新田美波「わたしの弟が、亜人……?」
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10: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:13:56.74 ID:5kzXp0UHO

律と美波は、しばらく互いに沈黙していた。ふたたびドア越しの声が聞こえたとき、あたりは薄暗くなっていた。夕暮れと夜とのあいだの時間。宵よりはちょっと明るい。光の状態は、標高の高い山の空気がそうであるように薄くなっていた。山の高いところのように家のなかが静まりかえっていた。律の声はさっきより低い位置から聞こえてきた。律は廊下に座って、美波と同じ目線から話を続けようとしていることがわかった。


律「美波、お父さんが刑務所に入らなかったからといって、それは罪を犯さなかったからというわけじゃない。違法な手段で臓器を購入しようとしたことは事実なの。だから、医師の仕事をやめざるをえなかった」
以下略 AAS



11: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:15:14.46 ID:5kzXp0UHO

美波はドアを開けた。義母は両膝を立てて座り、そこに肘を置いていた。背中を壁につけた姿勢のまま、美波と視線を合わせた。


美波「おかあさん」
以下略 AAS



12: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:16:49.27 ID:5kzXp0UHO

美波が律と共に食事の準備をしていると、父親が圭と慧理子を連れて帰ってきた。美波は作業の合間に、キッチンから三人の様子を伺ってみた。ぎこちなさを見せるものの、隣りあってソファに腰掛け夕食の匂いを堪能している父と妹。弟はそんな二人から離れたところにいて、背中を向け窓の外に目を向けている。

美波は、弟はいったいなにを見ているのだろうと不思議に思い、同じ場所に視線を向けた。窓の外には何も無かった。圭は食卓につくまで背中を向け暗闇だけが広がっている外の世界をじっと見つめていた。手元が照らされたキッチンから弟のいる場所を見ると、そこだけ光と闇の境界がなくなっているように思えた。弟はまるで洪水みたいにに押し寄せてくる暗闇をその身で受け止めながら、黒く染まる空間を肺が裂けるまで飲み込もうとしているかのようだった。

以下略 AAS



13: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:18:18.36 ID:5kzXp0UHO

結局、美波は父といっしょに広島に帰ることとなった。父親は民間の海洋研究所の臨時職員として再就職が叶い、それはまたしても同研究所に勤める彼の友人のおかげであったのだが、同時に彼の過去の行いのおかげでもあった。以前、日本外科学会の学会誌に掲載されたヒトデの体細胞を用いた移植組織の拒絶反応にも関わる体細胞免疫の研究発表をその友人と共同で執筆したのだ。そのことをきっかけに生まれた交流のおかげで、美波の父親は故郷の海の近くで海水や砂浜に生息する生物の研究に時間を費やすことになった。娘ふたりとの生活は、贅沢をしなければなんとかやっていける。

普通の生活水準こそ取り戻せたものの、そうなるまでには当然多少の時間がかかったし、その時間は美波に「優秀であること」の重要性を認識させることになった。高い技能を持ち、人との繋がりを強く多く持てば、なにかあったときにも助けてくれる人たちがいる。それが「優秀であること」の教訓だった。それは父親を見ることで感じたことであったし、義母からの言葉から受け継いだことでもあった。

以下略 AAS



14: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:19:31.34 ID:5kzXp0UHO

現在の美波が、あのとき、キッチンから覗いた九歳の弟の背中を脳裏に浮かべると、その像は頭のなかでふたつの詩のあいだに置かれている。そのふたつの詩は、どちらもウィリアム・ブレイクのもので、同じ美城プロダクションに所属しているアイドル鷺沢文香から借りた『対訳 ブレイク詩集』によって知ったのだった。美波が文香からこの詩集を借り受けたのは、冬のライブが終わった後のことで、文香と同プロジェクトに参加しているアイドル速水奏が最近観た興味深い映画のことを話題にしたことがきっかけだった。その映画とは、ジム・ジャームッシュが監督したモノクロ西部劇『デッドマン』のことで、主人公の会計士ウィリアム・ブレイクをジョニー・デップが演じている。デップが扮する主人公の会計士の名前が詩人ブレイクと同じ名前であることからわかるように、この映画はブレイクと彼の詩が主題になっている。

こんなシーンがある。会計士ブレイクは、賞金が懸けられた自分の首を追ってきた保安官に向かって引き金を引く。「ぼくの詩を知ってる?」という台詞を吐き、銃弾が保安官の胸の真ん中に黒い穴をあける。白黒の映像だから、流れる血も黒い。

以下略 AAS



15: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:20:48.52 ID:5kzXp0UHO

美波の虚を衝いた二篇の詩はーーというより、詩に撃たれたことによって虚が生まれたともいうべきかーー映画のなかには引用されていない。

詩集『無垢と経験の歌』のなか、『無垢の歌』と『経験の歌』にそれぞれ収めれているその詩の題は、「失われた少年」と「一人の失われた少年」といい、前者には定冠詞が、後者には不定冠詞がついている。

以下略 AAS



16: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:21:57.06 ID:5kzXp0UHO

一方、『経験の歌』で詠まれる、不定冠詞のついた少年は、このような「無垢」の状態にある少年とは対照的に、自立した性格を見せ、父親に挑発的な態度と言葉をぶつける。


《自分を愛するように他を愛する者はいませんし、そのように他を敬う者もいません。/また思想が自分よりも偉大な思想を知ることはできません。/父さん、どうしてぼくは自分以上にあなたを/また兄弟のだれかを愛することができるでしょうか。/ぼくはあなたを愛しています、戸口でパン屑を拾っている小鳥を愛するくらいには》
以下略 AAS



17: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:23:17.41 ID:5kzXp0UHO

圭は九歳のとき、医者になると宣言した。当時六歳だった美波と圭の妹慧理子は、命に別状はないものの、治療法の無いめずらしい病気に罹っていて、検査、入院、退院を繰り返していた。慧理子はいまでもそのサイクルのなかで生活している。病院の白いシーツがかかったベッドの上で、入院生活用の使い古しが現れてるTシャツを着た妹が、うれしそうに自分の歌を聴いている姿を見ると、美波はよろこびのあとにかなしさを味わう。ステージから見る光景を知っているだけに、この病室のなかで反響するだけで、妹を外に連れ出す力のない自分の歌にかなしさを覚え、それをどうしよもない自分の無力さをかなしむ。

だから、美波は弟に期待していた。

以下略 AAS



18: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:24:20.94 ID:5kzXp0UHO


慧理子「兄さんは、そんな人なんかじゃない」


以下略 AAS



19: ◆8zklXZsAwY[saga]
2017/01/03(火) 00:25:56.49 ID:5kzXp0UHO

ちいさな諦めが、慧理子の顔に乾いた微笑みをつくった。


美波「大丈夫だよ。まだ時間はかかるけど、圭がきっと病気を治してくれるから」
以下略 AAS



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