中野五月「あいまいでぃすたんす」

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130 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/01(金) 22:48:29.86 ID:OA7mutakO


ななっ!かわいい
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/01(金) 23:00:44.76 ID:GA0f5xtX0
おつ〜
今の自分にすごい突き刺さる話だった。良い話……
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/01(金) 23:10:19.79 ID:TozI1qQ6O
おつおつ
焦らず書きたいものを書いてくれ。こっちはそれが読みたいんじゃ
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/02(土) 00:47:51.40 ID:/pJng8n90
おつ
相変わらず上手いな…
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/02(土) 02:40:18.26 ID:HkGsVC7n0
乙〜
ああ^〜可愛いんじゃ〜
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:35:07.40 ID:IWZIoqEe0
一週間以上空いちまった……
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:35:33.83 ID:IWZIoqEe0
 どれだけ止まれと希っても、時間の流れは変わらない。起きて動いて眠ったら一日は終わってしまい、それを繰り返しているうちに自己決定の期限は着々と俺の元に迫ってくる。
 たぶん、生まれてから今までで一番密度の高い冬になる。この先の未来の舵取りを一手に担う時期、季節。二度と戻らない、たった一度の大一番。
 抱えてしまったタスクはとうにキャパシティを超え、度重なる処理落ちを繰り返しながら同じところを行ったり来たり。
 せめて悔いだけは残さないように、大きな禍根を置いてこないようにともがき足掻けど、大して歩みは進むことなく。それでも必死に生きた今が、いつかの自分を支えると信じて。
 とにかく、自分に嘘だけはつかないようにしよう。過程に欺瞞を含んだ結末が、俺を納得させてくれるとは思えなかったから。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:36:04.63 ID:IWZIoqEe0
 学校は冬休みに突入しているが、補講だか入試対策だかの名目で平時とこれといった違いなく通学を余儀なくされている。希望者を募った発展講座などもあって、下手を打てば朝から晩まで学校浸りの可能性もあった。
 というか実際に、そうなっている奴がいた。

「精の出るこった」
「出来るだけ、自分を追い込みたいんです」

 図書室で自習している俺の元を訪れた五月は、その表情に重たい疲労を滲ませていた。絶え間ない頭脳労働は、確実に心と体に負荷をかけてくる。経験者である俺にはよくわかることだった。

「どっちかっていうと追い詰められてないか、お前?」
「最悪それでも構いません。今を走り抜けないことには明日も明後日もありませんから」
「ここで倒れたら倒れたで一巻の終わりだけどな」
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:36:37.87 ID:IWZIoqEe0
 だからといって、俺が止められることでもない。後々への保険……というわけではないが、もしこいつが夢に破れる未来があった場合、振り返った道のりで俺が障害になっていたりしたらどう悔やめばいいか分からなくなる。 
 そういう重要な事柄に口を挟み過ぎるのはお互いのためにならない。ここまで来たら、思う存分やれることをやるべきだ。

「復習できる体力は?」
「なんとか」
「ならやっちまうか。講義で分からなかったことや怪しいところがあったら教えてくれ。苦手な箇所から潰していくぞ」

 家庭教師としてのお勤めも、もうそう長く残っているわけではない。もちろんこちらに尽力しすぎて自分のことを疎かにするのは論外だが、もはや彼女たちを見放せるような距離感ではなくなってしまった。
 卒業まではこぎ着けた。本来の役目はここで終わりだが、どうせなら『笑顔で』卒業するオプションまで請け負おう。夢への第一歩を踏み出すのに、背中くらい押してやってもいいだろう。……別案件で泣き顔を増やしてしまいそうだという懸念は絶えず俺の思考の片隅にあって、そのことへの罪滅ぼし的な側面が存在することは、否定しないが。
 けれど、純粋な思いとして、この仕事を通して得た経験を彼女たちに還元したいと考える自分はいるのだ。そこに偽りはなく、言うなればこれは、感謝のような――
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:37:09.83 ID:IWZIoqEe0
「じゃあ、始めるぞ」
「よろしくお願いします」

 何より、最初期にはあり得なかったこの関係性を心地よいと思ってしまっている。俺が試行錯誤を繰り返しながら、その果てにようやくつかみ取った成果物。せめてこれだけは、最後まで輝かしい思い出として、自分の中で布にくるんで蓄えておきたい。
 そんな都合の良いことを思うのだから、代価として、相応の努力が必要だろう。

 窓の外を見れば、降り出した雪が世界を白色に染め上げていた。幻想的で結構なことだが、帰る時間までには降りやんでいてくれるとありがたい。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:37:37.12 ID:IWZIoqEe0
「つくづく運がねえな……」

 不満げに呟いても、雪交じりの雨は俺の意図を汲む気配すら見せず、勢いを増して降り注ぐ。
 冬にしてはマシに思えた日中の気温が災いした。軒先から手を伸ばして天よりの落下物に触れると、明らかに水気が多いのが分かる。それは、粒の降下速度を見ても明らかなことだった。
 雪はやめてくれと願ったが、それは別に雨なら許容するという意味ではない。むしろ、傘が必携になるぶん雨の方が数段厄介だ。折り畳み傘などという気の利いたアイテムの持ち合わせはなく、帰宅までにずぶ濡れになるのはほぼ見えた結末。この時期に水浸しになる辛さは昨年のごたごたで知っているから、今から既に憂鬱になりかけている。風邪を引く可能性まで考えると、さらに億劫だ。

「ああ、やっべ」
「どうしました?」
「先生に呼び出されてるのすっかり忘れてた。長引くだろうから先帰っててくれ」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:38:06.59 ID:IWZIoqEe0
もちろんそんな用事はない。が、五月には妙な世話焼き癖があるので、ここでシンプルに傘を忘れた旨を伝えることが憚られた。幸か不幸か彼女の手には折り畳み傘らしきものが握られているし、お節介を受ける前にさっさと帰らせるのが吉。
 五月は俺が進路関係で教員と話し合いの場を持っていることを知っているし、でっちあげの理由としてはこれが一番ツッコミが入りにくいだろう。導入の不自然さだって、今は自身のことでいっぱいいっぱいな五月には気づきえない。元より鈍いというのもあるにはあるが。

「じゃあな。睡眠時間はある程度確保しとけよ」
「あなたがそれを言いますか」
「言ったろ。教訓だ」

 それが良くないことだと知っていて、未だに性懲りもなく繰り返しているけれど。
 とにかく、今は五月を撒くのが先決。十分に時間をおいてから、俺もなんとか帰宅しよう。

「では、お先に」
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:38:32.97 ID:IWZIoqEe0
 軽く礼をした後、五月がこちらに背を向ける。彼女の姿が夕闇に馴染んでいくのをしばし見送った後で、時間を潰すために一度教室に行くことにした。忘れ物があるわけでもないが、理由なく入れる場所が意外と限られている学校において、自分が所属しているクラスというのはある種の気安さが感じられる。
 こつこつと反響する自分の足音にそこまでの不気味さを覚えないのは、照明がしっかり灯っているからだろうか。暖房はケチる癖になぁ……とも思うが、暗いよりはマシ。この時期の負の想念の連鎖みたいになっている校舎内で、暗闇を一人歩く図太さはない。
 誰もいない教室は、流石に消灯されていた。まあ、これはこれでいいかと思いながら自分に割り当てられた席に座り、なんとなく黒板を眺める。
 乱雑に黒板消しを当てられているせいか、直前に実施された授業の内容がなんとなく読み取れた。一部文字が残っていたり、あるいはチョークの跡が消しきれていなかったりで、英語教師がここに立っていた過去が窺える。
 残されたアルファベットから推測される単語や文章を頭の中で補足しながら、そこにあったのであろう授業風景を勝手に思い描く。面白味の欠片もない空想だが、時間を浪費するという点においては割と役立ちそうだった。今くらいは、脳みそを休めても許されるのだろうけれど。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:39:00.46 ID:IWZIoqEe0
 ある程度時間が経ったのを時計で確認してから、のそのそと席を立つ。このままだとここで眠ってしまいそうだ。  
 寝るならせめて家が良い。体を横に出来る環境と言うのは貴重。若いからといって無茶をし過ぎると困るのは未来の自分自身だ。
 凝り固まった関節をゴキゴキ鳴らしながら階下に下り、先ほど脱いだばかりの下足をもう一度履く。順当にいけば、五月はもう家に着いている頃合いだろうか。
 あいつのことだから、もう勉強を始めているかもしれない。そうでなければお待ちかねの夕飯にありついているかのどっちかだ。
 どちらにせよ、やりたいようにやってくれればそれでいい。俺はただ、彼女のやることをサポートするだけ。
 こんなときにまで仕事のことを考えるとか、俺もいよいよ社畜めいた思想に脳みそを染め上げられているのかもしれない。

「まあ、そう上手くはいかないか」
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:39:39.92 ID:IWZIoqEe0
 一縷の希望としてあった、時間経過でみぞれが弱まるという可能性はバツ印。せめてもの救いとして悪化はしていなかったが、元の勢いが元の勢いなのでそこに感謝の心を抱くことはなかった。
 リュックを盾にして走り去る案もあるにはあったが、背中が冷えるので諦めた。どのみちどこもかしこも濡れるのだろうから、多少抗っても意味はない。時間当たりのダメージ率から考えると、走って帰った方がいいのには違いないが。
 そんなこんなで、意を決して踏み出す。足元がびちゃびちゃと跳ねて気持ち悪いが、贅沢を言っていられる場合でもない。長い間こんな環境に体を晒し続けようとは思えないので、出来るだけ早く帰宅しよう。体力勝負に自信はないから、きっとどこかで休憩することになるけれど。
 連日の疲労と体力不足のダブルパンチで悲鳴を上げる呼吸器を強引に黙らせて、規則的なリズムで駆けていく。本来なら、こういった場面で少ない体力を使い込んでしまうのは好ましくない。だが、後々にやってくるだろう身体的な不調とそれとを天秤にかけたとき、ここで使い惜しむという選択肢は取れなかった。なにせ、自分の面倒だけ見ていればそれで終わるというわけではないのだから。
 それらの面で、本当に厄介だと思う。受験は団体戦って絶対こういうことではないだろとも。
 だけれども、そのことについて思うたび、不思議と俺の中の負けん気が顔を出すのだ。もう少しだけやってやろうと、何度も何度も背中を押してくるのだ。
 あの五つ子たちと関わる過程で、自身の中枢が歪められてしまった。客観的に見て由々しき事態で、いずれ対処しなくてはならない案件なのは明白。……なのに、それを悪いことだときっぱり断言してしまう気にはなれない。
 根腐れ、とでも呼べばいいのだろうか。
 あいつらは、俺に水をやり過ぎた。
 重症度を見るからに、水は水でも砂糖水だった可能性もある。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:40:07.65 ID:IWZIoqEe0
「やっぱり。こんなことだろうと思いました」

 だから、こうなる。
 あっさり、見透かされる。

「風邪を引いたらどうするんですか、もう」

 校門の脇に佇んでいた少女から視線の猛抗議を受け、その場で立ち尽くす。
 思うことは色々あった。なんで帰ってねえんだよとか、俺が嘘ついてなかったらどうするつもりだったんだよとか、他にも多々。
 だけれど、真っ先に口をついて出た言葉が「すまん」だったあたり、いよいよ調教も大詰め感が否めない。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:40:43.82 ID:IWZIoqEe0
「お前ひとり騙せないとか、俺もヤキが回ったか」
「なら、これを機にバレる嘘をつくのはやめにしてください」
「悪いが、嘘も方便だとお前の姉に教えた都合上、そう簡単にやめるわけにもいかない」

 肩に積もったみぞれを払いのける。その方便が上手く機能してくれないことには、何の意味もない。
 結果的に彼女の精神的な負担を減らすという目論見は散り、現在進行形でこうやって迷惑をかけている。やることなすこと全てが裏目に出て嫌になるが、自分の内側にある感情は、きっと嫌悪などではなく――
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:41:14.10 ID:IWZIoqEe0
「でしたら、バレない嘘をついてください」
「肝に銘じておく」

 会話の最中にも天からの落下物は延々と降り注いできて、前髪やら睫毛やらに付着するそれらのせいで、一定の視界を保てない。
 何度も何度もうざったそうに額を撫でている俺を見かねてか、五月がこちらに手招きのジェスチャーをしてきた。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:41:41.56 ID:IWZIoqEe0
「立地的に、ここなら多少は安全です」
「悪いがこれ以上お前に近づくと持病の発作が起こることになってる」
「さっきの今でその嘘は無謀が過ぎるでしょう」
「だってなぁ……お前、それ……」
「良いんですか。このまま長々とここに留まっていると、二人そろって病院行きですよ」
「それは……そうかもしれないが」

 取り立てて丈夫というわけではない。ある程度の条件さえ満たしてしまえば、俺の体はあっさりと発熱する仕様になっている。五月に関してもおそらく同様のことが言えて、だから、屋根のある温かい場所に移動するのが急務だ。
 で、この場において、そのうちの片方だけならやんわりと満たしてしまえる方法があった。
 しかし、しかしだ。そのやり方を肯定してしまうのは、なんとも言えない敗北感が……。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:42:08.93 ID:IWZIoqEe0
「私だって恥を忍んでいるんですから、さっさと思い切ってください」

 そう言う五月の顔は真っ赤で、寒さ以上に羞恥が機能しているようだった。そこまで嫌ならやらなきゃいいのに……。
 善意を踏みにじるようで悪いが、ここで走り去ってしまおうか。そうすれば、ひとまずの落着を見そうな気はする。丸く収まりはしないだろうけれど、案の一つとして保留しておくくらいはありだろうか。

「ちなみにですが、ここで上杉君が無視をすると、私は明日の朝までこの場所に立ち尽くす予定になっています」
「そんな予定はスケジュール帳から消せ」
「ボールペンで書いてしまったので」
「二重線で消せ。消しゴムに頼るな」
「……くしゅっ」
「…………」
「…………」
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:42:42.44 ID:IWZIoqEe0
 それはまあ、当たり前の話で。このクソ寒い屋外に長い間放り出されていたら、その分だけ体は冷える。恒温動物の悲しいサガで一定に保たれる体温。そのエネルギーは当然肉体の貯蔵分から持ってくるので、時間に比例して体力はどんどん削られる。
 そして、こいつがいつからここにいたかを考えると、そろそろ疲労が無視できないレベルに達している可能性があって。

「……なんです?」
「なんでもないけど」
「別に、あなたのためというわけではありません。自分のこれからを考えたとき、今ここで上杉君に倒れられると、ものすごく大きな不利益を被りますから」
「…………めんどくせぇ」
「め、面倒?!」
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:43:12.64 ID:IWZIoqEe0
 どいつもこいつも本当に面倒くさい。本当に厄介。本当にどうしようもない。
 誰もが誰も扱いにくすぎて、今になっても正しい距離感なんて分かりゃしない。
 ……その距離感を掴み損ねているうちに関係を拗らせたせいで、修復不可能になったものが多すぎる。数えきれないほどに多すぎる。
 おそらく、始め方を誤ってしまったのだ。今更悔いても過去が覆りはしないけれど、もう少しだけマシなやり口なんてのはいくらでもあって、そして、俺はそれらをことごとく取りこぼしてきた。
 でも、本当は、きっと。

「邪魔だろそれ。ほれ、こっち寄越せ」
「えっ、ちょっと……!」
「たまたま手隙なんでな、俺は」
「……あなたの方が五倍は面倒くさいです」
「なんか言ったか?」
「いいえ、何も」
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:43:41.95 ID:IWZIoqEe0
 半ば強引に、五月の手にあったものをひったくる。
 雨の中にあっても外を出歩けるようにという意趣を持って作られた、自身の上に無理やり天蓋を形成するアイテム。
 しかもそれを持ち運びが可能なサイズにまで小型化してしまった、人間の飽くなき探求心による成果物。
 つまるところの、折り畳み傘。
 そんな叡智の結晶は、突き詰め過ぎたミニマライズの反動で、高校生二人を風雨から守るにはいささか頼りなく。そして、それ以上に厄介なこともあって。

「詰めすぎだろどう考えても」
「どう考えてもあなたが傾けすぎなんです」

 なおのこと、肩やら腕やらに直撃するみぞれには容赦や手心といったものがなかった。落ちて、溶け、服に染みる。その繰り返し。ワンサイクルごとに着実に体温が奪われていくのが分かり、かじかんだ指先は感覚が薄れている。
 そのくせ、体は熱に浮かされたようで、ぼやぼやとした輪郭を伴わない感情が波のように押しては返してを連続させていた。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:44:22.84 ID:IWZIoqEe0
「私が濡れても、あなたが濡れても、どちらもダメなんですから」

 そう言いながら、また一歩分距離が詰まった。進むたびに腕がバシバシ当たって邪魔くさいので、黙って傘を持つ手を交換し、自由になった五月に近い側の右手をポケットにねじこむ。ずっと外気に晒していて冷え切ってしまったというのも理由の一つに数えられる。

「転んだらどうするんですか」
「気合で耐えるだろ、たぶん」
「手を怪我しても終わりなんですから、もう少し気を遣ってください」

 五月は自分のコートをまさぐって何かを取り出すと、それを無遠慮に俺のポケットに突っ込んできた。すると、そこを中心にじんわりと熱が広がって、彼女が握っているのがカイロなんだなと理解する。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:44:52.22 ID:IWZIoqEe0
「一日使っているので、そこまで温かくはないですが」
「いや、ありがたいけど……」

 気遣い自体は丁重に受け取っておくとして、それと同タイミングで投げ入れられた爆弾にはどのように対処するのが正解なのだろうか。これが分からない。

「ありがたいけど……これじゃ共倒れだろうよ」
「問題です」
「突然どうしたお前」
「カイロはどんな理屈で発熱しているでしょうか」
「鉄の酸化過程で熱エネルギーが生まれてるんだろ。中学レベルだ」
「では、日常身の回りにある鉄製品がそうやって熱くならないのはなぜ?」
「鉄粉と鉄パイプじゃ反応する表面積が違う」
「同じことです」
「…………何が?」
「今、こうしているのと同じことです」
「絶対ちが」
「同じことなんです」
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:45:18.25 ID:IWZIoqEe0
 否定の言葉は言い終わる前に遮られた。どんな角度から考察しようにもあり得ないことだが、真っ向から斬り伏せられた。
 五月的にはきっと、アレゴリーのつもりなのだろう。俺は認めないけど。……だが、認める認めないを差し置いて、現状がややこしくなっていることは客観的な事実であって。
 …………なんで手を突っ込みっぱなしなんだよ、こいつ。

「表面積を減らせば、反応速度は抑えられますから」
「お前の服にもポケットついてるじゃん……」
「カイロは一個だけです。譲れません」
「じゃあお前が独占していいよ。なくてもあったまるにはあったまるし」
「それはダメです」
「なぜ」
「ダメなものはダメと世間の相場が決まっているからです」
「とうとう理屈抜きの力技で来やがったな」
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:45:50.25 ID:IWZIoqEe0
 言い訳のレパートリーが貧弱だった。せめてもう少しくらい用意しておいても良かったのに。
 そこまでして俺にカイロを押し付けたいか……とも思うが、善意であるのが分かっているから強く断りにくい。こいつの根っからの不器用さを加味しても、強引が過ぎる気がしてならないけれど。
 それとも、これは一周まわった利己なのだろうか。彼女の言を額面通りに受け取って、そのまま飲み下してしまうのが正しいのだろうか。
 
「ってかお前、これはどういう心境の変化だ」
「これ、とは?」
「手、無理なんじゃなかったのかよ」
「いつの話ですか」
「一年前」
「それはほら……物を介しているので」
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:46:19.01 ID:IWZIoqEe0
 確かに、繋いでいるというよりは、たまたま触れあっているといった方が今の状況を説明するのにはしっくりくる。ちょうど、カイロが間仕切りの役割を果たしていて、どこからどこまでが五月の手なのかが分かりにくかった。
 この場合、俺はどうすればいいのだろう。一年かけての成長を喜ぶべきか、あるいはこれが進歩のないことだと嘆くべきか。

「……訂正します。少し、嘘です」
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 17:46:56.08 ID:IWZIoqEe0
いったんここまで。続きも書いてあるので、夜になったらまた投下します。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/09(土) 17:47:14.56 ID:aPOG08PPo
おつおつ
つづきもあるのか!! 楽しみに待ってる
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/09(土) 18:23:39.99 ID:hRo22w8uo
楽しみに舞ってる
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/09(土) 20:11:16.17 ID:IjVk0u6bo
待ち望んでたぞ
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/09(土) 20:29:50.62 ID:5pnnHS+b0
ニヤニヤが止まらないんですけどこれは病気でしょうか
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:25:06.95 ID:IWZIoqEe0
 ん、ん、と数回咳ばらいをした五月がそんなことを言う。しかし、少し嘘とはなんだろうか。日本語は成立しているのか、それ。
 
「何がどう嘘なんだ?」
「どう、と言われましても」
「いや、聞き返されても俺が困るだけなんだが」

 答えが五月の中にしかないのだから、それを彼女が開示しないことには始まらない。こればかりは俺の取り扱いではないのだ。
 五月が言い出した以上、その発言の回収は五月がする。なんてことはない、当たり前の摂理。 
 だからきっと、ここから詳細の説明が始まるのだろうと思って待機していた俺を襲ったのは、盛大にその予想を裏切っていく展開で。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:25:35.42 ID:IWZIoqEe0
「…………それを聞くのは野暮でしょう」
「なんでだよ」
「だからその……あるじゃないですか、色々」
「具体的に言ってくれ」
「察してください」

 ぷいっとそっぽを向かれてしまった。これはつまり、会話はここで終了という意思表示と見ていいのだろうか。どうせならそれくらい分かりやすくその嘘とやらについて解説を願いたいのだが、今の五月は打てど響かずといった具合で、コミュニケーションが成立しそうにない。そもそもお互いがかなりの譲歩をしたうえで相互干渉を可能とした間柄なので、こうやってどシャットを喰らったらもうおしまいだ。
 類似の状況に立たされた機会は数えしれないが、あれはそもそも心の開き具合が今とは比べ物にならない頃合いだったので、そこそこ理解を深めた気になっている相手からガン無視を決め込まれるとなかなかにクるものがある。言葉の脆さというやつを、こういうときほど思い知らされる。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:26:05.07 ID:IWZIoqEe0
「俺に言外にこぼした意図を拾う能力はない」
「……自慢げに言うことじゃないでしょうに」

 素直に告白したら反応をもらえた。分からないことは分からないと言う。変に意地を張っても意味がない。学ぶことの根本に共通する姿勢だ。じゃあこの会話から何を学べるのかと聞かれたら、それもまた正直に「分かりません」なのだが。

「悪いが成長過程で捨ててきた」
「それはそれは大変ご立派なことで」
「ちなみに今のが皮肉だってのは分かる」
「……程度による、と」
「何事もな」
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:26:32.03 ID:IWZIoqEe0
 分かり過ぎるということもなければ、分からな過ぎるということもない。俺の能力は、他人の想像の範疇の中にすっぽり収まりきるぐらいのもの。
 だから、こいつの言うことの一欠片くらいは理解できている気でいた。それが実態に即したものかどうかは重要ではなく、過去の五月の言動を考えたときに、一番有り得そうな心境を。
 しかし、わざわざ口に出すのはそれこそ野暮というもの。ついでに、間違っていたら赤っ恥だし。
 そしてさらに言うのなら、俺が俺っぽい行動パターンで動くとしたら、まあ間違いなくここで本人に直接聞くのがセオリーだ。間違った予想が自分の中だけでの真実、事実として定着してしまうくらいなら、顰蹙を買うことを承知してダイレクトに問う。その結果として白い目で見られようが何をされようが、そこに誤解がないのならそれでよかった。
 思えばこれは、一種の偏執であるのかもしれない。正解に固執し過ぎて、それ以外の全てがどうでも良くなってしまったような。本当は過程にだって意味があるはずなのに、正解という一つの結果を大々的に掲げ、その他を不要だと淘汰していくような。
 少なくとも、去年以前の俺ならば、ここからでも容赦なく踏み込んでいった。解答が見えないままでいることにイラついて、行動を起こしていた。
 だけれど今は、わずかながらに違って。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:27:07.95 ID:IWZIoqEe0
「俺に野暮だの野暮じゃないだのは分からん。人との付き合いが浅すぎるからな」
「それも自慢することではないですね」
「ただまあ、なんとなく見えてきたものはある」
「たとえば」
「ここでこれ以上ずけずけ行くと、しばらくお前の機嫌を損ねることになる。それは好ましくない。だから、このあたりで分かったふりでもして黙るよ。空気読んでな」
「それは成長ですか?」
「そういう基準で考えてねえよ。ただの処世術だ」
「大人にはなっているかもしれませんね」
「嫌な言い方するなぁと思ったが黙っておく。これも処世術だ」
「黙れていませんけどね」
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:27:34.20 ID:IWZIoqEe0
 ここで、ようやく五月がこちらに向きなおった。ひと段落、か。
 正直なところ、俺も分かりかねている。なぜこいつらのご機嫌を取る方法なんかを知らぬ間に覚えて、しかもそれを当たり前に実行するようになってしまったのか。別に懐柔されたわけでもなければ、前までのように借金への焦りがあるわけでもないのに。
 単純に、教師業を円滑に進めるため、というのは理由ひとつになり得ると思う。へそを曲げられたままでは会話すらままならないし、そういう奴が一人いるだけで場の空気は最悪だし、それに辟易してはいた。
 だが、そういうものを最たる理由として揚げるのはどうかと思った。これは上手く言語化できる感覚ではないのだが、なんだかこう、しっくりこないのだ。
 五月の言葉を借りるのなら、少し嘘がある。どこかに異物が混じっている。確かに正解という大きなくくりの中の部分集合に属してはいるが、それはただの構成要素であって全てではない。しかも、根幹をなしてもいない。
 では、どう表すのが正解なのだろうか。疑念が生まれ、思考している以上、どこかに必ず答えはあるはず。思考と存在が等価なものであるとどこかの誰かが大昔に提唱していたことを思い出す。それに倣えば、間違いなく答えはある。ただ、見つけられていないだけで。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:28:04.60 ID:IWZIoqEe0
「個人的には、語らない美しさというのがあっても許されると思います」
「それを理由を話さないことへの免罪符にしちまうのはアリなのかよ」
「ずるいとは感じますよ」
「でもやっぱり、アリだとは思ってんだろ?」
「女の子は、ずるいくらいがちょうどいいものでしょう?」

 これまた予想できない類のセリフが飛んできて瞠目する。道理に従うタイプのキャラクターだと思っていたので、そんな凡百のロマンチストみたいな発言をするとはこの目で直に見ても信じられなかった。
 俺のぎょっとした様子を不審に思ったのか、五月のカイロを握る手に、先ほどよりも少しばかり力がこもる。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:28:31.38 ID:IWZIoqEe0
「似合わないですか?」
「合う合わない以前に、お前がその手のことを言うと思ってなかったんだよ」
「でも言いましたよ」
「聞いちまったよ」
「じゃあ、私はそういうことを言うかもしれない子だったという話です」
「なんてことない一言で印象がガラッと変わるから、人付き合いは苦手なんだ……」

 何千何万と繰り返すやり取りの中のたった一節。それだけのせいで、「こんなものだろう」とこちらが勝手に規定していた幅をあっさりと跳び越え、乗り越していく。想定の範囲をどれだけ広く持っていてもこうやって越えられてしまうのだから、まともにやっているのが馬鹿らしく思えてしまう。
 俺が難しく考えすぎているのは分かっている。分かっているが、誰もがこんな指針も方策もない超高難易度の試験をクリアしているのかと思うと、俺なんかよりもそいつらの方がよほど出来の良い人間に見えてくる。実際、そういう価値観で世界を運営している人々の視点に立ってみれば、落第の烙印を押されるのはきっと俺の方なのだろう。
 本当に、こいつらからは余計な気付きを得てばかりだ。気付き過ぎて、そのたびそのたび頭がこんがらがっている。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:28:59.18 ID:IWZIoqEe0
「しかもお前、さらっと本題から逸れた方向に俺を誘導しようとしてるしよ」
「…………」
「まあ、これ以上は聞かないことにしとくけど」

 何がどう嘘なのかは、やっぱりまったく分からなかった。知らないうちに脳みそが人物評やら俺の思考パターンの変遷やらについてリソースを割き始めていたせいで、そっちについての解析がまるで進んでいない。というよりは、先んじて門外漢であることを知ってしまっているせいで、入り口前で足踏みしているとでも言えばいいだろうか。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:29:31.17 ID:IWZIoqEe0
「総括する。あったかいから後はどうでもいい。以上」
「ずいぶん適当なまとめですね……」
「考え疲れたんだよ。あとねみぃ」

 帰宅途中くらい気楽にいたいものだ。家に帰ったらまた勉強勉強勉強なのだし。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:29:59.08 ID:IWZIoqEe0
「……本当に体調は大丈夫なのでしょうか?」
「限度は弁えてるよ。経験則でな」
「その、生徒としてのお願いではないので、聞いてもらえるかどうかは分からないのですが……」
「ん?」
「上杉君に体を壊されるのは嫌です。すごく嫌です。……なので、もう少しだけ自分に甘くなってもらえませんか?」
「……考えとく」

 俺も、積極的に病院の世話になりたくはない。乞われたからには、多少見直してみる必要があるか。
 たとえば、せめて今日くらいは体が許すまで眠るとか。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:30:26.71 ID:IWZIoqEe0
「ちなみに、生徒としてではないのならなんなんだ?」
「それはその……友人、は少し違いますかね。なら、中野五月個人の、ええと、なんというか……」
「なんというか?」
「……………………それを聞くのは野暮でしょう」
「了解。貴重な助言をもらったってことだけ覚えておく」

 ここで聞き返そうものなら、またあれやこれやと思考の応酬が始まるのは目に見えていた。今しがた体に気を遣えという旨のことを言われたばかりなので、ここは何も考えずに彼女の言葉に従おう。
 そうやって楽をすることも、たまには必要なんだ。きっと。

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:31:01.74 ID:IWZIoqEe0
 そのままてくてくと歩を進めて、俺の家へと近づいて行く。口に出してはいないけれど、このペースだと五月は遠回りしてでも俺の家に寄るルートを選んでくれるらしい。そのことについて言及しようかとも思ったが、きっと野暮になってしまうだろうから、胸の内に留めておいた。大丈夫。この会話の中にも、俺はきちんと学んでいる。
 沈黙が続いているが、居心地の悪さは感じなかった。なんというか、ほどほどにちょうどいい空気感だ。こうやって二人並んで歩いていても息苦しくない。
 でも、そういう心理的な問題とは別に、物理的な問題は生じていた。
 というのも。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:31:57.63 ID:IWZIoqEe0
「痛いんだけど……」
「か、加減が分からなくって」
「もう冷えは引いたから心配いらねーよ」

 凍えてしまった俺の指先を溶かすように、五月の手が重なっていた。しかしなんだ。そこにかけられている力があんまり強いものだから、少し痺れが回ってきている。最初のうちはかじかんだとき特有の感覚の鈍さかとも思っていたが、いざ暖まってくるとどうやらそうではないことが判明してしまった。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:32:37.05 ID:IWZIoqEe0
「だからもう放していいぞ。カイロも返す」
「…………」
「謎の意地張らなくていいって。マジでもう大丈夫になったから」
「…………このままでいると、不都合がありますか?」
「手が痛い」
「っ、そ、それ以外に」
「特には思いつかないが」
「…………なら」
「ん?」
「なら、別に、いいじゃないですか。上杉君のお宅まで、そう遠くもないんですから」
「まだ結構――」
「…………ダメですか?」
「そういうわけじゃ……」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:33:14.34 ID:IWZIoqEe0
 全身から捨て犬のような雰囲気を漂わせるのはやめて欲しい。俺が悪いことを言っている気分になるだろ。
 五月がどんな事情を抱えてこんなことを言っているかは知らないが、このスタイルでいることに強いこだわりでもあるのだろうか。さっぱり推察することはできず、また余計に思考をめぐらせることになってしまう。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:34:06.26 ID:IWZIoqEe0
「ならせめて、もっと緩く握ってくれ。それが妥協点だ」
「に、握ってません!」
「はぁ?」
「掴んでるんです!」
「同じだろどっちも」
「違いますから! 全っ然違いますから!」
「痛い痛い痛い」
「とにかく、握ってないんです。これは重要なことなんです!」
「痛いって」
「分かってください。絶対に!」
「分かった。分かったから緩めてくれ」
「…………あっ、熱くなりすぎました……」
「まぁ、これくらいなら許そう」

 ちょうどいい塩梅の力加減になったので、認めてやることにする。もう掛け合いをするのに疲れたから、言われたままに流されてしまうのが一番楽でいい。
 俺には彼女自身の言葉という免罪符がある。だから、思考はそろそろ放棄だ。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:34:45.71 ID:IWZIoqEe0
「このやり取りがお前の息抜きになってれば嬉しいよ俺は……」
「……私は、まるで休まりません」

 あれだけ言ったのに、また五月の手が強張り始めた。仕方ないので、指先だけでも痛まないよう、両者のそれが重なり合わない形に手と手を無理やり組み替える。

「…………ちょっとぉ」
「勘弁してくれ。俺は疲れた」

 途端に全身脱力してしまった五月を引きずるようにして、帰路を急ぐ。
 俺たちに交際関係はないので、差し詰めこれは変人繋ぎとでもいったところか。…………やっぱりなんにも上手くねーや。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/09(土) 21:36:29.74 ID:IWZIoqEe0
前話の文字数に届きかけてるのにR18要素が完全に迷子。探してくるのでまたしばらく待っててもらえると助かります。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/09(土) 21:41:51.88 ID:hRo22w8uo
そっちは一花お姉さんに任せていいんだぞ
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/09(土) 21:53:10.87 ID:5pnnHS+b0
上杉さーん!私でも大丈夫ですよ!私でも!
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/09(土) 22:01:44.49 ID:w+HupfIjO
あら、私の出番かしら?
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/10(日) 00:32:31.63 ID:XVzLOqEr0
これが上杉包囲網なんですね
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/10(日) 01:05:22.01 ID:gFYq9f4zo
うあーーー 五月ちゃんかわいいよ・・・
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage saga]:2019/03/11(月) 00:10:43.85 ID:JENuYK+V0
フータロー……浮気、ダメ、絶対
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/17(日) 03:30:50.07 ID:85pnMQsw0
(娘たちをお願いね)
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/17(日) 08:55:19.52 ID:k4IENYV0O
R18要素探したけど見つからなかったよ
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/17(日) 09:08:01.58 ID:iy/k22fy0
SSなのに本編並みに目が離せない
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:26:21.13 ID:00RO4+wC0
 カレンダーの日付を見れば、今年も残すところ一週間となっていた。センターまでもう一ヵ月を切ったと思えば、時間が流れる早さに驚きもする。
 結局のところ、重要なことはなに一つだって決まっていなかった。自分の行く末も、卒業までにはなんとかしておくと約束したことも。
 忙しさと慌ただしさを言い訳にしてただただ時間を浪費せど、期日が伸びることはない。いつかは必ずそのときが来て、否応なしに選択を迫られることになる。そのことが常に頭の中にあるのは事実だが、現実問題、考えていられるだけの精神的余裕も肉体的余裕もなかった。今はただ、五月をサポートすることのみに尽くさないと、悔いが残ってしまいそうな気がしていたから。
 ……だが、それすらも、きっと言い訳なのだと思う。先延ばしにしておく都合の良い理由として、家庭教師という己の立場と、夢に向かって励んでいる五月を利用しているだけだ。悪用と言い換えてもいいかもしれない。目の前の問題に集中しているふりをして、やがてやってくることが分かり切っている課題から目を逸らしている。逸らし続けている。
 無駄なことだと我ながら呆れる。こんなやり方をして、得られるものなどなにもないというのに。……それでも、どうにかして避けよう、逃げようという意思が働いてしまって、場は全てどっちらけだ。
 俺はなぜ目を背けようとしているのか。どうして手をつけたがらないのか。そこにある思いにどんな名前がつくのかを理解できないまま、刻限だけがこちらに迫ってきていた。まるで俺を追い立てるように、着実に。
 人間関係を楽に紐解く公式も構文も、この世界にはない。その事実に数えきれないほど肩を落としながら、それでも、俺は……。
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:26:53.83 ID:00RO4+wC0
「よう」
「……お、おはようございます」

 寝不足の目を擦りながら、俺より早く図書室にやってきていた五月の隣に腰を下ろす。ここの椅子の硬さも、今ではすっかり体に馴染んでしまった。もっといいものを揃えてくれよという気もするが、それも努力の証左だと思えば、まあ悪くはないか。

「……なぜ避ける?」
「な、なんとなく……」

 俺から距離を取るように、五月の体が大きく傾く。元は姿勢の整っている奴だから、かなりおかしな印象をこちらに与えてきた。さて、俺はなんとなくなんてはっきりしない理由で避けられるような悪事を犯しただろうか。……思い当たる節があまりに多すぎて逆に特定困難だが、彼女の知り得る範囲の情報に限定すれば、たとえば。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:27:21.54 ID:00RO4+wC0
「結局風邪ひいたんじゃないだろうな」
「いえ、健康体です。そういうのでは、ないです」
「なら構わないけど。……で、それじゃあなんなんだ?」
「だから、なんとなくなんですよぉ……」

 彼女の体がくてっと脱力した。己の現況を説明するに相応な語彙を保持していないとか、そういう理由だろうか。そうならそうで、擬音でもなんでも使って表現する努力をして欲しい。俺のお察し能力に期待するなとは再三に渡って言っているのに。

「そういや昨日の話だけど」
「…………っ」
「だからなんなんだよ……」

 昨日、のあたりで目に見えて動揺し始めた。俺でも分かるくらい、と言えば、分かりやすさの指標としてこれ以上はないだろう。
 俺はただ、あの後無事に帰宅できたかという何でもない無駄話をしようとしただけなのに、その慌てようはいったいなんなのだ。なぜ頬を赤らめる必要がある。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:27:55.53 ID:00RO4+wC0
「やめです。その話はやめです」
「はぁ?」
「話すなら別のことに。そうですね、美味しいものについてなんてどうでしょう」
「そういや昨日の夕飯はカレー……」
「昨日と言う単語はNGで」
「たかが雑談に枷をつけるなよ……」

 ゲームでもやっているのならまだしも、今はただのフリータイムだ。こんなところで浪費する体力の持ち合わせは俺の中にない。いっそ黙るのが一番賢い選択に思えたので、しばらく口を噤むことにする。彼女は既にノートやら参考書やらを展開しているので、分からないところがあれば向こうから聞いてくるだろうし。
 で、早速向こうが口を開いたかと思えば。

「……その、昨日のこと、ですけど」
「割とめちゃくちゃだなお前」
「NGはあなただけなので」
「暴君でももうちょい理屈を添えるぞきっと」
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:28:29.50 ID:00RO4+wC0
 昨日のことを蒸し返されたくなさげなのに、なぜか自ら火種を投下していく怒涛の矛盾スタイル。何がしたいかさっぱり分からない。

「ちょっと、手、見せてもらってもいいですか……?」
「どっち?」

 こっち、と指を差された。回りくどい言い方をするならば、昨日傘を持っていなかった方の手を。
 
「ん」
「痣とかは……大丈夫ですね。良かった」
「握力だけで痣作るのはバケモンだろ」
「もしそうなっていたら大変じゃないですか」

 確かにちょっとだけ鬱血してはいたっけ。どんだけ強く握れば気が済むんだって感じだったが、彼女視点で言えばあれは掴んでいただけらしい。俺から見れば、握るも繋ぐも掴むも意味に差異は見つけられないのだが。微妙なニュアンスを追いかけて言葉遊びをするのは作家にでも任せておけばいい話であって、俺に関わりのあることじゃない。まあ、ここは彼女の意思を尊重して『掴んでいた』ということでまとめておいてやろう。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:28:57.42 ID:00RO4+wC0
「そんなことより勉強だ勉強。俺を気遣う時間で英単語の一つでも覚えた方がよっぽど建設的だぞ」
「気兼ねなく勉強できるように下準備をしただけですよ」

 言いながらも、きちんと手は動いている。頭が付いてきているかは知らないが、手癖で問題が解けるくらいの次元に到達しているのなら問題はないか。本番を見越したときにそれくらいの余力があった方が精神的に楽だろう。

「……上杉君、今日の日付はご存知ですか」
「二十四日」
「ですか。ですよね」
「いきなりどうしたよ。はっきりしないならスマホで確認すりゃいいだろ」
「いえ、一応です。一応」
「一応ねえ」
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:29:25.20 ID:00RO4+wC0
 今年の残り日数ばかりに気を取られていたけれど、そうか。今日はクリスマスイブか。ということは、去年にこいつらがあのアパートに引っ越して一周年。全員そろって冬の冷たい水の中に飛び込んでからも一周年って寸法だ。
 感慨深く思う。再雇用から一年の節目を迎えても、俺はやっぱりこいつらに手を焼かされているのだ。道中新たな面倒ごとを数多抱え、それでもやっとこさここまでたどり着いた。自己評価では赤点を免れない道程だったけれど。
 しかしまあ、なるようになるものだ。絶対に途中で崩壊する気しかしなかったのに、なんでかんでのらりくらりと切り抜けている。俺の存在が姉妹の仲に亀裂を入れるかもしれないという心配はずっと消えずに俺の後ろを付きまとい続けているが、薄氷の上を歩くような奇跡的なバランスでもって、強引に関係性を成立させている。
 歪だと言う奴もいるだろうが、俺にはこれが精いっぱいだった。笑いたければ笑ってくれ。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:30:01.28 ID:00RO4+wC0
「お前らはプレゼント交換とかすんの?」
「…………っ」
「なんかおかしいぞお前。今日は一々俺の言ったことに反応しすぎだろ」
「す、すると思いますよ」
「何にも言われなかったような顔で強引に話を続けようとすんなよ……」

 どうにもぎこちない。いや、手練れた会話というものがどんな形かは知らないけれど、絶対にこういう形態を取らないとだけは断言できる。そもそも俺は普段、五月とどんな風に話していたっけ。
 何にしたって、五月の態度は不自然そのもの。隠し事でもしているのだろうか。

199 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:30:33.25 ID:00RO4+wC0
「まあ、クリスマスとか、俺にはよく分からんけどな」
「どういう意味です?」
「そのまんま。その類の行事に馴染みが薄いんだよ」

 世間がきゃっきゃきゃっきゃと騒ぐお祭りごとも、俺には関わりのない話。割のいい日雇いバイトの求人が出る程度の認識しかない。実際、去年はケーキ屋で働いていたわけだし。

「ガキのときにサンタ服を着た親父を見て真相を察して以来、なにごともそんなもんかって目で見るようになっちまったし」
「それはご愁傷さまで……」
「そんなわけで、俺とクリスマスは縁がないんだ。以上」
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:31:07.54 ID:00RO4+wC0
 この歳になってプレゼントをもらいたいなんて思いはしないけれど、胸の奥底のほんのちょっとしたところに、一抹の名残惜しさみたいなものは確かにあった。だが、思うだけだ。それを望めるほどの身の上ではないと弁えている。
 だけど、まあ、そういう文化に取り巻かれて育ってきた五月たちを見て、少しばかりの羨ましさを感じることはあった。妬み……とまではいかないけれど、もし自分がその立場にあったらどうだったろうかという、少しばかりの興味関心だ。

「でも、その、今年は少し期待してもいいかもしれませんよ?」
「ウチに煙突はねーよ」
「ある家の方が少ないと思いますが……」

 欧米文化を強引に日本に取り込んだせいでそこらへんの擦り合わせが上手くいっていないことも、子供のころは気にならなかった。メインはプレゼントだから、窓から入ってこようが玄関から入ってこようが、最悪ポストに投函されていようがどうでも良かったのだろうと思う。滅茶苦茶な話だが、微笑ましいといえば微笑ましい。滑稽だと言って斬り捨てるのはどうにも違う気がする。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:31:42.07 ID:00RO4+wC0
「期待するとなにもなかったときの反動がデカいからな。話半分くらいで覚えとく」
「そうですね。それくらいがいいのかもしれません」
「無駄話が過ぎた」

 何を目的にこんな日にまで登校しているかを忘れてはならない。休みを一日潰すのならば、せめて有益な使い方をしなければならないだろうに。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:32:29.10 ID:00RO4+wC0
「分からない箇所はあるか?」
「今のところは特に」
「ならいい。しばらく席を立つから、戻ってくるまでに質問すること整理しといてくれ」

 首の骨をこきこき鳴らしながら椅子を引く。まだやってきたばかりなのに……という五月の視線が痛いが、言葉に出して聞かれない限りはこちらから委細を話す責任は生まれない。さっさと立ち去ってしまえば俺の勝ち逃げだ。
 昨日の教訓から持ってきていたカイロを片手で弄びつつ、その場から離れる。椅子の軋る音が、やけに印象深く耳に響いた。
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:33:03.56 ID:00RO4+wC0
 学校が気を利かせたのか、もしくは教員側の要望なのかは明らかでないが、今日に限って特別授業に類するものの予定は組まれていなかった。三年生を担当する教師は気が休まらないだろうから、たまの休息を与える意味もあるのだろうか。どちらにせよ、俺に参加の意思はない以上はどうでもいいことだが。
 
「失礼します」

 ……というよりも、講座がなかったところでこうやって招集がかかるのだから、結局どうしたって無駄なのだ。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:34:03.45 ID:00RO4+wC0
 進路についての要領を得ない会話を担任と繰り返しているうちに、三十分以上が経っていた。未だ自分の進む道を決めかねている俺と、基本的に進学の方向で話をまとめたがる教師とではどうにも相性が悪く、表面的な話し合いだけで中身が一切進行しない。まるで形骸化した儀礼みたいに、毎度似たようなことを言い合うだけだ。
 そりゃまあ、俺にだって気持ちは分かる。どこにだって受かる学生に就職なんてされてはこの学校の進学実績に穴が空くし、教師間のヒエラルキーにも影響するかもしれない。ただ、決まらないものは決まらないのだから早くしろと急かされたって答えが浮かんできようもないことくらい、うっすらでいいから承知してくれないものだろうか。
 教師としての視点は俺も手にしているから、向こうの苦悩も分かる。俺は本来必要のない迷惑をかける問題児に区分されているに違いない。ただ脳死で受験、進学を選んでくれるのなら、どこにでもいる優等生で終わったのだろうに。
 だけど、俺の精神性がそれを良しとはしてくれなかった。明確な目標を欲する気持ちが強すぎて、向こうが提示する特待生の条件や給付型の奨学金の話もほとんど頭に入ってきてくれないのだ。こんな状態で人生の重要な決定を下すには無理があるというのが正直な自己評価で、だから冷静になれる限界までゆっくり時間を使いたいのだが、それを許してくれるような世界ではない。まさか先方も、学力以外で躓く学生の存在を考慮に入れてはいないだろうから、話に折り合いをつけようがなかった。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:34:30.94 ID:00RO4+wC0
「ウィーン会議じゃないんだから……」

 なんなら踊ってすらいないから、そのたとえの正確性には疑問が残る。俺の手許には使い道の分からない各種説明書だけが残って、今から処分方法を考えていた。

「まさかこれがクリスマスプレゼントじゃねえよな……」

 プリントを睨みつける。五月の言ったことがこんな形で具現化したのだとしたら地獄が過ぎる。真っ先に捨てることを考え出さなきゃならないプレゼントとはなんだ。
 もらったものを乱雑にリュックに詰め込んで、足早に図書室への通路を歩もうとした、そのとき。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:35:08.89 ID:00RO4+wC0
「みっけ」
「びっくりするから普通に話しかけてくれよ」

 手の甲をぺしっとはたかれたので振り向けば、そこには覚えのある顔が。ついでに言えば覚えのあるヘッドホンが。

「びっくりさせようと思ったんだもん」
「ああ、さいで」
「む、感触薄」
「めんどくさい話の後で疲れてんだよ」
「話って?」
「進路。担任と」

 しまい込んだばかりの書類を再び引っ張り出して見せると、三玖は「あーっ」という表情で、ちょっとだけ眉を下げた。事情のなんたるかは察してもらえたらしい。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:35:38.31 ID:00RO4+wC0
「大変だね」
「向こうは仕事で俺は人生の一大事だ。まあ仕方ないだろ。……で、お前はなんで登校してんの?」
「ん」

 袖をくいくい引かれる。ここでの説明はお預けか。

「どこ行くつもり?」
「屋上」
「カツアゲかよ……」

 ジャンプしても小銭の音はしねーぞと思いながら、進路を変更して階段を昇っていく。この時期、積極的に屋外に赴く性質ではないので、ちょっとだけ脚が重かった。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:37:08.83 ID:00RO4+wC0
 連日の天候不順が災いしてか、屋上の各所が凍り付いていた。そこまで雪の多い地方ではないはずなのに、今年はやけに降り積もる。現在進行形で空は曇って、均衡がわずかに崩れようものなら容赦なく世界を脱色してしまいそうに見えた。

「お前も教員の呼び出し受けたのか?」
「ハズレ」
「違うのか」

 当たり前に勉強してくれるようになったとはいえ、根っこの勉強嫌いが失われたわけではないから、喜んで学校に来る奴ではない。講座がないのは既に明らかな以上、そういった類の招集を受けたものだとばかり思ったのだが。
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:37:37.15 ID:00RO4+wC0
「五月に用事?」
「それも違う。あったら家で済ませばいいし」
「それはそうか」

 わざわざ不要な労力を支払う必要性は薄い。じゃあ、どこに理由があるのだろうか。

「フータローに会おうと思ったら、取りあえず学校かなって」
「俺に用事?」
「うん。ほら、今日が何の日かくらい知ってるでしょ」
「アポロ八号が世界で初めて月の周回飛行をした日だよな」
「ふざけてる……?」
「こんなことを大真面目に言う奴がいたら縁切ったほうが身のためだぞ」

 俺なら切る。間違いなく。
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:38:17.93 ID:00RO4+wC0
「クリスマスだろ。そのくらい知ってる」
「ん。プレゼント、出来るだけ早く渡したくて」
「俺は何にも用意してないんだが」
「……お返しくれるの?」
「一旦忘れろ。怖え。目が怖え」
「くれるの?」
「血走らせるな。落ち着け」
「じゃあ、後からもらうってことで」
「ええ……」

 こちらからは何も発信していないのに決定事項のように処理されてしまった。まあいいけどさ……。いや、良くねえな。ねだられる前にちょうどいいものを見繕ってこないと無茶な要求を通される未来が見えすぎる。それはさすがに勘弁だ。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:38:47.22 ID:00RO4+wC0
「そのうちな、そのうち」
「今忙しいのは分かってるから大丈夫。余裕出来たらでいいよ」
「じゃあ、年度内には……」
「には?」
「……なんでもない」

 年度内。つまりは高校卒業までだ。俺はそのタイミングを期日に設けたデカすぎる約束を彼女らと結んでいるので、あまり積極的に話題に上がる可能性のある単語を発したくはなかったが、常に気を張っていられるわけもなく、こういう形で墓穴を掘ることになる。三玖の顔を見るに俺の失言には既に気づいている様子だ。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:39:31.41 ID:00RO4+wC0
「楽しみにしてるからね」
「……俺の甲斐性に期待すんな」

 明言されなかったから、楽しみにしているのがお返しなのか、それともまた別のものなのかははっきりしない。……でも、そんなに単純に終わるわけはないんだよな。
 というか、プレゼントとやらを送られる前からお返しの話をしてどうする。あくまで釣り合いが取れるような範囲で授受を行うべきだというくらいは俺の理解の内だから、向こうの贈り物の格を計ったうえで、こちらも弄策すべきに違いない。
 なのでまずは受け取ってみてから。

「気に入るか分からないけど」

 そう前置かれてから、三玖はごそごそと自分の鞄を漁り始めた。その場所に収まりきるサイズだという前情報をゲットだ。……いや、それくらいは言わずとも知れたことだけども。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:40:22.39 ID:00RO4+wC0
「フータロー、いつも寒そうにしてるから、ちょうどいいかなと思って」

 言いながら、一歩ずつ俺の方へと距離を詰める三玖。手元には、毛糸を組んだ細長い一品が。
 三玖はそれをそのまま俺の首元にするすると巻いて、満足げに鼻を鳴らした。

「本当は手編みにしたかったんだけど、そんな時間があるなら勉強に回した方が良いだろうから」
「ああうん、サンキュ……」
「無難過ぎたかな?」
「いや、あまりにもちゃんとしたものでびっくりしてるだけ……」
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:41:27.43 ID:00RO4+wC0
 一晩自由権やらなんやら、とにかくやばいものをもらってばかりいた気がするので、ここまでストレートにありがたいものを渡されると反応に困る。なんてプレゼントっぽいプレゼントなんだ……。格とかいうふざけた単語を持ち出した自分の浅ましさが滅茶苦茶恥ずかしくなる。
 これは真面目に考えないとなーと思いつつ、左右で微妙に長さにズレがあるマフラーを上手いこと調節した。当たり前だが、暖かい。

「風邪、引かないようにね。もっと早く渡した方が良かったのかもしれないけど、クリスマスの誘惑が強かった」
「ありがたく使わせてもらう。うん」
「他の子と被っちゃうかもしれないけどね」
「それならそれでローテ組めば……」
「えー」
「いや、気持ち多めに使うから……」
「ならよし」

 いいのかそれで。本人が言うなら問題ないってことだろうけど。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:41:58.80 ID:00RO4+wC0
「じゃあ、俺は五月のサポートにもど……」
「一日一回」
「最近控えめだったろ……」
「今日くらいいいでしょ……?」
「日に依るのか?」
「依るよ。すごく依る」

 依るらしい。初耳。
 今のことがあるので俺もあまり強く出られず、そのうちに彼女の接近を許してしまう。相変わらずの甘い匂いが体に毒でしょうがない。
 今巻いたばかりのマフラーをきゅっと引っ張られ、必然的に俯く。そこには既に、朱に染まった三玖の顔が用意されていて。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:42:35.39 ID:00RO4+wC0
「……っ」
「…………ん」

 なんでかいつもよりも長めにくっついた唇をやっとこさ離して、気恥ずかしさに任せて彼女の肩をぐっと押す。明るいうちから近づくのには慣れていないから、自衛だ自衛。

「ほら戻るぞ。防寒具があっても寒いもんは寒い」
「フータロー、顔真っ赤」
「どの口で言ってんだお前」
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:43:16.23 ID:00RO4+wC0
 やいのやいの言いながら屋上を後にする。暖房をケチる学校とはいえ、流石に風がないぶん体感温度も多少はマシになった。
 階段をとぼとぼ降りながら、ふと思い立って振り返る。なんだか、いつもと様子が違うような――

「何やってるのフータロー。早く行こ」
「ああ、うん」

 三玖に急かされて、前を向く。誰かが物の配置を変えたのか何なのか絶妙な違和感が消えなかったが、それを明かしてどうにかなるということもあるまい。
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:44:28.46 ID:00RO4+wC0
「このまま帰るのか?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ下駄箱まではお供するか……」

 ここでハイさよならではさすがに淡白すぎる気がした。先ほどの恩義込みで見送りくらいはしてやらないと。

「フータロー、そういう気遣い出来るようになったよね」
「おかげさまでな」

 ご機嫌取り、とも言うんだけど。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:45:19.82 ID:00RO4+wC0
「遅くなった」

 結局一時間ぶりくらいに図書室に舞い戻る。案の定、五月は姿勢よく勉強を続けていた。

「ん……?」
「どうしました?」
「背中、妙に埃っぽくなってないか?」

 瞬間、過去目の当たりにしたことがないレベルの俊敏さで五月が己の背を払った。こいつ、このレベルの潔癖症だったっけ……?

「なんでもありませんが」
「なんか息荒いぞ。大丈夫かお前?」
「なんでもありませんが!」

 やっぱり今日の五月はどこかおかしい。そのどこか、というのがパッと分からないのがもどかしいが、何かが狂っていることに違いはなさそうだった。
 まあ、今は態度がどうであれ勉強さえ進めばいい。俺が注力すべきはその一点だ。
 とにかく、ここがスタート。今日も出来るだけのことをしよう。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/19(火) 21:47:21.20 ID:00RO4+wC0
ここまで。R要素どこ……?ここ……?
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/19(火) 22:09:54.52 ID:dYsmv5MKo

五月ちゃんがかわいいからいいんだよ!
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/19(火) 22:12:47.02 ID:SFV7awLO0
おつ!
五月ちゃんが本当に可愛くてもうダメです
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/19(火) 22:18:36.33 ID:UbocYyfEO


行方不明のR18さんが早く見つかってほしいやら、もうちょっと迷子にになっててほしいやら…
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/19(火) 22:35:52.08 ID:apnJ+EdzO
おつ
原作より楽しみな自分がいる
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/19(火) 23:53:24.98 ID:onC1pQPR0
フータロー…浮気しちゃヤだよ…?
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/20(水) 18:17:19.07 ID:351OQfbf0

冷静に考えたら上4人に好きな人がすでに取られてるってかなりヤバイような気がww
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 13:15:21.09 ID:H27pBLlNo
見られちゃった…
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 15:36:16.70 ID:C6nx7ZGx0
今本編と同じくらい、下手したらそれ以上に続きが気になる作品ですわ
迷子のR要素さんは焦らず時間をかけて探してもらって全然構わないからその分当人が納得のいくものを書いて頂きたいものだ
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 19:59:27.41 ID:hStTkcAZ0
 ほんの少しの出来心が、己の存在に大穴を穿った。
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