13:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:02:30.62 ID:6NLLeJ5C0
  モルジアナが、ひいてはアラビアンナイトの頃の奴隷たちがどれだけ優れていたのか一席ぶつのを終えると、文香はそこで初めて存在に気付いたように、丸い目をして千夜を見た。 
 「そういうわけですから、モルジアナが八面六臂の活躍を見せるのは、道理にかなうことなのですよ」 
  
  思わず苦笑する。 
 「成る程。破茶滅茶な物語というだけではないのですね」 
14:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:03:02.77 ID:6NLLeJ5C0
  いよいよ話は脱線し、千夜の知るべき領域を逸しつつあるようだ。それはちょっとした焦燥をさえ覚えさせた。 
 「あの」 
 「ん…… はい」 
 「たくさん教えて頂いて、ありがとうございました」 
 「あ…… ええと、はい。その、なんだか、話し過ぎてしまったようで……」 
15:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:03:35.58 ID:6NLLeJ5C0
 「あいつが、…… プロデューサーが、貴女を大層褒めていましたよ」 
 「プロデューサーさんが……?」 
  文香が身を乗り出した。主導権を得た。 
 「しかめ面も可愛いな…… だとか」 
 「しかめ面、……」文香は戸惑いを表し、「そのように、見えていましたか……」と悄然、頬を揉んだ。 
16:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:04:10.75 ID:6NLLeJ5C0
  その『御伽公演』における最初の仕事は、出演者、演出家、舞台監督、諸々、関係者一同による顔寄せだった。会議室を狭しと埋め尽くす面々は、アイドルだけで十数人、濃い赤、ピンクがかった紫、ピンクに水色のインナーと、髪を見るさえ千差万別だった。折り畳みテーブルも部屋の壁紙も白いのが、それを余計に印象付けた。 
  
  席へ向かう途中カツン、と何か硬い物が靴先に触れ、転がるそれを視界に捉えると、ボールペンだった。その形に覚えがあるようだと感じ、周囲に目を配ると、魔法使いが例の新しいネクタイをひらめかせ、ペコペコ頭を下げて誰がしかと名刺を交換しているのが分かった。あくせく働いているようだ。千夜は素直に感心した。胸の内でなら、ちょっと拍手をしたり労ってやるのは構わなかった。実際には、言葉よりも千夜自身の働きぶりで報いることになるだろう。手を抜かない、というだけのことで、特別なことをするつもりはないが。 
  
17:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:04:55.93 ID:6NLLeJ5C0
  声が掛かって、銘々席に着いた。拾ったペンは目につくよう机に放って置いた。 
  
 「アリババ役の安斎都です! よろしくお願いします!」 
 「モルジアナ役の白雪千夜です。よろしくお願いします」 
 「おかしら役の一ノ瀬志希でーす。にゃはは、よろしく〜」 
18:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:05:51.68 ID:6NLLeJ5C0
 「一応当て書のようにはなっていますから、皆さんの個性でもって演じられそうならやってみてもいいし、ただ読んでもらうだけでも勿論構いません」 
 「あてがき?」声が上がった。「お手紙なんですか?」 
 「それは『宛名書き』ですよ、都ちゃん」答があった。「ふふ……、当て書というのは、演じる人をまず決めてから、役柄の方を俳優に寄せて脚本を書くことです」 
 「ほう! 面白いです!」 
 「おっ、やっぱり詳しいねぇ。古澤さんを呼んで良かったよ。じゃあ、ライラさんの語りからやってみましょうか」 
19:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:06:19.03 ID:6NLLeJ5C0
  皆一様に目をきょろきょろさせだした。千夜も倣う。居ない。 
  先程居たはずの位置は空席だ。雲散霧消、一ノ瀬志希の紫の髪も、青味掛かった瞳も、猫のような微笑を湛えた唇もそこにはなく、その行方を知る者もないようだ。 
  
 「しまった、志希のやつ! 今すぐ探して来ます!」と、立ち上がりもせずに魔法使い。 
 (「ボクが行こう」と声が上がった。) 
20:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:06:50.37 ID:6NLLeJ5C0
 「お任せ下さい、アリババ様。必ずお守りしますよ」 
  これは上手くいった。カシムが盗賊に見つかった事をアリババに聞き、盗賊の追跡から身を守らなければならない事を知らされる場面。この時点ではモルジアナはカシムの奴隷なので、アリババと主従関係にはないが、この危機が彼女の仕える家自体に迫るものであるのを思えば、胸を叩いて請け合ってやるくらいのものだろう。 
  
 「盗賊が付けた目印かもしれない。よし、誤魔化しておこう」 
  これも及第だ。家の門に書き込まれた記号を発見し、盗賊による襲撃の目印である可能性を看破するシーン。千夜ならせいぜい印を消すことを考えると思うが、『アリババ』の時代ではけっこう難しいのかもしれない。それを近所中に同じ印を付け、情報の差異を奪ってやろうというのは成る程、木を隠すなら森の中というのか、流石モルジアナ、叡智の人だ。 
21:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:07:33.25 ID:6NLLeJ5C0
 ≪私は幸せでございます≫。 
  
  その言葉は、喉も震わせられなかった。 
  言えばいいだけ、ただの演技だ、演技でもない打ち合わせだ、割り切ってしまえばいい――のだが、しかし。 
  ――しかし、どの口でこんな事を? 
22:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:08:01.38 ID:6NLLeJ5C0
 「ううん、確かにそうかもね。ただ、今回はあんまり舞台慣れしてないお客さんを見込んでるから、分かりやすくやろうって腹なんだ」と演出家。 
 「いえ、そうではなく…… あの、すみませんでした。聞かなかったことにして下さい」 
 「いやいや、聞かせてよ。君と僕と、皆で作る舞台なんだよ?」 
 「ほんのつまらないことで」 
  
23:名無しNIPPER[sage saga]
2020/12/01(火) 23:09:30.24 ID:6NLLeJ5C0
  その場を沈黙が支配した。 
  
  雑音がないのが、かえって耳に痛かった――私は嫌だったのに、お前が言えと! 難詰すべく魔法使いを睨んだ。どんな顔を返されたか頭に入らなかった。空気が張り詰め、紙の擦れる音や、椅子に姿勢を正す様子、誰かの息遣いまでもが聞き取れた。千夜は自分を、打ち上げられた魚のように思い始めた。己の考えを表に出すというのは、なんて気まずいものなのだろう。そんなものは濁った海に泳がせてさえおけば良かった、万事良かっただろうに! 
  
  そこへ、ガタッ、と椅子の鳴る音がした。見れば夢見りあむ――アリババの兄にしてモルジアナの主人、カシム役――が呆けた顔をしていた。 
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