黒埼ちとせ「メメント・ウィッシュ」
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26:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:03:54.70 ID:fM9nM/xA0
 言い訳をするつもりはない。だけど、死というのはそれほどまでに重いものなのだ。
 俺は神頼みこそよくするが、敬虔な信徒じゃない。それも特定の神様じゃなくて、八百万もいるんだから一人ぐらい叶えてくれと、そういう軽い気持ちでのものだ。
 だから、死んだら人は天国に行くなんて、とてもじゃないが信じられない。人だけじゃない。ありとあらゆるこの世を去ったもの全て、空の上で幸せに暮らしていますなんてことがあり得るだろうか。
 もしあり得たとしても、地上に遺された俺たちにはそれを確かめる術がない。だったらそんなのは、ないのと同じじゃないか。死んだら人は、猫は、物は、ありとあらゆる全ては、消えてなくなってしまうんだ。

以下略 AAS



27:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:05:14.08 ID:fM9nM/xA0
 それでも、彼は逆上しなかった。ちとせの言葉が、何か心火の炉に薪をくべたかのように撮影は異例の延長という措置を執られて、結果として彼女の宣材写真は非常に挑発的で蠱惑的、しかしまだあどけない少女の面影を残した笑顔を見事に映した一枚に仕上がったのだ。
 まるで、ちとせの言葉によって、初めからそう仕向けられていたかのように。
 魅入られている。十時さんのプロデューサーが俺に放った言葉が脳裏をよぎる。

 ちとせのルーツがルーマニアのブカレストにあると聞いたのは、あの桜の下でのことだった。
以下略 AAS



28:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:06:09.75 ID:fM9nM/xA0
「君には多分大きな借りがある。千夜のことだ。彼女と打ち解けるのは色々と苦労したけど、多分ちとせがいなかったら俺は匙を投げてたんじゃないかって思うよ」

 正直にいうと、俺は白雪千夜が苦手だった。
 初対面の印象が互いに険悪なものだったことを引きずっている節がないとはいわない。ただ、やっぱり決定的なのは、彼女がいつも自分の存在について「価値」という換算可能な概念で語っていることだろう。それは俺にとって、どうしても許しがたいことだったからだ。
 だが、蓋を開けてみれば千夜のそれは価値観じゃなくて呪いだった。そして、解かれなければいけないものだった。
以下略 AAS



29:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:07:13.41 ID:fM9nM/xA0
「この世界には、きっと奇跡が溢れている」

 十時愛梨が初めて灰の冠をその頭上に戴いたように、天海春香がそのきっかけになる時代を作ったように、そこから更に遡れば日高舞が、歴史の教科書に名前を残すような偉人たちが、歴史を転換させるような偉業を、奇跡と呼んで差し支えのないようなことを起こしてきた。
 俺はその存在を信じて疑わない。きっと奇跡は誰にだって訪れる。本の受け売りをまともに信じるのなら、人間には三回奇跡が起きるはずなんだ。それでも。

以下略 AAS



30:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:08:05.87 ID:fM9nM/xA0
「君は……俺にこう訊いたな。望みは何だと」

 忘れるはずもない出来事。かけられた言霊。それはきっと、俺の望みと、ちとせの未来予測を重ね合わせるための魔法だったんじゃないかと思う。俺の望みは、貴女の望む全てと同じですと、そう答えさせるための誘導。
 馬鹿げているとは思う。だけど、そうとしか思えない。ならば。

以下略 AAS



31:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:08:56.22 ID:fM9nM/xA0
 きっとちとせは、自分の未来に絶望しながらも、絶望の中で、千夜に未来を仮託すること以外の保険を残していた。勿論これは勝手な推測に過ぎない。それでも、そうとしか思えないようなことが数々あった。

 例えば、宣材写真の時だってそうだ。自分がもしこれから死ぬとして、その運命に絶望して千夜を人生の代理人に選んだというだけなら、わざわざ写真写りについてこだわる必要はない。
 だが、写真は消えないとはいわなくとも、残り続ける。それこそ、本人の命が失われたって、百年単位で、今ならきっと千年ぐらいはデータを移し替え続けることで存在を残し続けることが出来るはずだ。
 俺の兄弟だった猫は死んだ。だけど彼の生前の姿はアルバムに収められていて、それを読み返せば、今でもあいつと過ごした日々が昨日のことのように思い出せる。祖父も、祖母も。例え命が尽きたって、そうして誰かの記憶の中に生き続ける。
以下略 AAS



32:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:10:02.10 ID:fM9nM/xA0
「……白雪姫の話、私も小さい頃に聞かせてもらったな……」

 あは、と、少し掠れた笑い声が耳朶に触れる。

「ちとせ……!」
以下略 AAS



33:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:11:48.95 ID:fM9nM/xA0
 もしも、奇跡と偶然に何か違いがあるとすればそれは何になるのだろうと思ったことがある。奇跡の全ては必然じゃないし、偶然のどこかに必然が含まれていることだってあり得ない話じゃない。
 そうしてちとせが意識を取り戻したことで、会社の内部的にはつつがなくとは行かずとも、興業としては問題なく開催されたLIVEバトルの勝敗は、事前の予想を覆すことなく、十時愛梨の勝利で終わった。
 正直なところ、どれだけ勝利を祈っても勝てる気がしなかった。十時さんがステージに立った瞬間に、そっと指先でマイクをなぞった瞬間に、初めにあった言葉のように舞台は彼女の色に染め上げられて、そこから先は忘れろといわれても忘れることの出来ない独擅場だったのだから。
 生まれながらのアイドル。十時さんを特集した雑誌に記されたキャッチコピーに、違うところはない。技能だけを見れば、十時さんより上手く歌えるアイドルはいるかもしれない。上手く踊れるアイドルはいるかもしれない、万が一にも、彼女よりも美しいアイドルだっているかもしれない。
 だけど、きっとその誰もが十時愛梨にはなり得ない。そして。
以下略 AAS



34:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:13:12.43 ID:fM9nM/xA0
 いつだって余裕に溢れていた笑顔が、涙に彩られて崩れていく。だけどそれは、あの時病室で見たものとは違う。熱が、魂か、そうじゃなければ生気とでも呼ぶべきものに満ちあふれた、温かなものだった。

「……私、いつかどこかでこのまま終わってもいいって、そう言ったでしょう」
「ああ、覚えている」

以下略 AAS



35:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:14:54.79 ID:fM9nM/xA0
 それでも今は、どうしてか、それこそ俺の命を担保にしろといわれても、そう断言できた。終わらないと、黒埼ちとせはアイドルとしても、人間としても、これからもずっと、終わらない明日に向かっていける。
 多分、今日ここから。泣き暮れるちとせを抱き留めながら、祈るようにそう呟いた。

 すれ違う十時さんと彼女のプロデューサーは、何も言わなかった。ただ、勝者として驕ることなく、そして、哀れむことなく堂々と、地鳴りのように響くアンコールに応えて、彼女たちの舞台へと凱旋していく。
 だけど、ちとせを見る二人の目は、どこか温かで、きっと俺と同じ事を考えていたんじゃないかと、そう思った。
以下略 AAS



36:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 20:15:35.60 ID:fM9nM/xA0
終わりです。長々と失礼しました、HTML化依頼出してきます


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