1:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:36:58.49 ID:61NievTr0
爽やかな汗の匂い、という文章に差し掛かったところで、鷺沢文香はふと、本の文字を追う目を止めた。
そして、事務所のソファに腰掛けたまま、じっと考える。
爽やかな汗の匂い。
雰囲気を伝える文章表現としては、特別に珍しいという程のものではないが、しかし――
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2:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:37:49.30 ID:61NievTr0
3:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:39:16.15 ID:61NievTr0
鷺沢文香は突然のことの様に、それが気になった。
そういった抽象的表現に具体性を求めることはある種とても野暮な行いであるし、鷺沢文香も当然その辺りのことは弁えていた。
しかし、彼女がアイドルとなってから得た変化――成長欲と冒険欲が、事務所きっての文学少女である彼女に、その一歩を踏み込ませた。
全ては、アイドルとなる以前の自分自身から脱却する為。
4:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:41:59.44 ID:61NievTr0
まず、『爽やかな』という形容詞から察するに、時間の経過した汗ではない。
一般に汗が悪臭を帯びる主たる要因は、時間経過による細菌繁殖や酸化であるためだ。
また、当該の匂いを持つ人物の要件として、普段から一定以上の運動をしていることが挙げられる。
日常的な運動は新陳代謝を活発化させるため、結果として悪臭の原因成分を多く含む汗が作られにくくなるのだ。
5:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:44:02.12 ID:61NievTr0
以上の点から、日常的な運動の習慣を持ち頻繁に汗をかく、笑顔の似合う人物の、運動を終えた直後の匂いを嗅ぐと良い――という答えが導かれる。
そこまで考えたところで、鷺沢文香は一つ後悔を覚えた。
まとまった人数でのライブを終えた後ならば、何もせずとも比較的容易に条件が出揃うこと気が付いたのだ。
実際に彼女が『ライブ直後のアイドルの匂いを嗅ぐ』などという大それた真似が出来るかどうかは不明な話だが、しかしただ条件を揃えるだけならば、ライブというシチュエーションはこれ以上なかった。
6:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:50:53.13 ID:61NievTr0
7:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:53:16.29 ID:61NievTr0
事務所のドアが、元気さの有り余る挨拶と共に勢いよく開かれた。
声の主は、姿を見るまでもなく誰であるかの判別がついた。
「……おはようございます、茜さん。今日もお元気そうで、何よりです」
8:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:55:33.89 ID:61NievTr0
「……」
「? どうかしましたか、文香ちゃん? あっ、読書中でしたか! これは失礼しました! 私、これからシャワーを浴びてきますから、どうぞごゆっくり――」
「……あの、茜さん」
9:名無しNIPPER[sage saga]
2016/12/31(土) 23:57:32.45 ID:61NievTr0
唐突な頼み事も快く引き受けようとする日野茜のその姿勢には、彼女の持ち味である熱さばかりでなく、どこか気持ちの良い清々しさがあった。
普段ならば、汗の匂いを嗅がせて欲しい、などと口に出してお願いすることなど到底出来ない鷺沢文香も、そんな真っ直ぐさに助けられてか――
目の前の彼女になら、頼める気持ちとなった。
10:名無しNIPPER[sage]
2017/01/01(日) 06:55:49.32 ID:yN2uiLrr0
変態に文章力を与えた結果がこれだよ
11:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 12:09:00.93 ID:YiqUyrv20
「茜さんの、匂いを――嗅がせて欲しいのです」
「なるほど、匂いですね!! 分かりました! では早速――はて? 匂い、ですか?」
「はい、匂い、です」
12:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 12:13:52.00 ID:YiqUyrv20
「えっと……匂い、といいますと、その……匂いのことでしょうか?」
「はい、鼻腔の嗅覚受容神経によって脳に認識される、匂いのことですが……」
「……?」
13:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 12:17:34.96 ID:YiqUyrv20
鷺沢文香にとって一つ誤算であったのは、自分が頼みやすいことと、実際に相手がそれを引き受けてくれるかどうかは、また別の問題であるということだった。
無論、鷺沢文香としても、誰もが手放しで引き受けてくれるような願いではないことは重々承知していたが、しかし、日野茜の気持ち良さにそれを失念させられた形となった。
果たして予想だにしなかった頼まれ事に日野茜の混乱は深まり、彼女はその情報の処理に追われた。
瞳に螺旋の模様を浮かべながらも、飲み込めることだけを、少しずつ飲み込んでいく。
そして数秒後、僅かながらも情報の整理が終わったのだろう日野茜は、恐る恐る口を開いた。
14:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 12:23:20.50 ID:YiqUyrv20
しとろもどろになりながらも、日野茜はしっかりと譲れない点を示しつつ、言葉を紡いだ。
しかしそれは、鷺沢文香にとってもまた、譲れない点であった。
「それでは、駄目なんです」
15:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 18:25:45.68 ID:YiqUyrv20
「文香ちゃん……その、理由を聞いても、いいでしょうか……?」
「……はい。私が先程まで読んでいた本に、『爽やかな汗の匂い』という表現が出てきたのです」
「爽やかな汗の匂い、ですか……具体的にどんな匂いかは分かりませんが、でも、イメージすることはできますね」
16:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 18:27:27.95 ID:YiqUyrv20
「でも、アイドルとなってから、自分の思っていた以上に、自分の知っている世界が狭いことに気付きました。
いえ、それだけでなく、知識として知っていることでさえ、その半分も理解できていなかったことを知りました」
「……文香ちゃん……」
17:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 19:35:41.73 ID:YiqUyrv20
「……分かりました。文香ちゃんの熱い気持ち、しっかりとこの胸に、受け止めましたっ」
「! では……」
「えっと、すごく恥ずかしいです……けどっ。文香ちゃんのためなら私、協力します!!」
18:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 19:36:54.58 ID:YiqUyrv20
鷺沢文香からの今一度の問い掛けに対しても、日野茜はあくまで強気に答えてみせる。
その表情は恥じらいを隠すかのようにぎこちなく、しかしそれは同時に、彼女の覚悟の大きさをも示していた。
対人経験の豊富でない鷺沢文香も、目の前の彼女が乙女としての羞恥を必死で堪えて引き受けてくれたことを感じ取り、理解した。
だからこそ、胸の内からは自然と、感謝の言葉が浮かび上がってきた。
19:名無しNIPPER
2017/01/01(日) 19:54:44.40 ID:flOZjWeVO
大晦日と新年にかけてこんなSS書くなんて……
遅れて来たサンタさんかな
20:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 21:06:21.12 ID:YiqUyrv20
「い、いえいえっ、文香ちゃんは同じアイドルの、大切な仲間ですから!! 仲間のためならこれくらい、何てことないですよ!!!」
日野茜は、笑顔でそう言い切ってみせる。
そこまで感謝される程のことではない、と。
――恥じらいの窺える、ぎこちない、強張った笑顔。
21:名無しNIPPER[sage saga]
2017/01/01(日) 21:11:38.97 ID:YiqUyrv20
「……」
「……」
二人は照れの混じった笑みを投げ合い、しばしの間、見つめ合う。
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