中野五月「あいまいでぃすたんす」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

230 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 20:00:08.92 ID:hStTkcAZ0
 あの人の帰りがあんまり遅いのが気になって、心当たりを探りに行ったのが発端。この前と同様に肩を大きく落としながら職員室から出てきた彼を見つけたときには、もうその後ろに三玖が迫ってきていた。
 自分でもどうしてか分からなかったけれど、見てはいけないものを見るような気分になって、とっさに体を物陰に潜めた。会話が聞き取れるぎりぎりの距離から息を殺して盗み見る姉の横顔は、普段自分に見せるものとは趣が全く違っていて。
 警戒心の欠片もなく弛緩し、ほんのり上気した頬は、それはもう誰が見ても一発で看破できるくらい、恋する乙女のそれで。

『みっけ』

 ついでに言えば、声音までもが平時よりも半音上がっていて。
 その大きな感情を一身に受けている彼は、いつものぶっきらぼうな調子で、なんでもないように取り合う。
 けれど、二人の距離感は、私と彼の距離感よりもはるかに近いことが、なんとなく読み取れてしまった。
 息遣い。視線。声のトーン。そういったコミュニケーションの素地一つ一つが、明確に私に向けられるものと違うのが、本能的に、直感的に、理解できてしまう。
 それに気付いたとき、なぜだか無性に心臓の下のあたりが痛んだ。心がこんな場所に格納されていることを、生まれて初めて知ったように思う。
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 20:00:35.15 ID:hStTkcAZ0
 良くないことだと理解していて、階段を昇る彼らの後を追いかけた。屋上にたどり着いた二人にバレないよう自販機の陰に身を隠して、扉越しに聞こえてくる会話を拾う。
 小慣れたテンポで繰り返される言葉のキャッチボール。その一投一投が、着実に自分の内側を抉ってくる。三玖が今現在立っている舞台に、自分が未だ昇れていないのを時間をかけてじっくりと理解させられる。
 そのうちに足に力が入らなくなって、壁に背中を預けてどうにか体重を支えた。心臓が脈を刻む音が生々しく反響し、目も耳も全部塞いでしまいたくなる。
 でも、直視したくない現実に限って積極的に提示してくるのがこの世界らしく。

 一日一回。その単語の後に扉の向こうで展開された事象を思い描くのは容易かった。
 先ほどまで途切れることなく続いていた会話がそのときに限って絶えたのが、全ての証明だったと思う。

 その後は、記憶が千々に散ってよく覚えていない。どうにか二人に気付かれないよう体を丸めてやり過ごして、不在がバレないように急いで図書室に戻って。とにかく、必死だったことだけは確かだ。

 なんで、あそこに立っているのが私じゃなかったんだろう。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 20:01:02.35 ID:hStTkcAZ0
『あの、三玖』
『どうしたの?』
『お昼のことなんですが――』

233 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 20:01:46.52 ID:hStTkcAZ0
 日頃はただの置物になっている携帯電話が久々に仕事をした。滅多に聴かないコール音をちょっとだけ長く耳に染みこませてから、利き手で通話ボタンを押す。
 発信者表示は、『中野三玖』となっていた。

「もしもし。どうした急に?」
『た、大変!』
「何が?」
『だから、大変なの!』
「落ち着け」

 いつもは感情の起伏に乏しいのに、今は声だけで分かるくらいあからさまに動揺していた。つまりはそれ相応の一大事が起きているということで、聞いている俺にも緊張が走る。

「まずは何が起きたかから話してくれ。詳しいことはそれからだ」
『五月が――』

 五月が家出した、と。彼女は震える声でそう言った。
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/21(木) 20:02:26.93 ID:hStTkcAZ0
短いけどここまで。ようやく終わりが見えてきた。
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 20:09:14.97 ID:pFnUdSC3o
ウオオオ 乙
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 20:22:53.14 ID:aIvDw3d80
まだ終わっちゃヤダ
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 20:25:00.65 ID:6LyAn2BWo
またカレーおかわりしとんか
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/21(木) 21:24:23.22 ID:QVfarKxL0
乙です
やっぱ五月あの場面見てたんですね
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/21(木) 21:53:32.36 ID:h4Fg6hfL0
楽しみで昇天しそう
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/21(木) 23:15:56.29 ID:sc2L6Bif0
五月ちゃん視点ちょっとヤバイヤバイ……最高……
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/22(金) 07:23:46.47 ID:QgUiLtAjO


五月ちゃんはどこまで知ってしまったんだ
姉全員が肉体関係持ったと知れば確かに家出するだろうが…
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/22(金) 22:31:05.47 ID:qTMFazdg0
そう考えると四葉のメンタル強すぎる
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/25(月) 11:18:20.24 ID:143UZedbO
末っ子なのが余計かわいい
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:24:35.09 ID:nWbkMq5U0
 そぞろ歩く。冬の寒空の下を、上着の一枚も羽織らないで。
 頭の中に響いて消えないのは、先ほどした三玖との会話。自分はただ二人が知らず交際関係にあったのかを確かめたかっただけなのに、彼女の口から飛び出てきたのはそんな予想をはるかに上回ってくる、出来ることならば知らないままでいたかった特大の秘め事で。
 本当は祝福するつもりでいた。その用意を万全にしたうえで、話しかけたはずだった。三玖が彼に対して好意を持っていることは本人直々に聞かされていたのだから、それが正しい行いだと思っていた。
 自分の中にある嫉妬や後悔自体は否定しない。なぜ私では、という思いが常に脳裏をチラつくことも事実で、その感情に嘘はつけない。でも、姉妹が思い人と結ばれたのならそれが喜ばしいことでないわけがないのだ。だから、渦巻く様々な感情の処理は後回しにしたって、今だけは素直に祝う側に回ろうとしたのに。
 なのに、なのに、なのに。
 そんなのは、あんまりだ。
 私には見えていないところで、私には分からないうちに、私以外の全員が、密かに彼と繋がりを持っていたなんて。
 いつからとか、誰からとか、そういうのはどうでも良かった。『そういう事実があった』というだけで、既に乱れ切っていた私の心を壊すには十分だった。
 
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:25:04.63 ID:nWbkMq5U0
 出会いは、決して良好なものではなかったと思う。第一印象はどう繕っても最悪で、あんな人に自分たちの未来を任せるだなんて考えられなかった。自己中心的でデリカシーに欠け、こちらの考えも知らずにずけずけと心の深くまで歩み寄ってくる。そんな彼のやり方には不満を持つことばかりで、何度も何度も衝突した。勉強ができる人に、努力しても努力しても成績に改善の見られない自分の気持ちが理解できるわけがないのだと思いもした。頭の出来が初めから違うのに、分かったような顔で語らないでくれと。
 でも、そんな絶望的な関係の中でも、ゆっくり時間をかけて育めたものだってあって。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:25:39.05 ID:nWbkMq5U0
 彼のしつこさや諦めの悪さは私たちの可能性を信じて疑わなかったがゆえのもの。ぶっきらぼうな言葉の数々は人付き合いに慣れていないあの人なりの励まし。その他にも、考えが変わったことはたくさん、たくさんあった。斜に構えた受け取り方を排することで見える本質が、たくさん身近に転がっていたのだ。彼はただ不器用なだけで、実際は感情表現が下手くそな普通の人だって。そんなことに気付くまでに一年もの時間を要しながら、それでも私たちは、お互いのことを少しずつ理解し合いながら、笹船が進むくらいのスピードで、じっくり、じっくり、歩み寄れた。
 そして、その過程で、私は。私は……。
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:26:12.52 ID:nWbkMq5U0
 なのに、なのに、なのに。
 どうして、こんなことになってしまうんだろう。
 どうして、こうなってしまったんだろう。
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:27:05.06 ID:nWbkMq5U0





 ――ねえ、上杉君。分かり合えたと思っていたのは、私だけですか?





249 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/25(月) 20:28:19.64 ID:nWbkMq5U0
またもちょっとだけ。三月中に完結できるよう頑張ります。
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/25(月) 20:45:54.92 ID:KBfbSv6K0
乙!

ゆっくりじっくり書いていってね!
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/25(月) 20:45:55.47 ID:N8qyfJUp0
はい、一方通行です
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/25(月) 20:46:46.68 ID:K8M0YQ6+o
乙 五月ちゃあああああああん
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/26(火) 00:28:39.26 ID:FWlNWsQo0
やっぱ仲間はずれはイカンよ
五等分しなきゃ
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/26(火) 12:55:40.28 ID:cpYDJ+xPo
どことなくリゼロの文体に似てる
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 09:59:23.02 ID:k+gLGRjTO
文末表現とかたしかに
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 20:58:35.69 ID:k2Ps0f6K0
 三玖からの一報を受けて、あてもなく夜の外に飛び出した。なんでも完全にノープランで出ていってしまったらしいから、財布とかコートとか、そういったこの時期生きていくのに最低限必要なものすら五月の手許にはないという話だ。
 五月、家出、と、この二つの単語を並べたとき、当然思い当たるものがある。あれは一年と少し前、姉妹間でのちょっとした諍いがトリガーだった。
 だが、今回の家出は前回と異なって、二乃と連れ立っての行動ではない。あくまで家からいなくなったのは五月だけで、そしてその理由も、前とはガラッと変わっている。
 まあ、有り得る話ではあった。いつまでも隠し通し続ける無理も、いつまでも騙し続ける無謀も、そう上手いこと続いてくれるわけはない。そのうちにバレてしまうことは明らかで、それが今になったというだけ。喋ってしまった三玖を責められはしない。
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 20:59:07.52 ID:k2Ps0f6K0
 けれど、どうしてこんなタイミングで……という思いが心のどこかにあるのも事実。いいや、伝わっていいタイミングなどありはしないけれど、それにしたってもう少し後になって欲しかった。よりにもよって受験前で余裕がないこの時期に、そんな意味の分からない情報を叩き込まれてしまえば大半の人間は思考がパンクする。不器用で人間関係に潔癖を持ち込む五月であればなおさら、受け入れることなんて出来ずに困惑して当たり前。というか、戸惑いどうこうの前に普通に激怒していると思う。積み上げた信頼なんて、あっさりと消え去ってしまったはずだ。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 20:59:39.20 ID:k2Ps0f6K0
 分かっていたつもりだった。自分が進んでいる道がどれほど危ういものだったかくらい。なんでここまで綱渡りが成功したのかも謎なんだ。個々人の利益追求がたまたま他者の尊厳を侵さないギリギリのラインを攻めていたからだとは思うのだが、その利益関係に関わらない人間が輪に加わった場合にどうなるかは考えるまでもなかった。この歪な関わりを見れば理解不能で気味の悪いものとして認識されるに決まっている。登場人物の大半が自分の身内であればなおさら。
 その場しのぎを続けに続けて、最後に最悪な形でボロが出た。分岐点はおそらく、二乃に襲われたあの日。あのときに下手な対応をしなければ、現状ここまでこじれることはなかったように思う。確かに一度完全に信用を失うことにはなるが、一度の過ちならまだどうにかリカバリすることが出来た可能性もある。俺はその可能性とやらから目を逸らして、更なる修羅へと歩みを進めてしまった。
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:00:11.48 ID:k2Ps0f6K0
 ――いや、どうだろう。
 信用とか、信頼とか、分かるようでよく分からない単語を引っ張って、自らの思考に誤魔化しをかけている気がする。俺は瞬間的にそんな見込みが出来るほど鋭い人間じゃない。
 俺はきっと、自分でもよく分からないうちに、自分自身を欺いている。簡単な結論に面倒なカモフラージュをして、率先的に分かりにくくしてしまっている。認めてしまうのがものすごく癪で、負けてしまったような気分になるのが嫌で、隠している感情がある
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:00:38.19 ID:k2Ps0f6K0
 五つ子に、仲のいいままでいて欲しい。……いいや、これは違う。だって、これに関して言えば隠してなんかいない。俺は日常、ぼんやりとでもはっきりとでもこの思いを抱えながら姉妹に接し続けてきて、ここまで入り組んだ人間模様を中心となって演出してしまった今になっても、その思い自体は変わらず心のどこかに持っている。俺が本当に願っているのは、これ以外の何かだ。
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:01:09.08 ID:k2Ps0f6K0


 では、なにか。
 
 俺の思いは、願いは、なんなのか。

「それが分かんねえから苦労してるんだっての……!」


262 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:01:38.04 ID:k2Ps0f6K0
 冬で、夜だ。当然寒い。この前二人並んで帰った時よりもずっとずっと寒い。
 気温でいえばみぞれが降るほどだったこの前の方が低いはずなのに、なぜか俺の体からは寒気が消えない。三玖からもらったばかりのマフラーをきつく締めても、上着のファスナーを限界まで上げても、震えが止まってくれやしない。
 熱があるわけでも、体調が悪いわけでもないのに、寒さがいっそう辛いものに感じられるのは、いったいなぜか。どうしてか。
 分からない。俺には、なにひとつ。

 でも。でも……。

「……………………ッ!」
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:02:06.03 ID:k2Ps0f6K0
 頭の中に溢れかえるありとあらゆる思いを振り切るように、思い切り地面を蹴り飛ばした。靴とアスファルトとが擦れ合う音が何度も何度も反響して、その音がいつまでも自分の中から消えないように、がむしゃらに駆ける。体力なんてもう尽きているというのに、それでもまだ気力を捻出して脚を動かす。五月が居そうな場所を片端から訪ねて、また訪ねてを繰り返す。今頃、他の姉妹もそうやって彼女を探していると思う。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:02:41.03 ID:k2Ps0f6K0
 こんな情けない俺でも、分かることはあった。五月がどんな奴で、今ごろどんな行動をとっているかくらいは想像がついた。あいつはきっと、今もこの冬空の下をさまよっている。俺に対する嫌悪とか、姉妹に対する不信とかを心の中でごちゃまぜにしながら、体を寒風に吹き晒している。そういう奴だって知っている。
 こうやって探し回っているくせに、もし見つけたら何を言うかも考えていない。みっともない釈明をするのか、謝って赦しを乞うのか、その方向性すら己の中で定まりがついていない。それでも見つけなきゃいけないという思いだけが先行して、空転して、ひたすらに脚を前に動かした。どうしたって彼女がいないことには始まらないから
というのはもちろん、今立ち止まったら自己嫌悪で死んでしまいそうだからというのもある。あのときああしておけばの連続で、頭が破裂してしまう。それは、ダメだ。
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:03:12.57 ID:k2Ps0f6K0
 だって、後悔は俺に許された行為じゃない。
 流されるままにこんなところまでやって来た責任は俺にあって、だからその末路を受け取るのも俺である必要がある。目を逸らすのは簡単で、現にこれまでずっとそうしてきて――でも、もうその手段はとれない。自分が立っている場所はとっくの昔に袋小路のさらに奥。複雑に絡み合った蜘蛛の巣の上。今更どうにか逃げようともがき足掻いたところで状況を悪くするだけだ。無論、現状維持ですらこの場面においては悪手。だからそろそろ、きちんと正面から向かい合わなきゃいけない。最低だろうが最悪だろうが、きちんと一つの出来事として片をつけないといけない。自分の不始末をなんとかするのは、やっぱり自分自身の仕事だと思うから。
 散々酷い道のりをたどってきて、途中途中で甘い蜜だけをすすった俺への罰と思えばまあ、納得が行く。
 俺はもうどうでもいい。だからせめて、彼女たちの関係をもう一度つなぎ合わせられるように。俺という異物が崩壊させてしまったものをどうにか再建できるように。
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:03:56.37 ID:k2Ps0f6K0



 ――いいや、それは、己の真意との間にいくらかの齟齬がある。


267 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:04:31.37 ID:k2Ps0f6K0
 違和感があった。今思ったことがどうにも受け入れられないような、不思議な違和感が。この期に及んで何を……という話だが、突如聴こえた不協和音は放置しておくにはあまりにも不気味で、だからもう一度、自分の持っている感情を精査したくなる。
 俺の行動の源泉となっているのは、何とか彼女たちを笑顔で卒業させてやりたいという思いだ。そのためには全員の信頼を損ねるわけにいかなくて、何度も何度も苦しい言い訳を積み重ねた。そうしないことには五姉妹の成績を維持、向上させられなかったから。
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:05:03.15 ID:k2Ps0f6K0
 では、もはや全員の卒業が確定的になった今、それを引きずる必要が果たしてあるのかどうか。
 当時打ち出した苦肉の策はあくまで苦肉の策であって、いつか綻ぶことは重々承知していた。だからこそ俺はその綻びが先延ばしされるように尽力したし、その過程であれこれ追加で秘密を抱えてきた。
 正直な話、もうここまできたら全部投げ捨てても良いのだ。俺は不完全ながらも当初請け負っていた仕事は遂げたし、彼女たちは次へと進む権利を得た。大筋で見ればそれなりの結末。あとは報酬だけ受け取って縁を切ってしまえば、また昔のような日常に戻ることが出来る。静かで、波が立たない、気楽な日常へ。――静かで、何も起こらない、面白味の欠片もない毎日へ。
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:05:34.65 ID:k2Ps0f6K0
 あいつらと知り合ってからの日々は面倒ごとの連続で、ちっとも休まる暇がなかった。直に教えていない時間にも次の授業についてのことを考えなくてはならなかったり、家族の問題に俺が顔を突っ込むことになったり。割の良いバイトだとウキウキしていられたのはほんの少しの間だけで、蓋を開けてみればとんでもない地雷がそこら中に埋まっている、事前に内容を確認していたら願い下げ確定の超ブラック業務。借金のことさえなければやめられるのにと思った回数は両手の指どころか両足の指まで含めても足らず、何度も何度ももっとよく考えた上で始めるべきだったと後悔した。
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:06:04.28 ID:k2Ps0f6K0



 それなのに、なんで俺は今、こうやって家庭教師の座にしがみつこうとしているのだろうか。


271 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:06:31.09 ID:k2Ps0f6K0
 やめられるのならやめたかったはずの仕事で、一度は自分から暇をもらったこともあった。それなのにいつの間にか復職して、あまつさえ、関係が切れることを寂しいなどと思ってしまいもして。
 変わっていく己の心に追いつけないまま、気付けばこんな場所にまでやってきていた。
 気持ちの整理をつけるタイミングをいつまで経っても見つけられなかった俺は、自分がどんな思いで彼女たちに接しているのかを理解できないまま、時間だけを溶かしてしまった。
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:06:59.94 ID:k2Ps0f6K0
 今になって認められることはある。俺は確かに、あいつらと過ごす空間を、時間を、どこか居心地のいいものとして認識するようになっていた。自分がこれまで目的なく身に着けてきた知恵を活用して誰かの役に立てられるあの場は、もしかしたら俺が長い間心のどこかで欲していた舞台なのかもしれなかった。いつかの日のためにと蓄えた知識や経験を活かせる場所はなかなかに得難くて、だから、偶然からそれを手に出来て、幸運だったのかもしれないと思うようにもなっていた。
 その感情に、偽りはあるだろうか。――ないと思う。これまでの日々は確かな記憶として、今も俺の中に蓄積されている。
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:07:31.46 ID:k2Ps0f6K0
 嬉しかったのだ。俺の積み上げてきたものが無駄じゃないと証明されたみたいで。あの子に恥じない自分になれたような気がして。だから、その機会を与えてくれたあいつらには、漠然とした感謝の情を抱えていて。
 徐々に俺に心を許してくれるようになったあの感覚も、俺の教えで次の目的地へと導いていくあの感動も、彼女たちなしには掴みようがなかったもので。
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:08:14.40 ID:k2Ps0f6K0
 だからきっと、その過程で生まれたのだ。当初は微塵も持っていなかった、新しい感情が。

 それはたぶん、自分が考えるよりもずっとずっと単純なこと。
 
 あまりに当たり前になり過ぎて、わざわざ言葉にする必要もないと己の中で処理してしまったもの。
 
 自身の感情を何度も何度も再編して残ったその上澄みは、実はそこら中に転がっているくらいシンプルな――

「俺は」

 もやもやとして判然としない思いを、きちんと言葉の形にする。この工程を経て、初めて飲み込める気がする。

「俺は――――」
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:09:07.65 ID:k2Ps0f6K0
 続けた言葉は、驚くほどにしっくりと馴染んだ。口から発した文章が耳から再度自分の中に入り込んで、ゆっくり時間をかけて体内を循環する感覚が心地よかった。なんてこともない、くだらない、どこにでもある言葉なのに、今の俺にはこれしか必要が無いようにすら思える。それくらいに、長いこと探し求めていた解答だった。
 つくづく、学校の成績などなんのあてにもならないことを痛感する。こんな答えを導き出すのに時間をかけ過ぎだ。どう考えても。
 そう思いながらため息まじりに蹴飛ばした小石が、小さく跳ね回りながら、とある障害物にぶつかってその勢いを完全に失った。夜中の墓地は酷く不気味で、幽霊なんか信じていなくても背筋に震えが走りそうになる。
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:09:44.07 ID:k2Ps0f6K0
 いや、違うか。震えそうになっているのが事実だとして、その原因は決して幽霊なんかではない。適当な理由付けに利用される心霊現象サイドからしたらたまったものじゃないだろう。
 俺はきっと、怖いんだ。今しがた答えに気付いてしまったがゆえに、これからそれにヒビを入れるかもしれないのが怖い。端的に言えば、臆病になってしまっている。
277 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:10:16.41 ID:k2Ps0f6K0



 でも、言わないことには始まらないから。

 だから一度大きく息を吸って、吐いて。

 いつかと同じように、またこの言葉から幕を開こう。



278 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/27(水) 21:13:16.12 ID:k2Ps0f6K0
ここまで。クライマックス感が出てきたな???
279 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 21:15:44.48 ID:I4AsWFXPo

リアタイで見てたらフータローくんの焦燥感が伝わってよかったわ
280 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/27(水) 21:19:06.47 ID:wvjxY6URo
曖昧な距離感を明らかにする物語だったか
281 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/28(木) 05:40:10.19 ID:6ehUZN3vo
おつ
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/28(木) 05:47:12.81 ID:3TpuBLCf0
墓場でえっちはまずいですよ!
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/28(木) 14:05:00.28 ID:J12SrXVg0
墓場で夜の運動(会)はキタロウの時代から決まっているのである
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/28(木) 14:16:32.92 ID:uDXBdSs+0
朝帰りして寝床でグーグーグー
285 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/03/28(木) 14:17:34.89 ID:TELkMnTDO
いたいけな彼女を思い出した
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/30(土) 01:52:17.66 ID:ge6IBpmR0
3月が終わるまで48時間を切ってしまった
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします :2019/03/30(土) 07:55:02.58 ID:g0peiCjzO
その時期に墓場っつーか外でヤッたら死ぬんじゃないかなさすがに…
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:01:08.20 ID:ybCgTbmS0
「見つけた」

 足にぶつかった小石を怪訝に思ってそちらの方を向いたところ、見慣れた誰かさんが顔面蒼白になって息も切れ切れのまま佇んでいた。聞こえた言葉は掠れていて、ずいぶん自分のことを探し回ったのだろうなというのが見て取れる。今会ったところで、特に話せることもないというのに。
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:01:38.59 ID:ybCgTbmS0
「探したぞ」
「お願いしていません」
「怖がりのくせにこんな時間の墓場にいるのは盲点だった」
 
 彼は目の前の墓石を見ながら言う。私の言葉に取り合うつもりがあるかどうかも分からない。石碑のとある場所を懐かしむように指でなぞって、そのまま二の句を継ごうとする。
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:02:13.82 ID:ybCgTbmS0
「お前の姉貴たちも、まだ必死になって探してる」
「知りませんよ、そんなの」
「家に帰る気は?」
「まさか、あんな話を聞いたうえで、今まで通りの生活に戻れるとでも?」

 できる限りの力で睨みつける。ちょっとした仲違いや喧嘩ならまだよかった。どちらかの譲歩によって改善の見込みがある程度の出来事なら、人生において何度か起こり得る喧噪の一部として仕方ないながらも受け入れられた。
 でも、こと今回に至ってはそうじゃない。見せられているのは大いなる価値観のズレで、それはとてもじゃないけれど自分に馴染むようなものではない。
 体表を爬虫類が這い廻るような気味の悪さがずっと消えてくれなくて、許されるのなら今にも叫びだしてしまいそうだった。様々な感情が自分の中で複雑怪奇に混ざり合っていく感覚が、酷く恐ろしい。
291 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:02:51.85 ID:ybCgTbmS0
「あなたのことを信頼していました」
「そりゃどうも」
「……でも、それはあくまで、昨日までの話です」

 知らないままでいられたら、どれだけ幸福だったかと思う。そうしたらきっと今だって、彼は頼りがいのある私たちの家庭教師でいてくれたはずなのに。
 しかし、裏でどんなことが起こっていたかを知った今になれば、もう。
 呑気な視点で考えることは、出来なくなってしまって。
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:03:33.13 ID:ybCgTbmS0
「私には、あなたのことが分かりません」

 これが、何よりも正直な感想。彼がどんな人間で、どんなことを考えて動いているかをなんとなく掴んできたつもりだったのに、一日の間でそのすべてが否定されてしまった。同時に自身の審美眼すらも信じられなくなって、何を拠り所にして歩けばいいかが分からなくなる。
 私が思い描いていた彼の人物像は、実像と符合しない。ずっとこの目で見てきたものは虚像であって、本物ではない。そう思うと、世界全てを疑ってしまいそうだ。
  全幅の信頼を寄せていたはずの相手が実は酷い隠し事をしていて、しかもその裏には姉妹の結託があった。仲間外れは自分だけ。どうしたって、その事実に納得できない。
293 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:04:09.78 ID:ybCgTbmS0
「一人にしてください。これ以上お話しすることはありませんから」

 決意をもって突き放す。今は誰が近くにいてもダメだ。私に寄り添ってくれそうな人間に限って、ことごとく私の心を裏切っている。そんな中で当たり前のように呼吸することは、とてもじゃないが不可能。頼るアテはどこにもないが、なんとかしてみんなと距離をおかないことには気持ちの整理すらつけられない。お願いだから放っておいて欲しい。
 でも、心の底からそう願っているのに、彼はなぜかその場から去ろうとしない。
294 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:04:57.42 ID:ybCgTbmS0
「早くいなくなってくださいよ……」
「残念ながらそういうわけにもいかない」
「ここにきて教師面ですか?」

 言葉の端々に棘が生えている。己の中で息を潜めていた攻撃性が、生まれて初めて牙を剥いている。
 自分のそういう部分に向き合うのは苦しい。剥き身の心で人と接してはすぐさま何かが摩耗してしまう。だから、今すぐにでもここから去ってもらいたかった。周りのみんなを嫌いになりかけている今、自分さえも嫌いになってしまったらどこにも寄る辺がなくなってしまう。そうなれば落ちるだけになってしまう。それはきっと何よりも恐ろしいことだから、私のことを案じる気持ちが少しでもあるなら、ここは放置の選択をしてもらいたい。
 デリカシーのない彼にだって、この程度の感情の揺らぎなら推し量ってもらえるはず。
 そう思っているのに、やっぱり立ち去ってはくれなくて。
295 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:05:47.31 ID:ybCgTbmS0
「今更できる教師面なんか持ってねえよ。やったことに関しても、全面的に認める。言い訳するつもりもない」
「開き直り?」
「好きなように受け取ってくれ。訂正可能な立ち位置じゃなくなってるしな」

 意図して目を合わせず、声の抑揚を殺す。感情的になっているということさえ、今の彼に知られたくはなかった。全てを鎖して心理的な距離を設けるのが、一番有効な精神防衛策だと思った。
 熱くなったところで、怒ったところで、これまでにあったことが改まる道理はない。事実は事実として厳然と世界に存在し、どうあっても失われたりはしない。なら、そんなことに労力を割くだけ無駄だと割り切るのが尤もらしい。
 皮肉なことに、彼がこれまで私に教えてきた効率化の方策が役に立っている。あらゆる出来事に対し、真っ当な姿勢で臨む必要はない。人生には、取捨選択が要る。
 願わくば、この関係が簡単に切り捨てられるようなものなら良かったのに。
296 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:06:26.00 ID:ybCgTbmS0
「本当に弁解しないんですか。私が間違った解釈をしているかもしれませんよ」

 だが残念なことに、自分の不器用さがいつまで経っても道行きの邪魔をする。彼を信じたい気持ちがどうしても消えてくれなくて、こちらに勘違いがあった可能性に期待してしまう。
 そんなこと、望むだけ無駄だと分かっているのに。自分の弱さが、そうさせてしまう。
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:07:01.30 ID:ybCgTbmS0
「間違ってねえよ。たぶんだけどな。ずっと、バレたらロクなことにならないだろうなと思ってきて、実際に今そうなってる。なら、合ってる」
「そう、ですか」

 関係修復への一縷の望みも絶たれた今、いよいよもって自分がどうすればいいか分からなくなる。いっそ思い切り彼の頬でも張ってやれれば良いのだろうけれど、そんなことをしても何かが解決する風には思えなかった。たまった鬱憤をそんな形で晴らした虚しさが心を余計に冷たくするだけだ。
 彼は私に不義理を働いていて、私はそのことに気付きすらしなかった。結局、残るのはそれっきり。
 所詮、私たちはその程度の間柄に過ぎなかったということなのかもしれない。
 いい加減に低下してきた体温と底冷えしていく思考とのダブルパンチで、無意識に上半身を掻き抱いた。防寒着すら着ないで外に飛び出すなんて、なんて意識の低い受験生だろう。
 すると、そこに。

298 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:08:10.64 ID:ybCgTbmS0
「ほら、とりあえずこれ羽織れ」
「今のあなたから施しなんて……」
「損得勘定くらいしとけ。ここで体調崩して困るのはお前だろ」

 こんな中においてもいつもと同じ傍若無人っぷりを発揮しながら自分の上着を強引に押し付けてくる人がいた。ここで自棄になって全てを放り出せるなら楽でいいのだろうが、現実はそう単純な構造をしていない。立ち尽くしていても明日は来るし、それを繰り返すうちに受験に襲われる。今はそんなことを考えたくないのに、学生の性としてどうしても乗り越えられない壁がある。それを思うたびに、自分のちっぽけさに嫌気がさす。全部投げ捨てて台無しにしてしまえるような性格だったら、こんなことにはならなかっただろうか。
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:09:19.75 ID:ybCgTbmS0
 そして、何より。
 彼の気遣いを嬉しいと感じてしまう自分がいるのが、辛かった。 
 彼の匂いと体温が残るコートに触れて高鳴ってしまう心音に気付くのが、苦しかった。
 浅ましいと思う。醜いとも思う。この期に及んで何を考えているのかとも。しかし、思考と感情は別々に切り離せるようなものではないから、どこかから湧き出してくる喜色を否定することは叶わなかった。嫌いになったつもりでも、それを自分に信じ込ませても、心中深くに眠る真意までもは欺けない。
 きっと、未だ惹かれている。
 現実を理解しても、なお。
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:10:00.38 ID:ybCgTbmS0
「せっかくここまで自分の意思で頑張って来たのに、それを俺みたいなどうでもいい奴の茶々でひっくり返してたら世話ねえよ」

 聞いて、やはり彼は根本的にずれているのだと思った。だって、本当にどうでもいい人だったら、何一つとして歯牙にかけずにいられたはずだから。彼が私たちにとって欠かせない存在になってしまったからこそ、こんなにも心が乱れているのに。彼が私の一部になってしまったせいで、こんなにも苦しい思いをしているのに。

301 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:10:39.01 ID:ybCgTbmS0
「……話すだけ無駄なのかもしれません。私とあなたは分かり合えない。もうそれでいいでしょう?」
「初めから会話が成立するなんて期待はしてないから気にすんな。こうなるのは予定調和だ」

 思わず、「はぁ?」と聞き返してしまった。あまりに傲岸な言い分に、少し苛立つ。どう考えても状況は私優位なのに、なぜそんなことを言われなくてはいけないのか。さっき感じたはずの思いやりは偽りだったのか、と。
302 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:11:34.37 ID:ybCgTbmS0
「お前に会ったところで何も言えることなんかないって知ってる。言い訳も弁解も釈明も申し開きも、どれだけ重ねたって意味がない。だから、俺はようやく終わった自己分析を開示しに来たんだ」
「それは、どういう……」
「どうもこうもない。ただ、ずっとよく分からなかった自分の内面を考察してみて、その結果としてなにが分かったのかを伝えようと思った」
「それは、今関係あることなんですか……?」
「受け取り方次第だ」

 この時点で、だいぶ意味が分からなくなっている。なぜ私はそんなことに付き合わされそうになっているのだろうか。まともに取り合う気力すらどう捻出すればいいか分からなくなっている、今この状況で。
 しかし、彼が意味のないことを好んでする人間でないことは経験則で知っていた。なら、これからの話にもそれだけの意味が包含されると考えるべきか。……それは期待が過ぎるように思えてならないけれど。
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:12:20.76 ID:ybCgTbmS0
「不思議だったんだ。これだけの泥沼に両足どっぷり浸ってまで、自分の立場を守ろうとするのが。そうする理由はたとえば借金苦から逃れるためだったり、お前らの卒業まではなんとか面倒を見てやりたいという思いからだったり、色々挙がりはした。でも、そういうのは全部しっくりこなかった。間違ってはいないけれど正しいとも言い切れないような微妙な感触が付きまとって、長いこと悩んでいた」

 相槌を打つ間もなく、彼の言葉は続々と繋がっていく。
304 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:12:47.85 ID:ybCgTbmS0
「お前らと出会ってからの毎日は災難続きで、どうやって逃げるか画策したこともあった。というか、いつも考えていた。俺は家庭教師をしにきただけのはずなのに休みはつぶれるわ姉妹喧嘩に巻き込まれるわで、どう考えても通常業務の領域を逸していると思うことばかりだった」

 続く。
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:13:26.71 ID:ybCgTbmS0
「だけど、その環境の中で、少しずつやりがいのようなものを見出していったのかもしれない。いつしかお前らに教えることは苦ではなくなっていたし、それが自分の糧になっているような感覚も得るようになった。ただ知識だけを積み上げてきた俺の人生において、お前らは初めてアウトプットに付き合ってくれた。全員の成績が少しずつ向上していくのが自分のことのように嬉しくて、見える世界が大きく広がった気分になった。そして、それは今も変わっていない」

 続く。
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:14:04.93 ID:ybCgTbmS0
「俺はたぶん、自分が教える以上に、お前たちから教わっていたんだ。下手くそな人生の改め方とか、人との接し方とか。教科書をどれだけ読み込もうが身に付かなかった知恵が、お前たちには備わっていた。知識を与える見返りとして、知恵を享受していた。それはきっと、あのまま人生を歩んでいたら身に着かないでいたことだ」

 続く。
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:14:33.21 ID:ybCgTbmS0
「だから、素直に感謝している。出会えたことで、俺は変わった。変えてもらった。……まあ、俺が良くない方向でお前らを変えてしまったのはここでは別問題として」

 続く。
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:15:01.83 ID:ybCgTbmS0
「じゃあ、ここで最初の疑問に立ち返ろうと思う。なぜ俺が、今の立場に縋りついているのか。俺なりの分析でようやく求めだした答えを、聞いてもらおうと思う」

 続く。
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:15:31.18 ID:ybCgTbmS0



「俺は、きっとさ――」



310 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:16:11.50 ID:ybCgTbmS0
 ここでようやく、途切れることなく続いていた彼の言葉に隙が生じた。水が流れるようにすらすらと繋がっていた台詞に切れ目が出来て、風の音以外が世界から消え去った。
 何を目的としたタメかは分からなかった。これから先の言葉をより一層際立たせるための助走のようなものだったのかもしれないし、単純に、言葉が出てこなくなったからかもしれない。もしかすると、彼にとっては珍しく、言葉にするのをためらっているなんてこともあるのかも。
 本当は聞いてあげる義理なんてない。耳を塞いでいても、ここからいなくなってしまってもいい。彼がしたことを考えれば私がこれからどんな暴虐を働こうがそれを咎められるいわれはないし、無視して良い。
 でも、今この瞬間だけは、なんでか黙って聞き届けようという気分になっていた。そうすることが一つの義務だと言わんばかりの強制力が世界から働いているようで、不思議とフラットな気持ちでいられた。
 単純に、興味がある。頭の良い彼が時間をかけて導き出した自己分析とやらがどんなものなのか。この場から立ち去るのは、それを聞いた後でも遅くない気がする。
311 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:16:51.43 ID:ybCgTbmS0



「――お前たちに、嫌われたくなかったんだ」


312 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:17:40.27 ID:ybCgTbmS0



 ぽかん、と。
 思考が一瞬で漂白されて、思ったことも考えたことも、全てがどこかへ遠ざかってしまった。



313 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:18:12.23 ID:ybCgTbmS0
「呆れる気持ちも、下らないと言いたくなる気持ちも分かる。でも、これが長いこと時間をかけてようやくたどり着いた結論だ。笑いたきゃ笑ってくれ」
「そ、そんな、意味が……」
「そのまんまだよ。お前らに頼られる感覚が心地よくて、出来るだけ長くその環境に身を置いておきたいと願った。慕われる自分を守るために、ここまで色々間違ってきた。それもこれも全て、嫌われたくないというその一心からの行動だったんだって気づいた」

 彼は首を傾げながら困ったように笑って、

「我ながら酷い話だと思う。そうならそうで、もっと選べるやり方はあったはずなのにな。でも、俺はそういうことにはとにかく疎くて、だから誤魔化しに誤魔化しを重ねることでしか対応できなかった。泥沼に足をとられていくのが分かってもなお、信頼ってやつを手放したくなかった」

 まあ、それも今となっては台無しだけどな、と続いた。
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:18:55.19 ID:ybCgTbmS0
「とにかく、これで全部だ。最後まで付き合ってくれてありがとな」

 そして、ようやく、彼の姿が視界から遠のいていく。結局、やって来たことに対する謝罪も弁解もすることなく、あらゆることを自己完結させて、全部終わらせた気になって、この場から去って行く。

 ねえ。
 
 あなたは、それでいいのかもしれないけれど。

 私の気持ちはどうなるんですか?
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:19:44.05 ID:ybCgTbmS0
「ちょっと!」
「……呼び止めを誘ったわけじゃないから、もう無視で良いぞ」
「そうじゃないでしょう! 自分は気持ちよく言いたいことを言い切って、その後のことは丸投げですか!」
「だって、お前は赦さないだろ。なら、どれだけ時間をかけても無駄なことだ」
「あーーーーー、もうっ!」

 やはり、ズレている。こういうときに効率性を度外視できないところとか、決めたら曲げないところとか、前から何一つとして変わっていない。私たちから学んだようなことを言ったくせに、結局根っこは彼のままだ。それが果たして悪しきことなのかは私の視点だけで断じることはできなかったけれど、確かに一つ、言えることがある。
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:20:12.13 ID:ybCgTbmS0
「上杉君は大馬鹿です!」

 感情を見せるのが嫌だったはずなのに、そんなことはすっかり忘れたような大声を出す。ここには二人しかいなくて、距離も離れていなくて、こんな声量は要らないのに。それでも、彼に対する苛立ちや憤りが渦を巻いて、こうしなくてはやっていられない。
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:20:43.12 ID:ybCgTbmS0
「もっと出来ることがあったでしょう! 正直に相談するとか、早い段階で謝るとか、色々!」
「だから、嫌われたくなかったんだっての」
「一度や二度で嫌いませんよ。私が怒ってるのは、ずっと隠し事をされていたことなんです!」
「普通言えねえだろ。お前の姉妹とやることやったなんて」
「どうしようもない事情があったなら、初めに言ってくれればよかったんです。困っているって教えてくれれば、私だって、私だって……!」
「私だって?」
「……私だって、あなたの力になれたかもしれないじゃないですか」

 いつも頼ってばかりだから、いずれどんな形になるかは分からないけれど恩返しがしたいという思いがあった。向こうから頼ってもらえるタイミングを待っていた。それなのに、知らないうちにこんなことが起こっているなんて。
318 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:21:17.93 ID:ybCgTbmS0
「信頼してくださいよ。私のことも」
「いや、だから……」
「言い訳はしないんじゃなかったのですか?」
「これはそういうのじゃなくて、えっと……」

 口ごもる彼を無視して、今度はこちらから言葉を紡ぐ。どうせなら、全部吐き出してしまった方がいい。上杉君の不遜ぶりを真似るように、少しだけ気を大きくして。
319 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:21:47.24 ID:ybCgTbmS0
「だいたい、いつも横暴なんですよ。独善的というか、独りよがりというか。一度決めたら変えられない頑固なところ、本当にどうかと思います」
「それは」
「口ごたえは受け付けていません」

 一方的に愚痴をぶつける時間なのだから邪魔しないで欲しい。ボールを打ち返してくる壁があってたまるものか。
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:22:20.51 ID:ybCgTbmS0
「私にバレていないのをいいことにひそひそひそひそと。まともな対処法の一つも考えてみてくださいよ」

 気持ちが完全に理解できないわけではない。出来の悪いテストは二度と見返したくなくなるし、隠したくなる。だけど、今はそういう自分の事情は全部全部棚に上げて、たまった鬱憤をひたすら吐き出すことにした。私優位の状況なのだから文句は言わせない。こうなればもうやりたい放題だ。
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:22:46.90 ID:ybCgTbmS0
「なんて言うか、思いやりが足りないんです。自分のことを考えているのか私たちのことを思っているのかは知りませんけど、やり方がいつも雑! 基本的にずっと空回ってるじゃないですか! それが嫌なんですよ。思っていることがあるのなら全部はっきり伝えてください!」

 常々感じていた伝達不足も、ここではっきり言っておく。察しが良くないのはこちらも同じなのだから、思っていることはきちんと言葉にしてもらわないと分からない。
 思えば、すれ違ってばかりだ。出会ってから今日に至るまで、上手く行ったことの方が少ない。その成功体験の方が確かな思い出として積み上がっているから記憶が美化されているけれど、そもそも私たちは最初から相性が良くなかったのだ。強引にこじつけて綺麗な過去だったように印象操作しても、その事実は変わらない。
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:23:26.38 ID:ybCgTbmS0
「変なことはしないで、ずっと自慢の先生でいてくださいよ」

 だからきっと、今のが一番の本音。素直に感謝できるような人のままでいてほしかった。私たちを教え導いてくれた恩人として。たまたま出会えた無二の友人として。それを余計な何かで穢されてしまったことが、何よりも悔しい。
 こんなことさえなければ、いつまでだって恩義を抱えたままいられたのに。
323 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:23:57.61 ID:ybCgTbmS0
「あなたは、私たちの家庭教師でしょう……?」

 言いたいことは他にもいくらだって残っていた。けれど、力を出し尽くしてしまったかのように体は重いし、声帯は震えない。どういう感情なのか自分でもさっぱり分からない涙が後から後から零れ出てくるし、膝はがくがくと安定しないしで、体中が不安定になっている。
 相手がこの人でなければここまで心乱されることはなかっただろうというのが直感的に理解できるのが、まず何よりも腹立たしかった。こんな酷い人に深く依存してしまっている自分をどうしても嫌いになれなくて、そのもどかしさも相まって、溢れる涙はとめどなく敷石を濡らしていく。
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:24:24.93 ID:ybCgTbmS0
「…………悪い」

 ふいに彼の手が、頭におかれた。
 ようやく引き出せた謝罪のような言葉だが、それを得たところで何が満たされるわけでもない。だから涙で崩れた顔で必死に睨んで、赦す気なんて欠片もないことを訴えかける。
 それについては彼も承知しているのか、諦めたような顔で二度三度と私の頭を軽く撫でつけて、ゆっくりその手を下におろした。
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:25:37.23 ID:ybCgTbmS0
「きらいです。上杉君なんて、だいっきらい……」
「だろうな」
「世界で一番、きらい……」
「知ってる」
「きらい。きらいきらいきらいきらいだいっきらい!」
「分かってるってば」

 その言葉の裏に隠れたもう一つの感情が表に出てこないようにと必死に押し殺しながら、何度も何度も、子供のような悪口を繰り返していく。こうでもしていないと、自分の中でせめぎ合う思いに負けてしまいそうだったから。ふとした拍子に、こんな中で言ってもどうしようもないことを口走ってしまいそうだったから。
 まさか、好きだなんて。
 とてもじゃないけれど、言えるわけがないのだから。
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:26:24.90 ID:ybCgTbmS0
「もう、それでいい。そう思われて仕方ないだけのことをした。取り返しがつくなんて考えてもいない。……けど、せめて、姉妹のことだけは赦してやってくれよ。俺と違って、死ぬまでの長い付き合いなんだから」
「そういう、ところが……」

 その先は言葉にならなかった。いや、言葉に出来なかった。そういう不器用な優しさに惹かれてしまったなんて、言えなかった。
 
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:27:10.33 ID:ybCgTbmS0
「ほら、帰るぞ。冷えたし疲れたろ。暖まって、休んで、元気になったら、またいくらでもなじってくれていいから。だから今は、最初に自分のことを考えてくれ」

 やっぱり、自己完結だ。彼の中ではもうこの話は終わったことになってしまっている。失った信用は取り戻せないし、私からはずっと憎まれたままだということで全てを片付けてしまっている。
 
 それが、なんでかものすごく癪に障った。
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:27:39.20 ID:ybCgTbmS0
「帰りません」
 
 数歩先に進んでいた彼の手を、握りつぶすような勢いで引っ張り寄せる。もう、目の届かないところで後ろめたいことをさせないように、強く引っ張る。
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [saga]:2019/03/30(土) 19:28:07.27 ID:ybCgTbmS0
「まだ、言い足りません」
「後からいくらでも……」
「口ごたえする権利があるとでも?」
「…………」

 その一言で反論を封殺し、逃れる理由づくりを始めた彼の目を、じっと見つめる。
 真っ向から、向かい合う。
240.18 KB Speed:0.2   VIP Service SS速報R 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)