2: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:06:44.23 ID:1dmR7XxL0
今私はある聖堂の建設予定地で労働する奴隷の身分となっている。
一応光の教団とかいう宗教団体の管轄にあるらしいが、どうもこの組織が気にくわない。
名目上の教義では魔物の蔓延る下界から正しき人々を隔離して平和に暮らすことを掲げてはいるが、実態は人々をさらっては奴隷としてこき使い、あまつさえ魔物を上司に置くような暗黒の教団である。
第一こんな胡散臭い連中にだまされる方も悪い。
3: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:07:58.25 ID:1dmR7XxL0
しかしそんな檻の外の世情に目を向けられる余裕があるのは私ぐらいなもので、ヘンリーのような奴隷仲間は今日日の生活の方がずっと大事なようであった。
何しろ奴隷だから馬車馬の如く働かされる。しかも一般の労働ではないから給金などもない。
娯楽や褒美もなく、ただ果てしなく働かされる苦痛の中では人の心など生きていけぬ。
一人、また一人と落伍者が樽に詰められて華厳の滝へ流されていく中で、私とヘンリーはいつか必ず娑婆に出てやると気骨だけを頼りに踏ん張っていた。
4: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:09:26.06 ID:1dmR7XxL0
奴隷を管理するムチおとこが本や雑誌等を牢の中に捨てることがあるのだ。
文字の読めぬ輩はそれを尻を拭く紙にして捨ててしまうが、ヘンリーの様な教育のある人間がそれを押し留めて少ない娯楽として反芻する。
隣からその様子を見ていた私は興味を抱き、ヘンリーに頼んで文字を教えてもらった。
王族の直系であるヘンリーは嫌々とは云えある程度勉強をしていたので文字が読めた。
しかし精々六歳くらいの知識だからあまり難しい単語は分からない。
5: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:10:10.66 ID:1dmR7XxL0
文字を履修した我らは打ち棄てられた印刷物は本と云わず引札と云わず読み耽った。
ある程度ものを読めば書きたくなるのが性分である。
寝ているムチおとこの胸元からペンをくすねた我々は小説ともいえぬお粗末な散文を互いに読ませ合った。
何分読むことだけは必死になって反復していたので形だけは立派だ。
ヘンリーは派手な小説を好んでいたので砕けた文体だが、私はある小説家をえらく気に入ったのでそれを真似ている。
6: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:11:08.64 ID:1dmR7XxL0
定例通り引札の裏や本の余白に書いていたが、思わず筆が乗ってしまって余白を使い切ってしまった。ペンのインクもかなり少ない。
万事休すとなった時分、我々の目の前で女奴隷がムチおとこに虐められている。
私は何が嫌いだと云って弱い者虐めをすることほど嫌いな事はない。
奴隷の身分も忘れムチおとこに飛び掛かれば、ヘンリーも加勢して大騒動となった。
ムチおとこは伸したが監査の兵士が何の騒ぎだと駆け付けたのでいよいよもって窮地に陥った。
7: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:11:56.45 ID:1dmR7XxL0
牢で神妙にしていると先の兵士が我々を訪ねてきた。
聞けばマリアの兄だと云うから合点がいった。マリアと云うのはあの女奴隷の名で、どうやら妹が助けられた恩返しをしたいらしい。
何をくれるのかと思えばなんと脱獄の斡旋をしてくれると云うから驚いた。
妹を抜け出させるついでだと云うが、そのついでがどれほど困難かは推して知るべきである。
何分難しいから少し時間を要すると云われたが、こちらはかれこれ十年も好機を待ち続けていたのだから今更十数日程度と笑ってやった。
8: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:13:53.52 ID:1dmR7XxL0
せっかくだから何か暇つぶしになるものやると云われたので、私は白紙の本とペンを要求した。
数日後、はたして注文した品物を持ってマリアの兄がやってきた。しかも脱出の目処が立ったというので尚更嬉しい。
数日もせぬ内にまた来ると云って妹思いの勇敢な兵士は立ち去った。
それがついさっきのことだ。
これから記すのは私が六つの頃の不思議な体験の話である。
9: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:14:22.30 ID:1dmR7XxL0
父との旅は自分にとって大変楽なものだった。
単に親の庇護があるという安心感だけでなく、父がそれ以上に人を守る気根のある実力者であったから、彼の隣にいれば百戦危うからずといった風の妙な無敵感を抱かせてくれたのだ。
また父の唱える呪文も尋常ではなかった。本人はホイミと唱えるだけだったが、その回復呪文はホイミの効能を遙かに上回る威力を持っていたように思う。
実の所そうではなく、ただのホイミであったのかもしれないが、幼少のか弱い自分に施される癒しの力はそういった幻影を見せてくれたのだ。
10: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:15:52.62 ID:1dmR7XxL0
我々の旅はどうやら私が物心つく前から続いているようで、始まりと云えばとんと思い出せぬ。
強いて思い出せる一番古い記憶と云えばどこぞの荘厳なお城で生まれたばかりの私を父が高く掲げて、それに驚いて私が泣き出したことである。
皆も知っている通り私と父は旅をしていたというだけの何の変哲もない一般市民だから、これは何かの本にあった出来事と混ざってしまっているのだろう。
父にそれを伝えた時も寝ぼけているなと笑われた。
曖昧な記述をして間違いがあるといけないから、より鮮明に思い出せる場面から話すことにする。
11: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:16:55.57 ID:1dmR7XxL0
私と父は船に乗っていた。船と云っても客船とも呼べぬ粗末な代物で、おそらく商船かなにかに乗せてもらっていたのだろう。
暇な私が船中を捜索していると突然物陰から大男がとびかかってきた。
見ると怖がらせるつもりなのだろう、珍妙に顔を歪めてこちらを威嚇している船員である。
呆れた私が黙っているとお、泣かなかったな、偉いぞと云って頭を撫でてくる。
実はそれなりに驚いたのだが、大男の顔が恐いよりむしろおかしかったのでこみ上げる笑いとで相殺されたんである。
12: ◆HACkWQpQbk[saga]
2016/10/22(土) 15:19:09.44 ID:1dmR7XxL0
船底まで歩を進めると大変な数の宝箱がある。普段人のものは取らないがどうせこの船は父のものだから構わんだろうと一人合点して開けようと試みる。
すると一向に蓋が動かない。調べてみると鍵が掛かっている。
船長にあれは開きますかと聞けばあれはルドマン様のものだから勝手に開けてはいけないよと苦笑する。
ルドマンとは誰ですと問えばこの船のオーナーだという。普段客は乗せないが、パパスさんのために特別にサービスとして乗せるんだと云っていた。
子供の私はよく意味を分かっていなかったから特別で乗せてもらえる父はそのルドマンとかいうのより偉いものだとばかり思っていた。
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