妹の再会かな」

「それはないよ。兄貴は自分に本当の妹がいることなんか覚えていないんだし」

「奈緒人君はそうでも奈緒ちゃんは?」

「え」

「そういやこのことをあんたに話すのは初めてだったね」
 叔母さんは真面目な顔になってあたしに言った。「あんまり話しちゃうとあたしが姉さ
んに怒られるんだけどさ」

「ママには黙っているから教えて。お願い叔母さん」

 叔母さんはため息をついた。

「さっき離婚調停の話をしたでしょ? その時に決まった条件の一つにあんたの今のパパ
の結城さんは一年間で二回まで奈緒ちゃんと面会できるという条件があるのよ」

 それはあたしには初耳の話だった。それではパパは今まであたしと兄貴には黙って奈緒
と会っていたのだ。
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 23:45:28.18 ID:Rc4G2L0yo

「さっき離婚調停で結城と鈴木の家族が一同に会したと言ったでしょ? 普通ならそんな
ことありえないのよ。離婚ていうのは夫婦間の問題だからさ。でもあんたの両親たちの問
題はちょっと複雑だったの」

 あたしが両親の離婚と再婚に関するそういう細かい話を聞かされるのは初めてだった。
もちろんパパもママもそういう話はしないし、以前叔母さんから聞いていたのももっとざ
っくりとした話だったから。

「奈緒人君と奈緒ちゃんの両親の離婚の原因は直接的には奥さんの浮気が原因なの。でも
そのことは前にも話したよね」

「うん」

「たださ、離婚の協議が長びいているうちに結城さんにも好きな人ができたの。それが姉
さんなんだけどね」

 それは初めて聞く話だった。

「まあそういうこともあって結構泥沼になっちゃってね。家庭裁判所に調停を申し立てる
ような状況にまでなったのさ」

「・・・・・・うん」

「経済面ではもうお互いに納得していたけど、残っているのは奈緒ちゃんと奈緒人君の親
権の取りあいだった」

「結城さんも奈緒ちゃんたちのお母さんも自分が子どもたちを引き取って育てると主張し
て譲らなかった」

「結城さんにも奥さんにもどちらにも経済的には子育ての余裕は十分にあったし、双方と
もに再婚予定の相手がいて子育てできる環境にあったことも、家裁の調停員を悩ませたみ
たいね。
 結局調停の内容はお互いに一人づつ子どもを引き取るということだった。付帯条件とし
てお互いに引き取れなかった子どもに一年間で二回以内に面会できることっていうことに
なったの」

 これは初めて聞く話だった。それでは再婚以来毎年二回、パパは奈緒と会っていたのだ。

「だから奈緒ちゃんが自分のお兄さんのことを結城さんから聞かされていても不思議はな
いのよ」
 叔母さんは締めくくった。「奈緒人君のことを毎年結城さんから聞かされていた奈緒ち
ゃんが実のお兄さんに会ってみたい思ってもそれは普通のことでしょ」

 そうかもしれない。叔母さんが言うように奈緒が自分から引き剥がされた兄貴に会って
話してみたいと思っても不思議はないのかもしれない。

 その時あたしは、あの豪雨の朝兄貴に寄り添って一つの傘の下で無言で歩いていた奈緒
の姿を思い出した。やはり勘違いではない。あれは単なる兄妹の距離感ではない。奈緒は
あの時間違いなく兄貴を誘惑しようとしていたのだ。その清楚で可愛らしい容姿を武器に
して。

 恋愛脳とかって思われるかもしれないけど女のあたしにはわかった。あれは叔母さんが
言うように離れ離れになった兄妹の再会とは絶対に雰囲気が違っていた。
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/10(月) 23:46:40.12 ID:Rc4G2L0yo

 物凄い偶然によって奈緒と兄貴が互いに兄妹であることを知らないまま、ただの男女と
して出会ったという可能性もないわけではない。そして実の兄とは知らずに兄貴を好きに
なったビッチの奈緒が兄貴を誘惑したという可能性だ。

 でも兄貴は奈緒に一目ぼれされるようなイケメンでは全然ない。そう認めるのは悔しい
けれど奈緒の容姿を考えると奈緒が無条件であのキモオタの兄貴を積極的に誘惑するほど
兄貴に惹かれるとは到底思えなかった。

 そしてここであたしは前に悩んだことを思い出した。事実としては叔母さんの言うとお
り、奈緒は兄貴のことを知っていて兄貴と接触したのかもしれない。

 でもその意図は叔母さんの言うように幼い頃に両親の事情で引き裂かれた兄貴に会いた
いということではなくて、実の兄貴と知りながら自分のことを妹だと知らない兄貴を誘惑
しようとしたならどうだろう。それなら奈緒の兄貴への親密かつ積極的な密着ぶりも理解
できるのではないか。

 偏見もあるのかもしれないけど、兄貴と寄り添っていた奈緒はあたしにはビッチにしか
見えなかった。その動機はよくわからない。けれども何らかの理由で奈緒が生き別れた兄
貴を恨みに思っていたとしたら。

 自分に恋させて残酷に笑いものになるようなくらい手ひどく振るというのは効果的な復
讐だ。

 そしてもっと酷いのは自分に夢中にさせた兄貴に対して自分が実の妹であることを告白
することだった。そうされた場合の兄貴のダメージは計り知れないほどだったろう。

 でもあたしはその考えを叔母さんに話す気はなかった。

 叔母さんはやがて寂しそうに言った。

「それにしても奈緒人君は可哀そうだよね。少なくとも奈緒ちゃんは一年に二回結城さん
に会えていろいろ甘やかしてもらっているみたいだけど」

「何でよ? 兄貴の本当のお母さんだって兄貴と年に二回面会できる権利があるんでし
ょ」

「あの人はその権利を行使したことは一度もないのよ。だから奈緒人君は本当のお母さん
と離婚以来会ったことがないの」

 そういわれて見れば兄貴が昔から一日どっかに出かけるなんてことはなかった。

「だから奈緒人君は去年結城さんたちに教わるまで自分が姉さんの本当の子供じゃないっ
てことは知らなかったと思うよ。逆に奈緒ちゃんは昔から結城さんと面会してたからその
ことを知っていたわけね」

「・・・・・・何で兄貴の実のお母さんは奈緒人と会いたくなかったのかな」

 あたしはそっと言った。

 兄貴もかわいそうな人だったんだ。叔母の話を聞いてこれまで感じたことのなかったよ
うな兄貴への同情とか慈しみのような感情があたしの中から湧き出していた。

「さあね。あたしにはそこまではよくわかんないや」

 叔母が答えた。
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/10(月) 23:48:12.35 ID:Rc4G2L0yo
今日はおしまい

また投下します
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/11(火) 02:16:45.54 ID:AR9fMgdDO
>>1乙カレー
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/11(火) 07:53:33.08 ID:RkDFoP5wo
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/12(水) 21:24:41.27 ID:41zU3bO8o
少しずつ紐解かれてくる感じがいい
おつ!
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) :2012/09/13(木) 23:44:05.57 ID:UgMRWwDko

 その土曜日の午後、僕はナオのピアノ教室の前で彼女を待っていた。それはクリスマス
明けの二十六日の土曜日のことだった。クリスマスには陰鬱な曇り空だった天気は、どう
いう空の気まぐれかその日はちらほらと雪が振り出していた。

 結局、臆病な僕は付き合いだしたばかりのナオにイブを一緒に過ごそうと持ちかける
ことはできなかった。でも誘わなくて正解だったようだ。富士峰はイブの日とその翌朝は
は礼拝と集会があるのとナオは僕に言った。

 イブの日のデートに勇気を出してナオを誘っていたら結局僕は彼女に断られることにな
っていたのだから。

 でもその話を聞いた兄友と女さんは笑い出した。

「何だよ。そんなのおまえに誘ってもらいたかったに決まってるだろ」

「だって学校の行事があるからって」

「そこで、じゃあ何時になったら会える? って聞けよアホ」

「そう聞いたらどうなってたんだよ。勝手なこと言うな」

 僕は二人の嘲笑するような視線に耐え切れなくなって言った。

「まあまあ、落ち着きないさいよ」

 女さんがそう言った。

「落ち着いているって」

「でもあたしも兄友の言うとおりだと思うな」

「どういうこと?」

「ナオト君が彼女を誘っていれば、学校行事はサボるとかさ。そこまで行かなくても夕方
には時間がありますとか絶対言ってたよ、ナオちゃんは。むしろ期待してたんじゃない
の? 可愛そうに」

 女さんにまでそう言われてしまうとこの手の話題には疎い僕にはもう反論できなかった。

「じゃあ二十六日とかに一緒に遊びに行くか」

「それでも何もしないよりましかもね」

 兄友と女さんが目を合わせて笑った。
136 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) :2012/09/13(木) 23:45:04.67 ID:UgMRWwDko

 そういうわけで僕は、クリスマス明けの登校中に勇気を振り絞ってナオを誘った。ピア
ノ教室が終った後に兄友と女さんと四人で遊びに行かないかと。

 兄友と女さんが言うようにナオが僕にクリスマスに誘われなくてがっかりしたのかどう
かはわからないけど、その時の僕の誘いにはナオは目を輝かせるようにして答えてくれた。

「はい。大丈夫です。絶対に行きます」

「じゃあ明日の土曜日、君の教室が終わる頃にまたあそこで待ってるね」

「お迎えに来るのが面倒だったらどこかで待ち合わせてもいいですけど」
 ナオが僕に気を遣ったのかそう言った。「わざわざ来ていただくもの申し訳ないです
し」

 兄友や女さんに言われなくてもさすがにこのくらいの問題には僕だって回答することは
できる。

「ナオちゃんさえよかったら迎えに行くよ。その方が兄友たちに会うまでナオちゃんと二
人で一緒にいられるし」

「・・・・・・うん」
 ナオは微笑んだ。やはり兄友や女の言っていることにも一理あるのだろうか。「すごく
嬉しいです。ナオトさん」

 ここまで直接的な愛情表現をしてくれるナオに対して僕は臆病すぎるのかもしれない。

 ナオは少し赤くなった顔で僕に言った。

「じゃあ待ってます」

「うん」

「・・・・・・あの」

「どうしたの」

「明日は教室の前で待っていてくださいね。前みたいに離れたところで待っていたらだめ
ですよ」

 僕は面食らった。

「どうして? というか堂々と教室の前で待つのは何か恥かしい」

「恥かしがらないでください」
 ナオが真面目な表情になって言った。「あたしたち、お付き合いしているんですよ
ね?」

「う、うん」

「じゃあ教室の目の前で堂々と待っていてください。あたしも教室のお友だちにあたしの
彼氏だよって紹介できますから」

「うん・・・・・・」

「それに・・・・・・いつも一緒に帰ろうって誘われる先輩がいるんですけど、ナオトさんが教
室の前で待っていてくれればその人にもちゃんと断れますし」

「それって前に迎えに来た時ナオちゃんに話しかけてた人?」

「・・・・・・はい」

「わかった」
 僕は戸惑ったけどナオがここまできっぱりと言葉にしてくれているのだ。恥かしいとか
言っている場合ではなかった。「そうするよ」
137 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/13(木) 23:45:55.22 ID:UgMRWwDko

 僕はちょうどピアノ教室が終る時間に教室の前に着いた。その建物の正面で待っている
のは目立ちすぎだと思ったけど、これはナオとの約束だった。

 落ち着かない気持ちが次第につのって行く。結構胃が痛い感じだった。

 そうやって待っていると他にもそこで誰かを待っているやつがいることに気がついた。

 金髪とピアス。強面そうな顔。

 そいつは明らかにこの閑静な住宅街の中では不自然な存在だった。僕以上に。でもそい
つのことを僕は以前に見かけたことがあった。

 間違いない。こいつは僕の妹の前の彼氏のイケヤマとかいうやつにに違いない。でもど
うして彼がここにいるのだ。もしかして僕と一緒でここに通っている女の子を迎えに来た
のだろうか。

 でもいくら女に対して手が早そうな外見だからといって、妹と別れたばかりでこんなに
早く次の彼女ができているということも信じがたいし、偏見かもしれないけどここに通っ
ているような真面目な女の子とこいつが付き合うというのも考えづらい。

 その時イケヤマが不意に振り向いたので僕たちの視線が合った。イケヤマに強い目で睨
まれて僕は一瞬ひるんだ。

 イケヤマとは前に一度出くわしたことがあるし、僕が明日香の兄であることを知ってい
るのかもしれなかった。妹も前に僕の視線にそいつが傷付いたみたいなことを言っていた
し。

 でもイケヤマの睨みつけるような視線が絡んだのは一瞬だけだった。すぐに彼は視線を
逸らし早足でピアノ教室から遠ざかって行った。

 僕はイケヤマの背中を眺めたがらいったいこいつはここで何をしたかったのだろうかと
考えていた。

 角を曲がって姿が消えたイケヤマの背中から目を離すと、ちょうど教室のドアが開いて
ナオが少しだけ急いでいる様子で外に出てきた。

 一番先に出てくるとは思わなかったけど、さっき恥かしいからと言った僕を気にして他
の子より早くで出てきてくれたのかもしれない。

 約束どおり今日は隅の方に隠れていないでドアの正面に立っている僕の方に向かってナ
オは小さく手を振って小走りに近寄ってきた。

 そのままナオは僕の腕に抱きついた。こんなどうしようもない劣等感の塊の僕の上に天
使が降ってきたようだ。今までも何度となく考えていた感想が再び僕の胸を締め付けた。

 僕は柄にもなく抱きついてくるナオに向って微笑んだ。
138 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/13(木) 23:47:30.74 ID:UgMRWwDko

 僕がナオに話しかけようとしたとき、それまでナオの背後に隠れていた小柄な女の子が
目に入った。僕と目が合ったその女の子はにっこりと笑った。

「こんにちは」

「ユキちゃん、何でいるの?」

 ナオも少し戸惑ったようにユキという子に言った。

「何でって帰り道だもん。それよか紹介して」

「まあ・・・・・・いいけど。前にも話したと思うけどあたしの彼氏のナオトさん。ナオトさん、この子は学校の同級生でユキちゃんっていうの」

「はじめましてナオトさん」

 ユキちゃんは好奇心で溢れているという様子で、それでも礼儀正しく僕にあいさつして
くれた。

「あ、どうも」

 もともと女の子と話すことが苦手な僕にはこれでも上出来な方だった。とにかく今まで
ナオとここまで普通に会話できていることの方が奇跡に近いのだ。僕とナオの出会いがナ
オの言うように運命的な出来事だったせいなのかもしれないけど。

「ナオトさん。ユキちゃんは親友なんです。学校もピアノのレッスンも一緒なんですよ」

「そうそう。それなのに最近土曜日のレッスン後はナオちゃんは一緒に帰ってくれないし。
何でだろうと思ってたら彼氏が出来てたとは」

「ごめん。でも前にも話したでしょ」

「ナオトさん、ナオちゃんは奥手だけどいい子なんでよろしくお願いしますね」

 ユキが笑って僕に言った。

「何言ってるの」

 ナオが顔を赤くした。

「そうだ、ナオトさん。親友の彼氏なんだしメアドとか交換してもらってもいいですか」

 え? 僕は一瞬ためらった。ナオの親友には冷たくするわけにはいかないし、かといっ
て会ったばかりのユキとメアドを交換することに対してナオがどう考えるのか僕にはよく
わからなかった。

 僕は一瞬ユキに返事ができずナオの顔色を覗った。ナオは心なしか少しだけ不機嫌そう
な気がする。そんなにあからさまな様子ではないけれど。

 でも彼女の親友にメアドを教えてって言われたくらいで気を廻してそれを断る勇気は僕
にはなかった。

 ナオがユキに何か言ってくれればいいのだけど、ナオは相変わらず微妙に不機嫌そうな
雰囲気を漂わせたままのすまし顔だ。

「うん、いいよ」

 僕はそれ以上考えるのを諦めてユキに返事をした。

「やった」

 ユキが可愛らしく言った。別に彼女に興味を持ったわけではないけど、やはりこの子も
ナオと同じくらい可愛らしい子だった。
139 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/13(木) 23:47:59.92 ID:UgMRWwDko
短いけど今日はここまで

また投下します
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/14(金) 00:19:45.88 ID:OSIuu3lHo
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/14(金) 14:56:35.78 ID:/JARWgS8o
なんかもう一悶着ある感じかな
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:49:45.35 ID:g/BzIvsyo

 ユキにさよならを言って駅の方に歩き出した僕たちだったけど、いつのまにかナオの手
は抱き付いていた僕の腕から離れ僕たちは手を握り合うこともなく微妙な距離を保ったま
ま歩いていた。

 少し遅れ気味に僕の後からついてくるナオを思いやって僕は後ろを振り向いてナオに声
をかけた。

「ごめん。歩くの速かったかな」

 ナオはそれには答えずに僕から目を逸らした。

 何だと言うのだろう。仕方なく僕はまた歩き出して少ししてナオの方を振り返った。

 ナオは俯いたままでその場に立ちすくんでいた。

 ・・・・・・いったい何なんだろう。もちろん僕にだって思いつく理由としてユキとのメアド
交換が思い浮んだけど、あれは僕のせいでも何でもないだろう。

 ユキを紹介したのはナオだったしユキがメアド交換を言い出した時だって別にナオはそ
れを制止したわけでもない。正直に言えばナオしか目に入っていない僕がユキとメアドを
交換したのだってナオの友だちだということで気をつかったからだ。

 それなのに多分ナオはそのことに拗ねている。僕は少し理不尽なナオの態度に対する怒
りが沸いてくるのを感じた。

 僕はに生まれて初めてこんなに女の子を好きになったといってもいいほどにナオに惹か
れている。彼女のためなら多少の理不尽はなかったことにしてもいいくらいに。

 でも罪悪感を感じていないことに対して謝罪してはいけない。ナオがついてくるかどう
かわからないけど僕は再び駅の方に歩き始めた。

 僕は今まで妹に謝ったことがない。両親の再婚と母さんの愛情が半分だけ僕に向けられ
たことによって妹が傷付いたことは間違いない。そのせいで僕は妹に散々嫌がらせをされ
た。多分その張本人の妹だって期待していないくらいに傷付きストレスを感じた。

 でも僕はそのことで本気で妹を責めたことはなかった。それは妹の痛みを、幼かった妹
にはどうしようもなかった出来事で彼女が傷付いた痛みを理解できたからだった。

 同時に辛い思いをさせたかもしれない妹に対して謝ろうと思ったこともなかった。確かに
明日香は、父さんが母さんを好きになりその結果明日香の本当の父親と母さんが別れて
しまったことに傷付いているかもしれない。

 でも、去年両親に真相を知らされてから考えていたことだったけど、そのことに関して明
日香に対して罪悪感を感じる理由はないのだ、

 そのこととこれとを一緒にする気はないけど、いくらナオが怒ろうと拗ねようと、そして僕
のことを嫌いになろうと自分の今までの考え方を曲げる気はなかった。
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:50:47.87 ID:g/BzIvsyo

 僕は足を早めた。これで終るなら終わるだけのことだ。僕は確かにナオに惹かれていた
し彼女と付き合えて嬉しかったけど自分のポリシーを曲げてまでナオの機嫌を取る気はな
かった。

 もう後ろを振り向かずに寒々とした曇り空の下を歩いていく。やはり見慣れない街のは
ずだけど迷う気は全くしなかった。もう駅がその姿を見せていた。

 考えてみればナオには今日兄友と女さんと一緒に遊ぼうと誘っただけで待ち合わせ場所
も待ち合わせ時間も話していない。僕がこのままナオがついてこない間に改札を通ってし
まえば今日はもうナオとは会えないのだ。

 兄友と女さんが僕を責める言葉が聞こえてくるようだった。兄友なら僕のポリシーなん
てどうでもいい、一言ナオに謝るだけじゃないかと僕を責めるだろう。そして女友さんは
取り残されたナオちゃんが可哀そうとか言うに違いない。

 僕は息を呑んだ。これが初めてできた僕の彼女との別れになるかもしれない。

 今からでも遅くない。振り返ってナオのところまで行ってごめんといえば、僕には二度
とできないかもしれない可愛い彼女と仲直りできるかもしれない。

 でも僕はそうしなかった。僕はパスモを取り出して改札口から駅の中に入ろうとした。

 その時背後に軽い駆け足の音が響いてそれが何かを確かめるよリ前に僕は後ろから思い
切り抱きつかれた。

「ごめんなさい」

 泣き声交じりのナオの声が僕の顔の間近で響いた。

「ナオトさん本当にごめんなさい」

 僕は抱きつかれた瞬間に力を込めてしまった全身を弛緩させた。

「・・・・・・どうしたの」

 僕の背中に抱きついたナオが泣きじゃくっている。

「ごめんなさい。怒らないで・・・・・・お願いだからあたしのこと嫌いにならないで」

「どうしたの」

 さすがに僕も驚いてナオに聞いた。
144 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:51:53.49 ID:g/BzIvsyo

「嫌な態度しちゃってごめんなさい。あたしが悪いのに」

 僕はこの時ほっとした。それまで僕を縛っていた頑な思いが解きほぐされていくようだ
った。

 僕はどうして自分のほうからナオに手を差し伸べてあげられなかったのだろう。僕
の方こそこんなにもナオに執着しているのに。

 僕は振り向いてナオを正面から見た。

「・・・・・・怒ってないよ。僕の方こそ辛く当たってごめん」

 妹に対する僕の態度と比べるとダブルスタンダードもいいところだった。でも気がつい
てみると僕もピアノ教室から駅までの短い距離を歩く間に相当緊張し悩んでいたのだ。僕
は改めてそのことに気がつかされた。

 ナオは正面に向き直った僕にしっかりと抱きついた。

「ユキちゃんは親友だしあたしの方からナオトさんに紹介したのに」

 やっぱり地雷はそこだったようだ。

「ユキちゃんとメアド交換しているナオとさんを見てたら嫉妬しちゃって。そしたら何か
素直に振る舞えなくなって。こんなこと初めだったからどうしていいかわからなくて」

「もういいよ。わかったから」

 ナオは涙目で僕の方を見上げた。

「僕こそごめん。ユキさんとメアド交換していいのかわからなかったけど、ナオちゃんの
友だちだし断ったら悪いと思ってさ」」

「・・・・・・本当にごめんなさい」

「いや。僕こそ無神経でごめん。あとさっきは先に行っちゃてごめんね」

「そんな・・・・・・ナオトさんは悪くない。あたしが悪いの」

 週末のせいかその時間には駅前には人がたくさんいた。そんな中で抱きあっていた僕と
ナオの姿は相当目立っていたに違いない。

 僕はナオの肩に両手を置いた。周囲の人混みが視界からフェードアウトし気にならなく
なる。

 ナオがまだ涙がうっすらと残っていた目を閉じた。
145 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:53:11.74 ID:g/BzIvsyo

 兄友と女さんとの待ち合わせ場所は隣駅の駅前のカラオケだった。いろいろと揉めたせ
いで余裕があったはずの待ち合わせ時間にぎりぎりなタイミングになってしまった。

 仲直りしてからのナオは電車の中でいつもより僕に密着しているようだった。

「本当にあたしのこと嫌いになってない?」

 僕に抱きついたまま席に座ったナオが小さな声で言った。

「なってない」

 僕はそう言ってナオの肩を抱く手に力を込めた。いつもの僕と違って周囲の人たちの好
奇心に溢れた視線は気にならなかった。その時唯一気にしていたのはどうしたら僕がもう
気にしていないということをナオに信じてもらえるかだけだった。

「・・・・・うん」

 ナオが僕の胸に顔をうずめるようにしながら小さくうなずいた。彼女にも周りの視線を
気にする余裕はないようだった。でもこれでナオと仲直りできたのだ。

「もう泣かないで」

「うん」

 やっとナオは顔を上げて泣き笑いのような表情を見せた。

 数駅先の繁華街にあるカラオケに着く頃にはナオは元気を取り戻していった。

「ここで遊ぼうって言われてるんだけどカラオケとか平気?」

 何せ富士峰のしかもまだ中学生なのだから僕は念のために聞いた。

「大丈夫です。お友だちと何度か入ったこともありますし」

「よかった。じゃあ行こう」

「はい」



 兄友と女さんはもうカラオケのフロントで僕たちを待っていた。

「ようナオト」

「ナオト君こっちだよ」

「やあ」

「こんにちは」

「ナオちゃんも今日は〜」

「じゃあ行こうぜ。俺が受け付けしてくるよ。とりあえず二時間でいいな」

 兄友がチェックインするために受付のカウンターの方に向かって言った。
146 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:53:43.24 ID:g/BzIvsyo

 クリスマスの後の昼間のせいかすぐに待たずに個室に案内された僕たち十人以上は座れ
そうなボックスを見て戸惑った。

「どう座ろうか」
 やたら広い室内を見ながら女さんが言った。「これは広すぎるよね」

「まあ狭いよりいいじゃん。適当に座ろうぜ」

「ナオちゃん一緒に座ろう」

 女さんがナオの手を引いてモニターの正面のソファの方にナオを連れて行った。ナオは
手を引かれながら何か言いたげにちらりと僕の方を見た。

「じゃあ俺たちはこっちに座ろうぜ」

 兄友が言った。

 僕の方を見ていたナオの視線が脳裏に浮かんだ。僕はもう迷わずナオの隣に腰掛けた。
ナオは微笑んで僕の手を握ってくれたけどもちろんそれは兄友や女さんにも気がつかれて
いただろう。

「何だよ。こっち側に座るの俺だけかよ」
 兄友がぶつぶつ言った。「何でお前ら三人だけ並んで座ってるんだよ」

「じゃあ、あんたもこっち座れば」
 女さんが自分の隣の席を叩いて見せた。「ここおいでよ」

「何でこんなに広いのに片側にくっついて座らなきゃいけないんだよ」

 兄友は文句を言いながらも女さんの隣に納まった。

 確かに広い部屋の片隅で身を寄せ合っている姿は傍から見て滑稽だったろう。でも僕は
多分ナオの期待に応えたのだ。僕は隣に座っているナオを見た。ナオもすぐに僕の視線に
気が付いたのかこちらを見上げて笑ってくれた。

 これなら今日はナオと色々話せそうだった。

 ところがしばらくするとそれは甘い考えだったことがわかった。

 曲が入っているときは話などまともにできなかったし、曲の合間は女さんと兄友が好奇
心に溢れた様子でひっきりなしにナオに話しかけていたからだ。
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:54:28.86 ID:g/BzIvsyo

 最初は戸惑っていたナオも女さんや兄友に親しげに話しかけられているうちに次第に二
人に心を許していったようだった。

 学校のこと、ピアノのこと、趣味のこと。そして僕との馴れ初めやいったい僕のどこが
気に入ったかという質問が二人からナオに向けられ、最初はたどたどしく答えていたナオ
は最後の方では笑顔で女さんと兄友に返事をするまでになっていた。

 彼女が僕の友だちと仲良くなるのは嬉しかったけど、僕抜きで盛り上がっている三人を見ていると少しだけ気分が重くなってきた。

「そういや昼飯食ってなかったじゃん。ここで何か食おうぜ」

 兄友が言った。

「そうだね。ここなら安いしね」

「ピザとチキンバスケット頼んでくれよ」

「あんた一人で食べるんじゃないっつうの」
 女さんはそう言ってメニューを広げた。「ナオちゃん、二人で選んじゃおう」

「はい」

 ナオは楽しそうに女さんに答えた。二人はしばらくメニューを見てから楽しそうに注文
している。

「おいナオト。おまえさっきから何も歌ってねえじゃん。ナオちゃんだって歌ってるのに
よ」

「僕はいいよ、歌苦手だし」

「何だよ、うまいとか下手とかどうでもいいじゃんかよ」

 僕が言い返そうとしたとき、客が少ないせいか早くも注文した食べ物や飲み物を持った
店員が部屋に入ってきた。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:54:58.36 ID:g/BzIvsyo

「何か話してばっかで全然歌えなかったね」

 結局二回時間を延長したために外に出たときはもう薄暗くなっていた。あちこちのビ
ルの店舗から洩れる灯りが路面をぼんやりとにじませている。

「おまえがナオちゃんにペラペラ話かけていたせいだろうが」

 兄友が笑って言った。

「何よ。あんただってナオちゃんに興味深々にいろいろ質問してたくせに」

「そりゃまそうだけどさ。ナオちゃん」

「はい?」

「ナオちゃん歌上手だね。あと君は本当にいい子だな」

「え」

「ナオトをよろしく。こいつ口下手だし根暗だし真面目なくらいしか取り得がないけど
さ」

 ちょっとだけ改まった口調で兄友が言った。

「あんたそれ言いすぎ」

 女さんが真面目な口調になって兄友に注意したけど兄友は気にせず言葉を続けた。

「でもいいやつなんでよろしくね」

 ナオは少し驚いたようだったけど、顔を赤くして兄友に答えた。

「ええ。よくわかってます。心配しないでくださいね」

「うん。じゃあまたな。ナオト、おまえナオちゃんを送って行くんだろ」

「あ、あたしは大丈夫です」

「送っていくよ」

 僕はナオの顔から目を逸らして言った。
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/16(日) 00:58:11.24 ID:g/BzIvsyo

 電車を降りてナオの家の方に向かっている間中、僕は黙ってナオの先に立って歩いてい
た。

 これではさっきナオをピアノ教室に迎えに行った時と同じだ。そしてさっきはナオの理不
尽な怒りに頭がいっぱいだったのだけど、今のこの感情はナオには責任がないことはわ
かっていた。ただ形容しがたい寂しさが僕の中にあるだけだった。

 これは理不尽な怒りだ。ナオには何も責任はない。ナオは僕に誘われて兄友たちと会い
社交的に彼らと話しただけだ。

 これでは怒りと言うよりも相手にされなかった子どもが拗ねているのと同じだ。

 僕の脳裏に今まで思い出すこともなかった記憶が蘇った。

 母親がいない夜。

 自分も半泣きになりながら、誰もいない家に怯え抱きついて泣いていた妹を抱き締めた僕。
夜中になってようやく帰宅した酔った母から漂う香水とお酒の混じったように匂い。

 珍しく父が家にいる時の団欒。父がいるだけで普段の陰鬱な夜は姿を潜め、母も妹も上
機嫌で父の喋るつまらない冗談に笑いさざめく。

 でも僕には両親が離婚前の記憶はないはずだった。何でこんなにリアルにこんな情景が
浮かぶのだろう。それに僕には義理の妹の明日香がいるだけだ。実の妹がいるなんて聞い
たこともない。

 突然脳裏に押しかけてきた圧倒的にリアルな悪夢を頭を振って追い払った時、ナオが僕
の背後から不安そうな声で僕に声をかけた。

「あの。ナオトさん何か怒ってますか」

 おどおどとしたナオの震え声を聞いた途端、突然僕の心が氷解した。僕は振り返ってナオ
に手を差し伸べた。ナオが僕の手をそっと握った。

「ごめん。ナオちゃんがあいつらとずっと楽しそうに話していたし、僕は君とあまり話せな
かったんで少しだけ嫉妬しちゃったかも。僕が悪いんだよ」

 その時ナオは少しだけ怒ったような、それでいて少しだけ嬉しそうな複雑な表情を見せ
た。

「あたし、ナオトさんのお友だちと仲良くしてもらって嬉しくて」

「うん、わかってる。僕が勝手に君に嫉妬したんだ。本当にごめん」

 ナオは僕を見つめた。

「あたし、兄友さんと女さんとお話できて嬉しかったですけど、やっぱりナオトさんと二
人きりでいたいです」

「そうだね。今後は二人でカラオケ行こうか」

「はい。今度はナオトさんの歌も聞かせてくださいね」

 ナオはようやく安心したように僕の腕に抱きついて笑った。
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/16(日) 00:58:42.14 ID:g/BzIvsyo
今日はここまでです

また投下します
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/16(日) 01:00:26.30 ID:rpA4foNbo
152 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/16(日) 12:57:21.39 ID:CZnByDf7o
ベタ甘すぎて後が怖いww
153 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/16(日) 14:02:09.60 ID:REP04f4IO
このナオは相当な天然ビッチかもしれない。怖い、、、、
154 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/16(日) 19:37:40.87 ID:h79w330mo
155 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:18:31.73 ID:CZWxbiQ2o

 結局何をしても兄貴の気持ちを振り向かせることはできないのだろうか。

 あたしは少し落ち込み気味に考えていた。自分が昨晩やらかしてしまったことはよく覚
えている。昨日はあたしは相当お酒を飲んでいたけど自分がしでかしたことの記憶は何と
残っていた。

 あんなことは酔っていなければ思いつかなかっただろう。あたしはふらつきながら帰宅
するとリビングでお気に入りの音楽をかけた。相当な音量だったのだろう。普段はあたし
を無視する兄貴がわざわざ自分の部屋から出てきてオーディオの電源スイッチをオフにし
に来るほどに。

「近所迷惑だろ。何時だと思ってるんだよ」

「うっさいなあ。あたしのそばに来ないでよ」

 この時の兄貴とのやり取りは酔っていたせいもあってあまりはっきりと覚えていない。
ガキといわれて反発した記憶がうっすらと残っているくらいだ。

 次に意識がはっきりした時、あたしはバスルームでシャワーを浴びていた。間違って冷
たい水を浴びたせいか一瞬だけあたしの心がはっきりと覚醒したのだ。

 奈緒から兄貴を守るためには手段を選んでいてはおぼつかない。それがよくわかってい
たから、酔いに任せてその手段に出たこと自体は今思い返してもあたしは後悔していない。

 あたしはそのままの姿でバスルームを出た。もし兄貴がその気になってあたしを襲って
もいい。

 その時はあたしはその覚悟を決めていた。イケヤマを拒否して待たせてたあたしが、好
きでもない兄貴にそういうことをされるかもしれないことはよくわかっていたけど、もう
手段を選べる状況ではないのだ。

 真面目な兄貴だってしょせんは高校生の男子だ。

「お兄ちゃんの言うとおりにシャワー浴びたてきたよ」
 あたしは兄貴に微笑みかけた。「どう?」

「どうって何が・・・・・・つうか服着ろよ」

 兄貴は臆病にも程があるけどあたしの裸身から目を逸らした。

「お兄ちゃん、ちゃんと見て。これでもあたしはガキなの? ねえ。これでもあたしって
ガキなの?」
 あたしは兄貴に近づいた。「あたしを見てどう思った?」

 兄貴は身を固くして下を向いている。

「あ、そうか。お兄ちゃんってキモオタだから見ただけじゃわかんないのか」

「おい、よせよ。僕たちは兄妹だろ」

「何言ってるのよ。本当の兄妹じゃないじゃん。それにそんなことは今関係ないでしょ」

 あたしは裸のままで兄貴に抱きつこうとした。その時視界が傾いて歪んだ。やはりちょ
っと飲みすぎたみたいだった。

 あたしはそのまま意識を失った。
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:21:30.51 ID:CZWxbiQ2o

 翌日あたしは全裸のままベッドで目を覚ました。頭が痛いし気持悪い。それに時計を見
ると完全に遅刻だった。両親が不在な日なのでそこだけはラッキーだったけど。

 それでもあたしには昨日の記憶はうっすらと残っていた。裸で兄貴を挑発している最中
に意識を失うところまでは。

 あたしは無理に起き上がって自分の裸身のあちこちを仔細に眺めてみた。

 特に変わったところはない。やはり兄貴はあたしの部屋のベッドまであたしを運んでそ
のまま放置したのだ。目の前には血の繋がっていないあたしが意識を失ったまま全裸だっ
たのに、何の手出しもしないで。

 ここまでしてだめなら玲子叔母さんのアドバイスに従うしかないだろう。あたしはそう
思った。叔母さんの言うとおりなら、キモオタアニメ中毒の兄貴はあたしのギャルっぽい
格好に抵抗があるのだ。

 もてない男の典型みたいだけど、兄貴は奈緒のような清純で男と付き合ったことなんて
なさそうな子にしか興味がないのだろう。あたしの見たところ実際の奈緒は清純な女の子
でも何でもないように見えたけど。

 別に奈緒があたしのように遊んでいるとかそういうことではない。実際の経験とか行動
だけで言えば奈緒は見た目どおりの女の子かもしれない。でも彼女の行動は自然に男に媚
びて自分に振り向かせようとする態度が見え見えだった。

 生まれついてのビッチというのが的確な表現かもしれない。奈緒の母親は何人もの男と
浮気して結城家の崩壊の原因を作ったそうだけど、血は争えないと言うべきなのだろうか。

 今日は学校を休もう。髪を染めて昔の服を引っ張り出すくらいなら簡単にできる。体型
もほとんど昔と変わっていないし。そうしてとりあえず外見だけでも兄貴好みの地味で清
純そうな女子中学生を演じよう。

 そこであたしは重苦しい気持ちで思い出した。昨夜あれほどお酒を飲んだのだって別に
面白半分で飲んでいたわけじゃない。

 あたしは昨日イケヤマに別れを切り出したのだ。

 昨晩あたしはイケヤマと二人でいつもの店にいた。その店は支払いさえきっちりすれば
年齢のことなんてうるさく言わない店だった。マスターは以前はイケヤマの通っている工
業高校のOBだとか言っていた。

 あたしはこの店の雰囲気は好きじゃなかった。ここにイケヤマや仲間たちとたむろって
いると本当に取り返しのつかないくらいに自分が汚れて行くような気がしたから。

 でもその夜イケヤマをこの店に呼び出したのはあたしだった。あたしは兄貴を誘惑する
ために自分の彼氏と別れようと思ったのだ。
157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:23:28.05 ID:CZWxbiQ2o

 イケヤマを店に呼び出したあたしは彼に別れ話を切り出したけど、思っていたとおり彼
は全然納得してくれなかった。それはそうだろう。別れたいというあたしの希望の理由は
曖昧で我ながら全く説得力がなかったから。

 本当のことを言えば彼が納得して別れてくれるかどうかは別にして、動機だけはそれな
りにわかってもらえたかもしれない。でも、とても兄貴を誘惑したいからなんて言葉にす
ることはできなかった。さらに言えばそれは兄貴と兄貴の実の妹との恋愛を邪魔するため
だなんてイケヤマには言えるはずもない。

 そういうわけであたしが別れ話を切り出してもイケヤマは憤るだけで全然話は進まなか
った。

「おまえ他に男ができたんだな。誰だか言えよ」

「だからそんなのいないって」

「嘘つくな。誰だよ? まさかイイダか」

「んなわけないでしょ。なんであたしがあんなやつに惚れなきゃいけないのよ」

「じゃあ誰だよ」

「だから男ができたわけじゃないって」

「じゃあ何で俺と別れるとかって言うんだよ。納得できねえよ」

「何度も言わせないでよ。さっき言ったとおりあたしはそろそろ真面目になって受験勉強
とか始めたいのよ」

「それと俺と別れるのって関係ねえじゃん。おまえが勉強したいなら俺だって夜誘ったり
しねえしよ」

「それじゃだめなんだってば。うちの兄貴と同じ高校に入るには相当頑張らないと無理っ
ぽいのよ。だから彼氏なんていたらとても勉強に集中できないじゃない?」

 我ながら嘘っぽい言い訳だった。でも全くの嘘でもない。うちのパパとママはあたしに
対して兄貴に抱いているほど期待していない。それでもあたしがイケヤマと同じ工業高校
なんかに入ったら、二人ともますます兄貴を可愛がってあたしのことなんか気にも留めな
くなるだろう。

 そのことは半ば諦めていたことなのだけど、兄貴の好みの女の子が奈緒のような子だと
わかった以上、外見だけでなく中身も少しは頑張らないといけない。たとえ兄貴の高校ほ
ど偏差値の高い学校に行けなくても、少しは努力している様子を兄貴はもとより両親にも
見せないという思いはあたしにもあった。だから兄友に話したことはあながち嘘ではなか
ったのだ。

 でもやはり無理があることは自分でもわかっていた。実際、これまでもあたしは勉強し
ようと思いながらも、そのためにイケヤマと別れようなんて考えたことはなかったのだか
ら。

「おまえ何か隠してるだろ」

「何にも隠してないよ。つかあんたもてるんだからあたしなんかに執着しなくたっていい
じゃん」

 それは本当のことだった。イケヤマと付き合い出したことであたしはこれまでも高校生
のギャルっぽい女の子に何度か嫌がらせされたことがあった。

「ほら、いつもあんたに擦り寄ってくる高校生の先輩たちがいるじゃん? あの女の人た
ちと付き合えばいいのに」

 あたしはしつこいイケヤマの追求にいらいらしてつい心無い言葉を発してしまった。
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:27:32.33 ID:CZWxbiQ2o

 イケヤマはむっとしたようだった。

「俺はあんな女なんかに興味ねえよ。俺が好きなのはおまえなんだって」

「あたしより綺麗じゃん? あの人たち」

「俺はさ、おまえの清純で初心なところが好きなんだよ。あんなビッチなんかごめんだ
よ」


 え? こいつは何を言っているのだろう。あたしが清純で初心な女?

 シリアスな場面だったのにあたしは思わず笑い出してしまった。

「清純で初心な中学生の子がこんなとこでお酒なんか飲むわけないじゃん」
 あたしはイケヤマに言った。「もっと言えば清純な子があんたなんかと付き合うわけな
いでしょ」

「そういやあんた、まじめで大人しい格好の女の子が好みだったよね」
 あたしはそこでこいつの嗜好を思い出した。「前にあたしにも黒髪ロングでスカート長
くしろとかって言ってたもんね」」

「まあ言ったけどよ」

「いい加減にしろよ。あたしにあんたの幻想を押し付けるな。あたしはどうしようもない
ビッチであんた好みの真面目な女じゃないつうの」

「おまえはビッチじゃねえよ」

 イケヤマは愚鈍な表情であたしを見て繰り返した。

 いったいこいつにあたしの何がわかるというのだろう。

あたしが遊び始めた理由。あたしが兄貴を嫌いになった理由。あたしの派手なギャル風
の服装に眉をひそめていたママの視線にあたしが快感を覚えた理由。

 あたしの気持なんか何にも知らないで適当な思い込みで喋るな。

「あたしはあんたがそうあって欲しいと思っているような女じゃないよ。あんたが大人し
い子とかが好みならさ、こないだイイダたちにレイプされそうになった富士峰のお嬢様と
かいたじゃん? ああいう子たちと付き合えばいいんじゃね?」

 多分あんたじゃ怖がられて逃げられてお終いだろうけどね。あたしは嫌がらせでそう言
ってみた。

「俺はおまえの方がいい」

 あたしはため息をついた。イケヤマには話が通じない。

 その時あたしに天の啓示のような思いが降ってきた。

 きっと酔っていたせいだろう。そこまでひどいでも効果的な行動は、いくらあたしでも
素面で思いつけるようなことではなかったから。
159 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:30:20.00 ID:CZWxbiQ2o

「じゃあ、こうしようよ」

 あたしはイケヤマの表情を覗った。

「何?」

「あんたは真面目で清純な女の子が好きなんでしょ? 別にあたしじゃなくてもさ」

「・・・・・・俺が好きなのはおまえ」

 あたしはイケヤマの言葉を遮った。

「まあ聞けよ。とりあえず試してみようよ」

「試す?」

「そう。あんたが本当にあたしのことが好きなのか、それとも真面目そうな世間知らずの
女の子が好みなだけなのかさ」

「意味わかんねえよ」

「この間イイダに犯されそうになってた富士峰の中学生いたじゃん? あの子を何とかし
ちゃいなよ」

「何とかって」

 イケヤマは戸惑っている様子だった。

「あの子は富士峰の中二で、ピアノコンクールの常連の入賞者なのよ。極めつけのお嬢様
で、しかも外見はすごい美少女じゃん。完璧にあんた好みの子でしょ?」

「俺はおまえの方が・・・・・・それで?」

 少しイケヤマの興味を引けたようだ。

「その子をナンパでもいいし、何だったら無理矢理レイプしてもいいからあんたの女にし
ちゃいなよ」

「レイプっておい。いきなり知らない子にそんなことできるかよ。それに何で俺がそんな
ことしなきゃいけねえの」

「あんたがナンパであの子を自分のものにする自信があるならそれでもいいけど。でもあ
れだけの奥手のお嬢様相手にナンパって厳しくない?」

「何言ってるのかわからねえ」

 イケヤマは本気で頭を抱えて悩んでいた。

「簡単だよ。あんたがあの富士峰の子とナンパでもレイプでもいいけど、一度あの子を自
分の女にしちゃえってこと。それであの真面目そうな子を自分の女にしてみてあたしと比
べてみなよ。それでもあたしの方がいいって言うならまたあんたとの付き合いを考えてあ
げるよ」

 今度こそ本当にイケヤマは心を動かされたようだ。

「本当だな」イケヤマは言った。「俺があの子を俺の女にしてみて、それでもおまえの方
がよかったらよりを戻してくれるんだな」

「考えてあげるということだよ。だから一度あたしたちは別れよう」

 イケヤマが再び考え込んだ。
160 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/19(水) 22:35:32.34 ID:CZWxbiQ2o

「おまえ、普段から関係ない真面目な子を巻き込むのって嫌いだったじゃんか。こないだ
だってイイダたちからあの子たちを助けてたしよ」

 あの時のあたしは本当に清純で穢れのない兄貴の実の妹を助けたつもりだったのだ。実
の兄貴を残酷な目的で誘惑するようなビッチを助けたのではなくて。

 今晩はイケヤマと別れられればそれでいいと思っていたけど、思いがけない収穫があり
そうだった。あたしはその時相当酔っていたけど口調はしっかりとしていたはずだった。

「うるさいなあ。やるの? やらないの」

「要するにあのピアノ教室から出てきてイイダに脅かされた子を俺の女にすればいいんだ
な? 手段は何をしてもいいと」

「うん」

「そんでその子よりおまえの方がよかったら俺とよりを戻すってことか」

「よりを戻すかどうか考えてあげるってことだよ」

 あたしは訂正した。

「わかった、やるよ」

 イケヤマが言った。

 全くためらいがなかったわけではない。奈緒は天然のビッチかもしれないけど見た目は
幼くて、そして彼女が処女であることは多分間違いなかった。その奈緒をあたしはイケヤ
マを唆して犯させようとしているのだ。

 最初にこの店に来た時はここまでは考えていなかった。兄貴と付き合うことができるよ
うにイケヤマと別れられればよかったのだ。

 でもその目的は奈緒が兄貴に仕掛けているらしい残酷な罠から兄貴を救うことだった。
奈緒がここまで酷いことを兄貴にしている以上、あたしだけが奈緒に遠慮して手加減して
いる場合ではない。

 あたしは無理に自分に言い聞かせた。

 酒が入っていたあたしはイケヤマのあたしに対する執着心を利用したこの手段を偶然に
思いついたことに満足していた。

「じゃあ、決まりね。でもあんまり暴力でいうことを聞かせようとするなよ。あっちは未
経験のお嬢様なんだから」
 イケヤマが大人しい子が好みだとわかっていたあたしは、イケヤマを煽るように言った。
「怪我をさせるとかセーラー服を破るとかしちゃだめだよ」

「わかってるよ」

 心を決めたのかイケヤマは低い声で言った。

「どうかなあ。あんまり興奮しすぎて自分を見失うなよ」

 この辺であたしの意識が遠くなっていった。

 気がついたときにあたしは自宅のリビングで大音量の音楽を聞きながら横になっていた
のだった。イケヤマが奈緒を落そうとしている間もあたしは兄貴に言い寄ろう。

 兄貴が大音量の音楽を気にしてか、自分の部屋から出てリビングに入って来た。
161 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/19(水) 22:36:09.87 ID:CZWxbiQ2o
今日は以上です

ここまでお付き合いくださっている方、ありがとうございます
162 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/19(水) 22:58:26.39 ID:MZMXg3TDO
いいってことよ。

>>1乙 楽しみにしてる
163 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/20(木) 00:59:13.61 ID:YK9UdnoOo
おおぅ、面白くなってきた。
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/21(金) 01:51:15.01 ID:ysDkpo/+o
165 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:47:01.45 ID:f/e6iMFao

 あたしがイケヤマやそれまで付き合っていた友だちと縁を切り髪を黒くし化粧するのを
やめてからも、こと兄貴に関して言えばそれほど目立った収穫は何もなかった。

 初めて真面目なあたしの姿を披露したとき、兄貴は驚いてあたしを眺めていた。兄貴を
驚かせることが目的だとしたらそれは十分な成功だった。

「おまえさ、何かあったの?」

 兄貴は間抜な顔であたしに聞いた。

 でもあたしの目的は兄貴を誘惑することだ。そして兄貴の傷が浅いうちに奈緒と別れさ
せること。そうすることによってのみ、兄貴は奈緒に傷つけられずに済むのだから。

 よく考えればいろいろ浅い企てだったかもしれない。あたしは別に兄貴のことなんか好
きじゃない。それなのに兄貴を誘惑しようとしている。仮にこの企みがうまく行って兄貴
が奈緒のことなんか忘れるほどあたしに夢中になったとしよう。

 それで兄貴は救われるしあんなビッチにうちの家族を傷つけさせることは阻止できる。

 でもそこから先は?

 あたしはあたしに夢中させた兄貴とその先も恋人として付き合って行くのだろうか。仮
に奈緒の企みを阻止した後で、あたしは「お疲れ様兄貴」と言って兄貴に別れを告げるの
だろうか。それはそれで兄貴を傷つけるような気がする。

 要するにあたしの覚悟は本物だったと言えるけど、しようとしていることの細部は穴だ
らけだったのだ。

 でももう止めるわけにはいかなかった。中途半端だとはいえこのためにイケヤマと別れ
ることまでしたのだ。

 あたしは覚悟を決めた。自分の家族を守るためだったらあたしは犠牲になろう。キモオ
タの兄貴だけど、こうなったら仕方がないからずっと兄貴の彼女でいてあげよう。

 兄貴とあたしは血が繋がっていない。それにこんなに仲が悪いあたしたちだけど、幼い
頃から一緒に育ったおかげでお互いのいいところや悪いところも知りつくしている。

 考えて見れば付き合いの長さではお互いに誰にも負けないのだ。イケヤマにも奈緒にも。

 血の繋がっていない男女の間ではこれは相当に珍しいことではないか。言いかえれば運
命といってもいいかもしれない。

 あたしは兄貴と奈緒が一緒に歩いているところを目撃した時の奇妙な胸の痛みを思い出
した。キモイ兄貴だけどあたしとっては一番身近な異性であることに変りはない。

 少し気持悪い考えだったけどやはり兄貴とあたしは結ばれる運命にあるのかもしれなか
った。
166 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:47:38.30 ID:f/e6iMFao

 この晩、あたしは兄貴と奈緒がまだ付き合ったばかりだということを兄貴から聞いた。

 あたしは単刀直入に兄貴に尋ねてみた。

「で、あの子の名前は?」

「鈴木ナオ」

「ふーん。で、そのナオって子のこと好きなの?」

「・・・・・・好きじゃなきゃ付き合うわけないだろ」

 その時どういうわけかあたしは涙が浮ぶのを止めることおができなかった。これはいっ
たい何のために流して衣類涙なのか。

 きっと運命とか一番身近な異性とか気持悪いことを考えすぎたせいだ。それに兄貴がは
っきりと好きと断言した奈緒に対して酷いことを仕掛けているという罪悪感もあったかも
しれない。もちろんそれは奈緒に対してではなく兄貴に対する罪悪感だけど。

「泣いてるの? おまえ」

 あたしを放って自分の部屋に戻ろうとしていた兄貴が戸惑ったように言った。

「・・・・・・泣いてない」

 困ったような顔をしてあたしの脇にいた兄貴は、やがて突然あたしの肩を抱きしめた。

 あたしは一瞬驚きそして赤くなった。こういうコミュニケーションを兄貴のほうからし
てくるのは初めてだったから。

 あたしは思っていたより大きな兄貴の手で肩を抱かれどきどきしながらまるで本当に自
分が扮しているような初心な女の子になってしまったような気がして、ひたすら体を固く
していた。

 結局兄貴はあたしとイケヤマの別れを知っていて、あたしがそのことに悩んでいると思
っていたようだ。いい兄貴としてあたしを慰めようとしたのだ。一瞬自分の勘違いに腹を
たてたあたしだけど、それでもこういうコミュニケーションを兄貴のほうからしてきたの
は前進だった。

 きっとこれも清楚な女の子に変身したおかげだろう。昨日までのあたしならこの程度の
ことでさえ兄貴がしてくれるわけがない。あたしは叔母さんに感謝した。

 あたしは兄貴を見つめて真面目な顔で言った。「明日からはもうギャルぽい格好するの
やめたの。お兄ちゃんのためにこれからはずっとこの路線で行くから」

 兄貴は今度こそ本当に呆然とした様子であたしの肩から手を放してあたしを見た。



次の夜に兄貴と話をしたとき、あたしはもう迷わなかった。両親が不在の家に帰宅した
兄貴はあたしの用意した夕食を見て失礼なことにすごく驚いているようだった。

「さっきから何なの? 妹がお兄ちゃんにお風呂沸かしたり食事を用意するのがそんな
に不思議なの?」

「うん。不思議だ。だっておまえこれまでそんなこと全然しなかったじゃん。むしろ僕
の方が家事の手伝いはしてただろ」

「ふふ。これからは違うから」

 あたしは微笑んだ

「はい?」

「あたしはもう彼氏とも別れたし遊ぶのも止めたの・・・・・・それは今さらピアノを習うわ
けには行かないけど」

「おまえ、何言ってるの」

 あたしは立ち上がって兄貴の隣に席を移した。

「いい加減に気づけよ。あたしはあんたのことが、お兄ちゃんのことが好きだってアピ
ールしてるんじゃん」

 あたしは兄気に抱きついてキスした。
167 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:48:09.07 ID:f/e6iMFao

 イブもクリスマスも兄貴は家にいた。別に奈緒と約束がある様子でもなく普通に家で過
ごしていた。今ではイケヤマと別れたあたしも別に用事はなかったので、世間が浮かれて
いるその日もあたしも兄貴も普段と同じように家にいた。

 ・・・・・・つまり両親の帰宅が遅い家でお互いに自分の部屋にこもって別々に過ごしたのだ。

 一応ママがいなかったのであたしは簡単な夕食を用意した。イケヤマと別れて遊ぶのを
止めてから、ママの帰宅が遅いときにはあたしは兄貴とあたしの夕食を用意するようにな
っていた。それはママを喜ばせることになったのだけど、兄貴がどう思っていたかはよく
わからない。あいつはいつもあたしの用意した食卓を戸惑った様子で眺めていただけだっ
たから。



 クリスマス明けの二十六日は土曜日だった。クリスマスに奈緒と約束がなかった兄貴の
ことだから、あたしは兄貴は土日も家で過ごすのだろうと何となく思っていた。

 この考えは甘かった。あたしが十時ごろ目を覚ますと両親も兄貴も家にはいなかったの
だ。

 完全に油断した。友だちの少ない兄貴が週末に外出なんで奈緒関係以外は考えられない。

 あたしは急いで身支度をした。もちろん前と違って少しだけフェミニンで少しだけ真面
目系のお洒落をして。

 あたしはとりあえず兄貴を探すつもりだった。もちろん闇雲に探したって兄貴たちを見
つけられるはずはない。でもあたしには心当たりがあった。

 あの日、奈緒がピアノ教室から出てきてイイダたちに絡まれたのは土曜日の昼過ぎだっ
た。多分土曜日のあの時間までピアノのレッスンがあるのだろう。

 あたしは足早に駅の方に歩いて行った。とりあえずピアノ教室のそばで奈緒を待ってい
ればいい。どこで兄貴と待ち合わせしようと奈緒を見つけて後を付けていけば兄貴との待
ち合わせ場所に連れて行ってもらえるはずだった。

 一度だけ酔って歩いただけの住宅街だったから、あたしは教室を見つけるのに相当苦労
した。この街並みはまるで迷路のようだ。それでもあたしは時間前に何とか以前来た場所
に辿り着くことができた。

 まだ少し早いのか教室の扉は固く閉ざされていたけど、家の中からはかすかにピアノの
音が響いている。

 あたしは少し離れた目立たない場所で奈緒が出てくるのを待った。多分もう少しのはず
だ。

 その時、あたしはピアノ教室の前で姿を隠す様子もなく立っている男に気がついた。金
髪とピアス、Tシャツにルーズなジーンズ。無骨なチェーンのブレスレット。無愛想な強
面顔。

 それはイケヤマだった。

 考えて見ればあいつがここにいることに不思議はない。イケヤマは律儀にあたしとの約
束を守って奈緒を自分の女にするためにここで彼女を待っているのだろう。こいつはこの
先どうするつもりなのだろう。正攻法で奈緒に声をかけて誘うつもりなのだろうか。

 イケヤマには悪いけどこれだけ柄の悪い男にあの奈緒が着いて行くはずはなかった。そ
れならここで奈緒を待ち伏せして彼女を着けて行くつもりなのだろうか。そしてどこか人
気の無いところに出るチャンスをうかがって奈緒に無理矢理言うことを聞かせるつもりな
のかも知れなかった。

 そもそもそうしてもいいよと唆したのはあたしだけど、それにしてもこんな一目につく
ところで堂々と待つなんてこいつはいったい何を考えているのか。犯罪まがいというか犯
罪そのものを仕掛けるつもりならもっと慎重にやれよ。

 あたしは心の中でイケヤマを罵った。
168 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:49:09.95 ID:f/e6iMFao

 それにしても変だ。

 あたしはふと気になった。イケヤマはこんなだけど見かけほど愚かな男ではない。こい
つが知らない女を無理矢理どうこうしたなんて聞いたことがない。

 それにあたしの唆しに踊らされているにしてもこいつの知能ならもっとうまくできるは
ずだ。少なくともこれから犯罪まがいのことをするかもしれないのにこんなに堂々と人目
につくところに立っているわけはない。

 あたしはあまりにも不審だったので隠れている場所から姿を現して直接イケヤマに問い
質そうと思った。

 でもその時兄貴が姿を現した。きっと奈緒を迎えに来たのだ。

 あたしは危ういところで再び姿を隠すことできた。

 兄貴は教室の扉の方を眺めてから落ち着かない様子で周囲を見回した。兄貴はイケヤマ
が目の前にいることに気づいたようだった。同時にイケヤマも兄貴が姿を現したことに気
がついた。その時、兄貴とイケヤマの視線が絡んだ。

 すぐにイケヤマは兄貴から目を逸らして遠ざかって行った。こいつにしては上出来だ。
一瞬あたしはイケヤマが兄貴に喧嘩でもふっかるのではなかと思ったけど、よく考えれば
兄貴とイケヤマはお互いのことを知っているのだ。直接話したことはないにしても。

 あたしがほっとしたそのとき、教室の扉が開き真っ先に奈緒が飛び出して来た。奈緒は
兄貴を見つけると迷わずに駆け寄って兄貴の腕に抱きついた。

 ここからでは会話は聞こえないけど、二人が何を話しているのかを理解するのにたいし
た想像力は必要ない。きっと甘い会話でもしているのだろう。

 二人がいちゃいちゃしたまま駅の方に向かうかと思ったけど意外な邪魔が入った。

 奈緒より活発そう印象だけどやはり奈緒と同じお嬢様タイプの女の子が奈緒に話しかけ
たのだった。

 その会話は聞こえないけどどうやら友だちに彼氏がいたことに興奮して紹介するように
でも話しているのだろう。少し離れたところで隠れているあたしにも、奈緒がこの子のこ
とをユキと呼んでいる言葉だけは辛うじて耳に届いた。

 このユキとういう子には見覚えがあった。たしかイイダたちが奈緒に乱暴しようとした
時に一緒にいた子だった。あの時奈緒がイイダたちに弄ばれていれば、次はこの子も酷い
目にあっていたはずだ。

 やがて兄貴と奈緒は二人でこの場を離れていった。もちろんあたしもこの二人を追いか
けようと思ったのだ。

 兄貴と奈緒が姿を消すとやがてユキも駅の方に向かって歩いて行った。

 その時、再び姿を現してユキの背中を食い入るような目で見つめながらユキの後をつい
て行くイケヤマの姿が目に入った。
169 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:50:03.70 ID:f/e6iMFao

 バカじゃないのこいつ。

 あたしは腹立たしかった。あたしがイケヤマに指示したのは奈緒を自分の女にしちゃえ
よということだった。

 確かにイイダたちが富士峰の中学生の女の子たちを襲おうとした場所には二人の女の子
がいた。

 だからあたしもはっきりと指示しなかったから悪いと言えば悪いのだけど、それにして
もあの時イイダたちに抱き寄せられたりスカートを捲られて卑猥な言葉を投げかけられて
いたのはユキではなく奈緒の方だ。普通ならあたしが言ったのは奈緒の方だとわかるはず
ではないか。

 もっとはっきりと説明しておけばよかった。でも今さらそんなことを言っても仕方がな
い。あたしは兄貴と奈緒を追跡するつもりでここに来たのだけど、イケヤマが勘違いして
このユキという子に何かしようとしているならあたしはそれを止めさせなければならなか
った。

 兄貴に対して残酷なことを仕掛けているビッチの奈緒なら、別にイケヤマに酷いことを
されたって良心は痛まない。でも奈緒の友だちというだけのユキという子がイケヤマに狙
われているのを見過ごすわけにはいかなかった。しかも単なるイケヤマの勘違いのせいで
何の罪もないユキが犯されるなんて許すわけにはいかない。

 あたしは今日は兄貴のことは諦めることにしてユキとユキをつけているイケヤマを追い
始めた。

 住宅街の角であたしは一瞬二人を見失った。これはまずい。あたしは駆け足で角を曲が
って大通りに出ようとしたところで、イケヤマがユキに話しかけている姿が見えた。

 イケヤマに話しかけられたユキは立ち止まって怪訝そうに彼のことを見上げていた。イ
ケヤマは何かを畳み掛けるようにユキに話しかけていた。珍しく愛想笑いのような表情ま
でして。

 このバカは目標を取り違えただけでは飽き足らず正攻法でユキを誘って自分の女にしよ
うとしているらしかった。全くバカにも程がある。

 奈緒のことを陥すように明確に指示しなかったあたしにも確かに非があるから、こいつが
ユキを狙ったことは責められないかもしれない。でもピアノ教室に通っている富士峰の女子
中学生を真昼間からナンパして成功すると思っているとしたらバカにも程がある。しかも普
通の子ならド引きするレベルの自分の容姿を省みずに。

 ナンパが不発に終って恥をかかされたイケヤマが見境なく怒り出したときが、ユキにと
って一番危ない場面だ。奈緒を想定していたあたしはどんな手段を使ってもいいとイケヤ
マに言ってしまっていたのだし、仮に今そういう場面になったら出て行ってイケヤマを制
止しなければならないだろう。

 ここまで来たら仕方がない。あたしは兄貴と奈緒の追跡を完全に諦めた。
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:50:53.88 ID:f/e6iMFao

 その時、信じられないことにユキが笑顔でイケヤマに返事をしている姿が目に入った。
それは別にイケヤマを警戒するでもなく自然な可愛らしい笑顔だった。

 あたしは一瞬自分の目を疑った。実はイケヤマはすごく女の子受けするのだろうか。確
かにケバイ先輩の女の子たちにはもててはいた。でも目の前にいるユキはそういう先輩た
ちとは違う世界で育って来たはずだ。そんな子にまで通用するほどイケヤマってイケメン
だったのか。

 しばらく前までこいつの彼女だったあたしにだって、イケヤマがそんな魅力を持ってい
たとは気がつかなかったのに。

 イケヤマは笑顔のユキに向って再び何か話し出した。今度はユキは本気で笑い出してし
まった。しばらくしてやっと笑いやんだユキは何かをイケヤマに聞いているようだ。イケ
ヤマが今度は真面目顔になってユキを見つめて何かを話している。ユキも真面目な顔でそ
れを聞いている。ユキの表情には恐れとか驚きとかは全く感じられなかった。

 やがてイケヤマはユキに手を振ると駅の方に向かって一人で帰って行ってしまった。ユ
キは立ち止まったままでじっとイケヤマの姿が消えて行くのを眺めていた。


 やがてゆっくりと歩き始めたユキの後をつけながらあたしは考えた。

 イケヤマにはあたしが思ってもいなかったくらいに女の子を惹きつける魅力があるらし
い。今のユキの反応を見るとそれは認めざるを得なかった。多分今まで大切に育てられて
きただろうユキにとってはイケヤマなんかゲームに出てくるモンスターのようなものだ。
それだけ異質な異性にあれだけ心を許した笑顔を見せるなんて普通なら考えられない。

 あたしは前にイケヤマの友だちのカップルと一緒にカラオケで遊んだことを思い出した。

 あの時は兄友さんや女さんが兄貴の同級生なんてまだ知らなかった時期のことだ。

 兄友さんは小学生の頃からのイケヤマの親友だということだったけど、別にイイダたち
みたいな柄の悪い人ではなかった。兄友さんと女さんは兄貴と同じ明徳に通っているとの
ことだった。

 その時に兄友さんから聞いた言葉だけど、彼はイケヤマは見かけと違って常識的でいい
やつだと何度も言っていたっけ。あたしはそれを真に受けたわけではなかった。

 それに正直隠しているつもりだろうけど女さんがあたしとイケヤマのことを見下して嫌
っていることに気がついたあたしはその場では相当愛想のない態度を取っていたに違いな
い。

 そんな時に兄友さんはイケヤマのことを誉めたのだった。

「明日香ちゃん、イケヤマは本当にいいやつだからさ。嫌わないでやってくれよな」

 半分冗談のように兄友さんはあたしに言った。イケヤマは照れているのを隠しているつ
もりか無表情で次の曲を選んでいる。兄友さんの彼女はどうでもいいというようにオレン
ジジュースを飲んでいる。

「イケヤマってさ見た目はよくないけど、こいつがつるんでるようなやつらと違って普通
にいいやつだからさ」

 兄友さんは笑って言った。


 その時あたしは何であたしの彼氏が兄友さんじゃなくてイケヤマなんだろうと思って、
そしてそう思ったことに対してどきどきしたことを覚えていた。同時に兄友さんの彼女に
対しては憎しみしか感じなかった。多分あたしは女さんに見下されているのを感じ取った
からだろう。兄友さんに妙に惹かれた分、あたしは女さんのことが大嫌いになったけど、
それを表情に出すほどあたしは子どもではなかった。
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/22(土) 23:51:25.06 ID:f/e6iMFao

 回想にふけっていたあたしは思わずユキを見失って狼狽した。

 慌てて駅の方に向かうと一人で改札口を通ってホームに向うユキの姿を見つけることが
できた。

 これからどうしよう。

 何となくユキに着いてきたあたしだったけどもう何も考えつかなかった。兄貴たちのこ
とは既に見失った。そして心配していたようにイケヤマがユキのことををすぐにどうこう
するつもりがないならこれ以上ユキを追っていても仕方がない。無理矢理言うことを聞か
されるのではなくユキが自らイケヤマに接近するならもちろんそれは彼女の自由だった。

 それにしてもさっきイケヤマは何と言ってユキの気持ちを掴んだのだろう。金髪ピアス
のあの男がただ一言でユキを笑わせたのだ。

 見失ってしまったけど今からイケヤマにメールでもして話を聞きだそうか。あたしは一
瞬そう考えたけど、せっかくしつこいイケヤマから別れることができた以上何もこちらか
らあいつに接触する必要はないとあたしは考え直した。

 突然のことにイケヤマとユキとの会話が気にはなっていたけど、やはり心底から心配な
のは兄貴と奈緒のことだった。あいつらは今日はどこでデートするつもりなんだろう。

 あたしはそこで思いついた。そうだ。兄貴のことやイケヤマのことを同時に聞きだせる
相手がいるじゃない。

 ユキは奈緒と同じ学校でピアノ教室からも一緒に帰っていた仲だ。それが一人で帰って
いるということは奈緒に彼氏が出来たことを知っているのだ。それに奈緒が実際はどんな
女なのかも仲の良い関係のユキなら知っているかもしれない。

 ユキと話ができれば奈緒のことやさっきのイケヤマの会話のことも両方聞けるのではな
いか。あたしはユキとは何の面識もないからこれ無謀な挑戦かもしれないけど試してみる
価値はある。もともと兄貴を守るためなら相当無理をしてもいいと考えていたのだし。

 あたしは改札口を抜けてホームに向うエスカレーターに乗ったユキを追い駆けた。
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/22(土) 23:52:25.66 ID:f/e6iMFao
今日は以上です。

また更新します。

需要が少なそうにスレタイにも関らずスレを開いた方々に感謝してます。
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/23(日) 00:59:56.17 ID:1yAe4jq2o
乙!

面白いよー。見てるよー。
174 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/23(日) 03:26:28.13 ID:KKHGRrujo
175 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/09/23(日) 16:59:09.38 ID:tAyCFO3O0
もっとスレタイに気をつかえよ
176 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/09/23(日) 19:52:03.60 ID:2KzGL7Ex0
変なのが沸かないようにあえてのスレタイだと思う
おつかれー
177 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/24(月) 00:51:30.51 ID:jrr0+DX3o
178 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:52:38.54 ID:iCwr9AuZo

 ちょうど駅のプラットホームから出発しようとしていた電車にユキは乗った。このとき
あたしはエスカレーターの上にいた。あたしは慌ててエスカレータの残り数段を駆け上が
って扉が閉まる寸前の電車に飛び乗った。

 発車直前に電車に駆け込んだあたしの方に乗客の視線が向けられたけど、それはすぐに
無関心な沈黙に変わった。ユキは少し離れた場所で吊り輪に掴まっていたけど、あたしの
方を気にしていた様子はなかった。

 さあどうしよう。

 とりあえずユキを追い駆けて同じ電車に乗ったのはいいけど、たとえあたしにそんな勇
気があったとしても車内でユキに声をかけるわけにはいかない。そんなことをすれば間違
いなく一目を引くだろうし、第一いきなり電車の中で初対面の女に話しかけられればユキ
だって混乱するに違いない。

 あたしはだんだ弱気になってきた。今日はもう諦めようか。あたしは吊り輪に掴まった
ままイヤホンをさして音楽を聴いているユキの方をちらちらと眺めた。

 今日は土曜日だから私服姿だけどやはり何と言うか制服姿と同じくらい品のようなもの
が感じられる。いきなりあたしなんかに話かけられたら警戒されるのは間違いないような
気がする。

 もっともそうだとすると、彼女がさっき突然話しかけて来たイケヤマに笑顔を見せた理
由もわからないけど。

 もうすぐあたしの家の最寄り駅だった。ユキに話しかけて彼女から話を聞くのは、さっ
き思いついたときはいい考えだと思ったのだけど、だんだんとそれほどいい考えでもない
ような気がしてきた。声をかける勇気がないということもあるけど、よく考えればユキは
奈緒の友だちだった。ナオトの妹に話しかけられたんだよとかってユキが奈緒に話すこと
だって考えられる。奈緒の意図を邪魔しようとしている今は、あたしが動いていることを
彼女に悟られるというのは望ましくない。

 今日は止めておこう。あたしはついに諦めて次の駅で降りようとしたその時、あたしよ
り先にユキが電車から降りてホームを歩いて行った。

 そのせいでユキに話しかけることを諦めたあたしだったけど、引き続きユキの後をつけ
るようになってしまった。
179 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:53:13.20 ID:iCwr9AuZo

 駅を出たユキの進んでいく方向はどこまでもあたしの帰宅する道と同じだった。

 見慣れた住宅街の土曜日の午後の曇り空の下をユキは歩いていく。このままいったら五
分くらいであたしの家に着いてしまう。マジで同じ住宅街に住んでいたのか。

 あたしとユキの距離はだいぶ詰まってきていた。そして静かな住宅街にはほとんど人通
りがなかった。本当に何をやっているんだろう、あたしは。今ごろは兄貴と奈緒がどこに
行くのか確かめているはずだったのに。あたしは思わずため息をついた。

 そのときユキが突然後ろを振り向いた。間には誰もいない。ユキとあたしの視線がぶつ
かった。

 思わず目を逸らし損ねたあたしは思い切りユキを睨みつけるような感じになってしまっ
た。すぐにでも目を逸らして引き返さばよかったのかもしれないけど、どういうわけかあ
たしは反射的にユキに話しかけていた。

「ねえ、ちょっといい?」

 渋谷駅の交差点前でスカウトしている怪しい男じゃあるまいし、もう少しましな声のか
け方もあったと思うけどこのときは本当に無自覚のまま声が出てしまったのだ。

「・・・・・・はい?」

 戸惑ったようにユキが返事をした。突然のハプニングだったけどもともとしようと思っ
ていたことだ。あたしは心を決めた。

「突然ごめんね。ちょっとお話してもいい?」

 あたしはできるだけ大人しい声を出すように努めた。それでなくても外見ではユキに警
戒されても仕方ないのだ。せめて言葉遣いには気をつけよう。

「あ、はい。何でしょう」

 思っていたより好意的な表情でユキが言った。あたしは一瞬拍子抜けしたけどすぐに気
がついた。

 そうだ。今のあたしの外見は全然ギャル風じゃないんだった。むしろ大人し目の格好な
のだ。どちらかというと奈緒やユキの方に近い。だからユキもそれほど警戒していないの
だろう。あたしは少し気が楽になった。

「あなたユキちゃんでしょ。結城ナオトって知ってるかな?」

 あたしは少し大胆に賭けてみた。知らないと言われればそれで終わりだった。でもユキ
は驚いたように目を丸くした。

「知ってます。でもあなたは?」

「あたしはナオトの妹なの。明日香っていうんだ。よろしくね」

 どういうわけかあたしが兄貴の妹だと名乗った途端にユキの態度が明らかに柔らかくな
った。ナオトは自分の彼氏でもないのに何でだろうか。

「わあ、びっくりした。ナオトさんの妹さんですか。あたしは藤咲ユキっていいます。初
めまして」

 どういうわけか目を輝かせてユキがあいさつしてくれた。
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:54:07.10 ID:iCwr9AuZo

 この調子ならあたしが何を言ってもユキは信用してくれそうだった。

 あたしは最初に考えたとおりユキと話をしようと思った。ただ、住宅地だからこの辺に
はカフェもファミレスもない。五分くらい歩いたところに児童公園があるけどそんなとこ
ろに誘ったらフレンドリーに見えるユキでも警戒するかもしれない。

 あたしは恐る恐るユキにこの先の公園で話をしないか聞いてみた。

「いいですよ。そこの公園でしょ?あたしの家の向かいだし」

 あっさりとユキはOKしてくれた。あたしの容姿が大人し目だからというだけでは、富
士峰の子がここまで無警戒になるはずがない。

 考えられるのはどちらかだった。

 この子が誰にでもほいほいと付いて行くようなバカな女の子なのか、それとも兄貴の名
前がそれほどユキの中では大きな存在なのか。

「ありがとう。じゃあ行きましょう」

 あたしは歩き出した。ユキもあたしのすぐ後ろについてきた。

「時間取らせちゃってごめんなさい」

 あたしは自分の格好を意識して少し大人びた言葉でユキに謝った。

「いえ。あたしもナオトさんの妹さんと話せるなんて嬉しい」

 自分から声をかけたのにあたしは何だか一瞬いらいらした。だけど今はそんなことを考
えている場合じゃない。

「座りましょうか」

 あたしはユキと一緒に人気の無い児童公園の固いベンチに腰を下ろした。ある程度は本
当のことをユキに伝えたうえで聞きたいことを聞いた方がスムーズだろうとあたしは思っ
た。

「いきなりでごめん。鈴木ナオちゃんて子知ってるかな」

「知ってますけど・・・・・・明日香さんって何であたしの名前知ってたんですか」

 あたしは息を飲み込んだ。でも多少は疑われてもここは少しの真実を混ぜておく方がい
いのだ。あたしは思い切って告白した。

「あのね。最初に謝っておくけど、あたしの知り合いが前にあなたとナオちゃんにひどい
ことをしようとしたことがあったでしょ」」

「あ・・・・・・」

「そう。あの時は本当にごめん。何とかあいつらをやめさせたんだけど」
181 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:54:55.39 ID:iCwr9AuZo

「あの時助けてくれた人だったんですね」
 意外なことにユキはあまり驚いた様子はなかった。世間知らずの子たちにとっては死ぬ
ほど恐い思いをしたはずなのに、その様子は怒ったり恐がったりというよりはむしろ何か
に驚いている様子だった。「びっくりしたなあ。これって偶然ですか」

「はい?」
 ユキは何を言っているのだろう。「偶然って?」

「あ、はい。ついさっき、あの時明日香さんと一緒にあの男の人を止めて助けてくれた人
が話しかけてくれたんです」

「・・・・・・ああ」

 何だ。イケヤマのことか。あたしは拍子抜けした。あいつはやっぱりいきなりこの子に
声をかけて誘う勇気はなかったようだ。この調子だと力ずくでこの子をどうこうするなん
てことも考えられないのだろう。でもこれがイケヤマの外見に似合わず常識的なところだ。
あたしはイケヤマと付き合っているときはこいつのこういうところが好きだった。

「イケヤマさんって名乗ってましたけど、あの時は仲間が酷いことしてごめんなって謝っ
てくれました」

 ユキが言った。

 それだけではなかったろう。この子をあそこまで笑わせていたのだから。

でもそのことを聞こうと思ったとき、彼女があたしにとってもっと興味深い話を始めたた
めイケヤマの話はそこまでとなった。

「あとイケヤマさんにお会いする前に、奈緒ちゃんと待ち合わせしていた明日香さんのお
兄さんともお会いしました。奈緒ちゃんにお兄さんを紹介してもらって少しだけどお話し
もしたんですよ。」

「そうなんだ。兄貴って女の子に慣れてないし何か失礼なことされなかった?」

 とんでもないと言うようにユキは勢いよく首を横に振った。

「まさか。ナオトさんって格好いいですよね。ナオトさんが彼氏なんて奈緒ちゃんがうら
やましい」

 本気で言ってるのかこの子は。どこをどう見れば兄貴が格好いいと言うという話になる
んだろう。でもユキは嬉しそうにそう言った。どうやらあたしに気を遣っているわけでも
ないらしかった。
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:57:32.29 ID:iCwr9AuZo

「ナオトさんにお願いしてメールのアドレスも聞いちゃいました」

 ユキは聞かれもしないのに兄貴に会った話を続けた。わずか数分の間あの兄貴に会った
り兄貴のメアドを聞いたくらいでここまで嬉しいものなのか。あたしには理解できなかったけ
れど、ユキはもうあの夜のことや今日イケヤマに会ったことさえ忘れたように兄貴の話を続
けた。

「あたしは彼氏なんていたことないし、多分奈緒ちゃんも初めての彼氏だと思うんですけど、
最初の彼氏がお兄さんなんてラッキーですよね」

 ユキは羨ましそうにそう言って話を締めくくった。

「兄貴っだって女の子と付き合うのなんて初めてだし、趣味はアニメを見るくらいしかない暗い
オタクなんだよ」

 あたしは試しにユキに言ってみた。

「アニメとかってよくわからないけど、でもお兄さん優しそうでした」

 あたしの兄貴への評価が不満なのかユキは反論するように少し語気を強めた。

 あの兄貴がここまでユキに気に入られるとは意外だった。その時あたしはいい考えを思いつ
いた。

 もともとユキに話しかけたのはイケヤマのバカが何を話したかを聞き出すのと、ユキの友だち
である奈緒が普段はどんな女なのかを聞きだそうとしたためだった。特に奈緒がどういう女なの
か知り合いから客観的に聞いてみたかった。

 でも考えてみればたとえ奈緒が性格の悪いビッチだったとしてもそんなことを初対面のあたしに
奈緒の友だちであるユキが喋るはずはないだろう。確かにユキは口が軽そうな感じだけど、それ
にしてもいきなり友だちのことを悪く言うはずがない。

 そんなことを知ることより今あたしの頭の中に思いついた考えの方が悪くないのではないか。

 イケヤマにはきちんと指示し直して当初の目論見どおりユキではなく奈緒の方を狙わせる。
そして兄貴に対してはこのあたしがもっと本気で誘惑してみる。

 でも最近のあたしの必死のアプローチに対して兄貴は引き気味だった。あたしにはどうしても
納得できなかった。今のあたしは時々は地が出てしまうこともあったけど、基本的には容姿も性
格も喋り方も兄貴好みにしているつもりだった。

 それなのに兄貴は奈緒に夢中であたしのことを気にする様子すらない。あたしは奈緒に女とし
て負けているとは思いたくなかった。多分兄貴はあたしたちが血は繋がっていなくても兄妹である
ことを気にしているのかもしれない。あたしと兄貴が結ばれたとき両親がどう考えるかとかそんな
ことを考えてしまうのだろう。

 本当はそれは兄貴の杞憂なのだった。あたしは知っていた。あたしは昔、半ば冗談のような口
調でママからよく聞かされていた言葉を思い出した。



「明日香はお兄ちゃんのこと好き?」

「大きくなったら奈緒人のお嫁さんになりたい?」

「そうよ。お兄ちゃんがパパで明日香がママになったら楽しいでしょ」


 あたしは兄貴とは血が繋がっていないことを知っていたから、幼いながらもママが言っていた言葉
の意味は何となくわかっていた。あれが子供相手の冗談でないなら、両親のことを気にして兄貴が
あたしのことを妹だから好きにならないように努力するなんてことは間違っている。

 いろいろ紆余曲折があって普通より複雑な経緯を経てようやく幸せな家庭を築くことができたパパと
ママは、兄妹がずっと仲良く自分たちと一緒に過ごすことを望んでいたのかもしれなかったのだ。
183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:58:03.39 ID:iCwr9AuZo

 まあその真偽はともかく、あたしは簡単に諦めるつもりはなかった。兄貴なんか大嫌い
だ。パパとママが認めてくれるかどうかなんかどうでもいいけど、そもそも兄貴みたいな
優柔不断で根暗の男と付き合うなんて生理的に受け付けない。

 でもパパとママの離婚の原因を作った女の娘なんかに兄貴を傷つかせるのはもっと嫌だ
った。そのためにはあたしは犠牲になってもいい。兄貴を好きな振りをして兄貴の心をこ
ちらに向かせようとして来たのもそのためだ。たとえ一生兄貴のことを愛している振りを
しなければならなかったとしても。

 でもあたしはもっといい手段を思いついたのだ。

 目の前にはどうやら兄貴に惹かれているらしい清楚なお嬢さんがいる。見た目の可愛ら
しさでは多少奈緒には劣るかもしれないけど、こういう感じの子が好みの男にとっては十
分に可愛らしい。

 イケヤマに奈緒を狙わせるのと同時にユキを兄貴と親しくさせる。もちろん兄貴がユキ
のことが好みではないこともあり得るから、その間もあたしも兄貴には誘惑を仕掛ける。

「ねえ、ユキちゃん」

 あたしは兄貴との出会いの話をまだ続けていたユキの話を遮った。

「あたしたちって女子校だからお兄さんみたいな・・・・・・って、はい。何ですか」

「ユキちゃんみたいな子が兄貴の彼女ならあたしも嬉しかったのに」

 ユキの顔が突然真っ赤に染まった。思っていたより効果があったようだ。あたしはわく
わくした。

「別に奈緒さんっていうこの子とはよく知らないけどさ、さっきからユキちゃんと話して
いるとユキちゃんって兄貴の好みのど真ん中だと思うな」

「そんなことないですよ・・・・・・それにお兄さんには奈緒ちゃんがいるんだし」

「そうだよね。ごめん、変なこと言って。でもこれは単なる勘なんだけど、奈緒さんって
いい子だと思うけど兄貴には合わないんじゃないかなあ」

「・・・・・・奈緒ちゃんはいい子ですよ」

「うん。それはそうだと思うけど。でもあたしはこれまでずっと兄貴の妹をやってきたか
らさ。兄貴に合う子はよくわかっているつもりだし、兄貴には兄貴と気の合う子と付き合
って欲しいんだ。こうみえてもあたしって兄貴想いなんだよ」

 ユキは考え込んだ。
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/24(月) 23:58:31.97 ID:iCwr9AuZo

「でもお兄さんは奈緒ちゃんと付き合ったばかりですし」

 もう一歩だ。そしてあまり無理をしすぎてもいけない。あたしはユキに笑いかけた。

「そうだよね。ごめんね、変なこと言って。今日は偶然ユキちゃんを見かけたのでこの間
の夜のことを謝りたかっただけなのに」

「それはもういいですよ。それに助けてくれたのは明日香さんとイケヤマさんだし」

「ねえユキちゃん。図々しいお願いだけどあたしとメアド交換してもらってもいいかな」

「もちろんです。ナオトさんの妹さんとも仲良くなれたら嬉しい」

 ようやくあたしの持ち出した話題で緊張していたユキがほっとしたように答えた。

「よかった。もうこれ以上はしつこく言わないけど、もし兄貴が奈緒ちゃんに振られたり
したら。その時は兄貴のこと慰めてやってくれる?」

「そんなこと起こらないですよ。今日だって相思相愛って感じでしたよ、あの二人」

「ユキちゃんってあたしの兄貴が彼氏だったらいや?」

「だから奈緒ちゃんは親友で・・・・・・」

「仮にだよ、仮に。兄貴が奈緒ちゃんと付き合っていなくて兄貴がユキちゃんに告ったと
したら、ユキちゃんはどう思う?」

 ユキは答えなかった。でも俯いたその顔は真っ赤に染まっていた。

 これなら大丈夫だろう。もう少し時間をかけてユキをその気にさせよう。

「せっかくアド交換したんだから何でもいいから兄貴にメール送ってあげてね?」

 ユキは真っ赤な顔でかすかにうなずいた。

 目論見どおりなのにどういうわけかその時あたしは胸の片隅がずきりと痛んだような気
がした。

 自分からけしかけておきながら何でだろう。まさか兄貴のことを考えて顔を赤くしてい
るこの子に嫉妬したのか。

 そんなはずはない。あたしは兄貴のことなんか本気では好きでも何でもないんだから。

「どうかしましたか?」

 まだ少し赤くなったままでユキが不思議そうにあたしの方を見た。
185 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/24(月) 23:59:47.81 ID:iCwr9AuZo

今日はここまで

お付き合いありがとうございました
186 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/25(火) 00:12:07.34 ID:wYA4Z93c0
お疲れ様ー
無意識に嫉妬する妹かわいい
187 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/25(火) 00:54:03.47 ID:5k+r6ycIO


最初は登場人物に固有名詞で名前がついてるのはちょっと…と思ってたけど、読んでるうちに付けて正解だと思った
188 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [age]:2012/09/25(火) 02:25:26.76 ID:U9aCITffo
固有名詞がなかったら、とてつもなく寒いことになってた(断言)

面白いよ面白い続き待ってます。
189 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:12:34.86 ID:Ni0AA1zQo

 その晩僕が帰宅すると珍しく玲子叔母さんがリビングのソファに座って妹とお喋りして
いた。

「叔母さんお久しぶりです」

 僕はとりえず叔母さんにあいさつした。叔母さんは今の母さんの妹だ。

「よ、奈緒人君。元気だった?」

 叔母さんはいつものように陽気に声をかけてくれた。僕はこの叔母さんが大好きだった。
本当の叔母と甥の関係ではなかったことを知ってからもその好意は変わらなかった。

 この人は僕は自分の本当の甥ではないと昔から知ってたにも関らずいつも僕の味方をし
てくれていた。

「元気ですよ。叔母さん、久しぶりですね」

「元気そうでよかった」

 叔母さんはそう言って笑った。でも叔母さんは少し疲れてもいるようだった。

「相変わらず忙しいんですか? 何か疲れてるみたい」

「まあね。ちょうど年末進行の時期でさ。今日なんかよく定時に帰れたと思うよ」

 仕事が仕事だから叔母さんはいつもせわしない。

「今日は突然この近くの予定が無くなっちゃったんだって」

 叔母さんの隣に座っていた妹が口を挟んだ。

 僕はさりげなく妹を観察した。やはり自分で宣言したとおり真面目で清楚な女の子路線
を守っているらしい。僕がここまで本気でナオに惚れていなければ結構真面目に妹に恋し
てしまっていたかもしれない。それくらいに僕好みの女の子がその場に座って僕に笑いか
けていた。

「何・・・・・・?」

 僕の呆けたような視線に照れたように妹が顔を赤くして言った。なぜか叔母さんが笑い
出した。

「笑わないでよ」

 妹は僕の方を見ずに顔を赤くしたまま叔母さんに文句を言った。

「ごめんごめん。あたしもまだまだ若い子の気持ちがわかるんだと思ってさ」

「叔母さん!」
 なぜか狼狽したように妹が大声をあげた。
190 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:14:39.66 ID:Ni0AA1zQo

「悪い」

 叔母さんが笑いを引っ込めて言った。

「父さんと母さんは今日は帰ってくるのか」

 僕は何だかまだ少し慌てている様子の妹に聞いた。

「今夜は帰れないって」

「そうか。せっかく叔母さんが来てくれたのにね」

「いいって。あたしは久しぶりに奈緒人君の顔を見に来ただけだからさ」

 叔母さんはそう言って笑った。

「でもどうしようか。あたしもさっき帰ったばかりで夕食の支度とか何にもしてないん
だ」

 妹が少しだけ困ったように言った。

 こいつが突然いい妹になる路線を宣言してから数日たっていたけど、やはり妹のこの手
の発言には違和感を感じた。そもそも両親不在の夜に明日香が食事の支度をすることなん
てもう何年もなかったのだし。

「叔母さんも夕食はまだなの?」

 明日香が聞いた。

「うん。ここに来れば何か食わせてもらえるかと思ってさ。まさか姉さんがいないとは思
わなかったから当てがはずれちゃったよ」

「そんなこと言ったって電話とかで確認しない叔母さんが悪いよ。だいたい叔母さんほど
じゃないかもしれないけど、毎年年末はほとんど家にいないよ。ママもパパも」

 明日香の言ったことは本当のことだった。父さんと母さんはお互いに違う会社に勤めて
いるけど業種は一緒だった。そしてそれが二人の馴れ初めだったということも、昨年のあ
の告白の際に聞かされてもいた。

「何で年末にそんな忙しいんだろうな。クラッシック音楽雑誌の編集部なんて暇そうだけ
どな」
 叔母さんがのんびりとした声で言った。「こう言っちゃ悪いけど、あたしのいる編集部
みたいなメジャーな雑誌を製作しているわけじゃないしさ」

「まあ、業界なりの事情があるんじゃないの」
 明日香が訳知り顔で言った。「それより叔母さん、夕食まだならどっかに連れて行って
よ。あたしおなか空いちゃった」

 明日香は昔から玲子叔母さんと仲が良く、お互いに遠慮せずに何でも言えるのだ。僕も
あの夜の両親の告白までは明日香同様、あまり叔母さんに遠慮しなかった気がする。叔母
さんにはそう言った遠慮を感じずに接することができるような大らかな雰囲気が備わって
いたからだ。

 でも実の叔母と甥の仲じゃないことを知った日以降、僕は叔母さんには心から感謝して
はいたけど、前のように無遠慮に何でも話すことはできなくなってしまっていた。
191 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:17:07.57 ID:Ni0AA1zQo

「未成年のあんたたちを勝手に夜の街中に連れ出したら、あたしが姉さんに叱られるわ」

 叔母さんがにべもなく言った。

「え〜。黙ってればわからないじゃん」

 明日香が不平を言った。

「そうもいかないの。じゃあ、出前で寿司でも取るか。ご馳走してやるから」

「じゃあお寿司よりピザ取ろうよ。あとフライドチキンも」

 寿司と聞いて嫌な顔をした明日香が提案した。こいつの味覚はお子様なのだ。

「ピザねえ・・・・・・奈緒人君は寿司とピザ、どっちがいい?」

 どっちかと言えばもちろん寿司だった。さっきカラオケでピザとフライドチキンを食べ
たばかりだし。最初兄友のリクエストをあさっりと却下した女さんだったけど、実際に注
文した食べ物が運ばれてくるとピザとチキンバスケットもその中にちゃんとオーダーされ
ていた。

 兄友に厳しい様子の女さんも結構気を遣ってあげてるんだと、僕はその様子をうかがっ
て妙に納得したのだった。

 それはともかく決してピザもチキンも嫌いではないけど昼夜連続となると正直あまり食
欲が沸かない。まあでもそれは僕だけの事情だから、ここでわがままをいう訳にもいかな
い。

「どっちでもいいですよ」

 僕がそう言うと叔母さんは少しだけ僕の顔を眺めてから微笑んだ。

「相変わらずだね、君は。もう少しわがままに自己主張した方が結城さんも姉さんも喜ぶ
じゃないの」

 時々この人はこっちがドキッとするようなことを真顔で言い出す。僕はどう反応してい
いのか戸惑った。こんなことはたいしたことではない。わがままな明日香に譲歩するなん
ていつものことだったし、両親不在の夕食なんて今まではカップ麺とかで凌ぐのがデフォ
ルトになっていたのだ。

「明日香さあ、あんたのお兄ちゃんはお寿司の方が食べたいって。どうする? あんたが
決めていいよ」

 何を訳のわからないことを。僕はその時そう思った。当然、ピザがいいと騒ぎ出すだろうと
思った僕は、妹が少し考え込んでいる様子を見て戸惑った。

「お兄ちゃんってお寿司が好きなんだっけ」

 え。明日香の意外な反応に僕は固まってしまいすぐには返事ができなかった。

「いや。別にピザでも」

「じゃあお寿司でいいや。特上にしてくれるよね、叔母さん」

「あいよ。あんたが電話しな。好きなもの頼んでいいから」

 叔母さんは明日香に言いながらも僕に向かってウィンクした。
192 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:19:19.28 ID:Ni0AA1zQo

 三十分くらいたってチャイムの音がした。

「やっと来た。叔母さんお金」

「ほれ。これで払っておいて」

「うん」

 明日香が玄関の方に向って行った。

「さて」

 叔母さんが僕に言った。

「・・・・・・どうしたんですか」

 僕の言葉を聞いて叔母さんの表情が少し曇った。

「あのさあ。奈緒人君、何で去年くらいから突然あたしに敬語使うようになった?」

「ああ。そのことですか」

「ですかじゃない。君も昔は明日香と同じで遠慮なんかしないであたしに言いたい放題い
ってくれれたじゃんか」

「・・・・・・ごめんなさい」

「あんた。あたしに喧嘩売ってる?」

「違いますよ」

「じゃあ何でよ。あんたがあたしに敬語を使うようになったのって、結城さんと姉さんか
らあの話を聞いたからでしょ」

「まあ、そうですね」

「水臭いじゃん。それにあんた姉さんには敬語で話してる訳じゃないんでしょ」

 僕は黙ってしまった。

「明日香にだって、普通におまえとかって呼べてるじゃん。何であたしにだけ敬語使うよ
うになったの?」

 叔母さんは別に僕を責めている口調ではなかった。むしろ少し寂しそうな表情だった。

 余計なことを言わずに謝ってしまえばいい。最初僕はそう思ったけど、そうして流して
しまうには叔母さんの口調や表情はいつもと違って真面目なものだった。だから僕は思い
切って言った。

「叔母さんって僕が去年真相を知らされる前から僕には、奈緒人君って呼んでたでしょ。
妹には明日香って呼んでたのに」

 叔母さんは少し驚いた様子だった。多分無意識のうちにそう呼んでしまっていたのだろ
う。多分この人は僕の父さんと僕が他人だった時から僕たちのことを知っていたのだろう
から。

「そういやそうだったね」
 叔母さんが珍しく俯いていた。「あたしとしたことが、無意識にやらかしてたか」

「よしわかった。あたしがわるかった。これからは奈緒人って呼び捨てにするからあんた
も敬語よせ」

 ・・・・・・何でだろう。僕はその時目に涙を浮べていた。
193 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:22:03.29 ID:Ni0AA1zQo

 きっと幸せなのだろう。去年の両親の告白以来初めて感じたこの感覚はそう名付ける以
外思いつかない。

 相変わらず家には不在気味だけど、以前と変わらない様子で僕を愛してくれている両親。

 その好きという言葉がどれだけ重いものなのかはまだわからないけど、これからは僕の
いい妹になると宣言しそれを実行している明日香。

 僕に向かって敬語をよせと真面目に叱ってくれる玲子叔母さん。

 そして、何よりこんな僕に初めてできた理想的な恋人であるナオ。

「叔母さんありがとう」

 僕は涙を気がつかれないようにさりげなく払いながら叔母さんに言った。

「ようやく敬語止めたか」
 叔母さんは笑ったけど、どういうわけか叔母さんの手もさりげなく目のあたりを拭いて
いるようだった。「明日香遅いな。たかが寿司受け取るくらいで何やってるんだろ」

「さあ」

「よし、奈緒人。おまえ玄関まで偵察して来な」

 さっそく叔母さんに呼び捨てされたけど僕はそれが嬉しかった。

「じゃあ、見てくるよ」

 そう言って僕がソファから立ち上がろうとしたとき、明日香が手ぶらで戻って来た。

「お寿司屋さんじゃなかったよ」

 ぶつぶつ言いながら戻って来た明日香に続いて父さんがリビングに入って来た。

「あら結城さん。お帰りなさい」

「何だ、玲子ちゃん来てたのか」

 父さんはそう言ってブリーフケースを椅子に置いた。

「久しぶりだね。でもよくこの時期に会社を離れられたね」
 父さんは叔母さんに笑いかけた。「うちみたいな専門誌だってこの時期は年末進行なの
に」

「たまたまだよ。たまたま。それよか結城さんご飯食べた?」

 何だか叔母さんがうきうきとした様子で言った。

「まだだけど」

「じゃあ、特上の寿司の出前も頼んだことだし今夜は宴会だ。鬼の・・・・・・じゃなかった、
姉さんのいない間に息抜きしましょ」

「やった。宴会だ」

 明日香が楽しそうに言った。僕はそんな妹の無邪気で嬉しそうな顔をしばらくぶりに見
た気がした。

「ほら、結城さん。とっととシャワー浴びたらお酒用意してよ。さすがに勝手に酒をあさ
るのは悪いと思って今まで我慢してたんだから」

 父さんが苦笑した。でも僕にはすぐわかった。仕事帰りで疲れた顔はしているけど、父
さんの表情は機嫌がいい時のものだ。

「じゃあ久しぶりに子どもたちにも会えたし宴会するか」

「あたしに会うのだって久しぶりじゃない」

 叔母さんが笑って父さんに言った。
194 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/27(木) 00:25:15.52 ID:Ni0AA1zQo

 父さんがシャワーを浴びている間に寿司屋が出前を届けに来た。明日香が珍しくつまみ
を用意すると言い張ってキッチンに閉じこもってしまっていたので、僕が寿司桶を受け取
りに行った。

「奈緒人、あんたが受け取っておいで」

 もうすっかり呼び捨てに慣れたらしい叔母さんからお金を受け取った僕は玄関でいつも
のお寿司屋さんから寿司桶を受け取ってびっくりした。

 これっていったい何人前なんだ。

 明日香は叔母さんに対しては好きなだけ甘えられるのだろう。二万円札を出して小銭の
お釣りを受け取った僕はそう思ったけど、今では僕もその仲間なのだ。

 僕はリビングのテーブルの上に寿司を置いた。

「お〜。相変わらず人の奢りだと明日香は遠慮しないな」

「父さんが帰ってこなければ絶対余ってたよね、これ」

「うん。ちょうどよかったじゃん。たまには明日香もいいことをするな」

 明日香がサラミとかチーズとかクラッカーとかを乗せた大きな皿をキッチンから運んで
きた。こういう甲斐甲斐しい妹を見るのは初めてだったけど、それよりも明日香が運んで
きたオードブルらしきものは母さんがよく用意していたものと同じだった。

 母さんの真似をしているだけといえばそれだけのことだけど、中学生のくせにどうしよ
うもないビッチだと思っていた妹を僕は少し見直していた。

 意外とこいつって家庭的だったんだ。

「お兄ちゃん、何見てるのよ」

 明日香が不思議そうに聞いた。

「あんたのこと見直してるんでしょ。意外と僕の妹って家庭的だったんだなあって」

「叔母さん・・・・・・」

「よしてよ。気持悪いから」

 明日香は赤くなって、でも僕の方は見ずに叔母さんに向かって文句を言った。それは決
して機嫌の悪そうな口調ではなかった。

「さっぱりしたよ。お、豪華な寿司だな。つまみまでちゃんとあるし」

 父さんがシャワーから出て着替えてリビングに入ってきた。

「そのオードブル、明日香が作ったんだって」

 叔母さんがからかうように言った。

「パパ、どう? ママが作ったみたいでしょ」

 そう言えば明日香は昔から実の親である母さんより父さんの方が好きみたいだったな。

 僕はぼんやりと考えた。

 そしてさっき感じた幸福感はまだ僕の中に留まっていた。母さんがいないのは残念だけ
どこれは久しぶりの家族団らんだった。今度会った時にナオにもこの話をしよう。

「それ結城さんに作ってあげたの? それとも奈緒人に?」

 叔母さんがからかった。

「うるさいなあ。酔っ払いの叔母さん用に作ったんだよ」

「よくできてるよ。ありがとう明日香」

「どういたしましてパパ・・・・・・お兄ちゃん?」

「奈緒人」

 父さんが僕の方を見て笑った。

「うん。うまそう」

 とりあえず僕は当たり障りなく誉めた。

 明日香はまた赤くなった。そんな明日香を見て父さんと叔母さんが笑った。
195 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/27(木) 00:25:48.64 ID:Ni0AA1zQo
今日はここまで

お付き合い感謝です
196 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/27(木) 00:49:50.72 ID:YoEh9D3Jo
197 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/27(木) 02:27:08.58 ID:GZZcWSKKo
面白いなあ。村上春樹みたい。
続き待ってます。
198 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/27(木) 12:31:04.25 ID:5wtBCbkr0
おつ
幸せ過ぎて後が怖いな
199 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/28(金) 00:10:31.15 ID:xVnL1g9Mo

 その夜の兄貴はいつもと違ってすごく楽しそうだった。それにあたしと二人きりの夜の
ようなどこか緊張しているような、そして何かに耐えているような様子の兄貴とはまるで
別人のように。

 パパや玲子叔母さんの会話に加わって遠慮することなく笑っている兄貴。

 ようやくあたしへの警戒を解いたのか、あたしの用意したおつまみを誉めてくれた兄貴。

 パパや玲子叔母さんとの会話の途中で何気なくあたしに話しかけ、あたしを会話の輪の
中に引っ張って行く兄貴。

 去年のあの夜以来兄貴は本当に辛かったのだろう。あたしは両親の事情を前から知って
いた。あたしのことを甘やかしてくれる玲子叔母さんから大まかな事情は聞いていたし、
何よりもあたしには兄貴と違って幼い頃の記憶があった。

 でも兄貴は違う。兄貴にとってはあの夜の告白は青天の霹靂もいいところだったのだろ
う。もともと内向的で感じやすい兄貴がどれだけのショックを受けたのか、今さらながら
それを考えるとやりきれない気持ちが湧き上がってきた。

 そしてそれに追い討ちをかけるように兄貴に対して嫌がらせを繰り返していたのはあた
しだ。

 もともと兄貴は、血が繋がっていないことなど関係なくママのお気に入りではあった。
それが気にいらないあたしは兄貴に辛く当たるようになった。

 そして昨年のあの夜以降、自分のストレスを表面には出さないようにしていた兄貴の痛
みをパパもママも気がついていたのだろう。

 パパはともかくママはますます兄貴に対して優しくなった。あの頃兄貴の気持ちなんか
考える余裕のなかったあたしは、そんなママに見せ付けるかのようにイケヤマと付き合っ
たり派手な女の子たちのグループと仲良くし始め、同時に兄貴への直接的な嫌がらせもま
すますエスカレートさせたのだった。

 兄貴が今リラックスして楽しそうにしているその原因の一部は、あたしが兄貴への嫌が
らせを止めて、外見も中身も兄貴のいい妹になろうとしたことにあるのかもしれない。そ
う考えると今夜の団欒は兄貴に対するせめてもの罪滅ぼしであるとあたしは考えたかった。

 でも自分を誤魔化すわけにはいかなかった。あたしが兄貴好みに自分を変えたのは兄貴
を幸せにするためではない。それは兄貴をこれ以上不幸にしないためだと言うこともでき
たかもしれないけど、その根底にあるのはそんな奇麗事だけではなかった。

 あたしは奈緒に負けたくなかったのだ。奈緒はパパと兄貴の家庭を、そしてママとあた
しの家庭を無茶苦茶に壊したあの女の娘だ。

 パパとママはお互いにうまくやっているし幸福だと言ってさえよかっただろう。でもそ
れは結果論に過ぎない。言い知れぬほどの苦労や苦痛を克服してようやく今の平和な家庭
を築くことができたのは、あの女のおかげでもなんでもないのだ。

 まして兄貴はまだあの女の浮気から始まった家庭崩壊を引きずっていた。
200 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/28(金) 00:11:09.91 ID:xVnL1g9Mo

 あたしは兄貴のことを気にしなければいけない義理なんか感じたことはない。でも、奈
緒がビッチの女の娘らしく、母親と同じように兄貴を苦しめようとするのは許せなかった。
それは兄貴のためというよりそれは主に自分のためだ。

 奈緒に兄貴を追いつめて苦しませようとする意図があるかどうかはわからない。本当に
神様の気まぐれによって悪意なく兄貴のことを好きになったという可能性だって全くない
とは言えない。

 でも奈緒が兄貴と親密な男女の関係になるということは、二人が血の繋がった実の兄妹で
あるということが発覚した時点で、奈緒の悪意の有無に関らず兄貴を破滅させることになるの
だ。

 ただでさえ感じやすく敏感な兄貴のメンタリティがその衝撃に耐えられるはずがないの
だ。そして兄貴が奈緒に惹かれる度合いが強ければ強いほど兄貴を襲う衝撃も強くなるこ
とだろう。

 リビングの片方のソファにはパパと玲子叔母さんが並んで座っていて、叔母さんは楽し
そうに兄貴をからかっている。それまで奈緒人君と呼んでいた叔母さんが兄貴を呼び捨て
にしていることにあたしは気がついた。

 あたしはもう片方のソファに兄貴と一緒に座っていた。互いの距離はそんなに近くはな
いけれど、この間までのあたしたちならお互い絶対にこんな距離で一緒にいようなんて思
わなかっただろう。それほどあたしは今兄貴を身近に感じていた。

 再び兄貴があたしの方を向いて何か言った。考え事に夢中になっていたあたしはその言
葉を聞き逃した。

「ごめん。お兄ちゃん今何って言ったの」

「いや。叔母さんがさ。最近よく作ってくれるおまえの料理なんて美味しくないでしょっ
て言うからさ。僕は全部食べてるよなっておまえに聞いただけ」

 兄貴は少し赤くなって慌てたように言った。

「無理してるんだろ奈緒人。いいから正直に明日香の料理の感想を言ってごらん・・・・・・あ、
結城さんありがと」

 玲子叔母さんが言った。後半は自分のグラスにお酒を注いだパパへのお礼だった。

「いや玲子ちゃん。明日香はやればできる子だからね。このつまみだってママと同じくら
い上手にできてるよ」

 パパがあたしに微笑んでくれた。

「上手にできてるって、それ出来合いのチーズとかサラミとか盛り合わせただけじゃん」

 叔母さんが言った。どうも酔ってきているらしい。でも叔母さんの皮肉っぽい言葉には
悪意はないことをあたしはよく知っていた。

「いや盛り付けだって才能だしな。な、奈緒人」

「うん。最近明日香が作ってくれる夕食は美味しいよ。少なくともカップ麺とかコンビニ
弁当よりは全然いいよ」

「またまた、奈緒人は昔から如才ないよな。あんたいい社会人になれるよ」

 叔母さんはカカと豪快に笑って空いたグラスをパパに突き出した。
201 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/28(金) 00:11:59.17 ID:xVnL1g9Mo

 ママはいないけどここにいるあたしたちは間違いなく家族だった。あの女の軽薄な行為
によっていろいろと砕け散って崩壊した後、大切に育て再建した新しい家族だ。

 そしてその家族の中で最後まで暗い顔をしていた兄貴が笑っている。兄貴のことが嫌い
でもなんでもいい。やっぱり兄貴もうちの家族の一員なんだ。

 そう考えるとあたしは自分が始めたことを最後までやり遂げることがいいことなのかど
うかわからなくなってきた。

 今この瞬間はあたしたちは幸せな家族だ。このままもう兄貴のいい妹でいることだけで
満足できたら。

 そうしたらこの幸せな家庭の形はそのまま永久に続くのではないだろうか。あたしの隣
に座ってあたしの料理は結構美味しいよと玲子叔母さんに反論している兄貴も、その笑顔
をずっとあたしに見せてくれるのではないのか。



 ・・・・・・いや。やっぱりだめだ。

 奈緒の意図がどうあれいつかは兄貴と奈緒が実の兄妹であることは兄貴にわかってしま
う。その時の兄貴の心理状態がどうなってしまうのか、それは想像するだに恐ろしい。

 あたしが始めたことは自分自身のエゴから始まっていたかもしれないけど、今では結果
的に兄貴を救う唯一の手段になってしまっている。

 あたしは息を整えてなるべく冷静に考えた。

 兄貴を待ち受けている絶望に直面させないですむ方法。

 兄貴が傷付かずに奈緒と別れる方法。

 兄貴があたしかユキのどちらかを異性として意識し奈緒を忘れるほど夢中になること。

 そして奈緒の兄貴への執着心を捨てさせるために、奈緒にも兄貴以外に夢中になれる男
をあてがうこと。今のところその候補はイケヤマしかいないのが、この計画の弱いところ
だった。イケヤマが正攻法で兄貴と付き合っている奈緒を兄貴から奪うことができるのだ
ろうか。

 あたしはあまり期待していなかった。でもさっきのユキの反応を見ている限り意外とイ
ケヤマは真面目な女の子にも受けがいいのかもしれない。そして最後には無理矢理という
手段だってある。

 これは時間との勝負だ。最悪、何らかの理由で奈緒が自分の実の兄を苦しめようとして
兄貴を誘惑したのだとすると、兄貴が奈緒に対して最大限好意を抱いたところで止めを刺
すのが効果的だ。これまでの甘い態度を翻してこっぴどく兄貴を振るのか、それとも実の
妹であることを告白して兄貴を絶望の淵に追いやるのか。

 その前までに兄貴の気持ちを奈緒以外の女の子に振り向かせなければならないのだ。
202 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/28(金) 00:12:30.02 ID:xVnL1g9Mo

 突然兄貴の携帯が鳴った。玲子叔母さんと楽しそうに雑談していた兄貴は自分の携帯を
ちらりと見た。あたしは兄貴との距離が近かったせいで兄貴の携帯のディスプレイに表示
されている着信表示を見ることができた。

 それはユキからのメールだった。

 兄貴は一瞬慌てたようだった。さっきメアドを交換したのだからユキからメールが来た
って不思議はないのに、何で兄貴はあからさまに困った表情をしているのだろう。

 それにしてもやはりユキは兄貴が気になっているのだろう。あたしがダメモトで言った
言葉に従って早速兄貴にメールを送って来たのだ。

「メール?」

 あたしは兄貴になるべく優しい口調で言った。

「うん」

 兄貴はそのまま携帯をポケットにしまった。

「メール見ないの?」

「・・・・・・兄友だからたいした用事じゃないよ、あとで見るから」

 相変わらず兄貴は嘘をつくのが下手だ。

「パパ?」

 あたしは玲子叔母さんと仕事の話で盛り上がっているパパに話しかけた。

「うん? どうした明日香」

 パパはママが兄貴を大事にしているのと同じくらいあたしのことを大切に扱ってくれる。
パパはママと話していても兄貴と話していても玲子叔母さんと盛り上がっていても、あた
しが話しかけるとそれまでの会話を中断してあたしの話を聞いてくれるのだ。

 話の途中で放置された玲子叔母さんはつまらなそうにしていたけど、あたしはそれを気
にせずパパに聞いた。

「パパとママって今度はいつ帰ってくるの」

 パパの表情が少し曇った。そして申し訳なさそうに言った。

「大晦日の夜まではパパもママも帰れないと思う。今日だってよく帰れたなって感じだし
ね」

「うん。じゃあ夕食の支度頑張らないと」

「・・・・・・本当にどうしちゃったの? 明日香。最近気まぐれで奈緒人に飯を作ってたのは
知ってたけどさ。これからずっとママの代役をするつもり?」

 叔母さんが嫌がらせのように言った。

「もうちょっとで学校休みだし、それくらいいはね」

「明日香は偉いな」

 パパが微笑んで誉めてくれた。
203 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/28(金) 00:13:22.13 ID:xVnL1g9Mo

「じゃあ明日は食材とか買い込んでおかないとね」

 あたしは言った。

「ママからお金貰ってるか」

 パパが心配そうに言った。このとき少しだけあたしの心が痛んだ。

「うん。お金は大丈夫だけど、いっぱい買い込むからあたし一人で持てるかなあ」

「どんだけ買うつもりだよ」

 叔母さんがあたしをからかった。

「そうだ。叔母さん一緒に買物に行ってよ。明日日曜日じゃん」

「アホ。あたしは明日から会社に泊まりこみで校正地獄だわ」

「どうしようかなあ」

 あたしは呟いた。

「明日は予定ないし荷物持ちくらいなら僕でもできるかも」

 小さな声で兄貴がぼそぼそと言った。あたしには兄貴の心の中が良く理解できた。こん
なことを言ったらまたあたしにキモイとか罵倒されることを警戒しているのだ。そして兄
貴をそんなに卑屈にしてしまった責任はあたしにあった。

「じゃあ手伝ってよ。兄貴だって食べるんだから」

 あたしは強気で言った。

「いいよ」

 兄貴がそう言うと、どういうわけかパパと玲子叔母さんは目を合わせて微笑みあった。
思ったとおりの展開だったけどあたしは少しむかついた。パパが微笑む相手はママとあた
しだけのはずなのに。

 玲子叔母さんのことは大好きだっただけにあたしは自分の気持に戸惑いを感じた。

「ちょっとトイレ」

 あたしは席を立った。話題は再びあたしの食材調達から逸れていて、編集者業界裏話み
たいな話に変わっているようだった。そして兄貴もその話題を楽しそうに聞いていた。





「遅い時間にごめんね。明日香です」

「うん。知ってる。さっき兄貴にメールが届いてたし。今さ、久しぶりに家族で盛り上がってるんで
兄貴から返信がなくても悪く思わないでね」

「・・・・・・気なんか遣ってないって。それよかさ、ユキちゃんって明日は何か予定あるの?
 ピアノのレッスンは日曜はないんでしょ」

「明日あたし兄貴と一緒に買い物に出かけるんだけど、よかったらユキちゃんも来ない?
 一緒にお茶とかして兄貴とも一緒にお話ししない?」

「え、だめ? ああそれはないよ。兄貴は明日は奈緒ちゃんとは約束ないみたい」

「奈緒ちゃんに悪いって、そんなに難しく考えないでよ。あたしがユキちゃんと仲良くな
りたいだけなのに」

「うん、もちろん。買物して少しお茶するだけよ。いいの? やった」

「じゃあ多分十時ごろだと思うけど、また電話するね」

「兄貴が迷惑? そんな訳ないじゃん。あたしは兄貴のことなら知ってるって言ったでし
ょ。ユキちゃんと会えるなんて兄貴は大喜びだと思うよ」

「よかった。じゃあ明日電話するから。うん。おやすみさない」

 あたしがリビングに戻ると叔母さんが声をかけてきた。

「何だよ。随分長いトイレだったな。生理?」

 それを聞いてパパとお兄ちゃんが申し合わせたようにあたしから目を逸らした。
204 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/28(金) 00:13:58.85 ID:xVnL1g9Mo
今日はここまで

ここまで需要のないスレにお付き合い感謝です
205 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/28(金) 00:24:31.32 ID:/rVghghDO
>>1

あんたが書いたこのスレを卑下することは、楽しみに待ってる俺たちへの罵倒でもある。
二度と言わないで欲しい
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/09/28(金) 00:53:23.47 ID:oc/BSuaZo

毎回楽しみにしてますよ!
207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/28(金) 01:09:25.12 ID:QsthgOMwo
208 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/28(金) 02:03:14.61 ID:jJykw/Eao
>>1
ただ最後の一行はレス物乞いっぽいから言わない方がいいよ
209 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/28(金) 02:04:56.02 ID:0L+Jkw/Vo
210 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/28(金) 03:11:25.85 ID:6lA2gb7DO
211 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/28(金) 05:01:32.77 ID:yAsvlCCwo
読んでるよ!!!コノヤロウ!!!

212 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/28(金) 19:46:02.54 ID:qP7Ie4NSO
前作でもそうだったけど主人公がキモオタアニオタって情報いるか?
その設定だけ話から浮いてるよな
コミュ障ってだけで十分だろうに
213 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:10:17.55 ID:0rMHkqmno

 その夜の騒ぎは日付を越えるまで続いた。母さんがいたら間違いなく十時過ぎには子ど
もたちは退場を言い渡されていたと思うけど、この夜は父さんも叔母さんも心底楽しそう
にしていて僕と明日香を早く寝かせようとは考えつかなかったみたいだった。

 そのことをいいことに僕も明日香もこの場に居座って父さんと玲子叔母さんの会話を聞
いたり、時折話に混じったりしていた。

 僕にとっては本当に久しぶりに貴重な時間だった。そして僕の隣に座っていた明日香も
以前のようにひねれることなく父さんや叔母さんに素直に笑いかけていた。

 多分この場に母さんがいなかったせいだろう。明日香は父さんや叔母さんに対しては、
いつもといわけではないけどだいたいは素直に振る舞っていたのだから。

 それより僕を驚かせそして本当にくつろがせてくれたのは、明日香が僕の話に噛み付い
たりせず普通に反応してくれたことだった。最近の明日香は本人が宣言したとおりいい妹
になろうとしてくれていたみたいだけど、僕はその態度を心底から信用したわけではなか
った。

 いい妹になるとか僕が好きだという明日香の宣言は二重三重の罠かもしれない。僕は戸
惑いながらも密かに警戒していたのだった。

 でもこの夜の団欒の席の明日香の楽しそうな態度はすごく自然でリラックスしていたも
のだった。父さんや叔母さんに対してだけではなく、僕に対しても普通に楽しそうに笑っ
て受け答えしてくれている。

 僕はいつのまにか妹に対する警戒を忘れ、僕たちは仲のいい兄妹の会話ができていたみ
たいだった。そして僕と明日香が穏やかな会話を交わすたびに、父さんと叔母さんは嬉し
そうに目を合わせて微笑みあっていた。

 心穏やかな時間はまだ続いていたのだけど、僕にとっては今日はいろいろ忙しく疲れた
一日だった。ナオを迎えに行きはじめてナオと心がすれ違ったり、仲直りしたり。叔母さんと
もまた昔のように仲良くなったり。

 楽しかったけどいろいろ疲れてもいたのだろう。僕は父さんたちの会話を聞きながらう
っかりうとうとしてしまったようだった。

 一瞬、転寝した自分の体が揺れて倒れかかったことに気がついて僕は目を覚まして体を
起こそうとした。

「いいよ。そのままで」
 明日香の湿ったようなでも優しい声が僕の耳元で響いた。「お兄ちゃん疲れたんでしょ。
そのままあたしに寄りかかっていいから」

 僕は妹の肩に体重を預けながら寝てしまっていたみたいだった。体を起こそうとした僕
の肩を手で押さえながら明日香が続けた。

「このまま少し休んでなよ」

 僕はその時何とか起きようとはしたけれど、結局疲労と眠気には勝てずにそのまま目を
閉じた。
214 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:12:27.81 ID:0rMHkqmno

 しばらくして僕は目を覚ました。寝ている間中、夢の中で柔らかな会話が音楽のように
意識の底に響いていたようだった。僕は体を動かさないようにして、何とか視線だけを明
日香の方に向けた。明日香は軽い寝息をたてて目をつぶっている。僕と明日香はお互いに
寄りかかりながらソファに腰かけたままで眠ってしまっていたのだった。

 そろそろ明日香を起こして自分も起きた方がいい。そして静かに会話を続けている父さ
んと叔母さんにお休みを言おう。そう思ったけど明日香の柔らかい肩の感触が心地よく居
心地がよかったため、僕は再び目を閉じてしばらくの間半分寝ているような状態のままじ
っとしていた。

 そうしているとさっきまで心地よい音楽のようだった会話が意味を持って意識の中に割
り込んできた。僕は半分寝ながらもその会話に耳を傾けた。



「二人とも寝ちゃったか」

「起こして部屋に行かせた方がいいかな」

「よく寝てるしもう少しこのままにしてあげたら? 明日香と奈緒人のこんな仲のいい姿
を見るなんて何年ぶりだろ」

「そうだな。最近二人の仲が昔のように戻ったみたいなんだ。玲子ちゃんのおかげかな」

「あたしは関係ないですよ。でもこうして見ると本当に仲のいい兄妹だよね」

「うん。最近、明日香は妙に素直なんだよな」

「明日香は昔から結城さんには素直だったじゃない。本当の父親よりも結城さんの方に懐
いていたし」

「そんなこともないよ。それに最近母親にも素直だからあいつも喜んでる」

「姉さんはちょっと気にし過ぎなんだよね」

「それだけ気を遣ってるんだよ、子どもたちに」

「・・・・・・全く結城さんは姉さんに甘過ぎだよ。それは一度はお互いに諦めた幼馴染同士で
奇跡的に結ばれたんだから結城さんの気持ちはわかるけどさ」

「おい・・・・・・玲子ちゃん」

「大丈夫。二人ともよく寝てるみたいだから。よほど楽しかったんだろうね」

「子どもたちには悪いと思っているよ」

「真面目な話だけどさ、結城さん編集長なんだからもう少し部下に仕事任せて家に帰るよ
うにしなよ。うちのキャップなんてあたしの半分も社にいないよ」

「うちもあいつの社も零細な出版社だからね。玲子ちゃんとこみたいな大手みたいにはい
かないよ」
215 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:15:01.93 ID:0rMHkqmno

 僕は今では完全に目が覚めていたけど、父さんと玲子叔母さんの会話を聞きたくて寝た
振りをしていた。罪悪感はあったけど父さんが僕たちのことをどう考えているかなんて直
接聞いたことがなかったので、僕の中で好奇心が罪悪感に打ち勝ったのだった。




「そんなの関係ないじゃん。だいたい結城さんとこの雑誌ってクラッシクの専門誌でし
ょ? 本当にこの時期そんなに忙しいの?」

「また馬鹿にしたな。零細誌は零細誌なりにいろいろあるんだよ」

「あ・・・・・・」

「どうした?」

「そういや結城さんの『クラシック音楽之友』の先月号読んだんだけどさ」

「どうかした?」

「ジュニクラの都大会の記事書いたのって結城さん?」

「そうだよ。ピアノ部門だけだけど」

「中学生の部の優勝者の批評って・・・・・・」

「おい。ちょっと、それは今はまずいよ」

「・・・・・・大丈夫。二人ともよく寝てるから。あの記事ちょっと恣意的って言うか酷評し過
ぎてない?」

「・・・・・・」

「カバンに入ってたな、確か・・・・・・ああこれだ」



『中学生離れした正確でミスタッチのない演奏だが感情表現の乏しさは、まるでシーケン
サーによる自動演奏を聴いているかのようだ・・・・・・。同じ曲を演奏して第二位に入賞した
藤咲有希は技術的には鈴木奈緒に劣っていたし改善すべき点も多いが、演奏の感情表現に
関しては彼女の方が将来に期待を持てるかもしれない』



「・・・・・・これって酷すぎない?」

「感じたままを書いたんだけどな」

「別に無理に奈緒ちゃんを酷評する必要なんかないのに」

「別に無理にとかじゃないよ。正確に感じたことを書かないとね。あの時の一位と二位の
受賞の結果は正しい。でも将来性に関しては藤咲の方が楽しみだというのがあの記事に趣
旨だよ」

「何かさあ」

「うん」

「大学時代に先代の佐々木の婆さんがさ」

「・・・・・・ああ」

「結城さんの前の奥さんの演奏に対してよく注意してたじゃん。演奏のふり幅が少なくて
感情が表現できていないって。メトロノームが演奏してるんじゃないのよ、ってさ」

「・・・・・・」

「あれと同じじゃん。結城さんの批評ってさ」
216 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:18:12.33 ID:0rMHkqmno

 僕の彼女のことを父さんと叔母さんは知っているみたいだった。僕は女さんからもらっ
たWEBのコピーを思い出した。



『東京都ジュニアクラッシク音楽コンクールピアノ部門中学生の部 受賞者発表』

『第一位 富士峰女学院中等部2年 鈴木奈緒』

『演目:カプースチン:8つの演奏会用練習曲 作品40 第5番「冗談」』

『表彰状、トロフィー、記念品、賞金30,000円の贈呈』



 父さんの雑誌の批評はこの時のナオの演奏に関するものらしかった。二人ともこのとき
優賞したナオが今では僕の彼女だということを知らない。それでも仕事柄父さんはナオの
ことを批評記事の対象としてよく知っているようだった。

 父さんの仕事がクラッシク音楽の雑誌の編集である以上、こういうことがあっても不思
議はないのだけど、それにしても父さんのような職業で音楽を聞いている人に注目される
ほどナオは有名だったのだ。

 寝たふりをしていたけどナオの話題を聞いて今では完全に目が覚めていた僕は、二人の
会話の中で気になることがあることに気がついた。


『別に無理に奈緒ちゃんを酷評する必要なんかないのに』


 この叔母さんの言葉はどういう意味なのだろう。どうして父さんが無理にナオのことを
酷評する必要があるのだろうか。父さんは職業の必要上から都大会のピアノ部門中学生の
部の優勝者の批評記事を書いただけではないのか。


 それから僕は初めて自分の実の母親の情報も耳にしたことになる。


『大学時代に先代の佐々木の婆さんがさ。結城さんの前の奥さんの演奏に対してよく注意
してたじゃん。演奏のふり幅が少なくて感情が表現できていないって。メトロノームが
演奏してるんじゃないのよ、ってさ』


 父さんと僕の本当の母さん、それに話からすると玲子叔母さんも同じ大学に通っていた
のだろうか。その母さんも奈緒と同じでピアノの演奏をしていたのだろうか。

 僕はこのとき、閑静な住宅街にあるピアノ教室の玄関を思い出した。今までは気にした
こともなかったけど、あの教室には一枚の看板が控え目に掲示されていた。



『佐々木ピアノ教室』



「それはだな」

 父さんが何かを話し出そうとしたとき、明日香が身じろぎして目を覚まして起き上がっ
た。
217 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:21:02.07 ID:0rMHkqmno

 結局楽しかったひと時の集まりが解散したのは夜中の一時前だった。

 起き上がった明日香に対して父さんはもう寝た方がいいよと声をかけた。

「うん。もう寝る。叔母さん一緒に寝よ」

 明日香は叔母さんに言った。叔母さんは笑い出した。

「明日香が珍しくあたしに甘えてるからそうするか。結城さん、いい?」

「うん。そうしてやって。さて、じゃあもう寝るか。おい奈緒人もおきなさい」

 もともと起きていた僕だけど、父さんに声をかけられて目を覚ました振りをした。

「奈緒人もちゃんと起きたか? 歯磨いてさっさと寝た方がいいよ」

 叔母さんが笑って言った。

 こうしてこの夜の小宴会は解散になった。叔母さんは洗い物をすると言ったけど明日も
仕事があるんだからと父さんは叔母さんを止めて明日香の方を見た。

「明日あたしがやっておくよ。叔母さん行こ」

「明日香も大人になったなあ。じゃあ明日香に甘えるか。結城さん、奈緒人。お休み」

「お休み玲子ちゃん」「お休み叔母さん」

 父さんと僕が同時に言った。二人が出て行くと父さんが伸びをして眠そうにあくびをし
た。


 歯磨きを済ませて自分の部屋に戻った僕はさっきユキさんから来たメールを開いた。


from :ユキ
sub  :こんばんは〜
本文『メアドを教えてもらった直後に図々しくメールしちゃいました(汗)』

『親友の奈緒の彼氏ならあたしの親友ですから! ナオトさんそこで引かないでください
ね』

『奈緒に彼氏ができたって聞いてびっくりです。昔からピアノ一筋だと思っていたのに裏
切られた〜(笑)』

『でもよかったと思います。奈緒って昔からもてたけどその割には男の子に興味がないみ
たいだったから少し心配だったんです。本当は今まで奈緒が気に入る男の子が奈緒のそば
にあらわれなかっただけなんでしょうね。ナオトさんは初めて奈緒が付き合いたいと思っ
た男の子だったのね』

『奈緒のことよろしくお願いします。あと奈緒に対する十分の一くらいでいいからあたし
のことも相手してね』

『それでは図々しいメールでごめんなさい。これからもよろしくお願いします(はあ
と)』
218 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/29(土) 00:23:43.59 ID:0rMHkqmno

 翌日僕は妹に起こされた。時計を見るともう十時近い。

「お兄ちゃん起きてよ。買物に一緒に行ってくれるって約束したじゃん」

 僕は眠気を振り払ってベッドに起き上がった。

 え?

「あのさ」

「どしたの?」

「どしたのって・・・・・・」

「ああ」

 明日香は同じベッドの中で僕の隣に横たわっていた。半ば半身を起こして僕の方に抱き
つくようにしながら僕に声をかけて起こそうとしたらしい。

「ああじゃなくてさ。何でここにいるの?」

「叔母さんと一緒にあたしの部屋で寝てたんだけどさ。叔母さんすごくお酒臭いし寝相も
悪いのよ」

「・・・・・・おまえが叔母さんに一緒に寝ようって誘ったんだろうが」

「よく覚えてるね。お兄ちゃん寝てたんじゃなかったの」

 僕は一瞬どきっとした。

「何となく記憶があるだけだよ」

 僕は曖昧に言った。

「ふ〜ん。それでさ八時になったら叔母さん、突然起き上がって会社に行っちゃった。パ
パと一緒に仲良く出かけたみたいだよ」

「そうか・・・・・・。っておまえなあ」

「何よ」

「それとおまえが僕のベッドに潜り込むのとどういう関係があるんだよ」

「何となく寂しくなってさ。祭りの後って言うの?」

 珍しく感傷的な妹の感想は僕にも素直に共感できるものだった。昨日の夜が楽しかった
分だけ父さんと叔母さんがいなくなったこの家はいつにもまして寂しい感じがする。

 血の繋がっていない兄のベッドに潜り込むとは深夜アニメに登場する妹じゃあるまいし
どうかとは思うけど、明日香が人恋しいと思った気持ちには僕は素直に共感できた。

 今までは両親不在で兄妹別々に過ごしていて寂しいなんて感じたことはなかったのに、
たった一晩の幸せに僕と明日香は打ちのめされてしまったのだった。

「もう少しこのまま寝るか? それとももう起きて買物に行くか?」

 僕は傍らで毛布に潜り込もうとしていいる妹に聞いた。

「・・・・・・もうちょっとこうしていようかな」

 妹は顔を毛布の中に隠して呟くように言った。

「何だよ、人のこと起こしといて」

 僕は妹にそう言ったけど妹が今感じている気持ちはよく理解できた。

「寝よう!」

 妹が元気よくそう言って再び体を横たえた僕の上に自分が被っていた毛布をかけてくれ
た。
219 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/29(土) 00:24:29.26 ID:0rMHkqmno
きょうはここまで。

読んでくれた方に感謝。

また投下します。
220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/29(土) 01:17:10.17 ID:RMTnepjPo
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/09/29(土) 02:45:30.54 ID:4rHeE7TL0

ナイスビッチだ
222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/29(土) 07:20:36.37 ID:071MI/7co
ビッチとは奈緒、明日香、有希の三人のことを言っているのかなあ。ドロドロになるのかなあ。楽しみだなあ。
乙です。
223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/29(土) 13:55:48.87 ID:nVkxwtlG0
有希にも何かありそうだよね
おつかれ
224 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/29(土) 15:35:42.12 ID:B5dLXoYao
いや、母親がビッチなんだろ
225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/29(土) 17:53:03.32 ID:XDdaSF8Qo
226 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:07:49.41 ID:P7aT+clno

 次に目を覚ました時にはお昼の時間を過ぎてしまった頃だった。妹は僕から少し離れた
場所で横向きになって寝入っていた。明日香のことだからまたいつかのように抱きついて
くるんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかったようだ。

 少しお腹が空いていた。昨日は叔母さんに特上寿司をいっぱいご馳走になったとはいえ、
もうお昼過ぎなのだ。よく寝ているので少し可哀そうだとは思ったけど僕は妹に声をかけ
た。このまま寝ていたら一日が無駄になってしまう。それに今日は食材の買出しをするっ
て明日香も言っていたのだし。

 体に触れるのは気が引けたので普通に声をかけると、さすがによく寝たせいか明日香は
すぐに目を覚ました。

「今何時?」

 明日香が目をこすりながら言った。


「十二時半くらい」

「そっか。よく寝た―――ってまずい」
 妹が跳ね上がるように飛び起きて言った。「何で起こしてくれなかったのよ。十時には
家を出たかったのに」

「何言ってるんだ。さっき十時ごろ自分で起きてたじゃん。それでまた寝るって言ったの
おまえだろ」

 理不尽な言いがかりだったけど以前のようなとげは感じられない。同じベッドで一緒に
寝るとか仲が悪かった兄妹の関係が、普通の関係を通り越して極端に逆側に振れてしまっ
ている様な気もしたけど、それでもまだ昨夜感じた家族の安心感のような感覚は今でも続
いていた。

 どうやら昨夜のことは夢ではなかったみたいだ。

「早く起きて仕度して。買物に出かけるよ」

 妹は慌しく起き上がって僕を急かした。

「そんなに慌てなくてもまだ時間はあるのに・・・・・・」

「いいから。あ〜あ、失敗しちゃったなあ」

「失敗って?」

「何でもないよ。ほら早く起きて着替えてよ」

「わかったよ」

 明日香が何で慌てているのかはわからない。それでも明日香と二人で買物に出かけるこ
とを楽しみに感じている自分に気がついて僕は驚いた。

 ナオに会えないのは寂しいけど、今日だけはナオと約束をしていなくてよかったのかもし
れないと僕は思った。
227 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:09:15.09 ID:P7aT+clno

 明日香と二人きりで外出するのは、多分初めてのことだったと思う。今までのことを考
えると明日香と並んで冬の曇り空の下を喧嘩もせず刺々しい雰囲気もなく歩いていること
自体が奇跡のようなものだ。

 僕たちは別に手を繋ぐでもなく寄り添うでもなく、でもお互いに疎遠というほどの距離
感を感じることもなく並んで歩いた。

 今でも昨夜の魔法は解けていない。去年のあの夜以来僕にすっぽりと覆いかぶさってい
た暗く思いベールがはがれて、急に周囲が明るくなったような感覚はまだ続いている。

 これは明日香のおかけでもあるし玲子叔母さんの助けもあったことは間違いない。

 僕は明日香の隣を黙って歩きながら改めて考えた。

 でも僕の生活が急に明るい方向に転回したのはナオと知り合ったためだった。まるで合
理的な関係などないのかもしれないけど、僕は不思議にそう確信していた。

 明日香は駅ビルの中のスーパーマーケットで買物をしたいと言ったので僕たちは近所の
スーパーを素通りして駅前に向っていた。近所の店と何が違うのかはよくわからないけど、
わからない以上は言うとおりにした方がいいのだろう。

 駅ビルについたとき僕はすぐに買物をするのかと思ったのだけれど、明日香は僕の先に
立ってビルの中のファミレスの中に入って行った。朝食も昼食もまだなのだから先に食事
をする気なのだろうか。別にそれでもいいけど一言言ってくれればいいのに。

 明日香は店の中に入ると寄ってきた店員には構わずにきょろきょろと店内を見回してい
た。

「あ、いた。あっちに行こう」

 僕はいきなり明日香に手を取られて窓際の席の方に連れて行かれた。

「ユキちゃん遅れてごめん」

 窓際のテーブルには可愛らしい少女が一人で座っていた。一瞬僕には何が起こっている
のかわからなかったけど、よく見るとそれはユキだった。

「いえいえ。あたしも来たばっかだし」

 ユキは妹の方を見て笑った。

「本当にごめん。兄貴ったら男の癖に支度するのが遅くてさ」

「明日香さん、ちゃんとメールくれたからわかってましたよ。あ、ナオトさん今日は」

「こんにちは・・・・・・って、君たち知り合いだったの?」

 ぼくは驚いて明日香とユキの顔を交互に眺めながら言った。
228 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:11:38.14 ID:P7aT+clno

「まあね。ユキちゃん一緒に座ってもいい?」

「うん。どうぞ」

 二人がどういう関係かは知らないけれど随分と白々しい会話をしてくれるものだ。明日
香は最初からここに来ることを決めていたのだろう。

 それにしても僕が明日香とユキと一緒にファミレスのテーブルを囲む意味がわからない。
それともこれには意味なんてなくて、僕は単に余計なお荷物としてついでにこの場に連れ
てこられただけなのか。

「お兄ちゃんはそっちに座って」

 明日香がユキの正面に腰をおろしながらユキの隣を指差した。

「え? 何で」

「何よ、お兄ちゃんあたしの隣がいいの? あたしは別にそれでもいいけどユキちゃんに
シスコンだと思われちゃうよ」

 本当に何なんだ。

「ナオトさんさえよかったら隣にどうぞ」

 ユキが飽きれたように笑いながら言った。僕は恐る恐るユキの隣に腰掛けた。

「昨日はいきなり夜にメールしちゃってごめんなさい」

 笑いながらユキが少し僕に頭を下げた。あまり悪いと思っている様子ではないけど嫌な
感じはしはなかった。これまで二回、わずかな間だけユキとは会ったことがあるのだけれ
どその時とは随分印象が違う。というかあの時の僕の目にはナオしか映っていなかったの
かもしれないけど。

 それでも今、僕の隣にいる小柄な女の子がナオの親友だと思うとなぜか少し混乱する。

 正面には明日香がいる。自分の家族と僕の付き合い始めたばかりの彼女の友だちと一緒
にいることは悪い気持はしないけれど、なぜ僕の知らないところでこの二人が親しくなっ
たのかはどうしても気になる。

「ユキちゃん何頼んだの?」

「うん。モンブランと紅茶。先に注文しちゃってごめんなさい」

「全然OK。でもあたしもお兄ちゃんも朝から何も食べてないから食事してもいい?」

 ユキは明日香の顔を不思議そうに見た。そして笑い出した。

「何よ」

「明日香さんってさ。あたしと二人きりの時はナオトさんのこと『兄貴』って呼ぶのに、
ナオトさんと一緒にいる時は『お兄ちゃん』て呼ぶんですね」

 何かよくわからないけどこれは恥かしいかもしれない。妹は赤くなって口ごもってしま
った。
229 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:13:10.56 ID:P7aT+clno

「ごめんなさい。変なこと言っちゃって」
 赤くなって狼狽している妹を見て少し後悔したようにユキが言った。「別に変な意味じ
ゃなの。何か羨ましいいなあって思って」

「うらやましいって・・・・・・何で?」

「よくわかんないけど、あたしって弟しかいないからかなあ。お兄さんがいるのってうら
やましい」

「そんなにいいもんじゃないけどね、実際にお兄ちゃ・・・・・・兄貴がいても」

「それよかさ、何で二人は知り合いなの?」

 僕はさっきから気になっていることを質問してみた。ユキはナオの親友のはずだ。その
ユキと明日香が知り合いということはまさか明日香はナオとも知り合いなのだろうか。

「何でって言われても。最近ちょっといろいろあって知り合ったんだよ」

 明日香が素っ気なく答えた。全く答えになっていない。

「そうなんです。でも知り合ったばかりの奈緒の彼氏が明日香さんのお兄さんなんてびっ
くりです」

 そう言ったユキは少しも驚いていないように見えた。

「それよか何食べる? お腹空いたよ」

 明日香が話を変えた。

「・・・・・・ピザとフライドチキン?」

「何でよ」

「食べたかったんだろ? 昨日は寿司に付き合ってもらったからな」

「・・・・・・よく覚えてたね」

「まあね」

「変なところだけ無駄に優しいんだから」

 明日香はまた少し赤くなって小さい声で言った。

「いいなあ。あたしもお兄さんが欲しい」

 ユキが再び明日香をからかうような目で見ながら言った。さっきもそうだたけど明日香
が同学年の女の子にこういう風に扱われていることが僕には少し新鮮に感じられた。

「こんなのでよかったらあげようか」

 まだ赤い顔をしたまま明日香がユキに言い返した。
230 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:15:17.26 ID:P7aT+clno

 結局この二人の関係やなぜここで待ち合わせをしていたかということは、いつの間にか
曖昧にされてしまった。二人は身を乗り出すようにしてテーブルに開いたメニューを眺め
ている。こんなことなら明日香がユキの隣に座ったらよかったのに。

 ユキがケーキだけではなく自分も食事しようかなって言ったのがきっかけだった。

「じゃあ二人で一緒にピザ食べない? ここのピザ大きいから一人では食べきれないし」

 結局ピザを頼むのか。明日香とユキがどのピザを注文するのか楽しそうに話しているの
を聞きながら僕は考えた。

 その時、僕はふと昨晩の父さんと叔母さんの会話を思い出した。父さんの書いた記事の
話だ。確か一位に入賞したナオより二位入賞のフジサキユキという子の演奏の方が感情表
現が豊かだったとかいう内容の記事らしかった。

 そういえば以前女さんから貰ったナオの入賞記事には二位以下の記載はなかっただろう
か。ナオのことしか気にしていなかったのでよく覚えていないけど。僕はポケットからそ
の記事を取り出して眺めた。恥かしいけど僕はこのプリントをいつも持ち歩いては時々眺
めていたのだ。

 僕は改めてその記事を眺めてみた。



『東京都ジュニアクラッシク音楽コンクールピアノ部門中学生の部 受賞者発表』

『第一位 富士峰女学院中等部2年 鈴木奈緒』

『演目:カプースチン:8つの演奏会用練習曲 作品40 第5番「冗談」』

『表彰状、トロフィー、記念品、賞金30,000円の贈呈』



 ここまでは暗記するほど眺めている。問題はその次の部分だ。

 やはり載っていた。一位のナオの記事との違いは写真がないというだけだ。



『第二位 富士峰女学院中等部2年 藤咲有希』

『演目:カプースチン:8つの演奏会用練習曲 作品40 第5番「冗談」』

『表彰状、トロフィー、記念品、賞金20,000円の贈呈』



 演目も一緒だ。まあでもこれは意外でも何でもないだろう。同級生で同じ先生について
ピアノのレッスンを受けている二人は、ただの親友というだけでなくピアノでも競い合う
ライバル同士でもあるということだ。

 でもこれで僕にはまたナオに関する知識が増えたのだ。

 注文したいピザが決まったのだろう。二人はメニューを閉じて何やら携帯の画面をお互
いに見せあっている。

「ユキさんって、藤咲有希っていう名前だっけ?」

 ユキが僕の方を見た。
231 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:17:00.58 ID:P7aT+clno

 並んで座っているユキとの距離が近かったせいでユキの顔は一瞬どきっとしたほど僕の
すぐそばに近寄っていた。

 僕は以前どこかで読んだことを思い出した。

 対人距離という概念があって、人によってその距離感は異なるそうだ。相手との距離が
だいたい50センチ以下になる距離は密接距離と呼ばれている。それは格闘をしている場
合などを除き、愛撫、慰め、保護の意識を持つ距離感であるそうだ。

 逆にそういう親密な関係にない他者を近づけたくない距離と捉えた場合、同じ距離であ
ってもそれは排他域とも呼ばれる。

 多分僕はこの排他域が人より大きいのだと思う。ついこの間まで僕の持っている排他域
に踏み込んでくる人は誰もいなかったし、僕はそのことに満足していた。

 でも最近は僕の排他域に入り込んでくる人が増えていた。いつの間にか抱きついたりベ
ッドに潜り込んでくるようになった妹の明日香。僕の腕にしがみついて身を寄せてくれる
ナオ。

 ナオは僕の恋人だからそれは密接距離だ。ナオに対して愛撫・・・・・・、はともかく慰めや
保護欲は感じているしナオと密着していることは素直に嬉しい。

 妹について言えば今までは妹の接近は居心地がいいとは言えなかった。僕はいつも明日
香のことを警戒していたのだ。でも今朝明日香が僕の隣に寝ていることを知っても僕は別
に居心地の悪い思いをしなかった。むしろ昨晩の楽しいひと時が終って寂しそうな妹を慰
めたいとまで思ったくらいに。もちろん思っただけで口に出したりはしなかったけど。

 妹との距離も確実に縮まっているのだろう。別にそれは悪いことではない。まあ明日香
が僕を好きだと言った言葉があまり重いものだとそれは問題ではあるけれど。

 その距離の中に突然踏み込んできたユキは別に居心地が悪るそうな様子はなかった。

「そうですよ。ナオトさん、それ奈緒ちゃんから聞いたの?」

 僕はユキに受賞者の一覧が掲載されたプリントを渡した。

「ああこれで見たのね。あたしいつも奈緒ちゃんより下なの。でも奈緒ちゃんは特別に上
手だから」

 そのことをあまり気にしている様子もなくユキは笑った。

「本当にナオちゃんと仲がいいんだね」

「うん。でも明日香さんとナオトさんだって仲がいいじゃない。何度も言うけどうらやま
しい」

 ユキはいつの間にか敬語を使わなくなっていた。どうも人見知りしない子らしい。そし
て明るい笑顔と一緒にそういう言葉が出ているせいか、僕は年下の女の子にタメ口で話さ
れても少しも不快感を感じなかった。

 明日香も同じことを考えているようだった。

「さんはやめて。明日香でいいよ」

「そう? じゃあ明日香も有希って呼んでね」

 明日香は何かを期待しているかのように僕の方を見たけど、そういうわけにはいかない。
少なくとも今はまだ。

 そのうち僕がナオを呼び捨てできるようになりナオもそうしてくれるようになるといい
のだけど、そうなる前にナオの親友とお互いを呼び捨てしあうような仲になるのはまずい。

 ユキの件では地雷を踏んだばかりだし、こうして会っていることすら本当は心配なくら
いなのだ。
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:21:35.21 ID:P7aT+clno

「ピアノといえばさ」
 僕は明日香の視線から目を逸らした。「『クラシック音楽之友』っていう音楽の専門誌
を知ってる?」

「もちろん知ってますよ」

「先月号は読んだ?」

「あれって千五百円もするんだもん。高いから滅多に買わないの」

「そう」

 僕は自分のバッグからクラッシク音楽之友を取り出した。今朝、不用意にもソファの上
にぽつんと置き去りにされていたのだ。父さんの書いたという記事をゆっくりと見たいと
思った僕は家を出がけに自分のバッグに入れてきていた。

 目次からコンテストの批評記事を探しあててそのページを開いた僕は、ざっとその内容
に目を通してから開いたままのページをユキに見せた。



『中学生離れした正確でミスタッチのない演奏だが感情表現の乏しさは、まるでシーケン
サーによる自動演奏を聴いているかのようだ・・・・・・。同じ曲を演奏して第二位に入賞した
藤咲有希は技術的には鈴木奈緒に劣っていたし改善すべき点も多いが、演奏の感情表現に
関しては彼女の方が将来に期待を持てるかもしれない』



「専門の雑誌で誉めてもらえるなんて嬉しいけど」
 ユキが記事に目を通してから言った。「でもちょっと誉めすぎだよ。先生とかに将来を
有望視されているのは奈緒ちゃんの方だもん」

「何の話してるのよ」

 話について来れない明日香が不思議そうに聞いた。

「父さんの記事がユキさんを誉めてるんだよ」

「パパの記事?」「え? お父さんの記事?」

 二人が同時に驚いたように声を出した。

「うちの父親ってその雑誌の編集長してるんだ。その記事を書いたのも父親だよ」

「え〜。それ早く言ってよ。あたし記事に文句つけちゃったじゃない」
 ユキが恨めしそうに僕を見た。「ナオトさんの意地悪」

「何々、パパってその雑誌を作ってるの?」

「・・・・・・父親の職業くらい覚えておけよ」

 ピアノなんかに興味がないのか明日香の感想は的外れなものだった。

「気になくていいよ。これユキさんにあげるよ」

 後で考えたらその雑誌は玲子叔母さんの忘れ物だったのだけど。

「いいの?」

「うん。一応ユキさんが良く書かれている記事だから記念にして。あ、でもナオちゃんに
は・・・・・・」

「わかってる。見せないから安心して」
 ユキは雑誌を抱きかかえるようにしてにっこりとした。「ナオトさん、ありがとう」。大事に
するね」
233 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/09/30(日) 19:22:58.60 ID:P7aT+clno

 ユキとは一緒に食事をして一時間ほどしてから別れた。

 明日香とユキは仲良くピザを半分こした挙句、ユキが最初に注文していたケーキまで二
人でシェアしていた。その様子は僕から見ても微笑ましかった。

 それに何より明日香が派手で中学生離れした女の子ではなく、ユキのような子と仲良く
していることが僕には嬉しかった。

 それでも知り合ってから間がないらしい明日香とユキのおしゃべりに、僕が付き合わさ
れた理由は最後までわからなかった。

「お兄ちゃん買物に行くよ」

 ぺこっと一礼して帰って行くユキの後姿をじっと眺めていた僕に明日香が声をかけた。

「何ぼけっと有希のこと見つめてるの? もしかして有希に惚れちゃった?」

「いや・・・・・・そんなことないけど」

「なに真面目に返事してんのよ。冗談だって」

 明日香が笑った。

「じゃあスーパーに行こう。今夜は何食べたい?」

 もちろんそんなことを妹から聞かれたことは初めてだった。







「ビッチ」第二章おしまい
234 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/09/30(日) 19:23:52.42 ID:P7aT+clno
今日はここまで

次回から第三章です

ここまでお付き合いありがとうございます
235 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/09/30(日) 19:25:05.11 ID:LX+jv4mfo
236 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/30(日) 19:25:43.12 ID:FCSzVXMKo
乙! 楽しく読ませてもらってるよ!
第三章にも期待
237 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/09/30(日) 22:29:06.35 ID:JRu2govho
一気に読んでしまった

こういう現代小説みたいなのがこで読めるとは思わなかった、乙
238 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/09/30(日) 23:21:34.72 ID:YXuKjQNko
239 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/01(月) 01:43:27.73 ID:IJbEjhnh0


三章もたのしみ
240 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:03:01.39 ID:HzCbppwJo

第三章 有希


 あたしはもっと真面目にならなければいけない。

 両手いっぱいに買物の袋を持たされてよろよろと歩いている兄貴をからかいながら、夕
暮れの住宅地を抜けて帰路に着いたあたしは今の麻痺しそうなくらい幸せな感情を無理矢
理押さえつけようとした。

 昨日の夜、心からくつろいでいる様子の兄貴を小さな心の痛みとともに眺めながら、あ
たしは兄貴を守ることを改めて心に誓ったのだけど、その決心は意識して保とうとしない
とすぐにどこか見えないところに飛んで行ってしまいそうだ。そしてその決意を忘れたあ
たしはパパや玲子叔母さん、それに兄貴との会話に素直に加わって楽しんでしまうのだっ
た。

 昨夜兄貴のベッドに潜り込んだことだってそうだ。冷静に兄貴を救うため、兄貴をあた
しの方に振り向かせるためにそうしたのだったらいいけど。

 自分に正直になってみると昨日のあれはそうじゃない。

 玲子叔母さんがあたしを起こさないようにしながら一緒に寝ていたベッドから起き上が
って、そっと階下に下りていく足音。

 既に出社の準備を終えてリビングにいたパパと玲子叔母さんが低い声を交し合っている。
そのうちパパと玲子叔母さんは連れ立って家を出て会社に向って行った。

 昨夜が楽しかった分だけ一人でベッドに横になっているのは辛かった。そして普通の妹
なら兄の部屋に忍び込むなんて発想もしないだろうけど、自慢じゃないけどあたしには前
科がある。

 兄貴を陥れようと画策して兄貴のベッドに潜り込んだことのあるあたしにとっては兄貴
の部屋にそっと入り込むなんて慣れたものだった。

 寂しさに負けてあたしはそっと兄貴のベッドの横に立って兄貴の寝息を注意深く伺う。
兄貴の呼吸が安定していて多少のことでは起きないだろうと確信を持った時点で、あたし
は兄貴がかけている毛布の端をそっと持ち上げてベッドに入り込む。

 今ではもう兄貴を陥れようとは思っていなかった。

 今のあたしは兄貴を救うという目的ができたのだ。しかも洒落ではなく目前に迫った危
機を何とか回避するために。

 でもあたしにとってはどちらが罪なのだろう。

 昨夜のあたしは兄貴のことを誘惑しようとして兄貴のベッドに潜り込んだわけではなか
った。むしろパパと玲子叔母さんの不在から生じた寂しさを兄貴に紛らわせてもらいたく
てそうしたのだった。

 あたしにとってどちらの方が罪なのか。

 兄貴を誘惑するために意識的に兄貴のベッドに入り込み、兄貴の歓心を買い、兄貴の気
持ちをあたしの方に向けさせることか。それとも自分の思わぬ寂しさを兄貴に救って欲し
くてベッドに入ることか。
241 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:07:16.12 ID:HzCbppwJo

 皮肉なことに、兄貴を救おうと決心しイケヤマと別れ兄貴に気に入られるために自分の
外見や話し方や行動パターンまで兄貴好みに変えて、そしてその演技を続けているうちに
あたしは以前兄貴やママに感じていたような苛立ちを全く感じなくなっていたのだ。

 兄貴と仲直りして家族で団欒することがこんなにも心の平穏をもたらすなんて、これま
では考えたことすらなかった。奈緒に負けまいと考えて悲壮な覚悟で始めたこの演技は、
まず最初にあたしの心を穏やかに安定させてしまった。

 それでも奈緒に勝って兄貴を救うにためは、自分が始めてしまったこの演技を続けるし
かないことはわかっていた。

 兄貴と一晩一緒に寝たくらいならまだ心の揺らぎは自制して抑えることができる。

 あたしは有希のことを考えた。人懐こく疑うことを知らず、この世の中には純粋な悪意
が存在するかもしれないなんて考えたこともないだろう奈緒の親友。

 認めたくないけどこの同い年の女の子と過ごした一時間はすごく楽しかったのだ。こん
な状況ではなくて普通に友だちになれたらどんなにか幸せだっただろうと思ったくらいに。

 今日は有希とピザとケーキを二人で分け合って食べた。飽きれている様子の兄貴には構
わず携帯の待ち受け画面自慢を二人で繰り広げた。お互いを呼び捨てで呼ぶことにした。

 これまでのあたしの友だちに比べて、富士峰の箱入りのお嬢様なんて付き合っても面白
くないだろうとあたしは決め込んでいたのだったのだけど、実際に話してみると有希はい
い子だしあたしとは気が合った。その有希をあたしは奈緒に対抗するための手駒として扱
おうとしている。

 それでもあたしは迷わずにもっと真面目にならなければいけなかった。

 冷静に冷酷に行動しなくてはいけない。自分の心の平穏を求めているようでは兄貴は救
えない。兄貴が幸せそうなことはいいことだけど、あたしまでそれに便乗してはいけない
のだ。

 万一兄貴に知られたらそれこそ終生絶交されてもしかたのないくらいのことを仕掛けよ
うとしているということを忘れてはいけない。

 もっと冷静に冷酷に。

 それでもあたしは最低でも有希のことを傷つけずに済むかもしれない方法方があること
に気がついてはいた。

 どうやら有希は本気で自分の親友の奈緒の彼氏、うちの兄貴のことが気になっているら
しい。それなら兄貴と有希の仲をもっと公然と応援すればいいのだ。性格は多分奈緒の方
が兄貴の好みかもしれないけど、少なくとも有希の外見は兄貴の好みのはずだ。

 付け焼刃で始めたあたしのなんちゃって清純さとは違って、有希のお嬢様度は筋金入り
の本物だった。奈緒にも負けないくらいに。

 作戦の手直しをしてあたしに振り向かせるはずだった兄貴を有希に譲ること。それは仲
良くなった有希への贈り物になるだろう。

 ・・・・・・・そう考えた時、再びあたしの胸の奥がずきりと痛んだ。あたしは兄貴を、そし
てあたしの唯一の居場所であるこの家庭を守りたいだけだ。だから兄貴を有希に譲ろうと
考えたくらいのことであたしの胸が痛むのは奇妙なことだった。
242 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:10:25.67 ID:HzCbppwJo

 冬休みに入ってもパパとママはほとんど家にいることがなかった。まあ普段から両親が
いないことには慣れていたのだけど、休み中に両親がいないと昼間の食事とかも考えなけ
ればならない。いい妹になるつもりだったあたしだけどさすがに毎日三食用意するのは無
理だった。そもそも休みの朝なんて朝食をとる気にすらならない。

 それでも兄貴が朝食を食べるのならその支度を兄貴自身にさせる気はなかった。無理を
してでも早起きして簡単な献立くらいは用意する覚悟はあったのだ。あたしは休みに入る
前の晩にそのことを兄貴に聞いてみた。

「せっかく休みなんだし朝ごはんなんか食うより寝てたいな」

 兄貴はあっさりそう言った。考えてみればゲームとか深夜アニメの視聴とかが唯一の趣
味の兄貴ならそう言うだろう。それであたしは安心した。

 もう一つの心配は兄貴と奈緒のことだった。あたしから見ても兄貴は既に相当奈緒に夢
中になっているように見えた。平日は毎朝奈緒と待ち合わせして一緒に登校しているし、
土曜日は奈緒のピアノのレッスンが終った後に一緒に過ごしているらしいし。

 普段ですらそんな有様なのだから休みに入ったら毎日でも一緒に過ごすのではないか。
兄貴と奈緒の接近を食い止めたかったあたしにはそれが心配だった。

 ところが意外なことに休み中の兄貴は、ほとんど奈緒と一緒に出かけようとする様子は
なかった。理由はともかくこれはチャンスだった。

 幸いなことに有希の家はあたしたちの家に近い場所にあるのだし、あたしは渋る兄貴を
誘って、毎日買物の荷物持ちをさせることを口実に外に連れ出すようにした。

 いくら鈍感な兄貴でも何か様子がおかしいことには気がついていただろうと思う。あた
しと兄貴が駅前に買物に行くたびに、途中で有希が合流するのだから。

 有希に対してはあまりストレートな攻勢に出るのは危険だったから、あたしは兄貴に会
わせたいからではなくあたしが有希と会いたいからという理由で有希を誘っていた。

 あたしの見るところでは有希は間違いなく兄貴のことを男として気にしていた。でも奈
緒の親友である有希がそれを素直に認めるわけはないのだ。だからあたしは有希が罪の意
識なく兄貴と会えるように、あたしと有希がおしゃべりする場所に兄貴が居合わせている
という状況を作り上げることにしたのだった。

 そんな危うい顔合わせも回数を重ねるにつれ自然な集まりになっていくみたいで、有希
はもともとあまり物怖じせず人見知りもしない性格だし、口下手で根暗の兄貴でさえ何度
か一緒に過ごしているうちに有希とも打ち解けて話せるようになっていった。

 奈緒に遠慮しているのか相変わらず有希のことを他人行儀に「ユキさん」と呼んではい
たけれど。
243 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:12:59.67 ID:HzCbppwJo

 もうあと数日で大晦日になるという師走のある日、あたしたちはいつものファミレスで
お喋りしていた。ちょうど昼時だったのでここでお昼を済ましてしまおうということにな
ったのだった。

 兄貴は本屋に寄ってからあとでここで合流するということで、このときあたしは有希と
二人きりだった。食事の注文を終えたところであたしはずっと気になっていたことを有希
に聞いてみようと思った。ちょうど兄貴がいないのでチャンスだったし。

「ねえ」
 あたしは有希に話しかけた。「奈緒ちゃんと兄貴って本当に付き合ってるのかな」

「何を今さら。奈緒ちゃんはナオトさんに夢中じゃない。冬休み前なんか学校で奈緒ちゃ
んに会うといつもナオトさんの話を聞かされてたんだよ、あたし」

 有希は笑って言ったけどその表情には少しだけ苦い感情が表れていたと思ったのはあた
しの考えすぎだろうか。

「そうなんだ。でも奈緒ちゃんはそうでも兄貴の方はどうなんだろ」

「ナオトさんの方はってどういう意味?」

「だってせっかくの冬休みなのに兄貴ったら全然奈緒ちゃんとデートとかする様子もない
しさ。それにこうしていつも三人で会ってるでしょ? 兄貴も最近有希ちゃんとこうして
お話しすることが嬉しいみたいだし」

「また適当なこと言って」
 有希は少しだけ赤くなって言った。「ナオトさんはあたしのことなんか奈緒ちゃんの親友としか
・・・・・・」

 ここで少し言葉を区切った有希は話を続けた。

「あと明日香の親友だくらいにしか考えていないよ」

 有希があたしのことを親友だと言ってくれたことが、あたしは素直に嬉しかった。兄貴
と有希を付き合せたいという当初の目的とは別に、あたしは有希のことが友だちとして好
きになっていたから。

「そうだね。兄貴は確かにあんたのことをあたしの親友だと思ってはいるよ。でもそれだ
けじゃないと思うなあ」

「あのさあ。もしかして明日香ってあたしとナオトさんをくっ付けようとしてない?」

「してる」
 あたしは正直に言った。「明日香みたいな子が兄貴の彼女ならいいのにって前から思ってたし」

「ナオトさんは奈緒ちゃんの彼氏なんだよ」

「兄貴と奈緒ちゃんが本気でお互いを好きならさ、何で休みなのに二人で会おうとしない
のよ」

 あたしが今日有希に確かめたかったことはこのことだった。
244 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:14:54.44 ID:HzCbppwJo

「何だ。そんなこと気にしてたのか」
 有希は笑って言った。「明日香ってご両親が音楽関係の仕事をしているのに知らないの
ね」

「どういう意味?」

「・・・・・・奈緒ちゃんがピアニストになりたくて音大を志望していること知ってる?」

「うん、まあ何となく。コンテストとかでも入賞するくらいなんでしょ」

「じゃあさ。ピアニストになりたい中高生くらいの子が一日何時間ピアノを弾くのか
は?」

「それはわかんないや」

 あたしは正直に言った。

「最低でも三、四時間練習するんだよ。あとさ、佐々木先生の教室のこと知ってるでし
ょ?」

「有希と奈緒ちゃんが通っているピアノ教室でしょ」

「普通のピアノ教室じゃないの。佐々木先生は奈緒ちゃんの志望している音大の教授なの
よ」

 有希はもう笑っていなかった。真面目な顔であたし見て話し始めた有希にあたしは困惑
した。

「音大の願書には師事している先生の名前を書く欄があるの。建前は自分の個人レッスン
の先生が実技試験の試験官にならないようにするためって言われてるのね。自分の弟子を
採点するのは公平じゃないからね。でも本当は受験生がどんなレベルの、どういう系統の
先生に師事してきたかを調べているみたい。だからその大学の先生についてレッスンを受
けていると受験が有利になるわけ。有希があそこでレッスンを受けているのってそういう
理由なんだよ」

 有希の話は随分生々しい話になってきた。

「奈緒ちゃんって随分ずるいことをする子なんだね」

 あたしはもともと奈緒が・・・・・・つまり兄貴の実の妹が嫌いだったから自然に奈緒のこと
を誹謗する言葉が口を出てしまった。でも有希は笑っただけだった。

「そんなわけないじゃん。誰でもしていることなんだよ」

 それからしばらくあたしは有希から音大を目指す子たちの話を聞いた。どうもかなり面
倒くさいことらしい。

 有希によれば、少なくとも六歳から八歳までにはピアノを始めてなければならない。そ
して中学に入学する頃には音大のピアノ科を卒業した先生に個人レッスンを受けているこ
と。

 それもその頃になると自宅にグランドピアノや落ち着いて練習できる環境があることも
条件になる。さっき話に出たように中学の頃で一日最低三、四時間の練習も必須だ。

 そして少なくとも高校生になる頃には音大受験を意識した生活パターンが出きていなけ
ればならない。
245 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:17:45.08 ID:HzCbppwJo

「まあ、何が言いたいかと言うとさ。中二の冬休みに毎日デートしている時間なんて奈緒
ちゃんにはないってこと。別にお互いに会いたくないわけじゃなくて、奈緒ちゃんだって
ナオトさんと会いたいと思ってはいるだろうけど」

「そんなピアノだけの生活をしている子たちって彼氏とデートしたりする暇なんかないんじゃないの?」

「よくわからないけど、普通の子たちみたいに自由にデートしたりは絶対無理だと思う」
 この時有希の表情が少し暗くなった。「まして奈緒ちゃんはお母さんの期待も背負ちゃ
ってるから・・・・・・奈緒ちゃんのお母さんって奈緒ちゃんに彼氏がいるなんて思ってもいな
いんじゃないかなあ」

 あたしもだんだんと奈緒の事情がわかってきた。

「だから、奈緒ちゃんって相当苦労して時間をやりくりしてナオトさんと会っているんだ
と思うんだ。それだけナオトさんのことが好きなんだと思う」

 その時あたしは別な疑問を思いついた。

「あれ? でもそうだとしたらさ。何で有希は毎日あたしや兄貴に付き合ってくれてる
の? 有希だって奈緒ちゃんと同じでピアノ漬けになってなければいけないんでしょ?」

「あたしは別に・・・・・・ピアニストになろうなんて思っていないもの」

 少しだけ寂しそうに有希は言った。

「だってこないだのコンテストで二位に入賞したんでしょ? あとパパの記事で将来は奈
緒ちゃんより期待できるとかって」

「ううん。あたしはピアノは何となく続けているだけだし、両親も別に音楽関係者でもな
んでもないしね。気楽にやっているだけだよ」

 有希は笑ってそう言ったけど、有希のその時の寂しそうな表情はあたしの印象に強く残
った。あたしが本当に決心したのはこの時だったと思う。そう決めたとき、再びあの胸が
締め付けられるような寂しさがあたしを襲った。でももう迷っている場合ではなかった。

「ピアノと彼氏とどっちかを選べって言われたら有希ちゃんはどうする?」

「何の話?」

「だからさ。ピアニストになりたい子って小学校の頃から生活のほぼ全てをピアノに捧げ
ているんでしょ?」

「少し大袈裟だけどそういうところはあるよね」

「そういう大切な時期にさ、彼氏とピアノと両立できなくなったとしたらどうするかって
聞いてるの」

「あたしは別にそこまでピアノに思い入れないし彼氏を選ぶかな」

「じゃあ奈緒ちゃんは?」

「え?」

「奈緒ちゃんはそうなったら兄貴とピアノどっちを選ぶと思う?」

「そんなのわからないよ。両立できるかもしれないし」

「笑ってくれても馬鹿にしてくれてもいいけど。あたしにとっては奈緒人はたった一人の
兄貴なの。有希ちゃんには言ってなかったけど兄貴はこれまでいろいろ事情があって寂し
い生活をしてきたの。この上本当に好きな子にそんな理由で振られたら兄貴が壊れちゃう
よ」

 この辺であたしはもうこれが演技なのか本音なのか訳がわからなくなっていて、最後の
方は期せずして涙声になってしまっていた。

 涙を払うついでに有希を見ると彼女は驚いた様子であたしを見ていた。
246 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/02(火) 00:21:43.24 ID:HzCbppwJo

「本当言うとわからない」

 泣いているあたしを見た有希は真面目な声で言った。

「わからないって?」

「有希ちゃんがナオトさんのことを好きな気持ちには嘘はないと思う。だけど奈緒ちゃん
にとってピアニストになりたいっていう気持ちはすごく大切で真面目な気持ちだから。そ
うでなければあんなにピアノ一筋の生活なんてできないと思う」

「じゃあ・・・・・・」

「うん。断言はできないけど、この先ナオトさんとピアニストとしての将来を天秤にかけ
る日が来たら奈緒ちゃんはピアノを選ぶかもしれないね」

「そうか」

「あ、でも本人がそう言ってたわけじゃないからね。あたしが何となく想像しただけのこ
とだからあまり真に受けないで」

「よし決めた」
 あたしは有希の顔を真っ直ぐに見つめた。「あたしは有希を応援する」

「・・・・・・何の話かわかんないよ」

「わかってるんでしょ本当は。あんた兄貴のこと好きでしょ」

 有希の顔がこれまでで一番赤くなった。そして赤い顔のままで狼狽したように必死であ
たしに釈明しようとした。

「だからナオトさんは奈緒ちゃんの彼氏で・・・・・・」

「そんなこと聞いてないよ。好きなんでしょ? 兄貴が」

 あたしは繰り返した。有希は俯いて黙ってしまった。

「よけいなお節介かもしれないけど、あたしは兄貴が不幸になるような恋なんか絶対に応
援なんかしない。ブラコンだって馬鹿にしてくれてもいいよ。でもあたしは兄貴を不幸に
はさせたくないの」

「明日香・・・・・・」

「あたし有希のこと大好きだし兄貴のことはもっと好き。だから有希が兄貴のことが少し
でも気になるなら、あんたが断ってもあんたと兄貴のこと勝手に応援させてもらうから」

 その時有希が顔を上げて真っ直ぐにあたしを見た。その表情はもう照れているような
赤みはなく、むしろ真っ青な表情に近かった。

「・・・・・・もし仮にそうなったら奈緒ちゃんはすごく傷付くと思うけど」

「わかってる。何度も言わせないで。あたしにとって一番大切なのは兄貴だけ。あと次に
有希のことが大事」

 あたしは有希を見つめた。

「兄貴のことが好き?」

 有希はしばらくしてついにゆっくりとうなずいた。俯いたままだったので有希の表情は
わからなかったけど。

「・・・・・・ナオトさんのことが好き」

 有希は俯いたままで泣き出した。
247 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/02(火) 00:22:14.63 ID:HzCbppwJo
今日はここまで

お付き合いありがとうございます
248 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/02(火) 00:33:46.38 ID:O/Kj/1Ebo
249 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/02(火) 01:34:15.93 ID:5uzdnRhk0
奈緒に目的があるのか、なんなのかとっても楽しみー
おつ
250 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/02(火) 08:38:01.59 ID:16xssFz8o
続きが気になる
251 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:11:54.69 ID:RgkJGLofo

from :ナオ
sub  :無題
本文『さっきは本当にごめんなさい。そしてあたしのわがままを許してくれてありがと
う。ナオトさんに冬休みは一緒デートしようって言われたときは嬉しかった。それだけは
本当です』

『でもあたしには自由な時間はないの。学校のないこの時期にすることは随分前から先生
に決められていました。そもそも練習曲の進度が他のライバルの子とくらべてあまり進ん
でいないし、来年からは佐々木先生とは別な先生についてソルフェージュと聴音も勉強し
なければいけないので、この休み中にある程度練習曲を進めておかなければならないので
す』

『ナオトさんはあたしにとって初めての彼氏だし、あたしもせっかくの休みはナオトさん
と一緒に過ごしたかった。でもピアニストになる夢を捨てるのでなければやるべきことは
やらなければいけません。これは誰に言われたわけでもなく自分から希望してしているこ
とですから』

『さっきナオトさんは気にしなくていいよと言ってくれたけど、多分本心ではないと思い
ます。あたしがナオトさんの立場だったらピアノとあたしとどっちを選ぶの? くらいの
ことは言っていたと思うから』

『ナオトさんのこと大好きです。心から愛してます。でもやっぱり冬休みはナオトさんと
会えないと思います。本当にごめんなさい』

『あと、今までの土曜日のように毎日あたしを教室まで迎えに来てくれると言ってくれて
ありがとう。嫌われても仕方ないのにナオトさんはこんなことまで考えてくれたのです
ね』

『でもこれも無理です。ごめんなさい。休み中は夜の十時まで個人レッスンがあって、終
る時間が遅いのでいつもママが車で迎えに来てくれるのです。一応、一人で帰るからお迎
えはいらないとママに言ってみたらすごく怒られました。中学生が夜中に一人で電車に乗
るなんて許さないそうです』

『だからナオトさんがあたしに提案してくれたことは全てお断りすることになってしまい
ました。嫌われても仕方ないですよね。それでも図々しいけどナオトさんに嫌われたくな
い。でもよかったらせめて毎日寝る前にメールとか電話でお話したいです』

『勝手なことばっか言ってごめんね。今日はこれから二時間くらい練習してから寝ること
にします。本当にごめんなさい』


 もう何度読んだかわからないくらい読み返したナオのメールを、僕は再び読み返してい
た。

 本文中にいったい何回ごめんなさいと書いてあるのか思わず数えたくなるくらい、ひた
すら僕に対して謝罪している内容のメール。

 確かにがっかりしたのは事実だけど、そんなことくらいで僕がナオのことを嫌いになる
なんてありえないのに。いったい何で彼女はこんなに狼狽しているようなメールをよこし
たのだろう。
252 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:15:22.96 ID:RgkJGLofo

 お互いに年内最後の登校日だった朝、冬休の予定を聞いた僕に対してナオは俯きながら
休み中は会えないのだと言った。その時は時間がなかった。もうすぐ僕の学校の最寄り
駅に電車が到着するタイミングだったから。

 確かに一瞬ナオに会えないと言われたとき僕はナオに振られたのかと思ったけれど、駅
に着く前の短い時間でピアノのレッスンの過密な予定を説明された。それで僕は、ナオと
別れる直前に気にしなくていいよとナオに言うことができたのだ。あとピアノ教室に迎え
に行ってもいいのかとも。

 それでもナオは僕の誘いを断ったことを気にしていたのだろう。今日は午前中で授業が
終ったので最後まで部活がある兄友を残して、女さんと二人で学校を出ようとした時にナ
オのメールが届いたのだ。

 朝の会話でもだいたい事情はわかっていたのでナオに対して含むところなんか何もなか
ったのだけど、僕の誘いを断ったことに対してナオは随分気にしていたようだった。

 女さんの好奇の視線を無視して帰りの電車内で僕はそのメールを読んだ。そして再びそ
んなに気にしなくていいこと、もちろんこんなことで僕がナオのことを嫌いになるなんて
あり得ないという返事をした。でも彼女からは返事はなかった。多分、もうあの教室でピ
アノのレッスンに集中していたのかもしれない。

 ナオのメールは僕をますますナオのことを好きにさせるだけの効果しかなかった。普段
の土曜日の午後のようにピアノ教室に迎えに行くことさえ断られたのは、正直少しショッ
クだったけど。

 こうして冬休の間僕はナオに会えないことを知った。ナオのピアノに対する情熱とその
ために費やさなければならない時間を思い知った僕はナオを恨むどころか、それだけの過
密な日程をこなさなければならない彼女が、それでも僕に対して気を遣ってくれているこ
とに心温まるような気持ちを抱いた。

 僕とピアノとどっちを選ぶのかなんていう感想を僕が抱くわけがない。むしろこれほど
まで情熱を傾けているピアノの練習を邪魔しようとした僕に対してここまでナオが気にし
てくれていることが嬉しかった。

 事実としては長い休み期間中、僕はナオと会えないということだ。自分の勝手な妄想の
中では二人で休日デートをしたり初詣でに行ったりする予定だったのだけど、それは全て
実現しないことになったのだ。

 孤独な休暇期間なんて今に始まったことではない。一人でも僕にはすることはある。新
学期に備えて勉強をしておくと後が楽だし、コンプしていないストラテジーゲームもパソ
コンの中に放置してある。

 要するにいつもと同じ冬休を過ごせばいいのだ。寂しいけどナオには寝る前にメールを
するようにしよう。

 でも、意外なことに僕の冬休は忙しいものとなった。明日香とユキが常に僕のそばにい
るようになったのだ。
253 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:16:59.54 ID:RgkJGLofo

「起きて・・・・・・。もう十二時になるよ。ナオトさん早く起きて」

 耳元で女の子の柔らかい声が響いていた。今まではアニメの中でしか起こるわけがない
と考えていたシチュエーションがリアルでも毎日起こることに、この頃になると僕はだい
ぶ慣れてきていた。何しろ明日香がいい妹宣言をした日以降、ほぼ毎日妹は僕の部屋に勝
手に侵入して僕を起こそうとするのだ。それも冬休に入ってからはその行為はだんだんエ
スカレートして、とりあえず僕に声をかけた後、勝手に僕の隣に潜り込んで二度寝するよ
うにすらなっていた。

 こんなことはナオには言えない。でもそんな明日香を拒もうとは思わなかった。仲が悪
かった兄妹が、僕を毛嫌いしていた明日香が僕に心を許し始めていたのだから。

 それでもその朝、僕を起こそうとするその声には少し違和感を感じた。最近の明日香な
らとりあえず僕に声をかけるだけで何が何でも起こそうとはしない。

 それなのに今日に限って穏やかなその声は執拗に僕を起こそうとしていた。

 僕は諦めて瞼を開いた。僕の部屋のベッドの前に立っていたのはユキだった。

 僕はその時本気で慌てていた。何で僕の部屋にユキがいるのだ。夢を見ているのだろう
か。

「あ、やっと起きた」

 ユキが顔を赤くして言った。

「え? 何々、ユキさん?」

「あ、はい」

 赤くなったユキはそう言ったけどそれは何の答にもなっていない。

「ユキさん、何で僕の部屋にいるの?」

 ユキは顔を赤くしたままで何かを必死で訴えようとしていたみたいだけど、結局何も言わずに
僕にルーズリーフに何かを書きなぐったメモを渡しただけだった。
254 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:19:07.23 ID:RgkJGLofo

『お兄ちゃんへ。明日は大晦日だから朝からおせち料理を作ります。でも今日はあたしは
用事があるので買ってきて欲しい物をメモにしておくので、今日中に揃えておいてね』

『万一お兄ちゃんが夕方まで寝過ごすといけないので、有希に鍵を預けてお兄ちゃんを起
こしてくれるよう頼んでおいたから。あと、買物にも付き合ってくれるみたいだから、有
希と一緒にメモに書いた物を買って来ておいてください』

『あたしは夕方には家に戻るからね。お兄ちゃんはあたしがいなくて寂しいかもしれない
けど、いい子にしていてね』

『買っておいて欲しい物』

『おせち料理』


「・・・・・・何だこれ」

「明日香からナオトさんに渡してって頼まれたの。あとお昼ごろナオトさんの部屋に行っ
てナオトさんを起こしてって」

「うん、ありがと。目を覚ましたよ」

 僕は言った。

 ようやく意識がはっきりとしだすと、僕の部屋に明日香以外の女の子がいるという違和
感が半端でなくすごい。

「明日香め。ユキさんに無理言ったみたいだね。本当にごめん」

「ううん。ナオトさんは気にしないで。おかげでナオトさんの部屋にも入れたしナオトさ
んの寝ているとこも見られたし」

 ユキが言った。

 冬休に入ってから明日香とユキが毎日のように会っている場所にどういうわけか僕も同
席していたのだけど、それは明日香に荷物持ちを強要されていたせいだった。ユキも僕に
対してはあくまでも親友の彼氏で、友だちの明日香の兄貴というスタンスで僕に接してく
れていた。

 なのでユキは過度に馴れ馴れしい態度を僕に向けることはなかった。でも今、僕の部屋
に入って僕を起こしてくれたユキの態度は今までとは何か違う。僕の寝ているとことを見
られたしって、そんなものをユキは見たかったのか。

「ちゃんと起きた?」

 ユキが言った。

「うん。本当にごめん。妹が無理なことお願いしちゃって」

「別にいいの。全然無理じゃないし」

 もともと誰とでも親しくなれる子だとは思っていたけど、今日のユキは何だかいつも以
上に親し気だ。妹の友だちでナオの親友。僕にとってはユキはそれだけの存在なのに


 僕が気にし過ぎているだけでユキにとってはそれだけのことなのかもしれない。でも今
僕の部屋に僕とユキは二人きりだ。そのことを正直にナオに話せるかといったら、もちろ
んそんな勇気は僕になかった。
255 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:19:52.36 ID:RgkJGLofo

「あのさ」

「はい」

「着替えようかなって思うんだけどさ」

「あ、ごめん」
 ユキはにっこりとした。「あたしはリビングに行ってるね。ナオトさんと一緒に買物しろ
って明日香に言われてるから外出する格好に着替えてね」

 それだけ言ってユキは部屋を出て行った。


 その日は結局明日香抜きでユキと二人で過ごすことになってしまった。明日香の指示は
明確だった。あいつはもともとおせち料理なんて作る気はなかったのだ。要するに出来合
いのおせち料理を買っておけということだった。

 ユキと僕は明日香の指示にしたがってデパ地下とか名店街みたいなところを回ったのだ
けど、どの店に行っても予約なしではお売りできませんと断られた。

「まあ最初からわかっていたけど」
 ユキが苦笑した。「明日香って世間知らずだよね。おせち料理なんて予約なしで買える
わけないのに」

「そうなんだ」

 世間知らずという点では僕も明日香と同類らしい。

「僕もこの時期なら普通に買えるもんだと思ってたよ」

「そんなわけないでしょ。高価な商品なんだから売れ残りのクリスマスケーキみたいに
売ってるわけないじゃん」

「ユキさんさあ・・・・・・・知ってたなら最初からそう言ってくれればよかったのに」

 ここまで明日香の指示どおり出来合いのおせち料理を入手しようとして、僕たちは相当
無駄な努力を強いられていたのだ。

「うん。最初から絶対無理だと思っていたんだけど、一応明日香に頼まれたんでさ」

「無理なら無理って、明日香に言ってくれればよかったのに」

「でもあたしにとっては無駄でもなかったから」

「どういうこと?」

「・・・・・・ナオトさんといっぱいお店を回ったりできたでしょ? まるで二人でデートして
るみたいだったし嬉しかった」

 ユキは何を言っているのだろう。妹を通じてユキとも親しくなれた僕だったけどユキに
対して恋愛感情を抱いたことは一度もない。ナオの親友であるユキだって僕がナオと相思
相愛だということはよくわかっていたはずだ。
256 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:20:48.72 ID:RgkJGLofo

 何か今日のユキは様子がおかしい。どうおかしいかと言えば僕のことが好きだと宣言し
た時の何か吹っ切れたようだった明日香とそっくりだ。

 僕は少し疲れたというユキをいつもの駅前のファミレスに連れて行った。そこは明日香
とユキがよく待ち合わせしている場所だったので買物帰りに一休みする場所としては違和
感はなかったのだけど、ユキと二人でこの店に入るのは初めてだった。

「お昼食べてないからお腹空いちゃった」

 ユキはそんな僕の感じている違和感なんか全く気が付いていないように言った。ユキは
平気なのだろうか。彼氏でもない男と二人きりで買物をしてファミレスに入ることなど気
にならないのだろうか。

「そういや起きてから何も食べてないね」

「中途半端な時間だけど食事しようか」

「うん」

「ピザ食べたいな。でもここのピザ大きくて食べきれないんだよね。いつもは明日香と二
人で食べてるんだけど」

「うん」

「半分食べてもらってもいい?」

 ここまでユキをうちの大晦日の準備に付き合わせておいてここで断る理由はなかった。

 やがて注文したピザとかサラダが運ばれてきた。

「すいません。取り皿をください」

 ユキは遠慮せずそう言った。

 ユキは自分が注文したサラダやピザを取り分けて僕の前の皿に入れてくれた。

「・・・・・・それ多すぎだよ。ユキさんの分がほとんど無くなっちゃうじゃん」

「ナオトさんは男の人なんだからいっぱい食べてね」

 やっぱり今日のユキは何だか様子がおかしかった。ユキにとって僕の彼女のナオや僕の
妹の明日香とはどんな存在なのだろう。そして僕の勘違いでなければ、ユキは僕に好意を
抱いているとしか思えない。

 僕は決心した。明日香のことはともかくナオのことを考えずに無自覚にユキと仲良くな
るわけにはいかない。ナオとは親友のユキだってそのことは十分に考えているはずだった。
257 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/03(水) 00:24:23.50 ID:RgkJGLofo

「あのさあ」「あの・・・・・・」

 僕とユキは同時に話し始めた。

「先にどうぞ」

 僕はユキに話を譲った。

「明日香の指示通りにおせち料理買えなかったわけだけどどうするつもりなの?」

「どうするって・・・・・・予約なしでは買えないんだから仕方ないでしょ」

「いいの? 明日香に怒られますよ」

「両親が何か考えてくれるでしょ。それに叔母さんだって新年はうちに来てくれると思う
し。大晦日は出前の蕎麦とかで過ごすよ」

「出前の蕎麦とかって・・・・・・それこそ予約した?」

「してないけど」

「じゃあ無理ね。ナオトさんと明日香って本当に世間知らずなのね」

「そうかな」

「うん、そうだよ。わかった、あたしがおせちも年越し蕎麦も面倒みてあげる」

「いいよ、そんなの。カップ麺の天蕎麦だって全然大丈夫だし」

「あたしが嫌なの。そんなものを明日香とナオトさんに食べさせるのは」

 ここまでくるといくらナオが明日香の親友なのだとしてもいくらなんでも行き過ぎだっ
た。

「そこまで君に迷惑かけられないし気にするなよ」

 そう言うとユキは目を伏せた。

「ナオトさん、もしかして迷惑?」

「そんなことないよ。でもユキさんだって忙しいのに」

「あたしは休み中は暇だから」

 僕はユキの返事にひどく違和感を感じた。

 ユキはコンテストではユキの後塵を拝したかもしれないけど、それでも二位に入賞する
くらいの実力がある。そして一位のナオがあそこまで過酷な練習スケジュールを組んでい
いる以上、ユキだって状況はほとんど同じではないのか。

「ユキさんだってピアノの練習とかで忙しいでしょ。音大を目指すなら休みなんかないらしい
じゃん。君だってピアノで忙しいんじゃないの?」

 それを聞いたユキは驚いた様子だった。

「随分詳しいのね。ナオに聞いたの?」

 ユキが僕を見つめて言った。
258 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/03(水) 00:24:54.80 ID:RgkJGLofo
今日はここまで

また投下します
259 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/03(水) 01:38:20.28 ID:3tcDc6K4o
260 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/03(水) 14:02:51.98 ID:xeUYTq1Ao
続き待ってます

261 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/03(水) 21:38:58.30 ID:pfXP35Vjo
262 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/04(木) 03:19:32.86 ID:rdIsWmoc0
渦巻いてるね、おつー
263 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:23:58.79 ID:tJhIMvBio

「うん」

「そう」
 ユキはもうおせち料理のことなどすっかり忘れたようだった。そして真面目な表情で言
った。「ナオトさんには納得できないかもしれないけど、彼女と付き合うってそういうこ
となんだよ」

「いや、それは理解しているつもり。納得できないなんてことはないよ。むしろナオちゃ
んって大変なんだなあって思っただけでさ」

「そう・・・・・・。大変だなあって思ったんだ」

「うん」

「それだけ?」

「それだけって・・・・・・どういう意味?」

 僕とナオは付き合っているけど普通の恋人同士のように休暇の間会うことすらできない。
むしろ平日の方が登校時や土曜日の一時にナオと会えるだけましだった。ナオは学校のな
い休暇期間中はその全ての時間をピアノに専念すると自分で決めていたから。

 そして僕はナオのその決定を邪魔しようとは思わなかった。むしろ邪魔をしてはいけないと
さえ決心したくらいだ。僕と付き合うことによりナオの夢の実現を阻害することになるのなら、
僕は喜んで寂しい思いに耐えるつもりだった。

 それにナオは休み中僕に会えないことを、そこまで考えなくてもと思うほど悩んでくれ
てたのだ。僕にとってはそれだけでも十分だった。

「ナオトさんって本当に奈緒ちゃんのこと好きなの?」

 ユキが顔を上げ僕を見た。

「好きだけど、でもそれそこどういう意味で聞いてるの?」

 僕は同じ言葉を繰り返した。ユキが何を言いたいのかよくわからなかったのだ。明日香
や僕のためにおせち料理や年越し蕎麦を何とかしてあげましょうかと言ってくれたさっき
までの柔らかな態度のユキとはまるで別人のようだ。

「好きな子のことならさ、普通はもっと気になるんじゃないの?」

「え」

「休み中はピアノの練習が忙しいからって奈緒ちゃんに言われて、理解のある優しい彼氏
は気にするなよって彼女に言ってあげてさ。そして優しい自分に自己満足してるってわ
け?」

「そんなことはないよ」

「それで休みの日は妹の明日香とかあたしとかで適当に時間を潰してるのね」

 ・・・・・・いくらなんでもこれはひどい。僕だってナオに会いたい気持ちはあるのにそれを
我慢しているのだ。
264 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:25:35.60 ID:tJhIMvBio

 でもユキの話はまだ終らなかった。

「何で奈緒ちゃんがそこまでピアノにこだわるか、奈緒ちゃんにとってナオトさんと一緒
にいるのと、志望している音大を目指して彼氏とのデートを犠牲にして頑張るのとどっち
が幸せかとか考えないの?」

「だってナオちゃんが自分で決めたことだろ? 僕はそれを応援したいと・・・・・・」

「・・・・・・ナオトさんって本当に奈緒ちゃんのこと好きなの?」

 彼女は繰り返した。

「何でそんなこと君に言われなきゃいけないの」

 僕は我慢できずについにそう言ってしまった。でもユキは精一杯の僕の抗議をあっさり
スルーした。

「じゃあさ。ナオトさんは奈緒ちゃんのどういうところが好きになったの?」

 いつのまにか僕のナオに対する愛情を疑われているような話の流れになってしまってい
る。ナオのピアニスト志望への僕の理解が何でこんな話に繋がるのか、何でそんなにユキ
を興奮させたのかよくわからない。

 一見冷静に話しているようだけどこの時のユキは感情に任せて話しているようにしか見
えなかった。

「どういうところって・・・・・・」

 今まで何度も考えたことではあったけど改めて僕は考えた。

 正直に言えば大人しそうな美少女のナオの外見のせいも大きい。

 でもどれだけじゃない。彼女といるとすごく話がしやすい。何よりもこんなどうしよう
もない僕なんかを好きになってくれて告白してくれて、こんな僕なんかに嫉妬したり気を
遣ってくれたりする。

 そういうナオが好きなのだ。僕はそれをたどたどしい口調でユキにわかってもらおうと
した。こんな恥かしいことを口にしたのはあの朝ナオの告白に返事をして以来だった。

「・・・・・・ナオトさんって自分に都合のいい行動をしてくれるアニメとかゲームの中の女の
子に夢中になっている男の子みたいね」

 これだけ恥かしい思いでようやくユキの質問に答えた僕を待っていたのは、嘲笑にも似たユキの言葉だった。

「本当に生身の奈緒ちゃんに恋してるの? じゃあさ。奈緒ちゃんがナオトさんのどうい
うところが好きになったか考えたことある?」

 それは厳しい質問だった。ナオに告白されてから僕はそのことをいつも考えていたような気がする。そしてその
答えに回答を見出すことはできなかった。


 これで何度目になるのか覚えていないほど悩んで考えた疑問に対する答えは結局見つか
らなかったのだ。
265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:26:42.28 ID:tJhIMvBio

「それは自分ではよくわからないよ」

 きっと僕は情けない声を出していたと思う。ナオのような子がなぜ一度だけ雨の日に傘
に入れてあげたくらいで僕なんかを好きになってくれたのか。それは多分このままナオと
付き合えたとしても謎のままなのかもしれない。

 考えてみればナオの僕に対する愛情は疑う余地がなかった。それは自分に自信がない僕
でさえナオの日頃の態度から納得できていたことだった。でも僕はナオが僕のどんなとこ
ろを好きになってくれたのかなんて彼女に改まって聞いたことがないことも事実だった。

 僕の混乱した情けない表情を見たユキは我に帰ったようだった。

「あ、ごめん。何かあたしナオトさんにひどいこと言ってる」

「ひどいとまでは思わないけど、正直結構きつかった」

「本当にごめん。あたし、これまでも奈緒ちゃんのこと好きになった男の子のこと今まで
よく見てきたから」

「うん」

「だいたいは奈緒ちゃんの方がその気にならないんだけどね」

 だいたいはと言うことはナオの方も気になった男がいたことがあるのだろうか。でもそ
のことを口に出す前にユキが話を続けた。

「心配しなくていいよ。奈緒ちゃんがここまで入れ込んだ男の子ってナオトさんが初めて
だと思うよ」

「別に心配とかしてないけど」

「そう? 奈緒ちゃんはあのとおり可愛いし性格もいいし、彼女に惚れる男の子はいっぱ
いいたのよ。奈緒ちゃんがちゃんと付き合った相手はナオトさんが最初だけどね」

「うん。男と付き合うのは初めてだってナオちゃんも言ってたよ」

「あたしさ。奈緒ちゃんとは小学校の頃からの友だちでね。あたしにとっては唯一の親友
なの。だからさっきはナオトさんには言い過ぎたかもしれないけど」

「別にいいけど」

「だからナオトさんには簡単に奈緒ちゃんの話しに納得してほしくないの。もう少し深く
あの子のこと考えてあげて」

 正直、ユキ何を言っているのか理解できたわけではなかったけど、僕はユキがナオを大
切にしている気持ちは理解できた。それでユキに対して憤る気持ちはおさまってはいけれ
ど、これ以上僕とナオの付き合いの意味をユキと話し合う気はなかった。

「話は変わるけどさ。ユキさんだってナオと同じくらいピアノ関係で忙しいんじゃない
の? 明日香と僕を気にしてくれるのは嬉しいけど、こんな無駄な買物に付き合ってくれ
る暇なんか本当はないんでしょ」

 僕は無理に話を逸らした。

「・・・・・・あたしは奈緒ちゃんとは違うよ」

 ユキが言った。
266 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:28:03.77 ID:tJhIMvBio

「別に父さんが書いた記事だからってこだわる気はないけどさ。ユキさんだって単なる趣
味でピアノやってるわけじゃないんでしょ。都大会で二位入賞とか感情表現ではナオちゃ
んより将来期待できるとまで言われてるんだし」

「あたしは別に・・・・・・ピアニストになろうなんて思っていないもの」

「じゃあ君は天才なんだ。ナオちゃんなんか問題にならないくらい」

「・・・・・・どういう意味?」

 この時の僕は大人気なかったかもしれない。さっきから明るく清純で人懐こい女の子と
思い込んでいたユキから、厳しいことを言われていた僕はこんなつまらないことで憂さ晴
らしをする気になっていたのだった。

「君は天才なんでしょ。ナオちゃんみたいに必死に練習しなくても、僕と明日香なんかの
相手をしていいても本番では成績がいいみたいだしね」

「あたしのこと馬鹿にしてるの」

「馬鹿にしてるのは君の方だろ」

 僕も思わずとげとげしい口調で言い返した。こんなことは初めてだった。ひどい嫌がら
せを明日香にされていた頃も、両親から出生の秘密を明かされた時でさえ、少なくとも誰
かの前では冷静さを失ったことはなかったのに。

 何で僕はユキの言葉にだけこんなに素直に反応してしまったのだろう。今まで溜め込ん
でいたいろいろなことがユキの言葉に触発されて一気に迸り出てしまったみたいだった。

「ナオトさんのこと、馬鹿になんてしてなんていないよ」

 さっきまでの勢いはもうなかった。ユキは途切れ途切れにようやく言葉を口からひねり
出しているみたいだ。

「じゃあ何で」

「あたしね」
 ユキは少し寂しそうに笑った。「明日香にばれちゃった」

「・・・・・・うん」

「だけど何で明日香にはわかっちゃったのかなあ」

「何がばれたの?」

「好きだから」

「え」

「あたしナオトさんのこと好きだから」

 ユキは僕を見てはっきりとした口調でそう言った。
267 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:29:25.30 ID:tJhIMvBio

「お兄ちゃん、おせち買えた?」

 夜になってどこからか帰宅した明日香は僕に会うとまずそれを聞いてきた。

「買えてない」

「え〜、ちゃんとメモ書いたのに。お兄ちゃんは信用できないから明日香にも一緒に行っ
てもらったのに」

「・・・・・・予約もなしにこの時期におせち料理なんて買えるわけないだろ。おまえには常識
がないなのか」」

「そうなの? じゃあお正月とかどうするよ」

「どうって・・・・・・コンビとかファミレスなら正月でも営業してるでしょ」

「本気で言ってるの? パパとママも帰ってくるのに。玲子叔母さんだって多分家に来る
よ。そん時におせちもなかったら叔母さんに何言われるかわからないじゃん」

「それは確かに」

 叔母さんのことだから正月はうちを期待しているに違いない。どうも彼氏もいないみた
いだし。

「はあ。でも考えていても仕方ないか。あとでママ・・・・・・は無理か。おせちのことはパパ
か叔母さんに相談するよ」

「うん。それがいいかもね」

 突然ユキから告白された直後だというのに僕は明日香と普通に会話できている。何だか
僕が言うのも生意気なようだけど、これまでの人生で全く縁がなかった女の子の告白にい
つのまにか耐性ができたみたいだ。

 ナオの告白。明日香の告白。そして今日ユキにまで告白された。明日香はともかく、ナ
オとユキの場合は出会ってからたいして間がない時期の告白だった。

 でもナオの告白はユキの場合とは違う。一見するとろくに知りもしない可愛い女の子に
夢中になってナオの告白に応えたように思えるかもしれないけど、あの時はわずかな時間
だけしか話したことのないナオに僕は心から惹かれていたのだった。ナオが告白してくれ
るより前から。

「何であたしを無視して考えごとしてるのよ」

 妹が不満そうに言った。
268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/04(木) 23:33:31.77 ID:tJhIMvBio

『あたしは奈緒ちゃんの友だちだから。だからナオトさんに振り向いて貰おうなんて考え
てないし。というか生意気なようだけど、万一ナオトさんがあたしのこと好きになってく
れたとしてもあたしはナオトさんとは付き合えないもん』

『どういうこと? 君の言っていることさっきからよくわからないんだけど』

「ねえ。ねえってば。お兄ちゃんあたしの話聞いてるの?」

『だって奈緒ちゃんに悪いじゃん。あたしはたとえ親友の彼氏だったとしても本当にその
人が好きになったのなら遠慮しない。そう思ったときも以前はあったのだけど』

『どういう意味?』

『奈緒ちゃんってさ。多分ナオトさんが考えているよりメンタルが弱い子なんだよ。さっ
きナオトさん、奈緒ちゃんのこと大変なんだなって言ったでしょ。あなたが奈緒ちゃんの
行動に関して感じた感想はそれだけなんでしょ』

『でもね。あれだけ気持ちが弱い子が必死になってピアノに縋りついていることとか、ナ
オトさんに依存している意味とか、ナオトさん何にも気が付いていないでしょ』

『あたしはピアノなんかに人生をかけるつもりはないけど。もし仮にあたしがどんな手段
でも使ってピアノのコンテストで奈緒ちゃんに勝とうと決心したとしたら、必死にピアノ
の練習をするとかそういうことはしない』

『あたしならナオトさんを誘惑して奈緒ちゃんを振らせるように仕向けると思う。多分そ
れだけで奈緒ちゃんぼろぼろになってろくな演奏もできなくなるから』

『・・・・・・変なこと言ってごめん。奈緒ちゃんは親友だから。あたしはナオトさんのことが
好き。でもそれだけなの。ナオトさんと付き合う気はないの。奈緒ちゃんのためにもごめ
んね、変な話しちゃって』

「明日も別に予定ないんでしょ? おせちは無理でもせめてお正月っぽい食べ物を買いだ
しに行くからね。荷物持ちよろしく。あと有希も誘って今日の埋め合わせにケーキとかご
馳走しないとね」

 妹の言葉がようやく耳に入って意識の中で形になった。

 それでは僕は明日もナオではなくユキと会わなければいけないのだ。
269 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/04(木) 23:34:03.89 ID:tJhIMvBio
今日はここまで

お付き合い感謝です。また投下します。
270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/04(木) 23:38:36.54 ID:/YgzCk6To
乙! 
これどうなるか分からないね。続き待ってるで
271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/04(木) 23:42:51.37 ID:ZDXvkFxHo
272 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/05(金) 00:32:23.48 ID:HH7yIZEzo
273 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/05(金) 15:44:11.50 ID:R2t8URJr0
おつかれー
274 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 22:54:31.20 ID:XUDIxlOTo

 大晦日の深夜、僕は明日香と二人で初詣でに出かけた。いわゆる二年参りというやつだ。
明日香が言うところでは大晦日の十時ごろ出かけて新年の早朝には家に戻る予定らしい。

 大晦日には家に戻って来る予定だった両親からは何の連絡もないし、まとろな年越し蕎
麦すら用意できず微妙に苛立っていた様子だった明日香は、大晦日の深夜に半ば無理矢理
僕を家から連れ出したのだった。

 とりあえず明日香がデパートの地下の食品売り場で何とか揃えてきたそれらしい料理と
か、コンビニで買えたぱさぱさの蕎麦でも十分に満足だった僕としては、もう今日は自分
の部屋でゲームをしていてもよかったのだけど、明日香にとっては大晦日は何かのイベン
トが起こらないと納得できない特別な日のようだった。

 行き先はこの日は早朝まで終電に関係なく運行している電車に乗って三十分はかかる場
所だった。

 僕たちは最寄の駅から深夜の電車に乗り込んだ。普段なら絶対に電車なんかに乗ってい
ない時間に外出しようとしているだけでも何か特別なことをしているような気になる。こ
んな時間なのに電車はまるで朝のラッシュ時にように混み合っていたけど、晴れ着を着た
女の子の華やかな姿が見られたせいで、さっきまで結構悩んでいた僕まで少し華やかな気
分になっていった。

 この時間だけはナオと会えないことやユキの不可解な告白を忘れて、明日香のことを考
えてやらなければいえないのかもしれないとその時僕は考えた。ナオに会えないのは何よ
り寂しいけどユキに偉そうに話したとおり、僕はユキのその選択に納得していたはずだ。
それに長い休暇もいつかは終る。学校が始まればまた毎朝ナオと会うことができるのだ。

 それに明日香は今年も例年のように自分の友だちと外出するのだろうと僕は思っていた。
でも明日香は自分で宣言したとおり以前の派手な友人だちとは全く会っていないようだっ
た。

 考えてみれば一人で過ごすことがあまり苦にならない僕と違って、明日香は誰かと一緒
にいることが好きなようだった。僕のためにいい妹になる宣言をしたせいで友だちを無く
した明日香は、大晦日に寂しい思いをすることになってしまったのだ。

 紅白が終る頃になってもう両親から連絡はないだろうと思ったのか、明日香は突然ソ
ファに座って眠りそうになりながらテレビを見ている僕を外に連れ出した。明日香に気を
遣った僕は半ば無理矢理家の外に連れ出されながらも、こいうのも気晴らしとしては悪く
ないなと考えていた。

 深夜の電車の中で楽しそうに笑いさざめく晴れ着姿の女の子たち。車窓を流れる高層ビ
ル街のきらめく夜景。

 そして僕の隣には何となく不満そうな顔をした明日香がいる。明日香は以前のようなケ
バい格好はしなくなっていた。そのせいもあって周囲の華やかな着物姿の少女たちに比べ
るとだいぶ地味な容姿に見える。

 でもそれは明日香のせいではない。着物なんて母さんが不在の家で明日香が一人で引っ
張り出せるものではないし、着付けだって助けなく自分でできるものではないのだ。両親
が不在では、周囲で笑いさざめいている少女たちが普通にできることも明日香にとっては
望むべくもない。

 そう考えると僕は自分の妹が少しだけ不憫に思えてきた。ナオやユキのような幸せな家
庭に育った少女たちなら与えられて当然なことさえ、両親が共働きで多忙な我が家では明
日香には期待することさえ許されていないのだから。

 明日香は周囲の女の子たちを気にしている様子はなく、普通にチャコール色のコートを
着て僕の腕に掴まっていた。そして今日のこのときだけは、僕は妹の手を振り払う気はな
かった。
275 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 22:55:07.09 ID:XUDIxlOTo

 今ごろはきっとナオだって今日ばかりはハードなピアノのレッスンから開放され家族で
団らんしているのだろう。多分ユキも。

 ユキにナオに対する愛情を疑われたりユキの告白めいた言葉を聞かされた僕は混乱して
いたけど、それでも明日香と二人だけで大晦日をリビングで過ごしているとナオやユキの
ことではなく僕なんかと二人きりで過ごすしかない明日香に対する憐憫のような気持ちが
、まるで拭いきれない染料で白紙を染めていくように僕の心に広がっていった。

 去年の大晦日はどうだったっけ。

 確か去年も両親はいなかった。そして去年の大晦日は僕たちが本当の家族でないという
ことを両親から聞いた直後だったせいもあって、僕は自分の部屋で一人で過ごしたしその
ことにほっとしていたことを思いだした。

 その頃は明日香もまだイケヤマとかいう男と付き合う前だったし派手な格好で遊びだす
前だったので、多分妹も一人で自分の部屋で過ごしていたはずだ。お祭りごとの好きな明
日香が両親不在の夜に一人で自室に閉じこもって何を考えていたのかはわからない。でも
あの話の直後のことだ。明日香もきっと辛かっただろう。その時の僕には明日香を思いや
るような余裕はなかったのだけど。

 そう思うとナオに会えない自分の悩みは消えていって、明日香の悩みに無関心だった自
分に腹が立った。そのせいか僕は思わず混み合った電車の中で僕にしがみついている妹の
を心持ち自分の方に抱き寄せるようにした。

「お兄ちゃん?」
 僕突然肩を抱き寄せられた明日香が困惑したように言った。「どうかした?」

「いや。どうもしていないけど」

「そうか」

 明日香は僕の腕に改めてしがみつくような仕草を見せた。

「結構混んでるよな」

 僕は照れ隠しにそう言った。

「毎年この時期の電車はこうなんだろうね。あたしたちが知らなかっただけで」

 明日香が車窓を眺めながら呟いた。
276 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 22:55:48.91 ID:XUDIxlOTo

 目的の駅に降りた瞬間から行列が始まっていた。学生のバイトのような警備員のアナウ
ンスの声ががあちこちで響いているし、周囲には着飾った集団が楽しそうに笑いさざめく
声であふれている。家を出るときまではハイテンションで僕を引っ張っていた明日香は周
りの熱気に当てられたように大人しく僕の腕に掴まったままで、いつもよりだいぶ言葉数
が少なかった。

 それだけ周囲は賑やかだったのだけど一時間ほどで神社の鳥居をくぐると、周囲には何
か賑わいの中でも尊厳な雰囲気が漂っていた。神社の中は果てしなく続く提灯の列にぼん
やりと照らされていて、それははしゃいでいる人々の声を飲み込んで何か騒音の中の不思
議な静謐を感じさせた。

「初めて来たけど結構いい雰囲気だね」

 妹が幻想的な提灯の列に目を奪われながら呟いた。

「まあ、大晦日の夜にお参りする習慣なんてうちにはなかったしな」

「それはお兄ちゃんだけでしょ。あたしはパパやママと近所の神社に行ったことあるよ。
朝早く美容院で着付けもしてもらって」

「僕はおまえの着物姿何か見たことないぞ」

「あたしなんか見ようとしていなかったからでしょ」

「そうじゃなくて本当に見たことないんだって」

「そ。あたしの着物姿に興味なんかないくせに」
 明日香が笑った。「それにしてもこれって何時間くらい並んでれば参拝できるのかな」

「さあ。見当もつかないや」

 結局お賽銭を投げて参拝しおみくじを引くまでにそれから三時間くらいかかった。もう
夜中の二時過ぎだ。

「帰る?」

 一応予定の行動を消化したので僕は明日香に聞いてみた。

「やだ」

 思ったとおりの答えが明日香から帰ってきた。明日香にとってはまだ物足りないらしい。

「今日はお店だって二十四時間営業してるよ、きっと。ファミレスとかに寄って行こう」

 僕もまだここの雰囲気に当てられていたし、こんな日に両親が不在で僕なんかと二人で
一緒に過ごすしかなかった明日香のことを考えるとそれを無下に退けるわけにもいかなか
った。

「じゃあ、ファミレスに行くだけ行ってみるか?」

「うん」

 嬉しそうに明日香が言った。

「でも、また並ぶと思うけどな」

「いいよ。それでも」

明日香は嬉しそうに僕の腕にしがみついた。
277 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 22:56:43.73 ID:XUDIxlOTo

 結局、行列ができていたファミレスで席に案内された頃にはもう夜中の三時を過ぎてい
た。並んでいる間、立ったまま僕の肩に寄りかかってうとうとしていた明日香は、席に案
内されると急に元気を取り戻したようだった。

「ねえ。何食べる? ケーキを食べようかと思っていたけど考えたら今日は大した食事し
てないしさ。一緒にピザとか食べちゃう?」

 明日香はずいぶん楽しそうだ。

「おまえが決めていいよ。何が来ても文句は言わないからさ」

 明日香はそれを聞いて再び真剣な表情でメニューに目を落した。

 注文は明日香に任せよう。僕はメニューをテーブルに置いて何となく周囲を見回した。

 その時僕は近所の神社の参拝帰りの客とは思えないスーツ姿のビジネスマンみたいな人
が隣の席に案内されているのぼんやりと見ていた。その人には女性の連れがいた。

「叔母さん?」

「え、何々?」

 僕の大声に驚いた妹が目をメニューから上げた。

「何だ。明日香と奈緒人か。偶然じゃんか」

 そこには玲子叔母さんが立っていて、どういうわけか飽きれたように僕たちを眺めてい
た。

「あんたたち、こんなとこで何してるのよ。兄妹でデートでもしてたの?」

「叔母さんこそデート?」

 明日香が嬉しそうに叔母さんに聞いた。

 そう言えば叔母が男の人と一緒のところを見るのは初めてだ。

「・・・・・・こんな時間に外出とか結城さんや姉さんは知っているんでしょうね」

「だってパパもママも全然連絡してこないんだもん」

 明日香が口を尖らせた。

「何? 大晦日も二人きりだったの? あんたたち」

「そうだよ」

 叔母さんは驚いたようだった。そして叔母さんと僕たちの会話を聞いている人に言った。

「酒井さん悪い。打ち合わせはまた今度にならない?」

「え? 何で」

「用事ができちゃった。悪いけど」

「はぁ。まあいいですけど。でも打ち合わせしないなら大晦日に呼び出さないでよ。僕に
だって家庭があるんだしさ」

「ほんとにごめん。そのうち埋め合わせするから」

「まあ独身の人にはわからないでしょうけど、家族持ちには特別な日なのに」

 そうぶつぶつ言いながらその男の人は去って行った。
278 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 22:59:39.41 ID:XUDIxlOTo

 叔母さんは僕の隣に座って初めて見た細身の赤いフレームの眼鏡を外した。眼鏡を
外すことで仕事のオンとオフを別けているのかもしれない。

「叔母さん仕事いいの?」

 明日香が目の前に座った叔母さんに声をかけた。

「よくないけど・・・・・・。それよか姉さんたちは二人とも本当にこの間からずっと帰って来
ないの?」

 この間とは叔母さんと父さんが偶然に家で鉢合わせした夜のことを言っているらしい。

「うん。年末には帰るって言ってたけど連絡もないよ」
 明日香が言った。「それよかさ。まだ注文してないんだけど。叔母さんも何か食べるで
しょ」

「明日香さあ。親が二人揃って大晦日に連絡もないっていうのに寂しがり屋のあんたが何
でそんなに平気なんだよ」

「だって今年は一人じゃなくてお兄ちゃんもいるし」

「・・・・・・なるほどね。そういうことか」

 叔母さんが再び眼鏡をかけた。思っていたより悩んでいる様子のない明日香に安心して、
また仕事に戻る気なのだろうか。僕は一瞬そう思ったけど、叔母さんは明日香からメニ
ューを取り上げただけだった。

「じゃあ何か食べるか。そういえばあたしも昼から何にも食べてないや」

「叔母さんご馳走してくれるの」

 どうせ親から預かったお金で支払う気だったくせに、明日香はここぞとばかりに目を輝かせ
て言った。

「相変わらず人の奢りだとあんたは容赦ないな」
 注文を終えた明日香に対して再び眼鏡を外した叔母さんが飽きれたように笑った。「そ
ういや年越し蕎麦とか食べたの?」

「うん。お兄ちゃんがコンビニのざる蕎麦も結構美味しいって言うから」

「どうだった?」

「お兄ちゃんに騙された」

「いや、あれはあれで美味いだろうが。それに別に手打ち蕎麦なみに美味しいなんて言っ
てないし」

 僕は反論した。

「だったら最初からそういう風に言ってよ。期待して損しちゃった」

「おまえに嘘は言ってないだろ」

「あんたたち、最近仲いいじゃん。まるで昔からの恋人同士みたいよ」

 叔母さんが笑って言った。
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 23:01:51.85 ID:XUDIxlOTo

 僕と明日香のほかに叔母さんが一人加わるだけで、不思議なことにどういうわけか家族
団らんという雰囲気が漂う。僕なんかでもいないよりは妹にとっては元気が出るだろうと
思ってここまで付き合っていたのだけど、やはり叔母さんがいると妹のテンションは高く
なるようだった。

 偶然に叔母さんに会えてよかったと僕は思った。よく考えてみればここは叔母さんの勤
務先の出版社の所在地からすごく近い場所だった。

「ちょっとトイレ。お兄ちゃんデザート持ってくるように頼んでおいて」

「うん」

 妹が席を立つと叔母さんがにやにやしながら僕の方を見た。

「何でニヤニヤ笑ってるんの」

「奈緒人。あんたさあ、あの短い時間の間に急速に明日香と仲良しになったみたいんじゃ
ん」

「ああ、まあ昔よりは仲良くなったかもね」

「何を冷静に言ってるんだか」
 叔母さんが笑ったまま言った。「しかしわからんものだよねえ。仕事の打ち合わせでた
またま入ったファミレスにさ、妙にいい雰囲気の若いカップルがいるなってあって思った
ら、あんたたちだったとは」

 叔母さんの話は別に僕たちへの嫌がらせのようではなかった。

「まあでもよかったよ。あんたたちが仲が悪いとあたしも居心地が良くないし」

「ごめん」

 叔母さんは僕たち二人を可愛がってくれていただけに、明日香と僕の不和には心を痛め
てくれていたのだろう。

「まあ、別にいいさ。しかしさあ、仲直りするのを通り越してまるで恋人同士みたいにイ
チャイチャしだしてるのはちょっと急ぎ過ぎじゃない? 血が繋がっていないとはいえ一
応兄妹なんだしさ」

「そんなんじゃないって」

「おう。奈緒人が珍しく照れてる」
 叔母さんが幸せそうな表情で笑った。「心配するな。あんたたちの両親はあたしが責任
を持って説得してやる。だから明日香を泣かせるんじゃないぞ」

 ここまで来ると叔母さんの話はもはや本気なのか冗談なのかわからなかった。一応、本
気で僕と明日香の仲を誤解しているといけない。僕は叔母さんにナオのことを話すことに
決めた。両親にさえ話していないけど叔母さんなら信用できた。
280 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/06(土) 23:05:21.88 ID:XUDIxlOTo

「確かに僕と明日香は仲直りしたといってもいいけど、叔母さんが想像しているような変
な関係じゃないよ」

「変な関係なんて言ってないじゃん。でもほんと?」

 叔母さんは本気で驚いている様子だった。僕はそっとため息をついた。誤解を解いてお
くことにして本当によかった。

「本当だよ。それに、僕も最近は彼女ができたし」

「彼女って・・・・・・明日香じゃないの?」

「違うよ! 鈴木奈緒って子で」

 そこで僕は深夜の叔母さんと父さんの会話を思い出した。会ったことはなくても叔母さ
んはナオのことを知ってはいるのだ。父さんの書いたあの短い記事を読んでいたのだから。

「え。もっかい名前言って」

 どういうわけか叔母さんが青くなった。

「鈴木奈緒。東京都の中学生のピアノコンクールで優賞した子。父さんが記事を書いたの
叔母さんも知っていたんでしょ」

「その子と付き合っているってどういうこと? あんたはさっきから自分が何を言ってい
るのかわかってるの」

 叔母さんの様子がおかしい。何でだろう。叔母さんは本気で僕と明日香を付き合せたか
ったのだろうか。

「どうって。偶然出会って付き合うことになったんだけど・・・・・・というか僕に彼女がいる
ことは明日香だって知っているよ」

「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「だから明日香とはそういう関係じゃないって」

「何言ってるのよ! 奈緒ちゃんは・・・・・・・鈴木奈緒はあんたの本当の」

「言っちゃだめ! 今はまだだめ!」

 その時トイレから戻ったらしい明日香の悲鳴に似た声が響いた。周囲の席を埋め尽くし
た客の喧騒が一瞬静まり返った。

「明日香?」

 僕は振りかえった。真っ青な顔の明日香の姿が目に入った。

「妹なのに・・・・・・って、明日香?」

 少しして周囲の喧騒が戻って来たけど、叔母の言葉は僕の耳にはっきりと届いていた。




「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに」
281 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/06(土) 23:05:52.45 ID:XUDIxlOTo

今日はここまで

また投下します。お付き合い感謝です。
282 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/06(土) 23:24:17.43 ID:TQtbVtwSO
地雷炸裂ゥ…
283 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/10/06(土) 23:25:10.64 ID:lnTIy/w7o
乙乙

ふむ、予想以上に展開が加速してきたな
284 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/10/06(土) 23:28:56.11 ID:vrN2FX190
乙です
叔母さんという戦犯ェ…
285 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/07(日) 00:05:21.26 ID:w3oZAPxVo
こうきたか…
乙です
286 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/07(日) 04:54:38.25 ID:rTzezF830
次が待ちきれないぜ・・・
287 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/07(日) 06:04:05.93 ID:zMJlglQ/o
288 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/07(日) 13:57:02.16 ID:lG+JRYwu0
思ってたよりバレ早かったな
おつかれー!
289 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/07(日) 20:40:08.47 ID:rTzezF830
>>1の過去に書いた作品教えて!!

面白いね。
290 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/07(日) 21:07:39.71 ID:hJf+zPcro

>>289
作者です。過去作ですがオリジナル限定でいうと


妹の手を握るまで(完結済み)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1323265435/

女神(連載中)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1328104723/


くらいですね。その前はアマガミの二次とか書いていたんですけど、最近自分の中ではだ
んだん黒歴史化してきました。

次の投下は明日か明後日の予定です。ご愛読嬉しいです。ありがとうございました。
291 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/10/07(日) 22:28:14.49 ID:a5CrkndAO
乙です

妹の手を握るまでの作者でしたか…
スレが立ったときから読んでました
292 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/08(月) 17:41:26.23 ID:10ZbDyDYo
同じところでぐるぐるぐだぐだしてるより、こうやってさくっと進んで行くほうが好きだ
293 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:06:50.48 ID:Y1jnVnrCo

 今日の奈緒のレッスンも散々な出来映えだったのだろう。レッスンを終えた奈緒は先生
から厳しく注意されながら練習スタジオから姿を現した。俯いたまま素直に頷いていた奈
緒だけど、先生の注意をまじめに受け止めているようには見えなかった。

 そのことに気がついた先生は説教の途中でため息を吐いて「今日はもう帰りなさい」と
奈緒に言って、次の生徒をスタジオ内に呼び入れた。この世界はやる気のない生徒に手を
差し伸べるほど甘くはない。

「ごめん。待たせちゃって。先に帰ってもよかったのに」

 奈緒が言ったけどそうもいかない。以前のようにナオトさんが教室の前で待っているわ
けではないのだし、こんなにぼろぼろな状態の奈緒を一人にしたくはなかった。

 それにナオトさんと奈緒が付き合い出す前の土曜日の午後はあたしはいつも奈緒と一緒
に教室から帰っていたので、昔のとおりに戻っただけだ。

「まああたしはいつも暇だしさ。それに一人で帰るのって危ないじゃん。いつかだって男
の人たちに囲まれて変なことされそうになったこともあったし」

 元気だしなよなんって薄っぺらな慰めを気軽に口に出せるような状況ではなかったから、
あたしはむしろ何事も無かったかのように奈緒に接するようにしていた。

「じゃあ帰ろうか」

「うん」

 奈緒は相変わらず暗い顔で頷いた。

 無理もない。奈緒は初めて心底から好きになった男の子に振られたのだから。あたしは
それを最近元気のない様子だった奈緒から聞きだしていた。

 新年が過ぎて最初の登校日、いつも約束をしていた電車にナオトさんは現われなかった
し、それから最初の土曜日にはいつもピアノのレッスンに奈緒を迎えに来ていたナオトさ
んの姿はなかったのだ。

 事情を確認しようにもナオトさんのメアドと電話番号は変更されていた。あたしもナオ
トさんとアドレスを交換していたから、ナオトさんにメールしてみたけどそのメールはあ
て先不明で戻って来たし電話も通じなかった。

 それから奈緒にとっては辛い日々が始まったのだ。
294 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:08:46.25 ID:Y1jnVnrCo

 振られたといってもはっきっりと言い渡されたわけではないらしかった。だからナオト
さんが何を考えていたのかはわからない。冬休あけに突然彼が奈緒の前に姿を見せなくな
ったこと、奈緒が連絡を取ろうとしても連絡先が変更されていたことだけが確かな事実だ
った。

 最初のうち、奈緒はナオトさんの身に何か事故なりの不慮の事態が起きているのではな
いかと心配していてもたってもいられなくなったようだ。それで奈緒にしては珍しくあた
しに相談してきたのだ。

 それも考えてみれば珍しいことだった。奈緒とあたしはお互いに親友同士だと他の人に
は話していたし、見た目からはその言葉を裏切らないくらいに仲のいい間柄に見えただろ
うけど、奈緒があたしを対等の相手として扱ってくれたことなんか今まではなかったのだ。

 それほどこの時の奈緒は切羽詰っていたのだろう。あたしにとっても別に損になる話で
はなかったので、あたしは奈緒に「明徳高校の知り合いにナオトさんの消息を聞いてみ
る」と約束したのだった。

 明徳高校の知り合いなんかナオトさん以外にはいなかったから、あたしは姑息にもあた
しを利用して自分の兄貴への異常な愛を成就させようとしているあたしの「親友」に連絡
を取った。

 明日香はすぐに電話に出た。

「明日香? あけましておめでとう」

「有希か・・・・・・おめでと」

 有希は何となく浮かない声だった。一瞬あたしは本当にナオトさんの身に何か起きたの
ではないかと思ってどきっとした。

「どしたの? 元気ないじゃん、明日香」

「そんなことないって。ちょっと寝不足なだけだよ」

「大丈夫? 明日香もナオトさんもちょっと冬休遊びすぎたんじゃないの」

 あたしはナオトさんの名前を出して明日香の様子をうかがってみた。

「んなことないって。兄貴もあたしも元気だし」

「そんならいいけど」

「それよか何か用だった?」

「別に用じゃないけど。明日香がちゃんと年越し蕎麦とおせち料理を食べられたかなあっ
て思って」

 ようやく明日香の小さな笑い声が電話の向こうで響いた。

「食べられなかったよ。大晦日にピザ食べたけど」

「またピザなの? どんだけ好きなのよ」

「だって親もいなかったしさ。何? 心配してくれてたの?」

「まあね。でも明日香もナオトさんも元気ならよかった」

「うん。心配してくれてありがと」

「じゃあまたね」

 もう少し詳しい話を探りたかったけど明日香は早く電話を切りたがってるような雰囲気
だった。あたしはこの日は無理をしないことにして、自分のビッチの友人に別れを告げ電
話を切った。
295 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:13:44.88 ID:Y1jnVnrCo

 とりあえず別にナオトさんの身に何かが起こったわけではないみたい。そう報告すると
奈緒は再び落ち込んでいった。

「あたし嫌われちゃったかな」

 奈緒がピアノのレッスンの帰り道の電車の中で、相変わらず暗い表情で言った。

「奈緒ちゃんと彼氏って付き合い出したばかりでしょ? 嫌われる要素なんかなくな
い?」

「ううん。もともと何かこうなる気がしてたんだ」

「何よ。何か思い当たることでもあるの?」

「うん」

「よかったら話してみて? 力になれるかもしれないし」

 少しだけためらってから奈緒はあたしに向かって話し出した。

「あたしが悪いんだと思う。冬休前にナオトさんは楽しそうに休みにはいっぱい会えるね
って言ってくれたの。でも、あたしはナオトさんの誘いを全部断ったの。冬休みはピアノ
があるから会えないって。ナオトさんはわかったって、気にしなくていいよと言ってくれ
たけど、やっぱりそのことが原因であたしはナオトさんに嫌われたんだと思う」

「そうなんだ」

 その話はあたしは知っていた。そしてナオトさんは奈緒がピアノのレッスンに集中した
がっていることを理解していたはずだった。でもそれを奈緒に話して彼女を安心させるこ
とはできなかった。

 あたしがナオトさんやその妹の明日香と密かに仲良しになっていたことは奈緒にはまだ
話をしていなかったのだ。あたしはそのタイミングを見はからっていたのだけど、どうや
らこの様子ではその機会は二度と訪れないことになりそうだった。

「ナオトさんなら奈緒ちゃんのピアノのことも理解してくれているって」

「自分ではナオトさんのことすごく大切に思っていたつもりだったけど、自分の中でどこ
かピアノを優先していたのかもしれないね。そのことをナオトさんも気が付いたのかもし
れない」

 奈緒の目から涙が一筋流れ落ちようとしていた。

「奈緒ちゃん」

「自業自得なのかも」

 奈緒は涙をハンカチで拭いて話を締めくくった。

「それでどうするの? このまま自然消滅するんでいいの?」

 あたしは何だか腹が立ってきた。この大晦日や元旦の間にナオトさんに何があったのか
は知らないけど、どんな形にしろ正式に付き合っている奈緒に対していきなり音信普通に
なるなんてひどすぎる。

 あたしだって自分のしていることや考えていることが誉められたことではないことは百
も承知だけど、それにしてもフェードアウトはないだろう。いくらなんでも奈緒に失礼だ。

 奈緒のピアノにとってはこのままナオトさんと別れた方がいい。今の奈緒の演奏はぼろ
ぼろだ。それは無理もないことだった。でもナオトさんとの理不尽で辛い別れを自分の中
で昇華したとき、奈緒の演奏は飛躍的に感情表現が花咲いて今までより一段上のレベルに
進めるのではないのか。

 あたしはそう思ったけど、それにしてもこのままナオトさんの突然の心変わりをこのま
ま謎のままにしておくことも気が進まなかった。
296 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:15:57.79 ID:Y1jnVnrCo

 あたしは知り合ったばかりのナオトさんと明日香のことを考えてみた。詳しい話は聞か
されてはいないけど、両親が不在がちの家庭で二人きりで過ごしていることが多いという
ことは、彼らの話からも例のおせち料理買出しの件からも察しがついていた。

 あたしが思うに明日香は自分のお兄さんのことを愛しているようだった。そのせいかお
兄さんの彼女である奈緒に対しては敵愾心を丸出しにしていた。

 だからナオトさんが奈緒のピアノのこととは関係なく奈緒から距離を取るとしたら、明
日香との禁断の距離が急速に接近したせいかもしれない。

 明日香があたしに突然接近し出したのは奈緒に対して揺さぶりをかけたり、奈緒に関す
る情報を得ようとしてのことだろう。そして明日香がそんなことしようとした動機は、気
持悪いことに自分の実の兄貴のことを異性として意識していたからだとあたしは考えてい
た。

 あたしにとっても明日香と知り合いになることは悪いことではなかった。あたしも奈緒
が迷惑そうな顔をしているのを無視して、ピアノ教室の前でナオトさんにメアド交換をね
だるくらいに、奈緒が初めてこんなに執着している男の人のことを知ろうとしていた。

 だから明日香を通じてナオトさんと仲良くなれたのは好都合だった。ただ一つ気になっ
たのは明日香があたしがナオトさんのことを好きだと思い込んで、その気持ちを応援しよ
うとしたことだ。

 明日香がナオトさんのことを異性として愛してしまっているのなら、たとえナオトさん
が奈緒からあたしに乗り換えたとしても明日香本人にとっては何のメリットもない。

 とりあえず明日香とナオトさんに会ってみよう。

「元気出して」
 あたしは暗い表情で俯いている奈緒に改めて言った。「あたし明徳高校にも知り合い多
いし、もう少しナオトさんのこと聞いてみるよ。それまでは勝手にあれこれ思い込んで心
配しない方がいいよ」

「ありがと」

 奈緒は少しだけ希望を取り戻したようにあたしの方を縋るように見た。
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:19:04.13 ID:Y1jnVnrCo

 冬休が終った最初の登校日の朝、僕はいつもよりだいぶ早い時間に起きて普段より一時
間以上早い電車に乗った。休み明けが僕より二日間遅い明日香は僕を学校まで送っていく
と言い張った。

 きっと僕の決心が揺らいでいつもの時間にナオと待ち合わせてしまうことを恐れたのだ
と思うけど、それは無駄な心配だ。今の僕にはナオと顔を会わせるどころか彼女の可愛ら
しい表情や彼女の気持ちのいい声を思い出すことさえ自分に禁じていた。必死に努力し他
のことを考えて気を紛らわせ、ナオのことを記憶から追い出す。

 そうすることによってのみ、僕の世界はとりあえず崩れ去っていくことなくその姿を保ち続け
ることができたのだ。

 あの時。

 最初は明日香の悲鳴のような声に気を取られていたせいもあって、叔母が言った言葉の
意味の重さにすぐには気がつかなかった。

 その瞬間はむしろ混み合った店内の客の視線をひき付けてしまっていることの方に意識
を奪われていたかっら、僕は反射的に呆然と立ち尽くしている明日香の手を引いて向かい
の席に座らせた。

「・・・・・・前にあたしの家であんたは奈緒ちゃんと奈緒人が一緒に歩いてたって言ってた
ね?」

 叔母さんが恐い表情で明日香に聞いた。たった今妹が見せた狼狽のことはわざと無視し
ているようだった。

「あんた奈緒人が奈緒ちゃんとそういう関係だって知ってたの? そもそも奈緒人と奈緒
ちゃんはお互いのことを実の兄妹だってわかっているの?」

 そのあたりで僕はようやく叔母の言葉が持っていた意味に気がついた。胃の奥が痛み始
めたと思った途端、何かが急速に喉からせり出してきそうな感覚があった。

「あたしは知ってたよ。奈緒が知っていたかどうかはわからない」

 明日香が低い声で言った。

「奈緒人は・・・・・・って知ってたって感じじゃないね。でも。何でそのまま放っておいたの
よ」


「お兄ちゃんが好きになった子が実は自分の妹だなんてわかったら、どんだけショックを
受けるかを考えてみて」

「明日香・・・・・・」

「だからお兄ちゃんをあたしい振り向かせて奈緒への好意を無くさせようとしていたの。
好意がなくなった相手が後から実の妹だってわかった方がまだショックは少ないでしょ。
自分が一番好きな子が実の妹だったことがわかったのと比べたら」

「・・・・・・あたしが邪魔しちゃったわけか。明日香ごめん」

「あたしに言われても」

 このあたりが限界だった。僕は立ち上がってトイレに駆け込んで胃の中のもの一気に吐
き出した。
298 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/09(火) 00:23:11.84 ID:Y1jnVnrCo

 今までだって幸せに新年を迎えたことなんかなかった僕だけど、それでも今年の正月は
ろくなことがなかった僕の人生の中でも最悪の日だった。

 フラッシュバックが始まると吐き気や眩暈を伴い普通に立っていることすらできなくな
る。だからそうなってしまったら頭を抱えて床にしゃがみこむか横になってその辛い状態
が終るのをひたすら耐えながら待つしかない。

 その引き金になるのはやはりナオのことを考え出したときだった。だから僕はナオのこ
とはなるべく考えないようにしていたのだけど、それでも最小限は彼女のことを考えない
わけにはいかなかった。

 これは悲劇的な偶然だった。本当にありえないほどの確率で起こった神様の残酷な悪戯
だ。そもそも僕には実の妹がいたことさえ聞かされていなかったのだ。

 僕が比較的落ち着いている状態のときを見はからって、明日香は自分の知っていること
を少しづつ話してくれた。明日香はまだ僕に対するナオの悪意を疑っていたようだけど、
ナオとのあの偶然の出会いや僕に抱きついて僕を恥かしそうに見上げたナオを思うと、僕
は明日香が間違っていると確信できた。彼女もまた実の兄妹であることを知らずに僕を好
きになったのだ。

 でもそう考えたとき、またフラッシュバックの予感がして僕はあわててナオの表情を頭
の中から拭い去ったた。

 とにかく明日香の言うとおり僕はナオとはもう二度と会うべきではない。ナオが僕のこ
とを本当の兄だと知ったらどんなに衝撃を受けるだろう。それに比べればいきなり僕から
の連絡がなくなった方がまだましだろう。

 僕は明日香の勧めに従って携帯を買い変え、その際にメアドと電話番号を変更した。こ
ういう地味な作業的なことをしているときが一番気が楽だった。たとえフラッシュバック
がなかったとしても世の中には考えてもどうしようもないことがあるということを、僕は
自分の人生で初めて経験したのだった。

 こうして辛い休暇を過ごしている間に、ただ一つだけ心が暖まったのは明日香の行動の
謎が解けたことだった。

 僕とナオが付き合い出してから明日香が取っていた不思議な行動の意味を初めて理解し
た僕は、フラッシュバックとは別の意味で涙を流した。

 明日香はずっとこんな僕を守ろうとしてくれていたのだ。多分そのために彼氏と別れた
り自分の友だちを付き合いを切ったりしてまで。

 冬休みが終って登校日が来るまで僕は明日香に依存することによって心の平穏を辛うじ
て保っていたようだった。うっかりと幸せなナオとの記憶を思い出してしまいフラッシュ
バックに襲われて吐きながらのた打ち回っているときでさえ、明日香は僕を必死で抱きか
かえていてくれた。長いときには三十分くらいの間ずっと。

「大丈夫だよお兄ちゃん。あたしがいるから。もうずっとお兄ちゃんと一緒にいるから」
299 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/09(火) 00:24:14.62 ID:Y1jnVnrCo

今日は以上です。

ここまでお付き合いありがとうございます。
300 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/10/09(火) 00:31:14.19 ID:kBq0Iz1ro
乙乙。テンポいいね

ところでビッチもいいけど女神も頼むぜよ
301 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/09(火) 02:34:40.76 ID:1A2ZjOARo
有希怖い
302 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/09(火) 04:53:56.73 ID:Q4wGyjbDO
なんてシリアスなアンジャッ臭なんだ
303 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/09(火) 05:35:29.82 ID:SuHbwvXa0

まってたぜ。

304 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/09(火) 22:01:42.14 ID:qzxdMnt3o
305 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/09(火) 22:35:53.92 ID:naEyhqt4o
306 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:13:14.55 ID:hMF93hg2o

 休み明け初日の授業は午前中で終った。今日は兄友や女さんにはナオのことを聞かれる
ことはなかったけど、いつかは他意のない会話の中でそのことに触れられることがあるだ
ろう。その時どう答えればいいのか今は見当もつかないけど、そのうちに考えておかなけ
ればいけないことだった。

 正直に言えば学校の友だちなんかにどう思われようがそんなことを気にする段階は過ぎ
ていたのだけど、どんなに混乱し油断するといつフラッシュバックが起こるかもしれない
という状況にあっても、社会生活を送る以上はそんなことはどうでもいいと切り捨てるわ
けにもいかない。

 それに今度のことに関してはナオが自分の妹であるということ以外には僕にだって何も
理解できていないわけで、兄友たちに説明する前にいったいどんな理由でこんなことにな
ってしまったのか自分自身が知ることが先決だった。

 前向きに考えればそういうことなのだけど、ナオのことや今回の出来事を考えただけで
も僕は気分が悪くなった。明日香がいてくれる間は僕は思考を停止していられる。僕が何
をすべきかを明日香が考えて僕に伝えてくれる。わずか数日の間に僕はすっかり明日香に
依存するようになってしまっていた。まるで明日香がモルヒネのような強い痛み止めであ
るかのように。

 明日香は百パーセント僕の味方だった。このひどい出来事を通じて唯一新たに信じるこ
とができたのは明日香の気持ちだけだった。そう考え出すと今この瞬間に一人で校内にい
ることがすごく不安に感じられた。

 早く家に帰ろう。帰って明日香のそばにいよう。いつかは向き合わなければいけないこ
となのはわかっていたけど、今はまだ無理だ。

 ホームルームと校内清掃だけの時間を何とかやりすごした僕は急いで校門を出ようとし
た。

「あ、来た」

 明日香が校門の前でたたずんでいた。前みたいに派手な格好をしなくなっていた明日香
だけど、どういうわけか派手だった頃よりうちの学校の男子の視線を集めてしまっている
みたいだ。でも、当の本人は自分のほうをちらちら見ている男子のことなど気にする様子
もなく僕の腕に片手をかけた。

「来てくれたのか」

 僕はもう明日香に会えた安堵心を隠さなくなっていた。

「お兄ちゃんが不安だろうと思ったし、それに行くところもあるから」
 明日香はあっさりと言って僕の手を握った。「じゃあ、行こうか」

「行くって? 家に帰るんじゃないのか」

「うん」

 明日香が柔らかい声で何かを説明しようとしたとき、背後から兄友の呑気な声が聞こえ
た。
307 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:13:52.12 ID:hMF93hg2o

「ナオト。今帰りか? って明日香ちゃんも来ていたんだ」

 兄友と女さんが僕たちの背後に並んで立っていた。

「珍しいじゃん。おまえが明日香ちゃんと一緒なんてよ」

 兄友と女さんの視線が申し合わせたように握りあっている僕と明日香の手に向けられた。

「今日はずいぶん仲いいのな」

 兄友が戸惑ったように言った。

「ま、まあ、兄妹だもんね。それよか明日香ちゃんってナオト君の妹だったのね。あたし
たちこの間まで全然知らなかったよ」

 女さんが取り繕うように笑ったけどその笑いは不自然なものだった。

「・・・・・・どうも」

 明日香が言ったけどその声にはついさっきの柔らかな様子は全く消え去っていた。むし
ろ明日香の声には女さんに対する敵意のような感情が感じ取れた。

「君たちも帰るところ?」

「ああ。カラオケでも行こうかって話してたんだけど。よかったら一緒に行かね?」

「悪い。僕たちこれから行くところがあるから」

「そうか。まあ急に誘ったって無理だよな。じゃあまた明日な」

「うん、また明日」

 相変わらず女さんを敵意を持って睨んでいるような表情の明日香を促して僕たちは歩き
出した。

「どうしたんだよ」

「お兄ちゃん。そっちじゃないよ」

 明日香は僕の質問には答えずに先に立って僕の手を引いて、自宅方面への下りホームで
はなく反対側の上りホームへのエスカレーターの方に向かって行った。

「・・・・・・どこに行くんだ」

 僕は思わず震え声が出そうになるのを必死に抑えて言った。自宅と反対方向に向かうと
知っただけでも動揺を感じる。それにこの方向だと一駅先には富士峰女学院がある。明日
香が僕を振り返った。

「叔母さんのところに行こう。お兄ちゃんももうそろそろ知らないといけないと思う」

 このときの明日香は僕の妹というより頼りになる姉のようだった。

「知るって何を」

「いろいいろと。このまま目をつぶって耳を塞いでいてもお兄ちゃんの不安はなくならな
いと思うの。ちょっと辛いかもしれないけど、そろそろ昔のことを思い出した方がいい」

「・・・・・・どういう意味? 昔のことなんか聞いたって今回のことは何も変わらないだろ」

「昔の奈緒のこと、お兄ちゃんの本当の妹のこと思い出せる?」

 思い出せるどころか僕には妹がいたことさえ記憶になかったのだ。

「叔母さんももう知っておいた方が、そして思い出せるようなら思い出したほうがいいっ
て言ってた」

 僕は再び得体の知れない不安におびえた。明日香が僕の手を握っている手に力を込めた。

「大丈夫。何があってもこの先ずっとあたしはお兄ちゃんと一緒にいるから」

 僕は明日香を見た。少なくともこれは罠じゃない。明日香を信じよう。

「わかった」

 上りの急行電車がホームに滑り込んできた。
308 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:15:03.44 ID:hMF93hg2o

 車内にはうちの学校の生徒もいたけど知り合いの姿はなかった。そして幸いなことに富
士峰の学生の姿も見当たらない。

 昼下がりの車内は空いていたため僕たちは並んで座ることができた。

 こうしていると土曜日の午後の電車の中でナオと並んで座ったときの記憶が自然に蘇っ
てきた。一度ユキの件で仲違いしかけて、そして仲直りしたあの日もそうだった。

 あの時、ナオは僕の胸に顔を押し付けるようにしながら「本当にあたしのこと嫌いにな
ってない」って小さな声で言ったのだった。

 それは本当に短かった僕とナオの一番幸せだったときの記憶だった。僕は妹一緒にいた
せいで油断していたのかもしれない。今まで避けていたナオとの記憶を反芻することをう
っかりと自分に許してしまったのだ。そしてその記憶は一瞬の間だけはひどく甘美なもの
だった。

 でも次の瞬間、甘美な記憶は強制的に場面転換された。



「何言ってるのよ! 奈緒ちゃんは・・・・・・・鈴木奈緒はあんたの本当の」

「言っちゃだめ! 今はまだだめ!」

「明日香?」



 記憶の中で僕は振りかえる。賑わっているファミレスで真っ青な顔で立ちすくんでいた
明日香。

 明日香の背後からいつもなら大好きな叔母の陽気な声がこのときは陰鬱なエコーがかか
ってひどく低い声で反響しながらあのセリフを繰り返す。



「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに」



 急に眩暈が激しくなった。記憶から呼び戻された僕の視界にはぐるぐると回転する電車
の床と座席に座っている見知らぬ人の靴が映り込む。

 吐き気をもよおした僕は姿勢を保っていられずに、空いているロングシートにうつ伏せ
るように横になった。



「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに」

「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに」

「奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?」

「鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに」
309 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:15:53.47 ID:hMF93hg2o

 目をつぶってもどういうわけか視界には電車の床がぐるぐる回っているままだった。そ
して耳には叔母さんの低い声が同じフレーズをループして延々と繰り返されている。何度
も聞いているうちにそのフレーズは意味を失い、ただ不快なだけの雑音に変わっていった。

 とりあえず吐けば楽になるかもしれない。僕がそう思ったとき、突然視界が閉じ耳がふ
さがれたように感じた。フラッシュバックがおさまっていったのだ。

 不快な視覚と聴覚が消失した替わりに唇を覆っている湿った感触が頭を占めた。吐き気
もおさまっていく。

 僕は妹にキスされたままで妹の小柄な体を抱きしめた。明日香がぼくの口から自分の口
を離した。

「大丈夫?」

「・・・・・・うん」

 僕は覆いかぶさっている妹の体ごと自分の体を起こした。

「悪い」

「気にしなくていいよ。お兄ちゃんのことはあたしが守るから」

 さっきまでの不快感と痛みが嘘のようにおさまっていた。明日香は僕の額を濡らしてい
る君の悪い汗をハンカチで拭いてくれた。明日香に拭かれている顔が気持ちよかった。

 ようやく周囲の視線を気にすることができた僕は赤くなって妹から体を離そうとしたけ
ど、明日香はそれを許さなかった。

「もう少しあたしのそばにいた方がいいよ」

 明日香は僕を自分の方に抱き寄せるような仕草をした。

「お二人とも大丈夫?」

 そのとき、向かいに座っていた老婦人が僕たちを心配そうに眺めて声をかけてくれた。

「はい。もう大丈夫です。ありがとうございます」

 明日香が老婦人にお礼を言った。

「発作とかなの? 車掌さんを呼びましょうか」

「いえ、次の駅で降りますし本当に平気ですから」

 電車が駅に着いた。この駅に来たのは初詣のとき以来だ。

「お兄ちゃん立てる?」

「大丈夫だと思う」

 僕は明日香に抱かれながら立ち上がって、開いたドアからホームに降り立った。

「気をつけてね」

 老婦人が声をかけてくれた。
310 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:16:45.42 ID:hMF93hg2o

「今日はやめておく?」
 ホームの固いベンチに僕を座らせた明日香が迷ったように言った。「お兄ちゃん、ごめ
ん。あたしちょっと急ぎすぎてたかも」

 冬の冷気が熱く火照っていた僕の顔を冷やしてくれる感じが心地いい。僕は急速にさっ
きまでのパニックから回復していくように感じた。

「おまえのせいじゃないよ。助けてくれてありがとう、明日香」

「でも、まだちょっと早かったのかも」

「いや。明日香がいてくれれば平気だよ。今だっておまえが」

 明日香がどうやって僕を正気に戻したかを改めて思い出した僕は、そこで言いよどんだ。

「・・・・・・ごめん。でも何となくああした方がいいと思ったから」

「いや。今だって明日香がああしてくれたから僕は正気に戻れたんだし。叔母さんの話を
聞くよ。それでパニックになったらまた僕のこと助けてくれるか」

 明日香はそれを聞いて赤くなったけど口調は真面目そのものだった。

「うん、安心していいよ。お兄ちゃんが楽になるならキスだって何だってするから」

「ありがとう」

「もう大丈夫?」

「ああ」

「じゃあ、お兄ちゃんがいいなら行こう」

 明日香はベンチで座っている僕に手を伸ばした。僕は迷わずに明日香の手を握って立ち
上がった。
311 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:17:28.86 ID:hMF93hg2o

 叔母さんとはあの日のファミレスで待ち合わせなのかと思ったけど、明日香が言うには
叔母さんは会社まで来てくれと言ったらしい。僕にしてもあの夜の現場のファミレスに行
くのは気が進まなかったからそれは好都合だった。

「叔母さんも了解してくれてるのかな・・・・・・その僕の過去を話してくれることを」

 叔母さんだって父さんや母さんに黙って僕に全てを話してくれるのは気が重いのではな
いだろうか。奈緒のことは僕が実の妹と付き合っているなんてことを嬉々として報告した
から、慌てて釘を刺そうとしただけなのだろうし。

 僕は叔母さんを恨んではいなかった。むしろ叔母さんに迷惑をかけてしまうことの方を
恐れていた。

「うん。叔母さんと相談して決めたの。だからお兄ちゃんは余計な心配しなくていいよ」

 明日香はあっさりとそう言った。

 駅から十分ほど坂を降りたところに叔母さんの勤めている会社のビルがあった。

 想像していたより随分こじんまりとした建物だ。叔母さんの勤務先は誰でも聞いたこと
がある出版社なので、僕は何となく高層ビルのようなイメージを持っていた。

 実際には十階建てくらいの茶色のビルで、その入り口に社名の表示板が掲げられていた。


「株式会社 集談社」

 それでも中は外見から想像できるより綺麗な建物だった。受付前にプレートが掛かって
いてその中に叔母さんが作っている雑誌の名前も表示されている。

「5階 ヘブンティーン編集部」

 でも明日香はその表示を無視して受付の女性のところに真っ直ぐに歩いて行った。

「いらっしゃいませ」

 受付の綺麗な女性が頭を下げた。

「すいません。ヘブンティーン編集部の神山の家の者で結城と言います。神山と約束をし
ているんですけど」

 神山は母さんの前の前の姓だ。前の姓は高木だけど、母さんが離婚して父さんと再婚し
てから母さんと明日香は結城姓になった。叔母さんはずっと独身だったから未だに神山と
いう名前だ。それにしてもたかが中学生のくせに明日香は随分と堂々と振る舞っている。

「そちらで少々お待ちください」

 受付の女性はロビーのソファを僕たちに勧めながら内線電話を取り上げた。
312 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:17:57.20 ID:hMF93hg2o

「神山さん、そちらの方です」

 エレベーターから現われてきょろきょろしている叔母さんに受付の女性が声をかけた。

「ああいた。陽子ちゃんありがと」
 受付の女性に微笑んでお礼を言った叔母さんが僕たちに話しかけた。「おう。二人とも
よく来たね」

「ちょっと遅くなっちゃった」

「叔母さん今日は。今日は忙しいのにすみません」

「こら奈緒人。こないだ敬語はやめるって約束したじゃんか」

 叔母さんが笑った。


 僕たちは叔母さんに連れられて社内の喫茶店に座った。ここはよく打ち合わせに使われ
るほか軽食も取れるので便利なのだそうだ。

「あんたたち昼ごはんは?」

「食べてないよ」

 明日香が答えた。

「あたしもまだだから何か食べようか。つってもここは大したもんができないけどね」

 正直僕は食事ができるような状況ではなかったけど、ここで自分の体調の悪さをアピー
ルするのも嫌だった。それは叔母さんを無駄に心配させることになる。さいわい明日香は
僕の発作のことを考慮してくれたのか、あたしたちはあんまりおなかが空いていないから
と言って食事を断ってくれた。明日香本人は空腹だったはずなのに。

「そう? じゃああたしだけ食っちゃおう」

 叔母さんはナポリタンとコーヒーを三つ注文してから改めて僕たちを眺めた。

「最初に言っておくよ。奈緒人にも明日香にもこの間は悪いことしちゃったね。ごめんな
さい」

 叔母さんが僕に頭を下げるのは初めてだったのではないか。僕は驚いて叔母さんに言っ
た。

「叔母さんが謝ることなんか何にもないよ。僕のことを考えて言ってくれたんでしょ」

「うん。それはそうだけど、明日香が一生懸命奈緒人を守ろうとしていたことを考えなし
に邪魔しちゃったから」

「もういいよ。振り返っていたって仕方ないし。それより大切なことはこの先のことでし
ょ」

 明日香も言った。

「うん。明日香の言うとおりだ。じゃあ、もうあたしはあんたたちに謝らないよ」

 僕と明日香は二人してうなずいた。
313 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/11(木) 00:19:04.71 ID:hMF93hg2o

「じゃあ、本題に入るけど。あたしは全部を知っているわけじゃないけど、姉さんの妹だ
し結城さんとも古い知り合いだから奈緒人に教えられることはあるんだ」

「でも、本当はあたしが勝手に教えちゃいけないんだと思う。結城さんや姉さんが奈緒人
に話すべきだと思ってから、あの人たちが直接奈緒人に話すことだしね」

「はい」

 僕は緊張しながら言った。

「でもこんなことになった以上、奈緒人が全部知るべきだという明日香の意見は正しいと
思う」

 ここで少し叔母さんはためらった。

「でもね、そうは言っても、姉さんや結城さんに奈緒人と奈緒ちゃんが付き合ってたなん
て言えないしね」

 それは叔母さんの言うとおりだった。これだけはとても両親に知られるわけにはいかな
いのだ。

「だから、姉さんや結城さんには怒られちゃうかもしれないけど、あたしが知っているこ
とは全部あんたたちに話すよ」

「ちょっと待って」
 明日香が不審そうに言った。「あんたたちってどういう意味? あたしはママの離婚前
の出来事とかは、お兄ちゃんと違って記憶に残ってるし、それにあたしは叔母さんに昔の
話を聞いてるよ」

「明日香にだって全部話したわけじゃないのよ」
 叔母さんは僕を見つめた。「今だって奈緒人は傷付いてると思うけど、昔の話を聞いても
平気なの?」

「うん。明日香とも話したけど、僕は聞いておくべきだと思う。それに辛くても僕には明
日香がそばにいてくれるし」

「そうか。いい兄妹になったね、あんたたち」

 こんなときなのに叔母さんは嬉しそうに言った。

「それから明日香」

「何よ」

「あんたにも話していないこともあるからさ。奈緒人だけじゃなくてあんたにだってショ
ックな話もあるかもよ」

 一瞬、明日香は黙った。それから僕を見ながら叔母さんに答えた。

「うん。それでも聞かせて。お兄ちゃんにあたしがいるように、あたしにだってお兄ちゃ
んがついていてくれると思うから」

 僕は明日香の手を握った。

「わかった」

 僕たちが手を取り合ったのを見て叔母さんが決心したように言った。
314 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/11(木) 00:21:26.86 ID:hMF93hg2o

今日は以上です。

また投下します。

>>300
女神は見直していたら、伏線未回収や設定矛盾で泥沼状態なんですが、いずれにせよ
完結はさせます。もうちょっとお待ちください。
315 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/11(木) 01:39:12.54 ID:v41Ecfrp0
イヤッフー

いいねいいね⤴
316 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/11(木) 21:07:46.83 ID:bMrT4tcRo
317 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/11(木) 21:54:53.13 ID:Sbwx7T/So
続き気になるぜ、くそっ。
318 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:04:55.60 ID:s/mXof6Yo

「さてどこから話すかな。最初は明日香は知っている話になるな」

 明日香はうなずいた。

「最初から話して。お兄ちゃんは何も覚えてないと思うから」

「そうだね。じゃあ奈緒人の話からしようか。奈緒人、あんた自分の実のお母さんとか実
の妹、まあ奈緒ちゃんなんだけど、この二人のこと今まで全く思い出したことないって本
当?」

 ナオの名前が叔母さんの口から出たとき、明日香は僕の手を握る自分の手に力を入れた。
気をつかってくれているのだ。でもナオの名前を聞いても不思議と動揺はなかった。この
先の話に気を取られていたせいかも知れない。

「うん。変なのかもしれないけど、父さんと今の母さんと明日香とみんなで一緒に公園で
遊んでいたときの記憶が多分僕の一番昔の記憶なんだ。僕が小学校に上がるより前だと思
うけど」

 明日香が妙な表情をした。

「結城さんと姉さんから一応話は聞いたんでしょ?」

「うん。父さんと母さんは再婚同士で、僕は母さんの本当の子どもではなくて明日香も父
さんとは血が繋がっていないって」

「再婚が何年前か聞かなかった?」

「うん。それは聞いていないな」

「明日香?」

 叔母さんが明日香を見た。

「あたしは知ってるよ。去年聞いたわけじゃなくて自分ではっきりと覚えてる」
 明日香は僕から視線を逸らした。「ママが再婚して今のパパがあたしのうちに来たのは
あたしが小学生になったばかりの頃だよ」

「うん。明日香の記憶は正しいな。奈緒人、あんたに新しい家族ができたのはあんたが小
学校三年の頃だったよ、確かに」

「そうなんだ。ごめん、やっぱり全然思い出せない。もっと前から今の家族と一緒に暮ら
していたような気がするだけで」

 今の僕にはそうとしか言えなかった。僕に残っている一番古い記憶は公園で明日香を遊
ばせているひどく曖昧な思い出だけだった。あのとき、逃げ惑う鳩をよちよちと追い駆け
ていた明日香が転ばないように、僕ははらはらしながら明日香を追い駆けてたんじゃなか
ったか。

 そしてそのときの自分が目の前をよちよちと危なげに歩いている女の子をどんなに大切
に思っていたか、僕はその感情さえ思い浮かべることができた。それはまだ仲が悪くなる
前の明日香と僕の貴重な記憶だった。

「だからさ。あんたも少なくとも奈緒ちゃんの記憶はあるってことだよ」

「どういうこと?」

 僕は混乱した。自分の中ではナオの記憶なんて欠片も残っていないのに。

「お兄ちゃんが公園であたしと遊んだ記憶ってさ、それあたしじゃないと思うよ」

 明日香が目を伏せて言った。

「あんたが明日香と暮らし始めたのは、あんたが小三で明日香が小学校に入学した頃だか
らさ。あんたの記憶の中の幼い兄妹っていうのは、あんたと奈緒ちゃんだろうね」

 叔母さんがそう言った。
319 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:07:33.37 ID:s/mXof6Yo

 では僕の思い出は勝手に脳内で補正され、かつての家族の記憶を今の家族の記憶に上書
きしてたのだろうか。僕は少し混乱していた。

「まあ、それは今は深く考えなくていいよ。とりあえずあたしが知っている事実関係だけ
をこれから話すからね」

「わかった」

 僕は叔母さんに答えた。今はとにかく真実を知ろう。僕の脳内の記憶は辛い部分を勝手
に補正して美化しているようだったから、とりあえず事実を認識するところから初めよう
と僕は思った。

「明日香には前に話したことだけど、奈緒人と奈緒ちゃんのご両親の離婚の原因は直接的
には奥さんの浮気が原因なの」

「・・・・・・うん」

 今度は僕は驚かなかった。多分そうだろと考えていたとおりだったから。

「その頃、結城さんはすごく忙しかったみたい。今でも忙しいんだろうけど、その頃はそ
れどころじゃないくらい、本当に体を壊しかけたくらいに仕事に没頭していたのね」

「うん」

「奈緒人のお母さんはその頃は専業主婦だったから、あんたと奈緒ちゃんが寂しい想いを
することはなかったはずだった。たとえ父親がいなくても母親は家にいるはずだったか
ら」

 いるはずだったとはどういう意味なのだろう。僕は叔母さんを見た。

 叔母さんも僕の疑問を予期していたのか、少しだけ迷ってから話を再会してくれた。

「あとで児童相談所の担当の人から聞いたんだけど、その頃の奈緒人と奈緒ちゃんってひ
どい状況で放置されていたんっだって」」

「ひどいって?」

 僕にはそんな記憶は全く残っていない。

「仕事が忙しくて滅多に結城さんと会えなかったあんたのお母さんは、心の平穏を失って
いったの」

「どういう意味?」

「あんたのお母さんは本当に結城さんのことが好きだったんだろうね。その結城さんがい
なくなって一人で幼いあんたと奈緒ちゃんを育てることがプレッシャーになったのかもし
れない」

「・・・・・・要するにどういうことなの?」

 僕は我慢しきれずに叔母さんに言った。問い詰めるような口調になってしまっていたか
もしれない。再び不安そうな表情の明日香が僕の手を握り締めた。
320 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:10:14.30 ID:s/mXof6Yo

「あんたと奈緒ちゃんのお母さんはあんたたちを家に二人きりで放置して、一人で着飾っ
て外出して男の人と遊んでいたの」

「遊ぶって」

「・・・・・・あたしはあんたのお母さんに会ったことがあるよ。離婚調停が始まったころだけ
ど、すごく綺麗な人だった。とても既婚で二人の子どもがいるようには見えなかったな」

 そのとき、以前一度思い出しかけた記憶が再び蘇った。それはあの時とは違って圧倒的
なくらい鮮明なイメージを伴っていた。



 その日も朝から母親が家にいなくなっていた。

 普通なら幼稚園に行っていなければいけなかったはずの僕と妹が目を覚ましたときには、
家には母親がいなかったし、幼稚園に行く支度もお弁当の用意もされていない。

 妹は大嫌いだった幼稚園をサボれることに満悦の笑みを浮べて僕にまとわりついてきた。
僕はキッチンや冷蔵庫の中から冷たいハムやトーストされていないカビが生えかけたパン
を取り出して妹と一緒にむさぼるように食べた。そんな貧弱な食事でも僕と一緒に家にい
られることを妹は喜んでいた。でもさすがに夜になると、妹も母親を恋しがってめそめそ
しだした。

 自分も半泣きになりながら、誰もいない家に怯え抱きついて泣いていた妹を抱き締めていた僕。

 それでも夜中になって酔った母がようやく帰宅すると僕たちは泣きながら香水とお酒の
混じった匂いがする母親の体にしがみついた。母も泣きながら放置していた僕たちを抱き
しめてくれる。

 でもそのうちに夜中になっても次の朝になっても母親が帰って来ない日が珍しくなくな
った。僕は泣き出した妹をひたすら抱きしめながら頭を撫でてやることしかできなかった
のだ。



「お兄ちゃん、大丈夫?」

 気がつくと明日香が僕を心配そうに見ていた。

「思い出したみたいだね。大丈夫か? 奈緒人」

「うん。大丈夫だと思う・・・・・・でもこんなこと今までよく忘れていたって思うよ、自分
でも」

「きっと辛かったから自分で記憶を封印していたのかもね。人の心って自分で思っている
より自己防衛機能が発達しているって、前に取材で脳生理学者の人に聞いたことあるよ」

「うん」

「大丈夫? 続けてもいい?」

「続けて。こうなったら全部聞いて思い出せることは思い出したい」

 僕は叔母さんに言った。情けないことに僕は明日香の手にしがみついていたけれども。
321 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:14:16.43 ID:s/mXof6Yo

「さすがに不審に思った幼稚園の関係者と近所の人たちが児童相談所に通報したらしいの。
児童相談所の人たちは、散らかった家で食事もせずお風呂にも入らないで数日間過ごして
いた様子のあんたと奈緒ちゃんを一時保護して児童相談所に連れて行った」

「相談所から結城さんの会社を経由して当時海外に出張していた結城さんに連絡が行って、
結城さんは出張を切り上げて帰国して、あんたと奈緒ちゃんを児童相談所から引き取っ
た」

「それから数日後自宅に帰宅したあんたの母親は、もぬけの殻みたいな家の中で一枚のメ
モを見つけたの。結城さんはその頃にはもうあんたの母親と別れる決心をしていた」

「あんたと奈緒ちゃんはそのときは結城さんの実家に預けられていて、結城さんの実家で
はあんたたちを母親には絶対に会わせようとはしなかったらしい」

「それから長い離婚調停が始まったのさ。結城さんも家庭を顧みなかったことに罪悪感を
感じていた。でも、専業主婦だった自分の奥さんが複数の男と浮気して子どもたちを放棄
しいたことを許そうとはしなかった」

「ここまでは理解できた? って奈緒人、続けても大丈夫?」

「大丈夫・・・・・・だと思う。正直、初めて聞く話だし戸惑いはあるけど」

「そう。やっぱり明日香がそばにいるとあんたも安心するんだね。もっと取り乱すかと思
ったよ」

「取り乱す以前にただ混乱している段階だよ」

「本当に平気?」

 僕は心配そうに言った明日香に無理に笑いかけた。「わかんない。でもおまえがいてく
れなかったらパニックになってたな」

「言ったでしょ。もう前とは違う。あたしは、あたしだけは絶対にお兄ちゃんを一人にし
ないから」

「うん。ありがと」

「礼なんて言わないでよ。こんな状況なのに」

「じゃあ続けよう。きつかったらいつでも言いなよ」

「わかった」

「この先はさ、明日香には話したことがあるんだけどね。いろいろ揉めはしたけど結局あ
んたの母親は結城さんとの離婚に同意したの。彼女にしてみれば結城さんを過剰に愛した
ためにしてしまったことだったから、なかなか結城さんとの離婚には同意しなかったのだ
けど、結城さんはあんたたち二人をネグレクトした奥さんを許す気はなかった」

「それでも離婚の条件について、二人は同意できなかった。金銭面ではなくてあんたちの
親権を巡って長い戦いが始まったのよ」

「最初は子どもたちをネグレクトして面倒を見なかったあんたの母親に不利な展開だった。
でも母親側の弁護士は優秀なやり手で、結局浮気もネグレクト自体も根本的な原因は家庭
を省みずに仕事に熱中していた結城さんが原因だと主張したの」

「それに忙しい仕事を抱えた結城さんが子どもたちをちゃんと育てられる訳がないとも。
結城さんの実家の両親、つまり奈緒人の祖父母も高齢で本人たち自身にも介護が必要で子
育てなんてできる状況じゃなかったことも不利な要素だったのさ」

「離婚の話し合いは家庭裁判所では決着がつかず裁判にまでもつれ込みそうなことになっ
ていた、その時」

 叔母さんが話を区切った。ウエイトレスが叔母さんのナポリタンを運んできたからだ。
322 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:18:36.36 ID:s/mXof6Yo

「食べながらでもいい?」

 叔母さんが聞いた。

「どうぞ。お昼食べてないんでしょ」

「悪いね。それで」

 叔母さんがナポリタンを口に入れながらも話し続けた。

「そんな結城さんに不利な状況が一変したのよ。良くも悪くもだけどさ」

「明日香のお母さん、つまりあたしの姉と結城さんは幼稚園の頃からの幼馴染でね」

「・・・・・・うそ? 初耳だよ。二人は大学時代の知り合いじゃないの?」

 明日香が驚いたように言った。

「正確に言うと姉さんと結城さんは大学で『再会』したんだよね。幼馴染だった二人は、
小学校に入る前に結城さんが引っ越して離れ離れになったけど、大学で偶然に再び出会っ
たってとこかな」

「聞いてないよそんなこと」

 明日香がぶつぶつ言った。

「結城さんと大学で再会した姉さんからよく恋の相談を受けたものだったよ、あの頃はあ
たしも」

 叔母さんがフォークに巻きつけたスパゲッティを口に押し込んだ。

「でもさ。その時結城さんには彼女がいたんだよね。同じ大学のサークルの子がね。だか
ら姉さんは結城さんの恋を応援したみたい。自分の結城さんへの恋心は押し隠して
さ・・・・・・もうわかるよね。結城さんの当時の彼女が誰だか」

「・・・・・・僕の実の母さんですか」

「そのととり。そして時が流れて結城さんとあんたの母親の離婚調停が長びいている最中
に、結城さんと姉さんは大学卒業以来久しぶりに再会した。音楽関係の書籍の出版記念
パーティーでのことだってさ」

「それでパパとママは恋に落ちたわけね」

「うん。結城さんは自分の陥っている状況を姉さんに相談した。そんで明日香は知ってい
ると思うけど、当時の姉さんは旦那に死別して明日香を自分一人で仕事しながら育ててい
た。まあ、ぶっちゃけあたしもあの頃は明日香の面倒を見させられていたんだけどさ」

「でも結城さんにはそんな幼馴染の姉さんが眩しく見えたんだろうね。自分の専業主婦の
奥さんが子どもたちをネグレクトしているのに、女親一人で仕事しながら明日香を立派に
育てている姉さんが眩しく見えたんだろうさ」

「離婚調停中だったけど結城さんと姉さんは結ばれた。そのことを結城さんの弁護士は有
利な材料に使ったの。結城さんにも奥さん候補がいて子育ては十分にできるって」
323 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:29:28.65 ID:s/mXof6Yo

「結局、家庭裁判所の調停員の出した調停内容は、お互いに一人づつ子どもを引き取ると
いうことだった。付帯条件としてお互いに引き取れなかった子どもに一年間で二回以内に
面会できることっていうことになっていたけど」

 ここで叔母さんは今まで以上にためらいを見せた。

「ここから先は話していいのか正直迷ってる。明日香にも話したことないし」

「全部話して。ここまで来た以上」

 明日香がそう言い僕もうなずいた。

「わかった。でもこの先はつらい話だよ」

 叔母さんは僕と明日香を交互に眺めた。そしてフォークを置いてため息をそっと押し殺

して話を続けた。

「結城さんと奥さんはその内容に同意した。調停が成立したということね。そして奈緒人
を結城さんが、奈緒ちゃんを奥さんが引き取ることになった。結城さんにとっては不本意
だったと思うけど、親権に関しては裁判を起こしても母親が有利になる傾向があるって弁
護士に言われて最後には納得したみたい。姉さんと早く結婚したいっていう気持ちも手伝
ったんじゃないかと思う」

「その結論を結城さんから聞かされた次の日、その日にはあんたの母親が奈緒ちゃんを引
き取りに来る予定だったんだけど」

「あんたと奈緒ちゃんはその日の朝、預けられていた結城さんの実家から逃げ出したんだ
って。お互いに別れるのは嫌だって」



 今まで叔母さんの説明してくれた情報量に圧倒され何の感慨も抱く暇がなかった僕の脳
裏に、このとき初めて封印されていたらしい記憶が蘇った。



『パパもママもいらないよ。僕は奈緒と二人でずっと一緒に生きるんだ。それでいいよ
な? 奈緒』

『うん。ママなんか大嫌い。お兄ちゃんがいいよ。お兄ちゃんだけでいいよ』

 泣きながらそう言って僕にしがみつく奈緒。僕は奈緒の手を引いて祖父母の家から脱走
したのだった。

 その結末はよく覚えていない。でも今にして思えばどこかで大人たちに掴まって、僕は
奈緒と引き剥がされたのだ。この間偶然に再会するまで。
324 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/12(金) 00:30:00.01 ID:s/mXof6Yo

「明日香、あんた奈緒人とのことで姉さんからいろいろけしかけられるようなこといわれ
ただろ。あれも姉さんの切ない気持ちだったんだと思うよ。姉さんはせっかく築いたこの
家庭を壊したくなかったのよ」

「・・・・・・どういう意味?」

「姉さんにとってはやっと手に入れた幸せな家庭だからね。血の繋がっていない奈緒人を
含めて大切にしていたんだよ。それは結城さんの希望どおり奈緒ちゃんも引き取れたら、
姉さんは奈緒ちゃんのことも可愛がったとおもうけど、そうはならなかった。そしてそう
ならなかった以上、姉さんだって奈緒ちゃんのことは警戒したんだろうさ」

「警戒って・・・・・・」

「奈緒人君を奈緒ちゃんに取られるくらいなら、あんたとくっついてほしいと思ったんだ
ろうね。明日香、あんた、奈緒人君とのこと、姉さんにけしかけられただろ」

「・・・・・・うん。言われた。『明日香はお兄ちゃんのこと好き? 大きくなったら奈緒人の
お嫁さんになりたい? そうよ。お兄ちゃんがパパで明日香がママになったら楽しいでし
ょ』って」

「姉さんを悪く思わないでやって、奈緒人。姉さんは今の家庭を守りたいだけなの」

「うん。悪くは思わない」

「あたしだってさ」

 叔母さんがいつの間にか浮べていた涙をさりげなく拭いた。

「あたしだって、こないだのファミレスで奈緒人と明日香がイチャイチャ知っているとこ
ろを見かけて本当に嬉しかったのよ」

 このときの僕は思考が麻痺していた。流れ込んできた情報量が多すぎて消化不良を起こ
していたのだ。逆に言うと言葉の持つ意味に麻痺して感情を直接刺激しない分、パニック
やフラッシュバックが起きそうな感じもしなかった。

 多分今日聞いた情報を整理するようになったとき、僕は辛い思いをすることになるのだ
う。

 かわいそうな奈緒。僕のただ一人の妹。僕の初恋の相手。

 僕は奈緒のことを思い出したけど、そのことでフラッシュバックが襲ってくる気配はし
なかった。ただ、この時僕が思い出せた奈緒の姿は、僕の恋人になった富士峰の中学生の
奈緒の姿ではなくて、僕が忘れてしまっていたはずの幼い姿で僕にしがみついていた奈緒
の姿だった。



『うん。ママなんか大嫌い。お兄ちゃんがいいよ。お兄ちゃんだけでいいよ』



 叔母さんの長い話が終ったとき、長らく忘れていたはずの幼い奈緒の表情や声音が驚く
ほどリアルに目の前に浮かんだ。僕はそのとき僕を心配してくれている明日香ではない女
の子を思い浮かべたことに罪悪感を感じたのだった。
325 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/12(金) 00:30:31.07 ID:s/mXof6Yo

今日はここまで。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。
326 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/12(金) 00:32:30.91 ID:ljpKtLgAo
乙!
どうなるか気になる…………待つぜ!
327 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/12(金) 06:50:41.09 ID:2ng9YrrSO


まあ女神のほうは時系列がぁゃιぃからな…
328 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/12(金) 07:39:07.49 ID:FP/OFPkPo
329 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/12(金) 22:11:09.42 ID:aa9Dy9Po0
両方読んでるぜ

330 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:25:10.42 ID:p6U3xssZo

「あんたと奈緒ちゃんが結城さんと元奥さんにそれぞれ引き取られてからも、結城さんは
年に二回奈緒ちゃんと会っていたのよ」

「叔母さん!」

 明日香が叔母さんの言葉を遮った。

「何よ明日香。うるさいなあ」

「いや・・・・・・大丈夫だから続けて」

 僕は明日香を遮った。

 その話がどういう風に展開するかはだいたい予想がついていたけど、ここまで来たら教
えてくれることなら何でも知りたい。目をつぶって耳を塞いでいてもナオを失った痛みは
消えないのだ。それなら今まで闇の中にかすんでいた記憶に灯りを当てたとしても、辛さ
にはたいして変りはないだろうと僕はその時考えたのだ。

 僕は明日香の心配そうな顔を見て笑いかけた。

「叔母さんの話を聞きたいんだ。いいかな」

「だって・・・・・・。お兄ちゃん大丈夫なの?」

「おまえがいてくれるなら。多分」

「わかったよ」
 明日香は諦めたように叔母さんを見た。「続けてあげて」

「じゃあ話を続けるか」

 叔母さんはちらりと僕と明日香の握り合って手を眺めた。その顔にはほんの少しの間だ
け微笑みがよぎったようだった。

「何を言いたかったって言うとね、そろそろ奈緒ちゃんがどこまで知っていてどういうつ
もりであんたと付き合出だしたのということを考えてもいいんじゃないかな」

「絶対悪意があったに決まってるよ、あの子には」

「まあ最初から決め付けないで少しづつ考えていこうよ」

「うん。今はまだ何にも決め付けたくない」

 僕は二人に言った。明日香がこれみよがしにため息をついてみせた。
331 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:25:39.48 ID:p6U3xssZo

「あんたと奈緒ちゃんのことは、あの後明日香から詳しく聞いたよ」

「うん」

「幼い頃に生き別れた実の兄妹が悲劇的な偶然でお互いに血が繋がっているとは知らずに
出合い恋に落ちた。奈緒人、あんたそれを本気で信じられる?」

「・・・・・・よくわからないよ」

「あんたには家族に関する知識も昔の記憶もなかったけど、奈緒ちゃんは一年間に二度、
少なくても八回は結城さんと会っている。結城さんに聞いたことはないけど、結城さんと
奈緒ちゃんがいつもいつもお互いの近況や世間話ばかしてたわけじゃないでしょ」

「奈緒ちゃんが自分の生き別れたお兄さんのことを知りたがったって何にも不思議はない
よね。ましてやあんなに慕っていたあんたから無理矢理引き裂かれるように別れさせられ
たのだし」

「まあ、奈緒は真っ先にお兄ちゃんのことを聞いたでしょうね」

 明日香が呟いた。

「うん。多分明日香の言うとおりだよ。奈緒人、たとえあんたと奈緒ちゃんの出会いが偶
然の出来事だったとしても、その・・・・・・奈緒ちゃんと仲良くなったらお互いのことを質問
しあったりしたんでしょ?」

「うん。それはそうしたよ」

「お互いに名前も名乗ったんでしょ。そして鈴木奈緒という名前にはあんたは聞き覚えは
なかっただろう。でもあんたの名前を聞いた奈緒ちゃんはその時どう思ったのかな」

 彼女はその時いったい何を考えたのだろうか。僕と違ってナオは僕の名前を忘れずにい
た可能性もあるし、あるいはそれを忘れてしまっていたとしても叔母さんの言うとおりナ
オが父さんから僕のことを聞きだして僕の名前を知った可能性もある。どちらにしてもお
互いに名乗りあったその時には、ナオは僕が実の兄である可能性に思い当たったはずだっ
たのだ。

 僕はフラッシュバックを気にしながら恐る恐るそのときのナオの反応を思い出してみた。
明日香がぴったりと僕に密着していてくれるせいかパニックを起こすことはないようだ。



『ナオって漢字で書くとどうなるの?』

『奈良の奈に糸偏に者って書いて奈緒です・・・・・・わかります?』

『わかる・・・・・・っていうか、僕の名前もその奈緒に最後に人って加えただけなんだけど。
奈緒人って書く』

『ナオトさん、運命って信じますか』
332 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:26:10.93 ID:p6U3xssZo

 こうしてあの時のことを思い出すと、やはりナオは僕の本名に特別に反応していた様子
はなかった。ナオが僕の本当の妹であることがわかった今では、ナオの悪意の有無なんて
考えたってどうしようもないのだけど、それでも僕は少しだけほっとしていた。

「あの時のナオは別に驚いている様子はなかったよ。多分僕のことや本名とかも知らなか
ったんじゃないのかな」

 叔母さんが何か言おうとしてためらった。その間に明日香が喋りだした。

「あるいは最初から自分が誘惑した相手がお兄ちゃんだと知っていたのかもね。それなら
お兄ちゃんの本名なんて知っていたのだろうから驚いたりもしないでしょ」

 僕は不意打ちを食らい黙ってしまった。確かにナオに悪意がある前提で考えれば、ナオ
の反応は全て合理的に解釈できるのかもしれないのだ。

 このあたりまでくると僕もそろそろ自分を納得させなければいけない状況になってきて
いた。

「客観的に言うとさ。明日香の言うことの方に理があるかな」

 叔母さんが言った。

「でも、ナオにとってどんな得があるんだよ。実の兄と知って僕を誘惑したって、叔母さ
んも明日香も言いたいみたいだけど、言ってみれば僕とナオは二人とも被害者でしょ。ナ
オには僕に対してそんなことを仕掛ける理由がないよ。それとも僕が知らない何らかの理
由でナオは僕のことを恨んでいるとでも言うの?」

「さあね。それはあたしにはわからない。十年近い間あんたと引き剥がされた奈緒ちゃん
がいったいどんな生活を送っていて何を考えていたかもわからないんだからね」

「じゃあナオの意図については、結局はわからないということになるよね」

「今はまだね。あともう一つ気になるのは何であんたの本当の母親があんたと一度も面会
しようとしなかったってことだね」

 叔母が突然ナオの意図から話を変えたので僕は少し戸惑った。

「ただ会いたくなかったからじゃないの」

 平静を装ってそうは言ったけどその時僕の胸は少し痛んだ。

「親権をめぐってあれだけ争っていたのよ? あの人は奈緒ちゃんだけじゃなくてあんた
にも執着していいたはぜでしょう」

「でも現に僕はその人と会うことはなかったし、去年両親から聞かされるまでは母さんと
明日香が自分の本当の家族だって思っていたくらいだし」
333 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:27:27.49 ID:p6U3xssZo

「まあ、そもそもそれが不思議なんだけどね」

「それって?」

「奈緒人。あんたは明日香が思っているほど記憶力に乏しいとか忘れっぽいとかそんなこ
とは絶対ないよ。あたしはあんたと付き合ってきているからよくわかるけど、むしろ記憶
力がないのは明日香の方だね」

「叔母さんひどいよ」

 明日香がその場を茶化すように言った。その気持ちは嬉しかったけど、叔母さんも僕も
少しも笑えなかった。

「それなのに明日香さえ覚えているようなことを忘れてしまっているでしょ。幼い子ども
にとっては両親の離婚とか仲のよい妹との別離とか忘れるどころかトラウマになったって
不思議じゃないのに」

「さっき叔母さんが言っていた自衛本能みたいなやつなのかな」

「さあ。それならまだいいんだけどね」

 叔母さんは大分食べ残したナポリタンの皿を押しやって左手の時計をちらりと眺めた。

「そろそろ行かないとね。あたしが話せることはこれくらいで全部だし」

「うん。忙しいのにありがとう叔母さん」

 叔母さんの話を聞いたことによって少しも楽になったりはしなかったし、むしろもやも
やした感じが増幅していのだけど、それでも僕は叔母さに感謝していた。

「・・・・・・元気出せ、奈緒人。こんなことに負けるんじゃないよ。あたしも明日香もあんた
の味方だからね」

 叔母さんはそう言った後に、最後に一言言って話を締めくくった。

「そろそろ結城さんと真面目に話し合った方がいいかもね。あたしより言い辛ければ奈緒
ちゃんとのことは伏せたっていいんだし」
334 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:28:28.74 ID:p6U3xssZo

 今日は学校は半日しかなかったのに結果的には僕にとっては長い一日になってしまった。
さっき兄友と女さんに明日香と手をつないでいるところ不思議そうに見られて戸惑いを感
じたことが随分昔のことのように思えてくる。

 今こうして帰りの電車の中で並んで座っている僕と明日香を兄友たちに見られたとした
ら、さっきのように見過ごしてくれることすらないかもしれない。明日香は叔母さんと別
れて集談社のビルから出た途端、どういうわけか僕の手を離した。

 その時僕はすごく心細く感じたのだけどそれは一瞬だけだった。僕の手を離した明日香
は再び手を握りなおした。今度は恋人つなぎだった。僕はナオとだってこんな風に手をつ
ないだことはない。

「おい」

「いいから」

 明日香が思わず引っ込めようとした僕の手を捕まえた。

「お兄ちゃん、無理しないでいいよ。いろいろこないだから展開も急だったし不安なんで
しょ?」

「確かにきついことはきついけどさ」

「じゃあ遠慮しないであたしに頼りなよ」

 電車を降りて夕暮れの住宅街を自宅に向かって歩いているときも、明日香は僕にぴった
りと寄り添ったままだった。僕は安堵感と同時に罪悪感が膨れ上がっていくのを感じた。

 やがて僕たちは真っ暗な自宅の前に帰ってきた。

「あのさあ」

 僕は今まで以上に僕のそばに寄り添ってきた明日香に言った。今、明日香を失ったら僕
はどういう状態になるのかわからない。その恐れは僕の中に確かにあったのだけど、いつ
までも妹を僕の犠牲にするわけにはいかないのだ。

「おまえもあんまり無理するなよ」

「え」

 明日香が僕の言葉に凍りついた。僕の手を握る明日香の手に込められた力が弱々しくな
っていく。

「確かに今の僕は情けない兄貴だし、明日香に頼って何とか心の平穏を保っている状態な
のはわかっているんだけどさ」

「だ、だったらもっとあたしに頼っていいよ。言ったじゃん? あたしはもう二度とお兄
ちゃんを一人にはしないって」

「おまえには無理をして欲しくないんだよ。父さんのためにも母さんのためにも」

「お兄ちゃん・・・・・・何言ってるの」

「おまえはずっと僕を守ろうとしてくれてたんだろ? 僕がナオと付き合い出したのを知
ったときから」

「そのためにおまえ、彼氏とも別れて友だちとも縁を切ったりしたんだろ」

「お兄ちゃん」

「・・・・・・おかしいとは思っていたんだ。あれだけ僕を嫌っていたおまえが、僕のことを好
きだって言ったりいきなりその・・・・・・キ、キスしたりとかさ」

「それは」

「・・・・・・僕の気持ちをナオからおまえに向けさせようとしてくれていたんだね。真実を知
ったときに僕があまり傷つかないように」

 明日香が驚いたように目を見開いた。
335 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:29:38.94 ID:p6U3xssZo

「おまえの気持ちはよくわかったよ。ありがとな」

「お兄ちゃん・・・・・・」

「もう大丈夫だから。もう僕のことなんか好きな振りをしてくれなくても平気だからさ」

「何言ってるの?」

「何って。おまえは僕がナオのことを忘れられるように、僕のことが好きな振りをしたり
そのために彼氏と別れたりとかしてくれたんだろ?」

 明日香が僕の手を離した。そして泣き笑いのような複雑な表情を見せた。

「・・・・・・・鈍いお兄ちゃんにしてはよく見抜いていたんだね」

「まあね」

「あたしさ、お兄ちゃんにまだ謝っていないの」

「謝るって?」

「今までお兄ちゃんのことを一方的に嫌ったり辛く当たったりしてごめんなさい」

「・・・・・・うん」

「あたしさ。何かママとパパがお兄ちゃんのことばっかり大切にしているように思って面
白くなくて」

「うん。わかってる」

「でもね。でも・・・・・・そうじゃないんだ」

 明日香はやがて泣き出した。

「・・・・・・どういうこと?」

「あたし気がついたんだ・・・・・・ナオがお兄ちゃんのことを誘惑してるってわかったとき
に」

「気がついたって?」

「あたし以外の女にお兄ちゃんが傷つくのがすごく嫌だって。本当にお兄ちゃんのこと嫌
いだったら、誰がお兄ちゃんを傷つかせたって関係ないはずなのにね」

「・・・・・・うん」

「お兄ちゃんの言うとおり、あたしは最初は自分だけがお兄ちゃんの味方をしなきゃと思
った。これまで辛く当たったってこともあるけど、お兄ちゃんにはあたししか味方がいな
い。少なくともナオとのことを知っていてお兄ちゃんを守れるのはあたしだけだっておも
ったから」

「それはわかったよ。でも、もういいんだ。僕のことでおまえが彼氏と別れたり、無理し
てずっと僕の隣にいてくれなくてもいいんだ。そんなことをされると僕のほうが辛く感じ
るよ」

「そうじゃないの!」

 明日香が泣きながら言った。

「確かに最初はお兄ちゃんが言うように義務感からだった。お兄ちゃんを守れるのはあた
しだけだと思っていたし、あたしはお兄ちゃんを奈緒から守るためならお兄ちゃん好みの
女にもなるしイケヤマとだって別れてもいいと考えた」

「でも今は違うの」

 明日香は必死な声で言った。

「違うって何が?」

「あたしお兄ちゃんを好きな振りをして、お兄ちゃんをあたしの方に振り向かせようとし
ているうちに気がついちゃったの。奈緒のこととか関係なくてもあたしはお兄ちゃんが好
きなんだって。あたしにとってお兄ちゃんは運命の人なんだって」

 裸で抱きついてきたりいきなりキスしてきたり僕のベッドに潜り込んできた明日香だけ
ど、ここまで真剣な顔で彼女に見つめられたのは初めてだった。

 僕が間違っていたのだろうか。ひょっとしたら以前の嫌がらせも含めて、最初から明日
香は僕のことを異性として愛していたのだろうか。
336 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/15(月) 23:30:53.96 ID:p6U3xssZo

「それは明日香に都合がよすぎる話だよね」

 その時、自宅の玄関前の暗がりに立っていたらしいユキの声がした。

 ユキはが暗がりから道の方に出てきたせいで街灯に照らされた彼女の白い顔がぼんやり
と浮かび上がった。

「明日香、それにナオトさんも今晩は」

 ユキが笑って僕たちにあいさつした。
337 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/15(月) 23:31:24.54 ID:p6U3xssZo

今日はここまで。

お付き合いいただきありがとうございます。
338 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/16(火) 00:07:10.19 ID:GmqBMPJk0
いい引きすぎ続きが気になるー
339 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/16(火) 01:13:44.60 ID:OlS85osDO
こわっ!W

しかし一体誰がビッチなんだ…
340 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/10/16(火) 01:25:34.00 ID:EJn3gSGc0
ユキ怖い怖いwwwwww
乙でした
341 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/16(火) 15:21:14.51 ID:ewdNM3Nao
342 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/16(火) 17:32:22.18 ID:2zsFCqWlo
343 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/16(火) 21:47:10.70 ID:bHYqfEBl0
ユキ、こわー

続き待ってるからね!
344 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/16(火) 23:34:16.25 ID:Xao6kbmSO
ユキ「今あなたの家の前にいるの」
345 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/17(水) 23:27:04.23 ID:jCLNtfmIo

 三十分も明日香の家の前で待っていたかいがあった。日が暮れてそろそろこのまま二人
を待っているのも限界かなと思ったとき、あたしは坂道を寄り添って歩いてくる明日香と
ナオトさんを見つけた。

 手をつなぎぴったりとお互いに身を寄せ合っているその姿は、少なくともあたしには普
通の兄妹のようには見えなかった。人の趣味や性癖はさまざまだし、兄妹の恋愛だって当
事者同士が納得しているのなら他人がとやかく言うことではない。

 自分だってある意味マイノリティな趣味を持っているということをあたしも自覚してい
たから、それが単なる知り合いの兄妹がそういう特殊な関係になったというだけならあた
しは黙って彼らの幸運を祈るだけだったと思う。

 でもそれが明日香とナオトさんのことであれば事情は異なる。

 ナオトさんはあたしが一方的に愛情と憎しみを抱いている奈緒の彼氏だ。

 奈緒がナオトさんと別れること自体はあたしにとっては色々な意味で望むところだけれ
ど、その原因を明日香が意図的に作ったということであれば、それを見過ごすわけにはい
かない。

 知り合って以来、明日香は明らかにあたしに対してナオトさんと付き合うようけしかけ
てきた。そのこと自体はあたしが抱いている目的の達成にはむしろ好都合だったから、あ
たしは明日香の仕掛けにかかった振りをしていた。

 あたしは明日香にけしかけられるままにナオトさんと一緒に年末の買物に行ったり、ナ
オトさんに恥かしい告白をする振りをしたりもした。

 でも、あたしは自分のことを誰かに利用されたり、こけにされたりすることは大嫌いだ。
これまでだって学校の友だちを含めてそんなことを許したことは一度もない。そういうこ
とを仕掛けてきた子はこれまでにも他にいたけれど、その子たちには今までだって受けて
しかるべき罰を受けさせてきたのだ。

 あたしにとって例外である奈緒を除いては。

 やがて家の前まで来た二人は立ち止まって何か深刻そうな話を始めた。街灯で家の前の
通りの方が明るかったせいか、それとも周囲を気にする余裕もないのか、明日香もナオト
さんもあたしが彼らの自宅の前の暗がりに立っていることには気がつかなかったようだっ
た。

 あたしの方からは気持悪いことにお互いに手を恋人つなぎをしながら何かを囁きあって
いる二人の姿がはっきりと見えた。あたしはその話を気が付かれずに聞き取ろうと思った
けれど、二人はお互いに密着した距離で声をひそめて話していたためその内容まではわか
らなかった。

 あたしが二人の話を聞くこと諦めて声をかけようと思ったとき、明日香の声が突然大き
くなった。少し離れているあたしにもはっきりと届くほど。それはもはや泣き声だった。
346 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/17(水) 23:31:20.67 ID:jCLNtfmIo

「あたしお兄ちゃんを好きな振りをして、お兄ちゃんをあたしの方に振り向かせようとし
ているうちに気がついちゃったの。奈緒のこととか関係なくてもあたしはお兄ちゃんが好
きなんだって。あたしにとってお兄ちゃんは運命の人なんだって」

 これは明日香のナオトさんへの、自分の実のお兄さんへの告白だった。あたしは黙って
その茶番劇を聞いているべきだったのだ。でもそのときのあたしを、あたしを一方的にけ
しかけておいてその一方ではナオトさんに図々しく告白している明日香に我慢できなくな
ってしまったのだった。

「それは明日香に都合がよすぎる話だよね」

 あたしは玄関先の暗がりから二人が立っている住宅街の小さな坂道の方に出ていった。
このときようやく二人はあたしがこの場にいたことに気がついたようだった。

「明日香、それにナオトさんも今晩は」

 二人は驚いたようにあたしを見た。それから慌てたようにお互いの手を離した。

「どうしたの? 明日香、大丈夫」

 あたしの方もさっきは無意識に自分を失って本心を声に出してしまっていたのだけど、
立ち直りは突然現われたあたしに驚くこの二人よりは早かったようだ。

「有希、いつからいたの」

 ようやく我に返ったらしい明日香があたしを見た。

「三十分くらい前からいたよ。ちょっと用があって待ってたんだけど」

「あの・・・・・・あのさ。あたしたちが喋ってた話、聞こえてた?」

 明日香が震える声であたしに聞いた。やっぱりこの子はこれだけの子だったのだ。あた
しは少し安心した。あたしは明日香の言葉に腹を立てて彼女を責めるようなことを口にし
まっていた。あの言葉を冷静に聞かれていたらあたしは明日香には相当警戒されていただ
ろう。でも明日香はあたしの言葉に悩むどころではないようだった。

「ううん。誰かが来たなあって思ってぼうっとしてたら明日香とナオトさんだった。帰ろ
うかと思っていたところだから都合がよかったって言ったんだけどさ。ちょっと時間あ
る?」

 明日香は目に見えて安心したようだった。それでも彼女にとっては大切な告白タイムを
あたしが邪魔したことには違いがなかったようだ。

「えと、ごめん。ちょっと家族の悩みの話とかあってさ。またメールで話すんでもいいか
な」

 今日は明日香にというよりはナオトさんがなぜ奈緒に会わなくなったのかを聞き出さな
ければいけなかった。明日香の告白を聞いてだいたいの理由は察しがついたような気もす
るけれども。

「すぐに済むと思うよ。ナオトさんに聞きたいことがあるだけだから」

 あたしはナオトさんに声をかけた。ナオトさんの方は真剣な目であたしの方を見ていた。
347 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/17(水) 23:35:13.65 ID:jCLNtfmIo

 それで、明日香の単純な反応に安堵していたあたしは再び警戒心を取り戻した。ナオト
さんは見た目ほど単純な男の子ではないのかもしれない。

 あたしはこれまで呑気で世間知らずだと思っていたナオトさんの印象を改めて見直した。
彼は実の妹から告白されている異常な環境下にあっても、さっきのあたしの失言を聞き逃
していなかったらしい。

 いろいろとまだ言うべきときじゃないんじゃないかと思えることではあるけど、この先
の話の成り行きしだいでは仕方ないかもしれない。奈緒の状態を考えると、あたしだって
あまりこの二人には遠慮もしていられないのだ。それにあたしは明日香には貸しこそあれ
借りはないのだし。

 明日香なんかどうなろうとあたしの良心は少しも痛まない。

「ナオトさん」

「うん」

 彼はあたしが何を言おうとしているのか既に察しているようだった。あたしは奈緒の親
友ということになっていたからそれは不思議なことではない。

「お二人は家族の問題とやらで忙しいみたいだから時間を取らせちゃ悪いよね。だからは
っきりと言うけど、ナオトさんは奈緒ちゃんの彼氏だっていう自覚はあるの?」

 ナオトさんは答えなかった。

「有希には関係ないでしょう」
  あたしの質問に慌てたように明日香が割って入った。「そんなのはお兄ちゃんと奈緒
の間の話じゃない。何で有希がそんなことを聞くのよ」

「奈緒ちゃんに頼まれたの。今の彼女、ぼろぼろで正直に言って見ていられなかったし。
ナオトさんに突然会えなくなって連絡もなくなってさ。奈緒ちゃんが今どういう状態なの
か、ナオトさんはわかってる?」

「・・・・・・有希にはわからないことだってあるんだよ。お兄ちゃんにだって事情があって」

「ちょっと黙っていてくれるかな」
 あたしは冷たく明日香に言った。「あたしは今はナオトさんに聞いているんだけど」

「君には詳しくは言えないけど、もう僕はナオと付き合わない方がいいんだ。その方がナ
オのためでもあると思う」

 ナオトさんが言った。

 何を自分に都合のいいことを。自分の実の妹の誘惑に負けて明日香の方を選んだという
だけの話じゃないの。あたしはそう思ったけど、ナオトさんの表情には罪悪感はなかった。
むしろもっともどかしく歯がゆくて、それでも運命に諦観しているような表情を浮かべて
いる。これが演技だったら役者並みの演技力だ。

 この辺であたしはナオトさんの真の意図がわからなくなっていた。奈緒がナオトさんに
振られたこと自体はあたしにとってはどちらかというと望ましい。奈緒は悩むだろうけど
あたしは奈緒を慰めてあげる自信はあった。

 だからここで話を打ち切って、奈緒には残念なお知らせを慎重に話すことにしてもよか
ったのだ。
348 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/17(水) 23:39:11.13 ID:jCLNtfmIo

 でもあたしにも好奇心はあった。奈緒のこととは無関係でれば、明日香とナオトさんな
んかには本来は全く興味がなかったあたしだけど、奈緒がらみなら話は別だ。このままで
はどういう理由でナオトさんが奈緒を振る気になったのか判然としない。

 それに明日香があたしを利用しようとしていったことは確かだったから、ナオトさんが
奈緒を振る理由が明日香の誘惑にに心を奪われたということであれば、相応の罰を明日香
に下しておかなければ、明日香に利用されかかったあたしの気が済まない。

「確認するけど、ナオトさんはもう奈緒ちゃんと付き合い続ける気はないのね」

「うん。そうだよ」

 相変わらずの表情だったけどナオトさんの言葉は明瞭だった。

「それでその理由を奈緒ちゃんに話す気すらないと」

「その方が彼女のためだから」

「何言っているのかわからないけど。そっちがそういう態度ならあたしにも言いたいこと
があるんだけど」

 あたしはついにそれを口にした。

「奈緒ちゃんを振った理由ってまさか明日香と付き合うからじゃないでしょうね」

 ナオトと明日香は顔を見合わせた。街灯しか照明がない薄暗い景色の中だけど、その時
明日香の顔が真っ赤に染まったのをあたしは見た。

「やっぱりね。あたしは兄妹の禁断の告白タイムを邪魔しちゃったのか」

 あたしは明日香をあざ笑うように言った。

「ちょっと有希、いい加減にしなよ」

 明日香の声に怒気が感じられた。そう言えばこの子はちょっと前まで不良じみた格好を
してイイヤマたちとつるんでいたんだっけ。あたしはイイダたちがピアノ教室の帰りに奈
緒ちゃんに絡んでいたことを思い出した。

「ねえ明日香ちゃん」
 あたしは猫なで声を出した。ちゃんづけまでして。「明日香ちゃんはあたしに言ってく
れたこと覚えてる? 多分ナオトさんには秘密だったんだろうけど」

 明日香が狼狽したようにナオトさんの顔を見た。何かを言おうとしたけど結局は黙った
ままだ。やはりあたしはこの子を買いかぶりすぎていたらしい。

「あたしの方が奈緒ちゃんよりナオトさんの彼女にふさわしいってしつこいくらいあたし
に言ってくれたよね? あとナオトさんにメールしろとかおせち料理の買出しにかこつけ
てナオトさんとデートしろとかさ」」

 ナオトさんは一瞬動揺したように見えたけど、すぐにその表情を押し殺した。
349 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/17(水) 23:48:40.71 ID:jCLNtfmIo

「あたしを利用してまで、ナオトさんと奈緒ちゃんを別れさせた理由って何? あたしは
別に怒ってはいないよ。あたしには話せない事情があるみたいだし、明日香ちゃんがナオ
トさんと奈緒ちゃんのためならあたしが傷付いてもしかたないと判断したんだったら、あ
たしは辛いけど明日香ちゃんを恨んだりはしない」

 明日香はうつむいたまま一言も反論しなかった。できないのだろう。どんな理由にせよ
彼女はあたしが傷付くことなんか少しも考慮せずに身勝手な自分の計画にあたしを巻き込
んだだけなのだろうから。

「でも、これだけは聞かせて。まさかとは思うけど、奈緒ちゃんをナオトさんから別れさ
せようとした理由って、明日香ちゃんがナオトさんのことを好きだったからじゃないよ
ね?」

 明日香は追い詰められた小動物のようにナオトさんの方を、何か訴えるように見た。ナ
オトさんは相変わらず表情を押し殺して黙っている。

 その時、明日香は突然身を翻して駆け去って行った。彼女にとってはあたしが責める言
葉よりナオトの沈黙が堪えたようだった。明日香は自宅ではなく駅前の方に向かって去っ
て行った。明日香の反応が思ったより激しかったことにあたしは少し驚いたけど、これも
いい機会なのかもしれなかった。

「じゃあ、あたしは帰るね。さよならナオトさん」

 身じろぎせずに立ち尽くしているナオトさんにあたしは挨拶した。

 あたしの家はナオトさんたちの自宅から近い場所にある。あたしは帰宅して自分の部屋
にこもると携帯電話を取り出した。ここまで明日香の悪意が明確になった以上、あたしに
はもうあのビッチに対して遠慮する理由はなかった。

 奈緒よりも今は明日香の後始末を、あたしと奈緒をコケにしたあの女の後始末をするこ
とが優先だった。奈緒にはその後で電話すればいい。

 数コールで彼は電話に出た。

「あたしだけどさ。あんた今どこにいるの」

「また飲んでるんだ。酔ってないでしょうね」

「そう。それならいいや。今、明日香が駅前の方に逃げて行ったからさ、あの子を捕まえ
て慰めるなり何なりしてみたら?」

「自信がない? そんならもう無理矢理やっちゃえばいいじゃん。前から明日香に待たさ
れて彼女を抱くの我慢してたんでしょ? あの子はあんたなんかに気はないよ。ナオトさ
んのことしか好きじゃないみたいだしさ」

「何ならイイダとかも呼んでみんなで輪姦しちゃえば? 今のあの子ってあんた好みの真
面目そうな中学生の女の子の格好してるしさ」

「わがままだなあ。最初は一対一がいいの? だったらすぐに駅前に行けよ。言っておく
けどあんなビッチに同情する必要なんかないよ。あの子はあんたなんかこれっぽちも見て
ない。ただ自分に都合よく利用することしか考えていないんだしさ」

「ああ、それを知りたいのね。じゃあはっきり言うけど明日香が好きなのはあんたじゃな
いよ。あの子は自分の兄貴のことしか頭にないんだから」

「うん、そう。兄貴はついていっていないから、明日香は一人だと思うよ。じゃあ頑張れ
よ、ようやくあんたの思いがかなうんだからさ」

 あたしはイケヤマへの電話を切ってから、今度は少し緊張しながら新たに電話をかけた。
奈緒はまだ起きているだろうか?
350 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/17(水) 23:49:16.06 ID:jCLNtfmIo

今日はここまで。
お付き合いくださっている方に感謝を。

また投下します。
351 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/18(木) 00:07:37.90 ID:czT/lqOEo
有希はそっち系か
352 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/18(木) 00:32:11.57 ID:ldObDPye0
こりゃまた、続きが気になるあぁ
353 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/18(木) 00:36:54.09 ID:jixNuygmo
354 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/18(木) 11:01:16.98 ID:Mcgl1ABb0
女神と同じくBADENDしか想像つかない
おつかれー
355 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/19(金) 01:54:45.68 ID:T/T5k6iLo
女神はまだ終わらないの?
356 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/19(金) 21:42:02.26 ID:SUTHSjFDO
なんだか有希を応援したい
明日香は・・・まあいいかw
357 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:00:37.68 ID:qeBzAYhpo

 その晩、結局明日香は帰って来なかった。明日香の帰宅が深夜になること自体は今まで
だって珍しいことではない。特に両親が泊まりで帰宅できないとわかっていたときには頻
繁にあったことだった。

 でも明日香が深夜に帰宅しないのは、いい妹になると僕に宣言してから初めてのことだ
った。得体の知れない不安を感じた僕は以前と違ってさっさと一人で就寝することもせず、
リビングでひたすら彼女の帰りを待った。

 さっきユキが曝露した話、明日香がユキに対して僕と仲良くなるようけしかけていたと
いうのは初耳だった。ユキはどうも僕がナオに連絡しない原因が明日香にあると思い込ん
でいるようだ。その腹いせのためナオは明日香が僕に黙ってユキに対して働きかけていた
事実を曝露したのかもしれない。

 ユキがそのことを聞かされた僕からどんな反応を期待したのかはわからない。

 でも実は僕は少しも動揺しなかった。ユキに対しては悪いことをしたとは思う。でも明
日香のその動機は僕の気持ちをナオから離すことにあったはずで、そのきっかけは僕が好
きになるのが自分でもユキでもどちらでもいいと彼女は考えたのだろう。

 だからユキには申し訳ないとは思ったけど、それを仕掛けた明日香に対しては感謝の思
いしか感じなかった。

 それでも明日香はユキの言葉にショックを受けたようで、明日香に利用されたユキの腹
いせというか復讐は、少なくとも明日香に対しては功を奏したようだった。

 明日香のことが心配だ。携帯に電話しても出てくれない。リビングでうろうろしながら
ずっと彼女を待っていた僕は、日が変わる頃になってついに明日香の帰宅を待つことを諦
め、夜中に一人眠りについた。

 翌朝になって、開け放されたドア越しに明日香の部屋を見ても階下に降りても明日香の
姿は見当たらなかった。さすがに不安になった僕は立ちすくんで考えた。

 明日香の僕に対する告白については昨日の彼女の様子を見ると、もはやあいつのいつも
の気まぐれだと片付けるわけにはいかない。明日香の僕への想いはいよいよ本気で考えな
ければいけないようだ。

 でもそんなときに、僕とナオのトラブルやユキの感情の暴発みたいなことが同時に生じ
た。整理が追いつかないほど色々な出来事があり、その上ナオに関しては心情的には致命
的と言っていいほどの傷を負ったのだ。今は考えないようにしているだけで、これは爆弾
を抱えて生きているのと同じ状態だった。

 明日香に対しては責任ある態度を示してあげなければいけないのだろうけど、そもそも
自分の彼女のナオに対してさえ、僕は無視する態度以外には何もできなかったのだ。

 とにかく学校に行こうと僕は思った。ここで明日香を待っていても妹が帰ってくる保証
はない。

 それにしても、いったいあいつは今どこで何をしているのだろう。
358 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:01:08.99 ID:qeBzAYhpo

 駅に向かう途中の高架下にナオが待っていた。僕が彼女の姿を認めた瞬間にナオも近づ
いてくる僕を見つけたようだった。僕たちの視線が交錯した。

 ナオを見るのは久しぶりだった。冬休みが始まる前の最後の登校以来だ。このときの僕
の胸からは明日香のことを心配する気持ちが消え去り、頭の中にはそこに立っているナオ
にへの想いだけが溢れていった。

 やっぱりナオは可愛い。外見だけで判断するなら明日香よりもユキよりもはるかに可憐
な容姿だ。登校前なのだろう、ナオは富士峰の清楚な制服に身を包んでいた。

 逃げるわけにもいかず、僕は麻痺したような機械的な足取りでナオの方に近づいていっ
た。

「おはようございます」

 ナオが僕を真っ直ぐに見つめて言った。緊張している様子だったけど、それでも彼女は
僕から目を逸らそうとはしなかった。

「・・・・・・おはよう」

 僕は何とか彼女に返事をすることができた。感情は乱れているけれど今のところフラッ
シュバックが襲ってくる様子はなかった。

「・・・・・・途中まで一緒に登校してもいいですか」

 ナオの言葉に僕は黙ってその場にたちすくんだ。

「それとも、それすらナオトさんには迷惑ですか」

 ナオが言った。震えそう声、付き合い出したばかりの頃のような敬語。

 それは僕の中にナオのことが可愛そうでどうしようもないようなじれったい感情を呼び
起こした。でもここで気を緩めるとかえってナオを不幸にするのだ。

 ・・・・・・こういう心理的な傷を心に負うのは僕だけでいいのだ。

「何か用かな」

 僕は感情を極力抑えてナオに答えた。

「昨日の夜、有希ちゃんから電話がありました。ナオトさんはもうあたしとは付き合う気
がないって有希ちゃんは言ってました」

「そう」

「本当なんですか」

 ナオの真っ直ぐな視線が僕を捉えた。
359 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:01:52.55 ID:qeBzAYhpo

「うん。本当だよ」

 どんなに辛くてもここで誤魔化してしまったら意味がない。明日香や叔母さんは僕はも
うナオとは会わない方がいいと言った。

 僕は二人の言葉に従ったけど、僕が大晦日の夜以来これまでナオに連絡しなかったのは、
二人が心配してくれたように僕自身がこれ以上傷付くことを恐れたからではない。

 このままナオと付き合っていたら、いつか傷付くことになるのはナオだった。好きにな
って初めて付き合った相手が実の兄だということを知ったら、ナオは僕と同じく精神を病
むほどのショックを受けるだろう。

「あたしピアノをやめます。そしたら毎日ナオトさんと会えるようになりますけど、そう
したらあたしのこと嫌いにならないでいてくれますか」

 ナオが装っていた平静さは既に崩れてしまっていた。ナオの両目に涙が浮かんでいる。

「そんなことできるわけないでしょ。将来を期待されている君が突然ピアノを止めるなん
て」

「できますよ。それでナオトさんがあたしと別れないでくれるなら、今日からもう二度と
ピアノは弾きません」

「・・・・・・もうこういう話はやめよう」

 ナオだけではない。僕ももう泣きそうな気持ちだった」

「あたしのこと、どうして嫌いになったんですか? ピアノばかり練習していてナオトさ
んと冬休みに会わなかったからじゃないんですか」

 ナオが縋りつくような目で僕を見上げた。

「そんなんじゃないよ」

「じゃあせめて何であたしのことを嫌いになったのか教えてください。このままではあた
し、どうしていいのかわからない。もう何も考えられない」

 ついにナオは泣き出した。

 結局こうなるのだ。

 でも自分が僕の妹だとわかるよりも、理由もわからず不誠実な初恋の相手にひどく振ら
れた方がまだましだろう。失恋の痛みはいつかは癒える。それに僕とは違って彼女には次
の恋の相手にはこと欠かないだろうし。

 僕はそう考えようとしたけど、目の前で泣いているナオの姿を見ているとだんだん息苦
しい気分になった。目の前がぼやけてくる。今目の前で泣いているナオの姿が、最近思い
出した過去のイメージに重なっていった。



『パパもママもいらないよ。僕は奈緒と二人でずっと一緒に生きるんだ。それでいいよ
な? 奈緒』

『うん。ママなんか大嫌い。お兄ちゃんがいいよ。お兄ちゃんだけでいいよ』



 泣きながらそう言って僕にしがみつく奈緒。それはナオじゃなくて奈緒だ。

 目の前で泣いているのは、母親に放置されて辛い思いをした挙句、大人たちの都合で僕
と二度と会えないかもしれないことを知ったあの悲しそうな表情の奈緒だった。そして僕は
そのとき奈緒を救えなかった。

 その僕が再び奈緒を傷つけることになったのだ。
360 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:02:28.93 ID:qeBzAYhpo

 再びフラッシュバックが訪れたことに僕は気がついて狼狽した。目の前が真っ白に光っ
て何も見えなくなる。続いて僕の方を見て泣き叫びながら母親に抱かれて遠ざかっていく
奈緒の幼い姿が目に映る。


 次に僕は明日香の姿を見た。裸で僕に抱き付こうとしている僕の妹の明日香。

『ねえ。これでもあたしってガキなの?』

『あたしを見てどう思った?』
『何言ってるのよ。本当の兄妹じゃないじゃん。それにそんなことは今関係ないでしょ』


 叔母さんの狼狽したような声。

『奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?』

『鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに』


 そして最後にユキの冷たい表情が目に浮かぶ。

『確認するけど、ナオトさんはもう奈緒ちゃんと付き合い続ける気はないのね』

『それでその理由を奈緒ちゃんに話す気すらないと』


 その場に屈んで頭を抱えながら必死で辛い連想に耐えていた僕もこの辺が限界だったよ
うだ。僕は意識が遠ざかっていくのを感じた。それはそのときの僕にとってはむしろ福音
であり救いでもあった。



 気がつくと僕は高架下のコンクリートの路面に横になっていた。体はコンクリートの冷
たさで冷え切っているようだけど、僕の顔は路面ではなく奈緒の柔らかい膝の上に乗って
いた。

 奈緒の両手が僕の体に回されていた。冷たい路面に座り込んで膝枕しながら、上半身を
屈めるようにしっかりと僕を抱きかかえている奈緒の顔は驚くほど僕から近い距離にあっ
た。

「大丈夫?」

 奈緒が僕を抱く手。明日香が同じことをしてくれた時よりも心が安らいだ。

「気持悪くない?」

「僕はどのくらい気を失ってたの?」

「ニ、三分かな」

 では僕が気を失っていたのはほんのわずかの間だけだったらしい。

 僕は体を起こそうとしたけど、奈緒が僕を抱く手に力を込めたので僕は再び体から力を
抜いて横たわった。
361 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:03:21.13 ID:qeBzAYhpo

「さっき自分が何て言ったか覚えてる?」

 どういうわけか先ほど見せた涙の欠片もなく穏やかな表情で奈緒が話し出した。僕は奈
緒に抱かれたまま考えた。

「全然思い出せない。いろんなことが頭には浮かんだんだけど」

「そうか」

 奈緒の様子がおかしかった。それは別に不安になるような変化ではない。でもさっき僕
に振られたと思って泣いていた奈緒とは全く違う表情だった。

「あたし、びっくりした。さっきお兄ちゃんはこう言ったんだよ。『パパもママもいらな
いよ。僕は奈緒と二人でずっと一緒に生きるんだ』って」

「そんなこと言ったのか・・・・・・」

「うん。あたし今まで気がつかなかったの。でもそれを聞いてすぐにわかった。あたしは
ようやくお兄ちゃんに会えたんだね」

「奈緒」

「お兄ちゃん会いたかった」

 奈緒が僕を抱く手に再び力を込めて幸せそうに微笑んだ。

 僕はまるで夢を見ているようだ。それは覚めることのない夢だ。

「ずっとつらかったの。お兄ちゃんと二人で逃げ出して、でもママに見つかってお兄ちゃ
んと引き離されたあの日からずっと」

「・・・・・・うん」

「もう忘れなきゃといつもいつも思っていた。お兄ちゃんの話をするとママはいつも泣き
出すし、今のパパもつらそうな顔をするし」

「前のパパも嫌いじゃない。あまり会えないけど会うたびにあたしの言うことは何でも聞
いてくれたし」

「でも。お兄ちゃんのことだけは何度聞いても何も教えてくれなかった」

「あたしね。これまで男の子には告白されたことは何度もあったけど、自分から誰かを好
きになったことはなかったの」

「そういうときにね、いつもお兄ちゃんの顔が思い浮んでそれで悲しくなって、告白して
くれた男の子のことを断っちゃうの」
362 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/20(土) 00:04:14.93 ID:qeBzAYhpo

「それでいいと思った。二度と会えないかもしれないけど、昔あたしのことを守ってくれ
たお兄ちゃんがどこかにいるんだから。あたしは誰とも付き合わないで、ピアノだけに夢
中になろうと思った」

「でも。去年、奈緒人さんと出合って一目見て好きになって・・・・・・。すごく悩んだんだよ。
あたしはもうお兄ちゃんのことを忘れちゃったのかなって。お兄ちゃん以外の男の子にこ
んなに惹かれるなんて」

「奈緒人さんのこと、好きで好きで仕方なくて告白して付き合ってもらえてすごく舞い上
がったけど、夜になるとつらくてね。あたしにはお兄ちゃんしかいなかったはずなのに奈
緒人さんにこんなに夢中になっていいのかなって」

「それでも奈緒人さんのこと大好きだった。お兄ちゃんを裏切ることになっても仕方ない
と思ったの。これだけ好きな男の子はもう二度と現れないだろうから」

 ここまで一気に自分の胸のうちを吐露し続けた奈緒がようやく一息ついた。

「でも奈緒人さんはお兄ちゃんだったのね。あたしがこれだけ好きになった男の人はやっ
ぱりお兄ちゃんだったんだ」

 男女間の愛情とかを超越するほど、ネグレクトされていた僕と奈緒の関係は強いものだ
ったのだろうか。僕はその時混乱していた。フラッシュバックだって治まったばかっりだ
った。

 でも僕がようやく思い出したシーンにはいつも、幼い大切な妹の奈緒がいたのだ。

「・・・・・・奈緒」

「お兄ちゃん」

 奈緒が僕の顔すぐ近くで微笑んだ。

「やっと会えたね、奈緒」

「うん、お兄ちゃんにようやく会えたよ」

「・・・・・・奈緒」

「もう離さないよ、お兄ちゃん。何でお兄ちゃんがあたしを振ったのかわからないけど、
もうそんなことはどうでもいいの。あたしはお兄ちゃんの妹だし、もう二度と昔みたいな
あんなつい別れ方はしないの」

「奈緒」

 僕は両手を奈緒の華奢な体に回した。

「お兄ちゃん」

 奈緒は僕に逆らわずに引き寄せられた。

 僕と奈緒はそうして周囲を通り過ぎて行く人々を気にせず抱き合ったままでいた。

 それはもうとうに授業が始まっている時間だった。
363 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/20(土) 00:06:53.91 ID:qeBzAYhpo

今日はここまで。

来週からは今度こそ本気で「女神」に専念するので、こっちは土日の更新でしばらく投下
できなくなる予定です。

ここまでお付き合いいただき感謝です。
364 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/20(土) 00:10:17.87 ID:NAZntnk9o
365 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/20(土) 00:15:50.95 ID:lIVjwZQjo
女神を知らないこちら側からするとそれもそれで残念だ

とりあえず女神読んでみようかな おつおつ
366 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/20(土) 01:49:41.24 ID:uwsTDlkX0
良い結果にはなりそうもないな
おつかれどっちも期待してる
367 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/20(土) 19:11:21.47 ID:2z+HNmRDO
やっぱりそうだよな。

恋人が実は兄妹だったのはショックかも知れないが、ずっと会いたがってた
兄妹の再会が嬉しくないはずはない。はやくこうなっていれば、誰も傷つかずに
すんだのかもな。
368 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(群馬県) [sage]:2012/10/20(土) 21:23:27.26 ID:11Al+bI5o
明日香レイプされてるんかこれ?
369 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/21(日) 00:00:37.91 ID:Vq8Y1oH2o
女神は読むのやめちゃったから、こっち止まるのは寂しいな
370 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/21(日) 00:19:15.61 ID:i463RUoMo

>>369
頑張るからそこはそう言わんで女神も読んでやって。

明日はこっちを更新します。その後の予定は女神の進行しだいだけど、両立できるならしようと思います。

>>355
もうちょっとかかる予定です
371 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/21(日) 08:18:47.72 ID:8pcz8zoBo
このスレで女神知って全部読んだわー どちらの続きも気になります
372 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/21(日) 23:06:37.01 ID:i463RUoMo

 遅刻した奈緒がその日学校でどういう言い訳をしたのか考えると、自然と頬が緩んでき
た。中学に入ってから一度も遅刻や学校を休んだことがないと前にあいつから聞いていた
ことを思い出したからだ。きっと奈緒は先生に言い訳するのに苦労したに違いない。

 あの日以来初めて僕は心底くつろいだ気分になれた。今は放課後で僕はぼんやりと奈緒
のことを思い出しながらゆっくりと帰り支度をしているところだった。兄友は女さんの買
物に付き合うとかで早々に二人揃って教室を出て行ってしまい、教室の中はもう数人の生
徒が帰り支度をしているだけだった。

 僕が奈緒に関して心配していたことは全て杞憂だった。あれだけ悩んだ挙句、奈緒に本
当に深刻な傷をつけないために、奈緒には失恋というより小さな傷を与えることにした僕
だったけど、奈緒は僕が兄であると知って傷付くどころかすごく喜んだのだ。

 同じ事実を知ったときの僕が受けた衝撃なんか、彼女は少しも受けないようだった。そ
してその理由を考えてみると思い浮ぶことがあった。

 僕が自分の記憶を封印して妹や母親のことを全く覚えていなかったのと対照的に、奈緒
は過去の記憶を失ってはいなかったようだ。僕が思い出した過去の断片的な記憶ですらあ
れだけ切なく悲しかった。両親によって奈緒と引き剥がされた喪失感が、今再び恋人であ
るナオを失おうとしている感情とあいまって、精神に深刻な打撃を受けたくらいに。

 奈緒は過去の記憶を失っていなかった。そして兄である僕から無理矢理引き剥がされた
奈緒は、僕のことを無理に忘れようと努力しながらこれまで生きてきたのだ。それでも奈
緒は僕のことが忘れられなかった。彼氏すら作る気がしないほどに。

 それに奈緒は兄と知らずに僕と付き合い出してからも、幼い頃引き離された兄に対して
罪悪感を感じていたのだという。

 そんな奈緒のことだから自分の彼氏が兄だと知ったとき、悲しむより喜んだことについ
ては僕にも納得できる話だった。

 依然として僕が初めての彼女を失った事実には変りはない。でも僕はその代わりに妹を
失った記憶取り戻し、そして今その妹を取り戻した。何よりも恐れていたように奈緒も傷
付かずにもすんだ。

 この先僕たちは恋人同士としてはやり直しはできないけど、兄妹としてはずっと一緒に
いることはできる。それだけでも僕は心の安寧を手にした気分だった。

 久しぶりにゆったりとした気持ちで僕は教室を出た。これから奈緒を富士峰の校門まで
迎えに行かなければならない。奈緒は僕が兄だと知ったときから、かつて僕が彼氏だった
ときのような遠慮をしないことにしたらしい。

 さっき別れ際に遠慮のない口調で、放課後富士峰の校門まで奈緒に迎えに来るように言
われた僕は二つ返事でそれを受け入れたのだ。
373 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/21(日) 23:07:25.19 ID:i463RUoMo

 富士峰の校門の前でこうして奈緒を待っているのは初めてだった。以前の僕ならさっき
から校門の中からひっきりなしに吐き出されるように出てくる女子中学生や高校生の視線
を意識して萎縮してしまっていただろう。いかにも彼女を迎えに来ている彼氏のように見
えているだろうし、何よりも格好よければともかく僕なんかでは・・・・・・。

 でも待っている相手が自分の家族だというだけでこれだけ心に余裕ができるとは思わな
かった。つい最近は別にして、今まで明日香とはこういう待ち合わせをしたことがなかっ
たので妹を迎えに行くという経験自体も新鮮だった。

 僕は富士峰の歴史がありそうな石造りの門に寄りかかってマフラーを巻きなおした。今
日は大分冷え込んでいる。さっきから僕の横を通り過ぎて行く富士峰の女の子たちもみな
同じような紺色のコートを着て同じ色のマフラーを巻いている。学校指定なんだろうけど
これでは僕なんかには誰が誰だかぱっと見には識別できない。

 奈緒を見逃してはいないと思うし、迎えに来いといった以上奈緒だって僕のことを探す
だろうからすれ違ってはいないと思うけど、これでは僕のほうから奈緒に気がつくのは難
しいかもしれない。

 そろそろここに来てから三十分は経つ。奈緒に伝えられた時間を間違えたのだろうかと
考え出したときだった。

「お待たせ」

 奈緒が突然現われて僕の腕に抱きついた。突然とは言ったけどさっきから途切れること
なく僕のそばを通り過ぎていた女の子たちの中に彼女も紛れていたのだ。

「お疲れ」

 僕は腕に抱き付いている妹に声をかけた。

「うん。今日は疲れた」
 奈緒は笑顔で僕に言った。「お兄ちゃん慰めて〜」

「どうしたの」

「遅刻したの初めてだったから。先生に問い詰められて大変だった」

「登校中に気分が悪くなって駅で休んでたって言い訳するつもりだったんだろ」

「そうなんだけど担任に嘘言うのってきついね。あたし挙動不審に見えてたと思う」

 僕は抱き付いている妹に微笑んだ。

「お疲れ奈緒。じゃあ帰るか」

「うん」

 僕は奈緒に抱きつかれたままで歩き出した。何か恋人同士として付き合っていたときと
奈緒の態度はあなり変わらない。というか会話だけ取り上げて見れば奈緒が敬語で話すの
やめた分、以前より距離が縮まっている気がする。

「お兄ちゃん、歩くの早いって」

 奈緒が半ば僕に引き摺られるようになりながら笑って文句を言った。周囲に溢れている
富士峰の女の子たちの好奇心に溢れた視線が集まっているのがわかったけど、奈緒はそれ
を全く気にしていないようだった。
374 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/21(日) 23:08:09.87 ID:i463RUoMo

「そう言えば普段はユキさんと一緒に帰ってるんじゃなかったっけ」

 僕は最後に見かけたときのユキの冷静で冷酷な印象すら受けた横顔を思い出した。

「今日は用事があるから一緒に帰れないって言ってきたんだけど・・・・・・」

 奈緒は少し戸惑っているようだった。

「うん? どうした」

「うん。何か今日はあの子様子が変だった。妙にそわそわしてて、落ち着きがなくて。あ
たしが先に帰るねって言ってもちゃんと聞いてないみたいだったし」

「何かあったのかな」

「う〜ん。昨夜電話をくれたときはすごく怒っていたけど」

「・・・・・・そうだろうな」

「そうだよ。親友がひどい浮気性の彼氏に冷たく振られそうになっていたんだしね」

「おい」

 奈緒は笑った。それはやっぱりすごく可愛らしい表情だった。

「冗談だよ。あたしさっきはお兄ちゃんに再会して浮かれちゃったけど、あれから考えて
みたの。何でお兄ちゃんがあたしを振ろうとしていたのか」

「うん」

「自分の彼氏が本当のお兄ちゃんだと知って、あたしが傷付かないように自分が悪者にな
ろうとしてくれたんでしょ?」

「奈緒」

「ありがとうお兄ちゃん」

 奈緒が微笑んだ。

「うん」

 何か顔が熱い。まぶたの奥もむずむずする感じだ。

「お兄ちゃん?」

「うん」

 僕は同じ言葉を繰り返した。

「パパもママもいらないよ。僕は奈緒と二人でずっと一緒に生きるんだ。それでいいよ
な? 奈緒」
 奈緒があのときの僕の言葉を繰り返した。「覚えてる? あたしがそのときに何て答え
たか」

「ああ。覚えているよ」

 正確に言うと思い出したというのが正しいのだけれど。

「うん。ママなんか大嫌い。お兄ちゃんがいいよ。お兄ちゃんだけでいいよ」

 奈緒が記憶の中にあるのと正確に同じ言葉を繰り返した。あのときの絶望感とその後の
喪失感とつらかった日々。もう我慢も限界だった。僕は泣き始めた。

「あたしの気持ちはあれから十年間経っても全然変わっていないの。今でもお兄ちゃんだ
けでいいって、自信を持って言えるもの」

 泣いている僕を抱きかかえるようにしながら奈緒は柔らかい声で言ったけど、奈緒の声
の方も雲行きが怪しくなっているようだった。

「・・・・・・今は泣いてもいいのかも。あたしたち、十年もたってあれから初めて会えたんだ
もんね」

 奈緒と僕は富士峰の女生徒たちの好奇の視線に晒されながらお互いに手を回しあって、
まるであの頃の小さな兄妹に戻ってしまったかのように泣いたのだった。
375 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/21(日) 23:09:34.89 ID:i463RUoMo

「ユキさんの話だけどさ、僕たちが本当は兄妹だったこと彼女に話したの?」

 お互いに抱きしめあいながら大泣きした後、妙に恥かしくなった僕たちはとりあえず駅
前のスタバに避難した。僕にとってはここは敷居が高い店なのだけど、そんなことを言っ
ている場合ではないし奈緒は気後れする様子もなく店に入って行った。

 奈緒ちゃん大丈夫? とか奈緒ちゃんこの人に変なことされてない? とか周囲の生徒
たちは失礼なことを聞いてきた。でも奈緒はまだ涙の残る顔で笑顔を僕に見せた。

「お兄ちゃん走ろう」

 奈緒はそう言って僕の手を引いて走り出したのだ。こうして僕たちはスタバの奥まった
席で向かい合って座っていた。

 だいぶ落ち着いたところで僕はユキのことを思い出して聞いてみた。

「ううん、まだ話してない。説明すると長くなりそうだし」

 それはそうだろうなと僕は思った。まず自分の家の事情を話してそれから僕との偶然の
出会いを話してと考えると、学校の休み時間に気軽に話せることではない。

 それに僕と奈緒自身だって兄妹としては再会したばかりで、お互いのことを話し合うの
はまだこれからなのだ。

 最後に別れたときのユキの冷たい表情が脳裏に浮かんだ。ユキの誤解がこれで解けるの
ではないかと期待しないではなかったけど、これは奈緒に任せておくしかないようだ。

「それにしても有希ちゃん、やっぱり今日は様子がおかしかったなあ。何か心配事でもあ
るのかな」

「やっぱり彼女は僕のこと怒ってたか?」

「うん。でも感情的にはならずにあたしを慰めてくれた感じ。『あんないい加減な男なん
て奈緒ちゃんの方から振っちゃいなよ。周りにいくらでも奈緒ちゃんのことを好きな人が
いるんだし』って言ってたよ」

「おまえそんなにもてるの?」

 奈緒がいたずらっぽく笑った。

「なあに? 気になるのお兄ちゃん。妹のことなのに」

「そういうわけじゃないけど」

「冗談だよ。気にしてくれて嬉しいよお兄ちゃん。でもあたしを好きな人がいるなんて話
は聞いたことないよ」

「そうなんだ」

「安心してお兄ちゃん。鈴木奈緒の目には今のところお兄ちゃん以外の男の子は全く映っ
ていないから」

「それはそれでまずい気がする」

「何よ。嬉しいくせに」

「あのなあ・・・・・」

「シスコン」

「今日は冗談ばっかだな。この間までおまえは真面目な女の子だと思ってたよ」

「彼氏に見せる顔とお兄ちゃんに見せる顔は違うんだよ。女の子ならみんなそうだと思う
よ」

 実はこのとき相当勇気を出して奈緒のことをおまえと呼んでみたのだけど、奈緒は普通
に聞き流した。やはりこいつは血の繋がった妹なんだ。僕が奈緒の彼氏の状態で奈緒のこ
とをおまえなんて呼んだら、喜ぶにせよ嫌がるにせよこいつは絶対にそのことに気がつい
たはずだ。

「お兄ちゃん」

「うん」

「明日からはまたいつもの時間に電車で待ち合わせするからね」

 僕がそれに答えようとしたとき携帯が振動して着信を告げた。
376 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/21(日) 23:10:34.11 ID:i463RUoMo

 清潔で白い廊下を歩いていくとやけに足音が大きく響いた。廊下の窓からは冬の午後の
陰鬱な曇り空が四角く切り取られて見える。

 救急病棟の待合室で僕は叔母さんの姿を見つけて思わず駆け寄った。

「ああ奈緒人。来たのか」

 叔母さんはいつもどおりに僕を呼んでくれたけど、その表情は暗かった。

「明日香は、明日香の具合はどうなの」

「外傷とそれに伴う精神的なショックだって」

 叔母はそこで少しためらった。

「命に別状はないよ。今は寝てるから会えないけど」

「・・・・・・いったい明日香に何があったの?」

「奈緒人には教えないわけにはいかないか。明日香はね」

 叔母が俯いた。叔母の目に涙が浮かんだ。

「昨日の夜、知り合いの男の部屋に連れ込まれて乱暴されそうになったんだって」

 目の前が暗くなった。

 本当の妹との再会に浮かれて明日香のことを僕は忘れていたのだ。つらかった時期にあ
んなに明日香に頼りきっていた僕なのに。僕に黙って自分の友人関係を壊してまで僕のこ
とを救おうとしてくれた明日香が、夜の街に飛び出して行ったのに僕は今日今まで明日香
のことを思い出しすらしなかったのだ。

「明日香が抵抗したんで犯人の男は明日香に言うことを聞かそうと手をあげたらしい。偶
然、別の明日香の知り合いの男がそのアパートを訪ねてきて、明日香を襲った相手を止
めたんだって」

「・・・・・・明日香の容態はどうなの?」

「外傷はたいしたことはないみたい。抵抗したのと知り合いの男が間に入ってくれたんで、
その・・・・・・性的な暴行は受けなくて済んだんだけど、精神的なショックの方が大きいみた
いだ。明日香が目を覚ませばもっと詳しくわかると思う」

「明日香に乱暴しようとした奴はどうなったの」

 そいつを殺してやる。精神的に不安定になっていたのかもしれないけど、僕はそのとき
は本気でそう思った。きっとあの金髪ピアスの男だ。確かイケヤマとかっていう名前の。

「助けてくれた子が警察と救急車を呼んでくれてね。警察が来るまで犯人の男が逃げない
よう取り押さえてくれてたの。犯人は現行犯逮捕。助けた子も参考人として警察に呼ばれ
てるよ」

 何で夜中に飛び出して行った明日香をすぐに追い駆けなかったのだろう。あの時の僕は
確かに混乱していた。明日香からは泣き顔で告白のようなことをされ、その直後に冷たい
表情のユキに責められもした。そのこともあって、ユキが帰ったあとは奈緒のことで頭が
一杯で明日香のことまで気が回らなかったのだ。

 それに明日香が夜出歩いていることに慣れてしまっていたこともある。

 僕は明日香が夜遊びをしていることを当然ながら知っていた。そして明日香が夜遅くな
るのは両親が不在か帰宅が遅くなるとわかっている夜に限られていた。だから僕たちの両
親は明日香の外見や成績を憂うことはあっても、中学生の明日香の夜遊びには気がついて
はいなかったのだ。

 そのこと自体だって僕の責任なのだ。僕は明日香とトラブルを起こすのが嫌だったから、
明日香の夜遊びを注意することも、それを両親に言いつけることもしなかった。両親が明
日香の夜遊びを知ったらいくら子どもたちには寛容な父さんも母さんも明日香に注意して
いただろう。

「父さんたちは?」

「こちらに向かってる。もう来るでしょ」

 そのとき救急治療室の引き戸が開いて中から白衣の一団が姿を現した。
377 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/21(日) 23:11:05.54 ID:i463RUoMo

今日は以上です。

お付き合いいただいてありがとうございいます。
378 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/21(日) 23:27:19.16 ID:wUt/l1dfo
379 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/21(日) 23:29:35.45 ID:8pcz8zoBo
おつかれさま 続きが気になる
380 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/22(月) 09:21:23.09 ID:zMOk8o4lo
381 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/22(月) 14:55:35.94 ID:WuLQagZDO
>>1

はたしてイケヤマはやはり良い奴なのか、それともクズなのか
382 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:49:28.04 ID:o4ymIMCXo

 両親が真っ青な顔で救急病棟に飛び込んで来た。子どもたちの前ではいつも呑気そうな
父さんと母さんのこんな必死な様子を僕は初めて見た。それでも父さんは動転している様
子の母さんの手をしっかりと握って、その身体を支えるようにしている。

 叔母さんは父さんと母さんをちょうど救急治療室から出て来た医師のところに連れて行
った。医師が手早く父さんたちに明日香の容態を説明した。その話はさっき僕が叔母さん
から聞かされたことと同じ内容だったけど、医師はこう言った。

「お嬢さんは少し精神的にショックを受けておられますけど、幸いなことに外傷は軽微な
ものでした。もちろん命に別状もないし外傷も後には残らないでしょう。もう処置も終っ
ていますので、念のために一晩入院して容態に変化がないようでしたら明日には退院して
もらって大丈夫ですよ」

 叔母さんの説明と順序を逆にしただけだけど、その医師の説明を受けて両親は少し安心
したようだった。外傷は大したことはないけど精神的にはショックを受けているというの
と、精神的なショックはあるものの外傷は大したことはないという説明では受ける印象が
まるで異なる。救急病棟に努めていると悲嘆にくれ動転している家族の扱いも上手になる
のだろうか。医師は少しだけ両親を安心させると、明日香が目を覚ましたら面会していい
と言い残して去って行った。

 医師が去って行くと今度は地味なスーツを着た体格のいい男が二人、両親に近づいて来
た。僕はその人たちがこの場にいることにこれまで気がついていなかった。

「結城明日香さんのご両親ですね」
 片方の男が言った。「所轄の警察署の者です。この事件のことをお話しさせてもらいま
すので、その後で何か事情をご存知でしたらお話ししていただけますか」

 その人は何かやたらていねいな言葉遣いだったけど、それはその人の外見には全く似合
っていなかった。話しかけてきた男の人ももう一人の黙って立っている方の人も体格がい
いだけではなく目つきや表情も鋭い。

 高校生の不良のトラブルなんかを相手にしているよりは暴力団とかを相手にしている方
が似合っている感じの男たちだった。

 僕たちは救急病棟の待合室の隅でソファーに座った。自己紹介した男は警察署の生活安
全課の平井と名乗った。

「先にいらっしゃったご親戚の、ええと・・・・・・そう、神山さんにはお話ししたんですが、
娘さんは昨日の夕方から夜にかけて繁華街をあっちこっちある行きまわっていたみたいで
すね。その途中で知り合いの高校生の男に出合って、自分のアパートに来ないかと誘われ
てついて行ったみたいです」

 両親は身じろぎもせず警察の平井さんの話に聞き入っていた。医者の話で一瞬安心した
ようだった二人の表情はまた緊張してきたようだ。

「そいつはそこで一人暮らしをしいるんですがその部屋でお嬢さんは、その・・・・・・」
 平井さんは気を遣ったのか少し言いよどんだ。「つまりそいつに乱暴されそうになって
大声を出して抵抗したところ、黙らせようとした犯人から殴られたらしいです」

「・・・・・・大丈夫ですか」

 一応の礼儀としてか平井さんは青い顔の両親を気遣うように言った。もしかしたら警察
のマニュアルにこういうときはそうしろと書いてあるのかもしれないけど、いずれにせよ
平井さんには心から両親を気遣っているような感じはしなかった。

「大丈夫です。続けてください」

 父さんがそう言って母さんの手を握りしめた。
383 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:51:18.08 ID:o4ymIMCXo

「犯人は飯田聡。都立工業高校の二年生ですが、お心当たりはありますか」

 父さんと母さんは顔を見合わせた。

「いえ。聞いたことがありません」
 そこで父さんは思い出したように叔母さんと僕の顔を見た。「君たちは聞いたことある
かな?」

「ないよ」

 僕と叔母さんが同時に言った。

 それでは犯人は明日香の前の彼氏のイケヤマではなかったのだ。

「幸いなことに飯田がお嬢さんにさらに暴力を振るおうとしたときに、お嬢さんと飯田の
知り合いが偶然に尋ねてきたらしいのです。大方そいつも飯田の同類だと睨んでいるんで
すけどね。でも、どういうわけかそいつは飯田を力ずくで止めて警察に通報してきたんで
すよ。だからそいつがお嬢さんを救ったということになるんでしょうね」

「そうですか。その方にお礼を言わないといけませんね」

 父さんが言った。

「いや。とりあえずそれは待ってください。結果的にお嬢さんを救った男は、そいつの名
前は池山博之というんですけど、警察では池山と飯田に対しては前から目をつけてたんで
すよ」
 平井さんはあっさりと明日香の恩人である池山のことを切り捨てた。「まあ不良高校生
というと聞こえはいいけど、こいつらはもっと悪質なこともしていたらしいんでね」

 では池山は不良どころか本当の犯罪者だったのだ。明日香がどうして池山なんかと付き
合い出したのかはわからないけど、明日香をそういう方向に追いやった責任の一端は僕に
もある。

「今、飯田は現行犯逮捕されていますし、池山の方は参考人と言うことで署で任意で事情
聴取しているところです。ですから飯田と池山の聴取が済むまでは池山に接触したりお礼
とかしない方がいいですよ」

「でもその方は娘を助けてくれたんでしょう」

 父さんが不思議そうに聞いた。

「結果的にはそうなります。でも、池山の動機だって善意かどうかなんてわからんのです。
もしかしたら池山と飯田はお嬢さんを取り合っているライバルだったかもしれないし、や
つらはボーイズギャング団の中で対立していたという情報もありますから」

 父さんと母さんはもう話についていけなくなっていたようだ。

 無理もない。確かに明日香は服装を派手にしていたし、僕に対しては反抗的な態度だっ
たけど両親とはそれなりに真面目に向き合っていたのだ。仕事が多忙な両親は結果的に明
日香を放置している状態だったので明日香の行動はここまでエスカレートしてしまったの
だけど。

 だから明日香が警察からギャングとして目を付けられているような連中と知り合いだと
知ったことは、両親にとっては青天の霹靂のようなものなのだろう。

「飯田や池山は不良というよりはギャングに近い。それだけのことはしてきていると我々
は思っています。だから今回のことはお嬢さんには気の毒でしたけど、飯田たちの犯罪を
洗い出すいいチャンスなんですよ」

「そして叩けば決して池山だって真っ白というはずはありませんしね」

「あとお嬢さんが何であんな不良たちと知り合いだったんですかね。普通の家庭の真面目
な中学生の女の子が知り合いになるような連中じゃないんですけどね」

 平山さんは少し探るように両親を見たけど、途方にくれているように両親も叔母さんも
も黙りこくっていた。
384 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:52:47.05 ID:o4ymIMCXo

「結城さんですか?」

 そのとき若い看護師さんが僕たちの方に向かって声をかけた。

「はい」

 刑事の話にショックを受けたのか返事すらできなかった両親に代わって叔母さんが返事
した。

「明日香さんが目を覚ましました。先生の許可が下りたので面会できますよ」

「はい。奈緒人行こう」

 叔母さんが言った。父さんたちも目を覚ましたかのように立ち上がった。

「ああ、結城さん。いずれお嬢さんにも事情を詳しくお聞きすることになりますから」

 言葉はていねいだけど、そのときは平山という刑事の言葉はまるで嫌がらせのように聞
こえた

 明日香は病室のベッドに横たわっていた。外傷は大した怪我ではないと聞いていたのだ
けど、目の当たりにする明日香の顔には包帯やガーゼが痛々しいくらいに巻かれていた。

 明日香は僕たちに気づいた。

「ママ。ごめんなさい」

 明日香が最初に言った言葉がそれだった。

 母さんは黙ってそっと明日香の体を抱きしめるようにした。母さんの目には涙が浮かん
でいた。それからこれまで医師や刑事の話には一切反応しなかった母さんは初めて声を出
した。

「明日香、そばにいてあげられなくてごめんね。あたなを守ってあげられなくてごめん
ね」

「ママ」

 明日香も包帯が巻かれた片腕を母さんに回した。もう片方の腕は点滴を受けていたので
動かせなかったのだろう。

「ママ。今までいろいろごめんなさい。でもママのこと大好きだよ」

 母さんも泣きながら明日香を抱きしめて声にならない言葉を発しているようだった。

 これから明日香の危うい交友関係が明らかになるのだろうけど、でも明日香と母さんは
もう大丈夫だと僕はそのとき思った。

「パパにも心配させてごめん」

 明日香は父さんの方を見た。

「うん。明日香が無事ならそれでいいんだ」

 父さんも明日香の自由になるほうの手に自分の手を重ねて言った。
385 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:53:42.31 ID:o4ymIMCXo

 僕はそっと部屋を抜け出そうとした。多分明日香は僕にも言いたいことがあるに違いな
い。でも今の僕にはそれを聞く資格はない。それに僕には平井さんが帰ってしまわないう
ちに聞いておきたいこともあったのだ。

 過去の過ちはともかく今は明日香を守らなければならない。明日香は昔の悪い仲間と縁
を切った。でもそれによって明日香は池山たちから完全に自由になれたわけではなかった
ようだ。池山が別れた昔の女に執着して明日香を襲おうとしたのならわかる。でも明日香
を襲おうとしたのは飯田という別な高校生だった。

 単純に知り合いだった明日香を出来心で何とかしようという話ならまだしも気は楽だっ
た。でもそうじゃない可能性もあった。平井さんの話を聞いてから、僕の胸には二つの光
景が浮かんでいたのだ。



 奈緒と有希が通っているピアノ教室で誰かを待っているように入り口を見張っていた池
山。

 あのときは僕は奈緒と二人で誰にも邪魔されずにピアノ教室を後にした。仮に池山が無
駄足を踏んだのでなければ、あいつは有希の方を追いかけたのかもしれない。

 そして昨日。冷たい表情で明日香を言葉で追い詰めた有希。

 あれは清純で無邪気な中学生の女の子の表情じゃなかった。そして明日香が有希の言葉
に耐えられずに駅の方に走り去った後に明日香は飯田に襲われたのだ。

 これは単純な偶然なのだろうか。



 父さんと母さんが明日香を抱きしめるようにしていたので、僕の動きは悟られないで済
むだろう。そう思って病室から抜け出そうとしたとき、玲子叔母さんが僕を見ていること
に気がついた。

 僕は叔母さんに拝むように手を合わせた。叔母さんはためらっていたようだけど結局小
さくうなずいてくれた。

 両親と明日香に気がつかれずにそっと病室を抜けた僕は救急病棟の待合室を見渡した。
体格のいい二人組はもうそこには姿が見えなかった。

 病院の救急用の出入り口まで駆けていったところで、僕は平井さんともう一人の私服の
刑事がパトカーではなく一見普通の乗用車のように見える黒塗りのセダンの車に乗り込も
うとしているところを見つけた。

「すいません」

 僕は少し離れた場所から思い切って平井さんに声をかけた。

 平井さんはこちらを見て柄の悪い鋭い目を細めた。

「おまえ、明日香ちゃんの兄ちゃんか」

 平井さんは病院から出たときに咥えたらしいまだ火のついていない煙草を口から離して
言った。
386 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:54:15.57 ID:o4ymIMCXo

「妹の病室にいなくてもいいのか」

「両親と叔母さんが明日香の病室にいますし」

「ふーん。それで兄ちゃんは俺たちに何の用なんだ?」

 平井さんは煙草を咥えなおして火をつけた。

「自白でもしたいことがあるのか」

 平井さんは皮肉っぽい表情を浮かべた。

「・・・・・・ここは病院の敷地内だから禁煙だと思いますよ」

 僕の言葉に平井さんが再び目を細めた。そしてあらためて初めて僕の存在いに気が付い
たように僕を見た。彼は煙草を駐車場の路面に投げ捨て足で踏みにじった。

「何の用だ。俺は忙しいんだが」

 僕は一瞬怯んだけど、警察の人たちの協力は不可欠だ。

「太田有希って子知ってますか」

 平井さんの目が急に鋭くなった。

「おまえは何か知っているのか」

「彼女は明日香の最近できた友だちです。あと池山という奴はこの間まで明日香の彼氏で
した」

「ほう」
 平井さんは少し驚いたようだった。「被害者の関係者から太田の名前を聞くとは思わな
かったな」

「両親は何も知らないんです。僕が知っていることは全部話すので、池山や飯田のことを
教えて欲しいんですけど」

「おい、おまえ。調子に乗るなよ。ご両親にも断らずに未成年のおまえにそんな話ができ
るわけないだろう。第一、おまえが聞きたがっているのは捜査上の機密事項だぞ」

 車の運転席に座っていたもう一人の刑事が刺々しい口調で口を出した。

「まあ待て。加山」

 平井さんにたしなめられて加山という男は露骨に不服そうな態度を見せた。

「この兄ちゃんだって妹のことが心配なんだろうさ。そういう切り捨て方はよせ」

「だって平井さん、未成年の高校生にペラペラ情報を喋ってどうするんです。こいつの両
親にだってまだ何も聞いていないのに」

「だからおまえは黙ってろ。このヤマの捜査主任は誰だ?」

「・・・・・・それは平井さんっすけど」

「わかってるじゃねえか。おまえは大卒ですぐに俺なんかより偉くなるだろうけど今はま
だ俺が上席だ。だから俺に任せておけ」

 そう言うと平井さんは僕の方を見た。ほんの少しだけ僕に対する態度が柔らかくなった
ような気がした。

「おまえは女帝っていうニックネームの女のことを聞いたことがあるか」
387 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:58:11.17 ID:o4ymIMCXo

「いえ。聞いたことないです」

「そうか。この界隈の中高生の間ではちっとばかし有名な女なんだけどな」

 そう言われても僕には初耳だった。女帝とかドラマじゃあるまいし随分大袈裟なネーミ
ングだ。

「そう。ドラマじゃねえしな。大袈裟に聞こえるだろう」

 平井さんは僕の気持ちを見抜いたように言った。

「族とかヤンキーとかチーマーとか、昔から粋がりたいガキはこのあたりにもいっぱいい
たんだ。でもそいつらは無軌道に騒いで悪さをしてたくらいでな。組織立って悪事を働く
奴なんて今までは聞いたことがなかったよ、俺も」

「そうでしょうね」

「おう。第一そんなに頭が働いて、仲間を統制できるような玉なんて普通は不良高校生の
中になんていねえからな」

 平井さんは言った。

「それがな。最近妙なことに悪さをしている連中がおとなしくなりやがった。夜道で女の
子を襲ったり互いに殴り合いの喧嘩をして俺たちに面倒をかけている連中が、そういう揉
め事を起こさなくなったんだよな」

「それはいいことじゃないんですか」

「まあ、そう思うよな。普通は」

「それはどういう意味です?」

「その前におまえが言った太田有希って子の素性を話してもらおう」

 僕は一瞬ためらった。有希は奈緒の親友で明日香の友だちでもあった。そして明日香と
ともに有希と一緒に過ごした冬休みのことが思い起こされた。奈緒に会えない僕はその寂
しさを有希にはずいぶん癒してもらったものだ。

 それでも僕は直感的に有希の言動に疑惑を抱いていた。全部、状況証拠に過ぎないけど
彼女が全く無関係な訳はない。それに間違っているのならそれがわかればいいのだ。警察
に話せばそのことがはっきりするかもしれない。

「太田有希は富士峰女学院中等部の二年生の女の子です。明日香の知り合いでもありま
すけど」

 奈緒はこの話には関係ない。だから僕はそのときはあえて奈緒の名前は出さなかった。
388 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/23(火) 22:58:53.64 ID:o4ymIMCXo

「富士峰だあ?」

 運転席に収まったままの加山さんが怒ったように口を挟んだ。

「・・・・・・そうですけど」

「おまえさ。何を言い出すかと思えばあのお嬢様学校の中学生が女帝だって言うのかよ。
適当なこと言ってるんじゃねえぞこのガキ」

「おい加山」
 飽きれたように平井さんが言った。「おまえの方こそ捜査情報をこいつに漏らしてるじ
ゃねえか」

「あ」

 加山さんは口をつぐんだ。

「まあいいか。おい兄ちゃん、おまえは俺がさっき頭が働いて仲間を統制できるような玉
なんて普通は不良高校生の中になんていねえって言ったことを覚えてるか」

「はい」

「その玉が現われたらしい。それが仲間内で女帝と呼ばれている女だ。いや、女の子らし
いけどな。そいつの名前は太田という女らしいというところまでわかったんだが」

 女帝、組織立って不良高校生たちを統制できる玉。まさかさすがにそれは有希ではない
だろう。清楚なお嬢様でピアノコンクールの常連の入賞者である有希が不良たちの女親分
だなんて想像すらできない。

「加山じゃねえけど富士峰の中学生っていうのはさすがに無理があるかな」

 平井さんは少し考え込んでから言った。

「いや、僕は別に有希がその女帝とやらだなんて一言も言ってないですよ。ただ、明日香
が襲われる直前に、有希は明日香とその・・・・・・喧嘩みたいになって明日香は飛び出して行
ったんです。その夜に明日香はあんな目に遭ったんです」

「材料が少なすぎるな。それに女帝はフリーターかせいぜい高校生だと思われていたんだ
が」

 平井さんは考え込んだ。

「その太田有希って中学生だが、ひょっとしてピアノが上手だったりするか」

 平井さんが僕にそう聞いた。僕は一瞬凍りついた。
389 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/23(火) 23:00:57.34 ID:o4ymIMCXo

今日は以上です。

明日以降は女神の再開を予定していますので、こちらの更新は少し滞ると思います。

申し訳ありません。そしてここまでお付き合いありがとうございます。
390 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/23(火) 23:06:50.50 ID:Duj7gqLYo
こっちも長引きそうだなァ

期待してる
391 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/23(火) 23:40:28.31 ID:XeZERBG/o
392 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/24(水) 00:35:22.95 ID:vpg2GDoMo
393 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/24(水) 00:55:11.06 ID:xO0X9+rFo
ますます面白くなってきたな
乙です
394 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/24(水) 01:26:42.18 ID:3ddeXlFDO
>>1
はやく帰ってきてね!
395 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/24(水) 08:18:20.40 ID:YJ45nBdIO
こっちはテンポがいいね
でも女神も待ち遠しいわ
396 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/24(水) 19:34:38.20 ID:YJw7faTG0
おつー
397 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:50:14.50 ID:cCVWXsHpo

「まあ、直接聞いたことがあるわけじゃないですけど、ピアノは習っているみたいです
よ」

 とりあえず僕は何とか冷静に返事ができた。

「そうか。実は女帝にはピアノがうまいという噂もあってな」

 平井さんは再び煙草を咥えて火をつけた。今度はもうぼくもここが禁煙であることを注
意しなかった。

「女帝はな。噂だけはいろいろ聞こえてくるんで、ピアノが上手だとかそういう情報には
こと欠かないんだよな」

 平井さんは煙草を美味しそうに吸って僕の方をじろりと見た。

「情報があるならどんな人かは当たりがつきそうですよね」

「それがな。さっきも言ったけど今まで悪さしてた連中が、これまでしていたような悪さ
をしなくなってしまってな。未成年に無理矢理猥褻なことをするとか、対立するグループ
間で乱闘するとかそういうのが無くなってしまったんだよな」

「ええ」

「ええじゃねえ。兄ちゃんにはわからねえだろうけど、これまではそういうつまんねえこ
とをしでかした連中をしょっぴいて取調べをする中でこっちは必要な情報を手に入れてた
んだが」

 平井さんが何を言おうとしているのか僕にもわかった。

「しょっぴいた連中なんざしょせんはガキだからな。ちょっと締め上げればたいがいのこ
とは吐くし、それで俺たちもがぎどものグループの情報は手に入っていたんだがよ」

「そういう小さな悪さをしなくなったんだよな。少なくともこの界隈を仕切っている連中
は」

「だからよ。それなりに情報は集まってくるが、実際に女帝と会ったことのあるやつから
は情報を取れねえんだわ。女帝のピアノ情報とかどこまで信用できるかもわからん」

「それもこれも女帝のせいだと思ってるよ。そいつが現われてからは極端に検挙件数が減
てな。上司に言い訳するのも大変だぜ」

 本当にあの有希が平井さんがいう女帝なのだろうか。普通に考えればそれはすごく突飛
な考えだ。でも現に僕の妹は入院するほどのひどい仕打ちを飯田という男から受けたのだ。
それも冷たい表情で明日香を見下すように眺めた有希に責められた直後に。

 僕はさっき奈緒から聞いた話を思い出した。昨晩有希は不誠実な僕なんかとは別れるよ
うに奈緒に勧めたという。その時の有希の様子は怒ってはいたけど別に不信な様子はなか
ったそうだ。

 その有希が今日の放課後は奈緒の話すらまともに聞いていないほど、何かに悩んでいた
という。考えたくはないけど、彼女は明日香の事件関係で悩んでいたとしたら。

 明日香を追い詰めて、明日香が僕たちから逃げ出して夜の町を無防備に徘徊したその原
因を作ったのは有希だ。そしてその晩、有希は飯田に襲われて池山に助けられた。

 その一連の出来事を有希が知っていて、そして自分の意図よりも大袈裟なことに、つま
り飯田が逮捕され明日香を助けた池山すら参考人として事情聴取を受けるようなことにな
ってしまったことに対して悩んでいたとしたら。
398 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:50:52.99 ID:cCVWXsHpo

「その女帝って人は何がしたいんでしょうか」

 僕は素朴な疑問を平井さんに聞いた。

「・・・・・・どういうことだ」

「いや。無軌道に騒ぐだけなら単なる高校生の衝動なのかもしれないけど、組織立だって
何かをしようとしているとしたら目的があるんじゃないかと思って」

「ほう」
 平井さんが皮肉っぽい笑いを浮かべた。「兄ちゃんも高校生だろうが。随分うがったこ
とを言うな。まさか、兄ちゃんが女帝じゃないだろうな」

「冗談だよ、冗談」
 僕の顔色を見た平井さんが笑った。「でもいいところを突いてくるな。加山なんかより
よっぽど刑事の素質があるな」

「平井さん!」

 顔色を変えて加山さんが言った。どうもこの人は冷静さに欠けているみたいだ。

「だから冗談だって言ったろ。でも兄ちゃんの言うとおりだ。何のメリットもなくやつら
が女帝に従うはずはねえ」

「メリットって」

「そろそろやばいっすよ。平井さん。ちょっとこいつに情報漏らしすぎじゃないですか」

 不服そうにそう言い出した運転席の加山さんには構わずに平井さんは言った。

「兄ちゃんは合法ドラッグとか合法ハーブとかって聞いたことあるか」

 それはテレビのニュースで聞いたことがある単語ではあった。

「聞いたことはあります。麻薬みたいに違法になっていないけど同じような効果があるや
つでしょう。吸うというよりアロマみたいに焚く感じの」

「そうだ。実際にはかなり危ないことがわかっているけど、法改正が追いつかずに違法薬
物に指定される前のブツって感じかな、だから脱法ドラッグと呼ばれることもある」

「そしてそれはドラッグそのものだ。いい気持になるなんて程度のもんじゃねえんだよ」

「はあ」

「それはとにかくだ。今はまだ違法の麻薬じゃねえしな。表立っては取り締まれねえ。そ
れに暴力団の連中だってまだこんな美味しいネタに気がついていねえみてえだ。時間の問
題なんだろうけどな」

「もうわかったか?}

 平井さんが煙草を捨てて靴の底でもみ消した。

「女帝のグループはその合法ハーブを取り扱っているってことですか」

「ピンポン」
 平井さんが嬉しそうに寒いセリフを吐いた。「あのガキどもが悪さしないで大人しくな
るなんざ理由があるんだよ。それが小遣い稼ぎだったんだろうな」
399 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:52:53.85 ID:cCVWXsHpo

「まあ兄ちゃんの話はわかったよ。太田有希のことは俺らも気をつけておこう。これから
やつらの事情聴取だから、それとなく探りを入れてみることにするよ」
 平井さんは車に乗ろうとした。「それでいいな? 俺の方も話せる限りのことは兄ちゃ
んに話したぜ」」

「はい。ありがとうございました」

 そのとき再び平井さんが俺の方を見た。

「おまえ、やる気なのか」

「やる気って・・・・・・何を言っているのかわからないですけど」

 平井さんは僕のその言葉を聞いて眠そうな目を少しだけ開いた。僕は平井さんの言葉に
戸惑っていただけだったのに、平井さんはそうは受け取らなかったようだ。

「そうか。やる気なのか。じゃあまあ気をつけろよ」

 そしてもう平井さんは僕の方を見ないで車の助手席に収まった。

「じゃあな」

 何かに腹を立てているかのように加山さんが乱暴にアクセルを踏んだらしい。その警察
車両はタイヤのきしむ音を病院中に響かせながら走り去って行った。あれでは加山さんは
また平井さんに怒られるだろう。

「用事は終った?」

 走り去る車を見送っているといつのまにかいたらしい玲子叔母さんに背後から声をかけ
られた。

「うん。さっきはありがとう」

 僕は叔母さんに言った。

「・・・・・・別にいいけど。奈緒人、あんた本当にやる気なの?」

 何なんだ、いったい。さっきから平井さんと叔母といい。僕は単に有希と明日香の受難
との関係が気になっただけなのに。

「まあいいや。あたしにできることなら何でも言いな。明日香のためならあたしも協力す
るから」

「いや、叔母さん」

 僕は叔母さんの誤解を解こうとしたけど、叔母さんはもう頭を切り替えていた。

「それより奈緒人、明日香があんたと話したいって」

「うん。父さんたちは?」

「仕事に戻ったよ。今日はずっと明日香に付いてるって言ったんだけど、明日香が自分は
大丈夫だから仕事に戻ってって」

 こんな状況なのに明日香は両親の仕事を気遣ったようだった。これに関しては他の人に
はわからないかもしれない。でも僕と明日香には両親の仕事を優先することは当然のこと
だった。

 我が家の生活が成り立っていたのは両親が昼夜なく仕事をしているせいなのだ。

 もちろん寂しく感じないなんてことはない。でも寂しくたってやることはやらないと僕
も明日香もここまで行き抜くことすらできなかっただろう。

 だから普段の家事や身辺の雑事にしても、他の同級生たちと比べたら遊びまくっていた
明日香だってはるかによくやっていた方だと思う。

 明日香は自分がこんな仕打ちにあった時ですら両親の仕事を心配している。半分くらい
は自業自得と思わないでもないけれども、その動機には疑いの余地はない。明日香の行動
は全て僕のことを思いやってのことだったのだ。

「とにかく病室に戻ろう」

 叔母さんが僕を急かした。
400 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:53:35.20 ID:cCVWXsHpo

 病室に入ると僕に気がついた包帯だらけの明日香が点滴を受けていない方の手を僕に向
かって伸ばした。僕は差し出された明日香の手を握りながらベッドの脇の椅子に腰掛けた。

「ごめん」

 最初に明日香はそう言った。さっき明日香が母さんに話しかけたときと同じ言葉だけど、
言葉に込められた意味はきっとそれとは違っていたのだろう。

「いや。おまえが無事ならそれでいいよ」

 明日香が僕の手を握っている自分の手に力を込めたけど、それはずいぶん弱々しい感じ
だった。

「あたしね、いきなり飯田に話しかけられてさ。奈緒のことで話しておきたいことがある
から俺の部屋に行こうって」

 奈緒のこと? 何で飯田が奈緒のことを、僕の妹のことを知っているんだ。僕は混乱し
た。明日香とその仲間たちは直接奈緒との接点はないはずだ。明日香以外で奈緒と池山た
ちを知っている可能性があるのは。

 やはり有希は女帝なのだろうか。

「何で飯田がそんなことを知っているのか気になったから、あたしつい飯田の部屋につい
て行って」

「うん。そこはもう詳しく言わないでいいよ」

 僕は明日香を気遣ったけど、明日香はかすかに顔を横に振って話を続けた。

「それで、部屋に入ったらいきなりベッドに押し倒されて後ろ手に縛られて、あたしが抵
抗したらすごく恐い目で睨まれて何度も顔を叩かれたの」

 明日香は低い声で続けた。

「・・・・・・もういいよ」

「うん。そしたらいきなりドアが開いて池山が入ってきて飯田に殴りかかって、あっとい
う間に飯田のこと殴り倒しちゃったの」

 それでは池山が明日香を助けたというのは嘘ではないのだ。

「池山はあたしの手を解いてくれて、すぐに家に帰れって言ったの。これから警察に電話
するし巻き込まれたくなければすぐにここから出て行けって」

「そうか」

 自分の別れた女を飯田から救うことくらいは理解できる話ではある。でも警察に電話す
るなんていったいどういうつもりだったのだろう。個人的に飯田のことをぼこぼこにする
くらいはあの金髪ピアスの男ならやりそうだ。でも警察にチクルなんて池山らしくない。

 ましてさっき平井さんから聞いた話が事実だとすると、飯田も池山も女帝の下でドラッ
グの販売とかに手を染めていたはずで、そんな池山が警察に電話すること自体が理解しが
たい。

「あたし、本当にもう池山のことなんて何とも思っていないんだよ。あたしが今好きな人
はお兄ちゃんだけだし」

 突然の明日香の告白に僕は狼狽した。背後で立っているはずの玲子叔母さんのことも気
になった。

「でもね、あたしが逃げちゃったら池山が飯田を殴った犯人にされるかもしれない。あた
しは池山に助けられたんだから、そこにいて証言しなくちゃって思ったの」

 明日香が言うには池山は何度も早く家に帰れと言ったらしい。自分のことは構わないか
ら、おまえはこんなことに関わりになるような女じゃないからと必死な表情で。

「・・・・・・前から池山はあたしのことを過大評価していたから。あたしが清純で穢れのない
女の子だと思い込みたかったみたい」
401 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:54:18.03 ID:cCVWXsHpo

「もういい。わかったから。今はもう思い出すな。辛いだろ」

 明日香僕の手を一端離した。

「もっと近くに来て。お兄ちゃん」

 僕が言われたとおりにすると、明日香は片手で僕の腕に抱きつくようにした。明日香の
顔が僕の顔のすぐ横に来た。

「お兄ちゃん聞いて」

「・・・・・・席外そうか」

 叔母さんが聞いた。

「いい。叔母さんも聞いてて」

「いいのかよ」

 叔母さんが戸惑ったようにぶつぶつ言った。

「お兄ちゃん、今度こそ真剣に言うね。あたしお兄ちゃんにはいろいろ辛く当たってきた
けど、本当はお兄ちゃんのことが好き」

 僕の頬に触れている明日香の瞳から湿った感触がする。

「あたし、奈緒のこと大嫌いだった。うちの家庭を壊した女の娘で、今またお兄ちゃんを
惑して傷つけようとしているあのビッチのことが」

「奈緒はそんな子じゃないよ」

 僕は辛うじて反論した。

「うん。今にして思えばそうかもしれないね。あたし多分奈緒に嫉妬していたのかもしれ
ない」

「どういうこと」

「十年以上も会っていなくて、久しぶりに一度だけ会っただけでお兄ちゃんを夢中にさせ
た奈緒に、あたしは嫉妬していたんだと思う。あたしが素直になって自分の気持ちに気が
ついたのは、お兄ちゃんと奈緒が付き合い出してからだったし」

「明日香」

「返事は急がない。でもあたしはお兄ちゃんとは血が繋がっていないし、奈緒と違ってお
兄ちゃんとは付き合えるし結婚だってできるはず」

「結婚って」

「例え話だよ。あたし飯田に乱暴されそうになったとき、お兄ちゃんのことが頭に浮かん
だの。池山でもなくママでもなく」

 明日香は僕から顔を離して僕の顔を見た。顔には痛々しく包帯が巻かれていたけど、そ
れは何かの重荷を降ろしたような幸せそうな表情だった。こんな明日香は初めてだった。

「あたしが好きなのはお兄ちゃんだけ。でも返事は急がないからよく考えてね」

「・・・・・・明日香」

「そろそろ検診の時間ですから、面会時間はここまでですよ」

 そのときさっきの看護師が部屋に入って来て言った。
402 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/28(日) 22:54:53.72 ID:cCVWXsHpo

「明日香、明日退院だって」
 連れ立って病院から出たところで叔母さんが言った。「結城さんと姉さんから頼まれた
んで明日はあたしが明日香を迎えに行くんだけど」

「うん」

「あんたは学校だね」

 叔母さんが言いたいことくらいすぐにわかった。

「妹が退院だからって先生に言うよ。明日は休んで僕も一緒に行っていい?」

「その方が明日香も喜ぶだろうな」
 叔母さんが言った。「まさか目の前で明日香の一世一代のあんたへの告白を見せつけら
れるとは思わなかったけど。あの子も今度ばかりは本気みたいだね」

「叔母さんもそう思う?」

「うん思う。あんたはどうなのよ。最近明日香とはすごく仲いいみたいだけど」

「仲はいいよ」

 叔母さんは少しためらってからそっと言った。

「やっぱり奈緒ちゃんのことが忘れられない?」

 僕はまだ兄妹としての奈緒との再開のことを明日香にも叔母さんにも話していなかった
ことに気がついた。

「それはないんだ。叔母さんにはまた言ってなかったけど、今朝登校中に奈緒に待ち伏せ
されんだ」

「え? 奈緒ちゃんに会ったの?」

 叔母さんは驚いたように言った。多分僕の精神的外傷のことを気にしてくれていたのだ
ろう。

「うん。何で会ってくれないの、嫌いになったのって」

「それだけ聞くとさ、奈緒ちゃんはやっぱりあんたが実の兄貴であることを知らないの
か」

「正確に言うと知らなかったになるんだけど」

「どういう意味よ。こんな場合なのにもったいつけるな」

「いろいろあって奈緒には僕が実の兄貴であることがばれちゃったんだ」

「マジで?」

 叔母さんが驚愕して言った。

「うん、無意識のうちに僕は気がつかせるようなことを口にしちゃったらしいんだけど」

「それで? 奈緒ちゃんはショックだった?」

「それがそうでもない。むしろ引き離されていた僕と再会したことを喜んでいたよ。もう
二度と僕とは別れないって」

 明日香のことで緊張していた僕だけど、その時の奈緒の表情や言葉を思い出すと胸が温
かくなっていった。恋人同士には戻れない僕たちだけど、二度と会えないと思っていた僕
らは奇跡的に再会できたのだ。

「そうか」
 叔母さんが言った。「じゃあ、あんたはこれまで会えなかった実の妹の奈緒ちゃんと、
これまで妹だったけど彼女に立候補した明日香と二人を同時にゲットしたわけか」

「そんなんじゃないし」

 僕は赤くなって叔母さんに言った。
403 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/28(日) 22:56:13.68 ID:cCVWXsHpo

今日はここまで

女神の更新を再開しました。でもで、きるだけ平行して話を進めようと思います

ここまでお付き合いありがとうございます
404 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/28(日) 23:01:34.42 ID:fCi7+7VQo
405 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/28(日) 23:08:43.36 ID:nPmlnkrDO
>>1超乙

なんだか映画向きのシナリオに思えてきた
406 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/29(月) 00:25:01.94 ID:qvhZT9to0
>>1超イケメン

どんぐらいイケメンかというと

池山と奈緒人の間ぐらい
407 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/29(月) 01:21:00.16 ID:SXx3FOOWo
408 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/29(月) 07:55:00.86 ID:fLC4WF3IO
なんか池山いいよな。濡れるわ
409 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/29(月) 20:02:02.20 ID:5qnOArgv0
次の展開が楽しみ
410 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:41:33.60 ID:sMDby2FSo

僕はその日のうちに奈緒に電話した。叔母と別れて帰宅してもやはり家には両親はいな
かった。

 ワンコールで電話に出た奈緒はやたらにテンションが高かった。

「やっぱりさっそく電話してきた。お兄ちゃんって本気でシスコンだったのね」

 奈緒が電話口で機嫌良さそうに屈託なく笑った。

 僕は明日香の退院の付き添いと、そのために明日は奈緒と約束したとおり朝一緒に登校
できないことを伝えた。

「妹さん病気なの」

 奈緒が明日香のことを妹さんと言うのには何か違和感があった。僕の妹はおまえだ。

 僕は一瞬そう思ったでも、それじゃあ明日香は僕の何なのだろう。奈緒と付き合い始め
てからは僕の彼女は奈緒で僕の妹は明日香だった。これからはどうなるんだろうか。

 今では奈緒は僕の妹だった。だから僕の初めての彼女は消えていなくなってしまったの
だ。そのことがつらくないと言ったら嘘になる。でもフラバのこともあるし、何よりかつ
ての僕の最大のトラウマだった奈緒との強制的な別離が十年もたってから劇的な再会によ
って解決したのだから、僕はもうそれで満足なんだと考えることにしていた。

 それに奈緒は僕の彼女だったことなど忘れたように、兄との再会を無邪気に喜んでいる。
恋人としての奈緒に未練があるなんて彼女に気がつかれてはいけない。

「ちょっと怪我しちゃったんだけどね。大したことはなかったよ」

「そうなんだ。よかったね」

「うん、ありがと。明日は退院の付き添いだけど、明後日以降は妹の容態によっては学校
を休んで面倒を見なきゃいけないかも」

 それはさっきから考えていたことだった。平日の昼間は間違いなくうちには母さんはい
ない。明日香の外傷は大したことがないと言っても退院してすぐに登校できるわけがない
し、そんな明日香を一人にしておくのもかわいそうだ。

「お母様は?」

 少しだけ遠慮したように奈緒が聞いた。そういえばまだお互いの家族の近況とかは、奈
緒との間には全く話題に出ていなかった。

「母さんも父さんと音楽雑誌の編集をしているんだ」
 僕は家の事情を奈緒に話た。「だから普段は昼間はもちろん、夜だって滅多に家にいな
いよ」

「そうか。じゃあしばらくは朝お兄ちゃんと会えないね」

 奈緒が言った。
411 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:42:13.48 ID:sMDby2FSo

「ごめんね」

「ううん、今は妹さんのことを考えてあげないとね」

 奈緒には申し訳ないけど、この状況では明日香のことを優先する以外には選択肢はなか
った。

「朝来られるようになったらいつもの電車に来てね。あたしは毎朝あの電車に乗っている
から」

「行けそうになったらメールか電話するよ」

「うん。お兄ちゃんありがとう」

 そのとき電話の背後で何かを注意するような女性の声が聞こえた。何を話しているかま
ではよく聞こえなかったけど、少しイライラしているような感じの声だった。

「いけない。ママが怒ってる」
 奈緒が少し慌てたように言った。「ピアノの練習時間だったんだけど弾いていないの気
がつかれちゃった」

「練習を邪魔しちゃってたのか。悪い」

「いいの。お兄ちゃんと話しているほうが楽しいし」

「じゃあもう切るね」

「ごめんねお兄ちゃん。一応ここ防音になっているんだけど、完全じゃないからピアノを
弾いていないとママにばれちゃうの」

「そうなんだ。じゃあまた連絡するから」

「うん、待ってる。おやすみ、お兄ちゃん」

 電話を切った後、僕はしばらくさっき考えていたことを再び思い返してみた。奈緒は僕
の妹だ。この先もずっと。そして明日香は僕に告白した。奈緒と恋人同士だった頃の僕な
ら、どうしたら明日香を傷つけずに断ればいいか考えるだけだっただろう。奈緒を振って
明日香と付き合い出すなんて考えたことすらなかった。

 でも今ではどうなのだろう。僕にはもう彼女はいない。僕は明日香の気持ちに応えるべ
きなんだろうか。奈緒とは違って明日香は義理の妹だ。一滴たりとも同じ血は流れていな
い。だからさっき明日香が言っていたように付き合うことにも結婚することさえにも法的
な制約はないのだ。
412 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:43:27.96 ID:sMDby2FSo

 僕は試しに僕と明日香が付き合い出したときの周囲の人たちの反応を想像してみた。

 兄友は明日香が僕の義理の妹であることを知っているから、驚きはするだろうけどそれ
が社会的なタブーだとは考えないだろう。でも他の人たちはどう思うだろう。考えてみれ
ば僕と明日香が実の兄妹ではないことを知っているのは、両親や親戚を除けばほとんどい
ない。

 当たり前のことだけど、父さんや母さんだってわざわざ周囲に再婚家庭であることをア
ピールする必要なんかなかっただろう。それに何といっても去年までは僕自身だって明日
香が自分の本当の妹ではないなんて想像したことすらなかったのだ。

 そう考えると、仮に僕と明日香が恋人同士になったときの周囲の反応は考えるだけでも
面倒くさそうだった。僕の友人たちや明日香の友だちはみな僕と明日香が兄妹なのに禁断
の関係になったと思い込むだろうし、そういう噂だって流れるだろう。そういう人たちに
向かって一人一人に我が家の家庭事情を最初から話していくなんて不可能だ。

 僕と奈緒が付き合い出したときはそういう問題は生じなかった。誰も僕と奈緒が実の兄
妹だなんて知らなかった。というか当事者である僕たちだってそれを知らなかったのだか
ら。

 そう考えると明日香と付き合い出すのは大変そうなのに比べて、奈緒とこのまま付き合
っている方がはるかに自然で楽そうだった。

 そのとき僕は胸に鋭い痛みを感じた。今、僕は何を考えた?

 奈緒とこのまま付き合うなんてありえない。お互いに生き別れた兄妹だとわかった今と
なっては。

 奈緒は僕の妹なのだ。

 奈緒と感動的な再会をはたした今朝は、つらい別れをした妹と再会できたことに喜びを
感じただけで、それ以外に余計なことを考える余裕なんてなかった。でも、今改めてこの
先の僕たちの関係を考えてみると、僕は自分の汚い心の動きに気がついた。

 最初に奈緒とキスをしたあの夕暮れの日、正直に考えれば僕の下半身は奈緒の華奢で柔
らかくいい匂いのする身体に反応していなかったか。

 奈緒とキスを重ねるたびに、次は奈緒に対して何をしようかとわくわくしながら考えて
いる自分はいなかったか。

 そうだ。この次は奈緒の体を愛撫し、そしていつかは奈緒と身体的に結ばれたいと思っ
ていた自分がそこにはいたのだ。そしてその気持ちは実は今になってもまだ清算すらでき
ていなかった。

 奈緒は妹だ。そして彼女は僕が奈緒に対してこんな破廉恥な気持ちを抱いているなんて
夢にも思っていないだろう。つらい別れをして以来、再会を夢見続けていた奈緒は自分の
兄を取り戻せたことに満足しているのだ。彼氏としての奈緒人が消滅してしまっても気に
ならないくらいに。

 それなのに僕はそんな妹に対して汚らしい欲情をまだ捨てきれていない。
413 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:44:19.74 ID:sMDby2FSo

 こんなことを考えていたらまたフラッシュバックを起こしそうだった。僕はとりあえず
無理に考えを違う方向に捻じ曲げた。

 明日香は急がないと言ってくれた。明日香が僕の彼女で奈緒が僕の妹である将来だって、
あり得ない話ではないのだ。というか両親も玲子叔母さんも僕と明日香が結ばれることに
祝福こそすれ反対はしないだろう。

 でもそれは急ぐことではなかった。奈緒との関係の整理とか明日香との付き合い方とか
を今日一日で決めろといわれてもそれは無理だ。奈緒に感じた性欲のようなものを思い起
こすだけでもつらい今では絶対に無理だった。

 それで僕は無理に今日平井さんから聞いたことを思い起こした。

 有希が女帝だったとしたら、この先明日香や奈緒には何らかの危害が及ぶ可能性がある
のだろうか。

 明日香に関して言えば、とりあえず飯田は逮捕された。この先どうなるのかはわからな
いけど、少なくとも傷害事件の現行犯だから家裁を経て少年院送りとなるか、あるいは初
犯なら執行猶予とか保護観察になるかだろう。

 でも平井さんの話では前から警察に目を付けられていたらしいし、初犯じゃあないのか
もしれない。いずれにせよ再び明日香を狙う可能性はそんなに高くないだろう。

 奈緒はどうか。

 明日香が飯田のアパートに無防備について行ったのは、飯田に奈緒の話をほのめかされ
たからだ。奈緒のような子とボーイズギャングとして警察にマークされている飯田との間
にはいったいどんな接点があるのだろう。

 考えられるとすれば有希がその接点だということだった。あの有希が女帝として飯田や
池山にいろいろ命令したり指示する立場にいるなら、飯田たちは有希から奈緒のことを聞
いていた可能性は考えられる。

 でも奈緒も有希もお互いのことを親友だと言っていた。少なくとも有希が奈緒のことを
親友だと考えているなら、有希の命令で奈緒に危害が及ぶ可能性は低い。

 明日香と奈緒の身がすぐに危ないというわけでもなさそうだ。その点に関しては僕は少
しだけ安心することができた。

 それから僕は平井さんと玲子叔母さんの言葉を思い出した。



『おまえ、やる気なのか』

『そうか。やる気なのか。じゃあまあ気をつけろよ』

 平井さんは戸惑っている僕の言葉なんか気にもせずにそう言い放った。


『・・・・・・別にいいけど。奈緒人、あんた本当にやる気なの?』

『まあいいや。あたしにできることなら何でも言いな。明日香のためならあたしも協力す
るから』

 これは叔母さんのセリフだった。

 いい大人の二人は僕に対していったい何を期待しているのだろう。
414 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:44:52.46 ID:sMDby2FSo

 翌朝、叔母さんは家まで車で僕を迎えに来てくれた。叔母さんの車の音はすぐにわかる。
それは周囲に響くような重低音だった。明らかに近所迷惑としか思えないのだけど、叔母
さんはそのシルバーの古い国産のクーペを大切にしていたし自慢もしていた。

「おはよう叔母さん」

 僕は玄関から外に出た。

「おはよう奈緒人。何か雪でも降りそうな天気だね」

 叔母さんが車の中でハンドルを握りながら言った。

「叔母さん、朝なんだからあまりエンジンの空吹かししないでよ」

「悪い。ちょっと調子が悪くてさ。じゃあ行こうか」

 僕は叔母さんの車の助手席に乗り込んだ。スポーツカーらしくひどく腰がシートに沈み
込みフロントウィンドウから見る景色がとても低いように感じる。

「明日香の保険証持ってきた?」

「うん。持ってきたよ」

「じゃあ行こう。あ、帰りは明日香が助手席な。後ろの席は狭いし怪我人にはつらいから
ね」

 叔母さんの車はツーシーターではないのだけれど、後席は飾りみたいなものだった。や
たらに狭いし天井も低い。とても長く人が乗っていられるような空間ではない。

「叔母さんも普通の車に買い換えたら?」

「普通の車じゃん」

 叔母さんがアクセルを踏んだ。車は急発進して坂を下りだした。まるで昨日の加山さん
の運転のようだった。

「叔母さん、ここスクールゾーンだからスピード出しちゃ駄目だよ」

「お、いけね」

 やがて叔母さんの運転する車は環状線に入った。妹の入院している病院はうちからはそ
んなに遠くないのだけど、平日の朝は病院までの国道は通勤の車で渋滞していてなかなか
目的地の近くに辿り着く様子がない。

「叔母さんさ」

 僕は信号待ちでも工事でもないのに一向に動かない車の中でハンドルを握っている叔母
さんに言った。

「うん」

「昨日叔母さん言ってたでしょ? 本当にやる気なのって」

「言ったよ。そんであたしは反対しないよ。というかあたしも手伝うよ」

「手伝うって」

「結城さんや姉さんには言わない方がいいとは思うけどね」

 僕は混乱してきた。
415 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/29(月) 23:48:39.04 ID:sMDby2FSo

「叔母さんはいったい僕が何をしようとしていると思ってるの?」

「明日香のために、あの子が何でいきなり襲われそうになったのかを調べるんでしょ」
 あっさりと叔母さんは言った。「そんな危険なことは警察に任せておいた方がいいよ
って普通の大人なら言うんだろうけどね」

 病室から抜け出して平井さんの後をついて行こうとしたときに、僕はそこまで考えてい
たわけではなかった。ただ、あのときの有希の冷たい視線と言葉が思い浮んだだけなのだ。

 でも改めて叔母さんにそう言われると、最初から僕はそうするつもりだったのかもしれ
ないと気がつかされたのだ。

 もともとすべきことはわかっていたのだけれど、奈緒とのことが頭を占めていたせいで
はっきりとそれを突き詰めて考えなかっただけなのだ。

 妹でも彼女でも明日香は僕にとって大切な女の子だ。そのことをここ数日で僕は思い知
った。明日香が遊んでいた相手は、明日香が考えていたような単純な遊び人たちではなく、
脱法ドラッグとやらを取り引きしているような組織なのだ。

 それでも僕はひ弱な高校生に過ぎない。そんな僕に対して警察の平井さんや玲子叔母さ
んが何でそこまで僕の意思を疑いなく決め付けるのかはよくわからなかった。喧嘩が強い
わけでもなければ頭が切れるわけでもない。

 それでも明日香のためならばしなければいけないことはするだけなのだろう。多分明日
香の病室を抜け出して平井さんを追いかけたときから僕は無意識にそう決めていたのかも
しれなかった。

「あたしを除け者にするなよ、奈緒人。あたしたちは家族なんだからさ。家族のためには
あたしたちは結束して立ち向かうのよ」

 叔母さんは大袈裟に言って笑った。

 でも叔母さんを巻き込むわけにはいかない。

 玲子叔母さんは頼りになるけど、それでもやはりやつらから見ればか弱い女性に過ぎな
い。性格的に男勝りだとか車の運転が荒いだとか、そんなことはこれから相手にするやつ
らには通用しない。

 ドラッグとかを扱っているような連中なのだから、彼らに目を付けられたら叔母さんだ
って明日香と同じような目に会わないとは言い切れない。

 自分の叔母をそんな目で見るのはやりきれないのだけど、玲子叔母さんは綺麗だった。
客観的に見れば叔母さんだってか弱い女性に過ぎない。飯田のようなやつらから見れば叔
母さんは年上とはいえ、明日香同様性的に弄ぶ対象として狙われたとしても不思議はない
のだ。

 叔母さんをそんな危険なことに巻き込むわけにはいかない。だから僕はもうこの話には
触れずに言った。

「明日香はいつから学校に行けるのかな」

「それはわからないよ。今日主治医に聞いているけど、少なくとも今週いっぱいくらいは
自宅療養なんじゃないかなあ」

 僕は即座に決心した。奈緒には申し訳ないことになるかもしれないけど。

「じゃあ僕が学校を休んで奈緒の面倒をみるよ」

「悪いね」
 本当に申し訳なさそうに玲子叔母さんが言った。「あたしも今日の午前中休むだけで精
一杯でさ」

「叔母さんのせいじゃないよ」

「結城さんと姉さんも仕事を何とかやりくりするって言ってたけど」

「無理しなくていいって言っておいて。僕が明日香の面倒を見るから」

「・・・・・・わかった」

 玲子叔母さんは最近すぐに涙を見せるようになったらしい。

 ようやく叔母さんは病院の駐車場に車を入れた。自宅を出てから一時間以上はかかって
いた。
416 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/29(月) 23:49:50.18 ID:sMDby2FSo

本日はここまで

次回の投下はは女神を更新した後になります

ここまでお付き合いいただいた方には感謝しています

ではまた
417 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/29(月) 23:50:34.47 ID:oDJJPa37o
418 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/30(火) 00:07:48.94 ID:yg210FZEo
419 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/30(火) 17:48:49.69 ID:8Ygj4vq9o

おもしろいです

>>415
>「じゃあ僕が学校を休んで奈緒の面倒をみるよ」

って明日香のことですか?
420 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/10/30(火) 20:12:44.00 ID:zKUSGRR50


いいね
421 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:52:08.11 ID:Ve6nBptio

第四章 玲子



 それから明日香が退院するまでも長かった。叔母さんが会計で治療費や入院費用を支払
うだけで一時間弱は要しただろう。

 突然の入院だったので荷物なんか全くないのはよかったけど、それからが大変だった。
明日香が着替えることになって僕は明日香と叔母さんに病室から追い出された。でもすぐ
にまた病室のスライドドアが開いて叔母さんが困惑した顔を見せた。

「明日香の着替えがないや」
叔母さんが言った。

「そう言えば着替え持ってくるの忘れてたね。とりあえず昨日着ていた服じゃだめな
の?」

「・・・・・・飯田って男に破かれちゃったみたいね。病院の人が畳たんで置いといてくれたん
だけどとても着られる状態じゃないな」

 よく考えれば不思議なことではなかった。奈緒のこととか明日香の告白のこととかそう
いう自分にとっての悩みばかり考えていたせいで、僕はこういう本当に必要なことなんか
何も考えていなかったのだ

「悪い。あたしがうっかりしてた」

 叔母さんはそう言ったけど叔母さんのせいじゃない。むしろ昨日病院を後にしてすぐに
仕事に戻るほど忙しかったのに、明日香の保険証を持ってくることを注意してくれたのだ
って叔母さんだった。学校を休んで明日香の退院に付き添うくらいで僕はいい兄貴になっ
たつもりでいたのだけど、それだけでは何もしていないのと同じだ。

「叔母さんのせいじゃないよ」
 僕は叔母さんに言った。「でも破かれた服とか見たら明日香も思い出しちゃったかな
あ」

「・・・・・・気にしていない様子だけど、多分相当無理していると思うな」

「そうだよね」

 PTSDから生じるフラッシュバックのつらさは僕が一番わかっていたはずだったのに。

「家に戻るわけにも行かないからさ、あたしちょっと明日香の服を適当に買ってくるわ。
だからあんたは明日香の相手してやってて。できる?」

 叔母さんがわざわざできるかと念を押したわけはよくわかった。

「うん、大丈夫」

「じゃあちょっと行ってくる」

 病室に引っ込んだ叔母さんに付いていこうとして僕は止められた。

「また入院着に着替えさせるからちょっと待ってて」

 ・・・・・・このとき僕はそんなことすら気を遣うことがきない大馬鹿者になった気がした。
422 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:53:00.15 ID:Ve6nBptio

 叔母さんが明日香の服を買いに行っている間、僕は明日香と二人で病室で叔母さんの帰
りを待っていた。

 明日香は外見的には自分の破かれた服を見たショックを表情に表わしてはいないように
見えた。

「結局、学校は何日くらい休めばいいんだって?」

 僕は明日香のベッドの横の丸椅子に座って聞いた。

「今週いっぱいは自宅で療養してた方がいいって先生が言ってた」
 明日香が答えた。「お兄ちゃんと違って勉強とか好きじゃないし休めるのは嬉しいな」

「そんなのん気なこと言ってる場合か」

 僕は明日香に笑いかけた。

「だって正々堂々と休めるなんて滅多にないじゃん」

 明日香も笑ってくれたけど何かその表情は痛々しい。

「とりあえず今朝は母さんが会社からおまえの中学の担任に具合悪いから休ませますって
連絡しているはずなんだけどさ」

「うん」

「明日からはどうしようか。いっそインフルエンザになったことにする? 今流行ってい
るし」

「別に・・・・・・怪我したからでいいじゃん」

「だってそしたら」

 そうしたら担任の先生には理由を聞かれるだろう。いずれ平井さんたちの捜査が進めば
学校にも事実が伝わってしまうのだろうけど、その前に明日香がレイプされそうになって
怪我をしたなんて他人には話したくない。

「あまり気にしなくていいよ。お兄ちゃんも叔母さんも」

 明日香が不意に言った。

「おまえ」

「自業自得だもん。あたしがあんなバカやって飯田たちみたいなやつらと付き合ってなか
ったらこんなことも起きなかっただろうし」

「おまえのせいじゃないよ。か弱い女の子に力づくで何とかしようなんて100%男の方
が悪いに決まってる。おまえが変な連中と付き合ったのは感心しないけど、だからといっ
てこれにはおまえに全く責任はないよ」

「うん。お兄ちゃんありがと」

 病院で会ってから初めて僕は明日香の涙を見た。

「だからおまえが気にすることなんて何もないんだ」

「うん」

 明日香の泣き笑いのような変な表情がそのときの僕には印象的だった。
423 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:53:45.09 ID:Ve6nBptio

「それにしてもさ、あたしはか弱くなんかないって。奈緒とか有希みたいなお嬢様じゃな
いんだしさ」

「・・・・・・僕にとってはおまえはいつもか弱い危なっかしい妹だよ」

「え」

「前にさ、公園で鳩を追い駆けていた幼いおまえの記憶が残っているって話したことある
だろ」

「それ、きっと奈緒の記憶だよ。年齢が違うもん。あたしたちが初めて出会ったのはそん
なに幼い年じゃないし」

「うん。多分それは僕の思い違いなんだろうけどさ。でもそのときの女の子をすごく大切
に感じたことや僕が守ってやらなきゃって思ってその子を追い駆けていた記憶はすごく鮮
明なんだよね」

「お兄ちゃんは奈緒のことをそれだけ大切に思ってたんでしょうね」

「いや、僕はその子をおまえだとこの間まで信じていたしさ。それでもその幼いおまえの
ことが心配な気持ちは確かに感じてたんだ。事実としては勘違いかもしれないけど、おま
えのことを大切に思った想いだけは本当の感情だと思うよ」

「お兄ちゃん・・・・・・」

「おまえと仲が悪かったときとかおまえが夜遅く帰ってきたときとか、正直関りたくない
と思ったことはあったけど、結局気になって眠れなかったんだよね。僕も」

 病室のベッドに腰かけていた明日香が涙の残った目で僕を見上げた。

「それくらいにしなよ。それ以上言うともう本気でお兄ちゃんを誰にも渡したくなくなっ
ちゃうよ」

「うん。おまえと恋人同士になれるかどうかはともかく、少なくともおまえは僕の妹だよ、
一生」

 僕はだいぶ恥かしいことを真顔で言ったのだけど、そのときはそれはあまり考えずに自
然と口から出た言葉だったのだ。

「・・・・・・まあとりあえずそれで満足しておこうかな」
 泣きやんだ明日香が微笑んで言った。「ヘタレのお兄ちゃんにこれ以上迫ったら逃げ出
しちゃうかもしれないし、それはそれで嫌だから」

「ヘタレって」

「とりあえずあたしはこれで奈緒と同じスタートラインに立てたってことだね」

 明日香が言った。

 僕は黙ってしまった。まだ明日香の気持ちに応えられるほど気持ちの整理はついていな
い。僕は昨晩感じた奈緒への性欲のような衝動を思い出した。

「血が繋がっていないだけ有利だしね」

 明日香が僕に止めをさした。
424 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:54:37.07 ID:Ve6nBptio

 それでも叔母さんが帰ってくるまで病室内の雰囲気は穏やかだったと思う。お互いに意
識して微妙なラインの会話を続けながらも、昔よりは確実に僕と明日香はお互いを理解し
合おうとしていたのだ。

 僕が奈緒のことで悩んでいたときに明日香は僕を黙って支えてくれたし、今は僕は同じ
ことを明日香にしようとしている。それは明日香の僕への想いとはかかわりなく、ようや
く僕たちが自然な兄妹の関係に復帰できたということだった。

「パパやママもそうだけどまた玲子叔母さんに迷惑かけちゃったな」

 明日香の担任にどう話そうかという話を蒸し返していたときに明日香がぽつんと言った。

 確かにそのとおりだった。僕と奈緒のことでいろいろ迷惑をかけただけでは足りずに、
今回は叔母さんにはお礼の言いようもないほど世話になったのだ。

 真っ先に病院に駆けつけたのも、すぐに僕に連絡をくれたのも叔母さんだ。そして今日
は半日だけとはいえ多忙な仕事をよそに病院の支払いから明日香の着替えの購入まで面倒
を見てくれている。

「昔から姉さんにはあんたたちの世話を押し付けられてたからね」

 僕が叔母さんにお礼を言おうとしても叔母さんはそう言って笑うだけだった。叔母さん
にだって自分の仕事やプライベートな仕事だってあるのだろうに、僕たちも両親も叔母さ
んに頼ってばかりだ。

「叔母さんって彼氏いないのかなあ」

 明日香がそう言った。

「さあ? 聞いたことないよね」

「あんなに綺麗なんだから絶対いると思うな」

「確かにそうだ」

 そのとき僕は叔母さんのすらりとした細身の容姿を思い浮かべた。確かにあれで彼氏が
いない方が不自然だ。もっとも性格の方はだいぶ男っぽいので大概の男では叔母さんを満
足させられないのかもしれない。

「玲子叔母さんってパパのこと好きだったんじゃないかな」

 突然明日香がびっくりするようなことを言い出した。

「え? パパって今の父さんのこと?」

「うん。あたしたちのパパのこと」

 女の子の想像というのも随分突飛な方向に暴走するものだとそのとき僕は思った。それ
はまじめに取り合う気もしないほど斜め上の発想だった。

「何でそうなるの」

「叔母さんがパパに話しかけるときの雰囲気とかで感じない? 何か甘えているような感
じ」

「どうかなあ。特には気がつかないな」

「ママがいる時は普通の態度なのよ。でもさ、この間の夜みたいにママがいなくてパパと
かあたしたちと一緒にいる時の叔母さんって、すごくはしゃいでててさ。パパに話しかけ
るときの様子とか何か可愛い女の子って感じじゃん」

「それは思いすぎだと思うけどなあ。第一叔母さんにだけじゃなくて母さんにだって失礼
だろ、そんな想像は」

「でもそう感じるんだもん」

 明日香が頑固に言い張った。
425 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:55:08.17 ID:Ve6nBptio

「ママとパパって幼馴染で、大学のときに再開してそれで社会人になってからパパの離婚
を経てようやく結ばれたんでしょ」

「叔母さんはそう言っていたね」

 僕はそのときに父さんと母さんの馴れ初めを始めて聞いたのだった。僕の本当の母さん
と父さんとの別れの原因を聞くのと一緒に。

「ママと叔母さんは十三歳年が違うんだ。すごく年の離れた姉妹なんだって」

 その辺の事情を詳しく聞いたことはなかったけど、以前から叔母さんと母さんが年齢が
離れていることだけは何となく感じていたことだった。

「ママが今度四十三歳でしょ?」

「そういや母さんの誕生日って来月じゃん。今年は一緒にプレゼント買おうか」

 これまで仲が悪かった僕たちは母さんへのプレゼントをそれぞれ別々に用意していたの
だ。母さんは平等にそれを喜んでくれたのだけど。

「いいけど。って今はそういう話じゃなくて。パパとママが大学時代に再会したとき、叔
母さんは小学生にはなっていたわけだし、そのときパパに淡い初恋をしたっておかしくな
いじゃん」

「どうでもいいけど、それ全部状況証拠っていうか思い込みだろう」

「可能性の話だよ。あと再婚の頃は叔母さんだって二十歳を過ぎていたんだから、あらた
めてパパに対する禁じられた報われない恋に泣いていたとしても不思議はないでしょ。顔
には祝福の笑みを浮べながら。叔母さんかわいそう」

 叔母さんにここまで世話になったと言いながら明日香はさっそくこれだ。でも叔母さん
には悪いけどこういう話で明日香が重苦しい気持ちを忘れられるならむしろ大歓迎だった。
叔母さんの前ではこういう話をしないように釘はさしておかなければならないけど。

「叔母さん、もてそうだし彼氏とか作って結婚しようと思えばすぐにでもできそうなのに
ね」

 僕は言った。それは本音だった。むしろ僕たちの世話を焼くことが叔母さんの邪魔にな
っているのかもしれない。あとは殺人的に多忙な仕事もそうだろうけど。
426 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/30(火) 22:56:57.93 ID:Ve6nBptio

「何よ。お兄ちゃん、玲子叔母さんのことが気になるの?」

 明日香が少しだけ真面目な顔で僕を睨んだ。

「ば、おまえ何言って」

「確かに叔母さん綺麗だもんね。よく考えたらお兄ちゃんとは血が繋がってないし」

「おまえ、いくらなんでもそれは叔母さんに失礼だろう」

「・・・・・・何で本気で赤くなってるのよ」

「なってねえし」

「お兄ちゃんってパパに似てるしね。叔母さんもパパに似ているお兄ちゃんのことが気に
なっていたりして・・・・・・それも男性として」

「おまえ・・・・・・怒るぞ」

 明日香は僕の精一杯の威嚇なんか少しも気にしていないようだった。

「考えてみればパパと叔母さんは十五歳違いだけど、お兄ちゃんと叔母さんは十三歳違い
だもんね。パパよりお兄ちゃんのほうが叔母さんに年齢が近いじゃん」

 明日香の冗談に付き合っているときりがない。でも僕はそのとき叔母さんのすらりとし
た容姿を重苦しく思い出した。

 女帝の率いるボーイズギャング団のことを思い出したからだ。

 そいつらは女帝が現われてからは女の人を襲ったりとか、道端で強盗まがいのことをし
なくなったと平井さんは言っていた。そのかわり脱法ドラッグを組織的に仕入れて売ると
いう暴力団まがいの商売を始めたのだ。

 一見大人しくなったようだけど危険な連中であることに違いはなかった。本当に女帝と
いう女が実在するとしたら、僕が探ろうとしていることは相当に危険なことに違いない。

 叔母さんは僕と一緒にその探索をすると意気込んで言っていたけど、やはりそれだけは
阻止しなくてはならない。これから探ろうとしている連中は、相手が大人だからといって
遠慮したり恐れたりする相手ではなさそうだ。深入りすれば叔母さんだって明日香と同様
に飯田のようなやつに何かひどいことをされてしまう危険がある。

「まあ、あたしは相手が玲子叔母さんでも奈緒でも有希でも、お兄ちゃんを譲る気なんて
ないんだけどね」

 明日香が叔母さんから話を変えた。僕はあのとき逃げ去っていった明日香を見送って以
来初めて彼女の口から有希の名前を聞いたのだ。

 明日香もそのことに気がついたようだった。彼女の表情が曇った。
427 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/30(火) 22:58:48.28 ID:Ve6nBptio

今日はここまで。

女神更新後にこちらも投下予定です。


>>419
すいません、明日香のことです。脳内補正してください。

それではお付き合いありがとうございました。
428 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/30(火) 23:20:11.08 ID:8Ygj4vq9o

ありがとうございます
429 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/10/30(火) 23:46:18.24 ID:yg210FZEo
乙や
430 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/30(火) 23:57:39.42 ID:g43Tp2hSO
>>423で有希の名前出してるで
431 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/10/31(水) 01:10:24.71 ID:o4tkuHtho
432 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/10/31(水) 01:20:27.16 ID:Rn9aXK2Ro
433 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:39:35.00 ID:z8naSqP5o

 明日香が笑顔を消して何か話し出そうとしたとき、叔母さんがどこかのショップのブラ
ンドロゴの記された紙のバッグを提げて病室に入ってきた。

「ちょうど先月号で提供してもらったショップを思い出してさ、考えたらこの病院のすぐ
そばにあるんだったよ」

 叔母さんが持ってきたショップのロゴは僕には初めて見かけるものだったけど、明日香
はそれを見て曇っていた顔を輝かせた。

「え、これJASPERじゃん。こんなの貰っていいの?」

「たまには明日香にプレゼントしてもいいかなって。高いんだぞ大事にしろよって・・・・・・
奈緒人、あんたどうかしたの?」

「お兄ちゃんはね、叔母さんのこと」

 明日香はとりあえず有希のことを忘れたように、嬉しそうに何かを喋りだそうとした。
嫌な予感がした僕はこいつに飛び掛るようにして口を押さえた。

「何すんのよ! 離しなさいよお兄ちゃん」

「これこれ病院でいちゃいちゃするのやめろ」

 叔母さんが飽きれたように笑った。

「違うのよ。ねえ叔母さん、聞いて聞いて。お兄ちゃんって叔母さんのこと、うう!」

 僕は辛うじて明日香の口を抑えることができた。全く。明日香の悪ふざけにも程がある。

「おいもういい加減にしろよ」

「叔母さんの前だからって照れちゃって」

「おい」

「はいはい。着替えるからお兄ちゃんは出て行ってよ」

「あ、うん。余計なこと言うんじゃないよ」

「わかったから出て行ってよ・・・・・・それとも見たい? て痛い」

 叔母さんが明日香の頭をグーで軽くぶったのだった。

 僕は病室の外で少なくともニ、三十分は待たされたんじゃないかと思う。その間に室内
からは楽しそうな話し声が聞こえてきたので、僕が叔母さんのことを好きだとかという悪
質な冗談を話し合っていたのではないらしい。

 僕は少し安心した。もちろん叔母さんのことを女性としてどうこう思う気持ちなんかな
いし、明日香にしたって冗談で言っているだけなのはわかっていた。

 でも去年までは本当の身内だと思っていた叔母さんに対して、明日香がこんな冗談を言
うのはとても気まずい。一度そんな話を意識してしまうと、僕の性格では叔母さんに対し
て普通に話しかけることすらできなくなってしまうかもしれない。僕が明日香の冗談を悪
質だと言ったのははそういうことだった。
434 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:40:13.31 ID:z8naSqP5o

 それでもつらい目にあった明日香がはしゃいでいる様子を見るのは正直ほっとした。だ
からとても気まずいけれど僕は叔母さんに関する明日香の悪ふざけを本気で怒るわけにも
いかなかった。

 さいわいなことに病室の外の廊下で待たされている間に室内から聞こえてくる明日香と
叔母さんの会話は主にファッション関係の話らしかった。明日香の興味が叔母さんが買っ
てきた服の方に移ったのだろう。

「お待たせ」

 ドアが開いて明日香と叔母さんが並んで出て来た。顔や腕にまだ包帯が巻かれているの
で痛々しい感じは残っているけど、新しい服に着替えたせいか明日香はだいぶ元気な様子
に見えた。

「ほら、この服ちょっと大人っぽいでしょ」

 明日香が僕に言った。

「こないだまでの明日香のファッションはケバ過ぎて見ていられなかったからね」
 叔母さんが笑って言った。「これくらいシックな方がいいよ」

 こうして明日香と叔母さんが並んで立っているとまるで少し年の離れたお洒落な姉妹の
ようだ。とても叔母と姪には見えない。

「じゃあ帰ろうか。さすがに少し急がないと午後の約束に遅れそうだよ」

 叔母さんが言った。

 叔母さんが車を病院の入り口にまわしてきたので、まず僕が狭い後部座席に乗り込んだ。
それから明日香が無事に助手席に座ったのを確認してから叔母さんは車を発進させた。

「雪が降ってる」

 明日香が走り出した車の中から外を見て言った。朝、病院に向かっているときは陰鬱な
曇り空だったのだけど、病院を出る頃には細かい雪がちらほらと空から舞い落ちてきてい
た。

「こんなんじゃ積もらないだろうね」

「積もらなくて助かるよ。明日香は今週は登校しないからいいだろうけど、毎日出勤する
方の身になれよ」

 叔母さんが笑って言った。

「だって叔母さんは好きで今の仕事してるんだからいいじゃん」

「それはそうだけど・・・・・・ってそんなこと誰から聞いたの」

「パパが言ってた。玲子ちゃんは好きな仕事しているだけで幸せだからなって」

 叔母さんが顔をしかめた。

「何で結城さんがそんなこと言ったんだろ」

「叔母さんって何で結婚しないのってあたしがパパに聞いたの。そしたらパパがそう言っ
た」

「何であんたはそう余計なことを結城さんに聞くのよ」

「何でって言われてもなあ。ねえねえ、叔母さんってパパのこと好きだったの?」

「な、何言ってんのよ明日香」

 叔母さんが狼狽したように口ごもった。

「叔母さん、前! 前の信号、赤だって」

 僕の警告に気が付いた叔母さんは横断歩道の手前でタイヤを軋ませて車を急停止させた。

 車を急停止させた叔母さんは真っ赤な顔でじっと目の前の革張りの高価そうなステアリ
ングを見つめていた。
435 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:40:44.66 ID:z8naSqP5o

「ちょっとやりすぎちゃったかなあ」

 叔母さんはあの後あまり喋らなくなった。そして明日香と僕を自宅に送り届けるとそそ
くさと車を出して仕事に戻ってしまったのだった。

 明日香はリビングのソファで怪我をした部分を当てないように上手に横になってくつろ
いでいた。手元にはテレビのリモコンまで引き寄せているところを見ると、こいつは今日
は自分の部屋ではなくリビングで過ごす気になっているようだ。

「ちょっとなんてもんじゃないだろ。叔母さん、あれからあまり話してくれなくなっちゃ
ったじゃないか」

「だって気になるんだもん」

 年上の叔母さんのそういう感情面みたいな部分を話すことに僕は違和感のようなものを
感じた。さっきの病室での明日香の冗談だって居心地が悪かったし。

 だけど今は明日香が襲われた話とか有希の話とかをするよりも、こういう話をしていた
方が明日香にとっては気が楽だろうとさっきも病院で考えたばかりだ。だから僕は無理に
話を遮らずその話に付き合うことにした。

「叔母さんだってもう三十じゃない? あんだけお洒落で綺麗なのにいつまで独身でいる
つもりだろ。男なんていくらでも捕まえられそうじゃん」

「確かに綺麗だけどさ。叔母さんって性格は男っぽいからなあ」

「お兄ちゃんってやっぱキモオタ童貞だけあって女のこととかわかってないのね」

 随分な言われようだけど明日香の言葉には以前のようなとげはなかった。

「それは反論できないけど」

「叔母さんのしっかりとした態度なんて職場とかあたしたち向きの演技だよ、きっと」

 明日香が随分うがったことを言った。

「そうかなあ」

 車の趣味とかきびきびした決断の早い行動とかがあいまって叔母さんを男っぽく見せて
いるのだろうけど、その全部が演技だというのはさすがに素直には受け取り難い。

「男と同じに扱われる職場だってまえに叔母さんも言っていたし。それに叔母さんが両親
があまりそばにいてくれないあたしたちと一緒に過ごしてくれるときってさ」

「うん」

「多分必要以上に頼りになる叔母さんを演出してくれてたんだよ、今まで」

 それはあまり考えたことのない視点だった。たしかにそういうことはあるかもしれない。
叔母さんは以前から好んで僕たちの世話を焼いてくれていたし、まだ幼かった頃の僕たち
に対して安心感を与えようとしてくれていたのかもしれなかった。

 小さい頃から叔母さんにべったりだった明日香も今までただ甘えていただけではないら
しい。明日香は叔母さんの心の動きまで察していたようだった。
436 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:42:37.56 ID:z8naSqP5o

「本当は叔母さんだって普通の女の子だと思うよ。まあ三十歳になるんだから女の子って
ことはないんだけど」

「叔母さんって誕生日いつだっけ?」

 僕はふと思いついて言った。

「八月でしょ」

「叔母さんの誕生日にも一緒にプレゼントしようか。お世話になってるんだし」

 明日香はそんな僕の提案を瞬時に却下した。

「叔母さんに喧嘩売るつもりならお兄ちゃんが一人でプレゼントしたら? ケーキに三十
本ろうそくを立てて渡しなよ・・・・・・そんな勇気がお兄ちゃんにあるならね」

 三十になる女の人は誕生日なんて喜ばないのだろうか。

「だいたい何でそこでプレゼントなんて発想がでてくるの? お兄ちゃんて中学生の女の
子が好きなロリコンだと思ってたけど、冗談抜きで年上属性もあるの? て痛い」

 僕はさっきの叔母さんを真似て明日香の頭を軽く叩いたのだ。明日香とこんなコミュニ
ケーションが取れるなんて不思議で少しだけ幸福感を感じる。

「何すんのよ」
 明日香が文句を言ったけど昔なら本気でつかみ合いの喧嘩になっていただろう。

「あたしさ、パパとママの仲が壊れるなんて絶対に嫌なんだけど、それでもどういうわけ
かママがいないときの叔母さんとパパの雰囲気とか会話とかは大好きなんだ」

 そういえば年末にもそういうことがあった。明日香の言うように叔母さんが父さんのこ
とを好きなのかどうかはわからないけど、確かにあのときの二人は親密な感じだった。

「それはわかるような気はするけどさ。それにしても僕は叔母さんのことをどうこうなん
て全く思っていないぞ。洒落にしてもしついこいよ」

「そうかなあ」

 ちょっと真面目な顔で明日香が呟いた。

「マジで言うんだけどさ。お兄ちゃんって本当のママの記憶ってあまりないんでしょ」

「うん。ほとんどない」

「うちのママだってあまり家にいないしさ。お兄ちゃんにとってのママの役って玲子叔母
さんが引き受けてたんじゃないかなあ」

 僕は不意をつかれた。確かにそういうことはあるかもしれない。僕は昔から叔母さんに
は懐いていた。去年母さんと明日香とは血が繋がっていないことを知らされたとき、しば
らくして僕は叔母さんとも血縁関係になかったことに気がついた。それからの僕の叔母さ
んへの態度は不自由で不自然なものになってしまった。

 でもこの間の夜、叔母さんは僕に敬語を使うのはよせと言ってくれたのだ。僕が叔母さ
んの言葉に従ったとき、叔母さんは目に涙を浮べてくれていた。

 明日香のことや奈緒のことで僕が自分でも気が付かずにどんなに叔母さんを頼っていた
か。明日香の言葉で僕は改めて真面目に考えた。

「叔母さんだってお兄ちゃんのことすごく大切にしているしね」

 明日香が言った。
437 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:44:34.53 ID:z8naSqP5o

「でも、真面目な話だけど叔母さんを口説いたりしたらお兄ちゃんのこと許さないから
ね」

 そのとき自分でもようやく気が付いた叔母さんへの僕の真剣な慕情を明日香が無神経に
ぶち壊した。この恋愛脳のばか妹はまた話をそっち方面に持っていったのだ。

「だから何を言ってるんだよ。叔母さんは僕にとっては母親代わりみたいなものだって自
分で言ったばっかじゃないか」

「血が繋がっていない母性ってさ、互いに恋愛感情になりやすいって思うんだ」

 そんなことを考えていたのか、こいつは。人のことは言えないけどちょっと恋愛系の漫
画とかの読みすぎではないのか。それも少女漫画というよりレディースコミックのような
やつを。

「・・・・・・あたしさ」
 明日香が声を低くして言った。「なんか玲子叔母さんとお兄ちゃんが二人きりで笑いあ
っていたり話しをしていたりするところを見ていると何か胸がもやもやする」

「そろそろ洒落になんないよ。もうよそうよ」

「まあ、半分は冗談だけどね」

 半分は本気なのかよって僕は思ったけどこの話題はもう終わりにしたかった。

「まあ、あたしは相手が玲子叔母さんでも奈緒でも有希でも、お兄ちゃんを譲る気なんて
ないんだけどね」

 明日香が突然さっき言ったセリフを蒸し返した。

「有希さんのことはもういいよ。確かにおまえのしたことは感心しないけど、おまえなり
に僕のことを心配してくれたんだろうから」

 明日香が僕の方を真っ直ぐに見た。

「有希はお兄ちゃんのことが好きだよ。自分でもそう言っていたし」

「うん、知ってる。有希さんから直接聞いたよ」

「そうなんだ。あたし有希のことを応援しようと思ったの。有希とお兄ちゃんがくっつけ
ばお兄ちゃんは奈緒のことを忘れてくれるかも知れないって思って」

「だからわかってるよ。もういいんだ」

「でも有希のことをあたしは裏切っちゃったの。有希を応援するなんて言って有希をけし
かけておきながらお兄ちゃんに告白なんてしちゃてさ。しかもそれを有希に聞かれたんだ
から、有希が怒るのも無理はないの」
438 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/10/31(水) 23:47:10.68 ID:z8naSqP5o

 でも今となってはそれは多分明日香が思っているような単純な話ではない。有希は女帝
かもしれないのだ。その有希が本気で僕を好きになったのかは考えただけでも疑わしい。

 最初に有希に近づいたのは明日香の方みたいだけど、仮に有希がギャング団の女親分だ
としたら明日香ごときに誘われるままに僕たちと冬休みを一緒に過ごしたり、僕のことが
好きだなんて告白したりするだろうか。

 やはり有希には何か目的があるのだ。そして有希に不用意に接近してしまった明日香の
身の安全のためにも、僕はその理由を探らなければならない。

 どういうわけか平井さんも玲子叔母さんも最初から僕がそうすることに疑いを抱いてい
なかった。いったい何でかはわからないけど。

 それを明日香に言う必要はない。叔母さんだってそのことは明日香には全く話していな
いようだった。だから僕は明日香にこう言った。

「有希さんのことはもういいよ。そしてもう有希さんには近づかない方がいい。下手に謝
ろうなんてしたらかえって彼女を傷つけると思うよ」

「ちゃんと謝りたかったんだけどな」

「もう関わりになる必要はないよ。おまえが本気で僕のことを好きならなおさらね」

「お兄ちゃん、あたしの愛情を疑っているの?」

 何とか明日香の気持ちを逸らすことができた。これ以上明日香は有希と関ってはいけな
いのだ。そのとき僕は一番大切な話をまだ明日香にしていなかったことに気がついた。

「それよりさ。奈緒と会ったんだ」

「え」

 明日香はすぐに有希のことを忘れて奈緒の話に食いついた。

「何でよ? もう会わないって約束したじゃない」

 僕は昨日叔母さんに話したことを繰り返した。奈緒に待ち伏せされ詰られたこと。その
後フラッシュバックを起こした僕が口走ったセリフによって、奈緒は僕が引き離された実
の兄だと気づいたこと。

 明日香は驚いたように口も挟まずに話を聞いていたけど、僕と奈緒がこれからは再会し
た兄妹としてずっと一緒にいようと約束をしたあたりで不服そうな顔をした。

「それって結局、奈緒とお兄ちゃんはこれまでどおり朝一緒に登校するし、お兄ちゃんは毎
週土曜日にはピアノ教室に奈緒を迎えに行くってこと?」

「まあ、そうだね」

「・・・・・・なんか別れた恋人同士がよりを戻したみたいに聞こえるんだけど」

「そんなわけあるか。これから兄妹として仲良くしていこうってことだよ」

「兄妹ってそんなにいつもベタベタ一緒にいるものだっけ」

「最近は僕だっておまえといつも一緒じゃん」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃないし」

 正しい日本語にはなってないけど、明日香の言うことも理解できた。同時にいい兄妹に
なるはずの兄の方が、今でもまだ妹になったはずの奈緒に対して抱いている性的な情欲の
ことも心に浮かんだのだけどそれは胸のうちにそっと仕舞っておいた。
439 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/10/31(水) 23:49:21.41 ID:z8naSqP5o

女神更新前ですが、こちらの方が先にできてしまったのでとりあえず投下しました。

>>430
ご指摘のとおりです。有希の名前はなかったことにしてください。

ここまでお付き合いありがとうございます。
440 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/01(木) 00:15:42.47 ID:UwIlXnx+o
441 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/01(木) 00:32:21.67 ID:nOkDrH8do
442 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/11/01(木) 13:52:50.43 ID:FXa8/81co
面白い
ネット小説は玉石混交だから良い物に出会えた時の喜びも一入だわ
443 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/01(木) 20:43:49.57 ID:79xgf+vO0
いえーい

待ってたぜ

乙ぅ!
444 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/01(木) 21:30:07.19 ID:PN+495aCo
445 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 22:57:07.56 ID:2dnAe72Fo

 もう十年も前になる。

 それはすごく暑い日だったけど、家庭裁判所の隣にある公園は樹木が高く枝を張り、繁
茂している緑に日差しが和らげられていて、申し訳程度にエアコンが働いている家裁の古
びた建物の中よりよっぽど快適だった。

 あれは大学二年の頃だったから、今から思うとあたしがまだ保育園に通っていた姪の明
日香を公園で遊ばせていたのは2003年のことだったと思う。

 明日香は涼しい木陰には片時もじっとしていなくて、あたしは炎天下の中を喜んで駆け
回っている明日香を汗だくになりながら追い駆ける羽目になった。小さい子どもだから無
理はないけど、明日香は二年前に父親を事故で亡くしたことなんかもうすっかり忘れてい
て、その日もちっとも大人しくせずにはしゃぎまわっていた。

 本当なら今頃は飛行機に乗って北海道に向かっているはずだった。大学のサークルの合
宿がちょうどこの日から始まっていたのだ。あたしは随分サークルの合宿を楽しみにして
いた。サークル内に気の合う女の子たちがいっぱいいたということもあるけど、密かに気
になっていた先輩が北海道出身で、自由時間があればあたしをいろいろ案内してあげるよ
って言ってくれていたということもあった。

 大学二年生だったあたしはいろいろな事情もあって、高校時代に期待していたような充
実した楽しい大学生活を送っていたとは言えない状況だった。音楽関係でもしたいことは
あったし、彼氏だって作りたかった。アルバイトもしてみたかったし、同じクラスの子た
ちと講義の後でカフェに集って気になる男の子の話だってしたかった。

 でもこればかりは仕方がない。姉さんの旦那が高速道路の追突事故で突然の死を遂げて
からあたしは落ち込んでいる姉さんを必死で励ましたし、一時期姉さんが育児を放棄した
ときは姉さんに代わって両親と一緒に姪の明日香の面倒もみた。あの頃は毎日自殺しかね
ない暗い顔の姉さんを一生懸命励ましながら、明日香の保育園の送り迎えをするのが大学
で講義を受けていないときのあたしの日課だった。

 姉さんと姪のためだからあたしはそれを当然だと思って引き受けたし、そのことで姉さ
んや明日香を恨みに思ったことはなかったけど、あたしの大学生活はスタートから入学前
に期待したようなものでなくなってしまったことも事実だった。

 それでも必修の講義のカリキュラムを何とかこなして、希望を持って入会したサークル
では幽霊部員扱いされながらも、あたしは必死で姉さんを支えた。もともと姉さんとは十
歳以上も年齢が離れていたせいもあって、これまでは姉さんに頼ってきたのはあたしの方
だった。その姉さんが抜け殻のようになってかろうじて自分の仕事だけを必死で守ってい
た姿を見たとき、あたしは自分が大学生活に期待していた多くのことを捨てる決心をした
のだ。
446 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 22:57:38.42 ID:2dnAe72Fo

 あたしは公園の涼しい木陰を抜け出して噴水の水に手を差し伸べてきゃあきゃあと楽し
そうに一人で遊んでいる明日香を目で追いながらサークルの夏合宿のことをぼんやりと考
えた。

 今頃はサークルのみんなは飛行機の中で盛り上がっているだろう。滅多にサークルに顔
を出せないあたしに合宿の案内を手渡して誘ってくれたのは気になっていた先輩だった。

「君の同期の女の子たちから頼まれたんだ。玲子ちゃんは家庭の事情で忙しいみたいだけ
ど、せめて合宿くらいは参加してほしいから僕から声をかけてくれって」

 先輩はそんなに目立つ方ではなかったし、あたしだってあのことさえなかったら先輩を
好きになろうなんて思わなかったかもしれない。それは先輩にはすごく失礼なことだった
けど。

 木管楽器を専攻していた先輩は穏やかでいつも笑顔を浮かべていた。他の先輩たちと異
なり音楽上の野望もないようで故郷の北海道で音楽の教師をしたいということだけが、先
輩の唯一の望みだと聞いていた。もともと将来への夢でぎらぎらしている学生で溢れてい
たこの大学では、そういう堅実な姿勢は珍しかった。あたしが先輩のことを気にしたのは
そのことを友だちから聞かされたからかもしれない。

「君にも事情があるだろうしあまり無理は言えないけど、できるなら合宿に参加した方が
いいよ。知り合いも増えるしね」

「それに」」

 先輩はそこで少し顔を赤らめて照れたように続けた。

「自由時間には君をあちこち案内してあげるよ。北海道はいいところだよ」

 その言葉がしばらくの間あたしの胸の中に留まってぐるぐると渦巻いた。

 先輩のような人と恋におちて将来北海道で教員をしている先輩と共に暮らすという考え
があたしの心を捉えて離さなかったのだ。今から思うと随分先輩には失礼な話だっと思う。
先輩のことが気になっていたのは嘘じゃなかった。

 でもそれは本気の恋ではなかったのだ。
447 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 22:58:09.16 ID:2dnAe72Fo

 姉さんが立ち直って少しづつ元気を取り戻したのは偶然に結城さんと再会したからだっ
た。あたしは以前のように笑顔を見せるようになった姉さんのことが嬉しかった。姉さん
が久しぶりの笑顔で明日香を抱き上げる様子を見ると、依然として大学生活には未練があ
ったあたしも明日香の世話をすることがあまり苦にならなくなってきた。

 幼馴染だった結城さんと姉さんの再会と交友関係の復活が恋愛関係に変化するのに時間
は不要だったみたいだった。姉さんは結城さんの存在に心の平穏を見出したのだ。

 その頃の結城さんは自分の不在中に複数の男と浮気した挙句、大切な子どもたちを虐待
まがいにネグレクトした奥さんと離婚協議中だった。でもそれさえ片付けば二人は結ばれ
て改めて幸せな家庭を築けるだろう。

 こうして姉さんが旦那の不慮の死から立ち直っていくことは嬉しかったし、実家の両親
も素直に喜んだので家の雰囲気もよくなっていった。それでもこの変化によって新たな問
題も生じた。それは主にあたしの個人的な問題だった。

 あたしはは姉さんに紹介されて初めてあった結城さんに恋してしまったのだ。そしてそ
の不毛な恋から逃れようとあたしは気になっていた先輩が好きになったのだと自分に言い
聞かせ、そう思い込もうとしていた。



 いつのまにか明日香は公園の中央にある芝生のところで同じ年くらいの女の子と遊びだ
していた。この年代の子どもたちが仲良くなるなんて実に簡単なことらしい。

 明日香とその女の子は手をつないで一緒に逃げ惑う鳩を追いかけていた。明日香の足取
りもその女の子の足取りも危う気だった。互いに走る速度が違うのにお互いに手を離そう
としないからこれではすぐにでも転倒しそうな感じだ。さいわいにも地面は芝生が張って
あるし転んでもどうってことはないとあたしは思ったけど、すぐに考えを改めた。よその
子どもを怪我させてしまうとまずい。あたしは物思いにふけるのを中断して明日香を止め
ようと思った。

 そのとき小学生くらいの男の子が二人の後を追い駆け出した。

「こらナオ。あんまり走ると危ないよ」

 男の子の澄んだ声が響き渡った。

 その男の子のことは目に入っていたのだけど、この子が明日香と一緒に遊んでいる女の
子の連れだとは思わなかった。この子は女の子のお兄さんなのだろう。その子の声や表情
には妹を大切にしている様子が窺われてあたしは思わず微笑んだ。兄弟っていいものだ。
あたしだって姉さんのためにいろいろと自分を犠牲にしてきたのだけど、そのことで本気
で姉さんを恨んだことはなかった。血の繋がりってすごいんだなとあたしその子を眺めな
がら考えた。
448 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 22:58:40.62 ID:2dnAe72Fo

 男の子は明日香たちに追いついて二人の無謀な冒険を止めさせた。

「あたしたちはころばないもん」

 妹の方が口をとがらせて男の子に反抗した。

「でも転びそうになってたじゃん」

「なってない。お兄ちゃんのうそつき」

 やはりこの二人は兄妹なのだ。

「なってたよ」

 男の子のほうも譲る気はないようで頑固に妹に向かってそう言い張った。

「なってない! ねえアスカちゃん」

「そうだよねー。ナオちゃん」

 いつの間にかお互いの名前を教えあっていたらしい。ナオという名前を聞いたとき、あ
たしは公園に隣接した古い建物に集合して話し合いをしている人たちのことを思い出した。
 今日あたしは結城さんと一緒に話し合いに参加している姉さんの代わりに明日香の面倒
を見ていた。どうせなら実家で明日香の面倒をみていた方が楽なのだけど、最近やたらに
明日香のことを構うようになった姉さんが自宅を出ようとしただけで、明日香の機嫌が悪
くなったのだ。それであたしは明日香と一緒にこんな場所に来ていた。

 今日は確か結城さんも子どもたちを連れて来ていたはずだった。結城さんの両親が通院
する日だとかで子どもたちの面倒を見る人がいないという話だった。

 結城さんと姉さんは家裁のロビーで待ち合わせをしていたから、あたしは家裁の建物に
入らずに明日香を連れて公園に来たのだった。

 目の前にいる二人はやはり結城さんの子どもなのだろう。名前も奈緒人と奈緒で事前に
聞いていた話と一致する。

 あたしは三人がもつれ合うようにして会話をしている芝生の方に向かった。

「こんにちは奈緒人君、奈緒ちゃん」

 このときの奈緒人は少し警戒したようにあたしを見たのだった。そして奈緒ちゃんの手
を握って自分の背後に隠すようにした。その警戒心にあふれた彼の仕草は、この兄妹がこ
れまでどんなに過酷な生活を強いられてきたかを、そして兄妹の絆がどんなに強いのかを
物語るものだった。あたしは胸の痛みを誤魔化して無理に奈緒人に笑いかけた。

「心配しないでいいよ。お姉ちゃんは奈緒人君のパパの友だちだよ」

 父親のことを聞いて奈緒人は少しほっとしたように警戒を解いてくれた。

「おばさんはパパのお友だちなの」

 奈緒人は気を許してくれたようだった。
449 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 22:59:29.74 ID:2dnAe72Fo

 奈緒人の目を見たときあたしはもう間違いないと思った。奈緒ちゃんはともかく奈緒人
は結城さんにそっくりだった。

「でも奈緒人君と奈緒ちゃんの面倒は誰がみるの?」

 今日明日香を連れて家裁まで来る途中であたしは姉さんに聞いた。

「安心して。いくらなんでも初対面の子どもたちの面倒を玲子にみれくれとはいわないか
ら」
 本来なら相当緊張していてもいい場面なのに、姉さんは笑って言った。「玲子は明日香
を見ていてくれればいいよ。結城さんが言ってたけど奈緒人君って年齢のわりにはすごく
しっかりしてるんだって。奈緒ちゃんには奈緒人がいれば大丈夫だって結城さんは言って
たし」

 確かに奈緒人がいれば奈緒ちゃんは大丈夫だろう。実際にこのふたりを見ていたあたし
もそう思った。年齢の割には奈緒人はすごく大人びている印象だった。きっと奈緒ちゃん
を守るためにそうならざるを得なかったのだろう。こんな子どもにそこまでの生活を強い
た人がすぐ隣の家裁に来ているのだ。そのとき初めてあたしは見たこともないこの二人の
母親に憎しみを覚えた。

「ねえ、お姉さん喉が渇いちゃったんだけどみんなでジュースを飲もうか。ソフトクリー
ムでもいいよ」

 公園の隅にワゴンが出ていてジュースやらソフトクリームやらを販売していることにあ
たしは気がついていた。姉さんの彼氏の子どもたちなんだからあたしがまとめて面倒をみ
たって叱られはしないだろう。

「おばさんいいの?」

 その頃の奈緒人は小学生の割には随分遠慮がちな子どもだった。いや遠慮がちなのはあ
れから十年たった今でも同じだ。

「あのさ、あたしのことは玲子お姉さんって呼んでね」

 この年でおばさん呼ばわりされるのはかなわないので、あたしは奈緒人にそう言い聞か
せた。

「何でなの? あたしはいつも叔母さんって呼んでるじゃん」

 無邪気な声で明日香が余計なことを言った。あんたの呼んでいる「叔母さん」とこの二
人がいう「おばさん」じゃ意味が違うのよ。あたしはそう言いたかったけどそれをこの無
邪気な子どもたちに上手に説明できる自信はなかった。

「玲子叔母さんっていうんだよ」

 明日香が奈緒人に教えた。それでその時から今に至るまであたしは奈緒人に叔母さんと
言われ続けている。
450 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 23:00:11.49 ID:2dnAe72Fo

 公園の隅のワゴンであたしはソフトクリームを買って子どもたちに渡した。そろそろ正
午に近い時間で、あたしと明日香が公園に来てから一時間以上も経っている。

 もう三人はすっかり打ち解けていた。奈緒人が結城さんに似ていたせいで、ともすれば
あたしの視線は彼に釘付けになっていたのだけど、よく見ると妹の奈緒ちゃんはすごく可
愛らしい子だった。身びいきではなく明日香も可愛い子だと思っていたのだけど、外見の
整っていることでは奈緒ちゃんの方に軍配が上がった。

 明日香と仲良しになったらしい奈緒ちゃんだけど、彼女の視線はすぐに奈緒人の姿を求
めていた。途中、奈緒人はあたしに奈緒ちゃんを託して公園のトイレに行った。明日香と
夢中になってお喋りしながらソフトクリームを舐めていた奈緒ちゃんは、奈緒人がそばに
いないこと気がつくとパニックにおちいったのだ。

 突然泣き出した奈緒ちゃんを抱きしめて宥めていたあたしは、奈緒人が帰ってくるのを
見つけてほっとした。奈緒ちゃんはあたしの手から抜け出して奈緒人に抱きついた。

 離婚調停では結城さんの奥さんは二人の親権を主張していて折り合いがついていない。
でもまだ幼い奈緒人と奈緒ちゃんをここまで追い詰めた母親にそんなことを言う資格はあ
るのだろうか。結城さんの離婚に関しては全く口を出す気もその資格もないあたしですら
そう思った。この子たちは結城さんと姉さんに引き取られた方が絶対に幸せになれるだろ
う。いや、幸せになれなくても少なくとも普通の子どもと同じ生活は送れるに違いない。

 姉さんが再婚後にも仕事を続けるのなら、そうしたらそのときはあたしがこの三人の面
倒をみてもいい。さっきまでサークルの北海道合宿に未練たっぷりだったあたしだけど、
このときは本気でそう思った。

 このとき結城さんと姉さんがワゴンのそばにいるあたしたちに気がついて、連れ立って
あたしたちのところに来た。

「あら、結局一緒にいたんだ」

 姉さんが微笑んだ。

「玲子さん、奈緒人たちの面倒までみてもらってすいませんでした」

 結城さんもあたしにそう言った。

「パパ」

 奈緒ちゃんが奈緒人から離れて結城さんに抱きついた。
451 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/02(金) 23:04:20.73 ID:2dnAe72Fo

 あれから十年経った。結局結城さんは奈緒ちゃんを引き取ることはできなかったのだけ
ど、奈緒人だけは結城さんと姉さんの新しい家庭で明日香と一緒に兄妹として育った。

 あれからあたしの結城さんへの恋はあたしの心の底に深く隠されていて、あたしは誰に
もそのことを悟られなかった自信があった。

 再婚しても姉さんは仕事を止めなかったので、前ほどではないけどあたしは大学を卒業
するまで引き続き明日香の面倒をみた。あたしは当然、新たに姉さんたちの家族の一員と
なった奈緒人の面倒も一緒にみようとしたのだけど、奈緒人は明日香とは異なり全く手の
かからない子どもだった。

 奈緒と二人で脱走する途中で保護されて、結局奈緒ちゃんとつらい別れを経験した奈緒
人は、その後は一度もあたしに奈緒ちゃんの名前を出すことはなかった。まるで記憶から
すっぽりとその部分が欠落したように。

 あたしは先輩とは何の進展もなく、高校時代に夢想したような充実した大学生活を送る
ことなく大学を卒業した。

 もちろん演奏家になることもなかった。それでも運がよかったのだろう。あたしは大手
の出版社に入社した。最初は自社で出版している雑誌の広告を取る営業の仕事についた。
その後に雑誌の販促を担当する営業企画の仕事を経て、あたしはやっと希望し続けていた
雑誌の編集部に編集者として配属されることができた。本当は週刊誌で報道の仕事を希望
していたのだけど、結局配属されたのは女子高校生をターゲットにしたファッション雑誌
の編集部だった。

 この頃になるとさすがに仕事が忙しくなってきたあたしは、以前のように明日香や奈緒
人の世話をすることもなくなっていた。

 明日香は昔と変わらずあたしを慕っていてくれたけど、この頃には明日香と奈緒人との
仲は最悪の関係になってしまったようだった。あたしは仕事の合間を縫ってこの二人とな
るべく会うようにしたのだけど、そういうときでも明日香は全く奈緒人に話しかけること
すらしなかったのだ。

 そのせいかはわからないけど奈緒人は内省的な性格の男の子になっていた。口数も少な
いし趣味もインドア系のものばかりだったらしい。でもそんな彼にもあたしは好かれてい
る自信はあった。奈緒人は遠慮がちにだけどあたしに甘えてくれることすらあった。

 あたしは時折奈緒人があたしに向ける視線にどきっとすることがあった。そしてその視
線は結城さんのそれにそっくりだった。

 成長した奈緒人に対して、あたしは良い叔母さん的な態度で接するように努めたけど、
ときおり彼の視線に狼狽していることがあり、それはあたしを悩ませた。

 きっとあたしが三十近くまで彼氏すら出来たことがなく、処女ですらあったからなのか
もしれない。こんな叔母さんが高校生の甥っ子である奈緒人の視線にときめくことがある
なんて誰にも知られる訳にはいかない。



 ・・・・・・退院した明日香は、今日奈緒人があたしに異性としての好意を抱いているという
いうようなことを匂わした。あたしは胸の動悸を必死で抑えて明日香の言葉の意味に気が
つかないふりをした。

 追い討ちをかけるように明日香は結城さんへのあたしの好意について質問したのだ。結
局何も言葉が出てこなかったあたしは、二人を自宅に送ってから逃げるように車を出した。

 そうして二人と別れて車を運転して社に戻り途中でも、そのときの明日香の言葉が繰り
返し胸の中再生されていた。



『お兄ちゃんはね、叔母さんのこと』

『違うのよ。ねえ叔母さん、聞いて聞いて。お兄ちゃんって叔母さんのこと』



 あのときあたしは何で顔を赤くするほど明日香のその言葉にうろたえたのだろう。いっ
たい三十歳にもなるあたしは何を期待したのだろうか。まるで高校生の女の子のように取
り乱しながら。
452 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/02(金) 23:04:55.26 ID:2dnAe72Fo

今日は以上です。

また投下します。いつもお付き合いありがとうございます。
453 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/03(土) 00:09:21.11 ID:tf5z92cKo
454 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/03(土) 01:08:50.45 ID:+AwEdKLto
455 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/03(土) 03:06:43.21 ID:r1E/adpgo
玲子さん可愛いすぎワロタwww
456 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/03(土) 06:40:38.83 ID:12bauEaIO
ナオのオカンの浮気でナオトの家族もアスカの家族もメチャクチャになったんじゃなかった?
457 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/03(土) 12:56:42.07 ID:y7OLWMkG0
やべぇ

おばさんカワユス
458 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/03(土) 13:53:15.74 ID:+tQd2OPSO
>>456
>>318->>324に書いてある
わざわざ読み返して確認したわw

ついでに有希の名字が「藤咲」から「太田」に変わってたことも確認した
459 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:06:30.92 ID:gptjZZajo

「玲子さん、起きてくださいよ」

 いろいろ悩んだせいか寝不足だったせいか。あたしはデスクに突っ伏して寝てしまって
いたようだった。さっきまで紙面のレイアウトの指示をメモにしておこうとパソコンに向
かっていたはずなのに。

 涎まで垂らしてみっともなく居眠りしていたあたしは酒井さんの声に起こされた。

「酒井さんか。ごめん、寝ちゃってた」

「どしたの? 昨日も徹夜でした?

 酒井さんが悪意なく笑って言った。あたしは酒井さんとの打ち合わせ時間を過ぎている
のに、それに気がつかずに寝入ってしまっていたようだった。

「ううん。仕事じゃなくてプライベートでちょっとね」

「何だ、男ですか」

「違うって。姉貴のところがちょっとがたがたしててさ」

「ふーん。ああそういや大晦日に俺わざわざ打ち合わせに行ったのに玲子ちゃんにふられ
て追い返されたことあったよね。あの子たちって玲子ちゃんの姉貴の子どもなんすか」

「うん。あのときは本当にごめんなさい」

 そう言えば彼にはまだあの夜のことを謝罪していなかったことを思い出してあたしは少
し慌てて言った。

「まあ、訳有りみたいだから仕方ないですけど」

 酒井さんはうちの編集部に出入りしているフリーのライター兼カメラマンだった。うち
とは付き合いの深い編集プロダクションの社員で、将来は時事や社会問題を専門にしたい
という希望があるのだという。

 本人の服装は冴えないけれど、それなりに若い女の子の事情やファッションに詳しいと
かで、去年あたりから借り出されて女子高生のソフトな時事ネタとかを拾って記事を書い
てくれるようになった。報道分野での競争は激しいので生活のためにこういう仕事も引き
受けているのだと思うけど、彼の記事はよく若い女の子たちのトレンドを捉えていた。

 酒井さんはまだ若い。あたしよりもまだ年下なくらいに。なので、そのうちに本人の希
望するような記事を書けるときも来るだろう。それくらいの文章力や企画力はある人だっ
たし。

 ただ、放っておくと勝手にどんどんシリアスな記事を書いてしまうところはあって、結
果として出来上がった文章はうちのようなファッション雑誌にはふさわしくない仕上がり
になることも多いのは欠点だった。注意すればすぐに記事を書き直してくれるような柔軟
さも酒井さんは持ち合わせていたけれど。

 そういえば彼は結婚したばかりだったな。この年まで彼氏がいたことのないあたしは少
しだけ彼をうらやんだ。

「とにかくごめん。大晦日の夜のことも今日のことも」

「いや、別にいいっすけど。で、どうします? 打ち合わせできますか」

「もちろん」

 あたしはまだ気だるく残っていた眠気と一緒に、自分の甥に関する不健全で、でも今の
あたしのとっては痺れるように甘かった妄想を振り払った。

「じゃあミーティング・ルームに行きましょうか」

「ういっす」

 酒井さんが言った。
460 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:07:00.31 ID:gptjZZajo

 それは見開きページの企画物で、雑誌の一番後ろの方のページに掲載される埋め草記事
の企画だった。そんなだから企画そのものはレイアウトに至るまで酒井さんの所属するプ
ロダクションにまる投げだった。

「テーマはハーブの香りでリフレッシュして彼氏に良い女だと思わせようでしたよね」

 酒井さんは自販機で買ったコーヒーを飲みながら言った。

「うん」

「アロマテラピーのことを書けばいいんでしたっけ」

「まあそういうやつ。たださ、商品紹介では価格的にJKが買える範囲の商品にしてくれ
ないと困るけど」

「うーん」
 酒井さんが困惑したように言った。「企画にけちをつける気はないんですけど、アロマ
テラピーって対象年齢を間違えてませんかね?」

「まあJKが自室でお香みたいにハーブを炊いてるなんて想像できないよね。火だって使
うんだしさ」

「・・・・・・わかってるなら何でこんな企画を考えたんです?」

「あたしの企画じゃないもん。キャップの婆さんが最近アロマにはまっててさ。それで一
本作れて言われただけだし」

「下請けの身で何ですけど。まあ玲子さんだから言うんですけど、ぶっちゃけこの企画す
ごく無理がないですか」

「酒井さんもそう思う?」

「ああいうのって結構高いみたいだし、JKが買える範囲の商品を紹介しろって言われて
もなあ。それに高校生には絶対受けないですよ、こんな特集」

「・・・・・・・やっぱそうだよね」

 キャップに言われた時には、てめえの趣味で雑誌作るじゃねえよとかって心の中で悪態
をついたあたしだったけど、後半の埋め草の記事だからまあ仕方ないかと思ったことも事
実だった。でも担当している企画をライターさんに呆れられたのは正直恥かしかった。

「じゃあどうするよ? あたしキャップに歯向かう権限なんてないよ」

「いや、まあ勝手に仕事を断ったら僕が社長に殺されますよ。だからやります、やらせて
ください」

 酒井さんはおどけて言ったけど下請けの編集プロダクションの社員ならこう言うしかな
いだろう。あたしは酒井さんを気の毒に思ったけど、こんな特集を担当して恥をかくのは
むしろあたしの方なのだ。

「少しテーマを広げて何とかやってみます」

「悪いね」

「仕事ですからね」

 酒井さんは笑って言ってくれた。
461 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:07:31.74 ID:gptjZZajo

 打ち合わせも終了に近づき世間話モードになっていた。酒井さんの話は面白い。大手出
版社で記事の企画をまる投げしているあたしたち正社員の編集者は、取材対象の人たちと
直接触れ合うことは滅多にないのだけど、酒井さん実際に現場に出ているので話題は豊富
だった。

「そういえばアロマテラピーと言えば、玲子さんって脱法ハーブのことって知ってます
か?」

「最近よくニュースでやってるよね。ハーブに化学物質をふりかけて作った麻薬のことで
しょ」

「そうそう。合法ドラッグとも言われてるんですけどね。要は薬事法の麻薬指定が追いつ
かない科学物資をハーブに混ぜ込んで売ってるんですけど」

「それって吸うとやばいの?」

「まあ吸引したり飲んだりして摂取するんですけどね。嗅覚からにせよ経口からにせよそ
の物質は最終的には血流にのるわけですよ」

「うん」

「麻薬と同じ効果があるらしくてね。昔からあったことはあったらしいですね」

「何で突然そんな話するの?」

「アロマテラピーと原理は一緒なんでつい思い出しちゃったんですけどね。要は気持ちよ
くなったりリラックスしたりする効果があるわけでしょう。結局、化学物質が血流経由で
脳を刺激するんですよね。アロマもドラッグも同じで。それでドーパミンが放出されれば
心が落ち浮いたような気がするし、アドレナリンが放出されれば興奮してハイになるとい
うわけです」

「・・・・・・なんでそんなに詳しいのよ。酒井さんまさか」

「やってませんよ。何ていうことを考えるんですか」

「だってやたら詳しいし」

「へへ。僕、週間時事の企画記事のライターを任されちゃいました」

 どうも酒井さんがあたしに一番言いたかったのはこのことだったらしい。

「マジで? すごいじゃん酒井さん」

「やっと時事関係の報道記事を書けるようになりましたよ。おかげさまで」

「よかったね、酒井さん。頑張ってね」

 あたしは素直に彼を祝福した。でも彼は単純に自分の希望の仕事ができるようになった
ことをあたしに話したいだけではないらしい。

「それで相談なんですけど。今言ったようにアロマテラピーと合法ハーブは似てるんです
よね。多分取材源も被ってくると思うんですよ」

「似てるからってドラッグの記事とアロマの記事を一緒にするな。うちのは女子高生向け
なのにドラッグの取材なんかしてどうするのよ」

「そこは承知してます。でも週間時事の企画は脱法ハーブが中高生に浸透している実態を
書けって内容なんですよ。ヘブンティーンと対象が被るじゃないですか」

「ちょっと待ってよ。うちの読者は麻薬に手を出す不良じゃないぞ。記事のアプローチは
全く違うでしょうが」

「そこは書き分けますよ。信頼してください」
462 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:08:17.27 ID:gptjZZajo

 まさか脱法ハーブに手を出す女子高生の乱れた実態とかいう記事を書く気じゃないだろ
うな。あたしは疑った。でも酒井さんはあたしの心配を察知したようですぐにあたしを宥
めだした。

「僕だってプロですよ。そこは信頼してくださいよ。ヘブンティーン用にはお洒落な記事
にしますよ。効き目が弱い商品を追えばいいでしょ」

「それならいいけど・・・・・・あたしにこれ以上揉め事を持って来ないでよ」

「大丈夫っす。玲子さんには迷惑をかけません」

 酒井さんはミーティングルームを意気込んで出て行った。最初の気乗り薄の反応からは
想像できないほど張り切って。

 きっと彼は週間時事の調査報道に全力を傾けたいのだろう。それもあって最初彼はうち
の雑誌の無理な企画には気が進まなかったのかもしれない。でもこじつけにせよ彼は時事
の企画とうちの企画の接点を見出したのだ。これで彼は自分のプロダクションの社長に怒
られることなく自分のしたい取材を好きなようにする方法を見出したのだろう。

 彼はその取材から二本の異なるベクトルの記事を書き上げる気になったのだ。

 まあ、酒井さんの記事ができてから、それチェックできれば問題ないだろう。もともと
うちの雑誌には無理のある企画なのだし。

 それにしても、これ以上揉め事を持ってこないでとは随分図々しいことを言ったものだ。
今のあたしにとって揉め事は仕事のことではないのだ。

 酒井さんがいなくなったミーティングルームで一人ぽつんと座っていたあたしには、す
ぐにでもデスクに戻ってしなければいけない仕事があった。そう思ったあたしだけど体は
全く動かなかった 飲みさしのコーヒーを手に持ったままであたしは再び無益な考えに身
を委ねた。

 明日香は本気で奈緒人のことが好きになったようだった。病室での告白めいた明日香の
言葉からも、最近二人のまるで恋人同士のような態度からもそれは明らかだった。

 あたしは最近では二人が恋人同士になるのならそれはそれでいいと思っていた。明日香
の奈緒人に対する嫌悪や反発がなくなっただけでも、奈緒人のことを考えれば喜ばしいこ
とだ。あたしは何年も前からこの兄妹の不仲に心を痛めてきたのだから。

 奈緒人が奈緒ちゃんに再会したことに危機感を抱いた明日香はそれまでの奈緒人への頑
なな悪意を撤回した。明日香にとっては奈緒ちゃんは天敵だったのだろう。姉さんの愛情
や関心が少なくとも半分は奈緒人に持っていかれた原因は、奈緒ちゃんの母親にあるのだ
と明日香は考えていたらしかった。

 だからあたしはどういう理由にせよ二人が仲直りしたこと自体は純粋に嬉しかった。
463 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:08:58.38 ID:gptjZZajo

 あたしの予想をはるかに凌駕するスピードで、明日香は奈緒人に本気で惹かれて恋をし
たようだった。明日香と奈緒人は兄妹と行ってもお互いに血の繋がりはない。だから付き
合うこともできるし結婚だって可能だ。

 あたしは明日香と奈緒人が本気でお互いに兄妹以上の感情を抱いているのなら、二人の
味方になろうと思った。結城さんや姉さんがもし仮二人の仲に反対するなら、姉さんたち
を説得してあげてもいいとすら思ったのだ。

 ただ少なくとも奈緒ちゃんや彼女の母親を今だに警戒している姉さんは、むしろ奈緒人
と明日香の仲が進展することを望んでいるようだった。

 明日香の恋心は今となっては明白だ。明日香の奈緒人へのアプローチは、最初は奈緒人
が奈緒ちゃんに弄ばれて傷付くことを警戒して始めたことなのかもしれないけど、今とな
っては明日香は本気で奈緒人のことが好きなようだった。

 それに対して奈緒人が何を考えていたのかはよくわからない。明日香のこと以前に彼に
は奈緒ちゃんとの偶然の再会という出来事があったのだ。

 奈緒人は奈緒ちゃんのことをようやく再会できた肉親として考えているのか、それとも
自分の初めてできた彼女としてまだ未練が残っているだろうか。

 ただ、奈緒人もまた少なくとも妹として明日香を大切にしていることは明白だった。突
然病室から抜け出して警察の人と話していた奈緒人の後姿を眺めたとき、彼が明日香のこ
とを心配して今回の事件の背景を探ろうとしているのだとあたしは悟った。

 あたしは奈緒人のことが心配だった。以前から奈緒人は手のかからない子どもだった。
たいがいの悩みは自己解決してしまうようで、何から何まであたしや姉さんを頼ってきた
明日香とは大違いだった。でもそのことは奈緒人が精神的に強いという証明にはならない。
最近の奈緒人のフラッシュバックがいい例だ。これまで一人で溜め込んできたストレスが
一気に吐き出されているのだろう。

 奈緒人はあたしのことを叔母として慕ってくれている。あたしも奈緒人のことは心配だ
った。でもそれは学生時代からあたしが面倒を見てきた明日香への心配と同質の感情だと
自分を納得させることができるのだろうか




『お兄ちゃんはね、叔母さんのこと』

『違うのよ。ねえ叔母さん、聞いて聞いて。お兄ちゃんって叔母さんのこと』



 再び明日香の言葉が頭の中で再生された。
464 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/04(日) 00:12:32.49 ID:gptjZZajo

 三十近い年齢で未婚のしかも処女の女の妄想としては最悪に近いけど、あたしは慌てた
様子の奈緒人が遮った明日香の言葉を脳裏で勝手に補完した。そんなことをせずに忘れる
べきだったのだけど、そうしないではいられなかったのっだ。



『お兄ちゃんはね、叔母さんのこと(を一人の女性として好きなんだって)』

『違うのよ。ねえ叔母さん、聞いて聞いて。お兄ちゃんって叔母さんのこと(が昔から女として気になって仕方がないんだって)』



 これほど恥かしい妄想もないだろう。万一この妄想が奈緒人や明日香にばれたら、あた
しは二度といい叔母として二人の前に姿を現すことすらできなくなってしまう。

 でも自分を誤魔化すことはできなかった。その妄想は強烈に甘美な夢だった。あたしの
体の奥をじんと熱くするほどに。

 奈緒人は十三歳も年下の高校生だ。あたしが彼と初め出合った頃は彼は小学生で、彼は
あたしのことをおばさんと呼んだのだ。あたしたちの距離感はそこから始まっているとい
うのに。

 でも。

 もし奈緒人があたしの妄想そのままの言葉をあたしに囁きながら、あたしを見つめてそ
っとあたしの体に手を伸ばしてきたら。

 あたしは処女だ。でもそのときの奈緒人になら身体を柔らかく開いて全てを奈緒人に許
してしまうに違いない。

 こんなことを考えていることを知られただけでも明日香と奈緒人には絶交されてしまう
だろう。

 男の人が女体を知らないまま三十を過ぎると魔法使いと呼ばれるらしい。そこまで純潔
を保てれば魔法だって使えるようになるだろうというわけだ。それなら三十過ぎの処女は
何て呼ばれるだろう。魔女なんだろうか。

 こんなことなら今まであたしに言い寄ってきた社内の誰かに処女をくれてやればよかっ
たのだ。いつまでも姉さんの旦那の結城さんなんかに片想いなんかしていないで。

 あたしにとって結城さんの息子の奈緒人は彼の代替品なのだろうか。

 いや、違う。高校生の甥に恋するなんて気持ち悪いことを考えていたあたしだけど、そ
のことだけは自分に対しても否定できなかった。

 あたしは奈緒人に恋しているのだ。あの夏の日の公園で初めて出会ったときはまだ小学
生だった彼に。

 もちろん本気でこの恋を成就させる気なんかなかった。

 むしろこの恋を自分の中でどうやって終らせ、そして明日香に対する後ろめたい気持ち
をどうやって収めようかだけを考えよう。心からいい叔母さんとして二人の前に立つには
どうすればいいのかを考えよう。

 あたしは無意識に握りつぶしたままの紙コップを持ったまま、のろのろとミーティング
ルームを出て自分のデスクに戻った。
465 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/04(日) 00:14:37.89 ID:gptjZZajo

今日は以上です

矛盾点は全てご指摘のとおりです。

申し訳ないですけど最新のレスの内容が正しいということで上書きしちゃってください。

有希の苗字に関して言えば太田より藤咲の方がよかったなと後悔はしていますが。
466 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/04(日) 00:27:40.26 ID:kYjbd4HQo
乙!
467 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/04(日) 12:06:20.41 ID:rbgZcesyo
468 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/04(日) 12:23:06.29 ID:ySjf5+8Uo
469 :!ninja [sage]:2012/11/04(日) 19:54:25.83 ID:cRB8zFVV0
470 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:44:43.64 ID:NbEGfaswo

 翌日も僕は学校を休んだ。一見、僕のことをからかったり叔母さんの父さんへの恋を語
ったりしている明日香はもうあまり思いつめていないように見えた。

 でも、僕がトイレに行ったり食事の支度をしたりしてリビングのソファに寝ている明日
香のところに戻る際、僕は明日香が僕と話している時にはあまり見せない暗い表情をして
いることに気がついた。

 奈緒に会えないことは正直寂しかったし授業に遅れてしまうことへの危惧もあったけど、
僕が悩んでいた時期に僕にそっと寄り添って一緒にいてくれた明日香を一人で自宅に放置
するなんて論外だった。

 なのでリビングのソファで横になっている明日香の隣で僕はじっと腰かけて、PCに録
画していた深夜アニメを、転送したスマホで見ていた。明日香がテレビを見ているのでイ
ヤホンをして邪魔にならないようにしていたのだけど、それでも明日香は僕のしているこ
とが気に入らないようだった

「あたしとお兄ちゃんは一緒にいるのに何でお兄ちゃんは自分ひとりでアニメ見てニヤニ
ヤしてるのよ」

 明日香が僕のイヤホンを取り上げた。

 ニヤニヤなんかしいていない。

「よせよ。壊れちゃうだろ」

「一緒にテレビ見ながら話しようよ」

 明日香が僕の手からスマホを取り上げて言った。

「テレビって」

 平日の午前中だから仕方ないのだろうけど、明日香がさっきから興味深々に見入ってい
るのは主婦向けの情報番組だった。

「・・・・・・これ見るの?」

 僕は一応明日香に抗議したけれど実はそんなに視聴していたアニメには未練はなかった。
最近はリアルの生活でいろいろ進展があるせいか、これまではあれほど熱中していたアニ
メがなんだかそんなに面白いとは思わなくなっていた。

「・・・・・・嫌なの? じゃあチャンネル変えようか」

 明日香がリモコンを弄ったけど結局はどれも似たような番組だ。

「いいよ。最初におまえが見ていたやつで」

 窓からはちらほらと舞い降ってくる粉雪が見える。この調子だと今日は積もりそうな勢
いだ。

「・・・・・・この人おかしいよね」

 番組の中で芸人のコメンテーターが何か気の利いたことを言ったのだろう。明日香が笑
って僕の方を見た。
471 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:46:00.77 ID:NbEGfaswo

 今頃は奈緒はどうしているのだろう。僕はふと考えた。まだ午前中の授業時間だから授
業に熱中しているのだろうか。それともピアノのことでも考えてるのか。

 ・・・・・・それとも。ひょっとしたら僕のことを考えているのかもしれない。つらかった別
れを経て久しぶりに再会できた兄のことを。奈緒が自分の実の妹であることを知った日
以来、僕は精神的には本当にまいっていたのだけど、奈緒にとってはそれはそういう受
け止め方をするような事実ではなかったようだ。

 奈緒はすぐに僕が自分の兄であることを受け入れたばかりか、僕を抱きしめながら本当
に幸せそうな微笑みを浮べたのだ。僕は奈緒が真実を知らされることを恐れていた。出来
立ての自分の彼氏が恋愛対象として考えてはいけない相手だと知らされたときの奈緒がシ
ョックを受けて傷付くことを恐れたからだ。

 奈緒は傷付くどころか喜んだ。僕だって妹との再会は嬉しくないはずはなかった。でも、
これほどまでに入れ込ん最初の恋人が付き合ってはいけない女の子だったと知ったときの
絶望感は僕の心に深く沈潜してなくなることはなかった。

 僕ほどにショックを受けていないのは僕が兄だと知る前の僕のことを、奈緒がそれほど
愛してくれていたわけではないからなのだろうか。

 その考えは僕を混乱させた。奈緒を傷つけたくないと思っていたはずの僕は、あろうこ
とか奈緒が僕と恋人同士ではいられなくなるという事実を知っても動揺しなかったことに
対してショックを受けたのだ。

 いったい僕は何がしたいのだろう。過去に自分の記憶を封じ込めるほどにつらい過去が
あった。その話は玲子叔母さんが僕に話してくれたら今ではよく理解できていた。そのつ
らかった過去の一部が奈緒との再会によって癒されることになったのだ。

 それなのに僕はこれ以上いったい何を求め、何を期待していたのだろう。つらい別れを
した兄貴と偶然に再会できて喜んでいる実の妹の態度に、僕は何が不満なのだろう。

 突き詰めると簡単な話なのだろう。僕はあれだけ大切にしていた妹が再び僕のそばに
いてくれることだけでは満足できないのだ。要するに僕は奈緒のことを今でも妹としてで
はなく女としてしか見ていないのだろう。無邪気に兄との再会を喜んでいる奈緒の態度に、
僕は飽き足らない想いを感じているのだ。

 本音を言えば、奈緒を傷つけたくない混乱させたくないと思いながらも奈緒が彼氏であ
る僕を失ったことを悲しんで欲しかったのだ。僕が奈緒に対して感じているのと同じ感情
で。奈緒と出合った日。奈緒と初めてキスした日。

 僕はその思い出を今でも大切にしていた。そして僕は奈緒にもその想いを共有して欲し
かった。

 奈緒は血の繋がった実の妹だった。それが理解できていた今でもなお、僕は奈緒に自分
のことを異性として意識していて欲しいと願っていたのだ。ちょうど今の僕が奈緒に対し
てそう考えているように。
472 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:46:37.78 ID:NbEGfaswo

「また黙っちゃった。お兄ちゃんってこういうときはいつも何考えてるの」

 明日香は物思いにふけっていて自分を無視していた僕の態度に不満そうだった。

「ただぼんやりとしてただけだけど」

「そんなにあたしと二人きりでいるとつまらない?」

 明日香が言った。

「そんなことないって

「だってお兄ちゃん、さっきから全然あたしの話聞いてないじゃん」

「だからぼんやりしてたから」

 明日香がソファから半分身を起こした。

「あたし以外の女のことを考えてたんでしょ」

 一瞬僕はどきっとした。明日香の言うとおりだったから。

「いったい誰のこと考えてたのよ」
 明日香がテレビの音量を下げて僕を睨んだ。「・・・・・・もしかして玲子叔母さん?」

「おまえなあ、その話題はいい加減に止めろって。叔母さんに失礼だろ。あと僕にも」

「だってお兄ちゃんと叔母さんのお互いに対する態度って何かぎこちなくて怪しいも
ん。絶対玲子叔母さんってお兄ちゃんのことを男として意識してるよ」

「あんだけ叔母さんに世話になっておいてそういうこと言うか? 普通」

「叔母さんのことは大好きだけど、恋のライバルとなったらまた別だよ」

 どうも明日香はあながち冗談で言っているわけではないらしい。

「百歩譲ってたとえ僕が叔母さんに好意を抱いていたとしても、十七歳の僕と三十歳にな
る叔母さんが男女としてつりあうわけないだろう」

 明日香を宥めるためにそう言うと、どういうわけか彼女は僕の言葉が気に障ったようだ
た。

「・・・・・・冗談で言っているのに何でお兄ちゃんはマジで叔母さんのことが気になるみたい
な言い方をするのよ」

 明日香はとても冗談とは思えない表情で言った。

「あたし嫌だからね。お兄ちゃんが三十歳の叔母さんを彼女にするなんて」

「あのなあ」

「世間体だって悪いよ。知り合いはみんな本当の叔母さんだって思ってるのに、甥と叔母
さんが男女の関係になっちゃうなんてさ。血は繋がっていないことは知り合いはほとんど
誰も知らないわけだし」

 何かわからないけど明日香のスイッチが入ってしまったようだ。明日香にとっての地雷
は奈緒だと思っていたのだけど、昨日からこいつは随分叔母さんのことにこだわっている。
こいつをそんな考えに追いやるようなことなんて、僕と玲子叔母さんとの間には何も生じ
ていないのに。
473 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:47:13.32 ID:NbEGfaswo

 明日香がテレビの音量を下げたせいで部屋の中は静かだった。相変わらず窓の外には粉
雪が降りしきり庭の樹木を白く装っている。叔母さんは嫌がっていたけどこの分だと積も
るかもしれない。

「正直に言うとさ、さっきまで奈緒のことを考えてた」

 これ以上甥と叔母の恋愛なんて妄想には付き合いたくなかった僕は正直に言った。

 明日香はそれを聞くと黙ってしまった。

「だから玲子叔母さんのことを考えていたわけじゃないって。変な誤解するな」

 でも明日香は全然安心したような表情を見せなかった。

「・・・・・・最悪だよ」
 明日香が低い声で言った。「お兄ちゃん言ったよね? 奈緒とは再会したいい兄妹の関
係だって」

「うん」

「あたしと二人きりでも奈緒の方が気になるの? 実の妹なんでしょ? お兄ちゃんは実
の妹のことでいつも頭がいっぱいなわけ?」

「いや、違うって」

「どう違うのよ。お兄ちゃんはあたしの気持ちを知ったんでしょ。あたしはお兄ちゃんの
ことが好き。お兄ちゃんにあたしに彼氏になって欲しい。血も繋がっていないし、ママだ
ってそれを望んでいるのに」

 穏やかな午前中の時間はこれで終ったみたいだった。明日香は今では涙を浮べていた。
こいつは昨日は僕に返事は急がないと言ったばかりだったはずなのに。

「お兄ちゃんが高校の友だちの女の子が好きであたしが振られるなら仕方ないよ。それに
さっきはああは言ったけど玲子叔母さんとお兄ちゃんがお互いに求め合うなら、賛成は出
来ないけどまだしも理解くらいはするよ。年齢はともかく少なくとも血は繋がっていない
んだし」

「学校に好きな子なんていないし、玲子叔母さんはそういう対象じゃないだろ」

 明日香は僕の話なんて聞いていないようだった。

「でも、何でそれが奈緒なの? 奈緒だってお兄ちゃんが彼氏じゃなくて実の兄だってこ
とを受け入れたんでしょ? お兄ちゃんだってそう言ってたじゃない。それなのに何でお
あたしと一緒のときにいつもいつも奈緒のことばかり考えてるのよ」

 明日香はいい兄妹として仲直りする以前のような興奮した口調で話し出した。
474 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:47:41.32 ID:NbEGfaswo

 奈緒のことを考えていたと正直に明日香に話したのは失敗だったようだ。

 そのときの僕は、明日香の話を聞いているうちに玲子叔母さんのことを一人の女性とし
て意識させられそうで、そのことがとても気まずかった。だから、本当は黙っていた方が
いいと思っていたのだけど、正直に奈緒のことを考えていたと話したのだった。

 でも明日香が叔母さんのことを気にしているのも本当だろうけど、やはり明日香の一番
気に障る存在は奈緒のようだった。

 奈緒が悪意をもって僕を陥れるために近づいたのだという誤解は解けたはずだった。あ
れは偶然の出会いだったのだ。それを理解してもなお、明日香の奈緒に対する敵愾心はち
っとも薄れていないようだ。

 こうなってしまったら仕方がない。明日香が僕に対して敵愾心を持っていた頃、明日香
が切れたときは僕は反論せず怒りが収まるまでじっと耐えたものだった。それがどんなに
ひどい言いがかりであったとしても。久しぶりに今日もそうするしかないだろう。

 それに今回は明日香の言っていることは単なる言いがかりではなかった。奈緒と兄妹し
て名乗りあったときの安堵感が消えていき、さっきから悩んでいるように僕が奈緒に対し
て再び恋愛感情を抱き出したことは事実なのだ。でもそれだけは明日香にも誰にも言って
はいけないことだ。

 昔はよくあったことだった。ひたすら罵声に耐えているうちに明日香の声は記号と化し
意味を失う。そこまでいけば騒音に耐えているだけの状態になり、意味を聞き取って心が
傷付くこともない。久しぶりにあの頃は頻繁にあった我慢の時間を過ごせばいい。

 そう思っていた僕だけど、どういうわけか明日香の言葉はいつまで耐えていてもその意
味を失わなかった。

「まさかお兄ちゃんは血の繋がった妹を自分の彼女にしたいの?」

 以前と違って明日香の言葉は鮮明に僕の耳に届き僕の心に突き刺さった。

「実の妹とエッチしたいとかって考えているの?」

 もうやめろ。やめてくれ。

 以前と違った反応が僕の中で起きた。僕はまたフラッシュバックを起こしたのだ。視界
が歪んでぐるぐる回りだす。叔母さんや奈緒の声が無秩序にでも鮮明に聞こえてきた。



『奈緒人・・・・・・あんた、まさか本気で自分の妹と付き合う気?』

『鈴木奈緒はあんたの本当の妹なのに』

 叔母さんの驚愕したような声。


『あたしピアノをやめます。そしたら毎日ナオトさんと会えるようになりますけど、そう
したらあたしのこと嫌いにならないでいてくれますか』

『それでナオトさんがあたしと別れないでくれるなら、今日からもう二度とピアノは弾き
ません』

『あたしのこと、どうして嫌いになったんですか? ピアノばかり練習していてナオトさ
んと冬休みに会わなかったからじゃないんですか』

 僕を見上げる奈緒の縋りつくような涙混まじりの目。
475 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:48:14.00 ID:NbEGfaswo

「お兄ちゃんごめん」

 気がつくと僕はソファで横になっていた。明日香の顔が間近に感じる。

「・・・・・・まったやっちゃったか。ごめん明日香」

 明日香が僕を抱いている手に力を込めた。

「あたしが悪いの。自分でもよくわからないけど、奈緒のことを考えたらすごく悲しくな
って、でも頭には血が上ってかっとなっちゃった。本当にごめんなさい」

 代償は大きかったけど、でもこれでようやく明日香の気持ちはおさまったようだった。
僕は安堵したけど、もちろん事実としては何も解決していないことは理解できていた。

 明日香はもう何も喋らずに僕に覆いかぶさるように横になった。思ってたより重いな、
こいつ。僕は何となくそう思った。全身が汗びっしょりで体が体温を失って冷えていくの
を感じる。

 明日香の包帯を巻いた手が僕の額の汗を拭うようにした。明日香の手に僕の汗がついて
しまうのに。そのまま明日香は僕の頭を撫でるように手を動かした。それはずいぶんと僕
の心を安定させてくれた。

 やはり奈緒への恋心、つまり自分の実の妹への恋愛感情は無益なだけでなく有害ですら
ある。世間的にどうこう以前に自分の心理ですらその禁忌に耐えることすらできていない。

 再びフラッシュバックに襲われた僕はやっと冷静に考えられるようになった。きっと明
日香の言うとおりなのだろう。もうこれは本当に終らせなければならないのだ。

 それに僕の恋は無邪気に兄との再会を喜んでいる奈緒をも戸惑わせ傷つけることになる
かもしれない。兄としての僕への奈緒の想いの深さは、恋人が実は兄だったという事実を
も圧倒したため、奈緒は僕のように傷付かずに済んだのだろう。それを蒸し返せば今度こ
そ奈緒を深く傷つけることになるかもしれない。

 奈緒が僕のように胃液を吐きながらフラッシュバックにのたうちまわって苦しんでいる
姿が浮かんだ。

 だめだ。自分の大切な妹にそんな仕打ちをするわけにはいかない。奈緒への無益な恋心
に惑わされていた僕がそれに気がつけたのは、明日香のおかげだった。確かにきつく苦し
い荒療治だったけど、そのおかげで僕は目が覚めたのだろう。
476 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/05(月) 22:48:51.39 ID:NbEGfaswo

 僕は大きく息を吸った。この決心によって傷付く人は誰もいない。明日香の望みをかな
えられるし、僕のことを実の兄として改めて別な次元で慕い出した奈緒だってもはや傷付
くことはない。叔母さんだって僕たちの味方をしてくれるはずだった。

「明日香」

 明日香は僕の髪を撫でる手を止めて僕の方を見た。

「・・・・・・まだ苦しい?」

「いや。そうじゃないんだ」

 僕は体を起こし、半ば僕に覆いかぶさるようにしていた明日香を抱き起こすようにして
自分の隣に座らせた。

「おまえが言ってたことがあるじゃん。僕のことが好きだって」

 明日香が怪訝そうな表情をした。

「言ったよ。それがどうしたの・・・・・・あ」

 そのとき明日香の表情が何かに怯えるような影を宿した。

「よく考えてって言ったのに。あたし、お兄ちゃんにもう振られるの?」

 本心で明日香のことを奈緒以上に愛しているかと聞かれたらそれは違う。でも少なくと
も明日香が大切で心配な存在であることは確かだった。僕が一番つらい時期にぼくを支え
てくれた明日香のことが。

 それにこれだけは嘘じゃなく本当だった。明日香のその怯えた表情を見たとき、僕は心
底から明日香をいとおしく感じたのだ。

「僕たち付き合ってみようか」

 一瞬、驚いたように目を大きく見開いた明日香の表情を僕は可愛いと思った。

「お兄ちゃん、それってどういう意味」

「どういうってそのままの意味だよ。っていうか僕に告白してきたのはおまえの方だろ
う」

 次の瞬間、僕は明日香に飛びつかれ、ソファの背もたれに押し付けられた。

「だめだと思ってたのに・・・・・・絶対に断られるって諦めてたのに」

「・・・・・・・泣くなよ」

「嬉しいからいいの。お兄ちゃん大好きだよ」

 僕も明日香の体に手を廻して彼女を抱き寄せた。そのとき一瞬だけ記憶に残っていた幼
い奈緒の声が頭の中で響いた。

『お兄ちゃん大好き』
477 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/05(月) 22:49:23.24 ID:NbEGfaswo

本日は以上です。

お付き合いいただき感謝です。
478 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/05(月) 23:14:51.82 ID:Ber/EDr4o
479 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/05(月) 23:30:48.13 ID:2E38FXGso
480 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/06(火) 00:04:30.63 ID:LM2gaMBPo
481 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/06(火) 00:17:28.37 ID:UwU1mgM9o
482 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/06(火) 03:43:37.28 ID:RVbuDiVDO
年増処女か・・・
美人だけに許される、究極の属性だなw
483 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:35:16.95 ID:IZBoRVWYo

 夜半過ぎに雪は雨に変わっていたようだ。結局、明日香の望みどおり朝の景色が一面雪
景色となることはなかったのだ。

 その晩、僕と明日香は深夜までソファで寄り添っていた。初めて心が通じ合った直後の
甘い会話や甘い沈黙は僕たちの間には起こらなかった。アンチクライマックスもいいとこ
ろだけど、僕と明日香が恋人同士になっても今までの関係やお互いに対する想いが劇的に
変化することはなかったようだった。

 僕が明日香を受け入れてたたとき、こいつは涙を浮べながら僕に抱きついてきた。僕も
そのときは感極まって明日香を抱き寄せたのだけど、しばらくしてお互いの気持ちが落ち
着いてくると、初めて彼女が出来たときのようなどきどきして興奮したような気持ちはす
ぐにおさまっていった。そして残ったのは限りなく落ち着いて居心地のいい時間だった。

 思うに僕と明日香の関係は長年の仲違いを解消して、明日香が僕のいい妹になると宣言
したときの方がはるかにドラスティックな変化を迎えていたのだと思う。結局明日香の気
持ちに応えた僕だけど、付き合うようになってもその前までの彼女との関係とあまり変化
がないような気がする。多分それは明日香も同じように感じていたんじゃないかと思う。

 僕が真実を知りフラッシュバックを起こすようになってから明日香は常に僕に寄り添っ
ていてくれた。改めて付き合い出したとはいえこれ以上べったりするのも難しい。

 そういわけで深夜まで抱き合いながら寄り添っていた僕たちの会話は今までとあまり変
わらなかった。ただ、お互いが恋人同士になったことを両親や玲子叔母さんに話すタイミ
ングとかを少し真面目に話したことくらいが今までと違った点だ。

 その会話も寄り添いあった恋人同士が近い距離で囁きあっているわりにはきわめて事務
的な会話といってもよかった。

「まあ急ぐことないよ」

 明日香が僕の肩に自分の顔をちょこんと乗せながら言った。

「でもいつかは言わないとね」

「多分、あたしがお兄ちゃんのことを好きなのはもうパパやママにもばれてるし」

「そうなの」

「うん。ママには前からけしかけられるようなことも言われていたしね」

 その話は叔母さんからも聞いていた。母さんは僕と明日香が結ばれることを密かに期待
していたのだという。そうしていつまでも家族四人で暮らしていくことを望んでいたらし
い。

「それに確実に叔母さんにはばれてるし」

「そらそうだ。叔母さんがいる前でおまえは告白したんだから」

「叔母さんには隠し事したくなかったし」

 明日香が言った。
484 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:40:37.82 ID:IZBoRVWYo

「本当にそれだけなんだろうな」

 僕は明日香に念を押した。

「正直に言うと少しは叔母さんを牽制しておこうとは思ったけどね」

「何度も言うけど、たとえ血がつながっていないとしても自分の叔母だと思ってきた人に
恋するなんてことはありえないよ」

「うん。今ならお兄ちゃんのこと信じてあげる」

 明日香が言った。

「やっとか。まあわかってくれたのならいいけど」

「でもお兄ちゃんにその気がなくても、叔母さんはお兄ちゃんのことを好きかも知れない
よ」

「まだそんなこと言ってるの」

「玲子叔母さんのことはあたしの方がよく知ってるもん」

「それは否定しなけど。だからと言ってさあ」

「叔母さんは多分昔からパパのことが好きだったと思うんだ。でもその気持ちを抑えてき
たのね」

「何度も言うけどそのことだって想像にすぎないだろ」

「誰かを好きな気持ちを察するのに証拠なんてあるわけないじゃない」

 まあそれはそうかもしれないけど。

「でも僕は父さんじゃないぞ」

「パパを好きな気持ちがパパにそっくりなお兄ちゃんへの愛情に変わったんでしょ。それ
にお兄ちゃんにとっては叔母さんはママ代わりみたいなものでしょ? そして叔母さんに
とってはお兄ちゃんは血の繋がっていない息子のような存在だったし。その叔母さんの母
性がいつのまにか異性への愛情に変わったんだよ、きっと」

「それも全然根拠のない思い込みじゃん」

「女の勘ですよ」

 明日香は笑った。いったいどこまで本気で言っているのだろう。

「まあ常識的に考えれば世間的にも成就する恋じゃないし。叔母さんだってそんなことは
わかっていると思うけどね」

 明日香の言うことが本当だとしたらそれは僕にとっては非常に落ち着かない気分にさせ
られる話だった。

「だからお兄ちゃんが玲子叔母さんに告ったり迫ったりしなければ、叔母さんの中ではそ
れは秘めた恋で終わるよ」

「そんなことするか」

「うん」
 明日香はそこで嬉しそうに笑った。「そこは信用してるよ。お兄ちゃんもあたしのこと
が好きだってようやく気がついてくれたみたいだしね」

 少なくともそこを信じてくれただけでもよしとしないといけないようだった。
485 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:43:57.42 ID:IZBoRVWYo

 それからしばらくは僕たちは黙ったまま寄り添っていた。居心地は悪くない。お互いに
長年身近にいたせいか、こういう時間も全く気まずくはなかった。

「そう言えばさ」

 明日香が僕の手を両手で包んで撫でるようにしながら言った。

「うん」

「お兄ちゃんて妹属性ってある?」

「は?」

 僕の趣味はアニメや漫画がゲームだったから妹属性とかと言われればすぐにピンときた
けど、これまでそういう系統に全く興味を示さなかった明日香がよくそんな言葉を知って
いたものだ。

「何でそんなこと聞くの」

「いや。お兄ちゃんって去年まではあたしのこと本当の妹だと思ってたわけじゃん」

「まあね」

「何て呼ぼうかなって」

「はい?」

「あたしたち結ばれたわけだけど、お兄ちゃんが妹と結ばれたことに萌えているのならお
兄ちゃんの趣味にあわせてこれまでどおり、お兄ちゃんって呼んであげようかなと」

「・・・・・・妹だと思ってたら僕がおまえと付き合うわけないだろ」

 一瞬、本当の妹である奈緒の顔が目に浮かんだ。

「そう? じゃあ奈緒人って呼んでいい?」

 確かに明日香にお兄ちゃんて呼ばれることには違和感はなかった。でも僕が実の兄貴で
あることを知った奈緒は自然に僕のことをナオトさんではなくお兄ちゃんと呼んだのだ。

 これからは奈緒が妹で明日香は僕の彼女なのだ。

「そうしたかったら奈緒人って呼べば?」

「うーん」

 自分で提案しておきながら明日香は少し考えて赤くなった。僕の肩に自分の頭を預けな
がら。

「いきなり呼び捨てっていうのも違和感あるなあ」

「・・・・・・じゃあもう好きに呼べば」

「お兄ちゃんすねてるの? 可愛い」

 明日香が顔を起こして僕を覗き込んだ。
486 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:46:08.17 ID:IZBoRVWYo

 僕たちはその晩随分遅くなってから結局僕の部屋のベッドで一緒に寝ることにした。こ
れまでも明日香が僕のベッドに潜り込んでくることがあったので、別にそれは敷居が高い
ことではなかったし。

 ただこれまでと違って明日香は最初から僕に密着して抱きついたので、僕は少し混乱し
た。変な気持ちがなかったといえば嘘になる。今までの兄妹としての仲直りからの延長上
で自然に付き合い出したような僕たちだったけど、正式に恋人同士になってから一緒に寝
るのは初めてだった。

 長年一緒に連れ添った夫婦みたいに、こいつとの間には新たな発見はないと思っていた
のだけど一緒にベッドに入って抱き付かれるとこれまで明日香に対しては感じなかったよ
うな感覚が湧き上がってきた。

 でもここは自制すべきところだった。飯田に襲われかかった明日香に対してそういうこ
とを求めるわけにはいかない。

 でも体の反応の方は素直だったので僕は明日香がすやすやと寝息を立てた後もしばらく
は天井を見上げて自分の興奮を収めようと無駄な努力を重ねていたのだ。それでもいつの
まにか僕は寝入ってしまったようだった。

「奈緒人君起きてよ」

 僕が目を覚ますとカーテンを閉め忘れた外の景色が目に入った。雪は小雨に変わってい
るようだった。僕は隣で横になっている明日香の柔らかな肢体を再び意識しながら目を覚
ました。

「・・・・・・何で君なの?」

 結局、明日香は僕のことをお兄ちゃんでもなく呼び捨てでもなく奈緒人君と呼ぶことに
決めたようだ。

「だって呼び捨てって照れくさいじゃん」

 奈緒人君だって呼ばれる方にしてみれば十分に照れくさい。

「・・・・・・なんでお兄ちゃんが赤くなるのよ」

 思わずお兄ちゃんと呼びかけてきた明日香の顔も真っ赤でそれが少しだけおかしかった。

「お兄ちゃんのほうが呼びやすいならそれでもいいよ」

「いけない。奈緒人君だった」

 明日香が笑った。

「まだ十時前だけどもう起きる?」

 今週いっぱいは明日香は医師から自宅療養を指示されている。その間は僕も学校を休む
つもりだったから特に早く起きる必要はなかった。特に昨日は夜更かししていたのだし。
自堕落にいつまでも寝ているつもりはないけど、明日香はまだ怪我だって癒えていないの
だから、何も急いでベッドから出なくてもいい。
487 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:48:31.68 ID:IZBoRVWYo

「誰か来たみたい」

 明日香が僕を覗き込んで言った。

「聞こえなかった? さっきチャイムが鳴ってた」

 僕は起き上がった。特に気が付かなかったと言おうとしたとき再びチャイムが響いた。

「どうする?」

「とりあえず見て来る。おまえはこのまま寝てろよ」

「うん」

 明日香は再び毛布を引き寄せた。

「はい」

 僕がリビングに降りてインターフォンを取ると女性の声がした。

「突然申し訳ありません。警察の者ですけど」

「・・・・・・はい」

 何となく用件は想像が付く。でもぼくはてっきり平井さんたちが来るものだと思ってい
たのだ。

 僕がドアを開けるとそこには私服姿の若い女性が二人立っていた。一人が僕に手帳を見
せた。

「明日香さんの具合が悪くなければ、三十分ほどですみますので事情をお伺いしたいんで
すけど」

 その人はそう言った。

「平井さんじゃないんですね」

 いきなり見知らぬ警官が現われたことに不信感を覚えた僕は聞いてみた。これが平井さ
んならまだわかる。両親にも僕にも一応は自己紹介してくれていたのだし。それなのにい
ったい約束もなしに見知らぬ警官を寄こすとはどういうことなのだろう。

 女の人は動じずに微笑んだ。

「性犯罪の被害者の方への聴取は女性警官がすることになっています。明日香さんへの聴
取はあたしたちがさせていただいた方がいいでしょう」

 女の警官は話を続けた。

「それに自分の上司を悪く言うようだけど、平井さんは高校生くらいの女の子の扱いには
慣れてませんしね」

 彼女は笑ってそう言った。
488 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/06(火) 22:53:13.33 ID:IZBoRVWYo

 確かにあの平井さんに明日香が事情聴取されるよりは、目の前で柔らかな微笑みを浮べ
ている女性の警官に事情聴取された方が明日香も緊張しないだろう。二人の女性警官は制
服も着ていないのでそういう意味でも明日香には答えやすいかもしれない。

 それにしてもこの人が何気なく言った性犯罪という言葉は改めて明日香が被害を受けそ
うになった飯田の凶行を否応なしに思い浮かべさせられた。明日香は僕との仲が進展して
多少は気分転換できたかもしれないけど、やはり明日香があのとき経験したことは中学生
にとっては過酷な出来事だったのだ。

「ちょっと妹の様子を見てきますから、少し待ってもらえますか」

 僕は言った。明日香に心の準備ができているかを確認しないで勝手にこの人たちを家に
入れるわけにはいかない。

「あら。あなたは明日香さんのお兄さんなのね」

 今さらながら女性警官がそう言った。正確には今では僕は明日香の彼氏なのだけどこの
人たちにわざわざそのことを宣伝する必要はない。

「はい。ちょっとだけ待ってください」

「ごゆっくりどうぞ。明日香さんの気が進まないならまた明日とかに出直してもいいの
よ」

 私服の婦警さんが気を遣ったように言ってくれた。

 僕は自分の部屋の戻って毛布を被っている明日香に声をかけた。

「明日香?」

「誰だった?」

 毛布から顔だけちょこんと出した明日香が聞いた。

「それが・・・・・・警察の人なんだ。おまえから事情を聞きたいって」

 明日香の顔が一瞬曇った。でもすぐに明日香は気を取り直したようだった。

「そう。早く済ましちゃった方がいいんだろうね」

 明日香が殊勝に微笑んだ。

「気を遣って女性の警官が来てくれてるし三十分くらいで終るって」

「そうか」

 明日香が起き上がった。

「じゃあ着替えるね」

「リビングで待っていてもらうな」

「うん。お兄ちゃん?」

 僕は部屋のドアのところで立ち止まった。

「一緒にいてくれる?」

「もちろん」

「お兄ちゃん」

 明日香は僕のことを奈緒人君と呼ぶことなんて忘れてしまったみたいだ。

「どうした」

「・・・・・・キスして」

 明日香が目を閉じた。僕から明日香にキスするのはこれが初めてだった。
489 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/06(火) 22:53:44.65 ID:IZBoRVWYo

今日は以上です。

また投下します。
490 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/06(火) 23:48:28.33 ID:LM2gaMBPo
491 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/07(水) 00:10:27.68 ID:g1PrCKVyo
492 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/07(水) 00:28:01.76 ID:sq29CsvDO
493 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/07(水) 03:02:29.39 ID:FCq36HDMo
494 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/07(水) 12:37:57.75 ID:upj/MWEf0
いいねぇいいねぇ最高だねぇ⤴
495 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(富山県) [sage]:2012/11/08(木) 01:27:02.48 ID:wXOEsyNRo
496 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 20:22:25.35 ID:4JnrekYro
いいねいいね
明日香がほんと気持ち悪い
497 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 23:02:33.90 ID:7uqKQc8SO
なんでやねん
498 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:07:17.64 ID:UmSWG1/8o

 警察の人たちがそれでも一生懸命に明日香に微笑みかけ、できるだけ明日香を刺激しな
いようにしながら事情聴取を終えて引き上げていった後、明日香は大きく息を吐いてソフ
ァに横になった。

「痛っ」

 明日香は顔をしかめて言った。どうやら傷になっているところをソファにぶつけたらし
い。

「大丈夫?」

 明日香は体をもぞもぞと動かしてようやく具合のいい位置を見つけたらしかった。

「平気。ちょっとぶつけただけだから」

 ソファに居心地良さそうに横になると明日香は再び大きくため息をついた。

「やっと終ったのね」

「うん。もうおまえから話を聞くことはないでしょうって言ってたし」

「自業自得なんだから図々しいかもしれないけど。あたし、もうあいつらとは関りになり
たくない」

 明日香が言った。

 警察の女の人たちはあの晩に起きた出来事を優しく同情しながらも、明日香の記憶に残
っていることは一欠けらも取りこぼさずに聞き取っていった。

 今日家に来た警官は性犯罪の被害者の聞き取りは女性警官の方が当たることになってい
ると言っていた。自分の上司の平井さんは若い女の子の扱いには慣れていないとも。

 その言葉に嘘はないだろうけど、彼女の聞き取りだって笑顔やていねいな口調を取り去
ってしまえば容赦のないものだったと言える。これでは明日香が再び言葉と記憶のうえで
再びレイプされているようなものだ。

 何度か僕は明日香の手を握りながら女性の警官の尋問をとどめようとした。そのたびに
警官は柔らかい口調で謝りながらも知りたいことを知ろうとする執念を諦めはしなかった。

 そして明日香は顔色も変えずに淡々とその夜自分に起きたことを話し続けた。
499 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:09:33.95 ID:UmSWG1/8o

 そうして飯田に押し倒され縛られて服を破かれたあたりで、明日香の話に池山が登場し
た。この間まで明日香の彼氏だった池山のことを明日香は庇うような説明をした。どうい
うわけか明日香を庇った池山の行為には警官にはあまり関心がないようで、彼女は飯田と
池山の会話の内容を覚えている限り全て話すように明日香に求めたのだけど、女性警官に
とってはその内容は期待はずれだったらしい。でも、縛られて身の危険を感じていた明日
香が二人のやり取りを逐一覚えていることなんて不可能だったろう。

「まあ仕方ないですね。明日香ちゃんだってそれどころじゃなかっただろうし」

 残念そうに彼女が言った。

「ごめんなさい」

 明日香は一応警官に謝ったけど本気で悪いとは思っていないらしかった。何と言っても
明日香は参考人かもしれないけどそれ以前に被害者なのだ。

「じゃあこれで終ります。明日香さんご協力ありがとう。飯田と池山がどうなったかは平
井警部がお知らせにあがると思いますから」

 ソファに座った明日香がほっとしたように少しだけ力を抜いた。明日香から事情聴取し
た警官ともう一人の何も喋らずひたすらメモを取っていた警官が立ち上がった。

「じゃあお邪魔しました。もう明日香さんにお話を伺うことはないからね」

 僕と明日香も立ち上がり二人を玄関まで送った。明日香は相変わらず僕の手を離そうと
しなかった。

「ずいぶん仲のいい兄妹なのね。まるで恋人同士みたい」
 今までずっと黙ったまま喋らなかった方の警官が言った。「うらやましいわ」

「二人きりの兄妹なんです」

 微塵も動揺せずに明日香がしれっと答えた。





「これで全部おしまい。もうあいつらとは二度と関りになりたくない」

 警官たちを見送ってから具合よくソファに横になった明日香が繰り返した。

 ほっとしたことに警察の人たちはドラッグのことや女帝のことは話に出さなかった。単
純にあの女性警官たちには知らされていないのか、それとも捜査上の機密なので匂わすこ
とすらご法度なのか。平井さんが僕にそのことを話したときだって加山さんは顔色を変え
て阻止しようとしたくらいなのだし。

「お兄ちゃん、隣に来て」

 明日香が僕に言った。
500 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:12:40.94 ID:UmSWG1/8o

 僕は明日香の横たわった体の顔の隣のあたりに腰かけた。明日香が片手を上げて僕の腕
に触れた。

「ごめんね」

 明日香がぽつんと言った。

「何が?」

「あたしが昔バカやってたからこんなことになっちゃったんだよね」

 さっきまで顔色一つ変えず気丈に警官の質問に答えていた明日香は今では曇った表情を
見せている。

「おまえのせいじゃない。悪いのは飯田だろ」

「あたしはもうお兄ちゃんに迷惑かけたりお兄ちゃんが恥かしいと思うような友だちとは
二度と付き合わないからね」

「うん」

「・・・・・・奈緒や有希みたいに誰が見てもお兄ちゃんにとって恥かしくない女の子になるか
ら」

 奈緒はそうかもしれないけど有希は少し違う気がする。でもそれは今明日香に言うこと
じゃない。

「別に今だって恥かしくなんかないだろ」

「優しくしなくていいよ。それよりこんなことしてたらお兄ちゃんに嫌われちゃう方が恐
い。せっかくお兄ちゃんの彼女になれたのに」

 明日香が言った。

「こんなことで嫌いになんてなるか」

「だって・・・・・・お兄ちゃん、僕たち付き合ってみようかって言った」

 明日香がいったい何を言っているのか僕には理解できなかった。

「言ったけど・・・・・・嫌だった?」

「ううん、嬉しかった」

 明日香が話を続けた。

「でも、どうせならおまえのことが好きだとか、付き合ってみようかじゃなくて僕と付き
合ってくれって言われたかったな。付き合ってみようかじゃお試しみたいで不安じゃん」

「考えすぎだよ。お試しとかそんなこと考えて言ったわけじゃない」

「ごめん、そうだよね。さっきまでは何の不安も感じなかったけど、警察の人の質問に答
えていたら不安になっちゃった。あたしってお兄ちゃんにふさわしくないのかもって」

 明日香が苦労してソファから身を起こして僕を見た。

「確かにあたしは池山に助けられたし飯田たちとも遊んでたけど、もう二度とそんなこと
はしないの」

「うん」

「だから・・・・・・お兄ちゃん、ずっとあたしと一緒にいて。パパとママとあたしとお兄ちゃ
んでみんなでずっと一緒に暮らそうよ。あたしのこと捨てないで。もう誰もいらないよ。
お兄ちゃんがずっとあたしの彼氏でいてくれたら」

 僕さえいたら誰もいらないと一番最初に言ってくれたのは、まだ幼かった奈緒だった。
今改めてそれと同じ言葉を明日香から聞かされた僕は、自分では決断したつもりだったこ
とを自分の中では曖昧に済ませていたことに気がついた。
501 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:15:14.04 ID:UmSWG1/8o

 わかってはいたことだ。今まで曖昧にして突き詰めて考えなかっただけで。

 僕は明日香の顔を見たかったけど、俯いて涙を流しているので目を合わせることもでき
ない。少し乱暴だったけど、僕は明日香の顎に手をかけて少しだけ手に力を込めた。たい
した抵抗もなしに明日香が顔を上げた。僕は明日香の目を見た。

「そうだね、明日香。ずっと一緒にいようか」

 実の妹にはこんな言葉はかけられない。明日香は妹であって妹ではない。だから僕は奈
緒にはこの先一生言ってはいけないことだって、明日香には言える。

 もう手を離しても明日香は俯かなかった。それどころか今までで一番激しく彼女が僕に
抱きついてきた。僕もそんな明日香に応え、両手を明日香の体に回した

「・・・・・・あたしもう大丈夫だよ」

 しばらく抱き合っていたあと明日香が言った。

「え」

「怪我なんて大したことし。初めてはお兄ちゃんがいい」

「おまえ何言ってるの」

「ずっと一緒にって言うお兄ちゃんの言葉に嘘がないないなら、お兄ちゃんの部屋に行こ
う。最初はあそこがいい」

 明日香が立ち上がって涙を拭いて僕を見た。

「リビングの電気消しておいて。テレビも」

 僕は戸惑うばかりだった。

「シャワー浴びてくる。今日もパパとママは帰ってこないから。お兄ちゃんは部屋に行っ
て待ってて」

 明日香がバスルームの方に歩いて行った。ちょうどお昼ごろの時間だった。外の雨は激
しさを増し雨音がはっきりとリビングまで届いている。

 決断するということはこういうことなのだろう。告白してもなおしばらくは急激な展開
を望まない僕の卑怯な心境が、今いきなり試されているのだ。半ば躊躇しいながらもどう
いうわけか僕の体と感情はこれから起こることに準備を始めていたようだった。明日香の
誘惑に反応している下半身を持て余しながら、僕が立ち上がって夢遊病者のように二階に
上がろうとしたとき、再びチャイムが鳴ってインターホンから玲子叔母さんの声が聞こえ
た。

「おーい。いないのかな、まだ寝てるんじゃないだろうな」

 残念なようなほっとしたような心境だったけど、とりあえず僕は玄関に行って鍵を開け
叔母さんを家に招じ入れた。
502 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:19:14.75 ID:UmSWG1/8o

「寒かったあ。びしょ濡れだよ」

 叔母さんがそう言いながら家に上がって来た。

「叔母さん車じゃなかったの」

 僕は家に上がるといつものようにさっさとリビングに向かう叔母さんの後に続きながら
聞いた。

「打ち合わせ先が駐車できないんでさ。傘なんか全然役に立たないしびしょ濡れになっち
ゃったよ」

「そんなに降ってたんだ」

「うん。いきなり雨が強くなってさ。こんなんじゃ社に戻れないからここで雨宿りしよう
かと思ってさ」

 叔母さんが高そうな、でも雨にぐっしょり濡れたコートとスーツの上着を一度に脱いだ。
リビングのフローリングに雨滴が落ちる。

 白いブラウスとスカートだけの姿になった叔母さんは、何かぶつぶつ言いながら濡れた
髪を拭こうと無駄な努力をしていた。

 薄い生地の濡れたブラウスから叔母さんの白い肌が透けて見えた。

 そのとき僕は本当に叔母さんから目を逸らそうとしたのだった。でもちょうど明日香の
誘いに体が反応していたタイミングで叔母さんが現われたということもあった。僕は無防
備な仕草で髪を気にしている叔母さんの全身から目が離せなかった。

 濡れて肌にくっついている感じの白いブラウス越しに、黒いブラジャーが浮かんでいる。
胸だけではなく上半身全体がほの白く浮かび上がっている。

 これまで奈緒や明日香よりはるかに大人のだと思っていたし、そういう目で見たことの
なかった叔母さんの体は思っていたより華奢で細身だった。

 僕は思わず明日香の言葉を意識して顔が赤くなるのを感じた。明日香の言うように叔母
さんの僕に対する母性が異性への愛情に転化しているというのは本当なのだろうか。

 玲子叔母さんは僕のことを男として意識しているのだろうか。

 僕の目の前でこんな無防備に格好をしている叔母さんが、僕を意識しているとは思えな
い。それでも僕は自分が明日香の言葉に縛られて行くのを感じた。



『パパを好きな気持ちがパパにそっくりなお兄ちゃんへの愛情に変わったんでしょ。それ
にお兄ちゃんにとっては叔母さんはママ代わりみたいなものでしょ? そして叔母さんに
とってはお兄ちゃんは血の繋がっていない息子のような存在だったし。その叔母さんの母
性がいつのまにか異性への愛情に変わったんだよ、きっと』

『まあ常識的に考えれば世間的にも成就する恋じゃないし。叔母さんだってそんなことは
わかっていると思うけどね』

『だからお兄ちゃんが玲子叔母さんに迫ったりしなければ、叔母さんの中ではそれは秘め
た恋で終わるよ』
503 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/10(土) 00:23:33.71 ID:UmSWG1/8o

「・・・・・・バスタオル持って来ようか」

 僕はそう言ったけど、このときは玲子叔母さんの体から目が離せないままだった。

「ああ悪い。でもそれよかシャワー浴びようかな」

 そう言って僕を見た叔母さんが僕の視線に気がついた。そのとき一瞬だけど僕と叔母さ
んの視線が交錯した。

「・・・・・・あ」

 叔母さんは狼狽したように小さく呟いて、床から拾い上げた服を胸に抱えて僕の視線か
ら自分の肢体を隠す仕草をした。

「叔母さんごめん。って言うか見てないから」

 今まで玲子叔母さんの上半身をガン見していた僕が言っても全然説得力がなかったろう。

「見るって何を。奈緒人、あんた何言ってるの・・・・・・」

 叔母さんがいつもと違って小さな声で呟いた。その濡れた顔が赤くなったのは僕の思い
込みのせいなのだろうか。

「包帯だらけでシャワー浴びられないんだけど」

 そのとき明日香がリビングに戻って来て言った。僕はその瞬間救われた思いだった。

「そういやそうか。って、おまえその格好」

「服を脱いでいる途中で気がついたんだもん。今日はシャワーもお風呂も無理だわ。お兄
ちゃん、体拭いてくれる?」

「あんた、何て格好してるのよ」

 叔母さんが明日香の半裸を見て言った。明日香もそんな叔母さんの姿を驚いたように見
た。

「玲子叔母さん、いつ来たの? っていうか叔母さんこそ何でそんな格好してるのよ」

 奇妙な状況だった。肌を露出しているとしか言いようのない叔母と姪がお互いに驚いた
ように見詰め合っている。僕はこの場をどう収めればいいのだろうか。

「お兄ちゃん」

 ・・・・・・シャワーから戻って来た明日香はさっきまでの甘い口調を引っ込めて、並んで突
っ立っている僕と叔母さんを不機嫌そうに交互に睨んだ。
504 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/10(土) 00:24:37.55 ID:UmSWG1/8o

次回の投下は女神投下後になります。

変則SSにここまでお付き合いありがとうございます。
505 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/10(土) 00:31:32.52 ID:M4sdcWDMo
506 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/10(土) 01:06:40.23 ID:fwwCLqDb0
ほうほう、乙
507 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/10(土) 01:11:56.26 ID:scFMk+Qyo
いいですね
508 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/10(土) 01:25:56.70 ID:2FJYDnMpo
叔母さん可愛い
509 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/11(日) 10:20:57.72 ID:Mn8Iz6z+o
510 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/11(日) 23:07:45.63 ID:Df4QbeKgo
叔母さんかわゆす
511 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 01:45:28.72 ID:mlgU4foDO
叔母さんいいなぁ
明日香なんかより叔母さんの想いが報われてほしい

奈緒をイケヤマにレイプさせようとしたことはちゃんと奈緒人に言ったのか?
512 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 06:22:09.65 ID:wSoyniJSO
読んでてわからぬのか!?
513 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 22:03:36.84 ID:rUVMvbuno
↑わかるから「明日香なんか」なんだろ?
514 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/12(月) 23:59:03.82 ID:QeP27LQpo

 そのときの俺は単なる参考人のはずだった。明日香を強姦の被害から救ったのだから何
も心配はないと加山という刑事は俺に言った。むしろ署長表彰を受けたっていいくらいだ
と。警察のやつらの言うことなんかを百パーセント信用したわけではないけど、今回のこ
とに関しては俺は何も悪いことはしていない自信があった。飯田に対してはちょっとばっ
りやりすぎた面はあったかもしれないけど、それも明日香を救うためだったしそのことで
傷害罪とかに問われるはずはない。

 でも結局俺は署長表彰を受けて警察にほめられるどころか、まるで被疑者であるかのよ
うな手厳しい事情聴取を受けた。これではまるで取調べだった。取調べの内容があの晩飯
田の小汚いアパートで起きたことだったらまだしも理解できた。でもやつらが聞きたかっ
たのはハーブのこととか女帝、つまり有希の情報だった。

 これでわかった。俺や飯田は前から警察に目を付けられていたのだ。

 俺は自分のしてきた喧嘩や実際にはしていない万引きのことを加山さんにほのめかすこ
とまでして、ハーブや女帝のことなんか何も知らないと言い張った。さすがに何の罪も犯
していないばかりか被害者を救った俺を泊りがけで拘束することまではできなかったよう
で、俺はその日のうちに帰っていいと言われた。

「あまり悪さするんじゃねえぞ」

 警察署を後にするとき、加山さんは俺にそう捨て台詞を吐いた。

 署内にいるときは電源を切られていた携帯の電源を入れた途端、着信音が響いた。有希
からだ。俺は重い気持ちで電話に出た。

「ようやく出た。いったいどうなっているのよ」

 有希が苛立たしそうに言った。中坊の分際でこいつは俺たちを年上として認めてすらい
ないのだけど、今となってはこいつに逆らえるやつはいない。

「俺、飯田を殴っちまってさ」

「そんなことはどうでもいいのよ。あんたと飯田が警察に連れて行かれたって本当なの」

「ああ。飯田は逮捕されたよ。強姦未遂で」

「・・・・・・何やってんのよ。あのビッチ一人をやっちゃうくらいで逮捕とかありえないでし
ょ」

「飯田が悪いんだ。あいつが明日香を無理矢理抱こうとしたから」

 電話の向こうで一瞬有希が沈黙した。

「だからぼこぼこにしてやったんだけどさ」

「あんたら。まさかあのビッチを抱く順番で揉めたんじゃないでしょうね」

 恐ろしく低い声で有希が言った。その声を聞いていると俺の精神が萎縮していくのを感
じた。いつもこうなるのだ。

 お嬢様学校に通っているピアノが上手な中学生の女の子。肉体的にはか弱いもいいとこ
ろだし、こんなガキに怯える必要なんかないはずだ。二人きりになったときにぼこぼこに
してもいいし、今までの鬱憤を晴らすために有希の清楚な富士峰の制服を引き裂いてやっ
てもいいはずなのだ。

 そういう想像をしたことは何度もあったけど、実際に有希の前に出ると体が動かない。
それに今となっては金で有希に手なずけられてしまっている連中が俺に好きにはさせない
だろう。有希に心服している親衛隊のようなやつらがいっぱいいるのだ。もう少し早い段
階で何とか手を打っていればこんな情けないことにはならなかっただろう。でも今では何
をするにも遅すぎた。
515 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 00:01:56.58 ID:hx9segxTo

第五章 池山



 俺は有希の指示を思い出した。



『そう。それならいいや。今、明日香が駅前の方に逃げて行ったからさ、あの子を捕まえ
て慰めるなり何なりしてみたら?』

『自信がない? そんならもう無理矢理やっちゃえばいいじゃん。前から明日香に待たさ
れて彼女を抱くの我慢してたんでしょ? あの子はあんたなんかに気はないよ。ナオトさ
んのことしか好きじゃないみたいだしさ』」

『何ならイイダとかも呼んでみんなで輪姦しちゃえば? 今のあの子ってあんた好みの真
面目そうな中学生の女の子の格好してるしさ』

『わがままだなあ。最初は一対一がいいの? だったらすぐに駅前に行けよ。言っておく
けどあんなビッチに同情する必要なんかないよ。あの子はあんたなんかこれっぽちも見て
ない。ただ自分に都合よく利用することしか考えていないんだしさ』

『ああ、それを知りたいのね。じゃあはっきり言うけど明日香が好きなのはあんたじゃな
いよ。あの子は自分の兄貴のことしか頭にないんだから』

『うん、そう。兄貴はついていっていないから、明日香は一人だと思うよ。じゃあ頑張れ
よ、ようやくあんたの思いがかなうんだからさ』



 このとき俺は有希の言葉に合わせたのだった。こいつに逆らう気はなかったから。でも、
有希の言い出したように飯田たちを呼んでしまえば明日香はそれで終わりだ。逆に言えば
俺だけなら明日香を救うことができる。俺は明日香を無事に家に送り届けた後に、有希に
言いつけどおり明日香の処女を貰ったよと報告すればいいのだ。

 それなのに運悪く明日香は飯田に出合ってしまい、あいつのアパートに連れて行かれた。
飯田のアパートに踏み込んだ俺は、悲鳴を上げて抵抗している明日香に手をあげている飯
田の無防備なケツに思い切り蹴りを入れた。飯田は吹っ飛んで壁にぶつかり明日香の体か
ら離れた。

 俺が警察でこの程度の尋問で済ませてもらえたのは明日香のおかげだった。明日香は頭
に血が上って飯田を半殺しにしてやろうとしていた俺にしがみついて俺を止めてくれたの
だ。

 俺は明確に有希の指示に背いたのだ。明日香を滅茶苦茶にしろという指示に。飯田に襲
われている明日香のことを傍観していれば有希の満足する結果になったと思うけど、自分
の女が飯田なんかに犯されているところを見過ごすなんてとてもできない。

 とりあえず有希には作り話でもして宥めておくしかない。有希には真実を知る飯田に接
触する手段はないのだし、明日香だって自分が襲われた詳細を有希に話したりはしないは
ずだ。

「悪かったよ有希。飯田の野郎が俺より先に明日香を抱こうとしたからよ。ついかっとな
って」

 有希が電話の向こうでため息をついた。

「はあ。男って本当に馬鹿ね。順番なんてどうでもいいでしょ。ちょっと待ってれば明日
香を抱けるのに何でそんなことで喧嘩なんてしたのよ」

「悪い」

 俺は素直に有希に謝った。
516 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 00:04:34.65 ID:hx9segxTo

「それで? 警察では何を聞かれた?」

 有希が気を取り直したように言った。どうやらとりあえず俺の不始末を不問にしてくれ
る気になったらしい、

「飯田と明日香と俺との関係とか、何で俺があのとき飯田のアパートに来たのかだった
な」

「それだけ?」

「・・・・・・ああ」

「ビジネスの話とかは?」

「それは全然ねえよ。警察は俺と飯田があいつを取り合ってたって思ってるみてえだ」

「・・・・・・今回は運良く何も起きなかったけど二度とこんなことしないでよ」

 やっと安心してくれたらしい有希が静かに言った。口調は穏かになっているけど威圧感
は相変わらずだ。俺は正直そんな有希にびびったのだけど、何とか普通に答えることがで
きた。

「わかったよ。悪かった」

「飯田が何か話したりしないだろうね」

「大丈夫だろ。あいつだってバカじゃねえし。自分の首を閉めたりはしねえよ。強姦未遂
と傷害罪だけでも大事だっていうのによ」

「それはそうか」

 何とか有希を納得させたようだった。

「それで明日香は今どうしてるの」

「入院したみたいだぜ」

「どこの病院?」

「んなこと俺に警察が教えてくれるわけねえだろ」

「それもそうか。まあ入院したってことは明日香もそれなりに怪我をさせられたってこと
だよね?」

「だいぶ飯田に殴られてたからな」

 そう言ったとき俺の胸の仲に小さな痛みが灯った。

「じゃあいいか。本当は明日香には無茶苦茶に犯されるくらいはされてほしかったけど、
飯田にぼこられて入院するくらいならあたしを舐めてくれたお礼はしたことになるよね」

 明日香のびりびりに破かれた服や真っ青だった表情が目に浮かんだ。

「何、黙ってるのよ。言っておくけど明日香はあんたをコケにして実の兄とラブラブなの
よ。明日香のことを可哀そうなんて考えるんじゃないわよ」

「ああ」

「じゃあね」

 有希が電話を切った。
517 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 00:07:25.39 ID:hx9segxTo

 誰もいない家に帰る気がしなかった俺は繁華街のビルの地下にあるSPIDERに顔をだすこ
とにした。ここは高校の先輩がやっている店で仲間たちがよく集まる店だった。そう言え
ば明日香に別れ話をされたのもこの店のボックス席での出来事だった。

 俺がまだそんなに客のいないSPIDERのカウンターに座ると、カウンターの奥でグラスを
磨いていた先輩が俺に笑いかけた。

「よう博之。今日は随分早いな」

「渡さんちぃーす」

「何か飲む?」

「ビールください」

 渡さんは飲酒に関しては自分の高校の後輩なら未成年でも特にうるさいことは言わない。
俺たちは高校のはるかに先輩である渡さんには一目置いていた。

 でも渡さんが高校生の頃に俺たちみたいにバカをやっていったということではない。噂
では高校時代は格闘技の道場に通いつめて黒帯、そのうえ偏差値の低いうちの工業高校始
まって以来の秀才で、国立大学の薬学部にストレートに合格したという逸話が残っている。

 だから渡さんは俺たちみたいな落ちこぼれではないのだけど、二年前に大手の製薬会社
を脱サラしてこの店をオープンした。こだわらない性格だったせいか渡さんの始めたSPID
ERには話を聞きつけた高校のOBたちが常連になり、そしていつのまにか現役の不良高校
生たちの溜まり場になってしまったのだ。それでも渡さんはそのことをあまり気にしてい
ないようだった。

「ほら」

 渡さんがビールを出してくれた。

「おまえ浮かない顔してんじゃん。何かあった?」

「なんもないっす」

「ならいいけど」

 渡さんはそれ以上は俺を問い詰めずカウンターの端に座っている客の相手をしに行った。

 それはこの店には珍しい類いの男だった。スーツを着ているわけではないのでサラリー
マンじゃなのだろう。ラフなシャツの上にボンバージャケットを着ているその男は二十代
後半くらいに見えた。自由業のおっさんが間違えてこの店に迷い込んできたのだろうか。
渡さんが目を光らせていればそうそう危険なことはないのだけど、それでも普通の店に比
べればここは堅気の人には危ない店だったのに。
518 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 00:09:52.57 ID:hx9segxTo

「酒井さんビールお代わりしますか」

 渡さんが随分ていねいにその客に話しかけた。どうやら知り合いらしい。

「悪いな」

「いえ」
 渡さんがその客にビールを注いだ。渡さんが客に酌をするなんて初めて見た。

「そういや酒井さん、結婚したんですってね」

「おまえ、何で知ってるんだよ」

「白井たちがこないだ店に来てくれて。そんで酒井さんがレイナちゃんと結婚したって聞
きましたよ」

「なんだ、おまえ白井たちと今でも連絡あるのかよ」

「ええ。なんだかんだあいつらも気にしてくれているようで」

「まあ・・・・・・あいつらはまともに薬剤師してるもんな」

「あのゼミでは俺と酒井さんくらいっすよ。ヤクザな商売しているのって」

「ばかやろう。おまえと一緒にするな。俺は一応サラリーマンだぜ」

「小さな編集プロダクションにいるって言ってたじゃないすか」

「まあそうだけどな」

「それでもこんな店やってる俺よりは安定してるんでしょうけどね」

「あほ。おまえは好きでやってるんだろうが」

「酒井さんもね」

 二人は目を合わせて少しだけ笑いあった。

 渡さんは俺が珍しそうに二人を見ていることに気がついた。

「酒井さん、こいつは俺の母校の後輩なんです。おい博之、あいさつしろ」

「うす。池山です」

「これだよ」
 渡さんが笑った。「酒井さん、気を悪くしないでやってください。最近の高校生ってこ
んなあいさつしかできないんです」

「昔からおまえは礼儀正しかったよな。武道とかやってたからかな」

「んなことはないすよ。俺なんて薬学部で六年制の過程までこなしたのに、今ではこんな
ことやってる人生の落伍者ですし」

「おまえのそう言う言葉って俺にストレートに突き刺さるんだよな」

 酒井さんと言う人はおどけたように言った。

「あ、そうだ酒井さん。ハーブの取材だったら博之が何か話せるかもしれないですよ」

「渡さん!」

 俺は思わず大声で渡さんに抗議した。そのことは気軽に話していい事じゃない。まして
この酒井とかいうおっさんは雑誌の編集者らしいのに。

「いや、酒井さんは大丈夫だ。この人は大学の時の俺の恩人なんだ」

 渡さんが真面目な顔で俺に言った。

「そうは言ったって」

「おまえには迷惑をかけないようにしてくれるよ。そうすよね? 酒井さん」

「もちろんだ。取材源は誰にも話さないし君に迷惑がかかるような記事は書かない。約束
するよ」

 俺は躊躇して渡さんを見た。
519 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 00:15:00.23 ID:hx9segxTo

 年上の叔母だというのに、そのときあたしは明日香の絡みつくような視線に萎縮した。
あたしは気を遣ってバスタオルを渡してくれた奈緒人と明日香にそそくさと別れを告げる
と、濡れた服装のままで奈緒人の家から逃げ出したのだった。

 明日香は堂々と半裸の格好で奈緒人に体を拭くようにねだっていた。いつのまにかあの
二人の仲はそういう進展をしていたのだろうか。

 それからあたしは奈緒人の視線を思い出した。恋愛経験のない年増女の自意識過剰かも
しれない。あたしはそう考えようとしたけれど、あのときの奈緒人の視線はすごくはっき
りと感じられた。彼はあたしの濡れた上半身をじっと見詰めていたのだった。

 自分の甥に対してそんな疑惑を感じること自体彼に失礼な話だったけど、そのときあた
しは奈緒人の視線によって、濡れたブラウスを脱がされ裸身を露わにされているかのよう
な狼狽と、そしてほんの少しだけときめきのような感覚を覚えたのだった。

 降りしきる雨の中をほとんど役に立っていない傘を差したあたしの前を一台のタクシー
が通り過ぎようとしたので、あわててあたしはそれを止めた。社に戻れば更衣室に徹夜明
け用の予備の服と下着がある。あたしはそのままタクシーで帰社すればよかったのだけど、
こんなに乱れている感情を持て余したまま帰社しても全く仕事にはならないだろう。

 あたしはタクシーの中からキャップに電話をした。幸いなことに彼女は会議中だった。
電話に出た後輩の女の子にあたしは気分がすぐれないので今日は直帰することを伝えた。

「わかりました。キャップに伝えておきます。お大事に」

 彼女がそう言って電話を切ろうとしたとき、どうやらあたしのデスクに伝言メモを見つ
けたようだった。

「急ぎかどうかはわからないけど、イメージプロダクションの酒井さんから神山さんあて
に連絡が欲しいというメモがありますよ」

「わかった。電話しておく。明日は出社するから」

 あたしはそう言って電話を切った。

 携帯のメモリーから酒井さんの番号を探し出して電話をかけると、酒井さんはすぐに電
話に出た。

「すいません。ちょっとご報告があって」

「何かな」

「例のハーブの記事ですけどやはり高校生たちが取り引きしたりしているようなんです
よ」

「そう」

「結構面白いネタが拾えそうです」

 それは週間時事のネタとしてはヒットなのかもしれない。でもヘブンティーンとは何の
関係もない話題だった。仕事の話かもしれないと思って電話したあたしだけど、それを聞
いてなんだかやる気が急速に失われてきた。あたしの仕事には直接には何の関係もない話
だ。

 正直に言えばあたしはこのとき奈緒人や明日香のこと、もっと言えば奈緒人のあたしに
向けた熱い視線のことで頭がいっぱいだったのだ。とても酒井さんの時事記事の進展に祝
福するような余裕はなかった。

「わかってます。ヘブンティーンの方もちゃんと書いて見せますよ」
 酒井さんが意気込んで言った。「明日大学の後輩を通じて関係者にインタビューできる
ことになったんですよ」

 酒井さんの本題はこれだったか。

「いいよ。明日の打ち合わせは延期してあげるよ」

 そのときあたしはふと思いついた。明日出社したって高校生の甥があたしの体に向けて
いた視線のことに悩むだけできっと仕事にならないだろう。

「酒井さん。その取材あたしも一緒に行っていい?」

 あたしは言った。
520 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/13(火) 00:16:05.75 ID:hx9segxTo

今日は以上です。

また投下します。ここまでお付き合いしてくれた方には感謝しています。
521 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/13(火) 00:17:42.89 ID:3l50bvduo
乙です
522 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/13(火) 00:34:55.09 ID:iipcVNhDO
女帝の正体、意外にあっさりと有希だったな
でも奈緒じゃなくて良かったw
523 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/13(火) 01:10:35.76 ID:Ks9yNE4wo
まぁ、ずっと仄めかしてたからな。
524 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/13(火) 03:20:52.47 ID:AjK6VwFKo

出番ないけど、奈緒ちゃん頑張れ
奈緒ちゃんはいい子だと信じてる

525 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/13(火) 20:22:26.23 ID:LxTPgJLNo
有希=ビッチ、明日香=ビッチ、奈緒=?
叔母さん=処女&可愛い
なんだ叔母さんの圧勝じゃないか
526 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/13(火) 20:53:12.28 ID:q+HC8KQro
叔母さんしかないな
527 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/13(火) 23:15:23.84 ID:wKlCa12SO
ビッチの意味違うだろっての
528 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 23:51:39.61 ID:hx9segxTo

 渡さんには世話になっているので断りきれなかったということもあるし、自分でもろく
なことをしていないという意識があったから、外部の人の感想を聞いてみたいという気持
ちもあった。なので俺は酒井さんという渡さんの大学の先輩らしき人の取材を受けること
にした。取材のお礼とかいうのももらえるらしいし。

 有希が聞いたら目を吊り上げて怒るだろうけど、名前や地名をぼかしてしまえば別に問
題はないだろう。規模の問題はあるだろうけど同じことをしている連中なんて話に聞いて
いるだけでも何グループもあるのだ。

 それに俺は別に有希の子分じゃない。協力し合う仲ではあるけど別にあいつのグループ
に入った覚えもない。これまでだって有希の指示には疑問を持っていたのだけど、最近有
希が明日香のことをやたら敵視しだしてからは、俺は有希には随分ううんざりとしてきて
いたのだ。

 きっかけは多分ピアノ教室から帰宅途中の奈緒と有希を襲えという指示を有希から受け
たときのことだったのではないか。あいつが何のために自分自身と自分の親友を襲わせよ
うとしたのか有希は説明してくれなかった。ただ、奈緒は処女だよと一言だけ、まるで飯
田たちの鼻先に人参をぶら下げるように有希は言ったのだ。飯田たちをその気にさせるに
はその言葉だけで十分だった。

 有希の指示のせいで飯田たちは今まで好き勝手に行っていた恐喝や喧嘩や、JC、JK
を拉致して乱暴するということができなくなっていた。警察に目を付けられないためだし、
その指示自体は俺は正しいと思っていた。でも飯田たちはそうは思っていなかったのだろ
う。

 まして相手はあの奈緒という美少女だった。彼女は有希の親友だと思っていたのだけど、
何か有希の気に障ることをしてしまったのだろうか。

 俺たちに奈緒を襲うように命じた有希は、その日打ち合わせどおりに眼鏡のひょろっと
したピアノ野郎と三人でピアノ教室を出てきた。いつも思うことだけどこういうときの有
希は本当のお嬢様のように見える。

 有希に言われたとおりに飯田は眼鏡に因縁をつけた。飯田に一発軽く殴られただけでそ
いつは奈緒と有希を放り出して逃げていってしまった。

 このときは明日香が俺たちに着いてきてしまっていたのが悪かった。明日香は理不尽に
他者に暴力を振るうような男が嫌いだったし。

 眼鏡が逃げ去った後には怯えたように身を寄せ合っている中学生の女の子二人が残され
た。少なくともそのうちの一人は本気で怯えていたはずだ。
529 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 23:52:12.17 ID:hx9segxTo

「もういいでしょ」
 明日香が震え声で言った。「もう帰ろうよ」

 まずいなこれは。俺は反射的に明日香を連れてきたことを後悔した。いつもは付き合い
の悪い明日香がこういうときに限って一緒に着いてきたので俺も少し調子に乗っていたか
もしれない。

「・・・・・・明日香がいたか」
 飯田がそれでも一応は俺の彼女に配慮する気になったようだった。「池山さ、明日香に
はもう帰ってもらった方がいいんじゃね」

「・・・・・・そうだな。明日香一緒に帰るか」

 俺は明日香にそう言ったけど、明日香はじっと俺の方を睨んでいた。

 その時小さな悲鳴が聞こえた。仲間の一人が有希の指示どおり有希には手を出さず震え
ている奈緒の方を無理矢理抱き寄せたのだ。

「黙れ」
 そいつは奈緒を脅した。「おまえ死にてえの?」

「名前を言えよ」

 飯田がわざとらしく言った。こいつの名前が鈴木奈緒であることは百も承知だったはず
なのに。

 無理矢理抱き寄せられながら俯いていた奈緒は仕方なさそうにぼそぼそと何か言った。

「聞こえねえよ。もっとでかい声で言え」

「・・・・・・鈴木奈緒」

「奈緒ちゃんか。こいつ富士峰の生徒じゃん。池山おまえ本当にいいの? おまえの好き
なセーラー服の女の子だぜ」

 飯田が俺にそう言った。でも飯田の視線は冷静だった。女の子を弄ぼうとしている際の
興奮なんて微塵も感じられない。飯田の伝えたいことはよくわかった。

『有希が見てるんだぞ。言われたとおりにしろこの馬鹿野郎』

 怯えて凍り付いているような態度の有希だけど、その視線はきっと鋭く俺たちの行動を
監視しているに違いない。

このとき明日香は自分の肩を抱いていた俺の手を振り払った。
530 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 23:56:17.42 ID:hx9segxTo

「どうした明日香」

 俺は有希の手前戸惑ったようなふりをした。でも明日香が俺に何を言いたいかは半ば見
当がついていた。こういうところが明日香の純真なところなのだけど、こいつは罪のない
(と明日香が信じていた)奈緒と有希を救おうとしているのだ。

「あんたたちに言っておくけど。さっきあんたたちに嫌なことを言ったのは眼鏡の男でし
ょ。この子たちは一緒にいただけで関係ないじゃん」

 明日香が蒼白な表情で飯田たち言った。

「こいつらはあの男と一緒にいたんだから同罪だろうが。あいつの分まで落とし前付けさ
せて何が悪いんだよ」

 ずいぶん無理のあるいい訳だけど有希の前では飯田だってそう言うしかなかったのだろ
う。自分を励ますように飯田は行動に出た。

 突然飯田にスカートを捲り上げられた奈緒の白く細い脚がむき出しにされ、奈緒は小さ
な悲鳴を上げた。

 怯えたような演技でぺったりと地面に座り込んでいる有希はこの展開に満足していたの
だろう。

「あんたがこいつらを止めないんだったらあたしはあんたと別れて二度と口聞かないか
らね」
 明日香が俺に言い放った。「あんたは平気なのかよ? あの眼鏡のせいで関係ない女の
子がレイプされても」

 有希はともかく奈緒の方は多分明日香の言うとおり何の関係もない女の子と言ってもい
いだろう。俺は有希の子分じゃない。以前から不満に思っていたそういう気持ちにも火が
ついた。有希が女帝と呼ばれていることなんか、半分くらいは仲間内での遊びのようなも
のだ。たかが中学の女の子に必要以上に萎縮することなんかない。まして明日香が俺に行
動を求めているのだ。

「わかった」

 俺はそう言った。その瞬間、それを聞いた飯田は奈緒のスカートから手を離して俺を睨
んだ。俺を睨んだのは飯田だけだった。あとの二人は有希の方を見て彼女の意向を気にし
ているようだ。

「もうよそうぜ。駅前に行って飲みなおそう

 俺は飯田に言った。こいつさえ納得させてしまえば後の二人はとりあえずは有希のこと
は考えないことにして言うことを聞くだろう。

 飯田が俺を睨んだけどそのうちあいつの方が先に俺から目を逸らした。

「つまんねえやつになったよな、池山も。こいつのせいか」

『おまえ有希に逆らう気なのかよ』

 飯田の心の声が聞こえたような気がした。でも口には出さずやつただ明日香を睨んだだ
けだった。奈緒を抱きすくめていたやつが彼女を放した。

「早く逃げな」

 明日香に声をかけられた奈緒と、それに心中では俺に対して怒り心頭に発していただろ
う有希がこの場を逃げ去って行った。

 飯田なんかに嫌われたってどうということはないけど、有希が明日香のことを嫌いだし
たのは間違いなくこれがきっかけだったと思う。
531 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/13(火) 23:59:09.28 ID:hx9segxTo

 酒井さんとの待ち合わせしているファミレスでぼんやりとその出来事を思い出していた
俺は声をかけられて顔を上げた。

 目の前には相変わらず意味不明なダサイ格好の酒井さんと、タイトなスカートとスーツ
姿で赤い眼鏡をかけた女が並ん俺の方を見下ろしていた。

「ちゃんと来てくれたんだ」

 酒井さんが向かいの席に座りながら言った。

「まあ、渡さんの紹介っすから」

 俺は酒井さんにそう答えたけど、目の方は酒井さんの隣に座ろうとしている女に釘付け
になっていた。

 その女は小太りな酒井さんと対照的に細身ですっきりとした容姿だった。多分俺たちが
普段ババアと呼んでいる年齢の女だったけど、それでもこのときの俺はスーツの袖口から
覗くこの女の細い手首やブラウスから垣間見える白い胸元、この女の整った顔立ちから目
を奪われていた。

「悪いね。絶対に君に迷惑はかけないから」

 酒井さんの言葉を半ば聞き流しながら俺はその女の姿をガン見したままだった。さぞか
しこのときの俺は阿呆面をしたいたに違いない。

 俺に見つめられていることに気がついた女は俺に向かって微笑みかけた。

「あたしは神山っていうの。今日は酒井と一緒にあなたを取材させてね」

 女は高そうな皮の名刺入れを取り出して俺に名刺をくれた。その様子を見てとってつけ
たように酒井さんもポケットから直にくしゃくしゃの名刺を取り出したのだけど俺は女の
名刺の方だけに関心を持って見た。

『株式会社集談社 ヘブンティーン編集部 神山玲子』

 この女は玲子というのか。

「コーヒーをください」

 注文を取りに来たウェイトレスに酒井さんが言った。

「カフェバーになりますけどよろしいですか」

「ああ、はい」

 無意識だったのだろうけど、そのとき玲子という女は物憂げに脚を組んだので、黒いス
トッキングに包まれた細い脚のラインが俺の視線を奪った。
532 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/14(水) 00:01:21.09 ID:2b4zr21ro

 自分では高校生にしてはでかいことをしていたつもりだった。親や両親がこれを聞いた
らきっと腰を抜かすほどに。高校生と中学生のグループだというのに俺たちは月に二百万
円近く稼ぎ出していたのだ。しかも完全に合法的なやり方で。

 知り合ったばかりだった玲子を感心させようと、俺は固有名詞こそ出さなかったものの
かなり深く俺たちのビジネスの情報を話してやった。

 この玲子という女はババアだし大人なのだけど、こんなに優れたビジネスモデルを築い
た俺に対しては興味を抱いてくれるだろう。もっともそれを考え出したのは俺ではなく有
希なのだけど。

「つまりネット通販で海外から仕入れたハーブを、ネット上で頒布しているということ
か」

 酒井さんが言った。

「そうす。そしてブツは完全に合法っすから何も法律に触れるようなことはしていないっ
す」

「まあ確かに今のところは薬事法違反にはならないものなあ。でも売っている相手って中
高生なんでしょ」

「そうっすよ。主に知り合いの知り合いとか伝手を頼ってくる連中にですけど、実際に会
うことはないですね。掲示板とかで隠語でやり取りするんですよ」

「いろいろ考えているんだねえ」

 酒井さんが感心したように言ってくれたので俺は少し気分がよくなった。有希が仕切り
だしてからは昔の俺たちと違って基本的には法に触れるようなことはしていないのだ。だ
からこそ、俺が飯田を殴り倒して警察のお世話になったことを有希はあれほど気にしたの
だろう。そういう小さなミスから全てが駄目になるのだと有希はよく俺たちに言っていた。

「うーん」

 玲子が脚を組み替えながら眼鏡を直す仕草をした。組み替えようとしたストッキングに
包まれた細い脚の奥に俺の目は釘付けになった。

「あなたの言うとおり犯罪じゃないかもしれないけど、脱法ハーブを吸引して事故を起こ
こしたり犯罪を起こしたりしているわけでしょう。そういうことには罪の意識は感じな
い?」

「感じないすね」
 俺は玲子を見て言った。「ハーブは香りを楽しむものでしょ? 注意書きにも直接吸引
すると危険だって書いてあるんだし」

「実際のところ吸引しないで部屋でアロマみたいに炊いている人っているの?」

「いるわけないでしょ。火着けちゃったら五分で燃え尽きちゃいますよ。あの値段のハー
ブを燃やすやつなんているわけないじゃん」

「じゃああなたもまるっきり無罪というわけにはいかないんじゃないの。ハーブを買う高
校生たちが吸引するって知っていて売ってるんでしょ」

 玲子がいかにも大人らしく何か小賢しいを言い始めた。

「あんた俺に喧嘩売ってるの? じゃあ俺たちのやっていることのどこが違法なのか言っ
てみなよ。ハーブを売ることが何の法律に違反してるんだよ」

 俺はむかついて玲子に脅しをかけたけどこの女は少しも動じる様子はなかった。
533 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/14(水) 00:10:32.09 ID:2b4zr21ro

「まあまあ。話を変えるけど吸引ってどういう風にするのかな」

 玲子と俺の間に割って入るように酒井さんが言った。この女の態度にはむかついていた
けど酒井さんは渡さんの先輩だった。ここでへそを曲げるわけにはいかない。

「タバコがあるでしょ。巻かれているタバコの葉を少しだけ掻き出して代わりにハーブを
詰めて火を着けて吸うんすよ」

「マリファナみたいなもんか」

「まあ、そうすね」

 俺は、もう俺の脅しの言葉を気にする様子もなく涼しい顔でボールペンを握って何かを
メモしている玲子を見た。ボールペンを握っている白い華奢な手に俺の視線が吸いつけら
れる。メモを支えている左手の薬指には指輪はない。

 何でかわからないけど俺の中で、この年上女に対する妄想が浮かんできた。

 ・・・・・・玲子のこのスーツを脱がしてみたらこの女はどういう体をしているのだろう。多
分細身の華奢な体付きなのだろう。酒井さんの態度からは玲子の方が酒井さんより偉いみ
たいだけど、そういう大人の事情には関係なく俺はこの女に欲望を感じてしまったようだ
った。

 俺には明日香しかいないはずなのに何で俺はこんなババアに興味も持ったのだろう。い
ったい何でこの女の姿や仕草を盗み見て一人密かに興奮しているのだろう。俺は玲子を組
み敷いて犯している自分を想像してみた。明日香に対する想いとあまり変わらないくらい
の興奮が俺を襲った。

 そのとき玲子が赤い眼鏡を外した。眼鏡をかけていないこの女を見たとき俺は悟ったの
だった。この女は明日香に似ている。まるで血が繋がっているかのように。それがたとえ
ババアであっても俺が好きな明日香にこの女はそっくりなのだ。

 まさか明日香の母ちゃんじゃないだろうな。俺は念のためにさっき玲子に貰った名刺を
再確認したけどこの女は神山という名前で、結城という姓じゃない。ということは玲子は
明日香の母ちゃんとか親戚ではないのだろう。それにしても一度そう思い込むと玲子の面
影は明日香そっくりだった。

 俺は明日香に振られていた。俺はこれまであまり考えないようにしていた有希の言葉を
思い出した。
534 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/14(水) 00:11:02.98 ID:2b4zr21ro

『あの子はあんたなんかに気はないよ。ナオトさんのことしか好きじゃないみたいだし
さ』

『はっきり言うけど明日香が好きなのはあんたじゃないよ。あの子は自分の兄貴のことし
か頭にないんだから』



 有希の言葉は明日香への悪意に満ちているから多少は割り引かなければいけない。明日
香が本当に実の兄貴への禁断の恋にのめり込んでいるのかは何の証拠もない話だった。そ
れでも渡さんの店で俺が明日香から別れ話を切り出されたのは確かだった。

 そして明日香はそのときこう言ったのだ。



『簡単だよ。あんたがあの富士峰の子とナンパでもレイプでもいいけど、一度あの子を自
分の女にしちゃえってこと。それであの真面目そうな子を自分の女にしてみてあたしと比
べてみなよ。それでもあたしの方がいいって言うならまたあんたとの付き合いを考えてあ
げるよ』



 あんな馬鹿げた言葉に乗るような俺じゃない。明日香は俺を厄介払いしたかっただけな
のだ。それに何でかはわからないけど奈緒をひどい目にあわせたいという気持ちも明日香
にはあったようだった。

 今、俺の目の前には明日香に似た大人の女がいる。何の罪もない中学生の奈緒を犯すな
んてもってのほかだけど、俺のことを罪人だと言わんばかりに決め付けた挙句涼しい顔を
してメモを取っているいい歳のこの女に対してなら、たいていのことをしても許されるの
ではないだろうか。もちろんこいつは処女ではないのだろうし。

 それにこの女は渡さんの知り合いではない。この女を犯して自分のものにしたとしても、
渡さんに対して義理を欠くことにはならないだろう。

 こいつを抱くことは多分容易なことだった。自分では大人の編集者だと思っているのか
もしれないけど、俺にとっては玲子は無防備な獲物に過ぎない。玲子の後をつけて家を確
かめ、こいつが鍵を開けた瞬間に襲い掛かればいいのだ。指輪をしていないのだから多分
一人暮らしなのだろうし。仮に実家住みだと少し厄介だけど、その場合はまた手段を考え
ればいい。

 俺は目の前で何やら酒井さんと話をしだした玲子の白い横顔を彼女には気がつかれない
ようにさりげなく眺めた。

 玲子は俺が関心を抱いた中では一番年増の女だったけど、今では俺にとってはそんなこ
すら不思議なことではないように思えてきた。俺は悪くない。

 玲子の体に何が起こったとしても、それは俺に対してあんな偉そうな挑発的な態度を取
ったこの女の自業自得なのだし、全ては俺のような男に無防備に自分の肢体を見せつけた
こいつの責任なのだ。
535 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/14(水) 00:12:11.61 ID:2b4zr21ro

今日は以上です。

次の投下は女神との兼ね合い次第ですけど、なるべく早く投下します。

ここまでお付き合い感謝です。
536 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/14(水) 00:15:16.72 ID:0jacUx0Yo

やはりクズであったか
537 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/14(水) 01:32:04.18 ID:FhyiRfpDO
見上げた奴だと感心したそばから失望させられたり、またちょっと見直したり…
人間ってやつは本当に多面的でめんどくさいなw

乙でした
538 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/14(水) 02:40:53.90 ID:0Hz82Dbzo
539 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/14(水) 18:50:46.29 ID:0gr6yhcT0
池山イケイケじゃん

とか思ってた時期が僕にもありました。
540 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/14(水) 19:39:35.23 ID:JtkqfJr4o
541 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/14(水) 22:38:41.21 ID:F5S/Pd40o
542 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/14(水) 22:41:17.80 ID:aI7ctQhho
池山ェ…
543 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/15(木) 01:15:42.93 ID:D6xeMgRDO
おのれ池谷… (ギリッ)
544 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/15(木) 16:12:33.82 ID:94vEdPdIO
池山許さんぞ……
545 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:46:33.92 ID:o39L6oyZo

 結局明日香は不貞腐れて自分の部屋にこもってしまった。叔母さんも濡れた服を抱えて、
タクシーを捕まえるからとだけ小さな声で言って家から出て行ってしまった。

 何がなんだかわからないけど、今僕はリビングに一人取り残されていた。

 明日香には少し可愛そうだったかもしれない。初めて結ばれようとしているそのとき、
悪気はないとはいえ突然の叔母さんの来訪に邪魔されたのだから。タイミングもまずかっ
た。僕には明日香が心配しているような叔母さんに対する恋愛感情なんてないし、叔母さ
んだってきっとそうだ。

 でも。

 確かに叔母さんの濡れた体をガン見したのはまずかった。叔母さんも気にしていたよう
だし、その微妙な空気は明日香もすぐに気がついたようだった。僕が叔母さんの体を女性
として意識して眺めたのはこれが初めてだった。濡れたブラウスから覗いていた叔母さん
の肌が僕の脳裏に浮かんだ。僕だって男だからいくら年上の叔母さんとはいえその肢体に
目を奪われることはあっても不思議はない。僕はそう自己弁護した。でもそれは明日香に
対する裏切りでも浮気でも何でもない。

 今日は僕と明日香が一生一緒にいようと誓い合った日だ。一度決めたことなのだから最
後までその決心は貫こうと僕は思った。とりあえず明日香の誤解を解いて仲直りしよう。
ちゃんと話せばきっとあいつだってわかってくれるはずだ。それに明日香は中学生の女の
子としては考えられないような辛い目にあったばかりだった。多少は僕の方から譲歩して
あげる場合なのは間違いない。

 僕はそう決心するとリビングを後にして二階に続く階段を上っていった。明日香の部屋
はドアが閉まっていて中からは何の物音もしない。僕は思いきってそのドアをノックした。

「明日香?」

 返事はない。

「明日香・・・・・・入るよ」

 ドアを開けて部屋に入ると明日香はベッドに入って頭から毛布を被っていた。相変わら
ず返事はしてくれない。

「叔母さん、帰ったよ」

 とりあえず何を喋ればいいかわからず僕はそう言った。でも叔母さんの名前を出したの
は失敗だったのかもしれない。明日香は僕を振り向きもせずうつ伏せ気味に毛布の下に潜
り込んでいるままだ。

「・・・・・・」

「風呂に入れなかったんだろ。体拭いてやろうか?」

「なあ、返事してくれよ。僕は明日香の彼氏なんでしょ? 何で返事してくれないの」
546 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:47:12.03 ID:o39L6oyZo

 彼氏という言葉に反応したのか、ようやく明日香が毛布の下から顔を覗かせた。

「・・・・・・んで」

 ようやく明日香が低い声で返事した。

「え」

「・・・・・・何であんな」

 明日香がようやく僕と目を合わせてくれた。

「何でお兄ちゃんはあんな目で叔母さんのことを見つめていたの? 何で叔母さんは潤ん
だ目でお兄ちゃんのこと見つめてたの」

「何を考えているのかわからないけどそれは誤解だから」

 僕は言った。ここは正直に話す方がいい。

「確かに叔母さんが、その・・・・・・ああいう格好だったんで思わず見入っちゃったかもしれ
ないけど、別に叔母さんに特別な感情なんかないって。叔母さんだってそうだよ」

「・・・・・・そういう雰囲気には見えなかった。何か今にもお互いに告白しあいそうに見えた
んだけど」

「ないよ。僕だって男だからそれは叔母さんの体を見つめちゃったかもしれない。叔母さ
ん綺麗だし」

 それを聞いて明日香が辛そうに僕から目を逸らした。

「でも恋愛感情とかじゃないんだ。今の僕には好きな女の子は一人しかいないんだし」

「どういうこと」

「もう忘れちゃった? 僕はおまえとずっと一緒にいようって決めたばかりなんだけど」

 再び明日香が僕の方に視線を戻した。どうやら少しだけ明日香は僕の言うことを聞く気
になったようだった。

「明日香、好きだよ」

 僕は真顔で言った。これが本音だったことは間違いない。どんなに僕が奈緒に惹かれて
いても奈緒は僕の妹だった。付き合うことも、ずっと一緒に二人で暮らすこともできない。
結婚して子どもを作ることもできない。何よりも再会した大好きな兄貴として僕を慕って
くれている彼女に対して、僕の正直な想いを話すことすら今では禁忌なのだ。

 それに玲子叔母さんのことに関して言えば、それは明日香の完全な誤解だった。たとえ
僕が不実な恋人だったとしても明日香が嫉妬すべきは叔母さんではなくて奈緒の方なのだ。
でもそれは僕が言うことじゃない。僕はその考えを胸の奥にしまった。
547 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:47:42.38 ID:o39L6oyZo

「・・・・・・わかった」

 ようやく明日香がベッドから上半身を起こして言ってくれた。毛布から這い出した明日
香は寒いのに白いタンクトップの短いシャツだけを身にまとっていた。シャツの隙間から
覗く肌に巻かれた包帯が痛々しい。

「信じるよ。あたしだってお兄ちゃんと喧嘩するのは嫌だし」

「・・・・・・明日香」

「ぎゅっとしてお兄ちゃん」

 突然明日香の態度が柔らかになった。僕は明日香の甘い声に従ったけど、言葉どおりぎ
ゅっと抱きしめたらきっと明日香の傷が痛むだろう。だから僕はベッドの端に腰かけてそ
っと彼女の体に手を廻した。

「もっと強くしてくれてもいいのに」

 明日香が僕の首に両手を回しながら言った。この先は明日香の指示を待っていたのでは
駄目なのだろう。僕は自分から明日香にキスした。

「疑ってごめんね」

 明日香が言った。

「叔母さんの体を見つめちゃったのは僕の方だしな。誤解させて悪かったよ」

「もういい。お兄ちゃんの言うことなら信じるよ」

 僕の顔の近いところで彼女の声が響いた。

「お兄ちゃんの気持ちはわかったから、あたしの言うことも聞いて。お兄ちゃんはうざい
と思うかもしれないけど、やっぱりお兄ちゃんが奈緒とか叔母さんのことを話す口調とか
表情とか態度とかって、あたしにとってはすごく不安なの」

「そんなつもりはなかったんだ。でも心配させたならごめん」

 少なくとも叔母さんに関しては明日香の邪推なのだけど、今日は明日香に譲歩しようと
決めたばかりだったから素直に僕は謝った。

 明日香は僕の首に回した手に力を込めた。

「お兄ちゃんが本気であたしを選んでくれたなら」

「うん」

 密着している明日香の体から女の子らしいいい匂いがする。

「あたし、奈緒にも有希にも玲子叔母さんにも絶対お兄ちゃんのこと譲る気はないから」

「うん・・・・・・僕だってもう決めたんだしそんな心配いらないよ」

「でも不安だから」
 明日香が真面目な顔になって言った。「だからあたしたちが恋人同士だってこと、みん
なにカミングアウトしよう」
548 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:49:00.75 ID:o39L6oyZo

「・・・・・・僕は別にいいけど。でもカミングアウトって大袈裟だな」

「だってみんなあたしたちのこと血の繋がった兄妹だ思っているわけじゃない。だからカ
ミングアウトしよう」

「うん。それでいいよ」

 明日香の言うとおりだ。臆病な僕は曖昧なままの関係を望んでいたのだけど、それでは
いけないと思って明日香の気持ちに応えたのだ。だから別に明日香の提案は反対するよう
なことではない。ただ、周囲の反応を考えると多少は気が重いのも事実だった。

「今度パパとママが帰ってきたら真っ先に言おうよ。あとこれはお兄ちゃんに任せるけど、
奈緒ちゃんにもちゃんと話してね」

 今まで明日香は奈緒のことを呼び捨てしていたのだけど、このとき彼女は奈緒ちゃんと
言った。明日香もきっと彼氏である僕の妹として奈緒のことを認識しなおしていたのだろ
う。

「最初に玲子叔母さんに言って」
 明日香が言った。「あたしとお兄ちゃんは恋人同士の間柄になったって」

「わかった」

「メールでいいよ。叔母さんが次に家に来るのを待っていたらいつになるかわからない
し」

「うん」

「あと、有希にはあたしが直接謝るから」

 明日香がさらりと恐ろしいことを言った。明日香は有希のことを富士峰のピアノが上手
な少女に過ぎないとしか認識していないのだから無理はないのだけれど、それは非常に危
険なことかもしれない。

「ちょっと待て」

 明日香が怪訝そうに僕の方を見た。

「両親には話するし、奈緒にも話す。叔母さんにも今この場でメールしてもいい」

「うん」

「何なら兄友と女さんにも報告するよ」

「・・・・・・嬉しい」

 明日香が赤くなって僕に答えた。

「でも有希さんには僕から話す」

「何で? 有希に悪いことしちゃったのはあたしのせいだよ?」

「それでも僕から話した方が言いと思う。おまえはもう辛いことは何にもしなくていいよ。
全部僕が被ってやるから」

 女帝のことを話せない以上、こういう大袈裟な言葉で明日香を誤魔化すしかない。それ
でも明日香は僕の言ったことに喜んだようだった。

「幸せだな。本当に誰かが無条件であたしを守ってくれる日が来るなんてなんて嘘みたい。
しかもそれは大好きなお兄ちゃんだなんて」

 少しだけ罪の意識を感じたけどそれを誤魔化すように僕は明日香の体を抱きしめた。明
日香の傷は痛んだのかもしれないけど、彼女はそのことに抗議しなかった。

「明日にでも叔母さんにメールするよ。とりあえず話があるからっていう内容でいい?」

「・・・・・・まあいいか。面と向かってちゃんと言った方がいいもんね」

 明日香が笑って言ってくれた。ようやく明日香の機嫌が元に戻ったようだった。
549 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:50:09.49 ID:o39L6oyZo

 取材を終えた酒井さんは俺に茶色い封筒を渡してくれた。

「少なくて悪いけどこれ謝礼だから」

「あざーす」

 渡さんの面子は潰せないので俺は酒井さんに礼を言ったけど、俺の視線の方はさりげな
く向かいの席に涼しい顔で脚を組んで座っている玲子の姿を盗み見ていた。正直謝礼なん
てどうでもいい。俺の時間を潰したことに対する謝礼は、もっと別な形でこの目の前の女
から受け取ることに俺は決めていた。

「神山さん、これから社に戻るなら車で送りましょうか」

 酒井さんが玲子に言った。

「いや。今日はもう遅いし自宅に直帰するわ。ありがと酒井さん」

「わかりました。じゃあ池山君、今日はありがとな」

「渡さんの知り合いならぜんぜんOKっす」

 俺は精一杯好意的に言ったけど頭の中はこの後玲子が自宅に帰るという事実で塞がれて
いたのだ。ふと思い立って俺は酒井さんにメアドを教えることにした。捨てアドだから他
人に教えても危険はない。

「酒井さん、まだ取材したいことがあったらここに連絡してください」

 俺は言った。

「悪いな。ありがと」

 俺と酒井さんのやりとりには全く興味のなさそうな玲子の手元で携帯が振動した。メー
ルだったらしく玲子はちらりとディスプレイを眺めた。どういうわけか玲子はそのメール
を見て顔を赤くした。

 男か。俺は自分の心がささくれ立って苛立つのを感じた。これだけ綺麗なババアなら男
がいても不思議ではない。でも俺はそのとき冷静に俺を追い詰めるような話をしていた玲
子が偶然に俺に見せた女らしい子どもっぽい表情に嫉妬を覚えた。

 まあいい。今日は玲子はこれから家に帰るそうだ。そんな情報を無防備に俺の前で口に
したことをすぐに玲子には後悔させてやる。今夜は後悔という言葉の意味を大人のこいつ
の体にたっぷりと時間をかけて教えてやる。もう二度と彼氏のことなんか思い出せなくな
るくらいに激しく。

「じゃあ、俺たちは帰るから」

 酒井さんが言って二人は席を立った。

 レジで勘定をすませた二人はファミレスの前で左右に分かれた。

 俺はすぐに店を出て玲子の後を付け始めた。女の後を付けるのにはこつがある。タゲの
後ろ斜め反対側の歩道を歩いてつけるのだ。同じ側の歩道のすぐ後ろにいると見つかりや
すい。

 俺は駅の方に向かわずに住宅地の方に向かって歩いていく玲子の細身の姿を見つめなが
ら彼女を追跡し始めた。

 十分ほど歩いたところで玲子はマンションの玄関の方に入っていった。
550 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/15(木) 23:52:54.44 ID:o39L6oyZo

 俺は狼狽した。何となく飯田のアパートのように通りから直接部屋のドアがあるような
家を想像していたのだった。それならドアの鍵を開けたところで玲子を襲うことができる。

 でも玲子が入っていったのは高層の高級そうなマンションで、入り口のテンキーで暗証
番号を入力して中に入るタイプだった。俺の手からすり抜けた玲子がマンションのロビー
に入っていく様子を、俺は指を咥えて見守ることしかできなかった。

 今日はこれから玲子を抱く気になっていた俺は、自分の獲物が俺が手出しをできない安
全な場所に去っていくのを狼狽して見つめることしかできなかった。この生意気な年上の
ババアを犯して自分の欲望を解消する計画が台無しになろうとしている。俺のこの満たさ
れない想いはいったどうすればいいんだ。

 そんなことを考えて悶々としていたせいせいで俺は少しだけ油断していたのだった。見
晴らしのいい場所に俺は堂々と姿をさらしたまま玲子の後姿を食いつくように見つめてい
た俺は。

 エレベータ待ちをしていたらしい玲子が何気なく背後を振り向いた。そのとき玲子の視
線が俺を姿を捉えた。

 すぐに見えない場所に避難したせいでそのときの玲子が俺に気がついたかどうかはわか
らなかった。

 くそが。俺はすごすごと玲子のマンションから駅の方に退散しながら苛立っていた。う
まく行けば今頃は悲鳴を上げて抵抗している生意気な玲子を平手打ちして黙らせて、あの
高価そうなスーツを脱がせてあいつの肌を露わにしてやっていたのに。

 今日はおとなしく自分のアパートに帰るしかない。それにしてもこの先俺はいったいど
うやって玲子を抱くことができるのだろう。玲子の家に侵入できないならどうにかして俺
のアパートに連れ込むかグループで所有しているワゴンにでも連れ込んで犯すしかないだ
ろう。

 今日は玲子に抱いた興奮を解消するために風俗にでも寄るか。

 俺はそう思った。金なら腐るほどある。女帝のおかげだ。でも今日はそういう気にはな
れなかった。さっき見た例子の肢体を思い出して、あの生意気な玲子が可愛い悲鳴をあげ
て精一杯俺に無駄な抵抗をしている姿を想像して自分で抜くか。それにもう少し玲子を拉
致して犯す計画を練った方がいいかもしれないし。

「何ぼんやり考えてるの」

 俺は突然話しかけられた。若い女の子の声だ。金髪にピアス、それにこんな服装をして
いる俺に話し掛けてくる女の子なんて・・・・・・。

 その想像は当たっていた。その姿に心臓が止まりそうになった俺は、突然目の前に現わ
れた有希の探るような視線をから思わず目を逸らした。

「さっきの女は誰?」

「別に・・・・・・ちょっと目をつけただけ。たまには年上のOLとかをレイプしたくてさ」

 俺は精一杯誤魔化そうとした。

「嘘ね。あんたは見知らぬ女を突然犯したりできない性格でしょ、それにそういうのはよ
せって命令してあったでしょ」

 有希は富士峰のセーラー服を見にまとってピアノのスコアを小脇に抱えていた。誰が見
たって清純そうな中学生に見えるだろう。こいつが女帝だなんて考えるやつんなんていな
いに違いない。

「・・・・・・明日香にそっくりじゃん、あの女」

 有希は一瞬で俺の心の動きまで悟ったみたいだった。

「あの女が気になるの? 何か訳ありなんでしょ。聞かせてもらうわよ。奢るからこれか
らSPIDERに行こうか」

 有希は制服姿の自分を気にする様子もなく俺に言った。どうやら俺には拒否権はないよ
うだった。
551 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/15(木) 23:53:25.59 ID:o39L6oyZo

今日は以上です

また投下します
552 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/11/16(金) 00:21:18.45 ID:oIBjbXRdo


有希の暴走っぷりに、期待
553 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/16(金) 00:25:24.06 ID:MgNU+KmUo
554 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/16(金) 00:59:00.50 ID:3R8fW6Lvo
金髪にピアス…?
555 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/16(金) 01:48:57.62 ID:dlW2DtA+o
それは池山の風貌だろ
556 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/16(金) 07:57:28.31 ID:ZYnvNGFDO
追い詰められていきそうだなイケヤマ
557 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/16(金) 19:25:55.11 ID:df7LG02c0
いけやまは
くそだと
おもいます。
558 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:20:24.34 ID:r5CGhVRqo

 半ば有希に引き摺られるようにしながら入ったSPIDERの店内には、渡さんがカウンター
の奥でグラスを磨いているほかにはまだ客の姿は見えなかった。この時間だとまだ開店し
たばかりなのだろう。

「おう博之」

 渡さんが俺を見て言った。

「ちぃーす」

「二日連続でおまえが顔出すなんて珍しいじゃんか」

 渡さんは笑って言った。そのとき俺の後ろにいた有希が富士峰のセーラー服姿のままで
渡さんにあいさつした。

「今晩は」

「なんだ有希ちゃんもいるのか。久し振りだね」

「うん。いろいろ忙しくてなかなか顔出せなかったの。渡さん、元気してた?」

 有希は可愛らしい笑顔を渡さんに見せた。それにしても中坊の有希は二十代半ばの渡さ
んに対してずいぶん馴れ馴れしい口を聞いていた。渡さんは全くそのことを気にしていな
いようだったけど。

「相変わらずだよ。有希ちゃんも元気そうだねって、制服はやばくないか?」

「この店なら平気。それにここ出たら真っ直ぐお家に帰るし」

 意識してかどうか、渡さんの前では有希は随分女の子っぽい話し方をする。もちろん商
売の話をここですることが多かったので、有希や俺たちが何をしているかや有希が俺たち
の仲間内で今ではどういう立場にいるかは渡さんはよく知っていた。

 それでも自分に対しては有希が女の子らしく振舞ってくれることを渡さんも気に入って
いたようだった。

「ねえねえ」

 有希が渡さんに話しかけた。

「どうしたの」

「来月の十四日は絶対お店にいてね。あたしその日は渡さんに用事があるから」

「・・・・・・俺なんかよりチョコあげたい人は別にいるんじゃねえの」

 渡さんは満更でもなさそうに苦笑して答えた。

「そんな人いないもん。渡さん絶対にお店にいてね。約束だからね」

「はいはい。有希ちゃんに言われたら逆らえねえしな」

「やった」

 有希が嬉しそうに言った。
559 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:21:16.74 ID:r5CGhVRqo

 渡さんと有希に無視されていた俺は勝手にビールを冷蔵庫から取り出してボックス席に
座った。

 有希は普段は全くといっていいほど男に対して媚びることはないのだけど、以前から渡
さんだけはその例外だった。といっても有希が渡さんに対して男としての好意を持ってい
たかどうかはよくわからない。もともと有希は知り合った頃から謎の多い女だった。

 俺は有希はビアンなんじゃないのかと考えたことがある。有希の親友だという富士峰の
同級生の鈴木奈緒。彼女こそが有希が本当に狙っている相手なんじゃないかと。

 有希は女帝としての自分の姿を奈緒に知られることに対しては極端に気を遣っていた。
要するに奈緒の前ではいい子でいようと努めていたのだ。ついこの間までは有希が奈緒と
一緒にいるときは、絶対に自分に話しかけないように俺たちは命令されていた。

 でもその有希は俺たちに奈緒をレイプするように命令した。結果的には明日香の正義感
のせいでそれは未遂に終ったのだけど、俺は何で有希が大切にしていた親友をそんな目に
あわせようと考えたのか不思議に思ったものだ。ひょっとしたら有希は奈緒に迫って拒否
されたのだろうか。

 でも、それ以降も有希は奈緒と一緒に行動していたようだしそういうことでもないよう
だった。

 謎の多い女だったし有希のことを探ってばれたときの報復も恐かったから、俺はあまり
その辺のことは考えないようにしていた。

「そういや博之。酒井先輩からお礼の電話もらったよ。協力してくれてありがとな」

「・・・・・・うぃっす」

 俺は観念して答えた。有希がこれまで媚びていた渡さんから目を離して、やっぱりねと
いう顔で俺の方を見た。

「おまえには迷惑はかけないって先輩言ってたぞ」

「はい」

「ただよ。今日ちょうどおまえに会えてよかったんだけどよ」

「・・・・・・何すか」

 俺はもうやけくそだった。ここまできたら有希にはもう全部話すしかないことはよく理
解できていたから、これ以上隠すことは何もない。

「酒井さんが心配してたんだけど、インタビューに酒井さんのクライアントの女が一緒に
ついてきたんだって?」

 玲子のことだ。

「ええ」

「その女がきついことを言っておまえを怒らせたそうじゃねえか」

 俺は黙っていた。確かに玲子は俺のことをコケにして俺はそれに対して復讐心を抱いた
のだけど、今正直にそういうわけにはいかなかtった。

「万が一にもおまえがその女に手を出すことがないようにしてくれって、先輩に頼まれた
んだよ。おまえまさか変なこと考えてねえよな」

「無いっすよ。確かにむかついたけど、ああいう大人はみんなそうですし。別にあの女に
何かしようなんて思ってないっす」

「ならいいんだ。変なこと言って悪かったな」

 渡さんはそれで納得したようだけど、有希の方はそうは行かなかった。皮肉っぽい目で
俺の方を嘲笑するように見ている。

「話があるんだろ」

 俺は有希を促した。
560 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:22:10.06 ID:r5CGhVRqo

 ボックス席に収まってしまうとたいていの会話は外には届かない。俺の向かいに座った
有希は不貞腐れたようにビールを飲んでいる俺を再び嘲笑するように見た。

「そういうことだったのね。だからあんたはあの女をマンションまでつけていたのか」

「・・・・・・別にそんなんじゃねえし」

「どうせハーブとかの商売をその女に責められたんでしょ。ついでにあんたを責めた女が
ちょっと見栄えがよかったから何とかしちゃおうかって考えたわけか」

 これ以上はもう誤魔化せなかった。

「そうだよ。悪いかよ」

「悪いよ」

 有希が渡さんに見せていたような甘い表情を消して俺を冷静に見た。その表情を見ただ
けで俺は萎縮していった。たかが中学生の女なのに有希に睨まれたり命令されたりすると、
反抗しようにも心が縛られて自由にならなくなる。これが女帝の恐さなのだ。

「渡さんに頼まれたみたいだから取材を受けたことは許してあげる」
 有希が言った。「やばいことは喋ってないだろうし」

「喋ってねえよ」

「あんたが狙ってた女の名前は?」

 俺はごそごそとポケットから玲子にもらった名刺を取り出して無言で有希に渡した。

「神山玲子・・・・・・やっぱそうか」

「知ってるのか」

「顔を見たときからそうじゃないかと思ってたよ。だってあの女、明日香にそっくりじゃ
ない」

 それは確かにそうだった。俺があの年増女を無理矢理自分のものにしようと衝動的に思
ったのだって、別に玲子のむかつく態度への復讐だけというわけではかった。玲子が明日
香に似ているということが俺をあんなにも駆り立てた一因なのだ。

「あんたのその足りない頭にはいい加減愛想が尽きたけど、しようがないから教えてあげ
るよ」
 相変わらず遠慮なく有希が言った。「この玲子って女はあんたの好きな明日香の叔母さ
んだよ、きっと」

 俺は驚いた。確かにあれだけ似ているなら血が繋がっていても不思議はないけど、そも
そも苗字が違うじゃねえか。玲子の姓は結城ではなく神山なのだし。俺はそう言って有希
に反論した。

「え」

 理解できないという顔で有希が俺を見た。

「だから結城玲子ていう名前なら俺だってそう考えただろうけどよ。名前が違うって言っ
てんの」

「・・・・・・あんたの頭の中って何が詰まってるのかな。一度割って中を見てみたいな」

 随分と恐いことを有希が言った。それがあながち冗談ではないこが有希の恐いところだ。

「母方の叔母なら苗字が違ってて当たり前でしょ。あんたバカなの?」

「そういやそうか」

 俺は自分でも愚かだったと思うけど、苗字が異なる親戚がいても当然だということにこ
のとき初めて気が付いたのだ。
561 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:24:26.67 ID:r5CGhVRqo

「玲子って女は間違いなく明日香の叔母さんだよ。あたしも明日香から仲がいい玲子って
いう叔母さんがいるって聞いたことがある」

 俺が明日香に振られてから有希が一時期だけ明日香と仲良くなったという話は有希本人
から聞いたことがある。でも何かのトラブルで有希は明日香を犯すよう俺たちに命令した
のだ。奈緒のときといい明日香のことといい有希の機嫌はいつどう変わるか予測不能だっ
た。

「池山、あんた玲子から手を引きな」

 有希が俺に言った。

「何でだよ。俺、玲子を襲ったとして絶対にへまはしねえって」

 一応そう反論した俺だったけど、これまであれほど俺を駆り立てていた年上の女に対す
る欲望は風船がしぼむように消えうせていた。

 自分でもよくわかっていた。俺は振られた今でもまだ明日香のことが好きなのだ。その
明日香が仲がいいという叔母を俺が犯したことを知られたら。明日香とよりを戻すどころ
ではない。明日香が自分の大切な身内に対してひどい仕打ちをした俺のことを憎むように
なるのは明らかだった。それに玲子が自分の好きな女の叔母だと思っただけでも、俺は気
持ちが萎えていた。

 非合法なことをしていない俺のことを見下し、偉そうに非難した大人の女を無理矢理犯
すだけなら躊躇はしないけど、それが好きな女の叔母さんなら話は別だった。俺には明日
香の身内に対してそんな残酷な真似はできない。

「あたし言ったよね? 警察に目を付けられるようなことはするなって。それであたした
ちの商売だってうまくいってるんじゃないの」

「ああ」

 不承不承俺はうなずいた。有希の言っていることは間違っていない。

「じゃあ約束して。これ以上玲子を狙わないこと。それにあんたが玲子を無理矢理犯した
なんて渡さんに知れたら」

 有希がカウンターの向こうにいる渡さんの方を意味ありげに見た。

「わかったよ。約束する。もうあの女のことは忘れる」

「よかった」

 いい子になった俺へのご褒美というわけでもないのだろうけど、有希は可愛い微笑みを
俺の方に向けてくれた。
562 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:26:08.21 ID:r5CGhVRqo

「まあさ。あまり今から決め付けることもないよ。とりあえず明日香の叔母さんに手を出
されちゃ困るんだけどさ」

「もうわかったって」

 玲子が明日香の実の叔母だとわかった今では少しも玲子を犯すことに対する興奮の感情
は浮かんでこなかったからこれ以上は蛇足なのに、有希は可愛らしい笑顔のまま話を続け
た。

「でもさ。もし明日香の叔母さんがあたしたちのことにこれ以上興味を持って探りを入れ
てきたらさ」

「それはねえと思うよ。玲子はファッション雑誌の編集者だしさ」

「あたしもそう思うよ。でも万が一そうなったら、明日香の叔母さんにはいろいろと反省
してもらわなきゃいけないじゃない?」

 有希が幼い可愛らしい声で言った。

「反省って」

「そうなったらさ。最初に明日香の叔母さんを虐める権利はあんたにあげるからね」

「仮にそうなったら玲子をどうする気だ」

 俺がさっきまで考えていたのは十歳以上年上の玲子を強姦して自分の女にすることだっ
た。でも有希の笑顔の裏にはそれ以上の意図があるようだった。

「ちょっとは痛い目にあってもらった方がいいとは思うけど、別に殺しちゃえとか言って
ないよ。それよりあの女相手ならキメセクとかしてやったらどうかな。あんただって無反
応な女を犯すよりも玲子が感じてくれた方が嬉しいでしょ」

「玲子に手を出すなって言ったり玲子にドラッグを使えって言ったり、おまえいったい何
を考えてるんだよ」

「単純な話でしょ。何も悪いことをしていない一般人の女を犯そうなんて考えてたあんた
の方がきもいよ。でも、玲子があたしたちにとって都合悪いことをしようとするならさ」

 俺はぞっとして有希を見た。こいつの口調は本気だった。

「リキッドの静脈注射とかで玲子にもいい思いをしてもらってもいいんじゃないかな」

「有希ちゃん、何か飲む?」

 そのときカウンター越しに渡さんが有希に声をかけた。

「ありがとう。ミルクティーをもらえますか」

 富士峰のセーラー服姿の有希が無邪気そうにそう言った。店内には他には客の姿はなか
ったけど、たとえ一目があったとしても有希が今俺に言ったようなことを考えている恐ろ
しい女だと見抜けるやつはいなかっただろう。
563 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:27:12.02 ID:r5CGhVRqo

 そのときあたしは池山とかいう高校生と目が合った。マンションのエレベーターが来る
のを手持ち無沙汰に待っていたとき、何気なく背後を振り向いたあたしの目が金髪ピアス
の高校生の男と合ったのだ。でも一瞬驚いたあたしが確認しようとしたときには彼の姿は
もう視界から消えていた。

 きっと気のせいなのかもしれない。あたしはもうそのことは忘れて、自分の携帯のディ
スプレイをもう一度見直した。さっきは酒井さんと取材対象の高校生の前だったから必死
で動揺を抑えたのだったけど、それでも顔が赤くなったり挙動不信に思われたかもしれな
い。

 酒井さんは気がついていたかもしれないけど、気が付かない振りをしてくれた。高校生
の方はよくわからないけど、あたしなんかに関心は無いだろうから別に何とも思っていな
かったに違いない。

 今では周囲には誰もいなかったからあたしは再びそのメールを見つめた。



from :奈緒人
sub  :無題
本文『叔母さんさっきはごめんなさい。叔母さんに大切な話があるんだ。叔母さんは仕事
で忙しいと思うから、もし時間ができたら僕に会ってほしい。突然変なメールしてごめん。
でも僕たちにとっては大事なことだから。じゃあ、玲子叔母さん。会えるようになったら
メールか電話して』



 大切な話。僕たちにとって大事なこと。僕たちとはあたしと奈緒人のことなのだろうか。

 あたしは奈緒人のメールを読んで顔を赤くした。いったい奈緒人は叔母のあたしにどう
いう大切なこととやらを話す気なのだろう。それにメールの冒頭で奈緒人はあたしに突然
謝っているけど彼は何に対してあたしに謝罪しなければと思ったのだろう。

 もうあたしの脳裏からはさっきの取材やマンションのロビーで金髪ピアスの高校生と目
が合ったことなどは消え失せていた。代わりに浮かんできたのは土砂降りの雨の中を結城
さんの家を訪れたときの奈緒人の言葉だった。



『叔母さんごめん。って言うか見てないから』

 奈緒人は赤くなってあたしの体から目を逸らしながらそう言った。

『見るって何を。奈緒人、あんた何言ってるの・・・・・・』」

 赤くなったという意味ではあたしも同じだっただろう。それに叔母らしくいつものよう
に奈緒人を諌めようとした言葉も、そのときのあたしは聞き取れないほど小さな声でしか
話せなかったのだ。

 本当にどうかしている。あたしみたいな三十にもなるおばさんが、高校生の奈緒人の言
葉の一つ一つにどきどきしするなんて。とてもこんなことは奈緒人にはもちろん明日香に
だっては言えやしない。
564 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/17(土) 00:29:47.83 ID:r5CGhVRqo

 自分の中で甥っ子の奈緒人を男として意識していることはとうに気が付いていたことだ
った。そしてその恋心をどうやって終らせようかとあたしはそれだけを考えるようにして
いたのだ。

 これは三十路にかかろうとしている年増女の恥かしい妄想だとあたしは自分に言い聞か
せてきた。血が繋がっていないなんて考えてはいけない。それはこれまであたしを叔母と
して慕ってくれてきた奈緒人にとって一番残酷なことなのだ。

 当然だけど、これまで奈緒人があたしのことを女として意識している素振りなんて一欠
けらもなかった。それなのにあのとき、いったい奈緒人は何であたしのことをじっと見つ
めていたのだろう。彼だって思春期の男の子なのだから濡れてぴったり体にくっついたブ
ラウス越しに女の裸身が露わになっていれば興味くらいは感じるだろう。

 あたしは自分にそう言い聞かせたのだけど、それにしても処女のあたしにはあたしの肌
をじっと見つめていた奈緒人の視線は刺激が強すぎた。それでも奈緒人が平然としてくれ
ていればまだよかった。でもあのとき奈緒人は顔を赤くしてあたしの体を見つめていたこ
とを謝罪するような言葉を口にしたのだ。

 きっと奈緒人はそれがどんなに叔母のあたしを悩ませて、期待と不安を抱かせたかなん
て考えもしなかったのだろう。あのとき半裸の姿で奈緒人に甘えようとしていた明日香は、
あたしを見てあからさまに不機嫌になった。ひょっとしたらあのときの二人は既にお互い
のお互いに対する愛情を確認しあっていたかもしれない。

 それならあたしは自分が前に言ったとおりあの二人を応援してあげなければいけない。
そう考えようとしたあたしは、自分が今まで母親代わりに大切に育ててきた明日香に対し
て嫉妬心を感じていることに気が付いて本気で狼狽した。

 もう本当に自分の気持を整理しなければいけない時期なのだろう。そう思ったけどあた
しは再びスマホのディスプレーを眺めた。

 ・・・・・・返事くらいはしておかなきゃ。奈緒人が心配するといけないから。無視すればい
いのに、あたしは奈緒人のメールに返信することに対して自分に言い訳した。

 あまり重くしてはいけない。大切な話とかいう単語に過剰に反応してはだめ。奈緒人が
小学生の頃から彼を見守ってきた年上の叔母らしく余裕のある返事をしないといけない。

 あたしは一時間以上も悩んだ挙句、結局素っ気ない返事を奈緒人にした。



from :玲子
sub  :Re:無題
本文『いつでもいいよ。てか大切な話って何だよ。メールじゃ駄目なの?』

『まあ、仕事の合間とかでいいなら時間は取れるよ。今週中にそっち方面に行くことがあ
るからそんときに電話するよ』

『じゃあおやすみ、奈緒人』

『あとあんた何であたしに謝っているの?』



 それは我ながらとても白々しいメールだった。
565 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/17(土) 00:30:28.87 ID:r5CGhVRqo

今日は以上です。また投下します。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
566 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/17(土) 01:42:39.80 ID:mGW0RWb2o
いつ終わるんだろうなこれ

というわけで女神はよ
567 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/17(土) 01:49:04.18 ID:ZvY3JpA9o
568 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/17(土) 02:01:21.57 ID:jaaqdhPDO
正直、こっちだけが楽しみなのでもどかしい
待ってるよ
569 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/17(土) 07:08:40.47 ID:7lfNnvPxo
叔母さんは乙女可愛い
570 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/17(土) 07:52:30.54 ID:aTNdGA67o
今後の展開がまったく予想できなくなった
571 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:44:24.97 ID:HzzsU8/Zo

 そのとき僕と明日香は僕が叔母さんに送ったメールのことで少し揉めているところだっ
た。

 カミングアウトしたいという明日香の希望に沿ってとりあえず僕は玲子叔母さんに大切
な用事があるというメールをした。それを送信した後で明日香がそれを見たがった。別に
隠すようなものでもないので僕は叔母さんに送ったメールを明日香に見せたのだ。

 いつのまにか機嫌を直していた明日香は僕に身を預けるようにして、僕が差し出した携
帯のディスプレイを眺めた。

「あのさあ」

 低い声で明日香が僕に言った。

「うん。とりあえずこれで僕たちが叔母さんに大事な話があることは伝わっただろう」

 僕は明日香に言った。僕はさっそくこいつの希望に応えたのだ。

「お兄ちゃんさ。もしかして自分のことが好きな玲子叔母さんの気持ちを弄んで楽しんで
ない?」

「何のこと?」

 ずいぶんとひどい言われ方だけど、このときの僕には明日香の言ってる言葉の意味がわ
からなかった。

「何よこれ」

 明日香が僕のメールを読み上げた。わざわざ声に出されたことでやっと僕にも明日香の
言いたいことが理解できた。



『叔母さんさっきはごめんなさい。叔母さんに大切な話があるんだ。叔母さんは仕事で忙
しいと思うから、もし時間ができたら僕に会ってほしい。突然変なメールしてごめん。で
も僕たちにとっては大事なことだから。じゃあ、玲子叔母さん。会えるようになったら
メールか電話して』



「この僕たちって誰のことを言ってるの?」

「そら僕とおまえのこと以外にないだろ」

 僕はとりあえずそう答えたけど明日香の怒っている理由も何となくわかる。

「こんなメールを受け取ったら玲子叔母さんがどう考えると思うのよ。『突然変なメール
して』とか『大切な話がある』とか『僕たちにとって大事なこと』とか叔母さんに言うな
んて。いったい何考えてるの」

「いや」

 本当に明日香に言われてメールをしたということ以外は何も考えてはいなかったのだ。

「叔母さんは自分とお兄ちゃんにとって大切な話があるって受け取ったでしょうね」
 明日香が言った。「かわいそうに叔母さん、お兄ちゃんが叔母さんに告白しようとして
いるって思い込んでどきどきしているかもよ」
572 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:45:18.05 ID:HzzsU8/Zo

 詳細は文面では伝えきれないと思ったので、メールでは叔母さんに会いたいということ
だけを切実に伝えるだけにとどめようとしていただけだったのだけど、明日香に言われて
みれば微妙な内容なのかもしれない。僕たちという言葉だって僕と明日香のことを表現し
たつもりだったけど、よく見直せばメールの本文には明日香の名前は一回も出していない。
だからそれが僕と玲子叔母さんのことを指しているのだと叔母さんが考えても不思議はな
かった。

 明日香の言うようにこのメールは叔母さんに対しては誤解を生むかもしれない。そう思
って自分の出したメールを改めて読み直すとこれではまるで僕が玲子叔母さんに愛の告白
しようとしているかのようにも受け取れる。でもそれも叔母さんが僕を男として意識しい
るという仮定が正しければの話に過ぎない。

「まずかったかな」

 僕は少し気弱になって明日香の方を見た。

「これって、完全に告白のために女の子を呼び出すメールだよね」

 明日香が呆れたように言った。

「いやそんなつもりはないんだけど」
 僕はおどおどと明日香の顔をうかがいながら言い訳した。「女の子にメールすることな
んて慣れてないからさ。ちょっと誤解されるような言い回しになったかもしれないけど」

「女の子にメールって・・・・・・。自分の叔母さんにメールしただけじゃないの? それとも
お兄ちゃんの中では玲子叔母さんって女の子扱いになっているわけ?」

 まずい。再び僕は明日香の地雷を踏んだようだ。そんなつもりは全くなかったのだけど、
せっかく僕が叔母さんの体をガン見していたことを許してくれた明日香の憤りに再び火を
つけてしまったようだ。

「違うって。言葉尻を捉えるなよ。誤解を招く表現だったかもしれないけど、わざと書い
たわけじゃないぞ。それに叔母さんだっておまえが言っているような意味では受け取らな
いって。そもそも叔母さんが僕に好意を持っているなんて、全部おまえの妄想だろう」

「それならいけど。でも何で最初に叔母さんに謝っているの」

「それは・・・・・・叔母さんの体を見つめちゃったから」

「お兄ちゃんはそのことを叔母さんが気にしていると思ったから謝ったわけね」

「まあ、気が付いてはいたと思うし」

「お兄ちゃんの言うとおり叔母さんがお兄ちゃんのことを意識していないなら、わざわざ
こんなことを書く意味あるの」

 明日香が指摘した。僕にとって幸いなことに明日香は本気で僕を咎めているわけではな
いようだ。さっきの真面目な言い訳の効果があったのだろう。僕は本気で明日香とこの先
恋人同士でいようと思ったのだ。そして明日香もようやくそのことを信じてくれたみたい
だった。そうでなければこんなにあっさりと追求を止めてくれなかったろう。

「まあいいいけど。叔母さんにはちゃんと話してね」

「わかってる」

 明日香に嫌われていると思っていた時分には全く考えなかったことだけど、こういう仲
になってみると明日香は随分と嫉妬深い恋人のようだった。でもそのことは今の僕にはあ
まり気にならなかった。ちょっと前までの僕たちの関係を考えるとそれは不思議な感覚だ
ったけど決して不快ではない。
573 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:45:57.55 ID:HzzsU8/Zo

「信じているからね」

 明日香が機嫌を直したように僕に抱きついた。

「うん。叔母さんにも父さんたちにもちゃんと話すよ」

 僕も明日香を抱きしめた。慣れというのは恐いものかもしれない。もう僕には明日香の
体を抱くことに違和感がなくなってきていた。実の妹である奈緒を除けば明日香と僕はい
ろいろな意味で一番相性がいいのかもしれない。一緒にいて安心するとか気を遣わなくて
いいとかという意味では、ひょっとしたら明日香は僕にとって奈緒以上に隣にいるのが自
然な存在なのだろうか。

 そんなことを考えながら明日香の体を抱きしめて背中を撫でてやっているうちに、僕は
自分の腕の中の明日香が体を小刻みに揺らしていることに気が付いた。それも僕が明日香
の背中を撫でるごとに次第に大きくなっていくようだ。

 僕は自分の頬に明日香の吐息を感じた。

「どうかした? 傷が痛むのか」

「お、お兄ちゃんのばか。変態」

 明日香は小さい声でそう言った。僕の体に回されている明日香の腕に力が込められた。
それに気が付いて明日香の顔を見ると顔が真っ赤になっているし息も荒い。

「変態っておい」

「童貞、キモオタ」

 明日香の悪口には慣れていたけど、そのときの明日香の声は今までとは異なり甘いもの
だった。

「恋人同士になっても相変わらずおまえは口が悪いな」

 僕は苦笑して言った。でもこの方が明日香との距離感としては落ち着く。僕は少しだけ
笑ってしまいそうになった。こういうのが本当に幸せということなのかもしれないと僕は
はふと考えた。

 辛いことを思い出さないようにしたせいか今となっても不完全な過去の記憶や、奈緒と
兄妹の名乗りを上げることによって完治の方向には向かっていたようだけど、油断すると
すぐに発症するかもしれないPTSD。

 ろくなことがなかった僕の人生で初めてのやすらぎが訪れたのかもしれなかった。奈緒
と恋人同士になれたときもそう思ったのだけど、結局あの関係は安定した安寧の地ではな
かったのだ。

 僕はそういう感傷にふけって明日香を抱いていたのだけど明日香の様子は少し変だった。

「お兄ちゃんの意地悪」

 自分の脚を僕の足に絡みつかせるようにしながら明日香が小さく言った。明日香の甘い
吐息が僕の耳をかすめた。そして僕の体も明日香に応えて反応しだした。

「もういじめないでよ。お兄ちゃん抱いて」

 明日香が悩ましい声で言った。
574 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:46:27.36 ID:HzzsU8/Zo

 僕はそのとき明日香を抱こうと思ったのだけど、お互いに抱き合っている姿勢から次に
はどうしたらいいのかよくわからなかった。服を脱がすのか。それとも服って明日香が自
分で脱ぐものなのか。

 それでもとりあえず下半身の言うとおりにすることにして、僕は明日香の胸を触ってみ
た。考えるよりも行動をという決心は少なくともこのときの明日香に対しては間違ってい
ないようで、明日香は一瞬びくっとして体を跳ねるようにしたけど、僕の手を拒否したり
はしなかった。

 タイミング的には最悪だったけど、さっきまで明日香に見せていた携帯がマナーモード
になっていなかったせいで、明日香の胸を触りだしたそのときに着信音が鳴った。

 こういうことに邪魔が入るのは二度目だった。

 再び邪魔された明日香は不機嫌そうな表情だったけど、こいつらしく僕に抱きついた姿
勢だけは維持していた。そのことが僕には照れくさかった。興奮していた僕は携帯を無視
しようとしたけど、思っていたより冷静だったらしい明日香はディスプレイを見て、僕の
腕から抜け出した。

 僕の腕から抜け出した明日香が勝手に僕の携帯を操作してメールを見ている。

「何で当たり前のように僕あてのメールを見てるんだよ」

 僕はまだ興奮の余韻を残しながら言った。

「やましいことがないならいいいでしょ・・・・・・これ、玲子叔母さんの返信だし」

 僕は明日香の手から携帯を奪い返すようにして叔母さんからのメールを読んだ。



from :玲子
sub  :Re:無題
本文『いつでもいいよ。てか大切な話って何だよ。メールじゃ駄目なの?』

『まあ、仕事の合間とかでいいなら時間は取れるよ。今週中にそっち方面に行くことがあ
るからそんときに電話するよ』

『じゃあおやすみ、奈緒人』

『あとあんた何であたしに謝っているの?』



「ほら見ろ」
 僕はほっとして言った。「叔母さんは全然僕のことなんか気にしてないじゃないか」

「そうだねえ」
 明日香が疑り深そうに叔母さんからのメールを見た。「叔母さんはお兄ちゃんのことは
何とも思っていないのかな」

「だからそう言ったろ」

「そうなのかなあ・・・・・・て、え? お兄ちゃん」

 再び僕に抱き寄せられていきなり自分の胸を愛撫された明日香が戸惑ったように言った。

「続きしようか」

 正直に言うと僕の方も今では玲子叔母さんのメールどころではなかった。

「・・・・・・うん」

 明日香はもう僕にキモオタとか変態とか言わずに僕の手に自分の身を任せた。
575 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:46:54.94 ID:HzzsU8/Zo

 次の土曜日の午後、僕は明日香の了解をもらって奈緒をピアノ教室まで迎えに行った。
奈緒に僕が明日香と付き合い出したことを伝えるためということもあったけど、最後に話
したときに、奈緒からピアノ教室に迎えに来るように言われていたということもあった。

 平日、明日香に付き添って学校を休んでいる間、僕は何回か奈緒にメールしたり電話を
かけたりしたのだけどメールの方には返事がないし、何度もかけた電話の方は通じない。

 結局、金曜日の夜になるまで奈緒からは何の連絡もなかった。

 それで僕はとりあえず土曜日は約束どおり奈緒を迎えに行くことに決めた。明日香は僕
が自分を置いて奈緒に会いに行くことには反対しなかった。奈緒への伝え方は僕に任せる
と言っていたということもあったかもしれないけど、体を重ねてからというものの、あれ
だけ嫉妬深かった明日香はもうあまり奈緒や玲子叔母さんに対しても嫉妬めいたことを口
にしなくなったのだった。

 その代わり明日香は今まで以上にいつも僕の側にいるようになった。

 これまでだって大概ベタベタしていた方だと思うけど、そんなものでは済まないくらい
に。極端な話トイレと風呂以外はいつも一緒にいる感じだ。その風呂だって昨日までは僕
が体を拭いていたのだったから、実質的には常に隣に明日香がいたことになる。

 心理学上、愛撫、慰め、保護の意識を持つとされる距離感である密接距離のままで。

 同時に明日香はやたら甲斐甲斐しくもなった。食事の用意から何から何までも。僕が休
んで家にいたのは明日香の世話を見るためだったからさすがにこれには困った。体調だっ
て完全に回復しているわけではないのだ。

「おまえは座ってろよ。食事なんか僕が作るから」

 僕は彼女にそう言ったのだけど明日香は妙に女っぽい表情ではにかむように笑って言っ
た。

「いいからお兄ちゃんこそ座ってて。こういうのは女の役目なんだから」

 こういう言葉を明日香の口から聞くとは思わなかったけど、それは決して不快な感じで
はなかった。

「でもおまえ体は・・・・・・」

「もう全然平気だよ。でも良くなったってママに言ったら学校に行かなきゃいけないし、
お兄ちゃんと一緒にいられないから」

「ちょっと・・・・・・包丁持ってるのに」

 明日香は文句を言いながらも後ろから抱きしめた僕の手を振り払わずに、包丁を置いて
振り向いた。

「続きはご飯食べた後にしよ?」

 結構長めのキスの後で明日香が顔を紅潮させながら上目遣いに言った。
576 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:48:14.21 ID:HzzsU8/Zo

 出がけに明日香の行ってらっしゃいのキスが思わず長びいたこともあって、到着してそ
れほど待つことなく、ピアノ教室の建物から生徒たちが次々と出てきた。妹を迎えに来
ているんだから恥かしがることはないと思った僕は比較的入り口に近いところで奈緒が出て
くるのを待っていた。これだけ近ければ見落とす心配はない。

 このときの僕は全くの平常心というわけでもなかったけど、それほど緊張しているわけ
でもなかった。

 奈緒の兄貴だということを知られてしまった今では、僕に彼女ができたということを奈
緒に話すことに対してはあまり抵抗感を感じないようになっていた。

 奈緒はあのとき僕が離れ離れになっていた兄貴であることを自然に受け入れた。初めて
の彼氏を失うことよりつらい別れをした後も、一筋に兄のことを忘れなかった奈緒なのだ
からそういうこともあるだろう。

 その後の奈緒は、僕と恋人同士であった頃よりも自然な態度と言葉遣いで僕を慕ってく
れた。

 むしろ悩んで混乱していたのは僕の方だった。奈緒が僕のことを兄であると認めてくれ
た事実にさえ嫉妬した挙句、自分の妹に欲情する気持まで持て余して。

 でもそれももう終わりだった。今の僕には明日香しか見えていない。明日香の言うとお
り僕と明日香は結ばれる運命だったのかもしれない。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、
血の繋がっていない男女としてはお互い他の誰よりも長い間身近に暮らしてきた仲なのだ。
行き違いや誤解もあったけどそれを克服して結ばれた間柄のだから、僕はもう明日香を自
分から手放す気はなかった。明日香のいうとおりこのまま付き合って将来は結婚しよう。
そして父さんと母さんがいる家で共に過ごすのだ。子どもだってできるだろうし。

 そんな物思いに耽っていても目の方は奈緒が通り過ぎてしまわないか入り口の方を眺め
ていたのだけど、なかなか奈緒は出てこなかった。

 いつもより遅いなと思った僕が奈緒のことを見落としたんじゃないかと思って少し慌て
だしたとき、見知った顔の少女が教室から出てきた。その子は外に出るとすぐに僕のこと
に気が付いたようだった。

 それは有希だった。有希は慌てた様子もなくにっこり笑って僕の方に駆け寄ってきた。

「奈緒人さん、こんにちは」

「有希さん・・・・・・どうも」

 有希は全く最後に会ったときのことを気にしていない様子だ。

「もしかして奈緒ちゃんのお迎え?」

「うん」

 ここで嘘を言う理由はなかったから僕は正直にうなづいた。

「聞いてないんですか? 奈緒ちゃんは今週はずっとインフルエンザで自宅療養してます
よ。今日もピアノのレッスンは休んでるし」

 それこそ初耳だった。

「知らなかった」

「電話とかメールとかしてないの?」

「したけど返事がなくて」

 有希が少し真面目な顔になって僕に言った。

「奈緒人さん、これから少し時間あります?」

 このとき僕の脳裏に平井さんが口にした女帝と言う言葉が浮かんだ。
577 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/18(日) 23:50:09.78 ID:HzzsU8/Zo

 駅前のファミレスは、以前僕と奈緒が初めて一緒に食事をしたときの場所だった。

 僕たちはボックス席に納まってオーダーを済ませた。昼食をして行こうということにな
ったのだけど、冬休みのときのように一枚のピザを僕と有希で分け合うということはなか
った。僕たちは言葉少なくそれぞれに注文を済ませた。今日は昼食を食べながら奈緒と話
をするつもりだったから多少は遅くなっても明日香が心配することもない。

「ごめんなさい」

 オーダーが済むとすぐに有希がしおらしい声で僕に頭を下げた。

 一瞬僕は有希が明日香が襲われたことを謝ろうとしているのかと思って身構えた。でも
そういうことではないらしい。

「奈緒ちゃんから全部聞きました。奈緒人さんは昔離れ離れになった奈緒ちゃんのお兄さ
んだったって」

 では奈緒はやっとそれを有希に話したのだ。

「あたしそんな家庭の複雑な事情とか考えずに奈緒人さんのこと一方的に責めちゃって。
本当にごめんなさい」

「いや。奈緒のことを心配してくれて言ってくれたんだろうし謝るようなことじゃない
よ」

 依然として女帝疑惑は振り払えていないものの、この件に関しては彼女には非はない。
それに有希が明日香を襲わせたという推論に関しても全く証拠のない話なのだ。

「奈緒人さんは奈緒が妹だって気づいていたんですね。それで奈緒ちゃんがそのことで傷
付かないように距離を置こうとしていたのね」

 有希がずいぶんと感激したように目を潤ませて僕を見つめていた。

「・・・・・・奈緒にはつらい想いをさせたかもしれないけど。まだしも振ってあげた方がいい
かと思って」

「奈緒人さんの気持ちはわかるし、妹思いのいいお兄さんだと思う」
 有希が言った。「でも結果としてはそんな心配はいらなかったようですね」

「うんそうなんだ。でも奈緒はそこまで君に話したの?」

「あたしと奈緒ちゃんは親友ですから」

「あたしと奈緒ちゃんは親友ですから」
 有希は少しだけ笑った。「奈緒ちゃんはすごく喜んでました。昔からずっと会いたかっ
た大好きなお兄ちゃんとやっと会えたって。別れてからも毎日ずっと奈緒人さんのことを
考えてたんだって」

「そうだね。僕もああいう別れ方をした妹と再会できて嬉しかったよ」

「だからごめんなさい。何も知らずにあんな偉そうで嫌な態度を奈緒人さんにしてしまっ
て」

 有希はそう言ったけどその後再び体勢を整えるように深く息を吸った。

「でも明日香には謝りません」

 明日香は女帝である自分がが明日香を襲うように指示したことを明かして、そしてその
命令には後悔していないと言っているのだろうか。僕は一瞬凍りついた。

「あたしは奈緒人さんのことが好き。その気持ちが明日香にばれたとき、奈緒ちゃんには
すごく罪の意識を感じたんです。でもそんなあたしの奈緒人さんへの想いを明日香は利用
した」

「ちょっと待って。そうじゃないんだ」

「実の兄妹だと思って完全に油断してました。あのときは明日香は自分が奈緒人さんと血
が繋がっていないことを知っていて、そして奈緒ちゃんが奈緒人さんの本当の妹であるこ
とは知らなかったんでしょ?」

「それは・・・・・・そうだけど」

「じゃあ明日香は奈緒ちゃんから奈緒人さんの気持ちを覚めさせるために、とりあえず奈
緒人さんが好きだったあたしの気持ちを利用したのね」

 それは違うと言いたかったけど、そこだけ切り抜くと困ったことに有希の推理は間違っ
ていないのだ。明日香の本当の目的は僕を救うことだった。でもそのためにいろいろと本
来なら取るべきでない手段を明日香が取ってしまったも事実だった。

 それでも僕は明日香を、自分の彼女を弁護しようと試みた。
578 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/18(日) 23:51:08.92 ID:HzzsU8/Zo

今日は以上です
また投下します

女神の方はもう少しお待ちください

ここまお付き合いいただきありがとうございます
579 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/18(日) 23:53:38.72 ID:/d05nouOo
580 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福岡県) [sage]:2012/11/19(月) 02:10:39.74 ID:3LPd+ILvo

明日香ちゃん大勝利
581 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/19(月) 10:48:50.07 ID:L6FDwppGo
582 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/20(火) 00:14:56.01 ID:c7WRVhhio

「ごめん。明日香は奈緒のことを僕の妹であることを知らなかったといったけど、実はそ
うじゃないんだ」

 ここまで来たら全部打ち明けた方がいいと僕は思った。

「どういうこと?」

「明日香は別に僕のことなんか好きじゃなかったんだ。少なくとも男としては」

「奈緒人さんのことを好きじゃないなら何で明日香はあたしをそそのかしたの? それな
ら別に奈緒人さんの気持ちを奈緒ちゃんから離そうとする必要なんてないのに」

「僕も奈緒も付き合い出してからもお互いが実の兄妹だということを知らなかったんだ。
でも明日香は奈緒の名前から彼女が僕の妹であることに気がついた」

 僕はもう全部を有希にさらけ出すことにした。そうしたって有希が明日香に都合よく利
用されたという事実は変わらないということはわかっていたのだけど。

「それで明日香は僕がそのことに気がついて悩み傷付くことを恐れて、奈緒から僕の気持
ちを引き剥がそうとしたんだ。決して奈緒と別れさせた僕を自分の彼氏にしたかったから
じゃないよ」

 有希は少し考え込んだけどそれでも納得した様子はなかった。

「それが事実だとしても二つ疑問があるよね」

「・・・・・・うん」

「まず一つ目は奈緒人さんを傷つけないためならあたしを傷つけても、奈緒ちゃんが悩ん
でも構わないのかということ。目的が正しければどんな手段を取ってもいいの?」

 僕は答えられなかった。明日香がしたことはまさにそういうことだったから。

 まともな答えなんか期待していないのか、黙り込んだ僕には構わず有希は冷静な表情で
続けた。

「もう一つは・・・・・・。あのとき明日香は明らかに奈緒人さんに告白してたよね? あたし
は奈緒人さんと明日香が本当の兄妹だと思っていたから、あのときは自分が明日香に利用
されたんだって思って悲しかった気持ち以上に、実の兄を異性として愛するなんて気持悪
いって思ったのだけど」

 この話の行き先がだんだんと見えてきた。行き着く先は芳しくないところなのだけど、もとも
と有希にはそのことをいずれは話すつもりだったのだ。僕は覚悟した。

「奈緒人さんが明日香の本当の兄じゃないなら、お二人は付き合おうと思えば付き合える
んだよね」

「うん」

「明日香の気持ちに応えたの?」
583 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/20(火) 00:15:27.30 ID:c7WRVhhio

 僕はゆっくりとうなずいた。

「うん。明日香と付き合うことになった」

「ほらね」

 有希が小さく笑って言った。

「兄貴思いの妹の行動だったって言いたいみたいだけど、結局明日香は望んでいたものを
手に入れてるんじゃない」

 結果としてはそうなる。それは否定できない事実だった。

「あのときあたし、明日香にとって都合のいい話だって言ったけど結局そのとおりだった
わけね」

「でも、明日香だって最初は純粋に僕を救うつもりだったんだ。途中で僕のことを好きに
なったのは事実だと思うけど・・・・・・」

 僕の言葉は途中で途切れた。さっきまで笑っていた有希の目に涙が浮かんでいることに
気がついたからだ。

「あたしは奈緒人さんが好きだった。ちょっとしか会っていないのにおかしいかもしれな
いけど。でも明日香の言うとおり万が一奈緒人さんがあたしのことを気にしてくれていた
としても、あたしは奈緒人さんと付き合う気はなかったの。奈緒ちゃんを傷つけたくなか
ったから」

 それは以前にも二人で大晦日の買出しに出かけたとき聞いていた話だった。

「今では奈緒ちゃんは奈緒人さんのことを再会できた大切なお兄さんだと思っているから、
本当はあたしにもチャンスだったのにね」

 有希は涙を浮べたまま再び微笑んだ。

「でも今では明日香が奈緒人さんの隣に座ってるんだね」

「ごめん」

 こんな間抜な返事しか口を出てこなかった。

「奈緒人さんのことは恨んでないよ。逆にあたしが謝らなければいけないの。でも明日香
は・・・・・・」

「有希さん」

 有希は俯いた。彼女が明日香を許す気がないことは明白だった。やがて彼女は顔を上げた。

「今日はもう帰る」

「うん」

 僕には他にかける言葉が思いつかなかった。最後に有希は涙をそっと片手で払いながら
意味深なことを言った。

「明日香のそういう手段を選ばないやり方が、奈緒ちゃんには向けられていないといい
ね」

 どういう意味かを聞き返す暇もなく彼女はもう後ろを振り向かず、僕を残してファミレ
スを出て行ってしまった。
584 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/20(火) 00:15:58.40 ID:c7WRVhhio

 奈緒人には今週中に行けると返信したのだけどその週は殺人的な忙しさで睡眠もろくに
とれない有様だったから、結局あたしは奈緒人との約束を守れなかった。

 でもあたしのどこかにはそのことにほっとしている気持ちがあった。今のあたしは奈緒
人に会うことを恐れてすらいた。今まで奈緒人に会い、彼の成長を確かめることはあたし
の数少ない楽しみでもあったのに。

 奈緒人のメールを何度も読み返していると、その意味深な文面が次第にあたしの脳裏を
占拠していくようでそのことがあたしを悩ませた。

 あたしへの大切な話。あたしたちにとって大事なこと。

 あたしは結城さんへの気持ちや、最近になって感じ始めた奈緒人への気持ちを自分の中
に押し込めてきた。それは誰にも気づかれていないはずだったのだ。でも明日香はあたし
の結城さんへの想いにうすうす気がついているようだった。それなら奈緒人があたしの気
持ちに気づいていることだってあり得ないことでないのかもしれない。

 彼に向けたふとした眼差しや態度から、多感な時期の奈緒人はあたしの感情を何となく
感じていたのだろうか。

 それにしても奈緒人があたしの秘めた想いに気がついたとしたら、血は繋がってはいな
いにしても自分の叔母の自身に向けた恋心には嫌悪感を抱くか、せいぜいよくても戸惑い
を感じるはずだった。それなのにあのとき奈緒人はあたしの体をじっと見つめていた。

 そしてその後にあたしに送信してきた意味深なメール。あたしは深呼吸した。

 仮に、あくまでも仮にだけど奈緒人があたしのことを好きなのだとしたら、あたしの報
われない恋心にとっては成就するチャンスなのだろう。でも三十まで生きているとそれが
そんなに単純ではないこともわかっていた。

 奈緒人があたしの肩を抱いたままで結城さんや姉さん、それに明日香に対して僕と玲子
は付き合っているんだとほがらかに宣言している光景が目に浮かんだ。

 ・・・・・・それはきっと最悪の結果をもたらすだろう。結城さんの困惑している様子、姉さ
んがあたしに対して激怒している様子は容易に想像できた。でも、それ以上に明日香は傷
付くだろう。本当に自殺しかねないくらいに。あの子はあたしのことを慕っていると同時
に奈緒人のことを真剣に愛しているのだ。その明日香にあたしと奈緒人が恋人同士になっ
たなんて知れたら。

 あたしははっと我に帰って混乱した思考を沈めた。奈緒人があたしのことを好きだとい
うこと自体恥かしい妄想だった。あのメールにだってはっきりと書いてあるわけではない。
585 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/20(火) 00:16:29.34 ID:c7WRVhhio

 少し冷静になろう。だいぶ業務も落ち着いてきていたから時間を作って奈緒人に会いに
行くこともできた。でも、混乱した感情を抱えて奈緒人に会うのはまずい。全てがあたし
の幻想だったにしてももう少し落ち着いてから彼にあった方がいい。

 気分を変えるためにあたしは酒井さんと一緒に取材した高校生のことを思い出した。人
のことをずいぶんと不快な視線で眺めていた彼は、とても奈緒人と同世代とは思えなかっ
た。彼がハーブの商売についてまるであたしに自慢するみたいにぺらぺら喋っていたこと
が気に障ったあたしは、彼を責めた。そのとき初めて彼はあたしに対して強い口調で反論
してきたのだった。大人に対して取るべきではない不貞腐れた態度で。

 気のせいかもしれないけど、取材のあとで自分のマンションに帰り着いたときあたしは
彼を見かけた気がしたことを思い出した。まさかあの子に付けられていたのだろうか。彼
のことを酒井さんは確か池山君と呼んでいたな。

 そのとき、あたしはその名前が平井という刑事が言っていた明日香を救った高校生の名
前と同じであることに気がついた。池山なんていう苗字は珍しくないしこれは単なる偶然
かもしれない。でも平井さんの話では飯田と池山という男たちは前から警察に目を付けら
れているのだという。それが脱法ハーブの取り引きだとは言ってはいなかったけど、そう
であっても不思議はない。

 最初からそうだと決め付ける必要はないけど、あたしはあのとき奈緒人に協力すると決
めていた。大事な姪である明日香のために。

 だめもとでいいから池山という高校生にもう一度会ってみようか。明日香のことを知ら
ないのならそれはそれでいい。でも勘違いでなければあたしのことを付けたりしているよ
うな男なのだから、彼が平井さんたちに目を付けられている張本人だとしても不思議はな
い。

 ただ、仮に取材した彼が平井さんが目を付けている男だったとしてもそれを警察に言う
ことはできなかった。

 第一に彼は明日香の恩人だ。そして第二に脱法ハーブは吸引目的を明示して販売しない
限り犯罪を構成しない。そして最後にあたしたちマスコミの人間にとっては絶対の行動規
範である取材源の秘匿ということもある。

 彼が明日香の知り合いで本当に彼女を助けてくれたのならお礼も言いたいし、何よりな
んで明日香がそんな目にあったのかを聞きたい。奈緒人がしようとしていることだってそ
れが目的なのだし。

 あたしは酒井さんの携帯に電話した。酒井さんはあのときに池山の連絡先を教えてもら
っていたはずだった。
586 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/20(火) 00:16:59.98 ID:c7WRVhhio

『こんな時間に電話なんかしてどうしたの』

『悪い。実は玲子のことで相談があってさ』

『・・・・・・明日香の叔母さんからは手を引けってあたし言ったよね』

『違うって。玲子の方からメールしてきたんだよ。渡さんの先輩に教えた捨てアドにさ。
もう一度会えないかって』

『ふーん』

『・・・・・・』

『何で黙ってるんだよ。俺、もう礼子のことどうこうしようなんて思ってねえって。おい、
何とか言ってくれよ』

『奇妙な偶然だなあ』

『・・・・・・何の話だよ』

『あんたには可哀そうな話なんだけどね。やっぱり明日香って兄貴と付き合い出したみた
いだよ』

『んなわけねえだろ。実の兄妹同士じゃねえか』

『あの二人、血が繋がってないのよ。あんた、そんなことも知らなかったの? 本当に明
日香の元彼やってたの』

『明日香のやつ・・・・・・ふざけやがって』

『そんな恐い声出さないでよ。あたし恐がりなんだから』

『おまえもふざけるなよ。で、何で今そんな話をした』

『あたしもあんたも明日香にコケにされてたんだなって思ってさ。このまま捨てておいて
いいわけ?』

『・・・・・・』

『それに明日香の叔母さんもいろいろ気がつきい出しちゃったみたいじゃない? あの女
にも反省してもらうときが来たんだよ。思ってたより随分早かったけどさ』

『それって・・・・・・』

『うん。約束は守るよ。あんたには一番最初に明日香の叔母さんを虐めさせてあげるね』

『・・・・・・』

『嬉しくないの? あの女を抱きたかったんでしょ。それとも怖づいちゃった?』

『んなんじゃんえよ。でも渡さんに釘を刺されてるんだぜ』

『ばれなきゃいいじゃん。人も呼んでおくし準備は全部あたしがする。あんたはこれから
言う場所と時間に玲子を呼び出しなよ』

『・・・・・・』

『あんたが気が進まないなら他の子に代わってもらうけど』

『・・・・・・わかった』

『言っておくけど独り占めはNGね。手伝わせる連中にだってご褒美は必要なんだから
ね』

 有希は場所と時間とやらを俺に伝えると電話を切った。
587 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/20(火) 00:17:34.74 ID:c7WRVhhio

今日は以上です

また投下します
588 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/20(火) 01:36:55.03 ID:F/JV98TX0
続きが気になるー

589 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福岡県) [sage]:2012/11/20(火) 06:24:18.20 ID:vUFkzzSpo
590 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/20(火) 07:28:18.74 ID:BKMvIHTDO


描写はないけど明日香と奈緒人はちゃんとヤったのかな?
591 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/20(火) 22:24:48.15 ID:G+YNxJ5ho
このままいったら玲子さん可哀想過ぎるだろ…
なんとか助かってくれよ…
592 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/20(火) 22:59:21.41 ID:X69qdwb1o
593 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:25:36.59 ID:lZg7FiiSo

 シャワーから出たあたしはいつもの癖で体だけをざっと拭いただけで、そのまま裸でキ
ッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出しソファに勢い良く座った。缶ビールを飲む前にあ
たしは携帯のメールをチェックした。七〜八本くらい着信しているメールは全て仕事の連
絡事項だったけど、急ぎのものは一つもない。これで今夜はこのままビールを飲んでゆっ
くりと夜を過ごせる。あたしはほっとしてそう思った。

 携帯をソファの脇のコーナーテーブルに置こうとしたとき、新しいメールが着信した。
とりあえずビールの最初の一口を我慢することにしてあたしはそのメールを開いた。

 それは池山からのメールだった。彼の捨てアドに送ったメールに返事が届いたのだ。あ
たしはその内容を読んだ。



本文『もう話せることは全部話しましたよ。でもあんたは渡さんの知り合いみたいだし、
どうしてもというなら明日の午前十時にこの場所に来てください。でも話せることはもう
あまりないです』



 池山は聞きたいことがあったらいつでも聞いてくれと言って、この捨てアドを酒井さん
に渡したくせに、あたしに対してはもう話すことはないとはいったい何という言い草だ。
まだ高校生のくせに女性差別主義者なのだろうか。あたしはその内容にはむかついたし、
こいつの指定してきた場所も気に食わなかった。このまえ会ったファミレスでもいいのに、
池山が指定してきたのは駅で言うと四駅くらい離れた町だった。しかもわかりづらい場所
にある喫茶店だ。

 こんなわけのわからない場所に一回しか会っていない女性を呼び出すとはどういうつも
りなのだ。普通ならこんな怪しげな場所に出向くことはないだろうけど、このときのあた
しには少しは叔母らしいことをしたいという強い気持ちがあった。

 別に本気で奈緒人とどうこうなろうなんて思いはしないけど、このことでこれだけ本気
で悩んだり胸を高鳴らせた時点で、あたしの中ではそれは明日香への裏切りも同様だった。

 だからあたしは少しでも明日香のために奈緒人の手伝いがしたかったのだ。偶然だけど、
あたしは仕事のつてで池山と知り合うことができた。この機会を無にすることはない。

 あたしそう決心して短く返信した。明日その時間の指定の喫茶店で待っているという内
容のメールを。それに対してすぐに短い返信が来た。



本文『了解です。でも本当に話すことなんてないっすよ』



 面と向かったときの態度はひどいものだった池山はメールでは一応敬語を使っていたけ
ど、その内容は人のことを小バカにしているようだ。どこまでもムカつくやつだ。本当に
もう何も話すことがないのかどうかあたしが聞き出してやる。

 あたしはようやくビールのことを思い出して手に持っているビールを一口喉に流し込ん
だ。それで少し落ち着いたあたしは取材のときに池山が教えてくれた話を思い返した。そ
れは彼らの商売の拠点となっているホームページのことだった。
594 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:27:28.05 ID:lZg7FiiSo

 その取材は主に酒井さんの仕事のための取材だったので、あたしはこれまでそんなにま
じめにその話を考えてはいなかった。でも気分転換に取材に同行しただけとはいえ、いつ
もの習慣でメモには聞き取った内容を殴り書きしてある。

 あたしはとりあえず池山が酒井さんに教えていたWEBのハーブの通販のページとやら
をソファの前のテーブルに乗っていたノートパソコンで開いてみた。

 見かけはちょっと隠微な感じがするけど、特に犯罪っぽい匂いはしない。トップページ
にはお洒落にデザインされた店のロゴが張ってあり、分割されたページ内には整然とメニ
ューが並んでいる。目立つところには、『当店の取り扱っている商品は全て、直接体内に
吸入する商品ではありません』と赤い太字で注意書きがある。姑息な言い逃れだ。

 メニューには『新着商品』とか『当店おすすめ』とか『取り扱い終了商品』とかという
言葉が羅列され、そこをクリックすると写真付きの商品紹介ページに飛ぶようになってい
る。あたしはそのリンクをざっと眺めてみたけど、どの商品もお洒落なパッケージの写真
だけが並んでいた。商品名は全て英語だった。おすすめのページは『アッパー系』と『ダ
ウナー系』とか、極めつけには『SEX系』とかのタイトルが記されていてそれぞれの分類
ごとに商品名が並んでいた。商品名の後ろには第六世代とか第七世代とかの意味不明
な用語も記されている。

 まあ、今は合法かもしれないけどここで麻薬と同じようなものを販売していることは間
違いないだろう。ただ、麻薬というと非常に高価なイメージがあったのだけどそのページ
の商品に添えられていた価格は結構控え目なものだったこれなら中高生相手の商売として
も成り立つのかもしれない。

 そろそろ飽きてきたあたしはページの下の方に『店長ブログ』と記されたリンクを見つ
けた。



『11月12日 お待たせしました! 新製品<SPIA3rd>を入荷しました。数量限定なので
早い者勝ちです。第七世代としては昔のような切れのいい商品です。お早めにどうぞ』

『おはようございます。最近は寒いですね。私も通勤の際にはついにマフラーをするよう
になりました。ちょっと格好悪い巻き方なのですけど寒さには勝てません。こういう寒い
日にはまったりとダウナー系のハーブで気分を落ち着かせましょう。学生のみなさんは試
験も近いと思いますけど試験前に心を落ち着かせるには最高ですよね。当店のダウナー系
ハーブのご購入は下のリンクからどうぞ』

『今日は豆知識を。偉大なアスリートとか演奏家が集中すると脳内に自然に化学物質が放
出されて正確に動作できたり自分の力以上の実力を発揮できたりすることは学問上でも認
められています。大切な試合前や受験前にはアッパー系のハーブを炊いて心を奮い立たせ
ましょう。商品は下のリンクからどうぞ。注:当店のハーブは直接体内に吸収する目的の
商品ではありません』



 やばいブツを扱っているという店もこういうフレンドリーなブログとかで随分印象が変
わる。誰かは知らないし興味もないけど、この商売を仕切っている人物は只者ではないの
かもしれない。少なくとも中高生だけで運営しているわけはないとあたしは思った。

 でもそれを考えるのは酒井さんの仕事だ。あたしは池山と明日香の関係がわかればいい
のだ。いい加減にそのページに飽きてきたあたしはパソコンを閉じようとした。そのとき、
ふと連絡先というリンクが目に入った。そのリンクにマウスオーバーするとブラウザの欄
外にリンク先のメアドが表示された。それは池山が酒井さんに教えた捨てアドと同じアド
レスだった。

 何だ。このブログの店長というのは池山のことなのか。明日、池山をからかうネタを手
に入れたあたしはそろそろ寝ることにした。仕事の疲れは意識できるほどに体に貯まって
いたし、明日は池山との待ち合わせもあるのだ。彼に会ったら店長と呼んでやろう。そし
て慌てた彼を上手に誘導して明日香との関係を吐かせるのだ。
595 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:28:43.61 ID:lZg7FiiSo

 翌日あたしは編集部の共用アドレスに『午前中:取材先直行。お昼頃帰社』というメー
ルだけを送ってから、マンションの地下のガレージで自分の車に乗り込んだ。憂鬱なこと
に外では結構強く雨が振っている。外気温が低いせいで愛車のエンジンはなかなかあたし
の言うことを聞こうとしなかった。最近の車にはないだろうチョークを思い切り引っ張っ
て近所迷惑を顧みずに空吹かしをしていると、ようやく三十年前に製造された直列六気筒
のエンジンが安定した重低音を響かせ始めた。

 雨の日の平日の朝の道路は案の定混んでいたけど、初めて行く土地だったからあたしは
多少早めに家を出ていた。だから約束の時間に遅れることはないだろう。

 交差点で右折待ちをしながら、あたしは奈緒人の顔を思い浮かべた。彼はあたしが黙っ
て勝手に池山に会いに行ったことを知ったら怒るだろうか。病院であたしが奈緒人に助力
を申し出たときあの子は話を逸らした。自分では自然なつもりだったのだろうけどそれは
見え見えの仕草だった。優しい子だからきっとあたしを危険なことに巻き込みたくなかっ
たのだろう。

 奈緒人は昔からそういう子だった。結城さんと姉さんとの新しい家庭に迎え入れられた
奈緒人は当面の辛い生活からは開放されたのだけど、そのことに喜んでいる様子はなかっ
た。それまでずっと寄り添ってほぼ二人きりで一緒に暮らしてきた奈緒ちゃんとの別れは、
奈緒人にとっては新しい家庭生活で代替できるようなものではなかったのだろう。

 当時の奈緒人は母親に放置されていても失わなかった、生まれつきの明るさを全く外に
表わさないようになってしまっていた。それだけ奈緒ちゃんとの強制的な別れがショック
だったのだ。

 結城さんと姉さんはそんな抜け殻のような奈緒人に優しく接していた。一見、奈緒人も
奈緒ちゃんのことを口にするでもなく、それに応えているようだった。でもあたしが見て
いるところでは、当時の奈緒人には奇妙な落ち着きがあった。奈緒ちゃんのいない今の生
活に満足していたはずはない彼は、両親にもあたしにも奈緒ちゃんが不在であることに対
する不満を一切口にしなかったのだ。

 まるで奈緒ちゃんに関する記憶だけが失われたかのように。

 その奈緒人の行動には二つの側面が会ったと思う。一つは精神病理学的な側面だ。あた
しは奈緒ちゃんのことを一言も口に出さない奈緒人は、自分の妹や実の母の記憶を失って
いるのではないかと考えていた。それは昨年結城さんと姉さんが子どもたちに事実を打ち
明けたときの奈緒人のショックで証明されたと思う。

 解離性障害。そのうち奈緒人に当てはまるのは解離性健忘という症例だった。

 あたしはそのことを以前に少しだけ奈緒人に話したことがあった。あのときの奈緒人は
混乱していたしはっきりとは覚えていなかったんじゃないかと思うけど。それは人間の心
の自己防衛機能のひとつだ。

 例えばレイプされた女の子はその衝撃的な事実から自分を守るためにそのときの記憶を
全く失ってしまう。普通なら障害トラウマになりPTSDを発症するような出来事だけど、
本人には全くその記憶がないので傷付くことすら生じない。

 奈緒人の実の母親にネグレクトされた記憶や奈緒ちゃんとの別れの記憶もきっとそうい
うことになっていたのではないか。
596 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:29:15.28 ID:lZg7FiiSo

 もう一つは奈緒人の性格上の問題だった。自己防衛的な反応によって辛い記憶を失って
いた奈緒人だけど、彼にとっての辛い思いは新しい家族と暮らすようになっても続いてい
た。

 それは明日香の、奈緒人に向けられた極端な敵意だった。あたしは明日香の行動を逐一
結城さんから聞かされていた。結城さんはどういうわけかあたしが奈緒人の一番の理解者
で味方だと信じていたから、姉さんでさえあたしには話さないようなことでも隠し立てせ
ず話をしてくれたのだ。

「最近、明日香が奈緒人のことを嫌っているんだよね」

 結城さんはあるとき姉さんが不在の自宅で、明日香と奈緒人の夕食の支度をしに来てい
たあたしに言ったことがあった。二階にいる子どもたちに聞かれないようにひそひそ声で。

 結城さんの声がよく聞き取れなかったあたしは、しかたなく結城さんの体に密着するよ
うにしながら話を聞き取らなければいけなかった。それはまだ結城さんへの成就しない恋
心を抱いてたあたしには辛いことだった。

「明日香の言うには奈緒人が明日香の着替えを覗こうとするとか、自分の体を嫌らしい目
で見るとか、何気なく触ろうとするとか、まあそういうことを奈緒人が自分にしてくるっ
て明日香は言うんだ」

「姉さんは知っているの?」

 あたしは結城さんの側にいることから生じていた胸の高鳴りを押さえつけながら冷静に
聞こえるように結城さんに聞いた。

「ああ。あいつは年頃の男の子ならそいうことがあっても不思議じゃないって言ってるよ。
何も本気で明日香に手を出そうとするわけがないし、むしろ明日香の思い過ごしだって。
玲子ちゃんはどう思う?」

 音楽雑誌の業界では名前の知れた結城さんがこんなことでうろたえているのを見て、あ
たしは彼のことを可愛らしく感じた。胸のどきどきも収まってきていたし。

「どう思うも何も悪いのは全部明日香だよ」
 あたしははっきりと言った。「わざわざ自分の部屋のドアを開けて見せ付けるように着
替えたり、シャワーの後に下着姿で奈緒人君の前をうろうろしたりしているのは明日香の
方じゃない」

「じゃあ何で明日香は一々奈緒人のことを僕たちに言いつけるようなことをするのかな」

「明日香も可哀そうなんだよ。姉さんが世話できなくてあたしが育てたみたいなものだし。
やっとできたちゃんとしたパパとママのことを奈緒人に取られそうで恐いんでしょ」

 誰が見たってそう見える。それと明日香自身は気づいていないかもしれないけど、自分
と本気で親しくしてくれない奈緒人への苛立ちもあるのだろう。そしてそれは奈緒ちゃん
への嫉妬心かもしれなかった。
597 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:29:46.67 ID:lZg7FiiSo

 明日香にはかなり古い時点から記憶が残っていた。あの夏の日の公園での奈緒人と奈緒
ちゃんとの出会い以降の記憶すら、明日香には思い出という形で自分の中に保存されてい
たのだった。負けず嫌いの明日香が奈緒人の自分に無関心な態度を見て、奈緒ちゃんに負
けているという感情を抱いていたとしても不思議ではない。

 要するに明日香の行動原理は嫉妬なのだ。両親に対してにせよ奈緒ちゃんに対してにせ
よ。

 あたしはそのことを結城さんに説明した。

「明日香が本当に異性として奈緒人のことを好きならこんな嬉しいことはないけどね」

 結城さんは言った。

「兄妹なのに?」

「実の兄妹じゃないし、あいつもそうなることを望んでるんだ」

 どうやら結城さんと姉さんは本気でこの兄妹が男女の仲になることを期待しているらし
い。

「そうすればもううちの家庭はいつまでも一緒にいられるしね」

 結城さんは言った。

「随分単純に考えているのね」

「僕たちは別れと出会いを繰り返してきたからね。それでもようやく結ばれるべき相手と
結ばれたんだ、せめて子どもたちには同じ想いをして欲しくないだけだよ」

「奈緒人君は優しいからなあ」

「え?」

 戸惑った様子の結城さんにあたしは言った。

「奈緒人君は何でも自分の中に溜め込んで自己解決しようとするから。仮に明日香が奈緒
人君への態度を改めて奈緒人君に告白したら、彼は断らないだろうね。明日香の気持ちや
結城さんたちの意向を考えちゃってさ」

 結城さんが考え込んだ。

「玲子ちゃん、頼む」

 いきなり頭を下げた結城さんの態度にあたしはとまどった。

「頼むって何よ。結城さん何言ってるの」

「迷惑かけっぱなしだけど、頼む。奈緒人のことを見てやってください」

「言われなくてもそうするよ。奈緒人君はあたしの大事な甥っ子、いやそうじゃないね。
あたしの大事な息子みたいなもんだし」

 ・・・・・・結城さん。あなたの息子ならあたしの大事な子どもなの。あたしはそのときそう
呟いたのだ。ただし、心の中でだけひっそりと。

 結城さんの話はそこで終った。明日香が階下に下りてきて結城さんに抱きついて甘え出
したからだ。
598 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/21(水) 23:31:06.19 ID:lZg7FiiSo

 あたしは環状線を降りて慣れない市街地の道路に入った。そろそろ思い出を反芻するの
を止めてまじめに目的地を見つけなきゃ。

 後付したナビの画面だと池山に指定された住所にそろそろ到着しているはずだった。あ
たしは路肩に車を寄せてハザードを出して停車した。

 目的の喫茶店はそこから路地を入ったところにあるはずだった。あたしは車を降りずに
念のために周囲を見渡したけど池山らしい人物の姿はない。時間はちょうど約束の五分前
になっていた。

 目の前にそびえる商業ビルとマンションらしいビルの間に細い路地があるのが見えた。
多分ここを入って行ったところに待ち合わせ場所があるのだろう。あたしは一度車を出し
た。少し走ると時間貸しの無人の有料駐車場があった。あたしは車を止めた。

 小型のICレコーダー、カメラ、取材用のメモと筆記用具がハンドバッグの中に揃って
いることを確認してあたしは車を降りた。すぐにビニール傘を開く。雨はだんだんと強くなって行くようだった。

 車をロックしたあたしは少し歩いてその路地の前に来た。五分くらい歩いただけで服は
上下とももうびしょ濡れだった。周囲を見渡しても相変わらず人の姿はない。あたしは傘
を差したまま降りしきる雨の中、その路地に入って行った。

 路地を歩いていると喫茶店の看板が雨に打たれたまま路面に置かれているのが見えた。
よかった。待ち合わせ場所はあそこだ。あたしは路上で雨に打たれているその喫茶店の看
板の方に歩いて行った。そのとき背後に水溜りの水面を破って駆け寄ってくる複数の足音
聞こえた。

 振り替える間もなくあたしはいきなり現われた男たちに体を羽交い絞めにされた。必死
でもがいて抵抗したけど、まるで全身を縛られているように身動きひとつできなかった。
悲鳴を上げようとしたく口も見知らぬ男の一人にふさがれて声もあげられない。

 身動きできない状態のまま半ば体を抱きかかえられるようにされながら、あたしはこの
男たちにどこかに連れて行かれようとしていることを理解した。

 抵抗もできず悲鳴すらあげられないあたしがせめて相手の顔を見ようとしたそのとき、
お腹に重い衝撃を感じた。殴られたか蹴られたかしたのだ。思わず我慢できずに胃液を吐
こうとあたしは、彼らに口を押さえられそれすら許されなかった。

「ぐずぐずするな。人に見られちまうだろうが」

 思っていたより若い男の声が聞こえた。それを最後に目の前が急に暗くなった。意識が
失われていったのだった。
599 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/21(水) 23:32:55.39 ID:lZg7FiiSo

今日は以上です。無駄に長い文章にお付き合いいただきありがとうございます。

また投下します、

ただ、週末は女神の更新の予定していますので、こちらの状況はそれ次第ということで。
600 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/21(水) 23:37:19.46 ID:2I6oaQINo
うわー玲子さん大ピンチ
601 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/22(木) 00:49:12.24 ID:J3gvDaBDO
いくらなんでも迂闊すぎて同情できないよ叔母さんw
602 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/22(木) 02:14:08.54 ID:4e1N2gDg0
すげー続きが気になる〜!!!!
603 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/22(木) 02:22:48.84 ID:oSh61Gtco
604 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/22(木) 04:16:44.08 ID:bhiDNQO8o

605 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/22(木) 12:42:46.90 ID:ZG9MALtIO
展開的にしょうがないとはいえ
危機感0の叔母さん
606 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/22(木) 22:07:20.01 ID:piRB2WYao
607 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/22(木) 22:25:41.72 ID:AxDCb+N8o

 有希が去っていった後、目の前には手をつけてさえいない料理がテーブルの上に並んで
いた。もったいないし店の人にも変に思われるかもしれない。僕は自分の目の前に置かれ
た冷めたパスタを一口だけ口にしたけどすぐに諦めた。

 有希の言うとおりだった。明日香は有希の恋心を僕から奈緒を離すために利用したのだ。
そのときの明日香は僕に対して恋心なんて感じていなかったはずだから、有希を利用した
といってもそれは有希が僕と付き合うようになってもいいと考えての行動だったろう。つ
まりある意味では有希を応援したとも言える。

 でも結果がこうなってしまえば今さら何を言っても有希は納得しないだろう。僕と明日
香は結ばれたのだ。決して明日香の仕掛けた手段によって成就した関係ではない。それで
も有希の視点から見れば明日香の一人勝だというふうに思われても無理はない。

 僕はもう半ば有希と明日香を仲直りさせることは諦めていた。それに有希には女帝疑惑
がある。本当に有希が中学生離れした恐い女なのかどうかは定かではないけど、明日香の
身の安全を考えると危険は冒せない。そう考えると有希が明日香と仲直りせずこのまま疎
遠になった方が明日香にとっては安全なのかもしれなかった。

 そう考えると奈緒に会いに来た僕は当初の目的を果たせなかったのだけど、有希に対し
ては期せずしてできることはしたような気がしてきた。有希に謝罪し、でも女帝かもしれ
ない有希と明日香をこれ以上関らせないこと。明日香が有希に直接謝罪すると言ったとき、
僕は彼女を止めた。そして一応はそのとき僕が考えていたことは達成できたのだ。

 そのとき有希が最後に言い捨てて言った言葉が胸に浮かんだ。

「明日香のそういう手段を選ばないやり方が、奈緒ちゃんには向けられていないといい
ね」

 僕と奈緒を別れさせようとしていた明日香は取れる手段は全て動員しただろう。そのこ
と自体には感謝していた僕だけど有希の言葉を聞くと胸騒ぎを感じた。

 手段を選ばないということは、当時の明日香なら奈緒に対しても何らかの手を打ってい
たかもしれない。そしてそれが奈緒を直接的に傷つけるようなことだとしたら。

 でも。

 僕と明日香は結ばれたのだし、もう明日香には僕への隠しごとはないだろう。それに明
日香は奈緒のことを奈緒ちゃんと呼び出したのだ。奈緒が僕の大事な妹だと正しく認識し
たからだろう。その明日香が奈緒にひどいことを仕掛けているはずはない。

 自分の彼女を信じよう。明日香はこれまでのところ、有希の件も含めて全てを僕に正直
に話してくれていた。奈緒の件は有希の思い過ごしか嫌がらせなのだ。

 僕は席を立って勘定を済ませた。インフルエンザになったという奈緒のことも心配だけ
どさすがに命に別状はないだろう。それよりも明日香のところに帰ろう。きっと明日香も
僕の戻りが遅いと心配するだろう。

 僕はファミレスを出ると足を早めてできたての恋人の元に急いで戻ろうとした。
608 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/22(木) 22:26:32.58 ID:AxDCb+N8o

 意識を失っていたのはどれくらいなのだろう。あたしが意識を取り戻したときにまず感
じたのは身を震わせるような冷気だった。体が冷え切っていて寒い。

 あたしは無意識に身を縮めて暖を取ろうとしたようだ。でも手も足も固定されているよ
うで身動きできない。そのうちピンぼけだった焦点が次第に合ってきてあたしは自分が全
裸でベッドのような場所に仰向けにされていることに気がついた。

 あたしの両腕はまるで万歳をするように頭上に引き伸ばされていて、交差させられた手
首は何かで縛られているようだった。試しに手を動かそうとしても万歳の姿勢から動かす
ことはできない。同様に両足の方も開き気味に固定されていてこちらも全く動かすことが
できなかった。

 あたしは助けを呼ぼうとした。でも声が出ない。気がつくと口中にざらざらとした布の
ようなものが詰め込まれている。かろじうて動かせるのは視線くらいだった。

「気がついたみたいだ」

 どういうわけか今まで気がつかなかったのだけどあたしの顔のすごく近い位置に男の子
の顔があった。彼が言葉を発したのだ。

 あたしは至近距離でその子と目を合わせた。その男の子はあたしから目を逸らした。

「びびってんじゃねえよユウト」

 あたしの姿勢からは見えない位置から別な男の子の声がした。

「びびってなんかねえよ」

「ユウトは中学生とか同じ年の高校生の女には強気なのにな」

 また視界の外で別な子の声がする。この場にはいったい何人の男がいるのだろう。それ
にしても声だけで判断すると周囲にいるのはせいぜい高校生くらいの子だけしかいなよう
だ。

「大人の女だからってびびることはねえって。女帝が好きに苛めていいって言ってるんだ
からよ」

「だからびびってなんかねえよ。そんなことよりいったい俺たちって何を待ってんだよ」

「最初は店長に譲れってよ。どうせ処女じゃねえし別にいいだろ」

 あたしはこのときだいぶ意識がはっきりしていたせいで、初めてこれから自分がこの子
たちに何をされようとしているのか理解した。全裸で縛られているのもそのためだったの
か。あたしはこのとき初めて危機感を感じた。相手が年下の高校生ごときだと思ってこれ
までは完全になめていたのだ。
609 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/22(木) 22:28:20.79 ID:AxDCb+N8o

 あたしの視界に二人目の子の姿が映った。その子の手があたしの方に伸ばされた。何だ
ろうといぶかしんだ瞬間、あたしはひどい痛みに思わず悲鳴をあげた。その子があたしの
髪を掴んで無理矢理引っ張るようにしてあたしの顔を上向きにあげさせたのだ。

「ババアの癖こいつ可愛い顔してるよな」

 あたしは髪を引っ張られ顔を無理矢理上げさせられた姿勢で必死になって痛みに耐えて
いた。抗議しようにも口に詰め込まれた布切れのせいで声を出せない。

「よかねえよ」

 最初からあたしのすぐ側にいた子が言った。

「こいつを襲ってここまで連れててよ。裸にして縛ったのは俺たちだろ。何であいつなん
かを待ってなきゃいけねえの」

「びびりの癖に一人前のこと言うな、ユウトは」

「俺の名前を出すなよ。こいつに聞かれるだろ」

「聞かれたって平気だよ。この女はこれからもう誰にもちくれないような体にされちゃう
んだからよ」

 突然彼があたしの髪から手を離したせいであたしの頭は激しく枕もない固いベッドに落
下した。再び痛みが襲ってきた。

 そしてその痛みに耐えていたあたしは両顎を掴まれて顔だけを上向きにさせられた。

「苦しいだろ。声を出せるようにしてやる。おまえの可愛い声も聞きてえしな」

 口からずるずると布のようなものが引き出された。ちらりと見えたそれはあたしの下着
だった。ようやく呼吸が楽になったあたしが反撃しようした瞬間、再び口が塞がれた。今
度は年下の男の唇によって。口内にそいつの舌が侵入してきた。

「おいユウトちょっとそこどけ」

 あたしに無理矢理キスしているやつとは別な子の声がする。最初に目を逸らしたユウト
という子がどかされ別な男が横たわているあたしの脇に立った。顔を振ってキスから逃れ
ようとしていたあたしの両胸がその子によってきつく揉みしだかれた。男の両手で顎を固
定されている痛みに加えて乳房を潰されている痛みがあたしを襲った。

「池山はまだかよ」

「ばか名前を出すな」

「いいじゃん。この女、もう誰にもちくれないような体にしちゃうんだろ」
610 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/22(木) 22:31:48.07 ID:AxDCb+N8o

「女帝の命令だぞ」

 あたしの唇を奪っていた男が口を離して慌てたように言った。

「わかったよ。にしても店長遅いよな。舐めたり噛んだりして弄ぶくらいならいいだろ?
 犯しちゃうわけじゃねえし」

 もどかしそうにそう言ったのはあたしの胸を変形するくらいに揉みしだいていた子だっ
た。

 少し沈黙があった。

「・・・・・・そうだな。入れなければ命令違反にはならないか」

 あたしを苛めていた手や口があたしの体から離れた、一瞬沈黙があった。

 突然あたしはさっきまであたしにキスしていた子に平手打ちされた。

「おいババア。これは全部おまえが悪いんだからな。何の関係もねえのに俺たちのことを
こそこそ探るような真似しやがってよ。これから仕返しにおまえを可愛がってやる。いく
らおまえがババアでも可愛い声くらい出せるよな」

 口が自由にされていたせいであたしは反抗する声を出せるはずだった。でも年下の男の
子たちの暴力に萎縮したあたしは何も口に出すことができなかった。信じられないことに
情けない啜り泣きが勝手に口から出ている。

「泣いてるよこいつ」
 せせら笑うようにさっきまであたしの胸を乱暴に触っていた子が笑った。「みっともね
えなあ。こんな大人にだけはなりなくねえな」

「でもこいつの泣き声ってそそられるじゃんか」

「池山が来るまで少しこいつで遊ぼうぜ。突っ込まなきゃいいんだろ」

「おまえは信用できない」

 リーダー格らしい子が言った。最初にあたしにキスした子だ。

「どうせならユウトにやらせよう」

「ふざけんな」

 胸を掴んでいた子が言ったけどそれは無視されたようだ。

「ユウト、この女好きにしなよ。突っ込まなければ何してもいいぜ。おまえ童貞だろ」

少しの間の後、突然あたしは圧し掛かってきた男の重みに耐えた。同時に胸や引き伸ば
されている腕を噛まれている痛みを感じる。悲鳴を上げようとした口は乱暴なキスでふさ
がれた。
611 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/22(木) 22:35:53.25 ID:AxDCb+N8o

 どのくらいの時間が経ったのかわからない。もう体に与えられる刺激は麻痺して痛みと
して認識できないようになっていた。

「こいつ、全然感じないじゃんか」

「そろそろ店長も来るだろうし、先に静注しておくか。おいユウト、女から離れろ」

 それであたしはようやく夢中になってしつこくあたしの体を噛んだり叩いたりしていた
子から開放された。

「あ〜あ。かわいそうにこの女の体あざだらけじゃんか。これだから童貞は」

「いい気味じゃん。大人だと思っていい気になってたんだしよ」

 あたしの感情や神経は麻痺していてその揶揄にも何の反発を感じなかった。ずっと高校
生の子に弄ぶ遊ばれていた体は動かすことすらできない。

「おまえ、死にてえの? やられているときは可愛い声出せって言っただろうが」

 もう誰が誰だかわからないけど、あたしは高校生の一人に脅された。

「まあいいや。おまえにも気持ちよくなってもらわないとな。それが女帝の命令だし」

 突然縛られているあたしの片腕が改めて二人の男によって強く固定された。

 その腕にチクッという小さな痛みを感じる。それはこれまでされてきた直接的な暴力に
よる愛撫よりもだいぶましだった。

「おまえ、色白いから少し痕が残るかもな」

「そんなのこれから俺がキスマークで消してやるよ」

 少年たちの笑い声が響く。

「リキッドの静注は初めてだろ? ちょっと量が多いけどその方が犯されるときに気持ち
いいからよ」
 醜い笑い顔が目の前に広がった。「これでやっとこいつも可愛い声を出してくれるな」

 体が熱くなっていく。意識が薄れるというよりはむしろはっきりと覚醒していく感覚が
する。

 再びあたしは男の体に組み敷かれた。今度は脚を開かされて。

 でももう恐れたりつらかったりする感覚はなかった。

 体を弄ばれていたあたしは次第に夢心地になっていった。感覚が鋭くなっていく反面、
意識は鈍くなっていく。あたしはこの子たちに薬物を注射されたのだ。

 乱暴に体を弄ばれていたあたしは、今度は痛みではなく快楽の気配を察して狼狽した。
薬物のせいだろうか。こんな子たちに負けてはいけない。あたしは必死になって声を出さ
ないように耐えた。

 そんなあたしの表情を嘲笑するように眺めている男たちの顔があたしの真上にある。

「無理すんな。気持ちよくなってきたんだろ。いい加減に可愛い声出せよ」

 ・・・・・・助けて奈緒人。希薄になっていく感覚に逆らうように、あたしは必死で最愛の甥
である彼の表情を追い求めた。
612 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/22(木) 22:37:22.72 ID:AxDCb+N8o

今日はここまで。

もう一回くらい投下したら週末は女神に戻ります。

駄文長文にお付き合いありがとうございます。
613 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/22(木) 22:40:37.85 ID:s1hv/PuIO
お、乙……
614 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/22(木) 23:23:24.85 ID:Hoi/kRnEo
お…つ…
615 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/22(木) 23:43:36.54 ID:Jf+jSW/po
心が折れそうだ……
616 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/23(金) 00:03:51.54 ID:a7H0v3Dl0
…乙
617 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(和歌山県) :2012/11/23(金) 00:04:45.95 ID:+KccduWM0
心が折れた。。
618 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/23(金) 00:47:39.13 ID:z/giCCkto
乙ら
619 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/23(金) 06:26:16.05 ID:BRwBQqIko
うわあぁぁぁぁぁぁぁぁあ
620 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) [sage]:2012/11/23(金) 12:12:37.91 ID:FRvbOzjHo
心が折れつつも息子は元気てすまんか
621 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/23(金) 23:10:02.53 ID:gZK7ec4Io
ま、まぁな。
確かにこう言う展開は予測できたな。

予測できたのにな……
622 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/25(日) 01:58:20.07 ID:+hm7i38eo
実際これと同じレベルの事をやらせようとしていた明日香
623 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/25(日) 23:39:15.67 ID:IlNJVsp/o

 とりあえず有希に指示されたとおりのメールを玲子に返信した俺だったけど、今度のこ
とは全く気に入らなかった。有希には見抜かれていたように俺が玲子の体に執着していた
ことは事実だったとはいえ。

 きっかけは最初に取材で会ったとき俺なんか眼中にないような玲子の偉そうな上から目
線の態度だった。涼しい表情ですらっとした細身のスーツ姿を着こなし細い足を組んでい
た玲子の、大人でキャリアウーマンであることを鼻にかけたような態度に俺は反発した。
そして玲子はババアのくせに見かけが良かったせいもあって、その反発が大人の女に対す
る征服欲に変わるのにはたいして時間はかからなかった。

 俺には前から悪い癖がある。自分とは全然異なる世界で暮らしている、普通なら俺なん
かには縁のないような女に対して惹かれるのだ。明日香との出会いだって最初はそういう
風だった。

 夜のゲーセンで所在無げにうろうろとしていた明日香。こんな時間に遊んでいるような
子じゃないことは一目見てわかった。何か事情があるのだろう。そのとき俺は明日香に興
味を抱いた。今となっては考えられないけど、このときの明日香は周囲の喧しい喧騒にお
どおどし萎縮していた。

 俺は明日香の可愛らしい容姿に関心を持ったのだけど、同時にこのとき危惧もしていた。
こんな子がこんな時間にこんな場所にいたら・・・・・・。

 俺のその予感はあたった。半端に遊んでいそうなちゃらい奴が明日香に声をかけたのだ。

 笑って流して断ればいいのに、明日香は本気で恐がったように後ずさって首を振った。
そういう拒絶の仕方にその男は腹を立てたようだった。そいつは何か語気を強めて明日香
の腕を握った。明日香が怯えた表情で掴まれた腕を振り解こうと小さく抵抗している。

 俺はそのとき初めて怯えている明日香の顔をきちんと見たのだ。その後、明日香と付き
合うようになってから考えたことだけど、俺の恋愛はきっとそのときの怯えていた明日香
の姿から始まったのだ。夜の街にすっかり順応して滅多に動じなくなった明日香の姿では
なく。

 俺は人目を引きながら揉めている二人の方に向かっていった。
624 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/25(日) 23:45:45.53 ID:IlNJVsp/o

 これが俺たちが付き合い出すきっかけになった。

 俺は最初は別世界の美少女と付き合えたのだと思って自分の幸運に酔った。でも俺の想
いとは裏腹に明日香は急速に俺のダチたちのスタイルに順応し、それにつれて服装もメー
クも俺たちに付いて回る女たち同様、派手なものになっていった。俺はそのことを残念に
思ったけど、それでも明日香がもともと備えていた本質的な性格は少しも損なわれなかっ
たと思う。

 俺のグループの飯田や女たちに外見を合わせて溶け込もうとしてしていた明日香だった
けど、行動の方まで染まったわけではなかった。仲間の中で彼女だけは関係のない他人を
傷つけることを極端に嫌がったのだ。この頃には有希の命令も行き届いていたので俺たち
は以前のような無茶ができなくなっていたけど、たまにはアクシデントでそういうことが起こる
こともあった。

 そんなときの明日香は、巻き込まれた女の子が俺たちに何かされることに我慢できなか
ったようだ。明日香は俺に対して女の子を何とかしようとしていたやつらを止めるように
求めた。別に俺だって世間的にいい人と呼ばれるようなキャラじゃない。本当に純真で罪
のない子ならともかく、この時間に男の腕にぶら下がっているような女を助けるような気
なんてない。俺はそう思ったけど明日香に嫌われることを恐れた俺は、あいつの言いなり
に振る舞った。そういうことが続くうちにだんだん俺の仲間内での評判は悪くなっていっ
たのだけど。

 俺が新しく付き合い出した明日香のことはすぐに有希に伝わっていた。有希のそのパ
ワーの源泉の半ばはその情報力にあった。あとの半分は人を惹きつける強力なカリスマ性
だ。

 知り合いの知り合いを次々に仲間内に引き込んでいくのが有希のやりかただったけど、
俺が新しい女を作ったと聞いた有希は俺に釘を刺したのだ。

「あんたが誰を好きになろうと別にどうでもいいけど」

 有希は言った。

「何だよ」

「足元をすくわれないようにしなよ。あんたの新しい女にはあたしたちのビジネスのこと
を話さないでね」

 拡大志向の有希には珍しい判断だった。こいつは知り合いの知り合いを組織に誘い巻き
込んでいく形でここまで商売を大きくしたのに。

 この頃の俺たちには敵はいなかった。有希に従っていない地元の高校生たちが徒党を組
んだ弱小のグループは他にもあったけど、そいつらは今では俺たちの敵ではなかった。

 そのとき何で有希が明日香にだけ例外を作ったのかはわからない。でも俺は口には出さ
なかったけど実は心底ほっとしていた。明日香が不良じみた俺たちに憧れて外見やら行動
を真似るのは別にいい。でもハーブの商売に明日香を巻き込むのは嫌だった。

 それは有希が始めた極めて合法的な商売で違法でも何でもない。でもモラル的な面で考
えればこの商売は終局的には俺たちの顧客の人生を狂わせる。玲子ごときに偉そうに指摘
されるまでもなくそんなことは俺にはわかっていた。そんなものに根は純真な明日香を巻
き込みたくはなかった。
625 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/25(日) 23:51:25.18 ID:IlNJVsp/o

 明日香は自分のことを一人前の不良でビッチだと思い込もうとしていた。俺がそうじゃ
ないと反論するとあいつはひどく怒ったものだ。

 『あたしにあんたの幻想を押し付けるな』

 それはそうかもしれないけど、やはり明日香の心は不良にもビッチにもなりきれていな
い。俺にはそのことがよくわかっていた。だから明日香をハーブの商売には近づけたくな
かったし有希にも紹介したくなかったから、有希の指示は俺にとっては渡りに舟だった。

 俺は明日香のことが好きだ。突然振られた今でもその考えは変わらない。SPIDERに明日
香に呼び出され振られたとき、明日香は突然あいつらしくもなく鈴木奈緒を何とかしろと
言った。

 俺の知っている限りでは有希とは違って奈緒は本当のお嬢様で俺たちなんかに関っている
ような女ではなかったから、明日香のその指示には驚いた。そういうことは明日香がもっとも
嫌っていたことなのに。

 これには何か訳があると俺は考えた。いったい奈緒というのは何者なのだ。俺にとって
は鈴木奈緒に乱暴するように言われたのはこれで二度目だった。最初は有希による意図不
明の指示でそのときにそれを止めたのは明日香自身なのに。

 明日香の提案には気乗りになった風を装ったけど、俺は鈴木奈緒をどうにかしようなん
ていうつもりは毛頭なかった。彼女は有希の親友だ。有希の指示で襲うならともかく俺単
独でそんなことをしようものなら有希にどんな目に合わされるかわからない。

 それ以上に俺は明日香の手を汚したくなかった。何が動機だか知らないけれどきっとこ
れは明日香の一時の気の迷いだ。明日香が後になって後悔するようなことはしない方がい
い。明日香と別れたくなかった俺だけどその気持ちには迷いはなかった。

 俺はその辺で回想を中断した。それよりも明日はどうしよう。有希の指示は手の混んだ
ものだった。

 有希の計画によれば玲子は明日香の午前十時頃には昼間は人気のない路地で三人の
男に捕まって例の場所に連れ込まれることになっていた(その三人のうち俺の知り合いは
一人だけだった。有希のグループはいくつかの小さなグループの集合体で、そいつらは俺
や飯田のグループの仲間ではなかったのだ。有希は俺が怖気づいたりして途中で気が変
わらないようにわざと知り合い以外の男を手配したに間違いなかった)。

 そいつらが部屋に連れ込んだ玲子を裸にして縛り付ける。そして玲子にリキッドの静注
をするところまで引き受けるそうだ。俺の役目といえば非常に馬鹿らしいもので、待ち合
わせ場所に来ない玲子を心配して探しに来た振りをしろと言われていた。

 つまり玲子を救い出す役目だ。そして俺によって不良高校生から救われて安心している
玲子を、再び本性を現した俺が襲って犯すことにより玲子を絶望の淵に追い込めというの
が有希の用意した筋書きだった。

『よかったね。狙っていた大人の女が絶望して泣いているところを抱けるなんて。興奮す
るでしょ』

 俺の電話を受けてからわずか数分でこんな馬鹿げた筋書きを考え出した有希に呆れると
ともに、面識のない大人の女をここまで冷酷に追い詰めることにためらいを覚えない有希
に対して俺は恐れを感じた。
626 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/25(日) 23:52:39.37 ID:IlNJVsp/o

 もう夜中の二時を過ぎている。これから八時間後には玲子は拘束されて九時間後くらい
には俺に無理矢理犯されることになる。

 俺は明日香に振られた。でも俺はまだ明日香のことが好きだ。それなのにこのままいけ
ば自分の好きな女の叔母を犯すことになる。少なくとも有希の命令に従えばそうせざるを
得ない。

 このときわりとマジで俺は悩んだ。明日香が自分の兄貴と付き合い出したと有希が言っ
ていたことを思い出す。



『あんたには可哀そうな話なんだけどね。やっぱり明日香って兄貴と付き合い出したみた
いだよ』

『んなわけねえだろ。実の兄妹同士じゃねえか』

『あの二人、血が繋がってないのよ。あんた、そんなことも知らなかったの? 本当に明
日香の元彼やってたの』

『明日香のやつ・・・・・・ふざけやがって』

『そんな恐い声出さないでよ。あたし恐がりなんだから』

『おまえもふざけるなよ。で、何で今そんな話をした』



 明日香の兄貴への執着は今までも何となく感じていたことではあった。明日香は兄貴の
ことは滅多に話題にしなかったし、したとしても悪口しか言わなかった。でも俺は何とな
く明日香の兄貴に対して嫉妬めいた感情を抱いていたのだ。

 有希によれば明日香は兄貴と血が繋がっていないのだという。俺は本気で明日香に振ら
れて男を乗り換えられたのだからあいつのことを気にする必要なんてない。むしろ明日香
への意趣返しに玲子を犯して明日香を悲しませることによって俺を振った罰を与えてやっ
てもいいくらいだ。俺はそうは思ったけど実際には明日香への想いが募っていくだけで、
困ったことに少しも彼女を憎めないのだ。



 『あたしもあんたも明日香にコケにされてたんだなって思ってさ。このまま捨てておい
ていいわけ?』



 そういえば有希が明日香にコケにされたっていったい何のことなんだ。まさか以前に奈
緒を犯させようとしたことを邪魔されたことを言っているのか。それとも他に何らかの理
由で明日香は有希を怒らせたのか。

 有希は玲子を襲う理由として明日香にコケにされたことをあげたのだ。俺は今まで有希
は冷静に俺たちのことを探ろうとしたらしい玲子を痛めつけて排除するつもりなのかと考
えていた。
627 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/25(日) 23:53:41.30 ID:IlNJVsp/o

 でも考えてみればおかしい。俺が酒井さんと玲子に一度取材を受けたことは有希も承知
していたしそのことを大袈裟には受け取っていなかったのだ。たかがもう一度取材したい
と言われたくらいで検挙されたらやばいことを玲子に対して仕掛けるなんて有希らしくな
い。

 有希はただ首を突っ込んできた玲子を排除したいだけじゃない。きっと犯されて惨めな
想いをさせられた玲子のことを伝えて、明日香を絶望させるつもりなのかもしれない。き
っと明日香には俺が玲子を犯したということまで伝えるつもりなのだろう。自分の振った
元彼が明日香の叔母さんをひどい目に合わせたことを思い知らせて、明日香が自分のこと
を責めて絶望するように。

 ちくしょう。俺はさっきまで感じていた有希への恐れを忘れて腹が立ってきた。

 俺は有希に利用されているのだ。俺の鼻先に玲子を一番最初に自由にさせてやるという
餌と明日香が兄貴と付き合って俺をコケにしたという情報をセットにして、俺を奮い立た
せて操ろうとしているのだ。そう考えると有希と争うのは得策ではないと考えていた大前
提が自分の中で崩れていった。

 俺をコケにしたのは明日香よりもむしろ有希だった。俺は有希の手下じゃない。便宜上
利害が一致していたから有希に従っていただけで、そのことは俺の仲間たちにも共通の認
識になっていた。有希が俺を一方的に利用しようとした以上、俺にはもう有希に従う義理
はない。俺の中で有希に玲子を襲うように言われてからずっと燻っていた困惑が影を潜め、
逆に有希に対する反発と闘争心が沸いてきた。

 玲子を助けよう。

 それはもはや振られても忘れられない明日香のためだけにするのではない。有希にいい
ように利用されかけた自分自身のためだ。

 指示に反した俺に対して有希は厳しい懲罰を仕掛けてくるだろう。でも俺が声をかけれ
ば前からの仲間たちは俺に従うだろう。仲間内でもやや有希寄りだった飯田も今はいない
ことだし。直接的な暴力的に対しては有希自身は無力だ。問題は有希に従う他のグループ
の連中だけど、俺のグループは多分有希に従ういくつものグループの中で最大規模だ。

 仲間が結束して有希に忠誠を誓っているグループの連中を順番に片付けていけばいい。

 そう決心した俺は机の引き出しからアッパー系のハーブを取り出した。いつでも吸える
ように煙草の中にはハーブが仕込んである。

 俺は自分の散らかった下宿の布団の上に横になってハーブを吸った。仲間を招集する暇
はないからとりあえず一人で玲子を救い出そう。少なくとも俺が顔を出すまでは玲子の体
は全然のはずだった。それは裸にされたり静脈注射されたりはするかもしれないけど。

 玲子を一人で救うためにはどういう作戦で行けばいいか。やがて化学物質が脳内に分泌さ
れ俺は高揚感に包まれた。同時に頭の隅では冷静に明日すべきことが思い浮び、整理され
て記憶されていった。

 これでいい。俺の高揚した状態は眠りにつくまで続いた。
628 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/25(日) 23:54:12.51 ID:IlNJVsp/o

今日は以上です。
629 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/11/25(日) 23:58:09.32 ID:x8MAqSZXo
乙!
叔母さん助かりそうなのね(´;ω;`)
630 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/25(日) 23:59:06.14 ID:cTUEo5qWo
631 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/26(月) 00:01:28.98 ID:YBIFCTVDO
>>1

池山アホすぎて笑えるw
632 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/26(月) 00:33:59.80 ID:wj7IQLQDo
こっから挽回だな!イケヤマ
633 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/26(月) 01:44:45.94 ID:w+L98HKdo

だがクズだ
634 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/11/26(月) 11:39:07.61 ID:k5PdVSYio
クズなりに男だな池山
635 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/26(月) 22:08:30.92 ID:htkFtFRd0
覚醒のクズ山・・・
636 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/27(火) 19:46:58.08 ID:Ny0YudPIO
おい女神はどうした?
637 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/27(火) 22:39:32.73 ID:26vxZsPMo

 その朝、俺は陰鬱な気分に包まれながら約束に辛うじて間に合う時間に目を覚ました。
昨夜感じた、俺を平気な顔で利用しようとしている有希への憤りとハーブの作用によって
もたらされた高揚感はすっかり姿を潜めていた。

 数を重ねるごとにこうなっていくようだ。俺の体は昨日キメたドラッグに対する耐性が
既に出来上がってしまっている。あの量ではせいぜい眠りに付くくらいまでしか効かなか
ったのだろう。

 昨日の決心を覆そうとは思わないが、正直昨日考えた筋書きどおりに振る舞う勇気を振
り絞るつもりならアッパー系のハーブをキメてから臨みたいところだ。

 だけどそれは今はまずい。ハーブの成分の助けを借りて計画を考えた俺だけだったけど、
それを実行に移すときにキメて飛んじゃっている訳にはいかない。

 キメている状態で裸の玲子と二人きりになったら俺だって何をしてしまうかわからない。
飛んでいる状態の俺なら嫌がって抵抗する玲子の姿を、恥らいながら俺を求めている明日
香の姿のように思い込んでしまうくらいのことはあり得るかもしれない。

 計画通りにすれば玲子を苛めているだろう三人の野郎なんて全く問題ないと思うが、せ
っかくそいつらから救った玲子を俺自身が苛めてしまったら全く意味がない。

 目的は明確に意識しなきゃいけない。明日香を悲しませないこと、それに有希ごときに
利用されたまま踊り出さないこと。それをこれからやらかさないといけないのだから、ど
んなに重苦しい気分だったとしても今キメるわけにはいかない。

 俺は寝床から起き上がって準備をした。着替えを済ませた俺は、バイクのキーと最近は
全く使っていなかった特殊警棒を念のためポケットに突っ込んだ。あとは顔も洗わず歯も
磨かずにアパートのドアから外に出た。
638 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/27(火) 22:40:14.79 ID:26vxZsPMo

 雨の中をバイクにまたがって目的地に向かう途中、俺は誘惑に負けてハーブを吸引しな
かった自分に感謝した。

 降りしきる雨のせいで自分が濡れるくらいならまだしも、路面は相当神経を使わないと
危険な状態だった。それに時間はあまり余裕がない。玲子を抑えている連中は俺が遅れて
も多少は待ってくれるはずだった。あいつらにとっては有希の命令が絶対なのだし。

 それでも危険はおかせなかった。

 理想的には玲子が何もされる前に突入できれば一番いいけど、それは無謀な賭けだった。
計画では玲子は腹にきつい蹴りを入れられることになっていたから、あまり早いタイミン
グだと玲子はまだ気を失っているままかもしれない。そんな状態の玲子をあそこから連れ
出すなんて至難の業だ。

 かといってあまり遅くなるとあのクソガキ共が我慢できなくなるかもしれない。あいつらが
有希の指示に反して行動する誘惑に駆られるほど、拉致した玲子に欲情したとしたら、
俺の到着を待たずに事を始めてしまうことだって考えに入れておかなくてはいけないのだ。

 何でもう少し早く起きなかったのか悔やまれる。俺は滑りやすい路面をいなしながらで
きるだけ速度をあげて時間を稼いだ。路肩ぎりぎりで前の車を追い抜いて行く。

 もう少しで有希に指示された場所に着く。そこはかつて徒歩で行ったことのある場所だ
った。住宅街の中で平日は無人になる佐々木ピアノ教室。そのレッスンスタジオは防音に
なっていて玲子がいくら悲鳴をあげようと隣の家にはその声は届かないそうだ。

 思い悩みながらも俺の手足は勝手にバイクを操って駅前のロータリーを通り過ぎ、住宅
地の中に入って行った。

 目的地の前にスタンドを立ててバイクを置いた俺は、雨に打たれながらその建物の敷地
内に入った。二、三台しか収容できない敷地内の小さな駐車場には二台の車が放置されて
いる。よほど慌てて置いていったのだろう。白線で区切られた区画を無視して無秩序に駐車
されていた。

 一台はきっと無免許運転の連中が玲子を拉致するのに使った車だろう。もう一台は古い
スポーツクーペで、ひょっとしたらこれが玲子の車なのかもしれなかった。無秩序に雨に
打たれながら放置されている車を後にして俺は入り口の前に立った。

『佐々木ピアノ教室』と記されたプレートが玄関にかかっている。俺は有希に教わったと
おりにそのプレートの上部のスペースを手で探った。有希の言ったとおりそこには鍵が置
かれていた。
639 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/27(火) 22:41:03.08 ID:26vxZsPMo

 俺は教室の中に足を踏み入れた。室内は冷え切っていて人の気配すら感じない。俺は有
希に教わったとおり、楽譜やテキストが整然と並べられてるロビーのような場所を通り過
ぎて陰鬱な感じがする廊下を通って奥の方に歩いて行った。極力足音を立てないようにし
て。

 木造の小さな二階建ての家のはずなのに思ったより廊下が長い。緊張していたせいかも
しれない。その廊下の両側に小さな部屋がいくつか並び、廊下に面したガラス窓からはそ
れぞれの部屋にピアノが置かれているのが見えた。廊下の突き当たりにドアがある。俺は
の閉じたドアの方にそっと近づいた。

 ドアの真ん中を繰り抜くように小さな正方形の窓があり、中の様子を覗うことができた。
俺はその窓から室内をそっと覗いた。室内には人影があった。もっとも防音になっている
せいで話声や物音は聞こえない。

 二十畳ほどはある部屋の中心にグランドピアノが置かれている。その先のベッドに玲子
の白い細身の裸身が横たわっていた。ベッドと言ったけどよく見るとそれは大きなソファ
のようだった。大きなサイズのソファに仰向けに寝かされているせいか、裸の玲子の姿は
まるで少女のように見えた。

 玲子の両手は万歳するように引き伸ばされて頭の上で両腕を交差するように縛られてい
る。縛られて身動きできない玲子の周りに三人の高校生たちが群がっていた。

 ちょうど俺が室内を覗いたタイミングでそのうちの一人が玲子の体にのし掛かっていっ
た。そいつは両手で玲子の細い足を抱え込むようにして大きく開かせた。

 ・・・・・・話が違うじゃねえか。裸にした玲子を縛って静注することころまでがこいつらの
役目だったはずだ。やはりこのバカたちは我慢できなかったのだ。最初から考慮していた
ことだけど最悪のタイミングになってしまったようだ。

 それでもこいつらにとっては有希の命令は絶対のはずだ。

 そのとき俺はそいつがまだ上下ともに全く服を脱いでいないことに気が付いた。何とか
間に合ったのだ。でも夢中になって玲子にしがみついているやつの熱中ぶりを見るともう
あまり時間はなさそうだ。

 俺は目の前のドアをできるだけ乱暴に大きな音を立てるようにして開けた。

 玲子の上に圧し掛かっていたやつも含め三人の男が突然に乱入した俺の方を見た。間抜
な格好で玲子を押し倒していたやつには見覚えがあった。こいつはユウトだ。

「てめえら誰だよ。何で俺の知り合いをこんなとこに勝手に連れ込んでるんだよ」

 俺は精一杯低い声で威嚇した。こいつらが有希の指示を覚えていれば俺が思ったとおり
の展開になるはずだ。俺は固唾を飲んだ。
640 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/27(火) 22:41:34.76 ID:26vxZsPMo

「てめえ何だよ。おめえには関係ねえだろ」
 俺が会ったことのない男が低く言った。演技か本気かはまだ判然としない。「てめえ、
付けやがったな。やる気なのかよ」

「その女は俺の知り合いだ。俺の知り合いに手を出すとかおまえ何様のつもりだよ」

 こいつらの反応を気にしてしまっていたせいで俺の言葉は中途半端なものだった。でも
心配するまでもなく俺に反応した男にはやる気が感じられない。ユウトも玲子の体から離
れた。

「来いよ」
 俺は低く唸った。「やる気なら相手してやる」

「・・・・・・覚えてろよ」
 最初に俺に話しかけたやつが絵に描いたようなセリフを吐いた。こんな臭い芝居でも突
然拉致されて混乱している女相手なら十分通用するだろう。有希はそこまで考えていたの
だろうか。

 玲子の体に執着してせいか少し命令を逸脱したようだが、とりあえず有希の命令を果た
した三人は俺のことを睨みながら部屋を出て行った。出がけにその一人が俺にウィンクし
た。

 そうだ。こいつらには俺の後に玲子を自由にしていいという指示が出されているのだ。
あいつのウィンクの意味は早く回せよとか独り占めするなよとかって意味が込められてい
たのだろう。

 そう考えると俺と玲子に残された時間はあまりない。部屋を出て行ったこいつらは建物
内のどこかで待機しているはずなのだ。有希にとりあえずの現状報告でもしながら。

 今のところ有希への報告は全て計画通りということになるだろう。指示を逸脱して最後
まではしていないものの玲子の体を弄んだことには口をつぐんむだろうし。今のウィンク
には有希には内緒なという意味も含まれていたのかもしれない。

 俺はとりあえず縛られている玲子を開放しようとした。彼女が俺を味方だと信じてくれ
るかどうか少し不安だった。俺がピアノの側を通り過ぎて縛られている玲子の近くに来た
とき、そんな心配は無用だったことに気づかされた。

 俺の視線はまず玲子の縛られた華奢な裸身と、その体のそこら中に刻まれた赤い痣に引
きつけられた。これまでに相当乱暴なことをされていたらしい。これは完全に有希への命
令違反だ。でも今はそれどころではなかった。俺は彼女の体から目を離して顔を見た。

「大丈夫っすか? 待ち合わせ場所に来ないから心配に・・・・・」

 俺は玲子にかけた言葉を中断した。

 白目をむいた目。形のいい唇の端からこぼれて周りに付着している泡。玲子は完全に意
識を失っていたのだ。
641 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/27(火) 22:42:46.25 ID:26vxZsPMo

 俺は思わず口汚く罵った。オーバードーズじゃねえか。あいつらリキッドをちゃんと希
釈して注射しなかったのか。

 これはまずい。

 玲子の体に手を触れることにためらいはあったけど俺は彼女の動悸を確かめた。規則正
しいとは言えないけどすぐにでも危険と言うほどの心拍数ではない。呼吸も安定している
ようだ。俺は少しほっとした。

 オーバードーズになったやつのことを今までもよく見てきた。一番やばいのは飛びすぎ
てイっちゃっているやつだ。そういうやつは意識もあるし行動もできるけど、その態度は
滅茶苦茶だ。事件を起こすやつはたいていはこういう部類だ。次に玲子のように意識を失
うやつだけど、本当にやばい状態のやつは心拍数も呼吸も異様に早い。

 これなら命には別条ないだろう。玲子の命に危険がないことを確認した俺は、それを喜
ぶどころかこの先どうしたらいいかわからなくなっていた。玲子に意識があるなら俺のこ
とを信用させて一緒に逃げ出すつもりだった。あの三人をぶっ飛ばしてでも。

 でも意識のない玲子を抱えてそんなことをする自信はない。いくら華奢だとはいえ気を
失っている女を抱えながら逃げるなんて不可能だ。俺は狼狽した。

 部屋の外には自分の順番を奮い立って待ち構えているやつらがいる。いつまでも悩んで
いる時間はない。

 再び昨日の決心が思い浮んだ。あのとき感じた高揚感はもはや欠片もない。簡単な話じ
ゃないか。俺は少し気弱になって考えた。昨日の決心は忘れ、この場で玲子に覆いかぶさ
って犯せばそれですむ。その後に室外で順番を待っているやつらに玲子を譲るのだ。それ
で俺は安泰だ。有希の指示を完璧に果たしたことになる。

 迷った俺は再び玲子の顔を眺めた。多分無意識だったのだろうけどそのとき玲子は少し
顔をしかめるようにした。その表情は何か困ったことに出合ったときの明日香の表情にそ
くりだった。

 いや、だめだ。明日香を悲しませないと決めたことを覆すことはできない。これ以上迷
っている時間はなかった。

 俺は玲子の手足を縛って固定しているロープをナイフで切断した。ぐんにゃりとした玲
子の体を抱えて上半身を起こさせる。華奢な骨格やすべすべした肌の感触がしたけど今は
そんなことはどうでもよかった。

 全部着せるのは無理だ、とりあえず下着は無視して床の上に散らばった服をかき集めた。
見かけだけそれっぽければもうそれで満足するしかない。玲子は多少意識が戻って来たよ
うだった。

 人形のような彼女にブラウスとスカート、それにジャケットだけを辛うじて着せる。さ
ぞ苦労するかと思ったのだけど、玲子は腕を伸ばしたり腰を上げたりして半ば無意識に服
を着せる俺に協力してくれた。

「ちょっとここでじっとしてろ」

 服を着せ終わった俺は玲子に言った。理解してくれるかどうかはわからないけど。

「うん」

 すごく小さな声で玲子が呟いた。意識が覚醒しつつあるのだ。時間があれば砂糖水を大
量に飲ませて薬物を排泄させるべきなのだけど。

 俺は玲子を置いてドアの方に向かった。尻ポケットから久しぶりに使う警棒を取り出し
て。一撃でやらなければならない。最初の目論見と違って今や俺は自力では歩けない玲子
を抱えて逃走しなければならないのだ。確実に追手の足を止めておかないと。

 集中しながらドアを開けてあの三人に立ち向かおうとしている俺に背後から声がかけら
れた。掠れて力のない声で。

「お願い、奈緒人・・・・・・。早く帰ってきて」
642 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/27(火) 22:44:58.12 ID:26vxZsPMo

今日は以上です。

>>636
悩みつつ書き溜め中です。こっちが一段落着いたら更新を再会します。
申し訳ないけど女神の方は長い目で見てやってください。必ず完結はさせますので。
643 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/27(火) 22:54:11.67 ID:IgroYo7Wo
NAOTOはよ
644 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(宮城県) [sage]:2012/11/27(火) 22:56:09.79 ID:y96yE3Si0
池山ぇ・・・

乙。
645 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/27(火) 22:56:13.50 ID:NJCyuk27o
池山落ちたな
646 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/28(水) 00:24:48.27 ID:AuLYSiswo
おつ
647 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 01:45:25.72 ID:bRaPBCPko
648 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 02:38:24.51 ID:kBBzNFZDO
>>1

池山ブレすぎて不安だわw
649 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/11/28(水) 02:40:44.85 ID:f0por75Go
650 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 08:04:43.08 ID:6KH0cR9IO
すっかり女神が月イチ連載になってるが気にしない
こっちの方がアツいぜ

でも女神も頑張ってね
651 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 23:28:40.88 ID:JX4doe8SO
作者がやりたいようにやればいい

わんぱくでもいい
たくましく育って(ry
652 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/29(木) 07:16:53.75 ID:2U1XisN1o
なんだ、ハムの人か。
653 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/29(木) 23:06:29.91 ID:wzcb5MtTo

 きっと油断していたのだろう。無理はなかった。俺が女と同じ部屋にいるのだから別に
こいつらは真面目に見張りをする必要はなかったのだ。俺が引き伸ばした特殊警棒を握り
締めて部屋を出たとき、目の前にはユウトが一人で床に座り込むようにして転寝をしてい
た。

 思い切り開いたドアが壁にぶつかる音が響くと、それまで目をつぶっていたユウトがぎ
ょっとしたようにに立ち上がった。俺はそのまま反動でまた閉まってくるドアを蹴り開け
た。

「何だ・・・・・・・池山さん。早かったっすね」
 俺の姿を見て安心したように再び緊張を解きながらユウトが言った。「もう終ったんす
か。どうでした? あの玲子ってババア、静注されてるから可愛い声出してしがみついて
きたでしょ」

 ユウトは俺の機嫌を取るように笑った。こいつは別に悪いやつではなかった。俺の仲間
じゃないけどこいつは単純に有希に憧れているようで、有希に近い俺や飯田にはやたら気
を遣って擦り寄ってくるようなやつだった。水商売の母ちゃんと二人暮しだそうだけどい
つも明るいのであまりそういう不幸を感じさせない。

 要するに俺はこいつのことが嫌いではなかったのだ。

「池山さん、もういいんすか?」

「ああ。もういい」

 でももう俺の決心は揺らがなかった。

「もったいないなあ。いい女なんだからもっと粘ればいいのに。俺たちのことならいつま
でも待ってますから気にしなくていいっすよ」

 俺は笑った。

「さっき言ったろ? この女は俺の知り合いだって」

「はい?」

「おまえ、さっき玲子を苛めてたよな」

「・・・・・・池山さん、何言って」

 俺は腰を沈めると警棒を握った手を平行に振ってユウトの首筋にぶつけた。信じられな
いという表情を残しながらユウトはあっさりと床に沈んでいった。

 残りの二人を始末するのも簡単だった。こいつらは玲子が監禁されている部屋の前にユ
ウトを残して、教室のロビーでキメてやがったのだ。不意をついたせいで最初の一人は立
ち上がるまでもなく簡単に床に沈み込んだ。残りの一人は吸いさしのハーブをとっさに投
げ捨て身構えながら立ち上がった。反応が早いのはアッパー系のやつをキメていたからか
もしれない。
654 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/29(木) 23:07:01.69 ID:wzcb5MtTo

「何の真似だ池山」

 こいつはさっき去り際に俺にウィンクしたやつだった。

「てめえ女帝の命令に逆らう気かよ」

 ハーブをやっていたわりには察しがいいやつだ。俺は黙って特殊警棒をこいつに見せた
けど、やつは動じる気配もなく笑った。

「てめえあの女に情が移ったんだろ? それとも独り占めしようとしてやがるのかよ」

 突然殺気を感じた俺は後ろに下がってこいつをやり過ごした。この馬鹿が身を沈めて俺
の足を自分の足で払おうとしたのだ。勢いあまってすごい目で俺を睨みながら倒れ掛かっ
てきたやつの後頭部に、俺は右手に握っていた警棒を思い切りお見舞いした。

 派手な音を立てて床に倒れたそいつはそのまま動かなくなった。突然静寂が戻り雨が降
りしきっている音が耳に届いた。

 俺は少しの間呆然として雨音を聞いていた。別にこいつらとやりあった感慨に耽ってい
たのではない。有希が仕切りだす前はこんなファイトは日常茶飯事だった。それよりも俺
はこれで本当に有希に逆らってしまったことを考えていた。でももう悩んでいる暇はない。
玲子がオーバードーズになっていたことまで想定していなかった俺は気がせいていた。今
まで玲子には一人で逃げてもらうつもりだったのだ。

 ユウトは違うだろうと思った俺は最後に倒したやつの体を探った。目当てのものはない。
その前に倒したやつの服のポケットに見慣れない車のキーがあった。俺は投げ捨てられた
まま煙が立ち昇っているハーブを足で踏み消した。もうあまり時間はない。

 奥のスタジオに戻ると玲子はぼうっとソファに座ったまま身動きひとつしなかった。ま
だハーブが効いているのだろう。

「逃げるぞ」

 俺は玲子の肩に手をかけた。

「・・・・・・なお」

「え?」

「なおと・・・・・・」

 玲子の両腕が俺の首に回された。俺は玲子に抱きしめられてキスされた。
655 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/29(木) 23:07:34.21 ID:wzcb5MtTo

 一瞬呆然とした俺だけだけど、すぐに玲子はハーブの影響で俺を誰かと間違えているの
だと気が付いた。いや、誰かではない。なおとというのは明日香の兄貴の奈緒人のことだ
ろう。

 いったいどういうことだ。俺はとりあえず抱きついてきた玲子の背中に手を回しながら
思った。玲子と明日香の兄貴の間にどんな関係があるというのだろう。明日香は兄貴と付
き合い出したはずではないのか。それともそれすら女帝のフェイクなのだろうか。

 俺は混乱したけどこれ以上はもう時間がない。俺を奈緒人と勘違いして甘えるように抱き
ついてくる玲子の肩を抱いて俺は教室を後にした。

 部屋の前とロビーの床にはっき片付けた男たちが気を失って倒れている。平和なはずの
ピアノ教室には似合わない非現実的な光景だけど、玲子は全く気にする様子がなかった。
ドアを開けると激しく雨が降っていた。傘が見当たらなかったせいで濡れながら駐車場に
向かう。玲子は雨に打たれても全く急ごうとしなかった。

 俺はワゴンにも自分のバイクにも目をくれず、古いクーペのドアにキーを差し込んだ。
さっき探し出したキーはやっぱりあいつらが玲子から奪ったものだった。俺はやたらに強
く俺にしがみついている玲子を引き剥がして助手席に下ろした。

「奈緒人?」

 玲子が傷付いたような目で俺を睨んだ。俺はもう玲子のことを気にするのはやめて運転
席に回りエンジンをかけた。無免許運転だから途中で警察に見つかったら終わりだ。でも
これは最初から覚悟していたリスクだった。

 俺は慎重に車を出した。到着まではひとつも違反をしないようにしないといけない。万
一にでも事故って警察に捕まったら終わりだ。雨はだんだんとひどい振りになっていった。
乗り慣れたバイクとは違って俺も車の運転にはそれほど慣れてはいないのだ。

 車が住宅地を抜け環状線に入ると、傍若無人なドライバーが不慣れな俺の運転する車に
対して幅寄せしてクラクションを鳴らしたり、いきなり割り込んできた。いつもの俺なら
車体をぶつけて喧嘩を売ることくらいはしたと思うけど今はそれどころではなかった。

 暖房が効いてきた助手席でいつのまにか玲子は小さく体を抱えるようにして目を閉じて
いた。雑に着せたブラウスの胸が規則正しく上下している。こんな緊迫した状態なのに俺
は一瞬玲子の姿に目を奪われた。首筋には赤い歯型が生々しく残っている。あいつらが玲
子に執着するのも無理はないと俺は思った。

 それにしてもオーバードーズの方はやはり命に別状はなさそうだ。なので玲子の容態も
気にはなったけど、今は一刻も早く目的地に辿りつくことが優先だった。俺は無理に玲子
から目を離して前方の濡れた路面に集中しようとした。

 やがて俺は玲子の後を付けてたときに来たことがある彼女のマンションの前に何とか辿
り着いた。

 エンジンを止めると急に雨音が身近になった。この分では玲子は自分の部屋に一人で帰
ることはできないだろう。そしてもうこれ以上は俺では何もできない。それに早く仲間を
集めないとヤバイ。いくらなんでも今頃はやつらも意識を取り戻している頃だ。そして有
希に顛末を報告しているかもしれないのだ。

 俺はスマホを取り出し捨てアドからメールを出した。イレギュラーなことになってしま
ったけど俺は何とかここまではやり遂げたのだ。
656 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/29(木) 23:08:02.72 ID:wzcb5MtTo

 自宅のドアを開けると目の前に明日香が立っていたので僕は驚いた。

「明日香、おまえこんなとこで何やってんだよ」

 明日香はそれには答えずに僕に抱きついた。

「おい」

「最近のあたしの勘って結構当たるんだよ」

 明日香が僕の胸に自分の顔を押し付けるようにしながら言った。

「・・・・・・ひょっとしてずっと待ってたの?」

「だから勘だって。お兄ちゃんのことなんかこんなとこでずっと待ってるはずないじゃ
ん・・・・・・って、あ」

 僕に抱き寄せられた明日香が真っ赤になった。

 僕は明日香と抱き合いながらもつれ合うようにソファに倒れこんだ。

「やめてよ、お兄ちゃん乱暴だよ。こら無理矢理はよせ」

 明日香が少しだけ笑って言った。僕はこのとき明日香をソファに押し倒したままの姿勢
で言った。

「有希さんと話をしてきた」

「・・・・・・え?」
 明日香がふざけながら僕に抵抗していた体を凍らせた。「奈緒ちゃんにじゃなくて?」

「奈緒はレッスンを休んでたんだ。それで有希さんと話をした」

「そうか」

 明日香が僕の体から離れて身を起こした。

「有希、怒ってた?」

「うん」

 有希の反応は疑問の余地のないものだった。あれでは誤魔化しようがない。

「そうか・・・・・・」

「おまえと僕が付き合い出したことを聞いてさ。有希さんは自分がおまえに利用されたっ
て思っている。つまりおまえが僕と奈緒を別れさせるために自分の気持を利用したんだっ
て」

「・・・・・・あたし、あのときは本当に有希がお兄ちゃんと付き合ってくれればって思って」

「うん。おまえが僕のことを心配して奈緒と別れさせようとしていたことはわかってる。
でも結果的におまえと僕は付き合しちゃったから、有希さんは素直にはそのことを受け取
れなくなってるんだよ」

「・・・・・・うん」

 明日香はさっきまでの元気を失って俯いてしまった。
657 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [saga]:2012/11/29(木) 23:08:33.45 ID:wzcb5MtTo

「気にするなとは言えないけど」

 僕は明日香の肩を引き寄せて言った。

「でももう仕方ないよ。おまえはやっぱり有希さんには悪いことしたんだよ」

 僕は明日香の涙を指で払った。明日香が僕の方を見た。

「それでも僕だけはわかってるから。ずっと一緒にいるんだろ? 有希さんの怒りも何も
かも僕が引き受けるよ」

「お兄ちゃん」

「だからおまえはもう悩むな。僕が全部引き受けるから」

「いいの? あたし本当にお兄ちゃんに全部頼っていいの」

「うん。僕はおまえの兄貴で彼氏なんだからさ・・・・・・って、え?」

 明日香が僕に抱きついて僕の唇を塞いだのだ。

 口を離しても明日香は僕から離れようとしなかった。もうこれでいいのだ。これでもう
何度目かわからないけど明日香を大切に思う気持ちが僕の中に溢れた。明日香の取った行
動は間違っているにせよその動機は僕のためだ。

「前にも言ったけど、おまえはもっと僕を頼れって。まああまり頼りにならないかもしれ
ないけどさ」

 明日香は何も言わずに子どものように僕に頭を擦り付けているだけだった。

 そのとき、明日香の携帯が鳴り響いた。

 明日香あてのそのメールは差出人不明のメールだった。WEBメールのアドレスからの
送信だ。それはひどく稚拙な文面だった。



『結城明日香さんへ。しんせきの玲子さんが自分のマンションの前の車の中で気を失って
います。早く行って看病してあげてください。玲子さんは命にはべつじょうありませんけ
ど、雨にぬれているのでかぜをひくかもしれません。暖めてあげてください。あと、放っ
ておいても1時間くらいで気がつくと思いますけど起きたら砂糖水をいっぱい飲ませると
はやくよくなります。とおりすがりの者より』
658 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/29(木) 23:09:04.04 ID:wzcb5MtTo

今日は以上です。
659 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(兵庫県) [sage]:2012/11/29(木) 23:31:15.39 ID:NGrKThlqo
池山、よくやった
660 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/29(木) 23:48:33.03 ID:KPIk6B7oo
池山は星になった
661 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/11/30(金) 00:12:31.31 ID:yLVF1byWo
おつ
662 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/30(金) 01:07:48.35 ID:1r7nAWtTo
池山はいいクズ
663 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/11/30(金) 01:12:15.11 ID:BzD44Mcao
いや、単なるクズ
664 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/30(金) 01:35:52.43 ID:IQqbpkmYo
池山は燃えるゴミ
665 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/30(金) 07:12:33.76 ID:HvWHhClIO
池山
信じてたぞ……!
666 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長崎県) [sage]:2012/11/30(金) 13:23:26.62 ID:CMsQTK0m0
池山ァ!!
667 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/12/01(土) 00:16:38.10 ID:GBQ3nFb8o
今日はこんか
668 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/12/01(土) 02:03:11.46 ID:HKHQWsdp0
クズはクズだが、どこまでも自分本位だから都合が悪くなれば有希にも逆らうってだけだろうなww
とりあえずがんばれ
669 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:31:01.65 ID:LrpdIN9mo

 僕が叔母さんの様子を見に行くからおまえは家で待っているようにと言ったのだけど、
明日香は一緒に行くと言い張って、結局僕に着いて来てしまった。明日香は幼い頃から叔
母さんに育てられたようなものだったし、叔母さんが気を失っていると聞いていてもたっ
てもいられなくなったのだろう。

 とにかくそのメールが嘘でないなら明日香と言い争っている場合ではない。僕たちは傘
をさして雨の中を駆け出した。僕は真っ直ぐに駅の方に向かったのだけど、途中で後ろか
ら着いて来ているはずの明日香が僕を呼ぶ声がした。

 振り向くと明日香は空のタクシーを停めていた。確かに悠長に駅に行って電車を待って
いる場合ではない。動転しているだろうに明日香の方が僕より冷静に判断したようだ。

 車内で明日香はほとんど喋らなかったけど不意に僕の手を握った。繋いだ手が細かく震
えている。明日香にとって玲子叔母さんがどういう存在なのかその手の震えによって僕は
改めて思い知らされた。僕は自分の過去を叔母さんに教えてもらったとき、叔母さんがそ
の頃の叔母さんや明日香の様子についても話してくれたことを思い出した。

 明日香の保育園の送り迎えをしていたのはいつも当時大学生だった叔母さんだった。小
学校で突然発熱したり怪我をしたときに迎えに来たのもやはり叔母さんだ。

 明日香の小学校の卒業式には両親は参列したらしいけど、その日のために明日香の洋服
を準備したのも叔母さんで、結局仕事で参加できなかった両親の代わりに中学校の入学式
に自分の取材の途中で駆けつけたのも叔母さんだった。

 明日香とこういう仲になって明日香の部屋に入ることを許されたとき、僕は明日香の机
の上に飾られていた写真立てを見た。誰かに頼んで撮ってもらったのだろう。写真の中で
はまだ不貞腐れる前の明日香が叔母さんの腕を抱いて照れくさそうな顔で写っている。叔
母さんも写真の中で明日香の隣でまるで年の離れた姉のように微笑んでいた。

 明日香が言ったように僕にとっても叔母さんは母親替わりだったかもしれない。でも明
日香にとっては叔母さんはある意味それ以上の存在なのだろう。

 二十分後くらいに僕たちは叔母さんのマンションの前に着いた。メールに記されていた
とおり叔母さんの自慢の車が雨の中に放置されていた。

 僕がタクシーの支払いをしている間に明日香はタクシーから飛び出して叔母さんの車の
方に走って行った。支払いを終えた僕も慌てて明日香の後を追った。
670 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:32:08.40 ID:LrpdIN9mo

 叔母さんを立たせ車の外に連れ出すのは大変な作業だった。何せ叔母さんは半ば覚醒し
半ば意識が虚ろな状態だった。

 マンションの集中ロックを解除し僕たちを中に入れてくれたのは明日香だったけど、エ
レベーターの中でびっしょりと濡れた叔母さんを必死で支えている僕に対する視線は不機
嫌そうなものだった。さっきまでの必死なほどの心配は明日香の表情から失われていた。

「何で車の中で叔母さんはお兄ちゃんに抱きついたわけ?」

 明日香が疑わしそうに僕と叔母さんを交互に眺めた。僕が駆けつけたとき明日香は既に
運転席側のドアを開けて車の中に顔を突っ込んでいた。助手席には叔母さんがぐったりと
横になっている。明日香では心もとないと思った僕は彼女をどかせて運転席に入り込んだ。
そして目をつぶっている叔母さんに声をかけたのだけど、叔母さんは反応しなかった。

 このままでは埒が明かない。叔母さんの状態が心配になった僕はぐったりとしている叔
母さんの体に手をかけた。こんなときだけど手に触れる叔母さんの体は少女のように華奢
な感触だった。昨日抱いた明日香よりももっと。どちらかというと奈緒を抱きしめときの
感触に近い。

 僕が叔母さんの体をそっと起こそうとしたとき叔母さんは突然目を開けて細い腕を僕の
首に回して僕に抱きついた。

「奈緒人・・・・・・」

 叔母さんの囁き声が耳元で聞こえた。

「な・・・・・・! 何やってんのよ二人とも」

 叔母さんの行動の意味を考える暇もなく明日香が無理矢理狭い車内に突入してきて僕か
ら叔母さんを引き剥がした。

 ようやくエレベータの中に叔母さんを連れてきた僕は明日香に睨みつけられた。叔母さ
んは再び目を閉じてしまい体からも力が抜けている。

 明日香の見境のない不機嫌さに付き合っていられる状況ではなかった。僕はそのとき手
を緩めたらすぐにでも床に倒れそうな叔母さんの体を必死で抱えていたのだから。

「いったい叔母さんってどうしちゃたのよ」

 明日香が不信感を露わにして言った。

「知らないよ、そんなこと。それよりおまえも叔母さんを支えるの手伝って・・・・・・」

「もしかして叔母さんって酔っ払っているだけじゃないの? 酔って・・・・・・お兄ちゃんに、
甥に抱きつくなんて叔母さん最低」

「違うだろ。お酒の匂いとかしないし」

「寝ぼけているだけには見えないよ・・・・・・叔母さん大丈夫?」
 再び不安そうに叔母さんの顔を覗いた明日香が顔色を変えた。「お兄ちゃんこれって」

「何?」

 僕はもたれかかってくる叔母さんの体を必死で支えながら明日香の視線を追った。

 玲子叔母さんの細い首に赤くくっきりと残っていたのは誰か刻まれた歯型だった。
671 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:32:45.79 ID:LrpdIN9mo

「叔母さん何があったの? 誰にこんなことされたのよ」

 明日香が取り乱して叔母さんの肩を揺すったので、叔母さんを支えていた僕までよろめ
いた。見た目は細いけど背丈はそれなりにある叔母さんの体重をまともに受けたからだ。
叔母さんは崩れかかった体を僕に預けたまま目を閉じているままだ。

「これって・・・・・・。叔母さんもしかして誰か男の人に襲われたの?」

 明日香が震える声で言った。

 明日香だけでなく僕も動揺していた。いつも快活に僕たちの面倒を見てくれた玲子叔母
さんの首筋に印された赤い歯型。それは玲子叔母さんに襲い掛かった暴力の証拠だった。

「ねえお兄ちゃん、どうしよう。どうしよう」

 自分が襲われた後にはあれだけ気丈に振る舞っていた明日香が取り乱した声で言った。

 僕も内心は同じ気持ちだった。それこそフラッシュバックのときのような吐き気が僕を
襲ってくる予感すらする。僕は明日香を安心させようとしたけど口からは何も声に出せな
かった。情けないことに、最愛の恋人で妹でもある明日香を慰めることすらできないこと
に狼狽するばかりで。

 そのときエレベーターのドアが開いた。僕はとりえず体を縛っているものから解放され
た。

「とにかく叔母さんを正気にしないと。話はそれからにしよう」

「でも、救急車とか呼ばなくていいの」

「わからない。でもすぐにどうこうなるとは思えない。とりあえず部屋の鍵を開けて」

 明日香が震える手でさっき叔母さんのスーツの上着から見つけたキーを取り出した。手
が震えているせいで明日香はなかなか叔母さんの部屋のドアを開けられなかった。
672 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:33:21.36 ID:LrpdIN9mo

 叔母さんの部屋に入った僕たちは当面しなければいけないと思うことに直面したせいで、
しばらくは叔母さんの身に起きたことを考えずにすんだ。

 僕は叔母さんを寝室のベッドに寝かせた。とりあえず濡れた服を脱がして体を拭かない
といけない。それで僕は明日香に部屋を追い出された。一度しなければいけないことを見
つけた明日香はもう迷わなかった。

 それでやることのなくなった僕は叔母さんの部屋のエアコンを入れた。リビングからは
いつも目を奪われる素晴らしい夜景が広がっていたけど、今の僕には全く意識の中に入っ
てこなかった。

 仮に叔母さんが明日香と同じ目にあったのだとしたら。僕は考えただけでも頭に血が上
った。明日香が襲われたと聞いて湧き上がった殺意が再び沸き起こってくる。玲子叔母さ
んを、よりにもよって僕たちの大切な玲子叔母さんをもし傷つけたやつがいるならただじ
ゃおかない。

 でも同時に僕は自分には何ができるのだろうと考えざるを得なかった。僕はあまりにも
非力だ。心の中で思うことは一つとして実行したことがない。

 いやそうでもない。最近では奈緒に告白したり明日香に告白したりはした。でも僕がし
たことなんて相手の告白に応えただけだ。自分から行動を起こしたことなんて一つもない。

 警察の平井さんも玲子叔母さんも僕のことを買いかぶっていた。僕が明日香のために行
動を起こすと思い込んでいたのだから。

 でもその実ここまで僕がしたことは何だったか。叔母さんに頼って明日香を退院させた。
気が弱っていた明日香をさぞ偉そうに慰めた挙句、興奮に負けて明日香を抱いた。明日香
への気持は嘘じゃないと思うけど、実際にしたことはその程度のことでしかなかったのだ。

 自分への後悔の念に思い悩んでいた僕は明日香の呼び声にやっと気がついた。

 叔母さんの体を拭いて着替えさせていた明日香が僕を呼んでいる。僕は再び寝室のドア
を開けた。

 ベッドの上で玲子叔母さんが下着姿で仰向けになって寝ていた。

「おい・・・・・・! まだ叔母さん服着てないじゃんか」

 僕は叔母さんを一目見て慌てて言った。

「うん。でもお兄ちゃんにも見ておいて欲しくて。叔母さんの体を見て」

 僕はとっさに叔母さんの半裸姿から逸らした目を戻して、改めて叔母さんを眺めた。

 ・・・・・・首筋の噛み跡どころではなかった。明日香によって上下の下着だけ着せられて寝
入っている叔母さんの肌には、両腕から両足にいたるまで点々と赤い痣がまるで絵の具で
塗ったように散りばめられていたのだ。
673 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:34:00.28 ID:LrpdIN9mo

 その夜は僕たちは家に帰らずに叔母さんのマンションで過ごした。明日香は叔母さんの
寝室で、僕はリビングのソファで横になろうとした。叔母さんは今のところ安らかに眠っ
ているようだけど、容態の急変を心配した明日香は眠らずに叔母さんの様子を見ると言っ
た。

 明日香一人で看病させるわけにもいかないので、結局僕たちは寄り添って叔母さんのベ
ッドの脇に毛布を引いて横になった。エアコンのせいで寒さは感じない。僕たちは二時間
くらい交代で叔母さんの様子を見ることに決めた。今日はいろいろあって明日香もショッ
クだったろうから、最初は僕が寝ずに叔母さんの様子を見ることにした。明日香はしばら
くは不寝番をしている僕に寄りかかってうとうとしていたけど、そのうちに横になって寝
入ってしまった。僕は明日香に毛布をかけて、さっき明日香よって再び服を着せられた叔
母さんの様子をうかがった。

 何事も起こらずに二時間が経過した。その間僕はほとんどの時間を叔母さんを眺めるこ
とに費やした。容態は安定しているみたいで規則正しく毛布の下で叔母さんの胸が上下し
ている。呼吸も乱れていないようだ。そんな叔母さんの顔を眺めていると二時間はあっと
いう間だった。

 それだけ叔母さんのことが気になっていたのだろう。僕にとって母親以上に大切な存在
の叔母さんが。

 それに落ち着いて来るとさっき叔母さんに抱きつかれたときの感触がしつこく意識の中
に蘇ってきた。忘れようと思うのだけどそのときの華奢な叔母さんの骨格の感触は意識を
離れようとしてくれなかった。

 雨に濡れた叔母さんのブラウス越しに白い肌を見たときと同じだ。自分では叔母さんの
ことは叔母として母親として慕っているつもりなのに、叔母さんの女性の部分を意識して
しまう自分の汚い心を制御できないのだ。

 叔母さんを看病しているのだから彼女から目を離すわけにはいかない。僕は自分に言い
訳しながら叔母さんの顔をじっと見つめていた。いわれのない衝動を押さえつけながら。

 そんなことを繰り返していると明日香を起こして交代することも忘れてしまっていた。
それどころか僕は思わず悩ましい衝動と戦いながらうとうとしてしまったようだった。

 短い夢を見た。夢の中で玲子叔母さんはさっきのように僕の首に細い両腕を回して僕に
抱きついてきた。僕の視界は叔母さんの整った顔で溢れている。そしてその表情は官能に
満ちたものだった。

『奈緒人・・・・・・。奈緒人』

 叔母さんが悩ましい声で囁いた。男っぽくさっぱりした叔母さんのそんな声を聞くのは
初めてだった。いやこれは夢なのだから僕の想像なのだろう。
674 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:34:31.83 ID:LrpdIN9mo

『奈緒人?』

「奈緒人・・・・・・? 明日香もいるのか」

「こら奈緒人、起きろ」

 突然僕は叔母さんの大声で起こされた。

「あんたたち、あたしの部屋で何やってるの」

 思わず床に横になった明日香に寄り添ってうとうとしていた僕は叔母さんに起こされた
のだ。

「叔母さん」

「叔母さんじゃないよ。あんたたち何でいるの」

「何でって・・・・・・」

 さっきまでの酩酊していたような様子は叔母さんには全くない。明日香じゃないけど本
当に酔っていて記憶がないのだろうか。仮に男にひどいことをされたとしても記憶がない
のならそれは叔母さんにとっては幸せなのかもしれない。

「ごめん、もう二時間たったの?」
 物音に起こされたのか明日香も体を起こした。「起こしてくれればよかったのに、っ
て、え?」

 ベッドから出て立っている玲子叔母さんの姿に驚いた明日香が口ごもった。叔母さんが
部屋の灯りをつけた。

「明日香、あんたねえ。奈緒人といちゃいちゃするのは勝手だけど、何であたしの部屋に
忍び込んでそういうことするのよ。もしかして独身のあたしに見せびらかしたいの?」

 少しだけ笑いを含んだ表情を見せて叔母さんが言った。驚きが収まったのか叔母さんの
声が柔らかくなっていく。

「あたしいつの間に寝てたんだろ? つうかあんたたち、どうやって部屋に入ったのよ」

 叔母さんに何が起きたのか僕たちにはわからなかったけど、叔母さんが意識を取り戻せ
ばそれはわかると思っていた。確かに叔母さんにとっては思い出すことすら辛いことだっ
たのかもしれないけれど。でも叔母さんにはちょっと前の記憶が全くないようだった。

 まるで何事もなかったような叔母さんの様子に僕は一瞬だけほっとした。僕の昔の記憶
じゃないけど忘れた方がいい記憶もある。叔母さんにとって辛い出来事が起きたのだとし
たら思い出さないほうがいいのではないのか。

 でもすぐに僕は叔母さんの肌に記された赤い痣を思い浮かべだ。叔母さんが自分の体
刻み付けられたその痣に気が付くのは時間の問題なのだ。
675 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:35:02.39 ID:LrpdIN9mo

「何か頭痛いなあ」

 叔母さんが言った。

「叔母さん、何か甘いものを飲んだほうがいいよ」
 気を取り直した明日香が言った。「砂糖が入っている飲み物が叔母さんの体にはいいん
だって」

「いらない」
 叔母さんは一言で切り捨てた。「どうせならシャワー浴びてからビール飲みたいな。何
か体がべとべとする。仕事しながら寝ちゃったのかな」

「今日はもう遅いしこのまま寝ちゃったら」

 明日香が必死になって笑顔を作っていることがわかった。

「何でよ」

「頭痛いなら風邪ひいてるかもしれないし、シャワーとかよくないよ。お酒もだめ」

「・・・・・・何か偉そうじゃん明日香は」

 叔母さんが不服そうに言った。

「うるさいなあ。風邪ひいてるときくらい叔母想いの姪の言うこと聞きなよ」

「はいはい」

 叔母さんは笑った。その笑みはとても幸せそうで、そのことに僕は逆に心が痛むのを感
じた。

「何であんたたちがここにいるのかは知らんけど、お言葉に甘えてあたしは寝るからね」

「うん。そうした方がいいよ。甘いもの飲む?」

「アルコールが駄目なら何もいらない」
 叔母さんが再びベッドに横になって拗ねたように言った。「あんたたち、ここに泊まる
のはいいけど、結城さんか姉さんには話してあるんでしょうね」

「あるある」

 明日香が笑顔で嘘を言った。

「ならいいけど。確かにあたしはあんたたちの味方するとは言ったけど、あたしの寝室で
イチャイチャしてたら追い出すからね」

「しないよ」

 どういうわけか明日香が静かな声で言った。
676 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/01(土) 22:36:25.23 ID:LrpdIN9mo

 それからしばらくは沈黙が続いた。僕と明日香は叔母さんのベッドの傍らの床の上で、
毛布に包まって横になった。さっきから再び寝入った叔母さんの規則正しい寝息が聞こえ
てきた。

「お兄ちゃん、寝ちゃった?」

 耳元で明日香の囁き声がした。

「いや」

 僕は叔母さんを起こなさいようにできるだけ静かな声で返事した。

「お兄ちゃん、ごめん。明日も学校休める?」

「何で?」

「叔母さん、明日着替えで裸になったら絶対自分が何をされたか思い出すか、思い出さな
くても悩んじゃうと思う」

 明日香が玲子叔母さんの裸身に無残に記された赤い痕跡のことを話していることはすぐ
にわかった。

「叔母さんって意外と初心だし、あたしみたいに割り切れないと思う。だからお兄ちゃん、
学校を休んで叔母さんのそばにいてあげて」

「おまえはどうすんの?」

「あたしはいない方がいいの」

「何でさ? 二人で看病した方が」

「あたし絶対に嫉妬しないって誓うし、お兄ちゃんのことは信じてるから」

「何だよさっきから。言ってる意味がわかんないよ」

「あたしにとって玲子叔母さんはお兄ちゃんと同じくらい大切なの」

「・・・・・・・うん。僕だってそうだ」

「なら」

 相変わらず声を潜めている明日香は体の向きを変えて僕に抱きついた。

「なら。叔母さんのことを支えてあげて。叔母さんがお兄ちゃんに求めるならどんなこと
をしてでも」

「おい」

 明日香が何を仄めかしているかを悟った僕は慌てた。

「いいの。叔母さんがお兄ちゃんを求めるなら応えてあげて。お兄ちゃんが叔母さんを抱
きしめてもキスしても嫉妬しないように頑張るから」

「だから、絶対に叔母さんを支えて。叔母さんが壊れないようにして。お兄ちゃんになら
できるよ」

 僕は叔母さんの寝息だけが聞こえる静かな寝室で、僕の大事な恋人である明日香の非常
識な提案に凍り付いていた。
677 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/01(土) 22:36:56.52 ID:LrpdIN9mo

今日は以上です。
678 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/01(土) 23:04:54.98 ID:nv4N1xZDO
乙っした

これは叔母さんに春来るか!?w
679 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/02(日) 00:50:34.85 ID:WDopb0xIo
680 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 01:09:29.50 ID:rJlaiPen0
乙乙
681 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 02:05:14.18 ID:UFK2PPlEo
ええとこで

乙んこ
682 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 13:05:41.80 ID:UkZgwrFAo
683 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 16:07:56.46 ID:JlvE/KzFo
おつ
684 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/03(月) 22:05:49.61 ID:4ZIpdgQYo
わくてか
685 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:50:44.93 ID:iY2oifS4o

 明日香の言葉に混乱しながらも僕はいつのまにか寝入ってしまったようだ。叔母さんの
明日香の話し声によって僕は目を覚ました。外はどんよりとした曇り空が見えていたけど
朝になっていたのは間違いなかった。

「あたし仕事行かないと」

 叔母さんはベッドに入ったまま明日香に文句を言っていたけど、明日香は叔母さんの言
葉を一言で切り捨てた。

「だめ」

「だめって、あんた」

「風邪引いてるんだから今日は寝てなさい」

「風邪ごときで休めるわけないでしょ。あんたみたいにサボりまくるわけにいかないんだ
って。社会人としては」

「今日会社に行ったら叔母さんとは絶交するからね」

 叔母さんはむっとしたような面白がっているような複雑な表情を見せた。

「別に。明日香ごときに嫌われたって、あたしには全然気にならないけどね」

「そういうこと言うんだ。じゃあ、あたしにも考えがあるよ」

 それは普段なら叔母と姪の仲の良い掛け合いなのだろうけど、明日香の気楽そうな表情
の下にどんなに必死な思いがあるのかは叔母さんには伝わっていなかっただろう。

「叔母さんがパパのこと昔から好きだってパパに言いつけちゃう」

 それにしたって言うにこと欠いてそれを言うか。僕の彼女はこうと決めたら半端じゃな
い。

 叔母さんが赤くなった。まるで高校生の少女のようだ。何となくその表情にそのときの
僕はもやもやした割り切れない感想を抱いた。

「おい、明日香。ふざけんな」

 叔母さんが言ったけど顔を赤くしたままなのであまり迫力はない。まだ床に敷いた毛布
の上で横になりながら僕は叔母さんの赤い顔を見て何か心にが引っかかった。叔母さんは
仕事と明日香のために二十代の大半を捧げてきたのだ。そんな叔母さんが恋をしているな
らそれは喜ぶべきだ。それがたとえ報われない恋であっても心の中に秘めている間であれ
ば。

 誰かに恋している叔母さんの表情は僕にとって微笑ましく好ましいものだったはずだ。

 ・・・・・・まさか、明日香の彼氏となった僕が自分の叔母の父さんに対する恋情に嫉妬する
わけはない。目の前には今では僕にとっては誰よりも大切な明日香がいるのだし。

 寝入る前の明日香の言葉は今でも重く僕に圧しかかっていた。もう一度明日香に確認し
たい。でも明日香の衝撃的なお願いに悩んでいた僕が目覚めたときには、もう明日香は家
に帰る支度をして起きると駄々をこねている叔母さんと押し問答していたのだ。叔母さんに
内緒で明日香と話をする機会は失われていた。

「わかったよ。あんたが心配してくれている気持ちに免じて今日は休むよ」

 何だか悔しそうでもあり嬉しそうでもある表情で叔母さんが根負けしたように言った。

「やっと言うことを聞いたか」

「だけど結城さんの件は完全にあんたの思い違いだからね。余計なこと結城さんに言うん
じゃないよ」

 叔母さんは顔を赤らめたまま明日香に念押しした。

「ぞういうことにしておいてあげるよ」

「明日香!」

 叔母さんが顔を赤くしたままで大きな声を出した。
686 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:51:58.69 ID:iY2oifS4o

 叔母さんと会話しながらも明日香は既に帰り支度を始めていた。といっても部屋着のま
ま駆けつけてそのまま寝てしまったので明日香は皺になった服を直す素振りをしていただ
けだ。

「叔母さんの監視役としてお兄ちゃんをここに置いていくからね」

「学校はどうするのよ、あんたたち」

「あたしはこれから行くよ。さすがにもう休めないし」

「僕は今日は休むよ」

 叔母さんがベッドの上で座り込みながら僕の方を見下ろした。

「何だあんたも起きてたの」

「うん。今起きた」

「あたしの看病をだしにしてサボろうとするなよ。学校行けよ」

「ごちゃごちゃうるさいなあ。もう結城家兄妹会議で決まったの! お兄ちゃんをここか
ら追い出したらパパに・・・・・・・」

「わかった、わかった。わかったから。何でそんなに必死なのよ」

 叔母さんが慌てて言った。

「・・・・・・大切な叔母さんのためだよ」

 明日香は叔母さんにはそう答えた。でも視線は僕の方に向けられていた。昨夜の明日香
のお願いは今でも本気のようだった。まるで泣きそうな表情で僕を見つめている。僕は思
わず明日香を見てうなずいた。

 叔母さんは目ざとく僕たちを見ていたようだ。

「その恋人同士のアイコンタクト、むかつくから止めろ。あんたたちはあたしへの当てつ
けでやってるのか」

 泣きたくなるよ本当にと叔母さんはぶつぶつと続けた。

「そんな訳ないでしょ。泣きたいのはあたしの方だよ」

 その一瞬だけ明日香の表情が暗くなった。

「うん? 何だって?」

 叔母さんが怪訝な顔をした。

「何でもない。じゃあたしもう行くね。叔母さんちゃんと休むんだよ」

「わーったって」

「お兄ちゃんお願いね」

 それだけ言い残して明日香は出て行った。明日香らしくなく元気のない後ろ姿で。
687 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:52:27.26 ID:iY2oifS4o

 最後に僕を一目見て明日香が出て行くと急に沈黙が訪れた。叔母さんはベッドで座った
まま黙ってしまった。

「・・・・・・あんた、本当に今日休んでいいの?」

 叔母さんが明日香がいたときの様子とは異なり小さく言った。

「うん。もともと明日香の容態によってはもっと休むつもりだったし」

「あたし、本当に何でもないのに。一緒にいてくれるのはいいけど、あんた何もすること
なくて退屈すると思うよ」

 叔母さんが駄々をこねるように言った。まるで幼い女の子みたいに。

「まあ、叔母さんと一緒にいて退屈したことはないし。はらはらしたことはいっぱいある
けどね」

 僕は笑った。

「何だと・・・・・・まあいいか。ちょっとトイレ」

 叔母さんが部屋を出て行った。僕は起き上がって昨日から着替えていない服装を何とか
整えようとしたけどそれは無駄な努力だった。切実に着替えたい。でも無い物ねだりをし
てもしかたがない。それにしてもトイレに行ったくらいなのに叔母さんは戻ってこない。

 今日は叔母さんの世話をするのだ。始めるには早い方がいいだろう。とりあえず僕はよ
れよれの服装のままリビングに出て行った。

 リビングのソファにトイレから戻っていたらしい叔母さんが座っていた。叔母さんの手
は首筋に付けられた赤い歯型を確認するように撫でていた。僕はそのとき凍りついた。

 物音に気が付いて叔母さんが僕を見上げた。

「・・・・・・奈緒人」

 トイレにも鏡はある。叔母さんが服を脱いで自分の体を確認しなければ大丈夫だと僕は
思っていたのだけど、自分の首筋を確認するのには服を着たままでも鏡を一目見るだけで
十分だった。て悪いことにその痣は明確に歯の形を残している。どこかに偶然にぶつけた
ものではないことは誰が見たって一目瞭然だった。

「叔母さん」

 僕は叔母さんに答えた。叔母さんが理解できないというような虚ろな目で僕を見ていた。

「あたし、思い出したわ。昨日自分に何が起こったか」

 叔母さんの身に何が起きたのかは明白だった。それは叔母さんの裸身に印されている痕
跡を見れば疑問の余地はない。わからなかったのはなぜということだった。でも今はそん
なことを気にしている場合でもなかった。

「記憶はね、だいぶぼやけているの。途中で薬物みたいなのを注射されたせいだと思う」

 叔母さんが話し続けた。

「つらかったら今は思い出さないほうがいいかも」

「思い出しちゃったんだもん。高校生くらいの男の子たちに襲われたことを。注射される
前までは鮮明に覚えているよ」

「叔母さんもうよせって」

 僕の制止を気にせず突然叔母さんが昨夜明日香に着せられたスウェットの上着を捲り上
げ自分のお腹を剥き出しにして眺めた。僕は目を逸らしたけど叔母さんの肌に記されてい
るものはわかっていた。

 やがて叔母さんが静かに泣き始めた。
688 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:53:46.87 ID:iY2oifS4o

 僕は叔母さんを慰めようと思ったのだけどこういう状況下では言葉はあまりに無力だっ
た。気にするなよとか狂犬に噛まれたとでも思って忘れろよとか言えばいいのか。僕は改
めて明日香の言葉の意味とその背後の悲壮な決心に気が付いた。

 明日香は嫉妬深い恋人だ。その彼女が叔母さんを救うためには僕に何でもしてもいい
(正確にそう言ったわけではないけど)と言うくらいまで思い詰めていたのだ。このとき
の僕は自分の彼女である明日香への愛情を全身で感じそして震えた。

 同時に明日香から託された役目のことも忘れてはいなかった。明日香への信頼と愛情か
らする行為なら叔母さんにもわかってもらえるだろう。甥っ子にこんなことをされて気持
ち悪いと叔母さんが思うようならすぐに止めればいいことだ。

 とにかく今は叔母さんを救うのだ。

 僕はソファに座って俯いて泣いている叔母さんの隣に座った。そして叔母さんの震えて
いる華奢な肩を抱き寄せた。

 ・・・・・・もっと気が利いた慰め方もあるのかもしれない。でも不器用な僕にはこの方法し
か思いつかなかった。それはかつて奈緒や明日香に対して試みた不器用な僕の唯一の愛情
表現だったのだ。

 突然甥に抱き寄せられた叔母さんの体が震えた。

 このときの僕は傲慢だった。明日香にから叔母さんが僕に対して好意持っていると何度
も言われたせいかもしれない。叔母さんが男として僕を気にしているとは信じてはいなか
った。でも心のどこかで叔母さんは僕に抱かれて慰められれば喜んでくれるだろうという
程度の気持ちは確かにあったのだ。

 だから僕は偉そうに叔母さんを抱き寄せたのだ。でも叔母さんの反応は期待していたよ
うなものではなかった。

 甥に突然抱き寄せられた叔母さんは体を震るわせたあと、身を固くして凍り付いてしま
った。もちろん期待していたように僕に体を預けて慰めを求めてくるなんてことはなかっ
たのだ。

 叔母さんの思わぬ反応に狼狽した僕はまた間違えた。ここで叔母さんの体から手を離し
て謝ればよかったのだ。焦った僕は何も反応を見せずに俯いて体を固くしている泣き顔の
叔母さんを抱き寄せてしっかりと抱きしめたのだ。叔母さんの小柄な体は少しだけ弱く抵
抗したけど僕は叔母さんを抱きかかえて離さなかった。

「僕を頼ってよ、叔母さん。一人で悩むなよ・・・・・・叔母さんのことが本当に心配なんだ」

 僕は叔母さんの反応に半ば逆切れしたように大声を出してしまった。

 そのとき叔母さんは怯えたような目で僕を見た。
689 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:54:29.89 ID:iY2oifS4o

 玲子おばさんが怯えている。まるで昨日見知らぬ男たちに乱暴されたことを再び自分の
体に強いられそうな予感を感じ取ったように。

 これでは叔母さんを襲っているのと同じだ。慰めようとしたしたにせよ、それを拒否し
ている叔母さんを無理矢理に抱きしめている僕のしていることはセカンドレイプそのもの
じゃないか。明日香の言うことを信じすぎた僕が愚かだったのだ。

 急速に気持ちが冷めて行った。叔母さんに拒否されたという自分勝手なショックで力が
入っていた腕が脱力していく。僕は知らないうちに泣き出していた。勝手に叔母さんを慰
めると力んで叔母さんを抱き寄せ、結局怯えた表情の叔母さんに拒否された僕は本気で泣
いていたのだった。

 でもこのときまるで自分を犯そうとしている男を見るようだった叔母さんの怯えた表情
が少し変化した。叔母さんの体からゆっくりと力が抜け叔母さんは僕の手に体を委ねるよ
うに寄りかかってきた。叔母さんは怯えた表情をおさめ、逆に僕を気遣うような表情をし
た。涙も収まっている様子だった。

「奈緒人ごめんね」
 叔母さんが静かに言った。「あんたはあたしを慰めようとしてくれたんだね」

「叔母さんごめん。でも叔母さんが泣いてるとこなんか見たくなかったから」

 僕に抱かれていた叔母さんがうっすらと涙が残る目で僕を見上げた。僕が何でごめんと
言ったかはもう叔母さんにはわかっていたと思う。でも、そのことにあえて叔母さんは触
れなかった。

「・・・・・・あたし、泣いてなんかいないよ」

「泣いてたよ」

 叔母さんは本当は僕なんかに抱かれて気持ち悪い思いをしているのかもしれなかった。
ただ僕の気持ちを気遣ってごめんって言ってくれて、僕から身を離さないで我慢してくれ
ているのかもしれない。

 本当にこのときの僕は愚かだったと思う。奈緒や明日香に対する行動だってたいがい空
気を読めなかった僕だけど、このあとの僕の態度は暴走もいいところだったのだ。

 叔母さんを慰めたかった気持ちは嘘じゃなかった。でも叔母さんの思いがけない許容に
対して僕が取った手段は誰にとっても何もいいことではなかったし、言い訳のしようもな
いことだった。

「泣いてな・・・・・・あ」

 僕は驚いた表情で抗おうと無駄な努力をする叔母さんの唇を奪ったのだ。

 唯一の免罪符である明日香の言葉がそのとき胸の中に大きく響いていた。それが何の役
にも立たない自分への言い訳であることはわかっていたけど。



『いいの。叔母さんがお兄ちゃんを求めるなら応えてあげて。お兄ちゃんが叔母さんを抱
きしめてもキスしても嫉妬しないように頑張るから」

『だから、絶対に叔母さんを支えて。叔母さんが壊れないようにして。お兄ちゃんになら
できるよ』
690 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/03(月) 23:55:57.40 ID:iY2oifS4o

 これはお世話になっている叔母さんを救うためだ。僕はそのときはそう考えてた。でも
冷静に考えればこの対処方法には合理的な理由がない。甥にキスされれば叔母さんが襲わ
れた悩みを忘れるとでも言うのか。

 忘れたとしてもそれは最初のつらいいできごとを二度目のつらいできごとで上書きして
いるだけかもしれない。僕なんかに抱かれて突然自分の唇を奪われることだって十分以上
に嫌な経験なのだろうから。

 明日香の言葉が脳裏をかすめた。



『いいの。叔母さんがお兄ちゃんを求めるなら応えてあげて。お兄ちゃんが叔母さんを抱
きしめてもキスしても嫉妬しないように頑張るから』



 求められてさえいないじゃないか。僕はそう思った。これは自分の腕の中で震えている
叔母さんの華奢な肢体に対して性欲をぶつけているだけではないのか。明日香の言葉を、
叔母さんを救うのだという目的をいいことに自分の中の衝動にしたがっただけの行動では
ないのか。

 それでも僕が長いキスを続けていると叔母さんの強張っていた体が柔らかくなった。叔
母さんはもう僕に抵抗しようとしなかった。次第に罪の意識が薄れた僕は必死で叔母さん
の体を自分の方に抱き寄せながら、叔母さんの口内を夢中になって探索しはじめた

 これまで力なく下に下ろされていた叔母さんの腕が僕の首に回された。叔母さんの細い
腕が考えていたより強く僕に巻きついてくるのを感じながら、僕は長いキスを半ば無理矢
理に叔母さんに強い続けた。
691 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/03(月) 23:56:58.98 ID:iY2oifS4o

今日は以上です。

次回でこの章は終了します。そして次回投下したら久し振りに女神の更新に戻る予定です。

ここまで駄文にお付き合いありがとうございます。
692 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/04(火) 01:30:57.91 ID:wjNGIsajo
693 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/04(火) 02:06:15.68 ID:2O0F6HO1o
乙した

694 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/04(火) 10:35:45.73 ID:dLPO1b1po
695 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/04(火) 12:31:38.38 ID:S6K+N2Lco
これ一番のビッチって・・・・・
696 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/04(火) 21:14:18.03 ID:F0fzrevz0
乙乙。

続き楽しみに待ってるぜぃ
697 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/04(火) 22:42:20.40 ID:ED3YQkcgo
おつ
698 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/05(水) 02:33:59.28 ID:gZD3o3a5o
確かに奈緒人が一番ビッチだな
699 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/05(水) 10:25:54.68 ID:qsybR3r8o
ビッチじゃなくてヤリチンだな
700 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/05(水) 12:28:26.05 ID:DDPyytnAo
だがそれもいい
701 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/05(水) 22:59:28.31 ID:YNI1Bhpl0
正直この話で一番のクズは奈緒人だと思うんだが
行動が一々イライラする
702 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:07:13.11 ID:Upuk+rYRo

 もうこれは奇麗事では済まない。この行為は叔母さんを慰めたいとかそういうことでは
全くない。叔母さんを抱き寄せるところまではそう自分に言い訳できたかもしれないけど、
叔母さんの唇を奪ったのはどう考えても衝動に身を任せたからだ。それも性衝動以外には
説明のつかない理由で。

 僕は叔母さんを僕の口と腕から解放しながら落ち込んでいった。

 明日香に責められるたびに叔母さんに対しては恋愛感情なんてあるわけないだろと言い
訳していたのは本心からだった。でも叔母さんの体に性的な興味が全くなかったかという
と、あの雨の日に叔母さんの濡れた肌を覗き見た頃からは、正直全くないとは言い切れな
くなってしまっていた。

 僕から腕を離して体を小さくして俯いている叔母さんの方を僕は見た。叔母さんの目に
涙が浮かんでいるのを見た僕は自分の無分別な行動を後悔した。

 今のキスは何だ。

 まるで一方的に叔母さんの口を犯しているようなあれは何だ。明日香の許容範囲だって
超えていることは間違いない。そもそも明日香は大切な叔母さんを慰めるためならという
前提で僕に話をしていたのだ。決して叔母さんを泣かせて昨日に引き続き叔母さんに同じ
ような苦痛や恐怖を与えるためなんかではない。

 それなのに今のキスは僕の叔母さんに対する歪んだ性衝動を押し付け、再び叔母さんの
心を傷つけただけではないか。

 これだけのことをしておいて自分勝手なことに、僕は気分が悪くなってきた。一瞬の愚
かな行動のせいで叔母さんを傷つけただけではなく、自分に対しても新しいトラウマを生
み出してしまったのだ。僕はソファに座っていることができずに床にずるずると倒れこん
でいった。

 そのとき叔母さんが僕の様子に気が付いた。まだ濡れた瞳をそのままにして叔母さんが
僕を抱えた。

「大丈夫? しっかりして奈緒人」

 その声は泣いている表情とは裏腹にしっかりしたものだった。僕は叔母さんに抱きかか
えられてソファに横にされた。すごく自分勝手な感情だったけど、僕は叔母さんに抱きし
められていることに不思議な安心感を抱いた。フラッシュバックめいた症状が収まってい
くのを僕は感じた。
703 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:07:47.81 ID:Upuk+rYRo

 叔母さんが僕の頭を撫でている。以前フラバを起こした僕を撫でてくれた明日香や奈緒
のように。それは不思議な安心感を僕にもたらした。

「つらい? あたしの寝室で横になる?」

 叔母さんの優しい声がした。

「大丈夫だよ。それよか叔母さん」

「なあに? どしたの」

 叔母さんは片手で僕を抱き片手で僕の頭を撫でるようにしてくれている。信頼していた
甥にひどこいとをされた直後だというのに、叔母さんの声はどういうわけかすごく落ち着
いていた。それは昔から僕と明日香の面倒を見てくれていた大人の叔母さんの声だ。

「ごめん。叔母さんにひどいことして・・・・・・」

 どんなに謝罪しても許されないことをしてしまったことはわかっていたけど、僕は再び
叔母さんに謝った。

 叔母さんが僕の目を見つめた。

「奈緒人、あんた何であたしに謝るの?」

「だって。叔母さんに無理矢理キスするなんて」

「したくなかったの?」

「・・・・・・したかった。でも叔母さんにつらい思いをさせちゃった。本当にごめん」

 もう誤魔化せなかった。たとえどんなに軽蔑されたり恐がられたりしたとしても。僕は
自分の中の醜い衝動に身を任せたのだ。叔母さんの気持ちを少しも思いやらずに。

 叔母さんが身を屈めてそっと僕にキスした。さっきのキスとは違って叔母さんの唇は一
瞬だけ僕の唇に触れて再び離れた。僕は混乱して赤い顔の叔母さんの顔を眺めた。

「何で・・・・・・?」

「何でって・・・・・・。最初にキスしてきたのは奈緒人の方でしょ」

 叔母さんが顔を赤くしたままで言ったけどその目にはもう涙の痕跡はなかった。

「・・・・・・嫌だったんじゃないの?」

 僕は間抜な声を出した。叔母さんが微笑んだ。

「嫌じゃなかったよ。あんたに抱かれてキスされたとき、あたしの十年越しの片想いが、
絶対に実現しないと思ってた恋が実った気がした」

「それ、どういう意味?」

「さあ。でも奈緒人が気にすることじゃないよ。もう悩みなさんな」

 僕は再び叔母さんにキスされた。今度は僕ももう止まらなかった。戸惑いはあったけど
僕を受け入れてくれた叔母さんに対する衝動が僕の行動を支配したのだ。僕は体を起こし
て叔母さんを抱きしめた。叔母さんの舌が遠慮がちに僕の舌に絡んできた。僕は叔母さん
と体勢を入れ替え叔母さんをソファに押し倒したまま、思い切り自分の方に抱き寄せた。
704 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:08:19.58 ID:Upuk+rYRo

 このまま行けば最後まで突っ走っていたかもしれない。少なくとも僕はもう自分の叔母
さんに対する衝動を止めることができなかった。最低の行動だとは思って反省したばかり
だったのに。

 叔母さんにキスしながら手を寝巻き代わりに明日香に着せられていたジャージの下に侵
入させて、隠されていた肌を直接愛撫した。叔母さんの体はそのときびくっと反応したけ
ど、抵抗は一切なかった。その代わりに僕を抱きしめている手に力がこもった。僕は叔母
さんのブラジャーを押し上げるようにして叔母さんの裸の胸を直接愛撫した。

 叔母さんの乳房の柔らかさを手に感じたとき、その体が再び震えていることに僕は気が
ついた。性欲から来る衝動は僕を駆り立てていたけど、なけなしの理性を振り絞って僕は
自分のすぐ下にある叔母さんの表情を確認した。

 叔母さんはまた泣き出していたのだ。全く気にしていないような磊落な口ぶりをその
悲しげな表情は裏切っていた。僕は叔母さんの胸から手を引いて体を起こした。

「奈緒人ごめん」

 何で叔母さんが謝るのだ。

「ごめん。あたしからキスしたのにね。続けていいよ、奈緒人の好きなようにして」

「いや、ごめん。叔母さんこそ何で僕にそこまで気をつかうの? 気持悪いって言ってく
れればよかったのに」

 口を突いて出た言葉は後戻りさせることはできない。でも僕は後悔した。盗人猛々しい
とはこのことだ。無理矢理レイプまがいのことをしておきながらそれを許容してくれた叔
母さんを責めるようなことを言ったのだから。

「あたしはね。あんたの気持ちが嬉しかったの。少し動揺しちゃって泣いたりもしたけ
ど・・・・・・あたし処女だしこういうことされるの初めてだったからかな」

「処女? 初めてって。いや、それよか嬉しいって・・・・・・どういう意味」

「そのままの意味。奈緒人、あたしはあんたのことが好きよ。多分初めてあの公園で出会
った十年も前からずっと」

 何かが僕の記憶の片隅でちかっと光ったような気がした。

 暑い夏の日の公園。奈緒と公園で知り合った少女がきらめく噴水のそばを駆け抜けて行
く。その足取りは不様で今にも転びそうだったから、僕は奈緒を追い駆けて注意しようと
した。奈緒と初対面の少女に追いついた先には綺麗なお姉さんがいた。その人は奈緒と友
だちになった女の子の叔母さんだった。

 ソフトクリームの冷たい甘さ。父さんが知らない優しそうな女の人と一緒に近づいてき
て綺麗なお姉さんに話しかける。

「叔母さん、僕思い出せた。僕はあの日の公園で初めて叔母さんに会ったんだ。明日香と
も」

「やっと思い出した?」

 叔母さんはソファに横にされた姿勢のままで微笑んだ。「あのときに出会った小学生の
男の子が気になって、でもその子が姉さんの家族になって・・・・・・。あたしは明日香とその
男の子の面倒を見ることになったとき本当に嬉しかったの。それからのあたしはあんたの
成長をずっと見守ってきたのよ」

「・・・・・・うん」

 今度は僕の方が涙を流す番だった。涙腺が緩んだように涙が止まらない。玲子叔母さん
は、この人はあの公園での出会いの日々からずっと僕を見守ってきてくれたのだ。
705 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:09:00.42 ID:Upuk+rYRo

「奈緒ちゃんと引き剥がされたあんたは感情を表面に出さなくなってね。あんたは明日香
に比べたらぜんぜん手のかからない子だった。でもそれは心の傷も自分の悩みも全部一人
で溜め込んでいたからだよね。あんたはあたしには全然相談してくれないし」

「ごめん」

「正直に言うとあんたのことは明日香よりもっと気になっていたの。あんたの面倒をみる
ようになってからずっとね」

 叔母さんは夢見がちな口調で言った。過去を回想し始めたようだった。

「そんなあんたは明日香よりも優しい性格でね。あたしの方があんたに慰められていたこ
とが何度もあったよ」

「ごめん、そこまでは思い出せない」

「うん、いいよ。それでそんなあんたの面倒を見ているうちにいつのまにか男として意識
しだしちゃってね。気持ち悪いでしょ? 叔母からこんな話聞かされたら」

 答える代わりに僕は叔母さんの手を握った。それは僕を育ててくれた母親代わりの手だ
った。でも十以上も年上の叔母さんのその手はどこまでも白く華奢だった。叔母さんは僕
に自分の手を握らせたままで続けた。

「あんたは手がかからない子だったけど、あたしを心配させるという意味では明日香より
も大変だったよ」

 僕は父さんや新しい母さん、それに玲子叔母さんにだけは迷惑をかけないようにしてい
ただけだった。つらい思いだって自分で飲み込んでしまえば心配させることはない。僕は
そう思ってそれを唯一の行動原理にして生きてきた。最近になって奈緒と再会し明日香と
付き合い出すまでは。

 でも結局のところそんな考えは叔母さんにはばれていたようで、そんな僕を叔母さんは
黙って口を出すことなく、それでも心配しながらずっと見守っていてくれたのだ。

「・・・・・・僕たち両想いだったの?」

 思わず言ってはいけない言葉が口に出た。両想いって何を言っているのだ。僕には明日
香がいるのに。

「さあ? 少なくともあたしの方は奈緒人のことが好きだったよ」
 叔母さんが笑った。「こんな気持ちをあんたに知られたらあんたにドン引きされるだろ
うし、二度と叔母さんって呼んでくれなくなると思って必死で隠していたけどね」

 叔母さんは何か吹っ切れた様子だった。それに胸を僕に弄られたことも気にしていない
ように見えた。

 これがゲームだったら間違いなくセーブポイントだった。僕は言うに事欠いてそんなど
うしようもないことを考えた。明日香ルートを選ぶなら素直に叔母さんの好意にお礼を言
って、同時に叔母さんにエッチなことを強要しようとしたことを謝るべきだった。

 そうだ明日香のことがある。でも、今にして思えば僕をずっと支えてくれたのは叔母さ
んだったのだ。

「恥かしいこと話しちゃった。ごめんね奈緒人。できれば忘れてくれて今までどお
り・・・・・・」

 でも僕はそうしなかった。何かを話そうとしている叔母さんの唇を僕はまた塞いだのだ。
今度は叔母さんもすぐに僕に応えて乱暴な口づけを受け入れてくれた。

 これは玲子叔母さんルートの入り口なのだろうか。その先にはいったいどういう展望が
開けているのだろう。そしてその場合明日香はどうなるのだ。
706 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:09:29.11 ID:Upuk+rYRo

 叔母さんの素肌を調子に乗って再び愛撫し始めた僕は突然体を突き放された。

「叔母さん・・・・・・?」

「奈緒人のこと好きよ。でもやっぱりもうここまでにしとこう」

 叔母さんが僕を諭すように言った。

「どうして・・・・・・? やっぱり嫌だったたの?」

 そのとき顔を上げた叔母さんの透明な微笑のことを僕は一生忘れることはないだろう。
そして叔母さんの言葉は一気に僕を冷静にさせた。

「あたしにとってもあんたにとっても大切にしなきゃいけない女の子がいるでしょ」

「・・・・・・うん」

「そういうこと。明日香とあんたが仲直りして結城さんと姉さんの家庭はようやく幸せな
普通の家庭になろうとしているの」

 確かにそのとおりだった。叔母さんの体に手を出した僕は無理に明日香のことを考えな
いようにしていた。

「だからここまでにしよう」

「・・・・・・うん」

 叔母さんがこのとき少し迷うように口ごもった。

「でも、明日香には申し訳ないけど最後に奈緒人と心が通じた思い出が欲しいかも」

 可愛すぎだろう叔母さんは。シリアスな事態だったのに僕は叔母さんの照れたような表
情を食い入るように見つめながらそう思った。本当に明日香よりも奈緒よりも玲子叔母さ
んのことが好きだったのかどうかは自分でも判然としなかったけれども。

「どっか行こうか」

 叔母さんが暗い顔をした僕を慰めるように言った。

「え」

「今日くらいはあんたに甘えさせてよ。明日香には怒られるかもしれないけど、もう変な
ことはしないって約束してくれるなら、今日だけは恋人同士のようにデートしようか」

 ずいぶんと積極的で冷静な声で叔母さんは言った。でも顔を赤くしてそう言った叔母さ
んの表情はすごく可愛らしかった。僕より十歳以上も年上なのに。
707 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:10:32.80 ID:Upuk+rYRo

 叔母さんが着替えをしている間に、僕は明日香にメールした。叔母さんが記憶を取り戻
した。でもだいぶ落ち着いているのであまり心配はいらない。気分転換にどこかに行きた
いと言うので叔母さんに付き添ってドライブしてくるから。

 メールの内容はそういうことだった。少しだけ迷ったけど、結局僕はメールの本文の最
後にこう記した。自分が明日香を裏切っていることは承知していたのに。

『明日香のこと誰よりも愛してるよ』

 叔母さんが着替えを終えて寝室からリビングに姿を現した。僕の記憶の中では叔母さん
はいつも仕事のできる大人の女だった。服装もそういう格好が多かったと思う。だから着
替え終えて目の前で外出の支度を始めた叔母さんの姿はとても新鮮だった。

 キャリアウーマンのような叔母さんと僕が寄り添って歩いても恋人同士に見るはずがな
い。逆に言うとそんな不釣合いな二人が手でも繋いでいたら周囲の好奇の視線に晒されて
しまうだろう。そんな僕の不安を裏切って、叔母さんの服装はラフだけど若々しいものだ
った。茶色っぽい無地のパーカに細身のシルエットのジーンズ。ちょっと気を抜いた普段
着姿のモデルという感じだろうか。でも全体に野暮な感じは全くしない。ファッション雑
誌の編集をしているから当然といえば当然なのだけど。

「じゃあ行こうか」

 叔母さんが僕に手を差し出した。僕は遠慮がちに叔母さんの小さな手を握った。まるで
女子大生か若いOLとデートしているような感じといえば近いかもしれない。

 叔母さんは部屋のドアをロックしてエレベーターに乗り込んで、駐車場のある地下一階
のボタンを押そうとした。

「あ、一階でいいよ。車はマンションの前の道路にあるから」

 何者かによってここまで運ばれた車は路上に放置されていた。多分その何者かが叔母さ
んを窮地から救ったのは間違いないけど、その人物もさすがに地下の駐車場の正しい位置
まで車を運ぶことはできなかったようだ。

 僕はエレベーターの中で叔母さんを発見したときの様子を説明した。車内で僕に抱きつ
いたことを聞いた叔母さんは慌てた様子だった。

「そんなところを明日香にも見られたんだ」

 僕は笑った。

「うん。あいつも最初は怒っていたけど結局ね」

 僕は明日香の奇妙な指示を叔母さんに打ち明けた。明日香の気持ちは僕同様叔母さんに
も届いたらしい。それで少し僕たちは沈黙した。

「叔母さん失格だね。明日香にそんな気をつかわせるなんて・・・・・・」

「叔母さん」

「・・・・・・でも今日だけはあたし、あんたとこのままデートしたい」

「僕も」

 エレベーターのドアが開いた。
708 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:11:04.11 ID:Upuk+rYRo

 雨は雪に変わっていた。傘もなく僕と叔母さんは手をつないだままマンションの外に出
た。

 僕たちは雪に変わった天気の中を手を繋いだまま寄りそって、路駐している叔母さんの
車の方に歩いて行った。

 叔母さんの車の側に若い男性が佇んでいた。彼は近づいてきた僕と叔母さんを驚いたよ
うに見た。僕たちが車の方に近づいていくと、彼は踵を返して足早に遠ざかって行った。

「年寄りの女が若い男と手を繋いでたんで驚いたのかな」

 叔母さんが笑った。僕は叔母さんの手を離してその肩を抱き寄せた。このときの僕の行
動は叔母さんへの衝動からではなかった。今日だけはそうしなければいけないと思ったか
らだ。

「玲子叔母さんは年寄りなんかじゃないよ。すごく綺麗だよ」

「よしてよ。あんたって意外と女の扱い上手だったのね」

 ここ最近の奈緒や明日香との仲を言外にからかわれている気がして僕は少しだけ心の奥
に痛みを感じ、抱き寄せた叔母さんの肩から手を離した。叔母さんは狼狽したように僕を
見上げた。

「奈緒人違うの。あたし、そんなつもりじゃなくて」

「ごめん」

 遠ざかって行った男が角を曲がると周囲には誰もいなくなった。何の音もせずにただ粉
雪だけが降りしきっている。

「・・・・・・誰もいないね」

 叔母さんが僕の両肩に手を置いて少し爪先立つようにして僕にキスした。

 車内は冷え切っていた。叔母さんは運転席に収まると手を伸ばして助手席のドアを開け
た。

「スタッドレスにしといてよかった」

 叔母さんがチョークを思い切り引いてエンジンをかけた。

 いつもと違って叔母さんの運転はおとなしかった。それに路面には既に薄っすらと雪が
積もりはじめていた。それでも突然の雪を避けたのか道路は空いていた。

「どこ行きたい?」

「どこでもいい」

「じゃあちょっと遠出して海を見に行くか。冬の江の島も恋人同士にはいい場所だよ」

 叔母さんが僕に甘えるような表情で微笑んだ。僕は黙ってシフトレバーの上にある叔母
さんの小さな手に自分の手を重ねた。

「・・・・・・危ないよ」

 叔母さんが小さく言った。
709 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:13:59.87 ID:Upuk+rYRo

『うん、そうだよ。間違いねえよ』

 池山の突然の気変わりによって無策にも玲子を逃がしてしまったユウトがあたしに電話
してきた。

『本当に奈緒人と玲子が抱き合って江の島を歩いているのね』

 あたしは念を押した。

『だから間違いないって。明日香の兄貴のことは有希ちゃんから写真を見せられてるし』

『あんた、玲子のマンションの前であいつらに疑われなかったでしょうね』

『すぐに退散したから大丈夫っすよ。それでどうする? 明日香の兄貴をボコボコにして
玲子を捕まえて昨日の続きをしてもいいっすか』

『だめ』

 あたしは冷たい声で答えた。面白くなってきた。昨日のこいつらの失敗にあたしは怒っ
たのだけど、結果的には玲子がかつて自分の恋人だった池山に犯されたことを明日香に教
えるより、はるかに効果的に明日香を悩ませることができそうなのだから。

 玲子は拉致されて縛られてドラッグの注射をされた。それだけでもこれ以上あたしたち
のビジネスに首を突っ込むなという警告にはなったろう。それにユウトたちは口をつぐん
であたしの命令どおりにしたと言い訳したけど、池山が土壇場で裏切ったのにも理由があ
るにちがいない。きっと池山より先に玲子を犯したか犯そうとしたのだろう。それだけの
ことをされていれば、大人とはいえ一般人の玲子には十分な脅しになったはずだ。

 そう考えれば改めて玲子を襲わせるより、奈緒人と玲子の仲のいい様子を明日香に教え
てあげたほうがもっと面白い。

 あたしは思わず声をあげて笑ってしまった。天は見逃さずによく全てを把握している。
あたしは明日香に利用された。そしてあたしや奈緒の気持ちを踏みにじることによって明
日香は奈緒人の気持ちを自分に向けさせ、奈緒人を手に入れたのだった。

 その明日香がさっそく奈緒人に浮気されている。こともあろうにその相手は自分の大切
な叔母さんだ。あたしは何もしないで明日香を破滅させるに足るだけのネタを手に入れる
ことができるのだ。

『有希さん?』

 あたしの沈黙に不信そうにユウトが言った。

『あんたカメラ持ってる?』

『携帯のならあるっすけど』

『二人には一切手を出すなよ。それでなるべくたくさん奈緒人と玲子の写真を撮ってね。
抱き合ったりキスしたり寄り添ったりしているところは全部だよ』

『は、はあ』

『特にラブホとかに入ろうとしたらその瞬間は絶対に撮影して』

『わかったっす』

『警戒されるなよ。気づかれたら二人は何もしなくなっちゃうからね』

 あたしは電話を切った。怪我の功名とはこのことだ。面白くなってきた。
710 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/05(水) 23:15:10.03 ID:Upuk+rYRo

 あたしはトイレから出て奈緒の部屋に戻った。

「奈緒ちゃん、本当にもう大丈夫なの」

「うん。明日からは学校に行けるって。ピアノもだいぶさぼちゃったし」

「ふーん。ねえ、こないだの土曜日奈緒人さんが奈緒ちゃんのことを迎えに来てたよ」

「あ、いけない。熱出てたんでお兄ちゃんに話すの忘れてた・・・・・・どうしよう」

 奈緒は奈緒人さんのことを気にしてうろたえていた。

「電話しなきゃ」

「よしなよ。まだ授業中じゃん」

「そうか。そうだよね」

 奈緒はしょげてしまった。よほど奈緒人さんと話がしたかったのだろう。あんたの大事
なお兄ちゃんは今頃年増女とデートしてるんだよ。あたしは心の中で言ってみた。

 こんなに可愛い女の子に慕われているのにババアと抱き合っているなんて奈緒人は何
を考えているのだろう。実の妹とか悩んでいないで迫ってしまえばいいのに。

 でもあたしにとってはこの方が好都合だ、しょげている奈緒の可愛い表情にあたしはあ
る種の嗜虐的な快感を感じてぞくぞくした。
711 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/05(水) 23:15:41.11 ID:Upuk+rYRo

今日は以上です。
712 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/05(水) 23:26:43.49 ID:QnClgew3o

奈緒人…
713 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/06(木) 02:06:20.44 ID:EwL0MRzgo
ユキ乙
714 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/06(木) 09:14:09.53 ID:JLSbFPseo
715 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/06(木) 12:24:34.33 ID:MpQeZXNSO
>実の妹とか悩んでいないで迫ってしまえばいいのに。

この世界は近親相姦に抵抗ないんかい
716 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/12/06(木) 19:44:44.20 ID:K6ZfsZVj0
乙です
奈緒人は本当は誰が一番好きなんだろう…
717 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/10(月) 22:16:41.82 ID:Pw++1+zho
もしかして奈緒人はキチガイなんじゃなかろうか
718 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/11(火) 23:52:44.99 ID:35eVDzQDO
誰かと思えば妹の手を握るまでの人か
あれ読んで>>1のファンになったよ
719 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 22:59:29.36 ID:qyGk20Fno

第六章 不倫


 僕が初めて彼女に出会ったのは大学のサークルの新歓コンパの席上だった。その年サー
クルに入会した新入生たちは男も女もどちらも子どもっぽい感じがした。多分一年生のと
きは僕も同じように見えたのだろうけど。その中で彼女だけはひどく大人びていてクール
な印象を受けた。

 見た目が綺麗だったせいか、彼女は上級生の男たちに入れ替わり話しかけられていた。
その年の新入生の女の子の中では彼女は一番人気だった。その子が気になった僕はしばら
く彼女の方をじっと見て観察していた。

 彼女はこだわりなく笑顔で先輩たちに応えていたけど、その態度は非常に落ち着いたも
のだった。どうにかすると年下の男たちを年上の女性がいなしているような印象すら受けた。
彼女が綺麗だったことは確かだったから、僕も彼女に自己紹介したいなとぼんやりと会場
の隅の席で一人で酒を飲みながら考えていた。そういう意味では僕も新入生の彼女に群が
る上級生たちと考えていることは一緒だった。でも彼女の側からは一向に話しかける連中
がいなくならないし、その群れに割り込むのも自分のプライドが邪魔していたので僕は半ば
諦めて同じ二回生の知り合いの女の子と世間話をする方を選んだ。

「結城君も彼女のこと気になるの?」

 しばらく僕は知り合いの子の隣でその子から彼氏の愚痴を聞かされていたのだけど、そ
のうち僕が自分の話をいい加減に聞き流していることに気がついて彼女がからかうように
言った。

「別にそうじゃないけど。彼女、大人気だなって思って」

「あの子、綺麗だもんね。夏目さんって言うんだって」

僕の隣で知り合いの子がからかうように笑って言った。気になっていた子の話題になっ
たせいか僕は再び離れたテーブルにいる彼女の方を眺めた。

そのとき、ふと顔を上げて周囲見回した新入生の彼女と僕の目が合った。彼女は戸惑う
様子もなく落ち着いて僕に軽く会釈した。新入生が誰に向かってあいさつしているのか気
になったのだろう。彼女を取り巻いていた男たちの視線も僕の方に向けられたため、僕は
慌てて彼女から目を逸らして何もなかったように隣の子の方に視線を戻した。それで、僕
は結局新入生の彼女のあいさつを無視した形になった。

「結城君らしくないじゃん。新入生にあいさつされて照れて慌てるなんて」

 彼女が僕をからかった。

「放っておいてくれ」

 僕はふざけているような軽い調子で答えたけど、心の中では自分の今の不様た態度が気
になっていた。あれでは新入生の彼女の僕への印象は最悪だったろう。まあでもそれでい
いのかもしれない。あんなやつらみたいに新入生の女の子に媚を売るようにしながら彼女
の隣にへばりつくよりも。みっともない真似をしなくてよかった。僕はそう思い込むこと
にした。
720 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 23:00:07.76 ID:qyGk20Fno

 次に僕が彼女に出合ったのは、階段教室で一般教養の美術史の講義に出席していたとき
だった。その講義は出席票に名前を書いて提出し課題のレポートさえ提出してさえいれば、
その出来や講義時の態度に関わらず単位が取れると評判だったので広い階段教室は一二年
の学生で溢れていた。美術になんかに興味はない僕はさっさと出席票を書いて教室の後ろ
の出口から姿を消そうと考えていた。

 講義が始まってしばらくすると出席票が僕の座っている列に回ってきた。自分の名前を
出席票に書いて隣に座っている女の子に回して、僕はそのまま席を立とうとした。

 そのとき、僕は彼女に声をかけられた。

「こんにちは結城先輩」

 出席票を受け取った隣の女の子はサークルの新入生の夏目さんだったのだ。

 驚いて大声を出すところだったけど今は講義中だった。僕はとりあえず席に座りなおし
た。

「ごめんなさい、わからないですよね。サークルの新歓コンパで先輩を見かけました。一
年の夏目といいます」

 講義中なので声をひそめるように彼女が言った。

「知ってるよ。あそこで見かけたし・・・・・・でも何で僕の名前を?」

「先輩に教えてもらいました」

 彼女は出席票に女性らしい綺麗な字で自分の名前を記入しながらあっさりと言った。僕
はその署名を眺めた。夏目 麻季というのが彼女の名前だった。彼女は出席票を隣の学生
に渡すともう話は終ったとでもいうように美術史のテキストに目を落としてしまった。

「じゃあね」

 彼女に無視された形となった僕はつぶやくような小さな声で講義に集中しだした彼女に
声をかけて席を立った。もう返事はないだろうと思っていた僕にとって意外なことに、夏
目さんがテキストから顔を上げて怪訝そうに僕を見上げた。

「講義聞かないんですか?」

「うん。出席も取ったしお腹も空いたし、サボって学食行くわ」

 夏目さんはそれを聞いて小さく笑った。

「結城先輩ってもっと真面目な人かと思ってました」

「・・・・・・そんなことないよ」

 僕は思わず夏目さんの眩しい笑顔に見とれてしまった。中途半端に立ったままで。

「でも先輩格好いいですね。年上の男の人の余裕を感じました」
 彼女がどこまで真面目に言っているのか僕にはわからなかったけど、彼女の言葉は何か
を僕に期待させ、そしてひどく落ち着かない気分にさせた。

「じゃあ、失礼します」

 くすっと笑って再び夏目さんはテキストに視線を落としてしまった。
721 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 23:02:08.52 ID:qyGk20Fno

 気になる新入生から話しかけられる。それも僕の名前を知っていたというサプライズの
せいで、それからしばらくは僕の脳裏から彼女のことが離れなかった。

 何で僕の名前を知りたがったのか、何で僕に話しかけたのか、何で僕のことを格好いいと
言ったのか。悩みは尽きなかった。多分僕は彼女のことが気になっていたのだ。それも恋愛
的な意味で。

 彼女への思いが次第に募っていくことは感じてはいたけれど、それからしばらく彼女と
話をする機会はなかった。キャンパス内で友人たちと一緒にいる彼女を見かけることは何
度かあったけど、彼女が僕にあいさつしたり話しかけたりすることはなかった。

 ひょっとしたらもう二度と夏目さんと会話することはないかもしれない。そう思うと残
念なような寂しいような感慨が胸に浮かんだけど、僕はすぐにその思いを心の中で打ち消
した。僕と彼女では釣りあわないし、きっと縁もなかったのだろう。そう考えれば夏目さ
んに対する未練のような感情は薄れていった。彼女は僕の人生でほんの一瞬だけ触れ合っ
ただけなのだろう。これ以上夏目さんのことを深く考えるのはやめようと僕は思った。

 それにこの頃僕は偶然に幼馴染の女の子とキャンパス内で再会していた。同じ大学の
同じ学年だったのに今までお互いに一向に気がつかなかったのだ。

「結城君」

 自分の名前を背後で呼ばれた僕が振り返ると懐かしい女の子が泣いているような笑って
いるような表情で立ちすくんでいた。

「・・・・・・もしかして理恵ちゃん? 神山さんちの」

「うん。博人君でしょ。わぁー、すごい偶然だね。同じ大学だったんだ」

「久し振りだね」

 中学二年生のときに僕は引っ越しをした。それで幼稚園の頃からお隣同士だった理恵と
はお別れだったのだ。あのとき涙さえ見せずに強がって笑っていた彼女との再会はいった
い何年ぶりだっただろう。僕に声をかけたときい理恵はびっくりしたような表情だった。
そして僕がほんとうにかつての幼馴染だとわかったとき、どういうわけか理恵は少しだけ
泣いたのだった。

 久し振りに会った理恵に対して懐かしいという思いは確かにあった。でもそれ以上に理
恵に対しては再会というよりは自分好みの女の子にようやく出会ったという気持ちの方が
大きかったかもしれない。気が多い男の典型のようだけど、理恵と再会した僕は夏目さん
のことを忘れ理恵のことを思わずじっと見つめてしまった。

「な、何」

 僕の無遠慮な視線に気がついた利恵が顔を赤くして口ごもった。そのときは僕たちはお
互いの家族の消息を交換して別れただけだったけど、僕の脳裏には夏目さんの表情が薄れ
ていって代わりに理恵の姿が占めるようになっていったのだ。

 その後、再会してからの理恵は僕と出会うと一緒にいた友だちを放って僕の方に駆け寄
って来るようになった。そして僕の腕に片手を掛けて僕に笑いかけた。

「博人君」

「な、何」

 突然片腕を掴まれた僕は驚いて理恵の顔を見る。周囲にいた学生たちがからかうような
羨望のような視線を僕に向ける。

「別に何でもない・・・・・・呼んだだけだよ」

 理恵は笑って僕の腕を離して友だちの方に戻って行く。僕に向かって片手をひらひらと
胸の前で振りながら。

 この頃になると僕の意識の中では物怖じしない明るい女の子として理恵に密かに恋する
ようになっていた。理恵の僕に対する態度も積極的としか思えなかったので、僕は久し振
りに再会した幼馴染に対する自分の恋はひょっとしたら近いうちに報われるのではないか
と思い始めていた。

 つまり一言で言うと僕は理恵に夢中になっていたのだ。なので一瞬だけ気になった夏目
さんと疎遠になったことを思い出すことはだんだんと無くなっていった。

 僕と理恵はお互いに愛を告白したわけではなかったけど、次第にキャンパス内で一緒に
過ごす時間が増えてきた。付き合ってるんだろとかって友人に言われることも多くなって
いた。

 そろそろ勇気を出して理恵に告白しよう。僕がそう考え出していたときのことだった。
722 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 23:02:38.90 ID:qyGk20Fno

 その日もいつもと同じような一日の始まりだろうと思っていたのだ。自分の狭いアパー
トで身支度を済ませた僕がアパートを出たとき、アパートのドアの前に女の子が立ってい
た。

 僕は一瞬目を疑った。外出して講義に行こうとした僕の目の前にいたのは夏目さん、夏
目麻季だったのだ

「おはようございます、先輩」

 彼女は微笑んで言った。

「・・・・・・夏目さん? どうしているの」

 そのときはそう言うのが精一杯だった。そこに恥かしげに微笑んでいる理恵がいるのな
らまだ理解できた。その頃の僕は理恵に惹かれ出していたし、思い切り恥かしい勘違いを
しているのでなければ理恵も僕のことを気にはなっていたはずだから。でも目の前にいた
のは夏目さんだった。

 いったいどうしてここに彼女がいるのだ。

「サークルの先輩に結城先輩のアパートの住所を聞きました」

「いや・・・・・・そうじゃなくて。ここで何してるの」

 夏目さんはここで何をしているのだろう。僕には理解できなかった。とりあえずこの人
目の多すぎるアパートでする話じゃない。僕は夏目さんを促して駅前のカフェに彼女を誘
った。

「・・・・・・サークルで何かあったの」

 人気のない奥の席に落ち着いてから僕は夏目さんに話しかけた。この頃になるとだいぶ
落ち着いてきた僕はサークルで何かが起こったのではないかと思いついたのだ。でもそう
言うことでもなかったみたいで、夏目さんは顔を横に振った。そして突然意表をついた質
問を僕に投げかけたのだ。

「先輩、神山先輩と付き合ってるんですか」

 いったい何の話だ。というか何で彼女が理恵のことを知っているのだ。

「君は理恵、いや。神山さんのこと知ってるのか」

「知ってますよ。最近、先輩と仲良さそうに話している人は誰ですかって聞いたらサーク
ルの先輩が教えてくれました」

「・・・・・・何でそんなこと聞いたの」

 夏目さんは少しだけ俯いたけどやがて意を決したように淡々と話し始めた。
723 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 23:03:13.90 ID:qyGk20Fno

 彼女の話は僕の想像を超えていた。要するに夏目さんは、僕が自分のことを好きなので
はないかと考えたと言うのだった。そして自分のことを好きな僕が仲良さそうに理恵と話
しているのを目撃し、それがどういう意味なのかを聞きに来たそうだ。

「夏目さんさ、それいろいろおかしいでしょ」

 僕はようやくそれだけ言うことが出来たけど、彼女はそれには答えずに言った。

「・・・・・・先輩、あたしのこと好きなんでしょ」

「何言ってるの」

「あたし、わかってた。最初に新歓コンパで合ったとき、先輩はあたしのことじっと見て
たでしょ」

「・・・・・・それだけが根拠なの」

「それだけじゃないですよ。美術史の講義で会ったときも先輩、じっとあたしのこと見つ
めていたでしょ」

 自惚れるのもいい加減にしろ。いったい彼女は何様のつもりだ。腹の奥底から怒りが込
み上げてきた。

「君、正気か。酔ってるの?」

「酔ってませんよ。先輩こそ嘘つかないで。あたしがこんなに悩んでいるのに」

「あのさあ、確かに僕は君のことを見たよ。それは認める。君は綺麗だし。でもそれだけ
で君のことを好きとか決め付けられても困るよ。第一、僕は一言だって君のことが好きだ
とか付き合ってくれとか言ってないでしょ」

「生意気なようですけど先輩って自分に自信がなさそうだし、あたしのことを好きだけど
勇気がなくて告白できなかったんじゃないですか。あたし、ずっと先輩の告白を待ってた
のに」

 おまえは何様だ。僕は怒りに振るえた。確かに彼女は目を引く容姿と落ち着いた行動を
取れるだけの知性を備えているのだろう。そして自分の容姿に自信もあるに違いない。そ
れはこの十分程度の会話からでも理解できた。だからといってこんな風に僕の気持ちを決
め付けていい理由にはならない。

 そのとき僕はふと思いついた。ひょっとしたらこれはもてない男をからかうゲームなの
だろうか。

「・・・・・・・もしかして君は誰かに何かの罰ゲームでもさせられてるの? そうだとしたら
巻き込まれる方は迷惑なんだけど」
724 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/15(土) 23:03:45.33 ID:qyGk20Fno

「先輩こそいい加減にしてください」

 夏目さんが怒ったように言った。何か彼女の様子がおかしい。

「罰ゲームって何よ。何であたしのことをからかうんですか? あたしのこと好きじゃな
いなら何であんな思わせぶりな態度をとるんですか」

 自信たっぷりだと思っていた夏目さんが今度は泣き出したのだ。

「・・・・・・泣くなよ。わけわかんないよ」

「ひどいですよ。結城先輩、美術史の講義の日からあたしのことを無視するし。あたしの
こと嫌いならはっきり嫌いって言えばいいでしょ」

「あのさあ。僕が君のことを好きなんじゃないかと言ったり嫌いだと言ったり、さっきか
ら何を考えてるんだよ」

「何でわざとあたしの目の前で神山先輩といちゃいちゃするのよ」

 夏目さんはついに声を荒げた。

「してないよ、そんなこと」

「あたしを悩ませて楽しんでいるの? 何であたしに思わせぶりな態度を取りながら神山
先輩との仲を見せつけるんですか。あたしを悩ませて楽しんでるんですか」

 とうとう夏目さんは普通に喋れないくらいに泣き出してしまった。

 もうこのあたりで僕は夏目さんとまともな話は出来ないと悟った。彼女は普通じゃない。
確かに一時期は気になった女の子だったけど、これだけ聞けば十分だった。学内で人気の
彼女は実はメンタル面で問題のある女の子だったのだ。そして運の悪いことにそのメンタ
ルの彼女の関心を偶然にも僕は引いてしまったようだった。

 その日、何とか彼女を宥めた僕は、夏目さんをその自宅まで送っていった。キャンパス
から一時間くらいの閑静な住宅地にある彼女の自宅まで。駅から彼女の自宅まで歩いてい
るうちに夏目さんは冷静になったようで、今度はしきりに僕に謝りだした。さっきまでの
激情が嘘のようだった。

 夏目さんを送ったあと、僕は大学に向かった。キャンパスに着いて今朝起きた出来事を
ぼうっと思い出していると、今度は理恵に話しかけられた。今までの出来事が嘘みたいに
理恵は明るく僕に話しかけてきた。僕は笑っている理恵に無理に微笑んで見せた。
725 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/15(土) 23:04:21.94 ID:qyGk20Fno

今日は以上です

また投下します
726 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage saga]:2012/12/15(土) 23:42:48.89 ID:ILNpytV6o


なんとここで過去編か

727 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/16(日) 00:21:34.69 ID:NkyEPzlSO
女神もそうだったけど登場人物増えて話が収束から遠ざかるのはうんざりするな
728 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/16(日) 01:49:28.56 ID:Q3pK0tH7o
おつ
729 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/16(日) 02:13:57.65 ID:BuQFx/QSo
730 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/16(日) 03:00:29.99 ID:7RIgF0lJo
731 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/16(日) 10:40:33.82 ID:7HxjgZnWo
話の進まなさが異常
特に女神
732 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/16(日) 14:53:49.85 ID:tzE9E2NY0
この過去編は間違いなく本編とは関係ないな



733 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/17(月) 22:59:11.39 ID:VhZNk7+Go
まあ長くなっても次スレでいいじゃないか
結末を急いてもいかんでしょ
734 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:18:59.70 ID:BV7gZxrgo

 夏目さん・・・・・・いやもういっそ麻季と呼んだほうがいいだろう。自宅アパート前で待ち
伏せされたあの日からほどなくして僕は麻季と付き合い出したのだから。

 麻季のことをどう考えればいいか最初は自分でもよくわからなかった。でも、何を考え
ているのかわからない麻季が、理恵のことを問い詰めてきたときの表情を思い出すと、い
くら綺麗な子だとはいってもできれば二度と関わらないようにする方がいいと僕は思い直
した。麻季を自宅に送って行ったとき彼女はようやく我に返ったように泣いて謝ったけど、
それは単に謝ったと言うだけで自分の突飛な行動の動機を話てくれたわけではなかった。

 理恵は相変わらず学内で僕を見かけると一緒にいる友だちを放って駆け寄って来る。置
き去りにされた友だちの女の子たちは僕たちの方を見てくすくす笑って眺める。僕は幼い
頃に心をときめかした同い年の女の子との再会に満足してもいいはずだった。

 でも理恵と一緒にいても、僕の視線はどういうわけかいつのまにか麻季を追い求めてい
るのだった。あれ以来麻季は全く僕と話そうとしなかった。たまに教室とかですれ違って
も彼女は僕の方を見ようともしなかったのだ。

 その日も僕は理恵と並んで歩いていた。理恵はさっきから自分の妹が最近生意気だとい
う話を楽しそうにしていた。玲子ちゃんというのが理恵の妹の名前だった。僕たちが昔隣
同士に住んでいた頃には理恵には妹はいなかったから、僕が引っ越した後で生まれたのだ
ろう。今では小学生になったという玲子ちゃんは理恵にとってはひどく相手にしづらい気
難しい女の子らしい。理恵のふくれた顔を眺めながら僕は彼女の話にあいづちを打ってい
た。でも正直会ったことすらない小学生の女の子に興味を抱けという方が無理だった。た
とえそれが季になっている女の子の話だとしても。

 そのとき視線の端に麻季の姿が見えた。彼女は誰か知らない上級生の男と一緒だった。
735 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:22:47.66 ID:BV7gZxrgo

 一瞬、何か心に痛みが走った。麻季が他の男と寄り添って一緒に歩いている。それだけ
のことに僕はこんなに動揺したのだった。よく考えれば僕だって理恵と並んで歩いている
のに。隣で話している理恵の声が消え僕は自分の心が傷付くだろうことを承知のうえで麻
季の方を見つめた。

 でも何か様子がおかしかった。僕が見つめている先に一緒にいる男女は何かいさかいを
起こしているようだった。自分の肩を押さえた男の手を麻季は振り払っていた。

「それでね、玲子ったら結局あたしの買ったCDを勝手に学校に持って行っちゃってね」

「・・・・・・うん」

 手を振り払われた男は麻季のその行為に唖然とした様子だったけど、すぐに憤ったよう
に麻季の顔を平手打ちした。麻季の体が地面に崩れた。

「でね、あいつったら勝手に友だちに貸して」

「悪い」

 僕は驚いたように話を途中で中断した理恵を放って麻季と男の方に駆け出した。このと
きはよくわからないけど何だか夢中だった。とにかくあの麻季が暴力を振るわれているこ
とに我慢できなかったのだ。

 僕は中庭のベンチの横にいる二人の側まで走った。麻季は地面に崩れ落ちたままだ。激
昂した男が何か彼女に向かって言い募っている。再び男が手を上げたとき僕は二人の側に
到着した。

 先輩らしい男は僕を見た。そしてその先輩はか弱い女には手をあげたのだけど、まとも
に男相手に喧嘩する気はないようだった。

 きっと手を痛めつけられないのだろう。ピアノ科とか器楽科にいる連中なら無理もなか
った。普通音大には演奏系、作曲・指揮系、音楽教育系の学科がある。演奏系の学生にと
っては手は喧嘩ごときで傷めるわけにはいかない。逆に言うとこの先輩は、自分の大切な
手を女を殴るためなんかによくも使えたものだ。

 僕は音楽学を選考していたから実際の器楽の演奏にはそれほど執着がない。先輩が麻季
を虐めるのを止めないのならそれなりに考えがあった。でも駆けつけてきた僕を見て先輩
は急に冷静になったようで、人を馬鹿にするものいい加減にしろと倒れている麻季に言い
捨ててその場をそそくさと去って行った。
736 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:25:44.68 ID:BV7gZxrgo

「君、大丈夫?」

僕は倒れている麻季に手を差し伸べた。そのときの彼女はきょとんした表情で僕を見上
げた。

「怪我とかしてない?」

「……先輩、神山先輩と別れたの?」

僕が麻季を地面から立たせると、それが僕であることを認識した彼女は場違いの言葉を
口にした。

「何言ってるんだよ。そんなこと今は 関係ないだろ」
 僕は呆れて言った。「君の方こそ彼氏と喧嘩でもしたの?」

「彼氏って誰のことですか?」

 相変わらずマイペースな様子で麻季が首をかしげた。男にいきなり平手打ちされて地面
に倒されたというのに、そのことに対する動揺は微塵も見られなかった。

 やはり彼女はいろいろおかしい。

 僕はそう思ったけど、同時に首をかしげてきょとんとしている麻季の様子はすごく可愛
らしかった。綺麗だとか大人びているとか思ったことはあったけど、守ってあげたいよう
な可愛らしいさを彼女に対して感じたのはこのときが初めてだった。

 とりあえず麻季は怪我はしていない様子だったけど、そのまま別れるのは何となく気が
引けていた僕は彼女を学内のラウンジに連れて行った。ラウンジは時間を潰している学生
で溢れていた。そのせいかどうか学内で目立っている麻季を連れていても、僕たちはそれ
ほど人目を引くことなく窓際のテーブルに付くことができた。

「ほら、コーヒー」

「ありがとう。結城先輩」

 麻季は暖かいコーヒーの入った紙コップを受け取った。それからようやく麻季はさっき
の先輩のことを話し始めた。

「よくわかんないの。でも一緒に歩いていたらこれから遊びに行こうって誘われて、講義
があるからって断ったら突然怒り出して」

 それが本当なら悪いのは自分の意向を押し付けようとして、それが断られた突端に麻季
に手を出した先輩の方だ。でも、あのとき先輩は馬鹿にするなと言っていた。

「よくわかんないけど、付き合っているのに何でそんなに冷たいんだって言われた。わた
しは別にあの先輩の彼女じゃないのにおかしいでしょ?」

 やはり内心そうではないかと思っていたとおりだったようだ。
737 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:29:48.56 ID:BV7gZxrgo

 最初に新歓コンパで麻季を見かけたときはひどく大人びた女の子だと思った。群がる先
輩たちへの冷静な受け答えを見ていて、彼女は単に男にちやほやされることに慣れている
というだけではなく、しっかりと自分を律することができるんだろうなと。新入生にとっ
てはいくら男慣れしている子でも初めてのコンパで先輩たちに取り囲まれれば多少は狼狽
してしまうはずだけど、彼女には一向にそういう様子が無かったから。

 でもそういうことだけでもないらしい。実はこの子は他人とコミュニケーションを取る
のが苦手な子なのではないだろうか。

 僕の家に押しかけてきたときの様子だってそうだし、今現在だってそうだけど僕には麻
季が何を考えているのかさっぱりわからない。でも麻季の中では自分の態度とそれに至る
思考過程はきっと一貫しているのだろう。

 先輩はきっと麻季が自分のことを好きなのだと解釈したのだ。そしてその考えに沿って
麻季に対して馴れ馴れしい態度を取ったに違いない。そして麻季も先輩の行動の意味を深
く考えることもせず、自分の意に染まないことを強要されるまではなすがままに付き合っ
ていたのだろう。

 僕が麻季について思いついたのはこういうことだった。突然に表面に現われる麻季の突
飛な態度もその過程の説明がないから驚くような行動に思えてしまうのであって、彼女の
中ではその行動原理は一貫しているのではないか。

 ・・・・・・こうして考えるとまるでボーダー、境界性人格障害のような感じがする。

 でもきっとそれほどのことではない。麻季の舌足らずの言葉の背後を探ってやればきっ
と彼女が何を考えているのかわかるのだろう。

「神山先輩と別れたの?」

 麻季が言った。

「別れるも何も付き合ってさえいないよ」

「・・・・・・先輩?」

 そのとき気がついた。きっと先輩に殴られて倒れた時に付いたのだろう。麻季の髪に枯
葉の欠片が乗っていた。僕は急におかしくなって声を出して笑った。麻季は思ったとおり
急に笑い出した僕の様子を変だとも思わなかったようだった。

 僕は手を伸ばして麻季のストレートの綺麗な髪から枯葉を取った。その間、麻季はじっ
とされるがままになっていた。麻季の髪の滑らかな感触を僕は感じ取ってどきどきした。

「結城先輩、やっぱりあたしのこと好きでしょ」

 麻季が静かに笑って言った。
738 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:33:27.10 ID:BV7gZxrgo

 それは思っていたより普通の恋愛関係だった。僕は麻季と付き合い出す前にも数人の女
の子と付き合ったことがあった。そのどれもがどういうわけか長続きしなかった。結果と
して麻季との付き合いが一番長く続くことになった。

 あのとき麻季と付き合い出すことがなかったら、きっと僕は理恵に告白していただろう。
そして多分その想いは拒否されなかったのではないか。でも麻季と付き合い出してからは
自然と理恵と会うこともなくなっていった。理恵の方も遠慮していたのだと思うし、それ
よりも僕はいつも麻季と一緒だったから理恵に限らず他の女の子とわずかな時間にしろ二
人きりで過ごすような機会は無くなったのだった。

 勢いで付き合い出したようなものだったけど、いざ自分の彼女にしてみると麻季は思っ
ていたほど難しい女ではなかった。こうしてべったりと一緒に過ごしていると、麻季の思
考は以前考えていたような難しいものではなかったのだ。

 付き合い出す前はボーダーとかメンヘラとか彼女に失礼な考えが浮かんだことも確かだ
ったけど、いざ恋人同士になり麻季と親しくなっていくと意外と彼女は付き合いやすい恋
人だった。

 多分、四六時中側にいるようになって僕が彼女が何を考えているのかをわかるようにな
ったからだろう。それに思っていたほど麻季はコミュ障ではなくて、相変わらず言葉足らずではあったけど、それでも僕は彼女の考えがある程度掴めるようになっていった。

 彼女には嫉妬深いという一面もあったし、ひどく情が深いという一面もあった。そうい
うこれまで知らなかった麻季のことを少しづつ理解して行くことも、僕にとっては彼女と
付き合う上での楽しみになっていた。

 僕が三回生になったとき麻季はお互いのアパートを行き来するのも面倒だからと微笑ん
で、ある日僕が帰宅すると僕のアパートに自分の家財道具と一緒に彼女がちょこんと座っ
ていた。合鍵は渡してあったのだけどこのときは随分驚いたものだ。

 同棲を始めて以来、僕たちはあまり外出しなくなった。食事の用意も麻季が整えてくれ
る。意外と言っては彼女に失礼だったけど、麻季は家事が上手だった。そんな様子は同棲
を始める前は素振りにさえ見せなかったのに。

 僕がインフルエンザにか罹って高熱を出して寝込んだとき、僕は初めて真剣に狼狽する
麻季の姿を見た。

「ねえ大丈夫? 救急車呼ぼうよ」

 僕は高熱でぼうっとしながらも思わず微笑んで麻季の頭を撫でた。麻季は僕に抱きつい
てきた。

「インフルエンザが移るって。離れてろよ」

「やだ」

 僕は麻季にキスされた。結局僕の回復後に麻季が寝込むことになり逆に僕が彼女を介抱
する羽目になったのだ。

 この頃になるとサークルでも学内でも僕たちの付き合いは公認の様相を呈していた。麻
季は相変わらず目立っていた。やっかみ半分の噂さえ当時の僕には嬉しかったものだ。こ
れだけ人気のある麻季が心を許すのは僕だけなのだ。麻季の心の動きを知っているのは僕
だけだ。それに麻季自身が関心を持ち一心に愛している対象も僕だけなのだ。
739 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/18(火) 00:37:33.85 ID:BV7gZxrgo

 麻季と肉体的に結ばれたとき彼女は処女だった。別に僕は付き合う相手の処女性を求め
たりはしないし、僕が今まで経験した相手だって最初の女の子を除けばみな体験者だった
けどそれでも麻季の初めての相手になれたことは素直に嬉しかった。

 僕が四回生で麻季が三回生のとき、僕は就職先から内定をもらった。この大学では亜流
だった僕は別に演奏家を目指しているわけでも音楽の先生を目指しているわけでもなかっ
たので、普通に企業への就職活動をしていた。

 音楽史と音楽学のゼミの教授はこのまま院に進んでこのまま研究室に残ったらどうかと
勧めてくれたけど、僕は早く就職したかった。麻季のこともあったし。結局、ゼミの教授
の推薦もあって老舗の音楽雑誌の出版社から内定が出たときは本当に嬉しかったものだ。

 内定の連絡を受けた僕は迷わずに麻季にプロポーズした。僕の申し出に麻季は信じられ
ないという表情で凍りついた。感情表現に乏しい彼女だけどこのときの彼女の言葉に誤解
の余地はなかったのだ。

「喜んで。この先もずっと一緒にあなたといられるのね」

 このときの麻季の涙を僕は生涯忘れることはないだろう。

 一年半の婚約期間を経て僕と麻季は結婚した。僕と麻季の実家の双方も祝福してくれた
し、サークルのみんなも披露宴に駆けつけてくれた。

「麻季きれい」

 麻季のウエディングドレス姿に麻季の女友達が祝福してくれた。僕の側の招待客は親族
を除けば大学や高校時代の男友達だけだった。幼馴染の理恵を招待するわけには行かなか
った。でもずいぶん後になって知り合い経由で理恵が僕たちを祝福してくれていたという
話を聞いた。




 結婚後しばらくは麻季も働いていた。それは彼女の希望でもあった。ピアノ専攻の彼女
は演奏家としてプロでやっていけるほどの才能はなかったけど、ピアノ科の恩師の佐々木
先生の個人教室のレッスンを手伝うことになったのだ。でもそれもわずかな期間だけだっ
た。

 やがて麻季は彼女の希望どおり妊娠して男の子を産んでくれた。僕たちは息子の奈緒人
に夢中だった。もちろん麻季は佐々木教授の手伝いをやめて専業主婦として育児に専念し
てくれた。

 奇妙なきっかけで始まった僕たちの夫婦生活は順調だった。麻季は理想的な妻だった。
かつて彼女のことを境界性人格障害だと疑った自分を殴り倒してやりたいほど。

 僕は本当に幸せだった。仕事も多少は多忙であまり麻季を構ってやれなかったけど、で
きるだけ早く帰宅して奈緒人をあやすようにしていた。僕が奈緒人を風呂に入れるとき、
麻季は心配そうに僕の手つきを眺めていたのだ。これでは麻季の育児負担を軽減するため
に僕が奈緒人の入浴を引き受けた意味がないのに。

 僕たちの生活は順調だった。少なくともこのときの僕には何の不満もなかったのだ。
740 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/18(火) 00:38:08.06 ID:BV7gZxrgo

今日は以上です。

次回は女神更新後に投下予定です。
741 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/18(火) 00:50:53.76 ID:nQB0nsZgo
742 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/18(火) 02:10:54.76 ID:9sHXYUvjo
743 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/19(水) 04:23:43.37 ID:gbRbVyrDO
超乙
待ってる
744 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:07:31.23 ID:tOg9VqEDo

 麻季と奈緒人と共に歩んでいく人生に何の不満もないと思っていたのは本当だったけど、
あえて物足りないことあげるとしたら、奈緒人が誕生してから麻季との夜の営みが途絶え
てしまったことくらいだろうか。

 ある夜奈緒人が寝入った後の夫婦の寝室で、僕は出産以来久し振りに麻季を抱き寄せて
彼女の胸を愛撫しようとした。少しだけ麻季は僕の手に身を委ねていたけどすぐに僕の腕
の中から抜け出した。

「・・・・・・麻季?」

 これまでになかった麻季の拒絶に僕は内心少しだけ傷付いた。

「ごめんね。何だか疲れちゃってそういう気分になれないの」

 子育ては僕たちにとって始めての経験だったし、疲れてその気になれないことだってあ
るだろう。僕は育児で疲労している麻季のことを思いやりもせずに自分勝手に性欲をぶつ
けようとしたことを反省した。こんなことで育児もろくに手伝わない僕が傷付くなんて考
える方がおかしい。何だか自分がすごく汚らしい男になった気がした。

「いや。僕の方こそごめん」

 僕は麻季に謝った。

「ううん。博人さんのせいじゃないの。ごめんね」

 一度僕の腕から逃げ出した麻季は再び僕に抱きついて軽くキスしてくれた。

「もう寝るね」

「うん。おやすみ」

 これが僕たち夫婦のセックスレスの始まりだった。この頃はまだ奈緒人には手がかかっ
ていた頃だった。実際、育児雑誌で注意されている病気という病気の全てに奈緒人は罹患
した。そのたびに麻季は狼狽しながら僕に電話してきて助けを求めたり、病院に駆け込ん
だりして大騒ぎをした。
745 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:09:58.85 ID:tOg9VqEDo

 麻季は真剣に誠実に育児に取り組んでいた。それは確かだったしそんな妻に僕は感謝し
ていたけれど、それにしてももう少し肩の力を抜いた方がいいのではないかと僕は考えた。
そしてそのそのせいで何度か麻季と言い争いになったこともあった。

 麻季は奈緒人を大切に育てようとしていた。僕たち夫婦の子どもなのだからそれは僕に
とっても嬉しいことではあったけど、麻季の場合はそれが行き過ぎているように思えた。

 市販の粉ミルクで赤ちゃんが死亡したニュースを見てからは、麻季は粉ミルクを使うこ
とを一切やめて、母乳だけで奈緒人を育てようとした。ちなみに危険な粉ミルクのニュー
スは外国の出来事だ。それから大手製紙会社の製品管理の不具合のニュースを見て以来、
麻季は市販の紙おむつを使用することをやめ、自作の布おむつを使用するようになった。
製紙会社の不祥事は紙おむつではなくティッシュ製造過程のできごとだったのだけど。

 麻季との同棲生活や結婚生活を通じて彼女がここまで脅迫的な潔癖症だと感じるような
ことはなかった。結局、麻季は僕と彼女との間に生まれた奈緒人のことが何よりも大事な
のだろう。そういう彼女の動機を非難することはできないし、息子の母親としてはむしろ
理想的な在り方だった。

 最初の頃少し揉めてからは、行き過ぎだと思いつつも僕は黙って麻季のすることを容認
することにした。若干不安は残ってはいたけどそもそも仕事が多忙でろくに育児参加すら
できていない僕には麻季の育児方法について口を出せるのにも限度があった。

 こんなに一生懸命になって奈緒人を育てている麻季に対して、これ以上自分勝手な性欲
を押し付ける気はしなかったので、僕は当面はそういうことに麻季を誘うことを止めるこ
とにした。内心では少し寂しく感じてはいたけど。
746 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:13:38.99 ID:tOg9VqEDo

 それに麻季は奈緒人だけにかまけていたわけではなかった。この頃の僕はちょうど仕事
を覚えてそれが面白くなっていた時期でもあったし、少しづつ企画を任されて必然的に多
忙になっていった時期でもあった。だから育児に協力したいという気持ちはあったけど、
実際にはニ、三日家に帰れないなんてざらだった。なので出産直後のように奈緒人をお風
呂に入れるのは僕の役目という麻季との約束も単に象徴的な夫婦間の約束になってしまっ
ていて、たまの休日に「パパ、奈緒人のお風呂お願い」と麻季に言われて入浴させる程度
になっていた。それすら麻季は育児に協力できないで悩んでいる僕に気を遣って言ってく
れたのだと思う。ろくに育児に協力できない僕の気晴らしのためにわざと奈緒人を風呂に
入れるように頼んでくれていたのだろう。

 どんなに育児に疲れていても僕に対するこういう気遣いを忘れない彼女のことが好きだ
った。僕は麻季と結婚してからどんどん彼女のことが好きになっていくようだ。そして麻
季も夫婦間のセックスを除けば、そんな僕の想いに応えてくれていた。この頃は僕も忙し
かったけど麻季だって育児に追われていたはずだ。それでも彼女は一日に何回も仕事中の
僕にメールしてくれた。

 奈緒人が初めて寝返りをうったとき。奈緒人が初めて「ママ」と呼んだとき、奈緒人が
初めてはいはいしたとき。

 その全てのイベントを僕は仕事のせいで見逃したのだけど、麻季はいちいちその様子を
自宅からメールしてくれた。そのおかげで僕は息子の成長をリアルタイムで感じることが
できた。当時は今ほど気軽に画像を添付して送信できなかった時代だったので麻季からの
メールには画像はなかったけど、それを補って余りあるほどの愛情に満ちた文章が送られ
てきたのだ。

 麻季は昔から感情表現が苦手な女だった。それは結婚してからも同じだった。それでも
僕たちが幸せにやってこれたのは僕が彼女の言外の意図を読むことに慣れたからだった。
でも仕事のせいで麻季と奈緒人にあまり会えない日々が続いていたせいで、麻季は僕との
コミュニケーションにメールを多用するようになった。そして、目の前にいる彼女の思考
は読み取りづらくても、メールの文章は麻季の考えを明瞭に伝えてくれることが僕にもわ
かってきた。文章の方がわかりやすいなんて変わった嫁だな。僕は微笑ましく思った。

 そういうわけで麻季の関心が育児に移ってからも彼女の僕への愛情を疑ったことはなか
った。それは疲れきって自宅に帰ったときに食事の支度がないとか、風呂のスイッチも切
られていたとかそういう次元の不満がないことはなかったけど、僕が帰宅すると奈緒人と
添い寝していた麻季は寝床から起き出して、疲れているだろうに僕に微笑んで「おかえり
なさい」と言って僕の腕に手を置いて軽くキスしてくれる。

 それだけで僕の仕事のストレスは解消されるようだった。
747 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:19:18.14 ID:tOg9VqEDo

 この頃の麻季の僕に対する愛情は疑う余地はなかったけど、やはり夜の夫婦生活の方は
レスのままだった。奈緒人が一歳の誕生日を迎えた頃になると育児にも慣れてきたのか麻
季の表情や態度にもだいぶ余裕が出てきていた。以前反省して自分に約束したとおり僕は
麻季に拒否されてから今に至るまで彼女を求めようとはしなかったけど、そろそろいいの
ではないかという考えが浮かんでくるようになった。

 まさかこのまま一生レスで過ごすつもりは麻季にだってないだろうし、いずれは二人目
の子どもだって欲しかったということもあった。

 そんなある夜、久し振りに早目の時間に帰宅した僕は甘えて僕に寄り添ってくる麻季に
当惑した。奈緒人はもう寝たそうだ。その夜の麻季はまるで恋人同士だった頃に時間が戻
ったみたいなに僕に甘えた。

 これは麻季のサインかもしれない。ようやく彼女にもそういうことを考える余裕ができ
たのだろう。そして表現やコミュニケーションが苦手な彼女らしく態度で僕を誘おうとし
ているのだろう。長かったレスが終ることにほっとした僕は麻季を抱こうとした。

「やだ・・・・・・。駄目だよ」

 肩を抱かれて胸を触られた途端に柔らかかった麻季の体が硬直した。でも僕はその言葉
を誘いだと解釈して行為を続行した。

 このとき麻季がもう少し強く抵抗していればきっと彼女も相変わらず疲れているのだと
思って諦めたかもしれない。でもこのときの麻季は可愛らしく僕の腕のなかでもがいたの
で、僕はそれを了承の合図と履き違えた。しつこく体を愛撫しようとする僕に麻季は笑い
ながら抵抗していたから。でもいい気になって麻季の服を脱がそうとしたとき、僕は突然
彼女に突き飛ばすように手で押しのけられた。

「あ」

 麻季は一瞬狼狽してその場に凍りついたけどそれは僕の方も同じだった。

 僕は再び麻季に拒絶されたのだ。

「ごめん」
「ごめんなさい」

 僕と麻季は同時にお互いへの謝罪を口にした。

「ごめん。今日ちょっと酒が入っているんで調子に乗っちゃった。君も疲れているんだよ
ね。悪かった」

 いつまで麻季に拒否されるんだろうという寂しさを僕は再び感じたけど、ろくに家に帰
ってこない亭主の代わりに家を守って奈緒人を育ててくれている麻季に対してそんなこと
を聞く権利は僕にはない。

「あたしの方こそごめんなさい。博人君だって我慢できないよね」

「いや」

「・・・・・・口でしてあげようか」

 麻季が言った。それは僕のことを考えてくれた発言だったのだろうけど、その言葉に僕
は凍りつき、そしてひどく屈辱を感じた。

「もう寝ようか」

 麻季の拒絶とそれに続いた言葉にショックを受けたせいで、僕のそのときの口調はだい
ぶ冷たいものだったに違いない。
748 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:21:20.75 ID:tOg9VqEDo

 そのとき麻季が突然泣き始めた。

「悪かったよ」

 僕はすぐに麻季を傷つけた自分の口調に後悔し、謝罪したけど彼女は泣き止まなかった。

「ごめんなさい」

「君のせいじゃないよ。僕のせいだ。君が奈緒人の世話で疲れてるのにいい気になってあ
んなことしようとした僕の方が悪いよ。本当にごめん」

 それでも麻季は俯いたままだった。そして突然彼女は混乱した声で話し始めた。

「ごめんなさい。謝るから許して。あたしのこと嫌いにならないで」

 僕は自責の念に駆られて麻季を抱きしめた。こんなに家庭に尽くしてくれている彼女に
こんなにも暗い顔をさせて謝らせるなんて。

「謝るのは僕のほうだよ。まるでけものみたいに君に迫ってさ。君が育児と家事で疲れて
るってわかっているのに。仕事にかまけて君と奈緒人をろくに構ってやれないのに」

 僕の方も少し涙声になっていたかもしれない。麻季は僕の腕の中で身を固くしたままだ
った。かつて彼女が僕のアパートに押しかけてきたときの、まるで言葉が通じなかった状
態のメンヘラだった麻季の姿が目に浮かんだ。ここまで麻季と分かり合えるようになった
のに、一時の無分別な性欲のせいでこれまでの二人の積み重ねを台無しにしてしまったの
だろうか。

 そのとき麻季が濡れた瞳を潤ませたままで言った。

「本当に好きなのはあなただけなの。それだけは信じて」

 何を言っているのだ。僕は本格的に混乱した。もともとコミュ障気味の麻季だったけど、
このときは本気で彼女が何を言っているのかわからなかった。

「わかってるよ。落ち着けよ」

「あなたのこと愛している・・・・・・あなたと奈緒人のこと本当に愛しているの」

「僕も君と奈緒人のことを愛してるよ。もうよそうよ。本当に悪かったよ。君が無理なら
もう二度と迫ったりしないから」

「違うの。あなたのこと愛しているけど、あの時は寂しくて不安だったんでつい」

「・・・・・・え」

 僕はその告白に凍りついた。

「一度だけなの。二回目は断ったしもう二度としない。彼ともちゃんと別れたし。だから
許して」
749 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:24:00.45 ID:tOg9VqEDo

 混乱する思考の中で僕は麻季に抱きつかれた。僕の唇を麻季がふさいだ。そのまま麻季
は僕を押し倒して覆いかぶさってきた。

「おい、よせよ」

「ごめんね・・・・・・しようよ」

 彼女はソファに横になった僕の上に乗ったままで服を脱ぎ始めた。

 僕は混乱して麻季を跳ね除けるように立ち上がったのだけど、その拍子に彼女は上着を
中途半端に脱ぎかけたまま床に倒れた。麻季が泣き始めた。

 深夜になってようやく落ち着いた麻季から聞き出した話は僕を混乱させた。

 麻季は浮気をしていたのだ。それも奈緒人を放置したままで。

 その相手との再会は保健所の三ヶ月健診から帰り道でのできごとだった。麻季は奈緒人
を乗せたベビーカーを押して帰宅しようとしていた。途中の駅の段差でベビーカーを持て
余していた麻季に手を差し伸べて助けてくれた男の人がいた。お礼を言おうと彼の顔を見
たとき、二人はお互いに相手のことを思い出したそうだ。

 彼は大学時代に麻季を殴った先輩だったのだ。麻季は最初先輩のことを警戒した。でも
先輩は何事もなかったように懐かしそうに麻季にあいさつした。当時近所にママ友もいな
いし僕も滅多に帰宅できない状況下で孤独だった麻季は、先輩に誘われるまま近くのファ
ミレスで昔話をした。サークルや学科の友人たちの消息を先輩はたくさん話してくれた。

 当時の友人たちはそれぞれ自分の夢に向かって頑張っているようだった。中には夢を実
現した友人もいた。僕との結婚式で「麻季、きれい」と感嘆し羨望の眼差しをかけてくれ
た友人たちに対して当時の麻季は優越感を抱いていたのだけど、その友人たちは今では華
やかな世界で活躍し始めていた。国際コンクールでの入賞。国内どころか海外の伝統のあ
るオケに入団している友だちもいた。

 それに比べて自分は旦那も滅多に帰宅しない家で一人で子育てをしている。麻季の世界
は奈緒人の周囲だけに限定されていた。

 結婚式で感じた優越感は劣等感に変わった。麻季の複雑な感情に気づいてか気が付かな
いでか、先輩は自分のことも話し出した。国内では有名な地方オーケストラに入団した先
輩は、まだ新人ながら次の定期演奏会ではチェロのソリストとして指名されたそうだ。
750 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:29:04.19 ID:tOg9VqEDo

「みんなすごいんですね」

「君だって立派に子育てしてるじゃん。誰にひけ目を感じることはないさ。それにとても
幸せそうだよ」

「そんなことないです」

「きっと旦那に大切にされてるんだろうね。まあ、正直に言うと君ほど才能のある子が家
庭に入るなんて意外だったけどね」

「あたしには才能なんてなかったし」

「佐々木先生のお気に入りだったじゃん。みんなそう言ってたよ。君がピアノやめちゃう
なんてもったいないって」

 そのときは先輩と麻季はメアドを交換しただけで別れた。それ以来先輩からはメールが
毎日来るようになった。その内容も家に引きこもっていた麻季には眩しい内容だった。そ
のうちに麻季は先輩とのメールのやり取りを楽しみにするようになった。

 そしてその日。先輩のオケの定期演奏会のチケットが送られてきた。それは先輩がソリ
ストとしてデビューするコンサートのチケットだった。麻季は実家に奈緒人を預けて花束
を持ってコンサートに出かけた。知り合いのコンサートを聴きに行くのは久し振りで彼女
は少しだけ大学時代に戻った気がしてわくわくしていた。

終演時に観客の喝采を浴びた先輩は、客席から花束を渡す麻季を見つめて微笑んだ。実家
に預けた奈緒人のことが気になった麻季がコンサートホールを出たところで、人目を浴び
ながらもそれを気にする様子もなく先輩がタキシード姿で堂々と彼女を待ち受けていた。

 その晩、誘われるままに先輩と食事をした麻季はホテルで先輩に抱かれた。



 話し終えた麻季がリビングの床にうずくまっていた。さっき脱ごうとした上着の隙間か
ら白い肌を覗かせたままだ。それがひどく汚いもののように見える。

 情けないことに僕は一言も声を出すことができなかった。

 麻季が浮気をした。こともあろうに大学時代に僕が麻季を救ったその相手の先輩と。麻
季との恋愛や結婚、そして奈緒人の誕生は全てそこが出発点だったのにその基盤が今や音
を立てて崩壊したのだ。

「・・・・・・先輩のこと好きなの?」

 僕はようやく言葉を振り絞った。

「本当に好きなのは博人くんだけ。でも信じてもらえないよね」

 俯いたまま掠れた声で麻季が言った。

「先輩と何回くらい会ったの」

「最初の一度だけ。そのときだって先輩に抱かれながら奈緒人とあなたの顔が浮かんじゃ
って。もうこれで最後にしようって彼に言ったの。それから会ってないよ」
751 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/20(木) 23:32:57.54 ID:tOg9VqEDo

 回数の問題じゃない。確かに慣れない子育てに悩んでいる麻季を仕事にかまけて一人に
したのは僕だった。でも心はいつも麻季と奈緒人のもとを離れたことなんてなかった。

 麻季だって寂しかったのだ。仕事中に頻繁に送られてくるメールだって今から思えば寂
しさからだったのだろう。でも僕はそこで気がついた。あれだけ頻繁に僕に送信されてい
たメールがあるときを境にその回数が減ったのだ。それは麻季が先輩と再会してメールで
やり取りを始めた頃と合致する。

「先輩って鈴木って言ったっけ」

「・・・・・・うん」

「鈴木先輩って独身?」

「うん。でも彼とはもう別れたんだよ。一度だけしかそういうことはしてないよ」

 そのとき僕はもっと辛いことに気がついてしまった。麻季が先輩に抱かれた時期は、麻
季に拒否された僕がもう麻季に迫るのはやめようとしていた時期と同じだった。つまり麻
季は僕に対しては関係を拒否しながらも先輩に対しては体を開いていたことになる。

 僕の中にどす黒い感情が満ちてきた。できることならこの場で暴れたかった。あのとき
鈴木先輩がしたように麻季の頬を平手で殴りたかった。

「先輩のこと好きなのか?」

「何でそんなこと言うの」

 麻季は不安そうに僕を眺めて言った。

「僕は君のこと愛しているから。君が僕と離婚して先輩と一緒になりたいなら・・・・・・」

「違う!」

 麻季がまた泣き出した。

「先輩は君たちの関係のことを何か言ってたんでしょ」

「それは」

「泣いてちゃわからないよ。ここまできて隠し事するなよ」

 この頃になってだんだん僕の言葉も荒くなってきた。自分を律することが難しくなって
きていた。

「・・・・・・あの。あなたと別れて一緒になってくれって。奈緒人のこともきっと幸せにする
からって」

「そう」

 本当に今日はこのあたりが限度だった。このまま話していると本当に麻季に手を上げか
ねない。奈緒人の名前が先輩の口から出たと言うだけで自分の息子が彼に汚されたような
気さえする。

「でも断ったよ、あたし。最初のときからすごく後悔したから。あの後先輩からメールが
いっぱい来たけど返事しないようにしたんだよ」

 麻季は泣きながら震える手で自分の携帯を僕に見せようとした。

 誰がそんなもの見るか。

「今日はもう寝よう。明日は休みだし明日また話そう」

 僕は立ち上がった。僕の足に麻季がまとわりついた。

「お願い、許して。何でもするから。あたしあなたと別れたくない」

「・・・・・・今日はここで寝るよ。君は奈緒人の側にいてあげて」

 絶望に満ちた表情で床に座り込んだ麻季が僕を見上げた。麻季の悲しい表情を見ること
が今まで僕にとって一番悲しく嫌なことだったはずのに、このときは僕は麻季の絶望に対
しても何も感じなくなってしまっていたようだった。
752 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/20(木) 23:33:48.15 ID:tOg9VqEDo

今日は以上です

お付き合いいただいてありがとうございます
753 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/21(金) 00:33:32.51 ID:EVkLTQ/0o
いまこの女に優しい言葉かければほいほいヤらしてくれそうだな
ただしブサメンはry
754 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/21(金) 00:43:25.97 ID:4X2KaLm3o
乙 続きが気になる
755 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/21(金) 01:37:59.90 ID:8AvTQBS1o

あのコピペを思い出す
756 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/21(金) 08:08:57.12 ID:Xs3HMEiIO
乙乙

でも女神が進んでないのに続きが来たのは予想外
757 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/21(金) 12:46:55.22 ID:w6BAkrkIO
あれ?この流れだとなおとと奈緒は実の兄妹じゃな……いや、なんでもない
758 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/22(土) 00:26:18.72 ID:H94SE5odo
>>757
しっーー!
759 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/23(日) 09:26:11.52 ID:0/GyxcoXo
畑は一緒だろ
760 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:33:42.86 ID:tH/dTWjVo

 ほとんど眠れなかった僕は翌日ソファで強張った体を起こした。体に掛けられていた毛
布が体から滑り落ちて床に広がった。麻季が僕に毛布を掛けたのだろう。その記憶がない
ところを見ると僕は少しは眠ったのかもしれない。

 家の中は妙に静かだった。もう朝の九時近い。

 ソファで無理のある姿勢で一晩を過ごしたせいで体の節々が痛かった。僕は起き上がっ
て寝室の様子を覗った。寝室からは何の気配もしない。麻季のことはともかく奈緒人がど
うしているか気になった僕は寝室のドアをそっと開けて中を覗き込んだ。

 ドアを開けた僕の目に麻季がベッドの上で奈緒人に授乳している光景が目に入った。麻
季も昨晩の告白に悩んでいたはずだけど、このときだけは自分の白い胸に夢中になってし
ゃぶりついている我が子のことを慈愛に満ちた表情で見つめていたのだ。麻季は寝室のド
アが開いたことにも気がついていない様子だった。

 このとき僕が我を忘れて見入ったのは麻季ではなく奈緒人だった。もう離乳食を始めて
いたはずなのだけど、このときの奈緒人は母親の乳房に夢中になって吸い付いていたのだ。

 自分の妻と自分の息子なのだけど、このときの母子の姿は何というか神々しいという感
じがした。

「おはよう」

 麻季はさぞかし僕に言い訳したかっただろう。でも彼女は僕の方を振り返ることをせず、
「しっ」と僕を優しくたしなめた。

「・・・・・・ごめんなさい。久し振りに奈緒人がおっぱいを欲しがってるの」

「うん、そうだね。ごめん」

 僕は寝室のドアを閉じた。やがて麻季が寝室から出てきてリビングのソファでぼんやり
とテレビを見ている僕の向かいに座った。いつもなら迷わず僕の隣に座るのに。

「ごめんね。もう離乳できてたはずなんだけど、今日は奈緒人はおっぱいが欲しかったみ
たい」

「奈緒人は?」

「お腹いっぱいになったら寝ちゃった。ベビーベッドに寝かせてきた」

「そうか」

「ごめん」

 何で麻季は謝るのだ。奈緒人のことで彼女が謝る理由なんて一つもない。むしろ謝るの
は他のことじゃないのか。さっき見かけた母子の美しい様子が僕の脳裏に現われてしまっ
た。でも昨晩の麻季の告白が思い浮んだ。麻季の謝罪は浮気についてなのだろうか。僕は
混乱していた。これでは冷静な判断ができない。

「奈緒人は離乳が早いよな」

 僕は何となくそう言った。

「そうね。長い子だと卒乳するのが四歳とか五歳の子もいるみたいだよ」

「そうか」

「・・・・・この子も感じていたのかもね。自分の母親が自分だけの物の乳房を父親でもない
男に触らせてたって」

 彼女は暗い表情でそう言った。僕は麻季の言葉に凍りついた。
761 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:35:55.52 ID:tH/dTWjVo

「昨日は慌ててみっともない姿を見せちゃったけど、あたしのしたことが博人君にとって、
それに奈緒人にとってもどんなにひどいことだったのかがよくわかった」

「うん」

 僕にはうんという以外の言葉が思いつかなかった。

「本当にごめんなさい。今でも愛しているのはあなたと奈緒人だけ。でも自分がしたこと
が許されないことだということもわかってる」

「僕は・・・・・・。奈緒人の世話もろくにしなかったし君を一人で家に放置していたことも認
めるよ。仕事が忙しかったとはいえ反省はしている。でもだからといって他の男に抱かれ
ることはなかったんじゃないか」

「うん」

「うんじゃねえよ」

 僕は思わず声を荒げた。

「不満があるなら何で僕に話さないんだよ。僕にセックスを迫られるのが嫌なら何でもっ
とはっき言りわないんだよ。僕が悪いことはわかってるよ。だからと言っていきなり浮気
することはねえだろ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいから理由を話してくれよ。もう一度聞く。今度は本気で答えろよ」

「・・・・・・はい」

「鈴木先輩のこと、たとえ一瞬でもエッチできるくらいに好きだったの?」

「それは・・・・・・うん」

「僕とはエッチするのは嫌だったのに?」

「・・・・・・」

「黙ってちゃわからないよ。僕が迫っても拒否したのに、先輩に誘われれば体を許したん
だろ」

「うん」

 それを静かに肯定した麻季に僕は逆上した。

「もう離婚だな。このクソビッチが。先輩が好きなら何で大学時代に先輩のとこに行かな
かったんだよ。何で僕のことを誘惑した? 何で僕と理恵の仲に嫉妬したりした?」

 麻季は俯いて黙ってしまった。麻季の目に涙が浮かんだ。一瞬その場を嫌な沈黙が支配
した。

 そのとき寝室から奈緒人の泣き声が聞こえた。
762 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:39:07.48 ID:tH/dTWjVo

 僕と麻季は同時に立ち上がり競うようにして寝室に殺到した。

 奈緒人はベビーベッドの柵を乗り越えて床に落下したのだった。一瞬これまでの麻季と
のいさかいを忘れ僕は心臓が止まる思いをした。でも奈緒人はそんな僕の心配には無頓着
に起き上がってたちあがり、よたよたとニ三歩歩いた。

「奈緒人が歩いたよ、おい」

「うん。少しだけだったけどしっかり歩いたよね」

 その瞬間僕たちはいさかいを忘れ瞬時に夫婦、いや父母に戻ったのだ。

 麻季が再び床に倒れた奈緒人を抱き上げた。麻季に抱き上げられた奈緒人はもう泣き止
んでいて、麻季の腕から逃れたいようにじたばたしていた。

「フロアに立たせてみて」

 僕は麻季にそっと言った。麻季はもう僕のことは忘れたように返事せずに奈緒人を見つ
めながら大切な壊れ物を置くように寝室のカーペットの上に立たせて、そっと手を離した。

 もう間違いではない。奈緒人は再び自力で歩行して、すぐに倒れ掛かった。危ういとこ
ろで僕は奈緒人を抱き上げることができた。

「やった」
「やったね」

 僕と麻季は目を合わせて微笑みあった。そして申し合わせたように奈緒人の表情を眺め
た。奈緒人はもう歩くことに飽きてしまったようで、僕に抱かれたまま僕の胸に顔を押し
付けて再びうとうとし始めていた。

 僕は自分の腕の中にいる奈緒人を見つめた。

 奈緒人を実家に預け僕以外の男に抱かれた麻季。僕の誘いを拒否して一度だけとはいえ
鈴木先輩に抱かれた麻季。そんな彼女を許す理由としては傍から見れば非常にあやふやだ
ったかもしれない。

 でも奈緒人の初めての歩行を実際に見届けて感動していた僕は、その思いを共有できる
のは麻季だけだとあらためて気がついたのだ。

 僕と麻季はそれまでのいさかいを忘れ、狭い寝室の中初めて歩行した奈緒人のことを見
つめていたのだ。このときはもう言葉は必要なかったみたいだった。

 結局このときは僕は麻季を許してやり直す道を選んだ。先輩とは二度と連絡もしないし
会わないという条件で。

「僕たち、最初からやりなおそうか。奈緒人のためにも」

 僕の許容に最初は呆然として戸惑っていた様子の麻季は、泣きながら僕に抱きつこうと
して僕に抱かれている奈緒人に気がついて自重した。

 その代わりに彼女は奈緒人を抱いている僕の手を強く握った。麻季の手は少し湿ってい
て冷たかった。
763 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:41:53.02 ID:tH/dTWjVo

 奈緒人への愛情から麻季の浮気を許した僕だったけど、心底から麻季の改悛の情を信じ
られたわけではなかった。正直に言えば彼女の僕に対する愛情への疑いは残っていた。あ
のときの麻季の言葉を何度脳内で再生したかわからない。



「鈴木先輩のこと、たとえ一瞬でもエッチできるくらいに好きだったの?」

「それは・・・・・・うん」

「僕とはエッチするのは嫌だったのに?」

「・・・・・・」

「黙ってちゃわからないよ。僕が迫っても拒否したのに、先輩に誘われれば体を許したん
だろ」

「うん」



 僕が麻季を許したのは奈緒人のことが大切だからだった。麻季の僕への愛情については
疑わしかったけど、麻季の奈緒人への愛情についてだけは疑いの余地はなかったのだ。

 浮気をした妻と浮気をされた夫のやり直しというのは思ったより大変だった。

 この頃の僕はひどく卑屈になっていた。

 もともと僕たちの付き合いは麻季が僕のアパートに押しかけてきたときから始まった。
あのときの僕は麻季がメンヘラではないかと疑ったのだった。麻季は僕が自分のことを好
きなのにわざと意地悪して理恵と付き合っていると思い込んでいた。そんなつもりは全く
かったのに。

 でも今になっては浮気された僕にとって、それは麻季を信じるためのエピソードの一つ
だった。その思い出は付き合い出してから浮気するまでの彼女の僕への献身的ともいって
いい態度とともに、麻季を信じようとする僕の力になってくれた。

 それでもそれは未だに引きずっていた麻季に対する僕の疑念や嫌悪を振り払うには十分
な力を持っていなかったのだけど、僕は自分の意思の力でそれを補おうとした。

 麻季は先輩とは完全に別れたと言った。

 もともと気が進まない関係だったのだと。僕に浮気を告白したその晩に先輩に対して、
「もうあたしのことは放っておいて。先輩とは二度と会わない」とメールしたそうだ。別
に疑う理由もないので僕は麻季の携帯の送信ボックスを確認することもなくその言い訳を
受け入れた。
764 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:46:51.38 ID:tH/dTWjVo

 こうして僕と麻季の最初の危機は何とか破滅を回避できたように思えた。

 危機を回避したあと、僕たちは麻季が自分の浮気を告白する前の生活習慣に忠実に過ご
すようになった。

 何もかもが以前のとおりだった。麻季は先輩に出会う前にしてくれていたように、相変
わらず会社で多忙に過ごしている僕に再び奈緒人の写メや一言コメントをメールで送って
くれるようになった。それは麻季が先輩と浮気してからはおろそかになっていた行事だっ
た。

 麻季の浮気以降で大きく変わったことはまだあった。

 夫婦の危機があったからといって業務の多忙さは少しも遠慮してくれなかった。むしろ
その頃の僕は昇進して小さなユニットの部下を指揮して企画記事を製作する立場に立たさ
れるようになったのだ。もちろんその昇進には昇給がついてきていたから、僕は家庭にか
まけて仕事をおろそかにするわけにはいかなかった。なので麻季とやり直すと決めた日か
らしばらくして、僕は前以上に帰宅する頻度が減った。

 それでも一度過ちを犯して僕に許された麻季は何も不満を言わなかった。たまの休暇の
日にへとへとになって帰宅した僕を麻季は笑顔で迎えてくれた。

 問題はその後だった。麻季が妊娠してから長年レスだった、というか僕が迫っても拒否
していた彼女が、どういうわけか僕が仕事で疲労困憊して帰ってくるようになったこの頃
から逆に積極的になったのだ。

 最初のうちはこれまで僕を拒否していた麻季が、自分から僕に抱かれようとしているこ
とが嬉しかった。たとえ罪の意識からにせよ、麻季が本心で僕とやり直そうと努力してい
る証拠だと思ったから。

 でも実際に行為に及ぼうとすると、以前は執着していた麻季の子どもを生んだとは思え
ない綺麗な裸身に対して、僕は得体の知れない嫌悪を抱いたのだ。

 僕も努力はした。意思の力を結集して僕に迫ってくる麻季の裸身を愛撫した。喘ぎ出し
た麻季にキスもした。

 でも駄目なのだ。いざ事に及ぼうとすると僕は全くその気になれなくなるのだった。一
時はあれだけ拒絶する麻季を抱こうとして足掻いていたというのに。

 自分が抱いている麻季の美しい身体は少なくとも一度は鈴木先輩に抱かれて悶えていた
のだ。

 そう考えた瞬間、僕は萎えてしまい麻季を抱けなくなってしまう。

 でも麻季はそういう僕を責めなかった。

 そういうきの麻季は「気にしないで」って言って微笑んだ。それはきっと自分のした行
為が僕にどんな影響を及ぼしたかを慮り、そしていい妻であろうと努めようとしたからだ
ろう。だから勘ぐれば麻季だって義務感から僕を誘っているだけかもしれなかった。そし
て僕がその気にならず僕の相手をしなくてすんだことにほっとしていたのかもしれない。
自分の方から僕を誘っただけで麻季の義務は終了しているのだから。

 それでも僕は麻季を信じた。奈緒人が始めて自分の足で歩いたときの麻季の姿と大学時
代に僕に声をかけてきた麻季の様子を思い浮かべて。

 麻季は奈緒人にとってはいい両親だったと思うけど、夫婦としての肉体的な関係はレス
のままだった。以前は麻季に拒否されたからだ。でも今ではその責任と原因は僕にあった。
765 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:50:29.90 ID:tH/dTWjVo

 その日も僕は編集部で目の回るような多忙な日常を過ごしていた。印刷会社に入稿する
記事の締切日は近づいてきているのに原稿は手元にない。遅筆で有名な評論家の自宅に催
促に行こうとしていた僕は、自分のデスクで鳴り出した電話を取った。

「結城さんに鈴木様という方からお電話です」

 交換にはいと答えてすぐに受話器の向こうで声がした。

「はい。結城です」

「突然すいません。えと、覚えていますか? あたしは太田と言いますけど」

「はい? 鈴木さんじゃないんですか」

 受話器の向こうで慌てたような感じがする。

「あ、いえ。鈴木なんですけど、結婚前は太田でした。というか大学時代は太田だったん
で結城先輩には太田と言ったほうがいいかなって」

 結城先輩ってなんだろう。ゼミの後輩に太田なんていたっけ。

「すいません。よくわからないんですけど、失礼ですけどどちらさまでしょうか」

 万一作家さんだったらまずいので僕はていねいに聞き返した。

「旧姓は太田れいなといいます。結婚して鈴木になりましたけど」

「はあ」

「ごめんなさい。わかりまえせんよね。首都圏フィルの渉外担当の鈴木と申します。来月
のコンサートの取材の件でご連絡させていただきました」

 それでようやく彼女の用件がわかった。首都圏都フィルは自治体が援助している地方オ
ケの中では実力のあるオーケストラだった。全国レベルの有名なオーケストラほど知名度
は高くないけど、知る人ぞ知るという感じで固定のファンも結構ついていた。特に最近、
地方オケでは有り得ないほど知名度の高いコンダクターが常任指揮者に就任することも話
題となっていた。

 僕はその指揮者へのインタビューをメールで事務局に申し込んでいた。メールを読んだ
担当者が連絡をくれたのだろう。そこまでは別に不審な点はなかった。

 だけどこの担当者は鈴木なのか太田なのか。それにいきなり人のことを先輩と呼ぶのは
どういうわけなのだろう。

「あの、先輩ってどういうことですか?」

 電話の向こうで少し考え込む気配がした。それからようやく落ち着いた声で返事が帰っ
てきた。

「ごめんなさい。混乱させちゃって。というかあたしの方が混乱しているんですけど」

 何だかさっぱり要領を得ない。

「うちの金井へのインタビューは喜んでお受けします。金井にも了解は得ています」

 ようやく本題に入ったようだ。

「ありがとうございます。それで取材の日時なんですけど」

「これから会えませんか?」

「はい?」

「直接会って打ち合わせさせてください」

 彼女は一方的に時間と場所を指定して僕が返事をする間もなくいきなり電話を切った。
僕のサラリーマン生活を通じてここまでひどいビジネストークは初めてだった。
766 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:53:41.48 ID:tH/dTWjVo

 鈴木さんだか太田さんだかの指定した時間は一時間後で、場所は編集部のすぐ近くの喫
茶店だった。幸か不幸か一時間後には何も予定は入っていない。

 僕は首を傾げた。非常識な話しだし何が何だかわからないけど、とりあえず行って話し
を聞けば疑問も晴れるだろう。それに金井氏へのインタビューは次号の目玉記事になる。
先方の担当者の奇妙な言動のせいでなかったことにされるわけにはいかなかった。

 僕は立ち上がって椅子に掛けていた上着を羽織った。

「お出かけですか、デスク」

 部下の一人が僕に声をかけた。

「何かよくわかんないんだけど、首都フィルの担当者が会って打ち合わせしたいって言う
からちょっと出てくる」

「はあ? インタビューの日時や場所を決めるだけでしょ? 直接会う必要あるんですか
ね」

「僕に聞かれてもわからんよ。とにかくこっちからお願いしておいて断るわけにもいかん
だろ」

「まあ、そうですね」

「山脇先生に電話で締め切り過ぎてますよって言っておいてくれるか」

「わかりました」

「じゃあ行ってくる」

 徒歩で十五分ほどで指定の喫茶店に着いた。待ち合わせ時間まではまだ四十五分もある。
こんなに早く来る必要はなかったのだけど、せっかく外出の機会が転がり込んできたので
僕は少しゆっくりしようと思ったのだ。

 席に収まって注文を終えると僕は携帯を見た。今朝から午後二時十五分の現在に至るま
で、麻季からのメールが十通近く届いていた。

 僕は時間を掛けて麻季のメールの全てに目を通した。別に今日も何の変わりもないよう
だけど、それでもこれだけのメールを出すのだから麻季にとって今日は比較的余裕のある
一日なのだろう。奈緒人は順調に歩行距離と時間を伸ばしているようだ。離乳食も食べて
はいるものの、どういうわけか麻季の浮気が発覚して以降奈緒人は再び麻季のおっぱいを
求めるようになってしまった様子だった。離乳は早かった方だったのに。

 僕は麻季あてに返信した。奈緒人の今日の出来事への感想と今日も帰宅は十一時くらい
になるという短い内容だった。そして少し迷ったけどメールの最後に「麻季と奈緒人のこ
と、心から愛しているよ」と付け加えた。

 麻季へのメールを送信し終わったとき人の気配を感じた僕は顔を上げた。

「音楽之友社の結城せん、結城さんですか」

その女性が僕にあいさつした。
767 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:55:22.83 ID:tH/dTWjVo

 名刺交換を済ませると僕は彼女にもらった名刺にちらりと目を落とした。

『財団法人首都圏フィルハーモニー管弦楽団 事務局広報渉外課 鈴木怜菜』

「首都フィルの鈴木です。よろしくお願いします」

「音楽之友の結城です。初めまして」

 彼女は何かほんわかした雰囲気の優しそうな女性だった。ちゃんと仕事の話ができるの
か僕が一瞬心配になったくらいに天然の女性に見えた。仕事をしているよりも専業主婦で
育児とかしている方が似合いあそうな感じだ。外見だけ見れば麻季の方がよほどビジネス
ウーマンに見えるだろう。あくまでも外見だけの話だけど。

「あのインタビューの件ですけど」

 彼女が手帳を見ながら言い出した。

「はい」

「よろしければ三月十四日の定演終了後にグリーンホールでいかがでしょう」

 グリーンホールは首都フィルの本拠地だった。都下にあるけどそれほど遠いわけでもな
い。僕は手帳でスケジュールをチェックした。その日には今のところ予定がない。

「わかりました。何時にお伺いしましょうか」

「十四時開演ですのでインタビューは十六時くらいからでいいですか」

「結構です」

「もしお時間があるなら十四時にいらして定演を見ていってください」

 その方がインタビューする側としては好都合だった。彼女はしばらく自分のバッグをご
そごそと探っていた。

「あ、あった。これをどうぞ」

「ありがとうございます」

 僕は招待券を受け取って言った。

 それで打ち合わせはあっけなく終ってしまった。
768 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:57:20.85 ID:tH/dTWjVo

 しばらく沈黙が続いた。こんな内容なら電話かメールで十分だろう。なぜ彼女はわざわ
ざ会って打ち合わせをしようと言ったのだろう。でも初対面の、しかもこちら側からお願
い事をしている身でそんなことを聞くわけにいかなかった。

「結城さんって音楽雑誌の編集者をされてたんですね」

 突然彼女が言った。

「はい?」

「ごめんなさい。あたし、結婚前は旧姓が太田なんですけど、結城先輩と同じ大学で一つ
下の学年にいたんです」

 何だそういうことか。

「ああ、それで」

「はい」

 彼女は微笑んだ。

「先輩はあたしのこと知らないと思いますけど、あたしは先輩のことよく知っています」

「うん? 同じサークルでしたっけ」

「違います。あたし麻季の親友でしたから」

「そうなの? ごめん。全然わからなかった」

 実際にはわからなったというより知らなかったという方が正しかった。大学の頃の麻季
には僕の知る限りでは本当に親しい友人は男女共にいなかったはずだ。何しろその頃の彼
女は筋金入りのコミュ障だった。外見の美しさや一見落ち着いて見える容姿や態度のせい
で取り巻きのような友人はいっぱいいたらしいけど。

「いえ。先輩とは直接お話したこともありませんし。でも麻季からはよく惚気られてまし
た。あの麻季がこれほど入れあげている男の人ってどんな人かなあってよく考えてました
よ」

「そうだったんだ。ごめん、あいつはあまり自分のこと喋らないから」

「結城先輩と麻季の結婚式にも参列させていただきました。麻季、綺麗だったなあ」

 そのとき僕は帰宅して麻季に話してやれる話題ができてラッキーくらいに考えていた。

 でも、どういうわけか彼女は俯いた。そして静かに泣き出した。
769 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/23(日) 22:59:34.15 ID:tH/dTWjVo

「鈴木さん、どうしたの」

 僕は驚いて彼女に声をかけた。周囲の客の視線が刺さるようだった。これでは別れ話を
持ちかけている浮気男と振られた女のカップルのようじゃないか。

「・・・・・・ごめんなさい」

「いや、いいけど。大丈夫?」

 それには答えずに彼女が話し出した。

「音楽之友からの取材メールを見たとき、あたしびっくりしました。最後に結城博人って
書いてあったし。あたしそれが麻季の旦那さんのことだってすぐに気がついたんです。こ
んな偶然があるんだなあって」

「ごめん。よくわからないんだけど」

「あたし、ずっと先輩に連絡を取ろうとしてたんです。麻季の携帯の番号しか知らなくて、
でも麻季には連絡できないし」

「うん」

「だから仕事で先輩から連絡を受けたときチャンスだと思いました。これで先輩とお話で
きるって」

 彼女はコミュ障の麻季には似合いの親友なのかもしれない。さっきから随分彼女の話を
聞いているのだけど、彼女が何を言いたいのか少しも理解できない。

「あたし、結婚してるんです」

 それはそうだろう。旧姓太田と言っていたし、それに左手の薬指には細いリングが光っ
ている。

「あたしいけないとは思ったんですけど。でも最近旦那の様子が変だし不安だったんで旦
那の携帯を見ちゃったんです。そしたら旦那と麻季が浮気していて」

 僕は凍りついた。麻季の浮気の話なんてとうに知っている。今はそれを克服しようと夫
婦ともに努力している最中だった。でも鈴木先輩は独身ではなかったのか。

「君・・・・・・横浜フィルのチェロのフォアシュピーラー、その鈴木先輩の奥さんなのか」

「・・・・・・はい」

 彼女は俯いてそう答えた。
770 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/23(日) 23:00:05.85 ID:tH/dTWjVo

今日は以上です
771 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/23(日) 23:03:41.97 ID:fqJxMQAgo
予想以上に絡んで拗れてるな
772 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/25(火) 01:02:06.46 ID:K+3mmNA5o
流石ビッチ
773 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2012/12/25(火) 08:18:47.55 ID:OqniUmWGo
774 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:12:24.20 ID:a6JXZXXTo

 麻季の告白のあと僕は鈴木先輩について調べていた。ネットでも情報は手に入ったし、
社の演奏家のデータベースにも情報はあった。新人であればネットの方はともかく社のDB
には音楽雑誌に紹介されているような有望な若手しか登録はない。

 鈴木先輩は社のDBにも情報が登録されていた。

 鈴木雄二。

 横浜フィルの次席チェリスト。東洋音楽大学の1年上の先輩。横フィルの有望な新人。

「麻季とうちの旦那が浮気してたって聞いても驚かないんですね」

 玲菜が顔を上げて僕に聞いた。

「・・・・・・うん。麻季から聞いているからね」

「そうか。先輩は麻季のこと許したんですか」

「許したっていうか、やり直すことにした」

「何で麻季と旦那の浮気を知ったんですか。先輩が麻季を疑って問い詰めたんですか」

「いや。麻季の方から告白した」

「そうなんですか」
 怜菜は寂しそうに笑った。「先輩がうらやましい」

「どういうこと?」

「自分から告白したのは麻季も罪の意識を感じていたからでしょうし、先輩に嘘をつきた
くなかったんでしょうね。うちの旦那と違って」

 どう答えればいのかわからない。僕は黙っていた。

「それにうちの旦那は、まだ自分の浮気があたしにばれていないと思ってますよ」

「鈴木先輩は独身だって聞いたんだけど」

 彼女には気の毒だけど僕にとっては気になることだったので、僕はまずそれを確認しよ
うと思った。

「麻季にそう言われたんですか」

「・・・・・・うん」

「じゃあきっとうちの旦那が麻季に自分は独身だって言ったんでしょうね。麻季がそのこ
とで先輩に嘘をつく理由はないでしょうし」

「君と麻季の親友でしょ。麻季は君と鈴木先輩が結婚したことを知らなかったの?」

「ええ。麻季と先輩の結婚式以来麻季とは会ってませんし、あたしたちの結婚は大学卒業後
だし結婚式も挙げなかったんで、あたしと旦那のことを知っている人は大学時代の知り合いは
ほとんどいないと思います」

「あのさ」

「はい」

「僕も麻季に裏切られたと知ったときは自殺したいような心境だったよ。でも僕たちには
子どもがいるし、何よりも麻季は本当に先輩との過ちを後悔していると僕は信じている」

「・・・・・・そうですか」

「麻季と鈴木先輩の仲はもう終っている。君の気が楽になるならそれだけは保証するよ」

「結城先輩にとっては、かつて過ちを犯した二人が今だに密かにメールのやりとりをして
いるのは許容範囲内なんですか」

 怜菜が顔を上げて僕を真っ直ぐ見た。
775 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:13:31.05 ID:a6JXZXXTo

「そんな訳ないでしょ。でも麻季はもう君の旦那と縁を切っているんだし」

 玲菜がバッグからプリントを何枚か取り出した。

「やり直そうとしている先輩と麻季を邪魔する気はないんです。でも、事実を知らないで
判断するのは先輩と麻季にとってもよくないと思います。余計なお世話かもしれませんけ
ど」

「・・・・・・どういう意味?」

「さっきも言ったように旦那の様子が最近変だったんで悪いことだとは思ったんで旦那の
携帯をチェックしたんです。そしたら麻季と旦那がメールを交換し合ってて。転送すると
旦那にばれそうなんで、旦那が携帯をリビングに置いたまま自宅のスタジオで練習してい
る間に関係あるメールを見ながら全部全部パソコンに入力し直したんです」

 怜菜に渡されたプリントは先輩の携帯の送受信メールのやりとりを印刷したものだった。

「よかったら読んでください」

 僕は怜菜に渡された書類に目を通した。

 最初のうちは久し振りの再会を懐かしがったり大学時代の知り合いの話題を交換したり
しているそういう内容のメールが麻季と先輩の間に交わされていた。メールでのやりとり
が重ねられて行くうちに二人のメールは随分親密な様子に変わっていった。

 僕は胸の痛みを感じながらプリントを読み進めた。メールから理解できた範囲ではその
内容は麻季に告白されたものと事実としては全く同じ内容だったので、少なくとも浮気を
告白したときの麻季が嘘をついていないことだけは確認できた。それでも実際に男女の親
密そうなやりとりを読むことは僕の精神にかなりの打撃となった。メールを読むことによ
って僕は今麻季の告白の事実を実際に追体験させられていたのだ。

 段々と親密さを増していく二人。そのうちメールはもっとも辛い部分に差し掛かった。
この辺りになると少なくともメールの文面上は麻季は先輩に対して敬語ではなくもっと親
しみを込めた口調になっていた。そして先輩も麻季のことを呼び捨てするようになってい
た。



『ごめんさい。あたしも久し振りにコンサートに行きたいし先輩の演奏も聞きたい。でも
小さな子どもがいるから家を留守にできないの。ごめんね先輩』

『それは残念。お子さん、昼間は保育園とか幼稚園とかに行ってるんじゃないの』

『何言ってるの。専業主婦だから保育園には入れません。それに奈緒人はまだ幼稚園に入
園できる年齢じゃありません。先輩って音楽以外のことでは常識ないのね(笑)』

『そっかあ。実家とかに預かってもらえないの? 今度の演奏はぜひ麻季に聞いて欲しか
ったなあ。実は演奏のイメージは大学時代の清楚だった麻季をイメージして作ったんだ。
水の妖精だから麻季にぴったりでしょ(笑)』

『清楚な水の妖精って、子持ちの主婦に何言ってるの(笑)。でもわかったよ。実家に預
けられるかどうか聞いてみる』

『ほんと? やった』
776 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:14:30.99 ID:a6JXZXXTo

 コンサート当時の日付のメールはなかった。それはそうだろう。この日、麻季は結局奈
緒人を自分の実家に預けてコンサートに出かけたのだから。多分、精一杯着飾って。

 そしてその夜、麻季は先輩に抱かれた。二人は直接会って二人きりで過ごしていたので
メールを交換していないのは当然だった。

 僕は麻季の必死の謝罪と奈緒人への愛情表現によってその過去は克服していたつもりだ
ったけど、直接二人のやりとりを見るのはやはりきつかった。

 ここまで読んでもまだ未読のプリントがまだ残っていた。麻季の釈明によればその夜の
過ちに後悔した彼女は、もうこれで最後にしようと先輩に言ったはずだった。

 その後も先輩からは言い寄られたりメールが来たりしたとは言っていたけど、麻季は返
事をしなかったと泣きながら僕に言っていた。証拠として自分の携帯を僕に差し出しなが
ら。

 僕はプリントの続きを読んだ。もう黙って僕を見守っている怜菜のことは意識から消え
ていた。



『僕は本気だよ。学生時代から麻季のことが大好きだった。旦那と別れて僕と一緒になっ
てくれないか。君のことも奈緒人君のことも責任を持って一生大切にすると約束する』

『ごめんなさい先輩。もう連絡しないで。あたしはやっぱり奈緒人が大事。だから奈緒人
の父親である主人を裏切れません』

『奈緒人君のことは大切にするって言ってるじゃないか。それに君だって専業主婦で子育
てと旦那の面倒だけみている人生を送るなんて、君を家庭に閉じ込めるなんて君の旦那は
絶対間違っているよ。昔からあいつは嫉妬深かったけど。麻季はあれだけ佐々木先生に認
められていた自分のピアノを本気で捨てるのか? 僕なら君と一緒に音楽の道を歩んで、
お互いを高めあうような関係になれると思う。麻季を本気で愛している。もう一度自分の
人生をよく考えて』

『先輩、何か誤解してるよ。博人君はあたしに専業主婦になれなんて一言も言っていない
の。妊娠したときにあたしが自分で先生の手伝いを止めたの。奈緒人のために育児に専念
したかったから。間違っても博人君の悪口は言わないで』

『ご主人のことを悪く言ったのはごめん。でもこれだけは撤回しない。僕は君のご主人よ
り君のことを理解しているし君にふさわしいと思う』

『もうやめようよ。あたしは博人君と奈緒人を愛してるの。先輩とはもうメールしません。
これまでありがとう、先輩。もうあたしのことは放っておいて。先輩とは二度と会わない。
何度メールしてきても決心は変わりません』
777 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:15:21.19 ID:a6JXZXXTo

 僕はプリントを全部読み終わった。その生々しいやりとりに動揺もしたし、僕に対する
鈴木先輩の誹謗めいた言葉に憤りもした。でも結局麻季は先輩を拒絶したのだ。少なくと
も先輩と別れたという麻季の言葉は嘘ではなかった。

「見せてくれてありがとう」

 僕はプリントの束を怜菜に返そうとした。

「先輩、まだニ、三枚読み残しがあるみたい」

 怜菜が言った。最後と思っていたページの下に数枚最後のページに折曲がってくっつ
くようにして残っていることに僕は気づいた。

「先輩には申し訳ないですけど、その最後の方を読んだ方がいいと思います」

 怜菜はさっきまで泣いていたとは思えないくらい冷静な口調で言った。

「・・・・・・わかった」

 僕は紙を捲って未読のプリントを読み始めた。最初に麻季から鈴木先輩に当てたメール
があった。日付を見ると二〜三ヶ月前だ。それを見て僕は目の前が暗くなった。僕が必死
で彼女を信じてやり直そうとしている間に、麻季は再び先輩とメールを再会していたのだ。



『もう電話もメールもしないで。あたしのことを本当に大切に思っていると言う先輩の言
葉が本心ならもう放っておいて』

『ごめん。君のことが心配でいてもたってもいられなくなって。今日も定演のリハだった
んだけど散々な出来だったし』

『説明するからこれで最後にして。あたしは先輩との過ちを博人君に告白しました。博人
君はあたしのことを許してやり直そうと言ってくれたの。もちろん完全に彼に許してもら
えたなんて思っていない。彼は奈緒人のためにあたしのことを許そうと考えてくれたんだ
と思う。もうあたしには奈緒人と博人君のためだけを考えて一生過ごすほかに選択肢はな
いの。先輩のこと嫌いじゃなかった。でももうあたしの中に先輩の居場所はありません』



 麻季は先輩のことは嫌いではないと言っていた。それは本当に辛かったけど、そこだけ
を問題にしてせっかくやり直している僕たちの関係を無にする気はなかった。

「もう少しだけだから全部読んでみてください」

 怜菜が言った。
778 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:16:23.93 ID:a6JXZXXTo

 続きを読むと先輩と縁を切ったはずの麻季のメールがまず目に入った。



『奈緒人が今日初めて「おなかすいちゃ」って言ったの。ちょっと言葉は遅かったからす
ごく嬉しかった』

『よかったね。安心した?』

『うん。旦那にメールしたら彼もすごく喜んでた。少し興奮しすぎなくらい(笑) 博人君
も仕事中なのにね』

『そうか』

『あ、惚気話でごめん、先輩』

『いや。麻季が旦那とやり直そうと決めたんだから別に構わないよ。何か悩みでもあった
らいつでも連絡して』



次のメールは数か月後だった。それは麻季の方から先輩に出したメールだった。



『突然ごめん。先輩元気でしたか。定演の評判聞きました。もうこれで人気演奏者の仲間
入りだね』

 先輩はそれに対してお礼を言う程度の当たり障りのない返信をしていた。

『またメールしちゃってごめんなさい。うまくやり直せてると思っていたんだけど、博人
君内心ではあたしのことを許してないみたい。彼に迫っても全然抱いてくれないの。やっ
ぱりあたしが先輩と寝たこと気にしてるのかな』

『僕が言うのもなんだけど、男ならそんなに簡単に妻の浮気を許せないかもね』

『どうしよう。あたしにはもう博人君と奈緒人しかいないのに』

『気長に仲を修復するしかないんじゃないかな。それでもどうしても駄目だったら僕のと
ころにおいで。僕は一生独身で君を待っているから。それが君を不幸にしてしまった自分
の罰だと思ってる』

『そんなこと言わないで。先輩はあたしに構わずいい人を見つけて幸せになってよ』



 麻季は夫婦生活の不満のような微妙な話題まで先輩に相談していた。そして先輩の方も
は全く麻季を諦めていないような返信をしていた。
779 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:17:29.42 ID:a6JXZXXTo

「これって・・・・・・」

「結城先輩、ごめんなさい。先輩を苦しめる気はないの。でも事実は事実だから」

 怜菜は僕に向かってすまなそうに謝った。

「君が謝ることはないよ。ただ、麻季は先輩とはもう縁が切れていると思っていたからこ
ういうやりとりをしているとは思わなかった」

「本当にごめんなさい。先輩だって被害者なのに」

「君はこのことを先輩に言ったの?」

 僕は無理して怜菜のことを心配して言った。でも心中は穏かではなかった。僕が不貞を
働いた麻季を許したつもりだった。でもこのメールを見る限り麻季が僕の態度に不満、あ
るいよく言って不安を感じていることは明らかだった。

 麻季は僕には口では僕に謝罪し一番愛しているのは僕だと言った。でもこのメールのニ
ュアンスでは息子のために僕とやり直すような気持ちが感じられた。そして何よりも夫で
ある僕に対して何も言わないでいる自分の考えを先輩に対しては隠すことなく伝えていた
のだ。

 僕は吐き気を感じた。

「彼には何も話していません。メールのことも麻季のことも。今は様子見ですね。このま
ま彼と麻季がフェードアウトするならなかったことにしようと思ってます。でも、これ以
上二人の仲が縮まったら彼とは離婚します」

 怜菜は冷静にそう言った。でも彼女の手は震えていた。

「できれば離婚はしたくないんです。妊娠しているので」

 僕は絶句した。思わず視線が怜菜の腹部に向かってしまった。

「・・・・・・先輩はそのことを知っているのか」

 自分の妻が妊娠しているのに他人の妻に独身を装っていつまでも待っていると言うよう
なクズなら、もうすることは一つしかない。

「いえ。まだ彼には伝えていません」
 怜菜が寂しそうに笑った。「先輩はやっぱり麻季を許すんですか」

「わからない」

 本当にわからなかった。やり直すと宣言した以上、普通の夫婦生活を送ることは僕の義
務だった。だから誘ってくる麻季を抱けなかったことは僕の責任かもしれない。でも、そ
のことを不倫の相手に、僕をこういう風にした原因者にしれっと相談している麻季の心理
は僕の想像の範囲を超えていた。
780 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/29(土) 00:18:29.24 ID:a6JXZXXTo

「麻季のこと恨んでるだろ」

 自分のことで精一杯だったはずの僕はこのとき半ば逃避気味に怜菜と先輩の仲を考えよ
うとした。麻季とのことは考えたくもなかったので実際これは完全に逃避だった。

「麻季は彼を独身だと思っているみたいだし、ましてあたしが妻だとは知らないでしょう
し」

 怜菜が再び寂し気に微笑んだ。どういうわけか怜菜のその表情に、僕は自分が麻季に再
び裏切られたと知ったとき以上の痛みを感じた。

「先輩に妊娠しているって言ってみたら?」

「結城先輩には怒られちゃうかもしれないけど、旦那は本当は優しい人なんです。だから
あたしが彼の子どもを妊娠していると知ったら、それで目が覚めるとは思います」

「だったら」

「ごめんなさい。あたしは妊娠とか関係なく彼にあたしのところに戻って欲しいんです。
子どものことを考慮した仲直りなんて信じられません」

 その言葉に僕は言葉を失った。それは僕のしようとしたことへの明確な否定だった。

 怜菜はすぐに僕の様子に気がついた。自分だって辛いだろうに、彼女は人の気持ちを思
いやれる人間のようだった。

「ごめんなさい。結城先輩がお子さんのことを考えて麻季を許したことを批判してるんじ
ゃないんです」

 僕が間違っているのだろうか。僕は奈緒人のことを真に一緒に考えてくれるのは麻季し
かいないと考えて麻季の不倫を許した。でもその結果がこのメールだ。

「あたし、決めたんです」

「・・・・・・うん」

「もう一月だけは旦那のことを責めないで我慢します。でも、一月たってまだ旦那が麻季
にいつまでも待っているみたいなメールをしていたら、彼とは離婚します」

「そうか」

「結城先輩には事前に話しておきたかったんです。ご迷惑だったでしょうけど」

「いや。君に恨みはないよ。どうするにしても真実を知れて良かった」

 僕は相当無理して言った。実際、怜菜には何の非もないばかりか彼女が一番の被害者だ
ったかもしれない。

「じゃあ、これで失礼します。インタビューの件はよろしくお願いします」

「あ、ちょっと」

「はい」

「大きなお世話かもしれないけど。君が鈴木先輩と別れたとして、お腹の子ども
は・・・・・・」

「育てますよ。もちろん。一人になってもあたしには仕事もあるし育児休業も取れますか
ら」

 最後に怜菜は強がっているような泣き笑いの表情を見せた。
781 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/29(土) 00:19:00.55 ID:a6JXZXXTo

今日は以上です
782 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/29(土) 12:31:47.50 ID:JJuvtMxno
うぇー……乙
783 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/29(土) 17:09:30.80 ID:KGDSCbOIo
どろどろしてきたな
784 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/29(土) 17:34:27.53 ID:vr1m8kfgo
なるほど、この時の伶菜の子供が、、、、いや、なんでもない
785 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:47:57.61 ID:AQ0OypmRo

 怜菜の話を聞いて以来僕はずっと考えていた。鈴木先輩が独身じゃなくて怜菜が先輩の
奥さんであったこと、麻季が先輩とはもう連絡していないと言いながらも、親密な相談
メールを送っていたこととか。その事実は僕を苦しめた。でも、辛い思いをすることを必
死で我慢してじっと自分の心の奥底を探ってみると僕が本当に悩んでいたことは麻季の心
理や行動とかではなくて、僕が麻季を許した動機の部分であることが段々と理解できるよ
うになった。



『ごめんなさい。あたしは妊娠とか関係なく彼にあたしのところに戻って欲しいんです。
子どものことを考慮した仲直りなんて信じられません』



 怜菜は彼女と鈴木先輩との仲をシビアに見つめていた。麻季と先輩の関係に目を背け、
奈緒人を言い訳になし崩しに麻季とやり直そうとしている僕とは対照的に。

 なりふり構わないのなら玲菜にだってできることはあるはずだった。メールのことを鈴
木先輩に話して麻季との仲を清算するように詰め寄ってもいいはずだし、自分が妊娠して
いることだって武器になる。玲菜本人も自分の妊娠を知れば先輩は麻季を諦めて自分のと
ころに戻ってくるだろと言っていた。

 でも彼女はそれをせず黙って先輩と麻季の仲を見守っている。自分の浮気を知られ玲菜
に責められ彼女の妊娠を知った上で先輩が自分を選ぶことを拒否しているのだ。玲菜は強
い女性だった。自分の行動や悩みを振り返るとますますそう思い、僕は自己嫌悪に陥った。

 僕がしたことは判断停止に近い。麻季と先輩の仲を深く探ろうともせず、麻季の本当の
気持ちを知ることさえ拒否し、麻季が謝っていることに安住して奈緒人を言い訳に彼女を
許した。

 麻季には当然非がある。先輩とはもう何も関係がないと言いつつ夫婦間の悩みを先輩に
していたのだから。でも、きちんとした言い訳や謝罪すらさせてもらえず、僕に対する罪
の意識を抱えたままにさせられた彼女が先輩にメールした動機は少しだけ僕にも理解でき
た。

 それなら一度存分に浮気をした麻季を責め立て自分の気持をぶつけてから今後のことを
決めればいいのだけど、今の僕にはそれすら恐かった。

 麻季を問い詰めようとは思ったときだってあった。怜菜に見せられたメールのやり取り
を思い浮かべて。
786 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:48:59.58 ID:AQ0OypmRo

『気長に仲を修復するしかないんじゃないかな。それでもどうしても駄目だったら僕のと
ころにおいで。僕は一生独身で君を待っているから。それが君を不幸にしてしまった自分
の罰だと思ってる』

『そんなこと言わないで。先輩はあたしに構わずいい人を見つけて幸せになってよ』



 少なくともこのことだけは麻季に指摘しておくべきだったろう。彼女は僕に嘘をついて
先輩とメールを交わしていたのだから。

 それでもそれを実行しようとするとき、僕は情けないことに奈緒人の無邪気な様子を思
い浮かべて躊躇してしまうのだった。これを言ったら麻季は本当に家を出て行ってしまう
かもしれない。そうなればもう二度と麻季とも奈緒人とも会えなくなるかもしれない。

 そう思うと僕には何もできなかった。本当に情けない。玲菜は自分と自分のお腹の子の
ために一人で必死で耐えているというのに。



 帰宅してマンションのドアを開けたとき、偶然に目の前には奈緒人がいた。奈緒人はい
きなりドアを開けて入ってきた僕を見て凍りついたように固まった。でもそれが僕とわか
ると満面に笑みを浮べて僕の方に手を伸ばしてきた。

 僕はしがみついてくる奈緒人を抱き上げた。

「お帰りなさい、博人君」

 奈緒人を追いかけてきたらしい麻季が微笑んだ。

『かつて過ちを犯した二人が今だに密かにメールのやりとりをしているのは許容範囲内な
んですか』

そう怜菜は言った。もちろん答えはノーだったはずだった。でも帰宅した僕に抱きつく
息子やその様子を微笑んで見ている麻季を見ると、玲菜に会って考え直したことはどこか
に失われてしまい、メール程度は許容するべきじゃないかとも思えてくる。

 怜菜は辛い立場だったろう。自分の夫が親友の麻季に対して自分は独身だと、いつまで
も麻季を待っていると言っているのだから。

 確かに麻季は嘘をついていた。もう連絡しないと言っていたのに、実際は先輩に身の上
相談までしていた。

 でも玲菜と違って僕には奈緒人と麻季が微笑んで僕の帰宅を待っていてくれる家庭があ
る。メールのことはショックだったし、麻季の本心がわからなくなったけど、少なくとも
あのメールでは麻季は僕を選んでくれていた。妻の存在を隠して麻季を口説いている先輩
をただ待っているだけの玲菜よりも、僕の方がまだましな状態なのかもしれない。

 潔くするか曖昧に今の関係を続けるのか。このときの僕は本当に揺れていた。

 結局、僕は怜菜に会ったことも怜菜から麻季と先輩が未だにメールをやりとりしている
のを聞いたことも麻季には話さなかった。奈緒人を抱いた僕に対して微笑んだ麻季に対し
て、あらためて愛情を感じたせいかもしれない。愛情というかそれはむしろ執着といって
もいいかもしれないけど。

 玲菜はメールで証拠を押さえていることや自分の妊娠を武器にして先輩を引きとめよう
とはしていない。先輩が自ら目を覚ますことを願ってじっと待っているのだ。そんな玲菜
の意思を無視して勝手に麻季にメールの話をするわけにはいかなかった。

 怜菜に見せられたメールは僕を悩ませた。先輩との関係を泣きながら謝罪した麻季が僕
に嘘を言っていたのだ。麻季が嘘をついたことと、自分の悩みを打ち明ける相手として僕
ではなく先輩を選んだことは、麻季が先輩に抱かれたことよりも僕を苦しめた。
787 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:49:52.59 ID:AQ0OypmRo

 玲菜は一月だけ待つと言った。別に僕が玲菜に義理立てする必要はない。

 でも僕は玲菜の判断に自分を委ねようと考えた。合理的な思考ではないかもしれないけ
ど、あれだけ追い詰められている玲菜が鈴木先輩を許すなら、僕も麻季を許そう。でも麻
季が先輩と別れるなら僕も麻季との離婚をを考えよう。

 悩んだ結果、ようやくそこまで僕は自分の思考を整理することができた。このときの僕
には正常な判断能力は失われていたのかもしれない。情けないけど僕は玲菜の判断に全て
を委ねる気になっていた。

「ご飯食べたの」

 麻季が微笑んだまま聞いた。

「連絡しなくて悪い。食べてきちゃった」

 実際は玲菜との会談で食欲を失っていた僕は何も食べていなかった。でも今麻季の用意
した食事を食べられるほど僕のメンタルは強くない。

「気にしないでいいよ。それよりそろそろ奈緒人を寝かせなきゃ」

「ああ。悪い」

 僕の手から奈緒人を受け取った麻季は奈緒人を寝室に連れて行った。

 こうして僕は自分の判断を保留して玲菜の審判を受け入れる道を選んだ。玲菜の言う一
月を待つ間、僕は麻季にできる限り優しくした。別に陰険な思いからではない。これが麻
季との生活の最後になるかもしれないのだ。浮気までされて情けないという気持ちもあっ
たけど、麻季と付き合って結婚した生活は彼女の不倫の発覚までは幸せだった。だから僕
は麻季と別れるにせよ、最後までその思い出を綺麗なままにしたかった。

 麻季も僕に対して優しく接してくれた。彼女が本心で何を考えていたかまではわからな
い。でもこの奇妙なモラトリアムの間、僕たちは理想的な夫婦を演じたのだ。

 僕は玲菜と会ったことを麻季には話さなかった。玲菜は僕に対して何も口止めしなかっ
た。でも彼女が何もせずに先輩の行動を見守っている以上、そして僕も玲菜の判断に追随
しようと考えたからには、麻季に玲菜のことを話すわけにはいかなかった。

 それでもいろいろ考えることはあった。玲菜が鈴木先輩を許した場合でも僕は麻季と本
気でこの先やり直せるのか。そして玲菜が先輩を見限ったとしたら僕と麻季は離婚するこ
とになるのだろうか。先輩と麻季は結ばれるのか。その場合の奈緒人の親権はどうなるの
か。

 それはいくら考えても現状では何の結論も出なかった。
788 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:50:46.86 ID:AQ0OypmRo

 再び玲菜と会ったのは横フィルの新しい常任指揮者へのインタビュー終了後だった。笑
顔であいさつする玲菜に、僕は少し話せないかと誘ってみた。玲菜が決断するために区切
った期限まであと一週間とちょっとしか残っていない頃だった。

「いいですよ」

 屈託のない笑顔で玲菜は答えた。

 定演のあったホールの近くは知り合いだらけでまずいので、僕は彼女をタクシーに乗せ
てホールから三駅ほど離れているファミレスまで連れ出した。人目を避けて行動している
いることに対して何となく不倫をしているような妙な緊張感を感じる。でもホール周辺は
玲菜や僕の知り合いだらけだったからそうするしかなかったのだ。タクシーの中の彼女は
インタビューの様子や何月号にそれが掲載されるかといった仕事繋がりの話をしていたと
思う。

 適当に見つけたファミレスに入って向かい合わせに座った僕は、時間を取らせたことを
彼女に詫びた。

「いえ。あたしも先輩とお話したかったから」

 玲菜は笑って言った。

「君は強いな」

 そんなことを言うつもりはなかったけのだけど、僕は思わず口に出してしまった。表面
上はいい家族を必死で演じていた僕は、この頃になるともう精神的に限界だった。家庭で
ストレスを感じながらも麻季に優しく接している分、仕事中の僕の態度は最悪だった。部
下にも些細なことで当り散らしたりもした。

「強くなんかないですよ。旦那の目を盗んで毎日泣いてます。お互い辛いですよね」

 そんな僕の心境を知ってかどうかはわからないけど、彼女は僕にそう言って微笑んだ。
その彼女の微笑んだ顔はすごく綺麗だった。

 ・・・・・・大学時代に知り合ったのが麻季ではなく玲菜だったら、僕は今頃どういう人生を
送っていたのだろう。僕のアパートの前で幼馴染の理恵に嫉妬して騒ぎ立てたのが麻季で
はなく玲菜だったとしたら。

 仕事から帰宅した僕を、奈緒人を抱いた玲菜がおかえりなさいと迎えてくれる姿が思い
浮かんだ。彼女なら麻季と違って浮気も不倫もしないだろうし、きっと何の悩み事もない
夫婦生活を送れていたかもしれない。

 それはどうしようもない幻想だった。第一に玲菜なら突然親しくもなっていない僕のア
パートに押しかけたりはしないだろう。そして僕にとって何よりも大切な奈緒人を産んで
くれたのは麻季であって、玲菜ではない。

「どうしました?」

 玲菜が微笑んで言った。僕は慌てて無益な幻想を頭から振り払った。こんな妄想で現実
逃避している場合ではなかった。あと一週間と数日で結果が出るのだ。
789 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:51:37.41 ID:AQ0OypmRo

「もう少しで一月になるけど、君の決心が固まったのかどうか聞きたくて」

 僕は言った。

「まだ決めてません。一月たっていないし」

 それから彼女はハンドバッグの中から数枚のプリントを取り出した。読むまでもなく麻
季と先輩のメールのやり取りだろう。未だに麻季は先輩と接触があるのだ。

「多分このことが気になっているんですよね。どうぞご覧になってください」

 そう言われると僕は麻季のメールが気になっていたような気がしてきた。矛盾するよう
だけどさっきまでは先行きのことばかり気にしていて、今現在の麻季と先輩の様子を気に
することは失念していたのだ。



『奈緒人君が順調に成長しているようで何よりです。よかったね』

『ありがとう先輩。この子はあたしにべったりなのでトイレに行くのも大変』

『麻季みたいな人がママならそうなるだろうね』

『この子を幼稚園に盗られちゃったらあたしはすることが無くなっちゃうな。そう思うと
ちょっと恐い』

『そしたら君はそれだけ旦那さんに愛情を注げるんじゃない? やり直すんだからいいこ
とだと思うけどな』

『先輩は何でそんな意地悪なこと言うの?』

『ごめん。意地悪したつもりはないんだ。でも君が彼を愛していると言っていたから』

『あたしの方こそごめんなさい。先輩が心配してくれているのに』

『彼とうまくいってないの?』

『博人君はあたしに優しいよ。でも何か彼の目が遠くて恐いの。あたしを見てくれている
ときでもあたしを通り越してもっと遠くの方を見ているようで』

『こんなこと聞いて悪いけど、旦那は君を抱いてくれた?』

『レスのままです。でもそういうこと先輩には聞かれたくないよ』

『ごめん。でもしつこいようだけど言わせてもらうよ。僕には麻季を誘惑して抱いてしま
った責任がある。麻季が旦那と幸せなら僕はもう何も言わないしメールだってしない。で
も麻季が彼との生活に辛い思いをしているなら、僕のところに来て欲しい。僕は麻季がど
うするか決めるまでは独身のままで待っている。それが僕の贖罪だと思うから』

『ありがとう先輩。今は決められないけど気持ちは嬉しい。あたしのしたことは過ちだ
し博人君を裏切ったのだけど、それでも先輩との一夜が単なる遊びじゃなかったってわか
った。それだけでも先輩には感謝している』

『お礼を言うのは僕の方だ。例え僕が麻季と結ばれても僕は一生君の旦那さんへ罪悪感を
感じて生きて行くんだろうな。それでも後悔はしてないよ』
790 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:52:34.18 ID:AQ0OypmRo

 前に読ませてもらたメールよりも二人の距離が近づいていることが覗われた。もうこれ
は駄目かもしれない。このときになってようやく僕にも玲菜が先輩に対して不貞行為の証
拠を突き詰めなかったことが理解できてきた。実際にこの二人が僕や玲菜を捨てて一緒に
なる決断をするかは結果論であって、今はそんなことはどうでもいい。先輩と麻季が自分
たちの関係に価値を見出し、そのことをお互いに確認しあっていることが問題なのだ。

 玲菜は最初からそのことだけを追求していた。だから先輩を責めなかったし麻季に対し
て先輩には自分という妻がいることを話したりもせずずっと耐えて待つことにしたのだ。

 そして僕にもようやく理解できた。麻季が奈緒人と僕を愛していて、それゆえに麻季が
先輩と縁を切ることを僕は勝利条件だと考えていた。でもそうではないのだ。麻季と先輩
がお互いに求め合いながらも奈緒人や僕への未練のためにもう連絡も取らず会わないと決
めたとしても、それは何の解決にもなっていないことを。

 そのことを僕はか弱い外見の玲菜に教わったのだ。

「また結城先輩につらい思いをさせたちゃてごめんなさい。まだ期限は来ていないと言っ
たけど、でも正直もう駄目かなって思ってます」

 それまで微笑んでいた玲菜が泣き出した。

「・・・・・・僕もそう思う。これは互いに求め合っている悲劇の恋人同士の会話だもんね」

「わたしもそう思います。こういうことになるかなって思ってはいたけど、それが現実に
なるとすごく悲しくて寂しい。むしろ旦那のことを憎みたいのに、まだ未練が残っている
自分がとてもいや」

「先輩と離婚する?」

「はい。期限前だけどもう無理でしょう。旦那とは別れます。そして一人でお腹の子を育
てます。先輩は・・・・・・どうされるんですか」

 僕は息を飲んだ。優柔不断な僕だけどもう逃げているわけにはいかないことは理解でき
ていた。

「君が先輩と別れるなら僕もそうするよ」

「え?」

 玲菜が一瞬理解できないような表情を見せた。

「何言ってるんです? あたしと旦那が離婚したからといって、先輩が同じことをする必
要なんてないですよ。先輩がお子さんのために麻季と頑張ろうとしているならそれは立派
なことじゃないですか」
791 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:53:16.21 ID:AQ0OypmRo

「僕もこの間君に会ってから考えたんだ。謝ってくれて奈緒人を大切にしてくれる麻季と
やり直そうとした決心は正しかったのかって。麻季が僕のことを好きなことは間違いない
と思っているけど、少なくとも麻季の心の半分は先輩に取られているようだ。それなら毎
日僕に微笑んでくれる麻季は多少なりとも演技をしているわけで、麻季の気持ちに目をつ
ぶってそんな生活を維持することが本当に奈緒人の幸せになるのかって」

「先輩の気持ちはわかりますけど、麻季は現実逃避しているだけですよ。たまたまその相
手のうちの旦那が優しくしてくれるから自分の気持を勘違いしているんだと思いますけ
ど」

「君だって辛いのに麻季のことなんか庇わなくていいよ」

「そうじゃないです。麻季と旦那との関係は恨んでいますけど、麻季本人のことは恨んで
ません。親友だし彼女のことはよくわかっています。麻季は本心では結城先輩のことしか
愛していないと思います。今はうちの旦那との偽りの関係に酔っているだけですよ」

「もういいよ。今はお互いに自分のことだけを考えようよ」

「・・・・・・はい。もう少ししたら結論を出します。そうしたら旦那に別れを言いだす前に先
輩には連絡させてください」

「うん。わかった」

 その数日後に僕は再び玲菜と会った。最初に彼女と会った社の近くの喫茶店で。

 玲菜に呼び出されて緊張しながら店内に入った僕に気がついた彼女は立ち上がり僕に
深々と頭を下げた。

「お呼び立てしてごめんなさい」

「いや」

 僕たちは向かい合って座った。注文したコーヒーが運ばれてからあらためて玲菜が頭を
下げた。
792 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/12/31(月) 23:56:08.75 ID:AQ0OypmRo

「いろいろとご迷惑をおかけましたけど決心しました。今までお付き合いいただいてあり
がとうございました」

「・・・・・・決めたんだね」

「はい。結城先輩には感謝しています」

 玲菜が言った。

「いや。僕の方こそありがとう」

「先輩さえよかったら今日この後帰宅したとき旦那に離婚を求めようと思います」

「いいも悪いもないよ。僕や麻季のことは気にしないで自分の思ったとおりにしてくださ
い」

「ありがとう」

 玲菜はもう泣かずに僕に向かって微笑んでくれた。

「このあと先輩はどうされるんですか?」

「もう少し考えるよ。君にはいろいろ教わったしそういうことも含めて最初から考えて見
ようと思う」

「それがいいかもしれませんね」

「お子さんは順調なの?」

「・・・・・・しないでください」

 玲菜にしては珍しく乱れた声だった。

「うん?」

「そんなに優しくしないでください。あたし、これから一人で頑張らないといけないの
に」

 玲菜が俯いた。

「最近、先輩があたしの旦那だったらなって考えちゃって。ここまで麻季のことを思いや
る先輩みたいな人があたしの旦那さんだったらどんなに幸せだったろうなって、あたし先
輩とお会いするようになってから考えちゃって」

 後にそのことをで後悔することになるのだけど、このときの僕は黙ったままだった。心
の浮気も有責なのだ。玲菜の毅然とした様子やそれでもたまみ見せる弱さにきっと僕も惹
かれていたのだと思うけど、それを言葉にしてしまえばしていることが麻季や先輩と一緒
になってしまう。

「麻季がうらやましい・・・・・・。ごめんね先輩。お互いに配偶者の浮気に悩んでいるのに、
一番言ってはいけないこと言っちゃった。忘れてください」

 玲菜が立ち上がった。

「今までありがとうございました。誰にも言えずに悩んでいたんで、先輩とお会いしてず
いぶん助けてもらいました」

「僕は何もしていないよ」

 僕はようやくそれだけ言った。

 玲菜が微笑んだ。

「そんなことないですよ、結城先輩。麻季とやり直せるように祈ってます。じゃあさよな
ら、先輩」

「さよなら」

 結局これが生前の玲菜と直接会って交わした最後の会話となった。
793 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/31(月) 23:56:47.55 ID:AQ0OypmRo

今日は以上です。
よいお年を。
794 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/01(火) 00:49:08.37 ID:zZXQTZ+No
乙。毎回唸るしか出来ないが、うーん。
リアルなドロドロ感が新年早々痛いよ。

良いお年を。
795 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/01(火) 01:12:41.33 ID:GF4S7puLo
796 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/01(火) 08:59:16.70 ID:5UOVAlrjo
生前の…
oh...
797 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga sage]:2013/01/02(水) 14:52:56.39 ID:mMSj5kua0
乙です
798 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:26:53.12 ID:/qHo0BApo

 玲菜が事故で亡くなる前、僕は玲菜からメールを受け取った。玲菜が鈴木先輩と離婚し
てから半年近い月日が経過した頃だった。それは職場のPCのメーラーに届いていた。口に
は出さなかったけど鈴木先輩と麻季と同じことをすることが気になって、僕は玲菜とは携
帯電話の番号やメールのアドレスを交換しなかった。だから玲菜は名刺に記されていた職
場のアドレスにそのメールを送信したのだろう。



from:太田玲菜
to:結城先輩
sub:ご無沙汰しています
『先輩お久し振りです。お元気に過ごしていらっしゃいますか。突然会社にメールしてし
まってすみません。先日は見本誌を送付していただいてありがとうございました。そして
お礼が送れてすみませんでした。わたしが言うのも失礼ですけどいいインタビュー記事で
した。さすがは先輩ですね。うちの上司も喜んでいました』

『現在わたしは育児休業中です。先輩にはお知らせしていませんでしたけど、無事に女の
子を出産いたしました。育児では大先輩の結城先輩に言うことではないですけど、この子
がわたしの支えになってくれています。以前お会いしたとき、わたしは先輩に失礼なこと
を言いました。「子どものことを考慮した仲直りなんて信じられません」って』

『でも今になってみると先輩の気持ちがわかります。今では本当にこの子のためなら何で
もできると考えている私がいます。正直一人で育てていますので辛いことはいっぱいあり
ます。でもこの子の寝顔を見ていると頑張らなきゃって思い直す日々を送っています』

『どうでもいいことを長々とすいません。最近、偶然に学生時代の友人に会いました。彼
女は今は都内の公立高校の音楽の先生をしているのですけど、先日麻季に会ったことを話
してくれました。休日のショッピングモールで偶然に出会ったみたいですね。先輩もご記
憶かもしれません。休日出勤の途上の彼女は麻季と立ち話で近況を報告しあっただけで別
れたそうですけど、「麻季のご主人がお子さんの手を引いていたよ」と、「そして麻季は
あたしと立ち話をしている間もご主人のもう片方の手にずっと抱きついていたよ」って言
っていました。いいご夫婦で麻季がうらやましいって言ってましたね。彼女も未だに独身
なんで(笑)』

『おめでとう先輩。元の旦那と離婚したこと自体には後悔はないのですけど、わたしなん
かが余計なメールを先輩に見せたことで先輩と麻季の人生が狂わないかとそれだけが心配
でした。先輩なら麻季の気持ちを取り戻せるんじゃないかとは信じていましたけど』

『もう結城先輩とお話する機会はないでしょうし、ご迷惑でしょうからメールもこれで終
わりにします』
799 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:30:53.94 ID:/qHo0BApo

『最後だから言わせてください。あたしは学生時代から結城先輩に片想いしていまし
た。麻季が先輩と付き合い出したと教えてくれたとき、あたしは本当に目の前が暗くなる
思いでした。でも麻季は親友でした。麻季は昔から綺麗でしたけど性格に少し理解されに
くいところがあったので友人は少なかった。でもあたしはその数少ない友人、いえ親友で
した。だから先輩と麻季の結婚には素直に祝福したのです』

『その後、あたしは業界の繋がりで元の旦那に再会しました。しばらくして彼に口説かれ
て結婚したことをあたしはすぐに後悔しました。今までははっきりとは言いませんでした
けど彼は結婚直後から女の出入りが激しかった。浮気がばれたことなんて片手では収まら
ないほどでした』

『でもそれは元の旦那が自分が既婚者であることを明かした上での付き合いでした。とこ
ろがある日嫉妬と不安に駆られたわたしが彼の携帯のメールをチェックすると、彼は自分
が独身であると言って麻季を口説いていたことを知りました。麻季があたしの親友である
ことを彼は知っていたのに。その後のことは先輩もご存知ですね』

『先輩はわたしのことを強い女だと言ってくれました。でもそれは誤解です。わたしは弱
く卑怯な女でした。先輩から取材の依頼メールが来たとき、わたしは胸が高鳴りました。
本当はあのインタビューの件はわたしの上司の係長が担当することになっていたのですけ
ど、わたしはこの人は私の音大時代の親しい先輩だからと嘘を言って自分が担当になるこ
とを納得してもらったのです』

『お互いに伴侶の不倫を慰めあっているうちに恋に落ちる二人。そんな昼メロみたいなこ
とをわたしは期待して先輩をあの喫茶店に呼び出しました。そして、先輩はわたしが旦那
と別れるなら自分も麻季と別れるって言ってくれました。もちろんそれは先輩がわたしに
好意があるからではないことは理解していました』

『でも奈緒人君への愛情を切々と語る先輩の話を聞いているうちにあたしは目が覚めまし
た。奈緒人君から母親を、麻季を奪ってはいけないんだと。そしてその決心は自分の娘を
出産したときに感じた思いを通じて間違っていなかったんだなって再確認させられたので
す』

『本当に長々とすいません。あたしの先輩へのしようもない片想いの話を聞かされる義理
なんて先輩にはないのに。でもわたしは後悔はしていません。そして今では先輩が麻季と
やり直そうとしていることを素直に応援しています。生まれてきた子がわたしをそういう
心境に導いてくれました』

『先輩のことだから麻季の携帯のチェックなんて卑怯な真似はしていないと思います。わ
たしから先輩への最後のプレゼントです。昨日噂を耳にしました。最近荒れていた元旦那
に彼女ができたみたいです。わたしが元旦那に離婚を切り出したときも彼は平然として、
君が僕のことを信じられないならしかたないねと言っていました。その旦那が最近ふさぎ
こんでいることをわたしは知り合いから聞いていました。最初はわたしと別れたからかな
って思っていたんですけど、そうではないようです。やはり麻季が元旦那にきっぱりと別
れを告げたみたい。結局麻季は結城先輩を選んだのです』

『そして元旦那も麻季のことを諦めて、次のお相手をオケ内で調達したらしいです。いつ
までも独身で麻季を待つと言ったあのセリフはどこに行ったんでしょうね(笑)』

『これでわたしの非常識なメールは終わりです。先輩・・・・・・。大好きだった結城先輩。こ
んどこそ本当にさようなら。麻季と奈緒人君と仲良くやり直せることを心底から祈ってま
す』
800 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:31:28.77 ID:/qHo0BApo

 玲菜の離婚後も結局なし崩しに麻季とのやり直しを選択した僕は、その辛いメールを読
み終わった。

 それから数日後に混乱した想いを乗せたメールを返信したのだけど、それは送信先不明
で戻ってきてしまった。そのとき僕は業務上の用件を装って首都圏フィルに電話した。知
らない女性の声が応対してくれた。

『首都フィル事務局です』

『・・・・・・音楽之友社の結城と申しますけど鈴木さん、いや太田さんをお願いします』

 鈴木さんか太田さんわからない人からわけのわからない電話が僕にあったことはつい昨
日のようだった。

『鈴木は退職いたしました。後任の多田と申します。どんなご用件でしょう』

『いえ、すみません。ちょっと個人的な用件で電話しました。失礼いたしました』

 電話口の多田さんと名乗る女性は僕の慌てている様子に少し同情してくれたらしかった。
音楽之友社の肩書きも多少は有利に働いたのかもしれない。

『鈴木に何かご用でしたか』

『はい。連絡先を教えていただけないでしょうか』

 無理を承知でそう言った僕に多田さんは答えた。

『それはお教えできません。業務上のご連絡でないならこれで失礼させていただきます』

『すみません。ありがとうございました』

 これで本当に玲菜と僕の繋がりは断ち切られた。
801 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:32:11.84 ID:/qHo0BApo

 玲菜のメールのとおり玲菜と先輩が離婚したあとも僕は麻季と別れなかった。玲菜の決
断に従って自分の行動を決めようと思っていたのだけど、この頃から奈緒人が急速に成長
していたこともあり僕はそんな奈緒人を大切に育てようとしている麻季と別れることがで
きなかった。麻季と先輩の仲とか最後に会ったときの玲菜の寂しそうな表情とかが僕を苦
しめたけど、息子の成長を見守ることがそのときの僕にとって最優先事項になっていたの
だった。

 玲菜の最後のメールで玲菜の心境を始めて知った僕は心を揺り動かれたのだけど、同時
に麻季が先輩と本当に縁を切ったらしいという話にもほっとしていた。麻季が本当に僕の
ところに戻ってきてくれた。玲菜の告白に動揺していたし一時期彼女の告白めいたセリフ
に心が動いたことも事実だったのだけど、やはり僕は心底から奈緒人をそして奈緒人の母
親、麻季を愛しているようだった。

 それから数週間後、玲菜への同情と未練を断ち切った僕は、珍しく早い時間に帰宅でき
た。自宅の近所での取材の帰りに直帰することができたのだ。

 まだ明るい時間に帰宅するのは久し振りだった。これなら奈緒人がおねむになる前に息
子と一緒に過ごすことができる。僕はそう思って自宅のマンションのドアを開けた。

 そこには黒づくめの喪服姿の麻季が立っていた。

「博人君、ちょうどよかった。さっきからメールとか電話してるのに出てくれないんだも
ん」

「ごめん。近所でインタビューしてたからさ。おかげで早く直帰できたんだけど。それよ
りその格好どうかした? 近所で不幸でもあったの」

「奈緒人は実家に預けようかと思ったんだけど、博人君が帰ってくれてよかった。大学時
代の友だちが交通事故で亡くなったの。これからお通夜に行きたいだけど」

「いいよ。奈緒人は僕が面倒をみてるから。つうか斎場はどこ? 車で送っていこうか」

「ううん。保健所の近くらしいから大丈夫よ。奈緒人、まだ夕食前だからお願いね」

「わかった。亡くなった人って僕も知っている人?」

「博人君は知らないと思う。あたしの大学時代の親友で結婚式にも来てもらった子で太田
玲菜っていうんだけど、多分あなたは覚えていないでしょ」

「・・・・・・」

「博人君? 何で泣いてるの?」

「・・・・・・やっぱり送って行くよ」

「あたしは助かるけど、奈緒人はどうするの」

「連れて行く。君が帰ってくるまで斎場の前に待ってるから」

 麻季はいつもと違う雰囲気の僕に不審を感じたようだった。麻季の勘は時として鋭い。
802 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:33:27.20 ID:/qHo0BApo

「博人君、玲菜のこと覚えてるの?」

「とにかく一緒に行こう。僕は外で奈緒人をみながら手を合わせているから」

 僕は確かに泣いていた。麻季の目の前で泣いてはいけないことはわかっていたし、玲菜
だってそれは望んでいなかっただろう。でもこれはあんまりだ。鈴木先輩と麻季の不倫に
悩んだ挙句、彼女は自分の娘だけを生きがいに生きて行こうとしていたのに。

「あとで全部話すよ。とにかく出かけよう」

 麻季はもう逆らわずに奈緒人を抱いて車に乗った。僕には今でも自宅から斎場まで運転
したときの記憶がない。麻季によれば僕はいつものとおり荒くない安全運転で斎場まで麻
季を連れていったそうだ。

 僕の記憶は通夜の弔いを済ませた麻季が青い顔で車のドアを開けたところまで飛んでい
る。そこから先の記憶はある。

 麻季がいつもは奈緒人と並んで座る後部座席ではなく助手席のドアを開けて車内に入ってきた。

「何で?」

「何でって?」

 僕はそのとき冷たく答えた。玲菜の死には先輩にも麻季にも関わりがないことだった。
でもそのとき意識を覚醒した僕は玲菜の淋しそうな微笑みを思い出した。玲菜の死に責任
はないかもしれないけど、その短い生涯を閉じる直前に玲菜を追い詰めた責任は彼らにあ
る。

「何で親族席に鈴木先輩がいたの。何で鈴木先輩が取り乱して泣き叫んでいたの」

 離婚して間がないことから親族の誰かが気をきかせたのだろう。もう離婚していたので
あいつにはその席で玲菜の死を悼む権利なんてないのに。

「とりあえず家に帰ろう。奈緒人も疲れて寝ちゃっているし」

「博人君は何か知っているんでしょ。何であたしに教えてくれないの。親友の玲菜のこと
なのに」

 助手席におさまったまま麻季は本格的に泣き出した。
803 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:35:27.14 ID:/qHo0BApo

 その日も陰鬱な雨が降りしきっていた。

 午前中に麻季の実家に奈緒人を預けた僕と麻季は、僕の運転する車で都下にある乳児院
を併設した児童養護施設に向っていた。本来ならもう桜が咲いていてもいい季節だったけ
どその日は冬が後戻りしたような肌寒い日だった。

 やがて海辺の崖に面している施設の入り口の前に立ったとき、僕は隣に立っている麻季
の手を握って問いかけた。

「本当にいいのか」

「うん。もう決めたの。博人君はあたしを許してくれた。そして玲菜も鈴木先輩を奪おう
としたあたしを許してくれていたとあなたから聞いた。信じてくれないかもしれないけど、
あたしはあなたと奈緒人が好き。一番好き。もう迷わない。あなたはそんなあたしのこと
を信じているって言ってくれた。本当に感謝しているの」

「それはわかったよ。でも血が繋がっていない子を引き取るとか・・・・・・本当に大丈夫なの
か」

 麻季は僕の手を強く握った。

「大丈夫だよ。あたしは玲菜の子どもを立派に育ててみせる。玲菜はあたしのせいで離婚
したんでしょ。本当なら両親に祝福されて生まれて大切に育てられていたはずなのに」

「そう簡単なことかな。奈緒人だってまだ手がかかるのに」

「博人君は君の好きなようにすればいいって言ってくれたでしょ。今になって心配になっ
たの?」

「違うよ。君が決めたんなら僕も協力する」

 僕はそのとき玲菜のことを思い出した。

 玲菜。わずか数回しか顔を会わせなかった玲菜。

 旦那の浮気に対して毅然として立ち向かった玲菜。腰砕けでだらしない僕をさりげなく
慰めてくれた玲菜。こんな僕のことを好きだったって最後のメールで告白してくれた玲菜。

 彼女はもういない。熱を出した娘を病院に連れて行った帰りに暴走した車に引かれて彼
女は死んだ。

 麻季の話では、玲菜は即死ではなかった。自分が抱きしめて守った娘のことを最後まで
気にしながら救急車の到着前に現場で息絶えたそうだ。

「行こう、博人君」

「うん」

 僕たちは手を繋いだまま施設の中に入った。施設の中に入ると大勢の子どもの声が耳に
入った。
804 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:36:16.48 ID:/qHo0BApo

 僕たちの考えは相当甘かったようだ。施設の職員は親切に対応してくれたけど彼女が説
明してくれた要件は厳しいものだった。考えてみれば児童虐待とかが普通にありえるこの
世の中では当然の措置だったのだろう。

 養子縁組には民法で定められたルールがある。養子となる方が未成年者の場合、家庭裁
判所の許可が必要だ。そして養子となる子が十五歳未満の場合は法定代理人の同意が必要
となる。もちろん今回のケースの法定代理人は実の父親だった。玲菜の死後先輩は玲菜の
遺児を認知した。

 つまり麻季の希望どおり玲奈の遺児を養子として引き取るためには鈴木先輩の同意が必
要なのだ。

 それは鈴木先輩と玲菜の関係を知った麻季にはかなりハードルが高いことだったと思う。
僕は玲菜の通夜から帰宅して奈緒人を寝かせたあと、玲菜とのやり取りを全て麻季に話し
た。当然、麻季は錯乱した。夫である僕に嘘をついて鈴木先輩とメールを交わしていたこ
とを僕に知られたことや先輩が実は独身ではなかったことを知った以上に、玲菜が鈴木先
輩と麻季との関係を知りながら麻季を責めずに黙って僕と会っていたことがショックだっ
たようだ。

 麻季の受けたショックが僕と玲菜が密かに会っていたせいか、玲菜が自分を責めずに最
後まで恨むことがなかったことを知ったせいかどちらが原因なのかはわからない。

 玲菜の死には僕も相当ショックを受けていた。そして僕はもう何も麻季に隠し事をしな
かった。

 玲菜が僕が自分の夫だったら幸せだったのにと言ったことも告白した。最後に玲菜から
会社に届いたメールのことも話した。自分も一瞬玲菜が僕の妻だったら幸せだったろうと
考えたことがあることも麻季に告白した。それでどうなろうともう僕にはどうでもよかっ
た。

 玲菜を救ってあげられなかった絶望に僕は打ちひしがれていた。奈緒人のことは大切だ
けど、鈴木先輩と麻季の浮気によって苦しんだ挙句最愛の娘を残して死んだ玲菜のことを
考えると僕は先輩と麻季のことなどどうでもよかった。

 麻季が先輩との関係を誤魔化したり玲菜のことを悪く言うならそれまでのことだ。そう
なったら僕は奈緒人の親権だけを争おう。今の仕事では奈緒人を育てられないというのな
ら転職だって辞さない。道路工事にアルバイトをしたって奈緒人を育てて見せる。

 でも玲菜とのやりとりを聞かされた麻季は泣き出した。それは先輩に騙されたことへの
涙ではなく、先輩と離婚した玲菜が最後まで麻季責めずに僕との復縁を応援してくれたこ
とを知らされたときのことだった。

 玲菜の名前を叫びながら泣きじゃくる麻季の姿を見て僕はもう一度彼女とやり直してみ
ようと思ったのだ。
805 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/02(水) 23:37:42.29 ID:/qHo0BApo

「あたし、鈴木先輩と話す」
 養護施設の職員から制度の説明を受けたあと、施設を後にした麻季は僕にきっぱりと言
った。「絶対に了解させるから」

 そのとき自分の言葉の勢いに気がついた麻季は一瞬うろたえた様子で僕を見た。

「博人君違うの。別にあたしが言えば先輩が言うことを聞くとかそういうことじゃなく
て」

 最後の方は聞き取れないくらいに小さい声で麻季は言った。

「もういいよ。僕たちはお互いに全部さらけ出した上で、やり直すことを選んだんだ。今
さらそんなことを気にしなくていいよ」

「・・・・・・だって」

「決めた以上はお互いに気を遣ったりするのやめようよ。僕も正直に君への気持とか、玲
菜さんに惹かれたことがあることも話したんだ。もうお互い様じゃないか」

「それはそうだけど・・・・・・。博人君の話を聞いていると、あなたは本当は玲菜みたないな
子の方が似合っていたんじゃないかと思ってしまって。あなたが玲菜の気持に応えていた
ら今頃玲菜も幸せに暮らしてたのかな。そんなことを考える資格はあたしにはないのに
ね」

「もうよせよ。それより本当に先輩に話すの? 勝算はあるんだろうな」

「大丈夫だと思う」

「僕が先輩に話した方がいいんじゃないか」

「・・・・・・ううん。あたしにさせて。もうあたしと先輩が何とかなるとか絶対ないから。先
輩が独身だってあたしに嘘を言ったことよりも、離婚したとはいえ自分の子ども引き取ら
ずに施設に預けるような人だと知ってもう彼には嫌悪感しか感じない。友だちがほとんど
いないあたしにとって玲菜はようやくできた親友だったの。散々裏切っておいてこんなこ
とを言えた義理じゃないけど、お願い。あたしを信じて」

 僕は彼女を信じて施設からの帰り道に先輩がいるだろう横浜市内にある横フィルのリ
ハーサルスタジオに麻季を送り届けた。

「待っていてくれる?」

「もちろん」

 二時間後に横フィルのスタジオから麻季が早足で出てきた。車のドアを開けて助手席に
乗り込んだ麻季は僕に法廷同意人である鈴木先輩の署名捺印がある用紙を見せた。

「お疲れ」

「うん。あたし頑張ったよ」

 麻季が僕に抱きついて僕の唇を塞いだ。周囲の通行者たちからは丸見えだったろう。

 その後は児童擁護施設の研修や施設職員の家庭訪問や面接があった。最終的に家庭裁判
所の許可を経て僕たちは養子縁組届を区役所に提出した。

 こうして亡き玲菜の忘れ形見である女の子、奈緒が僕たちの家庭にやって来たのだった。
806 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/02(水) 23:38:12.72 ID:/qHo0BApo

今日は以上です

今年もよろしくお願いします
807 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/02(水) 23:44:19.65 ID:XxJVzVVSO
おつことよろ
808 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/02(水) 23:48:36.91 ID:3KK6v9bYo
奈緒マジか
809 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/03(木) 02:14:09.12 ID:eUTelhLoo
奈緒はやっぱり奈緒人からとったってことか
810 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/04(金) 22:01:06.08 ID:ZMNXcu2Io
ひぇー
さらにこっから離婚か…
811 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/06(日) 23:45:24.03 ID:VyIo5u+Ro

 奈緒人と奈緒は初顔合わせの瞬間からお互いにうまが合うようだった。まだ奈緒は幼い
けれど、奈緒人の方はもう自我が出来上がり出す頃だったので、僕と麻季はそのことが一
番心配だったから、奈緒人と奈緒が仲がいいこといは心底からほっとした。僕たちの心配
をよそに二人はすぐにいつも一緒に生活することに慣れたようだった。

 麻季も育児自体は奈緒人で慣れていたから奈緒を育てることに戸惑いはないようだった。
この頃の僕は相変わらず仕事は忙しかったけど、それでもいろいろやりくりしてなるべく
早く帰宅し、週末も家にいるようにしていた。そのせいで昼休も休まずに仕事をする羽目
にはなったのだけど。

 毎日帰宅すると僕は迎えてくれる麻季に軽くキスしてから子どもたちを構いに行った。
奈緒人はだいたい起きていて僕に抱きついてきた。奈緒はまだ幼いので眠っていることも
多かったけど、たまに起きている時は僕の方によちよちとはいはいしてきて抱っこをねだ
ったものだった。そんな僕と子どもたちの様子を僕から受け取ったカバンを胸に抱いたま
ま、麻季は微笑んで眺めていた。

 概ね順調な生活を送っていた僕たちだけど、やはりあれだけのことがあった以上何もな
かったようには行かなかった。

 麻季と鈴木先輩の関係に関しては、僕はもう別れて何の連絡もないという麻季を信じて
いた。だから以前のようにそのことが夫婦間のしこりになることはなかったはずだったの
だ。麻季は真実を知った瞬間自分の行いを心底後悔したと思う。

 先輩に独身だと騙されていたとはいえ自分の親友の玲菜を裏切ってつらい思いをさせて
いたこと。それでも玲菜は麻季を恨むことなく僕と麻季の幸せを祈ったまま先輩と離婚し
たこと。そして一人で出産し奈緒を育てる道を選んだ玲菜が娘の奈緒を庇いながら急死し
たこと。

 全てを知って奈緒を引き取って育てる道を選択した麻季だけど、それだけで過去を割り
切るわけにはいかなかったようだ。順調に子育てをしているように見えた麻季だけど、し
ばらくするとやたらに麻季が僕に突っかかってくるようになった。

 麻季が一番こだわっていたのは奈緒という玲菜の遺児の名前のことだった。

 玲菜はなぜ娘に奈緒という名前を付けたのか。玲菜は僕や麻季への嫌がらせで自分の最
愛の娘にその名前を付けるような女ではない。玲菜は最後のメール以降、僕とは首都フィ
ルを黙って退職して僕との連絡を絶った。だから玲菜が事故に遭わずに存命していたら、
僕も麻季も玲菜の娘の名前を知ることはなかったろう。だからこれは嫌がらせではなかっ
た。第一玲菜が麻季への嫌がらせのためだけに生命をかけて自分が守った娘の名前を命名
するなんて考えられなかった。

 その点では僕と麻季の意見は一致していた。それでも自分のお腹を痛めた息子の名前に
ちなんだとしか思えない奈緒という名前を付けた玲菜の意図を考えると、麻季は冷静では
いられなかったようだ。玲菜がもう亡くなっているのでその意図は永遠に不明のままだ。
だからそれは考えてもしようがないことなのだ。僕はそう麻季に言った。
812 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/06(日) 23:47:16.66 ID:VyIo5u+Ro

 最初のうちは麻季は僕の言葉に納得していた。育児もうまく行っていたし、そのことだ
けで家庭を不和にするつもりは麻季にもなかった。先輩とのメールのやり取りで僕に嘘を
ついていたことを僕に知られていたことに対して麻季が負い目を感じていたということも
あったのかもしれない。

 それでもしばらくすると麻季は奈緒の名前について文句を言うようになった。確かに兄
妹に奈緒人と奈緒という名前は普通は命名しないだろう。別にはっきりとどこが変という
わけではないけど、常識的には男と女の兄妹に一時違いの名前はつけないだろう。麻季は
最初は柔らかくそういうことを寝る前に僕に話しかけてきた。この先そのことに周囲が不
審に思い出すと子どもたちがつらい思いをするかもしれないと。

 それは強い口調ではなかったので子どもたちをあやすのに夢中になっていた僕はあまり
深くは考えなかった。それがいけなかったのかもしれない。玲菜に対して罪悪感を感じて
いたはずの麻季は次第に玲菜のことを悪く言うようになった。

 ある夜、子どもたちを寝かしつけたあとリビングのソファに僕と麻季は並んでくつろい
でいた。翌日が休日だから僕たちは麻季が用意してくれたワインとチーズを楽しもうと思
ったのだった。結構いいワインに少し酔った僕は久し振りに麻季を誘ってみようかと考え
ていた。麻季と和解してからずいぶん経つけど、玲菜の死や奈緒を引き取るといった事態
が重なったため僕たちは相変わらずレスのままだった。

 今なら麻季を抱けるかもしれない。久し振りの夫婦の時間に僕は少し期待していたのだ。
でも麻季は自分で用意したワインには一口も口をつけず青い顔でそう言った。



「玲菜を裏切ったあたしが言えることじゃないとは思うよ」

「でも、何であたしの奈緒人の名前をもじって奈緒なんて命名したんだろ。玲菜は博人君
にはあたしのことを恨んでいないと言ったらしいけど、本当はすごくあたしを恨んでたん
じゃないかな」

「いや。玲菜さんは本当に君を恨んだりはしていなかったよ」

「それなら何でわざとらしく奈緒なんて名前を付けるのよ。玲菜のあたしへの復讐かあな
たへの愛のメッセージとしか考えられないじゃない。そんな気持で命名された奈緒だって
可哀そうだよ。あの子には何の罪もないのに」

 罪があるとしたら先輩とおまえだろ。僕はそう言いそうになった自分を抑えた。

「玲菜さんは冷静に自分や周囲を見ていたよ。数度しか会わなかったけどそれはよくわか
った。そして鈴木先輩以外は恨んでいなかったよ。というかもしかしたら先輩のことすら
恨んでいなかったかもしれない。そういう意味では聖女みたいな人だったな」

 僕はそのとき浮気の証拠を先輩に突きつけることもなくただ先輩が自分に帰ってくるの
を耐えながら待っていた玲菜を思い出した。僕が君は強いなと言った言葉を玲菜は否定し
た。自分だって旦那に隠れて泣いているのだと。でも今思い返しても玲菜はやはり強い女
性だった。結局最後まで自分の意思を貫いて先輩と別れ一人出産したのだから。

 あえてつらいことを思い出すなら、玲菜が自分の弱さを見せたのは最後に玲菜と会った
時だろう。あの時は玲菜は僕に惹かれていたとはっきり言った。そのとき僕は麻季と鈴木
先輩のような隠れてこそこそするような卑怯な関係になりたくなくて、はっきりした返事
をしなかった。でもそれが愛かどうかはともかく僕がそんな玲菜に惹かれていたこともま
ぎれもない事実だった。
813 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/06(日) 23:50:16.53 ID:VyIo5u+Ro

「そうね。聖女か。玲菜は真っ直ぐな子だったよ。大学時代からそうだったもん。あたし
みたいに既婚者なのにほいほいと浮気するようなビッチじゃなかった」

「もうよそうよ」

「博人君は本当菜と結婚した方が絶対に幸せだったよね。あたしみたいに平気で旦那を裏
切って浮気するようなメンヘラのビッチとじゃなく」

「・・・・・・どういう意味だ」

「玲菜はあなたが好きだったんでしょ」

「・・・・・・多分ね」

「あなたも玲菜が気になったんだよね?」

「多分、あのときはそう思ったかもしれないね」

「ほら。あたしは先輩に抱かれて、その後もあなたに嘘をついて先輩とメールを交わして
あなたを裏切ったけど。あなたと玲菜だって浮気してるのと同じじゃない。違うのはあた
したちが一回だけセックスしちゃったってことだけでしょ」

「そのことはもう散々話し合っただろ。そのうえでお互いに反省してやり直そうとしたん
じゃないか」

 麻季は俯いた。

「もうよそうよ。明日は休みだし子どもたちを連れて公園にでも行こう」

「・・・・・・あたしと違って博人くんは嘘を言わないよね。先輩との仲を誤魔化したあたしに
対してあなたは正直に玲菜に惹かれていたと言ってくれた」

「僕は君には嘘を言いたくないからね。というか君と付き合ってから君には一度も嘘をつ
いことはないよ」

「・・・・・・ごめんね。自分でもわかってるのよ。先輩とあたしと違ってあなたと玲菜は本当
は浮気とか不倫したわけじゃないし、それにもう玲菜はいないんだから将来を不安に思う
必要はないって」

 麻季はとうとう泣き出した。いろいろと納得できないことはあったけど、心の上では僕
が玲菜に惹かれていたのは事実だったから僕は麻季に謝った。

「ごめん。僕と玲菜はお互いに情報交換しあっているつもりだったけど、確かにそうする
うちに玲菜に惹かれていたことは事実だ。君を裏切ったのかもしれない。それを君の浮気
のせいにする気はないよ」

 麻季は何か言おうとしたけど僕は構わず話を続けた。

「でも奈緒人のために、それから玲菜の子どもの奈緒のためにも僕たちはやり直そうとし
ているんでしょ? 君には悪いと思うけどこんな話を蒸し返してどんなメリットがあるん
だ」

 麻季が再び泣き出した。
814 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/06(日) 23:52:51.59 ID:VyIo5u+Ro

「ごめんなさい」

「いや」

「あたし最低だ。自分が浮気したのにそれを許してくれた博人君に嫌なことを言っちゃっ
て」

「もういいよ。明日は子どもたちを連れて外出しようよ」

 僕は麻季を抱きしめた。麻季も僕に寄りかかって目をつぶった。

 僕は数ヶ月ぶりに麻季に自分からキスした。麻季がこれまでしてくれてたような軽いキ
スではなく。麻季の体を撫でると彼女も泣きながら喘ぎだした。僕は麻季の細い体を愛撫
しながら彼女の服を脱がした。

 その晩、麻季の浮気以来初めて僕たちは体を重ねた。独身や新婚の時だってそんなこと
はなかったくらい麻季は乱れた。

 こうして僕は再び麻季を抱くことができた。それからしばらくは麻季の感情も落ち浮い
ていたし、僕が帰ると機嫌よく迎えてもくれた。奈緒人と奈緒も順調に育っていたし、僕
たちは夫婦生活最大の危機を何とか乗り越えたかに思えた。



 そのまま過去のことを引きずらない生活が数年続いた。奈緒人も奈緒も幼稚園に入った
し麻季も昼間は育児から開放されたせいか奈緒の名前や玲菜のことに悩むことも無くなっ
たようだった。奈緒人と奈緒は少し心配になるくらいに仲が良かった。これまでは奈緒人
や奈緒の愛情は僕と麻季に向けられていたと思っていたのだけど、この頃になると二人は
少しでもお互いが目に入る距離にいないとパニックになるくらいに泣き出すようになって
いた。

 例えば外出中に僕と麻季が別行動を取ることもあった。そんなとき僕が奈緒人を、麻季
が奈緒を連れてほんの三十分くらい別々に過ごそうとしたとき、まず奈緒が火がついたよ
うに泣き出し、「お兄ちゃんがいいよ」と叫び出した。泣き叫びはしなかったものの奈緒
人の方も反応は同じようなものだった。「奈緒はどこにいるの」と繰り返し泣きそうな顔
で僕に訴えていたから。

 それで懲りた僕たちは極力二人を一緒にいさせるようにした。そしてこのこと自体は僕
も麻季も嬉しかった。これまで頑張って奈緒人と玲菜の忘れ形見である奈緒を育ててきた
甲斐があったと思った。

 そのまま推移すれば普通に仲のいい家族として歳月を重ねられたのかもしれない。この
頃は僕と麻季が玲菜や先輩のことを話題に出すことすらなかった。僕も、そして麻季もそ
んな今の生活に満足していたのだから。
815 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/06(日) 23:56:41.80 ID:VyIo5u+Ro

 編集長に海外出張を打診されたとき、僕は最初戸惑った。それはヨーロッパの音楽祭を
連続で三つ取材するのが目的だった。取材費に限りがある専門誌だったこともあり出張さ
せるのは記事作成兼写真撮影で一人だけ、あとは現地のコーディネーターと二人でやれと
のことだった。音楽祭の日程が微妙に近いせいで出張期間は約三ヶ月だった。

 家庭はうまく行っていた。麻季との仲もそれなりに円滑になっていたし、何よりも子ど
もたちについて何の心配もない状態だった。この頃の僕の帰宅は相変わらず遅かったけど、
麻季がそのことに文句を言ったり悩んだりする様子もなかった。それでも僕は内心麻季や
子どもたちに会えなくなるのは寂しかった。

 わがままは言えないことはわかっていたし、編集部の中から選ばれたことも理解してい
た。今まではこういう取材は自ら音楽祭に赴く評論家に任せていたのだから、自社取材に
踏みきった意味とそれを任された意味は十分に理解していた。

 この頃の家庭が円満だったせいで僕は編集長に出張をOKした。業務命令だったので了
解するのが当然とは言えば当然だったのだけど。

 その晩、麻季に出張のことを伝えたとき、どういうわけか麻季はすごく不安そうな表情
をした。

「麻季、どうしたの? 大丈夫か」

「うん。ごめんなさい。大丈夫だよ」

 麻季が取り付くろったような笑顔を見せた。

「博人君に三ヶ月も会えないと思って少し慌てちゃった。でもそんなに長い間じゃないし、
博人君が会社で認められたんだもんね」

「ごめんな。でも仕事だから断れないしね」

「わかってる。奈緒人と奈緒のことはあたしに任せて。奈緒は三ヶ月もすると相当成長し
ているかもね」

「それを見られないのが残念だけど。でもたった三ケ月だし辛抱するよ」

 僕は奈緒を抱きながら麻季に言った。

「奈緒人は?」

「珍しく奈緒より先に寝ちゃった。いつもは奈緒が隣にいないと文句言うのにね」

 奈緒の方も僕に抱かれらがらうとうとし始めていた。この頃になると奈緒の顔立ちはは
っきりとしてきていた。奈緒は将来美人になるなと僕は考えた。玲菜の可愛らしい表情と、
認めたくはないけど鈴木先輩の整った容姿を受け継いだ奈緒は、当然ながら奈緒人とは全
く似ていなかったのだ。

「奈緒をちょうだい」

 麻季はうとうとし始めた奈緒を僕から受け取って奈緒人が寝ている寝室の方に連れて行
った。

 やがて戻ってきた麻季が僕に抱きついた。麻季は不安そうな表情だった。僕は麻季を抱
きしめた。

「博人君好きよ。あなたがいなくなって寂しい・・・・・・早く帰って来てね」

 そのとき麻季が何を考えていたかは今でもわからない。

 それから二月後取材を後えてホテルで休んでいた僕の携帯が鳴った。日本の知らない番
号からだった。僕が電話に出ると女性の声がした。

「突然すみません。こちらは明徳児童相談所の者ですが」

 その女性は僕が奈緒人と奈緒の父親だと言うことを確認するとこう言った。

「奈緒人君と奈緒ちゃんは児童相談所で一時保護しています。奥様が養育放棄したためで
すけど」

 僕は携帯を握ったまま凍りついた。
816 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/06(日) 23:57:12.91 ID:VyIo5u+Ro

今日は以上です
817 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/07(月) 00:01:30.85 ID:pN/vv+Fzo
818 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/07(月) 00:09:02.28 ID:6elM2o0DO
おつ
819 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/07(月) 08:33:56.30 ID:HScbECBAO
おつ
820 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/07(月) 22:57:41.53 ID:rlc9xAUDO
乙〜
821 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:14:58.45 ID:wSH5UfB0o

 取材を終えていないため日本に滞在できるのはわずか三日間が限度だ。帰国便の機内で
僕は一月前に業務連絡で二日間だけ帰国したときのことを思い出した。あのとき編集部に
寄って用を済ませてから帰宅した僕に麻季は抱きつこうとしたけれど、その麻季を押しの
けるようにして奈緒が足にしがみついて来たのだった。麻季は少し驚いて身を引いたけど
すぐに笑顔を取り戻して僕たちを見守っていた。奈緒人は少し離れてその光景を見つめて
いたようだった。

 そのときの家族の様子には少し違和感を感じたけど、すぐにいつもどおりの家族の団欒
が始まった。久し振りだったのでいつもより会話も華やかだったはずだ。わずか一月後に
こんなことになるような前兆はいくら思い返してもなかったと思う。麻季と子どもたちに
いったい何があったのか。いくら考えてもその答は出なかった。

 その三日間でしなければいけないことはたくさんあった。帰国して編集部に連絡して断
りを入れてから僕は一度自宅のマンションに帰宅し、すぐに車に乗って児童相談所に向っ
た。相談所のケースワーカーさんから事情を聞いて実家に向った。途中に立ち寄った自宅
の床には小物や封を切られたレトルト食品の残骸などが散乱して異臭を放っていた。出張
前の綺麗に片付けられていた自宅の面影は全く残っていない。それまでに何度も麻季の携
帯に電話をしていたけれど僕の携帯は着信拒否されているようだった。

 僕は混乱し怯えながらも半ば無意識に運転して実家に辿り着いた。実家のドアのチャイ
ムを鳴らすと、しばらくして警戒しているような声がどちら様ですかと聞いてきた。実家
で暮らしている妹の声だ。

「僕だけど」

「・・・・・・お兄ちゃん?」

「うん。開けてくれ」

 ドアが開くと妹が顔を出した。

「よかった。お兄ちゃんが戻って来てくれて」

 そのとき廊下の奥から奈緒人と奈緒が走り寄って来て僕にしがみつくように抱きついた。

「パパ」

 二人は同時にそう言って泣き出した。僕はしゃがみこんで二人を抱き寄せながら傍らに
じっと立っている妹の方を見上げた。

「・・・・・・今は奈緒ちゃんたちを慰めてあげて。話は後で」

 妹は涙をそっと払いながら低い声で言った。
822 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:15:29.68 ID:wSH5UfB0o

 奈緒人と奈緒は泣きじゃくって僕に抱きついて離れなかった。何があったのか聞きたか
ったけど、妹に言われるまでもなく今は子どもを落ち着かせるのが優先だった。僕は大丈
夫だよとかそんな言葉しかかけられなかったけど、そう言いながら子どもたちの頭や背中
を撫でているうちに次第に二人は穏かな表情になって行った。いったいこれまで苦労して
育てたこの二人に何が起こったのだろう。そしてこの先僕の家庭はどうなってしまうのか。
子どもたちの様子に胸が痛んだ僕だけど、二人が僕に抱きついたまま寝てしまうと改めて
混沌とした境地に陥ってしまった。

「いったい何があったの? 麻季は無事なんだよな」

「どういう意味でお姉さんが無事って言っているのかわからないけど、まだ死んでいない
という意味なら無事みたいね」

 妹が言った。

「・・・・・・どういう意味?」

「お兄ちゃんから電話をもらって児童相談所から子どもたちを引き取ってすぐにお姉さん
から電話があったからね」

「麻季は何て言ってたんだ」

 僕は淡々と話す妹に詰め寄りたい気持を抑えて聞いた。それでも無意識に大きい声を出
してしまったらしい。

「子どもたちが起きちゃうでしょ。もっと声を抑えて」

「悪かったよ・・・・・・それであいつは何だって?」

「奈緒人君と奈緒ちゃんを返せって。電話に出たのはお父さんだけど、お父さんのことを
誘拐犯みたいに罵っていたらしいよ」

 いったい何のだ。もともと麻季はうちの実家とは仲が良かった。僕の両親とも妹ともう
まく行っていたのに。

「それでお父さんはお兄ちゃんが帰るまでは孫は渡さないって言ったの。何があったのか
はわからないけど、自宅で何日も幼い子どもたちを放置するような人には子どもたちは渡
せないって」

「麻季と子どもたちに何があったんだ。おまえは何か知っているのか」

「お兄ちゃん、児童相談所に寄って来たんでしょ。そこでワーカーさんの話を聞いた?」

「うん」

「じゃあ、お兄ちゃんはあたしたちと同じことは知っているよ。あたしたちも児童相談所
の人から説明されたことしか知らないし。お姉さんが電話を切る前にお父さんが何があっ
たのか聞いたけど、お姉さんは答えずに電話を切っちゃったし」
823 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:16:27.95 ID:wSH5UfB0o

 最初のうちは、体調不良で二人とも休ませますという連絡が麻季から幼稚園にあったら
しい。でもそのうちその連絡すら無くなり不審に思った幼稚園の先生が自宅や麻季の携帯
に連絡しても応答がない。そんなことが数日間に及ぶようになるとさすがに心配になった
幼稚園から児童相談所に連絡が行った。同時にマンションの近所の人たちからも隣家は昼
間の間は子どもが二人きりで過ごしているらしいという通報も児童相談所にあったそうだ。

 児童相談所の職員が家庭訪問をして見つけたのは、自宅の食べ物を漁りつくして衰弱し
た子どもたちだった。風呂やシャワーも入っていなかったようで異臭がしたそうだ。結局
奈緒人と奈緒はその場で救急車で病院に運ばれて点滴を受けた。そしてその二日後に児童
相談所に一時保護された。

 警察を経由して僕の職場を突き止めた相談所の職員は、麻季には連絡を取らずに編集部
に電話した。編集部から僕の携帯の番号を知った相談所のケースワーカーが僕に連絡した。

「結城さんの依頼どおり実家のご両親と妹さんが二人をお迎えにきたので身分を確認した
上で奈緒人君と奈緒ちゃんをお渡ししました。翌日に奥様が見えられましたけどね」
 僕が帰国して児童相談所の担当だというケースワーカーをたずねたとき、彼女は苦笑し
ながら僕にそう説明した。「奥様は男の人と一緒に来て、大きな声で私たちを誘拐犯呼ば
わりしてましたよ」

 僕は妻の不始末を謝罪した。

 結局わかったのはこれだけだ。麻季が子どもたちを放置したことは間違いない。最初そ
の話を聞いたとき、僕は麻季の身に何か不慮の事故が起きたのではないかと思った。玲菜
の寂しく悲しい事故のことが頭をよぎった。でも、相談所の職員や妹の話によるとそんな
ことは全くないらしい。ようやく自分でも理解できてきた事実。それは想像もできないけ
ど麻季が子どもたちを意図的に放置した挙句、子どもたちを保護した相談所や僕の実家に
押しかけ子どもたちを渡すように居丈高に要求したということだった。

 いったい麻季の心境に何が起こったのか。こんなのは僕の知っている麻季の行動ではな
い。自分の不倫や僕の玲菜への想い、それに僕の不在で混乱したとしても、少なくとも麻
季が愛している子どもたちを放置するようなことは考えられない。僕は妻が知らない女性
のように思えてきた。そしてそのことに狼狽した。

「父さんたちは?」

 僕は気分を変えようと妹に聞いた。

「子どもたちの服とか必要な品物を買いに行ってるよ。お兄ちゃんの家からは何も持って
来れなかったからね」

「おまえにも迷惑かけたね」

 僕は妹に謝った。

「気にしなくていいよ。大学はもう講義はないし四月に入社するまでは暇だしね。それに
奈緒人君と奈緒ちゃんも懐いてくれたし」

「悪い」

「だからいいって。あ、父さんの車の音だ。帰ってきたみたいね」
824 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:17:59.56 ID:wSH5UfB0o

「おう、博人帰ったのか」

 父さんと母さんは大きな買物袋を抱えて部屋に入ってきた。

「おかえり。奈緒ちゃんのサイズの服はあった?」

 妹が心配そうに母さんに話しかけた。

「うん、探し回ったけど見つけたよ。奈緒人の物も一通り揃ったよ」

「よかった」

 僕の子どもたちのために両親と妹がいろいろ考えてくれている。それは有り難いことな
のだけど、そのことは今の僕にはすごく非日常的な会話に聞こえた。これまで僕は子ども
たちの服のサイズなんか気にしたことはなかった。それは全て麻季の役目だったから。本
当にもう戻れないのかもしれないという事実をようやく自分に認め出したのはこのときか
らだった。

「父さん、母さんごめん。二人ともこんなこと頼める状態じゃないのに本当に悪い」

 両親は高齢だった。僕と妹は両親が三十歳過ぎに生まれたのだ。両親が居宅支援サービ
スを受けようといろいろ調べていることは、以前僕は妹から聞いていた。

「おまえのためじゃないよ。孫のためだからね」

 母さんが笑って言った。

「それより博人、麻季さんと何かあったのか」

 父さんが真面目な顔になって言った。

「見当もつかないんだ。一月前に帰宅したときだって普通にしてたし」

「お兄ちゃんも何が何だかわからないんだって」

 妹が助け舟を出してくれた。

「そうか」
 父さんはため息をついた。「おまえ、いつまで日本にいられるんだ」

「明後日にはまた戻らないと」

「わかった。とりあえず一月後には帰宅できるんだな」

「うん」

「じゃあ、それまでは奈緒人と奈緒はうちで預かる。何があっても麻季さんには渡さな
い。その代わりに帰国したら一度麻季さんとちゃんと話し合え」

「・・・・・・明日、麻季の実家に行ってみようかと思うんだけど」
825 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:18:52.63 ID:wSH5UfB0o

「やめておけ」

 父さんが断定するように言った。

「だって」

 僕がそう言ったとき妹が口を挟んだ。

「お姉さんが家に来て奈緒ちゃんたちを返せって騒いだときさ、あたしは窓から覗いてた
んだけど男の人と一緒だったよ」

「そうか・・・・・・」

 やはり鈴木先輩と麻季の仲が再燃したのだろうか。

「多分お姉さんの実家に行っても解決しないよ。それにお兄ちゃんが電話してもお姉さん
は出ないんでしょ」

「着拒されてる」

「じゃあ無理よ。出張が終るまではこの子たちはうちで面倒みるから。父さんたちは体調
もあるから厳しいだろうけど、あたしも面倒看るから」

「そうよ。唯も大学が休みなんで協力してくれるそうだし、あなたは安心して仕事に戻り
なさい」

 母さんが妹の唯を見て言った。妹も頷いている。

 これでは全く何も解決しないし、麻季のことをまだ信じたい僕の悩みも解決しない。で
も父さんと妹の言うことが正しいことはわかっていた。わずか二日でできることはない。

 翌日は麻季を探すことを諦めた僕はずっと奈緒人と奈緒と一緒に過ごした。妹が一緒に
来てくれたので公園に行ったりファミレスで食事をしたりショッピングモールで二人に玩
具や服を買ったりした(妹の話では両親の服装のセンスは古いので買い足した方がいいと
のことだった)。

 子どもたちは妹に懐いていたけど、それ以上に僕のそばを離れようとしなかった。麻季
のことは気になるけれど唯の言うように今は子どもたちと過ごすことを優先してよかった。
明日には僕は再び子どもたちを置いて出かけなければならないのだから。
826 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:20:39.24 ID:wSH5UfB0o

 妹の勧めで早朝に実家を立って空港に向うとき、僕はあえて子どもたちを起こさなかっ
た。あとで話を聞くと目を覚まして僕がいないことを知った奈緒人と奈緒はパニックにな
って泣きながら実家の家中を僕を求めて探し回ったそうだ。両親も妹もそれを宥めるのに
相当苦労したらしい。

 僕は実家を出て一度自宅に車を戻してから電車で空港に向かったのだけど、散乱した部
屋を眺めているとこれまで凍り付いていた感情が沸きたった。自宅を出るぎりぎりの時間
まで僕は泣きながら思い出だらけの部屋を掃除した。完全に綺麗にすることは無理だった
けど。時間切れで自宅を出て空港に向う前に、僕はふと思いついてリビングのテーブルに
麻季あてのメモを残した。



『おまえのことは絶対に許さない。奈緒人も奈緒もおまえには渡さない』



 残りの一月、バイエルンでの取材は集中するのに大変だった。ふと気を許すと幸せだっ
たころの麻季の笑顔や子どもたちの姿が目に浮かび、集中して聞くべき演奏がいつのまに
か終っていたりすることもあった。それでも麻季の行動の理由をあれこれ考えているより
は仕事に集中した方がましだと気がついてからは、今まで以上に仕事にのめり込んだ。そ
のせいか編集部に送信した記事や写真は好評だったし、雑誌自体の売り上げも二割増とい
う期待以上の成果をあげたそうだ。

 仕事が終ると僕は実家に電話して奈緒人と奈緒と話をした。僕が消えてショックを受け
ていた二人も次第にもう落ち着いていたようで、僕と話すことを泣くというよりは喜んで
いる感じだった。



『二人とも思ったより元気にしているよ』

 電話の向こうで唯が言った。

「唯が子どもたちの面倒を見てくれるおかげだな」

『うーん。あたしもなるべく一緒に過ごすようにはしているんだけどさ。何というか二人
ともお互いがいれば安心みたいな境地になっちゃってるみたい』

「奈緒人と奈緒は前からいつもべったり一緒だったからな」

『まあそうなんでしょうけど。ちょっとでも奈緒人から話すと普段は落ち着いている奈緒
騒ぎ出すのよね。まあ兄妹が仲がいいのはいいことだけどね』

「そのせいで麻季や僕がいなくても我慢できるなら助かるけど」

 唯は少し笑った。

『いいお兄ちゃんだよ、奈緒人は。あたしもあんな兄貴が欲しかったなあ』

「・・・・・・悪かったな。それで麻季を恋しがったりはしていないのか」

『全然。お兄ちゃんのことはいつ帰るのって二人ともよく聞くけど、お姉さんのことはこ
こに来てから一度も口にしないよ』

「そうか」

 僕は子どもたちが落ち着いていることに少し安心することができた。やがて一月が過ぎ
て僕は帰国した。
827 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:23:43.64 ID:wSH5UfB0o

 帰国した僕を待っていたのは昇進の内示と実家に届いていた内容証明の封筒だった。

 編集部に顔を出して無理を言って四日間の有給をもらった僕は、編集長に呼ばれ社長室
で辞令を受け取った。ジャズ雑誌の小規模な編集部の編集長を任されたのだ。正直昇進は
嬉しかったけど、二人の子どもを抱えて今までどおり激務に耐えていけるのかどうか心も
となかった。唯ももう少ししたら大学を卒業して内定している商社に入社することになる。
当然二人の子どもたちの面倒を見るわけには行かないし、かといって高齢の両親だけに育
児を任せるわけにもいかないだろう。

 とりあえず実家に戻って今後のことを相談しよう。そして今度こそ麻季に直接会って彼
女が何を考えているのか説明させなければならない。正直ここまでされるとメモに残した
ように麻季を許すことはできないと思っていたけど、それでも納得できる理由が聞けるか
もしれないと期待している気持もあった。僕にはどこかでまだ麻季に未練があったのかも
しれない。

「パパお帰りなさい」

 実家に戻ると奈緒人と奈緒が迎えてくれた。もう二人は泣くことはなかった。

「お兄ちゃん」

 唯も子どもたちの後ろから出迎えてくれた。

「ただいま」

 僕は大分重くなってきた二人を一度に抱き上げた。思ったより力が必要だったけど子ど
もたちが笑って喜び出したのでその苦労は報われた。唯も微笑みながらそんな僕たちを眺
めていた。

 ついこの間までは妹ではなくてこの子たちの母親がこの場所にいたのだ。ついそんなど
うしようもない感慨に僕は耽ってしまった。

 居間にいた両親にあいさつすると父さんが僕に一通の封書を渡してくれた。内容証明の
封書だ。封筒に記載されている差出人は「太田弁護士事務所 弁護士 太田靖」となって
いる。気を遣ってくれたのか、唯が子どもたちを連れて出て行った。公園まで犬を連れて
散歩に行くのだと言う。奈緒人も奈緒も僕のそばにいることに執着することなく三人と一
匹は賑やかに外出していった。

 僕は父さんを見た。父さんはうなずいて鋏を渡してくれた。封を切って内容を確かめる
と受任通知書という用紙が入っていた。それは太田という弁護士が麻季の僕に対する離婚
請求に関する交渉の一切を受任したという文書だった。そこに記された離婚請求事由に僕
は目を通した。
828 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/09(水) 23:26:35.20 ID:wSH5UfB0o

「貴殿は結城麻季氏(以下通知人という)との間にもうけた長男の育児を通知人一人に任
せ滅多に帰宅せず、あるいは帰宅したとしても深夜に帰宅し、長男の育児上の悩みを相談
しようとする通知人を無視して飲酒した挙句、それでも貴殿に相談しようとする通知人に
対して罵詈雑言を吐くなどして通知人を精神的に追い込みました」

「また平成○○年○月頃、通知人の大学時代の知人であるAと不倫を始めました。通知人
がAの夫からその話を聞かされ貴殿に事実を質問すると、貴殿は通知人が最初にAの夫と
不倫をしたのであって、貴殿とAはその相談をしていただけだという虚偽の返事をしたば
かりか、事実無根である通知人とAの夫との不倫を責め立てるなどして通知人に多大な精
神的被害を生じさせました」

「さらに貴殿と不倫関係にあったAが貴殿との不貞関係が原因で夫と離婚すると、貴殿は
夫と離婚したAと実質的な同棲を試みようとしたものの、それを果たす前にAは不慮の交
通事故で亡くなりました。Aが亡くなったことを知った通知人が長男のことを鑑み貴殿と
の婚姻関係の継続に努力しているにも関わらず、貴殿はAの遺児である女児を引き取り通
知人が育児するよう要求しました。通知人が貴殿との婚姻関係を継続するために止むを得
ずにAの遺児を引き取り努力して育児しようと試みている間、貴殿はAは天使のような女
だった。通知人のような汚らしい女とは大違いだったという趣旨の暴言を繰り返し、通知
人に対して多大な精神的被害を生じさせました。またこの間も貴殿は滅多に自宅に帰宅せ
ず長男とAの遺児の育児を通知人に任せたままでした」

「かかる貴殿の行為は,単にAとの不貞行為により婚姻関係破綻の原因を作ったことにと
どまらず、通知人の人格を完全に無視し、通知人を精神的に虐待したモラルハラスメント
として認定されるべき行動であり、婚姻関係の破綻の責任は完全に貴殿に帰すものであり
ます」

「以上の次第で通知人は貴殿との離婚及びその条件について当職に委任しました。つきま
しては近日中に離婚の条件についてお話し合いをさせていただきたいと思いますが、まず
は受任のご挨拶で本通知を差し上げた次第です。
 なお,本件に関しては当職が通知人から一切の依頼を受けましたので、今後のご連絡等
は通知人ではなく全て当職にしていただくようお願い申し上げます」



「どういう内容だったんだ」

 父さんが険しい声で聞いた。きっと僕の顔色が変っていたことに気がついたのだろう。
僕は黙って父さんに受任通知を渡した。
829 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/09(水) 23:27:06.12 ID:wSH5UfB0o

今日は以上です
830 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/09(水) 23:42:00.97 ID:79NFb40ao
屑過ぎワロス

831 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/10(木) 00:16:25.30 ID:Of79ja/yo
この結果、奈緒とられたって訳か・・・
どんだけ面の皮厚いんだwwww
832 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/10(木) 07:59:24.21 ID:gO89qmAIO
乙乙

唯は初登場だな。弁護士から届いた内容証明郵便がリアル過ぎてワロえない
833 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/10(木) 21:52:26.62 ID:CwODU3M5o
流石ビッチ
834 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:21:54.15 ID:4uQOXUyEo

 父さんは弁護士からの受任通知書をゆっくりと二回読んでから母さんに渡した。母さん
にはその内容がよく理解できなかったようだ。

「博人、おまえこの内容は事実なのか」父さんが僕の方を見てゆっくりと言った。「おま
えはここに書いてあるようなひどい真似を本当に麻季さんにしたのか」

「そんなわけないでしょ。博人はこんなひどい真似をする子じゃないわ」

 母さんが狼狽して口を挟んだ。

「おまえは黙っていなさい。博人、どうなんだ。これが事実だとしたら父さんたちはおま
えの味方にはなれないぞ」

 僕が混乱しながら重い口を開こうとしたとき、子どもたちと唯が帰宅して居間になだれ
込んで来た。

「パパ」

 奈緒が可愛い声で僕を呼びながら抱っこをねだった。奈緒人も照れた様子で僕のそばに
ぴったりとくっ付いて来た。何があってもこの子たちだけは僕の味方をしてくれる。

 太田という弁護士の内容証明によって僕は打ちひしがれていた。これまでの家庭生活の
記憶が麻季によって踏みにじられた気分だったのだ。多分このことは一生僕の心を傷つけ
るのだろう。

 でも、今この瞬間に僕にまとわりつく子どもたちを抱き寄せると、それが僕の心を正気
に戻してくれた。

 父さんに渡された文書を今度は妹が険しい表情で読んでいた。どういうわけか父さんも
母さんも黙ってしまい、結果として大人三人が最後の審判を待つかのように唯の表情を見
守ることになってしまった。

 妹は受任通知をぽいっとテーブルに投げ捨てて吐き捨てるように言った。

「ばかばかしい。お兄ちゃんがこんなことするわけないじゃん。他人ならいざ知らずお兄
ちゃんの家族であるあたしたちががこんな文書を信じるわけないじゃん。こんな内容をあ
たしたちが信じると思っているなら麻季さんも相当頭悪いよね。まあ既婚者なのにお兄ち
ゃん以外の男の人に平気で抱かれるくらいの脳みそしかないんだから、この程度のでっち
あげしかできないんでしょうね」

 唯はそれまでお姉さんと呼んでいた麻季を麻季さんと呼んだ。

「唯の言うとおりよ。お母さんは博人を信じているからね」

 唯と母さんの言葉に父さんは居心地悪そうにしていた。

「疑って悪かった。母さんと唯の言うとおり博人がこんなひどいことをするわけがないよ
な」

「父さん遅いよ。自分の子どもを信じてないの?」

 どういうわけか唯が半泣きで言った。

「悪かった。ちょっとこの文書に動揺してしまってな。虚偽のわりにはよくできているか
らな」

「ばかばかしい。あなたは昔から理屈ばっかりで仕事をしてきたからこういうときに迷う
んですよ。あたしも唯も一瞬だって博人を疑ったりしないのに」

「それに奈緒人と奈緒の様子を見てみなよ。こんなひどいことをする父親にこの子たちが
こんなに懐くと思うの?」

 麻季が止めをさした。

「悪かったよ。謝る。だが何が起きたかは話してほしい。博人、事実を話してくれ」

 それまで大人の事情を気にせずにまとわりついている子どもたちを構いながら、唯と母
さんの援護に僕は泣きそうになった。
835 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:22:55.72 ID:4uQOXUyEo

 僕は全てを両親と妹に話した。

 麻季の浮気。そして奈緒人への愛情からそれを許して彼女とやり直そうとしたこと。玲
菜に呼び出され麻季と先輩がメールのやり取りを続けているのを知ったこと。そして、玲
菜に最後に会ったときと離婚後の玲菜のメールで彼女が僕を好きだったということを知っ
たこと。僕もそんな玲菜に惹かれていたこと。

 玲菜の離婚後、僕が再び麻季とやり直そうとしたこと。

 そして最後に玲菜の死後、麻季が玲菜が先輩の妻で自分のことを恨まず黙って離婚した
ことを、玲菜の急死後のお通夜で知ったこと。

 麻季は先輩が玲菜の遺児を引き取らないということを知って、その子を引き取ろうとし
たこと(この辺の話は奈緒を引き取る際に両親には説明してあったけど、麻季が奈緒の父
親と浮気をしていたことや僕が玲菜に惹かれていたことは初めて話した)。

 話し終わったとき両親と妹はしばらく何も言わなかった。彼らの気持ちはよくわかった。
僕だって他人からこれほど純粋な悪意をぶつけられたのは初めてだったから。それに麻季
はつい少し前までは他人ではなかった。僕が海外出張を告げたとき、抱きついて甘えてき
た麻季の姿は今でも鮮明に思い浮ぶ。あれはわずか三月ほど前の出来事なのだ。

「・・・・・・お兄ちゃんさ」

 唯が泣き腫らした顔で僕を見て言った。でもその口調は鋭かった。

「今は混乱していると思うけど、することはしておかないとね」

「どういうこと?」

「麻季さんが弁護士を立ててきた以上、こちらもしなきゃいけないことはたくさんあるで
しょ」

 僕は唯の言っていることがよくわからなかった。それに思考の半分は僕に抱きつきなが
らも、二人きりで遊びだした子どもたちに奪われていた。

「まず生活費とか貯蓄の口座を調べて。そして麻季さんが自由にできない状態にしない
と」

 随分生々しい話になってきた。唯は音大で何となく四年間を過ごした僕と違って、国立
大学の法学部を卒業したばかりだ。本人の志向もあって法曹の道には進まなかったけど、
内定している商社では法務部配属が決まっているそうだ。

「あとは養育権だね。お兄ちゃんは麻季さんと離婚しても、奈緒人と奈緒を麻季さんに任
せる気はないんでしょ」

「あるわけないだろ。一週間近く子どもたちを自宅で放置したんだぞ、あいつは」

「だったら養育実績を作って親権争いを有利にしないと。お兄ちゃん、放っておくとこの
まま離婚されて奈緒人と奈緒も麻季さんに盗られちゃうよ。こんなところで腑抜けていな
いでしっかりしなよ。こっちも麻季さんに対抗する準備をしないと。それともお兄ちゃん、
まだ麻季さんに未練がある? 麻季さんと別れたくないの?」
836 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:24:51.93 ID:4uQOXUyEo

「いや、離婚はもう仕方ないだろ。こんだけの文書を送りつけてくる麻季とはもう一緒に
暮らせないよ」

 僕は弱々しく言った。でもそれは本音だった。マンションの部屋に残したメモは麻季も
見たに違いない。僕は麻季が僕のアパートに押しかけてきたこと、先輩に殴られた麻季が
きょとんとして僕を見つめ、結城先輩、あたしのこと好きでしょと言ったときの彼女の表
情を思い出した。すごく切なくて涙が出そうだったけどもうあの頃には戻れないのだろう。

「麻季さんと離婚して子どもたちの親権を取りたいならそろそろお兄ちゃんも立ち上がっ
てファイティングポーズ取らないと。麻季さんの豹変に悩んでいるのはわかるけど、もう
あっちは完全に準備して宣戦布告してきているんだよ」

 妹の方が頭に血が上ってしまったらしい。唯に責められながらも僕はどうにも冷静に計
算する気にはなれなかった。そんな僕を尻目に唯はヒートアップして行った。そんな妹に
両親もやや辟易している様子だった。

「お兄ちゃんの話を聞いていると確かにお兄ちゃんと玲菜さんは心の中では麻季さんを裏
切ったのかもしれないけど、実際に玲菜さんの旦那と体の関係になった麻季さんと比べれ
ば非は全然少ないよ。ちゃんと戦えば二人から慰謝料は取れるよ」

「慰謝料とかどうでもいいよ」

「・・・・・・じゃあお兄ちゃんは養育権もどうでもいいの?」

「そんな訳ないだろ」

「唯の言うとおりだ」
 それまで黙っていた父さんが口を挟んだ。「俺が役所を退職後に社会福祉法人の理事長
をしていたとき、評議員をしてくれていた弁護士がいる。随分懇意にしてもらった人だ。
彼に相談しよう」

「いや・・・・・・とりあえず麻季と一回も会って話していないんだ。とりあえず一度彼女と」

「やめたほうがいいよ。麻季さんの方が今後は一切は弁護士を通せって言ってるんだよ。
もうお兄ちゃんが好きだった麻季さんはいないんだよ。お兄ちゃんもつらいだろうけど、
奈緒人と奈緒を守りたいならお兄ちゃんもいい加減に目を覚まさないと」

 唯がもどかしそうな、というか泣きそうな表情で僕に言った。

「唯・・・・・・」

 自分では割り切ったつもりだったけどで直接会って話せば、麻季との仲が元に戻ること
はないかもしれないけど少なくともどうして彼女がこんなひどい仕打ちをしたかくらいは
わかるだろうとどこかで期待していたのだろう。でも子どもたちのこの先を考えることが
優先なのだ。

 唯の言うとおりだった。

 今では麻季は敵なのだ。奈緒人と奈緒のことを考えれば、たとえどのような理由があっ
たにせよ一週間も自宅に子どもたちを放置するような母親に任せるわけにはいかない。

 僕は唯や父さんの勧めに従った。つまり麻季を敵に回して戦うことを決意したのだ。
837 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:25:54.96 ID:4uQOXUyEo

 僕は父さんの知り合いの弁護士に正式に妻側との依頼を依頼した。初老の人の良さそう
な人だった。彼は受任通知を見て僕を疑わしそうに見た。きっと不倫したクズのようなD
V男から妻からの慰謝料要求の減額でも依頼されたのだとと思ったのだろう。

 最初から事情を話すと弁護士はようやく理解してくれたけど、彼が言うには証拠がない
ので客観的に立証し反論することは難しいそうだ。

「私は結城さんの代理人を引き受ける以上あなたが真実を話してくれている前提で交渉は
しますけど、多分それは先方の太田先生も同じでしょうね」

 先方との予備的な交渉の中で離婚するということ自体はお互いに与件になっていたので、
そこで揉めることはなかった。また、お互いに慰謝料の要求も無かった。ただ、問題は二
つあった。

 一つは離婚理由でもう一つは養育権だった。弁護士によれば実は互いに離婚で一致して
いて慰謝料の請求もない以上、離婚の理由はさして重要ではないそうだ。そんなところは
争わずに養育権の交渉に全力を注ぎましょうと僕は弁護士に言われた。そう言われればそ
んな気もしてきた。どちらが有責かが重要なのは離婚するしないや慰謝料の多寡に影響す
るからであって、そこが争点になっていない以上はもう気にしない方がいいのかもしれな
い。

 先方の受任通知書の内容は巧妙に事実の一部を捉えてはいたけど、悪意によってその意
味を捻じ曲げたものだった。その内容はでたらめだった。でも僕がショックを受けたのは
その内容にではない。僕が傷付くのを承知しながらそれを自分の弁護士に語った麻季の心
の闇に僕は絶望したのだった。そして多分麻季がそういう行動に出た理由は弁護士間の交
渉で明らかになるようなことではないだろう。だから僕は自分の弁護士の言うとおり問題
を親権に集中しようと思った。

 それは合理的な判断だった思うけど、どういうわけかそのとき同席していた唯が納得し
なかった。

「条件とかそういう問題じゃないでしょ。反論しなかったらこんなデタラメを認めたこと
になっちゃうじゃない」

「婚姻関係の破綻の原因がこちらにはないことを主張してもいいですけど、お互いに証拠
がない以上水掛け論になって終わりですよ」

「それでも主張するだけは主張した方がいいと思います。あの内容をこちらが認めたわけ
ではないですし、協議が決裂して調停や裁判に移行したら有責側かどうかは親権にも影響
するでしょ」

「まあ確かにその可能性は否定できませんね」

 結局唯の主張するとおりに交渉することに決まった。
838 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:28:09.45 ID:4uQOXUyEo

 最初に太田弁護士との直接交渉の際、僕は依頼した弁護士に頼んで同席させてもらった。
もしかしたら麻季と会えるかもしれないと思ったのだ。でも先方は弁護士一人だけだった。
やはり麻季はもう僕と顔を会わす気はまるでないようだった。

 代理人の弁護士の予想どおり、僕と麻季の離婚に関してどちらに責任があるかという話
し合いは徹頭徹尾無益なものだった。お互いに証拠もなくただ主張しあうだけなのだ。こ
れが当事者本人同士の話し合いなら泥沼だったろうけど、代理人同士の話し合いだったの
でお互いに証拠を要求しそれがないとわかると、交渉はすぐにより良く子どもを養育でき
るのはどちらかという話し合いに移っていった。

 麻季に有利な点はこれまで奈緒人と奈緒を順調に育てた実績があることだった。不利な
点は二つ。麻季が一週間弱子どもたちを自宅に放置したこと。受任通知書でデタラメを並
べ立てた麻季も児童相談所の通報記録に残されている事実には反論できなかったのだ。太
田弁護士は僕の虐待に耐えかねた麻季が一時的に錯乱した結果だと主張したけど、その頃
僕はオーストリアにいたのでその主張には重大な瑕疵があった。

 もう一つは麻季の実家が遠方にあり麻季の育児をアシストできないということだった。
離婚する以上、養育費だけでは生活していけないだろう。麻季の養育実績は彼女が専業主
婦であることを前提にしていたから、彼女が離婚した場合の生活設計はいろいろと不明で
もあった。

 一方僕にとって根本的に不利だったのはまだ幼稚園児である子どもたちを育てる環境が
備わっていないことだった。太田弁護士はよくこちらの事情を調べていた。まず僕の仕事
は時間が不規則だし帰宅も深夜に及ぶことが多い。子どもたちを幼稚園から保育園に移し
たとしても僕一人で子どもたちを育てることは不可能だ。僕は親権を争うと決めたときに
両親に育児協力をお願いして快諾を得ていたけど、その両親自身がそろそろ介護が必要な
状況になりつつあることを太田弁護士には知られていた。

 今、奈緒人と奈緒を育てていけるのは主に唯のおかげだったけど、唯の就職が目前に控
えている以上、それを交渉材料にするわけにはいかなかった。もう最悪は僕が仕事を変え
るしかないかもしれない。ジャズ・ミューズという老舗ジャズ雑誌の編集長を任されたば
かりの僕だったけど、もうこうなったら奈緒人と奈緒を手離さいためには本気で転職しか
ないとまで思うになっていた。

「・・・・・・あたし、就職するのやめて奈緒人と奈緒を育てようか」

 ある日、唯が思い詰めたような顔で僕に言ったことがあった。考えるまでもなくもちろ
んそんな犠牲を唯に強いるわけには行かなかった。

 そういうわけで僕と麻季の離婚に関する協議はお互いに折れ合わずに膠着していた。

 結局僕と麻季の協議離婚は親権で対立したまま成立せず裁判所による調停に移行した。
839 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:31:22.36 ID:4uQOXUyEo

 その夜、僕は某音楽雑誌の出版社主宰のパーティーに出席していた。クラッシク音楽之
友にいた頃と違って最近はこの手の商業音楽関係のイベントへの招待が増えていた。マイ
ナーな雑誌ながらも編集長を任されていた僕は、実務から開放された分この手の付き合い
が増えていた。業務が終了したら何よりも実家に戻って子どもたちの顔を見たかったけど、
これも仕事のうちだった。

 予想どおり都内の有名なホテルで開催されたそのパーティーには知り合いは皆無だった。
老舗のロック雑誌の編集者やほとんどアイドルミュージック専門のような雑誌の若い編集
者たちがそこかしこで友だちトークを展開している。ところどころで人だかりができてい
るのは著名な評論家やミュージシャン本人を取り巻いている人たちのようだ。

 クラッシク音楽専門の雑誌社が余技に出しているマイナーなジャズ雑誌の編集なんて全
くお呼びではない雰囲気だ。受付してから1時間以上経つけど僕はこれまで誰とも会話は
愚かあいさつすらしていない。これなら途中で帰っても全然大丈夫そうだ。こういう場で
誰にも相手にされないのはへこむけど、麻季にひどい言いがかりを付けられていた僕は大
抵の人間関係には耐性ができていた。

 それでもこの場の喧騒は気に障った。そろそろ黙って帰ろうかと思った僕は静かにその
場を去ろうとした。途中で金髪の若い男性(多分最近よくテレビで見るビジュアル系のバ
ンドのボーカルだと思う)を囲んでいた人たちの脇を通り過ぎようとしたとき、突然僕は
誰かに声を掛けられた。

「博人君」

 自分の名前を呼ばれた僕が振り返ると理恵が僕のほうを見て微笑んでいた。

「・・・・・・理恵ちゃん」

「わぁー、すごい偶然だね。博人君ってこういうところにも顔出してたんだね」

「久し振り」

 何か大学時代の偶然の再会を思い起こさせるような出会いだった。理恵は人込みから抜
け出して僕の横に来た。

「少し話そうよ・・・・・・・それとももう帰っちゃうの」

「少しなら時間あるけど」

 僕は理恵に手を引かれるようにして壁際に並べられた椅子に座らされた。

「はい」

 僕は理恵から白のワインのグラスを受け取った。

「博人君、白ワイン好きだったよね」

「うん・・・・・・ありがとう」

 これだけの歳月を経ても理恵が僕の好みを覚えていてくれていることに僕は少しだけ心
が和んだ。もっとも理恵の細い左手の薬指を確認はしたのでそれ以上の期待はなかったの
だけど。
840 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/14(月) 22:34:07.08 ID:4uQOXUyEo

「本当に久し振りだね。何年ぶりかな」
 僕の隣に座った理恵が少し興奮気味に言った。「少し痩せた?」

「さあ? どうだろ」

「それにしてもここで博人君と会うとは思わなかったよ」

 僕は名刺入れから最近作り直したばかりの名刺を取り出して理恵に渡した。

「今はここにいるんだ。それで声がかかったみたいだけど、どうも場違いみたいだ」

「なんだそうだったの」
 理恵が笑った。「でもそれで博人君に会えたんだね」

 理恵は自分の名刺を僕にくれた。それは若者向けのポップ音楽の雑誌の編集部のものだ
った。

「・・・・・・なるほど」

「なるほどって何よ」

 彼女が笑った。

「しかし君も同じ業界にいるとは思わなかったよ」

「本当に偶然だね。もっともあたしは博人君みたいな高尚な音楽雑誌にいるわけじゃない
けど」

「玲子ちゃん・・・・・・だっけ。妹さんも元気?」

「うん、元気よ。あいつには子育てを任せちゃってるし、借りばっか作ってるよ。玲子も
文句言ってる」

 子育てを任せるって何だろう。麻季との親権争いが調停に移ったばかりだった僕はその
言葉に反応してしまった。理恵も指輪をしている以上結婚しているのだろうけど、彼女に
も子どもができたのだろうか。それにしてもこの世界は育児と両立できるような世界では
ない。

「育児って・・・・・・お子さんいるの?」

「うん。女の子だよ」

「そうか」

「博人君、麻季ちゃんは元気? 後輩の女の子に結婚式の写真見せてもらったよ。麻季ち
ゃんのウエディングドレス綺麗だったなあ」

「あのさ・・・・・・」

「お子さんもできたって聞いたけど」

「うん。子どもは元気だよ」

「うん? 麻季ちゃんは?」

「元気だと思うけど最近会ってないから」

「・・・・・・どういうこと?」

 理恵はいぶかしげな表情を浮べた。

「実はさ。麻季とは離婚調停中なんだ」

 理恵は驚いたようだった。

「・・・・・・何で」

 彼女はそれまで浮べてた微笑みを消した。彼女は呆然としたように僕を見た。
841 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/14(月) 22:34:38.54 ID:4uQOXUyEo

今日は以上です
842 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/14(月) 23:20:29.45 ID:22YYHdUBo
乙 続きがすげえ気になるwww
843 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/14(月) 23:43:22.54 ID:rRN1YQUVo
泥沼だね
844 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/15(火) 06:09:24.29 ID:iGkpGi3do
845 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/16(水) 20:28:40.63 ID:/Hwnyun8o

このスレじゃ終わりきらなさそうだな
846 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:07:27.28 ID:by+6rqHIo

「何で」という理恵の言葉に答えようとしたとき、理恵は誰から声をかけられた。仕事の
話らしかった。

「すぐ行くよ」

 ちょっとだけいらいらしたように理恵が話しかけてきた若い男性に答えた。

「じゃあ、僕は帰るよ。子どもたちが寝る前に帰りたいし」

「・・・・・・まさか、麻季ちゃんがいない家にお子さん一人で家にいるの?」

「いや。子どもは二人だよ。実家に預けてるし妹が面倒看てくれているから」

「お子さん一人だって聞いてたんだけど」

 誰から聞いたのか知らないし無理もないけど、理恵の情報は僕と麻季がまだ普通に夫婦
をしていた頃の頃のものらしい。

「今度機会が会ったら話すけど、子どもは二人いるんだ」

「博人君、いったい麻季ちゃんと何があったの?」

「いろいろとあったんだよ。ほら、編集部の人が呼んでるよ。また機会があったら会お
う」

「ちょっと待って。博人君、明日時間作って」

 どういうわけか必死な表情で理恵が言った。人の不幸に野次馬的な興味があるのか。自
分は薬指に結婚指輪をして幸せな家庭があるくせに。最近すさんでいた僕は理不尽にも少
しむっとした。なのでちょっと勿体ぶってスケジュールを確認する振りをした。

「明日? 空いてるかなあ」

 わざとらしくスケジュール帳を探そうとしている僕を尻目に理恵はもう立ち上がってい
た。

「名刺の番号に電話するから」

 何とか乱雑なカバンからようやく手帳を取り出した僕には構わずに理恵はもう呼びかけ
た人の方に足早に歩いて行ってしまった。

 実家に帰宅した僕は既に子どもたちが寝入ってしまったことを唯に聞かされた。

「必死で帰ってきたのにな」

 僕は落胆した。この頃の僕の生きがいは仕事以上に子どもたちだったのだ。

「明日も遅いの?」

 簡単な夜食を運んで来てくれた唯が聞いた。

 明日は理恵から連絡があるかもしれない。それが就業時間後なら唯に断っておく方がい
い。僕は思い立って今日理恵に会ったことを唯に話した。
847 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:08:21.66 ID:by+6rqHIo

「そういやさ。唯は知らないだろうけど、昔引っ越す前に神山さんっていう家があって
さ」

「ああ。玲子ちゃんと理恵さんのとこでしょ」

 あっさりと妹は言った。

「・・・・・・おまえ、あの頃まだ生まれてなかっただろ。何で知っているの?」

「だって母親同士が仲良くて定期的に会ってたし、あたしもよくお母さんに連れて行かれ
たよ。あ、最近はあんまり会ってないけどさ。玲子ちゃんとは年も近いし仲いいよ。あと
理恵さんもよくその集まりに顔を出してたけど、いつもお兄ちゃんが今どうしているのか
聞いてたよ」

「え?」

「何だ。今日は理恵さんと会ってたんだ」

「いや、偶然なんだけど」

 僕は今日あったことを唯に話した。

「理恵さんの旦那さんが何年か前に事故死したこと聞いた?」

「事故って、いや事故死?」

「うん」

 では理恵は未亡人なのだ。育児を玲子さんに任せているというのはそういう意味だった
のか。

「いや。今日ほんの少しだけ世間話しただけなんで何も聞いてない」

「理恵さんのご主人って信号待ちで停車しているところを後ろから暴走してきた車に追突
されたんだって」

「・・・・・・そうなんだ」

「うん。理恵さんの旦那さんは即死だったって」

 僕は言葉を失った。さっき明るく再会を喜んでくれた理恵もいろいろ辛い目にあってい
るようだった。

「でも何か運命的な出会いだよね。理恵さんとメアドとか交換した? 幼馴染同士の久し
振りの再会だったんでしょ」
 唯が暗い話はもう終わりだとでも言うように微笑んで続けた。「お兄ちゃんも幼馴染と
再会してちょっとはドキドキしたでしょ?」

 最近の唯にはたまにこういう言動があった。麻季のことを忘れさせようとしているのか
もしれないけど、やたら僕に女性と親しくさせようとする。奈緒人と奈緒はあたしが面倒
看ているからお兄ちゃんは会社の女の子を誘ってデートしろとか。それは一度一緒にコン
サートに行ってくださいと言ってくれた編集部の若い女の子のことを話したときだった。

 彼女は単なる仕事上の部下であってそんな対象じゃないし、そもそも一緒に過ごす相手
なんかいなかったのだけど。
848 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:09:10.69 ID:by+6rqHIo

 そんな唯だったから僕と理恵の再会にはすごく食いついてきた。

「麻季と僕のことが気になるのかなあ。離婚調停中だって言ったら明日会おうと言われた
けど」

 それを聞いて唯は目を輝かせた。

「それ、理恵さん絶対お兄ちゃんに興味があるんだよ。明日は遅くなってもいいからうま
くやんなよ」

「いや。それおまえの思い過ごしだから。それに都内からここまで帰るのにどんだけ時間
かかると思っているんだ。終電だって早いのに」

 職場と実家とが距離的に離れていたことも、離婚協議中には不利な点としてカウントさ
れていたことだった。

「終電逃したらどっか泊まればいいじゃん。お兄ちゃんのマンションだってまだあるんだ
し」

「あそこには泊まりたくない。というかそんなことするよりは奈緒人と奈緒と一緒にいた
いよ」

「まあそうだろうね」
 少し反省したように唯が言った。「お兄ちゃんは奈緒人と奈緒が大好きだもんね」

「うん」

「・・・・・・お兄ちゃん、本当に麻季さんには未練ないの?」

「多分、ないと思うよ」

「じゃあ、ほんの少しだけでも子どもたちのことは忘れて女性とお付き合いしてみな
よ」

「離婚調停中なんだぞ。そんな気にはなれないよ」

「大丈夫だって。お互いに離婚を申し出た後なら誰とお付き合いしたって不貞行為で有責
にはならないから」

 法学部にいる唯が小ざかしいことを言い出した。

「そんなこと言ってんじゃないよ。モラルの問題だ」

「それにさ。お兄ちゃんにもし次の伴侶が見つかったら、養育の面で調停で有利かもよ」

「そんなことを考えてまで女性と付き合いたくはないよ。第一そんなの相手に失礼だ」

「・・・・・・じゃあどうするのよ。別にあたしが内定辞退して奈緒人と奈緒のお母さん代わり
をしてあげてもいいけど」

「それはだめ。父さんに殺される。それに唯には唯の人生があるんだし」

「あたしは別にそれでもいいんだけどな」

「おい・・・・・・ふざけんなよ」

「別にふざけてないよ。でもそうしたら収入がないからお兄ちゃんに養ってもらうしかな
くなるけどね」

「だめ」

「冗談だよ」

 妹が笑って言った。
849 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:12:10.22 ID:by+6rqHIo

「まあ、とにかくさ。理恵さんがお兄ちゃんに会いたいっていうなら明日くらいは付き合
ってあげなよ」

「今は子どもたちと少しでも一緒にいたいんだけどな」

 唯はそれを聞いて再び微笑んだ。

「奈緒人と奈緒とはこの先ずっと一緒にいられるじゃん。今くらいはあたしに任せなよ。
二人ともあたしにすごく懐いているしお兄ちゃんなんて邪魔なだけだって」

「・・・・・・親権がどうなるかわからないんだし、ずっと子どもたちと一緒にいられる保障な
んてないだろ」

「絶対に麻季さんなんかに負けないって。それに親権が心配ならなおさら奥さん候補を探
す努力をしないと。お兄ちゃんがそうしてくれないとそれこそあたしがいつまでも子ども
たちの面倒を看るようになっちゃうじゃん」

「唯には悪いなって思っているよ。でも調停の結果とかに関係なくおまえは就職したら僕
たちのことは考えなくていいよ」

「だってこのままじゃお兄ちゃんが育児なんて無理じゃない」

「いざとなれば転職するよ」

「・・・・・・お兄ちゃん?」

 唯が少しだけ首を傾げて真剣な表情をした。僕は妹のそういう様子に少しだけどきっと
した。

「何だよ・・・・・・」

「お兄ちゃんがそれでいいなら、あたし彼氏と別れてお兄ちゃんの奥さんになってあげよ
うか? その方が奈緒人と奈緒も喜ぶと思うし、お兄ちゃんも好きな仕事を続けられる
し」

 何言ってるんだこいつ。僕は狼狽して唯を見た。

 次の瞬間、唯は手で口を押さえて笑い出した。子どもたちや両親を起こさないようにし
たのだろう。

「何マジになってるのよ、シスコン。あたしが本当にお兄ちゃんのお嫁さんになるかもっ
て期待しちゃった?」

「そんなわけないだろ。冗談でも彼氏と別れるとか言うなよ」

「・・・・・・そこで赤くなるなバカ」

「おまえの顔も真っ赤なんだけど」

「バカ・・・・・・冗談に決まってるでしょ。とにかく明日は遅くなってもいいからね。麻季さ
んなんか早く忘れて理恵さんと楽しんできなよ。嫌いじゃないんでしょ? 理恵さんのこ
と」

どうなんだろう。子どもたちを麻季に奪われるかもしれないという不安が日ごとに大き
くなっている今、女性と付き合い出すとかは全く考えられなかった。
850 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:13:08.62 ID:by+6rqHIo

 唯の悪質な冗談に翻弄されたからというわけでもないけど、次の日の就業後に僕は理恵
が指定した居酒屋で彼女を待っていた。全く色気のない店だったので唯の期待には答えら
れそうもなかったけど、理恵が騒がしい居酒屋を選んだことに僕は密かにほっとしていた。

「博人君、ごめん。待った?」

 混み合った居酒屋の店内で理恵が僕に声をかけた。

「・・・・・・いや」

「何飲んでるの?」

 理恵が僕の向かいに座りながら聞いた。

「先にビールを飲んでる」

「じゃあ、あたしも最初はビールにしよ」

 乾杯をしてから少し沈黙が流れた。理恵はきっと麻季と僕との間に何が起こったのかを
知りたくて今日僕を呼び出したのだろう。でも呼び出された僕の方はまるでお見合いに来
ているような気分だった。僕がそんな気になっていたのは全部昨日の唯の発言のせいだ。
唯は僕が麻季のことを忘れてお嫁さん候補を探すように言ったのだ。

「あのさ」「あの」

 僕と理恵は同時に言った。お互いに苦笑して再び沈黙が訪れたけど、僕は構わずに続け
た。

「ご主人、亡くなったんだってね。妹に聞いたよ」

「唯ちゃんに聞いたんだ・・・・・・説明する手間が省けちゃったな」

 理恵が笑った

「お互いにいろいろあったようだね」

「うん。そうだね」

 何となく同志的な友情を感じた僕が理恵を見ると彼女も僕の方を見ていた。

 どちらからともなく僕たちは笑い出した。大学時代の再会時を通り越して家が隣同士で
いつも一緒に遊んでいた頃に戻ってしまったような気がした。

 それから三時間くらいお互いの話をした。理恵は旦那の死後、実家に戻って実家の両親
と妹の玲子さんに育児を頼りながら仕事を続けているそうだ。

 まるで僕と同じ状況じゃないか。僕が思わずそう呟くと理恵は僕と麻季に何があったの
か知りたがった。人様に話すようなことではないけど、どういうわけか僕は理恵には全て
話してしまったようだ。家族と弁護士以外にここまで話したのは初めてだった。

 話し終えたとき理恵から同情されるんだろうと僕は考えた。そしてそんな同情はいらな
いなとも。でも理恵が口にしたのは同情ではなく疑問だった。

「麻季ちゃんらしくないね」

「え」

「麻季ちゃんらしくない」

 理恵は繰り返した。
851 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:15:24.96 ID:by+6rqHIo

「どういうこと?」

 僕は少し戸惑いながら理恵に聞いた。別に彼女は麻季と親しかったわけではないはずだ。

「わかるよ。麻季ちゃんのせいであたしは博人君に失恋したんだもん」

「何言ってるの」

「大学で博人君に再会したときさ、あたし本当にどきどきしちゃったの。生まれてから初
めてだったな。そんなこと感じたの」

 大学時代、僕も理恵と結ばれるだろうと予感していたことを今さらながら思い出した。
麻季が僕の人生に入り込んで来るまでは僕は何となく理恵と付き合うんだろうなって考え
ていたのだった。。

「まあ、結局博人君は麻季ちゃんと付き合い出したからあたしは失恋しちゃったんだけど
さ」

「ああ」

「ああ、じゃないでしょ。あっさり言うな。でもさ、学内の噂になってたもんね、博人君
と麻季ちゃんって。とにかく麻季ちゃんって目立ってたからなあ」

「そうかもね」

「まあ、麻季ちゃんが何であんな冴えない先輩とっていう噂も聞いたことあるけどね」

「・・・・・・結局それが正しかったのかもな」

 僕は呟いた。

「最初から間違ってたかもしれないな。僕と麻季はもともと不釣合いだったのかも」

「そう言うことを言ってるんじゃない」

 少し憤った顔で理恵が言った。

 そのとき、混み合った居酒屋の入り口から入ってきた二人連れの客の姿が見えた。

 何かを言おうとした理恵がぼくの視線を追った。「あれ、麻季ちゃんじゃん」

 それは恐ろしいくらいの偶然だった。僕は前回の一時帰国以来始めて麻季を見のだ。

 麻季は男と一緒に店内に入り、店員に案内されて僕たちから少し離れたカウンター席に
座った。久し振りに見る麻季は外見は以前と少しも変わっていなかった。ただ、家庭に入
っていた頃より幾分若やいで見えた。それに全体に少し痩せたかもしれない。

 カウンターで麻季の隣に座った男最初そうじゃないかと思ったのと違い鈴木先輩ではな
かった。そのとき、麻季と僕の視線が合った。
852 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/16(水) 23:18:52.57 ID:by+6rqHIo

 麻季は一瞬本当に驚いたように目を見はって僕を眺めた。麻季は凍りついたように動き
を止めたけど、その視線はやがて横に移動した。

「・・・・・・博人君」
 理恵が向かいから僕の肩に手を置いた。「大丈夫?」

 その様子は理恵に気がついたらしい麻季にも見られたはずだった。麻季は視線を自分の
横にいる男に移した。そして彼女はその男の肩に自分の顔を乗せて寄り添った。それは幸
せだった頃、よく彼女が僕に対してよくした仕草そのものだった。男が麻季の肩を抱き寄
せるようにして何か囁いている。

 麻季が僕への愛情を失ったことはこれまで何回も悩んで納得していたはずだけど、実際
に彼女が僕以外の男とスキンシップを取るのを見たのは初めてだった。こんなことで動揺
することはない。そもそも麻季は以前鈴木先輩に抱かれているのだから。そう思ったけど
実際に再会した麻季に無視され、しかも彼女が僕以外の男にしなだれかかっている様子を
見ると、僕はそんなに冷静ではいられなかった。

 ふと気がつくと理恵が向かいの席から僕の隣に席を移していた。

「麻季ちゃんめ。やってくれるよね」

「何が?」

「・・・・・・でもさ。こういう方が麻季ちゃんらしい」

 何が麻季らしいのか。混乱した僕が理恵に聞こうとした瞬間、理恵が僕の首に両手を回
した。

「理恵?」

「仕返ししちゃおう」

 そのまま長い間僕は理恵に口に唇を押し付けられていた。

 理恵がキスをやめても彼女の両腕は僕に巻きついたままだった。僕は麻季に目をやった。
そのときの麻季のことはその後もずっと忘れられなかった。彼女は隣にいる男に体を預け
ながら僕と理恵を見つめていたのだ。

 麻季の目から涙が流れ落ちた。いったい何でだ。そのことに何の意味があるのだろう。

「出ようよ」

 理恵が立ち上がって僕の手を握って僕を立たせた。

「うん・・・・・・」

 会計を済ませて混み合った居酒屋を出るとき僕は最後に麻季を眺めた。もう麻季は僕た
ちの方を気にせず、男と何か賑やかに話し始めていた。

 先に店の外に出ていた理恵を追って外に出ると、彼女は携帯で電話していた。理恵の声
が途切れ途切れに聞こえてきた。

「うん・・・・・・悪いけど明日香のことお願い。多分今日は帰れないと思うから」

 理恵が携帯をしまった。

「今日は遅くなっても平気だから」

「何言ってるの?」

「麻季ちゃんのこと忘れさせてあげるよ」

 理恵が真剣な表情で戸惑っている僕に言った。
853 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/16(水) 23:19:23.87 ID:by+6rqHIo

今日は以上です
854 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/16(水) 23:31:47.48 ID:Y9Ln1mqeo

嫉妬させようと思ったとった行動が
意趣返しのきっかけを与えてしまった感じなのか
855 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/17(木) 00:09:02.47 ID:aY1Nr/Dro
理解不能
856 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/17(木) 00:19:34.66 ID:URnsBt1zo
857 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/17(木) 02:40:37.71 ID:MGWyF6C+o
858 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/17(木) 03:54:17.70 ID:0rnDSzfAO
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|┃││ 1620KHZ .││
|┃│├─────┤│
|┃││ハイウェイラジオ.││
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|┃ ガシッ イ´ `ヽ
|┃ 三 / /  ̄ ̄ ̄ \ ハァハァ…
|┃ /_/ ∞ \_ ・・・・神スレに迷い混んでしまった
|┃ [__________]
|┃ 三 | ///(__人__)/// |
|┃ ハァ… \ ` ⌒´ ,/
|┃ /ゝ "` ィ `ヽ.
|┃ 三 / ,│ │ \
,⊆ニ´⌒ ̄ ̄" y(~~)====(~~~)==r、 ヽ
゙⊂二、,ノ──-‐'´|..~~ ~~~ .| l" |
|┠ ' | l/'⌒ヾ
|┃三 | (x) |ヾ___ソ
|┃ / \ / l
859 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/17(木) 08:14:11.33 ID:0NQK3iDIO
うんうん。ここの心変わりが分からなかったんだよなあ。種明かしに期待

というか、理恵ビッチなんじゃね?
860 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/19(土) 01:34:59.05 ID:RlrjgjeQo
もう全員ビッチだろ
861 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 23:50:37.26 ID:dspmsilGo

「あたしさ、大学時代に一度麻季ちゃんに負けたじゃん?」

 居酒屋から移動した先はホテルの高層階の静かなバーだった。理恵の行きつけの店のよ
うだけど彼女が言っていたように夜景は素晴らしい。窓際に並ぶように置かれたカウチに
僕は理恵と並んで座った。

「・・・・・・別に勝ちとか負けとかじゃないでしょ」

「負けだよ。大学時代、もうちょっとってとこで博人君を麻季ちゃんに持ってかれちゃっ
たしね。あのとき、あたし結構悔しかったんだよ。しかもそのまま博人君たち同棲し出し
て結婚までしちゃうしさ」

「あのさ」

「何?」

「大学で再会したときさ、理恵って僕のこと好きだったの」

 普段の僕ならこんなことをストレートに女性に聞くなんて考えられない。でも、さっき
の理恵のキスの後ならこういうことを口に出すことも何となくハードルが低かった。

「そうだよ」

 理恵が物憂げに髪をかき上げながらあっさりと言った。

「でもさ・・・・・・僕と麻季が付き合い出したとき、君はその・・・・・・すぐに僕に近づかなくな
ったしさ」

「あたし、博人君に捨てないでって泣いて縋りつかなければいけなかったの?」

「そう言うことじゃなくて」

「それにあたし、あのときは博人君に告白だってされなかったし。不戦敗っていうところ
だったのかな」

「いや、あのときはさ」

「まあ、あたしもプライドだけは高かったからね。何があったか知らないけど博人君と麻
季ちゃんっていつのまにかキャンパスで一緒に過ごすようになっちゃうしさ」

「まあそうだけど」

「でしょ? あのとき君に泣きついてたらみっともない女の典型じゃない。あたしにだっ
て見栄はあるのよ。まして博人君と幼馴染っていうアドバンテージがありながら負けちゃ
ったんだしさ」

 あの頃の僕はいろいろな意味で麻季にかかりきりだった。何を考えているのか今いちわ
からない彼女に不用意に惹かれてしまった僕は、自分の彼女に対する気持を整理するだけ
でも精一杯だったのだ。麻季に対する気持は彼女と同棲する頃にはほぼ落ち着いていたの
だけど、そこに至るまでの僕には正直に言って理恵の気持なんて考える余裕はなかった。
862 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 23:54:02.45 ID:dspmsilGo

 それにしてもこの店に移ってからの理恵は昔話、しかも麻季絡みの話ばっかりだ。



『麻季ちゃんのこと忘れさせてあげるよ』



 さっきの話はいったいどうなったんだ。別に期待して付いて来たわけじゃないし、理恵
との昔話が嫌なわけじゃないけど、これでは麻季を忘れるどころかますます思い出してし
まう。そして今一番考えたくないのがついさっき見かけた麻季の涙だった。親権を争って
いる子どもたちに対してはともかく、麻季はもう僕に対しては何の想いも残していないは
ずなのに。

「いろいろ悪かったよ」

「・・・・・・・謝らないでよ。博人君に謝られたらあたし、まるで情けない片想い女みたいじ
ゃない」

「そういう意味じゃないよ」

「冗談だよ。あたしもすぐに彼氏できたし」

「彼氏って、亡くなった旦那さん?」

「そうだよ。博人君の結婚より何年かあとに彼と結婚したの。あたしの一人娘の父親」

 これまで強気な発言を繰り返していた理恵が泣きそうな表情を見せた。理恵のご主人は
突然の死をとげたそうだ。浮気され不倫された挙句、麻季に捨てられた僕とはまた違った
悲しみが理恵にもあるのだろう。

 僕は玲菜の死を知ったときの感情を思い起こした。あのときはその衝撃と悲しみによっ
て、一時期は麻季に裏切られたことなどどうでもいいと思えるほど自暴自棄になったのだ。
なので愛し合っていた人を突然理不尽に喪失した痛みは理解できた。

「理恵が結婚してたって、こないだまで知らなかったよ」

「・・・・・・どうせ、あたしのことなんか思い出しもしなかったんでしょ」

「そうじゃないけど」

「唯ちゃんから聞くまではあたしのことなんか忘れていたくせに」

「だから違うって。昨日、君が指輪してるのを見てさ。それで」

「それで? 指輪を見たからどうだっていうのよ?」

 理恵は少し酔っている様子だった。

「どうって・・・・・・。唯に話を聞く前だったから君もご主人がいるんだろうなって」

「昨日の夜、唯ちゃんからあたしの旦那が亡くなったことを聞いたの?」

「うん」

「そう・・・・・・唯ちゃんって絶対ブラコンだよね。いつも君のことばっかり話しているもの
ね」

 酔っているせいか理恵の話がおかしな方向に逸れた。

「そんなわけあるか」

「あるよ。唯ちゃんって彼氏いるのに彼氏の話じゃなくて博人君の話しかしないのよ。知
らなかったでしょ? それも博人君が麻季ちゃんと普通に夫婦している時からそうだった
んだよ」

 だんだん話が逸れて行ったけど、少なくとも麻季の話をしているよりはよかった。昔の麻
季の気持なんか考えたって前向きな意味はないし、今の麻季の気持を慮っても離婚が覆
ったり親権が手に入るわけでもないのだ。
863 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 23:56:00.60 ID:dspmsilGo

「・・・・・・ええと、これ何だっけ? まあいいや。同じカクテルをください」

「ちょっとペース早いんじゃないの?」

「いいの。大丈夫。それよか、麻季ちゃんのことだけどさ」

「またかよ。忘れさせてくれるんじゃなかったの」

 思わず僕はそう口に出してしまった。理恵が僕を見詰めた。

「別にそれでもいいけど」

「え?」

「別にここは切り上げてそうしてあげてもいいよ」

「何言ってるの・・・・・・」

「でもさ」
 理恵は運ばれてきたカクテルを口に運んだ。「さっき博人君から聞いた話の麻季ちゃん
は彼女らしくないけど、さっきわざと君に見せつけるように好きでもない男にベタベタし
たり、あたしと博人君がキスしているのを見て泣いてた麻季ちゃんは麻季ちゃんらしかっ
たなあ」

「意味がわからない」

「あの子らしいじゃん。さっき出会ったのは偶然なのに、博人君があたしと一緒にいると
ころを見かけた途端、すぐに隣の男に甘える振りをするなんてさ。きっと無意識に君の気
を惹きたくてそうしちゃったんだと思うな。君に嫉妬させたかったんだよ」

「そんなわけあるか」

「あたしも、子どもを置き去りにしたり君にDVの罪を着せたりとか、君の話を聞いた後
だったからさ。仕返しにキスするところを見せ付けてやったんだ。要は麻季ちゃんがしで
かしたことを少し後悔させてやろうと思ったんだけど、まさか泣き出すとはね。思ったよ
り麻季ちゃんってわかりやすい性格してるよね」

「・・・・・・麻季がまだ僕に未練があるって言いたいの」

「未練つうか少しだけ後悔してるんじゃない? 自分が始めちゃったことを」

「理恵ちゃんさ、まさか何か知ってるの?」

「知らないよ、何にも。知ってるわけないじゃん。昨日までは君と麻季ちゃんは幸せな家
家庭を築いているんだって思ってたんだしさ」

「・・・・・・本当に意味がわからん。あれだけのことで麻季が何を考えているのかわかったな
ら理恵ちゃんは超能力者だよ。僕自身、自分の身に何が起こっているのか、麻季が何を考
えているのか何にもわからないのに」

「麻季ちゃんがどうして君を裏切ったのかなんてわからないよ。それこそテレパスじゃな
いんだし。でも麻季ちゃんが君に未練があってさ、そしてどういう理由で始めたにせよ、
自分の始めたことを後悔しているくらいはわかるよ」

「それって君の思い過ごしじゃないかな」

「じゃあ何でさっき麻季ちゃんはあたしが博人君にキスしているのを見て泣いてたのよ」

 理恵が手に持ったカクテルをテーブルに置いて言った。二杯目のそれは既にほとんど中
身がなくなっていた。
864 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/19(土) 23:58:25.25 ID:dspmsilGo

「麻季は何で泣いたんだろうな・・・・・・」

 僕は思わず呟いた。

「君を見つめて黙って涙流してたよね。あの後、彼氏に言い訳するのに大変だったろうな
あ。麻季ちゃん」

「・・・・・・うん」

「まあ、君があたしと仲良くしているところを見て悲しくなっちゃったんでしょうね。自
分から君を裏切ったのにね」

「何が何だかわからないな」

 理恵が笑った。「本当だね。君も昔から麻季ちゃんには振り回されてるよね」

「それは否定できないけど」

「あたしさ」

「うん」

「大学時代に麻季ちゃんから直接言われたことがあるんだ」

「え?」

「博人君から手を引けって。博人君はサークルの新歓コンパの時から麻季ちゃんのことだ
けを見つめてるんだからあたしに邪魔するなってさ」

「知らなかったよ・・・・・・麻季が君にそんなことを言ってたんだ」

「まあ、あたしはそんなの真面目に受け止める気なんかなかったんだけどね。だいたい、
あたしにはそんなこと言ってたくせに麻季ちゃんはいつも鈴木先輩とツーショットで歩い
ているしさ。信用できるかっつうの」

「麻季は感情表現が苦手だからね。あのときは鈴木先輩は麻季が自分に気があるって思い
込んじゃったみたいだよ。麻季にはそんなつもりは全くなかったって」

「そう麻季ちゃんが言ってたことを君は今でも信じているんだ」

「え」

「その数年後、麻季ちゃんは君を裏切って先輩と寝たのに?」

「・・・・・・あのときは麻季も育児ばっかで鬱屈していたし」

「君の奥さんなのに、大切な子どもがいたのに先輩に抱かれたんでしょ? そこまでされ
ても大学時代の麻季ちゃんの言い訳を疑わないのね」

「理恵ちゃんは何か知っているの?」

 理恵が両手を上に伸ばして大きく伸びをした。わざとらしいといえばわざとらしい仕草
だ。

「駄目だなあたし。今日はこんなことまで話すつもりはなかったんだけね」

 理恵は何かを知っているのだろう。僕はもう黙って彼女の話を聞くことにした。聞いて
しまったら本当にもう戻れないかもしれないけど。ふと思ったけど、理恵が麻季のことを
忘れさせてあげるというのは勝手に僕が期待したような意味ではなかったのかもしれない。

 僕の知らない麻季の姿を教えることによって僕の未練を断ち切るつもりだったのかもし
れない。今の発言とは裏腹に麻季と偶然に出合って動揺する僕を見た理恵は、最初から全
部話すつもりになったのだろうか。
865 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/20(日) 00:02:33.70 ID:UrXJDrwzo

「博人君って、大学時代に麻季ちゃんが君と付き合う前に何人彼氏がいたか聞いたことあ
る?」

 麻季は過去のことを極端に話さなかったし、自分の写真アルバムを実家から持って来た
りもしなかった。彼女の携帯の写メだって僕か奈緒人の写真くらいしか保存されていなか
ったし。

「大学入学直後に鈴木先輩と付き合ってたじゃない? それは知ってるでしょ」

「だからあれは麻季の口下手のせいで先輩が勘違いしたんだよ」

「違うよ。あたし二人がキャンパス内で抱き合いながらキスしてたのを見たことあるも
ん」

 もう麻季についてこれ以上ショックを受けることはないと思っていた僕はその話に唖然
とした。

「先輩だけじゃないのよ。麻季ちゃんと噂になっていた相手の男って」

「君の勘違いじゃないの?」

「博人君たちの披露宴の後ってさ、二次会しなかったんでしょ?」

「麻季が友だち少ないって言ってたからね。友だち呼んでパーティーするより早く二人き
りになりたいって言ってたから」

 それも幸せだった過去の記憶の一つだった。



『ごめんね。あたし博人君と違って社交的じゃないし。披露宴には来てくれる友だちはい
るけど、二次会で盛り上がってくれるような知り合いはあんまりいないの。こんな女で本
当にごめん。でもできれば披露宴の後は博人君と二人きりで過ごしたい』

 それでも披露宴では麻季は女友達から祝福されていた。「麻季きれい」と囁いていた彼
女の女友達の声。



「あたしはその場にはいなかったから後で後輩に聞いたんだけどさ。二次会なかったから、
飲み足りない大学の人たちで繰り出したらしいよ」

「うん」

「披露宴の新婦側の出席者が悪酔いしてさ。麻季ちゃんの悪口で深夜まで盛り上がったん
だって」

「意味がわからない」

「麻季ちゃんと関係のあった男たちが酔っ払って未練がましく曝露したんだって。思わせ
ぶりな素振りを俺にしてた癖にって」

 僕は言葉を失った。今さら過去のことを振り返って後悔しても仕方がない。当時の僕だ
って麻季の男関係を詮索したりはしなかった。それに初めてのとき麻季は明らかに処女だ
ったのだ。
866 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/20(日) 00:04:51.85 ID:UrXJDrwzo

「結局さ。あの性格のせいであまり友だちができなかった麻季ちゃんには、自分の女を武
器にして男たちにちやほやされることを選んでたんだと思うよ。だから麻季ちゃんの気持
を勘違いしてたのは鈴木先輩だけじゃないよ。博人君と麻季ちゃんが付き合い出して傷付
いた男は一人二人じゃなかったんだよね。実際にあたしも鈴木先輩以外の男といちゃいち
ゃしている麻季ちゃんのこと見かけたことあるし」

「勘違いしないでね。麻季ちゃんが博人君を一番好きなのは間違いないと思うよ。多分、
今でも」

「・・・・・・今でもって。あんだけひどいことを言われて離婚を求められてるんだよ。麻季が
今でも僕のことを好きだなんて考えられないよ」

「でも、さっきあたしと君がキスしているところを見て泣いてたよね。彼女」

「もてないと思っていた旦那が君みたいな綺麗な女とキスしているのを見て動揺しただけ
でしょ。とにかく麻季は僕のことを一番好きどころか、今では一番嫌いなんだと思うよ」

「・・・・・・今の、もっかい言って?」

「へ?」

「あたしみたいなってとこ、もう一回言ってよ」

「いや・・・・・・あの」

「博人君、あたしのこと綺麗だと思う?」

「・・・・・・うん」

「そっか・・・・・・」

 やはり酔っているせいか理恵が今日初めて幸せそうに微笑んで僕に寄りかかった。

「うれしいよ、博人君」

「うん」

「いろいろ辛い話してごめんね。結局忘れさせるどころか思い出させちゃったみたいだ
ね」

「まあ、そうだね」

 僕は何となく寄り添ってくる理恵の肩に手を回した。

「あたしたち、今いい感じかな?」

 肩に回した僕の手に自分の手を重ねながら理恵が言った。
867 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/20(日) 00:08:19.47 ID:UrXJDrwzo

「・・・・・・普通口にするか? そういうこと」

「そうなんだけど。今日昼間に唯ちゃんからメールもらってさ」

「うん?」

「・・・・・・兄貴のことよろしくお願いしますってさ」

「何勝手なこと言ってるんだ。唯のやつ」

「ブラコンの唯ちゃんも、あたしにならお兄ちゃんをあげてもいいって言ってくれたの
よ」

「唯め。あいつ、何の権利があって」

「でもさ、あたし自信ないって断ったの」

「え」

 麻季を忘れることができるかどうかはともかく、理恵の僕に対する好意については僕は
全く疑っていなかったのに。その自信がいきなり崩されたのだ。

「君に詳しく話を聞く前だったけど、今日君の話を聞いてもやっぱりあたしには自信がな
いな」

 僕に寄り添って手を重ねながら今さら理恵は何を言っているのだろう。

「せっかく今君といいムードなのに、ごめんね」

「麻季のこと気になるの?」

「ううん。麻季ちゃんがさっきみたいにいくら泣こうが喚こうが全然気にならないよ」

「じゃあ何で?」

 このとき僕は冷静だったと思う。麻季の過去の男関係を聞かされたにも関わらず。それ
は本当に僕がショックを受けた原因が、麻季の先輩との浮気や過去の男遍歴ではなかった
ことを理解できたからだろう。ここ最近の僕が麻季に関して悩んだのは彼女の育児放棄だ
ったことに、今さらながら僕は気がついた。そういう意味では理恵のショック療法も適切
だったのだ。

 でも理恵は予想外の言葉を口にした。

「麻季ちゃんなんてどうでもいいよ。あたしが本当に気にしているのは玲菜さんだよ」

 僕は凍りついた。

「あたし、今でも君のことが好き。多分、麻季ちゃんも今でもあなたのことが一番好きだ
と思う。でも麻季ちゃんがこんなことをしでかしたのも玲菜さんと博人君の関係に悩んだ
からだと思う」

「博人君」

 理恵が僕に聞いた。

「君は今でも亡くなった玲菜さんのことが好きなんじゃないの?」
868 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/20(日) 00:08:50.58 ID:UrXJDrwzo

今日は以上です
869 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/20(日) 00:12:43.81 ID:UF3jNMLAo
玲菜さんマジ天使
870 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/20(日) 01:20:03.85 ID:x12lmcC5o
871 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/21(月) 22:46:35.11 ID:Jo+T223lo
872 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/24(木) 23:25:57.30 ID:7FF3Gb1Po
どろどろだが
今までので一番読みやすい
873 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:19:17.89 ID:7rNmoFO0o

 少し酔ってはいたけれど僕は理恵の言葉を胸の中で反芻してみた。これまで僕は麻季が
突然僕に離婚を要求してきた理由がさっぱりわからなかった。太田弁護士の受任通知やそ
の後の弁護士同士の交渉を経ても、麻季の動機が理解できないという意味では何の進展も
ないのと同じだったった。

 それでも何となく心に浮かんでいたのは、何らかの理由で麻季が再び心変わりして、僕
ではなく鈴木先輩を選んだのではないかということだった。というよりそれ以外には思い
浮ぶ動機はなかったのだ。

 今、僕は理恵の言葉を受けて改めて自分の心を探ってみようと思った。いわゆる浮気や
不倫と言われる行為については僕は潔白だった。夫婦間のお互いへの貞操という観点から
すれば、明らかに有責なのは麻季の側だった。ただ、僕が玲菜にまるで中学や高校のとき
の初恋のような淡い想いを抱いたことがあったことも事実だった。そして玲菜のお通夜の
夜、僕はそのことや玲菜が僕のことを好きだったということも全て隠さずに麻季に伝えた。

 あのとき麻季が受けたショックは、僕と玲菜のささやかな交情によるものではなく、鈴
木先輩と関係を持った麻季自身を玲菜が恨んでいなかったということに起因するものだっ
たことは間違いないと思う。そしてそのことをひとしきり悩んだ麻季は、結局玲菜の遺児
である奈緒を引き取る決心をしたのだ。

 ただ、玲菜が自分の娘に奈緒という名前を命名したことに対して悩んでいた頃、麻季が
僕に向って感情を露わにしたことは確かにあった。



『博人君は本当は玲菜と結婚した方が絶対に幸せだったよね。あたしみたいに平気で旦那
を裏切って浮気するようなメンヘラのビッチとじゃなく』

『・・・・・・どういう意味だ』

『玲菜はあなたが好きだったんでしょ』

『・・・・・・多分ね』

『あなたも玲菜が気になったんだよね?』

『多分、あのときはそう思ったかもしれないね』

『ほら。あたしは先輩に抱かれて、その後もあなたに嘘をついて先輩とメールを交わして
あなたを裏切ったけど、あなたと玲菜だって浮気してるのと同じじゃない。違うのはあた
したちが一回だけセックスしちゃったってことだけでしょ』



 理恵の言うとおりだった。あのときの麻季は僕と玲菜が肉体的には何一つとしてやまし
いことがなかったことを承知のうえで、僕と玲菜のお互いへの気持に嫉妬していたのだ。
ただ、それは僕への麻季への謝罪によって彼女も納得して終った話だったはずだった。
874 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:20:39.58 ID:7rNmoFO0o

 それから僕は改めて理恵の質問について考えた。僕は今でも亡くなった玲菜のことが気
になっているのだろうか。答えはイエスでもありノーでもある。僕が生前の玲菜に惹かれ
ていたことは間違いない。それは自分でもはっきりと意識していた。別にそれは最後に会
ったときやメールをもらったときの彼女の告白めいたセリフのせいばかりではなく、玲菜
の最後の告白の前から、多分玲菜と会って彼女の強さを知ったときから、もう僕は女性と
して玲菜のことを意識していたのだった。

 そして理恵の言うとおり多分僕の玲菜への想いは今でも変わっていない。



『君は今でも亡くなった玲菜さんのことが好きなんじゃないの?』



 理恵の問いに対する直接的な答えはイエスだった。そして同時にノーとも言える。玲菜
は不慮の死を遂げたのだ。玲菜が鈴木先輩と離婚して一人で出産し育児をする道を選んだ
とき、僕は麻季と離婚せずやり直すことを選んだ。そして僕のその選択を玲菜は最後の
メールで祝福し応援してくれた。だから、例え玲菜に死が訪れず今でも奈緒と二人でどこ
かで暮らしていたとしても、僕と玲菜が一緒になるという可能性はなかったはずだった。



「好きか嫌いか聞かれればそれは好きだと思うよ。あれだけか弱そうな外見であれほど芯
の強い女性を僕は今まで見たことがなかった。彼女のそういうところに僕は惹かれていた
んだし、その想いは彼女が亡くなっても変わるようなものじゃないよ」

 理恵は僕に寄り添ったまま少しだけ笑った。

「やっぱね。でも話してくれてありがとう。あたしはもう玲菜さんのことを気にするのは
やめるよ。というか博人君の話を聞いているとあたしまで玲菜さんのことが好きになっち
ゃいそうよ」

「何言ってるの」

「でもね」
 理恵が僕から少しだけ身体を離して言った。「麻季ちゃんが突然こんなことをしでかし
たのは博人君と玲菜さんの仲に嫉妬しちゃったからかもしれないね」

「あれから何年経っていると思ってるの。確かに玲菜さんが亡くなった直後は麻季からそ
ういう話も出たことはあったよ。奈緒の名前のことで揉めたこともあった。でもそのことは
とうに克服したものだと思っていたんだけどな」

「そうか」

「うん。だから僕と玲菜さんのことが原因ではないと思う。やはり離れている間に麻季は
鈴木先輩の方が僕のことより好きだってことに気がついたんだろうね。結局、麻季は僕じ
ゃなくて先輩を選んだんだよ」
875 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:22:42.28 ID:7rNmoFO0o

 実際にそうとしか考えられなかったから僕はそう理恵に言った。いっそ麻季の口から鈴
木先輩と暮らしたいのと正直に言われた方がよかった。彼女がはっきりとそう言ってくれ
たら僕は麻季の要求どおりに彼女を自由にしたと思う。それなのに麻季は正直に告白する
のではなく、僕のことを誹謗中傷することを選んだのだ。

「それは違うと思うけどな」

「何で?」

「だって・・・・・・。さっき麻季ちゃん、あたしとキスしている博人君を見て泣いてたじゃん。
あたしと博人君が一緒にいるのを見て、男に寄り添うみたいな様子をあなたに見せ付けて
たしさ」

 確かに僕より鈴木先輩を選んだとしたらあそこで麻季が泣く理由はない。

「それにさ。せっかく復縁した博人君のことなんかどうでもいいほど鈴木先輩が好きなら、
鈴木先輩以外の男と二人きりで飲みに来たりしないんじゃない?」

 それもそのとおりかもしれない。麻季の涙に混乱してあまり気にしていなかったけど、
麻季が寄り添っていた男は鈴木先輩ではなかった。

「理恵ちゃんさ」

「なあに」

 理恵も少し酔っている様だった。不覚にも僕はそういう理恵を可愛いと思った。

「麻季は僕より先輩を選んだんじゃなくて、僕と玲菜さんの仲に嫉妬したからこんなこと
をしでかしたって思っているの?」

「多分ね。それにしても受任通知の内容とか理解できない点はあるけどさ」

「そうだよな」

「まあ、いいや。玲菜さんって本当にいい子だったんだね。麻季ちゃんなんかの親友には
もったいないね」

 それには何て答えていいのかわからなかった。僕は黙ったままだった。そしてこんなに
シリアスな話をしているというのに、理恵は僕に寄り添っているし僕は理恵の肩を抱いて
いる。

「ごめんね。麻季ちゃんのこと忘れさせるどころかかえって思い出させちゃって」

「いや。僕は別に」

「じゃあ、これから忘れさせてあげるよ。この店お勘定しておいてくれる?」



 翌日は平日でお互いに仕事があった。僕は二日連続で同じ服装でも別に気にならなかっ
た。もともとそういう業界だったから。でも理恵はそうも行かないと言った。校了間際で
もないのに同じ服で出社なんて何と噂されるかわからないそうだ。

 それで、僕は日付も変わったくらいの時間にラブホを出て、理恵を自宅近くまでタク
シーで送って行った。

「本当なら大学時代に博人君とこうなれていたのにね」

 理恵がタクシーの後部座席で僕に寄りかかりながら呟いた。

「そうだね」

 僕は少しだけ理恵の肩を抱く手に力を込めた。それに気づいたのか理恵が微笑んだ。

「初めては君とがよかったな」

 酒に酔っていたせいか、さっきの余韻がまだ残っていたせいか、理恵はタクシーの運転
手のことを気にする様子もなくそう言った。
876 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:23:10.35 ID:7rNmoFO0o

 理恵を送り届けてから実家に戻ったときはもう夜中の二時過ぎになっていた。

 支払いを済ませて実家のドアの鍵をそうっと開けて家に入ると、すぐに唯が姿を見せた。

「おかえり、お兄ちゃん」

「ただいま・・・・・・って何でこんな時間まで起きてるんだよ」

「だってお兄ちゃん、なかなか帰って来ないしさ。あたし入社するまで暇だから夜更かし
したって問題ないしね」

「・・・・・・まさか僕の帰りを待ってたんじゃないだろうな」

「何自意識過剰なこと言ってるの。何であたしがお兄ちゃんが帰って来るまでこんな時間
に起きて待ってなきゃいけないのよ」

「違うの?」

「・・・・・・いや、まあ待ってたんだけどさ」

 唯はそう言って笑ったけど、すぐに僕の腕を取って自分の方に引き寄せた。

「何だよ」

「シャンプーの匂いがする」

 僕は一瞬どきっとした。実の妹にそういうことがばれるのはとても気恥ずかしい。

「理恵さんと休憩してきた?」

 唯がストレートに聞いた。

「いや、その」

「よかったね、お兄ちゃん。理恵さんと再婚するならあたしは賛成だよ」

「・・・・・・まだそんな話になってるわけじゃないよ」

「まだ? じゃあ、さっさと決めちゃえばいいじゃん。うちの父さんも母さんも理恵さん
のご両親も誰も反対しないと思うけどな」

「とにかくもう寝る。明日もっていうか今日も仕事だし」

「うん。お風呂に入らなくていいからすぐ眠れるね」

「・・・・・・おい」

「冗談だって。奈緒人と奈緒の横で寝てあげて」

「うん」

「あたしの隣だけど別にいいよね」

「おい」

 これで何度目かわからないけど唯はまた可笑しそうに笑った。
877 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:23:44.77 ID:7rNmoFO0o

 翌日の午前中、理恵から電話があった。

 奈緒人と奈緒が並んで寝ている実家の和室に横になったのが夜中の四時前で、起床した
のが朝の六時だった。奈緒人と奈緒と一緒に寝るのは心が安らいだけど、同じ部屋で唯ま
で一緒に寝ることになるとは思わなかった。普段は親子三人で寝ているのだけど、僕が仕
事で遅くなるときは妹は奈緒人たちを寝かしつけるだけでなく、子どもたちと一緒に寝て
いてくれたらしい。子どもたち以外に同じ部屋で寝る女性なんてこれまでは麻季しかいな
かったので、そこに唯が寝ていることに混乱して僕はほとんど眠れなかった。

 それでも仕事柄徹夜には慣れていたせいで、出社すれば僕はいつもどおりに仕事モード
に戻れた。

『元気?』

 携帯の向こうで理恵が言った。

「いきなり元気って何だよ」

『いやあ、ああいうのって久し振りだったからさ。こういう場合何ていえばいいのか忘れ
ちゃったよ。現役を離れて久しいからね』

「何言ってるんだ。まあ、でもそうだね。僕もこういうときに何て答えたらいいのかわか
らないや」

 思わず僕は笑ってしまった。こういうやりとりはすごく新鮮だった。大学時代に麻季と
付き合い出してからこういう会話は全くしたことがない。麻季と僕との間はオールオアナ
ッシングであって、うまく行っているときは直球の甘い会話しかしたことがなかったし、
それ以外のときはお互いに傷付けあってばかりいたような気がする。麻季の性格上、こう
いうゆとりのある会話なんて彼女に対しては望むべくもなかったのだ。

『でも、安心したよ。あたしもそうだけど博人君もまだ現役でああいいうことできたんだ
ね』

「午前中から何を言ってるんだ君は」

『あはは。何かこういうのって久し振り。一緒に寝るよりこういう会話の方が楽しいね。
若返ったみたい』

「理恵ちゃんさあ。周りに会社の人がいるんじゃないの」

『いないよ。今外出中だもん。つうか今さらちゃん付けるのやめてよ』

「僕は周りは人だらけなんだけどな」

『ちょっと出て来れない?』

「今、どこ?」

『博人君の会社の側のクローバーっていう喫茶店。ここたまに打ち合わせで使うんだ』

 それは最後に玲菜と会った店だった。
878 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:24:17.22 ID:7rNmoFO0o

 クローバーに入るのは玲菜と会って以来だった。小さいとはいえ編集部を任された僕は
以前より外で打ち合わせをする機会が減っていたのだ。

「博人君。ここだよ」

 理恵が手を振った。理恵が座っているのが玲菜と最後に会ったときの席ではなかったこ
とに僕は何だか少しだけほっとしていた。

「お待たせ」

「仕事大丈夫だったの」

 理恵が僕の仕事を気にして言ってくれた。

「うん。どうせそろそろ昼食にしようかと思ってたとこだし」

「そうか、よかった」

 理恵が上目遣いに僕を見て微笑んだ。何だか本当に麻季に出会う前、まだ普通に恋愛し
ていた頃に自分に戻ってしまったような気がした。

「じゃあ、何か食べようよ。ここ食事できるんでしょ」

「サンドウィッチとかパスタくらいしかないけどね」

「それでいいよ。博人君、何にする」

 いそいそとメニューを取り出して僕に相談する理恵の様子すら今の僕には微笑ましかっ
た。妹に洗脳されたわけではないけど、僕は理恵のことが好きになっているのかもしれな
い。彼女を抱いてしまった後に思うようなことではないのかもしれないけど。

 もしかしたら僕はようやく麻季に対する不毛な感情から開放されるのかもしれない。

「パスタっていってもナポリタンかミートソースしかないのね」

「この店にそれ以上期待しちゃだめだよ。でも味は結構いいよ」

「そう? 博人君は何にするの」

「ミックスサンドにする」

「じゃあ、あたしも」

 そう言って理恵は微笑んだ。
879 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:25:01.05 ID:7rNmoFO0o

 店内には簡単な昼食をとる客に混じって、打ち合わせをしている顔見知りも結構いるよ
うだ。こんな環境で僕はサンドウィッチを放置して理恵にプロポーズした。

 理恵はと言えば口に中からハムとマヨネーズが溢れ出して、すぐには返事どころではな
かったらしい。目を白黒させながら彼女は慌ててアイスコーヒーで口の中を洗い流した。

「うん、いいよ。バツイチ同士だけど結婚しようか」

 さっきまで大学生同士のように何気ない会話でお互いの気持を確かめ合っていたはずな
のに、やはりこの年になるとロマンスには無縁になるのだろうか。僕と理恵の再婚は混み
合った喫茶店であっさりと決まったのだった。

 それから少しして僕と理恵は別れた。お互いにまだ仕事中だったのだ。麻季にプロポー
ズした時のような大袈裟なやりとりは何もなかった。考えてみれば愛しているとか好きだ
よとかの会話も、少なくともこのときにはお互いに口にしていなかった。

「とりあえず、麻季ちゃんと博人君が離婚するまでは婚約もできないね」

「ああ、悪い」

「いいよ。それで奈緒人君と奈緒ちゃんは当然引き取りたいんでしょ?」

「うん・・・・・・いい?」

「もちろんだよ。でも有希も一緒に育てるからね」

「当然そうなるよね。奈緒と有希ちゃんは同い年だしきっとうまくいくよ」

「うん。たださ。プロポーズしてくれた後にこんなこと言うのは後出しっぽくて申し訳な
いんだけど」

「何?」

 僕は少し嫌な予感がした。ここまでうまく行き過ぎいているような気がしていたのだ。

「あたし、仕事は止めたくないんだ」

「そんなことか。もちろんいいよ」

 麻季は奈緒人を出産したとき、自ら望んで専業主婦になったのだ。僕はそのことに関し
て反対をしたことはない。そして理恵が共働きを望んでいる以上、無理に専業主婦にする
つもりもない。

「そうじゃなくてさ。結婚しようって言ってくれたのは嬉しいけど、あたしと一緒になっ
ても君と麻季ちゃんの親権の争いには有利にはならないよ?」

 僕はそのことをすっかりは忘れていた。もちろん親権に有利になる方が望ましいことは
確かだった。それは唯が僕に理恵と付き合うように勧めた理由の一つでもあったのだ。で
もこのときの僕は子どもたちの親権を考慮して理恵にプロポーズしたわけではなかった。
親権の争いのことなど今まで忘れていた。ただ、理恵と一緒になりたいと思っただけで。

 僕はそのことを正直に理恵に話した。

「・・・・・・嬉しい。そう言ってくれると、さっき結婚しようって言われたときより嬉しいか
も」

 理恵が今日始めて顔を伏せて涙を浮べてそう言った。
880 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:25:40.22 ID:7rNmoFO0o

 その後の展開は早かった。僕は久し振りに会う理恵のご両親に挨拶に行った。お嬢さん
と結婚させてくださいとか言わせてもらうことすらできず、久し振りねえとか元気だった
かとか理恵の両親から僕は言葉をかけられた。本当に懐かしく思ってくれていたみたいだ
った。質問攻めに懐かしいながらも当惑していた僕を見かねて、僕と理恵の結婚には賛成
だよね? って両親に対して言い出して僕たちを救ってくれたのが玲子ちゃんだった。

 理恵と幼馴染だった頃にはまだ彼女は生まれていなかったので、僕と玲子ちゃんは顔を
合わせるのは初めてだった。

「結城さんはお姉ちゃんと結婚したいんだって。ちゃんと答えてあげなよ」

 当時大学生だった玲子ちゃんはそう言ってくれた。

「そんなのOKに決まってるだろ」

「そうよ。結城さんのご両親とはもうこのことは打ち合わせ済みなのよ」

 理恵の両親がそう言った。どうやら僕が自分の両親に理恵との結婚を話す前から、僕の
両親にはその事実が伝わっていたようだった。犯人は一人しかいない。唯だ。そして唯と
玲子ちゃんも仲がいいらしい。僕と理恵の結婚はお互いの妹たちによって根回しされてい
たのだった。

 このとき玲子ちゃんは奈緒と同じくらいの年齢の女の子を抱っこしていた。

「ほら有希。あなたの新しいパパだよ」

 玲子ちゃんがからかうように言った。

「玲子!」

 顔を赤くしながら理恵が玲子をたしなめた。

 翌週、僕は理恵を連れて自分の実家に戻った。

 予想したとおり理恵の実家を訪れたのとほぼ同じような展開が僕たちを待ち受けていた。
事前に唯が根回しをしてくれていたせいで、僕の両親は僕と理恵の結婚に関しては良いも
悪いもなく既定事項のように受け止めたうえで理恵を歓迎してくれた。

「理恵さん、本当にこんな兄貴でいいんですか」

 唯が理恵をからかった。

「唯ちゃんこそごめんね。大好きなお兄ちゃんを奪っちゃって」

 理恵も動じなかった。

「・・・・・・何でそうなるんですか」

 理恵と唯は視線を合わせたかと思うと笑い出した。理恵の僕の実家への訪問で少しだけ
慌てたのは、奈緒人と奈緒と理恵が初顔合わせをしたときだった。

 唯がそれまで外に遊びに行っていた二人をリビングに連れてきた。理恵は奈緒人を微笑
んで見つめた。そしてその視線が奈緒に移ったとき、理恵は突然沈黙してしまった。
881 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:26:11.31 ID:7rNmoFO0o

「理恵さん?」

 不審に思ったのだろう。唯が理恵に話しかけた。

「どうかした?」

 僕にまとわりついてくる奈緒人と奈緒を抱き上げて二人一緒に膝の上に乗せながら僕も
理恵に聞いた。

「あ・・・・・・ごめん。奈緒人君、奈緒ちゃん。今日は」

 理恵が取り繕うように言った。

 その場の雰囲気を気にしたらしい唯は、二人で少し近所を散歩してきたらと勧めてくれ
た。

「理恵さん、今日は泊まって行けるんでしょ?」

「あ、ええ」

「そうしなさい。ご両親には私から連絡しておくから」

 父さんも理恵にそう勧めた。

「じゃあ、今夜は宴会だね。準備しておくから邪魔な二人は散歩でもしてきなよ」

 唯が言った。

「僕たちもパパと一緒に行っていい?」

 奈緒人が唯に聞いた。

「あんたたちはお姉ちゃんのお手伝いして。できるよね」

「うん。お姉ちゃんのお手伝いする」

 奈緒が元気に返事をした。奈緒は実家の中では一番唯に懐いているのだ。

「じゃあ僕も唯お姉ちゃんのお手伝いする」

 奈緒の言葉を聞いた奈緒人は即座に僕と一緒に出かけるより奈緒と一緒にいる方を選ん
だようだった。
882 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:26:48.54 ID:7rNmoFO0o

「驚いた。奈緒ちゃんって玲菜さんにそっくりじゃない」

 理恵を連れて実家の近所の自然公園内を散策していたとき、理恵がそう言った。そんな
ことだろうと思っていた僕は別に理恵の反応に驚きはしなかった。

 奈緒はまだ幼いながらも美人だった。多分容姿に関しては将来を約束されていたと言っ
てもいいくらいに。鈴木先輩も外見はイケメンだったし玲菜に関しては性格も外見も可愛
らしかった。奈緒の端正な外見は両親の遺伝子を引き継いでいたのだ。

 当然のことだけど奈緒は僕にも麻季にも全く似ていない。でも、この頃には唯も両親も
血の繋がりのない奈緒のことを家族として受け入れていたから、僕も唯も、そして僕の両
親さえ一度たりともそれが問題だとは考えたことはなかった。

「これじゃ、麻季ちゃんが悩んじゃうわけだよね」

 寒々とした公園内の池を眺めながら理恵が呟くように言った。

「どういうこと?」

 理恵が僕を見た。

「麻季ちゃんが玲菜さんと君のことで悩んでいたとしたらさ。きっと奈緒ちゃんを見るた
びにつらい思いをしていたのかもしれないね」

「そんなこと」

「ないって言える?」

「麻季は自分から奈緒を引き取るって言い出したんだ。娘が母親に似るなんて当たり前だ
ろ。それくらいのことで麻季が奈緒のことを気にするなんて」

「・・・・・・もう一度聞くけどさ。本当にないって言えるの」

 僕は沈黙した。つらかったけど、麻季が奈緒を引き取ると言い出してからの彼女の言動
を改めて思い起こそうと思ったのだ。

 少なくとも僕と一緒に過ごしていたときの麻季には、奈緒の容姿が玲菜と似ていること
に対して悩んだりした様子はなかったはずだ。あの頃の彼女は奈緒人と同じくらいの愛情
を奈緒に向けていた。

 だけどもう少し考えを推し進めて、僕がそう錯覚していたように当時の麻季が僕との仲
に無条件に安らぎや安堵感を感じていなかったとしたらどうなのだろうか。大学時代の自
分の親友のことを好きになった旦那。そして麻季が自ら育てることを選んだ奈緒は当然な
ことに玲菜に似ていた。その奈緒をひたすら大切にして可愛がっている僕。

 麻季が口や態度には出さなくても、内心僕と玲菜の関係に悩んでいたとしたら玲菜への
嫉妬が奈緒への嫉妬や嫌悪に転化したということもあり得るのだろうか。
883 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/25(金) 23:27:21.76 ID:7rNmoFO0o

「麻季が玲菜への嫉妬心を奈緒にぶつけるようになったって言いたいの? そのせいで麻
季が子どもたちをネグレクトしたと」

「さあ? 麻季ちゃん本人に聞かなければ真相なんてわからないよ。でも奈緒ちゃんって
本当に玲菜さんに似てるよね」

「鈴木先輩の面影もあるんじゃないか」

「全くないとは言わないけど、どちらかと言うと奈緒ちゃんはお母さん似だよ。あたしは
そう思うな」

「仮に君の推測のとおりだったとしてもさ。少なくとも麻季は奈緒人のことだけは自分の
ことより大切にしていたよ。それは間違いない。たとえ奈緒の育児を放棄したとしても、
麻季は少なくとも奈緒人のことは面倒看たはずだ」

「そうだよね。麻季ちゃんの育児放棄は許されることじゃないけど・・・・・・仮に奈緒人君だ
けを大切にしていて奈緒ちゃんだけを食事も与えずに虐待していたとしたら」

 僕は頭を振った。夕暮れが近づいていて、だいぶ気温が下がってきたようだ。

「そうだったら奈緒が今頃どうなっていたか考えたくもないね」

 実際、母親であるはずの麻季に一人きりで放置されてたとしたら、いったいどれくらい
心の傷を奈緒が受けていたかを考えるとぞっとする。そういう意味では僕は奈緒人のこと
を誇りに思っていた。奈緒人は麻季に放置された不安から泣きじゃくる奈緒を、精一杯慰
めて守ろうとしたのだった。そのせいもあって、奈緒は思ったより早く心の傷を癒して元
通りの明るい性格に戻ることができた。

「次の調停っていつなの?」

 僕はつらそうな様子をしていたのかもしれない。理恵が話を変えた。

「七月だね」

「調停に出れば麻季ちゃんと直接話せるの?」

「いや。今のところお互いに別々に調停委員に呼ばれて、相手の主張を聞かされてそれに
対する反論を聞かれるって感じかな」

「じゃあ麻季ちゃんと直接話したことはないんだ」

「顔を合わせてすらいないよ。こないだの居酒屋で会ったのが初めてだよ」

「そうか」

 理恵は何かを考え出した。

「今度の調停で養育環境が整いましたって調停委員に申し立てなよ」

「え? 理恵ちゃんはいったい何を言ってるの」

「ちゃんを付けるな。何度言わせるのよ、ばか」

「あ、いや。そうじゃなくてさ」

「麻季ちゃんとの離婚が成立したら再婚する予定の人ができました。彼女が子どもたちを
育てますって言って」

「編集業しながら養育なんて無理だろ。有希ちゃんだって玲子ちゃんが育ててるみたいな
もんじゃん」

「明日にでも経理か総務に異動させてくれって上司に言うから」

「・・・・・・はい?」

 理恵が僕に抱きついた。

「それで駄目なら会社辞めてやる・・・・・・博人君、そうなったらちゃんとあたしを養えよ」

「おい」

 理恵とべったりと寄り添ったまま実家に帰ると宴会の支度が整っていた。奈緒人と奈緒
が僕を出迎えてくれた。理恵は迷わずに二人に向って手を伸ばした。
884 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/25(金) 23:27:53.03 ID:7rNmoFO0o

今日は以上です
885 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/25(金) 23:38:13.07 ID:5xEmNlUDo

ここで明日香でなく、有希…?ますます混沌としてきた
886 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/25(金) 23:46:09.59 ID:7rNmoFO0o
>>885

げ・・・・・・やっちゃいました。

有希ではなくて明日香が正解です。ここはそんなに混沌とするシーンじゃないです。本当に申し訳ない

もはやそんなに読んでる人もいないないとは思いますけど、脳内補完してもらえないでしょうか。

重ね重ねお詫び申し上げます。
887 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 01:03:01.02 ID:UBgXx688o
楽しんでいます。
888 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 01:44:57.62 ID:xo7EWXNFo
読んでるよ〜
乙〜
889 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 02:30:47.51 ID:i9ozbdvFo
ばぁ
890 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 04:43:38.99 ID:aR0+HalQo
読んどるわ!
完結期待してるよ
891 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/26(土) 07:33:56.12 ID:hGwahKIjo
892 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 10:43:08.38 ID:mM5GFV/DO
おつ
893 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 11:21:53.97 ID:cGmh61Kko
そう言う事言うと読者が湧いて出るんだぞ
894 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/26(土) 17:44:54.17 ID:4XhdqOVE0
なんだ、有希まで出てくるとはどんなカオスな人間関係かと思ったがw

乙。
一番楽しみにしてるよ
895 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 18:27:59.35 ID:fFKcyNrIO
真剣に明日香じゃねーのかよ!とビビったわ
896 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:21:20.31 ID:HhhlN1+2o

法的にはまだ僕は既婚者だったからすぐに理恵と結婚するわけにはいかなかったし、お
互いに子どもがいたから同居するのも難しかったので、少なくとも麻季との離婚調停の結
果が出るまではこれまでどおりお互いに実家で別々に生活を送ることになった。

 公園で理恵と話をしてから僕はこれまでより注意して子どもたちを見るようになった。
そうすると、僕はこれまでは子どもたちへの愛情と憐憫からこの子たちのことを、とにか
く可愛がることしかしてこなかったことに気がついた。僕の実家に馴染んでよかったとか
僕の帰りが遅くても二人とも最近泣かなくなったとか、そういうことだけを僕は一喜一憂
してこれまで過ごしてきたのだった。

 改めて子どもたちの様子を覗うと僕にもいろいろ新たにわかったことがあった。

 例えば最近、唯は楽しそうに僕と理恵のことをからかったり、少し真面目になったとき
は僕たちが結婚したらどこに住むのかとかそういう質問を僕にすることがあった。そうい
うときには両親も楽しそうに口を挟んできた。でも、子どもたちは大人たちが盛り上がっ
ている会話の中には入ってこようとしない。もちろん、大人の話だから話には入りづらい
だろう。でも普通の子どもたちなら、わからないなりに無理にでも話に参加しようとする
だろうし、場合によってはその場の関心を自分たちの方に向けようとするものではないか。

 でも、奈緒人も奈緒も大人しく二人で寄り添っているだけで、話に割り込んでくる様子
は一切見せようとしなかった。

 大人同士の話の間、奈緒人と奈緒は二人だけのささやかな世界を作り上げてその中にこ
もっているようだった。それは微笑ましい光景でもあったけど同時にひどく寂しいことで
もあった。母親にネグレクトされた経験を持つ奈緒人と奈緒は、大人たちに相手にされな
いときは他の甘やかされて育った子どもたちのように大人の関心を自分たちの方に向かせ
ようと駄々をこねたり話に割り込んできたりしない。そういうとき、奈緒人と奈緒は反射
的に二人だけの世界に閉じこもることを選ぶようになっていた。

 やはりこの子たちにはまだネグレクトされたことによる影響が残っている。僕は子ど
もたちが自然に二人きりの世界を作っているのを見てそう思った。

 それから、奈緒人と奈緒の関係も微妙ながら変化しているようだった。
897 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:22:00.56 ID:HhhlN1+2o

 僕は今まで奈緒人が奈緒のことを守ろうとしているのだと思っていた。それは間違いの
ない事実だったとは今でも思っているけど、改めて二人をよく眺めると意外と奈緒が奈緒
人の面倒をみるような仕草を見せていることに気がついた。奈緒人が食べ物をこぼしたり
服を汚したりするたびに、奈緒はいそいそと奈緒人が落としたものを片付けたり奈緒人の
服をティッシュで拭いたりしていた。

 僕はそんな奈緒の様子に初めて気がついたのだ。仕事のせいで子どもたちのことをじっ
くりと見てあげられなかったせいか、こういう奈緒の様子には今まで気が付きもしなかっ
た。

 そのことを唯に話すと「今さら何言ってるの」と呆れられた。

「前に奈緒人が奈緒の面倒をよくみてくれるって言ってたじゃん?」

「うん、そうだよ。あたしもこんなんじゃなくて奈緒人みたいな兄貴が欲しかったよ」

「いや、それはどうでもいいけど、何か僕が見るにどっちかっていうと奈緒の方が奈緒人
の面倒をみているように見えるんだけど」

「そんなの前からそうじゃん。確かに奈緒人は奈緒を気にしているけど、奈緒だって奈緒
人に甘えているばかりじゃないんだよ」

「・・・・・・今まで気がつかなかった」

「まあ、お兄ちゃんが気にしなくてもいいよ。あたしみたいに毎日この子たちを見ていら
れたわけじゃないんだしさ」

「こんなことにも気がついていなかったんだな。少しだけ自己嫌悪を感じるよ」

「女の子の方がしっかりするの早いしね。妹の奈緒が兄の奈緒人の日常の面倒をみるなん
て微笑ましいじゃん」

「まあ、そうかな」

「まるであたしとお兄ちゃんみたいじゃん。しっかり者の妹が兄貴の面倒をみるとか」

 僕が新たに気がついた子どもたちのこういう様子は、唯にっとっては単に微笑ましい成
長のしるしに過ぎないようだったけど、こういう二人の様子を僕不在の家庭で麻季がどう
いう気持で眺めながら子育てをしていたのかを僕はここにきて初めて考えてみた。

 そうして考えるようになると先日の理恵の話が頭に浮かんだ。



『麻季ちゃんが玲菜さんと君のことで悩んでいたとしたらさ。きっと奈緒ちゃんを見るた
びにつらい思いをしていたのかもしれないね』



 僕は想像してみた。奈緒が玲菜にそっくりなことは麻季も気がついていたかもしれない。
そして奈緒人の方は僕に似ている。そんな奈緒人と玲菜似の奈緒が日増しに仲良くなって
いくところを、麻季は育児しながら一番身近なところで眺めていたのだろう。

 今まで考えたことはなかったけど・・・・・・もしも、本当にもしもだけど麻季が奈緒人に僕
の姿を見つつ奈緒に玲菜の面影を見ていたとしたら、麻季はその二人の姿を見て何を思っ
たのだろう。

 こんな幼い子どもたちに重ね合わせていいことじゃない。だけど麻季が本当に僕と玲菜
との仲を気にしていたとしたら、それは麻季にとってはまるで悪夢そのものだったかもし
れない。幼い二人が仲良くなる姿を見て、本来微笑ましいはずのその様子に麻季が僕と玲
菜が親しくなっていく姿を重ねてしまっていたとしたら、どれほどの心の闇が麻季に訪れ
ただろう。理恵の言葉をきっかけにして僕はそのことにようやく気がついたのだ。

 せめて僕が家庭にいれば麻季のストレスは僕の方向に向いていただろうし、僕も麻季を
諌めたり慰めたり、場合によっては喧嘩だってして彼女のストレスを発散させてあげるこ
とだってできたのかもしれない。でもこのとき僕は海外にいた。
898 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:23:03.95 ID:HhhlN1+2o

 常識的に考えれば幼い兄妹がどんなに仲が良かったとしても、その様子から僕と玲菜の
仲を思い出して嫉妬するなんて普通の人間なら考えられないだろう。しかも玲菜が生きて
いるのならともかく彼女は寂しい死を迎えていたのだし。

 僕に言えた義理じゃないかもしれないけど、死んだ人間への執着に嫉妬することは不毛
だ。生きている浮気相手なら別れて清算することもできるかもしれない。でも亡くなった
玲菜を振って別れることはできないのだ。麻季に限らず亡くなった想い人を相手に勝てる
人なんていない。特に惹かれている気持がマックスのときにその相手が亡くなった場合、
亡くなった彼女への想いは凍り付いたままで、その記憶が残っている限りはそのまま心の
中に留まり続けるしかないのだ。

 いくらパートナーの愛情を疑った人でも、普通ならそんな実体のない相手への嫉妬にこ
だわる人は少ないだろう。特に大切なはずの子どもたちを巻き込むほどその嫉妬心を面に
出す人はいないはずだ。

 でも麻季ならあり得るかもしれない。愛情も憎悪も人一倍強い彼女ならば。大学時代に
ろくに口を聞いたことがなかった僕のアパートに押しかけてきた麻季。僕とは付き合って
さえいない面識すらなかった理恵にところに、僕に構うなと言いに行った麻季ならば、そ
ういう非常識なことも考えられるのかもしれない。

 最初に知り合った頃、僕は彼女のことを境界性人格障害なのではないかと疑ったことが
あった。恋人同士になって満ち足りていた麻季の姿を見た僕はそんなふうに麻季を疑った
ことを後悔したのだった。でも、それは麻季がその頃の僕との関係に充足して満足してい
たからかもしれない。自分の不倫にひけ目を感じたうえに、僕と玲菜のささやかな心の交
情を聞かされて混乱した麻季が、僕の出張中に奈緒人と奈緒の仲のいい様子に僕と玲菜の
姿を重ねて考えるようになってしまったとしたら。

 かつて脅迫的なほど自分の考えにこだわる姿を見せた彼女の様子が思い浮んだ。



『・・・・・・先輩、あたしのこと好きなんでしょ』

『何言ってるの』

『あたし、わかってた。最初に新歓コンパで合ったとき、先輩はあたしのことじっと見て
たでしょ』

『・・・・・・それだけが根拠なの』

『それだけじゃないですよ。美術史の講義で会ったときも先輩、じっとあたしのこと見つ
めていたでしょ』



 あのときの彼女は、ろくに話しもしたことのなかった僕が自分のことを好きなのだと信
じ込んでいた。そんな彼女なら心の中で奈緒人と奈緒の様子を僕と玲菜との関係に置き換
えてしまったとしても不思議ではないのかもしれない。

 でもその仮定が成り立つとしたら、麻季がまだ僕のことを好きで執着がある場合に限ら
れていた。僕より鈴木先輩や他の男を選ぶくらいなら、僕と玲菜の感情に悩むことはない
だろう。

 そこまで考えつくと僕は再び混乱して、あのとき麻季が何を考えていたのかわからなく
なってしまうのだった。
899 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:23:38.87 ID:HhhlN1+2o

 いろいろ考えた末、理恵の好意に甘えることにした僕は代理人の弁護士に養育環境が麻
季に対して有利な方向で整ったことを報告した。麻季の代理人と親権について渡り合って
くれている彼にはいい交渉材料のはずだった。でも彼は浮かない顔で答えた。

「まあ、昨日までならいい材料だったかも知れないですけどね」

「どういう意味です?」

「今日、太田先生から連絡があったんですよ。先方の状況がいい方に変化したんでお知ら
せしときますってね」

「・・・・・・変化って。いったい先方に何が起きたんですか」

「こっちと同じですよ。先方の養育環境もずいぶん有利になってしまいました」

「というと?」

「奥さんの方も離婚が成立したら再婚するらしいですよ。まあ、奥さんの方は半年は結婚
できませんけど、実質的には同棲するみたいですから、養育条件の面ではこちらに不利に
なるところでした」
 弁護士がそう言った。「まあ、幸いにも結城さんにもお相手ができたみたいですから、
そういう意味では五分五分というか一進一退というところですかね」

 では麻季にはやはり好きな相手がいたのだ。奈緒人と奈緒の親権の争いがかかっていた
大事な場面だったのだけど、このとき僕は麻季の相手が誰なのかが一番気になった。そし
てすぐにそういう自分の心の動きに幻滅した。僕にとって一番大切なのは子どもたちだっ
たはずなのに、そして今では一番大切な女性は理恵なのだ。それなのに麻季の再婚相手の
ことに心を奪われている自分が心底情けなかった。

「相手の名前は?」

「鈴木雄二さんです。あなたの奥さんのかつての不倫相手ですね」

 やはりそうか。奈緒人と奈緒のこととか僕と玲菜のこととか、いろいろごちゃごちゃと
考えたことなんか実際にはまるで関係なかったのだ。やはり麻季は鈴木先輩のことが好き
だったのだ。それも理恵の言うことを信じるとしたら大学の頃から。

「まあ奥さんの再婚はどうでもいいんですけどね。偶然にも先方と同じで結城さんにも一
緒に育児できるお相手ができたわけだし、養育環境の面だけではこちらも有利にはなれな
かったけど不利にもなっていません」

「はあ」

「それよりも問題なのは奥さんの相手が鈴木雄二ということですよ」

「どういうことですか」

「ご存知なんでしょ? 鈴木雄二氏は奈緒さんの実の父親ですからね。奈緒さんが戸籍上
はあなたと麻季さんの娘だとしても血は繋がっていない。実の父親が奈緒ちゃんを引き取
りたいと言い出しているわけで、ちょっとまずいことになりそうですね」

 どうしてこんな簡単なことを今まで僕は忘れていたのだろう。鈴木先輩は玲菜の夫だっ
た。玲菜の遺児である奈緒の実の父親は鈴木先輩なのだった。玲菜は先輩に自分の妊娠を
告げることなく先輩と離婚して奈緒を出産した。そして玲菜の死後、先輩は奈緒を引き取
りはしなかったけど認知だけはしたのだった。
900 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:24:19.73 ID:HhhlN1+2o

「鈴木氏は奈緒さんの実の父親ですからね。調停委員の心象にもだいぶ影響を与えるでし
ょうね」

「子どもたちを取られてしまうかもということですか」

「実の父親が奈緒さんを引き取りたいという意向を示しているのは我々にとっては不利だ
と思います」

「でも、少なくとも奈緒人は鈴木先輩とは関係ないですよね」

「それはおっしゃるとおりです」

「・・・・・・この先、奈緒人と奈緒はいったいどうなってしまうんでしょうか」

「玲菜さんが亡くなった際、鈴木氏が奈緒さんを引き取らなかったことと結城さんの奥さ
んの育児放棄を強調して、この二人には育児に不安があることを主張してみます」

「それで勝てるんでしょうか」

「調停は勝ち負けじゃないですからね。いかに調停委員の心象を良くするかです。調停結
果が思わしくない場合はその結果に従わないこともできます。でもそれは前に説明しまし
たね」

「ええ」

「最悪のケースは子さんたちの親権を奥さん側に取られてしまうことですが、可能性とし
ては奈緒さんが奥さん側に、奈緒人君が結城さん側にとなることも考えられますね」

「奈緒人と奈緒を引き剥がすなんてあり得ないですよ。あれだけお互いに仲がいいのに」

「でも奥さんが鈴木氏と再婚するとなると、この可能性も現実味を帯びてきてしまいまし
た」

「そんなことは認めない。駄目ですよ。あの子たちを別々にするなんて」

「多分、二人の親権を奥さん側が確保することは難しいでしょう。奥さんのネグレクトは
児童相談所の記録で公に証明されていますし、調停委員の一人は元児童相談員をしていた
人ですから、児童虐待の可能性のある人に親権を認めることはないと思います。でも、鈴
木氏は奈緒さんの実の父親だし別に子どもを虐待した経歴があるわけじゃないですから、
奈緒さんの親権をこちらが確保するのは、正直難しいかもしれません」

「その場合は調停を拒否して裁判に持ち込めばいいんでしょ?」

「それはお勧めしません。裁判になれば多分こちらが不利です。この手の訴訟は判例では
八割方母親に有利な判決が出ているのです。少なくとも調停なら児童委員出身の調停委員
のおかげで何とか奈緒人君の親権は確保できる可能性はありますけど、裁判にしてしまえ
ば二人とも奥さんの方に持っていかれてしまう可能性が大きいですね」

 せっかく理恵が仕事を止めてまで育児をすると言ってくれたのに、この場に及んでまた
鈴木先輩が僕を苦しめようとしているのだ。今の僕にとって一番憎いのは麻季ではなく鈴
木先輩だったかもしれない。

 それから数週間後、次の調停の前日に僕は再び弁護士から電話をもらった。

「最悪の事態です。太田先生から連絡があって奥さん側は明日の調停で申し立てを変更す
るそうです」

「・・・・・・変更って」

「奥さんは奈緒人君の親権、養育権、監護権とも全て放棄するみたいです。その代わりに
奈緒さんだけを引き取ることを主張すると」

 確かに最悪の事態だった。弁護士によれば調停ではその主張は認められる可能性が大だ
という。それにしても麻季は何を考えているのだろう。自分の実の息子である奈緒人のこ
とはどうでもいいのか。それとも奈緒人のことも奈緒のことも麻季にとってはどうでもよ
くて、単に僕に嫌がらせをしたいだけなのだろうか。
901 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:25:09.58 ID:HhhlN1+2o

 翌日はすごく暑い日だったけど、家庭裁判所の隣にある公園は樹木が高く枝を張り、繁
茂している緑に日差しが和らげられていて、申し訳程度にエアコンが働いている家裁の古
びた建物の中よりよっぽど快適だったかもしれない。

 この日僕は会社の上司に麻季との離婚調停があることを正直伝えて休みを取っていた。
それはいいのだけど、問題は奈緒人と奈緒だった。僕の両親は前日から体調を崩してこの
日は病院に行くことになっていた。そのせいで僕は弁護士から言い渡された辛い事実を相
談することすらできなかった。

 僕は唯には弁護士から聞かされたことを相談した。案の定唯はひどく好戦的だった。

「麻季さんってどこまで自分勝手で卑劣なんだろう。お兄ちゃんに嫌がらせをするためな
ら奈緒人と奈緒を不幸にすることも辞さないのね」

 吐き捨てるように唯はそう言った。

「明日の調停で何と主張するのか決めなきゃいけないんだ」

 僕はもう何かを考える当事者能力を失っていたのかもしれない。これまでの僕は奈緒人
と奈緒を失うか、これまでどおり一緒に過ごせるのかの二択以外のことは考えもしなかっ
たのだ。突然に告げられた奈緒だけを引き取りたいという麻季の主張は僕を混乱させた。

 これまで麻季には少なくとも奈緒人と奈緒にだけは愛情があるということを、僕は疑っ
ていなかったし、そのことを前提に麻季と親権を争っていたつもりだった。たとえ奈緒人
と奈緒の親密な様子に僕と玲菜を重ねてしまっていたとしても、まさか麻季が奈緒人と奈
緒を引き剥がすような、子どもたちにとって残酷な主張をするとは夢にも思っていなかっ
たのだ。

「明日、どうすればいいのかな」

 僕は思考を停止して唯に弱音を吐いた。そんな僕の様子に唯は憤った様子だった。

「どうもこうもないでしょ。断固拒否するのよ。奈緒人と奈緒を別々に育てるなんて可哀
そうなことは認められないでしょうが。あの子たちが麻季さんの虐待に耐えられたのはお
互いを慰めあってきたからじゃない。奈緒人と奈緒を散々傷付けたくせに、反省するどこ
ろかさらに傷つけようとする麻季さんなんかに負けちゃだめよ」

「でも弁護士は訴訟に移行しても負けそうだって言ってるし」

「だから何? やってみなければわからないでしょ。調停ごときで諦めるなんて、お兄ち
ゃんは奈緒人と奈緒を愛していないの?」

 理恵はといえば基本的には唯と同じ意見だった。でも唯と異なるのは、僕がどう判断し
ようとも最終的には僕の判断を受け入れると言ったことだった。

『後で後悔するくらいなら結果はともかく唯ちゃんの言うようにとことん足掻いた方がい
いかもしれないね』
 そう電話口で理恵は話した。『でも最終的には決めるのは博人君だし、それがどういう
決断になるとしてもあたしは最後まで博人君の味方をするよ』
902 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/01/29(火) 23:25:44.96 ID:HhhlN1+2o

 調停の日は両親は病院へ行くことになっていた。そして間の悪いことに唯はその日、内
定していた企業の招集日だった。つまり実家には奈緒人と奈緒の面倒をみる人間がいなか
ったのだ。

「明日は病気になる。高熱があることにする」

「だめだよ。社会人になる最初のステップからおまえをさぼらせるわけにはいかないよ」

「じゃあ、もう内定辞退するよ」

「だから駄目だって」

 そんなことを唯とやりあっていたとき、理恵が事情を知って電話してきてくれた。

『奈緒人君と奈緒ちゃんも連れて来ればいいじゃん。家裁の隣の公園で遊ばせておけ
ば?』

「子どもたちだけで?」

『明日はあたしもついて行くから』

「仕事もあるだろうしいいよ」

『明日は代休だよ。あたしも一度くらい調停っていうの経験してみたいし』

「・・・・・・それじゃ奈緒人たちはどうなるの」

『奈緒人君なら奈緒ちゃんの面倒くらいみられるよ。唯ちゃんもそう言ってたし。あたし
も玲子に頼んで明日香を連れて行くからさ。何かあったら玲子が奈緒人君たちの面倒みて
くれるよ』

「玲子ちゃんと明日香ちゃんって、奈緒人と奈緒と会ったことすらないじゃん」

『心配いらないって。それとなく気にするように玲子に言っておくから』



 そういうわけでその日の調停の場には関係者として理恵が同席した。その場では顔を合
わせなかったけど、調停委員の話では麻季の方も鈴木先輩を連れてきたということだった。

 結局唯の言うとおり、奈緒人と奈緒を別々に育てるなんて考えられないことを主張して、
この日の調停は終った。僕と理恵が連れ立って家裁のそばの公園を歩いて行くと、ジュー
スやアイスクリームを販売しているワゴンのところに、玲子ちゃんが三人の子どもたちと
一緒に休んでいることに気が付いた。

「あら、結局一緒にいたんだ」
 理恵が微笑んで玲子ちゃんに話しかけた。玲子ちゃんは初対面のはずの奈緒人と奈緒に
気がついてくれたらしく、明日香ちゃんと一まとめにして面倒をみてくれたらしかった。

「玲子さん、奈緒人たちの面倒までみてもらってすいませんでした」

 僕は玲子ちゃんに礼を言った。

「どういたしまして。結城さんにそっくりだから奈緒人君のことはすぐにわかりました」
 玲子ちゃんが微笑んだ。「奈緒人君、しっかりしているから余計なお世話かと思ったん
ですけど、奈緒ちゃんと明日香がいつの間にか一緒に遊び出してたんで」

「本当にありがとう」

「いいですよ。一人も三人も一緒だし。まとめて面倒みてただけで」

 玲子ちゃんがどういうわけか顔を赤くした。

「玲子おばさんにソフトクリーム買ってもらった」

 奈緒人が言った。

「おばさんって、奈緒人。お姉さんと言いなさい」

「パパ」

 突然、奈緒が奈緒人から離れて僕に抱きついてきた。僕は暗い気持ちを隠して奈緒を抱
き上げた。抱き上げられた奈緒は無邪気に喜んで笑っていた。
903 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/29(火) 23:26:25.54 ID:HhhlN1+2o

今日は以上です
904 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/01/29(火) 23:43:57.40 ID:f1NBnKJyo
905 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/30(水) 00:41:47.20 ID:bJz2H4KDo
夫婦関係の破綻における調停で、親権を主体に争ってはいるけど、あくまで離婚調停だろこれ
一番最初の不貞も時効期限過ぎてないし奥さん側が不利だと思うがなぁ
事実、間男は実子の認知はしたものの、一度は親権・監護権を放棄してるから施設にいったわけだし、奥さん側はネグレクトしてる
作中の時間軸で育児実績は旦那側にあるし、これで取られるなら弁護士の力不足か、調停委員が偏った見方してるかだな。
906 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/30(水) 01:03:03.63 ID:Ky9KcFnco
弁護士が無能だったんだろ
907 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/30(水) 02:11:22.37 ID:/SRsIAuDO
おつ
908 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/30(水) 17:58:06.45 ID:jL0BFXCL0
麻希と鈴木先輩は積極的に家庭を壊そうとした張本人の二人だからな
不利に働きそうなんだが、まあ過去話だし
909 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/31(木) 00:50:46.21 ID:RMf9Ylzpo
居酒屋に麻季と二人でいたのは誰だったんだ?
910 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/31(木) 22:11:27.64 ID:rzwfdxfH0
読者は神の視点だから博人側有利に思えるだけでしょ
物語の中では博人のDV疑惑も反証できていないし、麻季の不倫だって事実認定されていないわけで、
必ずしも旦那側有利とも言えないだろ
911 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/01(金) 00:18:45.64 ID:x1q2HPNvo
DV反証してないと、子供が緊急避難の対象になって、手元に置いとけなさそうだな

相手からすれば、親権争ってる以上、育児実積積まれるのが一番厄介
反証がないなら、これ幸いと引き離そうとしてるんじゃ?

語られない部分にかなりのやり取りがありそうだ
912 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:04:33.90 ID:gNbKbyMjo

 調停からの帰り道、みんなでファミレスに寄って遅い昼食をとることにした。

 僕と理恵、玲子ちゃんと子どもたち三人の総勢六人で賑やかに食事をしたのだったけど、
そのときの子どもたちの様子を僕はその後ずっと忘れられなかった。

 奈緒人と奈緒がお互い以外の子どもに興味を持って親しくしているところを実際に見た
のはこれが初めてだった。明日香ちゃんも人見知りしない子のようだった。彼女は多少甘
やかされて育った様子はしたけれど、そんなことには関わりなく奈緒人と奈緒とは短い公
園での出会いですっかり打ち解けているようだ。特に奈緒と明日香ちゃんは既にお互いを
名前で呼び合っている。

「お兄ちゃん口に付いている」

 奈緒が奈緒人の口を拭いた。

「服にもこぼしてるじゃん」
 明日香ちゃんも奈緒の真似をして奈緒人の世話をやき始めた。「お兄ちゃんの服、ケチ
ャップが付いてるよ」

「・・・・・・明日香まで奈緒人君のことお兄ちゃんって呼んでるじゃない」
 玲子ちゃんが理恵をからかうように言った。「もう、いつでも結城さんと結婚できる
ね」

「玲子! あんた子どもたちの前で何言ってるの」

 理恵が本気で狼狽して言った。そう言えば明日香ちゃんに対して理恵が僕たちのことを
話しているのか聞いたことはなかった。うちの実家でも理恵との再婚は両親と妹には公然
の事実となっていたけれど、まだ奈緒人と奈緒にははっきりと話をしているわけではなか
った。麻季との親権争いが片付いていない不安定な状況で将来の話を子どもたちにするわ
けにはいかなかったからだ。

「子どもってすぐに仲良くなっちゃうんだね」

 理恵のことを気にする様子もなく玲子ちゃんが笑って言った。

「そうですね。僕も驚いたよ」

「あたしは結城さんと奥さんの事情はよく知らないけど、この子たちのこういう様子を見
ているだけでも結城さんとお姉ちゃんの結婚を応援する気になるよ」

 玲子ちゃんが理恵に言った。

「・・・・・・玲子」

「まあ、結城さんと結城さんの奥さんの話は唯ちゃんから聞かされてはいたし、奈緒人君
たちもつらかったんだなとは思ってたんだけどさ」

「うん」

「でもまあ、唯ちゃんは結城さんが大好きなブラコンちゃんだから話が偏ることも多いか
らな」

「何言ってるのよ」

「だから話半分に聞いていたんだけど、今日公園で二人を眺めててさ。奈緒人君と奈緒ち
ゃんって相当つらいことを乗り越えてきたんだなって思った」

 少しだけ声を潜めて子どもたちを気にしながら彼女は言った。

 やはり初対面の玲子ちゃんでもそう考えたのだ。

「結城さんとお姉ちゃんが結婚すれば、奈緒人君と奈緒ちゃんとそれにうちの明日香が一
緒に暮らせるじゃない? それだけでもこのカップリングは正しいよ」

「それだけでもって言うな。あたしと結城さんは」

「・・・・・・何よ」

「何でもない」

 理恵が赤くなった。
913 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:05:27.52 ID:gNbKbyMjo

 二人の女の子にお兄ちゃんと呼ばれていた奈緒人はあまり動じていなかった。自然に明
日香ちゃんのことを受け入れているように見えたけど、それでも奈緒人が一番気にしてい
たのは奈緒のことなんだろうなと奈緒人の様子を眺めながら僕は思った。それより僕にと
って意外だったのは、奈緒人が実家の両親や唯に慣れ親しむのと同じくらい玲子ちゃんに
気を許していたことだった。普段は大人同士の会話が始まると、大好きなはずの唯にさえ
遠慮していた奈緒人が、僕や理恵の話しかけている玲子ちゃんの気を引こうと試みている
ことに僕は気がついた。ただ、奈緒人は玲子ちゃんのことを「玲子おばさん」と呼びかけ
ていせいで、玲子ちゃんの機嫌を少し損ねているようだったけど。

「あのね奈緒人君。おばさんじゃなくて玲子お姉ちゃんって呼んでいいのよ」

「なんでよ。あたしは叔母さんって呼んでるじゃん。お兄ちゃんも叔母さんって呼べばい
いよ」

 明日香ちゃんが奈緒人の腕に手をかけた。一瞬、奈緒が明日香ちゃんの方を見た。その
視線はまるで子どもっぽくなかった。嫉妬する一人の女の子のような視線みたいだ。

 ・・・・・・まさかね。考えすぎだと僕は思った。麻季の心境を想像しようと努めていたせい
か自分まで変な影響を受けたらしい。僕は頭を振った。

「どうしたの」

 気が付くと理恵が不審そうに僕の方を眺めていた。

「いや・・・・・・何でもない」

「三人ともすぐに仲良しになったね。何だかうれしいと言うか気が抜けちゃった」

「どうして?」

「うん。あたしと博人君がうまくいってもさ。子どもたちが一緒に住むことに慣れなかっ
たらどうしようかってちょっと心配だったからさ。でも玲子の言うとおりいらない心配だ
ったみたい」

 奈緒人と奈緒の様子に僕と玲菜の心の中の不倫を重ねて見ているのではないかと最初に
言い出したのは理恵だった。でも理恵はそんな麻季の心の動きが異常なものだと見做して
いたのだろう。理恵自身は明日香ちゃんのことはもちろん、奈緒人の奈緒が仲がいいこと
に対して単純に喜んでいるだけで,それ以上余計なことは何も考えていないようだった。

 もうこのことを考えるのはやめようと僕は思った。麻季が何を考えているのなんかどう
でもいい。それよりも親権を獲得できれば、僕と理恵の家庭の幸せは約束されたようなも
のだ。子どもたちの仲のいい様子を見てそれがわかっただけで十分なのだ。
914 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:06:39.38 ID:gNbKbyMjo

 そう割り切ってしまえば親権の争い以外に悩むことはなかった。これまで子どもを放置
した麻季に対して嫌悪感を感じていた僕だったけど、それでも僕の中には麻季への未練、
というか麻季との幸せだった過去の生活への未練が、どこかにわずかだけど残されていた
のだろう。でも理恵へのプロポーズや明日香ちゃんを含めた子どもたちの仲の良さを実感
したことで、ようやく僕はその想いから開放された。その感覚は癌の手術後の経過にも似
ていた。癌の手術後の患者はいつ再発するのかと常に悩むかもしれない。そして経過観察
期間が過ぎて、もう大丈夫だと思うようになって初めて今後の人生に向き合うことができ
るのではないか。

 僕の場合もそれに似ていた。まだ調停の結果は出ていないけど、この先の自分の人生に
向き合う気持が僕の心の中にみなぎるようになったのだ。僕はもう迷わなかった。理恵と
三人の子どもたちと、新しい家庭を構築するという単純な目標だけを僕は希求するように
なった。弁護士の言うように調停の結果奈緒の親権が確保できなかったら訴訟を起こそう。
悲観的な弁護士と違って唯は勝てる要素は十分にあると言っていたのだし。

 僕はその方針を実家の両親と唯に、そして理恵に伝えた。みんなが賛成してくれた。



 僕は仕事上もプライベートでもかつての調子を取り戻していた。理恵と実質的に婚約し
ていた僕にとって、もう将来は不安なものではなかった。麻季との離婚が成立したらすぐ
に理恵と結婚することになっている。理恵は残業のない職場に異動希望を出し、それが認
められなければ専業主婦になると言ってくれていた。そして、たとえ僕と麻季の離婚の目
途はつかなくても、来年の四月になって唯が奈緒人たちの面倒を見れなくなったら一緒に
住んで子どもたちの面倒をみると理恵は言った。

 現状にも将来にも今の僕にとって不安な要素がだいぶ減ってきていたから、僕は今まで
以上に仕事に集中することもできるようになっていた。



 その日の夜の九時頃、僕は残っている部下たちにあいさつして編集部を出た。この時間
になると帰宅しても子どもたちはもう寝てしまっている。まっすぐ帰宅しようかと思った
けれど、さっき唯からメールが来て今日は家に夕食がないので残業するならどこかで食事
をしてくるように言われていた。僕は夕食の心配をしなければいけなかった。

 一瞬、まだ仕事をしているだろう理恵に連絡して一緒に食事でもという考えが頭をよぎ
ったけれど、よく考えたら彼女は今日は泊りがけの取材で地方に赴いていることに気がつ
いた。面倒くさいしコンビニで何か買って実家に帰ろうかと思って社から地下鉄の駅に向
って歩こうとした瞬間、僕の目の前に人影が立っていることに気がついた。

「久しぶりだね」

 目の前の人影が穏かにそう言った。都心の夜の歩道はビルの中の灯りや街路灯のせいで
身を隠すなんて不可能だ。

「・・・・・・え? 何で」

 僕は口ごもった。目の前に立っていたのは、見慣れた服に身を包んだ麻季だった。
915 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:09:14.64 ID:gNbKbyMjo

「元気そうね、博人君」

 以前によく僕に見せてくれた優しい微笑みを浮べて麻季が言った。ちょっと長い出張か
ら戻ったとき、麻季は僕に今と全く同じ微笑みを浮べてそう言ってくれたものだった。

「偶然だね」

 ようやく僕は掠れた声で答えることができた。

「偶然というわけじゃないの・・・・・・。あなたが会社から出てくるのを待ってた」

 麻季の微笑みに不覚にも少しだけ動揺する自分のことが、僕は心底嫌だった。

「・・・・・・お互いに弁護士を通してしか接触しないことになっていなかったっけ」

 僕はようやく気を取り戻してそう言うことができた。麻季と直接二人きりになることは
もうないものだと思ってはいたけど、先日の居酒屋での偶然もある。理恵に結婚を申し込
んでからは、万一再び麻季と会うことになったらそう言おうと僕は心に決めていた。

 そしてどうやら僕は動揺しながらも思っていたとおりのセリフを口に出すことができた
のだ。

「それはそうなんだけど・・・・・・」

 麻季は俯いてしまった。

「何か用事でもあるの」

 僕は意識して冷たい声を出すように努めた。麻季は黙ったままだった。

「これから実家に帰らなきゃいけないんで、用事がないならこれで失礼する」

 用事があったとしても僕は黙ってここから立ち去るべきだ。

「待って。あなたと話したいの」

「・・・・・・話なら弁護士を通してくれるかな」

「・・・・・・博人君と直接お話したいと思って」

「あのさ」
 僕は段々と腹が立ってきた。「弁護士を通せって言い出したのは君の方だろう。携帯だ
って着信拒否してるくせに今さら何言ってるんだ」

「してない」

「え」

「着拒してたけどすぐに後悔してとっくに解除してあるの。でも博人君連絡してくれない
し」
916 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:10:58.46 ID:gNbKbyMjo

「あれ? 編集長まだいたんすか」

 部下の一人がそのとき編集部から出てきて僕に話しかけた。彼はすぐに麻季に気がつい
た。悪いことに彼は麻季とも顔見知りだった。

「あれ、麻季さん。ご無沙汰してます。お元気でしたか」

「・・・・・・お久しぶりです」

 麻季が小さな声で言った。

「何だ。結城さん、今日は奥さんと待ち合わせでしたか。相変わらず仲がいいですね」

 社内では上司以外は僕と麻季の仲が破綻していることを知らない。

「そんなんじゃないよ」

「麻季さん相変わらずおきれいで。それにお元気そうですね」

「・・・・・・はい」

 彼は腕時計を眺めた。

「おっといけね。マエストロをお待たせしたらご機嫌を損ねちゃう。じゃあ、俺はこれで
失礼します」

「先生によろしくな」

「わかりました」

 彼は麻季に向ってお辞儀をして足早に去って行った。

 どうもこのままでは埒があかない。それにいつまでも編集部の前で人目に晒されている
わけにもいかなかった。

「しようがない。とにかくここから移動しよう」

 僕は麻季に言った。

「うん。ごめん」

「来るなら来るって連絡してくれればいいだろ。いきなり待ち伏せとか何考えてるんだ
よ」

「ごめんなさい」

 麻季が泣き出した。彼女が何を企んでいるのかはしらないけど、社の前で泣かれると困
る。僕は仕方なく彼女の手・・・・・・ではなく、上着の袖を遠慮がちに掴んで歩き出した。麻
季は大人しく僕の後を付いて来た。

 クローバーへ行こうと思ったのだけど、馴染みのその喫茶店はこの時間では既に閉店し
ていた。それによく考えるとあそこは生前の玲菜と最後に会った場所だし、理恵にプロ
ポーズした場所でもある。あそこに麻季を連れて行く訳には行かなかった。この辺にはフ
ァミレスもない。
917 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:12:06.99 ID:gNbKbyMjo

 こんな時にどうかと思ったけど、立ち話を避けるためには選択肢はあまり残されていな
かった。

「そこの居酒屋でもいいかな」

 麻季は黙って頷いた。

 チェーンの居酒屋はそこそこ混んでいるようだったけど、僕たちは待たされることなく
席に案内された。

 向かい合って席に納まるとしばらく沈黙が続いた。

 店員が突き出しをテーブルに置いて飲み物の注文を取りに来た。

「・・・・・・僕には生ビールをください。君は・・・・・・ビールでいい?」

 麻季は俯いたままだ。これでは店員だって変に思うだろう。

 麻季は昔から炭酸飲料が苦手だった。彼女は酒が飲めないわけではなかったのだけど、
ビールとか炭酸が入っているものは一切受け付けなかったことに僕は思い出した。彼女は
地酒の冷酒とかを少しだけ口にするのが好きだったな。それでもこの場で僕が麻季に酒を
勧めていいのだろうか。少し僕は迷った。

「・・・・・・冷酒、少しだけ飲むか」

 俯いていた麻季が少しだけ顔を上げた。

「・・・・・・いいの?」

「いいのって。聞く相手が違うだろ」

 こいつはいったい何を考えているのだろうか。

「冷酒でいいか」

「うん。あたしの好みを覚えていてくれたんだ」

 麻季の返事は少しだけ嬉しそうに聞こえた。

 やがて生ビールのジョッキと冷酒の瓶がテーブルに運ばれてきた。麻季の前にはガラス
のお猪口のような小さなグラスが置かれる。何となく手酌にさせるのも可哀そうで、僕は
冷酒の瓶を取って彼女のグラスに注いだ。

「ありがとう」

 麻季がグラスを手に持って僕の酌を受けて微笑んだ。何か混乱する。まるで奈緒人が寝
たあと、夫婦で寝酒を楽しんでいた昔の頃に戻ったような感覚が僕を包んだ。
918 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:13:09.71 ID:gNbKbyMjo

 今日一日ほとんど飲み食いせずに仕事をしていたせいか、こんな状況でも喉を通過する
生ビールは美味しかった。人間の整理は単純にできている。僕は思わず喉を鳴らして幸せ
そうなため息をついてしまったみたいだ。麻季は冷酒のグラス越しにそんな僕の様子を見
てまた微笑んだ。

「博人君、喉渇いてたの?」

「・・・・・別に」

「何か懐かしい。博人君が残業して深夜に家に帰って来たときって、いつもビールを飲ん
でそういう表情してたね」

「そうだったかな。もう昔のことはあまり覚えていないんだ」

 僕は意識して冷たい声を出した。

 ・・・・・・実際は覚えていないどころではなかった。子どもができる前もできた後もあの頃
の僕の最大の楽しみは、帰宅して次の日の仕事を気にしながらも麻季にお酌してもらいな
がらビールを飲むことだったから。奈緒人を出産してからは麻季は酒を一切飲まなくなっ
たけど、その前は彼女も僕に付き合って冷酒をほんの少しだけだけど一緒に付き合ってく
れたものだった。

 いや。そんなことを思い出してどうする。どういうわけか、あれだけひどいことを麻季
にされたにも関わらず僕は以前の生活を懐かしく思い出してしまったようだ。僕は無理に
冷静になろうとした。

「それで何か用だった? 調停のことだったら家裁の場以外では交渉しないように弁護士
に言われてるんだけど」

「・・・・・・うん」

「うんじゃなくてさ」

 麻季が何を考えているのか僕には全く理解できない。

「食事してないんでしょ」

「え」

「博人君、職場で夜食食べるの嫌いだもんね」
 麻季がどういうわけかそう言った。「何か食べないと」

 麻季はいそいそとメニューを持ってじっとそれを眺め出した。
919 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:14:03.05 ID:gNbKbyMjo

「博人君。食べ物の好み、海外から帰っても変わってないよね?」

「・・・・・何言ってるの」

「本当は身体には悪いんだけど・・・・・・でも好きなものを食べた方がいいよね」

 麻季が店員を呼んで食べ物を注文した。それは完璧なまでに僕の好みのものだった。こ
れだけを取ってみれば、理恵や唯よりも僕の食生活の嗜好を理解していたのは麻季だった。
でもそれは当然だ。破綻したにしても何年にも渡って麻季と僕は夫婦だったのだから。

 それにしても麻季は何でわざわざ僕に会いに来たのだろう。いろいろ店内に入ってから
はいろいろと喋りだしてはいるけれど、彼女が今になって何のために僕の前に姿を見せた
のかについてはヒントすら喋らない。

「お酒、注いでもらってもいい?」

 さっき麻季に酒を注いだときに僕は冷酒の瓶を自分の手前に置いてしまっていた。僕は
再び麻季のグラスに冷酒を満たし、今度は麻季の手前にその瓶を置いた。

 麻季は一口だけグラスに口をつけてテーブルに置いた。

「ビールでいい?」

「え」

 僕はいつの間にか生ビールのジョッキを空にしてしまっていたようだ。

「頼んであげる」

「あのさあ。明日も仕事だしゆっくり酒を飲んでる時間はないんだ」

「でもお料理もまだ来てないよ」

「君が勝手に頼んだんだろうが」

「今日って実家に帰るだけでしょ? まだ終電まで三時間以上あるじゃない」

「そういう問題じゃない。第一に早く帰って子どもたちの顔を見たい。第二に君と二人き
りで一緒にいたくない・・・・・・。おい、よせよ。何で泣くんだよ」

 泣きたいのはこっちの方だ。僕は泣き出した麻季を見ながらそう思った。
920 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/03(日) 00:17:33.81 ID:gNbKbyMjo

「ごめん」

「・・・・・・うん」

「本当にごめんなさい」

「もういいよ。それにさっきから何に対して謝ってる? 突然会社の前で待っていたこ
と? それとも泣いたこと?」

 僕は弁護士からは、調停の場か弁護士が同席していない限り調停内容に関わる会話は避
けるように言われていた。これまではあまりそのことを真面目に考えたことはなかった。
そもそも麻季の方が僕を避けていたので顔を合わす可能性なんてなかったからだ。

 でも、こうして久し振りに麻季と二人で話せる状態になると、僕はこれまで溜め込んで
きて吐き出す場がなかった怒りや疑問が口をついて出てしまった。そして一度負の感情を
口に出してしまうと、それは自分では制御できなくなってしまった。

「それともまさかと思うけど、麻季は不倫したことや子どもたちを虐待したことを今さら
後悔して謝っているのか? そんなわけないよな。弁護士から聞いたよ。鈴木先輩と再婚
するんだってな。よかったね、僕なんかに邪魔されないで最愛の人とようやく結ばれて
さ」

 一気にそこまで話したとき、ようやく僕の激情の糸が途切れた。心の底がひえびえとし
て重く深く沈んでいった。

 僕は周囲の客の好奇心と視線を集めてしまったことに気がついた。

「大声を出して悪かったな」

 僕は冷静さを取り戻して麻季を見た。麻季は動じていなかった。むしろこれ以上にない
というほどの笑顔で僕に向かって微笑んだのだ。とても幸せそうに。

「結城先輩、やっぱりあたしのこと好きでしょ」

 麻季が静かに笑って言った。

 僕は凍りついた。

 ・・・・・・麻季はいったい何を言っているのだ。そして記憶を探るまでもなくそれは鈴木先
輩に殴られた麻季を助けたときに彼女が脈絡もなく言ったセリフだった。それをきっかけ
に僕と麻季は付き合うようになったのだ。

「何言ってるんだ・・・・・・結城先輩って何だよ」

「懐かしくない? あたしと博人君の馴れ初めの会話だよ」

 それにしても泣いたかと思うとすぐに優しい顔で微笑む麻季はいったい何を考えている
のだろう。麻季のこういう支離滅裂な性格は大学時代には理解していたつもりだったけど、
彼女と付き合い出して結婚してからはこういう意図を理解しがたい言動は全くといってい
いほど見られなくなっていたのに。

「もういい。僕は帰る」

 僕が立ち上がると初めて麻季は慌てた様子で僕のスーツの袖口を掴んだ。

「帰らないで。ちゃんと話すから・・・・・・。全部話そうと思って来たの」

 今まで笑っていた彼女がまた泣き顔になって言った。僕はしぶしぶ腰を下ろした。

「何を話す気なんだよ」

「全部話すよ。博人君がドイツに出張してからあたしが何を考えていたか」

 僕は思わず緊張してまだ涙の残る麻季の顔を見直した。
921 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/03(日) 00:18:26.07 ID:gNbKbyMjo

今日は以上です
922 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/03(日) 02:04:58.83 ID:Ec9RYCdIo
923 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/03(日) 06:44:45.88 ID:mESGTNARo

メンヘラっすなぁ
924 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/03(日) 17:04:36.06 ID:M0fRhZMto
おつ
925 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/03(日) 19:18:57.07 ID:AaQKZ6ONo
926 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/05(火) 23:56:46.99 ID:eaEKmUkFo

「あたしさ。いろいろ努力はしたんだけど、結局、奈緒のことが好きになれなかったん
だ」

 麻季が言った。

 麻季にそういう感情もあるのではないかと考えたこともあったので、僕は思ったよりは
動揺しなかった。それでも仲が良かった頃の夫婦のような間合いで二人で過ごしている状
況で、薄く微笑みながらそういう言葉を口に出した麻季の様子に僕は少しショックを受け
た。

「もちろん奈緒には何の責任もないことなのよ。だから一生懸命頑張って笑顔で奈緒には
優しくしたんだけどね」

「・・・・・・・玲菜の娘だからか? でもそれなら何でわざわざ苦労して奈緒を引きとるなん
て言い出したんだ」

「・・・・・・あまり驚かないんのね」

「僕が不在のときの君の行動を知ってからは、君についてはもう何を聞かされても驚かな
くなったよ」

「博人君ひどい」

「君の口からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ」

「確かに今は離婚調停中だけど、お互い別に嫌いになって別れるわけじゃないんだよ。会
っているときくらい前みたいに仲良くしたっていいじゃない」

「・・・・・・何言ってるの?」

「何って」

「僕たちがお互いにまだ愛し合っているとでもいいたいの」

「うん・・・・・・。あれ、違うの?」

 麻季は本気で戸惑ったようにきょとんとした顔をした。そして麻季の話はかつて僕が
ボーダーではないかと疑ったときのように支離滅裂になってしまっている。

 子どもたちの育児放棄。帰国したときに見た廃墟のようにゴミが散乱していた我が家。
太田弁護士から受け取った受任通知書。そして鈴木先輩と麻季の再婚。

 そのどこを取ったら僕への愛情が見られるというのだ。

「注いでくれる?」

 麻季がにっこり笑ってグラスを掲げた。
927 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/05(火) 23:57:42.54 ID:eaEKmUkFo

 わずか数ヶ月僕が家庭を留守にしている間に麻季の心境に何が起きたのか、どうして彼
女は自分の夫と子どもたちにこんなひどい仕打ちができたのか。今夜はようやくその答が
聞けるのではないかと思ったけど、滑り出しは最悪だった。謎がさらに深まっていくばか
りだ。もう諦めて帰った方がいいんじゃないか。麻季の心境のことは諦めるつもりになっ
たばかりなのだし。

 一瞬そう考えたけど、一見すると整合していない麻季の話は彼女の中では完結していた
ことを思い出した。コミュ障というか彼女は心情表現が稚拙なのだ。どうせもう遅くなっ
てしまっている。僕はもう少し粘ってみるつもりになった。そのためにはこちらから話を
誘導して質問した方がいい。付き合い出したばかりの頃はよくそうしたものだった。

 とりあえず黙って麻季に冷酒を注いでから僕が自分から質問しようとしたとき、麻季が
注文した料理が一度に運ばれてきてしまった。

「話は後にしてとりあえず食べて」
 そう言って麻季は取り皿に運ばれてきた料理を取り分けて僕の前に置いた。「あなたは
放っておくと夜食べないことが多かったよね」

「・・・・・・そうだっけ」

「うん。だから子どものこととかすぐにあなたに相談したいときでも、あなたに食事させ
るまでは我慢してたんだよ。そうしないとあなたは相談を真面目に聞いてくれるのはいい
んだけど、夢中になって食事を忘れちゃうから」

 いまさらそんな話を微笑みながら言われても困るし、同時に全く自分の心には響いてこ
ない。懐かしさすら浮かんでこないのだ。当然とは言えば当然だった。僕には今では理恵
がいる。麻季は僕たちは離婚協議中だけどお互いにまだ愛し合っているというようなこと
を言った。でも僕の愛情はもう麻季には向けられていない。そして麻季だって鈴木先輩と
再婚するのではなかったのか。僕のことを愛しているのならそんなことをするわけがない。
麻季が普通の女なら。

 そう普通の女ならそうだ。でも麻季は、少なくとも今の状態の麻季は普通ではないのか
もしれない。僕はとりあえず奈緒に対する麻季の気持について棚上げして、根本的な疑問
から解消してみようと思った。

「まあせっかく注文してくれたんだから食べるよ。でも時間も遅いし食べながら話そう」

 僕は麻季を宥めるように微笑んでみた。まるで言うことを聞かないわがままな子どもを
あやすように。

「ちゃんと食べてくれる?」

 麻季が顔をかしげて言った。それはかつてはよく見た見覚えのある可愛らしい仕草だっ
た。
928 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/05(火) 23:58:57.31 ID:eaEKmUkFo

「君が家を出て行ったのってさ」

 食欲は全くなかったけど無理に食べ物を口に運んでから僕は切り出した。

「うん」

 普通は緊迫する場面だと思うけどどういうわけか麻季は食事をする僕の様子をにこにこ
しながら見守っている。

「やっぱり僕とじゃなくて鈴木先輩と家庭を持ちたいと思ったからなんでしょ?」

「違うよ」
 あっさりと麻季は答えた。「大学で初めて博人君と出会ってから、あたしが本当に好き
なのは昔から今まであなただけよ。だからあたしが一緒に暮らしたいのもあなただけだ
よ」

「あのさあ」

「もちろん、一度は雄二さんと過ちを犯したのは事実だけど・・・・・・。でもあのときだって
本当に愛していたのは博人君だけ。あのときはそんなあたしを博人君は許してくれたよ
ね」

 もう麻季には未練の欠片もないはずなのに、麻季が先輩のことを雄二さんと呼んだこと
に少しだけ胸が痛んだようだった。

「だって再婚する予定なんだろ? 鈴木先輩と」

「うん。でも雄二さんと連絡を取り出したのは最近だよ。家を出て行ったときはメールさ
えしていなかったし。最近会うようになるまでは、彼と会ったのはあなたと二人で奈緒を
引き取りに行ったときが最後」

「それは変じゃない? 君は児童相談所や僕の実家に押しかけてきただろう。自分が見捨
てた子どもたちを返せってさ。そのときは男と一緒だったって聞いたんだけどな」

 いまさら彼女の心変わりなんか批判するつもりなんかなかったのに、僕は思わず麻季を
避難するような言葉を口にしてしまった。

「うん。でもそれ雄二さんじゃないから」

 麻季は落ちついて言った。

「・・・・・・誰なの」

「あなたと神山先輩が居酒屋でキスしてたときにあたしと一緒にいた人」

「どういう人なの」

「よくわからないの。どっかのお店で声をかけられただけだから。名前もよく覚えていな
い」

「・・・・・・手当たり次第ってわけか」

「そうかも。今は雄二さんだけだけど」

 麻季に真実を白状させようとした僕は、思わぬ彼女の話に自分の方が混乱してしまった。
家を出る前からか出た後かはわからないけど、麻季は複数の男と遊んでいたようだ。
929 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/05(火) 23:59:49.62 ID:eaEKmUkFo

「・・・・・・何で子どもたちを何日も放置したまま家を空けた?」

 僕は力なく言った。もう上手に彼女から考えを引き出す自信なんて消え失せていた。以
前と全く変わらない様子で僕を見つめて微笑んでいる麻季は、僕の妻だった頃の麻季では
ないことはもちろん、大学の頃の不可解な麻季ですらなかったようだ。麻季のしたことを
許せはしないまでも、事情を聞けばその行動が少しでも理解できるだろうと思っていた僕
が甘かったようだ。

「口がお留守になってるよ。もっとちゃんと食べないと」

「食べるよ・・・・・・だから答えてくれ」

「ちょっとだけあなたを愛し過ぎちゃったからかな。あたしを放って家を空けた博人君に
も原因があるのよ」

「寂しかったからとか陳腐な言い訳をするつもり?」

「あなたがいなくて寂しかったのは事実だけど、それだけじゃないの。あたしも努力した
んだけど我慢できなくなって」

「抱いてくれる男がいなくなって我慢できなくなったってことか」

 思わず情けない言葉を口にした僕はそのことに少しだけ狼狽した。

「何度でも言うけど今でも昔と変わらずにあなたのこと愛してる。いえ、会えなくなった
分、昔より何倍もあなたが好きかも」

「わかんないな。僕のことを愛しているなら何で男を作って家出することになるんだよ」

「だから最初に言ったでしょ。奈緒のこと」

 僕はもう麻季を問い詰めることを諦めて彼女に好きに喋らせることにした。今夜は帰れ
ないかもしれないな。腕時計をちらっと見て僕はそう覚悟した。

 やがて麻季が微笑みながら話し出した。
930 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:00:46.30 ID:f2bpB/Vto

 奈緒は玲菜にそっくりだ。友人のいない学生時代を唯一といっていい親友の玲菜と過ご
していた麻季にはそう思えた。別に外見だけじゃない。まだ幼いのに他人に対する態度が
すごくソフトなところや、人の気持を優先して自分を抑えるところは、まるで人のいい玲
菜そのものだった。

 そして一見遠慮がちで儚げな様子に隠れてはいるけど、実は奈緒の芯は非常に強く、自
分の考えを曲げない強い意志の力を持っている。幼稚園の先生からの連絡ノートを読んで
麻季は自分の考えを確信するようになった。鈴木先輩の実子ではあるけれど、彼の調子の
いい優しさやその場限りの人当たりの良さなんて奈緒には全く感じられない。奈緒は完全
に玲菜似だったのだ。

 最初の頃は麻季にとってそのことが嬉しかった。自分に裏切られてもなお黙って身を引
く道を選び、そして突然の死を遂げた親友の玲菜が再び自分の前に姿を現してくれたよう
に感じたのだ。心配する博人を説き伏せて奈緒を引き取った決心は正しかった。そう思う
と麻季の生活には自然とやりがいと張りが戻ってきた。博人も多忙な仕事を無理にやりく
りして週末はなるべく家で過ごすように心がけていたようで、自然に夫婦の仲も改善され
だした。

 自分の浮気から始まった家庭の危機がようやく収束しようとしていた。これも玲菜のお
かげかもしれない。結果的に玲菜の遺児を引き取ることによって、麻季と博人は失ってい
た共通の目標を再び共有することができたのだ。

 奈緒の遠慮がちな様子は父親の博人や麻季自身に対してさえ向けられていた。奈緒は物
心がつく前から結城家に養子に入っていたし、奈緒が実子でないことはまだ幼い本人には
伝えていなかったので、両親にくらいは無邪気に自己主張してもいいはずだった。でも奈
緒はそうしなかった。養子であることへの遠慮であるはずがないことを考慮すると、きっ
と奈緒は家族も含めて誰に対しても一歩引いて、相手の意向に従う態度を示すような性質
を持っていたのだろう。

 その頃から奈緒は奈緒人によく懐いていたし奈緒人も奈緒の面倒をよく見ていた。その
こと自体には不満がないどころか麻季にとっても喜ばしいことですらあった。二人はいつ
も一緒に過ごしていた。その様子は微笑ましかったし、仕事から帰った博人もそんな様子
を暖かく満足して見守っているようだった。

 それでも少しだけ困るようなこともあった。たとえば休日に家族で外出するとき、家族
四人で一緒に遊んだり食事をしたりする場合は別に問題はないのだけど、博人と麻季が手
分けして生活に必要なものを購入しようと二手に分かれたりすると問題が発生した。

 博人に手を引かれた奈緒人と麻季と手を繋いだ奈緒。奈緒は奈緒人の姿が視界にないこ
と気がつくと火のついたように泣き出してしまう。奈緒人も泣きはしないまでも博人の手
を振り払い奈緒の姿を求めて駆け出して行こうとした。
931 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/06(水) 00:01:39.30 ID:f2bpB/Vto

 そういう子どもたちに手を焼いた奈緒人と麻季は、外出中に奈緒人と奈緒を引き離すこ
とを諦めた。何か漠然とした不安を感じないでもなかったけど、それがどういうことなの
か当時の麻季にはわからなかった。そして、奈緒人と奈緒の親密な関係は親にとっては嬉
しい悩みなのだと考えようとした。

 それに一見理想的に育児や家事をこなしているように見えた麻季には、当時もっときに
なることがあった。

 それは引き取った娘の名前だった。奈緒自身には何の罪もない。奈緒人と奈緒。実の両
親がそう名付けたのだとしたら、あまり趣味がいいとは言えないけどまあ世間にないこと
でもないだろう。でも、その命名が博人に淡い想いを抱いていた玲菜が黙って自分の娘に
名付けたことが他人に知れたとしたら、世間体が悪いなんてものじゃない。仮に玲菜の子
どもが男の子だとしたら、いったい彼女はその子に何と名付けたのだろう。まさか奈緒人
だろうか。

 鈴木先輩と別れて一人で出産、育児をする道を選んだ玲菜は、離婚に際して自分の旦那
に何も要求しなかったらしい。もちろん麻季自身に対して慰謝料を請求することもなかっ
た。玲菜は黙って自分の夫が自分の元に帰ってくるのを待ち続け、ついにそれが敵わない
と判断すると、何一つ要求するでもなく黙って一人で身を引いたのだ。当時既に身重の身
になっていたことすら夫に告げずに。

 そういう玲菜の身の処し方は一見鮮やかなように見える。事実、麻季が博人を問い詰め
たとき、博人も玲菜のそういう様子に惹かれていたと正直に白状したものだった。



『玲菜さんは冷静に自分や周囲を見ていたよ。数度しか会わなかったけどそれはよくわか
った。そして鈴木先輩以外は恨んでいなかったよ。というかもしかしたら先輩のことすら
恨んでいなかったかもしれない。そういう意味では聖女みたいな人だったな』



 博人は玲菜のことを聖女とか天使とかという表現で褒め称えた。麻季だって理解はして
いたのだ。玲菜と博人の間の恋情は淡くそしてプラトニックなものだ。自分が鈴木先輩と
犯してしまったような肉体的な関係ではないのだと。でもそれだからといって相手を想う
気持ちが、肉体関係を伴った不倫より小さいということはできないだろう。ましてその相
手の玲菜が亡くなってしまえば、自分の夫が玲菜に対して抱いた想いは彼女への恋情を残
したまま永遠に氷結されてしまったままになるのだ。

 疑おうと思えばどんなことだって怪しく思える。玲菜が自分の夫に何も要求せずに離婚
したのだって、ひょっとしたら博人と麻季自身が離婚したときに、自分と博人がすぐにで
も結ばれるためかもしれない。もっと邪推すれば、これは荒唐無稽な考えかもしれないけ
ど玲菜は自分への博人の想いを永遠のものにするべく自分の娘に博人の一人息子の名前を
もじって奈緒という名前を命名し、その後自ら命を絶ってということだって・・・・・・。
932 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 00:02:31.59 ID:f2bpB/Vto

今日は以上です
933 :[saga] :2013/02/06(水) 01:07:35.38 ID:bAm6EEkg0
934 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 03:01:34.98 ID:AC9hG0h7o
935 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/06(水) 08:19:54.56 ID:Qe17xsOY0
ボイスレコーダーって現代の必需品かもな… とくにこういう相手と話すときは。

肌身話さず持ち歩くようにしよう。
936 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/06(水) 13:04:31.19 ID:iz6t/OXmo

毎回楽しませてもらっています。
937 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:39:13.75 ID:1AQJe9pWo

 それはいくら何でも妄想が過ぎるというものだと麻季は思った。彼女は卒業してから全
く連絡を取らなくなっていた玲菜のことを思い出してみた。

 当時、同性の友人がほとんどいなかった麻季にとって玲菜はほとんど唯一の友人であり、
親友でもあったのだけど、あの頃の玲菜には男女問わず友人が多かった。講義に出ても
サークルに行っても彼女に話しかける学生はたくさんいた。

「玲菜、元気?」「よう玲菜。最近付き合い悪いじゃん」「玲菜さ、鹿児島のフェスのマ
スタークラス申し込む?」「今日、芸大の人たちから合コン誘われてるんだけど玲菜も行
かない?」

 玲菜は愛想よく話しかけてくる友人たちに受け答えしていたけど、気の進まない誘いは
頑として断っていた。あたしなんかに気を遣わなくていいからもっと友だちと遊べばいい
じゃん。麻季は玲菜のそういう態度に不審を覚えてそう言ったことがあった。

「いいよ。本当に気が進まないし、あたしは麻季と一緒にいた方がいいや」

 そういうとき、玲菜は決まって笑ってそう言うのだ。

 麻季だって玲菜がいないと一人で寂しいということはない。玲菜と一緒に過ごす方が気
は休まるのだけど、一人で過ごしたくなければ自分に言い寄って来た男を呼び出せばいい。
もっともほとんどがつまらない男ばっかだったので、麻季が一緒にいてもいいと思えるよ
うな男はサークルの鈴木先輩くらいだったけど。

 彼になら多少のことは許してもいいかもと麻季は当時考えていた。本音を言えば相手が
鈴木先輩だとしても、一緒にいることに対して本心から充足感を感じたことはなかったの
だけれど、自分の相手をしてくれる人の中では彼はだいぶましな方だった。それに彼と一
緒にいると学内で優越感を感じることができる。

 それでも麻季にとっては玲菜が一緒にいてくれたほうが気が休まった。唯一の親友、と
いうか唯一の同性の友人である彼女といると、麻季は気を遣わずに楽しく過ごすことがで
きるような気がしていたからだ。

 玲菜には友人たちの誘いは多かったけど、それでもほとんどの誘いは断って麻季と一緒
に過ごしてくれていた。彼女も麻季と一緒にいると気を遣わなくていいやと笑って言った。

 そんな二人の関係が変化したのは麻季が生まれて初めて自分から手に入れたいと思った
男性と出合ってからのことだった。
938 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:40:13.15 ID:1AQJe9pWo

 結城先輩のことはサークルの新勧コンパのときから気にはなっていた。あの夜、麻季は
先輩たちから途切れなく誘いの言葉をかけられたのだった。あのときは玲菜ともまだ仲良
くなる前だったから、麻季は話しかけてくる先輩たちの相手をしながらぼんやりと店内を
見回していたそのとき、一人の男の先輩と目があった。

 その人は麻季と目が合って狼狽したようだった。男のこういう反応には慣れていたから、
麻季はとりあえずその先輩に会釈した。

 ・・・・・・今度こそ先輩はさりげなく彼女から視線を外してしまい、隣にいる同回生らしい
女の子と喋り始めた。こちらから挨拶したにも関わらず無視されたことにも腹が立ったけ
ど、自分の会釈を完璧に無視して他の女と親しげに話し始めたことに麻季は何だか少しだ
けむしゃくしゃした気持になった。そんな彼女の様子に周囲に群がっていた先輩たちも不
審に思ったようだ。

「あの・・・・・・。あそこでお話している先輩は何という人ですか」

「ああ、あいつは二年の結城だよ」

「結城先輩ですか」

「夏目さん、あんなやつに興味あるの? あいつ変わり者だぜ。音大に入ったのにろくに
器楽もしないで、音楽史とか音楽理論とかだけ勉強してるんだ」

 その先輩は結城先輩の人となりをけなしながら解説してくれたけど、そのときの麻季の
耳にはそんな言葉はろくに届いていなかった。あまり格好いいとかスマートとかという印
象はない。でも、何だかそのときは結城先輩野ことが気になったのだ。

 どうせあの先輩もあたしのことが気になってるんだろうな。そう麻季は思った。でも冴
えなさそうな結城先輩は彼女に話しかける勇気がないのだろう。

 その後、結城先輩はあまりサークルに顔を出さなかったこともあって、彼と話をする機
会はなかった。その間に麻季は玲菜と知り合い仲良くなった。
939 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:41:21.56 ID:1AQJe9pWo

 それは麻季が玲菜と一緒に、階段教室で一般教養の美術史の講義に出席していたときだ
った。講義が始まってしばらくすると隣に座ってた男の人が麻季に出席票を回してくれた。
その人はそのまま席を立とうとしているようだった。

 そのとき、麻季はその人が結城先輩であることに気がついて少し彼をからかってみよう
と考えたのだった。自分にからかわれて嬉しくない男も少ないだろうし。

「こんにちは結城先輩」

 驚いたように結城先輩は席に座りなおした。出席票に目を落すと最後の欄に雑な字で結
城博人と書かれていた。博人さんというのか。

「ごめんなさい、わからないですよね。サークルの新歓コンパで先輩を見かけました。一
年の夏目といいます」

「知ってるよ。あそこで見かけたし・・・・・・でも何で僕の名前を?」

「先輩に教えてもらいました」

 麻季はそう答えた。

「じゃあね」

 その場の雰囲気を持て余したように先輩が中途半端に立ち上がりながら言った。

「講義聞かないんですか?」

「うん。出席も取ったしお腹も空いたし、サボって学食行くわ」

「結城先輩ってもっと真面目な人かと思ってました」

「・・・・・・そんなことないよ」

「でも先輩格好いいですね。年上の男の人の余裕を感じました」

「じゃあ、失礼します」

 麻季はそう言って話を終らせたのだけど、その後に隣に座っていた玲菜が珍しく結城先
輩のことを聞き始めた。

「今の人ってサークルの結城先輩だよね」

「そうみたい」

「麻季、いつのまに先輩と知り合いになったの?」

「話したのは今が初めてだよ」

「嘘? 何で初対面の人にあんなに親しく話せるの」

「・・・・・・何でって別に」

「麻季って結城先輩のこと気になる?」

 玲菜が麻季にそういう質問をするのは珍しかった。
940 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:44:01.85 ID:1AQJe9pWo

「何で? そういうこと聞くの玲菜にしちゃ珍しいじゃん」

「そうかな? 別にそうでもないでしょ」

 玲菜が少し赤くなった。

「ひょっとして玲菜って結城先輩が好きなの?」

 ぶんぶんという音が出そうなほど玲菜は首を横に何度も振った。

「違うよ。そんなんじゃないって。それにあたしは麻季の恋の邪魔なんてしないよ」

「別にあたしだって好きとかそういうんじゃ」

「ふふ」

 珍しく言葉を濁した麻季を見て玲菜は微笑んだ。講義が始まったこともありこのときの
話はそれで終った。

 その後キャンパス内で何度か結城先輩を見つけた。先輩は男と二人で歩いている麻季の
ことを何気なく見つめていたみたいだった。それでも麻季にとって腹立たしいことに結城
先輩は彼女には一言も声をかけようとはしなかった。この頃、麻季は三回生の鈴木先輩に
言い寄られていた。彼への気持ははっきりしなかったけど、それでも他の男に向ける気持
とは少し違う気持を抱き始めていた。何より彼といると周囲の女の子の視線が彼女の優越
感をくすぐる。それでも麻季は鈴木先輩と一緒にいるよりは玲菜と一緒にいることを選ぶ
ことが多かった。男は鈴木先輩に限らずいっぱいいたけど、女友だちは玲菜くらいしかい
なかったし。

 そんなある日、麻季は結城先輩が女の子と親し気に話をしているところを目撃した。何
か心の芯がじわじわと痛んでくるような感覚が訪れて彼女はそのことに狼狽した。

 結城先輩と一緒にいる子は陽気な可愛らしい感じの人だった。単なる知り合いという感
じじゃないなと麻季は思った。

「結城先輩だ」
 一緒にいた玲菜がそう言った。そして少し残念そうに話を続けた。「やっぱり神山先輩
かあ。何かいい雰囲気だね、あの二人」

 麻季は少しだけ心が重くなるのを感じた。別に彼のことをはっきりと好きというわけで
はないのに。

「神山って誰?」

「二年の先輩。何かさ、結城先輩と幼馴染なんだって」

「そう」

「やっぱり結城先輩と神山先輩と付き合ってるのかなあ。まあお似合いだよね」

 自分の心の動きはそのときにはさっぱりわからなかった。それでも麻季は冷たく言った。

「全然似合ってないじゃん。結城先輩はあの人のことを全然好きじゃないと思うよ」
941 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:45:07.73 ID:1AQJe9pWo

「よしなよ」

 玲菜が麻季の言葉を聞いて真面目な表情になった。

「・・・・・・よしなよって何が」

「あんたは今はもう鈴木先輩と付き合ってるんでしょ。それなら他の人にちょっかいを出
して不幸にするのはやめな」

「付き合ってないよ」

「嘘。こないだ麻季と鈴木先輩が抱き合ってキスしてるとこ見たよ」

「あんなの。一方的にキスされただけだよ。あたしは誰とも付き合っていません」

「嘘言え。あんたの方だって鈴木先輩の首に両手を回して抱きついてたじゃん」

「玲菜には関係ないでしょ。何? あんたやっぱり結城先輩のこと好きなんでしょ? そ
れであたしに彼に手を出すなって言ってるんじゃないの」

「違うって」

 そう答えた玲菜の顔は真っ赤ですごくわかりやすかった。何だ。親友とか言ったって結
局玲菜も自分の恋が大切なだけか。なまじ客観的なアドバイスの形を取っているだけ、玲
菜の言葉は麻季を苛立たせた。このとき結城先輩のことがどこまで好きなのかは自分でも
わからなかった。

 鈴木先輩を振って平凡そうに見える結城先輩を選んだら後悔するかもしれない。心の中
でそんな声が聞こえた。でも目の前の玲菜の偽善に腹が立った彼女にはもはや冷静に考え
る余地は残っていなかった。

 お互いに恋愛なんて超越した親友同士だと思っていたのに。玲菜に裏切られた気がした
麻季はもう自分を抑えるすべを知らなかった。

 ・・・・・・最初の突撃は失敗だった。サークルの先輩から聞き出した結城先輩のアパートで
の出来事を思い出すと、さすがの麻季にも恥かしいという感情がしばらく付きまとった。

 あの朝、麻季はアパートの前で結城先輩が出てくるのを待っていた。彼は眠そうに部屋
から出て、ドアの前に立っている彼女を見て驚いて目が覚めた様子だった。
942 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:46:04.40 ID:1AQJe9pWo

「おはようございます、先輩」

「・・・・・・夏目さん? どうしているの」

「サークルの先輩に結城先輩のアパートの住所を聞きました」

「いや・・・・・・そうじゃなくて。ここで何してるの」

「先輩、神山先輩と付き合ってるんですか」

 麻季はいきなり核心を突いた。

「君は理恵、いや。神山さんのこと知ってるのか」

「知ってますよ。最近、先輩と仲良さそうに話している人は誰ですかって聞いたらサーク
ルの先輩が教えてくれました」

「夏目さんさ、それいろいろおかしいでしょ」

「・・・・・・先輩、あたしのこと好きなんでしょ」

 麻季の突然の言葉に彼は目を白黒させながら戸惑った様子だった。

「何言ってるの」

「あたし、わかってた。最初に新歓コンパで合ったとき、先輩はあたしのことじっと見て
たでしょ」

「・・・・・・それだけが根拠なの」

「それだけじゃないですよ。美術史の講義で会ったときも先輩、じっとあたしのこと見つ
めていたでしょ」

「君、正気か。酔ってるの?」

「酔ってませんよ。先輩こそ嘘つかないで。あたしがこんなに悩んでいるのに」

「あのさあ、確かに僕は君のことを見たよ。それは認める。君は綺麗だし。でもそれだけ
で君のことを好きとか決め付けられても困るよ。第一、僕は一言だって君のことが好きだ
とか付き合ってくれとか言ってないでしょ」

「生意気なようですけど先輩って自分に自信がなさそうだし、あたしのことを好きだけど
勇気がなくて告白できなかったんじゃないですか。あたし、ずっと先輩の告白を待ってた
のに」

「・・・・・・・もしかして君は誰かに何かの罰ゲームでもさせられてるの? そうだとしたら
巻き込まれる方は迷惑なんだけど」

「先輩こそいい加減にしてください」

「罰ゲームって何よ。何であたしのことをからかうんですか? あたしのこと好きじゃな
いなら何であんな思わせぶりな態度をとるんですか」

「・・・・・・泣くなよ。わけわかんないよ」

「ひどいですよ。結城先輩、美術史の講義の日からあたしのことを無視するし。あたしの
こと嫌いならはっきり嫌いって言えばいいでしょ」

「あのさあ。僕が君のことを好きなんじゃないかと言ったり嫌いだと言ったり、さっきか
ら何を考えてるんだよ」

「何でわざとあたしの目の前で神山先輩といちゃいちゃするのよ」

「してないよ、そんなこと」

 結論から言えばこの日の結城先輩への突撃は失敗だった。先輩は麻季のアパートに彼女
を送って行ってくれたけど、麻季の言葉に感情を動かされている様子はなかったのだ。
943 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:49:46.04 ID:1AQJe9pWo

 失敗したその日のことの出来事を麻季は玲菜にも誰にも言わなかった。でも鈴木先輩は
そんな彼女の様子がいつもと違うことに気がついたらしい。麻季と二人でキャンパスを歩
いていた鈴木先輩は彼女を責め始めた。

「麻季さあ、おまえ浮気してるだろ」

「浮気? あたしは別に先輩と付き合っていないし、浮気とか言われてもわかんない」

「ふざけんなよ。キスまでしておいて付き合ってないってどういうこと?」

「先輩が勝手にしたんでしょ。あたしは知らないよ、そんなこと」

「・・・・・・まあ、いいや。今日のところは許してやるよ。それよかさ、これから遊びにいか
ね? 今日はもう実習はないんだろ」

 麻季がその誘いを断った瞬間、鈴木先輩の手が頬に飛んできて彼女は地面に倒れたのだ。

 下から眺め上げると、鈴木先輩に詰め寄る結城先輩の姿が見えた。結城先輩が何か話す
と鈴木先輩はみっともなく言い訳しながら去って行ってしまった。このときが麻季が初め
て結城先輩への愛情を実感した瞬間だったかもしれない。

「君、大丈夫?」

結城先輩が倒れている麻季に手を差し伸べた。そのときの彼女はきょとんした表情を浮
べていた。

「怪我とかしてない?」

「……先輩、神山先輩と別れたの?」

麻季はこのとき一番気になっていたことを聞けなかった。その代わりに二番目に気にし
ていたことを口に出した。

「何言ってるんだよ。そんなこと今は 関係ないだろ・・・・・・。君の方こそ彼氏と喧嘩でも
したの?」

「彼氏って誰のことですか?」

 結城先輩はとりあえず麻季を学内のラウンジに連れて行った。

「ほら、コーヒー」

「ありがとう。結城先輩」

 麻季は暖かいコーヒーの入った紙コップを受け取った。それからようやく麻季はさっき
の先輩のことを話し始めた。

「よくわかんないの。でも一緒に歩いていたらこれから遊びに行こうって誘われて、講義
があるからって断ったら突然怒り出して。付き合っているのに何でそんなに冷たいんだっ
て言われた。あたしは別にあの先輩の彼女じゃないのにおかしいでしょ?」

 結城先輩は何か考え込んでいる様子だった。

「神山先輩と別れたの?」

 麻季が聞いた。何でそんなことを突然口にしたのか自分でもわからなかったけど。

「別れるも何も付き合ってさえいないよ」

「・・・・・・先輩?」

 そのとき、結城先輩はいきなり麻季の髪を愛撫するように触った。先輩は急に声を出し
て笑った。髪を撫でられながら麻季は微笑んで言った。

「結城先輩、やっぱりあたしのこと好きでしょ」
944 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:50:55.07 ID:1AQJe9pWo

「結城先輩とお付き合いを始めたの」

 そう玲菜に対して話したとき、麻季は少し緊張していた。玲菜が結城先輩のことを好き
なのだとしたら、玲菜は相当ショックを受けるかもしれない。もともと玲菜への意地から
始めた自分の行動について、この頃には麻季は結城先輩のことが好きで始めたことだと思
い込むようになっていた。

 だから今の麻季は友情よりも男への恋を優先した玲菜のことをもはや恨んではいなかっ
た。むしろ自分と結城先輩の付き合いに彼女がショックを受けないかだけを心配していた
のだ。

「そっか」

 玲菜はあっさりと言った。

「ごめんね」

「何で麻季が謝るのよ。あんたの誤解だって」

「・・・・・・それならいいんだけど」

「あたしは別にどうでもいいんだけどさ。ちょっとだけ鈴木先輩と神山先輩のことが気に
なるな。きっと傷付いてると思うよ」

「博人君は神山先輩とは付き合ってないって」

「もう博人君って呼んでるんだ」

「う、うん。ごめん」

「だから、謝らなくてもいいって。でも付き合ってなかったにしても神山先輩はショック
だろうなあ。結城先輩に失恋したんだしさ」

「よくわかんない」

「それに鈴木先輩は絶対落ち込むよね。付き合ってた彼女を後輩に取られちゃったんだも
んね」

「あたし鈴木先輩の彼女だったことなんかないもん」

「・・・・・・抱き合ってキスしてたくせに」

「突然先輩からされただけだよ」

「あっちはそう思ってないって」

「まあ、でも」
 ここで初めて玲菜が麻季に優しく微笑んでくれた。「鈴木先輩には悪いけど、付き合う
なら結城先輩の方がいいよね。安心できそうだし」

 玲菜の言葉を聞いて麻季は、ああよかった、これからも玲菜と友だちでいられると思っ
てほっとした。
945 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/07(木) 22:52:19.42 ID:1AQJe9pWo

今日は以上です

来週くらいからまた女神を再開します。あっちの方もよろしくお願いします
946 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/08(金) 00:45:49.18 ID:v6rvKrVDO
947 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/08(金) 09:00:47.81 ID:8ZSKBicbo
948 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/08(金) 12:57:39.28 ID:jUm9L6Ceo
949 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:21:01.94 ID:ER1rVJ59o

 友だちでいられると思ってほっとしたのはよかったけど、結局その後は怜菜とはあまり
一緒に過ごさなくなっていった。

 一つには博人と付き合っているうちに、思っていたより麻季の方が博人に夢中になって
しまったからだった。男性に対してここまで依存に近いくらい一緒にいたいと考えるよう
になったのは、彼女にとっては初めての経験だった。麻季はなるべく博人と過ごすように
していた。お互いに違う講義に出席している時間を除けば、キャンパス内でも大学への行
き帰りもいつも二人きりで過ごしていた。それは全部彼女の希望だったけど、博人も笑っ
てそれでいいよと言ってくれた。そういうこともあり博人といつもべったりと一緒だった
麻季には怜菜と一緒に過ごせる時間がなくなってしまったのだった。

 もう一つは麻季自身の怜菜に対する感情の問題だった。怜菜に祝福されてほっとした彼
女はこれまでどおり彼女と付き合えると思っていた。ところが博人に惹かれ夢中になって
いくうちに自分でもよくわからない嫉妬めいた感情によって心が支配されてしまうように
なった。怜菜は博人のことが好きだったのだろうか。つい先日までの彼女の悩みは自分が
親友の好きな人を奪ってしまったことによって、怜菜が自分から離れていってしまうので
はないかというものだった。ところが博人に対する独占欲が強くなっていくうちに、怜菜
に対する感情が変化していった。怜菜が本当に博人のことを好きで、しかもその感情をま
だ諦めていないとしたらどうだろう。麻季は男性に関して他の女の子のことなんか気にし
たことはなかった。神山先輩に対してだって負けると思ったことはなかった。それなのに
怜菜に対してはなぜか不安を覚えるのだ。

 そういうわけで麻季は怜菜も含めて学内ではあまり博人以外の人と会ったり喋ったりし
なくなった。博人と二人きりでいるだけで十分だったし、そうしている間は怜菜への漠然
とした不安もあまり感じないですむ。麻季が自分の方からこれほどまでの愛情と不安と嫉
妬心を抱いた男性は博人が初めてだった。

 最初、怜菜はそんな麻季の様子に戸惑い、そして少し寂しそうだった。

「麻季って最近結城先輩とべったりだね」

 二人が出席していた同じ講義が少し早く終ったあとに彼女はそう言った。

「うん。彼と一緒にいないと寂しくて。ごめんね」

「謝ることはないよ。あたしは別にいいけどさ。麻季って本当に結城先輩が好きなんだ
ね」

「うん」

「でも気をつけた方がいいかも。たまに鈴木先輩が二人のこと凄い目で睨んでるし」

「・・・・・・あの人、まだそんなことしてるんだ。博人君に追い払われて逃げたくせに」

「まあ、先輩にしてみれば自分のことを麻季に浮気されて捨てられた被害者だって思って
いるろうし」

「冗談じゃないよ。あたしあの人に殴られたんだよ。女に手を出すなんて最低でしょ。あ
のとき博人君が助けてくれなかったらもっとひどいことされてたかも」

「それはそうかもしれないけどさ、まあでもちょっとは注意しなよ。あ、お迎えが来たみ
たいだよ」

「うん。ごめんね」

 麻季は博人が怜菜に気づく前に彼の腕を取って出て行ってしまった。怜菜が普通に接し
てくれるのはいいけど、彼には怜菜を紹介したくなかったのだ。だから博人は怜菜も含め
て麻季の友人に紹介されたことは一度もなかった。
950 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:22:14.70 ID:ER1rVJ59o

 麻季の心配をよそに二人の交際は順調に続いた。麻季は自分のアパートを解約して博人
の部屋に引っ越した。最初のうちは博人の自分への態度が凄く淡白なことに不安を感じて
いた彼女も、一緒に暮らすようになると段々とそんな不安も解消されていった。博人なり
に麻季に愛情を感じていてくれていることも、彼の不器用な愛情表現から理解できるよう
になったのだ。鈴木先輩や他の男たちのように四六時中彼女を誉めたり愛していると言っ
たりはしないし、彼の方から手を繋いだり身体に触ったりすることもあまりないけど、そ
れでも穏かで静かな愛情というものがこの世にはあるのだということを麻季は初めて理解
した。

 これまでの男たちは自分が喋ることが好きで麻季の言うことをあまり理解しようとしな
かった。もちろんそれは自分の感情表現の下手さから来るものでもあった。ところが博人
はほとんど口を挟まずに不器用な彼女の言葉を聞き、自分の中で繋ぎ合わせ、最後には彼
女の考えていることを理解してくれたのだ。

 もう博人君から一生離れられないと麻季は思った。

 だから博人が音楽の出版社に内定が決まった日の夜、彼からプロポーズされた麻季は本
当に嬉しかった。

「喜んで。この先もずっと一緒にあなたといられるのね」

 このときの麻季の涙はこれまでと違って中々止まらなかった。

 結婚後、麻季は大学時代のピアノ科の恩師の佐々木先生の個人教室のレッスンを手伝っ
ていた。音大時代のほとんどの時間を博人にかまけて過ごしてしまった彼女だけど、佐々
木教授だけはどういうわけか彼女に目をかけてくれていた。演奏家としてやっていくほど
の実力もないし、中学や高校の音楽教師を志望するほどのコミュ力もない麻季に、先生は
自分の個人レッスンを手伝わないかと言ってくれた。卒業したときは既に博人との結婚が
決まっていた彼女は何となくそれもいいかと考えたのだ。音大志望の中高生を教えるくら
いなら何とかできそうだ。既に音楽系の出版社で働き出していた博人もそれを勧めてくれ
た。

 始めてみると意外と自分にあっている仕事だった。拘束時間はきつくないし、実生活で
の麻季とは異なりレッスンのときは中高生たちに自分の伝えたいことがよく伝わった。半
分はピアノに語らせているせいもあったのだろう。今思えば無茶をしていたと思う。博人
と一緒に暮らしている部屋にはもちろんピアノなんかない。佐々木先生の教室での空き時
間に教えるところを一夜漬けみたいにおさらいするのが精一杯。それでも仕事自体は楽し
かった。それで彼女は博人と結婚した後もその仕事を続けていた。博人といつでも一緒に
いられた大学時代とは異なり彼の会社までついて行くわけにもいかない。博人不在の時間
を潰すのには彼女にとって格好の仕事場だった。
951 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:23:36.12 ID:ER1rVJ59o

 その日は初めて教室を訪れた親子の相手をするところから麻季の仕事は始まった。きち
んとした紹介で入ってくる人だったから、あまり問題はないはずだった。

 約束の時間にまだ幼い女の子を連れて教室に来た母親を見たとき、麻季はどこかで見覚
えのある人だなと思っただけだった。でも相手は興奮したようにいきなり彼女に話しかけ
てきたのだった。

「夏目ちゃんじゃない。久し振り」

 そう言われてよく見ると彼女は同じサークルにいた一年上の先輩だった。あまり女性の
知り合いがいなかった麻季だけど、ようやく彼女のことを思い出した。彼女は大学時代の
新歓コンパのときに博人と二人でずっと話をしていた先輩だったのだ。

「多田先輩ですよね? ご無沙汰してます」

「やだ、夏目ちゃんって佐々木先生のとこで働いてたんだ。知っていればもっと早く連絡
できなのに。あたしは今は結婚して川田っていう姓なんだけどね」

 だから今まで気がつかなかったのか。麻季は記憶を探ってみた。たしかこの先輩はどっ
かの私立中学の音楽の教師になったはずだ。

「そうそう。まだちゃんと働いているんだけどさ。中学生って面倒でね。音大じゃなくて
教育大の音楽科行っとけばよかったよ。あたしって教育とかって全然苦手だしさ」

「こちらはお嬢さんですか」

「そうなの。小学校の低学年なんだけど早い方がいいと思ってさ。麻季が指導してくれる
の?」

 そういえばこの先輩自身も佐々木先生の愛弟子だったはずだ。

「ちょっと待ってくださいね」

 ロビーの椅子を勧めてから麻季は佐々木先生の私室に赴いた。

 ノックして部屋に入ると先生はデスクの上に広げた書き込みだらけのスコアから顔を上
げた。

「どうしたの?」

「先生、あたしより一期上の多田さんって覚えています?」

「ああ真紀子さんでしょ。どっかで学校の先生してるんじゃなかったっけ」

「そうなんですけど、今日申込みにいらした川田さんって、旧姓多田さん、多田真紀子さ
んでした」

「あら、じゃあ川田美希ちゃんって多田さんのお子さんなんだ」

「はい。どうされます? あたしがレッスンしましょうか」

「あの多田さんのお嬢さんなら最初くらいはあたしがみるわ。三番のレッスン室に連れて
来て」
952 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:24:14.66 ID:ER1rVJ59o

 多田さん、いや川田さんにそれを告げると彼女は喜んだ。

「佐々木先生が直接レッスンしてくれるの?」

「はい。とりあえずは最初は多田先輩のお嬢さんなら自分がみるとおっしゃってましたよ。
その後は全部佐々木先生というわけにはいかないと思いますけど」

「光栄だわ。美希、落ちついて頑張るのよ」

 麻季は美希を連れて佐々木先生の待つ部屋に赴いた。

「美希落ちついてた?」

 麻季が川田先輩の待つロビーに戻ると先輩は心配そうに聞いた。

「ちょっと緊張してましたけど、みんなそうですから」

 麻季は笑った。佐々木先生の美希への初レッスンが終るまで、川田さんは大学時代の思
い出をいろいろと語り出した。

「そういえば夏目ちゃん、結城君と結婚したんだってね。おめでとう」

「ご存知だったんですね」

「うん。あんたと仲良しだった怜菜から聞いたよ。ああ、もう夏目ちゃんじゃないのか」

 玲菜は麻季と博人の披露宴に来てくれていた。その場では一言も会話しなかったけど。
そしてそれ以来、麻季は怜菜と話をしていない。

「そういや怜菜も結婚したんだってね」

「・・・・・・そうなんですか? あたし聞いてないです」

「え? 怜菜も水臭いなあ。あんたと玲菜って親友だと思ってたのに」

「怜菜、いつ結婚したんですか」

「先月だよ」

「そうですか」

 麻季は少しだけショックを受けた。
953 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:24:57.00 ID:ER1rVJ59o

 冷静に考えれば無理はないのかもしれない。何しろ博人に夢中だった麻季は、在学中も
卒業後も怜菜とはほとんど一緒に過ごしていなかったのだから。それでも卒業後に麻季は
自分の披露宴に怜菜を招待したし、久し振りに会った彼女も式の前に目を輝かせて麻季の
ウェディングドレス姿を見て「麻季きれい」と言ってくれたのだ。

 その怜菜は自分の披露宴には麻季を呼んでくれなかったのだ。

「海外とかで二人だけとか親族とかだけで式を挙げたんですか」

 少しだけ先輩が気まずそうな表情で答えた

「普通に都内のホテルだったと思うけど、あたしも呼ばれてないから。でも、結構うちの
大学とかサークルの関係者が招待されたみたいよ」

「怜菜ってどういう人と結婚したんですか」

 怜菜への失望を押し隠して麻季は先輩に聞いた。

「怜菜の結婚のことを知らないんじゃ相手のことも知らないか。えーとね。あたしより一
年上の鈴木雄二って先輩・・・・・・というか、あんたの元彼じゃなかったっけ」

「・・・・・・鈴木先輩はあたしの元彼じゃありません。あたしが大学時代に付き合ったのは今
の旦那の博人君だけですから」

「ああ、そうだよね。あんたと結城君っていつも一緒だったもんね」
 少しだけ慌てた表情で先輩は取り繕うように言った。「何かさ。怜菜と鈴木先輩って卒
業後に鈴木先輩のオケの定演でばったり出会ったんだって。怜菜って首都フィルで事務や
ってるでしょ? 鈴木先輩の横フィルと首都フィルってよく合同でイベントとかしてるみ
たいで、その縁でそうなったみたい」

 先輩の話は麻季の耳に入っていたけど彼女は半ばそれを聞きながらも心の中ではいろい
ろな疑問が浮かんできていた。

 怜菜は博人君を慕っていたはずだった。それは多分麻季の思い違いではないだろう。そ
してそんな怜菜が鈴木先輩に惹かれていたたなんていう話は怜菜から一言だって聞いたこ
とがない。もちろん卒業後のことだし、鈴木先輩はイケメンだったから怜菜が改めて彼に
惹かれて結婚したということもあり得るかもしれない。でも麻季が怜菜の気持を気にし
ながら博人と付き合い出したことを彼女に告げたとき、玲菜はこう言った。



『鈴木先輩は絶対落ち込むよね。付き合ってた彼女を後輩に取られちゃったんだもんね』

『あたし鈴木先輩の彼女だったことなんかないもん』

『・・・・・・抱き合ってキスしてたくせに』

『突然先輩からされただけだよ』

『あっちはそう思ってないって』

『まあ、でも鈴木先輩には悪いけど、付き合うなら結城先輩の方がいいよね。安心できそ
うだし』
954 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 00:26:16.38 ID:ER1rVJ59o

 怜菜は本当は博人ではなく鈴木先輩のことが好きだったのだろうか。それなら麻季が博
人と付き合ったときもうろたえずに受け止めてくれた理由としては理解できる。そして結
果的に麻季に振られることになる鈴木先輩のことを気にしていたのも理解できる。

 でも麻季が博人と付き合いだす前に彼と自分が話をしていたところを聞いていた怜菜の
様子を思い出すと、やはり彼女は博人のことを好きだったのではないかと思える。

 怜菜は麻季への友情から、自分の気持を抑圧してまで麻季と博人との付き合いや結婚を
祝福してくれたのだ。それは間違いないはずだった。それならなぜ彼女は鈴木先輩と結婚
したのだろう。それも親友であった自分には一言も知らせずに、披露宴に招待すらするこ
ともなく。



『怜菜は敵だからね』

 凄く久し振りに麻季の心の中で誰かの声がした。

『怜菜が鈴木先輩と結婚した理由はわからない。それでも彼女は麻季と博人との付き合い
を邪魔しようと企んでいるんだよ』

 その声を聞くのは久し振りだった。そしてできればもう二度と聞きたくない声だった。
濁ったような男とも女ともつかないような低い声。

 麻季が博人と付き合い出してからも彼女の人生の節目でしょっちゅう心の中で勝手にア
ドバイスし出す声。

 博人と同棲したのもその声の勧めだった。佐々木先生の教室を手伝うことに決めたのも
その声に従ったまでだ。でも博人のプロポーズに答えたのはその声とは関わりなく純粋に
自分の意思だった。そしてその声は博人との結婚後は彼女の頭の中で響きだすことはなく
なっていたのだった。

『怜菜は敵だ。これは罠だよ。怜菜は君のことを恨んでいるんだね』



「あ、佐々木先生。ご無沙汰しています」

 先輩が立ち上がってレッスン室から美希を伴って出てきた先生に声をかけた。

「多田さんお久し振り。元気だった?」

「おかげさまで元気です。それで美希はどうでしょうか」

「うん。まだわかんなけど、弾き方の癖とかあんたにそっくりだわ。しばらく結城さんに
レッスンさせるけどいい?」

「はい。ありがとうございます」
 先輩が感激したように声を出した。「麻季ちゃん、娘をよろしくね」

「結城さん?」

 黙っている彼女を不審に思った先生が麻季に声をかけた。
955 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 00:27:35.25 ID:ER1rVJ59o

今日は以上です

怜菜を今まで誤って玲菜と表記していました。これに限らず誤字だらけですけど、お詫びします
956 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 02:55:49.64 ID:ww3KhPIDO
おつおつお
957 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/11(月) 08:53:44.84 ID:14JJzAE2o
958 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 09:06:04.43 ID:udNzaXVho
959 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 09:56:03.84 ID:ry0KZSwZo
960 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:18:46.51 ID:ER1rVJ59o

 博人と結婚して奈緒人が生まれ、麻季は幸せだった。もうあまり心の中の声が勝手に彼
女に指示することもなくなっていて、生まれてはじめて彼女は平凡だけど安定した生活を
送るようになった。もう二度とあの声が聞こえることはないだろうと彼女は思った。それ
くらい育児というのは彼女にとって大変で、しかし幸せな体験だった。妊娠をきっかけに
麻季は佐々木先生の教室をやめた。先生は育児が一段落したらいつでも戻っておいでと残
念そうに彼女に声をかけてくれた。

 育児で多忙な麻季だったけど、奈緒人がお昼寝をしたりしている時間は彼女の自由にな
る時間でもある。そんな時間すら麻季はベビーベッドに寝ている奈緒人をぼんやりと見つ
めていることが多かった。この子は博人君に似ている。そんな奈緒人を見つめているだけ
で自然に育児の苦労も忘れ彼女の顔には自然に笑みが浮かんだ。彼女にとって出産は自分
の愛する人が無条件で増えたということだった。

 怜菜と鈴木先輩の結婚、それにその披露宴に自分が招待されなかったことについて、彼
女はだいぶ冷静に考えられるようになった。

 怜菜が何で鈴木先輩とって悩んだこともあったけど、あの心の中の言葉のとおりだとは
やっぱり思えない。例えばお互いに好きな相手と添い遂げられなかった同士である怜菜と
鈴木先輩が何かの拍子に相談しあい慰めあっているうちに、恋に落ちたということだって
考えられるのではないか。そういうことだって世の中には決してないことではない。

 そしてそういうことだとしたら二人が麻季を披露宴に招待しなかったことも納得できる。
先輩だっていくら怜菜の親友だといっても自分が振られた相手を招待するなんてことはし
たくないだろう。

 ひょっとしたら怜菜は麻季のことを招待したかったのかもしれない。もう自分は博人へ
の想いを断ち切って鈴木先輩と幸せになるよって、言葉にする代わりに幸せな披露宴の様
子を見せたかったのかもしれない。でも、常識的に考えれば鈴木先輩が麻季のことを元カ
ノだと信じ込んでいた以上、怜菜も麻季を招待するとは言い張れなかったのも無理はない。

 心の声は以前に言った。玲菜は敵だと。そして、彼女は麻季と博人との付き合いを邪魔
しようと企んでいるんだよと。

 今にして思えば邪推もいいところで、せいぜいよく言っても考えすぎだ。怜菜と鈴木先
輩が結婚したことによって麻季と博人の仲が邪魔される要素なんかない。むしろその逆だ
ろう。今度はその声も麻季の考えたことに反論しようとしなかった。
961 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:23:32.07 ID:ER1rVJ59o

 鈴木先輩との思いがけない再会は、麻季が奈緒人を保健所の三ヶ月健診に連れて行った
帰り道のことだった。とりあえず周囲のママたちと違って、特に仲の良いママ友なんてい
ない麻季は、奈緒人を乗せたベビーカーを押して帰宅しようとしていた。途中の駅の段差
でベビーカーを持て余していたとき、一人の男性が黙ってベビーカーに手を差し伸べて持
ち上げてくれた。お礼を言おうとその男性の顔を見た瞬間、麻季は思わず凍りついた。黙
って手助けしてくれた男性は鈴木先輩だった。同時に彼の方も麻季に気が付いたようだっ
た。

「あれ、もしかして夏目さん?」

「・・・・・・鈴木先輩」

 二人はしばらく呆然としたようにお互いの顔を見詰め合っていた。

 すぐに先輩は気を取り直したように笑顔で懐かしそうに麻季にあいさつした。

「久し振りじゃん。元気だった?」

「うん」

「そういや結城と結婚したんだってね。夏目さんじゃなくて結城さんか」

「先輩は・・・・・・」

 怜菜と結婚したんですよねと麻季は言うつもりだったけど、先輩はそれを質問だと取り
違えたようだった。

「俺? 俺は相変わらず寂しい一人身だよ。同情してくれる?」

 先輩は麻季の言葉を自分への質問だと間違えたのだった。そして自分の結婚を彼女がま
だ知らないものだと思ったらしい。実際、偶然に多田先輩から聞かなかったら麻季は怜菜
と先輩の結婚のことなんか知る由もなかったろう。それで先輩は自分が結婚していないと
麻季に言い出したのだ。

 いったい先輩は何を考えてそういう嘘を彼女に言ったのだろう。

「夏目さん、じゃなくて結城さん。これから少し時間ない? 久し振りで懐かしいしちょ
っとだけ話しようよ」

 当然、麻季にはそんな気は全くなかった。けれどこのとき再び久し振りのあの声が頭な
の中で響いたのだ。



『いいチャンスじゃん。この際、鈴木先輩と怜菜のことを少し探っておきなよ。それにど
うして鈴木先輩が怜菜との結婚を隠しているのかも気になるでしょ』



 麻季は好奇心からその声に従うことにした。

「そこのファミレスでお茶でもしようか」

「・・・・・・少しだけなら」

 鈴木先輩は学生時代より少し大人びていて、服装も落ちついた感じで格好よくなってい
た。

 麻季は奈緒人が寝入っているままのベビーカーを押して先輩とファミレスに入った。フ
ァミレスの店員は先輩と麻季のことをきっとまだ幼い子どもを連れた若夫婦だと思っただ
ろう。
962 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:25:10.55 ID:ER1rVJ59o

 席について飲み物が運ばれると、先輩は快活に共通の知人たちの消息を話してくれた。
麻季は作り笑顔で頷いてはいたけど、その実少しもその話に興味を持てなかった。

 彼女にとって興味があったのは怜菜と先輩との関係、そして怜菜の消息だった。

「今は横フィルにいるんだ。ようやく去年次席奏者になれたくらいだけどね」

「すごいんですね」

 麻季はとりあえずそう言ったけど、その言葉に熱意がこもっていないことに先輩は敏感
に気が付いたようだった。

「君だって立派に子育てしてるじゃん。とても幸せそうだよ」

「そんなことないです」

「きっと旦那に大切にされてるんだろうね。まあ、正直に言うと君ほど才能のある子が家
庭に入るなんて意外だったけどね」

「あたしには才能なんてなかったし」

「佐々木先生のお気に入りだったじゃん。みんなそう言ってたよ。君がピアノやめちゃう
なんてもったいないって」

「・・・・・・あたしは旦那のそばになるべく長くいたかったし」

「いい奥さんなんだね。しかし結城のやつも嫉妬深いというか」

 博人の悪口を聞かされて麻季の顔色が変ったことに気がついたのだろう。先輩は言い直
した。

「そうじゃないか。愛情が深いってことだね」

 取り繕うように笑った先輩は心なしか少しイライラしているような感じだ。本当にここ
で鈴木先輩と出会ったのって偶然なんだろうか。麻季は少し不審に思った。
963 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:29:07.93 ID:ER1rVJ59o

『やっぱりこれは怜菜の罠だよ。先輩と怜菜が結婚したのは、君への復讐なんじゃない
の?』

 心の声が響いた。そしてこれまでその声を聞く一方だった麻季は初めてその声に心の中
で反論した。

『意味不明じゃない、そんなの。あたしに隠すくらいなら最初から二人が結婚する必要な
んてないでしょ』

 心の声は待っていたとばかりに反論した。

『そうとも言えないんじゃない? 多分さ、先輩はこの後君のことを誘ってくると思う
な』

『無駄なことじゃん。あたしが博人君を裏切るなんてあり得ないでしょ』

『そんなことは言わなくてもわかってるって。でも問題は先輩の方じゃない。怜菜が何を
考えてるかでしょ』

『・・・・・・どういう意味よ』

『先輩の考えていることなんてわかりやすいでしょ。君と寄りを戻すっていうか、君のこ
とを抱きたいんでしょ。こういう男が考えそうなことだよね』

『だからそんなのは無駄な努力だって』

 麻季の反論を無視してその声は続けた。

『問題はさ、君の言うとおり怜菜が何を考えているかだよ』

『どういう意味?』




「麻季ちゃん、よかったらメアドとか携帯の番号とか交換してくれる?」

「・・・・・・何でですか」

「いや・・・・・・音楽のこととか同窓の友人たちの情報交換とか君としたいと思ってさ」

「あたしは家庭にこもってますから、先輩には何も教えられないと思います」

「それでも情報は大切だよ。僕の方は麻季ちゃんに教えられることは結構あると思うよ」

 いつのまにか先輩は麻季のことを結城さんではなくて麻季ちゃんと呼び出していた。
964 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:32:03.55 ID:ER1rVJ59o

『怜菜が本当は鈴木先輩のことなんか好きでも何でもなかったとしたら?』

『どういう意味?』

『そして鈴木先輩が執念深くずっと君のことを狙っていたとしたら?』

『先輩があたしにそんなに執着するわけないじゃん。この人、ただでさえ女にもてるんだ
し。それに卒業してから何年経ってると思ってるのよ。それに先輩があたしなんかのため
だけに怜菜と偽装結婚までするわけないじゃん。結婚とか式とかってどんだけ費用と労力
がかかると思ってるのよ』

『だからあ。先輩はそんな面倒くさいことは考えないでしょ。問題は怜菜の意図でしょう
が』

『どういうこと?』

『前にも言ったとおり怜菜は君の敵だ。先輩は単純に怜菜に惚れただけでしょ。彼女って
控え目で可愛らしいしね』

『・・・・・・あんた、どっちの味方なのよ』

『私は君そのものだからさ。君の味方に決まってるじゃん』

『先輩は大学卒業後に怜菜を好きになったということね。それはわかった。でもそれじゃ
怜菜の気持は?』

『そんなことはわからない。神様じゃないんだからさ』

『怜菜は先輩のことが好きじゃないって言ったよね?』

『怜菜は君の敵だよ。そしてこれは純粋に仮説に過ぎなくて証拠はないんだけどね。怜菜
が何とかして博人君を君から奪おうと考えているとしたらさ、君に浮気させちゃうのがて
っ取り早くない?』

『あたしは浮気なんてしないよ。博人君を失ったら生きていけないもん』

『仮定の話として聞いてよ。仮に君と鈴木先輩が浮気したとするじゃん』

『絶対にしない』

『仮にだって! そうしたら鈴木先輩の動向を確認しているだろう怜菜はどうすると思
う?』

『・・・・・・どうするのよ』

『怜菜は博人君に接触するよ、間違いなく。それで旦那に浮気された被害者を装って博人
君の同情を買うと同時に君と先輩の仲が浮気ではなく本気だと博人君を説得するでしょう
ね。押し付けがましくなく自然にね』
965 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:34:34.51 ID:ER1rVJ59o

「今日はいい日だったよ。偶然に麻季ちゃんに会えてメアドとか交換できるとは思わなか
った」

「そうですか」



『鈴木先輩のことは気にしなさんな。きっと彼には深い考えなんかないよ。ただ、偶然に
会えた君を口説いて、あわよくば抱きたいと考えているだけだから』

『先輩なんかどうでもいいけど・・・・・・怜菜が博人君のことを好きだったのは確かかもしれ
ない』

 麻季はついにその声に対してそれを認めた。もともとそう考えていたことだったし。

『でもこんな馬鹿げたことを怜菜がするわけないじゃん。あたしが博人君一筋だってこと
を怜菜は知っていたはずだし、先輩のことなんて好きじゃなかったこともね』

『君は怜菜の善意を信じてるの? 君の親友だから?』

『怜菜はあたしの人生で唯一の親友なの』

『その親友に君は何をした? 怜菜から博人君を奪った。そしてそれを許容してくれた親
友の怜菜に博人君を会わせなかったばかりか、卒業までろくに怜菜と一緒に過ごさなかっ
たんでしょ』

『それは・・・・・・』

『それはじゃないよ。そんな仕打ちをされても怜菜がいまだに君のことを親友だと思って
いるとでも?』

『じゃあ、どうすればいいのよ。今さら怜菜にあの頃どう思ったなんて聞けるわけないじ
ゃない』

『確かめてみたら?』

 その声が静かに言った。
966 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:43:12.03 ID:ER1rVJ59o

『私の言ったことが正しいかどうか試してみればいいと思うよ』

『・・・・・・どうやって』

『簡単じゃん。鈴木先輩に一回だけ抱かれてみればいいんだよ。鈴木先輩は君を落す気
満々だし』

『いい加減にしなさいよ。あたしが博人君を裏切れるわけがないでしょ』

『試すだけなんだから裏切りにはならないよ。それに君は博人君の君に対する愛情を本当
には信じ切れてないみたいだね』

『そんなわけないでしょ。あんたなんかに言われたくないよ』

『いや。君が一回だけ先輩に抱かれたことがわかっても博人君は君を許すよ。君はそれだ
け彼に愛されていると思うんだけどなあ』

『それならなおさら博人君を裏切っちゃだめでしょ』

『それは正しい。怜菜さえ存在しなければね。でも怜菜は強敵だよ。彼女は控え目で可愛
らしいけど芯は強い。今のうちに怜菜の目的を理解して手を打っておくべきだよ』

『馬鹿なこと言わないで。それにあたしが先輩に抱かれたら怜菜がどうするっていうの
よ』

『さっき言ったとおりだと思うよ。怜菜は旦那に浮気された被害者として博人君に接触す
るでしょ。そしてお互いに伴侶の不倫を慰めあっているうちに恋に落ちるなんていう筋書
きを書いているんじゃないかな。怜菜って旦那と親友のひどい仕打ちに耐え忍んでいる聖
女とか天使とかっていうイメージじゃん』



 麻季はそのときは別に動揺しなかった。心の声も愚かなことを言うものだ。たとえその
声が言っていることが正しくて怜菜がそういうことを仕掛けていたとしても麻季が鈴木先
輩に靡かなければ無意味な話なのだ。怜菜のことなんかもう放っておけばいい。そして博
人君の愛情も疑わなければそれでいい。

 先輩と連絡先を交換したそのときは麻季はそう思っただけだった。

 それなのにそれからしばらくして麻季は怜菜の意図を図りかね、それを知りたくてどう
しようもなくなってしまった。もちろん博人と一緒にいるときや奈緒人の面倒をみている
ときは少しもそういう気は起こらない。でも博人の不在時に奈緒人がお昼寝を始めると、
彼女は親友だったはずの怜菜のことが頭にこびりついて離れなくなるのだった。

 そして決して考えるべきでもなく試すべきでもないこさえ麻季の脳裏を占めるようにな
った。彼女はこんなにも博人君を愛している。多分博人が万一浮気のような過ちを犯した
としても麻季は結局それを許すだろう。でも博人はどうだろう。麻季が先輩と過ちを犯し
たとしても彼は麻季のことを許してくれるのだろうか。
967 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/11(月) 23:45:43.03 ID:ER1rVJ59o

 怜菜の意図が知りたい。特に彼女がどれくらい博人に対して想いを残しているのか知り
たい。麻季はひとりでいるときはいつもそのことを考えるようになってしまった。同時に
博人の気持を試したいという欲求も徐々に彼女の心を支配するようになっていった。

 先輩はメアド交換をして以来、しょっちゅうメールを送ってくるようになった。麻季の
方は当たり障りなくそれに返事をしていた。博人との馴れ初めが馴れ初めだったので、本
当は先輩とメールのやり取りなんかすべきではないことはわかっていた。でも怜菜の意図
を知りたいという欲求のことを考えると、ここで先輩との連絡を絶やすわけにはいかなか
った。

 心の声はあれからもしつこく麻季に話しかけてきた。



『鈴木先輩に一回だけ抱かれてみな。試すだけなんだから裏切りにはならないよ』

『君が一回だけ先輩に抱かれたことがわかっても、きっと博人は君を許すよ。君はそれだ
け彼に愛されているんだから』

『怜菜は強敵だよ。彼女は控え目で可愛らしいけど芯は強い。今のうちに怜菜の目的を理
解して手を打っておくべきだよ』

『怜菜は旦那に浮気された被害者として博人に接触するでしょ。そしてお互いに伴侶の不
倫を慰めあっているうちに恋に落ちるなんていう筋書きを書いているんじゃないかな。怜
菜って旦那と親友のひどい仕打ちに耐え忍んでいる聖女とか天使とかっていうイメージじ
ゃん』



 そんなとき先輩からメールが届いた。横フィルの次の定演で先輩がソリストとしてデビ
ューする。招待状を送るから来ないかという内容だった。

『行ってきなよ』

 その声が静かに言った。『確かめてみたら?』
968 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 23:46:13.73 ID:ER1rVJ59o

今日は以上です
969 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 23:55:43.30 ID:xBh2ezmZo
970 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 11:43:37.09 ID:mDh2XeeDO
971 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 12:00:20.59 ID:9ljgisABo

完全にメンヘラ
972 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 13:00:29.42 ID:vCxMjAI0o
ガチで多重人格というか解離性なんちゃら気味だったのか……
973 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 17:03:56.35 ID:iO4mYj/D0
時系列がよくわからん
麻季の一つ上の川田(多田)が既に小学生の子供を持ってたのが?だわ
奈緒人を生んだのアラサーになってから?

とりあえず新スレ移ったら簡単な登場人物紹介お願いね
974 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/12(火) 17:47:30.54 ID:gtt+c3N0o


もうすぐ新スレか…
975 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/13(水) 19:10:12.83 ID:Dn3kE2rSO
>>973

後妻かもしれん
つかそこまで設定広げて川田視点始めましたとかあるのか……?
それはマジ勘弁

あと、有希・麻季・美希、玲子・怜菜と紛らわしのはどうにかならんかったのかね……
奈緒人と奈緒は逆にすげぇよかったのに
976 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/13(水) 22:37:44.60 ID:jWqv70iko
美希って誰だったっけ?
977 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:53:49.07 ID:kDGj/IPLo
>>973
すいません。こんなミスだらけですね
小学生って書いちゃったけど幼稚園の年長組くらいと考えてください

今回の投下終了後に新スレに移行します。このスレを使い切れないと思いますけど
ご容赦ください。しばらくして埋まらなかったらHTML化依頼しますので

では投下します
978 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:54:18.16 ID:kDGj/IPLo

 鈴木先輩にホテルの一室で抱かれた夜、麻季は先輩に抵抗もしなかったけど、乱れた演
技すらもしなかった。終始人形のように先輩にされるままになっていただけだ。博人に抱
かれて乱れて喘ぐときとは大違いだ。それでも先輩はそんな麻季に満足したようだった。

「処女と一緒だね。結城って本当に君のことがわかってないんだな。何年も君と寝ていて
全く君の性感帯も開発していないなんてさ」
 先輩は博人のことを嘲笑しながら、麻季の裸身を優しく愛撫した。「もう少し機会をく
れれば君のこと絶対に変えてみせるよ」

 先輩が何を言おうと麻季の心には何も響かない。次の機会なんてないのだ。怜菜の感情
を推し量るためにはこういうことは一度だけで十分だった。それに彼女はろくに先輩の言
葉に注意していなかった。心の声の方に気を取られていたからだ。



『ついでに博人の気持も確かめとこうよ』

『そんな必要はありません』

『本当は不安なんでしょ、彼の気持が。怜菜が動き出す前に安心しておこうよ』

『どうすればいいの』

『博人が君を求めてきても拒否しなよ。君だって嫌でしょ? 先輩に抱かれた身体で博人
君と交わるなんてさ』

『・・・・・・』

『しかし見事なまでに感じてなかったね。鈴木先輩のせいとは思えないからきっと君は博
人じゃなきゃ駄目なんだな』

『当たり前だよ』

『でももう君はそんな大切な人を裏切って浮気しちゃったんだよ』

『あんたがそうしろって言ったんでしょう』

『私は君だからね。つまりこれは君自身が望んでしたことなんだよ』

『今まで博人君が求めてくれるのを断ったことないし、断れば疑われちゃうよ』

『そう。君は疑われなきゃいけないんじゃないかな』
979 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:54:46.06 ID:kDGj/IPLo

「今日は泊まっていける?」

「無理。奈緒人を迎えに行かなきゃいけないし、先輩だって打ち上げに顔を出さないわけ
にはいかないでしょ」

「君と過ごせるなら打ち上げなんて」

「あたしが無理なの!」

「ひょっとして後悔してる?」

「してる。あたし、博人君を裏切っちゃった」

「・・・・・・泣かないで。君のせいじゃない。全部、僕が悪いんだ」

「もういい。これが最初で最後だから。先輩、もうあたしに連絡してこないで」

「普通の友人同士としてとかなら」



『電話は駄目だけどメールくらいは許してやんなよ』

『もうそんな必要ないじゃない』

『怜菜の気持を知りたいならそうした方がいい。始めちゃった以上は良くも悪くも続けな
いと。中途半端が一番まずいよ』



「・・・・・・電話はしてこないで。メールにして」

「・・・・・・わかった。君がそういうならしつこくはしないよ。大学の頃から本当に君だけし
か愛せなかった。だからメールくらいはさせてくれ」



『出産してから博人君は全然そういうこと誘ってこないもん。考えたって無駄じゃないか
な』

『そろそろ博人だってそういうこと考えていると思うよ。早晩、君のことを求めてくるっ
て。そのときは彼を拒否しなよ。そうしないと好きでもない男に抱かれて博人を裏切った
意味がなくなってしまうから』



 鈴木先輩はベッドの上ではそう約束したけど、ホテルの前で別れたその晩にさっそくま
た麻季に会いたいというメールを送りつけてきた。麻季は拒絶の返事を書いてメールを出
した。

『もうあたしのことは放っておいて。先輩とは二度と会わない』
980 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:55:17.66 ID:kDGj/IPLo

 その後、多忙であまり家にはいないながらも遅く帰ってきても麻季と奈緒人のことを気
遣う博人に対して、麻季はしてしまったことに罪悪感を感じた。幸運なのか不運なのか、
産後の麻季の体調を気遣った博人が麻季を誘うことはなかったので、表面上は二人は今ま
でどおり仲のいい夫婦のままだった。

 あんな声に従って博人君を裏切るなんて、何て馬鹿なことをしたのだろう。麻季は後悔
したけどしてしまったことはもうなかったことにはできない。それでも麻季の浮気なんて
夢にも疑っていない博人は相変わらず優しかったし、麻季も自分の過ちをだんだんと忘れ
ることができるようになった。

 それでもやはりその日は訪れた。

 ある夜、奈緒人が寝入った後の夫婦の寝室で、博人は出産以来久し振りに麻季を抱き寄
せて彼女の胸を愛撫しようとした。このときの麻季は自分の不倫を忘れ、博人の愛撫に期
待して身体を彼に委ねようとした。



『ほら、ちゃんと拒否しないと』

 最近聞こえてこなかった声が麻季に言った。

 博人は麻季をこれまでより強く抱き寄せて彼女にキスしながら手を胸に這わせ始めてい
た。

『やだよ。久し振りなのに断ったら博人君傷付くと思うし、それにあたしだって・・・・・・』

『君は博人と違って先輩とセックスしたでしょうが』

『あれはしたくてしたんじゃないし! それに気持悪いだけだった』

『そうだね。そんな思いまでして先輩に抱かれたのには目的があったからだ。今さらそれ
をぶち壊す気なの』

『・・・・・・だって』

『ここで頑張らないと、先輩と寝たことは単なる浮気になっちゃうよ。さあ、疲れてるか
らそんな気分になれないって博人にいいなよ』



 博人の手に身を委ねてい麻季は彼の腕の中から抜け出した。

「・・・・・・麻季?」

 初めて見るかもしれない博人の傷付いているような表情に麻季は胸を痛めた。

「ごめんね。何だか疲れちゃってそういう気分になれないの」

「いや。僕の方こそごめん」

「ううん。博人さんのせいじゃないの。ごめんね」

 一度博人の腕から逃げ出した麻季は再び彼に抱きついて軽くキスした。

「もう寝るね」

「うん。おやすみ」

 本当は麻季の方が泣きたい気持だったのだ。
981 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:55:45.24 ID:kDGj/IPLo

 確かに博人は麻季のことを大切に考えているようで、それから長いこと彼は麻季を抱け
ないことに耐えているようだった。事実、彼はその夜から全く麻季に手を出そうとしなく
なった。

 博人には思いも寄らないことだろうけど、耐えていたのは麻季も同じだった。セックス
がないだけならまだ耐えられたかもしれない。でもあの夜以来、博人は自分から麻季の身
体に触れないようにしているようだった。多分、抱きしめ合ったりキスしたりした後の自
分の衝動に自信が持てなかったのだろう。今ではハグやキスは全て麻季の方からするだけ
になり、彼はそんな麻季に軽く応えるだけだった。

 全部自業自得だ。博人君は自分を抑えてくれている。そう理解はしていたけど彼女の方
もそろそろ限界に来ていたようだった。

 ある夜、我慢できなくなった麻季は博人に甘えるように彼に寄り添った。いつもの軽い
キスとかでは済まない予感がする。その夜の麻季はまるで恋人同士だった頃に時間が戻っ
たみたいに博人に甘えた。麻季はもう我慢ができなかったのだ。それは決してセックスだ
けのことではない。麻季にとっては博人との肉体的な接触が激減したことが不安で仕方が
なかった。

 そういう麻季の気持を正確に理解したように、博人はいつもと違って真剣な表情で麻季
を強く抱き寄せようとした。



『拒否しなさい』

 またあの声だ。

『もうやだよ。一度は拒否したんだからもういいでしょ。拒否しても博人君はあたしのこ
とを嫌わなかった。博人君の気持はもうこれで十分にわかったんだし』

『やり始めたことは中途半端にしちゃいけないね。拒否するくらいで彼の気持が理解でき
るくらいなら、何も鈴木先輩と寝ることなんかなかったじゃん』

『だって・・・・・・』

『だってじゃない。君だってわかってるんでしょ。単にセックスを拒否した程度で彼の気
持なんて試せないって』

『あたし、博人君に抱かれたい。彼に好きなようにさせてあげたいの』

『博人の気持を知るためだけじゃない。ここで流されたら怜菜に博人を取られるかもしれ
ないんだよ』

『そんなこと』

『さあ勇気を出して』
982 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:56:16.60 ID:kDGj/IPLo

「やだ・・・・・・。駄目だよ」

 結局このときも麻季は心の中の声に従ったのだ。このときの麻季は可愛らしく博人の腕
の中でもがいたので、夫はそれを了承の合図と履き違えたようだった。しつこく体を愛撫
しようとする博人の手に麻季は微笑みながら抵抗していたから。

 このままでは埒が明かない。



『博人を押しのけないと』



 麻季の服を脱がそうとした博人は突然麻季によって突き飛ばすように手で押しのけられ
た。

 一瞬、博人は狼狽してその場に凍りついた。博人にはひどく傷つけられた自分の感情を
を隠す余裕すらなかったようだった。麻季は再び博人の愛撫を拒絶したのだ。

「ごめん」

 それでも博人は麻季に対して謝罪した。何でもないことのように見せようとしているら
しいけど、震えている声が博人の彼女を思いやろうとする意図を裏切っていた。

「ごめん。今日ちょっと酒が入っているんで調子に乗っちゃった。君も疲れているんだよ
ね。悪かった」

「あたしの方こそごめんなさい。博人君だって我慢できないよね」

「いや」

「・・・・・・口でしてあげようか」

 麻季が言った。それは心の声とは関係なく思わず彼女の口から出た言葉だった。

 その言葉に博人は凍りついたようだった。

「もう寝ようか」

 ようやく博人が口にした言葉は、結婚してから初めて麻季が聞くような冷たいものだっ
た。

 博人の冷たい口調に麻季は混乱して泣き始めた。
983 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:57:01.73 ID:kDGj/IPLo

「悪かったよ」

 麻季の涙を見て後悔したように博人はさっきの冷たい口調を改めて言った。

「ごめんなさい」

「君のせいじゃないよ。僕のせいだ。君が奈緒人の世話で疲れてるのにいい気になってあ
んなことしようとした僕の方が悪いよ。本当にごめん」

 麻季は俯いたままだった。



『先輩との浮気を告白するなら今がチャンスだね』

『あたし、これ以上博人君に嫌われたくないよ』

『博人を信じようよ。博人は君を愛している。きっと君の浮気を許すだろう。そうしたら
君の悩みの一つはそれで解決でしょ。これでもう二度と君は彼の愛情を疑うことはないだ
ろう』

『・・・・・・・あたし恐い』

『勇気を出しなよ。大学時代に君のことなんてどう思っているかもわからない博人のア
パートに押しかけた勇気を思い出しなさい』

『だって』

『まず博人の愛情を確認しようよ。それから親友だった怜菜の感情を探らないとね。知り
たいんでしょ? そして安心したいんでしょ』

『あんなことを告白しちゃったらあたし博人君に捨てられるかも』

『大丈夫だよ。むしろ、このまま何も手を打たないと怜菜に博人を取られちゃうよ』



 麻季はまたその声に従ったのだ。

「ごめんなさい。謝るから許して。あたしのこと嫌いにならないで」

「謝るのは僕のほうだよ。まるでけものみたいに君に迫ってさ。君が育児と家事で疲れて
るってわかっているのに。仕事にかまけて君と奈緒人をろくに構ってやれないのに」

「本当に好きなのはあなただけなの。それだけは信じて」

「わかってるよ。落ち着けよ」

 混乱している彼女をなだめるように博人は言った。

「あなたのこと愛している・・・・・・あなたと奈緒人のこと本当に愛しているの」

「僕も君と奈緒人のことを愛してるよ。もうよそうよ。本当に悪かったよ。君が無理なら
もう二度と迫ったりしないから」

「違うの。あなたのこと愛しているけど、あの時は寂しくて不安だったんでつい」

 混乱した声で麻季は鈴木先輩と寝てしまったことを話し始めた。

「・・・・・・え」

 博人は予想すらしてなかった麻季の告白に凍りついた。

「一度だけなの。二回目は断ったしもう二度としない。彼ともちゃんと別れたし。だから
許して」
984 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 22:57:37.39 ID:kDGj/IPLo

 このときはいろいろとつらい思いをしたのだけど、結局のところ麻季は博人の愛情を確
信することができた。鈴木先輩との浮気を告白した彼女に対して、博人は最後には許して
やり直そうと言ってくれたのだ。博人の愛情を確認するという意味だけを取り上げれば、
あの声のアドバイスも正しかったのかもしれない。でも博人の愛情を再確認したその代償
もまた大きかった。

 博人の愛情を確信した以上、もう麻季は博人に抱かれてもいいはずだった。でも麻季の
浮気を許して彼女の自分への愛情を信じてくれたはずの博人も、一度鈴木先輩に抱かれた
麻季の身体を抱くことができなくなってしまったのだ。

 もうあの声も反対しなかったので、麻季は積極的に博人を誘惑した。そういうときは博
人もそれに応えてくれようとしていたのだけど、やはり博人は再中に萎えてしまい彼女を
抱けなくなってしまう。麻季は夫が自分を抱けなくなったという事実に狼狽したけれど、
それはもちろん自業自得というものだった。

 それでも肉体的な問題を除けば、麻季は幸せで多忙な日々を送ることができた。彼女に
は奈緒人がいる。博人が彼女を許した理由の大半は奈緒人絡みなのかもしれないけど、そ
のことは別に彼女を傷つけはしなかった。奈緒人は二人の分身だった。そして二人を繋ぎ
とめる絆でもある。奈緒人の成長振りを博人と話しているとき、彼女は博人に抱かれて喘
いでいるときと同じくらいの充足感を感じた。



『麻季ちゃん?』

 鈴木先輩から電話がかかってきたのは博人が不在の夕暮れのことだった。

 着信表示は「鈴木先輩」という文字が浮かび上がっていた。あれから結局麻季は先輩と
メールのやりとりを再開してしまっていた。そんな気は全くなかったのだけど、怜菜の件
はまだ未解決だった。そのことを例の声に指摘されて麻季はしぶしぶとそれなりに先輩に
気のある素振りを装ったメールを返信していたのだ。怜菜が先輩の携帯をチェックしてい
るかもしれないからね。そうあの声が言ったせいだった。

『メール以外で連絡しないでって言いましたよね?』

『わかってる。ごめん。でもそんなことを言っている場合じゃないんだ』

 偶然再会してから、いや大学時代に先輩と知り合ってから初めて聞くような切羽詰った
声だった。

『何なんですか。もうすぐ博人君が帰ってくるんですよ。話があるなら早くして』

 これ以上博人君に嫌われたくない。彼が帰宅したときは抱きついてキスして、それから
奈緒人を彼に抱かせて迎えてあげたい。そんなささやかな幸せを鈴木先輩ごときに奪われ
たくない。それにこれ以上博人君に誤解されるのもまずい。麻季はそう思って冷たく答え
た。

『悪い・・・・・・。でも僕よりも麻季ちゃんに関係することだから』

『いったい何があったんですか』

『そのさ。すごく言いづらいんだけど』
985 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 23:00:59.39 ID:kDGj/IPLo

『もったいぶらないで早く言って』

『麻季ちゃんって太田怜菜さんと知り合いだったよね』

 何が太田怜菜さんだ。あんたは独身だってあたしには言っているけど、彼女はあんたの
奥さんじゃない。正確に言うと鈴木怜菜でしょ。そう麻季は思ったけど今さら先輩の嘘を
責める気はなかった。今はとにかく早くこの電話を切りたい。急がないと博人君が帰って
きてしまう。

『偶然に知ったんだけど・・・・・・。君の旦那と怜菜さんって浮気しているみたいだぜ』

 一瞬、麻季の周囲の世界が停止した。

『もしもし?』

『ふざけないでよ! いったい何の根拠があって』

『いや。偶然に喫茶店で結城と怜菜さんが二人きりで親密そうに話をしているところを見
ちゃったんだ』



 場所は博人の編集部の近くにあるクローバーという喫茶店。その店の名前には聞き覚え
があった。打ち合わせでよく使う店だと博人君が話してくれたことがある。先輩はそこで
親密そうに顔を近づけて、何やらひそひそと密談めいた様子で話をしている博人と怜菜を
見かけたのだという。

『僕も二人に見つかったらまずいと思ってすぐに店を出たんで、その後二人がどうしたか
はわからない。ひょっとしたらホテルにでも』

 先輩も動揺している様子だった。自分の妻が後輩と密会しているところを発見したのだ
とすると無理はない。麻季には独身だと偽っているけど、怜菜は間違いなく先輩の妻なの
だから。先輩は乱れた声で何か続けていたけど、もう麻季にはその声は届かなかった。



『やられたな。だから言ったじゃない。怜菜は麻季の敵だって』

『まだ博人君の浮気だって決まったわけじゃないでしょ!』

『先輩は嘘は言っていないと思う。怜菜に浮気されて動揺しているみたいだし。大方自分
のことは棚に上げて怜菜を疑って尾行でもしたんじゃないかな』

『・・・・・・待って。クローバーは同業者の人たちがいつも打ち合わせで使っている喫茶店だ
って博人君は言ってた。そんなとこで密会なんかしないでしょ』

 麻季は必死だった。心の声にもそれに同意して欲しかったのだ。

『かえってばれない場所だと思ったのかもよ。怜菜も博人も音楽関係の仕事をしているじ
ゃない? 誰かに見られたって打ち合わせだと言い訳すれば誰も疑わないだろうし』

『やだ・・・・・・そんなのやだよ』

『落ちつきなよ。まだ君は負けた訳じゃない。先輩は女にだらしないくせに怜菜に関して
は自分への貞操を要求するようなクズだからさ。きっと前から怜菜のことは気にしていた
と思うんだ。だけどこれまではそんな様子はなかったみたいだし、怜菜と博人が二人きり
で会ったのはこれが最初だと思うよ』
986 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2013/02/13(水) 23:06:50.41 ID:kDGj/IPLo

『麻季? 俺の話聞いてる?』

『・・・・・・うん』

『君にとってショックな話をしちゃってごめん。でも君が結城に騙されているままでいる
ことがどうしても我慢できなくて』



『博人君と怜菜って浮気してるのかな。二人は何を話していたんだろ』

『前に言ったとおりだと思う。怜菜は旦那に浮気された被害者を装って博人君の同情を買
うと同時に、君と先輩の仲が浮気ではなく本気だと博人君に思わせようとしたんでしょ。
そして怜菜は今、お互いに伴侶の不倫を慰めあっているうちに不倫された同士が恋に落ち
るなんていう筋書きを実行しようとしているんだと思うよ。だからまだ二人は出来てない。
安心しなよ』



『君の親友である怜菜と浮気するようなひどい男のことなんて忘れたら? 僕なら君を悲
しませたりしない。それに奈緒人君のことだって責任を持って育てるよ』

 さっきまで他人を装って怜菜さんと呼んでいた彼女のことを先輩は怜菜と呼び捨てした。
彼も動揺しているせいか呼び方まで気が廻らず、つい普段どおりに怜菜と呼び捨ててしま
ったのだろう。



『あたし、どうすればいい? また先輩の言うとおりにするの?』

『バカかあんたは。私はあんたと先輩の仲を取り持っているわけじゃない。今は先輩なん
て放置しなよ。あんたはつらいだろうけど怜菜のことはなかったように博人と仲のいい夫
婦を続けなきゃだめでしょ。まだ、博人の気持は君のもとにある。怜菜なんかにはまだ取
られていない。だから我慢してこれまでどおりに暮らすんだよ。ここで揺らげば本当に怜
菜に負けちゃうよ』

『・・・・・・うん』

『できるね?』

『やってみる』



 博人の態度はその後も変わらなかったし不審な様子もなかった。そして彼はますます麻
季に対して優しく接してくれるようになった。麻季は心の声に従って必死に博人との生活
を再建しようとしていた。

 そして博人の日常の素振りからは彼が浮気をしているような様子は全く覗えなかった。

 怜菜と博人君が二人で会ったことが本当だとしても、彼は怜菜の誘惑に乗らなかったの
ではないか。そしてそのことを麻季に話さないのは彼女を動揺させまいとしているからな
のではないか。だんだん麻季はそう考えるようになった。それほど博人との生活は穏かで
愛情に溢れたものだったし、疑り深い心の声でさえ、『麻季は怜菜に勝ったのかもしれな
いね』と時折呟くようになっていた。

 そういう穏かな日々の積み重ねがしばらくは続いた。・・・・・・怜菜の訃報を多田先輩から
聞かされるまでは。
987 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/13(水) 23:09:46.14 ID:kDGj/IPLo

今日は以上です

次スレ

ビッチ・2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1360764540/
988 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/14(木) 01:50:11.83 ID:7xwLCQZAO
  /||ミ
 /::||__
/::::||WC|
|:::::|| ̄ ̄|
|:::::|| ガチャッ
|:::::||  |
|:::::||∧_∧
|:::::||・ω・`)
|:::::||o o(次スレ)~
\::::||―u|
 \::||
  \||彡
皆さん、
次スレが立ちましたよ…

ニア> 埋めますか?
   埋めませんか?
989 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/14(木) 01:50:54.09 ID:5+RlVtkIo
990 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/14(木) 07:52:55.85 ID:5VT1bzgIO
乙乙

女神も頑張ってね
991 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/15(金) 14:15:12.95 ID:8h57kNNLo

埋め
992 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/15(金) 16:49:43.12 ID:qJollPDDO
心の声は癌細胞みたいなもんだな
993 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/15(金) 22:58:11.66 ID:Q5sjzmqxo
994 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/16(土) 00:15:17.31 ID:9TbGnaW3o
埋め
995 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 00:25:53.55 ID:P3WbNWJbo
996 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 07:27:48.04 ID:jSiRLisqo
埋め
997 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 10:22:19.22 ID:hVemq+zFo
奈緒ちゃんの幸せを祈って
埋め
998 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 10:39:21.33 ID:/4FAilzYo
うめ
999 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 11:18:14.25 ID:WtThAvJLo
1000 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 11:22:33.23 ID:Ra1yz74IO
1000
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      ,ノ      ヽ =@           _,イ:
    '.o  r┐   *   ヽ、 ヽ、_     ,..-=ニ_
    =@   ノ       ノヽ、,  !..□ /     ヽ
     ヽ        .ィ'.  ,!    ハ/    、   `!、    七夕に…
      `ー-、_    く´ =@    /     ヽ  
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