高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「『あいこカフェ』で」
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23:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:41:36.48 ID:eE/KPeRw0
 どうにか容貌を整えた私は、直後にやってきた設備業者さんとPさんとのやり取りを手伝いつつ終わり次第再び裏方モードへ。キッチンの裏、ドアをほんのちょっとだけ開けて、藍子の姿を探す。

 ……なんか、お客さん多くない?

 昨日より明らかに席が埋まっているし、店員となったスタッフさんも駆け足が止まらない。
以下略 AAS



24:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:42:36.49 ID:eE/KPeRw0
 姿見で制服姿を3度見直して、ウィッグと、カラコンも着けちゃえ。口調は藍子の物を真似てひたすらに丁寧に。……うんっ、大丈夫。これくらいなら即興で化けられる。
 フロアに出る1歩目の震えを土踏まずで踏みしめて、まずはキッチンにいる藍子の元へ。目を見開く藍子に手をひらひらと振る。

「私も手伝いますよ、藍子さん」

以下略 AAS



25:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:43:36.71 ID:eE/KPeRw0
 最後に見た時よりもかなり大人びている。野暮ったい髪型は、今もお堅い印象はあるけどかなりきらびやかに、オイルケアやドライヤーを念入りにしていることもすぐ分かった。
 でも、そんなことよりここにいたことが。
 急に出会えたことがびっくりして、そしてすっごく嬉しかった。

 彼女も同じく目を見開く。私のカラコン入りの目を見て瞬きを繰り返すと大急ぎでポケットからスマフォを取り出した。見ているのはたぶん、今朝呟いたという「期待を匂わせる」文章。何度も何度も画面と私とを交互で見て、徐々に目と口が大きく開いていく。慌てて顔を上げた先は店内。スタッフさん1人1人の顔を、目を細めてじっくりと見据える。
以下略 AAS



26:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:44:06.95 ID:eE/KPeRw0
「ふぅー、は、はぁー……あぁびっくりした……。えっ、アイツですか? アイツなら猫を見に行きましたよ」
「……猫?」

 確か、テラス席の外をたまにうろついている子。準備中にも見かけたよね。猫よけを施してるから、中に入ってることはないみたいだけど……。

以下略 AAS



27:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:44:37.34 ID:eE/KPeRw0
 何度かテラス席と店内を十何往復することでようやく落ち着くことができた。廃棄物を抱えて建物の外周からゴミ置き場へと放り投げ、勝手口からバックヤードまで。壁に背を預けて大きく大きく息を吐く。

 疲れたー……。

 瞬間的に化けることは簡単でも、やり続けるのは楽じゃない。これが1日通しての撮影なら最初にスイッチみたいな物が入ったりするしやり通せるんだけど、なにせ急だったから……。ウィッグの蒸れもホントに鬱陶しい。寝室まで戻って、そういえば朝駆けで布団も畳んでいなかったことを思い出す。けっこう綿密に計画を練ってたのに、いろいろ綻んじゃったね。でも、これも楽しいからいっか♪
以下略 AAS



28:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:45:07.47 ID:eE/KPeRw0
 バックヤードへ駆け込んだ藍子の姿を、お客さんも目で追っていた。午前に当たりをつけてやってきた人達は、残念ながらカフェのルールで退席済み。店内の、特に長机には空席が目立つ。
 残ったラッキーな人達、あるいは正解を見つけられた人達は、スタッフさんのアナウンスに色めきだつ。くつろぎスペースでおひるねしていた人は足音で目覚め、来た時には無かった音楽器具やマイクに目を丸くしているようだった。

 ひょっとしたら、告知を見ていない人だっているかもしれない。

以下略 AAS



29:※歌としてお借りした元ネタは「トラベルナ」です、ご参考までに……。[sage saga]
2021/05/16(日) 14:46:07.36 ID:eE/KPeRw0
「〜〜〜♪ 〜〜〜〜〜♪」

 やがて歌が始まった。声の柔らかさがリズムを帯びて、少しずつ形を変えてゆく。
 森の奥で、妖精が楽しげに歌っているような――。
 そういえば、いつだったっけ。藍子のことをカフェに住む妖精とか、あるいは魔女だなんて冗談を言い合った。
以下略 AAS



30:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:47:07.37 ID:eE/KPeRw0
 ライブが始まる前は表情で背を押した、ファンのみんな。藍子が歌い終わった時には、拍手と、歓声で少女を迎えた。
 それは歌を通じて、この場のみんなと同じ想いを共有できたのだと知っているから。寝ていた人も、スマフォ相手に顔をしかめていた人も、話している内容がちょっとだけ愚痴になりつつあったママ友も。密かにアイドル推しが趣味で、内気で誰とも好きの気持ちを共有できずに1人で来た人だって、やんわりと包み込んであげるのは――藍子だけではなく、藍子の優しさを受け取ったファンによるものだった。
 伝播していった気持ちが最後には、より引き込む力の強い場所へ。
 アイドルの藍子へと戻っていって、少女の笑顔をきらめかせる。

以下略 AAS



31:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:48:06.58 ID:eE/KPeRw0
 ミニライブが終わってからも、多くのお客さん、藍子のファンの人たちは席を立つことなく思い思いの時間を過ごしていた。
 長く居座り続けるならそれとなく言うルール、というのはもちろん続いてるけど、新しいお客さんが来るまでは誰も追い払うことなんてしなかった。16時を回った頃からは新しいお客さんがほとんど来ず、店内でも時々思い出したかのように注文する程度で、店員役のスタッフさんは一緒になってのんびりとした時間を楽しんでいるようだった。

 ときどき藍子が、ラジオ番組を真似たトークを始めてみたりする。お客さんから質問を募集して、それにのんびりと答えていく。

以下略 AAS



32:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:48:37.20 ID:eE/KPeRw0
 コーヒーは眠れなくなっちゃうかもしれない。ココアにも同じ成分が入っていると聞いたことがある。ジュースを飲み干して悪い子! ……っていうのは、今やってもしょうがないよね。
 考えついた結果が「白湯」という実物通り味のしない選択だった。とほほ、と肩を落とす私のことを、まあまあ、と苦笑しつつ撫でてくれた。
 くっだらない意地を張ってうまくいかないのはいつまでもそう。そんな日々の失敗だって、藍子にとっては新しい思い出になるのかもしれないけどね。

「いただきます、加蓮ちゃんっ」
以下略 AAS



33:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:49:06.93 ID:eE/KPeRw0
「ねえ藍子。ここでいつもみたいにのんびり喋るのもいいけど……。いつものカフェじゃないし、いつもの店員さんもいないんだから、せっかくだしいつもじゃないことをしない?」
「いつもじゃないことって?」
「それはね――」

 実はやってみたいと思うことがあった。藍子の手を取って立ち上がる。連れて行く先はカフェの向かって右側、くつろぎスペース。靴を脱いで、藍子は引っ張られながらこんな時でも私の分も含めて靴を合わせて、先に座り込んだ私の隣に腰を降ろした。
以下略 AAS



34:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:50:06.48 ID:eE/KPeRw0
「……カフェさ、明日で終わっちゃうね」

「……そうですね。ひとまず、明日で終わってしまいます」

「なんだか寂しいね」
以下略 AAS



35:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:50:38.81 ID:eE/KPeRw0
 新しい1日を告げる鐘の音が、全身へとエネルギーを行き渡らせた。藍子も同じだったようで、私達は合図もなく、どちらかがどちらに引っ張られることもなく起き上がった。
 クッションの汚れや食べ物の小破片がとても気になる。藍子も私の手を離し、長机の椅子をピッタリ並べ直しているようだった。
 次は、と店内を見渡す目が、ふっと閉じる。
 ……頑張りたくなる気持ちは分かるけど、もう12時を過ぎちゃった。私も、すっごく眠たいや。

以下略 AAS



36:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:51:06.48 ID:eE/KPeRw0
 昨日のことも考えて、3日目は裏方を止めて主にキッチンの雑用を担当することにした。ウィッグをつけなおし、変装と異物混入の阻止を兼ねた頭巾を巻く。藍子も真似しようとしたけど、看板娘に野暮ったい格好はさせられないので没収。

 とは言っても……正直、私の手伝いはなくてよかったと思う。

 最終日となる3日目は、『あいこカフェ』に力を貸してくれたスタッフさんが全員集まった。事務的な面を担った方も様子を見に来てくれて、周りに勧められて少しだけ店員としても入る。人手の多さもあって昨日みたいな忙しさはなく、何もないまま時間が過ぎていく。
以下略 AAS



37:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:52:06.60 ID:eE/KPeRw0
 藍子がまた新しい注文を完成させ、お届けする姿をぼんやり眺める。

 ……こうして見ると改めて、これが藍子の世界なんだって思う。
 カフェとアイドル……。カフェアイドル、やっぱりやれるんじゃないかな。

以下略 AAS



38:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:52:37.21 ID:eE/KPeRw0
 最後のお客さんを藍子が送り出し、そのままドアの表側まで回る。表札を「準備中」へ、手癖で変えようとするも……寂しそうに一笑し、チェーン部分を手に表札ごと外してしまった。店内へ戻った藍子は、もう1度両手を前へ揃える。

「みなさん、ありがとうございました……『あいこカフェ』は、ただいまをもちまして閉店です!」

 そう言うと、店内にたくさんの拍手が巻き起こった。1日目、2日目、3日目に見た店員さんよりずっと多い数の、これだけの人達が藍子の為に頑張ってくれた。暖かな気持ちを受け止め、もう1度お礼を言う。
以下略 AAS



39:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:53:06.20 ID:eE/KPeRw0
 1つ1つのカフェだった物が運ばれてゆく度に、藍子はちらりと時計を見てしまう。もうちょっと、この時間が続けばいいのに――たった3日ながら、もう1つの家とも言えてしまう居心地の良さも、昨晩藍子と一緒に寝転がったくつろぎスペースも、なんの情緒もなく片されてしまう。――目を伏せる藍子はだけど、私が肩を叩くと、大丈夫だよと首を横に振った。

「……加蓮ちゃん、覚えていますか?」
「なにを?」
「カフェがカフェと呼べるために必要な物は、店員さんと、それからお客さんです」
以下略 AAS



40:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:54:06.35 ID:eE/KPeRw0
 解散したのは、まだもうちょっとあくびが出るには早い時間。とはいえ一旦の区切りであって、『あいこカフェ』の片付けはもう1日に及ぶ。残念ながら、私も藍子も明日はお互いレッスンやお仕事の予定を入れているので、もうここに来ることはない。
 Pさんへの細かい報告やミーティングは明日の予定が終わった後でということになってる。車で私達を家に送ってくれると言う言葉に甘え――スタッフさん1人1人が去っていくのを藍子と一緒に見送ったら、Pさんの車に乗り込む。

「お疲れさまでした。……終わっちゃいましたね、加蓮ちゃん」
「お疲れ様、藍子」
以下略 AAS



41:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:54:37.17 ID:eE/KPeRw0
 話したいことは山ほどあるけど、残念ながら車はさっさと藍子の家へと到着してしまった。あれだけたくさんの出来事を、帰り道の間にほんの片手分も共有し直せなかった。私も藍子も、動き続けていたのはもう口だけだし……明日からもまた毎日が始まる。名残惜しいけど、今日はこれでおしまい。

 車から出た藍子はPさんと挨拶して、それから私にも笑いかけた。

「加蓮ちゃんっ」
以下略 AAS



42:名無しNIPPER[sage saga]
2021/05/16(日) 14:55:15.28 ID:eE/KPeRw0
 ――これが藍子にとっての、1つの到達点。

 長い長い上り坂を進み、時に迷い、悩み、険しい道に何度も足を止めながらも、自分のやり方を探し続け、アイドルとして輝き続けた。

 失われることなく持ち続けた強い気持ちが行く先に作り上げたのは、自分のカフェという優しい場所だった。
以下略 AAS



43:名無しNIPPER[sage]
2021/05/16(日) 18:38:43.57 ID:1czdXDgXO

結構読み応えあった


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