何も無いロレンシア
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46: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:59:19.49 ID:zJUkddjZ0
〜第二章 逸脱の始まり〜




 うつ伏せの姿勢で硬い感触を味わっている。冷たい雨に体を打たれ、濡れそぼった衣服がこの身を縛る。血が流れる左頬だけが熱く、石畳に反射した雨粒がぶつかり痛みを染み込ませていく。

 久しぶりに見る夢だ。久しぶりだが、この夢は何度も見ている。夢うつつの中で、だいたい一年ぶりだろうかと数えた。懐かしさも親しみも無い、過去にあった出来事の追憶をぼんやりと味わう。

 まだ体が小さな頃の事。窓が一つだけの、諦観と汚臭に満ち満ちた大部屋から抜け出したものの、ガラの悪い大人たちに殴り飛ばされ金目の物を奪われた後のことだ。殴られた衝撃が引かないまま、雨に体温が奪われろくに頭も働かず呆然と倒れたままでいると、目の前の水たまりにパンが落ちた。

 見上げるとそこには、ニヤニヤと笑う裕福そうな男がいた。男はゆっくりと足を上げる。足を降ろす先は、泥水で汚れたパンがあった。

 迷う暇など無かった。うまく動かない体を無理矢理前に飛ばし、なんとかパンと靴の間に顔を割り込ませることができた。

 哄笑が鳴り響く中で頭を踏まれながら、スープではなく泥水で柔らかくなった硬いパンを咀嚼する。この日初めて得た糧。今日はもう何も食べられないかもしれず、それは明日も同じだった。

 この時だったのか、それともその少し前の馬車の中でだろうか。今になって振り返ってみてもはっきりとはわからないが、どんなに遅くてもこの時なことは確かだ。

 俺は躊躇いと尊厳を無くした。生き残る上で邪魔だったから。

 街の路地裏を小さな子どもが生き抜くのは難しい。残飯や盗める量には、ある程度上限があるからだ。言い換えると、路地裏で生きることが許される浮浪者と孤児には限りがあり、限りあるその世界に余所者の俺が現れた。そして俺はその世界で間違いなく最弱だった。最弱だったけど、躊躇いと尊厳が無かった。

 当時の俺は知らなかったが、その路地裏に生きる者たちには暗黙のルールがあった。それは食料を巡って他の住人と出くわした時は、強者は多く弱者が少なく、という形で分け合うこと。

 強者が全て取れば、追い込まれた弱者が破れかぶれで強者に襲いかかってしまう。追い詰められた者の力は恐ろしいものがある。強者は勝つことができても、少なからず傷を負ってしまう。そして栄養状態が酷い浮浪者や孤児が、不衛生な路地裏で負った傷が悪化して死んでしまう事態も珍しく無い。そういった経験から何十年と時間をかけて作られた、その路地裏での慣習だったのだろう。

 けど余所者の俺は、そんなこと知らなかった。学ぼうにも、俺は躊躇いを無くしていた。様子を見る余裕も無かった。

 食料を巡って路地裏の住人と出くわした時、俺は譲らなかった。威嚇もしなかった。初手が攻撃だった。

 まだ小さい子供だったが、錆びついて汚れた包丁を全力で振り回す俺はきっと狂犬のような眼をしていたのだろう。慣習をまったく守らない俺に、住人たちは最初は泡を食って逃げ出した。

 やがて住人たちは、路地裏の秩序を乱す俺を排除することを決めた。決めるのに一ヵ月かかった。その一ヵ月の間に、俺は邪魔なものをもっと無くしていたというのに。

 月明かりのない夜だった。アイツ等は俺が寝床と定めていた場所に忍び足で近寄り、一斉に木の棒で叩き始めた。何度も何度も、路地裏の秩序を破壊した憎い俺に、腹を空かす原因となった俺に、恐怖を与えた俺に、それらから解放される喜びで、狂ったように叩きまくった。

 叩いて叩いて汗だらけになり肩で大きく息を吸うようになって、ようやく叩くのを止めた頃。寝床の中が布切れの集まりであったことに、汗が冷える感触と共に気づく。その瞬間を狙っていた。躊躇いも無かったが、焦りも無くしていた。絶好のタイミングまで待てるようになっていた。

 後ろからの奇襲で最初に狙ったのは、周りに指示を出していた発起人らしき男だ。小さな俺だから狙いやすい膝の裏を、全力で包丁で貫く。発起人のたがの外れた悲鳴が、恐怖と緊張で張り詰めた空間を切り裂いた。何が起きたかわからない他の住人は、混乱して蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。包丁で膝をやられた発起人だけが取り残される。

 発起人は倒れるように後ずさりながら、必死に命乞いをする。住人たちは俺を排除することを決めるのに、一ヵ月もかけてしまった。せめてもう一週間早ければ、発起人は助かった。

 俺はもう、容赦を無くしていた。


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