38: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:52:59.13 ID:zJUkddjZ0
「自分が何者かわからない……か」
それは、俺もだった。
たったそれだけの共通点。けれどそれは二つの選択肢に悩んでいる俺にとって、十分すぎるほどの後押しだった。
決めた以上、迷いは無くなった。たとえこれから、どのような地獄を歩むとわかっていても。
剣の切っ先をそっと柄に納める。しかしすぐに抜けるように、柄には手をかけたままで、どこにいるとも知れぬ“かぐわしき残滓”に宣言した。
「イヴ。俺はこの話から降りる」
存在を消して標的を狙っていた暗殺者への無遠慮な呼びかけは、殺されても文句が言えないものだ。
「オマエがマリアを狙うのは止めはしない。止めはしないが――混乱が収まらないままの彼女を狙うというのならば、話は別だ」
殺意は感じない。敵意も感じ取れない。だがそんなこと、何の気休めにもならない。相手はあの“かぐわしき残滓”なのだ。鋼の冷たい感触が皮膚に触れる寸前になってようやく察せられるかどうか。
「今日は止めとけ。でないと俺が相手になる」
返答は無い。迂闊に音を出して場所をさらさないということは、俺と戦うことを検討しているのだろうか。
いや、それは違うか。“沸血”のシャルケを倒した未知なる相手、マリアへの数的優位が崩れてなお依頼の遂行にこだわるのは愚かなことだ。そしてアイツは愚かではない。
場所をさらさずに、音も無く引き上げたのだろう。
「綺麗な人……」
「……わかるのか?」
マリアのため息とともに零れた言葉に、耳を疑う。
「はい。もう去ってしまったけれど……とてもとても綺麗で、でも見ているこっちまで寂しくなってしまう美しさ。まるで冷たく乾いた風に翻弄されていくうちに、自然と研磨されたサファイアのような女性」
「自然と研磨されたサファイア……か」
初対面――実際には対面していないが――の相手に妙な表現をするが、そういえば俺への第一声も変わったものだった。確か「夜の湖」だったか。
ひょっとすると彼女には人とは違うものが見えていて、それがイヴの隠形の業すら見破ったのかもしれない。
「あの……貴方は、私を……殺そうとは、しないんですか?」
恐る恐るマリアは尋ねる。それは下手に希望を抱いて、より深い絶望に陥るのを恐怖してのことか。
「……元から乗り気じゃない依頼だった。ただ俺やシャルケを集めて、さらに十億もの報酬をかけられたオマエに興味がわき、一目見ようと思って来ただけだ」
そして予想外の結果を出た。まさかこの俺が、誰かに見惚れることができるとは。
いったい彼女は何者なのか。森の中でずっと父と二人で生きてきたと言っていたが、なぜそのような奇妙な生い立ちなのか。そして何故シモン・マクナイトたちはそんな彼女の命を狙うのか。
聞きたいこと、調べなければならないことはいくらでもある。しかしそれをするには、彼女に歩み寄らなければならない。“何も無い”この俺が、神聖な少女マリア・アッシュベリーにだ。ひょっとするとそれは、冒涜的な行為で許さることではないのではという、らしくもない危惧が浮かんでしまう。
――貴方は、神を信じていますか?
「……ッ」
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