1:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 12:58:35.18 ID:pbZE6X4vO
「懐かしいなあ……」
まだ寒さの残る乾いた青空の下、助手席に座る彼女はポツリと呟いた。このあたりに来るのは、ずいぶん久しぶりだった。
「詳しいんですか?この辺り」
隣でハンドルを握る後輩が訪ねる。
無理もない。ここは二十三区内とはいえ、都心からはかなり距離がある、企業も飲み屋もないような住宅街だ。
電車は各駅でしか止まらない。今でこそ背の高い建物も建ち始めているが、当時、十五年前は、スーパーすら近くにないような、文字通りの閑静な住宅街だった。
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2:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:07:05.97 ID:pbZE6X4vO
「十五年前ですか……」
後輩がピンとこない、という風につぶやく。十五年前と言うと、彼はまだ小学校低学年かそこらだろうか。その反応も無理はなかった。
3:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:16:31.81 ID:pbZE6X4vO
「都心から遠くて、都会すぎないのが良かったんだと思う。たぶん」
どこか他人事のようにつぶやく。実際は、一番近くのスーパーですら歩いて数十分の距離にあるわ、近くに遊べる場所もないわで、青春真っ盛りの女の子が一人暮らしをするには少々、かなり控えめに言って少々不便な町だった。
4:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:28:07.90 ID:pbZE6X4vO
「どっちに曲がります?」
「右。それで、突き当たりを左に……」
5:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:42:34.08 ID:pbZE6X4vO
アイドルをやめてからは、放送作家をしている。
とは言っても、他の作家の補佐程度の仕事で、自分が主体となるような仕事はほとんど任されていない。
実力には自信があったし、決して自惚れではないように思う。
6:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:51:47.26 ID:pbZE6X4vO
十五年というのは、町並みを変えてしまうには十分すぎるほどの長い年月である。
移り変わりの激しい都心部はもちろんのこと、こういうごくありふれた住宅街でも、それは同じだ。
十五年どころか、半年に一度、正月とお盆には帰省している青森の風景でさえ、その変化には驚かされるのだ。かつて私が住んでいたアパートがどうなっているかなんて、想像もつかない。
7:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:56:38.28 ID:pbZE6X4vO
変わりゆく町の中でもあのアパートは、今も変わらずそこにあった。しかし、人が住んでいる様子はない。
茶色に錆びてボロボロになった手すりや、外れかかった雨どいを見るに、不動産屋が採算を取れないと判断し、遊ばせているのだろう。
新興住宅が建ち並ぶ中、グレーにくすんだその姿は、まるで一人だけ馴染めずに、周りから取り残されているように見えた。
8:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:57:45.60 ID:pbZE6X4vO
「ほんと、懐かしいなあ……ここらへんって小学校の通学路だから、毎朝子どもたちの声で目が覚めて……」
聞かれたわけでもなしに後輩に向かって話す。
9:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 13:59:08.70 ID:pbZE6X4vO
かつて住んでいたアパートの前の通りを十分ほど歩いたところに、小さな公園がある。
ここも、あの頃と変わっていなかった。ブランコがあり、滑り台があり、シーソーがあって、そして、桜の木があった。
「ごめん、ちょっと止めて」
10:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:00:10.27 ID:pbZE6X4vO
ずっと、アイドルになりたかった。他人に言えば笑われるような夢だったが、幼い頃から変わらない、たしかなものだった。
当然、親からはいい顔をされなかった。特に父の反対が激しく、何度も口論を重ねて、そのたびに母を心配させた。
そんな両親の気持ちなんてつゆ知らず、私の夢への憧れは日に日に大きくなっていった。それに、アイドルになるなら東京だとも思っていた。青森でもアイドルにはなれるが、チャンスの数は天と地ほど違う。だからこれが最善だと思い、新幹線に飛び乗って、東京に行った。
11:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:01:05.83 ID:pbZE6X4vO
幸い、オーディションには合格したが、事情を話したらすぐに事務所から両親に連絡が行き、二日とたたずに母が迎えに来てしまった。
こっぴどく叱られるかと思っていたが、母の口から発せられた言葉は、私の予想していたものとはまったく違うものだった。
12:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:02:17.68 ID:pbZE6X4vO
学校への転入もアイドルとしての活動も、新年度を待つ形となっていた。そのため、三月が終わるまでの間、何もすることがない。
暇つぶしに事務所に出かけてみても、私と同じくらいの年の女の子はいなかった。事務をする場所なのだから、アイドルはいない。当たり前のことだった。
両親とひとつ屋根の下で暮らしていた今までは、一日中家にいれば、家族と口をきく機会なんて何度もあった。
13:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:03:16.91 ID:pbZE6X4vO
学校に通うようになれば友達もできるから、あとちょっとの辛抱だ、と自分に言い聞かせた。しかし、その一方で、友達ができなかったらどうしよう、という不安も消えない。
今にして思えば笑ってしまうような話だが、あの頃の私は真剣だった。
言葉を発しないまま一日を終え、布団にもぐりこむと、このまま私は一生誰とも口をきかないんだろうかという不安に襲われて、頭からすっぽり布団をかぶって、ラジオで聴いてそのまま耳に残っていた曲を、思い出すままいくつも歌った。
14:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:04:22.46 ID:pbZE6X4vO
学校が始まる前日も、誰とも言葉を交わすことなく終わった。
昼間は適当な店を見て暇をつぶし、夕方になってアパートに戻った。
明日からは大丈夫だ。青森にいた時みたいに友達とわいわい賑やかにやれる。
15:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:05:16.47 ID:pbZE6X4vO
父からだった。
元気ですか?
一人暮らしには慣れましたか?
16:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:06:15.74 ID:pbZE6X4vO
べつにたいしたことは話さなかった。早口になり過ぎないように、喋り過ぎないように「はがき、届いたから」「うん、学校は明日から」「ごはん?ちゃんと食べてるよ」なんて言って、父の話はほとんどきかずに話は終わった。
「うん、じゃあ」と言って、父が電話を切るのを待つ。ところが、父もなかなか電話を切らなかった。十秒ほどの沈黙があったあと、父の方から電話を切った。
17:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:08:39.31 ID:pbZE6X4vO
部屋の明かりをつける。ティッシュで涙を拭き、鼻水をかんだ。
まだ友だちはいない。知り合いもいない。状況は何も変わっていない。
それでも、やっていけると思った。東京でがんばっていけると信じられた。
18:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:10:10.33 ID:pbZE6X4vO
木にもたれかかって、電話をかける。コールの音はあの時ほど長くは感じられなかったが、あの時と同じように耳に響く。
夫が出た。
19:名無しNIPPER[sage]
2015/03/17(火) 14:12:13.61 ID:6nj1ee4vo
16年経ってたら32歳じゃねと思ったけど時間差誕生日SSか
乙乙!
20:名無しNIPPER[saga]
2015/03/17(火) 14:15:41.71 ID:pbZE6X4vO
ありがとうございました。ちょっと遅れちゃったけど、忍ちゃん誕生日おめでとう
21:名無しNIPPER[sage]
2015/03/17(火) 14:15:57.96 ID:frUSFtLEo
乙! 忍ちゃんらしい良いSSでござった。
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