1:けいおんSS[sage saga]
2016/08/20(土) 22:51:22.08 ID:Ljuzcmhc0
こんなときに、こんなところで、こんなひとに会うなんて、思ってもみなかった。
ずいぶん、重そうだな。
バス停のベンチに腰掛けたわたしの、手前に抱えられた黒いリュックを見て律先輩は言った。
厚い雲に覆われてほの暗い真昼の空とは無関係な、いつもと変わりない気の抜けた調子だった。
わたしは黙ったまま、リュックをぎゅっと抱きしめていた。
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2:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:52:05.79 ID:Ljuzcmhc0
風がびゅうびゅうと吹きすさび、バス停の庇がガタガタと音を鳴らしている。
からんからんと乾いた音を立てて空き缶が道路を横断していく。
街路樹はざわざわとひっきりなしに揺れて音をあげ、それに合わせるようにわたしの髪も左右に踊る。
わたしが来る前からベンチに座っていたおじさんは、さっきからずっと貧乏ゆすりを続けている。
3:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:53:07.22 ID:Ljuzcmhc0
「映画、観に行こうと思ってさあ。こんな日だから空いてると思って」
台風、来てるんですけど。バカなんじゃないの、この人。
口には出さず、薄く細めた視線だけを向けた。
4:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:53:45.65 ID:Ljuzcmhc0
ようやくバスがやってきた。
勢いよく立ち上がった律先輩が、風にあおられてすこしよろめく。思わず鼻で笑ってしまい、気づかれて睨まれた。
頬を赤くした律先輩に頭をくしゃっとされた。
5:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:54:14.27 ID:Ljuzcmhc0
バスの中でも、わたしたちはふたりきりだった。(運転手さんを除けば)
車内真ん中からやや後ろくらいのふたりがけの席。そこに座った律先輩の後ろの席に腰を下ろす。
律先輩は身体ごとよじって後ろを振り返り、どうして隣に座んないんだよ? と不満そうに言った。
6:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:55:01.67 ID:Ljuzcmhc0
ガラガラに空いた道路をバスは快調に走っていく。どうしてこんなに空いているのに、乗客もいないのにあんなにバスが遅れてきていたのかわからない。予定時刻通りなら律先輩に遭遇することもなかったのに。
そのあとも乗客はわたしたち以外誰もいなかったけれど、バスは停留所を無視せずきちんとすべての場所で停車した。
止まるたび、扉が開くと風の鳴る音が激しさを増しているのがわかった。
7:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:55:34.15 ID:Ljuzcmhc0
きまぐれなひとというのか、変わり者というのか、熱心な映画ファンというのか。
台風がやってくるというのに映画を観にやってくる変わり者はわたしたちだけではなかった。
そこまでして映画観たいかな。こんな日くらい、家でDVD観てればいいのに。
はい、これ。と、わたしに何の相談もなしに作品を選んでチケットを買ってきた律先輩がその片方を手渡してくる。
8:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:56:43.48 ID:Ljuzcmhc0
☆☆☆
思い切って手紙を出したその翌日、約束した時間の五分前。グラウンドの端にある、大きな樹の下に足を運ぶと、もうすでに、その人は樹にもたれかかるようにして待ってくれていた。わたしの姿に気がついて小さく手を振る。わたしも振りかえす。沈みかけた太陽が長い影をつくっている。その影に隠れて表情がよく見えない。
9:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:57:50.91 ID:Ljuzcmhc0
自分の気持ちを、どうやって、どんな言葉で伝えようか。なんどもなんども、眠れなくなるくらい考えたはずの言葉が出てこない。何十回も書き直した手紙をようやく手渡して、あんまり早く着いて先に待ってると逆に引かれるかなと考えすぎて時間ぴったりにここにやってきて、今目の前に唯先輩がいて。たった一言、たった一言なのに。
黙りこくったままのわたしを目の前にして、唯先輩はなにも言わずただじっと、やさしい表情で見つめてくれていた。いつもお茶してるときのダラけた雰囲気とも、ギターを無我夢中で弾いているときとも違う。見たことのない表情で。
10:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:58:36.32 ID:Ljuzcmhc0
刻一刻と空の色が変わっていく。
さわさわとグラウンドの土の上に揺れていた木の葉の影も、少しづつ闇に溶けていく。
唯先輩がわたしの手を取り、歩き出した。
11:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 22:59:25.67 ID:Ljuzcmhc0
とっくに閉まっていた校門をえいやと乗り越えて校舎を出る。唯先輩はいつもと逆の方向へ歩き出した。なにも尋ねずに後をついていく。
暗闇にぼんやり光る黄金色に色づいた田んぼの横目に、いくつもの赤トンボが浮かぶ道を並んで歩いた。もう一度手を繋ぎたいな、と今度は自分から手を伸ばしたけれど、すこし前を歩く唯先輩の右手には届かなかった。
12:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:00:13.45 ID:Ljuzcmhc0
唯先輩はどこを目指しているか、そもそも目的地があるのか、気分のままとしか思えないような歩き方で、ぐにゃぐにゃと角を曲がって進んでいった。月が空に昇る頃になって、わたしはようやく気がついた。先輩はわたしが話し出すのを待っているのだと。
13:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:00:49.53 ID:Ljuzcmhc0
あずにゃん。
それまでずっと無言だった唯先輩が、振り返ってわたしの名前を呼んだ。
わたし、ずっと考えてて。あずにゃんから手紙もらってからずっと考えたんだ。
14:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:01:17.37 ID:Ljuzcmhc0
「ごめんね、遅くまで付き合わせて」
「いえ…呼び出したのはわたしですから…」
「そっか。そうだったね。それに明日は休みだし。ちょっとくらい遅くなってもいっか」
15:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:01:51.28 ID:Ljuzcmhc0
ここまで悩んで考えてくれるだけでうれしかった。
だからわたしがちゃんと言葉にしてきもちを伝えなきゃ…!
そう思って顔をあげた瞬間、わたしの目に映ったのは唯先輩の涙だった。
16:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:02:21.27 ID:Ljuzcmhc0
☆☆☆
めっっちゃ、おもしろかったなぁー!!
…と鼻息を鳴らしながら律先輩が両手をあげた。
17:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:03:14.29 ID:Ljuzcmhc0
怪獣が光線を吐いて街を破壊するシーンを見て、正直胸がスッとした。
もし今のわたしに光線を吐き出す能力があれば、きっとその力で世界を滅ぼしてしまうだろう。
フられたくらいでそんなふうに考える自分がひどく子どもじみてるなんてわかっているけれど、今はもう、目に映るもの全部が憎たらしかった。
月曜日がやってくるのがいやだ。どんな顔して唯先輩に会えばいいのかわからない。台風で学校が壊れてしまえば登校しなくて済むけれど、今夜中には近畿地方を抜けるらしい。ねぇゴジラ、どうかその光線で学校を壊してくれない? …そんなの無理に決まってる。だからわたしは逃げ出すことに決めた。背中にリュックを背負って、今日、この街を出る。そして誰もわたしのことを知らないところへいく。それから…。
18:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:03:47.07 ID:Ljuzcmhc0
「あずさー?? どしたー???」
わたしの目の前で律先輩が右手をぶんぶんと振っている。
はっと気がついて笑ってごまかそうとしたけれど顔が固まって表情がつくれない。なんでもないです。そう無愛想につぶやいてわたしは早足で歩き出した。律先輩もあわてて後ろからついてくる。
19:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:04:22.65 ID:Ljuzcmhc0
外に出るまでもなく、一階に降りてくるとものすごい雨の音が、館内に響いていた。
リュックの中から折りたたみ傘を取り出してじっと見る。アーケードの下にいる間はいいけれど、バス停まではしばらく歩かないといけない。はげしい雨風に吹かれれば、こんなちっぽけな折りたたみ傘くらい、簡単にふっとばされてしまいそうだ。けれどいまさら憂鬱な気持ちに浸ったところで何がどうなるわけでもない。傘が折れて多少濡れるくらい仕方ない…多少なら。
20:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:05:08.07 ID:Ljuzcmhc0
「思ってたよりずいぶんはげしいな」
律先輩はあくびを噛み殺しながらそう言った。
「なぁ梓。これから予定ある?」
21:名無しNIPPER[sage saga]
2016/08/20(土) 23:05:52.45 ID:Ljuzcmhc0
どれくらいここにいるつもりですか?
雨がマシになるまで。
は? そんなこと言ったらいつになるかわかりませんよ。
だってこんなに雨降ってたらぜったい濡れるじゃん。
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