何も無いロレンシア
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62: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 03:24:50.28 ID:zJUkddjZ0
「ハイヤアアアアアァツッ!!」

 雄たけびと共にフィアンマが駆ける。身長一九〇超、体重一〇〇超の男が三〇キロ近いプレートメイルを身に着けて爆走するその姿は、純粋な脅威に他ならない。

 ロレンシアは槍を手放しつつ後ろへと飛び下がるが、目を疑う追撃が待っていた。

 飛び膝だ。

 フィアンマの強靱な脚腰はその重量を地から飛び放つことを可能にし、突進した勢いのまま砲弾の如き威力をもってロレンシアに襲来する。

 ロレンシアも咄嗟に両手を顔の前にかざしたが、勢いと重さがのった硬い膝当ては易々と守りを押し破る。そして既に折れていたロレンシアの顎骨を粉々にし、さらに頬骨を折り左目を水気のある音をたてながら押しつぶす。

「――――ァ」

 視界の左半分が赤黒く染まり、残る右半分も絵の具を滅茶苦茶にしたかのような光景の中で、ロレンシアは自分が宙に浮いていることを悟る。常人ならば頭蓋が消し飛ぶほどの威力を受け、吹き飛ばされたのだ。

 普通ならば、否、彼らと同格のほとんどの戦士であっても勝負が着いたと即座に判断できる重すぎるダメージ。だが彼は“何もない”ロレンシア。絶望的な劣勢は、生まれた瞬間から付きまとったモノ。諦めるという考えは微塵も生じない。当てになるはずもない脳震盪でグチャグチャな視界と、ダメージを受ける寸前に見ていた光景から情報を組み合わせ、これから起きることを予測する。

 フィアンマの突進は、槍を手にしたままのものだった。おそらく今は自分と同じように宙を舞いながら、皆殺朱を組みなおしているのだろう。では――ア―ソンは?

 ア―ソンは住民を捕食しながらこちらを見ていた。足元には既に何十という蛇を展開済みだった。それを当然こちらへ仕掛けるだろう。どのように?

「こう――――か!」

 体に感じる浮翌遊感と無理矢理はじき出した予測を元に、地面に激突するであろうタイミングを算出し、見事ロレンシアは着地する寸前に大地へと肘打ちを放つ。

 そこでは、鮫ですら捉えて捕食せんとする巨大なイソギンチャクのように、深緑の蛇たちがうねりながら待ち構えていた。絡みつく間も噛みつく間もない肘打ちに吹き飛ばされるが、寄せては返す波のようにすぐにまたロレンシアへと飛びかかる。

 その一方でフィアンマは空中で皆殺朱を組みなおすのを諦めると、自分の着地地点にいた深緑の蛇たちへ皆殺朱の一段目を振るいながら降り立ち、隠れ潜んだ蛇がいないか注意しながらその場を離れる。その視界の隅では、シュマグが破れて隠すことのできない口の裂けた笑いを見せるア―ソンと、次々と群がる蛇を地面を転がりながらなんとかさばくロレンシアの姿があった。

 視界がおぼろげな中で、ロレンシアは深緑の蛇たちの不快な気配を頼りにただひたすら転がる。転がりながら襲いかかる蛇たちの地を這う音、空を泳ぐように飛びかかる風を切る音に、がむしゃらに腕を振るって弾き飛ばす。そしてようやく片膝立ちの姿勢となり、その場を飛び下がった時だった。その左の二の腕に、深緑の蛇が噛みついていた。

 毒の威力のほどは、ア―ソンの隣で体中が緑色に膨れ上がって死んでいる男が証明している。毒の抗体は期待できない。なぜならこの蛇は自然の蛇ではなく、ア―ソンの醜く歪んだ心が外に漏れ出たもの。抗体などこの世に存在しないのだ。

 ア―ソンは勝ちを確信した。フィアンマも最も厄介と見たロレンシアの脱落を見届けながら皆殺朱の組み立てを終えると、ため息をはく。

「醜いやつほど、しぶといのは世の常か」

 蛇が噛みついていた付近の肉を指でえぐり取り、自らの肉ごと蛇を放り捨てる蛮行は称賛を通り越してあきれ果てたものだった。せめてその顔が苦悶と怒りで満ちていれば咄嗟の判断と勇気を称えることもできようが、今にもこぼれ落ちそうな左目と、何の感情も浮かばない泥沼のような右目を見て称える者などいやしない。


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