37: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:29:41.80 ID:s8phhYh5O
「そう。さっき君を見て、一目でティンときたんだ」
「……はぁ。そんなの手当たり次第に誰にでも云ってるんでしょ、色んな甘言を弄してさ」
この真っ黒いオジサンの言葉を鵜呑みにするのは早計だ。今一信用ならない上、判断する材料が乏し過ぎる。
38: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:30:08.43 ID:s8phhYh5O
凛が視線だけ挙げて相手の眼を見ると、その彼は柔らかな笑みを湛え、言葉を続ける。
「それに、自分で自分を不良と云う子ほど、根はそうじゃないものだよ」
「妙な断言をするね、オジサン」
39: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:30:41.70 ID:s8phhYh5O
しかし男はそれを気にしない。
「君の全身から、お花の香りがする。芳香剤ではない、青く潤う生花の薫りだ。多分、お家は花屋さんのはず。
そして手先は若干水荒れを起こしているね。きっと、ご両親の手伝いを精力的にこなしているのだろう」
40: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:31:14.48 ID:s8phhYh5O
凛のその反応に、男は少しだけ口角を上げた。
「身なりも一見崩しているようで実は端正だ。ぴしっとした上着、緩められているが形は整っているネクタイ。
よく磨かれ、潰されていない革靴。僅かな染み汚れも、そして擦れもないスクールバッグ。
手入れされた長く美しい髪もそうだね」
41: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:31:46.81 ID:s8phhYh5O
逆に男は、上半身を凛の方へ若干寄せて、覗き込むような視線を送る。
「君はきっと、とても真面目な子だ。だからこそ、日常の繰り返しをつまらないと諦めているのではないかな?
耳に光っているピアスは、おそらく、それの裏返しだ。違うかね?」
42: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:32:28.51 ID:s8phhYh5O
そんな様子を見て、男は「とまあ、ここまでは、ただの前口上だよ」と笑い、刹那、眼力鋭く凛を射抜いた。
「――君の、きりりと澄み、引き締まった碧い眼。最大の理由はそれだ」
「……眼?」
43: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:33:02.02 ID:s8phhYh5O
腹を抱える男と対照的に、凛は表情を変えなかった。
否、呆気にとられて、表情が追い付かなかったと云うのが正解。
はぁ、と軽く息を吐いてから、やや温くなった紅茶で喉を湿らせる。
44: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:33:38.10 ID:s8phhYh5O
凛は、目線をやや下げ、左手を顎に添えた。そのまま、じっと考え込んでいる。
――日常に飽き飽きした心への、カンフル剤となる。澱みの中へ一条の光が射し込むかも知れない。
――いや、幾ら無変化に飽きたからと云ったって、芸能界などとは。到底やっていけるわけがない。
45: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:34:08.43 ID:s8phhYh5O
「……返答は保留でいい? さすがにここで決めるのは、ちょっと」
「勿論だよ。君の人生にも大きく関わってくることだからね、無理強いはしないし、結論を急がせもしない」
男の言葉には余裕が見て取れる。
46: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:35:20.93 ID:s8phhYh5O
その後、事務所へ戻る男と駅コンコースで別れ、彼とは反対方面へ向かうプラットホームで、独り言つ。
「アイドル……か……」
47: ◆SHIBURINzgLf[saga]
2015/08/10(月) 00:35:54.69 ID:s8phhYh5O
電車の扉が開く際に鳴る電子音が、凛の鼓膜を揺らす。
脳はそれを、ただ行動に移すための記号としか捉えず、深い自問自答を中断させることはなかった。
その日、凛は、寝るまでずっと、考え込んでいた。
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