田井中律誕生日記念SS2016(must was the 2014)

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

271 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/18(木) 21:16:15.52 ID:RC2/md2co
「お昼、集合した時に言っていたじゃない。ここ、ランドマークタワーでね。
唯ちゃんたら、電車に乗っている時から、
元町・中華街駅の方が気になっていたんでしょう?
中華街に行きたかったんでしょう?
だから、行きましょうよ、中華街に」

 唯と梓は互いに目を見合わせてから、紬に向き直ってきた。

「いいっ、いいよ、ムギちゃん。グッドアイデアだよ。
そうだよ、行きたかったんだよね、中華街。
りっちゃんの所為ですっかり忘れてたよ。そういえば、夕ご飯も食べてないじゃん。
あずにゃんや、意識したら急にお腹が空いてきたねぇ」

 唯が目を輝かせて、猛然と身を乗り出す。
同意を求められた梓も、満更でもない提案らしい。

「もうっ、唯先輩ったら、いっつも食い気なんですから。
でも、そっちの方が、唯先輩らしいです。
正直に言えば、私だってお腹が空いていますし」

「決まりね。
お昼はコーヒーで白けちゃったけど、今度はちゃんとお茶を飲みましょう?
中華には紅茶でも緑茶でもなく、ウーロン茶が一番合うの」

 二人の顔を見れば分かる。
紬の提案に、異論はないのだと。

 確認した紬は、先頭を切って歩き出した。
ランドマークタワーを回り込み、クイーンズタワーの裏を歩いていけば、
東急みなとみらい線みなとみらい駅に着く。
そこから元町・中華街行きの電車に乗るのだ。

「そうそう、香港とかだと、
点心を摘みながらお茶する事を飲茶っていうのよ」

 歩みを弾ませながら、紬は言った。
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/18(木) 21:17:09.33 ID:RC2/md2co
「私達で言う、ティータイム、ですね」

 即座に返してきた後方の梓は、紬の言いたい事を瞬時に察してくれている。
次期部長として、順調に自分達の哲学を受け継ぐ素質があるようだ。

「りっちゃんに先を越されちゃった事だし。
今日はどかっと自棄食いしようねー。
それで英気を養って、明日はりっちゃんを質問攻めにして冷やかしてあげないと」

 提案する唯の声に迷いはなく、元気が漲っていた。
唯は太らない体質だから迷いなく自棄食いできるのだ、自分はそうもいかない。
だから自分は自制すべきだと、紬とて分かっている。
だが──

 今日は走ったりと、いつになく運動している。
だから今夜くらい、過食に淫しても大丈夫だろう。

 一瞬にして自棄食いを正当化させた自分に、紬は思わず苦笑を漏らす。
だが、意図せず食べ過ぎてしまう普段とは違い、今は自己嫌悪に陥る事もなかった。
腹が減っては、恋もできないのだから。

「そうね。いっぱい、食べちゃおっか。
いっぱい運動したもの。お腹空いちゃったわ。
そして明日は、りっちゃんに色々訊いて、冷やかして、
そして、勉強させてもらわないとね」

 紬は後ろを歩く二人に笑いかけ、逸る気持ちのまま急ぐよう手招いた。

*

273 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/18(木) 21:18:22.17 ID:RC2/md2co
>>254-272
本日はここまでです。
また明日よろしくお願いします。
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:38:40.01 ID:TfGKSIcbo

*

16章

 律は窓に額を付け、景色に見入っていた。
七十階近い一室に据えられたフィックスウィンドウからの眺望とあって、
夜景の明媚たるはこの上ない。
絶佳に酔った観覧車でさえもが、電飾の渦となって下方に見えている。
遠く南東の方角には、横浜スタジアムと思しき円形の施設が光を伴って見えていた。
その更に奥の豆粒のような光の群れには、
律が居た中華街の放つ光も含まれているのだろう。
目を惹く対象は余りに多く、膨らむイメージは尽きない。
床から天井まで覆い部屋の一辺の一面を占めるこの窓は、
ドレープカーテンを開け放った瞬間から律を虜にしていた。

 没頭する律の耳にも、シャワーの音は届いている。
澪が先に浴びているのだ。

 カードキーと小型の防犯ブザーを携えた律がこの階に上がって来るまで、
澪は部屋の前で待っていた。
小型の防犯ブザーは、僅かの時間とはいえ一人で移動する律に澪が渡したものだった。
ホテル内で必要ないと律は思ったが、澪曰く油断は禁物という事らしい。
また、律が一人でチェックインの手続きを取ったのも、
予約を入れていた澪の指示である。
万が一にも唯達との鉢合わせを避けるように、という深慮の故だった。
此処まできて、サングの顔を至近距離で見られる訳にはいかない。
結果として、エレベーターの乗車時に擦れ違ってしまったのだから、
念を入れておいて良かったと思う。
考えてみれば、相当の待ち時間を要する可能性がある上、
唯達も使うであろうエレベーターは、危険なポイントだった。
この階に来て澪の顔を見た瞬間、彼女の慧眼を褒めたものである。
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:39:44.66 ID:TfGKSIcbo
 その澪は部屋に入るとすぐ、律にシャワーを勧めている。
蒸して塗れた身体はシャワーを欲していたが、
抑えて律は澪にシャワーを先に浴びるよう促した。
本日の恩人である澪より先に、自分が欲望を満たす訳にもいくまい。

「待たせたな。お陰でさっぱりしたよ。
律もゆっくり、今日の疲れを癒して、さっぱりしてきな。
色々な所がベトベトだろ?」

 水飛沫の音が途絶え、バスルームを出た澪が声を掛けてきた。
夜景を眺めていた律は、違和感を覚えながら声の主へと首を振り向ける。
シャワーが止んでから、異様に早い。

「えぇっ?」

 驚いた律は、思わず声を上げていた。
高層から見下ろす夜景を上回るインパクトが、目に飛び込んできている。

「何だよ、急に大声出して。驚くだろ?」

 澪が文句を言うが、驚いたのは寧ろ律の方だった。
無理もない。澪は一糸纏わぬ裸体を、惜しげもなく晒しているのだから。
身に何も纏っていないだけではなく、恥ずべき場所を隠してさえいないのだ。
豊満な乳房も、その先端の赤く尖って聳える突起も、赤裸々に律の瞳へと飛び込んでくる。
腰に右手を当て屹立する澪は、股さえも隠していない。
そこで凄む熱帯雨林の如きナマモノを視界から阻むは、
律には生えてさえいないマングローブだけだった。
澪の”そこ”で繁茂するマングローブは、
自然界のものとは異なり墨を撒けたように黒々と生い茂っている。
これ以上そこに目を留めて、注視していると澪に勘付かれたくはない。
赤紫の肉を隠す黒いジャングルから、律は無理矢理に視線を引き剥がし、
努めて澪の顔を見据えて言う。

「こっちの台詞だよ。何ていう格好してるのさ。
早く服着てよっ」
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:40:58.52 ID:TfGKSIcbo
 律が捲くし立てても、澪に動じた風は見られない。

「別にいいだろ?女同士なんだし。
それに、裸で過ごした程度で風邪を引く程、柔な身体はしていないさ」

「うー、いくら女の子同士でも、目のやり場に困るよ」

 律は何度か視線を澪の顔と肢体の間で上下させた後、俯いて伏目に澪の肉体を見遣る。
視線の置き所に困るという事を、態度で表した積もりだ。
その意図を持ちながらも、実際には伏した視線で澪の身体を貪っていた。

 陰毛の上、腹筋はシックスパックを形成しており、
陰部の下、大腿は硬く強靭に引き締まっている。
乳房の脇、筋の走る上腕も柔らかさは排され、
肘を曲げた右腕の二頭筋には隆起も見えていた。
演奏中、涼しい顔のまま重いベースを持ち上げ支え、
弦を押さえる指まで自在に動かす力の所以である。
律の股を担ぎ上げた左腕の上腕は、酷使の故か僅かに赤みが差して見えた。
下へと真っ直ぐに伸ばされているので、右腕程の隆起は見えていない。
だが、左上腕の二頭筋もまた硬く堆く盛り上がる事は、
担ぎ上げられた時に律の股が敏く感じ取っていた。

「裸なんて初めてじゃないだろ?合宿の時なんて、皆で見せ合いだったし。
それに、今日は見逃してくれ。
夏に合わない格好をしていたせいか、酷く蒸れちゃったんだよ。
特に、締め付けてた胸とか。後は股とか特にな」

 蒸れた、と言われれば律も引き下がらざるを得ない。
夏に合わない厚着をさせたのも、胸を無理矢理に押さえ付けさせたのも、
自分に原因があるのだ。

「まぁ、お陰でダイエットにはなったけどな」

 澪が柔らかい笑みを浮かべて気遣うように付け足した。
澪に対する負い目が、顔に表れてしまっていたのだろう。
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:41:50.68 ID:TfGKSIcbo
「そんな必要ないでしょ。身体は引き締まっているんだし。
とーっても、頼もしかったよ。自慢の、彼氏だった」

 心の底から、本当に、そう思う。

「手落ちだらけのエスコートだったが、
そう言われると、彼氏も冥利に尽きるだろうな。
律も良く頑張ったよ。お前の細い身体には、過酷な一日だっただろ?」

「サングに比べたら」

「もう、澪でいいって」

 途中まで言いかけた言葉を、澪に訂正された。
指摘の通りだろう。
既に安全な場所に入った、というだけではない。
逢瀬を偽装する時間が終わり、澪に架空の彼氏を演じる必要もなくなっていた。
夢のような時間は終わっている。残るは、現実の後処理だけだ。
澪を『律の彼氏』という役柄から、解放させてやらなければならない。

 律は名残惜しさを振り切って、改めた呼称で言い直す。

「澪に比べたら、大したことないよ。
髪の毛まで、切ってもらっちゃって」

 髪の長い頃の澪なら、入浴後はタオルを髪に巻いていたはずだ。
そうしなければ、長い髪の穂先から、水を滴らせてしまうだろう。
翻って、今は濡れた髪を憚らずに晒している。

「ああ、お陰で髪が早く乾いていいな。洗うのも楽だった。快適だよ。
今までの風呂上りの私の髪って、どす黒くて重そうだったろ?
今は軽くなった気分だ。実際軽くなったんだろうな。ダイエットみたいなものだ」

 澪は笑うが、律に気を遣わせまいとする態度に過ぎないだろう。
流れるような漆黒が美しい、自慢の長髪だったはずだ。
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:42:53.32 ID:TfGKSIcbo
「でも。それ、本心じゃないよね?本当は」

 何を、言うべきか。律は言葉に詰まった。
本当は切りたくなかったよね、などと白々しい事を口走る積もりだったのだろうか。
自分に言う筋合いはないのだと、自覚しているはずなのに。

 どうすれば、澪の献身に見合ったものを返せるのか。
今の律には、皆目見当が付かなかった。

「ん、ああ、分かってる。律も知っての通り、本当は厄介な事だってあるよ。
唯達にこの短髪を説明する件だろ?勿論、忘れてはいないさ。
それを話して聞かせる為に、ここまで来たんだもんな。
お前がシャワーを浴びたら、すぐに話すよ」

 律が言い淀んでいるうちに、澪が後を引き取っていた。
澪の言う内容は、律が今言及しようとしていた事ではなかったが、
当の澪も承知の上だろう。
律が自責の念に囚われたままにならないよう、話を本題へと戻してくれたのだ。
放つべき言葉さえ見つからない今、澪の配慮を無下にする道理はない。

「うん、分かった。お風呂から上がったら、聞かせてね。
汗とかいっぱい出しちゃった身体を、綺麗にしてくるから」

 話よりも先に、シャワーを優先してくれたのは有り難かった。
種々の体液に塗れた身体が、シャワーを欲している。

「ごゆっくり」

 澪に見送られ、律はバスルームへと向かう。
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:43:42.85 ID:TfGKSIcbo
 澪が上がったばかりのせいか、まだユニットバスの中には熱気が篭っていた。
換気扇も作動したままになっている。
澪が使ったリンスの残り香を吸いながら、律は身に纏うチャイナドレスへと指を掛けた。
下着さえも身に着けていない律の脱衣は、そのチャイナドレス一枚で終わる。
加えて、左の大腿と上腕に付けていた足輪と腕輪も、今は外した。
身に余す所なく、湯を降り注がせて蒸れる余地なく流したい。
日焼けなどなく律の肌は全体として白いままだが、その部分には輪の跡が残っている。
日焼けと影が織り成す対比ではなく、押さえ付けていた物理的な跡だ。
曇天の今日は焼け易い梓さえ、肌は黄色いままだったのだから。

 ベッドルームで寛ぐ澪同様、律も一矢纏わぬ裸体となった。
バスタブに身を移し、熱めに設定したシャワーを体に降らせる。
熱い飛沫が肌に落ち、律を芯から刺激した。
顔にも直接受けて気分を覚醒させると、シャワーヘッドの真下に頭頂を据えた。
人肌よりも熱い温度が、頭の中にまで染み入ってくるようだった。
広げた腋にもシャワーを受け、汗の残痕も忘れずに洗い流す。
その後に律は飛沫をもう一度胸で受けてから、シャワーヘッドに手を伸ばした。
ボディウォッシュやシャンプーで本格的に洗う前に、
身体の末端や局部などにも余さずシャワーを当てるのが律の入浴の仕方である。

 普段のようにシャワーヘッドを引き寄せてから、律は気付く。
シャワーヘッドから、ソープの香りが漂っている事に。
澪が洗ったに違いなかった。
バス用の洗剤がないので、備え付けのソープで代替したらしい。
変わらずの几帳面さに、律は舌を巻いた。

 以前、律は当の澪から、入浴する際は真っ先にシャワーヘッドを洗うと聞いている。
水を噴き出す所が綺麗でなければ、
汚れの付着した水を受ける事になり洗う意味さえ失する、というのが彼女の言い分だった。
共に聞いていた唯は「澪ちゃん気にし過ぎ」と一笑に付していた。
律もどちらかと言えば、唯の意見に近い感想を持っている。
だが、澪の細心に感心こそすれ、唯のように笑い飛ばす気にもなれなかった。
確かに、最上流が汚ければ、下流を幾ら清浄に保とうとしても無駄な努力に帰してしまう。
一番初めに吐いた嘘の為に、その後に繕おうとしても嘘を重ねる他なく、
やがては際限がなくなってゆくように。
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:44:46.48 ID:TfGKSIcbo
 最上流に問題があったから、こんな羽目になってしまったのだ。
明日以降も、律は唯達を騙し続けなければならない。
明日を凌ぐ為の策も、澪が考えてくれていて、入浴後に聞く予定となっている。
汚れた上流に手を付けられないまま、
下流の糊塗に奔走するサイクルを思うと溜息が出そうだった。

 律は頭を振ると、ボディソープをボディタオルに沁み込ませた。
慌ただしかった一日が終わる寂しさの所為か、弱気になっている。
律は努めて気分を切り替えると、肌の上でソープを泡立てていった。
首周りから始めて、腋や股、足の指に至るまで、上から下へと丁寧に泡で包んでゆく。

 そうして全身隈なく磨き込んだ律は、手から順にソープをシャワーで洗い流していった。
柔らかい泡を洗い落として、律は改めて思う。
アメニティにしては、悪くないボディソープだと。
肌に触れている時は刺激を生じず、それでも洗い流した後には爽快感と芳香を残す。
律がボディソープに求める要素に照らして、十分に及第点に達していた。

 この分では、シャンプーとリンスも悪くなさそうだ。
律はシャンプーを手に取ると、髪の毛に絡ませながら泡立てた。
次にシャンプーで狙うは、頭皮の洗浄である。
律は髪を掻き分け、頭皮へと指を伸ばした。
指の腹でマッサージをするように丁寧に、頭皮を洗い込んでゆく。
メントールとスクラブの含まれたシャンプーが、頭皮を爽快に刺激する。
念入りに洗って満足した律は、シャワーの水量を強め、シャンプーを完全に洗い流した。
清爽な気分だった。
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:45:53.86 ID:TfGKSIcbo
 続いて律は、リンスを手に取った。
今度はそれを頭皮に付かぬよう慎重に、毛根の近くから毛先まで塗り込んでゆく。
本来なら、即ち家ならば。
シャンプーの次はコンディショナー、ヘアトリートメントの順にヘアケアしている。
そして、浴室から出た後は、保湿にも気を配りながら髪を乾かすのが習慣だった。
髪に対する拘りは軽音部の全員に通底しており、律も例外ではない。
内心、柔らかい髪質には自負心を抱いてもいる。
触られて、同性を羨ましがらせることは勿論、
”ずっと触っていたい”と虜にする自信さえあった。
また、髪型を変える頻度も、律が一番多い。
それだけ女に取って大切なものだと考えているから、
普段からヘアケア用品にも気を遣っている。

 今日は急にホテルで休む事になったので、満点のヘアケアには至っていない。
だが、十全には達しないまでも、アメニティでこのリンスならば十分に及第点だと、
髪の束と束の間に指を通しながら律は思った。

 リンスも洗い流すと、律はシャワーを止めた。
軽く抑えるようにハンドタオルを頭部に巻いてから、
バスタオルで身体の水気を拭きにかかる。
そして少し迷った後、日中から着込んでいたチャイナドレスを身に纏った。
備え付けのナイトウェアの方が清潔なのだろうが、折角澪から貰ったプレゼントである。
誕生日の今日、ホテルに用意されているものよりも、
澪が用意してくれたものを身に付けたかった。
律は律儀に、足と腕の輪も付け直した。
次に律が目を付けた部位は、頭部である。
タオルを髪に巻いたまま、という野暮ったい格好で澪の前に出たくはない。
合宿ならまだしも、誕生日を澪と過ごしているのだ。
況してや、チャイナドレスとも釣り合っていない。
律はタオルを髪から外すと、備え付けのドライヤーのスイッチを入れた。
普段のヘアケアの手順とは異なるが、この際致し方なかった。
それでも保湿の用を為すよう、完全には乾かさずドライヤーを手早く切り上げた。
見目柔らかく髪の毛が整えば、それで十分である。
律はもう一度自分の姿を鏡で見てから、バスルームを出た。
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:46:44.40 ID:TfGKSIcbo
 ベッドルームで待つ澪は、エアコンも付けずに未だ裸のままだった。
透き通る琥珀色の液体が入ったグラスを片手に、背の高い座椅子に足を組んで座っている。
もう片方の手では、白いバラを弄んでいた。
唯達が居ない今、お気に入りのバラも気兼ねなく出せるのだろう。

「お待たせ」

「思っていたよりも早いくらいだ、気にするな。
それより、またそれを着ているのか?」

 律の着るチャイナドレスに視線を向けながら、澪は言う。

「うん。気に入っちゃった」

「いいのか?日中も着ていたものだろうに。
ナイトウェアもあるだろう?
それとも、律の着てきた元の服、バッグから出そうか?」

「これがいいの。だって、誕生日なんだもの。
貰ったプレゼントで、着飾っていたいし」

「酔狂な奴だな」

 澪はそう言うが、満更でもなさそうに頬が緩んでいる。

「酔狂なのは澪の方だよ。服着ればいいのに。
クールビズにしてもクライム級だよ」

「律もどうだ?おめかしするのもいいが、誕生日に生まれたままの姿も悪くあるまい。
もしかして、裸の格好が一番綺麗だったりしてな?」

 澪の視線が、律の菱形に開いた胸元と恥丘の間を撫でるように往復する。
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:47:31.89 ID:TfGKSIcbo
「何言うんだよっ、そんな訳ないし。もー、セクハラばっかりしてぇ」

 慌てて胸元と股下を手で押さえながら、律は軽く澪を睨んだ。

「ふふっ、そう怒るなよ、律。思ったままの事を言ったまでさ。
顔が赤いぞ?クールダウンするか?いいのが冷えてるんだ。
私はもう先に頂いているが、お前もどうだ?」

 澪がグラスを揺らしながら、律を誘う。

「ね、それ何?まさかお酒じゃないよね?」

 澪の嗜む液体の正体が気になっていた律は、グラスに指を向けながら問い掛けた。

「まさか。ノンアルコールだよ」

 変わらない澪の表情からは、真偽を推し量れない。

「ミルクか、んーん、ミネラルウォーターがいいな」

 律は人肌程度に温めた牛乳を、毎日欠かさずに飲んでいる。
ただ、真夏の入浴直後の火照った身体で、ホットミルクを飲もうとは思えない。
また、冷たい牛乳を多量に飲むと、体質的に腹痛を起こす虞があった。
少量なら問題ないだろうが、喉が渇いている。
況してや、出先である事を考えれば、少ないリスクでも出来れば避けていたい。

「ミネラルウォーターでいいのか?ちょっと待ってな」

 澪は律のリクエスト通りに、
冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出すと、
用意したグラスに注いでくれた。
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:48:26.94 ID:TfGKSIcbo
「ありがと」

 グラスを受け取った律は、ミネラルウォーターを一息に飲み干す。
熱いシャワーで茹っていた身体に、新鮮な水分が浸透してゆく。
喉の潤う余韻に浸っているうちに、空になったグラスへと澪が注いでくれていた。

「ん。有難う。それで、明日の事なんだけど」

 律は律儀に礼を繰り返してから、本題に入るよう促した。
澪の髪型がサングと同じになってしまっている。それをどう誤魔化すのか。
入浴後に、聞かせてくれるはずだった。

「ああ、この髪の毛の事だろ?ちゃんと策はあるし、約束通りに今話すよ。
流石に、偶然だ、じゃ通らないだろうしな。
いや、押し通せるけど、唯達が納得できる理由じゃないと、
疑いが生まれて後々面倒だからな」

 律は頷いた。サングとは澪が演じていた架空の彼氏ではないか、
という疑いを持たれる事さえ避けたい。
唯は納得しない限り、執拗に追及してくるだろう。

「まぁ、サングと私が違う髪形になればいいだけなら、楽なんだけどな。
例えば、私がもっと髪を切ってしまえばいい。
いっそ、坊主とか、或いは短髪とかな」

「駄目だよ、そんなの」

 律は口を尖らせて抗議する。

「もう、そういう理由で髪を切ったら駄目なんだからね。
私の為なんかに、そういう事しないでよ。
澪がこれ以上髪を切るくらいなら──」
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:49:19.65 ID:TfGKSIcbo
 昂ぶる感情のままに声を放っていった律だが、そこで言葉に詰まった。
自分の為にこれ以上澪に髪を犠牲にさせるくらいなら──自分はどうする積もりなのか。
考えるまでもない、決まっている。責任を取るだけだ。

 澪は律を見つめたまま、黙していた。
続く律の言葉を、待っているらしい。
律は観念して言葉を継ぐ。

「バレた方が、マシだよ。
私に彼氏なんていなかったって、唯達にバレた方がまだいいよ。
ムギも梓も、それで安心するんなら。
唯が弄ってくるだろうけど、元はといえば、私が悪いんだし」

「殊勝だな。確かに、いつまでも誤魔化せるものじゃないかもな。
でも、それじゃ今日が無駄になってしまうぞ?」

 律は唇を噛んだ。
そうなのだ、安易に種明かしをする事はできない。
架空の逢瀬を劇的に演出してくれた、澪の骨折りが無駄になってしまう。
ここで簡単に諦めてしまうくらいなら、
始めから正直になるべきだったと、澪でなくとも思うに違いない。

「ま、どっちにしても時間稼ぎには違いないけどな。
でも、ネタを明かすのは本物の彼氏を作ってからでも遅くはないだろ?って事。
そうすれば、唯もお前を馬鹿にはできないからな。
それで、今日の逢瀬の目的は達した事になる。
勿論、それまでにあいつも処女だったら、の話だけど」

 澪が続けて言った。
時間稼ぎに過ぎないにせよ、今日が意味を持つ一日であるよう澪は求めている。
律は肯んずる事しかできない。共感する所でもあるからだ。
澪の苦労に報いねばならないとは、律自身も思っている。
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:50:35.15 ID:TfGKSIcbo
「うん。そうかもね」

「ま、心配するな。
これ以上髪を短くするというのは、例えばの話さ。
本命の策じゃない。髪を弄るにしたって、ウィッグとかもあるからな。
これが一つ目の案だ」

「今まで通りの髪の長さのウィッグを被るって事?
でも、流石にウィッグだってバレない?
長さはともかく、髪質とかで違和感出ると思うけど」

 律は眉を潜めて言う。
初対面の相手なら兎も角、澪と同じ時間を過ごし続けている唯達が相手だ。
一昨日との髪質や色合い、量感の相違に対して、違和感を抱くに違いない。
殊に紬は澪の髪を気に入っているらしく、合宿でも綺麗な髪だと憧憬を口にしていた。
誤魔化しきれるものではない。

「ああ、指摘の通り。あの長さで精巧なものは、値も張るからな。
納期の問題もある。切る前の私の髪と似たものが既製品に無ければ、
オーダーメイドせざるを得ない。そうなると、時間が掛かる。
そんなに部活を休んだら怪しまれるし、下手すれば夏休みが終わるかもしれない。
第一、そこまでしてなお、お前の言う通り、唯達を完璧に騙せる物になるかは微妙な所だ」

 長く詳細な説明だったにも関わらず、
澪は考える素振りも見せずに淀みなく言い切った。
値段や納期に触れた点と考え合わせるに、既に結論が出ていた案だったのだろう。

「じゃあ、他に良い案があるんだね?」

「ああ。まだあるぞ。二つ目は転校だ。
それなら唯達に今の私の髪型を見せずに済む。
最後まで言い出せなかったけど、パパの都合でイルクーツクに転校するんだ、とか言ってな」
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:51:29.94 ID:TfGKSIcbo
「駄目だよ、駄目に決まってるじゃん。
そんなの、私が許さないから。りっ」

 澪を睨み付けて、鼻息を荒げて律は言う。
天地が逆さになろうとも、認められる案ではない。

「ふふ、怒るなよ、冗談だ、冗談。
ただ、唯達に見せないようにするにはどうすれば良いか、
考えたらふと思い付いたってだけさ。
要は、唯達から見られない、っていう線で考えてみて、辿り着いた案だったのさ」

 澪は笑いながら言い足した。
対する律は、頬を膨らませて返す。

「そんな事、冗談でも言わないでよ。
澪が転校するくらいなら、私が転校しちゃうから。
軽音部辞めちゃうのも、唯やムギ、梓の前から居なくなるのも許さないもん」

「二人で転校か。悪くないけど、親が何と言うかな。
ま、それは現実的じゃないから、無しとして。
三つ目。本命の案があるんだ」

 顔の横に指を三本立てた澪の表情からは、笑みが消えている。
一転して醸される澪の真剣な雰囲気に、律は身を引き締めた。

 この三つ目の提案こそ、実際に澪が採用しようとしている案に違いない。
最初の二つは、その提案を通すための準備に過ぎない。
一つ目の案は自ら詳細に論難する事で、予め逃げ道を一つ断った。
そして二つ目の案には非現実的で極端なものを用意して律に反駁させる事で、
律との間に実現可能な策を採用せねばならないという合意を形成した。
即ち、澪の言う通り、次が本命だ。
それは、造形された髪を装着して騙す策ではない。
また、そもそも唯達に髪や姿を見せないという策でもない。
ならば、一体どのような策が本命なのか。
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:52:41.47 ID:TfGKSIcbo
 待つに耐えられない律は、逸る心のままに先を急かす。

「それは、どんな案なの?本命の案は、どんな内容なの?」

「簡単さ。今日のデートのサングと、
この髪型になった理由を、関連付けてしまえばいい」

「どういう事?」

 澪の言いたい事が分からず、律は問いを重ねた。

「こういう事さ。私、秋山澪はお前が好きだった。
だから今日、お前と彼氏のデートをこっそり見に来ていた」

「えっ?」

 律は思わず澪の目を見つめた。
見返す澪の目は真剣そのものだった。

「振られて傷心して、その当て付けに、って事さ。
お前の事が好きだったから、彼氏が居たと知った日は、
ショックでつい意地を張ってしまった」

 澪は律から目を逸らさずに言い切った。
律も澪の視線から逃れる事無く、真正面から見返して続きを促す。

「それでも我慢しきれず、一人でお前のデートを見に行った。
そこで律の彼氏を見て、律の彼氏の話が本当だと思い知って、振られたことを実感した。
だから、な」

 言葉を紡ぐ澪の頬が、自虐的な笑みで歪んだ。
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:53:48.51 ID:TfGKSIcbo
「今まで告白もせず放っといたくせに、律に彼氏が出来て頭にきた自分勝手な私は、
未練たらしくお前の彼氏と同じ髪型にした。お前への当て付けも含めてな」

「そういう設定で、唯達を納得させようっていう事?」

 律は自分の理解を試すべく、澪に問うて確かめてみた。

「ああ。勿論、訊かれてもいない段階で、こちらから言う事じゃないけどな。
でも確実に、私が部室に入ってあいつらと目を合わせた瞬間に、
髪を切った事には触れてくるさ。
そこで私は自棄を起こしたようにヒステリックに説明してやってもいい。
或いは、お前を嫌味ったらしく見ながら、当て付けめいた口調で説明してやってもいいな」

 間違いなく、唯達の方から澪の髪を話題にしてくれるだろう。
澪の短くなった髪を見た瞬間、彼女達が騒ぎ出すのは目に見えている。

「澪の言う通りの部分も多いと思うよ。でも、本当にその案でいくの?
そもそも、今の澪の話で唯達が納得するとしたら、澪が私の事を好きだった、
という前提を唯達が信じたらの話だよ?
そこからして疑われたら、澪の策は根底から破綻しちゃうよ」

 逆を言えば。その前提さえ、
即ち”澪は律の事が好きだった”という部分さえ唯達に信じさせる事が出来たのなら。
後に続く『傷心』して『当て付け』に髪を切った、という流れは強い説得力を持つ事になる。

「信じるさ。唯達は間違いなく、そこは信じるはずだ」

 澪は断固とした調子で言い切った。
自説を信じて疑わない確かな根拠でもあるのだろうか。

「何で、そう言い切れるの?」

 律は怪訝を隠さずに問うた。
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:54:43.52 ID:TfGKSIcbo
「それが分かってないのは、多分お前だけだよ。信じていないのも、お前だけ。
なぁ、嘘を信じさせるコツって知ってるか?
在り来りな手法だから、お前も聞いた事があるだろうな。
真実の中に少し嘘を混ぜるってやつだ」

「真実って」

 律は目を見開いて、澪の言葉を繰り返す。
ここで澪の言う、真実とは──

「唯達を騙す嘘って言うのは、私とサングが別人だという風に装う事。
別人だと信じ込ませるというよりは、同一人物だという発想を抱かせない事、かな。
嘘を言うのはそこだけだ」

 澪は一度言葉を切った。対する律は身体が硬直して、身動き一つ取れないでいる。
舌が固まって何も言えない。視線さえ、動かせない。

 澪は立ち尽くす律を一呼吸ほどの間だけ、黙って睥睨していた。
そして、言う。

「後の話は、真実だ」

「それって」

 舌が絡まったかのように、律は言葉に詰まった。
継ぐべき言葉が浮かんでこない。

「明言した事はなくても、唯も梓も紬も、私の態度から見て取っていたはずだぞ。
それくらい、露骨で分かり易かったはずだ。
だから、あいつらに私の話を信じる下地が出来ていると言えるんだけどな。
いや、親も聡もさわ子先生もクラスメイトも、かなりの人が分かっていそうな事だ。
なのに律は言わなきゃ分からないんだな」
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:55:42.69 ID:TfGKSIcbo
 澪が呆れたように付け足した言葉が、律の記憶を刺激する。
間違いなく、今日、何処かで言われた言葉だ。

──言わないと分からないのは、お前──

 そうだ。山下公園だ。
あの時は、律の言いたい事が分かっているくせに、惚けている澪が腹立たしかった。
そこで口答えした所、乱暴な態度とともに返された言葉がそれだった。

 あの時、澪はもう一言、言い添えていた。
何だったか。今すぐに思い出さないといけない、大事な言葉だった気がする。

「もういい、教えてやるよ。私は、秋山澪は」

 律が思い出す前に、澪が自らの発言を継いでいた。
裸の澪は、自己紹介でもするような前口上を置いて、律の耳に”一撃”を叩き付けた。

「お前が好きだったんだよ、田井中律」

 律は思わず近くのサイドテーブルに手を付いていた。
話の流れからいえば、予測が不可能な話ではない。
だが、鼓膜を揺らした生の声には、予想だにしない衝撃があった。

「嘘」

 短く、それだけ言うのが精一杯だ。そして自分でも、嘘だなどとは思っていない。
思えない。

「嘘じゃない。分かっているくせに、惚けるな。気付いていただろ?
だからお前は、私にあんなお願いをしたんじゃないのか?
お前に惚れている私なら、どんな無理も通せると。
そう、分かっていたんじゃないのか?」
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:56:35.75 ID:TfGKSIcbo
「ちがっ。違うし、そんなんじゃないしっ」

 澪の連ねてくる辛辣な指摘を、律は叫ぶようにして否定した。
だが、澪の気持ちに全く気付いていなかったと言えば、嘘になる。
澪の自分に対する態度から、好意を感じ取っていなかった訳ではない。
だがそれが、恋情故であるとの確証に至らず、自信が持てなかっただけだ。
否、勇気を持てなかった、と言うべきか。

 澪の好意を曖昧なまま逃げ続けた自分に、
澪の指摘を真っ向から否定する資格があるのか。
澪の好意を利用した訳ではないと、言い切れるのか。
律の心も感情も、己が心奥からの告発に拉がれそうだった。

「ムキになって否定しなくてもいいさ。
それでもいいって、私は納得してやっているんだから。
惚れた方の弱みってやつだ。
だから、最後まで利用してくれて構わない」

 裸で言う澪が、堪らなく悲しく見えた。

「さっきも言ったけど、私の律に対する好意は唯達だって分かっている事だ。
だからあいつらは私の話に不自然を感じない。それで今日の件は終わりだ。
後は唯達が再びサングの存在に疑問を持つ前に、本物の彼氏を作ってしまえばいい」

 それで片付く話には違いない。
だが、それでいいとも割り切れない。
割り切ってしまう訳にはいかない。

 澪の提案は、当の澪自身に多大な心的負担を強いるものだ。
律への恋が破れて傷心して当て付けに切ったなどと言う澪の姿は、
唯達の目には未練たらしく見苦しい無様な敗残者に映る事だろう。
当然、皆の視線を浴びる澪本人も、惨めな思いをするに違いない。
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:57:26.87 ID:TfGKSIcbo
 否、今この場でも、だ。
澪から恋慕の情を明言されておきながら、律がなお澪を無残に利用するのなら。
律にとって自分がどういう存在でしかないのか、澪は突き付けられる事になる。
明言されてなお、律が好きだという彼女の話を疑う積もりはない。
だからこそ、分かる。澪にとってこの策が、どれだけ残酷なものなのかが。

 黙する律に所在無さを感じたのか、裸の澪が髪を掻き上げた。
癖という程の頻度ではないが、彼女が偶に見せる動作だ。
だが、いつもとは違い、靡く髪の量は遥かに少なかった。
質感は変わらず美しいが、量感は明らかに減じている。
髪を、切った所為だ。

「それで、いいな?」

 澪が沈黙を破る。確認を求める声には、最後通告のような響きがあった。

 いい、とは言えない。顎も落ちない。

 律は自分の罪を改めて視認するべく、澪の短くなった髪を見遣った。
この上で、更なる負担を自分は求めようというのだろうか。
自分の臆病の責を転嫁して、
澪に回復するか疑わしい心の傷を負わせようというのだろうか。
そうなれば、もう澪を親友として扱う資格すら自分にはなくなってしまう。
それは自分の心に、不可逆的な喪失感を痕として残すはずだ。

 不可逆、喪失──不意に、胸中に去来したキーワードが、律の記憶を刺激した。
霧が晴れたように、律の心に引っ掛かっていた澪の言葉が蘇ってくる。
山下公園で澪は、『言わないと分からない』と律を難じた後で、こう言ったのだった。

『ほら、言ってごらん?』

『取り返しが付かなくなる前に』と。
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:58:23.19 ID:TfGKSIcbo
 その言葉が再び自分へと向けられているのだと、律は目と心で理解した。
あの時、もし素直に願望を口にしていなければ、大惨劇に至っていた事は想像に難くない。
今も、そうなのだ。ここで勇気を出さねば、自分の恋が成就する未来は二度となくなる。

 律は深く息を吸った。そして静かに吐き出しながら、眼前の澪へと向けて声を撃つ。

「良くないよ」

「良くない?何故だ?」

「他にもっと良い案があるから」

「ないだろ」

「あるよ」

「ないね」

「あるもん」

「じゃあ、聞かせてみろ。どんな案があるって言うんだ?」

 律が澪の提案を拒んで始まった短い応酬は、ここで即答のテンポが止まった。
答えに詰まったのではない。応えに迷ったのでもない。
ただ、勇気を奮い起こす間が欲しいだけだ。

──Our Splendid Songs.

 律は歌うように自分の胸へと言い聞かせた。或いは、胸中で口ずさんだ。

「だから、その本物の彼氏に、澪がなってよ」

 律は言い切った。そして沈黙が落ちた。
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 20:59:24.01 ID:TfGKSIcbo
「何だって?」

 問い返す澪の声を聞くまでに、律の胸は千回は拍動しただろうか。
それでも、五秒程しか経っていないのだ。

「だから、澪が私の本物の彼氏になるの。皆に紹介だってしちゃうんだから。
そうすれば、三週間前、唯達に言っちゃった事も、
今日、皆に見せた事も嘘にはならないでしょ。
ああ、勿論ね、サングって名前だけは嘘だけど。そのくらい、いいよね。
だって、唯達だって、約束破ってたもん」

 律はセンテンスを短く区切って言う。
心臓を酷使した所為か、呼気が荒ぶって発声を苦しくさせていた。

「へぇ、律にしては考えたな。で、三週間前に言った事、そして今日見せた事、
それらを嘘にしない為に、私と付き合おうと言うのか?
なるほど、つまり律のお相手がサングという偽名から、秋山澪という本名に変わる訳だ」

 対する澪は、憎たらしいほどに落ち着いていた。
だが、自分にも言葉足らずだった部分があるのだろう。
そう自分に思い聞かせ、律は前言に補足して言う。

「違うもん。今日の偽装デートの焼き直しがしたい訳じゃないし。
だって、私も澪の事が、好きだったから。昔から、大好きだったの。
だから、私の本当の彼氏になってよ」

「そうなのか?私はお前が理想とする彼氏とは、全っ然違うんじゃないのか?
忘れたか?お前自身が言っていた事だぞ?」

 澪は容易には首を縦に振ってくれなかった。
まだだ、まだ足りない、と。澪を満たすに足る言葉を継ぐよう、促されているのだ。
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:00:18.32 ID:TfGKSIcbo
「あの時、彼氏が居るって嘘を言っても、澪ったらどうでも良さそうだったから。
剰え、突き放してくるし。
それで私も怒っちゃって、澪の反応を引き出したくて、
どんどん彼氏の話を膨らませちゃった経緯もあるんだよ?
でも、理想の彼氏の像を口にした時、無意識に澪をイメージしちゃってた」

 理想の彼氏像と澪の相似を、梓に指摘された時は焦ったものだ。
同時に、澪に気付いて欲しい、と思う甘えも心に同居していた。

「私も同じだ、律」

 応えて、澪が口を開く。

「私だって、あの時はお前に腹を立てたものだよ。
私に散々好意があるような態度を取っておきながら他所で彼氏を作るなど、
許せるはずもないからな。
それでお前を突き放す態度をエスカレートさせてしまったんだ。
ふふっ、大人気なかったかもな。
お前から彼氏の話は嘘だ、助けて欲しい、と聞いた時には、安堵したのだから」

「何だよぉ、澪だって意地っ張りじゃんかぁ」

 尖らせる口の傍らで、緩む頬を律は抑えられなかった。

「そうかもな。でも、律は意地っ張りだったから、なのか?
私の方から、この秋山澪から告白させなければ気が済まないなどと、
不遜な事を考えたからなのか?ノン、違うだろう?
ほら、あとひと頑張りだ。言ってごらん?
何で律は隠していたんだ?何で私の事が好きだと言わなかった?」

 澪は右拳に頬を載せ、律を眇めて問うた。

「色々、あるよ?」

「だろうな。話せ」
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:01:16.14 ID:TfGKSIcbo
「勿論、告白するだけの度胸が無かったっていうのが第一にあるよ。
振られるにせよ、付き合えるにせよ、部活に影響しちゃうのは避けたかった。
澪との関係が変わっちゃうのも不安だったし。
不安って言えば、自分が変わるのも不安だったよ。
それにね、付き合えるとしても。
世間体というか、同性愛に対する偏見だって無視できなかった。
エッチとかの、性的な出来事の当事者になるっていうのも現実味なかったし。
恋人が出来て、唯達とかとの友人付き合いが変わっちゃうのも、なんか抵抗あったし」

 律は嘘を言っていない。
理由は多々あり、それらが複合して澪との交際を避ける結果に繋がっていたのだ。
だが、結果を導くクリティカルマスに達するには、あと一つの理由が足りない。
それこそが最も強く、律を縛ってきた理由だった。

 律は声帯に力を込めて続ける。

「何より、ね。
澪の彼女になっちゃう事で、澪に対して甘える正当性が生じちゃう。
それが不味いと思ったの。
だって、今だって十分甘えているのに、それでも足りないって思ってるんだよ?
親友って制限があるから、抑えられているだけで。
もし、彼女になったりしたら、歯止めが効かなくなっちゃう。
甘え過ぎて、そして度を超して澪に依存しちゃう。
澪に落ちて、堕落しきって、澪に隷従していなくちゃ生きていけない、
そんなスレイブに堕しちゃうのに抵抗があったの」

 澪は律が理由を言い連ねている間、眉一つ動かさずに黙って聞いていた。
そして律が言い終えた今、組んでいた澪の脚が解れた。
右脚に載っていた左脚が上がり、爪先が天井を指す。
必然、律の視界に、澪の生殖器が飛び込んできた。

「で、今は?」

 生殖器を見せ付けながら、凛たる澪が高らかとした声で問うてきた。
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:02:30.30 ID:TfGKSIcbo
「もう、怖くないよ。んーん、怖くはあるけど、澪ならいいよ。覚悟ができた。
澪に、私の全部を貰って欲しい。
私の全てを澪に委ねるから、だから、私を愛のスレイブにして欲しいなって。
もう、澪なしで生きていけなくなっても、構わないから」

 澪に隷属できるのなら、人間としての尊厳など取るに足らない。
田井中律という一個人が持つべき人間足り得る資格にさえ、
芥ほどの価値も感じはしなかった。

「良く出来ました、合格だ」

 声を張り上げて宣した澪が、掲げている左脚を勢い良く床に振り下ろした。
反動を利用して直立した澪は、バラを椅子へと投げ捨てて、律の目を見据えて歩き出す。
一歩、二歩、三歩、と。裸の澪が豊満な乳房を揺らしながら近付いて来る。
律は臆する事なく、受け入れる覚悟で澪を待った。
澪と律の乳房が衝突するまで、歩幅二つを残すのみだ。
そこで澪は止まり、左手を自身の心臓に当て、再び口を開く。

「田井中律の告白を聞き届けた。
田井中律の全権、この秋山澪が貰い受ける」

 仰々しくも荘厳に契約の成立を宣する澪は、魂を引き取る悪魔のようだった。
それは、交わしたが最後、解約の許されぬ契である。

「もう、逃げられないや。こんな私なのに有難う、澪。
絶対、満足させちゃうから、好きなように使っちゃってよ。
壊しちゃっても狂わせちゃってもいいから」

 その事さえも澪が支配者ならば甘受に足りると、律は恍惚とした心持ちで言った。
悪魔と交わす取引は、本当に甘美なのだ。
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:03:23.87 ID:TfGKSIcbo
「言われるまでもなく、遠慮はしないさ。脱げ」

 律は澪の目を見返した。

「脱いで、どうするの?」

「どうするかだって?何をするのか、分かるだろ?
ゴンドラの中で忠告していたはずだ。
もし誰かと二人きりで密室に入るのならば、どうされてもいい覚悟を固めろ、と。
ホテルの一室なんて、典型じゃないか。ナイトは居ないけど、文句は言えないよな?」

 確認するように念を押す澪に、律は訂正の言葉で応じた。

「違うよ。
澪は、密室に二人きりになる時はどうされてもいい相手と入れって、
そう言ったんだよ。
私はちゃんと澪の言い付けを守ったもん」

 澪にならどうされてもいい。
だから、此処まで着いて来た。

「へぇ?まさか期待していたのか?なら、気合入れて応えてやらないとな」

 そう凄まれると、律の方こそ期待してしまう。

「そんなんじゃないし。
ていうか澪の方こそ、どっちに転んでも私の身体は頂く積もりだった癖に。
もぉ、エッチな澪の為にも、すぐに脱いであげないとね」

 本心を見透かされているに違いないが、
律は強がってみせてからファスナーへと手を回す。
そうしてファスナーを下ろした律は焦らすことなく一息に、
チャイナドレスから身体を抜いた。
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:04:21.07 ID:TfGKSIcbo
「寄越せ。畳んでやるよ」

 言うが早いか、澪は律の手からチャイナドレスを奪うと、
器用に畳みながら先ほどまで座っていた椅子へと歩く。
その背凭れに畳んだチャイナドレスを掛けてから、再び律の元へと戻ってきた。
二人を隔てる距離は先ほどと同じく、歩幅二つを保っている。

「ほう。唯や梓に言い張っただけあって、確かに脱いだ方が凄いな。
それに、私の目に狂いもなかったな。
やっぱりお前は、何も着ていない姿が一番美しいよ」

 一糸纏わぬ律の身体を凝視した澪が、舌舐めずりして言う。

「あんまり見ないでよ」

 律は赤く染まった顔を逸らして呻く。
澪は褒めてくれているが、陰毛も生えていない生殖器が幼いようで恥ずかしい。
澪の堂々と茂った生殖器と対比できる距離なのだから、尚更だ。

「痴態を衆目に晒されて興奮していた癖に、何を言っているんだろうな。
それに、それだけの美しい肢体を恥ずかしがるなんて、勿体ないぞ。
見せ付けて、平伏させてやろうな」

 澪が、一歩距離を詰めた。対する律は、一歩下がる。
また澪が一歩詰め、律は一歩下がった。そのサイクルが二人の間で飽きなく続く。

 今更、澪を拒みはしない。受け入れる覚悟はある。
だが、容易く、という訳にはいかない。律にも女の矜持がある。
欲情を煽る身なのだと証したいのだ。
だから律の裸体を見た澪には、貪欲になって欲しかった。
後退る律を捕まえる程には、発情を示して欲しい。
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:05:18.62 ID:TfGKSIcbo
 一歩詰めては一歩開く恋人同士の緩い追いかけっこも、
律が窓際に追い詰められた事で終わりを迎えた。
律はそれを、背に当たるフィックスウィンドウの感触で知る。
この分厚いウィンドウの向こうは、地上七十階近い中空だった。

「捕まえたぞ、My fair Lady」

 律の両肩が澪の両手に掴まれ、唇に唇を重ねられた。
前掛かりに攻める澪の重みで、臀部と後頭部と肩甲骨がウィンドウに貼り付く。
割れる設計のはずがないと自分に言い聞かせても、
命懸けの接吻を交わしている気分だった。
もし割れて澪と二人で高空を踊る羽目になっても、二人が離れる事はないだろう。
切れない繋がりの象徴のように、律の口唇を割って入った澪の舌が、
律の舌に巻き付けられている。

「ふぅっふっ」

 澪に口を塞がれている律は、酸素を求めて喘いだ。
早鐘を打つ心臓の所為で、鼻呼吸だけでは空気が足りない。
澪の呼吸に乱れは見られないが、苦しくない訳ではないだろう。
それでも二人、接吻を止めなかった。
湿って生温かい軟体動物のような二つの舌が、口中で蕩け合っている。
疲労を訴える顎にも容赦はしなかった。

「ふーっふーっ」

 荒く断続的な息を漏らしながらも、律はなおも澪を求めて舌を擦り合わせた。
口腔に澪の唾液が落ちて、律の唾液と混ざり合う。
澪の喉が鳴った。口腔に溜まった律の唾液を嚥下したのだろう。
対する律に、開口したまま飲み下す余裕はなく、口から溢れる唾液を留めようもなかった。
顎の先端まで、濡れそぼってゆく。
302 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:06:05.87 ID:TfGKSIcbo
 限界を迎えているのは、口腔のキャパシティだけではなかった。
開口を支える顎も辛いが、それ以上に舌の困憊が著しい。
力が、入らなくなってゆく。
対する澪の舌は、律の舌から力が抜けても遠慮などしてくれなかった。
寧ろ、束縛から解き離れたとばかりに、律の口腔内で暴れ回っている。
澪の長い舌の先端が、律の口内のあらゆる箇所を這っていった。
喉の奥も、歯の裏側も、頬の粘膜も、侵略する澪の舌先に嬲られてゆく。
山下公園では眼孔を犯された。それと同じ舌に、今は口腔を犯されていた。

 舌で律の口内を何度も何度も激しく往復して澪も疲れたのか、或いは満足したのか。
炭酸飲料の缶のプルタブを起こしたような音とともに二人の唇が離れ、
律は漸く解放された。

「Sweet, 甘かった、そして旨かったぞ。
中も外も、体全体がフルーツみたいな奴だな」

 感想を漏らした澪は、まだ律を貪り足りないとばかりに、首元に顔を埋めてきた。

「やぁっ、此処でそんなに激しくされると、恥ずかしいよ。
カーテン降ろしてから続きしよ?」

 覗き見られる恐れのない高層階だと分かっているものの、
外の景色を明瞭に透過する窓の手前では羞恥が湧く。
況してや、律の身体を収めて余りあるフィックスウィンドウなのだ。

「何を私に指図しているんだ?私は恥ずかしがるなんて勿体ないと言った。
だから見せ付けて平伏させてやると宣言したはずだ」

「痛ぁっ」

 澪に乳首を強く抓られて、律は激痛のままに叫び声を上げていた。
瞳には涙が滲み、視界の端を霞ませる。
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:07:16.33 ID:TfGKSIcbo
「気持ちよさそうに、そして嬉しそうに痛がるよな。ドマゾが。
ほら、皆に見てもらおうな。今日は何度も、痴態を見せ付けていたはずだ。
もう戻れないんだよ、お前は」

 澪は再び律の両肩を掴むと、力のままに律の身を反転させた。
律の視界は百八十度回転した後、外界の夜景へと向く。
ウィンドウ越しに見下ろす街の光が、
律の身体を下方からライトアップさせているようだった。

「やっやぁっ」

「逃げるな」

 顔を逸らし身体も捩じらせた律に、澪が一喝を浴びせた。
動きを止めた律の臀部に、澪の足が乗る。
そのまま蹴り出されるように足で圧され、
律の身体はフィックスウィンドウに押し付けられた。
直に後ろから圧力の掛かる下腹部を中心にして、膝も腿も胸部も窓に貼り付く。
顔だけは後ろに逸らして、窓への密着を避ける事ができた。

「こんなの、駄目っ。おかしーしっ」

 律は両手で窓を押しながら、背面の澪の力に抗する。
割れないだろうと思っていても、恐れが先行して手に力は込められない。
尤も、力一杯押した所で、澪の力には敵うまい。

「おい、その手はなんだ?反抗的だな。
両手は水平に伸ばせ。大さん橋で練習しただろう?」

 澪は命じながら、足に込める力を増してきた。
律の臀部が強く強く圧されて、ウィンドウとの間で挟まれた下腹部が重みに軋む。
恥丘も堆さが災いしてか、拉げそうな程に痛い。
304 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:08:18.64 ID:TfGKSIcbo
「そんなに力を入れて、割れても知らないぞ?
大人しくしろよ」

 澪が忠告するように言うが、律の力よりも当の澪の込める力の方が遥かに強い。
割れて落下するのならば、澪がトリガーとなるだろう。

「分かった、するから。あまり押さないで」

 律は澪に従って、両手を水平に伸ばした。
今日、タイタニックの名シーンを模して、大さん橋の先端でそうしたように。
劇中のローズもまた、海に落下するリスクを負っていた。
彼女がジャックを信じたように、自分も澪を信じるしかない。

「実際、どうなんだろうな?
肉眼では、地上からお前の顔までは見えないだろう。
でも、もしかしたら、裸の痴女が居るぐらい、朧気に分かるかもな?
そして、高性能なレンズで覗かれたり録られたりして」

 痛みと恐怖と羞恥に耐える律とは対照的に、茶化す澪の声は愉快そうだった。

「朧気でもそんなん分かる訳ないしっ。
高性能なレンズだって、都合よく持ってる人きっと居ないもん」

 律は精一杯に強がってみせた。
だが、恥じらいに染まった顔の色は見られずとも、異様に熱い耳の色だけは隠しようもない。

「なら、飛んで降りてみるか。
そうしたら、綺麗なお前の身体を見せ付けられるもんな?
中身まで出しちゃったりして?ほら、GO!」

 掛け声とともに、勢いよく澪が恐ろしい程の力を脚に込めた。
凄まじい衝撃が律の臀部から下腹部へと突き抜ける。
マットを地に叩き付けたような鈍い音が室内に響き、
律の身を受けるフィックスウィンドウが撓んだ。
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:09:16.19 ID:TfGKSIcbo
「痛っひゃんっ」

 痛みと恐怖で、律の口から発作のように声が飛び出た。
それだけ澪の加えた力は並ならぬものがあった。

「なんて、な。素直に、もっと低く、目視できる位置から晒したほうが良いよな。
それも、赤の他人より先に、身近な人間からお披露目していく方がいいか。
律には見返したい奴も居るみたいだしな」

 澪は唯の事を言っているらしいが、今の律は唯よりも眼下の景色に心を奪われている。
夜景の美しさには入室した時から既に見惚れているが、
今は単純に高さ故の戦慄と興奮を味わっていた。
背を向けていた時は見えなかった地上が、斜傾の視座ではあるが遥か下方に見えている。

 窓が邪魔して身を乗り出せず、直下の底は見えない。
だが、命懸けの磔刑に処されている律にとっては、この窓こそが命綱でもある。

「どうしたんだ?そんなに見入って。
この街がそんなに気に入ったのか?」

 律は澪の声を、赤みの消えない耳朶に受け止める。
澪は慄いて逸らせない律の視線を、憧憬の眼差しと解したらしい。

「うん。綺麗な夜景だよね。この街で、いい思い出だってできたし」

 律はランドマークタワーより見下ろす横浜の夜景を目に焼き付けながら言う。
この景色の中に今日、自分達は間違いなく居たのだ。
そう思うと、『怖い』程度の感情など押し殺して、
自然と澪の意見を肯んずる応答ができた。

「気に入ったのなら、また連れて来てやるよ。
ああでも、この地は妥協だったな。
本命の香港にだって、連れて行ってやるよ。百万ドルの、世界三大夜景の筆頭だ。
楽しみにしておけ」
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:10:13.35 ID:TfGKSIcbo
「また無理させちゃうんじゃない?」

 そう言いつつも、期待している自分が居た。

「言ったろ?お前は財布の心配をするなって。
甲斐性なしだと思われたくないからな。
お前に良い景色を見せる為なら、どこまでも頑張るさ。
そう思って私は、今まで自分を鍛えてきた。
報われる時が来たって気分だよ」

「じゃあ、新婚旅行は香港で決まりだね
あのチャイナドレスを着ていくね」

 そうなると、明日、唯達に彼氏たる澪からのプレゼントだと自慢した後、
大切に仕舞っておかねばなるまい。

「卒業旅行もまだなのに、新婚旅行とは気が早いな。
結婚するまでに、香港くらいなら行ってしまうかもな。
新婚旅行の行き先は結婚する時に考えればいいさ。
でも、式場の理想くらいは、今のうちに決めておいてもいいかもな。
目指すゴールとして頑張れるよ」

 気が早いのはお互い様らしい。

「澪だって、待ち切れないくせに。
ね、ね。あの式場なんてどう?観覧車から見たでしょ?
コスモワールドの脇にある、お城みたいな式場」

 ここから見下ろすその式場は、観覧車から見下ろした時よりも遥かに小さく見える。
それでも澪との挙式を想像するに翳りはない。
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:11:10.38 ID:TfGKSIcbo
「そこも気にしていたっけな。確かに悪くはないだろうな。
でも、結婚式だから式場なんて枠に囚われず、
もっと忘れられない場所の方がいいだろ?
何かの競技場を貸し切るとかな」

 ここからも、南東の方角に横浜スタジアムらしき施設が朧気に見えている。
当然、競技場と聞いて律が思い付くのも、横浜スタジアムからの連想となった。

「競技場って、球場とか?
あっ。武道館もいいかもね」

 視界にある球場の次には、日常にある風景から連想が湧いた。
部室のホワイトボードで犇めき合う落書きや自由な願い事の中で、
一際大きく書かれている文字が律の脳裏に蘇ってくる。
『目指せ武道館』と。

「武道館は、私達の、HTTの目標だからな。
二人の目標とは切り離してみないか?」

 同じ部活動の仲間であり、バンドの仲間でもある彼女達とは別に、
自分達二人だけの目標を持とうと澪は誘っている。
これも、澪と付き合う事で訪れる変化の一つなのだろう。
友人達を澪と同列に遇してはおけない。

「うん。でも、式に招待はするからね。唯とか呼ばないと煩いだろうし」

「ああ、律の真っ白なウェディングドレスも見せてやらないとな。
向日葵のような黄色の似合うお前だけど、式の日は白だって似合うと証明できるはずだよ」

「澪の王子様の姿も、見せてあげないとね。きっと格好いいんだから。
競技場かぁ。それなら、三百六十度から、私達を見せられるね。
でも、結婚式みたいな、スポーツ以外の目的で貸し切れるのかな?」
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:12:18.88 ID:TfGKSIcbo
 スポーツ選手が浴びるであろう歓声を、自分達も浴びるのだと思うと夢が膨らんだ。
他の者が相手なら夢で終わる話だろうが、澪が相手だと現実味さえ帯びてくる。
澪は夢を見せてくれる人間ではなく、夢を現実に変えてくれる人間なのだから。
積年の夢だった彼氏も、誕生日の今日、手にする事ができたように。

「オフシーズンなら、可能みたいだぞ。
勿論、運営サイドのフィロソフィーやポリシーとかにも依るだろうけどな。
前にテレビで見たけど、実際に競技場を貸し切って挙式した例が紹介されてた。
かなり有名なスタジアムの割に、オフシーズンだからか、かなり安かったぞ」

「そうなの?前から、目を付けていたんだね。
私てっきり、横浜スタジアムを見て思い付いたんだと思っちゃったよ」

 律の後方から、澪の吹き出す声が聞こえてくる。
笑っても脚に込める力を緩めない辺り、澪の嗜虐心も大したものだった。

「ふふっ、鋭いじゃないか。流石は私に惚れているだけあるな。よく心得ているよ。
ああ、そうだ。
実際に、とあるスタジアムで結婚式を行った報にはテレビで接したさ。
でも、その事を思い出したのはお前の言う通り。
あの横浜スタジアムを見たから、だよ。
まぁ、国内の球場じゃなくて、海外のサッカースタジアムの例だったけどな」

 澪の思考に沿えた事が嬉しくて、律は声を弾ませて問うた。
もっと、澪に近付きたい。

「えへへ、凄いでしょ。
でも、澪に惚れていても、分からない事だって、まだまだいっぱいあるよ。
だから教えて。
何処の何という名のスタジアムだったの?澪も、そこで式を挙げたいの?」
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:13:20.29 ID:TfGKSIcbo
「ニュースで観たのは、スペインのカタルーニャ州バルセロナのカンプ・ノウだけどな。
でも、私が挙げたいのはそこじゃない」

 澪の答えに律は驚きを禁じ得なかった。
サッカーなど所謂『ニワカ』と呼ばれる知識しか持ち合わせていない律でも、
その名前くらいなら知っている。

「わぁ、あんな大きな所で結婚式なんてできるんだね」

「逆に大き過ぎて、維持費だけでも膨大だからな。
だからヨーロッパのスタジアムってオフシーズンはサッカー以外にも積極的に貸して、
稼動日を極力高めようとしているらしい」

 澪の説明を聞いて、日本のホテルと似たようなシステムなのだと律は理解した。
それはミクロ経済学で云う、
損益分岐点と操業停止点の話と似たようなものだ。
維持費や建物の償却費は固定費として蓄積され、
損益計算書の数値を悪化させる一方である。
ならば、廉価でも営業を続ける事で、固定費の一部でも回収した方が経済的というものだ。

「確かにね。でも、まさかスタジアムで結婚式なんて発想はなかったよ。
それで。澪は何処で結婚式を挙げたいの?
んーん、何処で私との結婚式を挙げてくれるの?」

 今は横浜の夜景を映している律の目に、
澪はどのような景色を見せようとしてくれているのか。

「分からないか?同じスペインの首都の方にあるだろう?
ウェディングドレスの白、その白色が最も映えるスタジアムが」

 思い当たった律は、指示されている姿勢を崩しそうになった。
慌てて下がりかけた手を水平に伸ばし、浮きかけた恥丘も窓に押し付け直す。
そうして姿勢を保ってから、律は息せき切って言葉を紡ぐ。
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:14:20.60 ID:TfGKSIcbo
「サンチャゴ・ベルナベウ……ッ……」

 後方で頷く澪が見えるようだった。

「そうだ。そこで律を祝福したいと思っているよ。
お前は、どうだ?気に入ってくれるか?想像して、答えてご覧?律」

 問い掛ける澪に呼応して、律は瞳を閉じた。
横浜の夜景の映像が消え、
変わって巨大なスタジアムのピッチに立つ自分の姿が浮かんでくる。
四方八方から降り注ぐは、律に向けた祝詞の大合唱だった。
シーズン中ならば、
ゴールキーパーと白いユニフォームを纏う十人のフィールドプレーヤに、
この天をも揺るがす声援が送られているのだろう。
律の衣装も白色だが、纏うはユニフォームではない。ドレスだ。
祝詞の声に耳を傾ければ、彼等彼女達が放つ言葉の内容までも聞こえてくる。

『アシ!アシ!アシガナ・エル・リッチャン!アシガナ・エル・リツミオ!』

 律はゆっくりと目を開ける。
サンチャゴ・ベルナベウの映像は消え、代わりに横浜の夜景が視界に復した。
だが、今見たいのは、景色ではない。澪の顔だ。
餓えるように澪を思いながら、律は答える。

「私だって、気に入っちゃうよ。私をベルナベウに連れて行って欲しい。
白いウェディングドレスを着て、格好良い澪と二人、皆から祝福されたい。
ねぇ、澪。お願い、顔を見させて?」

「いいだろう、律。式場は決まりだな」

 澪が答えた直後、律の臀部を圧していた力が消えた。
澪が脚を退けたのだ、と理解した直後、律の股下に澪の左手が回ってきていた。
311 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:15:18.77 ID:TfGKSIcbo
「えっ」

「ああ、もう手は下ろしていいぞ。立たなくてもいい。
ベッドまで連れて行ってやるよ」

 言いながらも澪は動いている。
澪の右腕が背面から律の右脇を通って、そのまま律の胸部に回ってきた。
律の胸の上を進む澪の右腕は、律の左脇に指先を食い込ませた所で動きを止める。
そして澪は、律の胸部を囲い込んだ右腕を強く締めた。
律の胸部を圧する程に、強く、強く。

「苦しいか?」

 気遣うように、澪が耳元で囁く。
律は首を横に降った。
苦しくとも痛くとも、澪に強く抱きしめられる事は苦痛ではない。

「大丈夫」

「なら、上げるぞ」

 澪は律の胸部を囲って締める右腕と、股を下から握るように掴む左手で、
律の身体を持ち上げた。
その体勢で律を浮かせたまま、澪はベッドへ向けて歩みを進める。

「重いでしょ?澪の方こそ、無理しないでね」

 澪にとっては無用の気遣いだろうが、
律の方が何かを話していないと沸騰してしまいそうだった。
気を散らしていないと、
直に触られたデリケートな場所へと意識がどうしても向いてしまう。
312 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:16:04.00 ID:TfGKSIcbo
「いーや、重くはない。重くはないが……ちょっといいか」

 澪は言葉を濁して足の進路を変えた。
ベッドへと直行するルートから僅かに逸れ、先ほど澪が座っていた椅子の前で止まる。

「重くはないのだがな。下の生暖かい局所が、ぬるぬるして滑っちゃいそうになるな」

「なっ。しょうがないじゃんかぁ。大体、みぃおが虐めた所為でもあるんだからね」

「虐められて、こんなになっちゃうのか?お前ってつくづく真性だよな。
ちょっと待ってな。掴みづらいから、滑り止めを使わないとな」

 律を下ろした澪は、左手を律の股から離した。
その左手に、何かを持ったらしい。
変わらず胸部を拘束されたままで振り返れない律は、気配から澪の動向を察する。

「ちょっと痛いかもしれないけど、いや、痛くない訳がないんだけど。
お前って虐められて喜ぶド真性だから、このくらいならご褒美だよな?」

 律が訝しむ暇を持てたのも束の間、直後には鋭い痛みが局部に走っていた。
堪らず律は片目を閉じて、口から悲鳴に似た叫びを漏らした。

「痛ぁっ」

 澪の左手が、再び律の股へと回ってきているのは理解できる。
だが、局所に走る針で刺されたような痛みの正体までは掴めず、
ただ息を荒げて耐える事しかできない。

「この程度で喘ぐなよ。お楽しみは此処からだぞ」

 恐ろしい事を抑揚のない単調な声調で言ってのけた澪が、再び律を持ち上げた。
局部を劈く痛みはいよいよ鋭さを増して、律を苛む。
真冬に身体の末端へと氷水を当てられたような、鋭利な痛みだ。
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:17:09.45 ID:TfGKSIcbo
「降りるか?自分の足で歩くか?」

 耐える律の苦痛が甚大なるを察してか、澪が問い掛けてきた。
律は脂汗を額に滲ませながらも、首を振って返す。

「だって、初夜でしょう?痛いのは、覚悟してるよ。
だから、澪が、褥まで運んでよ」

 痛みに喘ぐ呼気が邪魔をして断続的な発言となったが、言い切る事ができた。
ねだる事が、できた。

「既に覚悟済みか。なら、もうちょっと辛抱するんだ。
そうだよな、ベッドに着いた後、もっと痛いのに耐えなきゃいけなくなるもんな」

 愉しそうに宣告する澪は髄からのサディストなのだと、律も思い知る。
それを悟ってなお期待してしまう自分もまた、
病的なマゾヒストなのだと自覚せざるを得ない。

「お待ちかね。褥に到着だよ、My Fair Lady.
いや、My Fiancee」

 ベッドに辿り着いた澪は、抱えた律ごとマットレスに倒れ込んだ。
瞬間、コイルが音を立てて縮み、二人の身体の形状に合わせてマットレスが沈む。
律が初夜を迎えるベッドのシーツは、赤を零せば目立ちそうな純白だった。
式場に続き、今宵は律に白が付いて回っている。染まり易い色だ。
では、この白を、澪は何色に染めてくれるのだろうか。

「律。私の顔を見たいと言っていたな。
私も同じだ。お前の顔が見たかった。
体勢が変わったから、存分に見せ合えるな」

 顔を寄せた澪が耳元で囁く。
律も澪の顔を見たかったはずなのに、一目見て逸らしてしまった。
息のかかる距離では正視できない。
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:18:10.15 ID:TfGKSIcbo
 律が目を逸らした先に、澪の左手があった。
その手には、白いバラが握られている。
局部を刺していた痛みの正体が、今分かった。

「ああ、そうか。バラの棘を、滑り止めに使っていたんだね」

 そういえば、バスルームから出た律をベッドルームの椅子に座って迎えた澪は、
白いバラを手にしていた。
そして立ち上がって律に向かって来る際、椅子へと投げ捨てている。
このバラを回収して滑り止めの用途で用いる為に、椅子へと寄り道したらしい。

──ロサ・ブランコ

 強靭かつ高貴で気高いこの白いバラの特性を、律は思い返す。

 非常に硬い茎に有した鋭利な棘は、ダンボールさえも容易に貫いてしまう。
柔肌で棘に触れようものなら、一溜まりもなく皮膚を切り裂いて流血に至る。
花弁も強靭であり、生半可に力を加えても形が崩れる事はない。
花弁の白色は多色に馴染み易く、浸す染料の色を忠実に映す。

 そして花言葉は『道無き道』。
鋭い棘々の屹立する険しき茎を登れる者だけが、美しく香り高い花弁に辿り着ける。
転じて、掲げたる高き目標に向かい、
困難でも怯まずに立ち向かって行く勇士を称揚するモチーフとしても名高い種だった。

「ああ。この棘が、私の手とお前の生殖器を繋ぎ留めてくれていたよ。
お蔭で、お前を落とさずに済んだ」

 澪が鮮血に塗れた左手を翳しながら言った。
律の視線も連れて動く。

 律の股の柔らかい粘膜を切り裂いた出血のみが、澪の手を赤く濡らしているのではない。
止まぬ血の流れが、律にも教えている。
澪の左手自身もまた、ロサ・ブランコの鋭い棘に皮膚を破られているのだ。
そもそもがロサ・ブランコの茎を素手で握って、無事で済む訳もない。
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:19:06.63 ID:TfGKSIcbo
「澪も無理するんだから。指は大事にしてよ。
ベーシストなんだから。しかもピック弾く方の手だし」

「いいんじゃないか?
律の血を初めに受けるなら、ピックを預ける方の手指が適していると思うぞ。
コーサ・ノストラの入会の儀式でも、銃を持つ方の手を差し出すらしいからな。
初めての儀式では商売道具を扱う方の手こそが、血で濡らすに相応しいんだよ」

 澪は律の顔を覗き込みながら言った。
律も澪を見返して言う。

「私も大事な所の血を差し出したけど、澪も大事な所の血で応えてくれたんだね」

「ああ。そうして私達の血が混ざり合った。
互いの傷口から、相手の血が入っただろうしな」

「私の血と澪の血が、混ざっちゃったんだぁ」

 律は夢見心地で呟く。
澪の血液が自分の血管を流れ、律の血液が澪の血管を流れている。
考えれば考える程に、互いの距離が近づいたと感じられた。
澪の血液に自分の身体の隅々を内部から犯されている気にさえなる。

「さて、律」

 呼び掛けた澪は、ロサ・ブランコの花弁で律の生殖器を軽く一度だけ撫でた。
そしてその花弁が、澪の手を以って律の眼前へと翳される。
染まり易いこの薔薇は、早くも花弁の一部を律の血で鮮やかな赤色へと変えていた。

 澪は律の注意を花弁へと引き付けてから、言葉を続けた。

「お前から流れるルビーを溶かしたような赤で、このロサ・ブランコを真っ赤に変えたい。
もっと滂沱のような血が必要になって、お前を傷物にしちゃうけど、いいよな?」

 意地悪な問いだと、律は思う。
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:20:04.78 ID:TfGKSIcbo
「駄目って言ってもやっちゃうくせに。
それに、嫌だなんて言わないって分かってるくせに」

 澪が律に何をしようとも、律はもう拒めないのだ。

「律には隠し事ができないな」

 律の答えに満足したらしく、澪が笑んだ。
そして顔を引き寄せ、耳元で囁く。

「明かりも消さないぞ。赤裸々だ。それと、明日。唯達に私達の事を、紹介するからな。
ただ言うだけだなんて、思うなよ?
私の事を散々焦らして、梃子摺らせた罰だ。
思いっ切りラディカルに、心ゆくまで残酷に、紹介してやる」

 意気込む澪から漂うは、
待ち望んでいた罰をやっと与えられる復讐者のような危うさだった。
その暴力的な感情を一身に受けても、律は怖じていない。寧ろ、逆だ。

「もう、澪ったら暴君なんだから。
それでね、My Tyrant,
どうやって、紹介するの?
私もただ澪の傍らで紹介されるのを待つだけじゃないんでしょう?」

 血と熱に陰唇を滾らせながら、律は問うた。

「分かっているじゃないか、
指示を仰ぐなんて、スレイブとしての自覚をちゃんと備えているようだな。
勿論指示はあるし、手解くよ。
自由からの逃走を果たしたお前に対する、お前の独裁者としての務めだ」

 澪は堂々たる態度で宣した後、溜息の湿る淫靡な声で付け足した。

「でもさ、細かい手順はお前を貪りながらのお話だ。
もう、我慢できそうにもない」
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:20:47.91 ID:TfGKSIcbo
「いいよ、召し上がれ。
私だって、焦らされちゃって、我慢できないし。
だから、私の身体を傷付けて、薔薇を赤く染めながら、どうすれば良いのか教えてよ」

 律も澪と同じ思いだった。早く、澪が欲しい。

「応えてやる。
でもその前に。明日、最終的にお前をどうするのかだけ、教えてやる。
お前も自分がどうなってしまうのか、気になるだろ?」

「うん。私をどうするの?私はどうなっちゃうの?」

 律は素直に頷いた。
細かい手順は後に回してでも今を愉しみたいが、
澪が自分をどう扱う積もりなのかだけは気になっていた。

 澪は律の頭を両手で掴み、瞳を覗き込みながら毅然と宣した。
曰く──

「裸に剥いて磔刑に処して、衆目に晒してやる」

 血と痛みの引かない律の性器が、熱を持った粘性の液体で濡れた。
明日が楽しみで我慢できない。

 澪の重みが、律へと伸し掛かってきた。
そうだ、今宵は、今を愉しもう。
律は明日への期待を心に仕舞い、澪を受け入れた。

*

318 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/19(金) 21:22:01.54 ID:TfGKSIcbo
>>274-317
本日はここまでです。
次回の投稿で最終回となります。
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:11:22.86 ID:RygLztCIo
今晩は。
律の誕生日となりました。
では、>>317の続き、最終回を始めましょう。
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:11:57.04 ID:RygLztCIo

*

17章

 昨夜は無茶が過ぎた。
後悔はしていないが、階段を一段上がる度に股に響いて難儀する。
それでも登校途中同様、律は腰部を支えられて部室の前まで辿り着いた。

 部室の扉の前で耳を澄ませば、唯達の声が聞こえてくる。
今日の部活の開始から二時間近く経っているはずなのに、練習している素振りもない。
自分と澪が見せた昨日のデートの話で盛り上がっているのだろうと、律は察した。
そうして時間を潰しながら、律に根掘り葉掘り訊ける時を心待ちにしているのだ。

 律は入室前にと今一度、自分の身体を眺め下ろした。
昨日と同じく、身に纏うチャイナドレスの下には下着など着けていない。
腕の輪も腿の輪も変わらず着けたままだが、一点、胸部だけは装いが異なっていた。
花弁を鮮紅に染めたバラが、律の胸に刺さっているのだ。

 このドレスの胸部に設えられた菱形の開きは、胸の谷間を露出させる仕様になっている。
殊に律の場合、ドレスが胸囲に比して小さめのサイズでオーダーされている為、
両の乳房が圧し合い菱形の中心部へと筋を走らせていた。
その圧力の中心部である筋へと捩じ込まれているのが、
昨夜に用いたロサ・ブランコの強靭な茎だった。
律の生命を削るような激しい一夜によって、
白かった花弁も奥にまで赤色が染み渡っている。
今も棘は肉を抉るように乳房の谷に刺さり、
押し合う圧力と相俟ってバラを固定する楔となっていた。
花弁からなのか棘からなのか、直上の鼻へと漂ってくる血の匂いが生々しい。

「先、行ってるね」

 言い置いて、律は扉のノブに手を掛ける。
そしてノックを三回連ねてから、一人で部室へと足を踏み入れた。
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:13:18.41 ID:RygLztCIo
「おっはよ。遅れちゃって、ごめんね」

 入った瞬間に視線を注いできた三人へと、挨拶と謝罪を口にしながら近付く。
律が察していた通り、三人は部室の奥、
ティータイム用の席で茶話の途中だったらしい。
律は席には加わらず、テーブルの傍らに立ち止まる。

「りっちゃん、おっはよ。まさかお家に寄らず、直行して来たの?
お疲れみたいだし、休んじゃっても良かったのにー」

 茶化す類の笑みを浮かべて、唯が口火を切った。
唯の言う通り、家には寄らず、ホテルから直行して来ている。
昨日の逢瀬と同じ服装なのだから、そこは見通されて当然だろう。
疲労も唯の言う通りである。だが、休むという発想は頭になかった。

「そうもいかないよ。今日は皆に大事なお話があるんだから」

「ええ、昨日はごめんなさいね。その、約束を破っちゃって」

 紬が心底から申し訳無さそうに目を伏せて詫びる。
律の言う大事な話が、違約を原因とする深刻な宣言にならないか、
危惧しているのかもしれない。

「大丈夫、あの時はちょっと怒りっちゃんだったけど、今はもう怒ってないよ。
私の方こそ、ごめんね。皆に、隠し事をしちゃってて」
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:14:16.17 ID:RygLztCIo
「あっ、いえ。約束を破ったのは私達なんですから、律先輩が謝る事ではないですよ。
あっ、律先輩も立ってないで、座ったらどうですか?」

 梓が席を勧めてくれたが、人を待たせて寛ぐ訳にもいくまい。

「いーの、いーの。お話があるって、言ったでしょ?
座ったままじゃ難しいと思うし」

「昨晩のin out, in outに付いて、ジェスチャー交えながらお話してくれるの?
あっ、分かっちゃったかも。危険日だからって張り切り過ぎて、
座れないほど腰とか痛くなっちゃったのかな?
あーあ、こりゃ当たっちゃったかもよー?
ガルバン兼ママさんバンドって、りっちゃんたらロックなんだからー。Oh, Oh, Oh!」

 そう言う唯が、身振りを交えている。
椅子の座面を跨いで座り、腰を上下に振って跳ねていた。
幼い子の行為ならば乗馬ごっこに見えるだろう。
だが、唯は性交を卑俗なやり方で喩えているに過ぎない。
紬も唯の品のなさには呆れているらしく、眉を潜め無言で咎めていた。

「唯先輩、止めて下さい。いくら女だけの場所とはいえ、下品ですって。
でも実際、大丈夫ですよね?
仮に、その、事に及んだとしても、その辺はちゃんと気遣ってくれましたよね?」

 梓は唯に抗議した後で、律に向かって言い難そうに付け足していた。
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:15:46.69 ID:RygLztCIo
「もー、あずにゃんったら、にゃん被っちゃって。
ぶってないで、もっとダイレクトに聞いちゃいなよ。
ヤったにしても、避妊はちゃんとしたのかって、そう聞きたいんでしょ?」

 唯は焦れたように梓へと苦言を呈してから、律を眇めて言い足す。

「まー、ゴムやピルの有無は分かんないけどさ。ヤるにはヤったんでしょ?
りっちゃんの胸にバラを挿したのだって、どうせサング君の指示でしょ?
大体、昨日だって私達の目の前で、りっちゃんを嬲りものにしてたじゃん?
そんなドエスが、こんなにエッチな格好してるりっちゃんを見て、
ヤらず帰すなんて有り得ないでしょ」

「まぁ、あれは確かに、真性のサディストだなって思いましたけど。
こんな色っぽい格好してる律先輩を、あんなに高々と掲げちゃって。
剰え自分の顔面に、あんな事を」

 梓はコスモワールドでのサングの振舞いを思い起こしたらしく、苦い表情になった。
ここは恋人として擁護しておく必要があるだろう。
梓にとっても、尊敬すべき部活の先輩がその正体であるのだから、尚の事だ。

「だからサドな一面もあるって言ったでしょ?
でもね、良い所だって沢山あるんだよ?
このチャイナドレスだって、彼からのプレゼントだし」

「ああ、それ、彼氏さんからのプレゼントなのね。
似合ってるわよ。昨日も見惚れちゃった」

 紬が両手を合わせながら言う。

「そうそう。それ、気になってたんだよね。ブラもショーツも履いてないでしょ?
その下って、丸出しだよね?」

 唯が息せき切って食い付いてきた。
紬とは違って、性的な話に対してまるで抵抗を見せていない。
今日の唯はいつにも増して、本能が剥き出されている。
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:16:45.33 ID:RygLztCIo
「うん。チャイナドレスって、下着を付けずに履くものだって、彼が言うから。
もしかして、匂っちゃってたりする?するよね?」

 律が上目で問うと、三人は顔を見合わせた。
その仕草で律は確信を深める。匂っているのだ、と。

「あっ、匂っているって言っても、不快な匂いじゃないわよ?
何ていうのかしら、甘いっていうか、甘酸っぱいっていうか、
何かこう、嗅いでいて私の方まで変な気分を醸されちゃう香りっていうか……。
やだ私、何を言っているの」

 自分達の仕草が肯定の答えとなってしまったと、紬も悟ったらしかった。
慌てて言い繕っている。
だが、自分の言いたい事を上手く言語化できず、
話している内に動揺して頬を赤らめてしまった。

 見かねたらしい唯が、律の恥丘を指差しながら溜息混じりに言う。

「ムギちゃんはね、其処からのフェロモンが凄いって言いたいみたいだよ。
まーね、そういう匂いだったらプンプン漂ってるよ。
やった後にシャワーを行水程度にしか浴びていないとか、
ここに来る途中の炎天で汗が滲んで蒸れちゃったとか、
後は興奮して濡れちゃったとか、そんな感じじゃないの?」

 紬は唯の訳で概ね間違いないらしく、代弁してくれた唯に小さく頭を下げている。
ただ、代弁は発言の冒頭のみで、後は唯の推測だった。
だが律にしても、その推理に異を唱える積もりはない。その全てが正解だからだ。

「もー、唯ったら、変な話になると多弁なんだから。
それで、そろそろいいかな。大事な話があるって言ったでしょ?
その件なんだけど」

 あまり待たせたから、そろそろ立腹しているかもしれない。
唯のペースに乗せられて、意図せず話が長引いてしまっている。
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:17:51.82 ID:RygLztCIo
「あ、待ってください。澪先輩がまだ来てませんよ?
そろそろ来るはずなんですけど」

 今度は梓が手を挙げて制した。
律も澪も、ライントークで部員を登録したグループへと、遅刻する旨を投稿している。
送信するタイミングのみ二人の間隔を空けたものの、
部活の開始時刻に二時間程度遅れる、という遅刻の時間帯は同じだった。

 遅刻する羽目になったのは、起きる時間が想定よりも遅れてしまったからに他ならない。
その為、チェックアウトの前にゆっくりシャワーを浴びる余裕もなかった。
昨夜の消耗が激しかった所為で、寝過ごしてしまったのだ。

「澪ちゃんからも通知着てたけど、そろそろ来る時間のはずだよね。
大事な話があるなら、澪ちゃんが来てからにすれば?」

「そうね。りっちゃんがどんな内容の話をするのか、分からないけれど。
澪ちゃんが居ても問題ない話なら、揃うまで待つべきだと思うわ」

 唯も紬も、梓に同調した。
澪が昨日の逢瀬に顔を出さなかったことを、彼女達は気にしているらしい。
この上で仲間外れのような扱いをしたくないのだろう。

「いーの、いーの。澪はもう承知済みだよ。
だから今度は皆に、っていう訳」

 律の言葉に、三人は再び顔を見合わせた。

「まぁ、澪先輩が本当に承知しているのなら、
聞いてみるのも悪くないんでしょうね」

「うーん、どうせすぐ来るんだし、待ってもいいと思うけど。
でも澪ちゃんがどうせ知っている話なら、待つまでもないのかもね」

 梓と唯が、誰にともなく独り言のように呟く。
決断には至らずとも、澪を待たずに聞いてしまうという方向に傾いているらしい。
自然、決定は紬に委ねられる格好となる。
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:18:57.78 ID:RygLztCIo
「それって、どんなお話なの?
昨日の話、って訳じゃないのでしょう?」

 紬は少しの間考える素振りを見せた後、律の瞳を見据えながら言った。
警戒しているのか、表情が硬い。
昨日の話ならば澪だけが知っている状況は不自然であり、
また、昨日以外の話ならば何も無理に今日を選んで話す必然もない。

 ただ、その疑問は勿論、律の彼氏の正体を知らないからこそ湧き出るものだろう。

「昨日の話だよ。
皆、私の彼氏の顔とかパーソナリティとか、気になってたでしょ?
会わせてあげるね。紹介しちゃうから」

 昨日、褥の上で澪から指南された通りに律は言った。
瞬間、三人の顔へと一様に驚きが広がる。

「えっ?彼氏に、ですか?
そりゃ見たかったですけど、会うとなると考えますよ。
というか、やっぱり澪先輩は、律先輩の彼氏に付いて知っていたんですか?」

 真っ先に声を取り戻したのは梓だった。
思い付くままといった様子ではあるが、言葉を矢継ぎ早に放っている。

「会わせてくれるの?急にどういう風の吹き回し?
あんなに頑なだったじゃん。で、澪ちゃんだけは別途誘って、断られてるの?
それで、具体的に紹介してくれるのっていつ頃になりそう?」

 唯も梓同様、言葉を矢継ぎ早に連ねてきていた。
ただ、即断を避けた梓とは違い、律の恋人に会う事は既に決定しているらしい。
それが当初の唯の要求でもあった。
その所為か、急に態度を豹変させた律に不審を抱きつつも、
律の提案に留保を付ける事はしなかった。
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:19:53.18 ID:RygLztCIo
「あの素敵な彼氏さん、紹介してくれるの?
楽しみね。りっちゃんを幸せにしてくれるよう、頼まなきゃいけないわね。
そうだ、澪ちゃんにも会ってもらいましょう?
澪ちゃんは意地になってるかもしれないけど、
きっとりっちゃんの幸せを願っているはずだから。
安心させてあげましょうね。澪ちゃんの説得は私も手伝うから」

 紬は警戒から一転、瞳を輝かせていた。
落ち着いた所作を見せている紬も、恋愛への好奇心と興味は唯に勝るとも劣らない。
また、律は既に澪を誘ったが断られてしまった、
という話も脳内で補完しているらしかった。

「澪ちゃんの説得から入るの?
じゃ、りっちゃんが紹介してくれるの、かなり後になっちゃうかもね。
澪ちゃんたら、頑なだから。先に私達から会っちゃわない?
澪ちゃんにも会ってもらうよう説得するのは、その後にしようよ」

 紬の提案に、唯が異を唱えた。
無用の議論へと発展してしまう前に、律は口を開く。
いつ会うのか、その日その時はもう既に決まっているのだから。

「タイミングは問題にならないよ。だって紹介するのは今からだし。
ほらもう、部室の前に待たせてあるよ」

 律の言葉に、唯達三人の視線が一斉に扉へと向く。
振り向く際の彼女達の表情には、驚愕と半信半疑が入り混じって浮かんでいた。
一方の律は、彼女達と同じ方向に視線を送っていなかった。

 律が見つめる先は、唯が座る席の斜め後方にある窓だった。
部室を扉から入って直線上に設えられているこの窓だけが、他の窓とは構造が違っている。
以前は他の窓と同じく、奥へスライドする方式の小窓が六つ装着されていた。
だが、行政より消防法を根拠とする指摘が入ったらしい。
曰く、この構造の立地及び空間に於いては、
扉とは別に避難可能な出口を用意する必要がある、と。
近年の本邦を襲った相次ぐ災害の所為か、チェックも法規も厳しくなったのだ。
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:20:41.78 ID:RygLztCIo
 そこで、窓の一つを人が通れるよう、
六つあった小窓を一つの窓に統合して、片開き窓とした経緯がある。
緊急時にはここから救助袋を降ろして避難する、という構造となった。
この避難用の出口の周辺に物を置いては法規違反となる為、
予め家具・調度類が側に置かれてない窓が選定の規準となったらしい。

 それが、律が今見つめている、この窓だ。
避難用である事の表れで、足元には赤いビニールテープで縁取られている。
この範囲内に物を置いてはいけないというサインだった。

 この窓なら、運動場に居る者からも見える事だろう。
噴水のある正門の方向は人が少なかったが、運動場には部活に勤しむ多くの生徒が居る。
来る途中に一応目視で確認はしていたが、
一昨日までの経験則に照らしても容易に推測できた。

「ねぇ、りっちゃん。本当に今、部室の前に居るの?」

 傍らの唯が声を掛けてきた。

「うん、居るよ」

 窓から唯へと意識を転じて、律は短く答えた。
合図さえすればすぐにでも入ってくる。だが、まだ準備が整っていない。
昨夜、澪から指示された内容を今一度、律は頭の中で反芻した。
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:21:46.83 ID:RygLztCIo
 思い返した後には覚悟も固まっていた。

「ねぇ、りっちゃん。りっちゃんっ?」

 唯は焦れたように律の名を呼んで、直後には驚いた声音で律の名を呼び直していた。

「えっ、律先輩、何を?」

「りっちゃん?えっ?」

 唯の声に只事ではない様子を感じ取ったのか、梓と紬が相次いで律を振り返る。
そして揃って、驚愕に目を見開いていた。

 無理もない。
彼女達の目には、裸になろうとしている律が映っているのだから。

 ファスナーを下ろしたチャイナドレスから、律は身体を抜いた。
腕輪と脚環は外さないが、これでも充分に全裸と言えるだろう。
乳房も、性器も、全て晒してしまっているのだから。

 服を脱いでも、胸部のバラは抜けなかった。
肉に食い込む棘が、錨のように繋ぎ止めている。

「りっ、律先輩?急に、どうしちゃったんですか?」

 問い掛ける梓の声は、動揺故か震えていた。

「だって、私は何も着ない格好が一番綺麗だって、彼が言うから。
見せ付けろって。
それにっ、私、脱ぐと凄いって言ったでしょ?
だから、実際に脱いでるのっ。うー」

 律も羞恥で声が震え、顔が茹だった。
330 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:23:04.98 ID:RygLztCIo
 唯も紬も、声を忘れたかのように律の裸体に魅入っている。
梓も、もう反論はしてこなかった。

「もう、何さ、凝視しちゃってぇ。皆エッチなんだから。
さ、約束通り、彼氏を紹介するからね」

 まだ、澪から受けた指示を完遂した訳ではない。
呼ぶ前にもう一つ、やっておく事がある。

「本当に彼氏が来てるの?女子校なのに?
しかも何で紹介するのに脱いでるの?
まさかここで、挿したり抜いたり射ったりを始める訳じゃないよね?」

 律の裸体を無遠慮に眺めていた唯が、我に返ったように反応した。
律の裸体に関心を引かれはしたが、
律の恋人を見るという本来の望みも忘れてはいないらしい。

「それはしないよ。あ、分かんない
その予定はないってだけか」

 ここでの性交までは、澪から訊いたプランには入っていない。
だが、迫られれば断り切れまいと、避難用の窓を開け放ちながら律は思った。

「ちょっと、りっちゃん?
そんな格好でそこの窓を開けたりしたら、外の人にも見られちゃうわよ」

 紬が制止の声を上げたが、間違いなくそれが目的の指示だ。
外の人に見せ付ける、その為にこの窓を指定したのだ。
人が避難できる、即ち、人が身を乗り出せるサイズの窓を。

 準備は出来た。いよいよ、唯達に恋人を紹介する時が来た。
思えばこの時を、自分も相手も、ずっと待っていた。
その本願を邪魔していたジレンマが昨日、氷解したのだ。
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:23:55.87 ID:RygLztCIo
 律は息を吸ってから、叫んだ。

「私の彼氏は、みぃおだよっ。
入ってきて、私に空を飛ばせてっ」

 それが、合図だった。後方で、音を立てて勢いよく扉が開く。
律は振り返らず桟を踏み、開け放った窓へと身を乗り出した。
後方から、大股に歩く澪の足音が聞こえてくる。
向かってくるショートヘアの澪を、唯達も視認しているだろう。

 その唯達は混乱しているのか、何も言い出せていなかった。
何から口に出せば良いのか、整理も付いていまい。
それでも、律の澪が彼氏であるとする告白と、
短くなった澪の髪型が事実としてあるのだから、
サングの正体は言わずとも分かってくれるだろう。
今はただ、律と澪が付き合っている事だけ見届けてくれればいい。
細かい説明は、その後だ。
昨日、澪がベッドの上でそうしたように。

「りっちゃん、危ないわよ」

 窓に身を乗り出した律へ向けて、紬が叫んだ。
言いたい事、訊きたい事の山を脇に置いて、
喫緊のものとして律の身を案じてくれているらしい。
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:24:48.49 ID:RygLztCIo
「危なくなんかないさ」

 紬に応える澪の声が、近くから聞こえる。
直後、律は腰部を澪の両手で支えられていた。
絶対に落ちないよう、力強く掴んでくれている。
律は安心して身を前傾させ、両手を左右へ向け水平に広げた。
十字架へと磔にされた受難者のように。
或いは、タイタニックのローズのように。

 その時、ロサ・ブランコが胸部から落ちた。
両手を左右水平に伸ばした事で胸が開き、棘も抜けてしまったのだろう。
真っ赤な花弁を携えたバラが、地に向けて落下してゆく。
澪もパフォーマンスの一環か、ロサ・ブランコを幾度となく高所から落としている。
だが、その花弁はいずれも白いままだった。
花弁の色の変化は、自分が交わった証に他ならない。
これからも澪が欲するのならば、彼女のお気に入りの品種に色を添えよう。
自分の王である澪の、お気に召すままに。

「I'm the king of the World!」

 全校の生徒の注目を一気に引くような声量で、澪が咆哮した。

「りーっ」

 応えて、律も嬌声を添えた。

<FIN>
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2016/08/21(日) 00:30:10.93 ID:RygLztCIo
>>320-332
 以上になります。
それでは皆様、長きに渡り有難うございました。
田井中律の誕生日である今日が実り多い一日となる願いを、
結びの挨拶に添えさせて頂きます
 失礼致しました。
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2016/08/21(日) 14:05:36.19 ID:MLx6Jxbno
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2016/08/22(月) 15:24:24.19 ID:yZytBvyf0
463.16 KB Speed:0.1   VIP Service SS速報R 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 新着レスを表示
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)